<論説>現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三)--民法と憲法の関係および民法と行政法の関係についての一考察
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(2) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・4号. 第 三 章 憲 法2 9条 1項及び 2項の解釈一現代立憲主義国家に おいて国家法として民法が制定される意味を基礎において 第一節問題の所在 本稿は,伝統的な法領域の相互関係を明らかにする際の共通基盤となり うる理論的枠組の考察を目的としている(制。そして前章においては,現代 立憲主義国家において国家法として民法が制定される意味を考察すること を通じて,民法と憲法の関係を基礎においた共通基盤としての理論的枠組 の提示を試みた。本章では,この理論的枠組を基礎とした具体的考察とし て,民法と憲法との関連で大きな意味を持つと考えられる財産権に関する. 9条 1項及び同 2項の解釈理論について考察を加える O 憲 法2 以下,第二節において,憲法 2 9条 1項及び 2項の解釈に関する現在の議 論状況をについて,近年発刊された憲法の概説書・体系書を基礎として議 論の構造を整理し,それに検討を加え,その議論についての論点およびそ れについての理論上の問題を導き出す凡そして,第三節において,前章. 9条 l項及び同 2項におい で示した理論的枠組を基礎とした考察から憲法 2 て定められている財産権についての解釈理論の構成を示したうえで,その 理論構成が従来の議論と整合性を保てるのかという点,及び現在の議論に *本稿においては敬称を略させていただきました。 制. 本稿第一章第一節(宮津俊昭「現代立憲主義同家において国家法として民法 を制定する意味(ー) J 近法 5 3巻 l号 5 6( 1 4 3 ) -57 ( 1 4 2 )頁 ( 2 0 0 5年))参照 0. ( 4 1 $ なお,本稿においては,従来の議論の考察から,国家の基本権保護義務を基 礎として民法と憲法の関係を捉えることには問題があるとの結論を導いた(本 稿第一章第二節侶) ( b ) (宮津・前掲注側 7 6( 1 2 3 )8 9( 1 1 0 ) 頁参照)。そのため, 国家の基本権保護義務論を基礎として示される財産権の内容形成に関する議論 を直接の考察対象とはしな L、。国家の基本権保護義務論を基礎とした財産権の 内容形成に関する憲法学上の議論としては,. ドイツにおける議論を詳細に検討. する小山剛「財産権の保障」同『基本権の内容形成一一立法による憲法価値の 実現 J1 6 3 2 1 4頁(尚学社, 2 0 0 4年)などを参照。. 2 4 2(2 7 1).
(3) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). おける問題を解消しうるのかという点について第二節で導き出した論点を 視角とした検証を加える(側。. 第二節. 憲法 2 9条 1項及び 2項の解釈に関する現在の議論状況とその問. 題点 一.はじめに 本節においては,憲法 2 9条 l項及び 2項の解釈に関する現在の議論の状 況を概観したうえで,それについて分析・検討を加える O 以下二.におい. 9条 l項及び 2項に関する現在の憲 て,概説書・教科書を中心として憲法 2 法学における議論の状況を概観したうえで,それぞれの議論について分 析・検討を加える。さらに,その検討を基礎において本稿において論じる べきであると考えられる論点とそれについての理論上の問題を導き出す。. 二.憲法 2 9条 1項及び 2項の解釈に関する現在の議論状況とその問題 点の検討. ( 1 ) 憲法 2 9条 1項と同 2項の関係. 司 (. 現在の議論の状況一文言どおりの解釈を否定する通説とそれに対する 批判. 憲法 2 9条 1項では「財産権は,これを侵してはならな Lリとされている 一方で,同 2項では「財産権の内容は,公共の福祉に適合するやうに,法 律でこれを定める」とされている O 文言をそのまま解釈すれば,法律で定 められた財産権のみが憲法 2 9条 1項によって保障されることとなり,立法. 脚 。 本章の考察から,これまでの議論と整合的で,かつ論理的に矛盾のなく現在 の議論における問題を解消しうる憲法 2 9条 l項及び同 2項の解釈理論を示すこ とができたならば,その事実が前章で示した理論的枠組の正当性の根拠のーっ となりうると考えている O. 2 4 3(2 7 0)一.
(4) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第. 3・4号. 権の属する国家機関は憲法 2 9条 1項に制約されないことになる O この是非 に関して次の二つの説が存在する O 通説は,このような文言どおりの解釈を否定し,憲法 2 9条 1項にいう 財産権には立法権の属する国家機関を拘束する憲法的な意味があるとす る(例。この根拠として,文言どおりに解釈をすると l項の憲法規定として の存在意義が失われること,すなわち財産権を憲法上保障することの意義 がなくなることが挙げられる側。 他方,文言通りの解釈を肯定する見解もある(冊目。この説は,財産権が法 律及び裁判所によってはじめて認められるものと考えられること,および 立法権の属する国家機関によって定義された財産権を憲法的に保障すると いうことは財産権の内容を国会が窓意的に変更することを禁止したという ω。 意味をもつので無意味とは言えないこと,を理由としている (. ( b ) 検討. ( ア ) 通説の根拠としての「憲法 2 9条 l項の存在意義」に関して. 3版 )J5 6 5 5 6 6頁(青林書院, 1 9 9 5年),樋口陽一『憲法 (改訂版 ) J2 4 1頁(創文社, 1 9 9 8年),浦部法穂、『全訂憲法学教室 J7 7頁(日本 評論社, 2 0 0 0年),野中俊彦=中村睦男二高橋和之=高見勝利『憲法 1 ( 第3 版) J4 4 2頁〔高見執筆) (有斐閣, 2 0 0 1年),長谷部恭男『憲法(第 3版)J 2 4 1 頁(新世社, 2 0 0 4年)。この説に反対する松井茂記『日本国憲法く第 2版> J559 頁(有斐閣, 2 0 0 2年)もこの説を通説としている (4~~ 佐藤・前掲注側 5 6 5 5 6 6頁,樋口・前掲注側 2 4 1頁,浦部・前掲注側 2 0 7頁,野 (4~D. 佐藤幸治『憲法(第. O. 中=中村=高橋=高見・前掲注 (4~D442 頁〔高見執筆J ,長谷部・前掲注側 241 頁。. 石川健治「財産権②」小山剛ニ駒村圭吾編『論点探求憲法 J2 1 7 2 1 8頁(弘文. 2 0 0 5年)は, 日本国憲法の権利条項は立法権をも拘束する(憲法 1 3条)に もかかわらず,憲法 2 9条のみが「法律の定めた財産権」の不可侵のみを語って. 堂 ,. いると解釈するのは不自然であるとする(さらに,財産権の流動性・可変性は. 2 9条が何らかの意味で,憲法ランクの「保障」を財産 権に与えているものと考えるのが通説であるとする(前掲石川・ 2 1 7 2 1 8頁))0 (4~$ 松井・前掲注側 5 5 9 5 6 6頁。 所与の前提としつつも,. 制松井・前掲注(4~D559 頁。. -2 4 4( 2 6 9 )一.
(5) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). 前述 ( a )に示したように,通説は,憲法 2 9条 l項と同 2項の関係を文言ど. おりに解釈をなすことを「そう解さなければ 1項の存在意義が失われる」 との理由で否定している O しかし,これに対しては,文言どおりに解して. も l項の存在意義は失われないとの批判が提示されている. O. さらに高橋正俊は,このような通説が妥当性を持つための条件として, ①財産権という憲法上の権利が法律から独立に定立しうること,②財産権 が自由権と同一の構造を持ち,従って同じ扱いをなしうること,③財産権 不可侵条項に立法拘束力が認められること,を提示している(倒。この三つ の条件のうち①の条件については,憲法上の財産権を財産の自由な使用・ 収益・処分の権能であると捉える通説において,その憲法上の財産権の内 容と現実の諸法律上の財産権の内容には大きな懸隔が生じること(柵,及び, 通説のように憲法レベルで財産権の「内容」が定まるとすることは,憲法. 2 9条 2項が財産権の「内容」を法律で定めると規定することと矛盾するこ と,がそれぞれ批判として示される(的。続いて②の条件については,憲法 上の財産権が,憲法上の条文のみで意味が完結し法律から独立して存在し うる権利ではなく,他の規範によって内容を与えられる必要のある権利で あることから,他の憲法上の権利と同様の自由権として取り扱うことは困 難であるということが批判として示される例。そして,③の条件について は,通説は,憲法規範としての意味を,立法権への規制力すなわち立法拘 束力と同視しており,論点先取であるとの批判を免れないとされるヘ 制. 高橋正俊「財産権不可侵の意義」香法 5巻 4号 1 4頁(19 8 6年)。. 的 。 高橋・前掲注側 1 4頁では,国家以前の権利として財産権を構成することを, i .一個人の具体的な財産上の権利を,実定法上の問題として扱うものである」こ とを理由として考慮の外に置くとしている O 制高橋・前掲注(4~~14-15 頁。. 側. 高橋・前掲注側 1 5 1 6頁。このように他の規範に依存する条文は「依存条項. C a b h a n g i g e rS a t z )J と呼ばれるとされる(高橋・前掲注(4~~ 1 6頁)。 (4~~) 高橋・前掲注側 1 7 1 8頁 。. 2 4 5C2 6 8)一.
(6) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・4号 以上のような批判の存在することに鑑みるならば,通説のように憲法 2 9. 条 1項と同 2項の関係を文言どおりに解釈することを否定する場合には, 単に「そう解さなければ l項の存在意義が失われるから」という消極的な 根拠ではなく,文言通りの解釈を否定することを積極的に根拠づける法理 論が,前述の批判に的確に応答する形で提示されなければならないと考え られる O ( イ ) 財産権を法律によって定めることの理論的根拠が未提示であることに 関して a )において示した通説においても,その通説に対して批判を提示す 前 述(. 9条 1項及び同 2項の文言に従って,財産権が国 る見解においても,憲法 2 家の侵害から保護されること,及び財産権が法律によって定められること は当然の前提とされている。このうち前者,すなわち財産権が国家(立法 権,行政権,司法権)の侵害から保護されることについては,その歴史的 経緯,及び思想的根拠が現在の議論のなかで示されている側。しかし,な ぜ「財産権」が立法権をもっ国家機関によって定立される法律によって定 められることとされているのかについて,その理論的根拠は明らかにされ. 9条 1 ていない刷。この点についての理論的根拠を提示することも,憲法 2 側 歴史的経緯については,佐藤・前掲注側 5 6 5頁,樋口陽一=佐藤幸治二中村睦 3 5 2 3 6頁〔中村執筆JC 青林書院, 男二浦部法穂、『注解法律学全集 2憲法 IJ2 1997年),野中ニ中村=高橋=高見・前掲注(4~D440-441 頁〔高見執筆J ,松井・前. 掲注側 5 5 8頁,芦部信喜(高橋和之補訂) ~憲法(第三版 )J 9 6頁(岩波書庖, 2 0 0 2年),辻村みよ子「憲法〔第 2版J J2 8 2 2 8 3頁(日本評論杜, 2 0 0 4年)など を,思想的根拠については,浦部・前掲注 (4~D200-20 1 頁,長谷部・前掲注側 2 4 1 2 4 3頁などを,それぞれ参照。 側 なお,長谷部恭男の提示する「公共財としての権利」という理論は,財産権 を法律によって定めることの理論的根拠となりうる 公共財としての権利」に 1 7 1 1 8頁,後述 ( 3 ) ( a )ケJv i)① (γ) 参照。ただし, ついては長谷部・前掲注側 1 財産権に関する規律を公共財と捉える場合には,なぜその規律の策定(公共財 の供給)を法律によって行うのかについて別個の説明が必要となる)。しかし,ノ. r c. 一. 2 4 6C2 6 7).
(7) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). 項と同 2項の関係を明らかにするうえでは必要になる O. ( 2 ) 憲法 2 9条 1項の意味 ( a ) 現在の議論状況一憲法 2 9条 1項における「制度的保障」と「具体的権. 利 」 前述(1)に示したように,現在の通説は憲法 2 9条 1項に独立した存在意義 を認めている O そこで,憲法 2 9条 l項の意味が次に問題となる O この財産権の意味についての通説によれば,憲法 2 9条 l項は,私有財産 制を制度的に保障しているのと同時に,各個人が現に有する具体的な財産 権を保障している,と解釈される側。 この通説において,私有財産制を制度的に保障するということは,個人 が財産権を享有できる法制度が保障され,. しかもこの法制度の核心は法律. によっても侵しえないという意味を持つとされる側。この財産権の制度的 保障によって保障される核心に関しては,生産手段の私有を内容とする資 本主義体制が含まれるとする説と,そのような資本主義体制は保障される 核心とはならず,一定の社会化の達成は可能であるとする説が対立してい る(500。しかし,資本主義と社会主義の要件が変容し,その区別の不明確と 、この「公共財としての権利」という理論には疑問を呈する余地があると考えら れるため(後述( 3 )( a ) ア (Jv i)②(E) 参照),本稿においてはこれを基礎とした考 察は行わな L 。 、 側. 佐藤・前掲注側 5 5 6 5 6 7頁,樋口・前掲注側 2 4 2頁,芦部(高橋補訂)・前掲注 (á~~)213 頁。樋口=佐藤=中村=浦部・前掲注側 237 頁〔中村執筆 J ,野中=中村=. 高橋ニ高見・前掲注側 4 4 3頁〔高見執筆J ,辻村・前掲注側 2 8 3 2 8 4頁は,. この説. を通説あるいは大多数の学説が採用しているとする O また,判例もこの説をと るとされている(最大判 1 9 8 7(昭和 6 2 )年. 4月 2 2日民集 4 1巻 3号 4 0 8頁)。なお,. 制度的保障それ自体に関する通説の見解については,その根本的な誤りを指摘 する見解がある(石川健治『自由と特権の距離J(日本評論社, (á~J). 1 9 9 9年 ))0. 樋口=佐藤=中村=浦部・前掲注側) 2 3 7頁〔中村執筆J ,野中二中村=高橋= 高見・前掲注側 4 4 2頁〔高見執筆J ,芦部(高橋補訂)・前掲注側 2 1 3頁,辻村・ 前掲注側 2 8 3頁。. 側. 議論の概観は,樋口=佐藤=中村=浦部・前掲注側 2 3 7 2 3 9頁〔中村執筆〕参照。. ←. 2 47 C2 6 6 )一.
(8) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・4号 なっている状況の下では,. もはやこのような議論の枠組に基づいた解釈で. はなし個人の自律的な生活を保障することを目的とする制度的保障の理 解が求められているとされている側。. 9条 他方,憲法 2. 1項のもとで保障される具体的な財産権としては,物権,. 債権,無体財産権(著作権・特許権など),特別法上の権利(鉱業権・漁 業権),公法上の権利(水利権・河川利用権)など財産的価値を有するす べ て の 権 利 が 含 ま れ る と さ れ て い る (it 以 上 の よ う な 通 説 に 対 し て , 憲 法2 9条. 1項 は 各 個 人 が 現 に 有 す る 具 体 的. な財産権を保障しているが,私有財産制を制度的に保障しているとは考え られないとする説も存在する側。. ( b ) 検討. ( ア ) 財産権の保障を制度的保障と捉えることに関して. 肺 。 野中=中村=高橋=高見・前掲注側 4 4 2頁〔高見執筆),辻村・前掲注側 2 8 4 頁。ただし, I … a説(資本主義体制を制度的保障の核心とする説…筆者注)の 立場からすれば b説(個人の自律的な生活に必要な財産に対する自由を核心 とする説…筆者注)は制度的保障論とは L、えず,また制度的保障論そのものに 批判的な立場からすれば,なぜ b説が制度的保障の枠組に固執するのか,理解 に苦しむということになろう」との見解も示されている(野中=中村=高橋=. 4 4頁〔高見執筆))。 高見・前掲注側 4 側 佐藤・前掲注(4~0565 頁,樋口ニ佐藤=中村二浦部・前掲注$00)236 頁〔中村執筆) , 4 0頁,野中ニ中村=高橋=高見・前掲注( 4 ! 0 4 4 1頁〔高見勝利執 樋口・前掲注側 2 筆 ) ) 。 (aO~ 浦部・前掲注側 2 0 7 2 0 8頁,松井・前掲注 ( 4 ! 0 5 5 8 5 6 0頁。浦部法穂は,この理 由として, 日本国憲法の基本的な立場が社会権を保障するためには経済的自由 権が制限されることを当然のこととするものであるという前提のもとに,憲法. 2 9条 1項の解釈論として制度的保障の観念を持ち込むことによって,同 2項に よって社会権の保障のために経済的自由を制限する立法権の権限が限界づけら. 0 7 2 0 8頁)。他方,松井茂記は,第一 れるという理由を示す(浦部・前掲注側 2 9条 1項によって私有財産制度が制度として保障されたもの の理由として憲法 2 と解釈すべき理由が存在しないことを,第二の理由として何が資本主義で何がノ 2 4 8(2 6 5).
(9) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). 前述 ( a )に見たように,財産権の保障を私有財産制についての制度的保障 と捉えることを肯定する通説に対しては,通説に批判的な立場からのみな らず,通説の内部からも,法律によって侵しえない制度的保障の核心とは この議論において何であるのかという問題が提起されている倒的。このよう. 9条 1項における財産権の保障を な状況を踏まえれば,通説のように憲法 2 私有財産制としての制度的保障と捉えるためには,そのように捉えること についての理論的根拠,及びその法律によって侵しえない制度的保障の核 心とは何かということを前述の批判に的確に応答する形で提示しなければ ならないといえよう O ( イ ) 財産権の保障を具体的な財産権と捉えることに関して. 9条 1項が,各個人の現に有する具体的な 現在の議論においては,憲法 2 財産権を保護しており,それが物権,債権そのほかの権利を指すことにつ 。 、 いて批判は存在しな L しかし,具体的な財産権が,物権,債権そのほかの権利を意味するとす. 9条 1項にいう財産権が立法権をもっ ることは自明のことではな l¥0 憲法 2 国家機関を拘束するという通説仰の立場からは,なぜ,物権,債権そのほ. 9条のもとで保障される財産権とされなければならないの かの権利が憲法 2 か,という点が問題となる O 他方,憲法 2 9条 1項にいう財産権とは同 2項 にいう財産権と同じであり,立法権をもっ国家機関がさだめた財産権を保. 、社会主義で,何が私有財産制度で,どうなれば私有財産制度を否定し社会主義 に移行したことになるのかは必ずしも明確ではないことを,そして第三の理由 として,国会がある法律を制定したとき,その法律が私有財産制度を侵害する ものであるとして裁判所が違憲無効としうることになれば司法審査の民主主義 的正当性という点から重大な疑念が提起されることを,それぞれ示している. 6 0頁 ) 。 (松井・前掲注側 5 ( a i j i ) 前掲注側および注(帥参照。 (瑚前述(1)( a )参照。 一. 2 4 9(2 6 4).
(10) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・4号 障するにとどまると解する見解~IW の立場からも,立法権をもっ国家機関が. なぜ法律で物権,債権そのほかの権利を財産権として定めたのか,そして 立法権を持つ国家機関は物権,債権そのほかの権利に捉われずに財産権の 定義を法律によって定めることが可能であるのか,さらには憲法に定めら れた規範の範囲内であれば何にも捉われずに自由に私人間の関係の規律を 法律として定めることが可能なのか,という点が問題となる. O. ( 3 ) 憲法 2 9条 2項における「公共の福祉」 ( a ) 憲法上の「公共の福祉」の概念に関する議論の本稿における位置つ守け. ( ア ) 憲法上の「公共の福祉」の概念に関する議論の概観と検討一本稿の考. 察に必要なかぎりで 憲法 1 3条は「すべて国民は,個人として尊重される. O. 生命,自由及び幸. 福追求に対する国民の権利については,公共の福祉に反しない限り,立法 そのほかの国政の上で,最大の尊重を必要とする」と規定している O この 憲法 1 3条にいう「公共の福祉」の意味については, 日本国憲法制定後より 議論がなされてきた日100. i)一元的外在制約説 ①. 議論の概観 初期の通説的地位を占めていた学説は,一元的外在制約説と呼ばれる学. 説である日I~。この説においては,人権は憲法 12 条・同 13 条により「公共の. 。 。. W ) 前述(l)( a )参照。 1 ) 1 なお以下の記述において,一元的外在制約説(以下. i)①),内在・外在二元. 的制約説(以下 i i)②),一元的内在制約説(以下 i i D③)のそれぞれの議論の 概観については,芦部信喜「憲法学 E 人権総論 J1 8 8 2 0 0頁(有斐閣, 1 9 9 4. 年)から引用を行う。 。1~. 芦部・前掲注~1 1) 188 頁。この一元的外在制約説をとる見解として美濃部達吉の. 見解が挙げられている(芦部・前掲注 ( a l ) 1 1 9 0頁注(1),芦部(高橋補訂)・前掲注. 6頁参照,なお長谷部・前掲注( 4 9 0 1 1 1頁は美濃部達吉(宮津俊義補訂) r 日本ノ 側9 2 5 0(2 6 3)一.
(11) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). 福祉」と調和する限度で尊重されるものであるから, I 公共の福祉」は, 人権の外にあってすべての人権を制約することのできる一般的な原理であ るとされる制。そして,憲法 2 2条・同 2 9条が特に「公共の福祉」を掲げた のは,すべての権利・自由に通ずる原則を念のため再現したにとどまり, 特別の意味を有しない, とされる刷。 公共の福祉」が極めて抽象的な命題 この一元的外在制約説のもとでは, I であり一つの最高概念であるだけに,具体的な法律による制限が憲法に適 合しないとして排斥されるのはごく例外的な場合で,通常は社会公益に合 致するものと判断されるであろうから,人権制限が容易に肯定されるおそ れが生じる問。このことが,個々の人権について「法律の留保J(制限留保) を認めない日本国憲法の基本思想に反する,という批判が示されている 6 1 0 0 ②検討 以上①に概観した一元的外在制限説については,少なくとも本稿におい て参照した教科書・概説書のなかで一元的外在制限説を基礎として記述を するものはな t¥。また,この説に関しては,現在ほとんど支持者が見られ ず克服された学説であるとの見解が示されている 4 1 0 0. i i)内在・外在二元的制約説 ①. 議論の概観 内在・外在二元的制約説は,前述 i)に示した一元的外在制約説に反対. 、国憲法原論(オンデマンド版 ) J1 4 6頁(有斐閣, 2 0 0 2年,原版・ 1 9 5 2年)を示 している ) 0 (íl~. 芦部・前掲注(i11)18 8頁0. (íl~. 芦部・前掲注~lù188 頁0. ~1~. 芦部・前掲注~lù189 頁0. ~lo). 芦部・前掲注~11)1 89 頁。. 。 1 D 高橋和之「すべての国民を『個人として尊重』する意味」塩野古希「行政法 の 発 展 と 変 革 上 巻 J2 7 4頁(有斐閣, 2 0 0 1年)。. ←. 2 5 1(2 6 2).
(12) 近畿大学法学第 5 3巻第 3・4号 して提示された 6 1 8 0 この説のもとでは,憲法 1 2条・同 1 3条が訓示的ないし 倫理的規定と解され,国家による人権制限の根拠を定めた規定ではないと 1 9 0 そして,憲法の保障する権利・自由の限界に関しては,憲法の される 6. 保障する権利・自由が,その性質上専ら国家権力による侵害の排除に主眼 を置くものと,国家権力による保障を求めることに主眼を置くものとに大 別される倒。このうち前者の制限に関しては,公共の福祉による制限は認 められないが,その社会において相対化された具体的存在としての権利・ 自由として現代の社会秩序の要請する制約には当然服するべきものとされ る刷。他方,後者の制限に関しては,それを具体的に実現するために国家 の積極的な関与が必要となるので,それにどの程度の保障を与えるかは, 国家が公共の福祉のために政策的に考慮して決するところである,とされ る側。. この内在・外在二元的制約説には,次のような批判が示されている O ま ず,権利・自由の性質を,専ら国家権力による侵害の排除に主眼を置くも のと国家権力による保障の要求に主眼を置くものとに峻別し,その差異を 理由として一律に内在的・客観的制約と外在的・政策的制約という限界の 程度を根拠づけることは,現代憲法の人権体系において,たとえ可能で. 1 ) 芦部・前掲注( m ) 1 9 0頁口この内在・外在二元的制約説をとる見解としては,法 。 9 3頁以下(有斐閣, 1 9 5 3年)が示されている 学協会編「註解日本国憲法上巻Jl2 l u 1 9 4頁注( 5 )参照)。 (芦部・前掲注G 。1~) 芦部・前掲注( m ) 1 9 1頁 。 l )1 9 1頁 。 。抑芦部・前掲注G (~1ù 芦部・前掲注(~lù 1 9 1頁。この国家権力による侵害の排除に主眼を置く権利・白 由の制約の限度は,それぞれの権利・自由に特有の客観的な限界が存在し,立 9 1頁 ) 。 法者はこれを左右することはできないとされる(芦部・前掲注側 1 芦部・前掲注( m ) 1 9 2頁。もっとも, この場合も憲法が前提とする権利概念の本 l l ) 質を否定するような制約を加えることは許されないとされる(芦部・前掲注G. ω. 1 9 2頁 ) 0 2 5 2(2 6 1)一.
(13) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). あったとしても妥当ではないとの批判である ω。さらに,憲法 1 3条を訓示 的ないし倫理的規定と解することは,憲法で個別的に保障されている人権 以外の「新しい人権J(プライパシー権など)を憲法上の人権として基礎 づける根拠を失わせる,との批判もある側。 ②検討 この内在・外在二元的制約説についても,少なくとも本稿において参照 した教科書・概説書のなかで内在・外在二元的制約説を基礎においた記述 をしているものはな l'¥。また,この説に対して現在示されている批判仰に 。 、 対応する反論あるいは理論的修正は提示されていな L. ii)一元的内在制約説 ①. 議論の概観 一元的内在制約説は,前述 i)で概観した一元的外在制約説と前述 i i ). で概観した内在・外在二元的制約説を折衷する内容を持ち,現在の学説・ 判例に大きな影響を与えたと評価されている ω。この一元的内在制約説に おいて,. r 公共の福祉」とは人権相互間に生じる矛盾・衝突の調整を図る. ための実質的公平の原理であるとされる側。この実質的公平の原理は,自 由権を各人に公平に保障するための制約を根拠づける場合には必要最小限 ( b i i ) 芦部・前掲注~l0192 頁。 ゆ 。 芦部・前掲注( m ) 19 2 1 9 3頁。このほか,内在的制約と政策的制約の境界が不明 確であること,政策的考慮、に基づく人権の制約の公共の福祉による制約の限度 を正当化する基準が不明確であること,もそれぞれ問題点として掲げられてい. 9 3頁)。 る(芦部・前掲注側 1 (áï~. 前述①参照。. 的 。 芦部・前掲注( a l l )1 9 5頁。この一元的内在制約説をとる見解としては,宮沢俊義 『憲法 I C 新版 J J218頁以下(有斐閣, 1971年)が示されている(芦部・前掲注 ( a l O1 9 8頁注侶)参照) a l 0 1 9 5頁。ここでは,人間の尊厳性を最高の指導理念とする日本 側 芦部・前掲注( 国憲法においては個人に優先する「全体」の利益ないし価値というものは存在. a l O1 9 5頁)。 しない, との認識が基礎におかれる(芦部・前掲注( 2 5 3(2 6 0).
(14) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・ 4号. 度の規制のみを認める「自由国家的公共の福祉」として働き,社会権を実 質的に保障するために自由権の制約を根拠づける場合には必要な限度の規 制を認める「社会国家的公共の福祉」として働く,とされる側。そして, このような意味を持つ公共の福祉は,憲法規定の有無にかかわらずすべて の人権に論理必然的に内在しているものとされる側。 この一元的内在制約説については,次のような批判が示されている O ま ず,人権の具体的限界についての判断基準として,. I 必要最小限度」ない. し「必要な限度」という抽象的な原則しか示されず,人権を制約する立法 の合憲性の具体的な判定基準が不明確であることである 6 1 0 0 また,憲法 2 2 条・同 2 9条に定められた「公共の福祉」を職業の自由・財産に論理必然的 に内在する制約を示す原理だと割り切ると,それらの権利・自由について 認められる福祉国家の理念に基づく一定の政策的規制も内在的制約という ことになり,外在的制約との境界が必ずしも明らかで-なくなるという批判 も示されている側。さらに,人権を制約する根拠は必ず他の人権でなけれ ばならず社会全体の利益による制約を認めないとすることは「人権」の概 念をよほど拡張的な意味で用いない限り理解が困難であるとする批判凧 および,およそ人は自らの好むことは何でもなしうる(殺人の自由,強盗 の自由などを含んだ)天賦の「人権」を有するという前提に対する批判ω も示されている O 芦部・前掲注G 1 ) J1 9 5頁。この社会国家的公共の福祉は自由国家的公共の福祉を 実質的にするための原理であり,二つの公共の福祉は別個のものではなく,一 つの公共の福祉が権利・自由の性質の相違に応じて異なる調節的な作用をする l )1 9 5頁 ) 。 (芦部・前掲注G ( a l 9 ) 芦部・前掲注( a l l )1 9 5頁 (á~ij) 芦部・前掲注G l l ) 19 6頁0 G~J) 芦部・前掲注( 1 ) J 1 9 6頁 。 (á~~ 長谷部・前掲注側 1 1 3頁。また松井・前掲注( 4 9 D 3 4 3頁も参照。 4 9 D1 9 2 1 9 5頁では,人は何らかの形で限定されノ 側 この点に関して,樋口・前掲注( Gl~. 0. 2 5 4(2 5 9).
(15) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). ②検討 現在の議論においては,この一元的内在制約説が通説あるいは支配的な 見解である,と位置づける概説書・教科書もある問。しかし,一元的内在 制約説以外の説が今日一般に支持されているとする概説書・教科書もあ る側。なお,少なくとも本稿において参照した教科書・概説書においては, 現在示されている批判仰に対応する反論・理論的修正は提示されていな ~' 0. i v ) 人権の制約根拠と正当化根拠を区別したうえで内在的制約のほかに政 策的制約を認める説 ①. 議論の概観. 3条にいう「公共の福祉」の意味を「人権相互 この説においては,憲法 1 間に生じる矛盾・衝突の調整を図るための実質的公平の原理」であるとす る一元的内在制約論(前述 i i)参照)の立場が基本的に維持される側。そ してこのような「公共の福祉」は,基本的人権を制約する一般的な根拠と なりうるとされる側。しかし,各個別の基本的人権のそれぞれについて制 、た「人権」を有するとするとしたうえで憲法 1 3条にいう「公共の福祉」は基本 的人権の制約根拠とはならず,憲法 2 2条 1項,同 2 9条 2項における「公共の福 祉」を根拠としてのみ基本的人権の制約がなされると構成することが主張され. 1 3 1 1 4頁も参照(ここに示される内容に関し ている O また,長谷部・前掲注側 1 ては,後掲注側参照)。 側長谷部・前掲注(4~O 1 1 2頁,辻村・前掲注側 1 8 0頁 。. 側. 4 1 2 4 2頁。また,主張されている学説の 野中二中村=高橋=高見・前掲注側 2 なかで、どれが通説あるいは支配的見解であるのかを示していない概説書・教科 書もある。. 側前述①参照。 (~m. 芦部・前掲注~l0197 頁,佐藤・前掲注(4~0403 頁。浦部・前掲注(4~077-79 頁も同旨. と考えられる(ただし,浦部法穂は立法技術論として「公共の福祉」の語を用. 4頁))。 いることには反対している(浦部・前掲注側 8 側. 芦部・前掲注(~lO 1 9 7頁,佐藤・前掲注側 4 0 2 4 0 3頁。ただし樋口陽一=佐藤幸. 治=中村睦男=浦部法穂『注解法律学全集 l 憲法 1 C前文・第 l条. -2 5 5(258)一. 第2 0条 J Jノ.
(16) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・4号 約を正当化する根拠が別個に必要となり,この基本的人権の制約の正当化 根拠の射程,すなわち基本的人権の制約の限界は,それぞれの基本的人権 の性質,規制の目的・態様に応じて具体的に判定されなければならない, とされる側。この基本的人権の制約の限界については,抽象的にいって, 精神的自由権(表現の自由など)に関しては各個人の基本的人権の共存を 維持するという消極目的のための最小限の秩序を意味する内在的制約原理 が,経済的自由権(財産権など)に関しては形式的平等に伴う弊害を除去 し多数の人々の生活水準の向上をはかるという積極目的のための原理を意 味する政策的制約原理が,それぞれ存在するとされる酬。ω。. 、. 2 7 2頁〔佐藤執筆J(青林書院, 1 9 9 4年)は, I …,憲法にいう「公共の福祉」は. すべて『内在的制約原理 J(消極的作用)と『外在的制約(政策的制約)原理』 (積極的作用)の両者を含むものと解される」とするのに対し,浦部・前掲注(4~O. 8 4頁は, I … , (憲法…筆者注) 1 2条 , 1 3条の場合は内在的制約を意味し, (憲法 2条 , 2 9条の場合は政策的制約を意味する」としている(この両者 …筆者注) 2 の違いは,経済的自由権のほかに政策的制約に服する生存的基本権等をどのよ 8 1頁参照))。 うに解するかの問題となるとされる(辻村・前掲注側 1 (QJ~). 芦部・前掲注(Qll)198 頁,佐藤・前掲注(4~0402-403 頁。浦部・前掲注(4~084-85 頁も. 同旨。 側 ) 佐藤・前掲注側 403 頁。芦部・前掲注(Qll)1 97 頁,浦部・前掲注(4~083 頁も同旨。 なお,この内在的制約原理と政策的制約原理は,それぞれ一元的内在制約説. i D①参照)のいう「自由国家的公共の福祉」と「社会同家的公共の福 (前述 i ) 1 9 7頁,佐藤・前掲注側 4 0 3頁 ) 。 祉」の区別に対応するとされる(芦部・前掲注(Qll 側 なお,この内在的制約原理における基本的人権に対する制約の限界の判定基 準と政策的制約原理における基本的人権に対する制約の限界の判定基準とが異 なるとする「二重の基準論」が,現在の憲法学では支配的な見解となっている (この基本的人権に対する制約の限界の判定基準の具体的内容については,芦 部・前掲詑(a1l)213-245 頁,佐藤・前掲注(4~0404-406 頁,樋口=佐藤=中村二浦部・ 前掲注制1)27 ト 276 頁〔佐藤執筆 J ,浦部・前掲注 (4~084-99 頁参照)。この「二重の. 基準論」に関しては,法哲学の領域から批判が示されている(この議論の概要 に関しては,長谷部恭男「それでも基準はニ重である!一一同家による自由の. 9 1 0 7頁(東京大学出版会, 2 0 0 0年) 設定と規制 J同『比較不能な価値の迷路 J9 参照)。 9条 2ノ このような基本的人権に対する制約の限界の判定基準の問題は,憲法 2 2 5 6(2 5 7).
(17) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). この説に対しては,人権を制約する根拠は必ず他の人権でなければなら ず社会全体の利益による制約を認めないとすることに対する批判が示され ている(問。また,この説に対しても,およそ人は自らの好むことは何であ れこれをなしうる天賦の「人権」を有するという前提を置いていることに 対する批判が妥当すると考えられる側。 ②検討 現在の議論においては,この見解が今日一般に支持されている,とする 概説書・教科書がある凡なお,少なくとも本稿において参照した教科書・ 概説書においては,現在示されている批判制に対応する理論は提示されて いな ~\o. v) 公共の福祉を「人権と公共の利益の調整原理」と理解する説(松井茂. 記の見解). ①. 議論の概観 公共の福祉」を「人権と公共の利益との調整原理」と理解 この説は, I. 、項における「公共の福祉」の解釈に関して,たしかに重要な問題ではあるが, 基本的人権体系全体に関わるだけでなく,法哲学的理論との関係も意識したう えで,それ自体として取り扱うことが必要となる問題であると考えられる。そ. 9条 のため,憲法 2. l項および同 2項の文言の持つ意味を明らかにするという意. 味での解釈理論の提示を目的とする本稿の考察との関係では,この問題を直接 考察の対象には含めないこととする o l、L、かえれば,基本的人権に対する制約 の限界の判定基準に関する議論に対して聞かれた解釈理論の提示を本稿では試 みるということである O 基本的人権に対する制約の限界の判定基準に関して は,本稿の考察も基礎においた研究を今後の課題としたい。 仰. なお佐藤・前掲注側 4 0 6頁は,. I 限定されたパターナリスティックな制約」を. 政策的制約」とならぶ第三の範曜として位置づけている O 「内在的制約 JI 側. 松井・前掲注(4~D343 頁。また,長谷部・前掲註(4~D113 頁も参照。. 刊 日 樋口・前掲注側 192-195 頁参照。また長谷部・前掲注(4~D 1 1 3 1 1 4頁も参照。 4 1 2 4 2頁。ただし,前述 ii)②参照。 帥 野中ニ中村二高橋=高見・前掲注側 2 (ゆ前述①参照。. 2 5 7(2 5 6).
(18) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・4号. し,そのうえで内在的制約か外在的制約かといった区別を行うことなく, 個々の基本的人権に即して,どのような場合にどこまで制約が認められる かを検討していくほうが望ましいとする説である側。この説では,従来の 議論のなかで前述 i v ) に示した説が基本的に妥当であるとしながら,次の ような問題点を指摘して,自らの見解の論拠としている O その第ーが,美 観の維持のための表現の自由の制約,性道徳維持のためのわいせつな表現 の禁止などを例に挙げ,基本的人権を制約しうるのが他人の権利利益のみ だと言う立場をとることが困難であることである吹第二は,基本的人権 は政府に対して主張しうる権利であるから,国民が基本的人権を行使した とき他の国民の基本的人権と衝突することはありえず,政府が国民の基本 的人権を制約するときその制約利益は常に政府(国家) ω 利益として捉えら れなければならないことである冊。第三が,パターナリズムに基づく制約 が正当化されないようになりそうなことである O そして第四が,経済的自 由についてのみ他人の権利利益以外のために基本的人権の制約が認められ る根拠が不明確なことである刷。 なお,この見解においては,各個別の基本的人権の制約の限界について, 公共の福祉のみからは基本的人権の制約についての具体的な結論は導かれ ず,個別の審査が必要となるとされている問。 側 松 井 ・ 前 掲 注( 4 9 0 3 4 4頁 。. 4 3頁 。 (瑚松井・前掲注側 3. 。 制. 本稿における国家の用語法については,本稿第一章第三節一. ( 1 ) (宮津・前. 掲注(嚇 1 0 5( 9 4 )1 0 7( 9 2 ) 頁参照)参照。. 。. ( a a O ) 松井・前掲注側0 3 4 3頁 。 a O 松井・前掲注側 3 4 3 3 4 4頁 。. 。á~. 松井・前掲注( 4 9 0 3 4 4頁。この個別の基本的人権に対する制約の判定基準につい ては,政治参加のプロセスに不可欠な権利とそうでない非プロセス的な権利と の間で差異があると考えるべきであるとする二重の基準論が示されている(松. 井・前掲注( 4 9 0 1 10 1 1 8頁,同 3 4 4 3 4 5頁)。なお,本稿の考察における基本的人権. 4 1 ) 参照。 に対する制約の判定基準についての議論の位置づけについては,前掲注0. 2 5 8(2 5 5)一.
(19) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). ②検討 この説については,. r 公共の福祉」を人権と公共の利益の調整原理である. とするにあたって,基本的人権は政府に対して主張しうる権利であるから 国民が基本的人権を行使したとき他の国民の基本的人権と衝突することは ありえず,政府が国民の基本的人権を制約するときその制約利益は常に政 府(国家) ω 利益として捉えられなければならない,との理解を示している ところに問題があると考えられる O この問題が具体的に表れる例として, 表現の自由とプライバシーの権利との関係を示しうる O 現在,表現の自由は憲法 2 1条によって基本的人権として認められてい る例。他方,プライバシーの権利については,現在の憲法学において憲法. 1 3条を根拠とした基本的人権として認めるとする議論が支配的であり,ま た判例もプライバシーという言葉は用いていないが実質的に保護している とされる目的。 この両者について,この説においては,. r 一定の場合にプライヴァシーの. 権利を侵害する表現に損害賠償そのほかの責任を負わせることは, 2 1条に 反しな L、。ただ,そこには憲法上の限界があると考えるべきである」とさ れている制。この問題において表現の自由を制約している利益は,プライ. 脚. 本稿における国家の用語法については,本稿第一章第三節一. ( 1 ) (宮津・前 掲注(4~~105. 帥 (. ( 9 4 )1 0 7( 9 2 ) 頁)参照。. なお,松井茂記は自らのプロセス的基本的人権観に基つ守いて,表現の自由に 「政治参加のプロセスに不可欠な権利」としての位置づけを与え,手厚く保護さ. 3 3頁)。 れるべきであるとしている(松井・前掲注側 4 制. J 竹中勲「プライヴァシーの権利」高橋和之ニ大石員編『憲法の争点(第 3版 ). 7 2頁(有斐閣, 1 9 9 9年),佐藤・前掲注( 4 9 0 4 5 3 4 5 7頁,芦部(高橋補訂)・前掲注 1 7 1 2 0頁,松井・前掲注 ( 4 9 0 4 8 8 4 9 2頁など。なお,松井茂記はこのプライパ 側1 シーの権利も「政治参加のプロセスに不可欠な権利」として位置づけている. 4 9 0 4 8 9頁)。 (松井・前掲注(. 岡 。 松井・前掲注側 4 4 8頁。また松井・前掲注( 4 9 0 4 4 1頁は, I 名誉鍛損やプライヴァ シー侵害の表現に対して裁判所が差止を行うことも,検閲禁止との関係で困難ノ. 2 5 9(2 5 4)一.
(20) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・4号. パシーの権利である O このプライパシーの権利は,前述の通り政府利益で はなく基本的人権として構成されている O すなわち,基本的人権たる表現 の自由の保障と基本的人権たるプライパシーの権利の保障の衝突という形 で捉えられていることになる冊。このことは,公共の福祉は「人権と公共 の利益の調整原理」のみを意味すると理解することが困難であることを示 していると考えられる O. v i)公共の福祉を社会全体の利益と捉えた上で国家権力の正当性の限界と 人権の限界を区別する説(長谷部恭男の見解) ①. 議論の概観. (α) 基本的な考え方一国家権力の正当性の限界と個人の人権の限界の分離. この説は,まず,一元的内在制約説(前述 i i)参照)を現在の支配的な 見解と位置づける飾品。そのうえで,この一元的内在制約説には次の二つの 根底的な問題点があるとする(跡。その第ーが,表現の自由を規制する根拠 として持ち出される街の美観・性道徳、の維持・電波の混信防止などは個々 人の権利には還元されえないものであるところの社会全体の利益であるの で,人権を制約する根拠は人権であるという一元的内在制約説の前提を貫 、な問題」であるとするのに続いて「北方ジャーナル事件」訴訟(最大判 1 9 8 6 (昭和 6 1)年 6月 1 1日民集 4 0巻 4号 8 7 2頁)を紹介したうえで,. r 学説でも裁判所. による事前差し止めについては,一定の要件の下でこれを認めようとする見解 が有力である。しかし,あまりに要件が緩やか過ぎないか,疑問が残ろう」と. 4 1頁)。 している(松井・前掲注側 4 制 仮に,ここでのプライパシーの権利が憲法上の基本的権利ではなく,民法上 の権利であるので憲法上の基本的権利の衝突ではないとの反論がなされたとし ても裁判とは国家機関に属する裁判官の示す判断行為および意思の表示行為. 4 )裁判 J1頁〔鈴木正裕執筆〕 であり(鈴木正裕二青山善充編『注釈民事訴訟法( 9 9 7年)),民事裁判を通じて国家機関であるところの裁判所による憲 (有斐閣, 1 法上の基本的権利の侵害が観念されうることから,この問題においてプライパ シーの権利を民法上の権利に限定して捉えることはできないといえよう O (aa~). 長谷部・前掲注側 1 1 2 1 1 3頁 。. 由 自 長谷部・前掲注( 4 ! D1 1 2 1 1 3頁 。. -2 6 0(2 5 3).
(21) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). くことが困難となっていることである爪第二は,一元的内在制約説の前 提に,およそ人は自らの好むことは何であれこれをなしうる天賦の「人権」 があるとする点である側1)。この考え方のもとでは殺人の自由や強盗の自由 をも人権として含めることになる制。この帰結は「我々の直観に反する」 とされる刷。 以上のような問題点を指摘したうえで,この説では,社会全体の利益で あるところの公共の福祉を実現しようとする国家権力が個人の行動の自由 の制約を通じてその目的を達成するものである以上,公共の福祉に関する 諸学説は,そもそも国家権力ないし国家の権威の正当性根拠を問題にする ものでもある,とされる側。そして,前述の二つの問題点を基礎として,人 権制約とは「他の人権との衝突の調整」から導かれるものでないという前 国家権力の正当性の限界」と「個人の人権の 提を導き出し,そこから, I 限界」とは自動的には一致せず,両者はそれぞれ独立に検討される必要が あると結論付けられる制。 (β) 国家権力の正当性の限界. 国家権力の正当性の限界」に関しては,人々はなぜ国家の法令 まず, I に従わねばならないのか,という意味における国家の権威の根拠がまず論 ( a o O ) 長谷部・前掲注側 1 1 3頁 ~ôo 長谷部・前掲注(4~O 1 1 3頁 ~ô~ 長谷部・前掲注(4~O 1 1 3頁 。 防 。 長谷部・前掲注 (4~O 1 1 3 1 1 4頁。その根拠として,標準的な社会契約論によれ 0. 0. ば,人々は天賦の人権をよりよく保全し,共同生活の利便を享受するためにこ そ国家を設立したはずであるのに,その際,人々がより良く保全しようとした 自然権に,殺人の自由や強盗の自由が算入されていたとは考えにくいこと,及 び「人権j を本来無制約とすることによって,公共の福祉を名目とする国家に よる規制をも無制約とする危険をはらんでいること,がそれぞれ示される(長 谷部・前掲注(4~O 1 1 4頁)。. (帥長谷部・前掲注(4~O 1 1 4頁 。. (瑚長谷部・前掲注側 1 1 5頁 。. 261(252).
(22) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・ 4号. じられる制。そして,国家の権威に従わなければならない根拠として次の 二つが挙げられる(問。第ーが,権威の命ずる行動には命じられた否かに関 わらず名宛人の側にそのように行動することについて独立の理由があるこ とである目的。第二が,名宛人個々にそのような独立の理由があるにもかか わらず,各人がそれぞれ独自にその理由に合致した行動をとろうとするよ りも,とりあえず権威の命令に従ったほうが,その理由により良く合致し た行動をとることができることである札このように各人が独自に考えて 行動するよりも,本来とるべき行動をよりよくとりうる事情として,次の 二つの場合が示される刷。 第一が,国家が私人よりすぐれた専門的・技術的知識を備えている場合 1 0 0 である 6. 第二が,国家が特にすぐれた知識を有しているわけではないが,国家が 一般人よりも問題を解決するうえでより適切な立場にある場合である刷。 この場合の典型例として「調整問題状況」と「公共財の供給」の二つが挙 げられている(励。 まず,. I 調整問題」とは,どれでもよいがとにかくどれかに決まってい. 。 例 長谷部・前掲注側 115頁。ここではジョセフ・ラズ CJosephRaz) の権威 C a u t h o r i t y ) に関する見解が基礎におかれている(長谷部・前掲注( 4 9 0 1 1 5頁 ) 。 1 5頁 。 納長谷部・前掲注側 1 側長谷部・前掲注( 4 9 0 1 1 5頁 G 6 9 ) 長谷部・前掲注( 4 9 0 1 1 5頁 。 ( 1 1 0 ) 長谷部・前掲注側 1 1 6 1 1 8頁。この二つの類型は,アンドレイ・マルモー CAndrei Marmor) の見解が基礎におかれている(長谷部恭男「国家権力の限 0. 界と人権J樋 口 陽 一 編 『 講 座 憲 法 学 第. 3巻 権 利 の 保 障 j 5 0頁(日本評論社,. 1 9 9 4年))0 1 ( 1 ) 長谷部・前掲注 ( 4 9 0 1 1 6頁。ただし,国家が私人より専門的・技術的知識を備え ていることを主張立証できない場合には,同家に権威を認めることに慎重でな 4 9 0 1 1 6頁 ) 。 ければならない,とされる(長谷部・前掲注( G1~ 長谷部・前掲注側 1 1 6頁 。 G 1 i ) 長谷部・前掲注側 1 1 6頁 。. 2 6 2C2 5 1).
(23) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三) て く れ な け れ ば 困 る 事 柄 に つ い て の 問 題 , す な わ ち い ず れ が 正 し L、かとい う点ではなく,いずれかに決まっておりそれに大多数の人々が従うことそ れ自体が肝要となる問題であるとされる例。そして,国家が国家として存 在し事実上大部分の人々に服従されているために,この調整問題をより効 果的に解決しうる立場にあるので,いったん国家が法令によって特定の選 択肢を指定すれば大多数の人々は,各自の利益を理由に,その法令に従お うとするはずである,とされる冊。 続いて,警察・消防・防衛などの「公共財」は,消費の排除性・競合性 の働かないために私的なイニシアティブによって供給されることが想定さ れえないので(ただ乗り問題),それを供給する役割を国家に担わせること が適切となる,とされる例。この公共財の提供に関しても,私人は各自が. ~1~. 長谷部・前掲注(4~Ù 1 1 6頁。このような調整問題の例として,. I 車は道の右を通. ,I 有効な契約をするためには書面や証人が必要か否 るべきか左を通るべきか J ,I 燃えるゴミを出す日は月・水・金か火・木・土か」といった問題が挙げ かJ 1 6頁 ) 。 られている(長谷部・前掲注側 1 (ál~ 長谷部・前掲注側 1 1 7頁。このような調整問題についての国家の法令による解 決は,既存の慣習が存在しない新たな調整問題状況が発生した場合に適してい ること,および慣習が存在している場合にも,国家による解決が法令として明 確に公示されるならば,人々の行動の指針としてより効率的に機能することが できること,がそれぞれ示される(長谷部・前掲注~lij)52 頁)。. (ál~. 長谷部・前掲注(4~Ù 1 1 7頁。「公共財」とは,. I 非競合性」及び「非排除性」を特. 徴としてもつ財のことである(以下公共財に関しては,都留重人編「岩波小事 典 経 済 学 J1 2 6頁(岩波書庖, 2 0 0 2年),伊藤光晴編『岩波現代経済学辞典』 2 5 1頁(岩波書庖, 2 0 0 4年)参照 ) 0I 非競合性」とは,同じ便益を複数の主体に 同時に供給され,その複数の主体が同時に消費することができるという意味を 持つ(一般的な財は競合性をもっ O 例えばパンであれば,一個のパンを Aとい う主体が食べれば Bという主体は食べることができないという意味で競合性を 0I 非排除性」とは,代金を支払った主体にだけ便益を供給し,支払わな もっ ) い主体には便益を供給しないという意味での排除性が働かない,という意味を 持つ。このような公共財の例として灯台が挙げられる O 灯台の光は,複数の船 に供給され,その複数の船がその光を受ける(非競合性)。そして代金を支払っ た船にだけ光を供給するということはできない(非排除性)。以上のような性ノ. -2 6 3(250).
(24) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・ 4号. 自己の最善の利益を目指して行動するよりも,国家の指示に従う方が全体 としてはよりよい利益を獲得することができる,とされる例。 以上に示されるような国家の権威の根拠から,国家が正当に私的領域に 介入しうる限度が内在的に定まる,として次の三つの場合が掲げられる冊。 第ーが,国家がすぐれた知識を有するという根拠に基づいた権威を要求 している場合についての限界である例。この場合には,法令の根拠となる 知識が主張されるような妥当な知識でない限り,それに従う必要はないと される側。 第二が,調整問題に関する場合についての限界である側。この場合には, 法令が調整問題の解決に失敗し,それと異なる解決が自生的慣習によって もたらされている状況においては,人々はその自生的慣習に従うべきであ り,国家に従うべき理由は存在しないとされる側。 第三が,公共財の供給の場合についての限界である側。国家が公共財の 適切な供給を行っておらず,かえって社会全体の利益の低下が予想される 状況においては,国家に従うべき理由は存在しないとされる側。. 、質を持つ公共財の供給を市場メカニズムを通じて実現することは困難であると され,その供給は国家などの公的機関によって行われることが多くなるとされ. 4 9 0 1 1 7頁。この点については,武隈慎一『ミクロ経済学 る(長谷部・前掲注( 3 2頁(新世社, 1 9 9 9年),伊藤元重『ミクロ経済学 補版 j 2 本評論杜,. 増. 第 2版 j 3 1 6頁(日. 2 0 0 3年)など参照)。. a ( 1 ) 長谷部・前掲注( 4 9 0 1 1 7頁 。 ~1~ 長谷部・前掲注( 4 9 0 1 1 8 1 1 9頁0 ( a 1 9 ) 長谷部・前掲注側 1 1 8頁 。 ~iO) 長谷部・前掲注側 1 1 8頁 。 4 9 0 1 1 9頁 側 長 谷 部 ・ 前 掲 注( ~i~ 長谷部・前掲注( 4 9 0 1 1 9頁 。 4 9 0 1 1 9頁 。 側) 長谷部・前掲注( 帥 ( 長谷部・前掲注 ( 4 9 0 1 1 9頁。この具体例として,マスメディアの報道の自由を 4 9 0 1 1 9頁)。 必要以上に制約している場合が挙げられている(長谷部・前掲注( 0. 2 6 4(2 4 9)一.
(25) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). (r) 個人の人権の限界一「切り札としての人権」と「公共財としての権利」. 続いて「個人の人権の限界」に関しては,憲法上の権利が「切り札とし ての人権」と「公共財としての権利」に分類されたうえで,それぞれにつ いて限界が示されている側。 「切り札としての人権」とは,社会全体の利益であるところの公共の福祉 という国家の権威要求をくつがえす個人の自律的な決定権としての人権で あるとされる夙このような「切り札としての人権」を基礎つ守ける理論の 前提として,通説の主張からは人権保障の根拠が社会全体の利益に還元さ れるという帰結の導かれることが示されるへそのうえで,多くの人に とって人生の意味は各自がそれぞれの人生を自ら構想し,選択し,それを 自ら生きることによってはじめて与えられるので,公共の福祉に還元され 切り えない部分を憲法による権利保障に見る必要がある,ということが, I 札としての人権」の認められる理由として述べられる夙このような「切 り札としての人権」の核心にあるのは,個人の人格の根源的な平等性であ るとされる側。この意味における個人の根源的な平等性は,憲法の定める 切り 民主的政治過程の根本にあるはずの原理であるとされる側。そして, I. 時 日 長谷部・前掲注仰0 1 2 0 1 2 3頁 。 。 制 長谷部・前掲注側 1 2 0頁。なお,この見解においては「個人が生来,国家の成 立前の自然状態においても享有していたはずの権利という人権本来の意義に即 していえば,個人の自律を根拠とする「切り札』としての権利のみを人権と呼. 2 2頁)。 ぶのがより適切である」という認識が示されている(長谷部・前掲法制 1 2 0頁 。 納 長 谷 部 ・ 前 掲 注 側1. 6 助 長 谷 部 ・ 前 掲 注( 4 9 0 1 2 0頁 。 4 9 0 1 2 1頁 。 側 長 谷 部 ・ 前 掲 注(. 師 。 長谷部・前掲注( 4 9 0 1 2 1頁。「あらゆる個人を自立的かっ理性的にその人生を選 択できる存在だとする前提があってこそ,理性的な討議と民主的決定を通じ て,社会全体の公益を発見しようとする考え方が生まれる(長谷部・前掲注 ( 4 9 0. 1 2 2頁 )J。 -2 6 5(248)一.
(26) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・ 4号 札としての人権」が侵害されているといいうるのは,. I 他人の権利や利益を. 侵害しているからという『結果』に着目した理由ではなく,自分の選択し た生き方や考え方が根本に誤っているからという理由に基づいて否定さ れ,干渉されるとき」であるとされる(則。 これに対して「公共財としての権利」とは,社会の利益を増大させる公 共財としての性格を有し,その性格を有するからこそ保障されている権利 であるとされる側。この例として,表現の自由,および営業の自由などの 経済活動の自由が示されている例。この「公共財としての権利」が,議会 や政府のその時々の決定によって保障されるのではなく,憲法によって保 障され司法権によって擁護される理由として,それが社会生活のより根底 にあり,社会に生きる人々の生き方や考え方の基礎をなすようなものであ ることがあげられている例。また,公共財としての権利がより厚く,ある. 長谷部・前掲注側 1 2 2頁。このような「切り札としての人権」は特定の理由に. ~~l). 基づいて政府が行動すること自体を禁止するものと考えられるので,あらゆる 問題について社会の大勢に順応して生きようとする人,あるいは現に社会の多数 派と同じ考えを持っている人にとってはさして価値のない権利であるとされ, 「…,少数者にとってのみ意味ある権利」とされる(長谷部・前掲注(4~D122頁)。. 長谷部・前掲注側 1 1 7頁。逆に言えば, I 公共財としての権利」は公共財とし. 側. ての性格の認められる限りで保障される権利であるといえよう O. 開 日 表現の白由が「公共財としての権利」となる理由について, I 表現の自由が広 範に認められ,社会にさまざまな情報が行き渡ることで,政治を理性的に判断 しうる市民が育成され,批判や論議が活発となって民主政治が活性化し,また 多様な人生観,価値観が提供されることで人々の聞に寛容の精神が育つことな ど,重要でしかも社会全体に及ぶ利益が実現される O つまり,自由な表現活動 の利益は,表現者自身だけでなく,社会全体に及ぶものであり,大部分の人は, それについて対価を払うことなく,その便益を享受していることになる(長谷 部・前掲注(4~D117-118 頁 )J ことがあげられている O なお,表現の自由は,この. ような公共財としての権利としての意味だけでなく,切り札としての人権とし ての性格も備えているとされる(長谷部・前掲注 (4~D206 頁)。. 伸 。. 長谷部・前掲注 (4~D 1 1 8頁。このような意味を持つ公共財としての権利は,警. 察・消防サービスの提供や道路・橋の建設など日常的な生活上の必要や利便にノ. 2 6 6(2 4 7)一.
(27) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三). いはより薄く保障される根拠は,それぞれの自由権の公共財としての価値 によるところが大きい, ともされる側。 ②検討 (α) 国家の法令に従わねばならない理由についての問題点. この説では,人々はなぜ国家の法令に従わねばならないのか, と言う意 味における国家の権威の根拠として,何らかの行動を行おうとすることに ついての独立の理由をもっ各人がそれぞれ独自にその理由に合致した行動 をとろうとするよりも,とりあえず権威の命令に従ったほうがその理由に より良く合致した行動をとることができる,ということが示されているヘ ここで問題となるのは,. I 国家の法令に従わねばならな Lリということが. 「国家の法令に従わないという選択を行うことは認められない」ことを意味 する,ということである O 他方,. I自らの利益になるから従うであろう」. ということは「従わないという選択を行うことは認められない」ことと同 義ではな l' 0 なぜなら「自らの利益になるから従うであろう」ということ によって「自らの利益になるけれども従わない」という選択を行うことは 否定されないからである例。そのため,. I 国法に従うことによって,人々が. 、こたえるべく時宜に応じて促進され提供されるべき公共財と異なり,それを憲 法上の価値と認め,その時々の議会多数派による安易な変更を許さず,政治過 程から独立した裁判所にその擁護をゆだねるという制度上の工夫が立憲主義諸. 8頁)。 国において通常とられているとされる(長谷部・前掲注細川 1 (á~~. 長谷部・前掲注(4~D118 頁。. (á~Ø. 長谷部・前掲注側 1 1 5頁。前述① (β) 参照。. (á~D. この長谷部恭男の見解は公共選択理論の強 L、影響を受けているとされる(松. 5 井茂記「プロセス的司法審査理論再論」佐藤還暦『現代立憲主義と司法権 J8 頁(青林書院, 1 9 9 8年))。公共選択理論においては,. I 人間は自己の利益を最大. 化することを目的として合理的に行動する」ことが前提とされている(小林良. 9 8 8年),デニス 彰 『 公 共 選 択 現 代 政 治 学 叢 書 9J 3頁(東京大学出版会, 1 C . ミュラー(加藤寛監訳) r 公共選択論 J 2頁(有斐閣, 1 9 9 3年),加藤寛編ノ -2 6 7(246).
(28) 近 畿 大 学 法 学 第5 3巻第 3・4号. 本来とるべき行動をよりよくとることができる」という理由では,国法に 従わないという選択を行うことの禁止を直接根拠づけることはできな L)~!的。. また,この点については,なぜ,日本国憲法が,このような権威論によっ て根拠づけられる三つの場合(国家が私人よりすぐれた専門的・技術的知 識を備えている場合,調整問題の場合,公共財の提供の場合)のみを国家 の役割として正当化していると考えるのか,という点についての根拠が示 されていないという批判がある側。 (β) 国家が私人よりすぐれた専門的・技術的知識を備えていることを根. 拠とする国家の権限についての問題点 前述 (α) に示した権威論によって国家の正当性が根拠づけられるとし. た場合,国家の正当性が認められる状況の一つ目として,国家が私人より すぐれた専門的・技術的知識を備えている場合が挙げられており,法令の 根拠となる知識が主張されるような妥当な知識でない限り,それに従う必 要はないとされる側。 しかし,その場合の「すぐれた」とは具体的にはどのような基準なので. 、『入門公共選択. 政治の経済学. 〈改訂版 ) J1 4頁〔加藤寛ニ丸尾直美執筆 J( 三. 嶺書房, 1 9 9 9年))。この前提に従えば,確かに Aという行動を行うことによっ て自己の利益をよりよくすることできる場合には,人間はその行動を結果とし て選択することになる。しかし,その場合でも, I 人間はその行動をとらなけれ ばならな L、」わけではな L、。その他の選択をとることが否定されるわけではな いが,前提とした人間の性質に基づけば当然に A という行動をとることにな る,という論理構成になると考えられる(公共選択理論においても,現実には 人聞がいつでも自分の利益だけを考えて行動しているわけではないという認識 が示されている(前掲小林 4 5頁))。 (~~i). なお,以上に述べたことは,国家を設立することに対する動機のーっとして 「権威論」を位置づけることを否定するものではな L 。 、. (~~~). 松井・前掲注G~~85 頁。. (鵬前述① (β) 参照。また前掲注G 7 I ) 参 照 。. 2 6 8(2 4 5)一.
(29) 現代立憲主義国家において国家法として民法を制定する意味(三) あるのかが明らかでな L、。いいかえれば,問題となる専門的・技術的知識 について何をどのように示せば「すぐれている」と評価されるのか,とい う基準を示すことが必要となろう O (γ) I 調整問題」を根拠とする国家の権限についての問題点 前述 (α) に示した権威論によって国家の正当性が根拠づけられるとし た場合,国家の正当性が認められる状況の二つ目として,国家が特にすぐ れた知識を有しているわけではないが,国家が一般人よりも問題を解決す るうえでより適切な立場にある場合が掲げられ,その典型例として「調整 問題」及び「公共財の供給」の二つが挙げられているへその理由づけの 公共財の提供」という類型が国家の役割となること 妥当性はともかく側, I については特に異論はな LJ130 しかし, I 調整問題」という類型については 疑問を挟む余地が存在する側。その疑問とは「調整問題の解決の失敗」と は何であるのかということである O 調整問題が, I~ どれでもよ ~'J がどれかに決まっていてくれなければ困 る事柄」であるならば,失敗はありえな L、。なぜなら,失敗があるとすれ どれでもよいわけではない」ことが要請されていることを前提とする ば , I 必要があるからである O すなわち,あらかじめ「どれか」であることが何 らかの形で要請されていた場合にはじめて「解決の失敗」が観念されうる O そのため,. もし調整問題という概念を用い続けるのであれば,次の二つの. うちのいずれかの対応を採ることが求められると考えられる O その第一 は,この調整問題の定義を維持したうえでこの定義にあてはまる問題につ. 。 制 前述① (β) 参照。 側 前 述 (α) 参照。 公共財としての権利」という概念には問題があると考えられる(後 側 ただし, r 述 (E) 参照)。 制調整問題に関しては,前述① (s) 参照。. 2 6 9(2 4 4)一.
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