J.R.RoWlimg著H〃ψ〃”ぴα〃肋eP舳080ρ此e{∫ωmに於ける
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Iku Inada 抄 録 ハリー・ポッターの物語第一作此η凡〃εr㎝d伽肋他∫oρ加比∫’㎝eをハリーの人格 形成という観点から四局面に分けて、ハリーに関わる人物、出来事が彼の価値観に及ぼす 影響を考察する。 キーワード:児童文学、価値観、人格形成 (200ユ年9月n日 受理) Abs比actThis paper discusses the process of HarW rbtterもgrowth as a pe帽。n,considering the eHec㎏
of the people and incidents he meets in the fourdi肘erentsituations一
Key words:childrenも1iterature,values,character building
(Received September l1.2001)
ハリー・ポッターを主人公とする物語の連作が原作の出版国イギリスのみならず日本を 含む世界各地で、年齢を問わず児童・成人の間で好評を博している。この現象の拠るとこ ろは児童文学作品としての完成度のみならず社会的意義を含んで多岐にわたると思われる が、その好評の要因の一つはハリー・ポッターという主人公の英雄的存在が読者に引き起 こす憧憬であり、英雄としての自己実現の過程におけるハリーの私利私欲のない冒険に挑 む誠実さ、努力の清々しさ、生きることは不断のイニシエイションであり闘いであるとい う事実の再認識であるかと思われる.。ギリシャの英雄叙事詩「イリアッド」や「オデュッ セイア」にも似た英雄ハリーのサガともい.うべき物語は現在第四作までが完成、出版され ているが、ここでは連作の第一作、肋〃冊脆r㎝d肋ε肋〃。∫oρ加比∫r㎝e(邦訳「ハリー ポッターと賢者の石」)でハリーが物語の主人公としての地位を確立するまでの経緯にお いて、主人公ハリーの位置付けを、「昔話」の類型との比較をふまえたうえで、価値観の 形成・相克という観点から考察する。 〃。ηγ比〃θr㎝d肋e肋〃。∫o帥e{∫foηeに於ける主人公としてのハリー・ポッターの人物 像は大別して四局面に分けることが出来る。第一はハリーが特別な英雄的存在でありなが らそうとは知らずに虐げられた存在として雌伏を余儀なくされている十年間である。第二 はハリーがその出自を知らされて新しい世界でありかつ彼が本来属しているべき魔法使い の世界を知る希望に満ちた一日である。第三はハリーが本来属している魔法使いの世界へ のイニシエイションの儀式とでも呼ぶべき魔法使い学校ホグワーツでの存在確立に要した 二ヶ月余りである。そして最後の第四の局面はハリーが魔法使いの世界に於いて特別であ り、英雄であることを証明していくハリー本来の生き方の第一歩としてのホグワーツでの 数カ月である。この論ではハリーの生き方が明確になるまでの第一から第三までの局面を 主として取り上げることとする。 ll ハリー・ポッターの主人公としての特徴を、先ず第一の局面に於けるハリーの設定にみ る。ここではハリーが一般人の目にはどこか不思議な少年であり、人間世界の日常生活に おいて虐げられている存在、見るべきところのない、価値のない存在であることが強調さ れている(Rowling7−38)。まずハリーの生い立ちであるが、彼は幼時に両親を自動車事 故で失った子供としてロンドン郊外に住むハリーの母親の姉ペチュニアとその夫ヴァーノ ン・ダースリーとその息子であるダッドリーの一家の世話になって育った十歳の男の子で ある。ハリーは、まだ一歳であったある深夜に毛布にくるまれて一通の手紙と共にダース リー家の玄関に届けられる。ハリーをダースリー家の玄関に届けるに当たっては不思議な 三人の男女が関わっているのであるが、三人の経歴や背景は不明のまま物語は始まる。ハ リーは間もなく十一歳になろうとしているのであるが、この間、伯父、伯母であるダース リー夫妻の意向によって出自については何も知らないままにいる。が、ハリーの両親は実
は共に魔法使いで、二人の死は自動車事故などではなく、魔法使いの世界にあっても謎め いた事件として語り継がれている出来事なのであった。というのはハリーの両親ジェイム ズとリリー・ポッターは明確な理由もないままにハロウィーンの夜に自宅で殺害されたの であり、殺害したのは魔法使いの世界ではその名前を口にするのがはばかられるほどの邪 悪な力を有したヴォルデモートであったからである。ヴォルデモートは魔法使いの世界で は「誰のことか分かるあの人」と呼ばれており、その力の強大さは他に比類を見ないほど であり、ひとり魔法使い学校ホグワーツの校長でありハリーをダースリー家に預ける決定 をくだした人物であるアルバス・ダンプルドアだけがヴォルデモートを打ち負かすことが できるのであった。そのヴォルデモートが次々に配下を増やして邪悪な勢力をのばしてい る時に、ジェイムズとリリーを、おそらくは二人がダンプルドアに近しい存在であり善良 かつ優秀な魔法使いであったがゆえにヴォルデモートにとっては邪魔者であったがため に、殺害したのであろうというのが魔法使いの世界での通説である。当時もっとも優秀な 魔法使い達すら殺害しえたヴォルデモートの邪悪な殺意を免れうる者はいないとされてい たのである。一歳のハリーは、先ず父親ジェイムズが、次いで母親リリーが彼を守ろうと して殺された後(213)、ヴォルデモートに殺されかかるのであるが、奇跡的に生き残る。 同時にヴォルデモートは力を失って行方不明になるのである。ハリーの額に稲妻のような 傷痕を残しはしたがヴォルデモートの殺意が無効となったハリーの生存は謎であり、かつ 邪悪な力が敗北し屈服したハリーの存在は魔法使いの世界をあげて祝うべき出来事だった のである。しかしハリー自身はこのような背景に関しては何も知らぬままに、亡き母親の 姉夫婦ダースリー夫妻と彼等の息子である従兄弟のダッドリーの一家にあって、歓迎され ない居候として押入部屋で十年の歳月を過ごしてきたのである。 この虐げられ、軽んじられ、顧みられることのない少年としての十年間という歳月は、 あたかも「醜いアヒルの子」に於ける白鳥のひなのアヒルの集団にあっての姿形の違いゆ えの苦難の日々や、 「シンデレラ」に於ける令嬢シンデレラが召使いとして味わった苦境 と同様、後の栄光に満ちた境遇を迎えるための準備、また栄光の輝かしさを際立たせるた めの対照としての苦境の感がある。表面上、ハリーの苦難は一に孤児であることに回して いる。幼い子供の通常の環境、即ち両親が営む家庭にあって両親の庇護の下に生活すると いう一般通念、からはずれた境遇にあることがハリーの不幸という特殊性をもたらしてい るのである。これはマックス・リューテイが「昔話の本質」で昔話の主人公の特質として あげている「うわべだけ」の違い(193)を設定する要素にあた糺しかしこの孤児であ るといううわべだけの違いはシンデレラの身分や境遇、また白鳥の雛がアヒルとは姿・形 が異なるといった一般通念からの判断による違いであると同時に、一般通念では理解でき ない本質における違いをも示唆しているのである。その証拠にハリーの額には「奇妙な、 稲妻のような形」(Rowling17)をした傷痕がある。これは先にも述べたが邪悪な力をもっ てハリーを殺そうとしたヴォルデモートが殺害に失敗した折に残した傷痕であり、この傷 痕がハリーの存在の特殊性、常人とは異なる魔法使いであること、更にはその魔法使いの 社会にあっても常ではない存在であることの誰となっているのである。これを裏打ちする 一15一
箇所として、魔法使い学校ホグワーツの教授マックゴナゴルがハリーはいずれ有名になり、 伝説的存在となり、彼に関する多くの本が書かれ、魔法使いの子供達は誰でもハリーの名 前を知っているようになり、ハリーが生き残ったこの日はハリー・ポッター記念日となっ てもいいくらいだ(15)と物語冒頭で述べている。またホグワーツの校長ダンプルドアも 額の稲妻のような傷痕はいずれ何かの役にたつことであろうから、消すことができるとし てもこのまま残しておく(17)としている。このような選ばれた者としての印を帯びたハ リーはその本質に於いて他とは異なる存在である。しかしながらハリー本人は、特別であ ることも、有名であることも、国中でひそかに魔法使い達がお祝いの杯をあげてヴォルデ モートの殺裁の手を免れて「生き残ったハリー」を祝っていることも知らず(18)、両親 が魔法使いであったことも本人が魔法使いてあることも知らぬままに人間社会にあって伯 母一家に顧みられることなく、虐げられた少年として十年を過ごしているのである。この ように孤児、即ち肉親不在で孤独であること、また通常の人間ではない魔法使いであるこ とによる人間世界に於ける孤独、更には他の通常の魔法使いではなく一歳にして最強の邪 悪な力に打ち勝つことのできた特別な力を帯びた、魔法使いの申でも何らかの理由があっ て選ばれた存在であるという特殊性がもたらす他からの屹立という孤独、この三種の孤独 はすべてハリー本人が望むと望まざるとに関わらずの他からの孤立を余儀なくさせるもの である。ここにハリーの主人公としての特質である孤独が確立するのである。主人公とし ての孤立性については、小澤俊夫が「昔話とはなにか」の中で昔話の特徴として「昔ばな しは、あらゆる点で孤立性を好む。孤立的で、強い照明を浴びて、明確な輪郭をもって登 場する。それが昔ばなしの主人公の条件なのである。」(39)と書いているように、主人公 にとっての必須の条件である。それというのも主人公の重要な役割は、孤立しているが故 に「なにとでも結びつきうる」(小澤49)こと、即ち主人公はどのような者にもなれるし どのようなことでもできるという可能性の象徴そのものなのである。この点について リューテイは「昔話ではあらゆることが可能である」として、可能性は表層における「憧 れの夢や願望」(195)が可能になることにあると同時にまた「非本来的な在り方から本来 的な在り方へ救い出すことを象徴している」(195)と述べているが、ハリーの場合は、明 らかに後者の可能性を体現すべく設定されている。というのもこの物語は人間社会という 非本来的状況からハリーが本来属すべき魔法使いの社会へと移行するという点において、 更には魔法使いのなかでも選ばれた者であることを証していくという、ハリーの実質を開 示する過程の物語だからである。 ハリーの本来性、実質が明らかにされるまでの第一段階の過程であるところの、彼にとっ て非本来的な場であるダースリー家で過ごす十年間は、殊更に苛酷な状況として描かれて いる。これは当初から予想されていたこと、即ちハリーの栄光に満ちた実質が明らかにさ れるまでの必須の過程として、予め予想され、計画されていた過程であることになってい る。その過程の第一日、ダースリー家にハリーが届けられたその夜のこと、ハリーに関わ る不思議な男女三人のうちの女性であるマックゴナゴル教授が、猫に変身して朝から一部 始終を観察していた結果、魔法使い達とは似ても似つかぬ人間達であると判断したダース
リー一家にはハリーを理解することなど出来ない(Rowlingユ5)とダンプルドア校長に危 惧の念を伝えるのである。ダンプルドア校長も先にあげた不思議な三人の男女のうちの一 人なのであるが、彼はハリーにとってはダースリー家で暮らすのが最善だ(ユ5)と答える のである。その理由としてダンプルドアはハリーが彼の特別な境遇を理解し、受け入れる ことができるようになってからそうと知るのがよいのである(16)と述べている。それ故 ハリーの十年間の苦難の日々は、ただ理不尽に与えられた苦難ではなく、ハリーが後に引 き受けるべき特別な者、選ばれた者としての本来的生き方にむけて予定された過程として、 魔法使い社会に於ける最強、最善であり最高責任者であるダンプルドア校長が選択して準 備した期間なのである。とはいえダンプルドアの予想がすべてにおいて的確だったわけで はなく、ハリーの人間社会における十年間は予定外に苛酷であり、また屈辱的であった。 これは先にあげたマックゴナゴル教授の危惧の拠るところ、即ちダースリー家が魔法使い 達とは似ても似つかぬ人間である、が不幸にも証明されたからである。似ても似つかぬと は外見をさしてのことではない。価値観の相違である。しかも単に魔法使いと人間の間の 価値観の相違ではなく、ダースリー一家が人間社会においても上質とは言いがたい存在で あるがゆえの普遍的善に照らしての価値観の相違である。この故にハリーの人間社会での 生活が一層苦難に満ちたものとなったのである。 ダースリー一家の価値観は物語の冒頭に既に明らかである。現実主義的、即物的、自己 満足的利己主義者であり、詮索好きで世間体を気にする小心な自己保身を一義とする中産 階級としてのダースリー夫妻は、自らを正常とし、それを誇りとし、奇妙で神秘的な事柄 には一切無関係と思われる(7)人間として登場する。物語の第ユベージでダースリー夫 妻は俗物と規定されているのである。この俗物という規定は、後に更に増幅されることに なる。それはホグワーツ学校で動物飼育や森番などの雑用を受け持っている巨人ハクリッ ドが、彼もまた不思議な三人の男女のうちの一人であり、ハリーをダースリー家に届けた 人物であるのだが、ハリーのホグワーツ入学準備を整えるためにハリーに会いにやってき てダースリー∵家と対面した時に、ハクリッドが夫妻を人間のなかでも最もひどい、最も 出来の悪い連中(43,47)と呼ぶのである。加えて夫妻は一人息子ダッドリーを甘やかし ており、子供の撲も十分にできない親としてマックゴナゴル教授に蔑まれているる(ユ5)。 このように夫妻は彼等の価値観、生き方ゆえに魔法使い達から低く評価されるのである。 このような夫妻にとって彼等の存在価値を決定するうえで大切なものは内性的普遍的人間 としての質ではなく、彼等の住む社会における相対的地位であり、物質的豊かさであり、 彼等に対する他者の評価である。これらを脅かすものはたとえ肉親であっても夫妻にとっ ては敵なのである。それ故にペチュニア・ダースリーは妹リリーが魔法使いであること、 リリーの夫ジェイムズ・ポッターもまた魔法使いであることを恥とし、彼等の一自、子ハリー がペチュニア夫妻の自慢の一自、子ダッドリーに悪影響を及ぼさないようにするためにも数年 来関わりを絶っていた(7)というのである。しかもペチュニアは妹の名前を聞くだけで ひどく動揺し(9)、過敏に反応し(11)、妹夫婦の、自、子であるハリーの名前について夫が 話すと気が滅入る(1ユ)のである。ペチュニアの夫ヴァーノンも義妹夫婦の名前を決して 一17一
口にせず、彼等の話しをする前には神経質に咳払いをし、義妹夫婦には我慢ならず(11)、 普段はペチュニアと二人であたかもリリーという妹が存在しないかのようにふるまってい た(11)。また二人はリリーとジェイムズに対しても彼等が魔法使いであるがゆえにあか らさまに嫌悪感を表明していた(11−12)。このように物語冒頭で否定的に描き出された ダースリー夫妻は、魔法使い達から郡楡されるべき、蔑まれ唾棄されるべき人間として登 場している。これはしかしながら魔法使い達が人間全般に対して下している評価ではない。 魔法使い達は、彼等とは異なる普通の人間をマグル(43)と呼んで別種の生き物と区別し てはいるが、人間全体を劣ったものとしているわけではない。先にあげたハクリッドの言 にあるように、ダースリー夫妻は人間のなかでも最もひどい、最も出来の悪い連中である、 という点にこれは明らかである。しかしハクリッドの先の言は、実は読者である人間すべ てに向けられた警句であるといえる。ダースリー夫妻と同じ人間であるからには、程度の 差こそあれ、彼等と同じ資質をもっているのである。ただダースリー夫妻は最もひどい、 最も出来が悪い例であるだけなのである。ここには単に教訓的というよりも昔話の「含世 界性」(小澤48)とリューテイが言うところの世界の「ミニチュアの姿」(小澤48)が垣間 みられる。象徴性、寓意性、幻想性、神秘性が現実と接点を持ち続けているという、ここ にもハリーの物語が好評を博す一因があると思われる。しかもこのダースリー夫妻の人問 としての否定的な資質と価値観は、単に夫妻二人にとどまらず彼等の我侭な一人息子ダッ ドリーを加え、ハリーとの十年間の生活のなかで具体一性を得て更に詳しく述べられるので ある。また更には魔法使い達のなかにも同じような否定的人物が存在することが既刊の四 作を通して述べられてもいる。即ち、どのようなものであれ、生きる本人が何を選びとる かによってその人物の生、生涯が決定されるという、客観的、実存的生哲学が基盤にある といえる。これはまた、後に述べる予定であるが、職業や家系、経歴といった本人の内性 や人間としての質とは関わりのない要素をもって他者、人間も魔法使いも含んでのことで あるが、を判断したり評価したりすることの愚かしさに対する批判ともなって表現されて いる姿勢である。 ハリーに対するダースリー夫妻および息子ダッドリーの行為、行動から彼等の価値観を 更にみることとする。俗物であるダースリー夫妻が、よりによって触れられたくない秘密、 即ち身内に魔法使いがいること、をいやがうえにも思わされる甥ハリーが孤児になって彼 等と同居を余儀なくされた時にとるであろう行動は想像に難くない。ハリーが生活の場と して与えられていた部屋は階段下の暗い押入札であり(Rowling20)、ダッドリーに殴られ る度に壊れた眼鏡はセロテープで補修に補修を重ねたものであった(20)。年齢の割には 痩せて小さかった(20)ハリーは、飢えはしなかったが満足するまで食べたことがなかっ た(92)、いつもダッドリーのお古を着せられていた(75)、誕生日にちゃんとしたプレゼ ントをもらったことがない(75)、ハクリッドが突然やって来たひと月前までは自分の自 由になるお金など手にしたことがなかった(75)、とハリーが言うように命をつなぐため の最低限の世話だけをダースリー夫妻はしていたのである。しかもそうしていることをハ リーに対して彼等は取り繕うこともせず、当然のようにハリーに家事を手伝わせる(19一
21,29)一方、息子のダッドリーを公然と猫可愛がりしてハリーを差別し続けたのである (19−2ユ,24,26−27,28−30)。彼等のハリーに対する姿勢はまだその話しぶりにも明ら かである。夫妻ともにハリーに対しては殆とが命令形(19,20,29,30,31,32)もしく は確認のための疑問文(19,26,30)ないしはハリーに対して彼等の意思を伝える文(19, 23,26,29)であって、ハリーの意思や都合を尋ね尊重するような口調や、ハリーの様子 を案じるような質問は皆無である。それ故にハリーは同居を始めて早い時期に既に質問を しないことがダースリー家で平穏に暮らすための第一のコツであると悟る(20)のである。 加えてハリーに話す折の夫妻の口調はがみがみ小言を言うか(19,20)、わめくか(19, 20,30,3ユ,32)、きめつけるか(20,23)、意地が悪いか(30)、いずれにもせよ常に厳 しく冷たい。このようなダースリー夫妻の破廉恥さは、ハリーがあたかもいないかのごと く、或いはナメクジか何か忌まわしい、言葉が分からない生き物であるかのようにハリー の眼前で彼についての話しをする(2ユ)うえにハリーについての不満や文句を言うのが好 きであった(24)ところに極まっていると言える。このような夫妻に甘やかされて育てら れた我侭いっぱいの一自、子ダッドリーの行状も容易に想像できるものである。ハリーと同じ 年頃のダッドリーは子供であるだけにハリーに対する差別的言動は直裁である。自分だけ が特別な処遇を受けるべきであると思い込んでいる我侭故の差別的言動(20,21,22,25, 27,29)は枚挙にいとまがない。また太って体の大きいダッドリーが悪い学校仲間を伴っ て痩せて小さいハリーに対して暴力をふるって苛めもする(20,26,28)。ハリーがダー スリー一家と過ごした十年は、友達もなく(27,76)、ひどい人間達と暮らした(75)、惨 め(27)な年月であり、今後どのような生活が待ち受けているにもせよ終わってよかった と思える(74)生活であった。ここに見るダースリー一家は単なる俗物の域を超えている。 夫婦間や息子に対する愛着はあるにもせよ、唯一の血族であるハリーに対しては礼儀も思 いやりも持ち合わせていないというのであれば、ダースリー一家はハクリッドの言うとこ ろの最もひどい、最も出来の悪い人間、即ち想像力も愛もない人間と呼んで差し支えない と思われる。彼等にとって大切なのは、自分達三人の安楽、安穏な生活であり、自分達の 利益であり、自分達の都合である。利己主義、排他主義に加えて即物的なのであ糺先の リューテイの「全世界性」を再度牽くまでもなく、この三人の姿に自省をもって自らの像 を重ねない読者はないと思われる。しかしながらダースリー一家の三人は極端であるがゆ えに寓意たりえているのである。普遍的善・知に対しての不善、無知の象徴としてのダー スリー一家がハリーに対する処遇、姿勢を通して描かれているのである。 一方ハリーはこのように惨めな状況のなかで彼にとっての非本来的十年を過ごすこと で、本来の生き方が開示されるのを、そうとは知らぬままに待っていたのである。これは 先にもあげた「シンデレラ」や「醜いアヒルの子」に於ける設定と同じである。主人公本 人は自らの運命を知らずに窮境のなかで忍耐し続けることで栄光の日を突然迎えるのであ る。シンデレラや白鳥にとっては栄光の日が彼等に約束された幸福な日々の始まりである ことを知って、物語は終結するのである。昔話の奇跡はここで完結するのである。が、ハ リーの物語が英雄叙事詩やサガの色合いを帯びていると冒頭に述べたように、ハリーの場 一ユ9一
合は昔話の展開とは異なり、それまでの窮境を脱する栄光の瞬間を一旦は経験するが、そ の栄光の瞬間が、彼がそれから営々と立ち向かうべき苦難の端緒でしかないことを未だ知 らずにいる点に於いてである。この意味においてハリーは真の栄光を未だ知らず、また永 遠に続くであろう幸福な日々という結末を未だ獲得してはいないのである。この故ハリー はダースリー一家の価値観と決定的に相克、対立するべき独自の価値観を未だ有してはい ない。ただダースリー一家の価値観に対して、自らへの処遇を鑑みて、不信、不審感を抱 いているのみである。これは後の第三の局面でダースリー一家を評して、人間みんながそ うではないが彼等はひどく嫌な人達である(75)と述懐しているところにも明らかである。 ハリーは物語の第四作においてもまだ価値観の構築過程にある。彼は魔法使いの社会に 入って、そこも人間社会と同じく善と悪が共存し、魔法使い達も普通の人間達と同じく善 良な人達と邪悪な人達、穏健で親切な人達と冷淡で利己的な人達がいることを学び続けて いる。それ故に第一作であるこの物語に於ける価値観の相克は、ハリーがハクリッドに出 会う第二の局面から明らかになり始めることになる。それまでの十年間に於けるハリーと ダースリー一家との相克は、ダースリー一家のハリーへの処遇が不親切であり、冷淡であ り、思いやりカ、ないことに対してハリーが彼等をどう理解し、彼等にどう対応するかとい うハリーの身の処し方を形成する程度にとどまっているのみである。とはいえ、その間ハ リーが抱いた不信、不審感は紛れもなく彼の価値観の所産であることには違いない。 ハリーがダースリー一家と暮らした十年間は、先にも挙げたように質問しないこと、命 令に従うこと、差別的で冷淡な待遇を我慢することに費やされている。即ち、命をつなぐ ために差別され、抑圧され、従順であることを強いられていたのである。このような状況 の中でハリーが身につけたものは、自己主張しないこと、忍耐すること、状況をあるがま まに甘んじて受け入れる姿勢であると同時に、自他に向けての観察眼であり理解力である。 この状況下での彼は卑屈ではなく、自暴自棄でもなく、また野望を抱いてもいない。ダー スリー一家との生活がいつまで続くかも分からぬ状況で、両親の写真もなく、彼等の記憶 も、また彼等と共に生きた自分自身の記憶もさだかでない(27)というアイデンティティ の不確かさに加えて、理解者も友人もない孤独をハリーはあるがままに受け入れているの である。ハリーのこのような在り方は、無意識、無自覚のままに昔話の主人公、英雄たる 素質を有していることを証している。リューテイが言うところの「本質的孤立」(202)、 即ち「共同社会に根を張り、編み込まれていながら、究極のことがらにはひとりぼっちで おずおずと立ち向かわねばならない存在」(292)、として「固い結合の中に編み込まれて いないからこそ、拘束されていないからこそ人間は世界中のあらゆるものと関係を結びう るのである」(202−203)という可能性に向かいうるのである。この可能性は、リューテ イによれば「宇宙全体と関連を結びうる存在」(203)であり、ハリーの場合には一般の人 間の理解、侵入を許さぬ特殊な魔法使いの世界を通して更に計り知れないものへと通じる 契機なのである。この可能性を自らの質とするために、ハリーは十年間という雌伏の期間 を与えられているのであり、この期間は既に述べた「うわべだけ」の違いを確認するため の時間であると同時に昔話の主人公が必ず通る「旅人」(リューテイ198)としての過程で
もある。リューテイはこの「旅人」である主人公は「広い世界へ送り出」される(198)運 命にあるとしているのであるが、ハリーもまた「旅人」として先ず人間の世界に送り出さ れたと考えることができる。しかしハリーの旅は、彼が本来属している魔法使いの世界に 戻ることで終わりはしない。彼の旅は、彼にとっての本来的場であるところの魔法使いの 世界に戻ることで、いよいよその本来の意義、「自由と軽快の印象」(リューテイ198)を 伴って、「いき会う彼岸の人物は、敵あるいは味方としてしか主人公にかかわりを持たな い」(リューテイ199)ながら「決定的な出会いを持つ」(200)体験を繰り返して「宿りか ら宿りへ進んでいく」(ユ99)ものとなるのである。そしてその進む先は「到達しうる最高 の領域まで成長すること」(ユ96)であり、 「上昇」(197)である。それゆえハリーは、英 雄的主人公として彼が進むべき途への備えとして、ダースリー一家との十年間で孤独と忍 耐と無私を自らの立脚点として確保するのである。
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次いで第二の局面を迎えたハリーの設定をみる。第二の局面がハリーにもたらしたもの は、本来性の開示によるアイデンティティ獲得への第一歩である。十年前にハクリッドが ハリーをダースリー家に送り届けたことで第一の局面が始まったと同様に、この局面もハ クリッドによってハリーにもたらされるのである。この第二の局面におけるハリーの設定 を述べる前に、この局面の意義を示唆する予兆に言及しておく。第一の局面がハリーには 無自覚のままに始まったのとは異なり、第二の局面の始まりはハリーに彼自身の存在が特 殊であることを明らかにする出来事という予兆を伴っている。それは夏休みも近いある土 曜日のことである。かってないことにハリーはダースリー一家に伴われてダッドリーの誕 生祝いにとダッドリーの友人ピアスと動物園に同行する。ハリーが爬虫類のコーナーで ぐっすり眠っている巨大な蛇ボア・コンストリクターを見つめていると、突然ボアが目を 覚ましてゆっくりとハリーの前にやってきてウインクするのである(Row1i㎎25)。回りの 視線が向けられていないことを確認してハリーはウインクをしかえして、ボアのうんざり した表情を読み取ったこと、そのような表情をせざるをえない生活を送っていることに同 情していることをガラス越しに独り言で眩くと、今度はボアが頷き返したことで(25)、 ハリーはボアに話しかけ、ボアは尾を振ったり、首を横に振ったりして会話を始める(26)。 ハリーにとってこの蛇との会話は思いがけない事ではあれ、なんら異様なことではないの である。ハリーには蛇と意思疎通可能であることが彼の日常的生活の延長にあり、小澤俊 夫の言葉を借りれば、ハリーもまた昔話の主人公の持つ特質である魔的なものと「一次元 性」(77)を有しているのである。即ちハリーにはどのようなことであれ受け入れる許容 力があるということである。しかもハリーは、蛇の窮状、即ちガラス越しにいつも必ずし も好意的ではない参観者の視線に晒され、ガラスをコッコッ叩いて中にいる蛇の注意を惹 こうとするような参観者に邪魔される蛇達の日常に対して理解と共感を示して、蛇への同 情を示したのである。この点もまた小澤俊夫による昔話の価値観によれば美徳であるとこ ろの「他人あるいは動物への親切」(197)をハリーが有していることを示しているといえ 一21一る。このことはダースリー一家のハリーに対する非人道的処遇と対比させる時、人間が生 きるうえでの親切という美徳の意義がより鮮明になる。親切という美徳が尊重されること については小澤俊夫も、 「昔ばなしが、いかに人の世の気持ちを反映しているか、という ことのひとつの証左であるといえるであろう。お互いの親切、それは、人の世を温かいも のに保つ、最低限の、必須の美徳」(198)であると看破している。これらの特質を有して いることをハリー本人は自覚していない。しかし回りにいる人達の視線が向けられていな いこと確認したということは、ハリー以外の人間達にとっては不思議な出来事であり、一 般的な常識による判断によればありえないことであるという認識は、ハリーにあったと考 えられる。しかしてその証拠に、ピアスと思われる人物がハリーと蛇が会話しているのに 気付いて仰天して叫び、ダッドリーとヴァーノン・ダースリーを呼ぶことになるのである (Rowling26)。この後の出来事は、ハリーと一般の人間、しかも人間の中でも殊に「出来 が悪い」とハクリッドが評するダースリー一家との差異を更に明らかにするのである。ボ ア・コンストリクターにまつわるこの事件は、ピアスに呼ばれてボアを見ようと蛇のいる タンクのガラスの前にやってきたダッドリーが、ハリーの脇腹にパンチをみまい、ハリー がコンクリートの床に転んだ時にクライマックスを迎える。ハリーに対するダッドリーの 乱暴な行いが、それまでの十年間におけるのとは異なり、正当な報いを受けるのである。 ハリーへの不親切、不善がダッドリーに恐怖をもたらすのである。ダッドリーにとって当 然である事柄、状況、即ち身勝手な欲望からハリーに乱暴を働くこと、巨大な蛇とダッド リーの間にあって彼の身の安全を保証しているガラスが存在すること、が実は当然ではな いことを恐怖という感情をもって体験するのである。ダッドリーがハリーに乱暴を働いた ことで、参観者と蛇を隔てて参観者の安全を保証している筈であるガラスが突然消滅して、 ガラスの向こうに閉じ込められている筈の巨大な蛇であるボアが外に出てくるのである (26)。ハリーに対するダッドリーの行為が人道上当然のものでないことを示唆するように、 当然でないこと即ち動物園にいるボアが自由を得てタンクの外に出てくるのである。更に ボアはハリーに言葉をかけて、自由になったことに謝意を述べ、未だ行ったことがないボ アの本来の生息地ブラジルに行くと告げて何処へともなく去るのである(26)。この一連 の出来事をハリーは疑問を呈するでもなく、驚くでもなく、まして恐れるでもなく、ある がままに受け取っている。が一方ダースリー一家およびダッドリーの友人ピアスはこの出 来事によって恐怖の極に陥れられ、そのような状況をもたらしたハリーに対して怒りを感 じ、それ故に彼らにとってはこの出来事はハリーに懲罰を与えるに値するのである(26, 28)。 以上が予兆として述べられている出来事である。この予兆としてのボアの一件はこの時 点ではまだその意味がハリーには明らかになっていない。が、この事件を契機にしてハ リーはダースリー一家との十年間におきたいくつかの不思議な出来事を想起する。彼の記 憶の初めは目が眩むような緑の閃光であり、額に傷を受けたときの痛みであり(27)、空 を飛ぶモーターバイクであり(24)、一次いで幼少時に見知らぬ奇妙な人達が知己のように ハリーに挨拶した後、突然消えてしまった体験である(27)。この時点ではハリーの思い
にのぼらぬのであるが、ハリーをめぐる奇妙な出来事に関しての記述はこれまでにもある。 それはボアの一件が生じた動物園につれていってもらうにあたって、伯父のヴァーノンが ハリーにこれまでのように妙な事をしでかさないようにと警告したおり、ハリーは自ら望 んで奇妙な事をしでかして迷惑をかけたのではなく、奇妙な事が勝手に起きたのだ(23) としている箇所である。ここでいう奇妙な出来事とは、一つにはハリーの髪が床屋で刈っ てもらったすぐ後であるというのに行く前と変わらないボサボサの状態であることに腹を たてた伯母ペチュニアが、額の傷をかくすための前髪以外を短く刈り込んでしまったので あるが翌朝には元の通り刈り込む前の長さに伸びていたことである(23)。また他にはペ チュニアがハリーに無理矢理ダッドリーのお古を着せようとした折、そのセーターが手袋 で作った指人形にしか着せられないほどに小さくなってしまったことである(23)。今一 つは学校でダッドリーとその悪仲間に追いかけられた折、調理室の外に置いてある大きな ゴミ箱の後ろに逃げ込んだところ、気がつけばハリーは調理室の屋根の上にいたというも のである(23−24)。これら一連の奇妙な出来事が意味するハリーの特殊性は、ハクリッ ドがハリーの出自を説明し、それまでに何か困った事態に遭遇した時、不思議なことがお きただろう(47)とハリーに思い出させるまでハリー本人には明らかにならないのである。 このようにいくつかの不思議な体験を経たハリーは、魔法使いであることを知る彼の十 一歳の誕生日を間もなく迎える。それまでにはまだもう一件不思議な出来事が起きる。そ れは、ハリーが生まれて初めての体験であるところのハリー宛ての手紙が送られてきたこ とである。ハリー本人が手にしないうちは何通も送り続けられるハリー宛ての手紙はホグ ワーツ校からの入学許可および準備の指示を知らせる手紙である。ホグワーツ校から四日 にわたって、まずは一通、翌日は十二通、次いで三日目には二十四通、四日目には数え切 れないほど多くの手紙がダースリー家に届き、手紙をハリーに読ませまいとする伯父 ヴァーノンは一家とハリーを引き連れて自宅を離れ、ホテルに逃げ出すががそこにも一通 の手紙が届けられ、遂にはそのホテルを逃れて海のなかの岩の上に立つ小屋にボートで行 くという、ダースリー夫妻の滑稽なまでの動転と努力の数日がある(28−38)。これは世 間体ばかりを気にするダースリー夫妻が現実に直面することを回避し続けた逃避が引き起 こした問題であり、既に述べた彼等の人間性、価値観に関わること故、ここでは詳しく触 れぬ事とする。がこの出来事も昔話の類型としてリューテイがあげている「避け難い運命 の脅威というモチーフ」(26)に関連して、「運命を避けようとする試みが、ますます運 命をひきよせることになる」(26)としている出来事なのである。ハリーはホグワーツ校 からの手紙から逃れようとするダースリー夫妻、ダッドリーと共に沖合いの岩の上に立つ みすぼらしい荒れ小屋で一夜をあかすことになり、深夜十二時、十一歳の誕生日を迎える。 その瞬間、ハクリッドがその小屋に到着し、第二の局面が展開する。 この局面はたった一日のことであるが、ハリーはそれまでの無視され、ないがしろにさ れ、顧みられず虐げられてきた十年間の酷い仕打ちに対する補償であるかのような温かい 人間味に満ちた、また英雄としての待遇をハクリッドから、また魔法使い達から受けるの である(Rowling39−66)。十年間の雌伏の後の栄光の一日である。先ずハクリッドが晴天 一23一
の露麗のようにハリーにもたらした栄光をみる。ハクリッドがもたらした栄光は、ハリー の本質であるところの魔法使いの世界に於ける生まれながらにしての英雄としての栄光で あり、またこれから更に英雄として成長していくハリーの未来に対しての栄光であると同 時に、生活人として誰もが当然のこととして聞き知っている自分の過去や両親のことを知 らないままに成長した孤児であるハリーがそれらを知ることで誕生から現在までの自分白 身の歴史を埋めることができた、即ち現在ある自分が何者であるかを知ることで自己存在 に対しての確信を得、彼の存在が大切にされていることを知ることによる栄光である6こ れらの位相の異なる栄光をハクリッドが一時にハリーに注ぎかける。ダースリー夫妻の卑 屈な自己保身優先の姿勢からハリーが知らされぬままにきた魔法使いとしての彼本来の存 在が明らかにされ(41−42)、ハリーが母親譲り・の目をしていること、父親似であること (39)、そしてハリーにとっては記憶も定かでない両親が邪悪な力が脅威を覚えるほどに善 良で立派な人格者であり(44−45)、その一自、子であるハリーは最強の邪悪な力を有したヴォ ルデモートに一歳の赤ん坊でありながら打ち勝った英雄であり(46)、立派な魔法使いに なるであろうこと、また既に魔法使いの世界では有名である(42,46)ことがハクリッド によって明らかにされる。そして何通もの手紙がホグワーツ校から送られたのは、ハリー が今後は魔法使いとして生きていくための教育をうける時期がきている(46)からである ことをハクリッドは説明する。物語冒頭でアルバス・ダンプルドア校長が言った、ハリー が自分自身の特別な境遇を理解しうる時が来たのである。ここでハリーの本来性が開示さ れ、それまでは孤児として両親を知らず、また正当に受け入れられることのないままにき たハリーのアイデンティティが明確になる。しかもハリーにこれらの説明をする間、ハク リッドはハリーに対する愛情と思いやりを溢れさせている。それはハリーの誕生日を祝う ためのハリーのために作られたチョコレートケーキ(40)であり、甘やかされて配慮のな いダッドリーを太っちょと呼び(39)、それまでハリーを悪し様に罵ってきたヴァーノン ダースリーに面と向かって嫌な奴、間抜けと罵り(40)、ハリーに出自を教えなかった ダースリー夫妻に対して語気荒く怒りを表現し(41,42)、出来の悪い人間であると(43, 46)決めつけ、こんな連中とダースリー一家を呼び(46)、頭がおかしいのはダースリー 一家のほうであると明言し(47)、睨み付ける(44)ことでハリーのそれまでの待遇の理 不尽であったことに対する憤りを表し、ハリーの両親の死について説明しながら言葉をつ まらせ鼻をかみ(45)、説明した後はハリーを悲しげに見つめ(46)、ハリーがリリーとジェ イムズの息子であるからには立派な魔法使いになりうること(42)、ホグワーツ校には生 まれた時から入学予定であり、ホグワーツはとても良い学校であり、ハリーはそこでも有 名になると励ます(47)のである。ハリーには初対面同様のハクリッドであるが、しかも 小屋の天井に頭がつかえるほどの巨人であり、蓬髪、髭面(39)の異形注1ではあっても、 ハリーは彼が善意の人であり、信頼できることを感じとっている。それ故ダースリー夫妻 に対しては決してしなかったことであるが、ハリーはハクリッドに対して質問し、ハクリッ ドは一つの質問、何故ハクリッドがホグワーツ校から放校処分にあったかという質問 (48)、を除いてすべての質問に喜んで答え(40−48)、的を射た質問だと営める(46)ので
ある。これはダースリー夫妻、ダッドリーからはかって受けたことのない処遇であるが、 ハリーが本来受けるべきであった処遇なのである。このようなハクリッドの説明や行動を 目の当たりにしてのハリーは、自分自身に対して喜びや誇りを感じるよりもむしろ困惑し て多くの疑問を抱き、自分が魔法使いであるなどとはなにかの間違いに違いないと思うの である(46,47)。ほんの少し前までとはうってかわって自分が期待される者、特別な能 力や運命を担っているがゆえに尊敬され崇拝される者、誰かに愛されたり大切に思われた りする者であるとは信じられないのである。ここでのハリーは、それまで彼が抱いてきた 自己評価や価値観をまだ脱せずにいる。出自の秘密や両親の経歴を知ったとはいえ、彼は 幼くして両親を失った孤児であり、友人もいない。彼に対してのダースリー一家の対応は 相変わらずである。彼にとって未知の世界である魔法使いの社会では英雄であるにもせよ、 彼はダースリー一家が代表するところの人間世界にまだ属しており、そこで過ごした十年 間の体験が彼の心身に深く浸透しているのである。 ハクリッドとの出会いから数時間後、朝を迎えたハリーは魔法使いの世界に踏み込んで の第一日を始める。新聞を配達してきたフクロウに魔法使い連の通貨で支払いをし(49− 50)、魔法使い連の銀行に両親が残したハリーの預金があり(50)、魔法使い運の政府につ いてハクリッドから説明を聞き(51)二魔法で進むボートに乗り(51)、ロンドンの町中の 通りにあるにもかかわらず他の人達には見えもしない小さなパブにたむろする魔法使い連 の歓迎の握手と賞賛をうけ(54−55)、そのパブの塀で囲われた裏庭から魔法使い運の世 界であるダイアゴン横丁に入り(55−56)、銀行で働くゴブリン違に出会い、預金をおろ し(56−59)、制服、教科書、秤、真鍮の望遠鏡、教材の薬を買い、ハクリッドからの誕 生日プレゼントとして学校に連れて行くフクロウを買ってもらい、最後に魔法の杖を買う (59−65)。ハリーが初めて体験する魔法使い連の社会でも、前夜のハクリッドが見せたと 同様の対応、即ち温かく、尊敬と賞賛に満ちた対応をハリーは受ける。ハクリッドはその 様子を大層喜んで見守る(56)のであるが、ハリーは自惚れるでもなく、困惑するでもな く、平静にいつものハリーのまま対応する。が人間の尺度でははかりきれない出来事に出 会う度に好奇心を顕にし、驚きを隠さない。例えばロンドンの町中にある魔法使い達のパ ブが一般の人間の目には見えないらしいと気がついた時(54)や、レンガ塀のしかるべき 箇所を叩くとダイアゴン横丁が眼前にひらけた時(55−56)の驚きや、不思議な品々を売っ ている店に目を見張り(56)、魔法をかける方法を書いた本に目が釘付けになる(62)時 である。ハリーはこのようにして新しい、しかし彼が本来属しているべき世界に踏み込ん だのであるが、ハリーにとって彼を暖かく迎えてくれる魔法使い連の世界の一員となるこ とは、ダースリー一家に支配される生活からの解放であり、存在意義を確証される生活の 始まりであるが故に喜ばしく希望に満ちた出来事である筈なのだが、魔法使いの世界に触 れるにつけハリーは魔法使いの世界について何も知らないことを負い目と感じ始める(60, 61)。ハクリッドからハリーは生まれながらにして魔法使いであると保証されても(47)、 魔法使いの世界ではごく当.然であるところの常識的な知識や情報を有しておらず、魔法使 いの歴史や文化についても知るところが皆無であることは、ハリーを不安にする。更に廣 一25一
法使い達のなかにもダースリー一家の様な人物がいる(59−61)こと、普通の人間を差別 し、ハクリッドを軽蔑する人がいること(60−61)を知ってハリーの不安は募るのである。 しかも自分が特別な存在として魔法使い達から尊敬され賞賛され、期待されていることが ハリー自身には現実味がないのである。一方で人間の世界に戻ってきたハリーは、列車を 待つ間に目にした駅の様子を、何故か何もかもが奇妙に見える(66)と感じるのである。 魔法使いの世界にも入りきれず、かといってそれまでいた人間の世界にも違和感なしには いられないという中途半端さ、属するところがない感覚をハリーは感じて更に不安になる のである。しかしこのようなハリーに対してハクリッドが適切な助言を与える。必要なこ とはホグワーツ校で学べること、新入生はみんな一から始めること(66)である。加えて、 辛いことであり大変なことではあるがハリーは選ばれた者であること、それ故にあるがま まにいればよい(66)と言うのである。ハリーは前夜ハクリッドに会った当初から受け入 れられていることを感じとっており、ハクリッドの言うことを信用せずにはいられなかっ た(53)のであれば、ここでのハクリッドの言葉もハリーは素直に受け入れたに違いない のである。ハリーが選ばれた者であることについては魔法の杖を買う折、店主が魔法使い が杖を選ぶのではなく、魔法の杖の方が持ち主を選ぶのである(63,65)と語り、実際に ハリーにふさわしい杖が自らそのことを温もりとしてハリーに伝え、彼がその杖を振ると 他の杖を振った時とは異なり火花が散った(65)のを体験している。この時もハリーは、 彼を選んだ杖に使われている不死鳥の羽根が、一歳の時に彼を殺そうとした邪悪な魔法使 いヴォルデモートが持っている杖に使われている羽根と同じ鳥のものであることを聞かさ れ、ヴォルデモートの場合は邪悪さに於いてではあったが偉大なことを為したように、ハ リーもまた偉大なことを成し遂げるに違いないと店主から告げられてぞっと身震いするの である(65)。このようにしてハクリッドと過ごした魔法使いの世界での一日は、未知の 世界に踏み込むには勇気が必要であること、しかし恐れる必要はないこと、何が期待され ているにもせよあるがままにいることが大切であることをハリーに学ばせたのである。 lV この後ホグワーツ校に入学するまでの八月一ヶ月をハリーはそれまでのようにダース リー一家と暮らす。ハリーが魔法使いであることが明らかになり、ハクリッドの訪問によっ て自らの非を思い知らされたものの衷心から反省して行いを改めることなどしないままの ダースリー一家は、それでもハリーを押入部屋に閉じ込めることはせず、無理矢理何かを させることもなく、ハリーにたいして声を荒げることもせず、ただ恐怖と怒りからハリー があたかもいないが如くに振る舞った(69)。伯父のヴァーノンはハリーが話しかけても 直視することもなく、ただ捻るような声で返事をするのみであり、ダッドリーにいたって はハリーの姿を見ると部屋から逃げ出す有り様であった(69)。積極的にハリーに酷い仕 打ちをしないという点においてはこのような状況は、ハリーが言うように事態が前より良 くなった(69)ことに違いはないが、ハリーと人間の世界との接点も無くなりつつあると いうことでもある。ハリーはヘドウイグと名付けたハクリッドからの誕生日プレゼントで
あるフクロウだけを友として、魔法使いの世界に入る日を待つ」ヶ月を過ごしたのである。 いよいよホグワーツ入学の九月一日を迎えてハリーは学校に行くための列車に乗るべく ロンドンのキングスクロス駅に行く。ここから第三の局面であるところの魔法使いの世界 へのイニシエイションが始まる。この局面は、第一、第二の局面が人格の本質的在り方を ハリーに認識させた後、そこから発展して魔法使いの世界でその一員として、しかも選ば れた者として、生きるハリーに具体的な基本姿勢を得させる期間となっている。魔法使い の世界は、ハクリッドによれば人間にその存在を知られないほうがよい(51)のであって、 秘かに存在することで平和が保てるのである。であるから第二の局面におけるパブのよう に、ロンドンの町中にありながら人間には見えないものであったり、魔法使いの世界に入 るには、常人の目には見えないバブが見える特別な能力を持たねばならず、パブの裏庭の レンガ塀のしかるべき箇所を魔法の杖で叩くという特別の手続きが必要なのである。第三 の局面では魔法使いとしてのハリー白身がこの手続きをすることになる。人間が利用する キングスクロス駅でハリーがホグワーツ校に行くための列車に乗る、即ち魔法使いの世界 に入り込むためには、常識ではありえないプラットホーム、9番線でもなく10番線でもな い、9と4分の3番線に行きつく必要がある。そうするために必要なのは恐れない心であ ると、息子達が学校に行くのを見送りにきていた魔法使いの一家、ウイースリー一家の母 親に教えられて(70)ハリーは第一の関門を突破する。先すは勇気を発揮したのである。 人間の常識でははかれない世界にいよいよ入り込むにあたって、ハリーの心は踊り、未知 の世界がどのようなものであれダースリー一家との生活よりはましに違いない(74)、と 思うのである。このようにして見送りもないままに一人で魔法使いの世界に入ったハリー は、第二の局面におけると同様、彼が魔法使いの子供達の間でも有名人であることを悟ら される。ここでもハリーは赤面し(72)、驚く(79)がそれ以外の感情は動いていない。ハ リーは過去の出来事を自らの手柄、自慢とはしていないのである。ロン・ウイースリーと 一緒に列車のコンパートメントに落ち着いたハリーは、生まれて初めて分かち合う相手を 得た喜び、分かち合う物を持っている喜びを味わう(76)。ハリーはその本質として選ば れた者であるが故に孤独であり単独者として生きることを余儀なくされているのである が、彼の孤独を支援するものとしての友を一人ここに得たのである。ハリーにとってのロ ンはこの段階で既に共に戦う同士としての意味合いを明らかにしている。ロンの一家が歴 史ある魔法使いの一家ではあるもののつましく暮らしていること(75)を理由に彼を蔑む ドラコ・マルフォイとその二人の仲間が出現した折、ハリーは冷静に毅然と付き合うべき 相手は自分で決めると答えて(81)ドラコとは異なる価値観を持っていること、ロンとそ の一家の人柄を高く評価していることを公言するのである。ハリーのこの自己主張は、ド ラコという少年の価値観に対する嫌悪感からのものであると考えられるが、ここにはハ リーが独自の見解、価値観を持っているという主張がなされている。この独自性はハリー のダースリー一家との十年間の生活の体験から学んだ人間観と正義感に裏打ちされた.もの であり、ハリーのなかで血肉化した切実さがある。これは小澤俊夫が言うところの昔話に 於ける「人まねは決定的に不幸にいたる」(198)の対極にある姿勢である。ハリーは無意 一27一
識裡に正しい態度、姿勢を表明しているのである。このドラコという少年は、ハリーが制 服を買いに行った店で既に一度出会っており、ハリーはその時にドラコをダッドリーのよ うな身勝手で自分本位な少年として不快感を抱いていたのである(Rowling60−61)。ド ラコはハリーにとってはダッドリー以上に嫌悪すべき存在(ユ07)なのである。ドラコは 更に畳み掛けるようにしてハリーの両親やウイースリー一家とハクリッドを距めるような ことを言い募る(81)。これに対して今度はハリーのみならずロンも怒りを顕にする(81 −82)。ここにハリーとロンの宿命的同士としての始まりがあるといえる。二人は具体的 には家族を貝乏められたことに怒ったのではあるが、その意味するところは共に正義の為に 戦おうとしたといえよう。というのもドラコの一家はかつて邪悪なヴォルデモートに加担 して暗黒の味方となったのだが、ヴォルデモートがハリーに討ち滅ぼされたあとは素早く 寝返って善良な魔法使い連の側についた一家であるというのである(82)。ドラコ本人が 邪悪な力に加担したわけでもなく、寝返ったわけでもないが、そのような行為を平然と為 した父親の考え方の影響一 受けていないはずがないと思われるからである。ハリーはこの ようにしてロンという友人を得たのであるが、加えてパーマイオー二・グレインジャーと ネヴイルとも知り合いになる。これらはすべてユ1時にキングスクロス駅を出発して夕刻ホ グワーツ校に到着するまでの数時間の出来事である。このようなハリーをホグワーツ校長 のタンブルドアーは、写真の中からかすかな微笑みを贈って見守っているのである(77)。 ホグワーツ校に到着してからのハリーは、列車のなかで緊張から胃がおかしくなりそう (83)であったのに続いて不安を感じている。がロンを初めとする新入生も皆、未知の学 校生活の始まりを少なからず恐れているようであった(86)。ハリーの学校に受け入れて もらえないのではないかという不安は、所属ハウスが決定すると同時に消えることになる (90)。所属ハウスを決定するために魔法の帽子を被ったハリーはここでも彼が勇気があ り、善良な心を持ち、才能もあり、向上心もある(90)との誉め言葉を帽子から聞く。加 えてハリーは偉大な魔法使いになれるのであるからスリサレンハウスに入るように帽子は 勧めたのであるが、ハリーは断固として拒否してグリフィンダーハウスにいれてもらう (90)。ハリーがスリサレンハウスに入ることを拒否したのには、邪悪なヴォルデモートが かつて属していたハウスであること、ドラコが配属されたハウスであることも理由にある のかもしれないが、それにしてもハリーは偉大な魔法使いになることを約束されたハウス に配属されることを望まないのである。即ちハリーには私欲がないのである。このような ハリーをハクリッドは親指を立てて祝福し、在校生は盛大な拍手をもって歓迎するのであ る(91)。 しかしてハリーは魔法使いとしての本格的な一歩をホグワーツ校で踏み出す。新入生と してのハリーは他の生徒と同じく校内で迷い、新しい学科を学ぶのに忙しい日々を過ごす (98一)。誰もがハリーを歓迎し、暖かく見守っているか思えた入学当日はドラコとその二 人の仲間以外にはハリーに敵対する者はいないかに見えたのであるが、学校が始まってみ ると思いがけなくも教員の一人であるスネイプ教授がハリーに殊更に厳しく辛くあたるこ ととなる(101−104)。スネイプ教授は他の魔法使い達が賞賛するハリーの英雄としての
評判に理不尽と思えるほどに拘ってハリーを苛め,ドラコと彼が属するスリサレンハウス の贔廣をするのである。この点に関しては後に真相が明らかになって、実はスネイブ教授 はそのようにしてハリーを安全に守っていたと分かるのであるが(209,217)、それまで のスネイプ教授はハリーに敵対する者としてハリーに過剰な自尊心や傲慢さを持たせない 状況を作り続けるのである。ハクリッドの善良で温かな人柄が肯定的人物像としてハリー に呈されているのとは好対照に、スネイプ教授からはハリーが獲得すべき人格、築くべき 価値観の逆照射がなされているのである。謙虚であること、努力すること、知識を得るこ との大切さをスネイプ教授は暗にハリーに示しているのである。 ハリーに敵対するもう一人の存在であるドラコ・マルフォイがハリーに与えたものを更 にみる。ドラコがハリーに嫌悪感を抱かせる理由は既に述べたようにドラコの性格である。 我侭で自己本位であり、家柄や社会的地位を判断の基準にして優越感を抱き、裕福である ことを鼻に掛けて他者を蔑むという鼻持ちならない少年として登場したドラコは、ハリー の正義感と勇気を引き出す役割を既に果たしている。このドラコの否定的性格は学校生活 を通してハリーにその反対の極にある人間的質を自らの程に見出させる。例えば、弱者で あるネヴイルの正当性、権利を擁護するためにドラコと戦う(ユ08,110−1ユ2,n4)こと で弱者を苛めるのではなく守ることがハリーにとって肯定すべき生き方であることを実証 するのである。またこの種の行為はハリーに自らの勇気と正義感を認識させるのみならず 隠れた能力、空を敏速に飛ぶことができる、を見出すという報奨を、またその能力が認め られて異例なことに一年生でクイディッチというボールゲームのシーカーというポジショ ンを手にするという光栄をもたらし、危機的状況下で自らと友人達を守るために懸命に判 断し努力することを身に付け、またその結果校内の思いがけない秘密を知る機会をももた らすのである(112−120)。しかしハリーは一人で危機的状況から脱するのではない。幸 運の援助を得、また友人パーマイオー二一の知識の手助けを得て(1ユ9)成功するのであ る。 この他にもハリーに敵対する存在として、人間からみれば十分に異次元の存在であり魔 的であると思われる魔法使いの世界においてなおかつ魔的な存在として恐れられているも のがいる。例えば怪物トロールである。このトロールとの対決もまた情報を持っていない が故の弱者としてのパーマイオー二一を救うためにハリーがロンと共に選んだ途である (127−132)。前述箇所と同様、ここでハリーはパーマイオー二一を助けるために危険を承 知で巨大で凶暴ではあるがあまり頭の良くないとされているトロールと、彼の勇気と適切 な判断、知恵を駆使して戦う。ここでもまたハリーは友人ロンの機転の助けを得て(ユ30) トロールを気絶させて、無事パーマイオー二一を救い出すことができるのである。ここに 至って、ホグワーツ校入学以来ハリーが彼の生き方として選びとってきた弱者救済、正義 感、勇気、努力がハリーの人間的質として確定したかに見える。加えてハリーのそのよう な生き方には、幸運と友人の助力が与えられることもまた確約されてきたかに見えるので ある。 しかしてホグワーツ校入学後二ヶ月経った十一月のある日曜日、ハリーは新入生として 一29一
は異例の抜擢であるシーカーとしてクイディッチの初試合を出場の日を迎える。ハリーは 緊張し、食欲もなかった(135)が、クイディッチの試合場で彼を応援するための横断幕 を目にして勇気を奮い起こして試合に臨む(136)。シーカーというポジションは、常に努 力して向上し、勇気をもって次々と難題に立ち向かい冒険を冒すことになるハリーにふさ わしく、クイディッチのポジションのなかで最も危険であり(ユ25,ユ31)、チームを勝利 に導く高得点を得ることができるポジションであるが故に最も注目を浴びる(125)ポジ ションでもある。初出場の試合で観客がファウルだと叫ぶような無謀な妨害を受けながら (138)、また彼が乗っている試合用魔法の箒が原因不明の揺れを二度まで起こして彼を振 り落とそうとし、ハリーには箒の制御が出来なくなり、遂には箒が回転してハリーは箒か らぶらさがるようにしてしがみついていることになる(ユ39)。後にこれはヴォルデモート が意のままに操るクイレル教授がハリーを亡きものにしようとしての仕業であり、スネイ プ教授がハリーを助けるべく魔法の力でクイレル教授に対抗していたことが分かるのであ るが、試合の最中はスネイプ教授がハリーを危険なめにあわせていると勘違いしたパーマ イオー二一が、スネイプ教授のローブの裾に火をつけに行き、偶然クイレル教授を転ばせ たことで(ユ39−140)ハリーは事なきをえる。これまでと同様、ハリーには助力を惜しま ない友人や協力者の存在があることが明らかにされている。彼等のおかげでハリーは再び 箒を制御できるようになり、急降下して無事にスニッチというボールを手に入れて彼が属 するグリフィンダーハウスのチームを勝利に導くこととなる(140−141)。ここにハリー は自力で英雄としての第一歩を踏み出したのである。ハリーが一歳にして殺されかかった り、十年間も虐げられたり、また突然魔法使いであることを知らされて魔法使いの学校に 入学することになったと同様、ここでも自ら望んでの危険ではなく、ハリーにははかり知 ることのできない何か大きな力、運命の流れが彼にもたらした危険を、ハリーは友人や協 力者、また幸運の力の助けを得て乗り越えるのであるが、同時に危機的状況にあってもハ リーが彼の任務を、この場合はクイディッチの試合でのシーカーとしての役割を全うする ことを、危険な状況にあっても怖じけずに一所懸命に遂行することで、それまでは彼が自 分で何をしたわけでもなく、ヴォルデモートの攻撃を受けながらも生き残ったという彼の 過去の栄光がもたらしたにすぎなかった受動的英雄としての栄光を、いよいよ彼自身の行 為によって勝ち得た瞬間なのである。これまでのハリーは不可知な力の動くままにその流 れに身を委ねて生きてきたかに見える。これはリューテイが言うところの昔話の主人公の 特質である「究極の関連は分からなくてもその関連に順応し支えられる可能性」(203)に 添って「世界を信頼し、そして世界に受け入れられ」(203)、「本能的な確かさで正しい 道を進」み(203)、「ただしい鍵を押す。天の恵みを受けた者」(202)として生きてきた のである。更にはクイディッチの試合でのシーカーとしての役割を全うした、この一事す ら不可知な力の為す処、運命であるといえないこともないのであり、昔話の特徴として リューテイが挙げる「度胸が魔法からの救済の条件」(2n)に通じる出来事でもある。が たとえハリーが先にあげた「ただしい鍵を押す。天の恵みを受けた者」であるにもせよ、 この一事はハリーが意識的に選び、意志した行為として、彼の自発的意志が働いて為した