滋 賀 大 学 教 育 学 部 紀 要 人 文 科 学 ・社 会 科 学 ・教 育 科 学 No.40 p.p.105-1零5, 1990 105
パ ウル ゼ ンの 教 授 学 につ い て
村 田
昇
コ コUber die Didaktik Fr. Paulsens
Noboru MURATA
Sammarium.
Friedrich Paulsen・(1846-1908).sistemasiert
seine Didaktik in der Padagogik, wahrend Otto
Willmann(1839-1920)scheidet die Padagogik
von der Didaktik unter. Und f芭r Paulsen ist das
groBe Hauptstuck der Frziehung die Willens-bildung, and tritt die Ausbildung der intellek・
tuellen krafte in die zweite Linie zurdck. Denn
sieht er die Intelligenz als das groBe Werkzeug
des Lebenswillens. Nat廿rlich hangen beide, die
Willensbildung and die intellektuelle Bildung,
miteinander zusammen.
Nach Paulsen habe Intelligenz eine doppelte Leistung:die praktische als die Leistung des
Lebens and der Lebensbetdtigung durch d量e
Erkenntnis der Lebensumgebung and die
theore-tische als objektive Erfassung der Wirklichkeit
in Gedanken. So besteht die Aufgabe des
Unter-richts darin, die in der Anlage vorhandenen
Krafte der Intelligenz zur Fahigkeit zn entwicke・
In, diesen beiden Aufgaben zu 16sen :erstens
die technisch・praktischen, zweitens die theore・
tischen.
Fur Paulsen besteht"Lehren"nicht in einem
Ubergeben and"Lernen"nicht in einem passi・ ven Aufnehmen von Kenntnissen, sondern alle
Erkenntnis, von der Anschauung bis zum Beg・
riff, mul3 von dem Schiiler selbst innerlich
erzeugt werden. Der Lehrer kann tun, ist nichts
anders, als dais er dem Sch廿ler Anregung zur
Selbsttitigkeit in bestimmter Richtung gibt.
Dafiir nehmet Paulsen einen Begriff der "Apperzeption"anf
. Der Lehrer muB dem Schul・
er Elemente zur Apperzeption fiihren ein.
Meine Ab'sicht・in diesem Aufsatz besteht
darin, die Kernproblemen der Didaktik Paulsens
auf, d.er Grundlage seiner voluntaristischen
Erkenntnistheorie, and ich untersuche fiber die
Lehre vom Bi夏dungswert der humanistischen
und realistischen Unterrichtsf註cher.
は じめ に
パ ウ ル ゼ ン(Paulsen, Friedrich,1846-1908) の 著 『古 典 語 教 授 の 歴 史 』(Geschichte des gelehrten Unterrichts auf den deutschen Schulen and Universitaten von Ausgang der Mittelaters bis zur Gegenwart.2Bde,1885∼ 96)は 、 古 典 語 教 授 に 重 き を お く ドイ ツ の 高 等 教 育 の 歴 史 を 、 文 化 史 、 精 神 史 、 社 会 史 と の 関 連 に お い て 考 察 し、 教 育 制 度 の 形 成 が 当 代 の 文 化 ・社 会 の 構 造 と 関 連 し て い る こ と 、 教 育 制 度 が 一 般 文 化 運 動 の 大 な る 推 移 に よ っ て 規 定 さ れ る こ と 、 教 育 制 度 の な か に そ の 民 族 の 文 化 が 縮 小 し反 映 して い る こ と な ど を 明 ら か に し た こ と に よ っ て 、 不 朽 の 名 著 と さ れ て い る 。
106 村 田 昇 彼 は こ の卓 越 した教 育史 観 に基 づ き、 教 育 学 を も孤 立 的 な科 学 とせ ず 、 「人 間 の 社 会 生 活 の 正 しい状 態 な らび に機 能 の学 」 と して、 他 の 文 化 関係 に 内 的 必 然 的 に 随伴 す る もの と し、倫 理 学 、 人 間学 、 生 理 学 、心 理 学 、社 会 学 、政 治 学 、 国 家学 な ど、 全 文化 科 学 の広 範 な基 礎 の上 に、 学 と して の教 育学 を樹 立す る こ とに努 め 、文 化 教 育 学 の祖 とな った 。 しか し、彼 は単 な る 講壇 教 育 学 者 で は な く、 そ の 眼 はつ ね に教 育現 実 に 開 か れ 、 そ の哲 学 的 考 察 の下 に方 向 づ け を行 った 。 当時 の激 烈 な学 校 闘 争 の な か にあ って 、 あ らゆ る迫 害 と戦 い な が ら、献 身 的 に実 学 的 な学 校 形 態 の樹 立 と推 進 の た め指 導 的 な理 論 を構築 し、特 に従 来 の古 典 的 陶 冶 に重 点 を置 く人 文主 義 的 ギ ム ナ ジ ウ ム と 実学 的 陶 冶 に 重 点 を置 く実 科系 の 中等 学 校 との ・ 等 価 値 を主 張 し、 そ の 実現 に努 力 した こ とは 、 あ ま りに も有 名 で あ る 。 そ れ ば か りで な く、彼 の教 育学 は 、学 校 教 育 の 実践 に対 して も、 きわ め て具 体 的 な理 論 的 方 '向を与 え て い る 。 彼 の 没 後 、 そ の女 婿 カ ビ ッツ (Willy Kabitz)に よ っ て 、 遺 稿 や 講 義 案 、 講 義 草 稿 、 ノ ー ト等 か ら編 集 され た 『教 育 学 』 (跨dagogik.1911)は 、 本 文全420頁 の うち、 第 1巻 「意 志 の 陶 冶 」 が143頁 、 第2巻 「教授 論 」 が216頁 と な っ て い る 。 実 に全 体 の 約85%強 、 後 者 の教 授 論 は約 半 分 を占 め て い る 。 しか もそ の 論 述 は 、 ま さ に 「教 育 の哲 学 」「教 授 の 哲 学 」 とい うの が ふ さわ し く①、実 践 的 ・具 体 的 で あ りな が ら、 つ ね にそ の 本 質 が求 め られ て い る。 そ の 背 景 と な って い る心 理 学 な ど、 そ の基 礎 科 学 は 、現 代 に は古 びた もの と見 な され る と して も、 導 き出 され た 結 論 にお い て は 、今 日にあ っ て も妥 当 と され 、生 き続 けて い る し、ま た、活 性 化 させ る必 要 を考 え させ る もの も多 い の であ る。 シ ュ プ ラ ンガ ー(Spranger, Eduard,1882-1963) は、 そ の学 位 請 求 論 文 で あ るrフ ンボ ル トと人 間 性 の 理 念 』(Wilhelm von Humboldt and die Humanitatsidee,1910)と 教 授 資 格 請 求 論 文 で あ る 『フ ン ボ ル トと教 育 制 度 の改 革 』(Wilhelm von Humboldt and die Reform des Bildungs-wesen,1910)を パ ウ ル ゼ ン に捧 げ 、 彼 を 「永 遠 の 師 」 と称 し、 そ の 人 格 性 と と も に深 く敬 慕 して い る。 しか し 、 こ の パ ウ ル ゼ ン の 教 育 思 想 は 、 今 日 ま で に 十 分 に 研 究 さ れ 、 解 明 さ れ え た と は い い 難 い 。 そ れ ど こ ろ か 、 忘 れ ら れ が ち と な っ て い る と もい え る の で は な か ろ う か 。 オ ラ ン ダ の 教 育 学 者 で ドイ ツ に も影 響 力 の あ る ラ ン ゲ フ ェ ル ド(Langefeld, M.」.1905∼89)も 、 そ の 著 『一 般 教 育 学 』(Allgemeine Padagogik.1951.)の な か で 、 パ ウ ル ゼ ン を高 く評 価 す る の で あ る が ②、 パ ウ ル ゼ ン の 教 育 思 想 を 現 代 の 鏡 に 写 し出 し、 そ こ か ら 教 育 活 動 ・教 授 活 動 に お け る 永 遠 な も の を 求 め 今 日 的 意 義 を 考 察 す る こ と は 意 義 深 い と 考 え る 。 本 稿 で は 、 そ の 教 授 学 に つ い て 究 明 す る こ と に し た い 。 パ ウ ル ゼ ン の 教 育 思 想 は そ の 著 『哲 学 入 門 』(Einleitung in die Philosophie. 1892.)や 『倫 理 学 大 系 』(System der Ethik mit einem Umriss der Staats-and Gesellschafts・ lehre.2Bde.1903.)な ど に 示 さ れ て い る 哲 学 な い し は 倫 理 学 と 密 接 不 可 分 の 関 係 に あ る ③の で 、 そ の 関 係 を 求 め る こ と に 努 め た い 。 と こ ろ で 、 パ ウ ル ゼ ンの 教 授 学 は 、 一 般 教 授 学(allgemeine Didaktik)と 特 殊 教 授 学(spezielle Didaktik)に 分 か れ て い る 。 い う ま で も な く、 前 者 は教 授 学 原 論 で あ り、 後 者 は 各 科 教 授 学 、 い わ ゆ る 教 科 教 育 学 で あ る 。 こ れ に150頁 が 割 か れ て い る の は 、 教 育 学 概 論 の 書 物 と し て は 珍 ら しい の で は な か ろ う か 。 そ う して 、 こ れ ら の 教 授 学 は 、 「教 育 学 」(踏dagogik)と 「教 授 学 」 (Didaktik)と を 区 別 し た ヴ ィ ル マ ン(Willmann, Otto.1839-1920)と は 反 対 に 、 「教 育 学 」 の な か に 知 性 の 陶 冶 と し て の 「教 授 学 」 を 組 織 して い る と こ ろ に 特 徴 が あ る と い え よ う 。 1.一 般 的教 授学 の根 本 問 題 (1)生 活 に対 す る知 性 の意 義 パ ウル ゼ ンに あ って は、人 間 の 「心 意」(Seele) は、 「意 志 」(Wille)と 「知 性 」(lntelligenz) の 二 面 に 分 か た れ 、意 志 範 囲 の 活 動 と して は、 附 随 的 な 感情 活動 を伴 う、 努 力 、 衝 動 感 覚 、 欲 望 、 意欲 が あ り、知 性 の それ に は、 知 覚 、 表 象 、. 思 考 が あ る④。 感 情 は一 種 の意 志 活動 と見 な さ れ て お り、心 意生 活 の特 別 な面 と して は 考 察 さ れ て い な い 。 こ の な か で 、 「精 神 生 活 の根 本 部 分 」 を な す の は 「意 志 」 で あ り、 「知 性 は 意 志
パ ウル ゼ ンの 教 授 学 につ い て 107 の道 具 で あ り、 そ の仕 事 は意 志 を環 境 の なか に 整 位 す る(orientieren)こ とで あ る」⑤。 した が っ て 、 彼 に あ っ て は 、 「意 志 の 陶 冶 が 教 育 の 主 要 部 分 」 とな り、 「知 的 能 力 の 形 成 、 す な わ ち 、 認 識 と熟 練 、才 智 と才 能 な どは 第二 義 的 で あ り、 手 段 と して の価 値 を有 す る にす ぎな い。 人 間 の 究極 的価 値 は 、 そ の も っ と も深 い本 質が 存 す る と ころ 、つ ま り意 志 、 正 当 な意 志 形 成 に あ る。 性 格 陶 冶 の な い 知 性 の 陶 冶 は危 険事 で あ る。 悟 性 は 善 意志 の 道 具 と も悪 意 志 の 道具 と もな りう る」⑥の で あ る。 意 志 は か か る もの と して 、 実 践 的 な課 題 と理 論 的 な課 題 を も っ て い る⑦。 す な わ ち、 前 者 の 実 践 的 課 題 は、 生 活 環 境 を認 識 す る こ と を通 じ て 、 生 命 の 保 持 と生 活 の 活 動 を導 くこ とで あ る。 知 性 は、 そ れ 自体 盲 目的 で はあ るが 、 目標 に 向 ・ か って 努 力 す る意 志 に、 そ の 環 境 を明晰 な ら し め 、 その こ とに よ って 、 ます ます拡 大す る範 囲 の なか で 生 命 の保 持 に有 益 な もの と有害 な もの に活 動 が 適 応 す る こ とが 可 能 と な るの で あ る。 これ に対 して 、後 者 の倫 理 的課 題 は、思 考 の な か に現 実 を客 観 的 に把 握 す る こ とで あ り、概 念 的 認 識 が 人 間 的 ・精 神 的生 活 の 本 質 的 内容 を形 づ くって い る 。 また 、科 学 的認 識 は、実 践 的 ・ 技 術 的活 動 に対 す る基 礎 で あ り、 した が って 、 全 文 化 の 基 礎 で もあ る 。 こ の よ うな 「理 論 的作 用 に お け る 知性 の 目標 は 、現 実 全 体 を統 一 的 ・ 包 括 的 な 思 考 体 系 の な か に 把 握 す る こ とで あ る」⑧。 こ の よ うな 体系 が哲 学 と され る な らば 、 これ に善 お よ び 価 値 に 関 す る論 の訓 練 が な され る こ とに よっ て 、 哲 学 は再 び実 践科 学 と な る。 これ は 、 「職 業 陶 冶 と一 般 陶 冶 」 の 概 念 と関 係 す る こ とに な る とい え る⑨。 こ こで 職 業 陶 冶 とは 、 「実 践 的 ・技 術 的 な生 活 課 題 の 解 決 に と っ て 必 要 な知 識 と技 能 の 賦与 」 で あ り、一 般 陶 冶 と は 「理 論 的 な 生 活 課 題 、 す な わ ち、 民 族 と時 代 の 精 神 生 活 へ の 関 与 に対 して 要求 され る知 識 と技 能 の賦 与 」 で あ る。 各 人 が 生 活 全体 に 関与 す る 形 式 にお い て の み精 神 生 活 、 理 論 的 関心 を もち 、 そ れ を 「独 自 な仕 方 で 所 有 し獲 得 しな け れ ば な らな い 」 こ とを望 んで い る と した ら、 こ の 「一 般 陶 冶 」 こ そが 、 技 術 的 陶 冶 よ りも、人 格 的 な 陶 冶 とな る の で あ る。 パ ウル ゼ ン は、 この よ うな意 味 に お け る 「知 性 の 陶 冶 」 と して の 教 授 学 を 組 織 し、 そ こで 「教 授 の 哲 学 」(Philosophie des Unterrichts) を展 開 す るの で あ るが 、 そ の基 礎 とな っ て い る 彼 の 認 識 論 を概 観 しな け れ ば な らな い。 (2)認 識 と概 念 パ ウル ゼ ン にあ って は 、合 理 論 と経 験 論 の長 所 を 生 か した カ ン ト(Kant,1.1724-1804)の 理 論 が もっ と も価 値 あ る もの と され て い る ので あ るが 、 と りわ け そ こ に含 まれ る永 遠 の真 理 と して 、 彼 は次 の こ と をあ げ て い る。 ① 認 識 は、 主 観 が受 動 的 に外 界 か ら受 け た 印 象 の 集 積 で は な く、主 観 の 自発 的 活 動 の 所 産 で あ る⑩。 ② 科 学 的 認 識 は感覚 か らで な く、悟 性 か ら 生 じる もの で あ り、 また 、知 覚 に よ っ てで は な く、 概 念 的 思考 に よっ て生 み 出 され る もの で あ る⑪。 ③ 認 識 は主 観 の 一機 能 で は あ るが 、 しか し そ れが 唯 一 の 機 能 で もな け れ ば もっ と も重 要 な機 能 で もな い 。 したが って 、 パ ウル ゼ ンに あ っ て は 、精 神 は 一 枚 の 白紙 で あ って、 そ の上 に外 界 の印 象 が 感 覚 を通 じてそ の 模 像 を写 す ものが 認 識 で あ る と す る 、 ロ ック(Locke, John,1632-1704)ら の経 験 論 の考 え方 は誤 りで あ り、色 、音 、 香 、味 な どの単 純 な感 覚 か ら高 度 の経 験 に至 る まで 、 外 部 か ら印 象 づ け られ る もの で な く、す べ て環 境 との触 発 を機 縁 と して 、 精神 が 自発 的 に生 み 出 す もの な ので あ る。 した が って 、「認識 は客 観 、 す な わ ち 、死 せ る物 体 で は な く、機 能 の活 動 で あ り、 か か る もの と して そ の担 い手 に よ って 切 断 され た り他 人 に譲 渡 され る こ とが で き な い。 認 識 は内 か らの み 生 み 出 さ れ」⑫、 「純 内 的 な機 能 、 心 意 の 創 造 的 な 活 動 」⑬で あ る と い う こ と が で きる。 概 念 も また 、パ ウル ゼ ンに あ って は、 「印 象 の集 積 、受 動 的 に刺 激 され て打 刻 した もの 、 も し くは模 写 した もの で は な い 」、 また 、 「ひ とが 手 か ら手 へ と渡 され うる よ うな死 せ る対 象 で は な く、多 様 な直 観 を一 つ の観 点 の も とに把 握 す る 生 け る 機 能 と して の み 存 在 す る 」⑱ もの で あ る。 さ らにパ ウ ルゼ ンに よれ ば 、動 物 の 思 考 が 複
108 村田 昇 雑 な現 象 も し くは 直観 の連 合 に お い て起 こ る の に対 して 、 人 間 の 思考 は 「複 雑 な事 象 を そ の成 分 に 分解 す る能 力 を形 成す る の が そ の本 質で あ り」⑮、 また 、「事 例 を本 質 的 な 因子 と偶 然 の 事 情 とに分 析 して 、 偶 然 的 で 一時 的 な組 み 合 わせ と、 ま さに 純 正 に、恒 常 的 に続 起 す る もの とを 区 別 す る」⑯。 した が って 、 「人 間 の 思 考 の独 自 性 」 と もい うべ き 「概 念 的 思考 の 本 質 は 、直 観 複 合 体(Anschauungskomplex)の 分 離 、 直 観 の 内 的 組 織 化 で あ り、 分析 と総 合 が そ の 過 程 の 両 面 で あ る 」⑰。 「人 間 の 目 は動 物 の 目以 上 に は 見 えな い けれ ど も、 動 物 の 意 識 の な か で は鈍 い 直 観 複 合 体 と して 留 ま って い た もの を、 人 間 の 知 性 はや が て 再 び統 一 体 系 に 組 み 合 わせ る 多様 な成 分 に分 解 し、 … … や が て そ れ は 全現 象 の こ の 契 機 を判 断 して 、 全 体 、 しか も個 々 の もの が' 決 ま っ た位 置 を 占め る組 織 され た 全 体 に 総称 す る。 徹 底 的 な分 析 を前 提 とす る この"直 観 の 組 織 化"に よ って のみ 、 自然 法 則 の 認 識 が 可 能 と な る」⑱ので あ る。 人 間 の こ の よ うな理 論 的 能 力 の 発 達 にお い て 、 もっ と も重 要 な役 割 を演 ず るの は、 パ ウル ゼ ン に あ っ て は 「手 」 で あ る。 彼 は い っ て い る。 「感 覚 器 官 は 人 間 の特 殊 な恩 恵 を示 す に す ぎな い 。 そ れ に反 して 、 人 間 は手 の なか に驚 きべ き 研 究 の 道 具 を所 有 して い る」⑲ と。 そ う して 、 手 が事 物 を も って試 み る実 際 的 な分 析 と総 合 は、 悟 性 が 直 観 を も って試 み る分 析 と総 合 にお い て 反 復 され る の で あ り、悟 性 の 把 握 は手 の 道 具 に 相 応 す る。 人 間 が道 具 を作 る とい う こ と と概 念 を 用 い て思 考 す る とい うこ とは、 パ ウ ルゼ ン に あ って は 、 人 間 と動 物 とを 区別 す る一 つ の 特 徴 な の で あ るが 、 こ こか ら彼 が 手 の 熟 達 と訓 練 を 力 説 す る の は 当 然 で あ ろ う。 彼 は い って い る。 「直 観 に対 す る 人 間 の 積 極 的 な 態 度 は一 動 物 は 受動 的 に そ の 直観 を通 り過 ぎて しま うの で あ る が一 人 間 の 最初 の可 能性 に従 って 、 た えず 現 象 の経 過 に お い て 実験 しなが ら関 わ るべ き手 の 所 有 に基 づ い て い る」⑳。 「自然探 究 者 の 実 験 は 子 ど もの手 が 原 初 的 な実 験 をす る陶 冶 の 継 続 に す ぎな い 。 子 ど もの 時代 に こ の仕 方 で 事 物 と 取 り組 まな か った 者 は、 た とえ彼 が 世 界 の あ ら ゆ る書 物 を頭 の なか に集 め た と して も、そ の 生 涯 にお い て 、 事 物 に に通 暁 す る に は到 らな いの で あ る」馳 。 この よ うな 理 論 を抱 くに至 っ た背 景 と して は、 ' パ ウ ルゼ ンが ラ ンゲ ホ ル ンの農 家 に生 ま れ 、大 自然 を友 と して幼 少期 を過 ご した彼 自身 の体 験 が あ った こ と も見 逃 して は な らな い だ ろ う。 彼 は、 後 年,自 分 の 出 身校 で あ る ノル トフ リー ス (Nordfries)の 「村 落 学 校 」(Dorfsschule)に 対 して 満 腔 の 感 謝 の 念 を捧 げ な が ら、次 の よ う' にい って い る こ とか ら も、 そ れ が理 解 され る。 す な わ ち、 「公 正 な 農 家 と公 正 な村 落 学 校 は 、 そ れが 統 一 され て 、 青 少年 に対 して神 の 大地 の 上 に与 え う る も っ と も完全 な 陶 冶 の場 を な して い る。一 この 現 実 は 、 眺 め に心 を惹 くだ け で な く、捉 え る よ う に誘 い 、 取 り組 む こ と を よ ぎ な くさせ るの で あ る」⑳と。 しか も彼 は、 そ こ に現 実 を知 る も っ と も効 果 の あ る形 態 を見 出 した の で あ る。彼 は い って い る。 「私 は そ れ に環 境 そ の もの が 与 え る 自然 的 直 観 教 授 を提 示 す る多 くの き っか け を指 摘 す る もの で あ る」⑳。 「認 識 と行 動 と も実 際 の力 に転 ず る こ とにお いて 、 村 落 と村 落 学校 が 、 成長 し つ つ あ る児 童 に、 彼 が 使 用 しな し とげ る こ と を 示 す 程 に は、 いか な る大 学 も完 全 に は学 生 に提 供 しえ な い。 … … 都 会 人 の 大 多 数 が 大 地 との接 触 な しに 、村 落 で 育 っ た者 が 失 うべ か ら ざる宝 物 と して もって い る 自然 的 な ら び に人 間 的 生 活 環 境 の根 深 い直 観 な しに成 長 す る と した ら、 そ れ は わ れ わ れ の民 族 に と って 陶 冶 の 力 と独 創 性 の 多 大 な損 失 を意 味 す る と考 え ざ る を え ない 」 ⑳ と 。 だ か ら パ ウ ル ゼ ン に あ っ て は 、 遊 び (Spiel)と 労 作(Arbeit)が 教 授 活 動 の な か で 教 科 よ り も重 要 な事 柄 と な って い るの で あ る⑳。 (3)教 授 の 課 題 パ ウ ル ゼ ン に よれ ば 、 「教 育 」(Erziehung) とは 、erziehenの 語 源 で あ るeducareが 示 す よ う に、 「引 き 出 す 」(hervorziehen)こ と、 つ ま り、 「素 質 の な か に存 在 し今 な お 未 発 達 の 形 態 に あ る もの を完 全 な 発 達 に まで 導 く」⑳ こ とで あ って 、 こ れ は 「力 の練 習 」 に よ っ て行 われ る。 こ の 活動 を援 助 す る外 的活 動 と して は、 ① 実 例 を示 す こ と ② 課 題 を設 定 し、 そ の解 決 に際 して 指 導 す る こ と が あ る が 、 後 者 は教 育 活 動 の 発 達 した 、 意 識
パ ウル ゼ ンの教 授 学 に つ い て 109 的 ・目的 的 形 態 で あ っ て 、 こ れ す な わ ち 、「教 授 す る」(unterrichten)こ とで あ る⑰。 そ して 、 こ の 「教 授 活動 は、 まず 設 定 され た課 題 が 活 動 を喚起 し、 能力 に方 向 を与 え る こ とに よ って な され る 。 そ の 際 、教 師 は補 助 者 と して 、示 範 に よ って 道 を示 し、誤 りを正 し、 そ の結 果 を検 査 し、 同 時 に学 習 態 度 を注 意 す る 」⑱の で あ るが 、 これ が 「教 授 の 根 本 的形 式 」 で あ る。 パ ウルゼ ンに あ って は、 この 「教 授 」(Unterricht) に は、"Lehren"(狭 義 で の 教 授 、 教 え る こ と) と"Lernen"(学 習 す る こ と)の 二 面 が あ る。 「"Lehren"と は 譲 渡 す る(廿bergeben)こ とが そ の 本 質 で は な い し、 ま た、"Lernen"も 教 師 が 所 有 して い る知識 を受 動 的 に受 け とる(anfnehmen) こ と で は な い 」⑳。 「私 は 私 自 身 が 創 造 す る思 惟 しか 考 え る こ とが で きな い 」⑳ので あ り、「内 か ら の 自己 活 動 に よ っ て の み 獲 得 され うる 」⑳ の で あ る。 したが って 、 「直観 か ら概 念 に到 る まで め全 認 識 は 、生 徒 自身 に よっ て内 的 に生 み 出 され な け れ ば な らな い 。教 師が な し うる こ と は 、 生徒 に確 定 せ る方 向 に お い て 自己活 動 へ の 刺 激 を与 え る以 外 の何 もの で もな い 。教 師 は生 徒 の 感 性 的 な もの に、 生 徒 の 知 識 能力 を、 その 成 果 が 直 観 、 表 象 、 思 想 で あ る よ うな 自発 的 な 活 動 とす る刺 激 を供 給 す る」⑫の で あ る。 こ の よ う な 意 味 に お け る教 授 の課 題 は 、 「知 性 の力 を発 育 させ て 、 生 活 の なか で そ の課 題 を もっ と も完 全 に解 決 しう る 能 力 た ら しめ る」⑳ こ と に あ る 。 こ こで い わ れて い る 「知性 」 とは 、 す で に 述 べ た よ う に、 シ ョー ペ ンハ ウ ア ー (Schopenhauer, Arthur.1788-1860)と 同様 に、 「生 命 意 志 の 大 い な る道 具 」 で あ り、 そ れ に は、 「生 活 環 境 を認 識 す る こ とに よ って 生 活 活 動 を 遂 行 す る実 践 的 役割 」 と 「思 考 の なか に現 実 を 客 観 的 に把 握 す る 理 論 的 役割 」 の二 つ の 側 面 が あ る 。 した が って 、 「教 授 は、 素 質 と して存 在 す る知 性 の 力 を発 展 させ 、 活動 させ 、 そ こ にあ っ て 、 一方 で は人 生 に お け る技 能 的 ・実 践 的 課 題 を、 他 方 で は理 論 的 課 題 を解 決 させ る もの 」 ⑭な の で あ る 。 そ う して 、 「こ こ で は 死 せ る対 象 が 問 題 で は な く、 生 け る技 能 、 つ ま り、 行 為 の 技 能 と認 識 の 技 能 が 重 要 で あ る」⑯ こ と は、 い う まで も な い。 この よ うな 「知 性 の陶 冶 」 が 「意 志 の 陶 冶 」 に 仕 え な け れ ば な ら ない こ と も、 す で に述 べ た⑯。 要 す る に、 パ ウ ル ゼ ン にあ っ て は、 「認 識 は陶 冶 に 対 して は 素 材 と して の 意 味 を もつ に す ぎず 、 そ れが 生 きた形 式 と力 に な さ れ る と き に の み 、 内 面 的 な 人 間 陶 冶 に役 立 つ 」 の で あ り、 「陶 冶 の 本 質 は 知 識 の所 有 に で は な く、 そ の な か で 内面 的 な生 活 形 式 が 活 動 す る認 識 と作 用 の 生 きた 力 の 所 有 にあ る」⑰の で あ る。 (4)教 授 の 原則 如 上 の 見 地 か ら構 想 され たパ ウ ル ゼ ンの教 授 学 の 主 要 問 題 は 、 「提 示 され た 要 素 の把 握 お よ び 理 解 、 そ う して 教 授 の 成 功 は 何 に 基 づ くの か 」⑱とい う こ と にあ る。 こ こ にパ ウ ルゼ ンは 、 ライ プ ニ ッツ(Leibniz, Gottfried Wilhelm,1646-1710)に よ って 導 入 さ れ カ ン トに よって転用 され、ヘ ルバ ル ト(Herb繊 Johann Friedrich,1776-1841)お よ び そ の 学 派 に よ っ て 純 化 され た 「類 化 」(Apperzeption) の 概 念 を採 用 す る。 彼 に お け る類 化 とは 、 「与 え られ た刺 激 の動 機 の 上 に表 象 す る主観 が 、 そ の 刺 激 か ら、彼 の現 存 す る表 象 生 活 の 内 容 を通 じて 、 新 しい表 象 を形 成 す る過 程 」⑲で あ る 。 した が って 、"Lehren"の 本 質 は、 「教 師 が 生 徒 に要 素 を類化 に導 くこ と、 い い か え る と、 生徒 の 目や 耳 に刺 激 を与 え、 それ を一 定 の 類 化 過 程 の 完 成 に 導 く こ と」⑩に あ る。 他 方 、"Lernen" の 本 質 は、 「生 徒 が彼 の う ち に 現 存 す る表 象 と 概 念 か ら、 新 しい直 観 、表 象 、 概 念 を形 成 し、 こ れ ら を既 存 の もの に 附 属 させ る こ と」⑪に あ る。 したが って 、 先 に 設定 され て い た教 授 学 の 主 要 問題 は、 明 らか に次 の 二つ の条 件 に基 づ くこ とに な る@。 す な わ ち、 ① 意 欲 され た 形式 に お いて 類 化 に適 した 表 象 と概 念 が 生徒 に存 在 してい る こ と。 ② 差 し出 され た刺 激 に よっ て実 際 に活 動 し、 した が って供 給 され た要 素 が 注 意 を 引 き起 こす こ と。 第一 の条 件 が 欠 如 して い る と きに は、 教 授 は 類 化 に適 した直 観 、 表 象 、概 念 を見 出 だす こ と が で きな い ので 、 理 解 され な か っ た り誤 解 され た りす る。 したが って 、 第 一 に 、類 化 に適 した 表 象 、有 用 な類 化 機 関 が 存在 すべ きで あ り、 第 二 に、 そ の表 象 が 実 際 に類化 の活 動 に現 われ な
110 村 田 昇 け れ ば な ら な い 。こ こ に 、「注 意 」(Aufmerksamkeit), す な わ ち 、 「類 化 に 適 し た 表 象 属 と と も に 実 際 の 活 動 に 進 む 主 観 の 心 構 え な い し は 内 的 な 緊 張 」⑬が 必 要 と な る 。 こ こ か ら パ ウ ル ゼ ン は 、 教 授 学 の 二 大 原 則 を 設 定 す る の で あ る ⑭。 ① 教 授 は つ ね に 現 存 す る 生 徒 の 理 解 力 、 す な わ ち 、 生 徒 の 直 観 と概 念 に 適 合 させ な け れ ば な ら な い 。 ま た 、 教 授 は 当 該 の 年 齢 に と っ て 理 解 さ れ う る も の で な け れ ば な ら な い 。 ② 教 授 は 注 意 を 喚 起 し 、 か つ 維 持 し な け れ ば な ら な い 。 あ る い は 、 興 味 あ る も の で な け れ ば な ら な い 。 そ う し て 、 第 一 の 原 則 は 、 さ ら に 次 の 二 項 に 分 け ら れ る 。 ① 教 授 は 現 存 す る 表 象 に 結 び つ け る こ と を 求 め な け れ ば な ら な い 。 だ か ら 、 教 師 は 表 象 内 容 に 関 し 、 そ の 生 徒 の 心 理 に 通 じ て い な け れ ば な ら な い 。 ② 教 授 は 順 序 正 し く(methodisch)進 行 さ せ な け れ ば な ら な い 。 い い か え る と 、 先 行 す る も の が 類 化 へ の 随 伴 に 役 立 つ べ きで あ る 。 こ の 原 則 に 応 じ る た め に は 、 か の べ ス タ ロ ッ チ ー(Pestalozzi, Johann Heinrich.1746-1827) の 原 理 が 妥 当 す る こ と に な る 。 す な わ ち 、 「全 教 授 の 、 直 観 か ら概 念 へ 、 具 体 か ら 抽 象 へ 、 現 象 か ら原 理 な い し は 法 則 へ 、 事 実 か ら 理 論 へ の 道 」⑮で あ る 。 次 に 、 教 授 を 成 功 さ せ る た め の 第 二 の 条 件 と し て 生 じ た 「注 意 」 と は 、 パ ウ ル ゼ ン に よ れ ば 、 一 点、 つ ま り 、 「あ れ や こ れ や の 一 定 の 対 象 の 知 覚 、 あ れ や こ れ や の 一 定 の 事 件 な い し は思 想 の 把 握 、 共 存 す る 他 の す べ て の 対 象 を 除 外 し 、 あ れ や こ れ や の 一 定 の 動 作 の 実 行 な ど の 、 一 点 に お け る 心 意 的 エ ネ ル ギ ー の 集 中(Konzent・ ration)」⑯で あ り 、 ま た 、 「心 意 的 に は 、 一 定 の 刺 激 の 類 化 に 適 し た 表 象 力 の 調 整 と 緊 張 と し て 現 わ れ る 」⑰ も の で あ る 。 そ う し て 彼 は 、 ヴ ン ト(Wundt, Wilhelm.1832-1920)と 同 様 に 、 「注` 意 」に 「随 意 的 注 意 」(willkOrliche Aufmerksamkeit) と 「不 随 意 的 注 意 」(unwillkliche Aufmerksamkeit), も し く は 、 「能 動 的 注 意 」(aktive A.)と 「受 動 的 注 意 」(passive A.)の 二 形 式 を 区 別 し て い る ⑬。 「不 随 意 的(受 動 的)注 意 」 が 、 意 志 エ ネ ル ギ ー の特 別 な意 向 な く、 目的 、対 象 な い しは現 象 が おの ず と緊 張 を起 こ させ て 、表 象 を惹 きつ け る と こ ろ に行 わ れ る」 の に対 して 、 「随 意 的 (能 動 的)注 意 は、 意 志 決定 に よ っ て 、 ま た 、 意 識 した 意 図 を も って 、 そ れ 自体 は なん らの 興 味 をそ そ らな い 一 点へ の集 中が な しとげ られ る と こ ろ に行 わ れ 」 るの で あ り、 これ が 人 間の 精 神 的 生 活 の 一 つ の特 徴 と もい う こ とが で きよ う。 さて 、 付 随 意 的(受 動 的)注 意 は、 対 象 を直 接 に 刺 激 す る 「興 味 」(Interesse)に よ る もの で あ る が 、 パ ウ ル ゼ ン も また 、 「興 味 」 を 「実 質 的 興 味 」(materiales Interesse)(対 象 そ の も の へ の 興 味)と 「形 式 的 興 味 」(formales Inteesse) (自 己 の 活 動 に お け る対 象 へ の 興 味 、 対 象 に 従 事 す る こ とへ の興 味)に 分 けて い る⑲。 「実 質 的興 味」 は対 象 の 自我 へ の 直接 の 関 係 か ら生 じる もの で あ るが 、 こ の場 合 、 「興 味 を ひ く力 は距 離 の 自乗 に反 比 例 す る」 とい う法 則 が 立 て られ て い る。 した が っ て、 「教 授 は 、現 在 の もの と生 きた活 動 に結 びつ け られ な け れ ば な らな い 」⑭こ とに な る。 次 に 、す べ て の技 倆 に よ って成 就 され る活 動 は 、 「喜 び」(Lust)に よっ て導 か れ る の で あ る が 、 「形 式 的 興 味 」 は こ の 事 柄 を成 就 す る喜 び か ら生 じる もので あ る。 した が って 、教 授 に対 して は、 「そ の 解 決 が 可 能 感 や 成 就 す る 喜 び を 生 徒 に与 え る よ う に課 題 を作 らな け れ ば な らな い」⑪。 い い か え る と、 「難 しす ぎた り易 しす ぎ た りす る こ と な く、 生徒 の 力 に適 合 され な け れ ば な ら な い 」⑫ とい う要 求 が 起 こ っ て く る。 実 に力 に余 る こ と な く、 課題 が十 分 に全 力 を尽 く させ る と こ ろ にの み 、 力 の十 全 な感 情 、 十 全 な 喜 び、 十 全 な興 味 が生 じる もので あ り、 した が って 、「形 式 的 興 味 が 教 授 の も っ と も重 要 な 原 動 力 とな る」⑬の で あ る 。 こ こか ら、 教授 の進 行 に対 して重 要 な規 則 が 決 定 され る。 す な わ ち、 「教 授 は、 で き る だ け 一 系 列 の 課 題 にな らな け れ ば な らない。 教 授 は 単 に で き上 が った 素材 を受 動 的 に受 容 して 固 持 す る た め に伝 達 す る の で は な く、 生 徒 を して み ず か ら発 見 させ る か 、 も し くは ただ ちに 再 び 用 うる た め の教 材 をの み示 さ な けれ ば な ら ない 。 学 ば れ た もの は た だ ち に行 われ な けれ ば な ら な
パ ウ ル ゼ ンの教 授 学 につ い て 111 い 」⑭ と 。 こ の よ う に し て 学 ば れ た も の が 「生 き た 力 と 熟 達 」 に な る の で あ っ て 、 「教 授 の 秘 訣 は 問 題 を要 請(Postulat)に 変 え る こ と に あ り」 と し た か の ゲ ー テ(Goethe, J. W. von,1749-1832)の こ と ば が 、 こ こ に あ て は ま る こ と に な る 。 こ の よ う に 、 パ ウ ル ゼ ン に あ っ て は 、 「現 在 の も の と 生 き た 活 動 に 結 び つ け る こ と 」 に よ る 興 味 の 「実 質 的 」 な 要 求 と 、 「力 の 発 展 に 全 力 を 尽 くす こ と 」 と して の 「形 式 的 興 味 」 の 強 調 とが 、 教 授 を 促 進 す る た め の 要 件 と な っ て い る の で あ る 。 さ ら に 、 パ ウ ル ゼ ン は 、 「正 し く発 問 す る 術 は 、 教 授 法 の よ り大 き な 部 分 で あ る 」⑯ と して 、' 発 問 法 を 重 視 し、 ま た 、 「か つ て ひ と が 形 成 し た 直 観 、 表 象 、 表 象 領 域 、 思 考 領 域 を 、 精 神 生 活 の 存 続 に お け る 永 続 的 な 契 機 と して 固 持 し 、 与 え ら れ た 動 機 に お い て 再 成 す る 能 力 」⑯ と し て の 「記 憶 」(Gedachtnis)の 意 義 に つ い て も 興 味 深 い 考 察 を行 っ て い る の で あ る が 、 そ れ ら に つ い て は こ こ で 述 べ な い 。 (5)現 代 的 意 義 以 上 の 考 察 に よ っ て 、 パ ウ ル ゼ ン の 教 授 学 が 、 あ く まで も生 徒 の 直 観 と興 味 に 訴 え 、 自 己 活 動 に 基 づ い て 、 生 活 の な か で 生 き る 活 動 た ら し め よ う とす る も の で あ る こ と が 明 らか と な っ た 。 実 に パ ウ ル ゼ ン に あ っ て は 、 「精 神 の 本 質 原 理 に 従 っ て 、 生 徒 自 身 を創 造 的 ・活 動 的 な ら し め る こ と」 が 肝 要 な の で あ り 、 そ の 精 神 の 本 質 と は 、 す な わ ち 、 「自 由 、 自 己 活 動 、 自 立 性 」 の 三 つ を い う の で あ る ⑰。 し か も わ れ れ は 、 そ れ が な お ヘ ル バ ル ト的 な 教 授 学 の 色 彩 か ら 完 全 に 脱 却 し て は い な い と は い え 、 主 知 主 義 的 ・個 人 主 義 的 な 教 育 学 に 対 抗 し 、 い わ ば 実 在 的 な 傾 向 を 志 向 して い る 、 い い か え る と、 デ ュ ー イ(Dewey, John.1859;1952)や ケ ル シ ェ ン シ ュ タ イ ナ ー (Kerschensteiner, Georg.1854-1932)が 採 用 し た よ う な 「労 作 学 校 」(Arbeitsschule)の 意 味 で の 教 授 経 営 へ の 変 化 を意 味 す る もの で あ る こ と を 見 逃 し て は な ら な い 。 そ こ に は 、 い わ ゆ る 課 題 解 決 学 習 の 萌 芽 も見 ら れ る 。 「労 作 に よ る 労 作 へ の 教 育 」(Erziehung zur Arbeit durch Arbeit)こ そ は 、 彼 の 教 育 学 ・教 授 学 の 主 要 動 機 で あ っ た と い っ て も過 言 で は な い ⑱。 彼 が 青 年 に 道 具 を 取 扱 う 練 習 の 機 会 を 提 供 す る こ と に よ っ て 手 仕 事 的 な も の(Handwerkliche) の 熟 達 を 養 お う とす る 新 しい 学 校 運 動 を 歓 迎 し、 リ ー ッ(Lietz, Hermann.1868-1919)の 「田 園 教 育 塾 」(Landerziehungsheim)な ど を 推 賞 し た の も 、 け っ して 偶 然 で な い ⑭。 こ の よ う に し て 、 パ ウ ル ゼ ン は 、 彼 の も っ と も 嫌 悪 し た 当 時 え せ の 「時 代 病 」 と も い う べ き 「似 而 非 教 養 」 (Halbbildung)を 克 服 し て 、 「そ の 民 族,そ の, 時 代 の 精 神 的 ・歴 史 的 生 活 に 、 完 全 に 、 全 般 的 に 関 与 」⑳ し う る 「民 族 の 真 実 の 陶 冶 」 を 招 来 し よ う と し た と い う こ と が で き る の で あ る ⑪。 2.教 科 教 育 学 の 問 題 (1)教 科 の 分 類 パ ウ ル ゼ ン教 授 学 の 第 二 部 門 は 、 す で に 述 べ た よ う に 、 特 殊 教 授 学 、 つ ま り 、 教 科 教 育 学 で あ る 。 彼 は こ こ で 、 教 科 の 分 類 を 述 べ た 後 、 古 語 、 近 代 語(英 語 と フ ラ ン ス 語)、 ドイ ツ 語 教 授 、 哲 学 入 門 、 宗 教 教 授 、 歴 史 教 授 、 地 理 的 教 授 、 数 学 ・自 然 科 学 的 教 科(記 述 的 自 然 科 学 、 物 理 学 お よ び 化 学 、 数 学 教 授)、 美 的 教 育 、 さ ら に 附 録 と し て 体 育 の 各 教 科 に つ い て 考 察 して い る 。 こ れ ら の 教 科 は 、 ど の よ う な 原 理 に よ っ て 分 類 さ れ て い る の で あ ろ う か 。 パ ウ ル ゼ ン に よ れ ば 、 一 般 の 用 語 法 に 従 っ て 、 実 学 的 陶 冶(realistische Bildung)は 、 本 質 的 に 数 学 と 自 然 科 学 に 基 礎 を 置 く も の で あ り、 そ れ に 対 し て 、 人 文 的 陶 冶(humanistische Bildung)は 、 言 語 と 文 学 、 歴 史 と精 神 科 学 一 般 を 根 底 とす る もの で あ る 。 彼 は さ ら に こ の こ と を 内 容 的 に 説 明 す る た め に 、 科 学 (Wissenschaft)の 分 類 に さ か の ぼ る の で あ る 。 彼 は 、 科 学 的 認 識 の 全 範 囲 を 対 象 に よ っ て 、 自 然 科 学(Naturwissenschaft)と 精 神 科 学 (Geisteswissenschaft)の ニ グ ル ー プ に 分 類 し て い る ⑫。 自 然 科 学 は 現 実 の 全 体 、 と り わ け 空 間 に 充 満 し て 動 く実 体 的 世 界 と し て の 形 態 に お い て 感 覚 に 現 わ れ る 一 切 を対 象 とす る 。 そ れ は 空 間 に お け る わ れ わ れ の 外 界 で あ り く 現 実 の 外 面 で あ る 。 他 方 、 精 神 科 学 の 対 象 は 、 直 接 に わ れ わ れ の 自 意 識 に の み 現 わ れ る よ う な 現 実 、 す な わ ち 、 表
112 村 田 昇 象 、 思 想 、 感 情 、努 力 、理 想 の世 界 で あ り、 精 神 、 歴 史 の世 界 で あ る 。 そ れ は現 実 の内 面 と も い うべ き もの で あ る。 彼 は さ らに 、 こ れ ら二つ の科 学 の それ ぞ れ を、 二 つ の 形 式 の 科 学 、 す な わ ち、 記 述 的 科 学 (beschreibende Wissenschaft)と 概 念 的 科 学 (begriffliche Wissenschaft)に 区 分 し て い る。 前 者 は個 別 的 な もの と具体 的 な もの 、す な わ ち、 事 実 に 向 け られ 、 後者 は一 般 的 な もの お よび抽 象 的 な もの 、 す な わ ち 、法 則 に 向 け られ る。 こ の よ うに して 、科 学 は 、記 述 的 自然 科 学 、概 念 的 自然科 学 、 記 述 的精 神科 学 、概 念 的精 神 科 学 の 四 つ の類 型 に分 類 され る こ とに な る。 記 述 的 自然 科 学 に属 す る の は 、動 物 学 、植 物 学 、 地 理学 、 宇 宙 学 で あ る 。 これ らの科 学 は 、 物 質 世界 を、 そ の 現在 の 形 態 に お い て 、 また 、 そ の 歴 史 的 生 成 にお い て 、 連 関 的 に記 述 す る も の で あ り、 宇 宙 の 外 面 で あ る物 質 的 世界 を具 体 的 に構 成 す る。 これ に対 して 、概 念 的 自然 科 学 に属 す る の は、 物 理 、 化 学 、生 理学 、地 質学 、 宇 宙 学 で あ り、 そ の 課 題 は 、 自然現 象 の 規則 的 な 運 行 に対 す る一 般 的 ・抽 象 的 な公 式 、 す な わ ち 、 自然 の 法 則 を見 出 だ す こ とに あ る。 動 物 学 、 植 物 学 、 鉱 物 学 も、 そ れ らが個 々 の物 体 を具 体 的 に扱 うの で な く、 自然 物 体 の 形態 の類 型 を取 扱 う限 りにお い て は、 記 述 的 自然科 学 と概 念 的 自然 科 学 との 中間 に位 置 す る もの で あ る 。 そ う して 、 これ らの 記 述 的 自然科 学 と概 念 的 自然 科 学 と並 んで 、 数 学 も また 、 自然科 学 に属 して い る。 数 学 が 他 の 自然 科学 と区 別 され る の は、 そ れ が 事 物 につ い て の 認 識 で は な く、 また 、 そ れ が 固 有 の 存 在 領 域 を もた な い と ころ に あ る。 数 学 は、 事 物 の 自然 の なか に直接 に わ れ わ れ の 洞 察 を増 大 す る こ と を しな い で 、 間接 に 自然 科 学 に機 関(Organon)と して役 立 た せ る の で 、 い わ ば道 具 の 意 味 を もつ の で あ る。 記 述 的 精 神 科 学 は、 多 様 な形 態 と活動 を もつ 精 神 的 ・歴 史 的 生 活 の 発 展 過 程 を連 関 的 に記 述 す る こ と を課 題 と し、 歴 史 の全 部分 を包 括 す る もの で あ る。 地 球 上 の 諸 民 族 とそ の 文化 の諸 面 の 歴 史 、 す な わ ち、 民 族 史 、 政 治 史 、法 律 史 、 経 済 史 、 宗教 史 、 道 徳 史 、 科 学 史 、 芸術 史 、教 育 史 な どで あ る。 概 念 的 精 神 科 学 に 属 す る もの は、 政 治 学 、 経 済 学 、 法 律 学 、 倫 理 学 、 論 理 学 、 方 法 論 、教 育学 、教 授 学 、美 学 な どで あ り、 さ ら に、 精 神 生 活 一般 の根 本法 則 の科 学 と しての 心 理 学 も、 これ に属 して い る 。 こ れ らの科 学 の 目的 は、 精 神 的 ・歴 史 的生 活 の法 則 を見 出 だす こ と にあ る。 最 後 に 、 この 領域 に お い て、 自然 研 究 にお ける 数 学 の よ うな役 割 を もつ もの 、す なわ ち、 精 神 的 ・歴 史 的 生 活 の研 究 に お い て機 関 と して の 役 割 を演 ず る もの は 、言 語 学 で あ る。 以 上 が 諸 科 学 の 分 類 の概 観 で あ るが 、 そ れ ら 認 識 の 組 織 に お い て 述べ られ た輪 郭 を示 す もの で あ って 、 そ の 分 類 は 決 して 科学 相 互 間 に越 え る こ との で きな い境 界 線 を設 定 す る もの と解 さ れ るべ きで は ない 。 諸 科 学 は 無 数 の 関係 の糸 に よ って 相 互 に結 合 され て い るの で あ り、相 互 に 補 助 科 学 と して 援 助 し合 うべ きで あ る 。諸 科 学 は一 つ の 統 一 的 な 組 織 を もつ 機 関 と解 さ れ るべ きで あ ろ う。 しか しな が ら、 この よ うな組 織 は 与 え られ る もの で は決 して な く、 つ ね に 人 間 に 課 せ られ て い る もの な の で あ る 。 世界 の統 一 に 応 ず るの は、 全 科 学 的 認 識 の 統 一 の 理 念 で あ る 。 これ こそ は、 つ ね に求 め られ な が ら決 して完 成 さ れ え な い 世 界 科 学(Weltwissenchaft)、 す な わ ち、 哲 学 な の で あ る。 自然 科 学 と精 神 科 学 とい う科 学 の 二 つ の 区分 は、 実 学 的 教 科 と人 文 的 教 科 とい う伝 来 の教 科 の 分 類 に相 応 す る こ と にな るが 、 これ らい ず れ の 教 科 が 人 間 陶 冶 に重 要 な 意 義 を もつ か が 、 当 時 の 中心 問 題 とな って い た 。 パ ウル ゼ ン もこ の 問 題 に答 えて い るが 、 これ を述 べ る 前 に 、彼 と は 反 対 の 立 場 に あ っ た イ ギ リス の ス ペ ンサ ー (Spencer, Herbert.1820-1930)の 見 解 を述 べ る 必 要 が あ る。 (2)ス ペ ンサ ー の 教 科 価 値 論 スペ ンサ ー は、 その 著 『教 育 論 」(On Educa・ tion.1861)の 第 一 章 「い か な る知 識 が も っ と も 価 値 を 有 す る か 」(What knowledge is of most worth?1859.)の な か で 、 当 時 、 国 民 生 活 の 現 実 にお い て もっ と も進 歩 して お り、 そ の 科 学 時 代 の 先 進 国 で あ った イギ リス にお い て 、 い ま なお ル ネサ ン ス以 来 の 伝 統 的 な 、そ う して 実 際 社 会 で の 実 用 を失 っ た古 典 語 が 、現 実 の要 求 を無 視 して 、 い ぜ ん 、 そ の 中心 とな っ て い た の を痛 烈 に批 判 し、 そ こで 実 学 的教 科 と人文 的 教 科 の優 劣 に関 す る問 題 を取 りあ げ て い る。
パ ウル ゼ ンの 教 授 学 につ い て 113 スペ ンサ ー に よれ ば、 未 開 人 に衣 服 用 の 布地 を与 え る と 、そ れ を細 か く裂 いて 、 身 体 の 装飾 にす る。 こ の よ う に、 原 始 社 会 の 人 間 の あ い だ で は、 す べ て 「実 用 」 は 「装 飾 」 に隷 属 して い る ので あ る。 しか しそ れ と 同様 な こ とが 、特 に 教 育 の面 に おい て行 わ れて い る。 す なわ ち 、学 校 を卒 業 した らほ とん ど役 立 た ない ラテ ン語 や ギ リシ ア語 、種 々 な芸 事 が 大 きい 範 囲 を占 め 、 「い か な る知 識 が も っ と も真 に価 値 が あ る か で は な くて、 何 が もっ と も賞 讃 と名 誉 と尊敬 を も た らす か」 とい う こ とが 問 題 と な って い る 。 こ れ に対 して スペ ンサ ー は、 教 育 を も っ と機 能 的 に 見 て 「完 全 な る生 活 」(Complete living) の た め に準 備 す る こ とが 、教 育 の 果 た すべ き 目 的 で あ り、 「教 育 の方 針 を判 断 す る唯 一 の 合 理 的 な方 法 は 、 どの程 度 に そ れが そ の よ うな役 目 を果 た して い る か を判 断 す る こ とで あ る」 とい う。 そ の た め に 、彼 は人 間生 活 の 重 大 な 活動 を、 そ の重 要 性 に よ っ て順 序 に従 って 区 分 す る の で あ る⑬。 す な わ ち 、 ① 直 接 に 自己 保 存 に資 す る活 動 。 ② 人 生 の必 要 を保 証 す る こ と に よ って 間 接 に 自 己保 存 に資 す る活 動 。 ③ 子 ど もを育 て しつ けす る こ と を 目的 と す る活 動 。 ④ 適 当 な社 会 と政 治 的 関 係 の 維持 に含 ま れ る活 動 。 ⑤ 生 活 の暇 な部 分 を満 た し、 趣 味 や感 情 に捧 げ る多 方 面 的 な活 動 。 そ う して 、彼 は、 教 育 の課 程 を討 議 す る に 当 た って 必 要 な一 般 観 念 は、 次 の もの で あ る とす る ので あ る 。 第一 に、 生 活 は上 記 の 五種 の行 動 の 順 位 に従 っ て 、 そ れぞ れ軽 重 の あ る行 動 に分 類 され る。 次 に 、 そ う した各 種 の 行動 を規 制 す る事 実 の 重 要 さ は、 その 規 制 が 準 本 質 的 か それ と も因 習 的 か に よ って 、 そ の 順 位 が評 価 さ れ る。 そ う して 第 三 は 、そ れ らの 規 制 力 は 、知 識 と し て の そ れ と訓 練 と して の そ れ とに 評価 され る。 こ こか ら 、次 の教 科 順 位 が 決 定 され るの で あ る 。 す な わ ち、 ① 直 接 の 自己 保 存 に必 要 な 知識 と して は、 生 理 学 。 ② 間 接 に 自己 保 存 の た め の準 備 をす る教 育 と して は、 抽 象 的 な科 学 と して の 論 理 学 と数 学 、抽 象 的 で あ り しか も具 体 的 な 科 学 と しての 機 械 学 、 物 理 学 、 化 学 、 具 体 的 な科 学 と して の 天 文 学 、 地 質 学 、生 物 学 、 さ らに社 会 学 。 ③ 親 とな る準 備 をす る教 育 と して は、 肉 体 的 な面 に関 して 生 理 学 の 初 歩 原 理 、道 徳 的 面 に関 して 心 理 学 。 ④ 市 民 と な るた め の 準 備 をす る教 育 と し て は、 歴 史(社 会 につ い て の 自然 史 お よ び社 会 学 とそ の 根 底 で あ る生 理 学 お よび 心 理 学 。) ⑤ 最 後 の 生 活 の い ろ い ろ な鍛 練 の た めの 準 備 をす る教 育 と して は 、審 美 的 教 養 、 す な わ ち、 文 学 、 詩歌 、美 術 、 音 楽 、そ の他 の 技 芸 。 しか し、 スペ ンサ ー に あ って は 、 もろ もろの 芸 術 に あ って も、 科 学 が そ の根 底 とな って い る と し、 さ ら に 「科 学 は そ れ 自体 詩 的 で あ る」 と もい って い る。 こ の よ う に、 ス ペ ンサ ー に あ って は、 指 導 の た め に も つ と も 必 要 な 知 識 は 「科 学 」 (Science)な ので あ る が 、 また 、 訓 練 の た め に も、 そ れ は もっ と も必 要 な知 識 で な けれ ば な ら な いの で あ る。 とい うの は、知 的訓 練 の面 か ら考 え て み る と、 まず 第一 に 、「科 学 は記 憶力 を錬 磨 す る 」⑭か ら で あ る。 そ の 第一 の根 拠 は、 科 学 体 系 の 発 達 が 科 学 の 術 語 を多 く作 っ て お り、 これ に よる訓 練 か らで あ り、 第二 の根 拠 は、 語 学 に よる 記憶 力 の 練 習 が 、 大部 分 、偶 然 的 事 実 に 相応 した観 念 連 合 を中心 に形 成 す る に対 して 、 科 学 に よる記 憶 力 の 練 習 に あ って は、 大 部 分 、必 要 な事 実 に 相 応 して い る こ とに あ る。 す な わ ち 、言 語 に よ る学 習 は単 な る記 憶 にす ぎな い の で あ る が 、科 学 に よる学 習 は記 憶 と理 解 の 両 方 に訴 え る とい うの で あ る。 第 二 は、 「科 学 は判 断 力 を養 う」⑮か らで あ る。 周 囲 の事 物 、事 件 、 そ れ か ら結 果 に関 す る正 当 な 判 断 は、 周 囲 の 現 象 が 依 存 し合 って い る土 台 を知 っ て は じめ て 可 能 に な る の で あ るか ら、 言 語 の意 味 を どん な に 知 って も、原 因 と結 果 に関 髄 す る正 確 な推 論 を行 うこ とはで き ない 。 材料 か ら結 論 を引 き出 し、 観 察 と実 験 で そ の よ うな結 論 を確 か め る習慣 の み が 、正 確 に判 断 す る力 を
114 村田 昇 与 え るか らで あ る。 ま た 、 道 徳 的 判 断 の 面 か ら考 え て み て も、 「科 学 は独 立 の精 神 を涵 養 す る」⑯。 科 学 の真 理 は権 威 に 基 づ いて 受 け入 れ られ るの で は な く、 だ れ で もそ れ を試 み る こ とが 自由 で あ り、生 徒 は 自由 に 結 論 を考 え る こ と を要 求 され る。 そ う して 、 自分 の 力 に対 す る信 頼 が 生 ず るの で あ る。 次 に 「科 学 は忍 耐 と誠 実 を 訓 練 す る」⑰。 チ ン ドル(Tyndoll)教 授 もい っ て い る よ う に 、 成 功 の 第 一 の 条 件 は、 正 当 に受 け 入 れ る こ と、 真 理 と矛 盾 して い る こ とが わ か った な らば 、 ど ん な に大 切 に 思 って い て も捨 て る こ とで あ る。 そ の な か に何 か 貴 い もの が あ り、 自己放 棄 が 、 し1ましば真 の 科 学 者 の研 究 の な かで 行 わ れて い る か らで あ る 。 最 後 に 、科 学 に よ る宗 教 的 な教 養 の訓 練 価 値 で あ る⑱。 す なわ ち、 それ は、 科 学 に対 す る献 身 的 な無 言 の 崇拝 、研 究す る事 物 に お け る価 値 を そ れ らの原 因 に対 して含 意 す る こ とに よ って 沈 黙 を 認 め る こ とで あ る。 こ の よ う に して 、 「事 物 の永 遠 の原 理 とそ れ に従 う こ との 必 要 を 主 張 す る こ とで 、 科 学 は本 質 的 に 宗 教 的 で あ る 」。 そ して 、 も っ と進 ん だ科 学 の 宗 教 的 な 姿 は、 科 学 の み が れ わ わ れ 自身 と われ わ れ の存 在 の神 秘 に 関す る本 当 の概 念 を与 え る こ とが で き るの であ る。 こ の よ う に して 、 スペ ンサ ー は、 科 学 の価 値 を、 論 理 的 な い しは方 法 上 の 性 格 か ら、 また 、 科 学 す る態 度 の 関 係 か らそ の 根 拠 を求 め 、 「環 境 現 象 の 研 究 は文 法 や 辞 書 の研 究 に はる か に優 って い る」 と結 論 す る に至 るの で あ る。 ス ペ ンサ ー のい う自然 科 学 の 言語 、文 学 お よ び歴 史 等 に対 す る優 位 につ い て 、 パ ウル ゼ ンは 、 次 の 三 つ に要 約 して い る⑲。 す な わ ち、 ① 自然 科 学 は、 普遍 的 ・永 久 的真 理 を与 え る。 自然 法 は 到 る とこ ろ でつ ね に妥 当 す る が 、 歴 史 、 文学 お よび言 語 は 、 それ に 反 し、 個 々の た だ 一 回 ぎ りの事 実 のみ を取 扱 って い る 。 ② 自然 科 学 は実 際 的 に価 値 あ る知 識 を与 え 、人 間 に 自然 に対 す る支 配 権 を与 え る。 生 活 は 自然 との た え まな い戦 いで あ る。 そ う して 、 この 戦 い に あ っ て は、 将 棋 の 場 合 と同様 に定 跡 を知 る もの のみ が 勝 利 を 制 す る の で あ る 。 そ し て こ こ で い う 定 跡 と は 、 自 然 法 で あ る 。 ③ 自 然 科 学 は 、 形 式 陶 冶 に 対 して 大 き な 優 位 を も っ て い る 。 自 然 科 学 は そ の 定 理 を 証 明 す る が 、 言 語 、 文 学 、 歴 史 の 科 学 に あ っ て は 、 一 切 の も の が 権 威 に 帰 着 す る 。 そ れ で は 、 こ の 自然 科 学 優 位 の 見 解 に 対 し て 、 ど の よ う に 考 え て い る の で あ ろ う か 。 (3}パ ウ ル ゼ ン の 教 科 価 値 論 パ ウ ル ゼ ン は 、1889年 に 開 催 さ れ た 実 学 的 学 校 教 員 連 盟 代 表 者 大 会 で 行 わ れ た 講 演 「実 学 的 ギ ム ナ ジ ウ ム と 人 文 主 義 的 陶 冶 」⑳(Das Real-gymnasium and humanistische Bildung)の な か で 、 如 上 の ス ペ ン サ ー の 論 述 に 対 して 批 判 し、 人 間 陶 冶 に お け る 人 文 的 教 科 の 意 義 に つ い て 論 じ て い る 。 と は い っ て も、 パ ウ ル ゼ ン は19世 紀 後 半 の 実 学 主 義 の 指 導 者 で あ り、 ス ペ ン サ ー 以 上 に 、 数 学 お よ び 自 然 科 学 が 近 代 文 明 に 対 し て もつ べ き重 大 な 意 義 を 十 分 に 認 識 し て い る の で あ る 。 パ ウ ル ゼ ン に よ れ ば 、 現 代 の 理 論 的 世 界 観 が 数 学 的 ・自 然 科 学 的 探 究 を 土 台 と し て 成 長 し て い る こ と は 、 な ん ら 疑 う 余 地 も な い 。 新 し い 哲 学 は コ ペ ル ニ ク ス(Kopernikus,1473-1543)と ガ リ レ オ(Galilei, Galileo.1564-1642)か ら 始 ま り、 爾 来 二 世 紀 を 通 じて 、 哲 学 は 、 内 容 的 に も形 式 的 に も、 科 学 と は 従 属 関 係 に あ る 。 デ カ ル ト(Descartes, Rene.1596-1650)、 ホ ッ ズ ス (Hobbes. Thomas.1588-1679)、 ス ピ ノ ザ (Spinoza, Benedictus. de.1632-1677)、 ラ イ プ ニ ッ ツ(Leibniz , G. W.1646-1716)、 ヴ ォ ル フ (Wolf, Christian.1679-1754)カ ン ト ら、 指 導 的 哲 学 者 の 教 養 が 、 完 全 に 数 学 的 ・自 然 科 学 的 で あ る こ と は 、 周 知 の と お りで あ る 。 さ ら に 、 実 際 的 な 生 活 形 式 が 、 今 日 まで 自 然 の 認 識 に よ っ て 可 能 と な っ た 自然 支 配 の 下 に あ る 。 も し歴 史 家 が1,000年 後 に19世 紀 の 運 動 の 総 体 を 叙 述 し よ う とす る な ら ば 、 彼 は 確 か に 大 き な 技 術 的 発 明 を も っ て 始 め 、 次 に そ の 結 果 と して 惹 き 起 こ さ れ た 経 済 的 ・社 会 的 ・国 家 的 生 活 に お け る 改 革 が 書 か れ る こ とで あ ろ う 。 こ の よ う に パ ウ ル ゼ ン は 、 数 学 お よ び 自 然 科 学 の 近 代 文 化 に 対 す る 意 義 の 重 大 さ を認 め な が
パ ウル ゼ ンの 教授 学 につ い て 115 ら も、次 の 三 点 か ら、 人 間 陶 冶 に お い て は 、実 学 的教 科 よ り も、 人 文 的教 科 に優 位 が 置 か れ な け れ ば な らな い と主 張 す る の で あ る。 そ の 第 一 の 根 拠 は、 「人 文 的 教 授 に よ って 形 成 され る洞 察 と熟 達 は 、 数学 お よ び 自然 科 学 に よ っ て形 成 され る そ れ よ り も、一 般 的 人 間 陶 冶 に と っ て 直 接 的 に 重 要 で あ る」⑳こ と に あ る。 パ ウル ゼ ンに よ れ ば 、 「人 間 と して 人 間 に課 せ られ た課 題 は 、本 質 的 に 人 間 に関 係 を もつ もの で な け れ ば な らな い 」。 人 間 は 、 人 間 共 同体 の 一 員 と して 生 ま れ 、 そ の なか にお い て の み 人 間 と な る。 こ の よ うな歴 史 的 生 活 の 偉 大 な形 成 に 対 す る関 係 が 、 そ の生 活 内 容 を規 定 して い る。 ス ペ ンサ ー の よ うに 自然 的 存 在 と して で は な く、 精 神 的 ・歴 史 的 環 境 こそ 人 間 に と って 人 間 がが 生 活 す る媒 介 物 なの で あ る。 人 間 に対 して与 え られ た 課 題 は、 自然 を通 じて で は な く、歴 史 を 通 して 形 成 され るの で あ る。 この よ うな歴 史 的 課 題 を意識 した 人 間 の 自然 に対 す る働 きか け、 す な わ ち 、 自然 の 利 用 は、 そ れ 自身 目的 で は な く、歴 史 的 課 題 の た め の 手段 で あ る。 人 間 の 自 然 に対 す る作 用 の 全 体 が 経 済 活動 とい われ るの で あ る が 、 そ れ が 外 的 な利 益 に と どま らず 、 内 的 な健 全 性 の 保 護 者 と も見 なす こ とが で き る と して も、 な お そ れ は 決 して 人 間生 活 に特 有 な 、 ま た 、最 高 の 内 容 で は な い。 人 間 固有 の生 命価 値 は 、歴 史 的 社 会 とそ の 課 題 へ の 関与 に か か って い る。 人 間 生 活 の 本 質 的 内 容 を形 作 って い る もの は、 精 神 、 歴 史 的環 境 で あ る家 庭 、社 会 、 国家 、教 会 、 科 学 、 家族 、 芸 術 、 文 学 等 に対 す る態 度 で あ る。 した が っ て 、 人 間的 事 象 を相 関 的 に理 解 し、 人 間 お よび人 間 の 行 為 に積 極 的 に働 きか け る こ とが 、一 切 の人 間 生 活 の 独 特 な課 題 で あ り、 そ こに特 別 な科 学 と技 術 が 要 求 さ れ るの で あ る。 しか し、 それ ら に 共 通 な 前 提 は 、人 間 指 導 の偉 大 な術 で あ り、 そ れ は 人 間 と人 間の 事 実 を相 関 的 に理 解 す る能 力 に 基づ く こ と はい う まで もな い。 この よ う な 偉 大 な 人 間 に関 す る科 学 お よび技 術 を与 え る に は 、実 学 的教 科 で あ る数学 お よび 自然 科 学 よ り も、 人文 的 教 科 の 方 が よ りょ く担 当 す る こ とが で きる ので あ る。 プ ラ トン(427-347.B.C.)が 『バ イ ドロス 』 の 冒頭 に ソ ク ラテ ス(Sokrates,469-399. B. C.) を して 「私 を導 い て くれ る もの は 、 田畑 や 樹 木 で は な く、 街 々の 人 間 で あ る 」 とい わせ て い る の も、 この 意 味 で あ ろ う。 一 切 の宗 教 と哲 学 の 根 本 的 信 念 に も、 世界 は物 理 学 や天 文 学 が 語 る の で はな く、単 な る生 物 的 な もの で もな く、形 而 上 的 本 質 を もつ もので あ り、 精 神 的 ・歴 史的 生 活 の な か に 、 もっ と も内 面 的 、 本 質 的 な価 値 を明 瞭 に わ れ わ れ に啓 示 す る もの で あ る。 この点 に 関 して、 プ ラ トンや ア リス トテ レス (Aristoteles.384/3-322/1. B. C.)も ス ピノ ザ も、 ラ イ プ ニ ッ ツ も カ ン トも フ ィ ヒ テ(Fichte,1. H.1796-1879)も シ ェ リ ン グ(Schelling, F. W. 1775-1854)も 、 さ らに シ ョーペ ンハ ウ ア ー も、 他 の点 で は異 な る に して も、 こ の こ とに 関 して は一 致 して お り、 この よ うな考 え に反 対 す る唯 一 の 思 想 は 、 唯 物 論 の み で しか ない 。 一 切 の哲 学 が 思惟 お よ び意 志 か ら世 界 を導 き 出そ う とす るの に対 して 、 唯 物論 は世 界 事 象 か ら一 切 の 内 面 的 精 神 を取 り去 り、 しか も、 人 間 だ け を例 外 的 に取扱 お う とす る 、矛 盾 に満 ちた 不 可 解 な も の で あ る 。 そ もそ もシ ョーペ ンハ ウ アー もい っ て い る よ うに 、 自然 は ロゼ ッタ石 の 二重 文字 の よ うに 、 二重 の構 造一 感 性 的 世界 に お け る 身 体 と、 自意識 に お け る精神 か らの一 か らな り、 そ れ に よ っ て現 実 の 意 味 を解 読 す る ので あ る。 一 切 の 材 料 は、 人類 に よ っ て 獲 得 さ れ た歴 史 的 ・精 神 的生 活 に一 度 翻訳 され て、 われ われ の 理 解 に まで 達 す るの で あ る。 わ れ わ れの 眼 前 に 展 開す る現 実 に意 味 と価 値 を与 え るの は 、 歴 史 的 ・精 神 的 生 活 で しか な い。 測 りえ ない 太 陽 系 、 星 雲 群 も、 物 質 や 運動 の堆 積 も、 生 命 、 意志 、 知 性 が これ に 先行 しな い と した ら、 まっ た く無 関 心 に放 置 され る にす ぎな い 。確 か に 、 自然 科 学 は ヨー ロ ッパ 人 か ら迷 信 を放 逐 し、精 神 的解 放 を与 え るこ とに貢 献 した 。 しか し、 こ れ と同 様 な こ とが 、精 神 科 学 に もい え る の であ る。 現 実 へ の よ り高 い洞 察 を もっ て勇 気 を与 え たの は 精 神 科 学 で あ り、 しか もそ れ は 、物 質 とい う よ うな一 面 的 な立 場 か らば か りで な く、 全 面 的 な 立 場 か ら人 間 に解 放力 を与 えた の で あ る 。 結 局 、 「自然 科 学 は世界 観 の形 成 に対 して も、 同様 に、 個 人 の完 全 な 、 自 由な 陶 冶 に対 して も、 もち ろん 必 要 で あ る。 天 文 学 と物 理 学 は 、 世界 観 の 基礎 的足 場 と基 礎 的 形 式 を与 え る。 また 、
116 村 田 昇 物 理 的研 究 が現 実 へ の 感 覚 を縮 小 させ る とい う こ とは 、考 え られ な い。 確 か に深 い 自然 の 認 識 は 自然 へ の よ り深 い 関与 に導 き、 同時 に ま た、 深 い見 解 に 導 く。 ひ とは天 文 学 、地 理 学 、 生 物 学 の もつ詩 につ い て 語 る の も正 しい。 …… … に もか か わ らず 、 人 間 に とっ て は宇 宙 の 本 質 的 な 卓 越 さ をそ な え た 内容 は 、精 神 的 ・歴 史 的 生 活 で あ り、 あ る い は 、一 般 的 人 間陶 冶 と呼 ばれ る もの か ら作 りあ げ られ た もの に関 与 す る こ とで あ る」 ⑫。 こ の よ うに 、パ ウ ルゼ ンは、 人 間 が 本 質 上 、 自然 的存 在 で は な く、精 神 的 ・歴 史 的 存 在 で あ る とい う観 点 か ら、 人 文 的 教 科 が 実 学 的 教 科 よ り も優 位 を 占 め るべ きで あ る とい う理 由 を述 べ 、 「個 人 には そ の 好 む 仕事 に従 事 す る 自由が あ る。 しか し,人 間 の本 質 的 な研 究 は人 間 で あ る 」 と い うゲ ーテ の こ とば を引 用 して 、 自分 の 立場 を 立 証 す るの で あ る。 第 二 の 論 拠 は、 「人 文 的 教 科 に よ る陶 冶 は 、 実 学 的 教 科 に よ る陶 冶 よ りも、 形式 的 陶 冶 に お い て す ぐれ て い る」⑳ とい う点 で あ る。 スペ ン サ ー にお い て は、 数 学 と 自然科 学 に あ っ て は 、 一 切 が生 徒 に よ って 証 明 され るの で あ る が、 人 文 的 教 科 に あ って は 、 一切 が教 師 の権 威 に帰 着 した 。 しか しパ ウル ゼ ンに よれ ば、 知 性 の形 式 陶 冶 と は、 複 雑 な事 象 を確 実 に把 握 す る こ とで あ り、 目的 に即 して確 実 に分 析 し、 進 んで 単 一 の 法 則 に まで 導 き熟 達 と して説 明 さ れ る もの で あ る。 この よ うな 熟達 は 、 関連 し合 い、 確 実 な、 多 方 面 的 な 注 意 力 を もっ て観 察 し、 重 要 な もの と重 要 で な い もの とを 明確 に 区別 し、 要 点 を予 言 的 に捉 え 、 説 明 、検 証 、実 験 とい う方 法 論 的 な確 実性 に まで高 め る こ とを含 んで い る。 この よ うな熟 達 を獲 得 す る唯 一 の 方 法 は、 も ちろ ん 、 観 察 、研 究 、証 明 、吟 味 な どの 練 習 に よ る他 な い。 一 般 に ひ とは しば しば、 自然科 学 の みが 厳 密 に科 学 と して の形 態 を と って お り、 そ れ の み が 現 象 を厳 密 な法 則 定 立 の 鞄 持 に まで導 くこ と が で きる と考 え 、 それ のみ が確 実性 を も った科 学 、厳 密 な科 学 的 思 考 を学 ぶ こ とが で きる通 路 で あ る と考 え て い る。 そ う して 、哲 学 や 言語 学 な ど は、 と うて い 、 自然 科 学 の よ うな厳 密 さ に まで 到 達 す る こ とが で きず 、 つ ね に例 外 を伴 う もの と見 な さ れて い る。 しか し、 自然法 則 は 、 そ れが 一 度 発 見 され る と、 そ れ を理 解 す る の は比 較的 容 易 なの で あ り、 重 力 の 法 則 は 言語 学 者 で も理 解 す る こ とが で き る し、 力 の平 行 四辺 形 の法 則 も、 な ん らか の 機 会 に、 重 力 の 法則 の特 殊 な事 例 と して 把 握 す る こ と もで きる の で あ る。 厳 密 な普 遍 性 、 法 則 定 立 性 に よる概 念 は 、一 面 的 で あ り、 理 解 し易 い の で 、 数 学 お よ び 自然 科 学 の初 歩 は、 一 度 理 解 され る と、忘 れ難 い ほ ど に 自分 の もの とな る 。 した が っ て 、法 則 に よ って 把 握 す るの は、 きわ め て 多 くの例 外 を許 さ な けれ ば な らな い よ うな 複 雑 さを もつ 言 語 的 、 歴 史 的 、 文 学 的 現 象 を取 扱 う場 合 の思 考 の 習慣 を形 成 す るこ とに は適 さ な い 。 い いか え る と、 自然 科 学 の 思 考 は 一面 的 で あ って 、複 雑 な 歴 史 的 ・精神 的世 界 の説 明 は な さ れ え ない とい う限 界 が あ る。生 物 学 が取 扱 う生 殖 、 成 長 の 法 則 原 理 な ど も、例 外 的 な非 法 則 性 に立 つ 具体 的 な事 象 か ら、一 つ の新 しい、 独 立 した 概 括 を行 った結 果 にす ぎな い。 ヘ ル バ ル ト(Herbart, J. F.1776-1841)の よ う な、 型 には ま った数 学 や機 械 的思 考 方 式 で は、 精 神 に関 係 した:事実へ の 適 用 は 不可 能 で あ っ て 、 そ こで は個 々 の場 合 に密 着 した親 近 性 を もった 可動 的 な 理解 が要 求 さ れ る ので あ る。 人 間 の 生 に 関 す る 問 題 を 取 扱 う 場 合 の 天 賦 は 気 転 (Takt)と 呼 ば れ て い るが 、 そ れ は 具 体 的 な 問 題 の観 察 と取 扱 い にお け る練 習 を通 して 生 み 出 され る もので あ る。 教 師 も、 教 育 者 も、 牧 師 も、 医者 も、政 治 家 も、 法 律 家 も、 この よ うな 多様 な生 活環 境 に即 した可 動 的 思 考 を必 要 と して い る。 したが って 、 不 当 に重 複 され た 数学 的 、 自 然 科 学 的 陶冶 は、 そ れ が 固 定 した 、 か た くな な 普 遍 性 と必 然 性 を、 柔 軟性 と可撓 性 に従 って処 理 さ れ な けれ ば な らな い もの に まで持 ち込 む危 険 性 が あ るの で あ る。 第17、8世 紀 以 来 の思 想 は 、一 般 的 に 、物 質 的 、 形 式 的 な 数学 的物 理学 の支 配下 に あ っ た。 ベ ン サ ム(Bentham, Jeremy.1748-1832)が 、 「最 大多 数 の 最 大 幸福 」 を主 張 して 、 「お のお の の ひ とが 一 と数 え られ 、 な ん び と も一 以 上 に数 え られ な い」 とい い 、 そ れ が数 学 的 に政 治 形 態 に まで取 り入 れ られ た ので あ る。 この 欠 陥 は、 一 面 的 な 人文 教 科 につ い て も同 様 に い う こ とが で き るで あ ろ うが 、 しか し、 そ の弊 害 の 程 度 は、