• 検索結果がありません。

「いのちはなぜ尊いのか― つながり、階層、バランスという視点から考える」 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "「いのちはなぜ尊いのか― つながり、階層、バランスという視点から考える」 利用統計を見る"

Copied!
3
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

「いのちはなぜ尊いのか― つながり、階層、バラ

ンスという視点から考える」

著者

岡野 守也

雑誌名

「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.8 別冊

8

ページ

129-130

発行年

2014-03-25

URL

http://doi.org/10.34428/00007501

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

(2)

129

いのちはなぜ尊いのか

――つながり、階層、バランスという視点から考える――

岡野 守也(サングラハ教育・心理研究所主幹)

すべてのいのちは尊いか? かつて少年による殺人事件にかかわって、思想やジャーナリズムの世界で「なぜ殺してはいけない のか?」というテーマが話題になったことがある。これは、言い方を変えれば「なぜいのちは尊いの か?」ということでもある。かつて伝統的・宗教的価値観が社会全体に共有されていた頃には、そも そも問題にもならなかったことで、子供がそんな質問をすると、親や教師から「そんなことは決まっ ているだろう!」と一喝されておしまいになることだった。しかし、伝統的価値観が非常に薄れつつ あり、価値観が多様になった今、この問いに説得力ある答えを示しうるかどうかが、社会の倫理的規 範ひいては秩序を保つことができるかどうかの根本的条件になっているのではないかと考えられる。 そこで、「いのち」ということ、「尊い」ということについて、どういう視点からすれば、多くの 人が共有できる考え方を確立できるか、短い時間ではあるが、考察してみたい。 しばしば「すべてのいのちは尊い」という言い方がなされるが、その場合の「いのち」には例えば バクテリア・細菌は含まれるのだろうか。あるいは「いのち」であるのか「もの」であるのかきわめ てあいまいだとされる単純なウィルスはどうなのだろうか。 もし、「すべてのいのちは尊い」という命題にバクテリアやウィルスまで含まれるとすれば、私た ち人間が例えば抗生物質を使ってバクテリアやウィルスを殺すことは許されるのだろうか。 それと関連して、しばしば話題・問題にされながらしっかりした答えが出され共有されていない 「人間は他のいのちを奪って食べている。これは罪深いことなのではないか?」という問いがある。 典型的には宮沢賢治が童話『よだかの星』で問うた問いである。そこでは、よだかが虫を食べるのを やめて死んで天に昇って星になるという結末が示されている。これは一見非常に深くて純粋でありな がら死以外には答えのない問いのように見えるが、はたしてそうなのだろうか。 現代の生物学とりわけエコロジーの成果とケン・ウィルバーが『進化の構造』で提示した視点が、 そうした問いへの答えのヒントになるのではないか、と私は考えている。 食物連鎖 生物の世界の中で他の生命を食べることなしに生きることのできるのは、光合成によって太陽エネ ルギーをいわば食べることのできる光合成微生物や植物である。その他の動物は植物や植物を食べて 生きている他の動物を食べることによってしか生きることができない。こうした生命界の姿を生物学 では「食物連鎖」と呼んでいる。そして、食物連鎖は生命の歴史40億年の流れの中で比較的早い時

(3)

「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.8 別冊 シンポジウム・研究会 編

130

期から生命界、自然界そのものが生み出した自然なシステムなのである。食物連鎖という自然のシス テムを否定することは、40億年にわたる地球の自然の営みを否定することにはならないだろうか。 例えば、かつてロッキー山麓であった有名なエピソードに、クロオジカを保護するつもりで、コヨー テやピューマ、オオカミを撃って激減、全滅させたところクロオジカは繁殖しすぎ、その地域の食物 を食い尽して結局全滅の危機に瀕した、というものがある(日高敏隆『動物にとって社会とは何か』 講談社学術文庫、八八頁)。つまり、食物として必要な限度内、すなわちバランスをくずさない範囲 でなら、食べたり=殺したり食べられたり=殺されたりすることは、自然であって悪とは言えないの ではないだろうか。 さらによく観察すると、例えばよだかはただ虫を食べ殺すだけでなく、やがては必ず自分も死に、 死んだらその死体はバクテリアに分解されていわば食べられ、さらに有機物にまで分解された物質は 植物に吸収され=食べられ、さらにその植物は昆虫や鳥や他の動物に食べられるのであって、そこに は食べる-食べられるというつながりがあるのである。 エコ・システムと自然界の階層構造 エルンスト・ヘッケル以来の生物学とりわけエコロジーは、地球上の生命の種同士および環境すな わち非生命がつながっていて一つのエコ・システムをなしていることを明らかにしている。 生命はバクテリアから人間まで単純なものから複雑なものへと進化してきている。しかし、今知ら れているもっとも複雑な生命である人間ももっとも単純な生命(代表的には光合成微生物)とのつな がりなしには存在しえないし、もっとも単純な生命もより環境に存在するより単純な物質なしには存 在しえない。生命は、非生命とも他の生命とも階層をなしてつながり合いながら存在している、と考 えられる。 だとしたら、自然界における尊さすなわち価値は、相対的には複雑さの階層のどのあたりにいるか ということで計られうるし、絶対的には不可欠性ということから示されるのではないだろうか。複雑 さの程度というものさしで見ると、価値には階層性・上下があり、不可欠性というものさしで見ると、 すべての存在は平等である、と言えるのではないだろうか。 そうした視点からすると、生命と非生命、生命同士の階層構造をなしてつながっているシステム全 体のバランスの持続こそが、尊ばれ保たれるべきものなのである。 さらにそこから、いのちは自然の階層構造の不可欠な一部であり、かつかなり複雑度の高い存在であ るから、尊重されるべきであり、かついのちも複雑度によって尊さの違いがある、と言っていいので はないだろうか。また、そう考えることで、例えばバクテリアと人間を横並び平等主義的に「同じい のちだから、同じように尊い」と考えることによる倫理的・思想的なディレンマを克服することがで きるのではないだろうか。

参照

関連したドキュメント

シークエンシング技術の飛躍的な進歩により、全ゲノムシークエンスを決定す る研究が盛んに行われるようになったが、その研究から

 トルコ石がいつの頃から人々の装飾品とし て利用され始めたのかはよく分かっていない が、考古資料をみると、古代中国では

「心理学基礎研究の地域貢献を考える」が開かれた。フォー

式目おいて「清十即ついぜん」は伝統的な流れの中にあり、その ㈲

わからない その他 がん検診を受けても見落としがあると思っているから がん検診そのものを知らないから

そればかりか,チューリング機械の能力を超える現実的な計算の仕組は,今日に至るま

共通点が多い 2 。そのようなことを考えあわせ ると、リードの因果論は結局、・ヒュームの因果

9/21 FOMC 直近の雇用統計とCPIを踏まえて、利上げ幅が0.75%になるか見 極めたい。ドットチャートでは今後の利上げパスと到達点も注目