• 検索結果がありません。

労働協約の性格

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "労働協約の性格"

Copied!
16
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

労働 協 約 の 性格

西

 労働協約はなぜ必要か、ということに対しては、産業平和のために、と通常いわれている。たとえば、例の次宮通牒は

       ヘ   ヘ   へ

﹁労働協約は、決して労働者のみの利益のためのものではない。労働協約は、協約期闇中の労使関係を集団的に規制し安

      ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

定せしめて、企業の平和維持を約束するものであり云々﹂といい、また﹁ある事項について労働協約を締結した揚合にそ

の有効期間中に他の事項についての団体交渉を認め、これについて争議行為を是認するとしたならば、いうところ.の平和 義務は、全く担保されず、何ら協約二葉中の産業平和を約束することにはならない﹂︵傍点は筆者︶といっているのもその        ヘ   ヘ   へ 一つである。このことはきわめて通俗的に納得されやすい。 ところが一方、学者の多くは自然発生史的にこれを︵労働協 約︶をみれば、それは労働者が斗いとったものであり、労働者のためのものだ、という。日経連はかって︵昭和二八年︶総

      

評傘下の主要な産業別労働組合の統一協約斗争に対抗して﹁労働協約締結基準案﹂なるものを発表した。それによれば組

合側の斗争目標は次のごとく要約されている。  ω人事権ににおける同意約款・協議約款の確保 ω組合活動の自由の確立 ㈲完全ユニオン・ショップ制の確保 ω組合員の範囲拡大.  ㈲上部団体の団体交渉権の確立 ㈹経営協議会による経営参加の強化 ω平和条項・争議制限条項の撰除。      労仇協約の性格      ’        一

(2)

、      労彷協約の性格      二 これに対し、日経連のとった基本方向はつぎのごときものであった。  ωユニオン・ショップ制を改めて、オープン・ショップ制の建前をとることω団体交渉は当事者の相互信頼関係を基礎とし、交渉の  事項や度数をできるだけ少くして不必要な時闘と労彷を省くこと ㈹協議約款・同意約款などの労使紛議の原因となる不明な条項を排  除するとともに、苦情処理制度の充分な活用を図ること ω組合活動については、企業の管理権に基づいて明確な限度を設けるととも  に、企業内での政治活動は一切禁止すること ㈲経営協議会的機関は原則として廃止し、必要があれば労使懇談会として設け、その性  格を明確にすること ⑥労仇条件殊に賃金に関する条項などは、できるだけ詳細具体的な規定として協約内に織込み、協約の質的充実  を図ること、労仇条件の本質にてらし、協約有効期最中は一切の争議行為を排除する絶対的平和義務の建前とすること ω協約の有効  期間は一年を目安とすること。

 右は、労働者側と資本家側の考え方の相違を、あざやかに示している。すなわち、労働協約は産業平和のためというの

は、資本家側からの考え方であった。それに対し、労働協約は労働者のため、労働者の斗いとったものというのは、労働

者側からの老えであった。資本家側は労働協約によって、でぎるだけ労働運動や労働条件にワクをはめようと意図し、労

      、       ②

働者側は労働協約を、労働条件向上の橋頭墜たらしめんとする。資本主義社会は労・資の対立関係を内にふくみつつ、し

かし、両者の共同によって生産がおこなわれる社会である。労・資の利害は対立する。だが、労・資の対立がない社会は

       サ

逆にいえぽ資本主義社会でない。資本家側が、労働協約を産業平和のためといい、労働者側が産業平和は労働協約締結の

ヘ   へ

結果だというのも、それぞれの立揚から強調されていることである。けれども歴史は、資本家は何もわざわざ労働組合を

みとめ、それと協約を結ぶなどという甘い人間でないことを証明する。  労働協約は賃率契約︵同巴︷︿①葺鋤σq︶にその源をもつことによっても知られるごとく、労働者が団結の力で斗いとった労 働条件を、資本家に約束させたものであった。資本主義社会では、資本家も労働者も商品所有者として現われ、雇傭、は労

働力の売買と規定される。だが、労働力は決して等価を以て交換されるのではない。キブ・アンド・テークというのは、

(3)

等価を以て等価と交換されることである。だが、雇傭にあっては、はじめから不等価交換でしかない。労働者階級は少し

でも等価交換に近づこうと意慾し、資本家ばできるだけ近づけないことによって利、潤の増大をはからんとする。労働力な       ヘ    ヘ    ヘ    ヘ    ヘ    ヘ    ヘ    ヘ    ヘ    へ

る商品は、生ける人間が所有していることに基づいて、労働力の売買は平和なる売買ではなく、斗争を媒介とする売買と

       ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

なる。労働者は、自己の労働力を生産手段に結合させるために、それを価値以下に販売させられることによってのみ、生

       ヘ  ヘ  ヘ      ヘ         へ 存を維持しうる階級であり︵賃金後払というのはこの事実にむりと眼をふさぐものである︶、資本家はそれを価値以下に購買する ことによってのみ生ぎうる階級である。したがって、・斗争に媒介されない労働条件などというものはない。しかるに、個 くの労働者は斗.争を放棄することによって、労働力を諸商品とおなじく、等価交換のみぜかけをもって売る。  斗争は団結に裏づけられることによってのみ可能である。生きるためど、労働者の階級的自覚はかれらを結びつける。

団結し、組合をつくり、旺盛な意慾をもって、かれらは等価交換を求める。当然、資本家との斗争がある。相対立し、斗

争しっっ、しかも労・資は生産をつづける。したがって、そこに力の優位において一つの妥協がおこなわれる。けれども

      ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ      ヘ   ヘ      ヘ   へ 対立と斗争はいつまでもつづく。だとすれば、労働協約はそれ自.体動的要素を核心とし、産業平和のためにあるものでは        ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   コ       ヘ   ヘ   ヘ   へ   あ   へ

ない。労働老側の立場からではなく、資本主義社会の労働協約がもつ必然的性格から、労働協約は労働者のためのものな

のである。  労働協約はギブ.アンド。テークではない。だからこそ、憲法は団結権や団体行動権を権利としてみとめるのである。        ロ 蛍働力の売買が、他の諸商品とおなじく平和なる売買であるなら、憲法が、それをみとめる筈がない。労働力の売買は、 はじめから不等価交換なのである。そしてそのことは、たとえ個.<の労働契約による場合より有利なときにおいても、少

しも変りはない。それは、ただ少しでも等価交換に近づいたというだけである︵労働契約より劣る労働条件の労働協約は

労働協約というに価しない。労働基準法まるうつしの労働協約も、まま見受けられるが、基準法の基準は最低のものであ

     労働協約の性絡      三

(4)

     労働協約の同日      慮 り、労働関係の当事者は、労働条件の向上を図るように努めなければならない︵労基法一条二項︶のであるから、そのよう

な協約は、労働協約というにふさわしくない。また、いわゆる債務的条項のみで、規範的条項をふくまない労働協約は労

       

働協約でない、との説があるも、労働協約の性格から、すなわち、労働者が自已に有利なものを獲得し、それを規定化す

るというのが労働協約なのだから、たとえ規範的条項を欠いていても、労働協約ではないとは必ずしもいえない。等価交

換に近づくためのものだからである︶。この等価交換に近づくための論争は、止むことを知らない︵資本主義社会では等価交       ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ ヘ へ 換されうることはあbえないだろう︶。にもかかわらず、平和を売って︵小亭を犠牲にして︶、一時的に労働者が買うのが労働協約

だとすれば、労働協約がギブ・アンド。テークでないことも、またそれが、産業平和のためのものでないこともあきらか

であろう。       ヤ   も   も   へ   も   ゆ   カ   ゐ   も  したがって、労働協約の歴史は︵労仇協約理論の歴史ではない。事実は理論に先行し、理論は事実をあとづけるだけのことである︶ 労.資関係の変遷を物語る。尤もそれは﹁協約には表︵おもて︶の条文と、裏の条文﹂があることを承知してのことである

施・戦後、労働運動が鍛にもりあが・たと芝は・ユニオン.シヨ・プ制は完全な姿で盟され・また・本協約にかか

わらず、組合は生活権擁護のために、一切の行動の自由を留保するしといった規定さえ見受けられたが︵因みに、争議中の       ぬ も あ ろ マ       賃金を獲得したことは、理論的にも、全く正しいことであった︶、昭和二三年四月に日経連︵日本経営者団体連盟︶が発足し、昭和

二四年労組法の改正、とくに一五条の改正にともなって、資本家側はつぎつぎと労働協約を破棄し、いわゆる無協約時代

に入った。︵﹁協約を締結すれば、必ず法以下の条項をおしつけられるから、法の枠内で最大限に斗うためには、無協約でよい﹂との態度           をとった組合もある︶そのこ︵二六年頃より︶労・資それぞれの立場から再び協約締結数は増加したが、その内容も労・資関       

係のカの変遷にしたがって変っている。労働協約の締結率は約六五パーセント、適用率は約八○パーセントの高率を示し

はするが、中.小企業にいたっては、たとえば東京都においてさえ、四九名以下の企業では協約締結率二八パーセント、

(5)

       

適用率三一パーセントというように、いちじるしく低い率を示している。中・小企業において協約締結率が低いのは、特

殊・日本的な経済構造と、家族主義︵企業一家︶、温情主義、その都度主義、就業規則でことたりるとすること、などにそ の理由を求めることができようが、しかしなによりもそれは、企業別組合という組織がもたらしているものといえよう。        へ   も

 労・資それぞれ﹁協約斗争﹂をおこなっており、それはまた﹁統一協約斗争﹂に力をおいているけれども、組合側にお

いては、企業別組合というわがくに独特の組織によってなかなか統一されにくい。企業別組合は資本にとって.は、労働者     ヘ  ヘ  ヘ  ヘ      へ

の連帯をたちぎるにはもっとも都合のよい組織のあり方なのである。戦後十余年を経て今なお対立は労.資ではなく、労

・労の悲劇がくり返えされている。労働協約は一種の法規といわれる︵協約を抽象的・形式的そして空虚な労・記聞の契約を以         て論ずる契約説はともかく、労・資の階級性を洞察する法規説が労加協約の本質を適確にとらえていることはいうまでもないだろう︶が、 法解釈の恣意性はいうまでもなく、わけて労働法としての協約の解釈は、労働者階級の実践を通じてなされなければならな         ヘ ヘ ヘ ヘ へ       

いのであるから、組織づくりこそなによりもの協約黄門であろう。連合体の協約は組合員を拘束するか、といった協約当

事者の問題は、組織づくりによってあとかたもなく解決することである︵判例が﹁上部組合の協定したところが下部組合を拘束        も も ヤ へ       するのは協定そのものの拘束力とは別に組合の組織法理によるものである﹂というのも、組織づくりに対する頂門の一撃である︶。

 労働協約斗争の核心は組織づくりにあること以上の通りであるが、協約の締結についてはつぎのことが注意せらるべぎ

であろう。協約を締結するときに二つの方式がある。一つは、詳細な協約案を作成し、しかる後使用者側と協議にはいる、      ヘ   ヘ   ヘ       ヘ   ヘ   ヘ   へ

いうならば一括式と、他は謡いとったものをそのときに協約化する、個別つみ重ね式と。労働協約の性格が歴史的に、ま

た資本主義社会の必然性から、以上のごとぎものであるとすれぽ、後者の方式が当然であろう。そして中・小企業におけ

      ヘ   ヘ   ヘ   へ る協約締結率の低いことのなかには、協約作成を、なにかものものしいと考えさせているものがあるのではなかろうか。 わがくにの協約は肝心の規範的部分︵労仇条件その他の労伽者の待遇に関する基準︶が少なく︵たとえば就業規則にゆだねるとか、      労働協約の性格      五

(6)

      労働協約の性絡      六 他の協定によるとするなど︶、債務的部分がぎわめて多く、組合も却ってこの部分に力をそそぐ。たとえばショップ制につい て、労・資の意見が合わないため未締結というのは、強力だとされる組合にもしぼしばみられることである︵なまじ協約な どがあると、平和条項などによって組合活動が抑制されるから、協約などない方がよい、との見解である。 しかしそれなら、ショップ制 をみとめた協約であれば締結するというのはおかしい。 協約が活動の邪魔になるなら、完全ユニオン・ショップをみとめようが、みとめ       も まいが、協約など締結せないでよい筈である。 そして真に強力な組合なら、組合にもっとも有利な協約をかちとりえなければならない。 とすれば、シヨソプ制で労・資の意見が合わないから無協約というのは組合のあり方ではない︶。なぜ組合が債務的部分にカをそそぐ かについては﹁憲法に労働者権︵団結権、団体交渉権、争議権︶が保障され、労働組合法および労働関係調整法が制定せら

れても、かような法が前提とする労働者団体運動に対する態度を使用者がもっている訳ではない。使用者は常に法を実質

的に無意味に終らせようとする傾向乃至態度をもっている。したがって、労働者は、法的に成立した労働者権を社会的に

      ⑭ 実現確立して行く必要があった﹂からでもあるが、労働協約の本筋は規範的部分にあることはいうまでもない。

 債務的部分は協約がもつ市民法的契約の側面であり、たとえ法規説にたっとしても、この側面を否定することはでぎず

      ⑮ したがって、その解釈は組合のカによってしか担保されない︵解釈はなんとでもつくし、違反に対して市民法的救濱を求めるにし ても、資本の側には右利であっても労伽者側にはきわめて不利なのである。 貞操の侵害に対する慰籍料さえ被害者の社会的地位によって 異なるというのは、貞操そのものを商品養している証拠にほかならないが、そのことは労・資に対する裁判所の感覚でもあろう。 労仇者        う ︵組合︶の損害は、算定不可能との理由のもとに、賃金が算定の基準にされようが、しかも賃金は余りにも低すぎるのである。賃金が算定 の基準とされることのなかに、労伽力を商品とみなす点をはっきりと現わしている。 学者のなかにも、労彷者の損害賠償請求の場合にと       ⑯ かく賃金を算定の基準にするのがあるけれども、全く誤っている。なお、ここに債務的部分といったのは、労彷協約は規範的部分・債務的         部分・制度的︵組織的︶部分よりなるとされるときのそれをいっており、そのように区別することの可否は、一応別にしてのことである︶。

組合の力によってしか担保されないとは、たとえば、解雇同意約款に違反した解雇は有効か、無効かといった場合、それ

(7)

は規範的条項だ、いや債務的条項だといった議論よりも、組合の力が強ければ解雇しようにもできないのである。たとえ

学説や裁判でそれが債務的条項だとしたところで、組合のカが規範的条項以上たらしめるであろう。ともあれ債務的条項

      ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

が多いことは協約を組合員の切実な関心から切りはなし、幹部が理論をもてあそぶ場たらしめ、中・小企業の労働組合で

は、幹部にとっても煩らわしいものとしかうつらないのではないか。  労働条件に重点をおいた北陸鉄道の.労働協約雨池は余りにも有名であるが、それは所詮、幹部斗争から大衆斗争への転        へ     

換であることにより、見事な組織づくりでもあった。そして規範的条項に重点をおいたこの協約は、債務的部分におい

  ヘ   へ てもまたヵ強い諸条項をもつに至ったのである。昭和三二年三月の北鉄労働協約書によれば、第二条において、完全ユニ

オン・ショップ制を獲得し、問題の多い唯一交渉団体条項はこれを運営基準にまわし、第六条では、政治的信条によって

       ヘ   ヘ   へ 差別待遇しないことをうたい、団体交渉は原則として、就業時間中におこなうことを明記している︵その他つぎのような条 項がみられる。 ﹁会祉は就業時聞中をのぞき、従業員の政治活動をみとめる﹂︵一五条︶、﹁会社は、この協約に定められたことについて、 組合並びにその上部団体の代表者と団体交渉をおこなう﹂︵一九条︶、﹁会社は、争議期閾中その争議が解決されないうちは争議に関して組 合を脱退した従業員の組織する団体と一切交渉をしない﹂︵三二条︶、﹁会社は、争議期壷中組合以外の他のいかなる個人又は団体とも労務 供給契約をしない﹂︵三四条︶、﹁会社および組合は、この協約の有効期署長、この協約に定められた事項の改廃を目的とする争議行為はこれ         も   ヘ   ヘ   へ       も   ミ   ぬ   ね   ヘ   ヘ   ミ   も       も   あ をおこなわない。但し賃金に関する条項を除く﹂︵三七条︶、﹁会社の定員は、会社組合協議の選別に定める﹂︵六〇条︶︶。そこには経営 権だとか、企業の繁栄などは全然うたっていない。北鉄労働組合もかつては御用組合的存在であった。にもかかわらず、こ

こまで成長した。中・小企業は労働運動不毛の地ということの誤りであることを如実に示したのである。それぞれの企業

別組合が労働条件のつみ重ねにより、組織づくりを通じて、債務的部分にこのような条項をもつに至るならば、法理論の

いかんにかかわらず、これら債務的条項も、組合の力を背景に自ら規範的効力をもつに至るであろう。それはやがて、国

     労働協約の性格七

(8)

     労働協約の性絡八

家の法規となり、もはや債務的部分と規範的部分といった区別もなくなり、協約は、いわゆる紳士協定としての性格に変

      も  ぬ  ぬ  も  へ る筈である︵約束は守るという法意識がすべての前提となる。それは労・資が実質的に対等となるときに実現する︶。  労働協、約も労働法の一つである。労働法は、労働者階級が、資本主義生産の基本である剰余価値の法則から、自らを解 放すべく、前進的に襲いとった面と、生産の社会化に伴うて、必然的に社会化された面︵資本主義を肯定し、むしろそれを積 極的にたすける︶とをもった複合体である。協約もまたその例外ではない。労働者が篤いとった面と、資本家が押しつけた

面と。労働法の解釈は、したがって協約の解釈もまた、前者の面については、合法的かつ合目的的に、後者の面について

は、できる限り労働者に有利なように、合法的に、あるいは合目的的に解釈されねばならない。資本家にとってそのこと

は全く逆となる。両者は平行し、かつ衝突する。両者のエネルギーがこれを決定するのである。  以上の前提のもとに、労働協約の効力︵労組法一六条︶を考察することとしよう。 二

 ω 労組法第一六条は﹁労働協約に定める労働条件その他の労働者の待遇に関する基準に違反する労働契約の部分は無

効とする﹂︵強制的効力︶、﹁この場合において、無効となった部分は、基準の定めるところによる。労働契約に定がない部 分についても、同様とする﹂︵直接的効力︶と規定する。

 回 労働協約の法規歯性の根拠を、この規定にもとめるのが契約説であり、労働協約の本質から、しかるべしとするの

       

が法規説である。労働協約は﹁商品所有者間の契約たる側面と階級人たる労・資間の契約たる側面とを統一する合意﹂と

いわれるが、労働協約の性格を、野働者のためのものとみる ﹁に述べた立揚から法規説を正当と考える。おなじく法規

説に立ちつつも、労働協約は規範的部分、債務的部分、制度的︵組織的︶部分とから成り立ち、それぞれ効力を異にす

(9)

      ヘ   ヤ   ヘ   ヘ   へ

るとするものと、その区別をみとめないものがある。既に註⑰に述べたように後者の立場があいまいさを残さないだろ

う。そのことは結局、労組法第一六条にいう﹁労.働条件その他の労働者の待遇に関する基準﹂とは何かという問題でもあ

る。たとえばあるものは、採用は労働契約以前の問題であり、解雇同意︵または協議︶約款は手続規定で債務的部分に

属し、これに違反する解雇であっても無効でなく単に債務不雁行にすぎないとし、あるものは、採用も解雇もともに労働

者にとってもっとも切実なことであるから、文字どおり﹁労働者の待遇に間する基準﹂︵窪①餌嘗Φ耳印≦。蒔卑ω︶に該当す る“したがってそれは条件であり、これに反する解雇は無効である、といった具合である︵採用について、北鉄労物協約は、 ﹁会社の定員は、会社組合協議の上別に定める﹂︵六〇条︶と規定して、たんなる採用についての協議約款から一歩前進した規定をもつに いたっている︶。同意︵協議︶約款が規範的部分か否かについては、ぎわめてわずかの学説、判例を除ぎ殆んどがこれを肯 定する。このことは余後効︵Z餌9乱蒔巨σQ︶の問題に関係する。多くの判例は労働条件の余後効をみとめる。しかし、同 意︵協議︶約款の法規範性を肯定しつつも、余後効についてはこれを否定する ︵わずかの判例が、既得権理論や、労・資対等 の理論・信義誠実の原則から、同意︵協議︶約款の余後効をみとめる︶。しかし、規範的部分と債務的部分の区別を否定し、凡て に規範的効力をみとめる立唄からすれば︵規範力は直接五三者に及ぶときと、直接には組合に及び、組合員には聞接に及ぶ場合とが ある。違反はすべて違法行為であり無効である。債務不履となる余地はない︶、同意︵協議︶約款は当然に規範的効力をもち、余 後効もあり、それが﹁労働者にとってもっとも重要な労働条件であるあから﹂同意︵協議︶約款は規範的部分に属する、

といったことに力をそそぐ必要はないこととなる。そのことは解雇に限らず、すべての同意︵協議︶約款の場合も同じで

ある。通説によれば解雇以外の同意︵協議︶約款は、たんなる債務的効力をみとめるにすぎない。しかし、もっとも大切

      ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ   あ   ヘ       ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ        を   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ       ヘ   ヘ        ヘ   ヘ   ヘ   へ   あ    ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   へ

なことは、労・資はつねに対等な立揚にあるべぎだ、という前提である。解雇のみならず、直接.闇接に労働者の待遇に

ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ       ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ      ヘ       ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ      ヘ   へ   し   た   ヤ  も   も   ヘ   へ   ね      ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   ヘ   マ 関することは、すべてみな、労・贅合意のもとに︵形式的でなく実質的な︶おこなわれねばならないということである︵労・

     労働協約の性絡九

(10)

     労働協約の性絡       一〇 盗協調や、経営共同体の立場をとるものが、逆にこのことを否定するのは、明らかにその意図をばくろするものである︶。敢て憲法・労

組法・労基法などの対等の条文をひぎだすまでもないことである。同意︵協議︶約款があるということ、それにカをそそ

       ⑳       . がねばならないということは、労働協約の現在の性格を如実に物語っている。

 09 個ζの労働契約の労働条件が労働協約のそれよりも有利なとぎにも、協約が優先するか、についても肯定・否定の

両説がある。個之の労働者に重点をおくものは否定し、組織・団結に重点をおくものは肯定する。後者を正当とする。二        部の者に特例的に基準を上廻る特約のなされることが、組合の統制力を弱化させるため以外にはありえないからであるL。

 目 労働協約を規範的部分・債務的部分・制度的︵組織的︶部分に分類するものは、協約の違反に対して、規範的部分

には無効の効果が、債務的部分には債務不履行の効果が発生するという。この区別をみとめないものは、ともに無効の効

果が生ずるとする。ところで違反に対して裁判に訴えたとき、それはどれほどの実効力をもつであろうか。債務不雁行の

民法的救済が、労・資関係の揚言は不適当であり、組合にとっては無意味でさえあることは、しばしば指摘されるところ

である︵せいぜい慰籍料譜求ができる程度とされる。賠償額の算定に賃金が基準とされることの不合理性については既に述べた︶。規範 的部分の違反に対して、組合もまた個ζの組合員に対する実行を使用者に迫りうること︵実行義務違反︶は当然として、直

接に組合が訴訟当事者たりうるかについては、組合も程度の差はあれ直接に利害関係をもつから当然直接に訴訟当事者た

りうるとするもの、組合と組合員の間は訴訟信託の関係があるからとするもの、組合は組合員の権利に対し管理処分の

権能あるからとするものなど、その理論づけは区くである。判例は組合にも訴訟当事者適格者たることをみとめるよう

努力してぎたが、最高裁はこれを否定した。しかし、裁判の実際上の必要から組合に訴訟当事者適格をみとめんとする苦

       

心がその後もつづけられてはいる。

 債務不雁行に対する救済の無力さはいうまでもないが、組合に訴訟当事者適格をみとめ、またすべての条項に規範的効

(11)

力をみとめたならば、それで労働者は法律上救われるであろうか。もともと裁判は、金と時間を存分にめぐまれていない

ものにとっては無縁の存在である。たまたま、そういうものにめぐまれて、無効の判決をもらったところで、強制履行は無 資産者に差押をするのと同じような結果の場合も多いであろう︵資本家の強引さと巧妙な策略は、それを可能にするであろう。は じめから約束を守ろうとせないのであるから、そのようなことは平気でおこなわれる︶。 しかもこれは、組合に訴訟当事者適格をみ

とめ協約のすべての条項に規範的効力をみとめたときのことである。現在のところ、ユ昌オン・ショップ条項違反に対し

      ゆ

ても民法的な救済手段はないとされ、組合の訴訟当事者適格も否認されている。次官適言は﹁相手方が任意に労働協約を

履行しない揚馬には、通常の権利行使と同様、裁判所によって履行を求めるべきで﹂あるという。だがしかし、そのこと

は必ず裁判所に訴えねばならぬことを意味せず、他の解決法を否定するものでは、ない。労働協約の違反は労働者側よりも 資本家側の方が多い︵その中には協約文字の資本家的解釈によるのが多くふくまれる︶。しかも資本家側の違反に対する法の救済       ヘ   ヘ   へ は余りに無力である。それに反し、労働者側の違反に対しては、法は市民的解釈によってでも直接的に効力を発揮する。 平和条項違反に対しては、違法争議として、国家権力が直ちに発動されるのである。 三  労働協約は労働者のためのものである。だがしかしそれは、労働者の団結力によって担保されている限り︵その限りにお     ヤ  カ  ぬ  ヤ  ヤ  ぬ  も いてのみ約束は守られる︶ そ.うなのであって、単に産業平和のための労働協約なら、名は労働協約といいつつ、実は労働協 約なのではない。− ①労働法律旬報、=⋮一・二号二六頁以下。 ② 日経連の基本方針の多くは誰がみても余りにも使用者に都合よいことばかりだということはあきらかである。     労働協約の性格      一一 たとえば、ωの﹁政

(12)

労働協約の性絡 =   治活動は一切禁止すること﹂、㈲の﹁経営協議会的機関は、⋮⋮労使懇談会的として﹂設けるなどのごときは、余りにもその意図か露  骨であり、完全に憲法を無視する立場であるが、ωのできるだけ具体的に規定すること、というのは一見、労働協約のあり方として       も  も  し  も  も  へ  も  ヤ  ヤ  ら  ヘ  モ  も  も  へ  あ  し  ヘ  へ  も  ヘ  へ  り  ら  ヘ  ヘ  へ  尤ものように考えられるが、一面それは絶対的平和義務に近づくものであることを見落してならない。次官通牒や日経連の協約基準        ヒ  ヘ  へ  ゐ  し  ね  め       め  も  ぬ  案は労働協約の有効期間中は一切の争議行為は許されないというが︵無協約は争議中、というアメリカ的考え方︶平和義務が相対的  たることは通説であり、労働協約に余りに詳細な規定をもつことは争議権の一時置放棄を意味する一面をもつのである。 ③労資は階級的対立関係にある、といえば、いかにも資本主義を否定するように人はいう。だか、資本家階級と労働者階級かあれば  こそ資本主義社会なのである。労資協調とか、経営共同体などというのは、資本主義的でなく、むしろ資本主義以前の感覚でしかな  い。資本主義社会だからこそ、労働者の争議権をみとめるのである。 ④次官通牒は﹁債務的条項のみであって規範的条項を含まないものは、これを労働協約と称しても、真の労働協約としての機能を果  すものとはいえない﹂いう。 ⑤等価交換であるとのからくりについて、拙稿﹁労基法上の労働時間6﹂彦根論叢三一号。 ⑥磯田進﹁協約斗争ということについて﹂季刊労働法二八号五五頁。 ⑦拙稿﹁労基法二六条﹂彦根論叢三四号 ⑧藤田若雄﹁協約斗争の考え方﹂労働法律旬報一二四号。 ⑨戦前の労働協約の実情は、内務省社会局﹁本邦二於ケル労働協約の概況﹂︵昭和一一年︶、同﹁本邦二於ケル団体交渉並二労働協約  の概況﹂︵昭和三年︶を、戦後については、労働省﹁資料労働運動史﹂、同労働統計調査部﹁労働協約全書﹂、同型政局労働法規課﹁労  働協約の実情﹂︵労働協約資料五一号︶に詳しい。なお、藤田若雄﹁協約闘争の理論﹂は、特殊・日本的な労・資関係における対立  抗争を、歴史的・発展的に追求している。 ⑩東京都労働局労働組合課﹁労働協約作成の手引﹂。 ⑪労働協約の本質については、後藤教授﹁労働協約の基本問題﹂・同﹁労働協約理論史﹂・同﹁労鋤協約の理論と実際﹂、沼田教授  ﹁労働協約に関する基本的考察﹂労働法律旬報  一二四号・同﹁協約規範の法的性格﹂・同一四四号、森長英三郎﹁労働協約と就業  規則﹂、吾妻教授﹁労働協約﹂、石井教授﹁労働協約と就業規則﹂労働法 二号、石黒拓爾﹁労働協約の基本難題﹂ ・同﹁労働協約の  法規的性質と契約的性質﹂、吉川大二郎﹁労働協約法の研究﹂など。

(13)

⑫拙稿﹁労働法の解釈﹂労働法八号。 ⑬三〇・一二・一三札幌地裁判決三井鉱山美唄鉱業所事件。 ⑭ 藤田若雄﹁統一的協約斗争の問題点﹂労働法律旬報 一二一・二号 な力前掲﹁協約斗争の理論﹂。 ⑮後藤教授は沼田教授の﹁労働協約に関する基本的考察﹂に示唆を受けたとして、労働協約を﹁労働協約は、商晶所有者聞の契約た  る側面と階級人たる労使間の契約たる側面とを統一する合意である。いいかえると、労・使問の取引的・交換的・契約たる側面と、  安定的・休戦的・契約たる側面とを統一する合意である﹂と定義される︵﹁労働協約の基本問題﹂二三一四頁︶。 ⑯貞操侵害については後藤教授の説かれるところ。部分ストの場合における、就労希望者の諸悪権、ロック・アウトと賃金請求権、  労基法二六条の休業手当などについて、賃金を以て損害額の算定の基準とする論が一般的である。拙稿﹁労基法二六条﹂参照。 ⑰森長氏は、このように分類し、この分類にしたがって、その型の効力をあたえようとすることに否定的である。氏は協約のすべて  の部分に法規範性をみとめることを主張され.る︵﹁労働協約と就業規則﹂︶。﹁通説は⋮⋮第一には、契約についてまでも法規範を認め  ることは、プアッシズムへの抵抗を弱くするというにあるようである。法規偏重がプアッシズムへの抵抗を弱くすることは、ドイツ  の歴史でもわれわれのみてきたところであり、債務的部分にまで法規範をみとめることが、法規偏重というならば、この欠点をみと  めざるをえない。しかし、債務的部分に法規範をみとめることが、ただちに法規偏重といえるかどうかは疑問である。そして第二に  債務的部分に法規範をみとめることに反対するものは、もっと直接の政策的のものではないかとおもう。現在の労働協約には⋮⋮経  営者の組合支配の協約が少くない。このばあい債務的部分にまで法規範をみとめるときは、経営者の組合にたいする支配は一層強化  される⋮⋮それはたしかに問題であろう。しかし、論者は経営側と労働側と、いずれが協約違反が多いかということをよく考えられ  たであろうか﹂︵﹁労働協約の法律上争﹂労働法律旬報 一四一号︶といい﹁債務的部分にまでも規範的効力をあたえることは、すべ  て労働側に有利なばあいばかりとはいえぬ。そこに労働側としても、困難な立場に立つこともありえようが、それは別の方法で救済  すべきことがらである﹂︵﹁前掲書﹂六四頁︶という。沼田教授は労・使関係は、商品所有者間の市場における対向関係という側面と  階級的人間として使用者と対立する側面との二面のあることを強調し、たとえば債務的条項について﹁これらの諸規定は一面に市場  関係における相対立する主体間の契約であるが、同時に階級関係において相対立する主体間の契約内容たる側面をふくんでいるので  ある。そして前者の面がより優越していると解すべき条項が民法の契約理論により親近性を示し、後者の面がより優越しうる条項が  それに疎であるといわざるをえない。しかし、いずれの面が優越した意味をもつかということも相対的であり、勇働運動の歴史や実 労働協約の性格 =二

(14)

労働協約の性格 一四  態に即して考察せらる.べきである﹂︵﹁労働協絢に関する基本的考察﹂︶といわれる。 このこと、は労働法の解釈について、労働法の二  面性を強調するわたしの考え方に相通ずるが、 ﹁労働運動の歴史や実態に即して﹂考えるなら、殆んどの条項が﹁階級関係において  杷対立する主体間の契約内容たる側面﹂をふくんでいるのではなかろうか。 ⑯佐藤助教授﹁北陸鉄道労働協約繋争史﹂労働法律旬報二面四・五号・同﹁戦後日本の労働協約の動態分析﹂講座労働問題と労働  法 四 所収、内山光雄﹁幹部斗争から大衆斗争へ﹂。昭和三一年の私鉄総連労働協約斗争推進要綱は、﹁組合の日常活動や職場斗争  の重要な実績は必ず個別協定で確認しよう﹂ ﹁重点を労働条件におこう﹂ ﹁無協約でもいいという思想を一掃するとともに、無協約 .では労働者は一日も安心できないような協約を締結することを基本態度としよう﹂と、うたっている。 ⑲注⑬参照。 ⑳同意・協議のほか、協議決定・承認・諮問などがみられるが﹁その差は結局程度の差﹂に帰しえよう︵二五.一・三〇東京地裁  日本セメント事件︶。 解雇承認条項につき﹁会社が右承認を求めようとするならば、組合に対し、会社の経営状態・経理の内容をつ       も  へ  も  も  へ  ぶさに公開し、相互に隔意のない意見を交換して、誠実に企業の整備並に再建の方法を協議し、組合を十分に納得させて、その協力  を求むべき⋮⋮﹂︵二四二二・一五 東京地裁 日本油機事件︶は参考になろう。﹁会社と組合が協議の上決定する﹂と﹁会社が組合  と協議の上決定する﹂とは﹁主語の相異から、前者は同意約款に近いものとなり、後者は諮問約款に近い弱いものとなる﹂ ︵石黒拓  爾﹁労働協約の基本問題﹂・同﹁同労働協約﹂︶などと解すべきでない。このような解釈は、とくに、わがくにのごとき企業別組合の  場合は全く組合に不利となるだけである。根本的には組合組織の問題ではあるが、使用者が上位団体への加入を極度にきらう現状に  カいては、個々の組合員に、まだ幹部に、このように厳密な﹁交法﹂の用法を要求しうるであろうか。中・小企業においてはとくに  しかるであろう。条項の丈法的解釈でなく、諸々の事情を総合しての解釈でなければならない。使用者・労組ともに、そのような相  違を意識して規定している場合はきわめて少ないだろう。恐らく、両者ともおなじ強さをもって、意識されているにちがいない。現  実を無視して、ただ文法的解釈に満足することは、国語の問題としてはともかく、法の、わけて労働法の解釈としてとるべからざる  ことは多言を要しないであろう。     ,   解雇協議約款を債務的部分とするもの。二四。六。二二 福岡地裁 日本地葺ント門司工場事件、二四.一一。一一 東京地裁  日本セメント西多摩工場事件、二四・二・五 名古屋地裁 豊和工業事件など。規範的部分となすもの、こ四・一 ・二九 大阪地  裁 松下電気産業事件、二四・一〇・二六 横浜地裁 芝浦エ機事件、二四・一一・一 東京地裁 日本製靴事件、二六・二・一

(15)

 東京地裁 日本紙業事件、など。  余後効を否定するもの、二五・五・一六 福岡地裁 日本製鉄事件、二五・八・一七 福岡地裁 日立製作所事件、ご五・九・ご五  高知地裁 山本造船鉄工所事件など。肯定するもの、二四・一一・一一 東京地裁八王子支部 日本セメント西多摩工場事件、二九  ・一二・二四 大阪地裁 千土地事件など。        ヤ  も  め       ヘ  モ  も  も  ヨ  へ  ぬ   協議約款を既得権の立場からみとめるもの、二四・九・二七 千葉地裁 加藤製作所千葉工場事件、労資対等の原則からみとめる       も  つ  も  もの、二四・六・二四 福岡地裁久留米支部 日本タイヤ旭工場事件、信義則からみとめるもの、二五。五。三〇 佐賀地裁 杵島  炭鉱事件。協議約款の余後効を否定するものは、その理由は区々であるがきわめて多い。二四・一一・一一 東京地裁八王子支部  日本セメント西多摩工場事件、二五・=丁二三 東京地裁 高岳製作所事件、二六・一・二三 東京地裁 日本油脂事件、などで  ある。   沼田教授は余後効理論について﹁労働契約は経営という組織体への加入の合意、一定の秩序11社会規範をもった社会への参加の合  意という意味をもつ﹂のであって﹁協約締.結の有無とは別個の問題である。むしろ個々の労働者の契約意思が空虚にせられ、形骸化  されるこの傾向に抗して、契約意思を取りもどし、自己のものにしようとするところに団体交渉が生じ、それによって若干でも自己  の意思をとりもどしたの.が、労働協約であるといいえよう。個々の労働者は労働契約によって協約規範のおこなわれている組織体に  加入するのである。だが、それにもかかわらず、かれと使用者との間は勇働契約である。その内容は社会規範によって規定せられて  いる﹁のでめる。つまり、その内容の具体的に実現せられるのは労働契約に含まれる具体的な合意の効果ではなくて、社会規範たる協  約規範の具体的条項の効果なのである。だから、いわゆる協約の余後効を理論づけようとして、協約規範が労働契約の内容として存  続するというような理論は切角協約の規範的効力をみとめながら、一度排除した契約理論を裏口から引き入れているものである﹂と  いう︵﹁労働協約に関する基本的考察﹂︶。 ⑳ 菊池・林﹁労働組合法﹂一七五頁、 ⑳二五・一二・一六東京地裁富士工業三鷹工場事件、二五・四・三福岡地裁西日本汽船株式会社事件、二六・一・二三束 .京地裁 日本油脂事件、二六・一〇・一一 名古屋地裁 全日本自動車産業三鉄工分会事件 などは、組合に訴訟当事者適格をみと  めんと努力.し、二七・四・二 最高裁 共同通信事件、二七・=一・一一 東京地裁 市原病院事件はこれを否定する。二八・一〇  ・二六 広島高裁 宇部興産賃金請求事件は、組合の管理処分権を否定しつつも、組合員が訴訟をなす権能を組合に付与したときは 労働協約の性絡 一五

(16)

労働協約の性絡 一六  組合員に代って訴訟を遂行できるとし、組合に対する権能の付与は﹁弁護士代理の原則及び訴訟信託を禁止する信託法の精神に抵触  しない限りできる﹂ものとした。  野村他﹁裁判所における労働協約違反の救済﹂ ︵季刊労働法 二〇号︶は、その困難なることをあきらかにする。 ⑳ 直接強制・代執行は不可能であり、間接強制もなじまず︵必ずしもそうとは考えられないが︶判決による代執行もみとめることが  できないとされる︵吾妻教授﹁条解労働組合法﹂=二五頁 など︶。        ︵一九五八・九.二九︶

参照

関連したドキュメント

(( .  entrenchment のであって、それ自体は質的な手段( )ではない。 カナダ憲法では憲法上の人権を といい、

(自分で感じられ得る[もの])という用例は注目に値する(脚注 24 ).接頭辞の sam は「正しい」と

17‑4‑672  (香法 ' 9 8 ).. 例えば︑塾は教育︑ という性格のものではなく︑ )ット ~,..

の主として労働制的な分配の手段となった。それは資本における財産権を弱め,ほとん

⑥法律にもとづき労働規律違反者にたいし︑低賃金労働ヘ

自然言語というのは、生得 な文法 があるということです。 生まれつき に、人 に わっている 力を って乳幼児が獲得できる言語だという え です。 語の それ自 も、 から

 筆記試験は与えられた課題に対して、時間 内に回答 しなければなりません。時間内に答 え を出すことは働 くことと 同様です。 だから分からな い問題は後回しでもいいので

自分ではおかしいと思って も、「自分の体は汚れてい るのではないか」「ひどい ことを周りの人にしたので