情動持続要因の検討 ―ポジティブ心理学的観点か
ら―
著者
金子 迪大
学位授与大学
東洋大学
取得学位
博士
学位の分野
社会心理学
報告番号
32663甲第428号
学位授与年月日
2018-03-25
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00010070/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja2017 年度
東洋大学審査学位論文
情動持続要因の検討
―ポジティブ心理学的観点から―
東洋大学大学院 社会学研究科 社会心理学専攻
博士後期課程
3 年 4550150002 番
金子迪大
要旨
学籍番号:4550150002 氏名:金子迪大 幸せとは何か、どうしたら幸せになれるのかという問いは 2,000 年以上の長きにわたっ て検討されてきた。心理学では過去30 年にわたり、これらの問いに対して答えを出すべく 様々な研究が行われている。心理学は実証研究であるため、これこそが真の幸せであると いう概念定義を行うのは難しいが、一度概念定義が行われればその現象に対して詳しく探 究することが出来る。そこで研究者たちは幸せを単一の概念定義で表現するのではなく、 複数の概念を用い、それぞれの幸せについて検討を進める道を採用した。楽しいや嬉しい といった感情もそのひとつであり、自分の人生に満足していることも幸せのひとつである と考えられている(Diener, 1984)。筆者は日常的に感じる小さな幸せに興味があるため、本 研究では特に前者のような感情を感じている時を感情的な幸せとして検討する。 また、近年の幸せ研究では一時的な幸せではなく、長期間持続する幸せを実現するため にはどうすればよいかが検討されている(Sheldon & Lucas, 2014)。これは幸せを安定的な ものではなく不安定的なもの、変動するものとして考えているために生じる問いである。 このような「一度良いことがあって幸せになった後、すぐに元の幸せ水準に戻る」という 現象は快楽順応(hedonic adaptation)あるいは快楽のトレッドミル(hedonic treadmill) と呼ばれ、以前より知られている(Brickman & Campbell, 1971; Brickman, Coates, & Janoff-Bulman, 1978; Frederick & Loewenstein, 1999)。快楽順応、という言葉は幸せに ついてのみ言及しているように思われるが、実際には不幸せになった後にその不幸せから 回復する過程をも含む現象である。本研究ではこの快楽順応のプロセス、特に一度高まっ た感情的な幸せおよび不幸せが落ち着くプロセスについて、どのような要因がその順応を 遅くさせるのかを検討する。 楽しさや嬉しさ、あるいは悲しさや怒りなど、一度生じたポジティブ感情やネガティブ 感情が長く続き、すぐに消えてなくならないのはどのような時であるかは様々に検討され てきたが(Verduyn, Delaveau, Rotgé, Fossati, & Van Mechelen, 2015)、そのひとつが自分 をそのような感情にさせた出来事をうまく説明できない、つまり不確実性を伴いよく分か らないときである(e.g. Wilson & Gilbert, 2008)。Wilson と Gilbert (2008)はこのことを説 明するためにAREA モデルを提唱している。AREA モデルにおいて、人はよく分からない 出来事を経験すると、その出来事に対する情報処理を進めるべくその出来事を考えたり想 起したりして注意を向けてしまう。その際、よく分からない出来事がポジティブな出来事 やネガティブな出来事だと、その出来事に注意を向け続けることでポジティブ感情やネガ ティブ感情を長く経験し続けてしまうと考えられる。つまり、ポジティブな出来事やネガ ティブな出来事を経験した際、その出来事の詳細、例えば原因や結果などがよく分からない場合には、ポジティブな出来事ならポジティブ感情を長く感じ持続する幸せを経験でき るが、ネガティブな出来事だとネガティブ感情を長く感じてしまい持続する不幸せを経験 することになる。
AREA モデルは複数の実証研究により支持されているといわれているが (Kurtz, Wilson, & Gilbert, 2007; Wilson, Centerbar, Kermer, & Gilbert, 2005)、これらの研究手続きおよ び結果を詳細に検討すると、AREA モデルの妥当性は疑わしいことが分かる。また、他に も AREA モデルの妥当性に疑義を呈する結果が存在する(Bar-Anan, Wilson, & Gilbert, 2009; Whitchurch, Wilson, & Gilbert, 2011)。
一方でよく分からないからといって必ずしも出来事に注意を向けないという研究もある (Loewenstein, 1994)。この研究によると、大事なのは知ろうとする、あるいは知りたいと いう好奇心(curiosity)であり、人は分からないことに対して常に好奇心を持つわけではない ことが知られている。したがって、感情持続においても重要なのは、ポジティブな出来事 やネガティブな出来事がよく分からないことではなく、その出来事に好奇心を抱くことで ある。ポジティブな出来事に対して好奇心を抱く、つまりその出来事の原因や結果をもっ とよく知りたいなどという場合にはポジティブ感情を長く感じ持続する幸せを経験できる が、ネガティブな出来事に対して好奇心を抱くとネガティブ感情を長く感じてしまい持続 する不幸せを経験することになる。 本研究では快楽順応研究の流れの中で、感情的な幸せを長く続け、感情的な不幸せを短 く順応させるために必要なのは、ポジティブな出来事やネガティブな出来事がよく分から ないことではなくそのような出来事に対する好奇心であることを実証的に明らかにしてい く。 第Ⅰ部は理論編であり、過去の研究のレビューを通じて本研究の位置づけを明確にする。 第 1 章では幸せ研究の概略を紹介することで、様々な幸せの概念がこれまで議論され、感 情的な幸せというものがその中でも重要な位置を占めていることを示す。第 2 章では快楽 順応研究について概観し、快楽順応のメカニズムとしてどのようなものが提唱されている のか、そして快楽順応はどのようにすれば防ぐことが出来るのかを確認する。第3 章では、 そもそも感情が安定したものではないこと、およびどのような要因が感情的な幸せの順応 を防ぎ不幸せの順応を促進するかを、先行研究をもとに検討する。第 4 章では、出来事が よく分からないことが感情を持続させるという研究について紹介した後、その研究結果が 必ずしも再現されないことを踏まえ、よく分からないという事と好奇心の関係性について、 それらが直線的関係を保持しているのかを中心に議論する。これにより、よく分からない ことと知ろうとすることが同じことではないことが示唆できるであろう。第 5 章では第 1 章から第 4 章までの先行研究を整理し直し、本研究の問題と目的に立ちかえり、本研究の 仮説を立てる。 第Ⅱ部は実証編である。研究1 から研究 3 では、感情喚起刺激に伴う不確実性(i.e. よく 分からない感覚)が感情を持続させるのか否かを検討する。ここでは、情動を持続させる
であろうと考えられる他の要因に比べた時の不確実性の効果について検討する。最初に研 究 1 では不確実性と自己関連性との比較を行い、ポジティブな出来事が自己に関連してい るという認識があることと、その出来事がよく分からないこと、どちらがポジティブ感情 を持続させるかを検討する。研究 2 では重要性との比較を行い、ポジティブな出来事が自 己にとって重要であるという認識があることと、その出来事がよく分からないこと、どち らがポジティブ感情を持続させるかを検討する。研究3 では研究 2 とほぼ同一の手続きを 用いるが、今度はネガティブな出来事について検討する。ネガティブな出来事が自己にと って重要であるという認識があることと、その出来事がよく分からないこと、どちらがネ ガティブな感情を持続させるかを検討する。研究1 から研究 3 を通しては、不確実性が必 ずしも感情を持続させないことを確認する。 続く研究4 と研究 5 では、不確実性に代わり好奇心(i.e. 知ろうとすること)が感情を持 続させることを示す。研究 4 では、幸せの一要素であると考えられている他者との肯定的 な関係性を断ち切るような社会的排斥によって生じたネガティブ感情が回復する要因を検 討する。ここでは好奇心の程度に注目し、ネガティブな出来事に対する好奇心が高い人は 回復が遅いがポジティブな出来事に対する好奇心が高い人は回復が早いことを示す。研究5 では、不確実性と好奇心のどちらが感情を持続させるかを調査によって検討する。この調 査では、不確実性ではなく好奇心が感情を持続させ、かつその持続プロセスはポジティブ な出来事あるいはネガティブな出来事に注意を向け続けるために生じることを示す。 最後に研究6 では、研究 1 から研究 5 で検討してきたような感情の持続が、日常生活に おける文脈においてどの程度持続するかを検討する。このような基礎的なデータの提供に より、本研究が扱ってきた感情の持続がどのようなものであるかを、日常的文脈の中で検 討する。 第Ⅲ部は本研究のまとめとして、実証編で示された結果の解釈やAREA モデルに必要な 修正を施し、新たに ARECA モデルを提案する。さらに、その結果が快楽順応、あるいは より大きな幸せ研究の中でどのように捉えられるかを、本論文の限界や今後の展望と共に 提示する。
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目次
第Ⅰ部 理論的検討・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
第1 章 幸せ研究の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2 第1 節 心理学における幸せ研究の端緒と主観的ウェルビーイング・・・・・・・・2 第2 節 心理的ウェルビーイングとユーダイモニア研究・・・・・・・・・・・・・4 第3 節 ポジティブ心理学の展開・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・8 第2 章 幸せは持続するか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 第1 節 幸せの持続・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 第2 節 快楽順応・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 第3 節 快楽順応防止モデル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・13 第3 章 感情の変動性と持続性に関する従来の検討・・・・・・・・・・・・・・・18 第1 節 感情の規則的な変動・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・18 第2 節 感情変動の大きさおよびその様相・・・・・・・・・・・・・・・・・・19 第3 節 情動の持続・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20 第4 節 何をもって情動の持続とするか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・22 第4 章 不確実性、好奇心、感情持続・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26 第1 節 AREA モデル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26 第2 節 不確実性と好奇心・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・31 第5 章 本論文の目的・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・33第Ⅱ部:実証的検討・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34
第6 章 研究 1 自己関連性が情動持続に与える影響の検討・・・・・・・・・・・35 方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・36 結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・38 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・40 第7 章 研究 2 ポジティブ情動喚起刺激の不確実性と重要性が情動持続に与える影響 ・・・42 方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・43 結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・48 第8 章 研究 3 ネガティブ情動喚起刺激の不確実性と好奇心が情動持続に与える影響 ・・・50 方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・50 結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・51 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53 研究1~3 のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・54ii 第9 章 研究 4 好奇心がネガティブ情動持続に与える影響の検討・・・・・・・・55 方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・56 結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・57 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・58 第10 章 研究 5 好奇心が情動持続に与える影響の検討・・・・・・・・・・・・・59 方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・60 結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・62 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・65 第11 章 研究 6 経験サンプリング法を用いた情動持続研究の試み・・・・・・・・66 方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・66 結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・67 考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・69
第Ⅲ部:総合考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・70
第12 章 AREA モデルへの示唆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・71 第1 節 本研究のまとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・71 第2 節 AREA モデルの修正・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・72 第3 節 AREA モデル検討における本研究の限界と今後の展望・・・・・・・・・74 第13 章 幸せ研究と快楽順応研究への示唆・・・・・・・・・・・・・・・・・・・76 第1 節 幸せ研究と快楽順応研究への貢献・・・・・・・・・・・・・・・・・・76 第2 節 快楽順応研究の今後・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・78 第14 章 結語・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・79引用文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・80
本論文に含まれている研究の発表先一覧・・・・・・・・・・・・・・・・86
謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・87
付録・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・89
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第
1 章 幸せ研究の概要
幸せは、古くは古代ギリシャ時代から求められ、日本国憲法第13 条にも「すべて国民は、 個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の 福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」と明記される など、その重要性を疑う余地はないであろう。しかし、幸せというと「大事である」「なり たい」というイメージはあるだろうが、では具体的に幸せとは何か、どうしたら幸せにな れるか、という問に答えることは難しい。 それゆえ心理学が学問として成立してからも 100 年近く本格的な幸せ研究は行われてこ なかったが、過去30 年ほどの間に徐々に関心が向けられ、西暦 2000 年前後からは急速に 研究が進展してきた。本章では幸せ研究の概要として心理学における幸せ研究のふたつの 中心的な流れである主観的ウェルビーイングと心理的ウェルビーイングについて説明した のち、近年幸せ研究が隆盛した一因であるポジティブ心理学について述べる。第
1 節 心理学における幸せ研究の端緒と主観的ウェルビーイング
心理学における幸せ研究の萌芽は1960 年代以降見られていたが(e.g. Bradburn, 1969; Campbell, 1976; Wilson, 1967)、本格的に研究が始まったのは Ed Diener が “Subjective well-being” というレビュー論文を世に出してからである(Diener, 1984)。この論文の中 でDiener は主観的ウェルビーイング(Subjective well-being: SWB)という概念を提唱し1、幸せの概念化に努めた(see Diener, Oishi, & Lucas, 2009; Diener, Suh, Lucas, & Smith,
1999 for other reviews)。主観的ウェルビーイングの定義は、「人生に対する自己の認知的・ 感情的評価(“people's cognitive and affective evaluations of their lives”; Diener, 2000)」 とされている。つまり、自分の人生が充実している、満足しているなどと認知的に評価し たり、日々の生活の中でポジティブ感情をたくさん経験しネガティブ感情をあまり経験し ないことが主観的ウェルビーイングが高いことを表すとしている。前者は認知的ウェルビ ーイング (cognitive well-being)、後者は感情的ウェルビーイング(affective well-being) と呼ばれることもある2, 3。
主観的ウェルビーイングにおける認知的側面は、人生に対する満足感と、人生を構成す るいくつかの領域(e.g 仕事や結婚)に対する満足感に分かれている。このうち人生に対す る満足感は人生満足感尺度(Satisfaction with Life Scale: SWLS: Diener, Emmons, Larsen, & Griffin, 1985)で測定されることが多い。SWLS は 5 項目からなり、それぞれの 項目に対して7 段階で回答するものである(1 = Strongly disagree, 7 = Strongly agree)。 1. In most ways my life is close to my ideal.
2. The conditions of my life are excellent. 3. I am satisfied with my life.
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4. So far I have gotten the important things I want in life. 5. If I could live my life over, I would change almost nothing.
日 本 語 訳 と し て は 二 通 り の 訳 が Diener の ウ ェ ブ サ イ ト 上 で 公 開 さ れ て い る (http://internal.psychology.illinois.edu/~ediener/SWLS.html)。 ウェブサイト上には 2 つのバージョンが掲載されているが、本論文ではそのうちの片方 を紹介する4。 1. ほとんどの面で、私の人生は私の理想に近い。 2. 私の人生は、とてもすばらしい状態だ。 3. 私は自分の人生に満足している。 4. 私はこれまで、自分の人生に求める大切なものを得てきた。 5. もう一度人生をやり直せるとしても、ほとんど何も変えないだろう。 いずれも7 件法で、1 = 強く反対する、7 = 強く同意する、となっている。この尺度は合 計得点によってその人がどの程度人生に満足しているかを表しており、5~9 点は「とても 不満足(Extremely dissatisfied)」、10~14 点は「不満足(Dissatisfied)」、15~19 点は「少 し不満足(Slightly dissatisfied)」、20 点は「ふつう(Neutral)」、21~25 点は「少し満足 (Slightly satisfied)」、26~30 点は「満足(Satisfied)」、31~35 点は「とても満足(Extremely satisfied)」を表すとされている。
幸福感を測定する尺度は他にも数多くあるが(e.g. Lyubomirsky & Lepper, 1999)、SWLS が最も著名であり5、幸せ 6を測定することができると称するこの尺度の誕生故に主観的ウ
ェルビーイング研究が花開いたとも言えるだろう。
一方で感情的ウェルビーイングを測定する尺度としては代表的といえるものが無いが、 一例を挙げるならばPositive and Negative Affect Schedule (PANAS: Watson, Clark, & Tellegen, 1988)が存在する。この尺度はポジティブ感情を表す 10 語(e.g. Enthusiastic, Interested)とネガティブ感情を表す 10 語(e.g. Scared, Afraid)の合計 20 語からなる尺度で ある。この尺度は測定したい時間間隔に対して融通がきく点に特徴がある。例えば、「今こ の瞬間(moment)」「今日(today)」「過去数日(past few days)」「過去一週間(week)」「過去数 週間(past few weeks)」「過去一年(year)」「全般的に(general)」という時間間隔いずれかに ついて、どの程度それぞれの感情を感じたかを5 段階で測定する(1 = very slightly or not at all, 5 = extremely)。日本語版も複数作成されている著名な尺度である(川人・大塚・甲斐 田・中田、2011; 佐藤・安田、2001)。 人生満足感尺度とPANAS を比較してみると分かりやすいが、認知的ウェルビーイングと 異なり感情的ウェルビーイングは複数のタイムスパンで測定を行っている。人生満足感尺 度が自己の過去の人生を振り返った時の満足度を認知的に測定するのに対し、PANAS は感 情を感じている瞬間の測定の他、最近の過去を振り返った測定、さらに全般的に自己の感 じる感情を測定する。当然、今感じている感情を測定する場合は自己の現在の状況をモニ タリングした結果を反映した回答が得られるが、過去を振り返ったり全般的な回答になる と、短時間に過去を全部思い出すことはできないため、自己の安定的なパーソナリティに アクセスした上での回答になり、変動が少なくなると考えられる。それを表すように、
4 PANAS の 8 週間再検査信頼性は、今(ポジティブ感情 .54、ネガティブ感情 .45)、過去 1 年(ポジティブ感情 .63、ネガティブ感情 .60)、全般的(ポジティブ感情 .68、ネガティ ブ感情 .71)、の順に高くなる (Watson et al., 1988)7。一方、人生満足感尺度の2 ヶ月再検 査信頼性は .82 と安定したものであり(Diener et al., 1985)、時々刻々と移り変わる幸せを 反映しているというよりは、安定的な幸せを測定しているように考えられる。 人生満足感、および全般的な感情のような概念は、その測定上変動が少なく安定したも のであるため、パーソナリティ研究となじみやすい。事実、Diener はパーソナリティや収 入、文化などの比較的安定した変数と人生満足感の関係を測定することで、どのような人 が幸せかを検討してきた。このような流れの中では、幸せは安定的なものであると考えら れるのも無理からぬことであるが、今この瞬間の感情に基づく感情的ウェルビーイングは 刻々と変化するものであるし、長期的には人生満足感も変化を示すことが考えられる。し たがって幸せを議論する際には、その変動性に目を向ける必要があるだろう。そうするこ とで人々が日常的に経験しているダイナミックな幸せの様相を検討することが可能となる であろう。
第
2 節 心理的ウェルビーイングとユーダイモニア研究
主観的ウェルビーイング研究がDiener により提唱され発展した一方で、他の幸せのあり 方を検討した研究者も存在する。その代表的な研究者のひとりが心理的ウェルビーイング (Psychological well-being: PWB)を提唱した Carol Ryff である(Ryff, 1989; Ryff & Keyes, 1995; Ryff & Singger, 2005)。Ryff は主観的ウェルビーイングが快楽主義的であることを批 判し、人間らしい幸せのあり方を探求した。その際Ryff が依拠したのがアリストテレスの ユーダイモニア(eudaimonia)であった。アリストテレスはユーダイモニアを議論する際、 人間をその他の生物(i.e. 動植物)から切り離した上で、植物と共通するわけでもなく動物と 共通するわけでもなく、人間にのみ特有の善さを探求した。そのような善さを現代心理学 の観点から捉え直したのが幸せ研究におけるユーダイモニアであり、Ryff の心理的ウェル ビーイングはその先駆的試みと言えるだろう8。Ryff は心理的ウェルビーイングを、自己受容(self-acceptance)、肯定的な他者関係(positive relations with others)、自律性(autonomy)、 環境制御力(environmental mastery)、人生の目的(purpose in life)、人格的成長(personal growth)の 6 つの因子で成り立つとしている。これらが高い/低い人がどのような人かと言 えば、一例を挙げると以下のとおりである。自己受容が高い人は自己に対して肯定的な態 度を保持しており、低い人は自己に不満がある。肯定的な他者関係が高い人は暖かく満足 して信頼できる他者関係を築いており、低い人はそのような関係をほとんど持っていない。 自律性が高い人は自分で物事を決定し他者から独立しているが、低い人は他者の期待や評 価を気にかけている。環境制御力が高い人は自信あるいは有能感を持って周囲の環境を自 分の望むようにできるのに対し、低い人は日々の些細な出来事をやりくりするのに困難を 覚える。人生の目的が高い人は人生に目標を持ちその方向に向かっているという感覚を持
5 つが、低い人は人生の意味を感じることができていない。人格的成長が高い人は継続的な 成長を感じているが、低い人は停滞していると感じる(Ryff, 1989)。このように心理的ウェ ルビーイングを概観すると、確かに快楽のみを追求するのではなく活き活きと生活する人 を描こうとしていることが理解できる。心理的ウェルビーイングを測定する試みはRyff に より行われ(Ryff, 1989)、その後日本版の心理的 well-being 尺度(西田, 2000)も作成されて いる。ただしRyff の尺度については欧米の研究でも 6 因子が再現されないなど (Springer & Hauser, 2006)、批判も存在する。 心理的ウェルビーイングの上位概念ともいえるユーダイモニアに関しては、尺度の問題 以上に大きな問題が存在している。それは、主観的ウェルビーイングが提唱されてから僅 か 4 年で心理的ウェルビーイングが提唱されているにもかかわらず、ユーダイモニアの概 念がいまだに未整理なことである。その理由は大きく分けてふたつあり、第 1 はユーダイ モニア概念の多次元性および多様性であり、第 2 はユーダイモニアのどの側面を扱うかが 研究者によって異なることである(Huta & Waterman, 2014)。第 1 の多次元性・多様性で あるが、Huta と Waterman (2014)は、ユーダイモニア概念について異なる立場を示す 11 の研究者あるいは研究グル―プを挙げている。それは、Waterman, Ryff, Keyes, Fower, Ryan & Deci, Seligman, Vittersø, Bauer, Steger, Huta, Dlle Fave である。そして、各研究 者および研究グループではユーダイモニアの定義および何をユーダイモニアとみなすかが 異なっていることを紹介している。また、Huta と Waterman (2014)は、今までに提唱され ているユーダイモニアを12 の要素に分け、各研究者および研究グループがどの要素を採用 しているかを説明している(Table 1)。この分類によると、たとえば、Waterman は成長、 本来性、卓越性を中心的要素とし、意味、努力を中心近接要素として採用している。一方、 Ryff は、成長、意味、本来性、関係性、有能感、受容を中心的要素として扱い、卓越性を 中心近接要素として扱っている。このように、研究者や研究グループによりユーダイモニ アとしてどのような要素を用いるかが異なるため、研究者とユーダイモニアの各要素との 明確な対比も難しい。 第 2 の問題は、ユーダイモニアの各概念を研究する際に注目する側面の違いである。こ こでは 3 種類の重要な側面が存在するとされている。ひとつが概念の中心性の程度、もう ひとつが分析のカテゴリー、最後が測定のレベルである(Huta & Waterman, 2014)。中心 性の程度は、その概念が中核(core)なのか、中核に近いのか、それともユーダイモニアとし て定める概念と強い関連を持つだけに過ぎないのか、を区別している。分析のカテゴリー は方向性(orientations)、行動(behaviors)、経験(experiences)、機能(functioning)に分けら れる9。方向性はどのようなウェルビーイングをどの程度実現したいと考えているか、ある いはどの程度それに取り組んでいるかを表すものであり、行動の理由に該当する。行動は どのような行動をするかを分析対象にするものであり、たとえば感謝をするといった行動 を分析対象にする。経験は人がどのように感じるかであり、主観的なものである。そして 機能は将来的な心身の健康などを予測するものである。測定のレベルは特性(trait)と状態
6 (state)に分けられる。特性は比較的安定していると考えられるものであり通常個人差が問題 となり、状態はある瞬間、あるいは一定の限られた期間などで観察される。状態はその規 定要因として個人差特性のみならずその時の環境要因なども考えられる。ユーダイモニア は、論者により概念によりこれらのどこに位置づけられるかが変わるが、主観的ウェルビ ーイングの分析カテゴリーは原則経験である。また、ユーダイモニアは長らく特性として 測定されてきたが、主観的ウェルビーイングのうち認知的ウェルビーイングは特性、感情 的ウェルビーイングは測定方法により特性と状態の両方を研究対象としている。 本研究では幸せとは変動するものであるという観点から研究を行うため、またその際特 に我々が日々経験する、小さいが確かに感じる幸せを対象とするため、特性よりは状態に 焦点を当てることになる。そのため本研究ではユーダイモニアおよび心理的ウェルビーイ ングではなく主観的ウェルビーイング、特に感情的ウェルビーイングに焦点を当てる。
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Tabel 1. Core and close-to-core elements in definitions of eudaimonia
Note. Quoted and translated from Huta and Waterman (2014) Table 2
Wa te rm a n R yf f K e ye s F o w e rs R ya n & D e c i S e li g m a n V it te rs ø B a u e r S te g e r H u ta D e ll e F a ve 定義の内容 成長/自己実現/潜在能力の開発/十分な機能/成熟 ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ 意味/目的/長期的視点/幅広い文脈に対する配慮と貢献 + ++ ++ ++ ++ ++ + ++ ++ + ++ 本来性/自己同一性/自己表現/自律性/構成的目標/統合 ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ ++ 卓越性/徳/自身の中にある最善の部分の活用/高い水準への到達/強み ++ + + ++ ++ + ++ + ++ 関係性/良好な他者関係/社会的ウェルビーイング ++ ++ ++ ++ ++ ++ 有能感/環境制御力 ++ ++ ++ + ++ 関与/興味/フロー + ++ + ++ 気づき/熟考/マインドフルネス ++ ++ ++ 受容/自己受容 ++ ++ ++ 努力/挑戦への取り組み + ++ ++ 身体的健康 ++ 主観的ウェルビーイング ++ + + 中心 的要 素: 各研 究者 のユ ーダ イモ ニア やへ ドニ アの 定義 に不 可欠 もの であ り, 研究 者の 概念 的・ 操作 的定 義の 両方 にお いて 注意 が向 けら れて いる 程度 によ って 決定 した 。 + 中心 近接 要素 :各 研究 者の ユー ダイ モニ アや へド ニア の定 義に 不可 欠で はな いが 、概 念的 議論 およ び/ ある いは 操作 化に おい てい くら か注 意が 向け られ てい る。
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第
3 節 ポジティブ心理学の展開
これまで1980 年代に起きた動きとして主観的ウェルビーイングと心理的ウェルビーイン グ、および心理的ウェルビーイングの上位概念としてのユーダイモニアを取り上げた。し かしこれらの研究に大きく注目が集まったのは1990 年代末から 2000 年代以降である。 このきっかけを作ったのは当時アメリカ心理学会の会長に就任したMartin Seligman で あり、Seligman が始動したポジティブ心理学運動である。Seligman はこれまでの心理学 において、人間のネガティブな側面に注目しポジティブな側面に注目してこなかったこと の反省として、人のネガティブな側面と同時にポジティブな側面を検討することの必要性 を主張した(Seligman & Csikszentmihalyi, 2000)。これがポジティブ心理学運動の起こり である。 ポジティブ心理学が扱う領域は多岐にわたる。例えば2000 年のAmerican Psychologist の特集号で、Seligman と Csikszentmihalyi (2000)は主観レベルとしてウェルビーイング、 安らぎ、満足(過去)、希望、楽観性(将来)、フロー、ハピネス(現在)を、個人レベルとして 愛と使命としての仕事への能力、勇気、対人スキル、本来性の感覚、忍耐強さ、許し、独 創性、将来志向性、精神性、高い才能、知恵を、集団レベルとして人々が良い市民になろ うとするような市民としての徳や直感、責任感、慈しみ、利他性、礼儀正しさ、節度、寛 容さ、職業道徳を挙げている。またこの特集号では巻頭論文に続き、ポジティブ心理学の 多様性を表すように様々な論文が掲載された。いくつか例を挙げると、進化(Buss, 2000) あるいは文化(Massimini & Della Fave, 2000)の観点から幸せを捉えた論文、主観的ウェル ビーイング(Diener, 2000)、楽観性(Peterson, 2000)、お金、友人、信仰と幸せの関係(Meyers, 2000)、自己決定理論(Ryan & Deci, 2000)などを扱った論文が存在する。このように展開したポジティブ心理学は研究者のみならず実践者の心もつかみ、ポジテ ィブ心理学の学会であるInternational Positive Psychological Association が設立され隔 年で大会が開催されるようになり、またSociety for Personality and Social Psychology の 年次大会でもHappiness and Well-being という名前のプレカンファレンスが開催されてい る。このような盛り上がりの中で幸せ研究にも広範な研究者からの注目が集まり発展して きているといえるだろう。
<脚注>
1 本論文では “subjective well-being” を「主観的ウェルビーイング」と訳す。これは、英 語における “happy (happiness)” が日常的に使われており学術的な意味と乖離するために “well-being” という語を用いているのに対応している。一方、 “happy (happiness)” にあ たる訳としては「幸せ」「幸福」「幸福感」などを用いる。ただし日本語におけるこれらの 語は若干の相違があると考えられる。「幸せ」は日常的に用いる用語であり「あなたは今幸 せですか?」「あなたの人生は幸せでしたか?」のように、感情的側面と認知的側面の双方
9 を含むと考えられる。一方「幸福」の場合はより認知的な側面が強調され、「幸福感」の場 合 は よ り 感 情 的 な 側 面 が 強 調 さ れ る 。 本 研 究 で の 焦 点 は 感 情 を 通 し て 人 の “happy (happiness)” や “well-being” の持続を検討することである。そのため、本来であれば “happy (happiness)” の訳語としては「幸せ」あるいは「幸福感」を用いるべきである。し かしながら序論においては認知的側面についても触れるし、「幸福感」という日本語はある 特定のポジティブ感情を表しているとも理解されてしまう可能性もある。したがって、ネ ガティブ感情を扱ったり、「楽しさ」や「喜び」などの他種類のポジティブ感情も扱う本研 究においては、「幸福感」という訳語は適さない。そこで、本論文ではより汎用性の高い「幸 せ」を用いることとした。また、学術用語としての「ウェルビーイング」を用いるべきで あるという意見もあろうが、原語の “well-being” 自体が持続を表す活用法であるため(た だし心理学で通常用いられる用法ではそのような意味は内包されていない)、持続を扱う本 研究で「ウェルビーイングの持続」というと二重表現となる可能性がある。したがって「ウ ェルビーイング」は原則として「主観的ウェルビーイング」や「心理的ウェルビーイング」 など特定の用法でのみ用いるものとする。 2 ここで注意するべきこととして、Diener は感情的ウェルビーイングの中にネガティブ感 情の低さも含めている。これは幸せというものを不幸せから幸せまでの一次元上で捉える ことを意味しており、ポジティブ感情とネガティブ感情のどちらを多く経験するかでその 人がどの程度幸せか不幸せか(あるいは主観的ウェルビーイングが高いか低いか)が決ま るといえよう。 3 感情およびその類似概念には 4 つの語があることが知られている。英語では affect, emotion, mood, feeling である。このうち重要なのは emotion と mood の違いであり、研究 者においても複数の見解が存在する(Beedie, Terry, & Lane, 2005)。その中でしばしば emotion と mood の違いとして指摘されるのが、喚起刺激の有無、強さ、および長さである。 具体的には、emotion は特定の喚起刺激が存在する強くて短い感情であり、mood は特定の 喚起刺激が存在しない弱くて長い感情である。本論文では喚起刺激の有無という点に着目 し、喚起刺激が存在する感情をemotion、喚起刺激が存在しない感情を mood と定義する。 また、affect と feeling であるが、affect はしばしば emotion と mood の双方を合わせた感 情として、feeling は言語化されるような意識される感情として扱われる。そこで本論文で は、原則affect は感情、emotion は情動、mood は気分、feeling は感情経験と訳す。ただ し、上記区分と先行研究の英語表記が異なる場合は可能な限り先行研究の表記を尊重し、 日本語訳したものを記載する。 4 この他に角野 (1994)による訳も存在する。 5 2018 年 2 月 6 日時点で,被引用回数は 19,001 回にのぼる(Google Scholar による)。 6 正確には人生に対する満足感。 7 有意な差があるのは「今」と「全般的」の間のみであった。 8 ただし、アリストテレスがユーダイモニアとして考えた概念は心理学でユーダイモニア
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として扱われている概念と異なる。むしろ強み研究として知られる Value in Action (Peterson & Seligman, 2004)の方が類似した概念を扱っているといえる。詳細については 金子(2016)を参考のこと。
9 アリストテレスは行動を重視したため、アリストテレスの考え方をそのまま引き継ぐな らば行動レベルの分析がeudaimonia となるだろう。
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第
2 章 幸せは持続するか
第 1 章では心理学における幸せの捉え方として主観的ウェルビーイングと心理的ウェル ビーイングについて解説し、それらの研究が花開くきっかけとなったポジティブ心理学に ついて簡単に紹介した。そこでも述べたとおり、人は生まれてから死ぬまで同じ幸せレベ ルにとどまるわけではない。このような文脈では、幸せが持続するか否かが非常に重要で ある。たとえば、人は一度幸せになったとしてもすぐに以前の水準に戻ってしまうかもし れない。一方、一度不幸せになり、その後もずっと不幸せのままのこともあるかもしれな い。そこで本節では、一度幸せまたは不幸せになった場合に、その幸せや不幸せが長い間 持続するのか、それとも比較的早急に以前の水準に回帰するのかについて概説した後、幸 せが長続きするためにはどうすればよいかを検討した快楽順応防止モデルを紹介する。第
1 節 幸せの持続
人は様々な出来事により幸せや不幸せになる。しかし、人の幸せにはセットポイント(i.e. 基準点)が存在し、一時的な幸せや不幸せを経験してもそのセットポイントへと幸せ水準 が回帰することがこれまでの研究から示唆されてきた。ここではそのようなセットポイン トの存在を示すとされる研究を紹介する。 幸せのセットポイントの存在は、人の幸せ水準はある程度遺伝により決まっているとい う研究により示唆されている。この研究は双子研究を元にした行動遺伝学研究で検討され ている。双子研究では、一卵性双生児と二卵性双生児が共有している遺伝子の違いに焦点 を当てる。一卵性双生児は同じ遺伝子を共有しているため、遺伝的には同一の存在となる。 それに対して二卵性双生児は半分しか遺伝子を共有していない。一方、環境要因について は、一卵性双生児も二卵性双生児も同時期に生まれ同じように育てられるため、各双子内 では同じ環境要因を共有しつつ異なる非共有環境にもさらされていると考えられる。双子 研究ではこれらを元に、双子の類似度が遺伝要因に起因するのか環境要因(共有・非共有) に起因するのかを分割して考える。幸せの高さの類似度を検討した研究では、双子内の幸 せの分散の約 50%が遺伝により決定されているとする考え方が提起されている(Lykken & Tellegen, 1996; Lyubomirsky, Sheldon, & Schkade, 2005)。この結果に対する解釈として は、50%も遺伝子によって規定されているという見方もあれば、残りの部分は環境と本人の 力で変えることができるという見方もある(Lyubomirsky et al., 2005)。しかしいずれの見 方に立つにせよ、完全に遺伝によって決まっているわけではないが、セットポイント理論 では、ある人の幸せ度の上限と下限はその人が持って生まれた遺伝子によって規定されて いると考えられている。つまり、人は生まれながらにしてある程度安定した幸せ水準の中 で生きていくということである。12
第
2 節 快楽順応
セットポイントが生まれながらに決まっているということは、一度幸せあるいは不幸せ になったとしても、比較的早く元の幸せ水準に戻る。この現象のことを、心理学では快楽 順応、あるいは快楽のトレッドミルと呼ぶ。快楽順応の提唱者であるBrickman と Campbell (1971)によると、人はポジティブな出来事に遭遇すればそれだけで幸せになるのではなく、 幸せになれるかどうかはその人の順応レベル(Adaptation Level)も関係する。もし順応レベ ルよりも高いインプット(i.e. ポジティブな出来事)があれば人は幸せになるが、順応レベ ルよりも低いインプットだと幸せを経験することはない。つまり、絶対的なインプットで はなく順応レベルとインプットの差が重要になる。さらに、Brickman と Campbell (1971) によると、順応レベルを規定するものとして、どの程度良いものを望むかという要求水準 (Level of Aspiration)も存在するが、それだけではなく、慣れなども順応レベルに関係する。 また、様々なものとの対比によっても順応レベルは上昇しうることが提起されており、た とえば、過去の自分や、(複数ある)自分の能力のうち異なる能力、類似した他者、などと 対比が行われるとされている。Brickman, Coates および Janoff-Bulman (1978)は上記の理論に基づき、宝くじにあたる などの至高経験をした人は日々の快楽の影響が弱まり、他方慣れにより宝くじに当たった という快楽自体も低減するだろうと予測している。実際に宝くじに当たった人はそうでな い人に比べ、日々の経験から得られる快楽は低く、また現在の全般的な幸せ度に統計的に 意味のある差は確認されなかった。一方、Brickman らは同じ論文の中で事故による麻痺患 者についても検討を行っている。事故という非常につらい経験の効果が比較的早く打ち消 されるかということを検討しているが、結果は、事故にあっていない対照群に比べ、日々 の経験から得られる快楽は低く、また現在の全般的な幸せ度も低かった。したがって、快 楽順応が生じやすいのは、特にポジティブな出来事を経験した時であると考えられる。 さらに 1999 年には Frederick と Loewenstein によるレビューが行われ、快楽順応の概 念整理がなされている。この中では、順応(Adaptation)とは、最も広義には安定的または繰 り返される刺激の(知覚、身体、注意、動機、快楽などの)効果を低減させる行動、過程、 メカニズムのことであるとされている。そして快楽順応とは感情的に重要な刺激に対する 順応であるとされている。Frederick と Loewenstein (1999)は順応の機能として、外的刺激 の内的な効果を減衰させることで身体を保護することと、ベースラインからの変化の信号 的価値を高めることで知覚を向上させることのふたつを挙げている。そして快楽順応も類 似の機能を持っているとし、前者の機能については、快楽に関連する状態(空腹、渇き、 痛み、眠気、性的興奮など)は優先度の高い欲求に注意を向けさせ、そのような欲求を満 たす行動をしっかりと取ることができるので必要であるとした。また後者の機能について は、物理的環境の部分的な変化に対して敏感になる機能があると主張している。後者は囚 人の例とプロスペクト理論(Kahneman & Tversky, 1979)を用いて説明されている。囚人は 収監されたときは自分が入れられた 7 フィートの部屋に哀れさを感じるが、その部屋が 9
13 フィートでないことは重要ではないだろう。しかしその環境に順応すると、小さな部屋と 大きな部屋の間の快楽的価値の差が大きくなり、大きな部屋を求めるようになる。 ま た 、 こ の レ ビ ュ ー で は 順 応 と 脱 感 作 の 違 い に も 触 れ ら れ て い る(Frederick & Loewenstein, 1999)。それによると、順応はニュートラルと経験される刺激レベルを変化さ せるが(順応レベルの変化)、主観的な刺激の強さが全般的に弱まること(脱感作)とは区 別される。双方とも与えられた刺激の主観的な強さが減衰する点では同じだが、順応レベ ルの変化は刺激の違いに対する敏感さを強めるが、脱感作はそのような敏感さを低減させ る。 このようなプロセスについてのレビューの後、2006 年には Diener、Lucas および Scollen がレビュー論文を執筆し、快楽順応について誤解されやすい点などをまとめている。第1 に、順応先のセットポイントは快でも不快でもないような中立点ではなく、快側に寄って いる。第2に、セットポイントの高さには個人差が存在する。第3に、第1章でも紹介し たとおり幸せには複数の概念があるため、セットポイントも複数存在する。第4に、実際 には個々人の幸せは時間経過と共に変動する。第5に、順応の仕方には個人差が存在する。 これらにより快楽順応の理論化は行われてきたが、快楽順応を止めて長く続く幸せを享受 するためにはどのようにすればよいかは未だ十分に明らかになっていない。次節ではその ような試みとして、快楽順応防止モデルを紹介する。
第
3 節 快楽順応防止モデル
快楽順応は人が意図せずとも生じる心理的メカニズムであるが、快楽順応を起こすこと なく人が幸せでいつづけるためにはどのようにすれば良いのであろうか。あるいは、快楽 順応を生じさせ一刻も早く不幸せから回復するためにはどのようにすれば良いのだろうか。 これらの問いに応えるべく提案されたのが、快楽順応防止モデル(Hedonic adaptation prevention model: HAP model)である(see Figure 1: Sheldon, Boehm, & Lyubomirsky, 2013; Sheldon & Lyubomirsky, 2012)。HAP モデルは何かしらポジティブな変化(positive change)が生じ幸せが一時的に上昇したときに、その幸せが維持されるプロセスを記述した モデルである。また、HAP モデルでは幸せについて中心的に解説されているが、不幸せに ついても同様に成り立つと考えられている。Sheldon と Lyubomirsky (2012)によると HAP モデルにおいて、ポジティブな変化が起 きたことで上昇する幸せが、時間が経つにつれてその変化が生じる前の水準(i.e. セットポ イント)に戻るプロセスには、ふたつのルートが仮定されている。第1は感情的なルート であり、ポジティブ情動(の減少)が関与している。すなわち、ポジティブな変化により 生じるポジティブな出来事が時とともに減少し、そのポジティブな出来事が生じさせるポ ジティブ情動の頻度も少なくなり、最終的には無くなってしまう。例えば、新しいオープ ンカーを買うと、多くのポジティブな出来事が生じるかもしれない。しかしそのような出 来事は徐々に減っていき、時が経つとともに興奮や喜び、誇りなどのポジティブ情動を感
14 じる頻度は低下し、強度も弱まる。 これに対し第2は認知的なルートである。こちらは要求水準が関与している。すなわち、 ポジティブな変化により生じるポジティブな出来事を経験すると要求の水準が高くなり、 一時的に幸せになったとしても、要求の水準と自分を取り巻く現状の水準との差がなくな っていくことで元の幸せ水準に戻ってしまう。 また、上記のプロセスにおいてはふたつの調整要因が作用しているとHAP モデルでは提 案されている。多様性(Variety)と評価(Appreciation)である。多様性は感情的ルートと認知 的ルートの双方に関与する。具体的には、感情的ルートでは、ポジティブな出来事が多様 であるほどポジティブな情動が多く、ポジティブな情動が多様であるほど快楽順応が妨げ られる。一方、認知的ルートでは、ポジティブな出来事が多様であるほど要求水準の上昇 が抑えられる。また評価に関しては認知的ルートに作用しているが、評価をしているほど 要求水準の上昇が抑えられる。これは、評価をするということがその出来事を味わう(savor) ことであり、その出来事に感謝をし、手に入れられなかったかもしれない事、失うかもし れない事を認識させてくれるからであるとされている。 感情的なルートは日常経験に基づく幸せを主に扱っていると考えられる。本研究でもそ のような日々の小さな幸せ経験に焦点を当てる。したがって、以降では感情的ルートにつ いての検討を行う。小さな幸せ経験は極端に誰かを幸せにすることはないかもしれないし、 何年も続くような幸せを導くこともないかもしれない。しかし日常的に何度も経験するの で、それらを積み重ねれば人生において多くの幸せを経験したといえるだろう。そのため、 感情的ルートを詳細に検討することで、人々が日々経験する数多の幸せ経験についての理 解が深まると考えられる。 上述の通り、HAP モデルの感情的ルートにおいては多様性が重要な役割を果たしている。 そしてSheldon と Lyubomirsky (2012)は、多様性の効果については AREA モデル(Wilson & Gilbert, 2008)に基づいて議論している。この AREA モデルは、情動喚起刺激が生じたと きに、その刺激がどのようなものであるか、あるいはなぜ生じたか、どのような帰結をも たらすかを上手に説明できると情動が順応し、説明できないと情動が持続することを提示 している。HAP モデルにおいては、AREA モデルに基づき、説明ができないことの一要因 である多様性を用い、ポジティブな出来事が多様であるほどポジティブ情動の量が増え、 ポジティブ情動が多様であるほど幸せが持続すると主張している。 しかし、AREA モデルは本来情動の持続および順応に関するモデルである。それに対し て、HAP モデルにおけるポジティブ情動の量とは、暗黙裡にポジティブ情動の回数を意味 していると考えられる。したがって、この齟齬を十分に理解する必要がある。
この理解の糸口は、ポジティブ情動の量(原語ではamount of positive emotions)の解 釈の仕方によって得ることができる。Kahneman (1999)は客観的幸せ(objective happiness) という概念を提唱しているが、その中では時々刻々と移り変わるポジティブ感情やネガテ ィブ感情の積分量を幸せの指標とすることを提案している。この観点に立つと、ポジティ
15 ブ情動の量とは、数多くのポジティブ情動経験のみならず、各回のポジティブ情動経験が どの程度持続したかも重要となる。つまり、ポジティブ情動経験を多く、そして長く経験 する人ほど幸せが高いということになる。そしてこれをHAP の持続的な幸せという目標と 合わせて考えるならば、ポジティブな変化により生じた多様なポジティブな出来事が多様 なポジティブ情動を引き起こすが、その各回においてポジティブ情動が持続するほど高い ウェルビーイングを享受することができるといえる(Figure 2)。そして、ポジティブ情動の 回数や多様性に対してのみならず、情動の持続に対してもAREA モデルは説明するため、 AREA モデルが情動持続にどのような影響を及ぼしているかを検討することは幸せが持続 するメカニズムを扱うHAP モデルを理解する上で重要なことである。 次章ではこのような情動持続の研究群について概略を示した上で、第4 章において AREA モデル、およびAREA モデルの問題点と改善点について記載する。
16
Figure 1. Hedonic adaptation prevention (HAP) model
Note. WB = well-being, (R) indicatets reverse effect. Quoted and translated from Sheldon & Lyubomirsky (2012).
要求水準 評価 に よっ て 調整 (R ) 多様 性に よっ て 調整 (R ) ポ ジ テ ィ ブ な 出来事の量 ポ ジ テ ィ ブ な 感情の量 多様 性に よっ て 調整 多様 性に よっ て 調整 維持 さ れる ウ ェ ルビ ー イ ン グ の 上昇 (a ) ポ ジ テ ィ ブ な 変化 (+) (-) T2 WB T2 WB + α T1 WB T2 WB T2 WB + α ( + ) ( + )
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Figure 2. HAP model with duration of positive emotional experience
要求水準 評価 に よっ て 調整 (R ) 多様 性に よっ て 調整 (R ) ポ ジ テ ィ ブ な 出来事の量 ポ ジ テ ィ ブ な 感情の回数 説明の欠如 多様 性に よっ て 調整 多様 性に よっ て 調整 ポ ジ テ ィ ブ な 感情 の長 さ に よっ て 調整 維持 さ れる ウ ェ ルビー イ ング の 上昇 (a ) ポ ジ テ ィ ブ な 変化 ( + ) ( - ) T2 WB T2 WB + α T1 WB T2 WB T2 WB + α ( + ) ( + ) ( + ) ( + ) ( + )
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第
3 章 感情の変動性と持続性に関する従来の検討
前章では快楽順応とHAP モデルについて概略したが、本章では感情が持続するものであ るか、持続しないものであるかを議論する。また、その前提として感情経験が変動するも のであることを概観するとともに、感情経験の持続がどのように測定されてきたかについ ても検討する。第
1 節 感情の規則的な変動
もしも感情の強度が常に一定であれば、感情が持続するか否かという議論は無意味であ る。したがって、感情が持続するという問いを考えるには、感情が変動する性質のもので あることを明確にする必要がある。本節および次節では感情の変動性が先行研究において どのように検討されてきたかを概観する。ただし個々の研究者が扱う変動性は、その内容 が異なることがあるが、それらは「変動性とは何か」というような統合的な視点から出た ものではなく、それぞれの研究者が自己の興味に合致する形で提案してきたものである。 そのためか他の変動性概念との区別を明確にしていることは少なく、また扱っている変動 性の概念定義が明確になされるというよりも測定方法や評価方法で概念を特徴づけている 節がある。そのため、以下の変動性の説明では測定法や評価法について中心的に述べる。 変動性には、一日の中での一定の規則性を見出そうとする研究と、変動性の大きさにア プローチする研究が存在する。最初に、一日の中での一定の規則性を見出そうとする手法 としては、経験サンプリング法(Experience Sampling Method: ESM; Csikszentmihalyi, Larson, & Prescott, 1977)が挙げられる。この方法は毎日参加者に複数回ランダムなタイ ミングでメールを送ったり、ダウンロードさせたアプリにシグナルを送ったりすることを 通し、参加者に既定の質問に回答してもらうという方法である。次に、Day Reconstruction Method (DRM)が挙げられる(Kahneman, Krueger, Schkade, Schwarz, & Stone, 2004)。 この手法は詳細な日誌法とも考えられる。日誌法は、その日にあったことを振り返って出 来事や経験を回答してもらうものである。DRM は、例えば前日のことを参加者に事細かに 思い出してもらい、何時にどのような出来事を経験したか、その時どのような気持ちにな ったかを記載してもらう。通常の日誌法に比べ、各時間帯にどのような経験をしたかを報 告させる点、および通常網羅的に朝から晩までの全ての時間帯について報告させる点に特 徴がある。経験サンプリング法と異なり回答のために参加者の生活を邪魔することは無い が、思い出させるには参加者にかなりの負担を負わせることになる。最近の方法としては、 SNS の投稿内容分析もある(Golder & Macy, 2011)。これはあらかじめ感情を表すとされる 単語をコーディングし、どのような時間帯にそのような単語が表れやすいかを検討するも のである。これらの方法を用い、たとえば朝と夜ではどちらの方が幸せか、などを検討す ることにより、感情の日内規則性を検出することが可能になる。19 次に変動性の大きさにアプローチする研究であるが、こちらは変化を生じさせる個人差 に興味がある研究者に用いられることが多い。このような場合も上記の手法を用いること ができる。特に同一個人から複数のデータを得ることができるESM や DRM は有効である。 変動性を検討する際には、変動性を評価するための計算方法が問題となるため、以下では ESM や DRM によって得られたデータ分析方法について述べる。
第
2 節 感情変動の大きさおよびその様相
もっとも単純に変動性を評価する方法としては、複数得られたデータの個人内標準偏差 を指標とする方法が挙げられる。これは、喜びや辛さなどを、ある特定の個人がどの程度 の振れ幅で経験しているかを示すものである。例えば喜びの個人内標準偏差が大きいほど、 その人は日々の経験において喜びの経験をしたりしなかったりという変動が激しいことに なる。これはその人が平均的にどの程度喜んでいるかを示す個人内平均とは異なる意味を 持つ。一度の喜び経験が持続しやすい人の個人内標準偏差は小さいだろうが個人内平均は 大きいだろう。一方、喜び経験を比較的多く経験するがそのような喜び経験が持続しにく い人の個人内標準偏差は大きいだろうが個人内平均は小さいだろう1。この計算方法は古くからしばしば使用されており(Larson, Csikszentmihalyi, & Graef, 1980)、個人内変動自体 も安定した個人差であることが知られていて、その信頼性および妥当性も確認されている (Eid & Diener, 1999; Penner, Shiffman, Paty, & Fritzsche, 1994)。
次に、Mean Square Successive Difference (MSSD: Jahng, Wood, & Trull, 2008)と呼ば れる手法が存在する。これは、それぞれの時点間のデータの差分に基づき変動を捉えよう とするものである。例えば、t1 時点と t2 時点では同程度の喜びを経験したが t3 時点では 喜びが上昇し、t4 時点では喜びが減少する、というような変動を、前の時点に比べどの程 度変動したかを指標とし、その個々の変動をまとめることで変動の大きさを捉える。個人 内標準偏差がデータ取得時点の順序を考慮しないのに対し、MSSD は時系列を考慮する。 MSSD が特に力を発揮するのはデータが一方向に上昇または下降するときである。個人内 標準偏差は、このような単純増加・減少が生じているときには、生じていないときに比べ 変動を大きく見積もりがちだが、MSSD はこのような状況にあまり影響されない。したが って、このような単調増加・減少を変動とみなしたくない場合、例えばポジティブな出来 事によって始発される喜びを知りたいが、一日の中で喜びがどちら方向に増減するかに興 味がない場合はMSSD の使用が推奨される。MSSD は各測定時点を対象とした一日内の変 動、および各日の測定の平均を対象とした日間変動の両方に対応しており、また経験サン プリング法のような測定時間間隔が異なる場合にもそれを補正することができる。
MSSD と同じ論文(Jahng et al., 2008)で言及されているものに、Probability of Acute Change (PAC)がある。PAC も MSSD と同様に連続する 2 時点間の差の大きさをもとに計 算するが、個人内標準偏差とMSSD が全データの変動を検討していたのに対し、PAC は大 きな変化を検討するために用いられる。PAC は各参加者のデータのうち、どの程度の割合
20 のデータが一定基準より大きく(あるいは小さく)変動しているかを調べる方法である。 例えば、連続時点の得点の差分の絶対値の平均が 2 であるとき、連続時点の得点の差分の 絶対値が4 以上離れた得点をとる割合を求めるとする。もし 7 件法ならば、t1 時点に 2、 t2 時点に 6 あるいは 7 をとれば、大きな変化とみなされる。このような変化の割合が、各 参加者においてどの程度多いかを検討することを通じて、PAC の値を計算する。しかし PAC においてどのような基準を設けるかには恣意性が入り込む。理論的基準があればそれを用 いればよいが、無い場合は二時点間の差を参加者全体でまとめた時の平均からの標準偏差 や95 パーセンタイルなどを使用する。 また、1 次の自己相関(First-order Autocorrelation)で表現される変動を求める技法もあ る(Jahng et al., 2008)。1 次の自己相関という点からも分かる通り、この変動は MSSD と 同様に連続するデータ間の関係に基づいて計算される。具体的には、t、t+1、…、t+n-1 と いう時間に沿ったデータと、それと1 時点ずれた t+1、t+2、…、t+n 時点におけるデータ の相関である。これは、今の時点において高い値を取る場合、次の時点においても高い値 を取ることが予測されるかということを表している。 個人内標準偏差が変動全体をまとめて扱うのに対し、MSSD と 1 次の自己相関は前の時 点との比較であり、緩やかな変化と急激な変化を分けてとらえるものである。さらに PAC はより急激な変化を捉えようとするものである。これらの方法は一日の中での不規則な変 動を捉えるのに役立ち、かつMSSD や 1 次の自己相関で計算される変動の中には継時的安 定性、つまり持続を内包している。ただし、以降で述べるような情動経験の持続/順応と の区別としては、通常用いられる測定方法であるESM や DRM が数分単位の測定ではなく 数時間単位の測定であるため、気分の持続の指標と考える方がよいかもしれない。とはい え、情動も時に数時間以上続くことがあるため(Verduyn, Delvaux, Van Coillie, Tuerlinckx, & Van Mechelen, 2009; Verduyn, Van Mechelen, & Tuerlinckx, 2011; see Verduyn et al., 2015, for review)、厳密な区別は難しいであろう。
最後に、ESM と DRM での結果の一致例について考える。変動を測定するとき ESM と DRM の双方でデータ取得が可能であることは前述したとおりだが、それぞれの手法を用い た時、変動性に関する仮説は一致するのだろうか、異なるのだろうか。例えば先行研究で は、DRM を用いて、セルフコントロールが高い人の感情の個人内標準編差が小さいという 結果が得られている(Daly, Baumeister, Delaney, & MacLachlan, 2014)。この結果は、ESM を用いた研究においても再現されている(Kaneko, Minato, Kutsuzawa, Ozaki, Goto, & Kuraya, 2016)。これらの結果から、両手法はほぼ同様の結果をもたらす可能性がある。こ れはESM を DRM で代用可能という主張に沿うものである(Kahneman et al., 2004)。した がって、DRM と ESM は、変動性の検討に関して同様の機能を果たしていると考えられる。