高[ヘイ]の「擬岑參奉和早朝大明宮之作」詩について
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(2) 玉階仙伎擁千官. 金閑暁鐘開高戸. 花は剣楓を迎へて星初めて落ち. 玉階の仙伎千官を擁す. 金朗の暁鐘万戸を開き. (注川). 花迎創価星初落. 独り有り鳳風池上の客. 長奉尭尊高歳歎長-奉ず尭尊万歳の歓び. 柳排渡瀬轟末乾 猫有鳳風池上客. 陽春の一曲和すること曹難し. 王偶は検討官であった永楽年間初め(永楽元年-五年の間)のある初春元旦'. を見ておきたい。 ともに﹁永楽大典﹂の編纂官に与っていた同僚らの前で'暁の朝廷に参列した. 陽春一曲和皆難. する文学仲間でもある王偶の心境に応えようとLへともに励もうとの慰撫の気. とともにへその高楼の﹁奉和王検討僚元日早朝﹂詩が'岑参のこの詩に擬作し. を基調として作られているらしいことも'注目すべきこととして察しがつ-0. (高棲﹁唐詩品嚢﹄巻八十三所収). 柳は旋筋を払ひて露未だ乾かず. ときの感慨を詩に詠んだOその時の思いは、右掲の詩の結句にr猫悦此身無補 報、年年嵩歳祝尭楊﹂と言うように'出仕者として充分な働きの無いのを悦じ. 持ちを込めて'﹁共膚舜歴三陽泰へ長奉尭尊蔦歳歓﹂と唱和した。この時へ互. た前掲の'やはり高棟の﹁擬岑補間参奉和早朝大明官之作﹂詩. るものであった。それに対して高棟は'同僚であり'ともに盛唐詩復興を標模. いに激励しあう唱和詩の背景に'どのような思想感情が流れていたのかを考え. 明光漏蓋暁寒催. 長楽鐘疎りて鳳台に度る. 明光漏尽きて暁寒催し. ようとする際へ実はへ高榛のこの唱和詩は首聯で﹁厳城初啓漏聾残へ聞開平分 長楽疎鐘度風量. 月は禁城に隠れて双間退かに. あらかじめの準備のもとに詠まれた可能性がまず出て-る。そしてその句造り. 月隈禁城隙間過. 聞圃平らかに分かたれて曙色来たる. 雲は仙侯を迎へて九重開旋旗半ば掩ひて天河落ち. 朝罷は-て鳳声花外に転じ. 雲迎仙倣九重開 放旗半掩天河落 朝罷職聾花外時. 回-て看れば佳気蓬莱に満つ. と極めて類似していることが注視される。いわばへ二で挙げた高棟の﹁奉和王. 回着任気満蓬莱. 闇閏平分曙色来. 曙色聞﹂と詠い出している点に着目すると、その時の感慨による即興でなく (﹁簡閲平分曙色閲﹂の旬の成立由来)を考えることが'ひいては高棟,e文学 活動とこの唱和詩の背景にある思想感情(五で詳述)の理解にもつながると思 われる。 ≡. さて'高棲らの﹁元日早朝﹂詩は﹁早朝﹂唱和詩の範噂に入るが'﹁早朝﹂ (早に朝す)題の唱和詩と聞けば'高梗ら以前にしばしば論議を呼んだ、あの 名高い唐代の貫至の﹁早朝大明宮呈両省僚友﹂詩および杜甫らによるその唱和 詩が'前例として想起される。暁の朝廷に参列した時の感慨を'まず貫至が詠. 二に挙げた高棟の王偶への唱和詩もうまず第1にこの貫至らの唱和詩を阪中. り高い評価を得たと思われる。やや後へ二百年後に擬古主義を展開した王世貞. 類似点としては'例えば第一に﹁聞蘭平分曙色来﹂の句と﹁闇間平分曙色閲﹂ の句の酷似が指摘できる.この﹁闇閏平分曙色来﹂の句は'当時においてかな. 検討帰元日早朝﹂詩とこの﹁擬岑補間参奉和早朝大明宮之作﹂詩は'兄弟関係 にあるのではないかと思えるのである。. において作られている。この頁至らの思想感情がそのまま商標らのそれに繋が. んで同僚に呈し、ともに参列した同僚の杜甫'王経へ岑参らがそれに唱和した (注;) もので'明代の詩人ならば誰しもその存在を周知していたはずである0. るのではないがへ同じ﹁早朝﹂題の唱和詩として当然眼目中に在ったであろう. (l五二六Il五九〇)も'﹁七音律至何・李姶暢'然其時亦有〓一任者。 --高検r渡旗半掩天河藩へ謝叫平分暗色束j--'此等語入弘・正閏不復可 排へ馨之貞元・長慶へ亦無悦色。﹂(七音律は何・李に至って始めて暢ぶ'然れ. 鶏鳴紫階曙光寒. 之作﹂詩. ことは'両者の詩の便用語嚢や構成面などからも容易に察しがつ-。そしてそ の際へさらに頁至ら四人の中で'ほかでもない岑参の﹁和貫至舎人早朝大明宮. ども裏時に亦た1二の佳き者有り。--高榛の﹁旋旗半掩天河落'由的平分曙 色来﹂-- '此等の語は弘・正の間に入るも復た桝ずべからず'之れを貞元・ 長慶に参ふるも'亦た悦づる色無し。﹃蛮苑危言﹄巻五)と言いへこの句を七 言律詩では明代の弘治・正徳年間の何景明・李夢陽にも'韓愈・白居易ら中唐. (注1). 鶏紫階に鳴きて曙光寒鴬皇州に噛りて春色関はなり 鷺噸皇州春色関.
(3) に岑参の唱和詩から手に入れている。語柔で共通する'﹁旋旗﹂と﹁圃開﹂は. の復古調の詩にも遜色無い佳句であるとして評価する。高棟はこの句を明らか. の﹁悲壮﹂へ韋鷹物の﹁雅潅﹂へ劉長卿の﹁閑糠﹂等はう﹃品嚢﹄においてはT. は﹃品嚢﹄の随所に同様のかたちで顔を出し'儲光義の﹁真率﹂へ高遠・岑参. ・・・-韋蘇州之雅櫓へ劉隠州之閑喋へ--﹂と評している。そしてこれらの評語. (注15). 貫した一律の評価となっている。これは高棟lが唐代の詩人の﹁体﹂を明代の各. 詩人も備えるべきであることを明確に主張した結果であるが'その中で'岑参. (注14). 二句全体の造句の発想は岑参の﹁族筋﹂へ﹁星初落﹂ぉよび﹁曙光﹂へ﹁春色開﹂. 直接的には杜甫と王経の唱和詩に見えへ﹁春色﹂は實至の原唱にも見えるが' に基づいていることは疑いない(﹁平分﹂は﹃楚辞﹄九拝に﹁皇天平分四時今へ. が常に﹁悲壮﹂と評価されていることは注目しなければならない。﹁悲壮﹂は. この岑参を対象とした擬作詩の存在は'単に﹁早朝﹂題の唱和詩の〓削例と. がって高検は'﹁早朝大明宮﹂詩を岑参を中核に据えた﹁悲壮﹂の﹁体﹂の理. でもない岑参の唱和詩の後にこの批語が付されているのもうなずける。した. 元来へ﹃品嚢﹄においては岑参を評する評語である。そうであってこそへほか. X3E3. 窺猪悲此凄秋﹂と見える)0. にも'一役かって-れると考えられる。. 日媛龍蛇動へ宮殿風微燕雀高﹂へ王維云﹁九天開聞開宮殿へ寓國衣冠拝見旗﹂へ. 唐人侶和之詩、多是感激'各榛其妙。如﹁早朝大明宮﹂へ杜甫云﹁隆旗. れる。. は'﹁早朝﹂唱和詩に於ける岑参﹁悲壮﹂の﹁体﹂が体現されていると考えら. ﹁擬岑補間参奉和早朝大明宮之作﹂詩および﹁奉和王検討偶元日早朝﹂詩に. 四. には'﹁悲壮﹂が欠かせなかったのではないかということも分かって-る。. 奉和早朝大明官之作﹂詩および﹁奉和王検討像元日早朝﹂詩の思想感情の表出. 想型として捕捉していたことが'ここに明らかになる。併せて'﹁擬岑補閑参. して意識しているという以上に'二に挙げた南棟らの唱和詩の思想感情の解明. では'﹁奉和王検討絹元日早朝﹂詩にしても'﹁擬岑補閥参奉和早朝大明宮之 の唱和詩に依拠するのであろうか。ここでへ﹃唐詩品嚢﹄巻十二の岑参の﹁輿. 作﹂詩にしても'﹁早朝﹂題の唱和詩に於いてへ高棟はなぜほかでもない岑参 (注13﹀. 岑参云﹁花迎剣侃星初落、柳梯旋旗露未乾﹂。﹁登慈恩寺塔﹂詩へ杜甫云﹁高. 高遠薗襟同登慈恩寺浮園﹂詩の後に付された批語. 標跨蒼等'烈風無時休。傭視同〓凧へ若能耕皇州﹂へ高適云﹁秋風昨夜至へ 秦塞多清暁。千里何荘荘'五陵彰相望﹂へ岑参云﹁秋色従西乗へ蒼然満開中へ. ﹁旋旗日倭龍蛇動へ宮殿風微燕雀高。﹂(杜甫) ﹁九禾闇BE開宮殿へ甫國衣冠拝見旗。﹂(王維) ﹁花迎剣催星初落'柳沸旋旗露末乾o﹂(岑参). 旗露未乾㌔--此類甚多。是皆雄津悲壮へ足以凌跨百代。﹂と見えていた点に' 注目してみる。ここには杜甫、王経、岑参の各﹁早朝大明宮﹂詩の詩句. 各療其妙。如r早朝大明宮㌔杜甫云﹃旋旗日媛龍蛇動へ宮殿風微燕雀高﹄へ王 維云﹃九天廟阿開宮殿へ高國衣冠拝見旗﹄へ岑参云F花迎剣侃星初藩へ柳排旋. 1 まず第一点についてはへ前掲の唱和詩の批語に﹁唐人侶和之詩へ多是感激へ. 詩が(あらかじめ)構想されていることの意味はいかなる点にあるのかtであ る。後者の解明は'本稿の主たる眼目でもある。. (注17). ここで、次の二点について考えたい。第一点は'﹁早朝﹂詩の思想感情の表 出に'なぜほかでもない岑参﹁悲壮﹂の﹁体﹂が必要なのか。第二点は'﹁奉 和王検討偶元日早朝﹂詩は'実は﹁擬岑補間参奉和早朝大明宮之作﹂の構想に 基づいて作られていると考えられるがtでは'﹁擬岑補閑参奉和早朝大明宮之作﹂. 五陵北原上へ高古青濠濠﹂へ此類甚多。是皆雄揮悲壮へ足以凌跨百代0(磨 人侶和の詩は'多-は是れ感激しへ各おの其の妙を壊す。﹁早朝大明宮﹂ のごときへ杜甫云ふ--と。此の類甚だ多し。是れ皆に雄揮悲壮にして' 以って百代に凌跨するに足る。巻の十二). 高棟がほかでもない岑参の唱和詩を基調にするのは、王偶に対する﹁早朝﹂. に注目したい。 題での唱和に当たりへその思想感情を効果的に表出するためにへ岑参独特の風 格を欲っせざるをえなかったからではないか。では'それはどのような風格か といえば'右掲の批語中に'杜甫らの詩句をも併せて捉えた﹁雄揮悲壮﹂とい う評語が見えていた。この語は杜甫ら三者を対象としながらへ実はその中の岑 参をこそ中核に据えて評している。 高棟は﹃唐詩品嚢﹄給叙で'例えば一に列挙した﹁擬唐詩﹂の原詩の作者五 人の風格についてへそれぞれ﹁--儲光義之真率へ--高遠・岑参之悲壮へ. 高塀の﹁擬岑参奉和早朝大明宮之作﹂詩について. 3.
(4) 解できる。. の﹁旋旗半掩天河落'卸的平分曙色来。﹂の二句が名句である所以も自ずと理. ﹁擬岑補開審奉和早朝大明宮之作﹂詩は'その便用語嚢を見ると'岑参だけ. が'﹁雄揮悲壮﹂の例として挙げられている。これらの詩句が﹁雄津悲壮Lの のか'﹁悲﹂の要素が見あたらないのではないのかへそもそも﹁悲壮﹂とはど. 感をもたらすという場合へここに描かれた旗や宮門がなぜ﹁悲壮﹂感を与える. でなく杜甫や王経へさらには原唱の貫至の使用した語句を集めて編集されてい. 見でないことを知ってお-必要がある。宋の巌羽は'﹃槍浪詩話﹄詩評で﹁高・. 詩の総集編である。しかし'岑参との関係を観ると'擬作詩は﹁鐘﹂﹁閑﹂﹁仙. 杜甫'﹁暁﹂﹁闇柵﹂﹁朝罷﹂﹁楓聾﹂は王経の語句と共通する。いわば﹁早朝﹂. る。例えば﹁暁し﹁禁城﹂は貫至、﹁漏﹂﹁暁﹂﹁催﹂﹁九重﹂﹁旋旗﹂. ﹁朝罷﹂は. 岑之詩悲壮へ讃之使人感慨﹂(高・岑の詩は悲壮へ之れを読めば人をして感慨. 伎﹂﹁施旗﹂﹁落﹂﹁曙﹂﹁花﹂などの語句をも共有しようとしへとりわけ儀伎隊. ﹁悲壮﹂とはどのような感慨なのかは'まず岑参﹁悲壮﹂の指摘が高検の創. のような感慨なのかがへここで疑問点として上がってくる。. せしむ)と言っている。高棟の指摘もへこの巌羽の指摘に基づ-のであろうこ. 図が窺がえる。ここには一篇の構成面をも含めへ岑参の﹁体﹂に依拠Ltそこ. のみに特徴的な人事と天体・自然の動きとを細部に亘って捕捉しょうとする意. ﹁早に朝する﹂さまを形式的に措こうとする語句使用の城を出へ岑参の唱和詩. を表現した﹁仙伎﹂と宮廷花を指す﹁花﹂および天体の運行を表す﹁落﹂は'. 歌へ酎暢猛起者是也。﹂(何をか悲壮と謂ふ。筋拍鏡歌へ酎暢として猛起する者. から一篇の﹁体﹂をまとめあげようとする高検の意識が反映されている。その. つに﹁悲壮﹂を挙げるがへその﹁悲壮﹂に陶明淳が注して﹁何謂悲壮。節拍鏡. とは'疑いない。その際へ厳羽は同じ-﹃槍浪詩話﹄諸姉で詩の﹁九品﹂の一. 是れなり)と言うのに拠れば'﹁悲壮﹂とは'必ずしもひどい悲しみを意味し. 中で﹁旋旗半掩天河落'聞聞平分曙色来O﹂の二句の造句は'﹁闇珊﹂﹁平分﹂. する程度の激しさを強調する譜であると考えられる。陶明椿の語を借りるなら. 莱宮の大門が左右に開かれ'それは平らかに整然とした様相を呈Lへそこに朝. ているものであるが'王経の二句にも倣いつつへその組み合わせによってへ蓬. ﹁曙色﹂という語のみを取り上げれば'それはいずれも唐代以前から使用され. (注18). ない。のんびりしていたところに忽かに笛太鼓の音が猛烈に起こるような状態. ばへ﹁悲壮﹂とは﹁鮒暢猛起﹂するような猛烈な感慨を言う。﹁悲壮﹂をそのよ. ︿注I9). を言ったのではないか。つまり﹁悲﹂は'悲しさというよりも'猛烈さ'昂揚. うに捕捉してこそ、厳羽が﹁高岑之詩悲壮へ謹之使人感慨﹂と言い'高棟が﹁雄. 河が沈み曙光が一面を照らし出すという天体の躍動感を岑参の二句から入手し. 日の光が射し込んで一面に敷き渡る光景が'天体の運行に合わせる形で'雄壮. したがってこの二句は、高棟自信へ浮身の力を込めへ自らも気にいった表現と. に捕捉されている。旗が空を覆い宮門が大きく開くという人事の変動と'天の. 暢猛起﹂する故に、﹁悲壮﹂と言えるのではないか。 では'杜甫'王経へ岑参らの中で'とりわけ﹁花迎創価星初落'柳梯旋旗露. して手に入れたことは疑いない。それはそのままへ高楼の思想感情の表出に必. る。前掲の杜甫らの旗や宮門を描いた詩句は'それら景物が夜明けと同時に﹁酎. 未乾。﹂の二句に代表されるような岑参の﹁悲壮﹂の﹁体﹂を南棟が最も必要. 要不可欠なものとして生かされることになる。すなわちへ天体の大きな動き同. 揮悲壮﹂の岑参ら唐人唱和の詩を﹁多是感激、各凍其妙﹂と言うのも首肯でき. としたのはなぜか。この二句がとりわけ激しい感慨をもたらしへその妙を致し'. 様の人事の動きに心動かしているものと考えられて-るのである。. の二句を導-ものである。したがってへついでながら言えばへこの擬作詩にも. 奉和早朝大明宮之作﹂詩の名句と言われる﹁旋旗半掩天河落'闇閲平分曙色来。﹂. た桃や柳が明代にはなかったのであろうことは措いて'﹁酎暢猛起﹂する天体. ら外してまでこのような句造りをしたのかと言えば'唐代の朝廷に植わってい. なお、高棟がなぜ原詩の繊細な表現である﹁花・柳﹂を擬作眉のこの二句か. つつ'﹁酎暢猛起﹂の感を呼び起こすように造句されていると思えるのである。. ような点にそれを求めたのか。またへ岑参のこの二句は'高株の﹁擬岑補間参. 百代に凌跨するに充分であるからであるのは疑いないが'一体この二句のどの. 同様の﹁悲壮﹂感を体させていることになり'併せて考察を要する。. 表出するには'繊細さはさほど重要ではなかったものと推測する。. 運行に合わせて躍動的に動-人事に﹁悲壮﹂を感じとり'﹁感激﹂を覚えたの. さを伴って'とりわけ躍動的に描かれているoしたがって高棟は'この天体の. 運行と自然界の動きに合わせて人事が大き-変動する様が'﹁花・柳﹂の繊細. 擬作詩と同じく一連の構想の中で作られたはずの唱和詩である﹁奉和王検討侶. を入手したことが'高棟の文学の1端を形づ-ってもいる。したがってへこの. ﹁早朝﹂唱和詩に於ける岑参﹁悲壮﹂の﹁体﹂のなせる技である。そしてそれ. ﹁酎暢猛起﹂する天体の運行と'それに伴う躍動的な人事の動きの捕捉こそへ. の運行や宮門の動きと'そこに託された人事の動きを﹁悲壮﹂感をともなって. 一はfi-'. 岑参の唱和詩の﹁花迎創価星初落'柳梯旋旗露未乾。﹂の二句は、﹁酎暢猛起﹂ の観点から杜甫や王経の詩句と比較して見るとへこの二者とは異な-'天体の. ではないか。そのように考えるならばへ﹁擬岑補間参奉和早朝大明宮之作﹂詩. 4.
(5) ように'詩の﹁作者﹂たる者へ性情を吟詠するの士たる者は'詩を﹁観る者﹂. 以上に'(唐代の)諸詩人の風格を詳細に解析し'詩人とその時代および表現. りさせて正源を知るべきで'そのような把趣ができる者であってはじめて唐詩. 内容の善し悪しを知りへその出発点から到達度までを知りへ変遷過程をはっき. 2. 元日早朝﹂詩にも'同様のことは言えよう。 次にへ本稿の主たる眼目でもある﹁擬岑補間参奉和早朝大明宮之作﹂詩の存. したがって詩の﹁作者﹂たる者は'各詩人の姓名を隠してその詩を示されて. 張する。. が目指した﹁優瀞敦厚の教へ﹂をいささかなりとも補完することができると主. 在意味に関する第二点についてへ結論から言えば'﹁擬唐詩﹂はそもそも﹃品嚢﹄ 編纂の意図と軌を一にするであろうことを述べたい。すでに指摘したように' ﹁擬唐詩﹂の原詩はすべて﹃品嚢﹄に登載されている。このことから先ずへ ﹁擬岑補閉参奉和早朝大明宮之作﹂詩も﹃品嚢﹄と関連づけて考えてよいと思. も、たとえば﹁真率﹂であれば儲光儀へ﹁悲壮﹂であれば高適・岑参へ﹁雅櫓﹂. 待其門而療其壷奥臭。今試以敷十百篇之詩へ障其姓名へ以示筆者へ須要識得何. 規定は'高検が﹁観者へ萄非窮精へ聞微へ超神へ入化へ玲瀧透徹之悟へ則莫能. な詩人の詩の風格を'終始一貫した評語で規定した。各詩人に対するこの文体. を﹁聾律・興象・文詞・理致﹂の品格のちがいから分類し'各年間ごとに著名. 休債はれ-)と言いtr品嚢﹄において'唐代三百年間に整備された詩の﹁体﹂. 高棟はr品嚢﹄総叙で﹁有唐三百年詩へ衆佳備臭﹂(有唐三百年の詩は'衆. お-という役割を持っていたと思われる擬作詩の存在は'さらにどのような意 味を担っているのだろうか。﹃品嚢﹄との関連に於いてへ以下に考察を加えたい。. きる体制が整っていたことにもなる。では'或る﹁体﹂をあらかじめ構想して. の﹁体﹂捕捉の構想が介在している。それは'あらかじめ高棟に即座に唱和で. に'あらかじめ﹁擬岑補閑参奉和早朝大明宮之作﹂詩に見られる岑参﹁悲壮﹂. 捕捉が可能であることを最も端的に示すには'対象の﹁体﹂を擬作者なりの理. の教へ﹂補完に至るl手段であろう)ことを意味するOそしてへ実際﹁体﹂の. わち詩人であることの証明となる(﹁悲壮﹂などの﹁体﹂の獲得は'﹁優荘敦厚. その奥義を理解でき、﹁優源敦厚の教へ﹂を補いうる力を備えた﹁作者﹂すな. わち擬作詩の制作が可能であるとはへ自らが原作者・原詩の﹁体﹂を捕捉できへ. 以上の'﹃品嚢﹄に見られる主張はそのまま﹁擬唐詩﹂に適用できる。すな. 能な﹁作者﹂としての高根自身の自負を披露すると同時にへその彼に続いて唐 詩の奥義を極めようとする者のために編纂されたものと考えられる。. きなければ)へその原詩の、延いては詩の奥義まで理解できた﹁作者﹂になれ ないというのである。F品嚢﹄は'そのような最終目標に到達できることが可. に凍る﹂ことになる。すなわちへ原作者の﹁体﹂を捕捉できなければ(模倣で. れができてはじめてへ作詩の最終目標である﹁玲瀧透徹の悟りは--其の壷奥. 誰の詩であiかを識ることができなければならないという主張も生まれるOそ. であれば韋蘇州へ﹁閑昧﹂であれば劉随州というように'それがいつの時代の. 鵠儲'-・・・篇高・琴へ烏劉・韋-・・・之製へ耕壷諸家へ剖析重苦へ方是作者。﹂. 解に基づ-擬作者なりの手法で写し取って(描き直して)見せる'すなわち模. 高棟の﹁奉和王検討儒元日早朝﹂詩の制作には'以上であらまし述べたよう. われる。. (観る者へ苛も精を窮めへ微を聞らかにLt神を超えへ化に入るに非ざれば'. 終'審其襲而蹄於正へ別儀瀞敦厚之教へ未必無小補云。﹂(ああへ唐詩の偽は' 伝はらざること久し。唐詩の道は'或は時に以って明らかにLへ誠使し性情を. か儲と為し'--高・岑と為し'劉・韋--の製と為すかを識り得るを要むべ はじ きに'諸家を弁じ尽-Lへ重苦を剖析して'方めて是れ作者な-o)と言い' ﹁鳴呼へ唐詩之偏へ葡俸久臭。唐詩之道へ或時以明、誠使吟味性情之士、観詩 以求其人へ囚人以知其時へ因時以弁其文章之高下へ詞気之盛衰へ本乎始以遠其. なる。岑参﹁悲壮﹂の﹁体﹂の確保に加えへ真の﹁作る者﹂の証しとして'そ. 補閑参奉和早朝大明宮之作﹂詩の制作は'具体的にそれを反映していることに. 立したことの証を'﹁擬唐詩﹂という形で実践して見せたのではないか。﹁擬岑. でなくへ岑参の詩の﹁体﹂が判別できる(詩の淵源などの全てを理解できる). 高棟はF品嚢﹄を編纂した際へ唐詩の﹁体﹂を究めへ自分自身が﹁隠其姓名へ. (注21). 玲瀧透徹の悟りは'則ち能-其の門を得るも其の壷奥に凍る莫きなり。今試み. 倣して見せるのが'最短の方法であろう。. 吟味するの士をして'詩を観て以って其の人を求め、人に因-て以って其の時. して来るべき時の﹁敦厚温柔の教へ﹂体現の作詩指南として'﹁擬唐詩﹂はあ. あき. に数十百篇の詩を以ってへ其の姓名を隠しへ以って学ぶ者に示しへ須ら-何を. を知りへ時に因りて以って其の文章の高下へ詞気の盛衰を弁じへ始めに本づい. らかじめ準備されていたと考えられるのである。. ﹁作る者﹂を目覚しへ文体(ここで言えば﹁早朝﹂詩のスタイル)の捕捉が確. 者﹂)であるとの自負をもっていたはずである。したがってへ単に﹁観る者﹂. 以示筆者へ須要識得何者璃-・・・高・岑﹂という試練に耐え得る﹁作者﹂(﹁作る. て以って其の終はりに達しへ其の変を審らかにして而して正に帰せしめば'則. 蝣a. ち優港敦厚の教へは'未だ必ずしも小補する無-んばあらずと云ふ。)と言う. 南棟の﹁擬岑参奉和早朝大明宮之作﹂詩について.
(6) 五. ここでへ二に引き合いに出した﹁奉和王検討嘩π日早朝﹂詩に今一度たち返. 行われた学者集めの事業である。王博の父は元の遺民で'明になって洪武帝に. ている。王備自身も'永楽帝が建文帝の帝位を纂奪したことに関Lへ﹁燕賊﹂. 招噂された際へ﹁二姓の臣と鳥るを恥ぢ'遂に自ら引決す﹂という最期を遂げ. (方孝標の語)に仕えることに逮巡が無かったとは言えない。﹁自述諌﹂で願. 唱和詩は擬作詩ではないので'高嶺のこの﹁奉和王検討偶元日早朝﹂詩は'. た﹁猫悦此身無補報へ年年商歳祝尭腸﹂の思想感情の背景を垣間みる思いがす る。. 纂の杜撰さを指摘しているあた-に'王情の﹁元日早朝﹂詩の結句に述べられ. いが聞き入れられずに翰林検討になったと言っている点へおよび﹁大典﹂の編. 例えば岑参の﹁早朝大明宮﹂詩などを直接模倣することな-作成されている。. ところがへ高棟の唱和詩の方にはそのような感懐があま-感じられない。た. -へその思想感情に些か迫ってみたい。. ジャンルから言えば'王偶の原唱のみを踏まえつつ'元日の﹁早に朝する﹂と. とえばへ第三旬日の﹁l薬仙柵冥迎淑気﹂の﹁淑気﹂は擬作詩の﹁佳気﹂と同じ. 発想に立ち(﹁迎﹂は'岑参の﹁花迎﹂へ擬作詩の﹁雲迎﹂の擬人法的﹁迎﹂を. てへ擬作詩に有るような﹁古意﹂は無い)。早春の朝の寒さを却け'天体では﹁日. 承けていよう)へ朝廷の好しい雰囲気を賛美しへ深い懲悦の念を懐-王価を慰. きに目にした雄壮なる情景を'自らの創意に基づ-感懐として詠む(したがっ. んでいる。その表現は岑参の唱和詩や擬作詩を眼中に置きながらもへもはや独. 月﹂ 、花では﹁仙農﹂へ鳥類では官僚を象った﹁鴛鷲﹂を配し'結句で人事を詠. 撫すべ-用いられているoすなわち'﹁開聞平分曙色聞﹂の句も'﹁l菓仙真過. 六. 自に獲得したとっておきの表現を使用したものであると考える。. 淑気﹂の句も'ともに永楽帝王朝賛美のためにへ﹁作る者﹂の自負を込めへ独. 自性の強いへ創見に基づ-作であるといってよい。 ところがへそれにもかかわらずへ擬作詩の﹁簡閲平分曙色来﹂の句末の﹁来﹂ が岑参の詩句の﹁春色関﹂(と同韻)を踏まえて﹁関﹂に変換されただけの' ﹁闇関平分曙色関﹂の句があることは注目に値する。すなわちへ高棟の構想で. 花は千官を擁して刻漏伝はり. 以下付論として'もう1首へ王僻の﹁早朝周貞外玄斌時有紀事﹂詩 花擁千官刻漏俸. ておいた句であるからであろう。そしてそのようにあらかじめ確保しておいた. はへこ.の句を甚だ気に入って再利用していることになる。それは﹁早に朝する﹂ 際の高顔の感慨を'最も的確に表現しうるものとして独自に錬り上げへ獲得し 句によって表現された感慨とは何かといえば'やはり﹁永楽大典﹂編纂に与っ て今まさに朝廷に立つ両者の'人事の大きな変動を﹁悲壮﹂  ̄の感を伴って感じ. 楽動きて南薫帝笹に捧げらる. 星移りて北斗裏梅に当たり. 禦動南薫捧帝廷. 遅日漸-仙掌の露を時かし たおや 軽風猶ほ御櫨の個に鼻かなり. 蓬莱遥かに五雲の辺に在り. 唱和相手の王修は'﹁自述諌﹂で﹁永禦初元へ以推穀者至兄師へ待命黄閥へ. 遅巳漸時仙掌露. 明朝海上に金馬を崩れば. 蓬莱遥在五雲連. 因自陣顧慮筆校働人材へ不允授従事へ帥史官翰林検討進講経延へ以文字供職。. 軽風満身御旗個. 紫鳳丹書九天より下らん. 星移北斗首最梅. 時銭塘王洪檀詞垣へ輿同官へl見過へ相推量へ勅修大典へ拳内外儒臣へ及四方. 明朝海上嗣金馬. とったものであるに違いない。. 韋布士へ母慮数千人濫竿線裁之列﹂(永楽の初元へ推穀者の京師に至るを以ってへ. 紫鳳丹書下九天. 革めへ四方の韋布の士に及びへ数千人の濫竿の総裁の列たるを慮る母Lr虚. しておりへいわば岑参の﹁早朝﹂詩の系統に入るものである。ここでなぜ前掲. 中十才子﹂の一人である。この詩は明らかに﹁花﹂の動きと﹁星﹂の運行を配. を見ておきたい。詩題に見られる周玄も'林鴻を主宰とする詩社に集まった﹁間. かわ. 命を貴簡に待ち'自ら陳ぶるに因りて学校に処りて人材を励まさんことを願ふ. 舟集﹄巻五)と言っている.﹁永楽大典﹂の篇纂は'洪武帝(朱元嘩)亡きあとへ. (﹃王検討集㌔¶虚舟集﹂). も'従事するを授かるを允されず'史官翰林検討に即いて講を経延に進めへ文 字を以つで職に供す。時に銭靖の王洪詞垣を檀ままにLt与に官を同じ-Lt. 後継の建文帝の削藩政策に抵抗して燕王(後の永楽帝)が帝位を纂奪後、方孝. の王儒自身の﹁元日早朝﹂詩になかった要素がこの詩では顕著になっているか. らん、つ. 一たび見て過りて、相ひ推重す、勅あって﹁大典﹂を修むるに'内外の儒臣を. 嬬ら学者の協力が得られずへその打開策として北京への遷都とともに並行して.
(7) の取り組みの影響を受けた(伝播した)結果ではないのかとの考え方も'可能 にはならないだろうか。. を考えたときへ模倣と言えないまでも'また前後関係も明らかでないがへ高棟. ﹃品嚢﹄と表裏一体の相補関係を保ちつつへ高棟の文学的主張のより実践的な. 践してみせへ自己の思想感情を表出した独自の作にもなっているO﹁擬唐詩﹂は'. はうそれを作ることが可能な詩人すなわち﹁作者﹂の自覚をもった高楼が'. ﹁作者﹂としての必須条件である詩の﹁体﹂の把握を'自らの威信をかけて実. 創見といってもそれは全て模倣から生まれると同時にへ模倣は伝播して次な. このような擬作詩の意義が理解できていないと、それは﹃品嚢﹄と同様にス. 縮図ともなっていると言えそうである。このような擬作の理解が、王稀や﹁間. テレオタイプの横行を招-と言われ'創意の欠如した文学を出現させる契機に. る模倣を生み、時に或る風潮を形づ-る。王偶のこの﹁早朝時有祭能事﹂詩は'. 繰り返され'創見と言い得るものを生み出せな-なると、ステレオタイプの横. 中十才子﹂だけでな-詩壇全体に行き亘ることを'高棟は願っていたとも思わ. 行を招-ようになる。もはや言うまでもな-'模倣はそういった危険性をl方. なってしまう。﹁擬唐詩﹂の存在意義はその分岐点も明瞭にしている0. そのような風潮下に生まれた模倣文学の良き1例と考えたいがへもしもそれ以. に学んでいる。以上の高棟の模倣文学活動も'﹁聞中十才子﹂らの中に伝播Lへ やがて﹁詩は必ず盛唐﹂を標模する前後七子の明代模倣主義を拓-契機となる。. 出する形で'創見では表現できない自らの思想感情を表出する詩であると考え. れるところである。. それがマンネリズムの流行という形で、文学史の中に位置づけられるならばへ. 思われがちだが'それは至難の業で'実際は相手を自分に取り込むことしかで. 降へその風潮が蔓延し、一種の停滞現象を起こし'詩壇の内部で同質の模倣が. ﹁明代模倣主義﹂はまさし-批判の対象にしかならない。模倣文学は、他者を 自分の筆法で写し取ることによって自己表現を完遂させるlつの表現方法で. きない。逆にそうであるからこそ'そこから創意も生まれる。同じ対象に擬作. しても'擬作者ごとに出来映えが異なることが'それを物語る。高榛の﹁擬岑. られるO模倣と言えばl見自分が相手に成り替わろうとする剰窺行為のように. 擬作詩とは、擬作する者が自らと原作(者)との間の何らかの関係を詩に表. あってこそ'生きる。それが'他者を写し取ることのみに目的が向いたときへ. 参奉和早朝大明宮之作﹂詩も'岑参ら唐代の詩人と高棟も含めた王傍ら﹁閥中. 高根にとっては﹃品嚢﹄に登載された各名篇と同等で'自分自身にとっての手. る。しかしそれは'決して唐詩を学ぶための習作や臨帖(練習)を意味しない。. (注22). 悪しきマンネリズムの横行が始まる。この﹁早朝時有祭武事﹂詩はそこに道を 着けた一例であるとも考えられるのである。 ﹃品嚢﹄の編纂は'結果的に﹁明代模倣主義﹂をもたらしたという。﹁擬唐詩﹂. 十才子﹂との間に介在Lへ文学理念の伝播を一直線に仲介する働きを担ってい. は﹃品嚢﹄と軌をTにするならば、そのT翼を担っているかも知れないoLか. 身のものとしておぐことで'やがては自分自身を模倣するだけで他人に依らず. の﹁早朝﹂詩を中核に杜甫らのものをも包括Lへ最高峰に仕立て上げへ自分自. に独自の文学を前面に出すことができるへそのための実践指南として築き上げ. 本(いわば指南書へもし-は法帖)として練-上げられ確保されている。岑参. 想感情の盛り込める自己表現の方法を獲得することへそして唐詩の﹁体﹂の力. られている。﹁擬唐詩﹂はいわば一人歩きの出来る二つの立派な作品でもある。. し﹁擬唐詩﹂は'唐代の詩とそっ-り同じような詩を作るというようなステレ. を得てその時代の詩壇の資質が高まることを目指した。一方へ﹃品嚢﹄の編集. オタイプを蔓延させることが目的でな-'各詩人が擬作によってそれぞれの思. 意図は'唐詩の﹁体﹂を分類し'詩人ごとにその﹁体﹂を判然とさせることに. そこにこそ、創意を欠如させない要素が備わっていると言えるのではないだろ ras. 1林鴻を主宰とする詩社での集まり。 2r唐詩品乗J九十巻tF拾遺﹄十巻、7三九三年の序がある. 3高榛(二二五〇-1四二三)字は彦恢'出仕後は廷種と名のりへ官は翰林待詔 を歴ている。 4﹁四庫全書﹂所収﹁間中十子詩﹂巻十。. 人 柱 ). 当面の目的があった。しかし、各詩人の﹁体﹂の特徴を解説し'その後に当該 作品を例示するかたちで﹃品嚢﹄はそれを理論化してはいるもののへアンソロ ジーだけではモデルがより具体的な顕示性を欠き'﹁観る者﹂は刺繍行為に陥 りやすい。そこに﹁擬唐詩﹂の存在意味がある。それは'高棟の﹁擬岑参奉和 早朝大明宮之作﹂詩が﹁早朝﹂題の唱和詩に於ける岑参﹁悲壮﹂の﹁体﹂を高 検自身の描き方で詠み直すことによりへ﹁早朝﹂唱和詩の﹁体﹂をより自らの 理念に近づけて練り上げ、創作では出来なかった自らの思想感情を表現できる ﹁体﹂の一つを確立したように'﹁体﹂の特徴を具体的に抽出してきわ立たせ' 標模する﹁体﹂を印象的に具現する喧伝効果に勝れるものである。さらにそれ.
(8) 日HH. HH. 1. 2 1. 5. 1. 6. 日に. 7. 1. 8. 1. 9. 1. 0. 2. 呉宮怨﹂などの各別を参照)0 2 2南棟が﹁明代模倣主義﹂を拓-1翼を担ったことに関しては'上海古籍出版社r唐 詩品乗﹂出版説明などに詳しい。. 8. 0. 5法師韓r詩学纂開﹄所収の論文﹁雑詩雑擬之別﹂による。なおへ擬作詩の﹁声律﹂ や﹁声調﹂については本稿では扱わないが'明の朱葬尊も高棟の﹁擬唐詩﹂は唐 詩の﹁遺韻﹂があると言う。 6﹁古意﹂と言ってもよ-'原詩が持っている主親や精神のことを指すと思われる。 あるいは古来の擬作詩作者が持っていた擬作詩に対する取り組みの姿勢を指すか とも考えられるが'ここでは擬作詩中に原詩と同等の主題や精神が入っているこ とをいうものと解しておきたい。 7﹁高鎗林廷憩へ才識博達'嘗輯r唐詩品嚢) '世稀精鑑o及閲其集へ文多而意少へ 且乏新興。至擬古諸作へ頗檀離轟へ往往青於藍者.﹂(明へ顧起倫r囲雅品]士品一) などの高棟批評も見られる。 8﹁鐘山﹂が南京の朝陽門外にあることから'北京遷都以前であることも分かる。 9﹁歴﹂は﹁暦﹂に同じ。 ﹁尊﹂は﹁樽﹂に同じ。 貫至と杜甫らの唱和詩は'いづれもr唐詩品嚢﹂に収められているo 明の永楽以降に横行した泰平を項するだけの董閣体の詩を、盛唐詩の復古を標 模して矯めようと試みた何景明・李夢陽ら﹁弘正四傑﹂もし-は﹁弘正七子﹂の 文学を指す。 既に提示しておいたように'商権には擬作﹁岑補間参同諸公登慈恩寺浮囲﹂詩 もある。 高遠と岑参に関Ltr品嚢.Jの﹁五首古詩叙目﹂では高達夫の﹁気骨﹂へ岑嘉州 の﹁奇逸﹂と分けて評Lt﹁五言律詩叙目﹂では岑嘉州の﹁造語奇俊﹂へ高常侍の﹁骨 格津厚﹂とも言う。 r品嚢Jでは岑参の場合と同様へ杜甫は﹁沈彰﹂へ王経は﹁精緻﹂と評する語も 一律一貫している。 後に詳述するようにtr槍浪詩話)詩評に﹁高岑之詩悲壮、譲之使人感慨。﹂と あるのを承けている。 高棟と王偶の唱和詩は永楽元年(T四〇三)から五年までの冊に作られている ことは既述したが'高棟の擬作詩の成立年代は未詳である。今は仮-に、高・王 の唱和とr品嚢﹂成立(1111九三)までの間に﹁擬唐詩﹂を置いて考察するもの とする。もしもそれぞれの前後関係が逆転していた場合は'高棟の預の中に実作 ではな-﹁擬唐詩﹂の﹁構想﹂だけが既にあったものと読み替えたい。 郭紹虞r槍浪詩話校揮)引r詩説雑記し巻七〇ただし、陶明清は﹁茄拍鏡歌﹂ に於いて﹁悲壮﹂感を捕捉しており'必ずしも唱和詩のそれではない0 r楚辞し離族に﹁吾令帝閣開聞今へ俸闇閏而望余﹂とあり'もともと天門であ る紫微官の門を言い、後に蓬莱宮などの宮門の正門を指すようになった。 清の趨殿戊はr王右丞集集注)に﹁朱晦竜謂唐時殿庭間骨植花柳。故杜子美詩へ 有r退朝花底散'蹄院柳連迷﹂之句。岑詩用r花・柳j字へ亦其l謹。﹂(朱晦奄 謂ふ'唐時の殿庭の間は皆花柳を植う。故に杜子美の詩に、﹁退朝花底散へ韓院連 迷﹂の句有りO岑詩に﹁花・柳﹂の字を用ゐるも、亦た其の志組なり)と亭っ。 ただしへそのような﹁作者﹂になるには自ずと限界もある。明の楊懐は﹁升奄 詩話jでr品嚢Lにおける高楼の唐辞選定の眼識の無さを﹁無見﹂ '﹁無目﹂へ﹁無限﹂ などと酷評する。これは実は'高棟自身が無名氏の詩の選定の際に'詩体による 時代の匿名判定を誤ったからである(r升竜詩話}巻七﹁南州行﹂ '巻十三﹁衛象 21.
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