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古 本 説 話 集 の 接 続 「 が 」 助 詞 に つ い て

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(1)

古本説話集の接続﹁が﹂助詞について

 梅沢本古本説話集の成立は︑川口久雄氏によれば︑大治の末年︵      ユ 一一三〇年前後と推定される︒すなわち︑同じく天治・大治の頃︵

︸=一四年〜一一二九年︶成り︑成立後十年程を経た長承三年︵一

=二四年︶の書写本が現存している打聞集と相前後するものと考えられ︑嘉承以後︵一一〇六年以降︶の成立と考えられる今昔物語と      も相接している︒

 川口氏は︑古本説話集の上下二巻七十話の説話にあらわれる登場

人物の履歴や年代︑説話内容の傾向や伝承関係などによって︑大治

末年という成立年代を推定された︒この推定成立年代はほぼ確実な

ものと考えられるが︑なお︑古本説話集の文章自体を検討し︑言語

事象の面から眺めて︑この年代の成立とみることに矛盾を生じない

か調査することが必要であると考えられる︒

 そのためには︑院政期の特徴とみなされている言語事象全般にわ

たっての検討が要求されるが︑今︑その試みの緒として︑古本直領

集における接続﹁が﹂助詞の状態を考察してみたい︒

 古本説話集の成立が考えられる院政期は︑ ﹁が﹂助詞に接続機能

が発生した時期であるといわれる︒この説は︑石垣謙二氏の画期的

な卓論﹁主格﹁が﹂助詞より接続﹁が﹂助詞へしにおいて論証さ

れ︑爾来︑源氏物語などにあらわれる平安期の﹁が﹂には接続機能

古本説話集の接続﹁が﹂助詞について︵山口︶       ︵注3︶を認めないという考え方が一般化している︒ ところで︑古本説話集をみると︑ ﹁が﹂助詞が︑格提示機能を果しているか︑接続機能を果しているか︑必らずしも明確でない用例がみられる︒今︑一例をあげる︒ ︹或人歴覧所々間入民家詠和歌事第三︺いまはむかし︑あてなる 男の︑いみじうすきくしかりけるが︑ようつの所の︑心ぼそげ にあはれなるを︑みありきけるなかに︑ちみさき家の︑あやしげ なるが︑さすがに︑うちなど︑したたかにつくりてるたる人有け り︒ ︵岩波文庫本﹁古本説話集﹂二六ページ︶ この文において︑はじめの﹁が﹂はあきらかに主格であり︑﹁みありきける﹂にかかっている︒問題は︑﹁ちみさき家の︑あやしげなるが﹂の﹁が﹂である︒これは形式的にみれば﹁が﹂の下の部分に﹁人﹂という主語が出ているのであるから︑明らかに接続形式である︒そう考えると︑ ﹁の﹂は︑前件の主格を示す﹁の﹂と考え︑述語を﹁あやしげなる﹂と考えなければならないが︑ζの﹁の﹂は同格的な﹁の﹂であり︑ ﹁あやしげなる﹂は﹁ちみさき家の﹂を装定していると考えるほうが自然である︒そうするとこの﹁が﹂は主格形式でなければならなくなるが︑それに対する述語を﹁造る﹂とみることは︑﹁造る﹂が他動詞であることからも︑又意味の上からも不可能である︒とすれば︑ ﹁さすがに﹂もしくは﹁さすがにうちなどしたたかに﹂に︑述語としての述定力を認めなければならない︒しかし︑﹁さすがに﹂だけで述定力があると考えることは用例

二一二

(2)

   長崎大学教育学部人文科学研究報告第二〇号

から考えて無理であろう︒ ﹁さすがに﹂は︑古本説話集の中に他に

二例みられる姪場︶いずれもはっきりした副詞の用法である︒万葉集

などにみられ︑語源と考えられている﹁しかすがに﹂をはじめ︑﹁

さすがに﹂は︑形容動詞の連下形というよりも︑副詞として用いら

れ︑上代から中世までを通じて︑用例の大部分は﹁さすがに﹂の形

である︒源氏物語をみても︑﹁さすが﹂二例︑﹁さすがなり﹂三例

﹁さすがなる﹂七例を見出す他は︑大半は﹁さすがに﹂であり︑そ

の二六九例の﹁さすがに﹂のうち︑副詞的な用法ではなく︑﹁さす

がに﹂のみで述定力をもつ例は︑わずかに四例で︑しかもすべて﹁      ら さすがにて﹂の形である︒そのことからも﹁さすがに﹂にそれ独自

で下定力があるとはこの場合考えられず︑副詞と考える︒又︑ ﹁さ

すがにうちなどした\かに﹂に述定力があるとは︑下の﹁造る﹂と

の関係から考えられない︒すなわち︑この﹁が﹂を主格形式と考え

ることもかなり無理がある︒

 この文は︑文意は必らずしも不明瞭ではないにもかかわらず︑構

文上︑このように曖昧な点がみられるのは︑ ﹁が﹂助詞の機能の不

明瞭なことに起因していると考えられる︒

       三

 現在︑接続﹁が﹂助詞について考える場合の基盤になっている前

述の石垣謙二氏の論は︑要をいえば︑﹁平安期の﹁が﹂にはいまだ

接続機能がなく︑接続助詞の﹁が﹂は︑院政期になって発生した︒

その変転の過程は一貫して︑﹁が﹂の上下の結合力の弛緩にある︒﹂ということである︒氏は︑平安初期に主格﹁が﹂が用言を承け得

るように︑すなわち︑名詞句を承け得るようになって以来の﹁が﹂

の変遷を段階的にとらえて次のように排列される︒ 二四

主格形式第一類作用性名詞句を承けるもの

主格形式第二類主体を装定する形状性名詞句を承けるもの

主格形式第二類変形 ﹁のし助詞によらずに構成した形状性名詞句を承けるもの

主格形式第三類客体を装定する形状性名詞句を承けるもの

接続形式第1類後件が前件に対して述部的性質のつよいもの

接続形式第2類前件主体と後件主体が同一なもの

接続形式第3類前件客体と後件主体が同一なもの       一

接続形式第4類前件主体と後件客体が同一なもの

接続形式第5類前後件の間に形式上の連関がないもの

接続形式第6類前後件の間に逆戻的な意味が見られるもの

 そしてこの表に従って主格形式第一類から接続形式第6類へと進

むにつれて︑﹁が﹂をはさむ前件と後件の間の緊密度が薄くなって

いったと主張される︒

 石垣氏はこの論文を昭和一九年に発表され昭和二二年に天折され

た︒その後︑遺稿集﹁助詞の歴史的研究﹂として昭和三〇年に世に

出て以来︑平安期に接続﹁が﹂助詞を認めないことは︑ほぼ通説に       なっているが︑出版当時︑すでに松尾華氏が提出された疑問や︑平      フ 安期にも接続﹁が﹂助詞を認めたいとされる青木怜子氏の反論につ

いてはいまだ未解決であり︑なお結論づけられてはいない︒

(3)

 又︑古本説話集は昭和一八年にはじめて世にしられ︑昭和二四年に国宝に指定され︑その年の国宝展において一般の目に触れたので

あって石垣氏は︑おそらくこの新資料のことを知ってはおられたに

ちがいないが未見であったことと思われる︒最近︑森野宗明氏が︑

石垣氏の使用されなかった宇津保物語その他の作品群においても石      ︵注8>垣氏の論に支障をきたすような例はまずないことを述べられた︒私

も︑石垣氏の論の大綱はおそらく決定的なものであることを認めて

いる者の一人であるが︑なお︑石垣氏未見の資料に石垣氏の論をそ

のまま適用して判断するのは早計であると思われる︒その上︑石垣

氏は院政期を今昔物語で代表させて立論されたが︑今昔物語と古本       ︵注9︶説話集は︑四〇話も同話・類話を持つにもかかわらず︑その文体は

異質のものがあると考えられるのである︒

 又︑石垣氏がこの論文をものされた昭和一〇年代に比して︑その

後文献学的な研究が進展し︑平安期の物語類の各種の古写本の発見も相つぎ︑写本の信愚性については各種の考察が加えられた︒これ

らの古写本が︑平安期までは勿論︑なかなか鎌倉期までもさかのぼ

り得ないことが確認されてはいるが︑伝本間の系統の問題はかなり

明らかにされている︒石垣氏の論考には︑使用された伝本名さえ明

らかではないが︑氏の用いられた用例が︑今日の文献学的な批判に

耐えうるか否かも確認されなければならない︒

 石垣氏の卓論はその大綱は動かしがたいものとは考えられるが︑

なお︑それをそのまま尺度として古本説話集を判断することはでき

ないことが分った︒今︑石垣氏の論の検討にあたり︑まず︑文献学

的にみて︑石垣氏の用いられた用例の確実さを検討したい︒

 この場合︑接続﹁が﹂助詞の発生の時期に関.して考察するのであ

古本説話集の接続﹁が﹂助詞について︵山口︶ るから︑接続﹁が﹂助詞発生前と認められている平安期の用例を検討することが︑当面必要な作業となる︒ 石垣氏は主格形式第一類︵作用性名詞句を承けるもの︶を竹取物語に二例︑主格形式第二類︵主体を装定する形状性名詞句を承けるもの︶を伊勢物語に一例︑主格形式第三類︵客体を装歯する形状性名詞句を承けるもの︶を大和物語に二例認められ︑﹁資料的に見てもこの順序で発生したと考えられるし︑論理的にみてもこれは順々       に﹁が﹂をはさむ上下の結合力が弛緩している︒﹂と説かれる︒これらは︑用例数がきわめて少ないだけに慎重な検討が必要であろう︒ まず︑竹取物語の二例であるが︑武藤本や古活字十行本を用いると︑次の︑石垣氏のあげられたω②の用例に︑紛の用例が加わって三例となる︒ ︵引用本文は︑武藤本による︒︶ω 程なく罷りぬべきなめりと思ふが悲しく遡るなり︒ ︵話︶ ︵天 の羽衣︶         思ひ1古活字十行本       思ふ1吉田本ω 竹取の翁然ばかり語らひつるが流石に覚えて眠り居り︒︵蓬莱の      かたらひつるうへかすかにおほえてi古本 玉の枝︶㈲ さらずまかりぬぺければおぼしなげかんが悲しき事をこの春よ り思ひなげき待る也︵話︶ ︵天の羽衣︶一武藤本・古活字十行本 など︒ けれども㈹の用例も︑石垣氏が喚体面から発展したと考えられる 主格形式第一類の用例であるから︑この用例の追加は︑石垣氏の論を補強こそすれ抵触はしない︒又︑逆に︑古活字十行本や吉田本ではωの用例に異同があって﹁が﹂はあらわれてこない︒又②の用例には︑流布本系統とは別系統の古本に異文があり︑その上︑この

二五

(4)

   長崎大学教育学部人文科学研究報告第二〇号

      ︵注11︶用例のみが会話の用例でなく地の文であり︑解釈の上からも補いを

多く必要とするととのわない文で︑なお疑問は残る︒

 けれども全体的にみて︑用例に多少の異同や疑義はあっても︑現

在写本の中で︑年代の判明している最古の完本であり︑流布本系統       ︵注12︶の中で本文が古形を存する代表的な善本とみられている武藤本を使

用して︑前記三例の用例を得るのであるから︑石垣氏の立論に対し

て問題はないことが判明した︒

 次に伊勢物語においては﹁連体形十が﹂の形は︑定家本系統にお

いては三例しか見られず︑うち二例は連体助詞であるから︑石垣氏

があげられた=一〇段の用例︑次にあげるωだけが残る︒但し︑次

のとおり︑﹁が﹂を持たない写本もあり︑それには︑善本と目されているものもあることは注意を要する︒ ︵引用本文は︑ωは天福   ノ  本︑㈲㈲㈲は︑池田亀鑑﹁伊勢物語に就きての研究﹂ ﹁本文篇﹂お

よび︑大津有一﹁補遺篇﹂による︒︶

ω 女のまだ世経ずとおぼえたるが人の御もとに忍びで︵=一〇 段︶      おぼえたるi七海本︑伝録乱筆本

      おぼえたるかの一伝明融筆本

      おもへる一撃福寺本

萄 さるをりに白鳥のはしとあしとあかきがしぎのお㌧きさなる水 上にあそびつ〜いを〜くう︵九段︶!最福寺本・時謡本・不忍文

 庫本・至聖紙本・群書類従本︒

ノ       ロ励 さるをりに白鳥のはしとあしとあかきしぎのお\きさなるが水 上にあそびつ〜いを〜くう︵九段︶一高野本・七海本・神宮文庫

 本・阿波文庫本・泉州本︒剛書目白鳥之拷書足與赤本田鳥之大佐有水上爾游乍魚乎食︵九

段︶一真名本︑ 二六

 ところで︑この=一〇段は︑伊勢物語諸本に︑真名本を除いてす

べて共通した章段であるが︑片桐洋一氏の詳密な文献学的論証によ

って判明したところによれば︑おそらくは拾遺集以後に付加増益さ

れた章段であり︑普通に古今集とその前後関係を云々されたりする       お 伊勢物語の原型成立時には存在しなかったものと考えられる︒ちな

みに︑この章段の歌は拾遺集一二一九に題しらず︑読人しらずとし       れ て採られている︒ωの用例は︑伊勢物語の用例とはいえ︑一〇世紀

前半のものではなく︑一〇世紀末から一一世紀初頭の用語例と考え

るべきであろう︒

 又︑最福寺本・時頼本・塗籠本系統の三本・阿波国文庫旧蔵本・

一誠堂男工相筆本・高野本・七海本などを用いれば︑他にもう一例    ノ・前記㈲㈲のように︑九段に︑主格形式第二類の変形が認められ

る︒ 九段のこの部分は︑片桐洋一氏によって︑﹁古今集が伊勢物語を        ︵注15︶資料として採集した﹂と考えられる︑古今集成立以前から存在して

いたと思われる伊勢物語の原初形態に︑すでに存在した部分であ

る︒後代︑定家本が流通してからは︑定家の権威もあいまって︑他

系統の写本は姿をひそめてゆくが︑必らずしも定家本系統の諸本が

原初形態を伝えるものではないことは︑片桐洋一氏のいわれるとお     め りである︒ ﹁が﹂を有する写本が︑塗籠本系統の三本︑大島本系統

の三本︑古本系統の申で重視されている最福寺本と時頼本︑そして

武田本系統の高野本︑流布本系統の七海本と︑各系統にわたってい

ることはかなり重視しなければならないことであろう︒すなわち︑

主格形式第二類の変形の出現の年代を︑かなり引きあげなければな

らないのではないかと考えられる︒石垣氏が︑前掲論文の追記でも       ︵注聾︶触れられたように︑春日政治博士の﹁金光明最勝王経古点の国語学

的研究﹂に紹介された︑同経古点に用例がみられるという事実とも

(5)

  パ   相︐応ずる︒圭格形式第二類の変形についてはなお考察が必要であろ

ンつ︒ けれども︑全体的にみて︑この場合︑=一〇段を含む一二五郵貯も︑最低︑平安末期には流布していたと考えられるのであるから︑

﹁平安期に主格形式第二類が存在した﹂とみなす石垣氏の論を動か

すものではない︒

 最後に︑主格形式第三類が初出するといわれる大和物語には︑そ

れに属する用例が二例見出される︒ ︵引用本文は為家本︶

⑥ 同じ中納言かの殿の寝殿の前に少し遠く立てりける桜を近く掘

 り植ゑけるが枯れさまに見えければ︵七四段︶

㈱釣殿の官に若狭の御と言ひける人を召したりけるが又も召しな      召したりける一回鹿本・御

      巫本

 かりければ詠みて奉りける︵一五段︶

 ㈲の七四段の用例は諸本異同がない︒ωの一五段の用例は︑鈴鹿

本・御巫本によれば﹁が﹂を有さず︑従ってこれらの写本を用いれ       ね ば一例になる︒又一五段の歌は︑後撰集巻一六︑雑二に︑武蔵の歌

として採られている︒武蔵と若狭の御は同一人物とする説もあるが        れ なお不明である︒後撰集における詞書は次のとおりである︒

﹁登楼院の帝︑時々とのみに候はせ給ひけるを久しう召なかりけれ

は奉りける︑武蔵︑﹂

 この後撰集の詞書と比較してみると︑﹁が﹂もしくは﹁を﹂につ

づく部分は︑ほとんど同文であることが分る︒大和物語では︑前一

四段に続いて︑﹁又﹂を冒頭にこの章段をはじめていて︑﹁召した

りける﹂の主語が陽成院であることは確実であるので︑一四段に付

した書き込みなどが後に混入したと考える余地もある︒この用例

古本説話集の接続﹁が﹂助詞について︵山口︶ は︑大和物語の場合も︑後撰集の場合も共に格助詞と考え得ないことはないが︑なお︑共に接続助詞とみなすのが妥当ではないだろうか︒ 源氏物語において名詞化している﹁めし﹂一九例のうち︑一四例までが﹁召しあり﹂﹁召し侍り﹂﹁召しなし﹂の形で用いられてはいるが︑なおい﹁めし﹂に格助詞がついている例が五例あり︑調色本では﹁召し捌あれば﹂と︑明確に主格助詞をともなう例もある︒ けれども︑なお︑決定的に接続助詞と決めることは不可能であるし︑一五段の用例ωが主格形式第三類として疑わしいとしても︑なお七四段の用例㈲の一例が存するわけであるから︑全体的にみて︑石垣氏の論旨に影響はないと考えてよいと思われる︒ 以上︑﹁が﹂の接続機能発生に先立つ︑主格形式の発展をあとづけられた石垣氏の用例を検討してみたが︑前述のとおり︑現在の文献学的成果を照合してみると︑二︑三の疑問点は生じるにしても︑石垣氏の引かれた用例の検討という範囲においては︑あとづけられた展開の結論はくつがえされないことが判明した︒ そして又︑この事実は︑平安期の物語資料を利用して言語事象を研究する場合に︑諸本の系統の迷路に踏み迷い︑準拠すべき写本を見失なって異本校合の作業に労力の大半を奪われがちな現在の研究方法の一つに対して︑昭和前半の国語学者が用いた磨墨露なわち善本と信じられる一写本を信用して考察を行なうという方法を用いても︑大局的には大きな間違いを犯さないということを示唆していると思う︒勿論︑拙稿において試みた一事例だけで決論づけられる程︑簡単な問題ではないが︑かなりはっきりした別言の異本があっても︑私たちは︑ある一系統の一写本を用いて言語事象の通時的研究を行なうことに︑さほどのためらいを感じなくてもよいのであろうということだけはいえると思う︒

二七

(6)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二〇号

 又︑石垣氏が︑主格形式の第一類から第三類までを︑﹁平安初期

以来︑時代が下るにつれて次第に発展展開したあとが資料的にもあ     ︵注24︶とづけられる︒﹂と解される根拠はかなりうすらぐものと考える︒平

安初期の﹁が﹂の状態はもっと複雑な形のもので︑さまざまな混態

が平行して行なわれていたのであろう︒それらを主格形式第二類に

変形として包摂するというような処理ではなく︑何か別の方法で分

析・理解するべき余地が残されていよう︒青木怜子氏︑松尾拾氏な         ゐ どから提出された︑次のような用例について︑まだ決定的な解決は.

みていない︒

 源氏物語

︒雪は所々きえ残りたるがいと白き庭の︵若菜上︶

︒むすめの尼君は上達部の北の方にて有りげるが其人亡くなり給ひ

 て後むすめ唯だ一人をいみじくかしづきて︵手習︶

 又︑本文整定上︑閾題はあるが︑宇津保物語にも︑森山隆氏や森       あ 野宗明氏の提出された次のような疑問例があり︑未解決である︒

 宇津保物語

︒などか甲斐なくおぼさるべき︒さ思ひ給へたる事あるが︑又えさ

 もあるまじけれ︒ ︵菊の宴︶

︒すべていと同じやうにおはするがこれは少しふくらかに︑気近き

 二なん︒ ︵国譲上︶

 以上のような疑問例の納得ゆく解決をみるためにも︑主格形式第

二類の変形についてはなお検討が必要であり︑後日を期したい︒

 次に︑石垣氏の論に基づいて︑古本説話集の﹁が﹂助詞を眺めて

ゆく場合︑一一つの方法がとられなければならないと思われる︒第一

は︑石垣氏と同じ基準と方法で用例を処理した場合︑他の内外の徴 二八

証によって推定されている成立年代に位置づけることに矛盾を生じ

ないかどうか検討すること︒第二は︑用例を処理するにあたり︑石

垣氏の基準に準拠せず︑なお石垣氏の論に矛盾が生じないかどうか

検討することである︒今︑この二つの面から古本説話集の﹁が﹂を

検討してみる︒       レ 古本説話集には︑連体形十﹁が﹂の形の用例が四四例みられるが

そのうち︑六例が連体助詞︑三例が石垣氏のいわれる形式語につづ  ︵注28︾くものであるから︑これら九例を除外し︑残る三五例について︑石

垣氏と同じ基準で検討してみる︒      ︵注29︶ 石垣氏の接続助詞認定の基準は︑

1.文意の解釈による︒Z ﹁が﹂助詞の下の部分に主体を示す語が現われていれば﹁が﹂

 は接続助詞である︒

3︒ ﹁が﹂助詞の承ける用言も懸る用言も共に作用性用言ならば﹁ が﹂は接続助詞である︒       ︵注30︶の三点であり︑氏の発見された﹁作用性用言反接の法則﹂に支えら

れて︑きわめて厳密な基準になっている︒氏は客観性を保持するた

めに接続助詞と認めざるを得ないもののみを接読助詞と認めるとい

う態度で終始されるので︑その基準に従って古本説話集の用例を処

理すると︑次のページの表のような結果を得る︒

︵注翫れをみると︑古本説話集の三五例のうち︑接続形式のものは一例で︑それも︑今昔物語にも例のみえる接続形式第3類である︒全

体的にみて︑比率からいっても︑又主格形式第二類が圧倒的に多い

ことからいっても︑大よそは今昔物語の傾向と一致しており︑院政

期には︑この一連の変遷のうち︑接続形式第3類までがあらわれて

いるという氏の結論にも矛盾しない︒

 ところで︑氏の基準に準拠せずに用例そのものを眺めてみるとど

(7)

今昔物語古本説話集

主格形式第一類

32

34

主格形式第二類主格形式第二類変形脇τ

53

主格形式第三類

1

8

10

接続形式第1類

1

接続形式第2類

2

4

接続形式第3類

1

1

接続形式第4類

接続形式第5類接続形式第6類

96

﹇ 鵬

35

ソ

︶凶%C

︒︵%︶は︑接続形式の︑全体に対する比率︒

︒今昔物語の用例数は比較のために﹁助詞の歴史的研究﹂五三頁から転

塗した︒

うであろうか︒

 少なくとも︑次の五例は︑接続助詞と考えたい用例である︒

①  ︹伊良縁野世世給砒沙門下文鬼神田翼翼物事第六十一︺に一

 例︒ いまはむかし︑ゑちぜんの国に︑露量へ野よつねといふ物ありけ

古本説話集の接続﹁が﹂助詞について︵山口︶  り︒もとはいとふかうにて︑あやしきものにてぞ有ける︒とりわ きてつかうまつりけるびさもんに︑物もくはで︑物〜ほしかりけ るひ︑ ﹁たのみたてまつりたるびさもん︑たすけ給へ﹂といひけ るほどに︑ ﹁かどに︑いとおかしげなる女房の︑ ﹃いゑあるじに 物いはむ﹄との給へあり﹂といひければ︑ ﹁たれにかあらん﹂と て︑いであひたりければ︑もりたる物をひともり︑ ﹁これくひ給 へ︑物ほしとありつるに︒﹂とらせたれはよろこひて︑とりて︑も ちていりたれば︑た皮すこしをくひたるが︑あきみちたるひちし て︑二三日と︑物もほしからざりければ︑これを〜きて︑物ほ しきをりごとに︑すこしづ㌧くひてありけるほどに︑月ごろすぎ て︑このを物もうせにけり︒ ︵岩波文庫本﹁古本説話集﹂=一九 ページ︶ この説話は︑宇治拾遺物語にも︑今昔物語にも同話があるが︑該当の﹁が﹂の部分は次のように異なっている︒古本説話集六十一 たゴ少しを食ひたるが飽き満ちたる心ちして       ジキシ      ロ今昔物語一七の四七  少シク 食牌ル  飽キ満タル心地シテ       ニ    宇治拾遣一五の七 た団少し 食 たればやがて飽きみちたる心地         して 以上のとおり︑構文は全く同じであるにもかかわらず︑今昔物語でも宇治拾遺物語でも﹁に﹂﹁ば﹂という接続助詞で表現されている︒古本説話集においても接続助詞と認識されていたのではないだろうか︒又︑該当部分を含む文は︑唐突に﹁とらせければ⁝⁝﹂と始まっているのであるが︑その前が﹁いとおかしげなる女房﹂がいった﹁これ食ひ給へ︒物ほしとありつるに︒﹂ということばで︑これ又唐突に切れている︒この部分について︑他の部分ではほとんど同文である宇治拾遺物語では︑﹁﹃これくひ給へ︒物ほしとありつるに﹄とて﹂とあり︑今昔物語でも同じく﹁餓秒リ云説此.食ハト﹂とあって

ご九

(8)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二〇号

共に﹁とて﹂という助詞によって問題の文と一文になっている︒一

般に︑この部分は︑ ﹁とて﹂を補って︑今昔物語や宇治拾遣物語と

同じように読み︑﹁﹁ありつるに﹂と\らせ﹂というようにあるべ

きところだと解釈されている︒この用例を主格形式第二類に分類す

るためには﹁たゴ少しを食ひたる﹂は主語を装沸していると考えな

ければならないが︑主語は︑この長文の申についに現われず︑その

前文で提示された﹁伊曾へ野世恒﹂なので働る︒このような場合に

主格形式第ご類の変形として認めるのは︑形式的には可能であるに

しても︑あまりにも索強であると思われる︒

②信濃国二号湯観音為人令沐給事第六十九Ψに二例︒

 この説話の申で︑観音の出現を予告する夢のおつげのことばの中に︑接続助詞と考えたい﹁が﹂が二例みられる︒出現するはずの観

音の様態を説明しているのであるが︑今昔物語一九の一一︑宇治拾

遺物語六の七に︑同文があるので︑この三者を比較してみる︒

古本説話 とし三十ばかりのをのこの︑ひげくろきが︑あやい

今昔物語   四十   ナル    髪ゲ

宇治拾遺     がさきたるが︑ふしくろなるやなぐひ︑かはまきた

       ヲ着テ        大胡鎮.負.

       着て

     るゆみもちて︑こんのあをきたるが︑なつげのむか

        ヲ      水団.着テ

ばき︑        ︵マ・︶しらたびはきて︑﹀あしげのむまにのにのりて

   一ヲ   黒造︐太刀.帯テ  ・

●   ●   ●   ● 三〇

なんくべき︒それを︑﹀くわんをんとしりたてまつる

・・来.人有︐ハ 必ズ

0

     べし  ・ ︵岩波文庫本﹁古本説話集﹂一五八頁︶

 ここにおいて︑﹁が﹂は︑今昔物語に一例・宇治拾遣物語に二

例︑古本説話集に三例が用いられている︒石垣氏の基準によれば︑       ︵注32︶古本説話集の﹁が﹂は︑﹁の﹂の同格的用法を代行しているとみら

れ︑主格形式第二類の申へ変形としてくり入れられる︒しかし︑こ

れは︑今昔物語においてそうであるように︑最初の一つ﹁かみくろ

きが﹂の﹁がしだけが主格提示であり︑あとの二つの﹁が﹂は︑ ﹁

着て⁝⁝着て⁝⁝﹂と賛嘆して文を接続し︑構成する機能を果して

いると考えるのが︑より妥当であると思われる︒

③︹赤染衛門事第五︺に一例︒

 いまはむかし︑墨染衛門といふうたよみは︑時もちといひけるが

 むすめ︑入道殿に候ひけるが︑心ならず︑まさひらをおとこにし

 て︑いとわかきはかせにてありけるを︑ことにふれて︑のかひい

 とひ︑あはじとしけれど︑おとこは浅あやにくに︑心ぎしふかく

 成ゆく︒ ︵岩波文庫本﹁古本説話集﹂二八頁︶

 この第五話は︑赤染衛門に関する四つの逸話で構成され︑該当部

分のすぐ後に出てくる歌は︑赤染衛門集にみえるが︑その詞書は︑

﹁つの国にいきていひたる﹂と︑簡略であって参考にはならない︒

 ところで︑この例において︑﹁赤染衛門といふうたよみ﹂﹁時も

ちといひけるがむすめ﹂ ﹁入道殿に候ひける﹂は︑すべて同格で︑

﹁うたよみ﹂を装書し︑その﹁うたよみ﹂は﹁まさひらをおとこに

し﹂﹁のかひいとひ﹂﹁あはじとする﹂のである︒従って石垣氏に

よれば︑ ﹁が﹂は主格提示機能を示すのであるが︑同格の﹁の﹂助

(9)

詞が︑変形④︑助詞をともなわない︑変形@︑ ﹁は﹂助詞で代用す

る︑などというように複雑に変形してきたと考えてまで︑格提示機

能を果していると解すべきであろうか︒ ﹁⁝⁝むすめが入道殿にお

仕えしていたの矧が︑心ならずも⁝⁝﹂と︑接続助詞と考えるほう

が自然な解釈であり︑少なくとも古本説話集においては妥当な解釈

であると考える︒

④︹為人歴覧所々間入尼家詠和歌事第三︺に一例︒

 これは︑二︑おいて例示した用例であるから︑今は詳述しない︒

 以上︑五例の他︑次の一例も︑接続助詞と考えたいが︑しばらく

保留する︒

 ︹西三条殿若君遇百鬼夜行事第五十一︺

 ﹁けふに候けることかな︒せうとのあざりにか㌧せて︑御くびに

 いれ卜しが︑いみじくたうとく虫けることかな︒あな︑あさま

 し︒﹂︵岩波文庫本﹁古本説話集﹂九四頁︶

 これらの﹁が﹂をみると︑すべて主格形式第二類の変形である︒

石垣氏が︑ ﹁が﹂の変遷の歴史的展開をきわめて明快にあとづけ得

た一因は︑この主格形式第二類といわれるものに対してさまざまな

変形を認められ︑先述のとおり︑格提示機能を果しているか︑接続機能を果しているかを明確にしにくいさまぎまな用例を︑主格形式

第二類の申に包摂したからであると思う︒この論が発表された当時

すぐに提出された疑問や反論も︑この論文の申の第四章﹁主格形式

より接続形式へ﹂において詳論されたこの問題に対して集中的に行

なわ麓樋ことからも・主格形式第二類に再検討の余地が残されてい

ることを示していると思う︒勿論︑石垣氏も︑今昔物語の時代の人

々は︑すでに接続助詞としての﹁が﹂を知っていたのであるから︑

主格形式第二類の変形や主格形式第三類は接続形式と考えられる可

   古本説話集の接続﹁が﹂助詞について︵山口︶        なあ 能性がつよいと注記しておられる︒従って︑当時の人々の意識という点を申心に論じてもこれら問題の﹁がしを接続助詞と認めることは可能なわけである︒       六 以上︑石垣謙二氏の論文を基に︑古本説話集の接続﹁が﹂助詞を調べてみた結果︑その範囲でいえば︑古本説話集が院政期︵大治末年ごろ︶に成立したという推論に矛盾しないことが判明した︒古本説話集における﹁が﹂助詞の状態は︑まさに院政期独自の姿をあらわしていると考えられる︒ 古本説話集においては︑ ﹁が﹂助詞に関してだけではなく︑文脈の曖昧な文章がかなりみられる︒これはいろいろな要因が考えられるにしても︑ ﹁口語り﹂の定着ということから生じたものと考えるのが一つの妥当な解釈ではないだろうか︒例えば︑二︑においてあげた用例を有する第三話は︑古本説話集の申では珍らしく︑出典類話の見出されていない説話であって︑それだけ︑聞き書きの可能性も強くなると思われるが︑この申で︑﹁一の一が﹂という形の構文が︑原本で数えて︑わずか七行の問に三回もくりかえされていることなどからも︑かかる﹁口語り﹂の﹁聞き書き﹂と考えられるものが︑助詞﹁が﹂の接続機能の発生︑展開を︑特にその列叙の機能の発展を助長したのもであることが推察される︒同じく︑第六十二話︑第六十七話などの出典受話未詳の説話にも同様なことがいえる︒しかし︑一歩しりぞいて︑それは又︑古本説話集ともあまり時代をへだてないとみなされている和文﹁とりかへばや物語﹂などにも顕著な文脈の混乱であって︑源氏物語以来の連綿体の文章の結果するところであると解すべきなのかもしれない︒・石垣氏は︑﹁が﹂助詞の展開の過程を考えられるにあたって︑①

一三

(10)

長崎大学教育学部人文科学研究報告 第二〇号

音韻変化︑②外国語の影響︑③方言差︑④位相差︑ ︵階級・性別︶

の四要素に注意を払っておられるが︑ ﹁聞き書き﹂という性質のも      ︵注35︶のについては︑﹁抄物は勿論︑上流知識人のものであり⁝⁝﹂とい

う程度に述べられるだけで︑さして注意を払っておられない︒当時

はそれ以上には考えられなかったにせよ︑かかる﹁口語り﹂の定着

とも考えられる資料が相当数世に出ている現在は︑助詞の機能の変

遷を左右する要素としての﹁け語り﹂を考えてみる必要があると思

いつ︒ ﹁が﹂と同じく︑格助詞から転成したと考えられる﹁を﹂﹁に﹂

についても︑古本説話集においては︑ ﹁がしと同様︑時代の特徴の

先がけをなすようなゆれがみられる︒古本説話集の文章には︑論理

的一貫性にとらわれず列叙の形で次々と文を接続してゆく特徴があり︑それはいわゆる﹁口語り﹂といわれているものの性質に由来す

ると考えることが可能であって︑なお︑今後詳しく調査することに

より︑いわゆる﹁口語り﹂の定着が︑助詞の機能の変遷にかなりの

役割を果したことの証左となし得ると考える︒

1︑岩波文庫﹁古本説話集﹂二〇七頁︑日本古典全書﹁古本説話集﹂五六頁

2︑日本古典文学大系﹁今昔物語集工﹂一〇頁︑山田英雄氏解説

3︑﹁月刊文法﹂昭和四五年三月号︑六九頁︒森山隆氏﹁接続助詞﹂など

4︑・︹蝉丸事第二十四︺よろしき物にてありけるにや︑さすがに︑ことな

 どもひき︑人にあはれがる㌧物にてなむありける︒ ︵岩波文庫本五三頁二

 行︶・︹曲殿姫君事第二十八︺またをとこぎみも︑さすがにあて人の子な

 れば︑けはひもあでやかに︑ありさま︑ことにほそやかにて︑あてになむ

 ありける︵岩波文庫本六一頁一四行︶

5︑用例数は﹁対校源氏物語新釈用語索引﹂ ︵吉沢義則︑木之下正雄︶によ

 る︒ 三二

6︑﹁国語学﹂二五輯・所載﹁書評﹂

7︑﹁国語と国文学﹂三一年六月号所載﹁書評﹂

8︑﹁月刊文法﹂昭和四五年九月号八ご頁︑ ﹁接続助詞としての﹁が﹂一成

 立過程を申心に一L

9︑岩波文庫﹁古本説話集し二〇二頁︒日本古典全書﹁古本説話集﹂九〜一

 〇頁10︑﹁助詞の歴史的研究﹂三〇〜三一頁

11︑古本説話集においても︑主格形式第一類はすべて会話体の申にあらわれ ている︒一応注意しておきたい︒

12︑日本古典文学大系9︑﹁竹取物語﹂=一頁

13︑片桐洋一﹁伊勢物語の研究﹂ ︵研究篇︶二五五頁

14︑拾遺集︑巻蝋九︑雑︑恋︑題しらず︑読人しらず︑=二九︑﹁いっし かもつくまの祭とくせなむつれなき人のなへのかすみむ﹂

15︑片桐洋一﹁伊勢物語の研究﹂ ︵研究篇︶二八三頁

16@前掲書︑四四〇頁

17︑﹁助詞の歴史的研究﹂三九頁

18︑春日政治﹁金光明最勝王乳古点の国語学的研究﹂ ︵研究篇︶一=二頁︑ 四六頁︒﹁本文篇﹂に用例がみられる︒

19︑片桐洋一﹁伊勢物語の研究﹂ ︵研究篇︶四四〇頁

20︑一五段﹁数ならぬ身におくよひの白玉は光みえさすものにそありける﹂

21 阿部俊子﹁校本大和物語とその研究﹂三六五頁

22︑若紫﹁まみりくべきにうちより召しのあればえなむ﹂ ︵対校源氏物語新 釈し巻一︑一二七頁一〇行︶

23︑石垣謙二氏あたりまでは︑異本の問題にわずらわされていない︒

24︑﹁助詞の歴史的研究﹂三〇頁

25︑﹁国語学﹂二五輯︒﹁国語と国文学﹂昭和三一年六月号

26@森山隆﹁月刊文法﹂昭和四五年三月号︑六九頁︒森野宗明﹁月刊文法﹂

 昭和四五年九月号八五頁

27︑風閤書房刊︑山内洋一郎﹁古本説話集総索引﹂によれば︑四五例があげ

(11)

 られるが︑そのうち一例は︑あきらかに誤りである︒

28︑形式語につづく用例︒﹁が﹂+﹁ごとし﹂二例︑﹁が﹂+﹁ために﹂ 

 例︒29︑﹁助詞の歴史的研究﹂三二頁

30︑前掲書一二五頁〜一一一二八頁

31︑︹長谷寺参詣男以巌替大柑子事第五十八︺二日はかりの事なりければ︑ そのえたりけるたを︑なからは人につくらせ︑いまなからは︑我がれうに

 つくらせたりけるがひとのかたにとてつくりたりける︑よけれども︑れい

 のま〜にて︑をのれがれうとなづけたりける︑ことのほかにおほくいでき

 たりければ︑おほくかりをきて︑それうちはじめ︑かぜのふきつくるやう

 に︑とくつきて︑いみじき人にてぞありける︒ ︵岩波文庫本=一三頁

32︑﹁助詞の歴史的研究﹂三六〜三七頁

33︑註︑6︑7︑25︑参照

34@﹁助詞の歴史的研究﹂四四頁

35︑前掲書=一頁

古本説話集の接続﹁が﹂助詞について︵山口︶三三

参照

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