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係助詞「しか」の接続・共起制限について
許 斐 慧 二
(英語学)
0.はじめに
本稿では拙論(1989)に於いて触れることのできなかった係助詞「しか」の 接続と共起関係をめぐる興味深い現象を幾つか取り上げて分析する。
まず,第1節では,「しか」の接続に関する意味的な制約について考察する。
「しか」は主題助詞である点で対比の「は」と類似性があるが,両者には違い も観察される。ここでは主として「しか」に固有の意味的な特徴がどの様に接 続という現象に反映しているかを見てみる。第2節では,前半で,「しか」句 と数量詞との共起制限を,後半で,「しか」句と格助詞「が」との共起制限を 取り上げる。そして,それらが「しか」に特殊な現象ではなく否定文あるいは 比較対照を表わす主題助詞一般に見られるものであることを示す。最後に,第 ロ3節では,いわゆる「が」一異主語願望文(unlike−subject desideratives)に於
ける「しか」句の生起可能性について簡単に論じる。従来の主張に反して,
「しか」句が「が」一異主語願望文の「が」句の後にも生起できることを示す データを提出し,その生起可能な理由について一つの説明を試みる。
1.「しか」の接続に関する意味的制約
拙論(1989)於いて既に指摘したように「しか」は所謂対比の「は」と類似 した機能があり,一見「しか」に特有の現象と見えるものも,実は(「しか」
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を含む)主題助詞に共通の特性であることが多い;例えば,「しか」は,(1)一
(2)に示されているように疑問詞や不定代名詞に付与されないが,(3)から明 らかなように,同じことは「は」についても言える。
(1)a.*誰しか私に会いに来ませんでしたか。
b.*いつしか彼は私に会いに来ませんでしたか。
(2)a.*私は誰かしか愛していない。
b.*私はいつかしか彼に会いに行けない。
(3)a.*誰は私に会いに来ましたか。
b.*誰かは彼を愛している。
(1)一(3)が非文であるのは,談話の主題を表わし得るものにしか付与されな い「しか」や「は」がその能力のない疑問詞や不定代名詞に付与されているか
らである。
このように「しか」は対比の「は」と共通の特徴を有するけれども,次の文 に見られるように,両者は意味機能的に同じというわけではない。
(4)a.大勢の人はパーティーに来ましたが,面白い人は一人もいませんで した。
b.*大勢の人しかパーティーに来ませんでした。
c.少数の人は土産物を持って来ましたよ。
d.少数の人しか来ませんでしたが,面白い人が多かったですよ。
(4)から分かるように,対比の「は」は「大勢の人」にも「少数の人」にも付 与される。他方,「しか」は,「少数の人」には付与され得るが,「大勢の人」
には付与され得ない。これが「しか」に固有の意味特性に由来することは言う までもないであろう。本節では,以下,この「しか」に固有の意味特性が如何 なるものであるかを考察したいと思う。
フランス語で「しか〜ない」に対応する表現はne_queであるが,泉
(1978)はne_queの直後に来る要素について,「しか〜ない」の取扱いにも
係助詞「しか」の接続・共起制限について 105
適用できる,非常に興味深い分析を提案している。次の(5)と(6)を比較してみよう。
(5)a.*Je n aime que quelqu u江 b. *Il ne va que quelque part
c.*Il n y a que quelque chose dans mon sac.
d.*Je ne lis que tous ces livres dans ma chambre.
e. *Il ne possede que quelque livre,
(6)a.Dans cette piさce, je n ai vu que des livres.
b. Il n y a que des enfants ici.
c. Il n a que des cigarettes blondes.
d.Dans cette piece, je n ai vu que certains livres.
文法的な(6)に於いてはqueの後に生じている要素が意味的にはっきりとあ るカテゴリーの一部を成す可能性のあるもの一たとえば,(6)aでは,「事物」
という集合の一部である「本」,(6)bでは,「人間」という集合の一部であ・
る「子供」といったように一であるに対して,非文法的な(5)の場合にはそう した意味的性質を持っていない。泉は,前者のような意味的な性質を「収敏 的」,後者の場合を「拡散的」と呼び,ne_queのすぐ後に生じる要素はある カテゴリーを成す集合の中での真部分集合となり得る性質を持つ構成要素,即 ち,収敏的な意味を表わし得る構成要素に限られると主張する。ne...queの機 能は文中の構成要素に焦点を当てることであるが,他のものと共にある集合を 成すことのできる「収敏的」な性質のものでなければ,これに焦点を当てて,
他と明確に区別することができない(「拡散的」なものでは焦点を当てように も焦点が定まらない)というわけである。
日本語の「しか〜ない」の働きもne_queと同じように制限・限定にあり,
上で見たun_queの後に生じる要素に関する泉の説明は「しか」の場合にも 有効であるように思われる』「少数の人」は意味的にある集合の一部という解 釈を受け易いのに対して,「大勢の人」はそうした解釈を受けにくい。つまり,
106 許斐 慧 二
前者は「収敏的」であるが,後者は「拡散的」であると言える。それが,(4)
に見られる文法性の違いの原因であろう。
しかし,ここで注意すべきは,「しか」の付与される要素は,それの表わす 語彙的意味に於いてだけでなく,それが用いられるコンテクストに於いても,
ある集合の真部分集合を成し得るものでなければならないということである。
次の文を見てみよう。
(7)a.*太郎の趣味はテニスでしかない。
b.*それは太郎でしかなかった。
c.*東京に行ったのは太郎でしかない。
(8)a.花子は美人でしかない。
b.彼があんなこと言い出すなんて,滑稽でしかない。
c.田中は所詮田舎政治家でしかなかった。
d.田中は日本のニクソンでしかなかった。
(7)と(8)のいずれに於いても「AはBである」の「Bで」に「しか」が付与 されている。しかし,(8)は文法的であるが,(7)は文法的でない。この違い は一体何に起因するのであろうか。
日本語の「AはBである/Bだ」型の構文には(i)A=Bという意味を表わ すものと(ii)BがAの特性を描写するものと2種類ある。(7)は前者のタイプ に,(8)は後者のタイプに属す。(7)と(8)の文法性の対比から分かるように,
「しか」が付与され得るのはBが後者のタイプの解釈を受けることができる場 合に限られる。これは(i)の場合にはA=Bであることから,例えBが語彙的 にはある集合の一部を成しているという解釈が可能であっても,文脈上はそう いった解釈が不可能であるのに対して,(ii)の場合にはBがAに見られる特性 の集合の一部を成す真部分集合であるという解釈が可能であるからであろうと 思われる。例えば,(7)aの「テニス」は語彙的には「スポーッ」という集合 の一部であるが,(7)aの文脈では「テニス」が真部分集合であるような集合 の存在が想定しにくい。それに対して,例えば,(8)aの「美人」は語彙的に
係助詞「しか」の接続・共起制限について 107 も文脈的にも人間の「特徴」の一つを表わしている。
更に,(9)と(10)の文法性の違いに注目されたい。
(9)太郎は大学を辞めるしかなかった。
(10) *蝉の声が聞こえるしかない。
「しか」は動詞の連体形にも付与されると言われるが,(9)と(10)の文法性の 違いから分かるように,これが許されるのは自己制御可能(self−controllable)
な行為を表す動詞の場合に限られる。「辞める」が「聞こえる」と違って自己 制御可能な行為であることは(11)に見られるように命令文で用いられ得ること から明らかである。
(11)大学を辞めなさい。
(12) *聞こえなさい。
一般的に,自己制御可能な行為は同じような種々の行為から成る集合の一部 であり得る。それに対して,自己制御可能でない出来事は意味的にあるカテゴ リーの集合の一部を成す解釈を受けにくい。(9)が文法的なのは「大学を辞め る」という行為が「大学に留まる」などの可能な行為から成る集合の中の一部 を表わし得るからである。これに対して,(10)が非文であるのは「蝉の声が聞 こえる」という出来事が真部分集合であるような集合を想定できないからであ
ろう。
以上から,「しか」の接続に関して次のような意味制約が仮定できるであろう。
(13)「しか」の付与される要素はそれが生じるコンテクストに於いてある集 合の真部分集合となり得る性質を有しているものに限られる。
2.「しか」句の共起関係
本節では,「しか」の共起制限のケースとして,「しか」句と数量詞あるいは
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「が」句との共起に関する制約を取り上げる。では,Kato(1979)が「しか」
句と数量詞との共起に関して提案したQ一変項条件から見ていくことにしよう。
2.1.Kato(1979)は,それまでの他の分析のように「しか」と否定辞を unit predicateとして取り扱うのではなく,これらの要素は別々に基底部で生 成され,幾つかの条件を満足する場合にのみ,適格な組合せとして適正束縛さ れると仮定した。そして,(14)一(15)の対比に基づき,そうした「しか」句と 否定辞の適正束縛規則に対する条件の一つとして(16)に示されたQ一変項条件
(Q−Variable Condition)を提案している:
(14)a.太郎しか花子が3回この本を読んだことを知らない。
b.太郎しか車を何台も持っている人はいない。
(15)a.*太郎しか3回この本を読まなかった。
b.*太郎しか車を何台も持っていない。
(16)Q一変項条件:「しか」句と否定辞はQ−Y−NEGの関係にある。但し,
YはQ一変項である。
Katoの分析に於いては「しか」句は数量詞として取り扱われている。した がって,(16)に見られるQは「しか」句を含めた数量詞を表わす。Q一変項と いう概念の定義は次の通りである。
(17)規則の構造記述に於いて,A−B=A−X−B。但し, XはAあるい はBを含まない。
また,Katoによれば(16)の条件はWilkins(1977)の最大成分分析(Grossest Constituent Analysis)にしたがって解釈されるとのことである:これは,要す るに,同一節に於いて「しか」句とそれに呼応する否定辞との間には数量詞や 否定辞は生じることができないということを意味する。(14)では「しか」句と
「ない」の間に数量詞の「3回」あるいは「何台も」が生じているが,「しか」
句と「ない」は主節に,数量詞は従属節に,それぞれ生じているので(16)の条 件を満たしている。一方,(15)では単一文の中で「しか」句と「ない」の間に
係助詞「しか」の接続・共起制限について 109 数量詞が介在しているので,(16)の条件に違反している。このようにして(14)
と(15)の文法性の違いが説明される。
また,Katoの分析では,前述のように,「しか」句は数量詞の一つであるの で,Q一変項条件は(18)のように「しか」句が単一節の中に過剰生成されるの を防ぐことができる:
(18)*太郎しかその本しか読まなかった。
このようにQ一変項条件は一見適切な解決法であるように見えるのであるが,
細かくデータを調べてみると支持し難いことが分かる。もう一度(15)の例文を
見てみよう。
確かに(15)aの例文は容認し難い。しかし,(15)bの方はそれ程悪くない ように思われる。例えば,次の文は十分に容認可能であろう。
(19)昔は本当の金持ちしか車を2台も持つことはできなかった/持っていな かった。
(15)aの容認可能性の低さも必ずしも「しか〜ない」文に限った問題ではな いように思われる。次の例文を見てみよう。
(20)a.*ジョンはアメリカに行ったことが3回ない。
b.ジョンはアメリカに行ったことが3回ある。
(20)aには「しか」は含まれていないがやはり容認可能性はかなり低い。頻度 を表わす数量詞は(20)bに見られるように肯定文で用いられるのが通例で,
もともと否定文には用いられにくいように思われる。数量詞が否定文で用いら れる場合には,(21)に見られるように,「しか」,「も」などの係助詞を伴うの が普通であろう。
(21)a.ジョンはアメリカに行ったことが3回しかない。
b.ジョンはアメリカにいったことが3回もない。
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しかし,このように頻度を表わす数量詞が否定文で用いられにくいと言って も全く不可という訳ではない。例えば,次の文は容認可能度が高い。
(22)(全員教科書を3回以上読むように言われたが)太郎は3回読まなかっ たので大いに叱られた。
同じように「しか」句と否定辞の間に数量詞が介在していても適当なコンテ クストが与えられれば差し支えない。次の文を見られたい。
(23)(全員テキストを3回読んで来るように言われていたのに)太郎しかテ キストを3回読んで来なかった。
(23)では「しか」句が係助詞を伴わない数量詞と共起しているが,括弧内に示 されたようなコンテクストが存在すれば,この文は十分に容認可能であろう。
こうした「しか」句と数量詞の共起制限に関する事実はKuno(1977)が英 語の否定文に関して提案した語用論制約によって説明できるかも知れない3
(24)否定文に関する語用論制約:否定文は(i)それに対応する肯定陳述が 真である可能性が想定されている場合か,あるいは,(ii)否定の対象 である集合の補集合が語用論的に有意味な集合を構成する場合にのみ 用いられる。
次の文を見てみよう。
(25)a.Mary is 41 years old.
b.Mary is not 41 years old.
(26)a.Mary is 5 feet 5 inches tall.
b.Mary is not 5 feet 5 inches tall.
(27)a.Is Mary 41 years old?
b.Is Mary 5 feet 5 inches tall?
(28)Mary is not 41 years old, and therefore, she doesn t qualify for the
係助詞「しか」の接続・共起制限について 111 fellowship.(N. B. The fellowship program under discussion requires that the apPlicants be 41 years of age or older.)
Kunoは(25)bと(26)bは適当なコンテクストがなければ容認されないが,
(27)a,bの疑問文に対する答としては容認可能であり,また,41才以下の人 が有意味な集合を構成する(例えば,(28)のような)コンテクストでなら容認可 能であることを指摘している。そして,(25)bが単独では容認されないのは,
コンテクストなしにはメアリーが41才である可能性が想定されていると考えら れないからであり,また,41才でない人が語用論的に有意味な集合を構成しな いからであると主張している。
では,日本語の例がどのように(24)の制約によって説明されるかを見てみよ う。(20)aは,単独では,この文に対応する肯定陳述が真である可能性(つま り,「ジョンはアメリカに行ったことが3回あるかも知れない」ということ)
が想定されていると考え難いし,また,アメリカに行った回数が3でない人達 が語用論的に有意味な集合を形成する場面も想定し難い。次に,(22),(23)は,
対応する肯定陳述が真である可能性があったことがコンテクストによって示さ れている。したがって,これらの文は(24)に違反しておらず容認可能である。
最後に,(21)のように係助詞の付与された数量詞を含む否定文の場合に(24)が そのまま適用可能かどうかはっきりしない。しかし,この種の否定文はその数 量詞が表わす数以上のものから成る特定有限数の集合に対して肯定陳述が成り 立つ可能性があることを前提として用いられるように思われる。例えば,(21)
aでは「ジョンがアメリカに行ったことが3回以上ある」可能性が前提として 存在する。(21)が(22),(23)のようにコンテクストを明示しなくても許容され やすいのはそのためであろう。
以上から明らかなように,一般的に同一節に於いて「しか」句とそれに呼応 する否定辞との間に数量詞が生じ難いのは事実だが,それは「しか〜ない」文 が否定文であるという理由によるのであって,「しか」に固有の特徴とは言え
ない。
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2.2.次に「しか」句と格助詞「が」の付与された句との間に見られる共起 制限を考察する。次の文を見てみよう。
(29)a.?*太郎が日本語しか話せない。
b.?*ジョンが英語しかできない。
c.??君がこの本しか読んではいけない。
(29)の各文では「しか」句が「が」句と共起しているが,いずれも非文である。
このことから,「しか」句は「が」句とは共起できないと考える向きもあるか も知れない。しかし,これらが非文であるのは単にそうした理由によるのでは ない。次に示す(30)一(31)でも両者は共起しているが,これらの文はいずれも 文法的である。
(30)a.大勢の人が英語しか話せない。
b.大勢の人が母国語しか知らない。
c.多くのアメリカ人が英語しか知らない。
(31)a.この会社は女子社員がスカートしか着用できません。
b.この店では客がアルコールしか飲めません。
では,(29)と(30)一(31)の違いを生じさせているのは何であろうか。(29)に
於いて主語の名詞句に付加された「が」の機能はいわゆる総記である。一方,(30)では主語の名詞句が「大勢の」,「多くの」という数量詞を含んでおり,
「が」の機能は総記ではなく叙述である。(31)も同様である。以上から「し か」句の生起に関して(32)に示す制約を仮定することができるかも知れない。
(32)「しか」句は「総記」の「が」の付加された句と共起することができな いo
しかし,こうした現象は,実は,「しか」だけに限られるものではなく,同 じことは他の主題助詞,即ち,「は」や「も」についても言えるのである(但 し,比較対照を表わし得る対比の「は」と「も」のみで,いわゆる主題の「は」
係助詞「しか」の接続・共起制限について 113 は除く。その理由は後で明らかになる)。次の文では対比の「は」,「も」が総 記の「が」と共起しているが,「しか」の場合と同じようにやはり容認可能性
が低い。
(33)a.??君がこの本は読んではいけない。
b.??君がこの本も読んではいけない。
(29)と(33)が非文であるという事実は対比の「は」や「も」が付加された句 は総記の「が」の付加された句と生起してはならないということを示している。
何故このようにこれらの主題助詞と総記の「が」とは折り合いが悪いのであろ
うか。
久野(1973)は「総記の意味にしかとれない「が」が文中に現れると,その
「が」が優先され,他のいかなる構成要素も総記の解釈をうけられない」とい う規則があることを指摘している:例えば,(34)aでは,述部が「学校に行く」
という習慣的な行動を表わすので,(34)bのように,別の名詞句にも総記の意 味の強勢を置くと,非文が生じる。
(34)a.太郎が毎日学校に行く。
ノ
b.*太郎が毎日学校に行く。
(29)と(33)においても恐らくこれと類似した規則が働いているのであろう。
対比の「は」,「しか」,「も」には特定有限数のものの中からある要素を取り立 て,それを他と比較対照する働きがあるために,どうしても発声上強勢を受け 易い(それに対して,主題の「は」は不特定多数のものの中からの絶対的な取 立てであるので比較対照の意味は余り強くなく,無強勢である)。したがって,
それが総記の「が」が担う排他的強調のための強勢と衝突し合って非文を生じ させてしまうのであろうと思われる。
ちなみに,(29)の例文の「しか」句を文頭に出すと容認可能度が高くなる。
(35)a.日本語しか太郎が話せない。
114 許斐 慧 二 b.英語しかジョンがしゃべれない。
c.この本しか君が読んではいけない。
これらの文の「が」は総記としての読みを持たない。この場合には,「しか」
句が文頭にあることからそれが優先的に総記と同じ解釈を受けることになる。
その結果,後続の「が」は総記の解釈が受けられなくなり,叙述の解釈が生じ
るのであろう。
3.「が」一異主語願望文と「しか」句
日本語には次に示すように二つの異なるタイプの異主語願望文(unlike−sub−
ject desideratives:以下, USDと略称する)が存在する。(36)aは「に」
−USD,(36)bは「が」−USDと呼ばれる。
(36)a.私は太郎に行って欲しかった。
b.私は太郎が行って欲しかった。
Harada(1977)が指摘しているように,この二つの構文は完全に同義という わけではなく,選択制限に違いがあって,(36)aのタイプでは,埋め込み文が 自己制御可能な行為(self−controllable action)を表わさなければならないが,
(36)bのタイプにはそのような制約がない。次の(37),(38)を参照されたい。
(37)a.*私は雨に降って欲しい。
b.私は雨が降って欲しい。
(38)a.*私は太郎に気絶して欲しい。
b.私は太郎が気絶して欲しい。
さて,「が」−USDの表層の句構造に関しては二つの異なる考え方がある。
第一の説では,この構文の「AがB一て」(例えば,(37)bでは「雨が降って」)
という連鎖は表層構造に於いてもSという構成要素を構成していると考えられ
係助詞「しか」の接続・共起制限について 115
ており,「が」は主格の「が」と見なされている。それに対して,第二の説で は,「がゴUSDは単純節を成していると考えられており,「が」句は,従属節 の主語ではなく,述語繰上げによって形成された主節の複合述語「一て欲しい」の目的語と見なされている。つまり,「が」句は述語の「一て欲しい」が状態を 表わすので目的格の「が」が付与されているというわけである。「に」−USD の派生についても二つの異なる考え方があるが,その考え方の違いが「しか」
句の生起可能性の問題に特に関係することはないので,ここでは立ち入らない
ことにする。
Harada(1977)は,様々な証拠を挙げて,「が」−USDの「が」句が目的語 であることを実証しようとしているが,それに対して,Sagawa(1978)は,
「が」句が従属節の一部である(したがって,補文境界が存在している)とす る説の方が「しか」と否定辞の分布に関する事実とうまく適合すると考えてい るようである。本節では,そうした考えが必ずしも成り立たないことを,彼と 同じように「しか」に関するデータを使って,示したいと思う。
次の文を見てみよう。
(39)a.私はジョンにチョムスキーしか読んで欲しくない。
b.*私はジョンがチョムスキーしか読んで欲しくない。
(39)aは文法的であるが,(39)bは完全に非文とは言えないまでも相当に容認 可能度の低い文である。Sagawaは「しか」と否定辞の分布をコントロールし ている条件には次の二つが含まれていると考えている』 ・
(40)「しか」は「ない」に統御されていなければならないが,「しか」が 「ない」を統御する必要はない。
(41)指定主語条件:次のような構造において(ただし,αは循環節点とす
る),
_X...[α_Y_]_X...
αが指定主語を持っているならば,いかなる規則も,XとYを関係づ
116 許斐 慧 二 けることができない。
(39)aの「に」−USDは,ここでは触れないけれども, USDに関するどの理論 に於いても,表層的には単純構造を成すものと考えられている。したがって,
この文の派生に於いて(40)と(41)に対する違反は生じない。一方,(39)bの文 に於いては,「が」句が従属節の主語の位置に生じているように見えるので,
「が」−USDが表層的に複合構造を成し,「が」句が従属節の主語であると仮 定する立場では,この文を(41)に違反するものとして排除できるが,「が」句
を目的語と見倣す立場では,これをうまく排除することは不可能に見える。
しかし,「が」−USDに「しか」句が生じることが全く不可能というわけで はない。次の文を見てみよう。
(42)a.私は今日は雨が少ししか降って欲しくない。
b.私は息子が九工大にしか受かって欲しくない。
c.私は娘が自分にしか似て欲しくない。
(42)では,「が」句の後に「しか」句が来ているが,いずれも,容認可能であ る。この事実は「が」−USDの「が」句が従属節の一部であるとする分析では 説明できない。例えば,(41)の指定主語条件は,これらの文を非文として排除
してしまう。
ここで注意すべきは,(42)の従属節に生じている述語がいずれも自己制御不 可能な出来事を表わしていることである。本節の冒頭で見たように,「に」
−USDにはそもそもこの種の述語は生起できない。何故,従属節の述語が自己 制御不可能な出来事を表わす場合にのみ「が」−USDの「が」句に「しか」句 が後続し得るのか適切な答えは持ち合わせていないが,一つの考え方として,
構文の役割分担を想定することができるかも知れない。
よく知られているように,目的格の「が」の付与された句と述語との距離が 大きく離れると文の容認可能度が低くなる。これは「が」の付与された目的語 が状態を表わす述語にきつく縛られていなければならないことを示していると
係助詞「しか」の接続・共起制限について 117
思われる。一方,「しか」は必ず否定辞と呼応しなければならないので,それ だけ述語との結び付きが強いと言える。したがって,「が」−USDに於いて,「しか」句が「が」句と述語の間に介在すると,「が」句と述語との結び付き が弱くなってしまうであろう。そこで,自己制御可能な動作の場合には,そう した問題と無関係な「に」−USDの方だけが用いられ,「が」−USDは自己制 御不可能な出来事の場合にのみ用いられると考えられないであろうか。これが 正しい解決法かどうかは分からないが,しかし,重要なことは少なくともこう した考えを可能にするのは「が」−USDの「が」句を目的語と見倣す立場であ るということである。
4.要約
以上,本稿では,第1節で,「しか」の接続に関する制約について考察した。
「しか」は他の係助詞と同じように談話の主題を表わし得るものに付与される こと,更に,フランス語のne... queと同じように,「しか」の付与される要 素はある集合の中での真部分集合を表わし得るものでなければならないことを 指摘した。第2節では,「しか」句の共起関係を考察した。前半では,単一節 に於いて「しか」句と数量詞とは共起し難いが,それは「しか」と否定辞の生 起にのみ関わるものではなく否定文一般に関係したものであると考えられるこ とを指摘した。後半では,「しか」句と総記の「が」との共起関係を取り上げ,
「しか」句は総記の「が」と共起しにくいが,これは対比の「は」や「も」な ど他の主題助詞についても言えることで,それらの本務が「比較対照的な要素 の取立て」であるためにそれらが発声の際に強勢を受け易いことに起因してい ることを指摘した。最後に,第3節では,所謂「が」一異主語願望文に於ける
「しか」句の生起可能性について考察した。「が」一異主語願望文では「が」句 の後に「しか」句は生起できないとされていたが,実際には,従属節の述語が 自己制御不可能な出来事を表わす場合には,「しか」句の生起が許されること を指摘し,その理由について構文の役割分担という観点から説明を試みた。し
118 許 斐 慧 二
かし,「が」一異主語願望文には不明な点が多く,更に,データ面でのより詳し い調査が必要である。
註
1.許斐(1989),特にpp 383−385を参照。
2.(5)でne_queの後に生じている要素はいずれも主題を表わすことのできないも
のばかりであり,これらの文の非文法性についてはひょっとすると泉とは違った観 点からの説明が可能かもしれない。
3.Kato(1979)は「しか」と否定辞の適正束縛の規則が満足しなければならない条
件として,(16)の他に(i)(ii)を提案している。
(i)「しか」は否定辞に統御されていなければならないが,否定辞を統御する必 要はない。
(ii)表層の補文主語の名詞句は束縛規則に関してその統語領域を不透明(opaque)
にする。
これらの条件が「しか」と否定辞の分布に関する事実を適切に説明するものでない ことについては許斐(1989),pp 370−376,特にp376を参照されたい。
4.Wilkins(1977), pp 34−5を参照。
5.許斐(1989)は(18)のような非文の派生を阻止するために次のような条件
(Oyakawa(1975)に負うている)を提案している。
(i)単純節に「しか」が2以上あってはならない。
(i)はアド・ホックな解決法のように見えるが,Q一変項条件は本文で示すように 支持できないので,ほかによりよい代案が見つかるまではこれを保持しておきたい。
6.Kuno(1977),特にp105を参照されたい。
7.久野(1973),pp 36−47,特にpp 37−8を参照。
8.Sagawa(1978)では[しか一ない]が文の焦点となる要素に「しか一ない」一付与と呼 ばれる規則によって付与され,その後「ない」が「ない」一移動によって適当な動 詞に移される。(40),(41)は「ない」一移動に対して課された条件である。Sagawa のように[しか一ない]を1mit predicateと見倣す分析の問題点についてはKato (1979),pp 95−96を参照されたい。
参 考 文 献
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