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西郷文芸学における「視点論」の変化に関する考察

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*  兵庫教育大学大学院連合学校教育学研究科学生(Doctoral program student of the Joint Graduate School in Science of School Education, Hyogo University of Teacher Education)

兵庫教育大学 教育実践学論集 第22号 2021年 3 月 pp.83−96

西郷文芸学における「視点論」の変化に関する考察

村 尾   聡*

(令和2年7月2日受付,令和2年12月23日受理)

A Study of Changes of The Theory for a Point of View

in The SAIGO's Literary Educational Theory

MURAO Satoshi

*

The aim of this paper is to examine SAIGO's literary educational theory which was constructed by SAIGO Takehiko from the 1960's to the 2010's. His theory was characterized by "the personal point of view" with "the inside eye and the outside eye" in 1970's. But he made the big theoritical changes in 2008.

  He had to abandon his "personal point of view" theory as some stories could not be analized by his theory. Then he made the vague conception of "the inside and the outside eyes" clear, therefor many stories were could be analized. He thought that the narrator is always "the first person ; singlar I " in any cases.

  The narratology of G.Genette in the 1980's affected the SAIGO's theory. SAIGO could change the understanding and conception about his narrative theory through Genette's theory. And, he made own theme : the narrator is always "inside narrative world". This changes of the theory for a point of view affected the literary education.

Key Words:SAIGO's Literary Educational Theory, Personal Point of View, Inside and Outside Eye, Narratology of G.Genette はじめに  西郷文芸学とは,1960年代から2010年代にかけて文芸 学者の西郷竹彦が打ち立てた文学教育に関する理論であ る。西郷文芸学の研究で知られる足立悦男は,西郷文芸 学について「昭和40年代のはじめ,教育界に新しい教育 論が登場した。西郷竹彦の提唱した「関係認識・変革の 教育」である。その提唱は,西郷理論とよばれ,国語教 育の世界に大きな影響をあたえた」(1) と述べている。  足立の西郷文芸学に関する研究は,1960年代から1990 年代を対象としている。論者は,これまでの西郷文芸学 の研究をふまえつつ,主に2000年代から西郷が亡くなる までの2017年までの西郷文芸学を研究対象にしたいと思っ ている。それは,2008年に発表された「文芸(虚構)の 世界―西郷文芸学の新展開その1―」(以下「西郷文芸学の 新展開」と略)では,これまでの西郷文芸学をふまえな がらも,大きな理論的な変化が見られるからである。本 論文は,その理論的な変化のうち「視点論」を取り上げ, どのように視点論が変化したのか,またそのような変化 がなぜ起こったのかを考察していきたい。  「視点論」とは,文学作品を構造的に分析していこうと するロシアフォルマリズムやその流れをくむナラトロジー の理論(注1),また1950年代にアメリカやイギリスに起こっ たニュークリティシズムの流れをくむ「分析批評」など の理論の1つ(注2)であり,物語を「誰が見て」「誰が語るのか」 という,いわゆる "point of view" の問題である(注3)  我が国の国語教育界において,ナラトロジー,分析批評, 西郷文芸学による視点論(以下「西郷視点論」と略)等, 視点に関する理論が乱立しており,これらの理論と西郷 視点論の変化との相関を考察することによって,その独 自性を明らかにし,文学教育にどのような影響を与えた のかも評価したい。  研究方法としては,西郷視点論に関する記述を年代ご とに整理し,どこでどのように変化したのかを調査して いく。そして,視点論に関する概念用語の変化をたどる ことによって,なぜ視点論が変化したのかを考察したい。 また西郷視点論に関する先行研究を整理し,西郷視点論 の変化との関連性を調べること,さらに西郷視点論に影 響を与えたと思われるナラトロジーの理論との比較等に よって,なぜ西郷視点論が変化し,そして,その変化が 文学教育に何をもたらしたのかを考察していきたい。 1.西郷文芸学における「視点論」  西郷視点論とは何か,西郷は文学作品における「視点」 について次のように述べている(2)

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文芸作品(注4)は,そのジャンルの如何を問わず,あ る一定の視点を媒介として表現されています。した がって,すべての文芸作品は視点を媒介することな しには,正しく,かつゆたかに深くそれを読みとる ことはできません。  文学作品は,ある「誰か」から見た表現であり,読者 は作品の「視点」をふまえて読み,イメージを作る必要 性があることが述べられている。  また,作者は作品を書くときには「語り手(話者)」を 設定し,その語り手は「聞き手」に向かって登場人物と 登場人物をとりまく出来事を語るとした上で,語り手の 語り方について「人物と物事を語るときに外側からこれ を見て語ります。こういう語り方を,それを《外の目》 で語るといいます」。もう一つは,作品の中の「ある特定 の人物の《内の目》と言いますが,この人物の《目と心》 をとおして他の人物や物事(「対象」と言う)を見て語る」 と述べている(3)  そして,語り手が「ある特定の人物の《内の目》」で語 る場合,その人物を「視点人物」とした上で,語り手の 語り方(外の目・内の目)と読者との関係について,次 の様に述べている(4) 読者は,視点人物と同化して視点人物の体験をとも に体験しながら,身につまされ,我を忘れていながら, 他方では,視点人物をもつきはなし,一歩身をひき, ある時は批判し,対象化します。これを異化といい ます。ある事件を,そこに登場する人物自身になっ て体験するしかたが同化体験であり,その人物をも 外側からながめる,いわば第三者・目撃者としての 体験のしかたを異化体験といいます。〈外の目〉は異 化体験,〈内の目〉は同化体験をひきおこします。文 芸の体験は,これら同化と異化が表裏一体となった, ないまぜになった体験であり,これを生身の体験と 区別して共体験と名づけます。  西郷は,語り手の語り方を「語り手の〈外の目〉」で語 る場合と,「語り手が,ある特定の登場人物の〈内の目〉」 で語る場合に分類し,〈外の目〉は「異化体験」を,〈内 の目〉は「同化体験」を引き起こすとした。このように, 読者が作品を読むことによって引き起こされる「文学体験」 の内実を明らかにした所に西郷視点論の特質がある。  先に述べた足立は「〈外の目〉による異化体験,〈内の目〉 による同化体験(共体験)」という西郷視点論の特質につ いて次の様に評価している(5) 戦後の文学教育論は,文学体験の成立をめざすこと を共通の目標にかかげていた。一般には「追体験」 といわれ,作者の体験をたどりなおすことであると 考えられてきた。あるいは,現実体験に準じるとい う意味で,熊谷孝は「準体験」と呼んだ。西郷の「共 体験」は,そういった文学体験の考え方には,作品 と読者を結びつける視点論のないことを批判し,「視 点をとおしての読み」として発想された。その上で, 文芸研(注5)方式(教授=学習過程)において,〈たし かめよみ〉の課題として組み込まれた。〈たしかめよみ〉 は「共体験の段階」と呼ばれている。  西郷視点論は,足立が述べるように「視点をとおして の読み」によって,読者の文学体験の内実を明らかにし, 共体験を授業のプロセスとして組み入れ,文学教育の中 に位置づけたといえる。村上呂里も「「視点」論を核とし て,文学の語りを授業論にまで高めた」(6)と西郷視点論が 文学教育に与えた影響を評価している(注6) 2.西郷視点論―1960年代~1970年代  足立は,西郷視点論の成立は1966年「文学作品とその 視点」にはじまり,1967年から1969年の「冬景色論争」(第 3節-3-2.において詳説)の間に形成されたとしている(注7)  視点論が形成された1970年,西郷は「文学作品の視点 と教授=学習過程・方法」において次の様に述べている(7) すべての視点を私は,二つの視点によって分類しま す。たとえば,一人称の視点は,〈私〉なる人物の眼 をとおして世界をながめるもので,したがって,〈私〉 なる人物の内面をくぐった,あるいは〈私〉の主観 に彩られた世界といえますが,この場合の視点を〈内 からの視点〉あるいは《内の目》と名づけます。三 人称客観の視点は〈外からの視点〉あるいは略して 《外の目》と名づけます。三人称限定の視点は特定の 人物の内面を通すとともにその人物を外からも描く 視点であって,たとえていえば三人称の客観と主観 が統一されている視点です。このばあいは《内の目》 と《外の目》がかさなったものといえます。三人称 全知の視点は,特定の人物だけでなくすべての登場 人物の「内と外」をとらえる視点です。  足立によると,西郷視点論はM・Hアブラムスら「外 国の文学理論の翻訳であった分析批評の影響をうけていた」 とした上で,視点を「一人称の視点」「三人称限定の視点」 「三人称客観の視点」「三人称全知の視点」という概念に分 類し,「新たに「内からの視点」「外からの視点」という二 つの視点論に整理し,その後「内の眼」「外の眼」をへて, 〈内の目〉〈外の目〉という平明な視点用語に決定された」 と分析している。  また,西郷が新しく整理し直した「内の目」「外の目」

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による視点の分析(以下「内の目・外の目視点論」と略)は, 川端康成の小説論の影響があったという(8)  川端小説論における視点論には,「内部視点」と「外部 視点」がある。「内部視点」は「「私」という第一人称をもっ て書かれた私小説の如く,作家の構成する角度が内部に 主体的に存在する場合」であり,「外部視点」とは「作家 が小説の内部にあって作中人物として活動せず,作家が 小説の外部にあって一定の距離から人物を活動せしめて 統一する,普通の言葉で解り易くいうならば所謂第三人 称小説の大部分はこれに属する」(9)というものである。つ まり,「内部視点」=「一人称視点」,「外部視点」=「三人 称視点」という意味であり,足立が指摘したように西郷 視点論における「内の目」「外の目」の概念に影響を与え たといえる。  西郷は,外国の文学理論である分析批評の「一人称の 視点」「三人称の視点」による分析(以下「人称的視点論」 と略)と川端視点論を関連付け,独自に「内の目・外の 目視点論」を作り上げたといえる。  一方,1969年に発表した「童話と絵本の世界」では,「視 点人物」と「対象人物」について,次のように述べている(10)  文芸作品のなかに登場する人物を考えてみると, 二種類に分けることができます。一つは視点人物で, もう一つは対象人物です。視点人物というのはみて いるほうの人物,対象人物はみられているほうの人 物です。(中略)ただ視点人物は作品の内にいる場合 と作品の外にいる場合があります。おなじ視点人物 がはじめは作品の外にいて,あとでは作品の内に入っ てくることもあるし,逆にはじめは作品の内にいた のがあとで作品から外にとび出すということもあり ます。  民話を例にとると,民話の中にでてくる登場人物は, すべて対象人物であり,その人物を見ている視点人 物は,外にいる話者であるということになります(下 線は論者による)。    初期の西郷視点論においては「語り手(話者)」と「視 点人物」が同義的に使われている(注8)。この文脈での「視 点人物」は「語り手(話者)」と考えられる。この時点で 西郷は,語り手(視点人物)は「作品の内にいる場合と 作品の外にいる場合がある」と述べている。  1960年代から1970年代の西郷視点論をまとめると,次 のような図式になる。 (西郷視点論の整理Ⅰ)  一人称視点 ― 内の目 ― 語り手(視点人物)は         作品の内側にいる  三人称視点 ― 外の目 ― 語り手(視点人物)は         作品の外側にいる 3ー1.西郷視点論の変化―人称的視点論  前節で述べた人称的視点論は,2008年に発表された「西 郷文芸学の新展開」において西郷自らが批判し,新しい 視点論を打ち立てている。  西郷は,「一人称視点」「三人称視点」(限定・客観・全知) という人称的視点論による分析を否定し,「どんな場合で も,語り手は一人称単数の「わたし」です。「私たち」(複 数)とあっても,語っているのは常に「わたし」一人です。 語り手が一人称とか三人称ということは絶対ありません」(11) と述べている。  この節では,西郷視点論における人称的視点論がどの ように変化していったのかを追っていきたい。1960年代 から1970年代での西郷視点論は前節で述べた通りだが, 1990年になって変化が見られる。1990年6月に発表した 「「法則」化・分析批評批判2―分析批評・視点論を批判す る」では,これまで採用してきた人称的視点論(西郷は「文 法的,人称的視点論」と呼称している)について次の様 に述べている(12) 西郷文芸学の視点論はこれまでの表現論や文芸理論 (分析批評をふくむ)とちがって,文法的,人称的視 点論を批判しのりこえることによって,話者の視点 (話者の《外の目》)と人物の視点(人物の《内の目》) の二つに類別し,この両者の様々な組み合わせとし て考える。  この論文は,教育法則化運動(注9)が採用する人称的視 点論を批判する文脈で書かれたものである。そしてその1 年後,1991年に出版された『作文表現論』に,次のよう な記述がある(13)。これは,斎藤隆介『モチモチの木』の 冒頭部分「まったく,豆太ほど おくびょうな やつは ない。 もう五つにもなったんだから,よなかにひとりでセッチ ンぐらいに いけたっていい。」(14)をめぐる論議である(以 下,引用内下線は論者による)。  右のような文章表現は話者の存在をあらわに示す 〈私〉という人称代名詞がないために,「無人称の表 現」と呼ばれることもあります。(中略)『モチモチの 木』の冒頭の文章を例にとっても文法論の人称によっ て区分するとなると,ある者は,一人称の視点(た だし〈私〉という代名詞の消えたものとして)考え, ある者は,無人称と名づけ,また,ある者は,三人 称の表現ととらえる,―といった具合です。  方便として私も一人称,二人称,三人称の名称を 借りて視点を説明することがありますが,これはあ くまでも方便です。しかし,ときに右のようなあい まいさ,混乱をひきおこすことを考えて,私は,話 者の視点(目と心)と人物の視点(目と心)という

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二つの概念に整理し,すべての文章表現は,この両 者の関係の如何によって決まる―という仮説をたて たのです。  そして,6年後の1997年『西郷竹彦 文芸・教育全集 14 巻』の巻頭において次の様に述べている(15) 視点について,これまで国語教育の世界でも「一人 称の視点」とか「三人称の客観・限定・全知の視点」 などという用語が使われてきました(たとえば分析 批評などで)。しかし,視点は,すべて語り手の一人 称の視点です。  以上のような経過で西郷視点論は変化し,2008年の「西 郷文芸学の新展開」につながっていったのである。 3ー2.西郷視点論は,なぜ人称的視点論を捨てたのか  そもそも西郷は,なぜ「内の目・外の目視点論」を打 ち立てたのか。第2節で引用した「童話と絵本の世界」 (1969年)に次の様な記述がある(16) ところで,このような区分(論者注―人称的視点論 による視点の区分)をするとやっかいで煩雑であるし, まだそのほかにもこまかくいろいろな視点の区分が あるので,私は幼児文芸の研究,あるいは幼児の文 芸教育の中では《外の目》《内の目》という二つの視 点に区分すればことたりると考えています。  さらに,1989年出版の『西郷竹彦文芸学辞典』でも, 「内の目・外の目視点論」を導入した理由について次の様 に述べている(17) 複雑微妙に変化する視点のすべてについてここに詳 述するわけにはいきませんので,いわゆる学校文法 というものがあるように,小・中学生向きに典型的 なばあいをとりだして,学校文芸的なものを考えて います。つまり,ある人物の視点《内の目》と,あ る人物をふくめすべての人物をわきから,横から見 る《外の目》という二つの視点を設け,この両者の さまざまな組み合わせで多くの作品の視点を説明で きるのではないか,また,そのような方便的な理論 が学校教育の範囲では必要であろうと考えています。    つまり,人称的視点論では作品の視点を分析するのが 学校現場にとって困難であり,教育に援用可能にするた めに内の目・外の目視点論を作り上げたといえる。  では,西郷視点論はなぜ人称的視点論を捨てたのか。 西郷が人称的視点論をはっきりと批判した1990年6月の 「「法則」化・分析批評批判2―分析批評・視点論を批判す る」には,次の様な記述がある(18)  一人称,二人称,三人称(客観・限定・全知)な る文法的,人称的視点の類別をすることが,日本の 文芸作品において「全知か限定か」とか,ばあいによっ ては「一人称か三人称か」といったそれこそ〈バカ げた実践〉をひきだしてしまうことにもなるのである。  西郷文芸学が文法的・人称的視点のわずらわしさ を解決するために,文法的・人称的に視点を類別す ることを否定して,あらたな観点からの視点の類別 を試みたのは以上のような〈バカげた〉混乱を避け るためであった(下線は論者による)。    西郷視点論の変化は,法則化・分析批評批判の中で生 まれたと考えられる。では,西郷のいうところの人称的 視点論の「わずらわしさ」「〈バカげた〉混乱」とはいかな るものなのか。  西郷は人称的視点論(「一人称視点」「三人称視点」)に おける分析方法では,例えば『モチモチの木』の冒頭部 分を分析する場合,語り手が「一人称」で語っているのか, 「三人称」で語っているのかという混乱が起きると感じ, 自ら人称的視点論を捨て,「話者の外の目」と「人物の内 の目」の二つの概念だけによって視点を分析しようとし たと考えられる。  教科書教材で有名な宮沢賢治『やまなし』の場合はど うか。冒頭部分を引用する(19)   小さな谷川の底を写した,二枚の青い幻燈です。  一,五月  二疋の蟹の子どもらが,青白い水の底で話してゐ ました。 『クラムボンはわらつたよ。』 『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』 『クラムボンは跳ねてわらつたよ。』 『クラムボンはかぷかぷわらつたよ。』  上の方や横の方は,青くくらく鋼のやうに見えます。 そのなめらかな天井を,つぶ 暗い泡が流れて行きます。  この作品を人称的視点論で分析すると,「私」という人 称がないので「三人称視点」であり,〈二疋の蟹の子ども〉 が〈クラムボン〉をめぐって,会話している様子を語っ ており,その内面は語られていないので「三人称客観視点」 と考えられる。しかし,〈二疋の蟹の子ども〉は〈青白い 水の底〉にいて,谷川の底から見える景色(水中や水面) を〈上の方や横の方は青く〉〈そのなめらかな天井〉と語っ

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ているので,語り手は〈二疋の蟹の〉すぐそばで(二疋 の蟹の側から)語っており,「三人称限定視点」とも考え られる。さらに,この作品の結びは「私の幻燈は,これ でおしまひであります。」(20)と,最後になって,一人称の 語り手が顔を出してくる。  では,この作品は「三人称客観視点」なのか「三人称 限定視点」なのか,それとも「一人称視点」なのかとい う混乱が生じる。西郷は,人称的視点論による作品分析 の混乱を避けるために,人称的視点論を捨てたと考えら れる。   3ー3ー1.「内の目・外の目視点論」の変化  「内の目・外の目視点論」は,教育に援用するために考 案されたものであったが,その概念は微妙に変化しなが ら,分析の精度を高めていっている。この節では,その ような「内の目・外の目視点論」の概念規定の変化を追っ ていきたい(以下,引用内下線は論者による)。  1967年「文学作品の視点と教授=学習過程・方法」では, 「一人称の視点は,〈私〉なる人物の眼をとおして世界を ながめるもので,したがって,〈私〉なる人物の内面をく ぐった,あるいは〈私〉の主観に彩られた世界といえま すが,このばあいの視点を〈内からの視点〉あるいは《内 の目》と名づけます。三人称客観の視点は〈外からの視点〉 あるいは略して《外の目》と名づけます」と述べている(21)  それが,1989年『西郷竹彦文芸学辞典』では,「ある人 物の視点《内の目》と,ある人物をふくめすべての人物 をわきから,横から見る《外の目》という二つの視点を 設け,この両者のさまざまな組み合わせで多くの作品を 説明できる」(22)となり,さらに1991年『作文表現論』に おいて,「私は,話者の視点(目と心)と人物の視点(目 と心)という二つの概念に整理し,すべての文章表現は, この両者の関係の如何によって決まる」(23)と変化している。  そして,1997年には「まず語り手が外から見て〈外の目〉 で語るわけですが,むしろこのなかのある特定の人物の 〈内の目〉といいますが,この人物の目と心を通して見る, 語る。こういうふうに二重になっている」(24)と規定している。  「外の目・内の目」に関する概念規定の変化を整理する と次のようになる。 (西郷視点論の整理Ⅱ) ①「内の目」に関する記述  1967年 一人称の視点は,〈私〉なる人物の内面をくぐっ た視点〈内からの視点〉・《内の目》   1989年 ある人物の視点《内の目》  1991年 人物の視点(目と心)  1997年 ある特定の人物の〈内の目〉 ②「外の目」に関する記述  1967年 三人称客観の視点は,〈外からの視点〉・《外 の目》  1989年 すべての人物をわきから,横から見る《外の目》  1991年  話者の視点(目と心)  1997年 語り手の〈外の目〉  西郷は「内の目」「外の目」の概念規定を最終的に「あ る特定の人物の内の目」と「語り手の外の目」とし,こ の二つの視点の組み合わせによって視点を分析しようと 自らの視点論を修正したのである。1990年代末での「内 の目・外の目視点論」を整理すると次の様になる。 (西郷視点論の整理「内の目・外の目視点論」Ⅲ)  ①語り手の「外の目」の語り ②ある特定の人物の「内の目」の語り  ③語り手の「外の目」がある特定の人物の「内の目」 と重なる    ②は,語り手がある特定の人物と一体化し,ある特定 の人物の内面を語る場合を指し,③は語り手の「外の目」 がある特定の人物に空間的,心理的に近づいて語る場合 を指す。この分析によると,先の『モチモチの木』の冒 頭部分も語り手の「外の目」で語られたものであり,物 語は次第に〈豆太〉の「内の目」に寄り添い,重なって 語られていくと分析できる。『やまなし』の場合は,語り 手(私)の「外の目」が〈二ひきのかに〉の「内の目」の「が わから」語っている(西郷視点論の整理Ⅲの③「外の目」 と「内の目」の重なり)と分析できる。  このように,西郷は「内の目・外の目」に関する用語 を「ある特定の人物の内の目」「語り手の外の目」という 概念に修正・変化させることによって,多くの作品の視 点を分析可能とすることができるようになったといえる。  人称的視点論を捨て,「内の目・外の目視点論」だけの 分析に移行することによって,作品の視点分析は人称に 縛られなくなり,すべての作品は「語り手の「外の目」」 で語られるか,「ある特定の人物の「内の目」」で語るか, その中間の「語り手の「外の目」とある人物の「内の目」 の重なり」の三類型で分析できるようになる。  西郷視点論の整理Ⅲを下敷きにして考えると,①②③ ともすべてが「語り手の語り」となる。②の「ある特定 の人物の「内の目」の語り」も,人物の内面を「語り手 が語っている」からである。西郷が2008年に「西郷文芸 学の新展開」おいて西郷文芸学では「どんな場合でも, 語り手は一人称単数の「わたし」です」という変化は,「内 の目・外の目視点論」だけによって,分析するようになっ た帰結といえる。

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3ー3ー2.「内の目・外の目視点論」は,なぜ変化し  たのか  西郷は,1960年代末に成立させた内の目・外の目視点 論を1990年代末までに,修正・変化させることによって, 多くの作品を混乱することなく分析できるようになった ことは前節で述べた通りである。  この節では,内の目・外の目視点論の変化の原因につ いて考察を進めたい。そのために,1960年代末から1990 年代末までの西郷視点論に関する研究のうち,「内の目・ 外の目視点論」に関する論文を取り上げ,内の目・外の 目視点論の変化との関連性を見ていきたい。  宇佐美寛は,「出口論争」(斉藤喜博が行った「山の子ど も」という授業実践についての論争)における西郷の教 材分析について,「話主は二人(論者注―登場人物)の気 持ちをとらえ,それによって自分の気持ちを作る。話主 が表現するのはあくまでも話主自身の観念内容である。 他人である「二人」の気持ちを表現できるわけがない」(25) と述べている。  「話主(語り手)」は,西郷視点論において「外の目」 に関わる概念であり,「視点人物」は「内の目」に関する 概念である。宇佐美は「外の目」と「内の目」の関係性 に疑問を呈していたといえる。  山本茂喜は,「西郷視点論における視点人物と語り手と の関係を整理し,『冬景色』におけるその適用を考えた場 合,「内の目」と「外の目」の区別の曖昧さに気づく。「私」 の省略と考えるだけで,たやすく『冬景色』は「外の目」 から「内の目」へ変わってしま」い,「「内の目」と「外の目」 の概念規定に問題がある」と述べている。そして,「「内 の目」と「外の目」は,ともに,語り手を指すが,また 視点の要素を持つ概念」であり,「それが,「内の目」と「外 の目」の関係,また,視点人物と話者の関係を曖昧にして」 いる。「語り手は語るのであり,厳密に言えば,視点人物 とは言えない」と指摘している(26)  山本の論考は,いわゆる「冬景色論争」における内の目・ 外の目視点論に対する批判である。「冬景色論争」とは, 1967年から1969年にかけて,垣内松三の『冬景色』とい う教材をめぐって西郷竹彦と古田拡との間で「冬景色論争」 があり,西郷は自らの文芸学の立場から,古田は垣内の 提唱するセンテンス・メソッドの立場からの意見が交わ されたものである。  教材『冬景色』は,人称的視点論に従えば,「三人称客観」 の視点であり,当時の西郷視点論の分析に従えば,「外の 目」による語りになる。しかし,当時西郷は,「私」とい う「視点人物」が省略されてはいるが,「冬景色」を眺め る「視点人物」の目と心(内の目)で読む必要性を主張 した(注10)。山本は,同じ教材を「外の目」の語りとも読め, 「内の目」の語りとも読める当時の内の目・外の目視点論 の概念規定の曖昧さを指摘していたのである。  西郷「内の目・外の目視点論」は,宇佐美や山本らの 批判(注11)を受け,「誰の「外の目」」なのか,「誰の「内の目」」 なのかという概念規定を厳密に規定するために,変化し ていったと考えられる。 4ー1.西郷視点論における「語りの水準」批判  中村哲也は,西郷視点論の問題点として「話主の視点= 「外の目」,登場人物・視点人物=「内の目」という設定で いくと,なによりも,語り手=話主までが視点人物となり, 語り手の存在,語り手が物語言説を生み出す現場性(語 りの審級)がなおざりにされ,その結果として,語り手= 話主ではなく,視点人物の「目」が内か外かという視点 のレベルに語りの問題が置き換えられ,あるいは混同さ れてしまう」(27)と述べている。  中村は,西郷視点論は語り手に視点概念を付与するた めに「「語りの審級」がなおざりにされ」ているとしている。 「語りの審級(narrating instance)」とは,ナラトロジー(物 語論)の用語であり,ジェラルド・プリンス『物語論辞典』 によると,「一連の状況・事象の物語り行為で,広くは, そのような行為の(語り手(narrator)や聞き手(narratee) を含む)時間空間的な文脈」(28)をいう。物語論者である G.ジュネット(Gérard Genette)は,この「語りの審級」 について次の様に述べている(29) 物語る行為と,その行為に関する主な作中人物,そ の空間的・時間的な限定,同じ物語言説に含まれる 他のもろもろの物語状況に対してその行為が持つ関 連,等といったものが相互に結び合う緊密な関係の 織物を引き裂かない限り,何ものをも区別する0 0 0 0 こと は不可能である。(中略)かくしてわれわれとしては, これまでと同様本章でも現実には同時的に機能して いるはずのいくつかの決定要素を逐次考察し,それ らを主として語りの時間と語りの水準0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ,そして「人称0 0」 ―言い換えるなら,語り手もしくは場合によって語 り手の相手である一人または複数の聴き手と,語り 手の語る物語内容との関係―という三つの範疇に関 連づけてゆくことになる。  ジュネットによれば,「語りの審級」とは,物語行為に おける「語り手・聞き手」と「物語内容」との関係性の ことであり,「語りの時間」「語りの水準」「人称」の三つの 分析カテゴリーがある。そのうち「語りの水準」について, さらに次の様に述べている(30) ある物語言説によって語られるどんな出来事も,そ0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 の物語言説を生産する語り行為が位置している水準0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 に対して,そのすぐうえの0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0物語世界の水準0 0 0 0 0 0 0にあるの0 0 0 0 だ0,と。ルノンクール氏によるその虚構の『回想録』

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の執筆は,第一次の水準で遂行された(文学的)行 為であるから,この水準を物語世界外extradiégétique の水準と呼ぶことにしよう。そしてこの『回想録』 の内部で物語られるもろもろの出来事を物語世界 diégétiqueの―あるいは物語世界内intradiégétiqueの出 来事と呼ぶことにしよう(下線は論者による)。  ジュネットの言うところの「語りの水準」とは,言い 換えれば「語り手の語る場所・位置・次元」のことであり, 阿部昇は西郷視点論における「語りの水準」の問題を指 摘している。阿部は「西郷文芸学の新展開」において,「西 郷文芸学は,すべての語り手は例外なく「語り世界の内」 にいる」「語り手も聞き手も,そして主人公までも同じ語 りの時空を共有する」(31)という考え方について,次の様 に反論する(32) 話者(と同一人物)が物語世界内に存在する場合は, 話者(同一人物)が物語世界の有り様(事件展開) に参加し関与した可能性が高い。物語世界の喜怒哀 楽に話者が深く関わった可能性である。話者(と同 一人物)が物語世界内に存在しない場合は,話者(と 同一人物)が物語世界の有り様(事件展開)に参加 し関与することはありえない。語り手は,物語世界 の喜怒哀楽とは別の世界に存在する。  阿部は,話者(語り手)が「物語世界内に存在する場合」 と「物語世界内に存在しない場合」があると主張する。  田中実も阿部と同様に,西郷視点論における「語りの 水準」の問題点を指摘している。田中は「語り手が語っ ている物語のメタレベルに立つのか,それとも内部で語り, 語られる相関を創り出しているのかによって「近代小説」 と「物語」の違いが表れる」とした上で,次の様に述べ ている(33) 近代小説では「物語」の〈語り手〉とその外部の〈語 り手〉の二重を捉える必要があり,物語外部の〈語り〉 の場合,〈語り手〉もまた視点人物のきもちを「憶測 する以外にない」のであって,〈語り手〉が「視点人 物のきもちはわかる」ことは〈語り手〉の思い込み でしかありません。  田中も阿部と同様に,「近代小説では」という前提はあ るものの,「物語の〈語り手〉」と「物語外部の〈語り手〉」 というように,「物語世界内の語り手」と「物語世界外の 語り手」という理解が,西郷視点論にないことの問題を 指摘している。  幾田伸司も,西郷視点論における「語り手(話者)」と 物語世界内の「視点人物」の概念について,「話者と視点 人物は等価ではない概念である。話者は視点人物をも総 括するメタレベルに位置するが,それとともに「語る」 ことと「見る」ことは異なるカテゴリーに属する」と述べ, 西郷視点論における「語りの水準」に疑問があるとして いる(34)  第2節で整理したように(「西郷視点論の整理Ⅰ」参照) 西郷は1960年代から1970年代において,語り手が「一人 称視点(内の目)」の場合は「語り手は作品の内側」におり, 「三人称視点(外の目)」で語る場合は「語り手は作品の 外側」にいると述べていた。しかし,2008年「西郷文芸 学の新展開」では,「すべての語り手は例外なく「語り世 界の内」にいる」と変化している。次節では,西郷文芸 学における「語りの水準」に関する変化について考察を 進めて行きたい。 4ー2.西郷視点論の変化―語りの水準  この節では,西郷視点論の「語りの水準」に関する記 述の変化を追っていく。  第2節でも引用した「童話と絵本の世界」(1969年発表) では,「語りの水準」について「視点人物は作品の内にい る場合と作品の外にいる場合があります。」「民話の中にで てくる登場人物は,すべて対象人物であり,その人物を 見ている視点人物は,外にいる話者であるということに なります」(35)(以下,引用内下線は論者による)。  この時点での西郷視点論は,第2節で述べたように「語 り手(話者)」と「視点人物」という二つの概念が未分化 になっている。1989年に出版された『文芸学辞典』では, 次の様な記述がある(36) 文芸の世界が,その世界のなかに登場するある人物 の目をかりて,内がわから描いてあるとき,それを その人物の《内の目》で見た世界といいます。そし てその人物を視点人物といいます。文芸の世界をそ の外がわから,つまり,その作品に登場しない人物 の目からとらえ描いてあるときには,それを《外の目》 でとらえた世界と名づけます。  この文脈からすれば,「文芸の世界」=「作品の世界」 と考えられる。この時点では,文学作品の語りは,「作品 世界に登場する人物の目」から語られるものと,「作品世 界に登場しない人物の目」から語られるものがあり,語 り手の語りには「作品内」のものと「作品外」のものと があるという認識といえる。次の引用は1年後の1990年 「新・文芸学講座3 視点論3」という論文である(37)  文芸は虚構の世界です。ここで〈虚構〉というのは, いわゆる「仮構」とか「つくり話」とか「フィクション」 といわれるものではありません。(中略)虚構の世界

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(文芸の世界)というのは,現実と非現実(あるいは 日常と非日常)を止揚・統合したところに成立する 世界なのです。  したがって,虚構の世界としての文芸の世界にお ける時間・空間は虚構された時間なのです。つまり, 虚構の空間とは,現実の空間と非現実の空間を止揚・ 統合したところの空間なのです。虚構の時間もまた 現実の時間と非現実の時間の止揚・統合された時間 であるということです。(中略)  虚構の人物としての話者は,他の登場人物ととも に作中世界(虚構の世界)の時間・空間を共有する ものです。それぞれの場面において,そこに登場す る人物とともに,その「空気」を呼吸しているので す。話者は虚構の時間・空間(場面)の内にあって, 同じようにそこに存在する「聞き手」にむかって「話 す」「語る」という役割を演じているのです。  そして,話者(語り手)が,「虚構の世界」に内在する 事を証明するために,斎藤隆介の『八郎』の冒頭を例に 引きながら,次の様に述べている(『八郎』の冒頭部分も 引用する)(38)  むかしな,秋田のくにに,八郎って山男が住んで いたっけもの。八郎はな,山男だっけから,せえが たあいして高かったけもの。んだ。ちょうど,あら, あのかしの木な,あのぐらいもあったべせ。(中略)  んだどもな,八郎はばかけなやつで,まっとまっ と大きくなりたくてせ,山からはままでかけてっては, 海さ向かって,「うおーい,うおーい」って叫んだと。  西郷は「語り手は,眼前の聞き手にむかって,むこう にある〈樫の木〉を指して語っているといったふうです」(39)と, 語り手,聞き手が同じ虚構世界(作中世界)に存在する と主張する(「西郷視点論 文図A」参照)。  この引用の文脈からは,「文芸の世界」=「虚構世界」=「作 品の世界」と考えられ,「語り手」及び語りかけられてい る「聞き手」は,「作品世界内」に存在するとしている。  語り手は八郎のことを「語りの現在」において,そこ に存在する〈かしの木〉を指さしながら,同じ世界内に いる聞き手に向かって語っているので,「語り手が語る世界」 には,語り手も聞き手も存在すると考えられる。  西郷視点論 文図A(1990年)では,語り手は「作品世 界の内」にいるとしていた。しかし,2005年に出版され た『名詞の世界 文芸の構造』では,作品の構造分析に変 化が見られる(「西郷視点論 文図B」参照)。  西郷は以下の『キリン』(まど・みちお)(40)という詩を 例にとり,表現(語りの世界)とは「だれが」(語り手で ある母親が),「だれに」(聞き手である子どもに),「なにを」 (キリンが歩く様子を),「どう」(驚きをもって),「どんな 場面で」(キリンのすぐ近くで),「なぜ・何のために」(興 味付けをするために)語るかという六つの分析コードが あり,その語りの世界を作者がある意図をもって「書く」 としている。  作者の意図とは,例えば第二連を「顔」だけにし,し かも漢字表記にしているということである。語り手(母) と聞き手(子)の目の前にキリンがおり,その顔が目の 前に迫ってくるイメージを表現するためである(注12)      キリン        まど・みちお キリンを ごらん 足があるくよ 顔 くびが おしてゆく そらの なかの 顔 キリンをごらん 足が あるくよ  西郷視点論 文図Bから,西郷は2005年の時点において, 「語りの世界」と「作品の世界」を分けて考えるようになっ ていることが分かる。  そして,2006年「第41回文芸研東京大会冊子」におい て,さらに文学作品の構造分析図は変化する。この文図 (「西郷視点論 文図C」参照)は,西郷が大会の基調講演 の時に資料として使用したものである。  西郷視点論 文図Bと西郷視点論 文図Cを比較すると, 「語りの世界」の内実が変化していることが分かる(「語 書き手(作者) ↓ 語り手(話者) ↓ (人物と状況) ↓ 聞き手 ↑ 読み手(読者) ( 作 品 ) 図 1 西郷視点論 文図 A(1990 年)

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り世界」の外側に「作品世界」があり,さらにそれを包 む「虚構の世界」があるが,論点がそれるのでここでは その問題にはふれない)。「語りの世界」の内実は,「話者 ⇔「視点人物⇔対象人物」⇔聴者」となっている。  これは,「視点人物と対象人物をとりまく出来事」(以下 「人物の世界」と略)を「語り手」が「聞き手」に向かっ て語るということを意味している。 4ー3.西郷視点論は,なぜ変化したのか―語りの水準  西郷視点論における「語りの水準」に対する考え方を 整理すると,次のようになる。 (西郷視点論の整理Ⅲ) 1969年  視点人物(語り手)は,「作品の内にいる場合」 と「作品の外にいる場合」がある ○表現 どんな場面で―文脈・コンテキスト なぜ・なんのために―動機・目的・意図 だれが―語り手 だれに―聞き手 なにを―話題 どう―語り口・話体・話法 語りの世界 ↓ 書き手(作者)―意図 ↓ 書き方(虚構の方法) ↓ 作 品 (文 体) ↑ 読み手(読者)―解釈 現実・状況 ○文芸(虚構)の自在に相変移する入子型階層構造 作家(現実の、生身の) 作風 作者(書き手) 文体 観点 話者(語り手) 話体 視点 視点人物(見ているほう)(話主) 対象人物(見られているほう)(話主) 聴者(聞き手) 読者(作者により想定された) 読者(現実の、生身の) 語りの世界 作    品 虚構の世界 自然・社会・現実・歴史・文化伝統 図 2 西郷視点論 文図 B(2005 年) 図 3 西郷視点論 文図 C(2006 年)

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1989年  文芸の世界は,「作品に登場する人物の目を かりて描く」場合と「作品に登場しない人物 の目から描く」場合がある 1990年  虚構の人物としての話者(語り手)は,「文 芸の世界=虚構の世界=作中世界」に存在す る 2005年  「「だれが」「だれに」「なにを」「どう」「どんな場 面で」語るか」という「語りの世界」を 「書き 手(作者)」が書いたものが「作品」 2006年  「語り手」が「聞き手」に向かって,「人物の 世界」の出来事を語るのが「語りの世界」そ の「語り手の語り」を作者が書いたものが 「作 品世界」  この整理を見ると,1969年∼1989年までは「語りの水 準」に関して,「作品世界」の内・外,という表現から, 次第に「語りの世界」と「作品の世界」が区別され(2005 年),さらに「語りの世界」の内実が「人物の世界」を語 ること」へと変化していることが分かる。西郷は,2001 年「ナラトロジナラトロジー(物語論)と西郷文芸学(上) ―中村哲也「『出口』論争『冬景色』論争を再考する」批判」 において,次の様に述べている(41)(以下,引用内下線は 論者による)。  中村氏が依拠されているナラトロジーについては 私自身,かねがね疑問,批判を抱いているので,こ の機会にあらためて中村氏への反論ということもふ くめて,私の「ナラトロジー批判」をまとめ世に問 いたいと考えている。(中略)  批判の第一点は,語りの世界の外にいる語り手と, 内にいる語り手,というナラトロジーの説に対して, 西郷文芸学は,すべての語り手は,自分の語る語り の世界(作品)のなかにいる,と考える。  ナラトロジーでは,事件にかかわっていない語り 手は語りの世界の外にいると主張するが,西郷文芸 学においては,語り手がその事件に直接手を下すこ とがなくとも,その事件を見,また語るということは, そのこと自体が何らかの形で,その事件にかかわっ ているものと考える。      この西郷によるナラトロジー批判をもとにして,この 節では西郷視点論における「語りの水準」の考え方が, なぜ変化したのかを考えてみたい。  ナラトロジーの考え方を一括りに考えることはできな いが,ジュネットの物語論における「語りの水準」と, 西郷のナラトロジー批判,さらに西郷視点論の「語りの 水準」の考え方の変化を関連付けて考察を進めていきたい。  第4節−1.におけるジュネットの引用(語りの水準)で は,「ある0 0物語言説によって語られるどんな出来事0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0も,そ0 0 の物語言説を生産する0 0 0 0 0 0 0 0 0 0語り行為が位置している水準に対0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 して0 0,そのすぐうえの物語世界の水準にある0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0」「ルノンクー ル氏によるその虚構の『回想録』の執筆は,第一次の水準」 とし,「この水準を物語世界外extradiégétiqueの水準と呼」 び,「『回想録』の内部で物語られるもろもろの出来事を 物語世界diégétique,あるいは物語世界内intradiégétiqueの 出来事」としていた。  ジュネットのいう『回想録』というのは,1728年から 1732年に刊行された『或る貴人の回想』という作品であ る。作者はアントワーヌ=フランソワ・プレヴォーという 18世紀のフランスの小説家だが,この物語は一人称で書 かれた回想録で,物語の上での作者は『或る貴人』(ルノ ンクール)となっている(注13)  ジュネットは,「語り手が語る出来事」を「物語世界」 と呼び,語り手は「物語世界外の水準」から語ると分析 している。『回想録』の内部で語られる出来事は「物語世 界内」の出来事であり,その語り(ルノンクールの語り) は物語世界外の水準にあるとしている。  西郷視点論は,1990年段階では「語り手は作品世界の内」 にいると主張していた。それは,『八郎』の例のように「語 り手と聞き手は作品内に存在する」というテーゼによる ものだった。しかし,2006年には「人物の世界」と「語 りの世界」を区別し,2008年には「すべての語り手は例 外なく「語り世界の内」にいる」と変化した。この変化は, ジュネット「語りの水準」における「語り手は物語世界 の外にいる」というテーゼの影響を受けたためと考えら れる。  ジュネットは,語り手と登場人物達が存在する「物語世 界」との関係を「物語世界外の語り手」(第一次の水準)と「物 語世界内の語り手」(第二次の水準)があると考えた(注14) 「物語世界外の語り手」とは,語り手が物語世界の外から 語る場合であり,「物語世界内の語り手」とは,物語世界 内に存在する登場人物の一人が語り手となって語る場合 である。  西郷はこのジュネットの考え方に対して,「すべての語 り手は例外なく「語り世界の内」にいる」と主張した。 西郷にすれば,語り手が「物語世界外の語り手」と「物 語世界内の語り手」の二通りいることは理論的には考え られない。西郷文芸学における「語り論」では,「どんな 場合でも,語り手は一人称単数の「わたし」」(42)であり, 登場人物の会話(この場合,この登場人物を「話主」と いう)を含め「はじめの一行から,最後の一行までを《語 り手》が語る」(43)と考えるからである。そこで西郷は,「物 語世界内の語り」について,「話主(物語世界内に存在す る登場人物)の話し」(つまり物語世界内の語り手の語り) をも「物語世界外の語り手」が語ると整理したのである。  しかし,物語を語る時間・空間は「今(現在),ここ」

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であり,語られる「物語世界」は「過去」のものである。 つまり「語りの水準」が違うのである。だからこそジュネッ トは「ある物語言説によって語られるどんな出来事も, その物語言説を生産する語り行為が位置している水準に 対して,そのすぐ上の水準にある」と考えたのである。  西郷はこのジュネットの「語りの水準」をふまえなが らも,自らの「語り論」(物語のすべてを一人称の「わたし」 という語り手が語る)という持論を融合させ,まず「視 点人物と対象人物」が登場する「人物の世界」を設定し, それを包む「語りの世界」を設定したのである。  このことによって西郷視点論における「すべての語り 手は,語りの世界の内にいる」こと。そして「物語は, はじめの一行から,最後の一行までを一人称の「わたし」 という語り手が語る」という理論を両立し得たといえる。 つまり,西郷はジュネット物語論の「語り手は物語世界 の外にいる」という「語りの水準」の影響を受け,ジュ ネットの「物語世界」を「人物の世界」と読み変え,模 式図における一番内側の世界(人物の世界)の外側に「語 りの世界」を設定し,自らの文学作品における構造分析 を変化させたといえる。 5.西郷視点論の変化による文学教育への影響  西郷視点論はこれまで見てきたように,「人称的視点論」 から「内の目・外の目」視点論に変化し,さらに語りの 水準に関する考え方を「語り手は作品世界の内にいる場 合と外にいる場合がある」から「語り手は「人物の世界」 を語り,「人物の世界」を包む語り世界の中にいる」と変 化した。この節では西郷視点論の変化が文学教育にどの ような影響を与えたのかを考察し,評価したい。  西郷は「人称的視点論」(一人称の視点,二人称の視点, 三人称の視点)から「内の目・外の目視点論」に移行・ 変化することによって,常に「語り手は一人称の「わたし」 である」と視点の分析を語り手の語り方に一元化した。  つまり,語り手の「わたし」の語り方(人物に対する 話者の態度―語り手が人物を外から見て語るのか,人物 の内面をくぐって見て語るのか)によって以下の三類型 に分類したのである(注15) 【西郷視点論の視点の分類】(「西郷視点論の整理Ⅲ」参照) ①語り手の「外の目」 ②ある特定の人物の「内の目」 ③語り手の「外の目」と,ある特定の人物の「内の目」 の重なり  上記のような視点の分類によって,第3節-1,第3節-2 で述べたように『モチモチの木』の冒頭部分や,『やまなし』 の視点の分析(教材分析)に関する混乱がなくなったと いえる。  さらに,語り手の語り方の一元化によって整理された 視点論をベースにして,視点が「内の目」の場合は「同 化体験」が引き起こされ,「外の目」の場合は「異化体験」 が引き起こされると分析したことは,読者の体験のあり ようを明らかにし,視点がある特定の人物の「内の目」 で語られている場合は,「人物の「内の目」で読んでみま しょう」等,人物に同化体験させるような発問を,そし て語り手の「外の目」で語られている場合は,「この人物 を見て,読者のみなさんはどう思いますか」等,異化体 験をさせるような発問が考えられ,これらの発問によっ て文学体験(共体験)を計画的に組織することが出来る ようになった。このことは,足立や村上も指摘している(第 1節に記述)。山元隆春も西郷の「共体験論」について「授 業の中で何をやっていったらいいのか,文学の授業の中で 何を起こせばいいのかということの指針になっていった」(44) と評価している。   一方で西郷視点論は,ジュネットの「語りの水準」の 考え方を取り入れ,「人物の世界」を包む「語りの世界」 の存在を明らかにした。  このことによって,人物レベルの意味(人物の気持ち を考えること―同化体験,人物を見てどう思うか―異化 体験)と,語り手レベルの意味(語り手の考え方,語り 手は人物をどう見ているのか等)を問うことが可能になっ た。実際,文芸研(文芸教育研究協議会)における『モ チモチの木』の実践では,語り手の〈豆太〉に対する考 え方を相対化させる実践がある。  つまり,これまでの人物中心の文学教育から,語り手 の認識・思考をどう読むのかというメタレベルの読みに 道を開いたといえる。   おわりに   西郷視点論は,1960年代から1970年代において人称的 視点論と川端視点論を関連させ,独自に「内の目・外の 目視点論」を考案した。そして,一人称視点(内の目) の場合,語り手は作品の内側に,三人称視点(外の目) の場合,語り手は作品の外側にいるとした。  しかし,『モチモチの木』や『やまなし』のような人称 的視点論では,分析できない作品があるため,人称的視 点論による分析を捨てるに至った。  さらに,宇佐美,山本らの批判を受けて「内の目・外 の目視点論」の概念規定をより明確化するように修正・ 変化させ,その概念規定を,内の目は「ある特定の人物 の「内の目」,外の目は「語り手の「外の目」」とし,多 くの作品を「内の目・外の目視点論」によって混乱する ことなく分析できるようになった。  その結果,作品の視点は語り手の語り方によって一元 化され,「どんな場合でも,語り手は一人称単数の「わた し」」であるとその理論を変化させていった。

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 1980年代に発表されたジュネットの物語論は,西郷視 点論にも影響を与えた。ジュネットの「語り手は,物語 世界の外にいる」という「語りの水準」に関するテーゼは, 西郷に「作品世界」の中に「語りの世界」があり,「語り の世界」の中に「人物の世界」があるという作品内構造 分析の変化をもたらした。この西郷視点論における作品 構造分析の変化は,ジュネット物語論をふまえ,それを 取り込みながら,作品の構造理解を発展させたものとい える。  西郷視点論が「人称的視点論」から「内の目・外の目 視点論」に変化したことは,視点の分析を語り手の語り 方によって一元化し,そのことによって,視点の分析を 「ある特定の人物の内の目」と「語り手の外の目」の組み 合わせに整理した。この整理をベースにして,「同化体験・ 異化体験」という読者の文学体験のありようを明らかに したといえる。そして,この「共体験」論によって導か れる発問によって,文学体験を計画的に組織する道を開 いた。  また西郷は,ジュネットの「語りの水準」の考え方を 取り入れ,「人物の世界」を包む「語りの世界」の存在を 示した。このことは,人物レベルの読みだけではなく, 語り手レベルの読み(語り手の認識や思考を相対化する 読み)を可能にした。西郷視点論の変化は,文学教育に おいて少なからず影響を与えたといえる。  西郷視点論に関する論点は,本論文に挙げた他,「内の 目」「外の目」の語りと,読者の文学体験との関連性に関 するものがある。本論でも取り上げた宇佐美寛は,「視点 論「同化」・「異化」概念の粗雑・混乱」において,「「同化」・ 「異化」・「内の目」・「外の目」の関連構造は,混乱し様々 な矛盾を含んでいる」,内の目・外の目は「情報の形成・ 伝達の型としてのみ有効である。この情報を受け取り手 がどう解釈し,どんな感情を持つかは,まったく別問題 である。だから,「内の目」と「同化」,「外の目」と「異化」 の結びつけも一般化できない」と指摘している(45)  川中子学も「西郷文芸学における視点概念について」に おいて,「物語構造に設定されている〈視点〉と読者によ り設定されている〈視点〉が混同されている。(中略)西 郷氏は〈外の目〉に読者の〈視点〉が含まれていることを 認知していながら区別していない」(46)と述べている(注16)  西郷は第1節で述べたように,「内の目」は「同化体験」 を,「外の目」は「異化体験」を引き起こし,「ある事件を, そこに登場する人物自身になって体験するしかたが同化 体験であり,その人物をも事件をも外側からながめる」(47) (下線は論者による)ことを異化体験とした。このことは, 前述したように文学教育に一定の成果をおさめている。  しかし,「内の目」が視点人物に対する同化体験を引き 起こすことは確かだが,読者はその人物を外から見るこ ともできるので異化体験もする。「外の目」の異化体験に ついても「人物をも事件をも外側からながめる」のは,「語 り手」なのか「読者」なのかもはっきりしていない。つまり, 「語り手」に同化して読むのか,読者の「外の目」で読む のか,ということが不明確である。  これら,「内の目」・「同化体験」,「外の目」・「異化体験」 の問題については,今後の課題としたい。 ― 注 ― 1  橋本陽介『ナラトロジー入門』水声社,2014年,13 頁∼ 14頁を参照。 2  中野登志美「文学教育における批評概念の史的検討」 『広島大学大学院教育学研究科紀要 第二部 第60号』 2011年,127頁を参照。 3  山岡實は,「視点」(point of view)について,チャッ トマン(Chatman)を参考にして,文字通り誰かの目 を通して見る「知的視点」('personal point of view'), 比 喩的に人間の精神(世界観・認識・概念化・記憶・空 想)見る「概念的視点」('conceptual point of view'), 誰 かの「関心」のある立場から見る「関心の視点」 ('inte-rest point of view')があると分析している。(『「語り」の 記号論』松柏社,2001年,21頁∼ 22頁)。 4  西郷は文学及び文学作品を「文芸」「文芸作品」と呼 称する。これは,文学を「ことばの芸術」と考えてい るからである。 5  文芸研(文芸教育研究協議会)は,西郷文芸学の理 論を実践・研究する民間の国語教育研究団体である。 1964年設立。 6  足立,村上の他に西郷視点論の文学教育における一 定の評価をしている論文,著書は,田近洵一「読書行 為をひらく「視点」論」(西郷竹彦『西郷竹彦 文芸・教 育全集 第14巻』恒文社,1998年),藤原和好「文芸作 品のしくみ」(西郷竹彦『西郷竹彦 文芸・教育 全集 第 15巻』恒文社,1998年),鶴田清司『〈解釈〉と〈分析〉 をめざす文学教育』学文社,2010年等がある。 7  足立悦男「視点論をめぐる問題―西郷文芸学の展開 (1)」西郷竹彦編集『文芸教育』26号,明治図書,1979 年,172頁∼ 173頁を参照。 8 「冬景色論争」における西郷視点論の「語り手(話者)」 概念の欠如に関する指摘は,首藤久義「文学作品の教 材研究に関する一考察―「冬景色」論争における「視 点人物」の問題」1976年,山本茂喜「視点人物と語り 手―「冬景色論争」と西郷視点論」1994年,幾田伸司「「話 者」概念に基づく「冬景色」論争の考察」2009年等が ある。 9  向 山 洋 一 に よ っ て,1983年 に 始 ま っ た「 教 育 技 術 の 法 則 化 運 動 」 の こ と。 現 在 はTOSS(Teachers' Organization of Skill Sharing)に名称を変更している。 10 西郷竹彦・古田拡『「冬景色」論争―垣内・ 田理 論

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の検討―』明治図書,1970年,16頁∼ 19頁を参照。 11 1960年代末から1990年代末までの内の目・外の目 視 点論に関する論考は,他に川中子学「西郷文芸学にお ける視点概念について」全国大学国語教育学会発表要 旨集,1999年がある。 12 西郷竹彦『名詩の世界 第1巻 文芸の構造 視点と 対 象・形象の相関』光村図書,200年,153頁∼ 160 頁を参照。 13 藤原真美「物語と現実の間で―プレヴォーと作者の 意識―」『人文学報』275号,東京都立大学文学部,1996 年,26頁∼ 30頁を参照。 14  G.ジュネット著,花輪光,和泉凉一訳『物語のディ スクール 方法論の試み』書肆風の薔薇,1985年,267 頁を参照。 15  西郷竹彦『作文表現論』明治図書,1991年,p.45頁 を参照。 16 鶴田清司も西郷視点論において,「外の目」が「異 化 体験」を引き起こすという考え方は「図式的」であり,「読 みが硬直化・矮小化」すると批判している(鶴田清司『〈解 釈〉と〈分析〉の統合をめざす文学教育』学文社,2010年, 259頁)。 ― 文 献 ― ( 1 )足立悦男『西郷竹彦文芸・教育全集別巻Ⅱ西郷文芸 学の研究』恒文社,p.11,1999 ( 2 )西郷竹彦「文芸学理論の「いろは」」『第52回文芸研 神戸大会大会冊子』文芸教育研究協議会,p.6,2017 ( 3 )西郷竹彦『名詩の世界第1巻文芸の構造視点と対象・ 形象の相関』光村図書,pp.10-11,2005 ( 4 )前掲(2),p.8 ( 5 )前掲(1),p.105 ( 6 )村上呂里「西郷文芸学の根源性が大切にされること を願って」西郷竹彦『西郷竹彦文芸・教育全集27巻文 芸の授業Ⅱ』恒文社,p.494,1997 ( 7 )西郷竹彦「文学作品の視点と教授=学習過程・方法」 『教育科学国語教育』143,明治図書,1970(『西郷竹彦 文芸・教育全集第14巻文芸学講座Ⅰ視点・形象・構造』 恒文社,p.229,1998) ( 8 )前掲(1),pp.103-104 ( 9 )川端康成『小説の構成』三笠書房,p.173,186,1941 (10) 西郷竹彦「童話と絵本の世界」『文学の教育』黎明書 房,1969(西郷竹彦『西郷竹彦文芸教育著作集第7巻幼 児の文芸教育』明治図書,p.180,1975) (11)西郷竹彦「文芸(虚構)の世界―西郷文芸学の新展 開その1―」西郷竹彦責任編集『文芸教育』87,新読書 社,p.44,2008 (12)西郷竹彦「『法則』化・分析批評 2―分析批評・視点 論を批判する―」西郷竹彦・責任編集『文芸教育』51, 明治図書,pp.127-128,1990 (13)西郷竹彦『作文表現論―作文指導のための表現・認 識論入門』明治図書,pp.37-38,1991 (14)斎藤隆介作・滝平二郎絵『モチモチの木』岩崎書店, p.2,1971 (15)『西郷竹彦文芸・教育全集第14巻文芸学講座Ⅰ視点・ 形象・構造』恒文社,p.12,1998 (16)前掲(10),p.179 (17)西郷竹彦『西郷竹彦文芸学辞典』明治図書,p.33, 1989 (18)前掲(12),p.135 (19)宮沢賢治『宮沢賢治全集8』筑摩書房,p140,1986 (20)前掲(19),p.146 (21)西郷竹彦『西郷竹彦文芸教育著作集第17巻文芸学講 座(1)視点・形象・構造』明治図書,pp.339-340,1975 (22)前掲(17),p.33 (23)前掲(13),p.38 (24)西郷竹彦『西郷竹彦文芸・教育全集第13巻文芸学入 門』明治図書,p.349,1998 (25)宇佐美寛「視点論「同化」・「異化」概念の粗雑・混乱」 西郷竹彦編集『文芸教育』37,明治図書p.31,1983 (26)山本茂喜「視点人物と語り手―「冬景色論争」と西 郷視点論―」『国語教育の現代的視点』高森邦明先生退 官記念論文集編集委員会編,pp.86-87,1994 (27)中村哲也『「出口」論争「冬景色」論争を再考する』 明治図書,p.146,1999 (28)ジェラルド・プリンス著,遠藤健一訳『物語論辞典』 松柏社,p.116,1991 (29)G.ジュネット著,花輪光,和泉凉一訳『物語のディ スクール方法論の試み』書肆風の薔薇,p.252,1985 (30)前掲(29),p.267 (31)前掲(11),pp.46-48 (32)阿部昇「「西郷文芸学の新展開」への三つの疑問」 西郷竹彦責任編集『文芸教育』88,新読書社,p.51, 2008 (33)田中実「「西郷文芸学」を囲い込む」西郷竹彦責任 編集『文芸教育』88,新読書社,p.42,2008 (34) 幾田伸司「「話者」概念に基づく「冬景色」論争の考察」 全国大学国語教育学会,p.82,2009 (35)前掲(10),p.180 (36)前掲(17),pp.29-30 (37)西郷竹彦「新・文芸学講座3」西郷竹彦・責任編集『文 芸教育』53,明治図書,pp.136-137,1990 (38)斎藤隆介作・滝平二郎絵『八郎』福音館書店,pp.1-4,1967 (39)前掲(37),p.137 (40)まど・みちお『まど・みちお全詩集』理論社,p.93, 1992 (41)西郷竹彦「ナラトロジ−(物語論)と西郷文芸学(上)

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―中村哲也「『出口』論争『冬景色』論争を再考する」批判」 文芸教育研究協議会編集,p.1,2001 (42)前掲(11),p.44 (43)西郷竹彦責任編集『文芸教育』96,新読書社,2011,p.12 (44) 山元隆春・綾目広治・松崎正治・西郷竹彦・足立悦 男「文芸研50回記念大会シンポジウム西郷文芸学50年 と国語教育」『文芸教育』108,新読書社,2016,p.67 (45)前掲(25),pp.36-37 (46)川中子学「西郷文芸学における視点概念について」 全国大学国語教育学会発表要旨集,p.44,1999 (47)前掲(2),p.8 ― 図 版 ― 図1.西郷竹彦「新・文芸学講座3」西郷竹彦・責任編集『文 芸教育』53,明治図書,p.139,1990 図2.西郷竹彦『名詩の世界第1巻文芸の構造視点と対象・ 形象の相関』光村図書,p.156,2005 図3.西郷竹彦「価値・意味を問う教育」『第41回文芸研東 京大会大会冊子』文芸教育研究協議会,p.17,2006

参照

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