可能を表す“能”と“会”と共起可能な動詞句の相違について
――インフォーマント調査とコーパスの用例から 渡邊 奈津子
目次 0.はじめに
1.先行研究で行われている指摘と問題点
1.1“能”と“会”の差について言及している先行研究
1.2 先行研究のまとめ 2.インフォーマント調査
2.1 作例に対するインフォーマント調査の結果 2.2 インフォーマント調査のまとめ
渡边 奈津子
汉语助动词“能”与“会”表示“可能”时,有时可出现在同一个动词词组前。
本论文将阐明的是下面几点 :
1 “能”与“会”均可使用时两者的微妙差别 2 什么样的动词词组前“能”与“会”均可使用
3 什么样的动词词组前只能使用“能”与“会”中的一个
首先,“会”表示的意思是通过训练可以做好。值得通过训练做好的动作,即做好那个动 作在一般的价值基准上具有益处,其益处越明显,越易与“会”共现。“会”的主体包含+
[生命]的特点。
其次,“能”表示的意思是因主体具备某种“能力”而可以做好。这一能力不一定是训练 的结果,可以是因为本来的能力高而做好,也可以是“能说外国话”之类,通过训练做好的。
实现目标所需的训练项目不明确,与主体的综合能力有关的动作也可使用“能”。
此外,先行研究指出“会”不能跟状语一起使用,即一般不说“他会流利地说汉语”。可 是我们发现“会”可以跟表示时间和地点的状语一起使用。
我们认为,“他会流利地说汉语”不说的原因与“会”的意思有很大的关系,即“会”不 能表示做好的程度。
但是与不说,“他会流利地说汉语”形成对照,“会说一口流利的英语”和“会叽哩咕噜 说洋文”却十分自然。明确表示程度的说法和 “会”的使用之间有什么样的关系是今后要 回答的问题。
可与表示可能的“能”与“会”共现的动词词组的差异
――从对母语说话人的调查和语料库的例句出发
0.はじめに
中国語の可能を表す助動詞である“能”と“会”は、
「〜できる」という意味を表す場合、同じ動詞句に対 して使えることがあるⅰ。
(1)他会说汉语。 (2)他能说汉语。
“会”は「(技能を持っていて)〜できる」という意 味を表し、“能”は「(能力を持っていて)〜できる」
という意味を表し、例文(1)、(2)は「彼は(技能、
または能力を持っていて)中国語を話すことができ る。」という意味を表す。
(1)、(2)のように、同じ動詞句に対して“能”と
“会”がともに使える場合のニュアンスの差について は、“能”(あるいは“会”)を用いた方が能力の程度 が高い、など先行研究で指摘されているが、いまだ意 見の一致をみていない。
以下、1.では先行研究で指摘されている「〜でき る」という意味を表す場合の“能”と“会”の差異を 整理し、残された問題点を指摘する。先行研究での 指摘と問題点を踏まえた上で、どのような動作だと
“能”、または“会”と共起するのか調査を行い、2.
ではインフォーマント調査の結果について、3.では コーパス調査の結果について詳細に述べる。
インフォーマント調査では、71の動詞句について、
それぞれ“能”、“会”と共起できるかどうか、5人の インフォーマントに文の自然度をチェックしてもらい、
そこからどのような傾向がみられるか検討する。コー
パスの用例のほかに、作例を対象として調査を行う理 由としては、コーパスの用例のみでは、日本語では技 能・能力と捉えられるが中国語では必ずしも助動詞を 使わない場合や、コーパスには用例がないが可能を表 す助動詞と共起できる動詞句などを探るのに不十分だ と考えたためである。
また、この調査結果を踏まえたうえでコーパスⅱの 実際の用例をもとに、“能”、“会”の使用状況について、
どのような特徴がみられるか観察し、「〜できる」と いう意味を表す場合の“能”と“会”の用法の差につ いて考察する。
1.先行研究で行われている指摘と問題点 1.1“能”と“会”の差について言及して
いる先行研究
黄1995では、“会”は「ことがらがごく自然に成立 する」ことを表すといい、動物の持つある種の性質や、
母語のように、誰に教えられるともなく自然に習得さ れ、特別な努力なしにできる動作に“会”が使われる ことを指摘し、次のような例を挙げている。
(3)张三是四川人,{ 会/ ?? 能 } 说四川话。
(張三は四川人だから四川語が話せる)
(4)老鼠生来 { 会/ ?? 能 } 打洞。 (ネズミは生ま れながらにして穴を掘ることができる)
“能”の意味については、「達成」つまり「状況が〜
というレベルにまで達する」という点が重要だといい、
数量を伴う用例を挙げて、主体の能力や性能が一定の レベルに達していることを表す、と説明している。
相原1997では、まず“会”はカタチの裏付けを伴 うしぐさ・動きの習得に用いられ、習得以前と以後が はっきり区別できる必要があるという。技能の習得レ ベルが高くなくても“会”を使うことはでき、「長け ている」意味の“会”はしばしば程度副詞を伴い、很 会~ の ~ に入る動詞は、誰もが日常的にやって いるものが入る。またこの誰もがやる部類と典型的な 2.3 考察
3.コーパス調査
3.1 能 と 会 どちらとも共起する動詞 3.2 その他の用例
3.3 考察
4.まとめと今後の研究課題
技能ははっきりと分かれているわけではない、という 点も指摘している。
“能”については、どれぐらいできるかという到達 度が問われるときに用いられるという。「中国語を教 えることができる」のような場合は、個別技能の総合 と考えられ、これも一種の「到達度」であるという。
また、“会”と“能”の使い分けについては、長 けていることを表す場合、“会”は技能、テクニック、
コツを強調、“能”は身体的能力、量をこなせること を強調する、という。
荒川2003では、“会”は「習得して、習い覚えてで きる」ということで、一般に何かの技能ができるかど うかは“会”の領域であるが、その中身に入ると“能”
を用いる、としている。また、“会”には「〜するの がうまい」という意味もあるが、動詞によっては否定 形の場合は「〜するのがうまい」の否定で「下手であ る」と言っているのか、「習得して、習い覚えてできる」
の否定で「できない」と言っているのかわからないこ とがある、としている。
鲁2004によると、“会”が表すことができるのは「仕 手がある種の技能を備えている」ことで、“能”は各 種の「能力」や、「技能・能力の回復」、「技能・能力 の到達程度」を表すことができるため、“能”の方が 使用範囲が広い。先行研究でも“能”が使えて“会”
が使えない場合というのは指摘されているが、逆に
“会”が使えて“能”が使えない場合というのは明ら かになっていない、として以下の指摘を行っている。
まず技能を表す場合の“会”を「蓋然的技能」ⅲと「必 然的技能」に分けている。その上で、対比項の種類の 違いから、「蓋然的技能」をAグループの「対比範囲 が人類であるもの」、Bグループの「対比範囲に動物 を含み、人と動物の対比、動物同士の対比をするもの」、
Cグループの「子供の成長の段階を含むもの」、の3 つに分類している。このうち、B、Cグループは“能”
に置き換えることができるが、Aグループは“能”に 置き換えるには厳しい制約がある、としている。具体 的には、前後の文脈や動詞の意味から技能であること がはっきりとわかり、“能”に換えても、「条件可能」
や「禁止」の意味に取られる可能性のない場合は、“会”
だけでなく“能”を用いることも可能であるといい、
以下のような例を挙げている。
(5)她没有唱,她不 { 会/ * 能 } 唱歌。
(彼女は歌わなかったが、歌えなかったのだⅳ。)
(6)外国老板看中了这位小姐的一个优点 : { 会/
能 } 说一口流利的英语。 (外国人の店主はこ の若い女性の1つの長所を気に行った:流暢な 英語を話せることである。)
片桐2006では、程度副詞と共起する場合の“能”
と“会”の意味の差に注目し、“会”の場合は「質」
の高さ、“能”の場合は「量」の多さを表す傾向にあ るという。また、程度副詞を伴わない場合については、
統語的な観点から、“能”は連用修飾語、補語、重ね 型、数量表現と共起できるのに対し、“会”はできない、
と指摘し、以下の例を挙げている。
(7)他 { 能/ * 会 } 流利地说汉语。
(彼は流暢に中国語を話せる。)
(8)他 { 能/ * 会 } 听懂两种方言。
(彼は2つの方言を聞きとれる。)
(9)你 { 能/ * 会 } 解释解释这些句子吗?
(あなたはこれらの文を説明できますか?)
(10)他一小时 { 能/ * 会 } 打 2000 字。
(彼は1時間に2000字打てる。)
1.2 先行研究のまとめ
まず、先行研究で指摘されている点をまとめると以 下のようになる。
・“会”には技能を表す場合と長けていることを表 す場合とがある。どちらの場合なのか動詞によっ てある程度区別がつくが、仕手を誰と想定してい るか(大人か子供か、またその能力を皆が備えて いる環境かどうか)など、同じ動詞でも場合によっ て判断の変わることもあり、「うまい」という意
味を持つかどうかは発話された状況も関わってい る(相原1997、荒川2003、鲁2004など)
・“能”は技能・性能が一定のレベルに到達して いることを表す場合に用いることができる(黄 1995、相原1997、荒川2003など)
・“会”が程度副詞を伴う場合は「質」の高さを、“能”
の場合は「量」の多さを述べる(相原1997、荒 川2003、片桐2006など)
・前後の文脈や動詞の意味から技能であることが はっきりとわかり、“能”を用いても、「条件可能」
や「禁止」の意味に取られる可能性のない場合は、
「技能・能力」を表すのに“会”だけでなく“能”
を用いることも可能である(鲁2004)
以上の点は、本論文でも支持する点である。また、
依然として残る問題としては、次の2点が挙げられる。
・「技能・能力」を表すのに、“能”と“会”とがと もに使えることがあるが、その場合どのような ニュアンスの差があるのか(もしくはないのか)。
先行研究では、誰でもが一般的に行う動作につい て“能”と“会”を用いる場合の意味の差につい ては述べられているが、それ以外の一般的な技能 の場合については、“能”を使った方がレベルが 高く感じる、という指摘もあれば、“会”の方が レベルが高く感じる、という指摘もあり、いまだ 意見の一致を見ていない。
・どのような動作が、「技能・能力」と見なされ、
またそれらが「技能・能力」を表す際に“能”と
“会”どちらの助動詞と共起する傾向にあるのか、
はっきりした基準は示されていない。
以下、インフォーマント調査とコーパス調査を通し て、上記2つの問題点について検討を行う。
2.インフォーマント調査
今回の調査では、5人のインフォーマントに対し、
71種類の動詞句について、“能”、“会”と共起できる
かどうかという問いかけをした。インフォーマントの 情報は以下の通りである。
インフォーマントA 性別:女 出身地:吉林 年齢:30代半ば
インフォーマントB 性別:男 出身地:北京 年齢:30代半ば
インフォーマントC 性別:男 出身地:北京 年齢:60代前半
インフォーマントD 性別:男 出身地:上海 年齢:20代後半
インフォーマントE 性別:男 出身地:上海 年齢:60代前半
調査は書面によって行い、また、“能”の場合は「(条 件が備わっていて)〜できる」という意味を表すこと もあり、その用法との混同を避けるため、インフォー マントには 他有什么{本领/本事/专长}? (彼 にはどんな{技量/能力/特技}がありますか?)と いう問いかけに対する答えとして、他{会/能}~。
(彼は〜ができます。)という形で用いることができ るかどうか、という観点から例文の判断をしてもらっ た。71種類の動詞句は、先行研究で、「(能力、ある いは技能を持っていて)〜できる」という意味の“能”
と“会”の両方と共起できる例として検討の対象になっ ていた動詞句のほか、どちらの助動詞を使用するかと いう判定の難しそうなものや、技能の範疇に入るかど うか、判断しにくいものを任意に選んで追加した。調 査の目的としては、どのような動詞句が“能”または
“会”と共起できるのか調べることで、「技能・能力」
と認められるのはどういう動詞句かという点を探るこ と、また「うまい」「量が多い」など、特別な意味を 持つ動詞句があるか、ある場合はどのような動詞句か、
という点を確認することである。
2.1 作例に対するインフォーマント調査 の結果
ここでは、インフォーマント調査の結果を表にして 示す。動詞句の左の欄の数字は、“能”、“会”と共起 するかどうかという点に対して、5人のインフォーマ ントから「言える」という判断の出た数を表してい るⅴ。また動詞句の右の①〜③の数字は、以下の意味 を表している。
①“能”と共起したときに「量が多い」「頻度が高い」
「時間が長い」など、数量の面で多いという意味 を持つことがある
②“会”と共起したときに「上手い」という意味を 持つことがある
③“能”と共起したときに「上手い」という意味を 持つことがある
能4/会2 跪着坐(正座する) ①
上のような表記であれば、 他有什么{本领/本事
/专长}? の答えとして、 他能跪着坐。 と言える としたインフォーマントが4人、 他会跪着坐。 と言 えるとしたインフォーマントが2人、また“能”と共 起したときに、この動詞句の場合は「時間が長い」と いう意味を持つことがある、という見方になる。
以下、調査結果の表は、“能”と共起するという回 答の多かった動詞句、“能”、“会”と共起するという 回答が同じくらいだった動詞句、“会”と共起すると いう回答の多かった動詞句、“能”、“会”と共起する という回答が少なかった動詞句、の順番で並んでいる。
“能”とは共起する動詞 能5/会1 看中文书(中国語の本を読む)
顶着盘子走路(皿を頭に乗せて歩く)
能4/会0 放开手骑自行车(手を放して自転車に乗る)
能5/会2 养家(家族を養う)
撒把骑车(手を放して自転車に乗る)
能5/会3 指导学生(学生を指導する) ② 能4/会2 跪着坐(正座する) ①
“能”、“会”両方と共起する動詞 能5/会5 说英语(英語を話す)
唱中国歌(中国語の歌を歌う)
打字(文字をうつ)
写小说(小説を書く)
编剧(シナリオを書く)
开车(車を運転する)
喝酒(酒を飲む) ①
吃(食べる) ①②
挣钱(金を稼ぐ) ①②
骑马(馬に乗る) ②
倒立(倒立する) ③
能5/会4 教课(授業をする)
教汉语(中国語を教える) ②
看病(診察する) ②
能4/会5 游泳(泳ぐ)
唱京剧(京劇を歌う)
弹吉他(ギターを弾く)
画画儿(絵を描く)
画油画(油絵を描く)
照顾孩子(子供の世話をする)
做买卖(商売をする) ②
偷懒(サボる) ②
玩儿(遊ぶ) ①②
拍马屁(おべっかを使う) ①② 修改稿子(原稿を手直しする) ①② 能4/会4 编动画(動画を編集する)
缝合患部(患部を縫合する)
“会”とは共起する動詞 能1/会5 用摄影机(撮影機を使う)
吹口哨儿(口笛を吹く)
用触摸面板(タッチパネルを使う)
切菜(野菜を切る) ②
能2/会5 打针(注射をする)
烫头发(パーマをかける)
用Roomba打扫房间(ルンバで部屋の掃除をする)
用缝纫机缝(ミシンで縫う)
剪头发(髪の毛を切る)
钓鱼(魚を釣る) ①② 买东西(買い物をする) ①②
打扫(掃除する) ②
讨价还价(値段をかけ合う) ② 能3/会5 滑雪(スキーをする)
生火(火を起こす)
抽烟(煙草を吸う)
唱歌(歌を歌う)
写字(字を書く)
射箭(矢を射る) ②
哄孩子(子供をあやす) ② 做菜(料理をつくる) ② 管家(家の切り盛りをする) ② 整理东西(荷物を整理する) ② 打扮(身づくろいをする) ①② 奉承人(おべっかをつかう) ①② 说话(話をする) ①② 能2/会4 做美甲(ネイルアートをする)
点茶(お茶をたてる)
逮知了(セミをつかまえる) ②③ 能3/会4 攥寿司(寿司をにぎる)
どちらともあまり共起しない動詞 能3/会1 看书(本を読む)
能2/会0 看老舍(老舎を読む)
看漫画(マンガを読む)
能0/会2 用掸子打扫(ハタキで掃除をする)
表扬人(人をほめる) ② 能1/会3 扒窃(掏る) ② 能2/会3 卷身上杆(逆上がりをする)
2.2 インフォーマント調査のまとめ
71の動詞句に対する調査では、インフォーマント の意見が一致した動詞句、各人によって意見が分かれ た動詞句が存在する。以下、順に観察する。
まず、“能”とは共起する、という点で複数のイン フォーマントの意見が一致した動詞句を見ると、 撒 把骑车(自転車の手放し運転をする)、 顶着盘子走 路(頭に皿を乗せて歩く) など特に専用の訓練を経 たわけではないがその動作を行う能力(身体能力な ど)を備えているという場合と、养家(家族を養う)
のようにその動作の実現に複合的な要素が関わってい るものが多い。
次に“会”とは共起する、という意見で複数のイン フォーマントの意見が一致した動詞句を見ると、身体 能力よりも、 剪头发(髪を切る)、 打针(注射をす
る)、 用Roomba打扫房间(ルンバで部屋を掃除す
る) など、その動作を実現するのに、やり方を理解し、
要領をつかむことが動作の実現に関わっており、この タイプの動詞句が多くを占める。撮影機やタッチパネ ルの操作など、機械の操作はこちらに入る。
“能”、“会”両方と「〜できる」という意味で共起 するという意見で複数のインフォーマントの意見が一 致した動詞句を見ると、 说英语(英語を話す)、 唱 中国歌(中国語の歌を歌う)、写小说(小説を書く)、
编剧(シナリオを書く)、开车(車を運転する)、缝 合患部(患部を縫合する)、 画画儿(絵を描く) な どがあり、外国語を使う系統の動詞句や医療措置の動
詞句、創作をする系統の動詞句などがある。先行研究 では、外国語を話す技能は場合によって、“能”(また は“会”)を使う方がレベルが高く感じる、というよ うな指摘もあったが、今回の調査ではそのような差異 は見られなかった。
またこの中で、 缝合患部 は、 打针 が共起する 助動詞に“会”を選ぶのと異なり“能”と“会”どち らとも共起できるという意見が多かったが、その理由 として、“能”に「(条件を備えていて)〜できる」と いう意味があることが考えられる。 他能打针。 と いった場合、「彼は注射をする技術・能力を備えていて、
病人に注射を施せる」というより、「彼は体力などの 面から注射を施しても大丈夫だ(「彼」は注射される 対象)」という解釈がまず思い浮かぶ、という意見が あった。先行研究では否定形の場合を例にとり、 不 能 を使うと禁止の意味に取られる可能性のある場合 は、「〜できない」ということを言うためには 不会 の方を使うとして、“能”と“会”の使用条件が指摘 されているが、この 打针 と 缝合患部 という2 つの動詞に対するインフォーマントの判断にも同様の 考え方が現れていると思われる。
判定の割れた例としては、 撒把骑车 、 顶着盘子 走路 がある。この2つは先に“能”とは共起する という動詞句としても取り上げたが、“会”と共起す るという意見も少数ながら存在した。“能”との共起 は5人が認めたが、“会”と共起するという意見は前 者が2人、後者が1人からのみ得られた。両方の助動 詞と共起すると判定したインフォーマントによれば、
ニュアンスの差はあまり感じられないが、強いて言え ば“会”は「習得してできるようになる」というニュ アンスが強く、“能”は「習得」というより、単に「で きるかできないか」という意味だけを表す感じがする、
という。
また“会”とは共起できないと判断したインフォー マントによると、 撒把骑车 や 顶着盘子走路 は 単にバランス感覚などの身体能力にのみ関わっている ように解釈されてしまい、技能として捉えにくいが、
顶大缸(大きな缶を担ぐ) のような雑技の技名ら
しい表現にすれば許容度が上がる、という意見があっ た。おそらく、 顶着盘子走路 という表現では、ど ういう目的でそのような動作をするのかが分かりにく く、技能とは捉えにくいということであろう。 顶着 盘子走路 も 顶大缸 も、身体の上に物を乗せてバ ランスをとるという点は共通しており、動作の内容 だけを見るとさほど差があるようには感じられない。
“会”と共起できるかどうかは、動作の内容だけでな く、表現の仕方も関わっている、と考えられる。
次に、①〜③の“能”あるいは“会”と共起した際 に「数量が多い」「うまい」など特別なニュアンスを 持つことがある動詞句を見る。まず①がついた動詞句 を見ると、 玩儿(遊ぶ)、 吃(食べる)、 打扮(身 づくろいをする) など、先行研究で「誰もが日常的 にこなす」類の動作として挙げられていたものが含ま れ、その他の例も、多くが同じ類に入れることの出来 そうなものである。 钓鱼(魚を釣る) だけが、必ず しも「誰もが日常的にこなす」とは言い切れないが、打 针 などに比べるとそれができる人の人数が多く、相 対的に見ると、技能と「誰もが日常的にこなす」類の 中間に位置すると考えられる。②がついたものを見る と、①と同様に「誰もが日常的にこなす」類の動作が ほとんどだが、特徴的なのは、 扒窃(掏る)、 拍马 屁(おべっかを使う) など、「うまい」ことが一般的 に見てほめ言葉にならないような動作が少なからず含 まれることである。③がついた動詞句は2つだけで 逮 知了(セミをとる) と 倒立(倒立する) だが、こ の2つ間では特に共通した特徴は見つからない。③に 分類されるような例をさらに収集する必要がある。
最後にインフォーマント間の差異についてだが、
“能”あるいは“会”と共起できると判定した動詞句 の数において、インフォーマントの間で若干の差が あった。
インフォーマントAは“会”と共起できるとした ものが53種類、“能”と共起できるとしたものが60 種類で、インフォーマントCは“会”と共起できる としたものが67種類、“能”と共起できるとしたもの が58種類であり、ほかの3人に比べると、“能”また
は“会”と共起できると判定した動詞句の許容範囲が 比較的広かった。ほかは、インフォーマントBは“会”
は56 種類、“能”は38種類、インフォーマントDは
“会”は59 種類、“能”は41種類、インフォーマン トEは“会”は60 種類、“能”は43種類の動詞句に ついて共起可能の判定をした。このようなインフォー マントによる若干の許容範囲の差は見られたものの、
年代や地域による顕著な使用傾向の差というものは今 回の調査では特に認められなかった。
2.3 考察
インフォーマント調査の結果から言える、“能”と
“会”それぞれの特徴をまとめると以下のようになる。
「能力・技能」をもっていて「〜できる」ことを表す 場合の“能”は、身体能力などの、もともと備えてい る能力や、 养家 のような複合的な動作で、意識的 な習得過程があるわけではない能力などに用い、「(訓 練の結果かどうかという前提はなく、)単に本人の能 力としてできるかできないかだけを述べている」とい う場合に用いることが多い、と言える。 会 は、機械 の操作や 打针 など、やり方を理解し、要領をつか むことが動作の実現に関わるタイプの動詞句と共起し、
「訓練を経た結果としてその動作ができる」という場 合に用いる、と言える。外国語を話すことや治療行為、
創作活動などは、習得過程が意識される一方で、その 人が持っている能力という理解もできるため、“能”
と“会”両方と共起する可能性があると考えられる。
また、 顶着盘子走路 のように、その動作を行う 意義が分かりにくい動詞の場合は、「外国語を話す」
のような、一般的にその動作ができることの有用性を 認められている動作とは異なり、その動作をわざわざ 訓練する意味が感じられないとして、インフォーマン トによっては「身体能力など、もともと持っている能 力で単に実行できる」という意味しか認めない場合が ある。“会”を使うには、 顶着盘子走路 のようにそ の動作をどのように行うかという具体的な動作の描写 をするのではなく、 顶大缸 のようにその動作が技
能として価値があるということがわかるような表現の 仕方が必要になる。
3.コーパス調査
ここでは、2.で行ったインフォーマント調査の結 果を踏まえて、コーパスの用例を観察する。コーパス に含まれる作品は1950年代以降に書かれ、発表され た小説と散文であり、約5,000,000字である。コーパ スに含まれる作品名及び作者名は全て巻末の用例出典 に挙げる。以下のコーパスからの用例には関連個所に 線を引き、その後に和訳をつける。和訳は筆者による ものである。
コーパスの用例を観察するに際して、以下の点に留 意した。
まず、2.で「〜できる」という意味の“能”と“会”
どちらとも共起できる、という結果になった動詞句に ついて、コーパスではそれぞれどのような状況下で使 われているのか調べる。これは、「能力・技能」を表 す場合に実際どちらを多く用いるのか、という点を確 認するためである。そのため、“能”と共起した場合 に「量が多い」ことを表す動詞句と“会”と共起した 場合に「うまい」という意味を表す動詞句は、そのよ うな意味を持たない動詞句とは分けて扱う必要がある ため、今回は調査の対象から外したⅵ。
また、その他、“能”と“会”それぞれがどのよう な使用条件があるのか、広くコーパスの用例を観察し、
それぞれの助動詞の用法について考察する。
3.1“能”と“会”どちらとも共起する 動詞
「外国語を話す」能力については、インフォーマン ト調査では“能”と“会”どちらとも共起できる、と いう結果だったが、コーパスの例では“会”を使う例 が19例で、“能”は以下の2例のみだった。以下、コー パスの用例は関連個所に下線を引き、和訳をつける。
“能”を使っている例をみると、(11)は動詞 说
に方向補語 出 がついた例である。先行研究でも指 摘があったが、補語を伴った動詞は「〜できる」とい う意味の場合の“会”とは共起できないという(可能 性を表す“会”にはそのような制約はない)。コーパ スの“会”の用例を見ても、補語を伴う動詞が「〜で きる」という意味の“会”と共起している例は1例も 存在しなかったので、形の上から“能”が選択されて いると考えてよいだろう。例(12)は動詞の形の上で は“会”とも共起できる形だが、“能”が選択されて いる。インフォーマントによれば、例(12)は 她 会说点英语 と置き換えても不自然さは感じられず、
“会”を用いると、「学習の結果として」少しできる ことが読み込まれるが、“能”だと、どのようにして 身につけたか、方法は問わないという傾向があるとい う。意味によって、ここでは“能”の方が選択されて いると思われる。
(11)火把微笑着,把大词典递给天香,你随便翻一页, 随便点一个汉语词汇,我能说出这个词汇的英 语。 (自由にページをめくって、自由に中 国語の単語を選んでくれ。私はその単語の英 語を言うことができる。)刘绍棠《鱼菱风景》
(12)反正她就是这么个人,比如说,她一个人出国,
她能说点英语,能应付一般的交往,她那英语 水平就全凭感觉支撑,她脑子里是一点儿语法 知识也没有的,并且她能发出那音,可绝对不 能拼写……吉虹此刻在想什么? (彼女は英 語が少し話せ、一般的な付き合いなら対応で きる。)刘心武《栖凤楼》
このほか、 写 小 说 は、 写 书 、 写 文 章 な ど、同じ種類の動作を異なる言い方で表した例も含め、
“会”は5例、“能”は2例の用例があった。 唱京剧 は、
“会”の例が3例と、具体的な曲名が入った例が1例、
“能”の方は曲名の入った例のみ2例あった。また 游 泳 、 唱英文歌 、 弹吉他 、 开车 、 编剧本 、 骑 马 に関しては“会”の用例のみ見つけられ、その他
の 编动画 、缝合患部 などに関しては“能”と“会”
どちらの用例もなかった。
インフォーマント調査で“能”と“会”どちらとも 共起する、という結果だった動詞のうち、「外国語を 話す」に関しては、補語や連用修飾語がつかない形で
「技能・能力」を表す場合には、おおむね“会”を用 いる、という結果となり、先行研究の指摘を裏付ける 結果となった。
3.2 その他の用例
片桐2006では、“能”は連用修飾語、補語、重ね型 と共起できるが“会”はできないとして、 他{能/
* 会}流利地说汉语。 という例を挙げているが、場 所や時間などを表す連用修飾語であれば“会”とも共 起する例が見つかった。
(13)类似的话我从不同渠道听过不下一千遍,我起 码有一次到两百次被感动过,这就像一个只会 从空箱子往外掏鸭子的魔术师,你不能回回都 对他表示惊奇。 (それはまさに空の箱からア ヒルをつかみだせるだけ魔術師のようだ。)
王朔《动物凶猛》
(14)我的眼睛不比乌力记差,并不只有乌力记那一 伙人才会在夜里套马。 (烏力記たちだけが 夜に馬をつかまえることができるわけではな い。)张承志《春天》
(15)认真说,她唱歌的技巧并不成熟,但她会唱,
会用情唱。 (彼女は歌える、気持ちを込め て歌える。)苏叔阳《旋转餐厅》
(16)因为他非常不错,又会自己穿衣服,又不爱尿 床,身上总散发着新鲜香甜的奶味。 (彼は 非常に素晴らしく、自分で服を着ることがで きるし、おねしょをしょっちゅうすることも ない。)王朔《看上去很美》
連用修飾語を伴うと“会”と共起できない、という わけではなく、どのような意味かということが関わっ ていると思われる。次の例も合わせて見てみる。
(17) 你随便翻一页,随便点一个汉语词汇,我能说 出这个词汇的英语。”“你跟我回家拜丈人,叫 老丈人当面考你!”天香接过大词典,顺手牵 羊扯住火把的胳臂,“你那个老丈人杨花轱辘,
也会叽哩咕噜说洋文。” (「あなたのあのお父 さんの楊ホアクールーも、むにゃむにゃ英語 をしゃべれるから。」)刘绍棠《鱼菱风景》
例(17)では、 叽哩咕噜 という様態を表す連用 修飾語がついており、どのようにできるのかが示され ているが、“会”が使われている。
どのくらいできるかという到達度を言うときにはふ つう“能”を用いることが先行研究において指摘され ているが、この例はどう解釈したらよいだろうか。ま た、インフォーマントによれば、例(17)は“能”に 置き換えてもさほど意味の差は感じられないという。
また、以下のような無生命の主語の場合は“能”し か用いることができない。
(18)然而“医药只能治病却不能治命”,命中注定,
她已经不久人世了。 (薬は病は治せるが、命 は救えない。)王蒙《淡灰色的眼珠》
例(18)は“会”に置き換えることができない。“能”
は主体の持つ「技能・能力」について述べることがで き、「能力」を備える主体は必ずしも+[生命]でなく ともよい。一方、“会”の主体は+[生命]である必要 がある。
同じ 治 という動詞でも、人が「技能・能力」
の主体であれば、“能”と“会”どちらも使用できる。
例(19)は“能”に置き換え可能である。
(19)有个上海来的知青天天牙痛,听说山上有个寨
子里有个巫医会治牙痛,择日我们一伙人就上 去了,走了几个钟头,大汗淋漓,到了。 (聞 くところによると山の上に集落があって巫術 診療師が歯の痛みを治せるという。)阿城《艺 术与催眠》
3.3 考察
コーパスの用例を見ると、インフォーマント調査で
“能”と“会”どちらとも共起できるという判定だっ た動詞句にも、用例数に差があることが分かった。「外 国語を話す」類は“会”の用例数が大多数を占め、“唱 英文歌”、“游泳”、“弹吉他”、“开车”、“编剧本”、“骑 马”は“会”の用例しかなかった。これらの動詞句は 学習や訓練により身につけることが多く、またうま い・下手という程度差を含むものであるという点で共 通している。インフォーマント調査では“能”とも共 起できるという結果になったが、実際の使用例を見る 限り、“会”は「訓練を経た結果としてその動作がで きる」ということを表す場合に用い、“能”は「どの くらいできるか」という部分に焦点を当てて表現した いときに専ら用いる、という使い分けがされており、
先行研究における指摘を裏付ける結果となった。
また、“* 会流利地说汉语”は非文であるが、場所 や時間などを表す連用修飾語であれば“会”と共起で き、全ての連用修飾語が“会”と共起できないわけで はない。また例(17)の“会叽哩咕噜说洋文。”のよ うに、動作の様態を描写することで、どのくらいでき るのかという程度を言っているともとれる用例も見つ かった。どのような連用修飾語が“会”と共起可能か は、意味が関わっていると思われるが、基準はまだはっ きりとしていない。
次に、“会”の主体は+[生命]の特徴をもつ。これは、
「訓練を経た結果としてその動作ができる」という
“会”の意味と矛盾しない。“能”は主体が持つ能力 を表すが、能力の習得過程は問題にならないので、主 体が無生物であっても構わない。
ところで、2で、同じ動作であっても、言い表し方
によって聞き手の想像する場面が異なり、“能”と“会”
どちらを使うか、という判断にも影響を与えるという 例について触れたが、ここで、もう一度その例を見て みる。
(20)他 { 能/ ?? 会 } 顶着盘子走路。
(頭に皿を乗せて歩く)
(21)他 { 能/会 } 顶大缸。 (大きな缶を担ぐ)
例(20)と(21)は、異なる動詞句だが、動作だけ を見ると身体に物を乗せて落さないようにバランスを とる、という点では共通している。しかし、その表 現の仕方により、共起できる助動詞が異なっている。
(20)は“能”を用いると「頭に皿を乗せて歩くとい う動作をやろうとしたら、身体能力が優れていてでき る。」という場面が想像されるという。
(21)は“顶大缸”が雑技の種目名として解釈でき るため、“能”だけでなく“会”も使用できる。
(20)と(21)の差を考えると、その動作が、習得 する対象として認識されているか、という点で異なる。
雑技の種目であれば、それを練習する人がおり、その 動作ができることの意義も明らかである。一方で、ど んなに高度な身体技術を要する動作でも、それをやる 目的がはっきりしていなければ、わざわざ練習してそ の動作をできるようにする、という場面が考えにくく、
“会”と共起しにくくなる。例(20)で“会”とも共 起できると判断するインフォーマントもいるので、一 般的に「技能・能力」として認められているものから 遠ざかるほど、容認度が低くなる、ということであろう。
4.まとめと今後の研究課題
まず、“会”の表す意味だが、訓練を経てできるよ うになること、また、訓練をして習得する価値のある
動作、つまりその動作ができることによるメリットが 一般的な価値基準に照らしてはっきりしているものほ ど、“会”となじみやすい、ということが言える。また、
“会”の主体は+[生命]の特徴を持つ。
次に“能”の表す意味だが、本人が「能力」を備え ていてできることをあらわし、その能力には必ずしも 訓練を必要とせず、身体能力が高いからできる、とい う場合にも使え、「外国語が話せる」など、訓練の結 果身につけたことにも使える。また、動作の実現のた めに、訓練する項目が明確でなく、本人の総合的な能 力が関わっているような動作にも用いる。
“会”も、場所や時間などを表す連用修飾語などと は共起できる。また“会叽哩咕噜说洋文。”という、
程度ともとれるような連用修飾語を伴う例が存在した。
この例の“会”は“能”に置き換えが可能で、意味に もあまり差が感じられないという。
今後の課題としては、程度を含む場合、どちらの助 動詞が使えるのかという点が残っている。下は全て外 国語を話す例で、それぞれに程度を含んだ表現のよう に見える。
(22){ 能/ * 会 } 流利地说汉语。
(流暢に中国語を話せる。)
(23){ 能/会 } 说一口流利的英语。
(流暢な英語を話せる。)
(24){ 能/会 } 说一点儿英语。
(英語を少し話せる。)
(25){ 能/会 } 叽哩咕噜说洋文。
(むにゃむにゃと外国語を話せる。)
この中で例(22)だけが“能”としか共起できない。
(22)と(23)〜(25)との違いは何なのか、今回は明 らかにできなかった。今後の課題としたい。
脚注
ⅰ “能”と“会”は可能性を表すこともあり、その場合の使用範囲の差についても先行研究において指摘さ れているが、本論文では考察対象を“能”と“会”の可能の意味を表す用法のみに限定する。
ⅱ コーパスの使用については東京外国語大学三宅登之先生の全面的なご助力をいただいた。主に以下の場所 から採集したものであり、約5,000,000字である。
亦凡公益图书馆(http://www.shuku.net/) 中国青少年新世纪读书网(http://www.cnread.net)
コーパスに含まれる作品は1950年代以降に書かれ、発表された小説と散文であり、作品名は用例出典に記 載する。
ⅲ 「蓋然的技能」の定義は「ある範囲内においてその技能を持たない対比項が存在する」とし、「必然的技 能」の定義は「ある範囲内においてその技能を持たない対比項が存在しない」としている。
ⅳ 和訳は筆者による。また例(5)は、“能”を用いると条件的に動作を実現できる・できないを表す「条 件可能」の可能性が生じる。
ⅴ 「“能”と“会”どちらとも共起する」と回答したインフォーマントもいるため、“能”と“会”それぞ れの後の数字は5が最高である。また 放开手骑自行车(手を放して自転車に乗る)」は「“能”とは共 起するが“会”とは共起しない」と答えたインフォーマントが4人、「どちらとも共起しない」と回答し たインフォーマントが1人いたため、 能4/会0 という結果となっている。
ⅵ 「うまい」「量が多い」という意味を表すことのある動詞は、一般的な「技能・能力」ではなく、先行研 究で挙げられている「誰でもこなす類」の動作である。
参考文献
相原茂1997『謎解き中国語文法』講談社
荒川清秀2003『一歩すすんだ中国語文法』大修館書店
片桐光知子2006「“会”と“能”の使い分け―一般的な能力を表す場合を中心に―」『日中言語対照研究論集』
第8号,152-164,白帝社
黄麗華1995「中国語の可能表現「能」「可以」「会」」『日本語研究』15号,78−87,東京都立大学国語学研究室
刘月华等2001『实用现代汉语语法(增订本)』商务印书馆 鲁晓琨2004『现代汉语基本助动词语义研究』中国社会科学出版社 吕叔湘主编1999『现代汉语八百词(增订本)』商务印书馆 彭利贞2007『现代汉语情态研究』中国社会科学出版社 用例出典
今回の用例のうち、2.で挙げた例文は全て先行研究からの引用である。3.のコーパス調査で挙げた例文は 以下のコーパスから収集したものである。
阿城
《灯会》《戒台寺》《良娼》《刘先生》《棋王》《闲话闲说——中国世俗与中国小说》《艺术与催眠》
陈建功
《北京滋味》《沧海月明忆旧时》《“牛”属说牛》《致吾女》《放生》《新世纪能否告别官套话?》《飘逝的花头巾》
《辘轳把儿胡同九号》《前科》《鬈毛》《耍叉》《四合院的悲戚与文学的可能性》《平民北京探访录》《湘西之祭》
《消费六记》《消费再记》《找乐》
邓友梅
《邵氏兄弟》《寻访“画儿韩”》《导访“画儿韩”》《据点——为纪念抗战胜利四十周年而作》
《我们的军长》《那五》《追赶队伍的女兵们》《糖瓜祭灶新年来到》《话说陶然亭》《〈铁笼山〉一曲谢知音》《漫 忆汪曾祺》《再说汪曾祺》《烟壶》
韩少华
《第一个新春》《三重奏》《八角鼓儿》《想到了巴金先生》《生日》《碧桃》《碧云寺》《世纪的低语》《忆厂甸儿》
《赏菊琐记》《刺儿梅》《辞岁》《迎春》《女儿和我》《东单三条三十三号》《喝豆汁儿》《落叶》《花的随笔》《霜 痕漫语》《蝈蝈儿》《手和手》《寒冬,我记忆的摇篮……》《合欢树》《我的那个旧画夹子》《一次难忘的家访》
《菊》《风筝》《敲门》《空床》《也说风景》《第一课》《春的联想》《灯光》《闲话‘遛弯儿’》《炉记》《梅》《记 忆》《暮雪》《记王锡璠先生》《难得一个如意》《鎏金钮子》《无题》《趴地兰》《盼望》《珍珠》《序曲》《晴窗漫
笔》《洁白的起跑线》《雨的精魂》《仁者寿》《圣母颂》《双亭小记》《水仙》《了不了的书缘》《雪趣》《昙花》《伞》
《万春亭远眺》《王府井漫步》《温馨的风》《婚事》《雪白的,雪白的小蝴蝶》《‘杏花村’随想》《真也新鲜》《寻 春篇》《‘熏’了一个透》《勇士 :历史的新时期需要你》《岳父和他的棋友们》
刘恒
《白涡》《黑的血》《狗日的粮食》《贫嘴张大民的幸福生活》
刘绍棠
《“我差点跟一个比我大六岁的女孩子订亲”》《笔耕农》《蛾眉》《二度梅》《鱼菱风景》《孤村》《花街》《黄花 闺女池塘》《京门脸子》《老侠金钟罩》《狼烟》《刘家锅伙》《我的四十婚庆》《蒲柳人家》《水边人的哀乐故事》
《一河二刘》《渔火》《运河的桨声》
刘心武
《五十自戒》《黑墙》《电梯中》《袜子上的鲜花》《抱猫闲话》《话堵话》《行程中的婚礼》《静夜思丝》《立体交 叉桥》《第八棵馒头柳》《逆境与创作》《佩尔森与公主》《栖凤楼》《缺货》《人面鱼》《人情似纸》《人生一瞬(一)》
《神秘的姑娘》《谁做》《灯下拾豆》《黄伞》《自己与别人》
史铁生
《病隙碎笔》《答自己问》《我与地坛》《理想的当代文学批评》《有关庙的回忆》《秋天的怀念》《死国幻记》《务 虚笔记》《写作四谈》《姻缘》
苏叔阳
《五十周年婚礼日》《敝帚自珍与败家子》《爆肚》《北京人》《北京人的“祭灶”》《不恩量,自难忘》《汽车号 码的过失》《电线杆子的喜剧》《傻二舅》《服装 • 体虱 • 人类》
《画框》《居住最高处》《老舍之死》《生死之间》《老少木匠》《旋转餐厅》《榆棠院的罗曼斯》《傻子娶亲》《失 踪的伯乐》《说“韧”及其它》《春天的梦》《小议“潇洒”》《黄昏小夜曲》《我是一个零》《圆明园闲话》
王蒙
《阿咪的故事》《铃的闪》《胡蝶》《初春回旋曲》《风筝飘带》《焰火》《淡灰色的眼珠》《听海》《惶惑》《济南》
《名医梁有志传奇》《选择的历程》《轮下》《我又梦见了你》《难得明白》《夜的眼》《球星奇遇记》《神鸟》《史 琴心》《短篇小说之谜》《夏之波》《十字架上》《虚掩的土屋小院》《冬雨》《冬天的话题》《无言的树》《坚硬的 稀粥》《音响炎—》《一嚏千娇》《咏叹与深思》《失去又找到了的月光园故事》《杂色》《Z城小站的经历》《筝波》
《木箱深处的紫绸花服》《组织部来了个年轻人》
王朔
《动物凶猛》《我是你爸爸》《你不是一个俗人》《痴人》《浮出海面》《给我顶住》《过把瘾就死》《一半是火焰 一半是海水》《无人喝采》《空中小姐》《刘慧芳》《看上去很美》《懵然无知》《千万别把我当人》《人莫予毒》《谁 比谁傻多少》《玩的就是心跳》《枉然不供》《顽主》《我是“狼”》《橡皮人》《修改后发表》《许爷》《一点正经没有》
《永失我爱》
王小波
《2015》《变形记》《未来世界》《歌仙》《黄金时代》《白银时代》《青铜时代之万寿寺》《夜行记》《我的阴阳两 界》《战福》
张承志
《九座宫殿》《美丽瞬间》《黑骏马》《辉煌的波马》《大坂》《美文的沙漠》《顶峰》《绿夜》《胡涂乱抹》《日本留言》
《墨浓时惊无语》《凝固火焰》《北方的河》《北望长城外》《袍子经》《雪路》《春天》《晚潮》