「いのちはなぜ尊いのか― つながり、階層、バラ
ンスという視点から考える」
著者
岡野 守也
雑誌名
「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.8 別冊
号
8
ページ
129-130
発行年
2014-03-25
URL
http://doi.org/10.34428/00007501
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja129
いのちはなぜ尊いのか
――つながり、階層、バランスという視点から考える――
岡野 守也(サングラハ教育・心理研究所主幹)
すべてのいのちは尊いか? かつて少年による殺人事件にかかわって、思想やジャーナリズムの世界で「なぜ殺してはいけない のか?」というテーマが話題になったことがある。これは、言い方を変えれば「なぜいのちは尊いの か?」ということでもある。かつて伝統的・宗教的価値観が社会全体に共有されていた頃には、そも そも問題にもならなかったことで、子供がそんな質問をすると、親や教師から「そんなことは決まっ ているだろう!」と一喝されておしまいになることだった。しかし、伝統的価値観が非常に薄れつつ あり、価値観が多様になった今、この問いに説得力ある答えを示しうるかどうかが、社会の倫理的規 範ひいては秩序を保つことができるかどうかの根本的条件になっているのではないかと考えられる。 そこで、「いのち」ということ、「尊い」ということについて、どういう視点からすれば、多くの 人が共有できる考え方を確立できるか、短い時間ではあるが、考察してみたい。 しばしば「すべてのいのちは尊い」という言い方がなされるが、その場合の「いのち」には例えば バクテリア・細菌は含まれるのだろうか。あるいは「いのち」であるのか「もの」であるのかきわめ てあいまいだとされる単純なウィルスはどうなのだろうか。 もし、「すべてのいのちは尊い」という命題にバクテリアやウィルスまで含まれるとすれば、私た ち人間が例えば抗生物質を使ってバクテリアやウィルスを殺すことは許されるのだろうか。 それと関連して、しばしば話題・問題にされながらしっかりした答えが出され共有されていない 「人間は他のいのちを奪って食べている。これは罪深いことなのではないか?」という問いがある。 典型的には宮沢賢治が童話『よだかの星』で問うた問いである。そこでは、よだかが虫を食べるのを やめて死んで天に昇って星になるという結末が示されている。これは一見非常に深くて純粋でありな がら死以外には答えのない問いのように見えるが、はたしてそうなのだろうか。 現代の生物学とりわけエコロジーの成果とケン・ウィルバーが『進化の構造』で提示した視点が、 そうした問いへの答えのヒントになるのではないか、と私は考えている。 食物連鎖 生物の世界の中で他の生命を食べることなしに生きることのできるのは、光合成によって太陽エネ ルギーをいわば食べることのできる光合成微生物や植物である。その他の動物は植物や植物を食べて 生きている他の動物を食べることによってしか生きることができない。こうした生命界の姿を生物学 では「食物連鎖」と呼んでいる。そして、食物連鎖は生命の歴史40億年の流れの中で比較的早い時「エコ・フィロソフィ」研究 Vol.8 別冊 シンポジウム・研究会 編