「場所」創出の重層性 : 沖縄久米島における御嶽 再生活動をめぐって
著者 河合 洋尚
雑誌名 民俗文化研究
巻 5
ページ 93‑111
発行年 2004‑07‑31
URL http://hdl.handle.net/10502/5591
〔論 文 〕
「 場 所 」 創 出 の重 層 性
沖縄 久米島 における御嶽再生活動 をめ ぐって 一
河 合 洋 尚
1.は じ め に
沖 縄 県 久 米 島 で は 、 こ こ10年 程 の 間 、 伝 統 的 な 宗 教 祭 祀 の 場 で あ る 御 嶽(ウ タ キ)を 再 生(Dし よ う と す る動 き が あ る 。 こ の 活 動 は 目 下 の と こ ろ3箇 所 で 行 わ れ て お り、 主 に 御 嶽 の 内 部 に あ る 拝 所 の 再 建 活 動 を 通 して 、 地 域 住 民 の 御 嶽 へ の 感 覚 は 確 実 に 変 化 し て い る。 本 稿 の 目 的 は 、 こ の よ う な 特 定 の 場 所 に 対 す
る 人 間 の 諸 感 覚 を 重 視 す る 今 日 的 な 理 論 枠 組 み 一 場 所 論(place theory)の 批 判 的 検 討 を 通 し て 、 久 米 島 に お け る 御 嶽 再 生 活 動 の 実 態 を 明 ら か に す る こ と で あ る 。
場 所(place)は 、 筆 者 の 専 攻 す る 社 会 ・文 化 人 類 学 に お い て 、 近 年 強 い 関 心 を 集 め る よ う に な っ た 概 念 の0つ で あ る(2)。 ク リ フ ォ ー ド ・ギ ア ツ 等 が 指 摘 して い る よ う に 、 そ れ は 単 な る 「物 理 的 な 背 景 」 も し く は 「社 会 的 行 為 の 舞 台 」 と し か 考 え ら れ て お ら ず 、 長 ら く議 論 の 対 象 と な る こ と も な か っ た[Geertz 1996:159;cf. Rodman 1992:640]。 し か し1980年 代 に 入 る と、 地 理 学 や カ ル チ ュ ラ ル ・ス タ デ ィ ー ズ な ど の 他 分 野 の 影 響 を 受 け る よ う に な り、 む し ろ 場 所 は 、 人 間 の 諸 感 覚 、 具 体 的 に は 、 イ メ ー ジ や ア イ デ ン テ ィ テ ィ、 歴 史 意 識 な ど が 埋 め 込 ま れ る 場 で あ る こ と が 認 識 さ れ る よ う に な っ た[Auge 1992;オ ジ ェ 2002;244‑245]。 そ し て 人 類 学 者 た ち は 、 こ の よ う な 「場 所 」(以 下 、 イ メ ー ジや ア イ デ ンテ ィ テ ィな どの 諸 感 覚 が埋 め込 ま れ て い る意 味 で の場 所 を 、 括 弧 つ き で記 す)が 、 近 代 的 状 況(3)の な か で 、 ど の よ う に し て 創 出 さ れ て い る の か と い う 議 論 一 「場 所 」 論 に 注 目 す る よ う に な っ た の で あ る 。
こ れ ま で 「場 所 」 を め ぐ る 人 類 学 的 議 論 は 、 新 マ ル ク ス 主 義 的 な ア プ ロ ー チ
を 出 発 点 と して 展 開 さ れ て き た 。 こ れ は 、 ナ シ ョ ナ リ ズ ム や 観 光 化 に 代 表 さ れ る よ う な 近 現 代 な 条 件(下 部 構 造)が 、 場 所 に 対 す る 人 間 の 諸 感 覚 を 捏 造 して き た と す る 論 で あ り(4)、 他 領 域 一 特 に 地 理 学 と 都 市 社 会 学 一 の 影 響 を 強 く受 け て 成 立 し た[cf.ハ ー ヴ ェ イ 1999;ア ー リ ー 2003]。 た と え ば 、 観 光 を 例 に と る と、 近 代 国 家 や 企 業 は 観 光 の 利 益 を 生 み 出 す た め に 場 所 の ス テ レオ ・ タ イ プ 的 な イ メ ー ジ(表 象)を 創 り だ す が 、 そ れ だ け で は な く、 地 域 住 民 の 場 所 に 対 す る 諸 感 覚 す ら も変 え て し ま う こ と が あ る と い う の だ[Linnekin 1983;
McDonogh 1991;Rutheiser 1997, etc.](5)。 しか し、 こ の よ う な 議 論 は 十 分 に 納 得 で き る 点 を 含 ん で い る も の の 、 各 地 の 「場 所 」 が 大 局 的 な 政 治 ・経 済 的 条 件 か ら の み 創 られ る と 考 え る こ と は 、 却 っ て 地 域 住 民 の 「場 所 」 を め ぐ る 諸 感 覚 を 画0化 し、 彼 ら の 多 様 な 声 を 封 じ込 め る こ と に つ な が る 。
こ こ か ら マ ー ガ レ ッ ト ・ロ ドマ ン は 、0方 で は 大 局 的 な 政 治 ・経 済 的 条 件 に 配 慮 しな が ら も、 他 方 で は 「場 所 」 が 、 地 域 住 民 の 多 様 な エ ー ジ ェ ン シ ー か ら 創 出 さ れ て い く側 面 に 目 を 向 け て い く必 要 が あ る と主 張 し た[Rodman 1992:
645‑646]。 す な わ ち 、 場 所 に 対 す る 感 覚 は 、 個 々 人 の 立 場 や 経 験 に よ っ て 様 々 な の で あ る か ら、 各 々 の 表 象 関 係 や ポ リ テ ィ ク ス に よ っ て 「場 所 」 が 創 出 さ れ て い く姿 を 見 な け れ ば な ら な い と い う の で あ る 。1990年 代 中 葉 以 降 の 「場 所 」 を め ぐ る 議 論 の 多 く は 、 こ の よ う に 民 族 ・階 級 ・年 齢 ・ ジ ェ ン ダ0・ 地 域 な ど に 基 づ く経 験 や 立 場 の 違 い に 注 視 し、 そ れ が 対 立 な ど の 関 係 性 を 通 し て 「わ れ わ れ の 場 所 」 を 創 出 して い く様 相 を 説 明 す る も の と な っ て い る[Bahloul 1992
; Dominy 1995 ; Stoller 1996 ; Low 2001 ; Rodman 2001 ; Hoffman 2002, etc.] o
筆 者 が2003年7月 に 調 査 し た 久 米 島 ・字Zの 御 嶽 も ま た(6)、 今 ま で 述 べ て き た よ う な 「場 所 」 論 を 通 し て み る と、 理 解 が 容 易 に な る 側 面 が あ る。 つ ま り、
次 節 以 降 に 詳 述 す る が 、 字Zに お け る 「場 所 」 と し て の 御 嶽 の 創 出 は 、 観 光 化 や 「村 お こ し」 運 動 の よ う な 政 治 ・経 済 的 条 件 に 間 接 的 で あ れ 影 響 を 受 け て い る0方 で 、 様 々 な 感 覚 の す れ 違 い や 、 場 合 に よ っ て は 主 に 年 齢 に 基 づ く対 立 関 係 と も関 わ っ て い る の で あ る 。 た だ し、 こ れ ら従 来 の 理 論 的 視 座 は 、 村 内 で 歴 史 的 に 培 わ れ て き た 「場 所 」 へ の 諸 感 覚 、 並 び に 知 識 の 依 存 性[渡 邊 1990]
「場所」創 出の重 層性 を 考 慮 して いな い点 に お い て、 少 な く と も久 米 島 の 御嶽 再 生 を め ぐる事 例 を考 察 す る際 に は不 十 分 さ が残 る こ と もま た否 め な い。
本 稿 で は さ しあ た り、 ロ ドマ ン以 降 の理 論 的 見解 に従 い つ つ 御嶽 再 生 の 活 動 を 概 観 して い くこ と か ら始 め る が、 第2節 で地 域 概 況 を述 べ 、 第3節 で立 場 や 経 験 の 違 いか ら御 嶽 再 生 活 動 の諸 相 を概 観 した 後 、 第4節 に て そ れ らの理 論 的 見 解 に批 評 を加 え つ つ 、 御 嶽 再 生 の活 動 を考 察 す る こ とに す る。 さ らに、 最 後 の 第5節 で 、 要 約 と今 後 の課 題 を ま とめ る こ とに した い。
ll.地 域 概 況
御 嶽 再 生 の活 動 を見 る前 に、 久 米 島 の地 域 概 況 に つ い て 、 御嶽 、並 び に そ れ と密 接 に関 わ る宗 教 祭 祀 を 中心 に述 べ て お く。
久 米 島 は、 沖 縄 県 那0市 の 西 方 約100㎞ の地 点 に あ る県 下 第5位 の 面 積 を も つ 島 で あ る。 総 面 積 は63.21kmで 、 面 積 の大 部 分 を 占 め る本 島 の他 、 奥 武(オ
ウ)島 、 オ ー ハ 島 、 硫 黄 島 か ら構 成 され て い る 【図1参 照 】 。
久 米 島 は 、 お よ そ400年 近 くに わ た り、 西 の 具 志 川 村 と東 の 仲 里 村 に分 か れ て きた 。 両 村 が 合 併 し、 久 米 島 町 と改 名 した の は 、2002年4月 の こ とで あ る。
筆 者 が 調 査 を行 った字Zは 旧仲 里 村 に属 して お り、 そ の な か で は 比 較 的 規 模 が 大 き い 字 で あ る。 久 米 島全 体 の人 口 は約9700人 で あ るが(7)、字Zの 人 口 は そ の1割 近 くに もな る(全 字数 は2004年現在 で31ある)。 ま た 、 久米 島 は 全 体 的 に移 動 性 が 高 く、 久 米 島以 外 の 日本 国 内、
も し くは南 米 な ど海 外 で生 活 して き た 経 験 を もつ 者 が少 な くな い の も特 徴 で あ る。 そ れ ゆ え 、 「郷 友 会 」 と い う地 域 出身 者 の組 織 は字 ご とに成 立 して い る。 字Zの 場 合 は、 那 覇 に あ るそ れ が 最 大 とな っ て い る。
久 米 島 は、 かつ て米 作 りで 有 名 な 島 で あ り、 部 落 時 代[cf.仲 原 1982]
に は水 稲 栽 培 に適 した立 地 条 件 の 良 い 図1 久米 島略図
一95一
と ころ に部 落 を形 成 し、 生 活 を営 ん で い た。 祭 政0致 の体 制 が敷 か れ た の もこ の 頃 で 、1400年 代 ま で に は 御 嶽(通 常は森 に囲 まれてい る。久米 島の場合、 その内 部 に拝所 が存在 す る)が つ く られ 、 神 事 が 行 われ て い た と い う[具 志 川 村 村 史 編 纂 委 員 会 1976:27‑31]。
そ の体 制 が大 き く変 化 した のが16世 紀 前 葉 、 尚真 王 に よ り久 米 島 が 琉 球 王 朝 の 中央 集 権 下 に置 か れ た と き で あ る。 琉 球 王 朝 は、 国王 のオ ナ リ神 で あ る聞 得 大 君(キ コエ ノオオキ ミ)を 頂 点 に、 そ の下 に高 級 神 女 を、 さ らにそ の 下 に祝 女 (ノ ロ)を 置 く ピラ ミ ッ ド型 の宗 教 制 度 を確 立 し、 久 米 島 に は 「君 南 風 」(チ ン ベ ー)と 呼 ば れ る高 級 神 女1名 と祝 女10名 とが 任 命 さ れ た。 字Zで も祝 女 が 任 命 され て お り、 御 嶽 に て国 家 祭 祀 が 行 わ れ て い た[宮 平 1969:30]。
他 方 で、 琉 球 王 朝 は、 中国 との 交 易 を 盛 ん に行 い、 久 米 島 はそ の 中継 地 と し て の役 目を 果 た して き た。 陰 暦 の暦 や 風 水(「 フ ンシ」 と呼ばれ る)が 久 米 島 に 流 入 す る よ う にな り[河 合 2002:52]、 そ れ は祭 祀 の あ り方 に も少 な か らず 影 響 を与 え て き た。
こ の よ うな御 嶽 で の国 家 祭 祀 は、 明 治 初 頭 の 廃 藩 置 県 に伴 って 制度 的 には廃 され る こ と と な り、 国 家 祭 祀 、 さ ら に は御 嶽 は衰 退 の途 を辿 った。 他 方 で、 明 治 以 降 は、 近 代 化 の 波 が 浸透 し、 学校 、 警 察 署 、郵 便 局 な どの公 的機 関 の設 置 に加 え 、 土 地 の私 有 化 が 推 し進 め られ た 。 さ ら に、 第二 次 世 界大 戦 後 の ア メ リ カ統 治 の時 代 に入 る と、電 灯 の使 用(1952年)、 久 米 島電 力 会 社 の 設 立(1956年)、
テ レ ビの 開局(1963年)、 空 港 の拡 張 工 事(1968年)、 兼 城 港 の 整 備(1968年)な どが 行 われ 、 交 通 ・通 信 の 便 は格 段 に良 くな った。
現 在 で は、 観 光 化 の 波 に伴 い、 多 くの 観光 客 が久 米 島 を訪 れ るよ うに な って い る。 ただ し、1992年 には9万 人 を超 え る観光 客 を受 け入 れ て い た もの の、 そ の 後 は数 が 減 少 し、 新 た な 観光 資 源 の 掘 り起 こ しを す る こ とが、 こ こ10年 余 り の 課 題 とな って い る(8)。
川.御 嶽 再 生 活 動 の 実 態
1 政 治 ・経 済 的 背 景 一 観 光 化 政 策 を 中心 と して一
さて 、 久 米 島 にお け る御 嶽 再生 活 動 の事 例 に移 りた い。 先 述 の よ うに、 久 米
「場所」創 出の重層性 島 に お い て 御嶽 は、 国 家 祭 祀 の 衰 退 と と も に地 域 住 民 か ら は重 要 と見 な され な
くな る傾 向 が 強 ま り、 多 くは 廃 棄 され るか 、 も し くは0部 の 者 に よ って 使 用 さ れ る に過 ぎ な い もの にな って い た 。 また 、 も と も と御 嶽 は女 性 の た め の 領 域 で あ った が、 男 性 が何 らか の 形 で 関 わ る よ う にな るな ど、 か つ て の 規 則 も薄 らい で い った よ うで あ る 。 沖縄 学 の 泰 斗 で あ る外 間 守 善 は 、25年 ほ ど前 の久 米 島調 査 を 回顧 して次 の よ うに述 べ て い る。
祭 祀 や聖 域 は、0昔 前 ま で は 厳 格 な 禁 忌 を と もな って 何 百 年 来 の 姿 そ の ま ま に伝 え られ て き た。 そ れ が崩 れ は じめ た 契 機 は 、 や は り明 治 期 にお け る沖縄 の 近 代 化 とそ れ に続 く太 平 洋戦 争 とい う大 きな 社 会 変 動 で あ った よ うだ。 そ して そ れ を決 定 的 な もの に した もの は 、 復 帰 後 の 経 済 開 発 で あ る。 事 実 、 わ た した ち は今 回 の調 査 行 で 、 御 嶽 も水 田 跡 も ひ と しな み に、 耕 地 整 備 事 業 の 進 捗 に つ れ て 巨大 なパ ワー シ ョベ ル で 地 な ら しされ て い くの を 目の 当 た り に して 、 これ が最 後 の機 会 で あ った こ とを 実 感 して い る[外 間 2002:284]。
だ が、 こ こ10年 余 りの 御嶽 を め ぐる状 況 は 、 一 変 して い る。 冒 頭 で述 べ た よ うに、 最 近 の久 米 島 で は 御嶽 を 再生 しよ う とす る活 動 が3箇 所 で 顕 著 に な って お り、 さ らに他 の字 で も同 様 の 活 動 の 兆 しが み られ るの で あ る。
こ の よ うな御 嶽 を め ぐる状 況 の 変 化 の 有 力 な0因 は、 こ こ30年 もの 間 、 久 米 島 が実 施 して い る観 光 化 政 策 で あ る と考 え られ る。 字Zの 御 嶽(仮 に 「御嶽X」
と してお こ う)を 再 生 しよ う とす る活 動 は 、 後 に述 べ る よ うに 沖 縄 県 政 府 や 久 米 島 の村 役 場 が主 導 して 行 って いた わ けで はな いが 、 少 な くと も観 光 化 は 、 そ の 島 の変 化 の動 向 を知 る うえ で 無 視 す る こ との で きな い 要 因 で あ る。
久 米 島 で は、 早 く も1970年 代 後 半 以 降 には 観 光 化 の 波 が 到 来 して お り、1981 年 に は 沖 縄 観 光 が 全 般 的 に低 迷 す るな か 、8.9%の 伸 び 率 を み せ て い た。 さ ら に翌 年 に な る と、 久 米 島 観 光 協 会 は 、 い っそ う観 光 化 政 策 に力 を 入 れ る よ う に な り、 ポ ス タ ー や ガ イ ドブ ッ クの 作 成 、 観 光 講 演 会 、 村 お こ し事 業 な どを 通 し て久 米 島 観 光 を 推進 す る方 針 を 立 て る と同 時 に、 あ る特 定 の 自然 景 観 を 天 然 記 念 物 に 指 定 し、 久 米 島 ひ いて は沖 縄 の 特 徴 を 残 す 文 化 的 ・伝 統 的 景 観 を 文 化 財 と して保 存 す る方 針 を 立 て た 。 後 者 に は、 赤 瓦 の 住 宅 の他 に、 御 嶽 林 も含 まれ て い る[久 米 島 新 聞 1982:9]。
久 米 島 の 観 光 化 政 策 は 、 合 併 が 決 定 され た1997年 ま で 具 志 川 村 と仲里 村 とで 別 々 に推 進 され た が 、 両 村 と も以 下 の4つ の方 針 に 重 き を 置 い て い た(9)。
① 地 域 振 興 と 関連 した形 で、 観 光 開発 を推 進 す る こ と。
② 観 光 地 とな る 「歴 史 的 た たず ま い」 を整 備 ・保 存 す る こ と。
③ 観 光 資 源 の掘 り起 こ しに よ る魅 力 づ く りを促 進 す る こ と。
④ 村 民 の協 力 体 制 を仰 ぐこ と。
と りわ け仲 里 村 の方 は、 上 記 の方 針 を現 実 化 す る こ とに 積極 的 で あ った。 こ の よ うに して掘 り起 こ され た文 化 的 ・歴 史 的 な景 観 は、 観 光 パ ン フ レ ッ トな ど に掲 載 され 、 久 米 島 ひ い て は 沖 縄 の 代 表 的 な イ メ ー ジ(表 象)と して宣 伝 さ れ た。 例 え ば、2003年7月 の調 査 時 に村 役 場 の観 光 課 で配 布 され て い た観 光 パ ン フ レ ッ トに は、 久 米 島 で珍 しい 自然 景 観 だ け で は な く、 久 米 島 や 沖縄 に特 有 の 文 化 的 ・伝 統 的 遺 産 、 特 に君 南 風 殿 内(チ ンベ ー ドゥンチ)、 亀 甲墓 、 石 敢 当、
そ して 御 嶽 が掲 載 さ れ て い た。
2 御 嶽 再 生 活 動 の開 始 と規 模 の拡 大 一 「非 使 用 者 」 を 中心 と して一 外 間 が 嘆 い て い た御 嶽 の惨 状 は、 御 嶽Xに もあ る程 度 は 当 て は ま る。 こ の御 嶽 は琉 球 王 国時 代 に は 国家 祭 祀 の場 と して使 われ て い た が、20世 紀 の半 ば に な る と、 古 び た拝 所 が 取 り残 され る だ け に な って い っ た。 使 用 者 も、 祝 女 や 区長 な ど地 域 の 掟 に よ り義 務 づ け られ て い た者 、 及 び特 別 「迷 信 深 い」 者 な ど一 部 の者 に限 られ て お り、 多 くの 字 の 村 民 に と って は半 ば忘 れ去 られ た存 在 で あ っ た と いえ る。
しか し、 今 か ら15年 ほ ど前 に襲 っ た台 風 に よ り拝 所 が 飛 ば さ れ て しま う と、
慣 習 的 に こ の 御 嶽 を 使 用 して い た 一 部 の 比 較 的 高 齢 の 者 た ち(以 下、 彼 らを
「使 用者」 と呼ぷ)は 、 規 模 は小 さ くて も良 い か ら これ を 再 建 しよ う と考 え た 。 だ が、 事 態 は 「使 用者 」 た ち に と って 思 いが けな い方 向 に進 む こ と と な っ た。
字Zの 郷 友 会 や 当 時 の 仲 里 村 村 長 等 が こ の拝 所 再 建 の活 動 に協 力 し、 資 金 を提 供 して くれ た の だ(10)。そ して、 こ れ は 御 嶽Xを 史 跡 と して保 存 ・再 生 し よ う とす る動 き につ な が り、 史 跡 整 備 事 業 委 員 会 が 、 字Zの 村 民 を 中心 に結 成 され る こ と とな った。 こ う して 御 嶽Xを 再 生 す る活 動 は、 御 嶽 に必 ず し も頻 繁 に は
「場所」創 出の重層性 接 触 して い な か った 者 の協 力 を得 て 拡 大 し(史 跡 整備事業委 員会 の成 員は39名 い たが、彼 らの全 てが 「使用 者」 だ ったわ けではな い)、結 果 と して予 想 を遥 か に上 回 る多 額 の資 金 が集 ま る こ と とな った。 そ して、 拝所 は 大 規模 に再 建 され、 周 囲 の森 は切 り開 か れ て ガ ー ドレー ル や空 き地 が設 け られ 、 さ らに は入 り 口に は 鳥 居 が 、 拝 所 内 に は饗 銭 箱 が設 置 され るに至 った。 今 や 御嶽 は、 宗 教 祭 祀 の場 と して だ け で は な く、 公 共 の場 と して、 よ り多 くの字 の 村 民 に使 用 され るよ うに な って い る。
さて 、 日頃 か ら御 嶽Xに 接 す る こ との少 な か った 「非 使 用 者 」 た ち が、 再 生 活 動 に与 した 目的 は一 体 何 で あ った の だ ろ うか。 彼 らは 御 嶽 再 生 の 活 動 を 通 し て 何 を 求 め て い た の で あ ろ うか 。 地 元 で 残 さ れ て い る記 録(11)には 、 こ の こ と を示 唆 す る事 項 が い くつ か書 か れ て い る。 そ の う ち、 当 時 の 仲里 村長 と史跡 整 備 事 業 委 員 会 会 長 の声 を、0部 引用 して み よ う。
仲 里 村 村 長:
字Zの 発 祥 の 地 で あ り、 歴 史 的 に 貴 重 な 場 所 で あ る 「Zの 森 」[注:御 嶽X の現 地 に お け る 呼 称]の 公 園 整 備 を 図 りな が ら神 屋[注:拝 所 の 現 地 にお け る 呼称]建 設 の事 業 を 実 施 した こ とは 大 変 意 義 深 い こ とで あ ります 。0つ の 集 落 で この よ うな 多額 の 資 金 を 造 成 し、 文 化 的 事 業 と して 成 功 した こ とは 後 世 へ 残 す 大 き な財 産 で あ りま す 。 この こ とは 地 域 文 化 の 継 承 や 伝 統 文 化 の 掘 り起 こ しに重 要 な こ とで あ り、 他 の 地 域 の 模 範 とな る もの で あ りま す 。 村 内
に御 嶽 と して保 護 され た 地 域 は 多 く 残 さ れ て い ま す が 、 これ らの 場 所 は 今 で も聖 地 で あ り、 あ る程 度 の 史 跡 整 備 と保 護 が これ か らの 課 題 とな っ て い ま す(地 名 、 注 釈 及 び 下 線 部 は 筆 者 加 筆)。
史 跡 整 備 事 業 委 員 会 会 長:
私 た ち の祖 先 が 字Zの 御 嶽 に祭 っ
【写 真 】 再建 された拝所。周囲 の森 は切 り開か れて いる。
た 神 々 を 「字 の 守 護 神 」 と して 、 ウマ チー な どの 行 事 を通 して 「五 穀 豊 穣 」 や 「無 病 息 災 」、 「子 孫 繁 栄 」 な どを 祈 願 し、 心 の 安 定 と生 活 の 安 定 を得 て き ま した 。 そ う した 神 行 事 も生 活 文 化 が 多 様 化 して い く中で はだ ん だ ん と関 心 が 薄 くな る の が現 状 で あ り …(中 略)… ま す。 これ を機 会 に新 し く整 備 され た 神 屋 が 多 くの 方 々 に利 用 して 頂 き、 薄 れ つ つ あ る地 域 文 化 の 継 承 、 そ して 伝 統 文 化 の掘 り起 こ しの一 助 に な って い た だ けれ ば と思 い ます(地 名、及 び 下線 部 は筆者加筆)。
上 記 に お い て 両者 は、 と もに伝 統 文 化 の掘 り起 こ しを 強調 して お り、 さ らに 史 跡 整 備 と して 御嶽 の再 生 を位 置 づ け て い る。 これ は少 な くと も文 化 的遺 産 と して 御嶽 を保 護 しよ う とす る政 治 ・経 済 的脈 略 の延 長 上 に あ る もの で あ る と言 え る。 彼 らの文 面 か ら指 摘 で き る こ とは、 意 識 的 に せ よ無 意 識 的 に せ よ、 歴 史 的 で あ る と考 え る史 跡 を整 備 し、 村 民 主 体 の地 域 振 興 を 図 ろ う とす る先 に見 た 行 政 の意 図 と合 致 して い る とい う こ とで あ る。 久 米 島 の政 治 ・経 済 的条 件 は、
こ の よ うに御 嶽 再 生 の規 模 を拡 大 した要 因 の一 つ とな っ て い る。
3 御 嶽 再 生 活 動 の動 機 ・目 的 ・プ ロ セ ス
(i)御 嶽 再 生 の動 機 と 目的 一 「使 用 者 」 の観 点 よ り一
御 嶽 再 生 の活 動 は、 以 上 の よ う に、 史 跡 整 備 事 業 と して 当初 よ り も大 規 模 に 行 わ れ る こ と に な っ たが 、 この よ うな 状 況 にお いて 「使 用 者 」 の御 嶽 へ の 感 覚 や 取 り組 み は ど の よ う な もの で あ っ たの だ ろ うか 。
拝 所 が 台 風 で飛 ば され た と き、 それ を再 建 しよ う と初 め に行 動 を起 こ した の は、 「使 用 者 」 の側 で あ っ た。 彼/彼 女 た ちが 行 動 を起 こ した動 機 は、 御 嶽 が 字 の 精 神 的 な 拠 り所 で あ る と考 え られ て いた か らで あ る。 この こ と につ いて 、 数 人 の 「使 用 者 」 た ち は、 次 の よ うな 説 明 を して い た 。 す なわ ち、 字Zに お い て 御 嶽 が字 の 発 祥 地 で あ る と い う こ とは 、 「先 輩 」(年 配 の者 に対 して言 う現地 の 呼称)た ちか ら聞 か され て き た。 古 くか ら御 嶽 の 御 身 体 の辺 りに あ る灰 は 各 家 庭 の 竈 に分 け られ て きて お り、 今 で も分 家 を す る と き は、 島外 に 出掛 け る場 合 で も灰 を もた せ る。 こ う して 御 嶽 を 中 心 とす る関 係 性 が 字 の 出 身 者 の 間 には 保
「場所」創 出の重層性 た れ て い る の だ か ら、 御 嶽 は字 の す べ て の 人 間 に と って 根 源 で あ る と い うの で あ る。 そ して 、 この 御 嶽 の 意 味 や 愛 着 は、 近 年 の 歪 ん だ教 育 や 生 活 の 多 様 化 に よ って 特 に若 者 た ち に は 「迷 信 」 と み な され が ち で あ る が、 「使 用 者 」 た ち は
「先 輩 」 た ちの 教 え を守 り、 慣 習 的 な(と 彼 らが考 える)御 嶽 へ の感 覚 を 大 事 に して い き た い と述 べ る。 さ らに、 若 者 た ちの非 行 が テ レ ビで報 じ られ る今 こそ、
御 嶽 へ の信 仰 を 強 め な けれ ば な らな い 時 だ と主 張 す る者 もい た。
この よ うな 動 機 か ら、 「使 用 者 」 た ち は御 嶽 の重 要 な 部 分 で あ る拝 所 の 再 建 を 目的 に行 動 を起 こ した の だ が 、 先 に見 て きた よ うに、 外 部 者 の 介 入 に よ り史 跡 整 備 事 業 と して大 規模 にス ター トす る こ と とな っ た。 この 外 部 か らの 介 入 に 対 して 「使 用 者 」 た ち は 喜 ん で 迎 え 入 れ 、 事 業 委 員 会 と協 力 関 係 を 結 ん だ と い う。 実 際 に筆 者 が話 を 伺 った 数 人 は、 史 跡 整 備 事 業 委 員 会 に役 員 と して 入 って い る。 しか し、 「使 用 者 」 に と って観 光 化 や 史 跡 整 備 とい う行 政 側 の意 図 は 、 た い して 重 要 で は な か った よ うだ 。 例 え ばA氏(男 性、60代)は 、 御 嶽 の 再 生 が観 光 化 や 「村 お こ し」 の 手 段 と して 用 い られ て い る可 能 性 を認 めつ つ も、 そ れ は重 要 な 問題 で は な く、 む しろ字 の発 祥 地 と して の御嶽 が整 備 され、字 の人 々 の心 の平 安 を もた らす こ との 方 が 重 要 な の だ と述 べ て いた 。
「使 用 者 」 た ち に と って は、 御 嶽Xは 字 の 、 久 米 島 の 、 ひ い て は 沖 縄 の 人 々 の精 神 的 な根 源 で あ る とい う認 識 が 強 い 。 そ れ は、 先 ほ ど述 べ た 「先 輩 」 か ら の教 え を遵 守 す る もの で あ る と同 時 に、 御 嶽 は沖 縄 独 特 の もの で あ る とす る大 衆 に受 け入 れ られ て い た イ メ ー ジ(表 象)に よ って も助 長 さ れ て い た と考 え ら
れ る(12)。
(II)御 嶽 再 生 活動 の プ ロ セ ス
御 嶽 再 生 の 活 動 そ の もの は史 跡 整 備 とい う現 代 の政 治 ・経 済 的脈 略 の上 にあ り、
「使 用 者 」 た ち も表 面 上 はそ れ に則 って 活 動 して い た か の よ う に見 え る。 しか し、 動 機 だ け で な く活 動 の プ ロセ ス にお い て も、 彼 らの 目指 す と こ ろの もの は 別 の と ころ に あ った と言 え る。 大 部 分 が60歳 以 上 の 高 齢 者 で あ っ た 「使 用 者 」 の 関 心 は 、 「先 輩 」 た ちか ら伝 え られ た御 嶽 へ の 歴 史 意 識 や愛 着 を 深 め る こ と に あ り、 さ らに は 御 嶽 に寄 り付 か な い者(特 に若 者)に 対 して そ れ らを 伝 え る
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こ と で あ った 。 そ の た め に、 祖 先 か ら伝 え られ た 流 儀(「 しきた り」 と現地 では 呼ん でいる)を 遵 守 す る な どの 努 力 が 行 わ れ て お り、 そ の こ と は活 動 プ ロセ ス
の随 所 に見 て取 る こ とが で き る。
御 嶽 再 生 の活 動 は、 字Zの 人 々を 村 民 とす る史 跡 整 備 事 業 と して 、1992年5 表1 活動 の主要 な経過 内容 月23日 よ り始 め られ た 。 委 員 会 は1992
年/月/日 1992/5/23 1992/8/28 1992/12/23
1993/2/29 1993/6/23 1993/7/5 1993/8/30 1994/7/16 1994/10/24 1994/11/23 1995/3/15 1995/4/13 1996/7/11 1996/8/6 1997/10/26
1998/5/25 1998/6/10 1998/7/5
活動内容
区長 より委託状の交付 委員会
委員会(拝 所の設計) 委員会(趣 意書の検討ほか) 本島郷友会 との話 し合い 負担金徴収方法の説明会 委員会(資 金計画、拝所 や敷 地の 構造計画、趣意書の作成 ほか) 郷友会名簿作成 に関す る話 し合い 拝所建設計画の見直 しほか 事業計画書編纂作業
郷友会へ募金の協力 に関す る通知 字 の各 戸へ募金の協力 に関す る 知
拝所及 び敷地の工事の発注 起工式
正月行事 につ いての打 ち合わせ 御 嶽 の 環 境 整 備(ガ ー ドレー ル 置)
鳥居 の設置場所 の検討 落成式 と祝賀会
年8月28日 を初 め と して 幾 度 とな く開 か れ た が 、 当 初 の活 動 は、 残 され た 記 録 に よ る と、主 に資 金 調 達 を 重 点 的 に 行 う こ と に あ っ た。 ま た他 方 で 、 拝 所 再 建 の 設 計 につ いて 会 合 を開 き、 着 工 され る に至 る1996年8月6日 まで 、 数 次 にわ た って 話 し合 いが もたれ て い る
【活 動 の 主 要 な 経 過 内容 につ いて は表 1参 照 】。
再 生 の 内容 は大 き く、(A)森 を 切 り開 き公 共 の 空 間 を つ くる 作 業 と、
(B)拝 所 を 中心 と した 建 築 物 を建 設 す る作 業 と に分 け られ て い たが 、 いず れ の 際 に も、 「先 輩 」 か ら語 り継 が れ た とす る慣 習 的 な御嶽 へ の接 し方 に従 っ て作 業 を進 め られ るべ き と考 え られ て いた。例 え ば、御嶽 の環 境整 備 に あた っ て森 を切 り開 く際 に は、 地 域 の歴 史 や 民 俗 に詳 しい者 が 呼 ば れ、 森 を切 り開 いて いいか神 に伺 いを立 て る儀 式 を行 っ た。 とい うの も、 久 米 島 で は、 御 嶽 の 森 は聖 な る もの と して扱 わ れ て お り、
森 を勝 手 に切 り開 く こ とは堅 く禁 じ ら れ て い た か らで あ る。 村 民 の 間 で は、
「場 所 」 創 出 の重 層 性 も し勝 手 に森 を 切 り開 け ば、 病 気 に な
るかハ ブ に噛 まれ る と信 じられ て お り、
村 民 た ちは 実 例 を 挙 げて それ を 日常 的 に話 し合 う こ とで 、 この 言 説 を保 持 さ せ て い た 。 小 牧 に よれ ば、 御 嶽 の 森 の 神 聖 性 は 、 少 な くと も琉 球 王 国 時 代 か ら存在 して い る もの で あ り、察 温 に よ っ て導 入 され た 思 想 で あ る と い う[小 牧 1976 : 26] a
図2 字に残 された御嶽Xの 設計図
他 方 で 、 拝 所 の 配 置 や方 角 も、 「先 輩 」 か ら語 り継 が れ た字 の歴 史 的 な 流 儀 に従 って 決 め られ るべ き と強 調 され た 。 まず 拝 所 の配 置 は、 御 身 体 を 基 軸 にす る よ うに心 掛 け られ た。 つ ま り、 御 神体 の位 置 を決 して動 か さな い よ う に して、
再 建 が行 わ れ た。 さ ら に御 神 体 を設 置 す る御 台 の 寸 法 は、 必 ず 吉 寸 にな る よ う に 図 られ な け れ ば な らな い と考 え られ 、 また 方 角 に関 して は、 真 南 を 避 け、 少 しず ら して 建 て るの が 最 良 と考 え られ た 。 こ う した拝 所 の 建 て 方 につ いて 、 筆 者 が 話 を 伺 った全 員 が 知 っ て い た と い う わ け で は な いが 、 「先 輩 」 か ら教 え ら
れ た 話 の 断 片 と して 説 明 す る者 もい た 。 そ して 実 際 に は、 「しき た り」 に従 っ た建 設 方 法 を 当 然知 って い る もの と村 民 が 考 え る地 元 の大 工 に、 拝 所 建 築 が 託 さ れ た(13)。
ま た、 森 を 切 り開 く儀 式 に して も、 拝 所 の 建 設 に して も、 御 嶽 に まつ わ る大 事 な行 事 が行 わ れ る と きは、 必 ず 旧 暦 を基 準 と した 日取 りが決 め られ た とい う。
この とき もま た 同様 に、 具 体 的 な 行 事 の や り方 につ いて 地 域 の 民 俗 に詳 しい者 に委 託 され る。 不 幸 な こ と に当 事 者 が 他 界 され て い た ので 詳 しい話 を伺 う こ と は で き な か った が 、 こ こ に 「先 輩 」 か ら語 り継 が れ た御 嶽 へ の 感 覚 や 取 り組 み に従 お う とす る努 力 が み られ る こ と と、 それ を 達 成 す る た め に地 域 の 民 俗 に詳 しい古 老 に知 識 を依 存 して い る と い う こ と は強 調 して お きた い。
以 上 見 て き た よ う に、 御 嶽 再 生 の プ ロ セ ス に お いて は、 「先 輩 」 か ら伝 え ら れ た 流 儀 を で き るだ け遵 守 しよ う と して い る傾 向 が 強 い。 しか しその 反 面 、 活 動 の 後 半 に な る と、 鳥 居 や 費 銭 箱 を 設 置 す る と い う、 従 来 の 御 嶽 で は考 え られ
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な い新 しい側 面 も検 討 ・実 施 され て お り興 味 深 い。
表1か ら明 らか な よ う に、1997年10月26日 には 正 月行 事 に関 す る話 し合 い が 行 わ れ 、 翌6月10日 に は 「鳥 居 の設 置 を検 討 す る」 とあ る。 これ に は、 御嶽 を 初 詣 の 場 所 に も しよ う とす る委 員 会 の意 志 が込 め られ て い る。 落成 式 を迎 え た の は1998年7月5日 で あ るが 、 そ れ以 降、 御 嶽 は行 事 と して は次 の4つ の使 わ れ 方 を して い る。
③ 正 月(新 暦)に 行 う初詣 ⑤5月(旧 暦)に 行 う稲 穂 祭
◎6月(旧 暦)に 行 う稲 大 祭(ウ マチー) ⑥8月(旧 暦)に 行 う柴 差(シ バサ シ)
仲 原 が 論 じた よ う に、 この う ち⑤ 〜⑥ の行 事 は、 か つ て の久 米 島 に お け る御 嶽 行 事 で 行 わ れ て い た もの で あ るが[仲 原 1969:75]、 ② に つ いて は見 渡 す 限 りの歴 史 文 献 で は見 つ け る こ とが で き な い。 新 しい行 事 だ と見 て よい だ ろ う。
な ぜ、 この よ うな行 事 が取 り入 れ られ るよ うに な った の か。 そ の理 由 に つ い て 「使 用 者 」 は、 初 詣 とい う現 代 の若 者 に と って分 か り易 い行 事 を組 み入 れ る こ とに よ って、 今 ま で御 嶽 か ら遠 ざか って い た もの を 引 き寄 せ るた め で あ る と 説 明 す る。 繰 り返 し述 べ るが 、 活 動 の お け る 「使 用 者 」 の 第0の 目的 は、 「先 輩 」 か ら伝 え られ た御 嶽 へ の接 し方 を継 承 す る と同 時 に、 普 段 は御 嶽 に寄 り付 か な い者 に関心 を もたせ る こ とで あ った。 だ か ら、 建 築 物 の配 置 や形 態 、 日程 な ど重 要 な部 位 と され る 「しき た り」 は守 りつ つ 、 部 分 的 に重 要 視 され な い と
ころ を変 え て い った の で あ る。 実 際 に現 在 、 初 詣 の 時 に は、 よ り多 くの参 拝 者 が年 齢 を 問 わ ず集 ま る よ うに な って い る とい う。
この よ うな 活 動 に お け る 「しき た り」 の強 調 につ い て 、 史 跡 整 備 事 業 会 の
「非 使 用 者 」 成 員 が どの よ う に して 関 与 す る よ うに な っ た のか(あ るいは反対勢 力 があ ったのか)は 記 録 に残 され て い な い が 、 少 な く と も慣 習 に基 づ い て 行 動 しよ う とす る 「使 用 者 」 た ち の意 図 は、 薄 れ つ つ あ る地 域 文 化 を、 そ して御 嶽 へ の ア イ デ ンテ ィテ ィや歴 史 的 意 識 を喚 起 しよ う とす る事 業 会 の指 針 と、 そ れ ほ どか け離 れ て い た もの で は な い こ とは確 か で あ ろ う。
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「場 所 」 創 出 の重 層 性
lV.考 察
冒頭 で 述 べ た よ う に、 場 所 に は人 間 の諸 感 覚 が埋 め込 ま れ る。 本 稿 で例 と し て 挙 げ て きた 御 嶽 は、 観 光 パ ンフ レ ッ トな ど で久 米 島 ひ い て は沖 縄 の代 表 的 な イ メー ジ と して 表 象 され 、 ま た村 落 の発 祥 地 と して、 字 の村 民 の精 神 的 な根 源
と して感 じと られ て い る点 に お いて 、 ま さ に それ を具 現 化 して い る。
御 嶽 の よ うな 場 所 に対 す る諸 感 覚 が 近 代 的 状 況 に お い て ど の よ う に生 起 して い るの か につ いて 、 新 マル ク ス主 義 と それ に続 くア プ ロ ー チ は、 有 効 な手 立 て の1つ を示 して くれ て いた 。 と い うの も、 第1に 、 御 嶽 再 生 の活 動 は、 多 か れ 少 な か れ 観 光 化 や 「村 お こ し」 の よ うな 大 局 的 な 政 治 ・経 済 的 状 況 に左 右 され て お り、 そ れ は活 動 の 規 模 を大 き く した数 人 の外 部 者 に よ っ て履 行 され て い た か らで あ る。 た とえ 彼 らが 意 識 しな くて も、 結 果 的 に は そ うで あ る。 また 第2 に、 御 嶽 へ の感 覚 が 多 様 化 して い るな か 、 御 嶽 を使 用 して い た一 部 の 者 は、 祖 先 や年 配 者 た ちか ら教 え られ た御 嶽 へ の 態 度 を固 持 し、 近 現 代 的 な状 況 で む し ろ そ れ を強 め よ う と して い た 。 彼 ら は、 時 に は若 者 た ちの 非 行 ぶ りとそ れ を 助 長 させ た近 代 教 育 に 反 感 を 抱 き、 む しろ祖 先 か ら伝 わ る心 の安 定 の や り方 を 強 調 す る。 そ れ が人 間 関 係 及 び精 神 的 根 源 で あ る御 嶽 を再 生 す る と い う行 為 で あ り、 観 光 化 を進 め る外 部 的 要 因 を 利 用 しな が ら も、 そ れ を 推 し進 め た 。 また 、
「使 用 者 」 自身 が 御 嶽 を 沖 縄 的 な もの と表 象 す る側 面 もあ り、 そ の意 味 で 、 最 近 の 「場 所 」 論 が 唱 え る よ うに 、 「場 所 」 と して の 御 嶽 は、 ポ リテ ィ ク スや 表 象 と して創 出 され る側 面 を確 か に備 え て い るの で あ る。 これ は、 字 儀 間 にお け る御 嶽 再 生 の活 動 に も該 当 す る事 柄 で あ るの で[詳 し くは本 誌 別 項 の 深 山論 文 を参 照 の こ と]、 広 く久 米 島 に ま で拡 大 して論 じる こ と もで き るか も しれ な い。
従 来 の 「場 所 」 論 は、 政 治 ・経 済 的条 件 や個 々人 の ポ リテ ィ ク スか ら御 嶽 再 生 の活 動 を見 る視 座 を与 え て くれ て お り、 非 常 に参 考 にな る と考 え る。
しか しな が ら、 御 嶽 再 生 の 活動 と プ ロセ ス を具 体 的 に追 って い くな か で 、 字 の 内部 で歴 史 的 に培 わ れ て きた 御嶽 へ の価 値 観 や 諸 感 覚 が 重 要 な 位 置 を 占め て い る こ と も明 らか に な っ た。 例 え ば 、 「使 用 者 」 た ち が 拝 所 の 再 建 を決 め た 動 機 とな った の が、 か ね て か ら 「先 輩 」 よ り聞 か され て いた 御 嶽 へ の 歴 史意 識 、
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す な わ ち、 御 嶽 が 村 落 の発 祥 地 で あ り、 人 々の 心 は御 嶽 の灰 の分 配 を通 してつ なが って い る とい う語 りや 実 践 で あ った。 ま た森 の 伐 採 、 拝 所 の再 建 に お い て も、 字 内 部 の 旧来 的 な 「しきた り」 に従 うべ き と され た。 さ もな け れ ば、 病 気 にな っ た りハ ブ に噛 まれ た りす る と、 年 配 者 か ら伝 え られ て き たか らで あ る。
こ の プ ロ セ ス に お い て、 常 に地 域 の民 俗 に詳 しい者 、 言 い換 え れ ば、 祖 先 や年 配 者 か ら伝 え られ た知 識 を最 も保 持 して い る と思 わ れ る者 に託 され て き た こ と もま た、 特 筆 す べ き点 で あ る。 こ う した側 面 は、 近 代 化 の結 果 、 道 具 的 に生 じ た もの で あ る と い う説 明 か らだ けで は十 分 に把 握 しきれ な い。 ま た、 単 に伝 統 的 な 「場 所 」 と して の御 嶽 を捏 造 す る観 点 か らで は、 鳥 居 や春 銭 箱 の設 置 の よ
うな 新 しい現 象 を説 明 す る こ と は0し い。
筆 者 は、 近 代 化 の波 が 場 所 に対 す る人 々の 諸 感 覚 を多 様 に した と し、 各 々 の 経 験 や 立 場 か ら多 様 に 「場 所 」 が 創 出 され る側 面 を 考 察 す る近 年 の理 論 的 枠 組 み に賛 同 す べ き点 が 多 い と考 え る。 しか し、 彼/彼 女 た ち は一 つ 重 要 な点 を見 落 と して き た よ う に思 わ れ る。 そ れ は、 多 様 性 の な か に は、 祖 先 や 年 配 者 か ら 教 え られ た地 域 的 な 価 値 観 や 諸 感 覚 を 身 体 化 し、 そ こか ら 「場 所 」 に接 す る側 面 も また あ る とい う こ とで あ る[cf. Munn 1996;Feld and Basso 1996;河 合2003,etc.]。 地 域 で歴 史 的 に培 わ れ て き た 固 定 的 な 価 値 観 や 諸 感 覚 か らの み 「場 所 」 を 論 じる こ と はで きな い が 、 か と い って 、 そ れ を無 視 す る こ と もで きな い 。特 に、 本稿 で論 じた よ うな村 落社 会 で は そ うで あ る[cf. Gray 1999]。
御 嶽 再 生 の 活 動 か ら明 らか に され た の は、 御 嶽Xが 、 史 跡 整 備 な ど の形 で っ くられ つ つ も、 そ の プ ロセ ス にお い て 、 地 域 で 歴 史 的 に培 われ て き た諸 感 覚 や 知 識 の 依 存 関 係 が 強 調 され て い る と い う点 で あ った 。 つ ま り、 た とえ 「場 所 」 が 近 現 代 的 な 脈 略 に よ って 創 出 され よ うと も、 水 面 下 で は別 の力 学 が働 い て い る。 御 嶽 再 生 の 活 動 を 考 察 す る際 に は、 少 な くと もこ う した重 層 的 な 「場 所 」 創 出の 側 面 か らア プ ロ ー チ され な けれ ばな らな いの で あ る。
V.結 語 一 要 約 と 展 望 一
本 稿 の 目的 は、 こ こ10年 ほ どの 間 に久 米 島で 起 き て い る御 嶽 再 生 の動 き を、
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「場所」創 出の重層性
「場 所 」 と い う観 点 か ら検 討 す る こ とで あ った。 まず は新 マ ル クス 主 義 とそ れ に続 く議 論 を 適 用 す る こ とで、 御 嶽 とい う 「場 所 」 が近 現 代 の政 治 一経 済 的条 件 か ら創 出 され る側 面 を、 御 嶽 を め ぐる局 地 的 な事 例 か ら見 る こ とが で き た。
しか し、 御 嶽 再 生 の 活 動 の プ ロ セ ス を追 って い く と、 この よ うな従 来 の理 論 か らで は 捉 え きれ な い 側 面 を垣 間 見 る こ とが で き る。 少 な く と も慣 習 的 に御 嶽 を 使 用 して い た 者 に と って は、 御 嶽 へ の諸 感 覚 や 取 り組 み は、 祖 先 や年 配 者 の教 え に従 い 、 さ らに 近 現 代 的 状 況 を利 用 して それ を拡 大 す る もの で あ ったか らで あ る。 こ こか ら、1つ の 「場 所 」 を創 出す る際 に は、 近 代 化 の政 治 ・経 済 的 条 件 か、 も し くは地 域 に 固定 的 な慣 習 的 側面 か とい う二 者 択0的 な解 釈 で はな く、
双 方 の重 な り合 い(重 層性)か らの 解 釈 こ そが 必 要 だ と結 論 で き る。
後 者 を 仮 に 「「場 所 』 創 出 の 重 層 性 」 と呼 ぶ こ とに して 、 こ れ は少 な くと も 久 米 島 に お け る御 嶽 再生 活 動 を 考 察 す る と き に は、 有 効 な ア プ ロー チ とな るの
で は な い か と予 測 で き る。 とい うの も、 深 山直 子 が 本 誌 別 稿 で 述 べ 、 筆 者 も部 分 的 に調 査 した字 儀 間 に お け る御 嶽 再 生 の 事 例 は 、 字Zの そ れ とか な り多 くの 類 似 点 が 存 在 す る か らで あ る(14)。た だ し、 「『場 所 』 創 出 の 重 層 性 」 の視 点 が 他 の村 落 社 会 に適 用 し う るか 否 か は 、 ま だ検 討 の 余 地 が あ る。 特 に、 そ れ を 都 市 社 会 に お い て適 用 す る な らば 、 な お さ らの こ とで あ ろ う。 この 点 は 、 今 後 の 課 題 と した い。
ま た、 新 マル ク ス主 義 以 降 の 「場 所 」 論 は 、近 代 化 以 前 と近 代 化 以 降 を 極 端 に区 分 して い るが 、 久 米 島 に お け る拝所 再 建 の事 例 を 見 て い る と、 この よ うな 区 分 が 果 た して 妥 当 な の だ ろ うか とい う疑 問 も沸 い て くる。 とい うの も、 祖 先 や 年 配 者 か ら伝 え られ た もの、 つ ま り現 地 で 「しき た り」 と呼 ば れ て い る要素 の い くつ か は、 琉 球 王 朝 時代 に も見 受 け られ た もの で あ るか らだ。 例 え ば 、 御 嶽 再 生 の 内容 は 、(A)森 を切 り開 き公 共 の空 間 を つ くる作 業 と、(B)拝 所 を 中心 と した建 築 物 を建 設 す る作 業 が主 で あ った が、 前 者 は、 既 に述 べ た よ うに 藥 温 に よ って 導 入 さ れ た 思 考 で あ る。 さ らに 後 者 は、 明 らか に 「フ ン シ」(風 水)と 関 わ る もの で あ るが 、 これ も琉 球 王 朝 時 代 に伝 え られ た もの で あ る[河 合2002]。 この よ うな 「場 所 」 の 連 続 性 を歴 史 文 献 か ら解 明 す るの が、 「場 所 」 論 を め ぐる、 も う0つ の課 題 で あ る。
【注 】
(1)『 広 辞 苑 」 に よ る と、 「再 生 」 と い う語 には 、 ① 失 わ れ た もの を 再 び蘇 らせ る こ と、
② 以 前 に経 験 した 事 象 を再 び 思 い起 こす こ と、 の2つ 意 味 が あ る。 本 稿 で は 、 「再 生 」 を双 方 の意 味 で使 って い る。 元 通 りに復 元 す る と い う意 味 で は用 い て い な い。
(2)人 類 学 に お いて 「場 所 」 を め ぐ る議 論 は、1980年 代 に高 揚 した 。 初 めて 人 類 学 で 「場 所 」 が 大 き く取 り上 げ られ た の は 、1986年12月 の ア メ リカ 人 類 学 会(American Anthropological Association)に お い て、 「場 所 と声 」 と題 され た シ ン ポ ジ ウ ム が 開催 さ れ た と きで あ る[Appadurai 1988:16]。 そ れ 以 降 、 『文 化人 類 学 』 誌(198 8年 、1992年)に 特 集 が 組 まれ た他 、 「場 所 」 を メ イ ンとす る研 究 グル ー プが ア メ リ カ に て い くつ か 結 成 され た 。 現 在 、 欧米 諸 国 で は 「場 所 」 は人 類 学 の 中 心 的 な テ ー マ の一 つ とな って い る。 こ こ数 年 、 日本 の 人 類 学 界 で も 「場 所 」 の 議 論 は注 目 さ れ る よ う に な っ て い る が、 ま だ系 統 的 に論 じ られ る に は至 っ て い な い。
(3)本 論 で 言 う 「近 代 的状 況 」 とは、 片 仮名 で 「モ ダ ニ テ ィ」及 び 「ポ ス トモ ダニ テ ィ」
と呼 ば れ る も の に相 当 す る。 「モ ダ ニ テ ィ」 と 「ポ ス トモ ダ ニ テ ィ」 を対 立 項 と し て 区 別 す る見 解 もあ るが 、 本 稿 で は 「ポ ス トモ ダ ニ テ ィ」 を 「モ ダ ニ テ ィ」 の延 長 とす るハ ー ヴ ェイ や オ ジ ェの見 解[ハ ー ヴ ェイ1999:157‑164;Auge 1992]を 受 け、
両 者 を区 別 す る こ と は しな い。
(4)こ う した見 解 は しば しば、 近 代 国家 や有 力 企 業 が 、 自 らの利 潤 を得 るた め に人 々 の 日常 性 を操 作 す る と い う、 レギ ュ ラ シオ ン理 論[ハ ー ヴ ェイ1999:167‑243;リ ピエ ッツ2002]に よ って 裏 付 け され る。
(5)ま た、 人 類 学者 は さ ら に、 エ キ ゾ チ ック な 「場 所 」 の表 象 を創 りだ す こ と に専 ら 携 わ って き た人 類 学 が、 各 地 の 「場 所 」 を創 りだ して きた こ と に つ い て も、 自省 的 に検 討 を 加 え て き た[Appadurai 1988;Fernandez 1988;Gupta and Ferguson 1992, etc.] a
(6)本 調 査 は、2003年7月 に、 渡 邊 欣 雄 教 授(東 京 都 立 大 学)、 麻 国 慶 助 教 授(北 京 大 学)、 小 国 善 弘 助 教授(東 京 都 立大 学)、 深 山直 子 氏(東 京 都 立 大 学)と 共 同 で行 っ た もの で あ る。 従 って、 本 論 で 使 用 され る デ ー タ ー は 、5人 の調 査 結 果 で あ る こ と を 断 って お きた い。 さ らに、 筆者 自身 が2001年10月 か ら11月 にか けて 行 った調 査 デ ー タ ー も参 照 して い る。
(7)会 誌 『が っぺ い 』(2002年)。
(8)『 仲 里 村 総 合 計 画 』、 『具 志 川村 基 本 計画 』、 及 び 会 誌 『が っぺ い』。
(9 ) ibid.
(10)た だ し、 当時 の仲 里 村 長 は 公 的 な 立 場 か らで は な く、 あ くま で個 人 的 な 立 場 か ら 出 資 した と推 測 され る。
(11)史 跡 整 備 事 業 委 員 会 が一 連 の 活 動 を 記 した記 録 書 。 公 的 に発 行 さ れ て い るわ け で
「場 所 」 創 出 の 重 層 性 は な い の で 名 前 は伏 せ る が、 活 動 の 目 的 ・経 過 報 告 ・設 計 図 な どが こ と細 か に 記 さ れ て い る。
(12)久 米 島 で は過 去 に 島 の 外 で 生 活 した村 民 が多 く、 そ の 経 験 か ら、 御 嶽 を 沖 縄 特 有 の もの、 精 神 的 な 支 柱 で あ る と認 識 す る よ う に な った と説 明 す る者 もい た。 ま た 、 メ デ ィア や 旅 行 会 社 が、 御嶽 を 沖 縄 の代 表 的 な イ メー ジ と して宣 伝 して い る こ と も 要 因 の0つ と して挙 げ る こ とが で き る。
(13)大 工 は 「フ ン シ」 を よ く知 る者 と して久 米 島 で は0般 に考 え られ て い る が、 実 際 に は大 工 自身 、 「フ ン シ」 に 関 す る知 識 が 曖 昧 な 場 合 もあ る。 そ れ ゆ え 、 筆 者 が 調 査 に訪 れ る と、 大 工 自身 が 「先 輩 た ち の言 う こ とを も っ と聞 いて お け ば よ か った」
と零 す こ と が しば しば あ る。 「フ ン シ」 に基 づ い た 建 築 の 場 合 、 居 住 者 の 意 図 と大 工 の行 為 とが 異 な る ケ ー ス が生 じて い るの だが 、 今 ま で 風 水 論 で は こ の点 は等 閑視 さ れ て き た。
(14)字 儀 間 の場 合 、 観 光 化 や史 跡 整 備 の 影 響 が 字Zほ ど強 か った わ けで はな い。 再 建 の 目 的 が 観 光 化 の た め だ とい う声 は 間 接 的 に聞 い た こ とは あ るが 、 文 書 化 さ れ て い る わ け で は な い。 た だ し、 拝 所 再 建 に 際 して、 「先 輩 」 か らの 語 りを重 視 し、 そ の 延 長 上 で 活 動 を捉 え て い た点 で、 共 通 して い る。
参 考 文 献
ア ー リー,J. 2003『 場 所 を消 費 す る』(吉 原 直 樹 。大 澤 善 信 監 訳)法 政 大 学 出版 部 オ ジ ェ,M.2002「 同 時代 世 界 の人 類 学 』(森 山工 訳)藤 原書 店
河 合 洋 尚 2002「 沖 縄 久 米 島 の 陽 宅 『風 水 』 一 具 志 川 村 の事 例 の 予 備 考 察 」 『民 俗 文 化 研 究 』 三 、pp.50‑70
2003「 人 為 的 構 築 環 境 の社 会 人 類 学 的 研 究 一 植 民 地 期 香 港 の 都 市 計 画 と新 界 宗 族 に よ る風 水 解 釈 の変 遷 過 程 」(修 士 論 文:東 京 都 立 大 学 提 出)
具 志 川 村 村 史 編 纂 委 員 会 1976『 久 米 島具 志 川 村 史 』 具 志 川村 役 場
小牧 実 繁 1976「 久 米 島民 俗 断 片 」 池 田弥 三 郎(編)『 日本 民 俗 誌 体 系 』 一 〇 、pp。26‑30 トゥア ン,Y・F.1992『 トポ フ ィ リア』(小 野 有 五 ・阿部 一 訳)第 一 書 房
仲 原 善 秀 1982「 久 米 島 の歴 史 」 沖 縄 久 米 島 調 査 員 会(編)『 沖 縄 久 米 島』、pp.1‑68、 弘 文 堂 、
仲 原 善 忠 1969『 仲 原 善 忠 著 作 集(下)』 沖 縄 タ イ ム ス社
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【現 地 資 料(非 売 品)】
久 米 島観 光 協 会 「沖 縄 珠 美 古 か ら琉 球 の粋 を集 め て き た と さ れ て き た、 美 し き島 』 (2003年 度 観 光 パ ン フ レ ッ ト)
具 志 川 村 役 場 『具 志 川 村基 本 計 画 』(第1次 〜 第3次)
具 志 川 村 ・仲 里 村 合 併 協議 会 『会 報 が っぺ い 』(1998年 〜2002年) 仲 里 村 役 場 『仲 里 村 総 合 計 画 』(第1次 〜 第3次)
〒664‑0851兵 庫 県 伊 丹 市 中 央6‑2‑17‑303