• 検索結果がありません。

歴史学と歴史教育 : 世界史的歴史認識を中心に

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "歴史学と歴史教育 : 世界史的歴史認識を中心に"

Copied!
18
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)Title. 歴史学と歴史教育 : 世界史的歴史認識を中心に. Author(s). 手塚, 末松. Citation. 北海道学芸大学紀要. 第一部. B, 社会科学編, 15(2): 1-17. Issue Date. 1964-12. URL. http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/handle/123456789/3841. Rights. Hokkaido University of Education.

(2) . 第 15 巻. 昭和39年1 2月. 北海道学芸大学紀要 (第一部B). 第2号. 歴. 学. 史. と 歴. 史. 教. -- 世界史的歴史認識を中心に 塚. 手. 育 ー. 松. 末. 北海道学芸大学函館分校史学教室. ion 。f Hi story Suematu TEZUKA : History and Educat. 次. 目 はじめに 1 歴史学と歴史教育の提携 1 . 歴史学と歴史教育の提携への. 認識. 2 . 歴史学と歴史教育の提携への. 努力. 3 . 歴史学と歴史教育の提携の結. 節点=歴史像の構成. は. じ. 口 歴史像の構成の実践例 一芝原論文 「ふたたび明治維新の 世界史的位置について」 - 1 . 世界資本主義の性格 2 . 列強に対する対応の仕方 3 . 人民の主体性の問題 4 . 明治維新政府の役割 む す び. め. に. この小論 をまとめるのにはいくつかの動機があった. 体制権力側からの 「人づくり政策が, 大学管理法という形で完結 しようという現実の中で, 学 問の自由なくしては, 教育の自由は あり得ないし, 教育の自由なくしては,学問の自由もあり得な. い, という認 識にた って, 研究と教育の提携なしには, 現在の教育の軍国主義化=反動化のコー 1 )(傍点筆者) スを阻止することができない」 ,という見解と同じ認 識があ ったことは確 かである. しかし正直 のところいつ も心からはなれない問題は, わが歴史学界における研究姿勢への不満 であ っ た. いうま でもなくそれは, 研究が 「細分化」 されて, 研究者たちはいわゆる 「実 証的」 研究に埋没して何らの懐疑も反省もな いようにみえるその姿であ った. 「研究の 『個別分散』 的. 状況は嘆かれた り合理化されたりしつつもますます進行するようである. 研究の発展のためには 個別的・分散的に深化する作業の不可欠なことはいうまで もないが, そのことと現在の個別的・. 分散的の状況とは全然関係がないように思えてならない. 分散化したのではなく, もともと分散 して発生しており文字どおりバ ラバ ラなのである. 基本的全体的な問題意識あ っての個別分散化 2 ) とは考えら れないからである」 . このような状況に答えるかのように, 例えば江口朴郎氏は 「研. 究の精密化と 言われて い ることと, その成果の整 理綜合 ・との関係は, ……歴研の大き な課題の一 3 ) とか, また 「精密な研究者と問題提起者という重点のお つ, あるいは本質的なものと言える」. さえも き方もあ って差支ない」 , などと, かなり積極的な提案がなされたが, 当の歴史学研 究会で - 1 ー.

(3) . 手. 塚. 末. 松. 共同 化さ れ てし・なし・よ う で あ る. このよ うな 低迷が, 歴史研究者側に続けられていたとき, 歴史教育者側から積極的な発言が出 されて きたのである. 「歴史教育と歴史研究とに食いちがいがあり, それをお互い に手探りで,. わかりあ ったふりをして, 適当に分業しあ って いる, それではいけな いので, 歴史教育の場から. 出てくる問題点 は, どしどし学界に反映されて いかねばならぬしまた学界から も歴史教育に注文. 4 )(傍点筆者) を出 していくようにしてほしい」 .. さら にまた歴史教育者側 からまさ に, 研究の 「細分化」 克服の妙案とでもい われる べき発言が. な さ れ た の で あ る,. 「歴史を全体として把握しようとした時ぶちあた った具体的な困難, 疑問 について, それ ぞれ の分野で研究 している研究者に対して積極的に問題 を投げかけ, 協力してもらうことが必要であ. 5 )(傍点筆 る. その中で研究者も歴史全体の中で自らの研究を位置づけ 得るのではない だろうか」 者). 研究の細分 化克服, 歴史学の前進の道がここにもあったのである. このような発言をうけて. 立つかのよ うに, 上原専禄氏は 「歴史教育と全くはなれたところで歴史学研究のテーマがきめら れるのではなくて, 歴史学研究のテーマや方法が歴史教育の方から出されてくる問題を汲みあげ ) る よ う な 仕 方 で 規 定 さ れ て い く 必 要 が あ る の で は な い か」6 , と 答 え る の で あ っ た.. 更 に, 歴史教育者たちは, 現場から歴史研究者たち に悲 痛なまでの訴えを投げかけるのであ っ た. 「乃木大将や東郷元師をどう歴史的に位置 づけ, 教えたらよいのでしょ うか. は っきりいっ. て戦後18年も経ていながら, これらの人物 についてはまだ日本の歴史教育では タブーとされてい ます……. このような空白状態の中へ, 文部省が強引にこれら軍人を挿入せよといってきた時, 一体どのように扱うのでしょうか. まともな歴史学の成果などはまるでない現状は, 全く危険な. 状態であるともいえます. 侵略戦争における軍人と兵士の評価は, 歴史学と歴史教育の当面せる 重要な研究課題の一つであります……. 結局, 歴史学者と歴史教育者の提携を考える時, その前 提となるのは, 歴史学者が国民の歴史意識形成 に どのような責任を感じているか, という研究の 7 )(傍点著者) 姿勢の問題であ ると思います. 歴史教育も 同様のことがいえます」 , こ こ で は ま さ に, い わ ゆ る 「学 的 興 味」 の 向 く ま ま に 研 究 課 題 を 設 定 す る の は 自 明 の こ と で あ. るかのように考える研究者 に対して, 問題の所在を具体的に提示して いるものと いわなくてはな る ま い.. 以上のような今日の日本における歴史的状況は, 私をして (特に教員養成大学に籍をおく者と して) , この歴史研究と歴史教育の提携の問題を真剣にとりあげさせたのであ った. そしてその提. 携のあり方は, 歴史研究者側から歴史教育者側に恩恵的?に . , 「一方交通」 的に寄与するという のではなく, 双方の主 体的な相互発展の展望の上に立つ提携でなければならないと考えた. そ し. てその結合の媒介概念として, 現在の日本の歴史的現実からして全国民, 直接的 には歴史研究者 と歴史教育者 に対 して 切実に要求されている 「世界史的歴史認識」 つまり新しい 「世界史像」 の 構成 (これはその叙述だけを意味するものではなく, 心の中にそのイメ ージを描くこ と も 含 め て) を考えるに至 ったのである. これこそ歴史研究と歴史教育を真に提携させうる 「結び目」 の 少 な く と も一 つ で は あ る ま い か, と 考 え る わ け で あ る.. 本小論の第1部は 以上のような状況においてまとめられた 「歴史学と歴史教育の提携の努力小. 史 と で も い わ る べ き も の で あ る.. ところで, 3年前( 1961年)の「歴史学研究会」の年次大会 において報告された芝原拓目氏の 「明 - 2 -.

(4) . 歴 史 学 と 歴 史 教 育. 治維新の世界史的位置」 は, 歴史研究者側から 「世界史像の構成」 の課題に対して立派に答えた. ものであり, これは歴史研究はいうに及ばず歴史教育についても貢献するところの劃期的な業績 であ ったと思う.. 本小論の第2部は, 芝原氏の世界史的 「明治維新史像」 について, その構想及び構成方法など を整理し解説 したものである. 1 1. 歴史学と歴史教育の提携. 歴史学と歴史教育の提携への認 識. 戦前においては, 歴史学と歴史教育は全くちが った次元にあるものと考えられていた. すなわ ち歴史学 は 「科学」 の世界に属し, 歴史教育 は 「教育」 (科学, 研究とは縁のない) の世界に属 するとの, いわゆる 「二分法」 的な考え方 が何ら疑われることもなく通用 していたわけである. 8 ) にも見られよう. 次のように書 その代表的な見解は, 中川一男 「歴史学及歴史教育の本質」. か れ て い る.. 「両者 (歴史学と歴史科 .…筆者) の関係は極めて密接なものである」 が, 「ただ密接なる関係 一 つのも のの間には二つ のものを区別 すべ き繊 をもつだけ であ って決して同一なものではない. 一 然たろ原理がある. その原理 とは史学は純然たる科学的見地に立ち史学それ自身のために構成さ. れてゆくものであるけれ ども, 歴史科は飽くまで教育的見地 に立ち人間教化のために構成され て ゆかなければな らぬというこ とである」. ところで歴史学は「それ自身のために構成」されるもので あるから, 「自然科学の如く宇宙を動かす一を求めて 一般法則や人類流転の法則を見出」そ うが,. 叉 「個別的なもの, 特殊的なものに学的興味を感 じて氷存するものの中から変化する一度性のも ” の, 個別的特殊性のものを目標に」 しょうが一向にかまわない. 歴史 研究は全く研究者の 興の. ’ とい う こ とで あ る しか る に 「歴 史 科4は… … 人 間 教 化 の た め に 構 成」 さ れ る も おもむくがまま’ . とか, 「その夫を 「 ことを防 ぐため前 車の覆へりし轍の跡を見」 る, のであるから, 後車の覆らん. 働かせんがために内助の功をつんだ妻, その子を偉大な るものに育てん がため一身を犠牲にして 生きた母, その親のためにつくした子 の孝行等, これらの至純至誠なる倫理的価値」 を高く評 価 するような 「倫理道徳的批判」 が加わらなければならない. また 「歴史科に於ては教育とい う 見地に立つために」 歴史教育者は 「深く現代を省察して明らかに人類の 向うべき将来をも考へ, その見地に立 って過去を見て行かなければならぬ」. しかるに歴史学は, 「史学それ自身の見地に 立つため過去の史実を見るには過去の眼を以 って」 するのである. したが って 「歴史家は 現代 及び将来への展望は一切出来ないもので あり, 『後ろ向の予言者』 とさへいはれてゐ る」 のであ ) る9 .. これをみると, 歴史教育 者は 「倫理道徳的批判」 のために不動の信念を要求され, 更に現代に 対する 「深い省 察」 と 「人類の向うべき将来」 に対す る 確固たる見通 しをもたなければならぬと. い う, 重大な る社会的責任を負わされることにな るであろ う. これに反 して歴史学者は個 人的, 「学的興味」 をも って研究にとりくんでいればそれですむのであり, 歴史教育者に 要求されてい るよ うな社会的責任か ら完全に “解放 “ されることになるであろ う.. ここでは, 歴史学と歴史教育が提携せらるべ き何らの根拠も共 通の基盤も見出すこ と は で き ず, 提携の問題は全く認識の上には上 っていないのである. 特に歴史教育を 「科学」 から切り は なし, 歴史学を 「現代」 から隔りするとい う発想は注目すべ きであり, この見地が克 服されない 限り両者提携の認 識は全く問題にならない, ということを示 している. - 3 -.

(5) . 手. 塚. 末. 松. かくて歴史学者た ちは, 「歴史教 育という話が出ると, 自分は教育者でな いからそうい うこと は知 らない. 教育者の方で適当にやられたらい だろ う. 自分は歴史研究 の方は一生懸命やりた ・ いが, 歴史教育の問題は自分の専門外だとすましておられたので あり, これは歴史学 の 『大家』 ばかりではなく, 中家 や小家にも共通する姿勢であった」 l o ) のである このような状況 は 正に . , 「たかだか階級社会 の発展にともな う職能分化の一系列にすぎぬ 研究と教育の二分法を自明の前 提のように考え」 る 「明治以降の 日本における学問のあ り方」u) を露呈するものであ た っ . 第2次世界大戦とその敗北, 引きつづく 連合軍の手による諸改革は 日本国民とわが歴史研究 , 者, 歴史教育者に深刻な体験と反 省をもたらさず にはおかなかった 今や 「祖国の歴史が その . ,. 根底から変革しようとするのであ る. ……それは過去のす べての歴史, および歴史の学問が反省 させられ, 真 に科学的研究法に立脚する科学的歴史学の みが真実の歴史であることを語る変革で 2 ) あ っ た」1 .. このような 歴史的状況下において 歴史教育も, 「われわれの歴史教育は, どうあ るべきである か, それと歴史学との関連, というようなことが真剣 に再検討されなければならな い問題であ っ ) し か る に 「こ の よ うな 国 史 教 育 と歴 史 学 と の 関連 は も と も と き わ め て 明白 で あ て 9 た」1 . , , っ ,. 歴 史学は真実を明 めるが, 国史教育は事実を選択して教育をするのであり, 真実がそ のまま教育. にならない, 歴史教 育 を歪曲したのは政治であ り, 歴史学は, 昔も今も正しいのだ とい うこと , 1 )(傍点著者)のであった また 「過去の歴史教育の教科目の選択が日本精 4 が…説かれたりした」 . , 神・皇室の尊崇・愛国者・英 雄などに集中 していたから, それを文化的・社会経済的要素 にかえ る こ と に よ っ て, 正 し い歴 史 教 育 と な し う る で あ ろ う,. ) し 5 と す るよ うな 議 論 も あ らわ れ た」1 .. かしこの場合でも 「国史教育への根本的反省とす るには足りないものであ」 1 6 ) り, 特に歴史学と 歴史教育の提携の問題は認識されて いないようにみえる. このような状況の 中にあって, 「真に科学的研究 法に立脚 する科学的歴史」をめざして, 終戦の 年( 194 5年) の秋にいちはやく組織的活動を 始めたものに, 「歴史学研究会」 に属する有志の動 7 ) を意味するものであ ったが, 彼らの活動は きがあ った.これは事実上歴史学研究会 の再出発1 , 2回にわたる 「国史教育再検討座談会」 から始ま ったのであ った, これは歴史学と歴史教育の提. 携の観点からみて特 に注目すべ き事実であ ったが, この座談会では, 「歴史学者が, 従来の歴史 教育に対する無 関心な状態を改め, 自ら歴史教 育者としての自覚と責任をもた ねばならぬこと, 1 8 ) たのであ った. 歴史教育の基礎に 科学的歴史学がすえられなければな らぬことなどが語 ・られ」. そ して翌年には, 日本・東洋・西洋の3部会とともに, 現代史と歴史教育分科会をおいて研究 活 ) 9 動を開始したのであ った1 ・会の設置は, 「今後の歴史教育が, 歴史学徒にと って . 歴史教育分科 も, 亦ゆるがせ にできぬ問題であり, その正しい発展のための協力が, この分科会を通してなさ ) と の 認 識 に よ る も の で あ た こ の 趣 旨 を よ り徹 底 す るた め に 「歴 史 学 研 究 会」 0 る べ き で あ る」2 っ . ,. は, 「毎日出版文化 賞」 をもらったとき ( 194 8年) , その賞金の半分をさきこれを資金として 「歴 1 )(194 - 史教育者協議会」 ( 略称 「歴教務」 ) の創立2 9年) に貢献したのであった,. 以上によ ってわかるように, 歴史学と歴史教育の提携の問題は,( 1 )未曽有の歴史的体験を経て 2 ) 2 )人民の立場に立ち2 ( 1自らを歴史教 育者であると考え, 雑科学的歴史学を高唱する歴史研究 3 ,( 者の先進的部分によ って, 戦後始めて生まれてきた認識であ ったことは, とくに注意されなけれ ばならないと思う. 2. 歴史学と歴史教育の提携への努力 - 4 ー.

(6) . 歴 史 学 と 歴 史 教 育. るのは, 上記のような立場 にある 「歴史学研究 歴史教育に対して特別に関心が深く意慾的であ, うが それは高く評価されなければならないと思う としてはきわめて当然のことではあろ 会」 .し ,. かしそれにもかかわらず, 尚十分に安心するわけにはいかないものが最初からひそんでいるよう にみ うけられるのである, というのは, 先述の 「歴史教育の基礎に科学的な歴史学がすえられね ばならぬ」 という認識は, 従来の科学と教育とを万里の長城でわけへだて, 歴史教育を 「道徳教. 育」 に従属させるやり方 とき っぱり縁を切 ったものであり, 正に劃期的な思想ではあったけれど も, よく考えてみると, 前に述べた中川氏を含めて従来の殆んどの歴史学者の発想と変 っていな い一面がひそんでいるように思われるからである. すなわちそれは, 歴史学の成果がすでに存在. しそれを歴史教育が受けとるという発想である. ここでは, 歴史学から歴史教育への 「一方交 通」 だけが承認されていて, 双方が主体的に与えあい協力しあわなければ歴史学も歴史教育もと. もに正しい発展が望めないのではないか, という認識, つまり歴史学と歴史教育の関連を内的必 然において把握 しようとする考えがまだ出て いないのではないか, と思われるのである. この点 にこそ, 「歴研的思考」 はまことに有 益であり進歩的であるにもかかわらず, 歴史学と ,歴史教育 の提携への理解を, 一部の会員だけではなく全会員に, 一部の研究者だけではなくすべての研究 者に渉透させることを妨げる要因の一つがあるのではないか, と考えるのである. 1961年9月15日号) の中で, 「歴史研 究と歴史教育とは 遠山茂樹氏は 「歴史学研究会会報」 ( きりはなされてはならない, 歴史研究者は歴史教育に責任をもつべきだということは, 歴研総会. で毎年くり返 し論じられてきた. しかし正直のところ, 大学・研究所に職をもつ研究者は, 教科 書問題等を 通して一通りの関心を寄せているといった以上には出なかった. 肝心の小・中学校の 2 3 ) 先生の側からも, 研究者は何をなすべきかの具体的な要求が出されてはいなか った」 ,と反省的 な発言を しているが, この短い文章のなかに上述の問題点が要約されているように思う. すなわ. ち, 歴史研究者側 は一方的に 「歴史教育に責任」 を感ずるだけで, 歴史教育者側からの要求を媒 介しての歴史学のあり方及 びその発展, というところにまで責任を感じていないし, 他方歴史教 育者側は, 歴史研究者側に 「歴史学は何をなすべきか」 の要求を提起す ること をおこたることに. よって, 歴史教育のあり方とその発展に責任を感じていないことを指摘したものとうけとりたい ・あげてのみ わけである. つまり, 歴史学の新たな発展は, 研究者側が教育者側からの要求 を汲み 提示し正しい歴史研究 史教育の新たな発展は 研究者側に己れの要求を り 可能なのであ , また歴 ,. をなさしめることによってのみ期 待できるわけである. さきの 「歴史教育の基礎に科学的な歴史 学が」 ということ も, 「一方交通」 的にストレートに科学的歴史学の成果を歴史教育側がいただ く, というのではなく, ま ず歴史教育者側が主体的に歴史教育の要求 (これは, 歴史的現実の矛. 盾を媒介とする国民と子供 たちの歴史意識の教育的反映である) を歴史研究側に提起し, 歴史研 究側がその要求 を主体的に吸収・消化して, その上で独自の形で研究にとりくみ,、その研究の成 4 ) 果を歴史教育側が主体的に摂取して歴史教育に反映させる, ということであろう2 . つま り歴史 るの ではなく, 歴史教育側 からの要求 教育が基礎にすえようとする科学的歴史が既成品としてあ・ が逆に科学的研究の基礎にすえられる一面もあるわけである. このように してはじめて, 歴史学と歴史教育相互間の交流と主体的協力関係を成 立させる・こと. ができるの であり, 両者の真の意味での提携がここに実を結ぶことであろう. 1961年) の報告の中で, 「歴史教育の問題にしても, 民 江口朴郎氏が「歴史研究会」の年次大会 ( 主的な歴史教育を支持し, ま た歴史教育 ,上問題とな ったものを学問研究の場で明らかにするとい う程度の問題以上 に, 進んで歴史研究と歴史教育との連関や差異を根本的に検討する ことが必要 一 5 -.

(7) . 手. 塚. 末. 松. 2 5 ) となりつつある」 ,と述べている の も, 上述した点を指摘したものと思われる. 勿論 「民主的な 歴史教育を支持」 する研究者たちの行動 (例えを 「紀元節」問題, 「教科書検定」 問題などの支援運 動) や 「歴史教育上問題とな ったものを 学 問研究の場で明ら かにす● る」 実践 (例えば 「紀元節」 問題の時, その設 定の起源を明らかにするとか, 叉 「く にのあゆみ」 批判と か いろいろあ る) な. どは, 歴史教育の当面する切実なる要請に協する事業であ り, ま こと に意義深いこと にはちがい ないけれども, この 「程度」 にとどまるのでは上述する意味における歴史学と歴史教育の提携と はいえないのではなかろうか. つまり, ここではまだ研究側が教育側を援助すると いう 「一方交 通」 的協力観の域を脱していないのであり, 而もその協力が外的な関係にあ って, 歴史学と歴史. 教育との内的・必然的連関ではないのである. 上原専禄氏は 「歴研」 主催の 「歴史教育懇談会」 ( 1953年10月) の席上で, この問題について 次のよう提言を行な っている. 氏はまず民主主義 的 歴 史 教育を支持する歴史研究者たちの運動. を高く評価しつつも, それは 「当 座 の措置」 であ り, 「当面の実際問題」 であ って, 歴史学者と しては 「長期計画」 ともいうべき 「歴史教育というものの 内面的な掘り下 げの問題」 が考えられ ねばならぬと指摘しつつ, 「提携」 について注目すべき見解を述べるのであ った. すなわち両者. の提携という場合, 「歴史学研究の側から歴史教育の方へおりていく面と, それから歴史教育の 方から歴史学研究の方にあが っていく面との両面が考えられる…. あがる, お りるというと語弊. があ るかも知れま せんが, 相互交流が必要ではないだろうか…. つま り歴史教育の問題と全くー は く がきめられ 歴史学研究のテーマや方 なれたところで歴史学研究のテーマ るのではな て, 法が歴 史教育の方から出されてくる問題を 汲みあげるような仕方で規定されていく必要があ るのではな. かろうか. つま り, 歴史学研究は歴史教育の 方へ何をどういう仕方で提供するかという側からだ けの問題を考えるのではなしに, 逆に歴史学研究の方へ歴史教育の側から問題を出し, それが研 ) と, 「提携問題」 の神 2 6 究の側で学問的な仕方で消化されていく必要があ るのではなかろ うか」 髄を説くのであ っ た.. このような上原氏の提言によ って, 先進的な 「歴研」 的思考ですら克服しえな か った 「一方交. 通」 的思想が揚棄せられ, 主体性を回復した上 での相互依存, 相互交流という真の 提携のあり方 が原理的に打ちすえられたのであ った.. しか し, 歴史学と歴史教育の提携についての この劃期的な 「上原提言」 も, 1960年の 「安保闘 争」 の歴史的経験を経るま では, 史学界一般は勿論 「歴史学研究会」 の内部においてさえも, そ の原理の具体的展開を示すに至らなか ったことは, 先述の遠山・江ロ両氏の発言 からも うかがわ. れるであろう. 「歴史学研究」1963年12月 号は, 「歴史教育の特集」 にあてられているが, その 「前がき」 で. 「委員会」 がこう述べている. 「上原氏の提言 (前記の「歴史教育懇談会」での……筆者) はその 後の会の活動の過程ではほとんど無視され, 継続を確認して散会した懇談会も二度と再 開される ことはな か った. 歴史教育の問題は相変らず毎年の 『成果と課題』 の中で, 歴史理論とは別個 の. 欄をあてられ, いわばそこに閉じ込められていたし, 会誌上では, 反動女教政策との闘争の問題 として, 『時評』 の櫛 で扱われていたのである. したが って, 歴史教育者協議会やその世界史部会. などで蓄積された歴史像構成の 試みとも土切りはなされたところで, 歴史学研究会の活動は進めら. れ て い っ た と 言 え る, ……19 54年には, 共通な問題意識に立脚した統一テーマをも って大会を開. くことができなくなり……研究者は個別的な実証研究に埋没し, 分裂していく傾向を強めていっ 7 ) と 云 こ」2 ..

(8) . 歴 史 学 と 歴 史 教 育. 8 ) 「歴史学研究会」がこの ように 「個別的な実証研究に埋没し」 たのには会自体の「歴史的」理由2 「 究は必然的に もあるのであるが, ここではただ 「問題意識」 をもたず 教育」 とはなれる歴史研 「実証研究に埋没」・せ ざるを えないことを注意してお こう. しかし低迷してい た歴史学と歴史教育の提携の問題は, 前記のよ うに「安保闘争」を境と して大 きく転 回をみせ始めたのであった. すなわち 「ちりとほこり」 にまみれていた 「上原提言」 は, 2 9 ) 歴史教育側はいうまでもなく (ここでは上原提言が行われたころからとりあげられた) , 歴史研 究側でもこの ころか ら新しい展開をみせ始めたのであ った. 3 歴史学と歴史教育の提携の結節点=世界史像の構成. 歴史学と歴史教育 を緊密に結合する結節点とな ったのは「世界史像の構成」の問題, つま り「世界 史的歴史認 識」 の問題であ った. このよ うな観点から「世界史・日本史の統一的把握」と して問題を. 終戦直後から提起 したのは上原専禄氏であ った. 敗戦直後の歴史的現実において,「現在から将来 へかけて日本の存在と行動とは, 日本を超えた世界史的志向,叉は少なくとも国際的意志によ って. 規定せられるのであるという他律的生活環境下において, 国内生活秩序 の自律的形成はいかにし て可能であるの だろうか. 叉, 新たなる汎世界的なる生活規範 の内面的消化と, それによる内的 規範とはいかにして可能であるだろうか」 という問題意識をも った上原氏は, 「ここにも歴史学 的省察の一の新しき対象を発見」 したのである. ところでこの新対象は,「鎖されたろ日本世界の 内部に観察を終始せ しめんとする在来の日本史研究方法を以 ってしては, 適切に処理することの 不可能な対象であり, 問題」 であ った. かく て 今や 「これら の 対象にかかわる新しい方法が要請 せられ来るのであり, 鎖されたる日本内部の出来事としてではなく, 開かれたる世界の公共の場 におけるそれとして, 事象を省察することが無条件にな って来る, と云わ ざるをえない. 然り,. 現実の実際的必 要に促されて, 世界史の具体的一部分として日本民 族生活の展開と性格 とを考究 0 5 )(傍点著者) するという方法の用ゐられメ蝕まならぬ時が正に来ったのである」 , として, 正に歴. 史学と歴史教育に対する 「コ ペルニクス」 的問題 提起をなしたのであった. 爾来氏は 「世界史・ 日本史の統一的把握」 あるいは 「世界史像の構成」 の問題をひ っさげて精 3 1 ) する任務を 力的な発言を行い, 「研究活動と教育活動を, つねに最もふかいところで理論化」 実践してきたのであ った. さ て この 「上原提言」 をふまえて いち早くそれを理論と実践に生かすべく努力をつづけた のは 歴史教育者側であ った. それは 「歴教協」 の 「世界史部会」 であ った. 「歴教協東京支部世界史 部 会」 で は1953~ 4年頃から, すでに「世界史像の構成」 の問題にとりく んでいたのであ ったが, 1955・4河出書房) の刊行とな って 「1年有余の研 究活動の蓄積が, 『教師のための世界歴史』 ( 3 2 ) のであった. その後も, 上原氏のときどきにおける発言を忠実に反映させ 一応の実を結んだ」 て 「世界史・日本史の統一的把握」 の問題にとりくみ, その過程で 「同時代的・全面的 (全地域 3 ) 的・全階層的) 把握」 という「世界史像構成」の原理的仮説を立てることに成功したので あ った3 . 「安 保 闘 争」 の 経 験 と ア ジ ア ・ ア フ リ カ ・ ラ テ ン ア メ リ カ に お け る 活 目す べ き 民 族 解 放 運 動 に. 伴い, とくに中・小学校に おいて 「世界史像」 の 問題が大きくとりあげられてきたのであ った. とく に 「歴数協」 の会員である歴史教育者の理論的・実践的活動はめ ざま しく, それらの成果は 同会の年次大会 や機関誌 「歴史地理教育」 に反映されているのであ る. 1963年) においても, 数年にわたる子供たちの歴史意 識 の調 例えば同会の第15回の年次大会 (. 査をもとにして, 西ョrロ ッパ偏重の歴史教育を反省し, 新しい世界史像の建設をめ ざしてとり. 4 ) く ん で い る こ と が 報 告 さ れ て い る.3. - 7 -.

(9) . 手. 塚. 末. 松. 目を歴史研究者に転ずれば, ここにも新しい動きがみえるのである. 例えば 「歴研」 では大会 1年には 「世界史に おける日本 の近代」 テーマと して, 196 ,62年には 「世界史の基本法則」 あるい は 「世界史像の再構成」 を目標とする長期活 動計画, 63年には 「東ア ジア 史像の検討」64年には. とくに 「歴史教育における戦争の問題」 などを設定し, 歴史研究 の中心に, 「世界史像の構成」 あるいは 「世界史・日本史の統一的把握」 あるいは 「世界史的歴史認識」 の原理問題が打ちすえ ら れ た の で あ る.. こ のような「歴史学研 究会」の企画と実践は, 「全く新しい歴史教育へ のアプロ ーチ」を示すもの であり, 「歴史像構成という課題を媒介として歴史教育と歴史研究が協力し, 対話するとい う考. 3 5 ) にもとづくも のであった. すなわち, 「世界史像構成」 の 問題は r世界史・日本史の統 え方」 一的把握」 ということであり, 従来のヨ ーロ ッパ 人などによる既成の 「世界史像」 を否定して, 現代における世 界的日本人としての主体性において全く新しい 「世界史像」を形成しようとする意 欲に燃えるものであり, これは全く従来存在しなか ったような新しい 「世界史的歴史認識」 を必. 要とするものであ った. このことは決 して歴史研究者のみで可能な問題ではなく, また歴史教育 者 のみでも不可能なので あり, ここに両者 の 協力・提携が必然的に要求されるのである. 例えば 異色をもつ「世界史像の構成」 である東洋経済新報社の 「世界史講座」(全8巻, 56年12月完結) は 「高・中学校の世界史教育に 役立つ」 ことを直接的目的とするも のであったが, そ の構成 の原 則は, 「世界史構成はこれからみんなでつく ってゆかねばならない, ……西洋人のつく った西洋. 史や東洋史と称するものはあったが…… 真 の世界史はまだ出ていない」 という認証であり, また 「現在の日本人の眼 と立場で現在の世界をどうみるかということから出発する. そうして見た現. 在の世界が, どのようにして形成されてきたかという観点で過 去を構成する」 ということであ っ た. そして構成(叙述)作業には 「学問的蓄積 のある先輩諸氏に監修をお願いし, 高校教師をや っ て い る 若 い メ ム バ ー が 概 説 を 執 筆 す る」 と い う 方 法 が とら れ た の で あ っ た%) . 監 修 者 と し て は,. 上原専 禄・江 口朴郎・尾鍋輝彦・山本達郎の四氏が当っているのであるが, ここでは研究者と教 育者の見事な結合・協 力がみられるのである. さて歴史学研究の内部に目を戻すと, われわれはここに劃期的な研究業績の誕生を知ることが で き よ う.. 1年 の 「歴研大会」 における 大会テーマ 「世界史における日本の近代」 の趣 それは先述した196 旨のもとに報告された芝原拓自氏の 「明治維新の世界史的位置」 であ った. これについて前出の. 「歴研」 委員会は こう評価している. 「こ の大会の報告の中で新しい方向を明確に提起したのは 芝原拓自氏の 『明治維新の世界史的位置』 であ った. この報告は60年に 『新しい世界史像 の統一 3 7 ) 的把握』 を基本方針にかかげた 民料京都支部歴史部会の活動の中から生まれたものであ った」 と.. 芝原氏の業績については第2部で詳細に紹介するところであるが, ここでは, 「世界史・日本 史の統一的把握」 を見事に達成し, ユニークな世界史的 「維新史像」 の構成に成功したその理由. について私見を述 べ, 第1部を終りたいと思う. 芝原氏のす ぐれた業績を生み出した条件は色々考えられるであろうが 私は次のように考える. )ように, 「安保」前後の世界史的状況から要求される世 8 先ず外的条件として第1に氏自身も語る3. 界史的歴史認識の深化, 第2に常に問題意識をもつ意欲的な研究者たちの組織的な研究活動,など があげられるのではないか, と思う. 次に学問上より見れば, 第1にマルクス主義歴史学の方法 論的基礎(史的唯物論, 弁 証法)を正しくうけとめた氏が, 第2に従来の日本におけるマルクス主 - 8 -.

(10) . 歴 史 学 と 歴 史 教 育. )しつつ, 第3に従来の日本のマルクス主義歴史学における方法論 9 義歴史学の蓄積を摂取・継承3 0 )を克服し, かく て得た正しい歴史認識の方法を従横に駆 使することができたためではな 的弱点4 い か, と 考 え る.. このようにして, 芝原氏の美しく まとま った世界史像の一環としての 「維新史像」 が描きあげ られ, 日本近代史学史の上に, 60年代マルクス主義歴史学の一つの輝 かしい成果をつけ加えるこ と が で き た の で は な い か, と 考 え ら れ る の で あ る.. 口. 歴史像構成の実践例-芝原論女-. 1 ) である 「ふたたび明治維新の世界 ここでは芝原拓目氏の今まで発表した論文のうち最終論女4 史的位置につい て」 を中心にすえて解説しよう. まず氏の 「維新史像」 の構想についてみよう.. 1860~80年代の世界資本主義の法則的発展傾向をとくに重視し, 芝原氏の 「維新史像」 は, 「 その内部でアジア諸民族とともに日本が, この世界過程に編入されていく途上の世界的 規定性と 4 2 ) して構成されたも のであ 日本的特殊性とを, 矛盾の全構造のなかで位置 づけ, 統一的に分析」. る. つまり維新史を, 世界資本主義が己れの姿に似せて全世界を資本主義一色にぬりかえていく 過程において, 封建日本がアジア 諸民族とともに不可避的にそのなかへ組みこまれていく過程と してとらえるのである. それは主体的にみれば, この世界資本主義が, 封建日本を己れの体制内 へ組みこむ過程において, 日本がどのように対応し, どのように己れを変革していったかという. その対応と変革の歴史的 過程となるのである.. 芝原氏の維新史の研究法は, この短い文章でもほ ゞ見当がつくように,「世界史・日本史の統一 把握」を日ざす意欲的なものであるが, それは単に諸列強が, 外圧として日本に現われて日本を開 国させた, というような偶然的な関係でとらえず, 当時の世界資本主義の性格からして開国は必. 然であり, したが って日本の資本主義化も必然であ ったとする. 而もこの不可避的編入という世 界資本主義の規定性に対しても日本は, イ ンドの道, 中国の道とは異る特殊な日本の道をすすん. だ. つまり日本の歴史を背負 った, 民族的な・階級的な矛盾と世界資本主義の規定性との相互作 用によ って日本の特殊な歴史的過程が展開するのである. 氏の方法はいうまでもなく世界史 の全 過程を合法則的過程として把握する. そしてここでも分るように, 一般的・普遍的なものと個別 的.特殊的なものとの統一的把握をなす弁 証法的な把握方法である. この方法と唯物史観の発展. 段階理論を統一的 に駆使することにより, 真の 「世界史・日本史の統一的把握」 , 即ち 「維新史 像」 を 「世界史像」 の一部として位置 づけえた のである. 1. 世界資本主義の性格. 維新史分析の第1は, 「アジア諸民族が共有しなければならなか った運命-それは, …基本的 う運命を基盤とする-との 関係に には, その在来の生産様 式の全骨組の不可避的な 『変革』 とい・ 9 4 ) 動法則をどう把握する 世紀中・後期の世界資本主義の運 か」 1 9 おいて, , という問題である.. ところで, 「世界資本主義の歴史的な具体的運動法則は, 国際的条件と国内的条件の相互規定 4 4 ) であるが, まずその前提として芝原氏は維新期に おける 「世界資本主 の中で把えられる べき」. 義」 の性格 を問題にする必要がある,と考えたようである. これについては,従来多くの近代史家 たちによ って帝国主義(独占が経済を支配する, 資本輸出が決定的役割をはたす, 地球上の分割が 5 ) と,稲々単純 )の段階ではない4 完了するなどを特徴とする.その段階は1900年前後を劃期とする.. に考えられていたように思う. こうした通説に対して芝原氏は,産業資本主義から帝国主義への移 行は突如として行われるものではない, という弁証法的思考(量・質変化の移行の法則)によ って, - 9 -.

(11) . 手. 塚. 末. 松. 過渡期における世界資本主義の実態を理論的, 実 証的に追求する. すなわちレーニンの諸労作を 4 7 ) ) 6 深く読みとり4 , あるいは入江節 次郎「独占資本イ ギリスへの道」 のすぐれた実 証に依拠して認 識を深めた結果, 「日本がアジア諸民族とともにくみこまれていった世界」 を 「列強資本主義の不 4 8 ) 位置 づけ るこ 均等発展と帝国主義的な世界分割のはじま りの時期の資本主義世界体制として」 とができ, そこで始めて資本主義世界体制 内に 「組みこまれていく途上における日本資本主義の ) を十分に把握しうる基礎をうちたてることができたのである. 4 8 矛盾の具体的・特質的な構造」 このように当時の世界資本主義の性格を正 しく うけとめることによ って氏は どのように, 日本 が直面しなければならなか った矛盾の 「具体的・特質的な構造」 把握をなしえたであろうか. そ の一例として, 学説上の一問題である 「日本の半植民地化を阻止した条件」 について正 しい解答. を与えることができた, ということが あげられよう. すなわち従来行なわれていた諸 見解, 例え 4 4 ) 」 (傍点著者) ば, 「列強資本主義の性格そのもののなかに植民化の可能性を 『阻止した条件』 9 ) とか, あるいは 「英仏 等 を求める, いわゆる 「産業資本主義;平和な自由貿易主義」 の見地4 5 )と 0 『 の外交政策やその基礎としての…列強の 中国市場重視 (=日本市場軽視…筆者補入)』 論」 ) などにみられるような 「世界資本 主義の法則的発展傾 向を見 5 1 か, ま た ”列強の勢力均衡論“ ) 8 た り, ま た 「パ ← ク ス の 『中 立』 政 策 に よ っ て 『自 生 的展 開』 を した 国 内 矛 盾 だ う し な わ せ」4. ) にお ちこむような 5 2 けで維新史と資本主義化を説 明できるかのような事実上の 『外圧』 無視論」 傾向に対して, はっ きりと批判の根拠を与え, 植民地化阻”止の要因を内外における人民の闘争お よび討幕派の主体性に求める氏の見解をう ちた てることができたのである. 2. 列強に対する対応の仕方. 分析の第2は, 「このような世界資本主義の発展傾向との関連で幕末・維新期の対外矛盾の具 2 5 ) の問題である. 体的評価」. のよう ここでま ず考えなければならないことは, 「日本に具体化される 『世界資本主義』」 はど.. な 姿 で 現 わ れ るも の な の か, と い う こ と で あ ろ う.. ) そ の第1は 2 芝 原 氏 は, こ の 「世 界資 本 主 義」 に つ い て, 「二 本 の 足 か ら 把 え」 よ う とす る5 .. 「 19世紀いらいの産業資本 主義そのものが 『世界革命』 ともいう べき規定性をも っているが, そ の規定性は, アジアや日本と 『世界資本主義』 との触れあいの過程で 在来の生産様 式 の不可避的 5 2 ) であり, その第2は, 「それが列強資 本主義との矛盾の な 『変革』 を導くという基本的前提」. ) である. このように分析視角を設定した氏は,「第一の前 5 2 なかで規定されるという特殊的前提」 5 2 ) し, また 「この一 つの前提を徹底的に追求しない 提をふまえない第二の前提は無意味である」 5 2 ) にすぎないもの 歴史分析は, いわゆる 『外圧』 論や 『国際的契機』 諭あるいは 『外交史』 諭」 であ って, これでは 「世界史としての構造論も, その内部で特殊的に運動する近代の諸国の歴 史 5 2 ) えないと注目す べき見解を述べる. 分析も成立し」 ここでは 「世界資本主義」 と 「列強資本主義」 の両概念の 同一性とともに, その差異性を明 ら. 「世界資本主義あるいは資 本主義世界体制」 といっても, また 今日 の 「社会主義世界体制」 といっても, それはそれぞれ同一の発展段階 (資本主義段階あるいは社 会主義段階な ど) に属する数個の, 木質において同一体制にある国家群の存在状態をさすもので かにした ことは重要である.. 「世界資本主義」 という 「状態」 概念であるものが特定の一国と交渉をもつわけではな い. したが って幕末・維新期において 「世界資本主義」 の日本に作用 する規定性は, 具体的には 「イ ギリス資本主義」 あるいは 「アメ リ ・力資本主義」 からの影 響, 作用 あるいは要求とな って現 われるのであり, これら数カ国を総称して 「列強資本主義」 というのであって, この場合もまた. あ って,. - ]0 -.

(12) . 歴 史 学 と 歴 史 教 育. 「世界資本主義」 の特殊的な現われとしての 「列強資本主義」 なのであ る. ところで 「世界資本 主義」 の要求は普遍的・絶対的なも のであ って, 後進諸国に対しては, 国家・社会の背骨である. 生産様式の変革を迫るのである. この 「世界資本主義」 の至上命令を体現す るのが英・米な どの 「列強資本主義」 であるが, ただし彼らの要求は, 直接的には上述の 生産様 式の変 更を迫る, と いう形ではなく, 政治・軍事・外交・利権・貿易・財政文化など, 主として上部構造的諸要求として 現われる, しかしそのような方法を 通じて究極的には社会の土台であ る生産様式 の変革を要求す る 「世界資本主義」 の意志が貫徹されることになるのである. この分析からわれわれは, 「世界資 本主義」 の普遍的 ・絶対的・必然的な要求 (生産様式の変革) は, 歴史的・具 体的には 「列強資. 本主義」 の特殊的・相対的・偶然的な要求 (開国が武力によるか 条約によるかな どは特殊的・相 対的, 叉日本の開国がイ ギリスの手でなく, アメリカによ って行なわれたのは偶然的) を通して 行なわれるということ, したが って同じことだが 「列強資本主義」 の要求は絶対的な面 と相対的 な 面 と の 統 一 で あ るこ と, こ こ に ま た 日 本 ・ 中 国 ・イ ン ドな ど, そ れ ぞ れ の 主 体 性 と も か ら ん. で, 日本の道, 中国の道, イ ンドの道への可能性も 起りうることが理解されるであろう. 芝原氏の 「世界資本主義」 と 「列強資本主義」 の概 念設定は, 史的唯物論の発展段階論, また 普遍と特殊, 偶然と必然, 相対と絶対, 本質と現象など弁証法の諸範時の駆使がなく ては不可能 であろうと考える. 以上の分析を 念頭におきながら, 第1の 「基本的前提」 を今少し具体的にみよう.. 芝原氏は, 日本と 「列強資本主義との矛盾は, 日本封 建制の矛盾をとおして規定的作用を 示し てくるのであり, その方向は, まさに 封建的生産様式 の 全骨組の不可避的な 『変革』 という方向 5 2 )(傍点著者) だ, という. で作用 してくるもの」 ここで重要なことは, 列強との矛盾は日本の封建制の内部矛盾を通して 規定作用が現われる,. という弁 証法的な思考である. 諸国民, 諸民族 間の接触は常にこのようにして規定しあうのであ る. 即ち矛盾を通して作用をうけながらまた逆に矛盾を通して相手にも作用するのである. このように, 日本と列強間に相互作用はあるけれ ども 「世界資本主義の」 , 日本の 生産様式変 革の意志は必然的 であることは前述の通りである. しかしその生産様式変革の端緒 である日本の 開国はアメリカ資本主義という偶然性をおびたものの手によ って行なわれたのである. 芝原氏は, 「日本が 『開国』 することは列強資本主義の矛盾の国内への-した が って生産を 担. う民 衆 へ の - 貫 徹 と い う こ と で あ」 る と い う.. 開国ということはやがて封建的生産様 式を変革するのであるから, したが って 生産を担う人民 大衆 の変 質はまぬがれないのである. この変質過程において一切の矛盾を負わされた人民の階 級 闘争は激化するのであり, 政治闘争の様相を帯び てくることは避けられないであろう. そして こ ・・. .・・.. ことになるのである. のよう闘争性, 革命性が討幕派武 士層に依拠され利用される ・..・・.・..・・.・・.・ ... .・. 次に 「世界資本主義」 は特殊的には列強資本主義であ った, という第2の 「特殊的前提」 に入 る.. 芝原氏は, 幕末・維新期における「世界資本主義」の前 述した性格からみて, この問題を 「植民 地争奪戦の激化と 帝国主義的世界分割 の直接の序曲という, 歴史的傾向の問題として把え, した が って日本 やアジア諸民族の側からみれる , 植民地的・半植民地的分割をせ ま ってく るものと し 3 5 ) 把握し, そして 「この客観的な法則的発展傾向との関連のなかで, H対馬事件や, 口英仏 て」 軍横浜駐 屯や幕府の買弁化過程, さらに同資本輸 出や軍事・鉄道・鉱山等利権獲得競争等の激化 - 11 -.

(13) . 手. 塚. 末. 松. 5 3 ) とするのである ここでの芝原氏の分析方法は ①例えば対馬事 な どの問題を 位置 づけ よう」 . , 件のように一見偶然 的に見える歴史的現象も, 世界資本主義 の発展法則の必然的現象としてとら え る こ と, ②したが ってロ シアの対馬占領が失敗に終 たとても それは決して資本主義の合法 っ ,. 則的展開を否定す ることにはならないこと, したが ってHD日にあらわれた ような植民地 化の危 機は当時は っきりと存在していたこと, ③そうした資本主義の合法則的展開に対して 具体的には , 植民地化の危機に対して, 一つの規 定的作用 を及ぼしたものは 当時の日本人の 主体的な条件で , あ ったこと, ④かくて次の分析は, 幕末・維新期におけ る主体的条件の分析となるのである 5 )芝 .3 .・ .. .・ ・ .. 原氏 は このような 思 考方法 に 対 して次 のよ うに表 現 す る .. 「ショ ← トタ イ ム 的 な 事 件 の個 々 の 具. 体的評価を通じて歴史的認識に到達することの重要 性を少しも否定・ しないが, 同時にその具 体的 事件とロ ングタイムな歴史的傾向との矛盾 や関係こそをつねに検討しておかないと 状況の一面 , 5 3 的把握や木をみ て森をみない結果におちいる」 ) であろうと これこそ弁証法的思考の精髄であ . ,. ・ .・..・.・ ろ う.. さて幕末 ・明治期におけ る植民地化の危機 を阻止した主体的条件の問題 も と包括的に云え , っ ば,これは「日 本における矛盾 の転換 過程の特殊性を決定 した」ところの要因の問題 である 「日本の . 半植民地的分割 化の危機」の阻止要因は何か. それは倒幕派によ る「幕府権力の早期打倒 と中央集. 権統一 国家の成立や, その明治政府の一定の対外主体性-たとえば諸蕃借数の政府一 括支払 いや 鉱山利権排除と国有化政策, あるいは当然のことながら鉄道公債など政 府借款の支払履行など」 3 5 ). を実施した「主体の対応」に求めなければならぬ. このよう に分析しつつ芝原氏 は しかし その , , 「対応」 のしかたは必然的に階級的特質をもた なければならなか ったことを 次のように分析す , る. 例えば明治政府が実施した 「諸税を抵当とする府藩県の外国人よりの借 財の禁止や鉱山の国 . 有化・鉱山抵当の禁止 ・外国への鉱山稼高抵当 の禁止などの国権的政策」 や 「列強資本主義の具 , 体的な圧力への対応という民族的契機を含みながらも, その具体的な対応の階級的特質が」 4 5 )(傍 点著者) 刻印されているのであり, 叉 「対朝鮮政策が, 列強との不 平等条約を裏がえした江華条 約に示され……ほぼ常時 の軍艦派遣 ……, 金融難をおしての朝鮮鉱山利権を抗当とす る借款供与 ) (傍点著者) にもみられる のである これは半封建的絶対主 義的性格をもつ明 5 4 の執勘な欲望」 . 治維新政府の主対的対応の階級的特質を示す国権主義的現われである. 3. 人民の主体性の問題. 次に 「E I本における矛盾の転換過程の特殊性を決定した, いま一つの重要な問題」 5 4 ) がある . それは芝“ 蓑氏のいわゆる 「国際的国内的人民メ←争 如何」 論で らる.. 先ず注意されなければならないのは芝原氏 の日新 しい川譜表現であるが, これは歴史 の進行過 程の特質を決定づけ るのは内外の人民大衆の闘争亥田誠こよるものだとの, 人民 の主体性に対する. 正しい認識からでたものと思う.. 芝原氏は 「国際的国内的人民闘争虹}何」 を究明することは, 「い っそう具体的キニ世界資本主義 4 ) の運動法則を把握する方法」 だという5 . 何故 か. それは 「資本主義の歴史的運動法則は, 資本 それ自体の運動によ って決定されるのではなく, その具体的な階級矛盾 ・階級闘争をつうじて決 4 ) 定されるものである」 からだ5 , という. したが ってまた 「列強資本主義 から帝国主義へ の転化 このような資本 の法則も, の内包的・外延的発展自体が, プロ レタリア階級闘争や民族独立運動. 5 4 ) だ, という. との関係や対決のなかで具体的 に規定されて存在するもの」 ここで重要な問題は法則と人間との 関係である. 歴史的・社会的法則は人間をはなれて存在す るものではない. 法則は個人・集団の意志と行動及びその結果の中 に貫かれてし ・るものである. - 12 一.

(14) . 歴 史 学 と 歴 史 教 育. だから人間の あり方や行動を深く 見ることによ って 法則の性格もその作用も認識できるわけであ. る. その逆もまたなり立つ. 資本主義の運動法則も人間関係をはなれて存在せず, 実は資本の人 格化である資本家 (階級) と労働力の所有者である労働者 (階級) との矛盾関係, 矛盾解決の闘 争などの経過と結果の中に貫徹するのである. すなわち資本家は労働者なしには存在しえない. 資本の源泉は利潤である. 利潤は労働者の搾取から生ずる. これが資本主義 の運動法則を規定す る基礎である. 第2には, 資本家の利潤と労働者の賃金は矛盾 関係にある. 一方が上昇すれば他. 方が下落する. 逆の場合も同様である. これは敵対的矛盾である. しかるに利潤増加の欲望は無 制限である. ここ から労働力の再生産のために生活擁護のために労働者の抵抗は必然である. こ. れは第3の要因である. かく てこの闘争の度合は資本主義の発展法則を規定づけることになるわ けである. ・資本主義の帝国主義段階になると, 独占資本の搾取は本国の労働者や勤労者だけ では なく, 最大限利潤 追求 のために植民地従属国の住民にも及ぶ. ここに民放解放運動の根拠が ある わけである. これがまた帝国主義段階における資本主義の発展法則に対して規定的作用をもつの で あ る.. ところで, 幕末・維新期において, 内外の人民の主 体性が列強資本主義の歴史的運動法則に対 して如何なる規定作用を及ぼしたであろうか. 芝原氏は内外の人民闘争を関連づけ て観察する.. そして安政条約締結の際における中国人民の太平天国革命運動, 叉対馬事件の際におけるロ シア 人民の農奴制廃 止の農民斗争が, それぞれある種の作用をもち (前者は中 国の天津条約より有利 な条件で締結, 後者は無事解決した のであった) , 列強資本主義の運動法則に対して一定の作用を 4 ) も っ た こ と を 発 見 した の で あ る5 .. 次に国内に目を転じて, 維新主体勢力の評価 にう つろう. い ったい幕末・維新期 における人民 の主体性とは 何であろう. 芝原氏は次のように述べる. 「討幕や戊辰戦争までいった幕府権力の打倒は 第一に人民の反封建・反幕府の革命的エネル ギ ーがあっ ては じめて実現されたのであり, 基本的 には 改良的・武士的中間層に指導されてはじめ 5 5 )(傍点著者) のであると. て勝利しえた」 傍点で強調しているように芝原氏が幕末・維新期 の人民に主体性を求めるのは, 「革命的原動 .・. ・.・. ・.・・.・. ..・・・. 力」 である というところにある. 討幕派武士層 の政治的成功もここに依拠して始め て可能だとみ ,. .・・.・. ..・・.. る の で あ る. し か ら ば 人民 の こ の 革命 的 エ ネ ル ギ ー は どこ か ら 生 ま れ る の で あ ろ う か.. 芝原氏は 「人民を主 体的存在たらしめる根拠は, それが当該段階で の基本的生産力であるとい 5 ) に存在するのだという. これはま ことに重大な指摘 である. 一見政治的にも無関心で 5 う事実」 あり無力にみえる人民の, その深部において革命の原動力を発見している. これは氏が唯物史観 . ・・ ・. ..・..・. ..・・. の立場に 立つためである. 周知のように社会の生産力は生産を担う人民と生産手段との統一した .・ ・. , .・・ , . ・. ものであり, その中でも人民の労働力は最も大切なものである. そしてこの生産力は常に前進性 ・ . .・. . ・ ・. をもつ. しかるに私的所有を基礎とする社会では生産手段は労働力 から切りはなされて所有者の. 手にある. 彼らは己れの利益のために生産力の発展を阻止するに至る. 生産力 の破壊は人民の生 命と生活を奪うことを意味する. ・人民の抵抗が必然 であり, ひいては反体制運動にまでつきすす ,. ・. .. む. かく て 人民は常に革命の原動力なのであり, 自覚すると否とにかかわらず, 原動力なのであ .・・.・..・・・. ・ ・. ・ .. ・ ・ .・ ・・ ・ .・. る. ここに人民の主体性の根拠が あるのである. 幕末・維新期の百姓一撒は 「このような生産力. 5 5 ) を基礎とした農民の必然的な主体的」 , な行動であった, 芝原氏もいうように 「このような人民 5 5 ) がはじめ て可能であ ったわけ 討幕派的な政治的主 の主体性の成長を基礎にして, 体性の成立」 - 13 -.

(15) . 手. 塚. 末. 松. で あ る.. 次に芝原氏は維新の過程で両者の主体性が, どのような差異を示 しつつ展開され てい ったかを 分 析する. ま ず討幕派武士層 の主体性はどうか, 「列強資本主義の圧力 や 国 内の発展する生産力 への, 対応や把握のための全国的な政治的・権 力的な構成をより具体的階級的に 構想しえた討幕 5 5 )(傍点著者) たのである. 派武士層の 『主体性』 が, 維新による当面の政治的勝利をうみだし」 人民の主体性は どうか. 「主体性の成長が生産と実生活に密着しつつ, それだけこれらの全国的 政治的構想にま で到 達しえなかった 『人民』 が, 維新史 の局面では, 討幕派にその革命的原動力 5 5 )(傍点著者) たのである. 両者の主体性の関連と特 を依拠され利用 される政治過程を特徴づけ」. 徴をみながら氏は, このよう な状況は決して 「人民に主体性がなかった」 ことを意味するもので はなく, 「主体性・革命性が存在したから こそ, 維新史のす ぐつぎの局面では地租改正反対や自 5 ) のだ, と強調するのである. 5 由民権運動の大衆的 成長も存在しえた」 それでは何故討幕派武士層が農民の主体性を 吸収 し依拠し得たのであ ろうか. 芝原氏は次のよ うに説明する. すなわち彼らは, 藩権力を, 「討幕;絶対主義的中 央集権のための経済的・軍事 的基盤に再 編成」 しつつ, 幕藩封建制を否定していく商品経済 の発展法則に依拠して 「絶対主義 的中央集権国家」 へと変革し, 「その絶対主義的権力によ って, 列強と対決 しよ う」 とする 「一. ) 6 面 の 改良性・開明性」 があった5 .「これが, 商品経済と 生産を担う農民層の主体性を」 吸収し依 ) 6 拠し得る根拠 とな ったのであると5 . このよう な分析によって始めて, 討幕派武士層が封建的藩. 権力と同質な権力主 義に立ちながらも, 反面に異質な改良性, 開明性をもつ階級的 特質が理解で きるのであり, これによ って明治政府 の位置 づけも正しく行なわれるであろう. 4. 明治維新政府 の役割. 明治維新政府の役割につい ての評価は, 列強資本主義 との矛盾克服の過程 と関連させてなされ なければならない. しかるに, 列強資本主義の日本に及ぼす規定的作用は 「国内的諸矛盾をつう 6 )の み な さ れ る の で あ る 5 じ て」 .. ここから芝原氏は 「列強資本主義との主要 矛盾の克服 過程そのものが階級的性格あるいは階級 ) (傍点著者) ものだ, ということに特別の注意をはら 5 6 矛盾の具体的体様をも っ て展開される」. うのである. 氏の維新政府に対する評価は, この観点からなされるのである. ま ず, 明治政府を 2 1対外的自主性の増した こ { 1 )国 内的基盤が より強固であること, 幕府と比較してその主体性を, ( . ) 6 矧半植民地化阻止の 諸政策の実施な どに見いだしながら5 と,( , その一定の主体性の源を 「人民 の革命化の発展におされつつ旧幕 府権力の打倒という変革 を成就した 明治政府の一面の改良的開 5 ) に求め, 一定の評価を与えるのである. 6 明的性格」 しかしそれと同時に氏は, 明治政府のこの一定の 「自主性」 そのものが 「階級的特質と限界を 5 6 ) を見落してはならぬ と強調する. その事実 として, 対外的には不 平等条約の も っている事実」. 遵守 (後に自由民権運動の条約改正要求に対抗した 権力万能の秘密外 交による条 約 「改正」 交渉 事的脅迫・鉱 となる) , 列強資本主義への屈従のうら返したる朝鮮・中国への不 平等条約要求・軍 ) 6 山利権獲得などの国権主義的侵 略志向を5 , 対内的には 「列強資本主義の圧力に対応 した具体的 原蓄政策それ自体が農民層の半封建的隷属と劣悪な プロレタリア化を条件とした, 絶対主義的権 ) をあげてい 5 6 力と政商との癒着による国家資本主義の方向をも っという反人民的・階級的構造」 る.. )(傍点 5 7 芝原氏は結語において, 「明治政府の列強への対応の階級的・絶対主義的特質を明瞭」 .. .・.. 一 14 -. .・‐.・.

(16) . 歴 史 学 と 歴 史 教 育. 著者) にする ことによって 「日本資本主義の原型矛盾が 列強資本主義から帝国主義への世界資本 5 7 ) とともに,「日本民 族にとっ てはそれが 『一つ 主義の一般的矛盾の具体的・特質的一環である」 ) であろうし, 5 7 の選択』 にもとづいた特質的矛盾である という構造 がより具体的に把握できる」 『 ま た 「このような把握こそが, 直接的には, 経済的 ・政治的により民主主 義的な 別の選択』の可 ) くことができよう, と述 5 7 能性を求めた自由民権運動の真の歴史的意義を評価しうる途をひら」 べ て い る が, こ れ は ま こ とに な み な み な ら ぬ指 摘 で あ ろ う と考 え る.. それはま ず第1に, 氏が如何にす ぐれた世界史的歴史認識をも っているかを示している, すな わちこ こでは, 維新史をみることによって当時の世界史的状況が展望されうるであろう し, また, 「維新史像」 は圧縮された特殊な 「世界史像」 である ことが理解されるであろう. 第2に, 氏は 8 ) で, 「明治政府の反人民性・専 学説史上新見解を打ち出したことである. 例えば, 同論文の註5 制性,半封建性な どが単純な幕藩体制の形態転換ではなく, 実は当時の 『世界資本主義・帝国主 義の一般的法則の一部としての特質』 をもっ て展開してい ったのだ」 とのべていることと相挨 っ て, 氏のマル クス主義史学理論が如何に正確なものであるかを語るものであるが, これによって 従来, いわゆる 「科学的見解」 として主張された 「明治政権と幕藩権力の同質 性」 論は, 事実上 批判されたものと考える. 第3に, 明治政府の主導のも とに展開された 「日本の道」 は, 決して 「不可 避な道」 ではなく, 実は 「一つの選択」 によるものであ り, 従 って 「別の選択」 の 「可能 性」 にまで言及したことは, 先述の 「維新主体勢力 や明治政府の評価」 の問題 ともあわせ て, 日 本国民の実践上の問題を提起したものであり, これは歴史教育に寄与するところ甚大なものがあ る と考 え る. む. す. び. ここでは, 歴史学と歴史教育の提携の 「結 び 目」 である 「歴 史 像」 構成上の理論問題の一 つ 「歴史像と法則」 の問題に ついて簡単にふれ, むすびにか えたいと思う. 私が芝原氏の 業績をとりあげたのは, 氏が正しい歴 史認識の方法を用いて真の世界的史な 「維 新史像」 の構成に成功した, と考えたからである. そしてその方法は, 歴史の合法則的把握法で あ っ た.. 「日本国民の世 しかるにこれと全く対照的な世界史の構成が上原専禄 氏によ ってなされている( 「歴史学序説」《歴 史の概念》参照) 界史」).上原氏の歴史認識の方法はいわゆる 「個 性化的把握」( であっ て, すべての歴 史現象を, 必然に おい て認識するのではなく, その個 性化においてとらえ ようとする. 従 って世界史の構成においても最も個 性的な 「女明圏」 それを支える 「民族」 を中 心にすえるのである. ここで氏の方法を詳細に みるわけにはいかな いので, 氏の 「日本国民の世 界史」 に則して問題点と思われるものをいく つかあげよう. 第1に古代・中世を色どった 「東洋 文明圏」 と 「西洋文明圏」 の歴 史的個 性はどうして生じたか. 叉そのような個 性をも った文明圏. として存続し得たのはな ぜか, 第2にヨーロ ッパ の近代化によ ってこの二つの文明圏が一つに結 合されたのはな ぜか. この場合 「ヨ ーロ ッパ 文明」 が能動的な役割を担い, 「東洋文明圏」 が受 動的立場におかれたという が, それはなぜか, 上原氏の 「世界史」 はこの 「な ぜか」 については 「文明圏」 と 「民族活動」 を基準として設定し 結局答えていないように思う. 第3に時代区分も ・..・ ,. 基本法則」 との関連でなされなければ, 一 ている が, これは 「発展段階論」 あるいは 「世界史の .. .・..・・.・ .. .・ . 賀した正しい時代区分ができないのではないか. 第4にすべての歴史現象を世界史的連 関におい 一 15 一.

参照

関連したドキュメント

これまた歴史的要因による︒中国には漢語方言を二分する二つの重要な境界線がある︒

定義 3.2 [Euler の関数の定義 2] Those quantities that depend on others in this way, namely, those that undergo a change when others change, are called functions of these

本県は、島しょ県であるがゆえに、その歴史と文化、そして日々の県民生活が、

 チェンマイとはタイ語で「新しい城壁都市」を意味する。 「都市」の歴史は マンラーイ王がピン川沿いに建設した

 このようなパヤタスゴミ処分場の歴史について説明を受けた後,パヤタスに 住む人の家庭を訪問した。そこでは 3 畳あるかないかほどの部屋に

モノーは一八六七年一 0 月から翌年の六月までの二学期を︑ ドイツで過ごした︒ ドイツに留学することは︑

・主要なVOCは

日時:2014 年 11 月 7 日 17:30~18:15 場所:厚生労働省共用第 2 会議室 参加者:子ども議員 1 名、実行委員 4