はじめにお断りするが, 本稿は厳密には書評と言え ない。 私は小池氏の弟子筋でもないし, 労働経済が専 門でもない。 また本評は, 書評というより讃辞に近 い。 その点, 本誌の書評の役割を果たしておらず, 読 者諸兄には申し訳ない。 日本企業の海外生産拠点の研 究者には重鎮・論客も多く, 本来はその方々によるス リリングな書評があるべきなのだろうが, 評者として は, 今回ばかりは書評失格といわれても, 讃に徹した い。 本書は, 労働経済学の泰斗, 小池和男氏の最新作に して, 実証の最先端を示す本格的研究書である。 日系 企業の海外拠点における人材形成が主題であるが, 実 際の議論は, それを超えて広がる。 小池理論のさらな る玉成であり, 現段階での集大成ともいえる。 私事で恐縮だが, 評者は, 日本の産業競争力の研究 をする中で, 日本および各国には, 背負っている歴史 の違いから, 異なるタイプの組織能力が進化し, 偏在 し, それが日本や各国における産業の比較優位の源泉 となる, と考えるようになった。 では, その 「日本に 偏在する組織能力」 とは何か。 それを知るには, 日本 で競争力を持つ現場, たとえば自動車産業のそれを観 察し, そのエッセンスを凝縮すればよいわけだが, そ うした企業が行う組織ルーチンは, かんばん, 整流化, 品質作り込み, 標準作業, アンドン, ポカヨケ, 予防 保全, 多工程持ち, セル生産, 助け合い, 等々, それ こそ何百とある。 これらを順次, 濾過し, 凝縮し, エッセンスを抽出 すると, 何が残るか。 産業や企業の特殊性を捨象して いったとき, 最後に残ったのは, 結局 「多能工のチー 池氏が長年指摘してこられた, 「知的熟練」 論の直接 的結論ではなかったか。 多能工のチームワークは, 生産現場だけでなく, 生 産準備の現場, 製品設計の現場, 購買の現場にも及ぶ。 小池氏は, 生産から生産準備, 製品設計へと実証分析 の範囲を拡充している。 それが本書の見所である。 簡単に紹介しよう。 第 1 章で問題を提起, 第 2 章で 外堀を埋める統計的検討と, 戦前の先行事例である在 華紡 (日系紡績企業の中国拠点) の経営史的研究の批 判的検討を行う。 第 3 章で, 日系自動車メーカーの海 外拠点の実証分析に関する先行研究サーベイと本書の 小池フレームワークの提示を行い, 第 4 章で, フレー ムワークにしたがい日本の T 社の国内生産拠点の実 態を示す。 その上で, 第 5∼7 章で, 同社の米国拠点 (NUMMI), イギリス拠点, タイ拠点における生産技 術者, 製造技術者, 生産労働者の人材育成, 処遇, 多 能化, チームワークなどの実態を, それこそ詳細に記 述・分析する。 第 8 章は結論と含意である。 きわめて オーソドックスな構成だ。 第 1 章では, 「海外活動の高次の段階」 というキー ワードがいきなり出る。 すなわち, 日本企業の海外活 動を, 以下の 3 段階に分ける。 (1)単純な低賃金利用 の段階, (2)生産現場における変化と問題をこなす技 能を移転する段階, (3)製品設計, 生産ライン設計・ 構築など, より上流の開発活動に関係する高次の能力 を移転する段階。 ちなみに日系自動車メーカーの海外
書 評
BOOK REVIEWS
小池
和男 著
海外日本企業の人材形成
藤本 隆宏
● こ い け ・ か ず お 法 政 大 学 名 誉 教 授 。 ●東洋経済新報社 2008 年 3 月刊 A5 判・ 294 頁・ 3990 円 (税込)●
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展開は, それぞれの地域で相対的に高い賃金を払い, 多能工を確保する政策が, 少なくとも 80 年代の米国 進出以来あったので, (2)から入ったと考えるべきだ ろう。 いずれにせよ, 従来の小池理論は, 現場での異 常即応能力, つまり(2)を強調してきたと言えるが, 本書の主役は(3)であり, 小池理論の新展開ともいえ る。 ここから先は, 小池氏一流の, 緻密な現場観察であ り, 情報収集であり, それを簡潔な言葉 (いっけん日 常言語だが実は周到に定義された, 小池氏独特の表現) で我々に示す。 現場用語か学術用語でものを考えがち な評者の頭の中は, 小池氏の, 平易な日本語による分 析を自分の領域の用語に翻訳するのにちょっと手間取 るが, 慣れればすっと頭に入るようになる。 次に, 日本企業の海外活動に関する固定観念を見直 す。 すなわち, ①日本は内需指向でいくべきとの論説 が目立つが, 実はそもそも外需依存度は低い。 ②直接 投資は伸びているが, まだ欧米に比べ累計で及ばない。 ③主役は政府・国家ではなく, あくまでも企業であり, その競争力だ。 ④日本企業の国際化は新しいテーマで はなく, 戦前綿工業の在華紡という前例がある。 第 2 章では, まず, 日本の直接投資収益率は, 他の 先進国と比べても低くないことをデータ等で確認する。 圧巻は, 同章後半における, 戦前の在華紡に関する考 察だ。 言うまでもなく, ここは経済史の牙城で, 錚々 たる既存研究が並ぶ。 そこに, 他の道の大家である小 池氏が切り込む。 ある意味で, すごい構図ではないか。 小池氏は, ここで戦前在華紡の競争力について, 国 家説ではなく, 企業努力説を採る。 ちなみに自動車の 組立生産性は, 1980∼90 年代を通じて 「日系国内工 場>日系米国工場>米系米国工場」 であり, またその 要因が 「工程上の工夫」 であるなど, 興味深い類似性 が見られる。 評者らも別のルートでトヨタ方式の源流を探り (下産業に求めている。 ひょっとして大野耐一と武藤山治 がつながるかもしれないと源流踏査をしているが (例 えば松井 2008), この領域はさすがに高峰林立し, 容 易に部外者を寄せつけない。 小池氏の分析は, 我々後 進に勇気を与える。 第 3 章では, 日本での T 社の実態が詳細に示され る。 ここで, 技能形成のポイントは, 現場において, 一目で問題を検出し対応する能力である。 したがって, それに貢献しない 2 時間ローテーションは技能形成と 関係が薄いとする。 チームに関しても, 生産ライン上 の問題発生 (異常) への迅速な対処をチームで行うの が重要なのであって, 常時集団で加工組立作業をする ことがポイントではない。 自分の標準作業に集中しな がら周囲の問題に目配りが行けばよい。 したがって, 多能工育成も, 単に複数の標準作業ができるというこ とではなく, ライン上での迅速な問題検出・対応, 改 善提案, 後進指導, そして生産ライン設計や製品設計 に対する事前の問題指摘能力などが, 多能工の要件と して問われる。 T 社の現場の能力構築を生産システムの側から実 証研究してきた評者は, 僭越ながら, 小池氏のこの指 摘に 100%賛同する。 まさにここが, 「核心」 であり 「枢要なポイント」 なのである。 こうした 「技能形成の枢要なポイント」 に関して, 海外の工場はどうなっているか。 それを丹念に調べた のが第 5∼7 章だ。 対象となった T 社海外工場は 3 つ で, アメリカ (米系と合弁の NUMMI), イギリス, タイ。 詳細は省くが, 丹念である。 T 社の社内品質 監査の結果から推測される各職場の現場能力の評価を 評者は知るが, 小池氏の評価と整合的である (タイ工 場が頭一つ抜けている)。 3 工場に実力差はある。 小 池氏もそのニュアンスを正確に書き込まれているよう に見える。 差の原因は, 労使関係の制約 (先任権制度) や, 人材育成の歴史の厚みの違いとみられる。 各工場に関して, 小池氏は, 車体溶接職場と最終組 立職場を観察し, 記述し, 分析する。 流れるような説 明で, どんどん頭に入る。 工場全体を知悉した現場リー ダーに話を聞くと, このような小気味の良いテンポで 話が聞けることがあるが, それに似た爽快感がある。 数字をほとんど用いずに, 臨場感のある説明をしてい たるような気分で勉強させてもらった。 評者も類似の 工場によく行くが, そういう工場で得ている知識に比 しても違和感がなく, しかも新しい発見はたくさんあっ た。 書評になっていないが, さすがと申し上げるしか ない。 とくに, 生産準備 (工程開発) 関係のデータは資料 価値が高い。 評者は製品開発の研究者であるから, 川 下に当たる工程開発の手順は一通り知っているが, た とえば立ち上げチームの編成が, T 社本体と NUMMI でどう違うかなど, 知らなかった話がたくさん出てく る。 しかも, これらの話には重要な結論がある。 NUMMI と T 社本体工場は, 表層的に比較すれば似 ているが, 実は違う。 多能工の働きぶりや能力を, 上 司集団が長期でじっくり見て評価する, という長期能 力主義が, アメリカ自動車労組の機械的な先任権方式 によって妨げられている, という指摘は, 個々別々に は知っていた事実だが, 評者の頭の中ではその因果が つながっていなかった。 こうした 「なるほど」 という 話が次々出てくる。 評者は生産管理系の教科書も書い ているが, 次回の改訂では, 大幅に引用させていただ きたいと思った。 技術者の人材育成に関しては, 評者が製品設計者の 人材形成において発見したこと (藤本 1998) ときわ めて整合的であった。 製品技術者と生産技術者に待遇 差を設けないのが, よく知られる T 社式である。 このように本書の記述は流れるように進むが, それ らは体系的な一覧表になりうる。 実際, 第 6 章の表 6-1 はそうした比較分析表だ。 もっと包括的な一覧表 があると便利だと評者などは思うが, それは読者が自 分で考えてやれ, ということかもしれない。 いずれに せよ, 本書で分析された 3 事例は, 全般的なパフォー マンスの評価に差があるように思われるが, なぜそう した差が生じたのか, 小池氏の忌憚のないご見解も別 途知りたいものだ。 むろん, 本書は 1 社の分析であり, 他社との比較が ない。 日米 2 社の合弁である NUMMI にその片鱗は あらわれるが, 複数企業における追加検証は, 後進の 研究者も含め将来の課題だろう。 さ ら に , 無 い も の ね だ り を す る な ら , T 社 の
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NUMMI とケンタッキー工場の比較を見たかった。 両者はともにアメリカ現地工場で, 他の条件が近く, 組合の有無とか, 既存工場か新設工場か, といった差 があるので, それらの影響を見るには好適と思われる からだ。 ちなみに, 両工場, どちらの実力が上かは, 人により, また時期により, 評価が分かれたと記憶す る。 さて, これだけの仕事をされたあと, 本書の終わり 方は, 拍子抜けするほどロー・キーである。 淡々と記 述し, 静かに終わる。 騒々しい終章を書きがちな評者 は, これに学ぶべきと思った。 とはいえ小池氏は, 最後に, 「日本自身が自分の良 さを見失い, それを自ら捨てていく可能性」 に対し警 鐘を鳴らされる。 まったくそうだと思う。 本書は, 労 働経済, 人事労務管理, 国際経済, 国際経営などを志 す学者, 学生, 専門家などにとって必読書であるのみ ならず, 日本の経営者に, ぜひ読んでいただきたい。 自分の良さを見失わないためにも, である。 引用文献 下川浩一・藤本隆宏編著 (2001) トヨタシステムの原点 文 眞堂. 藤本隆宏 (1998) 「自動車産業の技術系人材形成」 日本労働研 究雑誌 No. 458. 松井幹雄 (2008) 「顧客対応型量産方式の生成と発展 戦間 期綿織物業の量産方式とトヨタ生産方式の関連を中心に」 東 京大学 COE ものづくり経営研究センター, DP-192. 時宜を得た著作であると思う。 今後四半世紀, あるいはそれ以上かもしれないが, 高齢者が多い, 未曾有とも言うべき超高齢社会が到来 する。 その社会では, 語弊がある言い方かもしれない が, 高年齢者にも応分に働いてもらわなければならな い。 悠々自適の楽隠居などは, 多くの, ほとんどの高 齢者にはあり得ないことになった。 この社会の資源が 急速に減少に向かうのであるから, 今後は, 誤解を恐 れずに言えば, 高年齢者には積極的に労働力の一部に なっていただきたいとまでいってよいようである。 したがって, 高年齢の人たちに働きの機会を提供す ることが, 近未来の (というよりもすでにはじまって いる) この社会にとって緊急の政策課題になりつつあ る。 それを考える手がかりを本書は与えてくれそうで ある。 時宜を得たとはそういうことである。 副題が, 高年齢者が 「必要とされ続ける人材」 となるための 「育成と活用」 とあるが, それこそが今, この社会で, 真正面から問われようとしていることである。 本書のねらいは, 高年齢者の雇用の可能性を検討す ることである。 今後, この社会は働いて自立できる高 年齢者を多く必要とする。 雇用の拡大に向けて企業の 人的資源管理に求められる新たな視点の構築を図りた いことが意図される。 雇用の拡大は, 著者は可能性と して論じているだけであるが, とにもかくにも, どの ようにして今後増加の一途をたどるであろう高年齢者 を人的資源として活かすことができるかである。 幸いというべきか, 従来から指摘されていたことで はあったが, 他の国々と比較して, 高年齢者の働く意 ふじもと・たかひろ 東京大学大学院経済学研究科教授。 技術・生産管理論専攻。高木
朋代 著
高年齢者雇用のマネジメント
必要とされ続ける人材の育成と活用
田尾 雅夫
● た か ぎ ・ と も よ 敬 愛 大 学 経 済 学 部 准 教 授 。 ●日本経済新聞出版社 2008 年 6 月刊 A5 判・ 503 頁・ 4620 円 (税込)自ら構築していこうとする高年齢者が極めて多いとい うことである。 しかも, 企業であれば, 雇用継続につ いて, 労使双方のおおむねの合意ができているとすれ ば, 制度的な仕組みの改変も, 困難はあろうがこの流 れそのものは, この社会としては今後, 受け入れざる を得なくなる。 法制度の着実な運用や, さらにいっそ うの制度拡大への歩みが求められるということであろ う。 しかし, その意欲をさらに活かすためには, 個々 の企業にも相応の施策がなければならない。 まさしく 「高年齢者雇用のマネジメント」 である。 著者の論点は, 以上のような問題意識を下敷きにし て, 人的資源管理論の視点から, 従来企業による継続 雇用と, 他社に転職する再雇用の 2 つの部分に分けて 実証的に議論の展開を試みている。 そして, それを促 すための経営管理, マネジメントの可能性を論じるこ とになる。 従来からの議論, たとえば成果主義による 人事管理の限界なども指摘されることになる。 また, マネジメントを真剣に考えなければならないが, しか しその限界もあることを前提に, 個々の高年齢者もこ れから, 自らのキャリアについて真剣に, 前向きに考 えなければならなくなる。 本書の前半, 第Ⅱ部では雇用継続について議論を展 開する。 結局, 高年齢期になっても, 企業から必要と される人材であるためには, 自身のキャリア形成に主 体的に参加し, 能力形成の機会が分断されることがな いことがもっとも重要な要因であるという結論である。 企業についていえば, 定年前後の雇用管理だけではな く従業員一人ひとりの能力形成に配慮した, 入社から 定年までの長期的な人的資源管理が欠かせなくなる。 しかし, 以上のような長期的な視野による高年齢者 活用は, つまり雇用継続は 3 つの問題によって妨げら れている。 1 つはミスマッチ, 2 つ目は継続者の選抜 に伴う摩擦の発生, そして新しい雇用契約の受容が難 しいことである。 これらの課題が克服されるためには長期的な視点に 立っての人的資源管理がなければならない。 ミスマッ チは計画的な能力育成によって, あるいは雇用機会の 創出によって解消されるべきであるし, 選別に伴う摩 擦は, 高年齢者自らが気づく自己選別 (自らが自らを 雇用と不雇用の合意形成で回避される。 実際的には困 難を伴うことは疑いないが。 新しい雇用契約もまた, 合意形成によって解消され るものとしている。 これも難しいと予想される。 この 背後にある論理は, 長期的に高年齢者雇用を制度化し ているという企業の姿勢, さらにその誠意をみせるこ とである。 著者が援用しているように, 心理的契約が 欠かせないということである。 その心理的な契約を成 り立たせるためには, 長期的な人事施策がなければな らないという, いわば堂々巡りの関係にある。 裏と表 の関係と言い換えることもできる。 とはいいながら, 裏が変えられないから表も変えようがないともいえる ので, これはあくまでも先駆企業による事例なので, それが普及するかどうかは予断を許さない。 可能性を 論じているともいえるようで, 実行可能性についての 論点整理が欲しかった。 一般的な理論, あるいは施策 展開を支える基礎論としての展望が, さらに欲しいと いってもよい。 後半, 第Ⅲ部では転職について議論している。 転職 はさらに難しい。 従来の出向・転籍はすでに飽和状態 になり期待できそうではない。 転職の成功のためには, それまで勤めていた企業で通用していた能力とは別の, 他企業でも通用できるような能力や経験, そして資格 をもっている人ほど転職しやすいという, 広く巷間に 流布した考えがあった。 著者による分析では, 継続雇 用の場合と重なるところが多く, むしろ関連性の強い 職種間を移動するほうが, キャリアの成功への道のり を平坦にしているようである。 「キャリアの連続性」 を著者はここでも繰り返し強調している。 長期的な安 定雇用を前提として, 入社以降のキャリア育成をいわ ば主体的に行い, その結果として最終的には, 他企業 でも求められる人材になれるということである。 ただし, 著者によれば, 転職者は継続者とは相違す る行動特性を備えているようである。 転職者は相対的 に職務志向の価値観を持ち職務へのコミットメントが 強い。 逆をいえば, 勤めている企業へのコミットメン トは弱いということである。 会社人間的ではないとい うことであろう。 いわゆる日本的経営の行き詰まりと いうことは, 転職志向を増やすことになるかもしれな い。 しかし, その場合でも, 自身のキャリア育成を主
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体的に, しかも継続的に行うという姿勢が重要である との示唆を得ることができる。 会社が嫌になったから 転職を考えるなどの, 気分に任せた行動は結果として よろしくない事態に至ることは疑うまでもない。 著者 の指摘はあくまでも, キャリアを連続させることが重 要であると説いている。 しかし, 著者の論点が, 長期 的な安定雇用を前提としているだけに, リストラや倒 産などといった不本意なキャリアの中断にどのように 対処すればよいのかについては, 主体的な対応がどの ように可能なのであろうか。 著者は転職者特有の行動特性を指摘する。 転職者は 継続者に比べると, 長いキャリアの中でだれもが経験 しうる出来事に対して, 敏感に反応し行動するという 「過反応性」 ともいうべき特性を備えているとする。 何か機会があれば, 転職という行動の引き金になると いうのである。 言い換えると, 機を見て敏ということ であろうか。 示唆的にいえば, それならば, 自身のキャ リア育成を主体的に, しかも継続的に行うという姿勢 のなかで, 変化を敏感に捉える技法を修得することも 必要になるということであろう。 しかし, だれにでも 期待できることではない。 だれにでも期待できること であれば, 会社人間のような忠誠心を一挙に薄めるこ とになり, 企業の仕組みが揺らぐことになるのではな いか。 最終的に, 高年齢者の多くについていえば転職意識 は低く, 雇用継続を望んでいる一方で, 多くの企業は すべての高年齢者を自社内で雇用することはできない。 再雇用における選別と同様の困難さに出会うことは避 けられない。 送り出し企業と, 受け入れ企業の双方で, 転職を円滑にすすめるマネジメントの施策が必要にな ることはいうまでもない。 著者はいくつかの方策を提 言している。 1 つは出向による試用期間を経た最適マッ チの試み, 転職に向けての企業と従業員の合意形成に 向けての努力, つまり転職を非自発から自発に変更さ せる (著者によれば 「すりかえ合意」), さらに転職に 際しての適合プロセスの統制などがあるとしている。 企業間の人材マネジメントの, いわばすり合わせによっしかし, 企業のマネジメントについてそこまで期待 することが妥当であるかどうかについては疑問がない とはいえない。 雇用継続も転職も, 企業の長期的な視 点に立った人的資源管理を土台として成り立つことで ある。 企業は例外なくといってもよいが, 苦境を経験 する。 その場合, 必ずといってもよいが, 人的資源管 理に手抜きをしかねない。 成果主義などはその典型で ある。 著者が総括するように, 昨今の流れとは相反す るものがある。 しかし, 昨今の激しい流れは滞りはじ めた。 今の時点でいえば, いわゆる成果主義は, 結局, あだ花で終わりそうな気配でもある。 それに対抗する 論理としては首肯できる部分が少なくないが, 実際的 な論理としてはさらに洗練の必要があろう。 それにし ても, 成果主義の荒っぽさを突いていることで同意で きる部分は少なくない。 もしかして, 成果主義が人的資源管理論の視点とも う少し真剣に関わることもあれば, 高齢者の, 資源と しての活用に途を開くこともできたと思うが, 評価だ けを徒に先行させた成果主義は, その議論の偏狭さを 問われるべきであろう。 企業から必要とされる人材で あり続けるためには, 今の評価を問うよりも, 近未来 に向けて, 評価に値する人材をどのように長期的に育 成するかが問われるべきであった。 経営学に身をおく 立場にあっては, 本書の指摘も受けて評者はその力不 足に悔しい思いもするが, 評者だけではなく, それだ けの中長期的な視点にたった経営学者も少ないようで はあった。 評者も含めて反省しなければならない。 今 もまたそうであるが, 経営学者の多くは当面の問題だ けに応えて喝采を得ようとする。 雇用関係を短期的な 決済に向けて論じようとする傾向から免れなかった, あるいは免れようともしなかった。 労働力人口の減少, 高齢者の多くなる社会, 総人口の減少など, 当然, 高 ば, エイジズムを盲信して高齢者を切り捨てるような 方策の片棒などを担ぐことはなかったはずである。 経 営学の一部を担っていたものとしては, 著者の指摘を 受けて悔やまれるところは多い。 なお, しいて難をいえば, 前半部分の文献研究にお ける論理の詰めが甘いようである。 なぜそうなのかと 議論を展開するところで, 簡単に文献やデータでやや 安易につないでいるところが何箇所もある。 もう少し 要因間関係を突き詰めて欲しかったが, 第Ⅱ部以下の 実証的な展開において細密に展開されているので補っ て余りあるとはいえるので, ここではそのことの是非 は問わない方がよいかもしれない。 ついでにいえば, 付論が分厚い。 本論中に入れ込んで, 全体をもう少し コンパクトにできなかったものか。 記載された内容の 関連が理解できずに再度本文に帰るような不都合が何 度もあった。 そういうことでは読み辛いといえそうで ある。 問題提起としては, 本書の半分くらいの分量に 抑えた方が読者を多く得たのではないか。 本研究も含めたその論理構築は, 著者も含めた私た ちの今後に残された課題というべきであろう。 議論は はじまったばかりである。 しかし, その成果は今, 直 ちに欲しいといってもよいくらいである。 数年も待て ることではない。 その間にも高年齢者は増え続ける。 本書をその端緒として一刻も早く議論をはじめたい。 大部な著作ではあるが, できるだけ多くの関係者が本 書を読むことを薦めたい。 たお・まさお 愛知学院大学経営学部教授。 京都大学名誉 教授。 公共管理論, 経営管理論, 組織心理学専攻。
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本書は, 戦後のドイツの, とりわけ 1990 年代以降 のドイツの管理層職員についての本格的な学術書であ る。 周知の通り, ドイツは産業的にはものづくりに優 位性を持ち, 労使関係においても産業別労働組合の強 さやコーポラティズムによる労使関係の安定性などが 注目されてきた。 そのため, 労使関係の国際比較研究 の蓄積も大きく, 産業労働者とその利益を代表する産 業別労働組合の活動が研究されてきた。 他方, ホワイ トカラーの研究は非常に少なく, 経営学におけるアメ リカ研究と対照的である。 とりわけ管理層職員につい ては, 本書は初めての本格的な著作であるといえよう。 ドイツの労使関係研究が, DGB 傘下の産業別労働 組合の活動を中心に進んできたのは, 活発な組合活動 により資料が豊富に入手できたという背景もあった。 管理層職員の研究では, 先行研究も少ないうえに, 組 合により公刊された資料も多くはなかったと推察され る。 こうした状況の中で, 著者は, 大卒の指導的職員 層の利益を代表する協約交渉当事者である VAA (化 学産業大卒職員および指導的職員連盟) の資料や Bayer 社, BASF 社の資料を追うことで, 1990 年代 のドイツ化学産業における大卒職員層に起った変容に ついて明らかにしている。 まことに貴重な研究であり, これまでの日本におけるドイツの労使関係研究の欠を 補うものである。 多くの読者にとって, 本書は未知の分野にかかわる ことが多いと思われるので, 内容をかいつまんで紹介 したい。 まず, 著者は管理層職員 (Fuhrungskrafte) の概念を定義し, それが戦後ドイツに形成されたもの であることを明らかにしている。 管理層職員を定義す ることはいささか難しい。 日本で管理職の定義が必ず しも一義的でないように, ドイツのそれも一義的では な い 。 労 働 者 Arbeiter や 職 員 Angestellte , 官 吏 Beamte といった言葉は, 労働関連法規や労働協約に より確定しうる。 これに対し, 管理層職員を一義的に 規定する法規はないので, 著者は 「経営陣には含まれ ない上位の企業内官僚組織において, マネジメントに 従事する職員層である。 彼らは, 企業内のスタッフお よびライン部門にいて, 優れた指導力あるいは高度な 専門知識を要求される役職に従事する。 経営陣に含ま れないことから, 身分上は被用者に分類される。 この 従業員層は, 上層の企業内官僚組織における昇進の対 象であると同時に, 将来における経営陣の候補とみな される」 と定義している。 この対象に対して, 労働法の世界では, 指導的職員 や協約外職員という概念があったが, 著者は経営のな かで事実として存在しはじめた管理層職員の形成をと らえるにはこれらの法律的な研究では限界があるとし, そのドイツへの導入は, 戦後ドイツにアメリカ的な経 営を持ち込む意図によってうまれたヴッパータール・ グループによってなされ, アメリカ企業のマネージャー 層をモデルにしていることを明らかにしている。 背景 には, 使用者による企業管理層形成の意図があった。 しかし, アメリカ的な概念に基づき, 従来からの 「指 導的職員」 という概念とも完全には一致していなかっ た新しい概念が, すぐにドイツに定着することはなく, しばらくは理念に留まっていた。 それが現実的なもの になっていくのは, 1980 年代以降のドイツ企業の事 業再構築により, そうした層が実態として形成される ことによってであった。 したがって, これは比較的新 しい存在であるということができる。 彼らは, 協約外 契約に基づき, 包括代理権, 商業登記簿上の支配権を 付与され, 報酬や賞与の他に利益配分金や特別なフリ石塚
史樹 著
現代ドイツ企業の管理層職
員の形成と変容
竹内 治彦
● い し づ か ・ ふ み き 西 南 学 院 大 学 経 済 学 部 准 教 授 。 ●明石書店 2008 年 2 月刊 A5 判・ 264 頁・ 6300 円 (税込)競争的業務の禁止, 労働時間規制の制限を受けないと いった特別な義務等を伴った身分である。 また, 入職 の経路でも変化が起こり, 文系の専門人材として, 大 学での外国語の履修, 外国体験, 経営学の履修と企業 実習などが求められるようになるとともに, 卒業後, トレイニー・プログラムにより企業実習生として採用 されるようになった。 ところで, このプログラムにつ いては, 同じく大卒の専門的な人材群である理系のエ ンジニアとの比較検討も興味深いように思われた。 ド イツの工学エンジニアは日本の修士課程に当たるディ プローム (Diplom) 資格を取得し, 在学期間も長く, 工学分野の専門性を持つ。 工場での労務管理はエンジ ニアが担うケースが多いので, 「管理層」 の形成とい う意味で文系人材と理系人材とがどのように配分され ているか気になるところである。 以上は, 管理層職員の形成にかかわる経営者側の要 因であるが, 他方で, 当該職員層の側からの主体的な 要因も働いている。 それが管理層職員の利益代表, 労 使関係にかかわる面である。 ドイツの労使関係といえ ば, ドイツ労働総同盟 (DGB) 傘下の産業別労組中 心に研究が行われてきた。 せいぜい, これにドイツ職 員労働組合 (DAG) について言及がされるくらいで あ る 。 そ れ に 対 し て , 本 書 で は 指 導 的 職 員 連 合 (ULA) について言及されている。 DGB 傘下の組合 が社会パートナーとして, 協約交渉をするのに対して, この傘下の組合では, そうした力は持っておらず, 唯 一, VAA (化学産業大卒職員および指導的職員連盟) だけは 1950 年代より, 大卒者俸給基本協約なる協約 をドイツ化学産業使用者連盟との間で結んでいた。 しかし, 指導的職員層の被用者としての権利保障は, 脆弱性を持っている。 彼らの経営への近さは, その力 を強める面も持つが, 他方, 被用者としての集団保障 にはなじまない弱点を持つ。 これは当事者たちの認識 においても変わらない。 しかも, 東西ドイツの再統一 に端を発した大規模な雇用の危機や, 全体的な事業再 構築の中で, 旧西独地域においても, 雇用や労働条件 が危機にさらされるならば, 管理層としての役割より も, 労働組合として被用者代表としての役割を強めざ るをえない。 このようなドイツ労使関係史において, ほとんど光を当てられてこなかった部分に光を当て, はきわめて大きいといえるだろう。 本書は, このようにドイツの労使関係研究において 新しい部分に光を当てているのだが, それだけに, 旧 来の研究に馴染んできたものにとっては, どのように 理解してよいのか迷うところもあった。 ドイツの労使 関係研究の系譜を非常に大まかに括ると, 二つのテー マ群が浮かび上がる。 一つは, 主として労働法学者に よる産業別労働組合と事業所従業員代表組織との二元 的な従業員代表の仕組みの研究である。 もう一つは, H. ケルン, J. H. ゴールドソープ, あるいは R. ドー アらによって主張されたアメリカ型資本主義とは異な るコーポラティズムを基礎にしたステークホルダー型 資本主義の研究である。 とりわけ, 資本主義は一つに 収斂していくのか, あるいは収斂は終焉するのか, と いうテーマは, 日本の研究者にとっては意義深いテー マだった。 まず, 二元的な従業員代表制度については, 200 頁 から事業所レベルでの対応が説明されているが, 組合 と し て の VAA と そ の 職 場 委 員 会 , さ ら に Betriebsrat (従業員代表会) との関係がわかりにく かった。 実態としては様々な混在はあるだろうが, 協 約自治の文脈での組合活動なのか, 経営組織法による 従業員代表活動なのか, あるいはそうした区分自体が 妥当しないのかについての説明もしてもらったほうが わかりやすかったように思う。 次に, グローバリズムに対して, コーポラティズム 型の資本主義が別の形で存続しうるのか, というテー マについては, 最後の部分での BASF 社の事例など 興味深かった。 産業別労組における協約交渉の仕組み は, 集団的画一的で, ドイツが Tarif (協約, 賃金・ 価格表) の国であることをわれわれに印象づけてきた。 それに対して, 管理層職員については, もっとグロー バルスタンダードが持ち込まれても不思議ではない。 評者自身, 97 年 2 月に化学系の大企業でヒアリング したことがあるが, 管理的な職員層についてアメリカ 系のコンサルティング会社の賃金体系が適用されてい ると説明された。 著者は, 1990 年に旧東独でおきた 大規模な事業再構築の局面において, 管理層職員の労 働条件が崩壊的と表現できるほどに悪化するなかで, 彼らが労働組合による労働条件規制を強く求めたこと