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想定外 を想定する

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(1)

想定外 を想定する

リスクと不確実性の経済思想

酒 井 泰 弘

■アブストラクト

天災は忘れた頃に来る (寺田寅彦の警告)。人間は災害を何度でも忘れ,

愚行を何回でも繰り返す。従来において原発のリスク分析はおおむね低調で あったが,フランク・ナイト(1885―1972)のように, 想定外 の事象を 積極的に研究する学者も存在した。福島原発事故に関して言えば,ナイトな ら地震大国・日本に多数の原発を建設することは,本来計量化できない 不 確実性 であると思量したはずである。ところが現実には, 安全神話 に 寄りかかり,それを計量可能な リスク であると即断してしまったようだ。

思うに,今や 新しい総合リスク学 を樹立することが喫緊の課題である。

そのためには第一に,社会心理学の成果を取り入れて, 怖いリスク や 未知のリスク など,リスクの 質 の違いを考慮しなければならない。

第二に,経済物理学の展開に依拠して,(平均や分散などの統計数量が無意 味なものとなる) べき分布 の活用を図らなければならない。

■キーワード

想定外,大震災,べき乗則

*平成24年6月16日の日本保険学会関西部会特別報告会報告による。

/平成24年9月6日原稿受領。

(2)

1.天災は忘れたころに来る

⑴ 関東大震災後の状況 科学者・寺田寅彦の警告

天災は忘れた頃に来る これは地球物理学者・科学随筆家として名 高い寺田寅彦(1878〜1935)の警句として,あまりにも有名な言葉である。

寅彦は1923年(大正12年),45歳のときに関東大震災に遭遇した。実は,私 の父親も関東大震災の犠牲者であり,少年の頃に旧東京市 丁堀から旧大阪 市住吉地区への移住を余儀なくされた。人間は大震災に遭遇して,果たして どれほど学び賢くなっているのだろうか。この点について,寅彦の人間観察 力は鋭いものがある 。

人間は何度同じ災害に遭っても決して利口にならぬことは歴史が証明す る。昔と同等以上の愚を繰り返している (1931年, 地震と国防 より)。

今回の東日本大震災に際して, 想定外 という言葉がしきりに用いられ た。 想定外の大地震 , 想定外の大津波 , 想定外の原発事故 等など まさに想定外のオンパレードだった。地球物理に精通した寅彦ならば,

きっと 想定外の事象 という表現の乱用をあざ笑ったであろうと思う。そ れよりはむしろ,人間は同じ災害に遭っても決して利口にならず,過ちは何 度でも忘れる,そして忘れたころに天災がやって来る,と慨嘆したことだろ う。人間は愚かな事を何度でも繰り返すと,という訳である。

関東大震災以後,日本は阪神・淡路大震災(1995年)や東日 本 大 震 災

(2011年)という大震災に見舞われている。大震災が相当の頻度で発生して いるのに,人々のリスク対策は決して十分ではなかった。寅彦の警告どおり,

天災はまさに忘れた頃に波状的にやって来た。本稿では,このような一連の 1) 寺田寅彦は多方面で活躍した不滅の人である。その随筆のエッセンスは,有 名な科学随筆集第1巻である寺田寅彦・中谷宇吉郎(1960)の前半に収められ ている。文豪・夏目漱石の名作 吾輩は猫である の中の人物 寒月君 は,

寅彦がそのモデルであると言われる。最近において,科学者としての寅彦の令 名が再び高まり,実に 経済物理学のパイオニア として再評価されつつある。

この点については,青木・青山・有賀・吉川監修(2011)を参照されたい。

(3)

大震災の経験を総括する形で,リスクと不確実性の経済思想を広く深く再検 討したい。その中から,新世紀に相応しい 新しい総合リスク学 の樹立の 方向性が見えてくるだろうことを期待している。

⑵ 阪神大震災後の状況 田原総一郎氏,高木仁三郎氏ほか

1995年(平成7年)1月17日,阪神・淡路大震災が西日本・阪神地区を襲 った。関東大震災の発生から,わずか72年の歳月しか流れていない。私自身,

夢多く多感な学部学生・大学院生時代を六甲山麓で過ごした経験があり,懐 かしき港町が無残に破壊され,かつての友人・知人たちが避難生活を余儀な くされる様子を座視することが困難であった。

学生さん,神戸は地震にめっぽう強い所ですよ。なにしろ背後には,甲 のように頑丈な六甲山が控えているのですから。今はしっかり食べて丈夫 な体を作りましょうね

神戸の下宿の叔母さんが,食事時に口を酸っぱくして我々下宿人たちに吹 聴していた言葉だった。常に空腹感に悩まされていた若き学生にとっては,

この言葉はまるで天上の啓示のように聞こえたものであり,寺田寅彦の警告 などは全く忘却の渕に捨て去られていた。ジャーナリスト・田原総一朗氏は,

阪神・淡路大震災で倒壊した神戸高速道路の有様を慨嘆するとともに,起こ りうる原発事故の可能性について鋭い突っ込み質問を発していた。

神戸の高速道路を設計した連中はバカだったと言うことになるわけです か。今になって,大丈夫と言うものはない。ところが,原発はいまだに壊れ ないとの一点張り,そこが分からないのですがね (1995年夏 通販生活 )。

さすが田原氏はジーナリストらしい鋭意な嗅覚の持ち主であったが,同じ く1995年の大震災の直後に,原子核研究のプロだった故高木仁三郎氏は権威 ある学会誌の中で,次のような警世の文章を書き残していた 。

2) 高木仁三郎氏は,一連の著作(1981,1986,1995,2000)において,原発の リスクを初期の段階から一貫して主張してこられた。今こそ 高木精神 に戻 ることが求められている。原発と震災の関係については多数の著作・論文が発

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原発が被災した場合の緊急時体制や老朽化原発対策などを真剣に考える という姿勢もまったくみられない。これはまったく不誠実な対応と考えられ る (1995年, 日本物理学会誌 50巻10号)。

日本物理学会誌といえば,日本最高峰の学会誌の一つであり,世界でも指 折りの科学雑誌である。だが,かの寺田寅彦の警告通り,人間は同様な被害 に何度遭遇しても,なかなか利口になれず,昔と同じかそれ以上の愚行を繰 り返しているようだ。私がかつて勤めた広島大学・旧キャンパス付近には,

原爆ドームで有名な平和公園がある。公園の南端には, 安らかにお眠りく ださい。過ちは繰り返しませぬから という記念碑が建っているが,現実は 残念ながら,この銘文とは全く逆の方法に進行しているかのようである。

⑶ 東日本大震災後の状況 ノーベル賞・益川敏英氏の見解

2011年3月11日,最も直近の大震災が発生した。関東大震災や阪神・淡路 大震災を遥かに凌ぐ東日本大震災が起こり,原子力村フクシマの地獄絵がこ の世に現出した。高さ15メートルに及ぶ大津波のために,海沿いの福島第一 原発の建屋が吹っ飛び,空中および海中への大量の放射能漏れが現出した。

放射能汚染事故としては レベル7 ということで,アメリカのスリーマイ ル島原発事故を凌ぎ,旧ソ連のチェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)

に匹敵するものである。2011年4月2日付けの英字新聞 ジャパン・タイム ズ (The Japan Times)は,特約の オブザーバー (Observer)誌によ る記念記事を紹介していた。そのタイトルと最初の文章は,次のようにまこ とに刺激的であった。

チェルノブイリ25周年 放射能汚染の光景。日本は原発事故の危機に 直面している現時点において,ロビン・マッカイ記者は1986年チェルノブイ リ格納容器事故の現地に戻った。爆発地に残るのは,悲しいかな,ただ放射 能汚染の土壌,住民の居住地放棄および沼沢の汚染のみである

行されているが,本稿の執筆のためには別冊日経サイエンス編集部(2012),

小出裕章(2011),大島堅一(2010)が特に有益であった。

(5)

チェルノブイリの原発事故は,決して地震や津波などによるものではない。

それはむしろ,人為的な操作ミスに基づく格納容器の爆破によるものである。

すなわち, 天災 ではなく,れっきとした 人災 だと言えよう。

これに対して,25年後に発生した福島沖のマグニチュード9の大地震と,

直後の高さ15メートルの大津波とは,確かに自然の猛威による天災かもしれ ない。しかしながら,大津波による原発施設の機能停止や放射能漏れは,原 発関係者の驕りとモラルハザードによる人災ではないだろうか。世界一流の 英文雑誌 ニューズウィーク (Newsweek)は2011年4月18日号において,

日本は果たして,どれだけのトラウマに耐えられるのか という巻頭記事 を掲載した。その記事は,次のような文章から始まっている。

日本がまず直面したのは,三つの苦難である。この1億2千7百万人の 国は,有史以来最大の地震の一つに見舞われ,その後にビックリするほど破 壊的な津波に襲われた。この二つの自然災害の結合は,東北日本の沿岸部町 村の徹底的破壊をもたらした。今回の災害がこれだけで終っていればと思う のだが,事実はそれ以上であったのだ。地震と津波という致命的な組み合わ せによって,防波堤が破壊され,日本で最も古い原発の一つが損傷した時に,

かの核の悪夢が始まったのだ。悪夢は現時点においてなお続いており,明確 な終わりの出口すら見えていないのである

わが日本社会においては, 原発は絶対安全だ という 安全神話 が長 く広く信じられてきた。原発の危険性を早くから指摘する良心的な研究者た ちも一部存在したが,その現実的影響力はごく限定的に留まっていた。安全 神話に立脚する限り,原発は安全財とみなされ, リスクと不確実性の経済 分析 の主たる研究対象とはなりえない。この結果,日本の学界において,

原発のリスク分析がやや低調だったことは否めない事実であろう。

ところが現実において, 想定外 の大地震が起こり, 想定外 の大津波 による 想定外 の深刻な原発事故が発生した。私のごときリスク研究者と しては, 安全神話 から 想定外の事故 へという極端な論点移動は,む しろ思考停止的であり,健全な研究促進を妨げるではなかろうかと心配して

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いる。この点に関して,ノーベル物理学賞受賞者の益川敏英氏は,さすがに 透徹した見解を述べておられる。

《想定外》というのは,彼らの設計の目標外であったというだけの事です よ。今回の原発事故は,科学者から見たら当然考えられる範囲です。ああい う言葉使いは問題だと思いますね。コスト面から考えた設計目標を超えてい たと言うべきです (2011年10月17日。 京都新聞 対談記事)

私自身も益川教授の正論に触発された形で,いかにも経済学者らしい (?) 客論記事を執筆しておいた。

ナイトなら地震大国の日本に多数の原発を建設することは,本来計量化 できない《不確実性》であると捉えたはずだ。だが現実には何重もの対策を 施すことで事故率がゼロに近くなると想定した。これは不確実性でなく計量 可能な《リスク》であると誤認したことにほかならない (2012年2月2日,

日本経済新聞 危機・先人に学ぶ より)

ここで次のような問題が出てくる。フランク・ナイトとは一体どういう経 済学者だったのか。ナイトによれば,リスクと不確実性とはどのように違う のか。両者を結ぶものは果たしてないのか。また,保険に掛けることは,ど こまで有効だろうか。こういう一連の問題に出来るだけ答えようとするのが,

次節以下の目的である。

2.フランク・ナイトの経済学 リスクと不確実性の峻別

フランク・ナイト(1885〜1972)への知的関心が,内外の学界において高 まりつつある。 ナイト・ルネッサンス と言うことができるほど,シカゴ の大長老ナイトの人間観と学問業績が再評価され,その教訓を現代に生かす 道が模索されている。2011年12月はじめ,某新聞社から フランク・ナイト に学べ へのシリーズ論稿依頼が私宛に来た最大の理由は,やはり 2011年 3月11日の大惨事 であった 。

3) 私自身は リスクと不確実性の経済学 の研究者として,先達・フランク・

ナイトの著作を読み,深く思索を重ねてきた。一連の著作・酒井泰弘(1982,

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今からほぼ90年前に出版されたナイトの主著 リスク,不確実性および利 潤 (Risk, Uncertainty and  Profit)は, リスクと不確実性の経済思想 の歴史において記念碑的著作の一つである。ナイトの主張は,同著第1章の 導入部分において鮮明に現れている。

不確実性という概念は,リスクという通例用語とは抜本的に異なるもの だと捉えなければならない。だが,従前においてはリスクと不確実性を正し く区別して議論することがなかった

ナイトによれば,同じ不確かな状況と言っても,それを三つのタイプに大 別することが重要である。図表1にあるように,第一のタイプは 先験的確 率 (a priori probability)であり,例えば 2つのサイコロを同時に投げ るとき,目の和が7になる確率 のような数学的確率である。第二は 統計 的確率 (statistical probability)であり, 2011年時点での40歳日本人女 性の平均余命 のように,経験データから作成された確率である。第一と第 二のタイプはともに,数値計算が可能であるという意味で 測定可能な不確 実性 (measurable uncertainty)であり, 本来のリスク (risk proper) である。保険処理が可能な確率的状況と考えることが許される。

これに対して,第三のタイプは人間の主観的な 推定・判断 (estimate,

図表1 確率的状況 ナイトによる三つのタイプ分け

タイプ 確率的状況 リスクか不確実性か

本来のリスク

(測定が可能,保険処理も可能)

真の不確実性 (測定が不可能) (保険処理も殆ど不可能) 先験的確率

(

a priori probability

) 統計的確率 (

statistical probability

)

推定,判断 (

estimate, judgment)

第一のタイプ

第二のタイプ

第三のタイプ

出所:ナイト (1921) に依拠し,筆者が独自に作成

1991,1996,2006,2010,2011

a

,2011

b

,2012

a

)を御覧頂きたい。酒井 (2012

b

) は,ナイトに焦点を当てた近作である。

(8)

judgment)に関わるもので,ナイトが特に注目する確率的状況である。そ れは本来的に 測定不可能な不確実性 (unmeasurable uncertainty)であ り, 真の不確実性 (true uncertainty)なのである。保険処理がほとんど 不可能な状況であると解釈できる。参照できる事例が極めて少なく,繰り返 しもほとんど不可能である。小さなミスどころか,大外れやサプライズも発 生しうる。その典型例は,新製品の開発や外国での新工場の建設である。

興味ある問題は,地震大国・日本において,多数の原発を建設することの 合理的理由があるのかどうかである。確かに,頻発する中小の地震に対して は,ある程度のデータ蓄積があり,小規模な 地震保険 なるものも存在す る。しかし,東日本大震災クラスの大地震となると,(少なくても主観的に は)100年や200年に一度,あるいは1000年に一度起こるか起こらないかの程 度の話であり,第三の確率的状況に近いものである。

福島原発事故に関して言えば,フランク・ナイトの立場からすれば,世界 有数の地震大国に50基に及ぶ多数の原発を建設することは,もともと計量化 が不可能な 不確実性 であると考えたはずだと思う。しかし,現実には自 然の猛威に対処する人間の能力を過大評価し,何重ものリスク対策を施すこ とによって事故率を限りなくゼロに近くしうると想定したのである。

ナイト流に言えば,これは不確実性ではなく,計量可能で保険処理可能な リスクと誤認したことにほかならない。中国の古典 西遊記 にあるように,

このことはあたかも傲慢不遜になった孫悟空が御釈迦様の掌から完全に自由 になれると錯覚したようなものである。人間は時として己の非力を忘れ,か くして悲劇が繰り返されることになる。

3. リスクの量と質 社会心理学からのアプローチ

酒井さん,《リスクの量》にかんする君の数学的議論はよく分かりました。

でも,君は量的側面と区別された《リスクの質》について,どのような御意 見をお持ちでしょうか

私が上のような質問を受けたのは,はるか1980年代の後半,某学会大会の

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席上であった。これはまさに正論であり,それ以降 リスクの質 の側面に ついて多大の注意を払うようになった。

リスクの多様な質的側面を考察する際に,参考になるのは経済学の隣接分 野である社会心理的分析である。アメリカの著名な心理学者スロヴィックは,

権威ある学術雑誌 サイエンス (Science)に掲載された1987年論文 リス クの評価 (Perception of Risk)の中で,次のような18種類の個別事象を 調査対象として選択したことを記している 。

原発,核実験落下物,放射性廃棄物,DNA技術,SST,人工衛星落 下,マイクロウェーブ,オーブン,アスピリン,カフェイン,自転車,

喫煙,ダイナマイト,ピストル,飛行機事故,炭鉱事故,天然ガス爆 発,核戦争

スロヴィックが社会心理学立場から,分析視角として特に注目したのは,

2種類の質的に異なるリスクである。

未知のリスク(unknown risk):得体が知れず,不安感を与える 怖いリスク(dreadful risk):規模が巨大で,恐怖感を与える スロヴィックは上記の18の個別事象の各々を取り上げ,それがどの程度に 未知のリスク であり,またどの程度に 怖いリスク であるかについて,

大雑把なランク付けを行った。その調査結果の概要を図示すれば,図表2の ごとくである。

スロヴィックによるリスク調査は,幾つかの点で非常に興味深い。第一の 特徴は,色々考えられる諸々のリスクの中で,未知のリスクと怖いリスクと の二つが,人間心理的に最も影響を与えるものと考えている点である。第二 に,原発,放射性廃棄物,核実験廃棄物,核戦争というように,原子力関係 のリスク四種類が調査対象に入っている。第三に,原発こそが,全ての調査 事象の中で最も得体が知れず,最も恐ろしいリスクと認定されている。第四 4) 心理社会学からのリスク分析については,日本リスク研究学会編(2006)を 参照されたい。タレブ(2007)の ブラック・スワン は,リスク社会学から の興味あるアプローチである。

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に,地震や津波など,日本に馴染みのあるリスクが全く考慮されていないの は,いかにもアメリカ的特徴であると言えよう。

従来のリスク経済学においては,リスクの質的分析が不得意であり,リス クの大小を単に量的に測るだけで満足してきたきらいがある。スロヴィック の分析はまだ完璧なものとは言えないが,質的分析のための第一歩として評 価できる。スロヴィックの言う 未知のリスク や 怖いリスク が,かつ てナイトが注目した 不確実性 と一体どういう関係にあるかを解明するこ とは,将来に残された重要課題の一つであろう。

図表2 未知のリスクと怖いリスク 社会心理学的分析

(出所)スロヴィック(1987)を参照し,筆者が改訂作成

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4. べき乗則のパワー 経済物理学からのアプローチ

⑴ べき分布のパワー はやぶさ探査機の衝撃

去る2003年5月9日に日本から打ち上げられた小惑星探査機 はやぶさ (正式名MUSES‑C)は,目標の小惑星 いとかわ (ITOKAWA)に無事 到達し,サンプル採取などの科学調査を実施した。そして,色々なトラブル を乗り越えて,7年後の2010年6月13日に地球に帰還し,小さな搭載カプセ ルをオーストラリアの砂漠地帯へ落下させることに成功した。

はやぶさ探査機の再突入時の明るさは,中秋の名月を超えるほどであった という。その研究成果は早くも,2010年9月22日から金沢大学で開かれた日 本天文学会秋季大会にて発表された。私は経済学研究者であるから,はやぶ さ探査機の目的と成果について,その科学成果を正確に見極めることはもち ろんできない。ただ,小惑星 いとかわ の名前が,日本におけるロケット 開発の父・故糸川英夫教授に因んでいることを知り, 糸川先生はさすが偉 大な科学者だな と懐かしく感嘆し, 小惑星いとかわへの到達・帰還はや っぱり凄い偉業なんだろう とただ憶測する程度であった。ところが,上記 の研究発表の概要が 国立天文台ニュース第13号 に掲載され,その記事の 中に 分裂破片のサイズ分布 が載っているのを見るや否や,私が受けた衝 撃は尋常なものではなかった。そのとき, ああ,本当にそうなのですか‼

と思わず口走ってしまったのだ。

この点をもう少し詳しく述べよう。はやぶさ本体は落下時において多数の 小さな破片へと分裂したが,その破片分布をグラフ化すると,図表3のよう になった。横軸Xは破片のサイズ(対数,任意)であり,縦軸Yは破片数 の累積個数(対数)を表わす。分布曲線は対数平面においてほぼ線形であり,

一次式Y=3.15−1.27Xによって近似可能である。

これを普通のデカルト座標に変換することにより,(x,y) 平面上に べ き関数 (power function)y= e × x が得られる(ただし,log y=

Yおよびlog x= X)。

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⑵ 正規分布とべき分布

思うに,人間は習慣の奴隷になりがちである。私自身は経済学研究者とし て,平均と分散で全てが決まる 正規分布 に余りにも慣れ親しんできた。

実際,トービン流の資産選択理論では平均と分散とが二大決定因であったし,

定番の計量経済学では推定式の誤差項が正規分布に従うことが当然視されて いた。従って,私はいわば経済学の慣例に従って,はやぶさ探査機の破片分 布も,平均値の周りに多くが集まる釣鐘型の正規分布であると即断していた のだ。しかし,破片分布の真実の姿を知ったとき,自分の不明を恥じること になった。

上記の点をもう少し正確に述べておこう。正規分布とべき分布は,図表4 のように対照的な形状を し て い る。ま ず, 正 規 分 布 (normal distrib-

ution)は,左の図のような左右対称の釣鐘型の分布である。平均近くの確

図表3 はやぶさ探査機の衝撃 分裂破片のべき分布

(出所)国立天文台メールニュース13号,2010年9月22日より,筆者が改訂作成 破片数の累積個数(対数)

破片数のサイズ(対数,任意)

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率が大きく,外れの確率が小さい分布である。正規分布の具体的形状を決め るのは,平均と分散という二大パラメータの値である。実際,いま平均をμ, 分散をσと書くならば,その確率密度関数fは次式のように表わせる。

f(x)= 1/ 2π σ×exp(−(x− μ) /2σ)

これに対して, べき分布 (power-law  distribution)は決して左右対称 形ではない。こぶがなく,左から右へとひたすら降下し,しかも シッポ部 分 は十分太く長い(これを,ファット・テイルともロング・テイルとも言 う)。べき分布の場合には,極端な 外れ値 をとる割合がかなり高い。そ の上に,平均や分散という値自体が無意味なものとなってしまう(理論的に は,平均値がゼロ,分散値が∞ということも考えられる)。もっと正確には,

その確率密度分布fは次のようなべき乗形をしている。

f(x)=αx

両辺の対数をとれば,対応する累積分布関数が線形となる。

logf(x)=log α− k logx

(出所)筆者が作成

図表4 正規分布とべき分布

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さらに注意すべき点がある。それは,べき分布がスケール不変のフラクタ ル性を持つので,どんな小さな一部分も全体とよく似た形状をとるという点 である(つまり,相似縮小的な動きをする)。現在注目の 経済物理学 (Econophysics) において中心的役割を演じる分布とは,このようなフラク タル性を有する べき分布 ,または パワー分布 なのである 。

⑶ 巨大災害リスクはべき乗則で動く リスクと不確実性のあいだ 本稿の意図は元来,関東大震災,阪神大震災,東日本大震災など,諸々の 巨大災害リスクをどう想定するのが適当なのかを検討することであった。か つて 想定外 として無視されてきた大災害は,いわばリスクと不確実性の 谷間をさ迷い,科学的分析が容易でない研究対象であった。とくに,文系の 人間にとっては,土俵をリスクのみに限定して,平均と分散の動きに集中す ることが得策とされてきた時期もあった。生命保険や自動車保険など,従来 の保険の多くは,一定の確率分布の存在を前提していた。だから,確率設定 が困難な地震発生に対する保険内容とは,たかだか保険支払額に上限が付く

一部保険 に過ぎず, どんな支払いでもOK というような 全部保険 の給付にまで及ぶことがなかったのだ。換言すれば,巨大地震の発生に伴う 甚大な被害は,保険会社にとって 免責事項 となってしまう傾向が強い。

これに対して,理系の人間はもともと,文系よりは遥かに長期のスパンに おいて巨大災害発生を捉え,正規分布よりもべき分布でもって研究対象に迫 るのが得意である。一言でいえば, 巨大災害リスクはべき乗則で動く と いっても決して過言でないのだ。図表5は,この点を鮮明に示すだろう。

この図表は,1974年から1983年までの10年間,アメリカ南東部ニューマド 5) 近時, 経済物理学 (

Econphysics

)の発展が目覚しいものがある。日本に おいても,西の京大基礎物理と東の東大・中央大経済との間の共同研究が大変 注目されつつある。私も幾つかの会議に出席してみて, 経済学の新機軸がこ こから始まるかもしれないな と感じた。この新しい分野については,青木正 直・青山秀明・有賀裕二・吉川洋 (2011),高安秀樹・高安美佐子 (2000),高 安秀樹(2004),Waldrop(1992) が非常に有用なガイドブックである。

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リッド地震帯で発生した多数の地震分布を経年累積的に記録したものである。

横軸は地震の規模(マグニチュード)であり,放出エネルギーの対数値に近 いと考えてよい。縦軸は,各マグニチュードに対応して,それぞれ何回の地 震が発生したのか,その地震頻度を経年累積的に示す。図表から明らかなよ うに,地震の規模と頻度の間には線形の関係があり,これは グーテンベル ク=リヒターの法則 と呼ばれる(Gutenberg & Richter(1965))。マグ ニチュードが大きい地震は,その発生頻度が小さい。マグニチュード2の地 震頻度は年間100回,3の頻度は10回,4の頻度は1回,5の頻度は0.1回で ある。累積分布曲線がかくも直線であるいうことは,確率密度曲線がべき曲 線によって表示されることを意味する。

図表5のような地震規模と頻度の関係は,特定期間におけるアメリカ南東 部の地震帯に限らず,全ての期間を通じて地球全域に成立することが知られ

図表5 巨大災害リスクとべき乗則

(出所)原データは

Johnston and Nava

(1985)による。Bak (1994)を参照し,

筆者が大幅に改訂作成。

(16)

ている。すなわち,一般の巨大災害リスクはべき乗則で動くわけだ。Mark Buchanan(2000) は,これを地震以外の話にまで普遍適用し, 歴史はべ  き乗則で動く とまで敢えて言い切っている。だが,歴史一般とべき乗則の 関係の妥当性については,今後更なる研究が必要とされるだろう 。 5.先人に学ぶ 新しい総合リスク学への道

辿りきて未だ山麓

これは稀代の将棋名人・升田幸三の味わい深い言葉である。升田名人はラ イバルの弟弟子で最強の大名人・大山康晴との間で,昭和の将棋史を飾る大 勝負を何度も行ってきた。二人の棋譜は将来も永遠に残る価値を持っている。

新手一生 を信条とした鬼才・升田名人にして,辿りついた将棋道は未だ 山麓であり,頂上から遥かに遠いのだ。

将棋界の名人たちはかくも謙虚であるが,わが経済学界の現状は一体どう であろうか。私の友人でノーベル賞受賞者のクルーグマンは,2009年6月,

ロンドン大学の記念講演の中で,マクロ経済学の状態を慨嘆している。

過去30年間におけるマクロ経済学の大半のものは,良くみて全く無用の 長物,悪くみて明白な有害物であった

同じく私と同時代の豪傑・スティグリッツ(2010)は,新しいパラダイム を樹立する必要性を説いている。

パラダイムを変えるのは容易なことではない。余りも多くの経済学者が,

誤ったモデルに余りも多くの労力を注ぎ込んできたからだ。…パラダイムの 転換以外に道はないのだ

私が専門とする リスクと不確実性の経済学 においては,ミクロ,マク 6) べき分布に密接に関連するものとして,カオス,フラクタル,非線形科学な どの概念がある。新世紀の経済学者はこれらの新分野を積極的に学ぶ必要があ る。個人的には, 日本人向きの学問ではなかろうか という気すらする。こ の点については,マンデンブロ (1982),山口昌也(1986)が有益な文献であ る。井口富夫教授(保険論)や伊藤敏和教授(微分方程式論)から頂いた情報 は大変有用であったことを記しておきたい。

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ロ,一般均衡理論を含む主流派経済学とは異なり,未知・想定外・サプライ ズの問題をそれなりに扱ってきた。だから,この専門領域では,クルーグマ ンやスティグリッツの批判の矢はそれほど 的に命中 しているわけではな い。だが,原発のリスク経済分析はおおむね低調であったし, 想定外の事 故 を積極的に取り上げる論者も少なかったのは,悲しき現実である 。

シカゴの大長老 たるフランク・ナイトははるか1920年代に,経済学に おけるリスクと不確実性の役割を本格的に研究した。だが,ナイトの初期の 輝かしい業績は,合理的行動と市場原理主義を徹底的に押し進めた,フリー ドマンやルーカスなどの 後期シカゴ学派 の大波の中に呑み込まれてしま った。ケインズは1930年代に 雇用の一般理論 を執筆し学界の寵児になっ たが,その業績評価はいわゆる IS・LM分析 だけに限定され,もっと広 い アニマル・スピリッツ の考え方は軽視されてしまった。

リスクと不確実性の経済学は,1970年代から80年代にかけて学問分野とし て独立し,以後 応用経済学 の一分野としてそれなりに発展してきた。だ が,今から振り返ってみると,それは計量可能なリスク分析に偏しており,

ナイトの言う 真の不確実性 や,社会心理学の得意な 未知で恐ろしいリ スク は十分論議されてこなかった。ここでは,正規分布が一貫して 王 座 の位置を占めていて,べき分布はいまだ 変格もの としての扱いしか 受けてこなかった。だが,べき分布はフラクタル性を持ち,カオスや非線形 科学と密接な関係をもつ重要概念なのである。原発のリスク経済分析がこれ まで低調であった理由の一つとして,こういう内外の学界特有の事情を挙げ ることが出来るだろう。

さて,本稿の冒頭で述べたように,2008年のリーマン・ショック,日本の 失われた20年 ,そして最近のユーロ危機に悩むヨーロッパ 世界の経済 7) クルーグマンやスティグリッツは,私と同世代同分野の学者であり,個人的 に何度もお話した経験がある。二人の新著

Krugman

(2012) および

Stiglitz

(2012) はケインジアンの立場からから書かれた意欲作であるが,残念ながら,

アカデミックというよりもジャーナリスティックな啓蒙書に留まっている。本 格的な 第二のケインズ や 第二のナイト の出現が切に待たれる。

(18)

社会の状態はかくも悪く,しかも益々悪化しつつあるのだ。本稿の冒頭の所 で触れたように,わが日本は大地震・大津波・原発事故という 三重苦 に 直面しており,解決の出口が未だ見えない状態である。

要するに,実際の社会経済の様子も宜しくなく,学問としての経済学の状 態も宜しくない。だが,私自身は 逆転の論理 が好きであり, 今こそ経 済学の出番の時だ と信じている。心身の調子が悪ければ,それを治癒すべ き医者が必要となる。それと同様に,経済の調子が悪ければ,それに対処す べき経済学者が切に求められよう。

我々経済学者は,在来の狭い領域に留まることなく,隣接の心理学・人類 学・生物学・物理学などの広い分野にも積極的に踏み込んで,リスクと不確 実性学の新展開に全力を傾注しなければならない。新世紀に相応しい新学問 の構築が今ほど待望されている時は他にないのである。

(筆者は筑波大学・滋賀大学名誉教授)

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参照

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