『
國 體 の 本 義
﹄ 対
﹃ 日 本 文 化 の 問 題
﹄
︱ ︱ 國 體 論 を め ぐ る 闘 争 ︱
︱
植 村 和 秀
︑1 東洋 文化 と西 洋文 化の 狭間 幕末
にお ける 西洋 の衝 撃は
︑そ れ以 降の 日本 の変 容を 決定 的に 特徴 付け てき た()1
︒清 帝国 を敗 北さ せる 軍事 力︑ 機械 と 技術 に支 えら れた 経済 力は
︑当 時の 日本 に圧 倒的 な印 象を 与え たの であ る︒ しか も西 洋諸 国は
︑軍 事力 や経 済力 のみ な らず
︑社 会的
・文 化的 な魅 力に よっ ても 日本 に衝 撃を 与え るこ とと なっ た︒ 西洋 流の 生活 様式
︑西 洋流 の思 想と その 実 践は
︑ジ ョゼ フ・ ナイ の言 葉を 借り れば
︑西 洋諸 国の ソフ トパ ワー とし て︑ 日本 人の 心を 大き く揺 り動 かし たの であ る()2
︒ こう して
︑西 洋に 関す る知 識が 広く 求め られ るよ うに なり
︑日 本は 急激 に西 洋化 を進 めて いっ た︒ そし てそ れに よっ て︑ 近代 化を 実現 して いっ たの であ る︒ しか し︑ 昭和 の敗 戦ま で順 調に 見え た日 本国 家の 発展 には
︑独 特の 困難 がつ き まと って いた
︒そ れは
︑西 洋化 によ って 古い 日本 が失 われ
︑日 本が 精神 的に 空虚 にな って いく
︑と いう 困難 であ る︒ こ れに 対す る危 機感 は︑ 例え ば小 説家 の夏 目漱 石の 警世 の文 に見 事に 表現 され てい る︒ 優れ た文 明評 論家 でも あっ た漱 石
は︑
﹁現 代日 本の 開化
﹂と 題す る一 九一 一年 の講 演の 中で
︑日 本人 は﹁ 誠に 言語 道断 の窮 状に 陥っ た﹂ と述 べ()3
︑外 発的 な開 化の 弊害 を︑ 以下 のよ うに 解説 して いる
︒
「と ころ が日 本の 現代 の開 化を 支配 して いる 波は 西洋 の潮 流で その 波を 渡る 日本 人は 西洋 人で ない のだ から
︑新 しい 波が 寄せ る度 に自 分が その 中で 食客 をし て気 兼ね をし てい るよ うな 気持 にな る︒
⁝⁝ こう いう 開化 の影 響を 受け る国 民 はど こか に空 虚の 感が なけ れば なり ませ ん︒ また どこ かに 不満 と不 安の 念を 懐か ねば なり ませ ん()4
﹂︒ それ では
︑日 本は どの よう にす れば 良か った のか
︒国 粋を 保存 し︑ 日本 文化 を再 評価 しよ うと する 思想 と運 動が 存在 した
︒仏 教︑ ある いは 儒学 を振 興し
︑そ れに よっ て東 洋文 化を 再興 しよ うと する 思想 と運 動も 存在 した
︒し かし それ ら は︑ 日本 の西 洋化 路線 を放 棄さ せる に足 る実 績を 示し たり
︑説 得力 を発 揮し たり する こと はで きな かっ た︒ 日本 は西 洋 化路 線を 継続 し︑ 一貫 して 西洋 文化 を受 容し 続け てい った ので ある
︒ 日本 が西 洋化 路線 を継 続し たの には
︑十 分な 理由 があ った
︒ま ず第 一に
︑西 洋諸 国の 軍事 力や 経済 力が ます ます 強大 化し
︑日 本国 家は それ らと 競争 し︑ 場合 によ って は対 抗す る必 要が あり 続け た︑ とい う理 由で ある
︒そ して 第二 に︑ 西 洋諸 国で は社 会的 にも 文化 的に も多 様で 活発 な発 展が あり
︑そ れら が日 本に 暮ら す人 々に とっ て魅 力的 であ り続 けた
︑ とい う理 由で ある
︒し かも この 西洋 化路 線に よっ て︑ 日本 国家 は西 洋列 強に 匹敵 する 強国 とな った
︒一 八六 八年 に明 治 維新 を断 行し た日 本は
︑一 九二
〇年 に国 際連 盟の 常任 理事 国と なっ たの であ る︒ ただ し︑ この よう な西 洋化 路線 には
︑夏 目漱 石が 見通 した よう な深 刻な 精神 的危 機が 伴っ てい た︒ 日本 国家 が政 治 的・ 軍事 的に 強大 化す る一 方で
︑日 本人 の精 神的 な空 虚感 は埋 まら ない まま だっ たの であ る︒ そし て︑ その 空虚 さを 埋 める もの とし て︑ 大正 時代 から 昭和 時代 初期 にか けて
︑さ まざ まな 思想 や宗 教が 流行 した
︒西 洋志 向の 教養 主義 やマ ル クス 主義
︑日 本志 向の 教養 主義
︑古 くか らの 仏教 諸宗 派︑ 仏教 や神 道な どに 基づ く新 興宗 教が
︑多 くの 人々 の心 を捉 え︑
人生 の意 味を 提供 する もの とな った ので ある
︒ さて
︑昭 和時 代の 始ま る一 九二 六年 頃は
︑江 戸時 代を 記憶 する 人が ほと んど いな くな る時 期で もあ った
︒漱 石は 早く に亡 くな った が︑ 幕末 の一 八六 七年 に生 まれ た彼 の世 代で さえ
︑こ の頃 に還 暦を 迎え てい た︒ それ はつ まり
︑西 洋化 路 線が 本格 的に 始ま る前 の日 本を 体験 した 日本 人が ほと んど いな くな った
︑と いう こと であ る︒ そし て︑ 古い 東洋 文化 の 中で 生ま れ育 った 世代 がい なく なる この 頃に
︑日 本と 西洋 諸国 の政 治的 対立 は激 しさ を増 した ので ある
︒ 西洋 諸国 との 対立 に際 して
︑日 本側 の一 部で は︑ 精神 的な 拠り 所を 求め る気 運が 高ま って いっ た︒ もち ろん
︑力 その もの に全 面的 に依 存し
︑強 大さ を至 上の 価値 と考 えて 満足 でき る人 々は いた
︒し かし
︑日 本思 想の 精神 的価 値を 高め て いこ うと 考え る人 々も いた ので ある
︒そ こで 問題 にな った のは
︑日 本文 化と 西洋 文化 と東 洋文 化の 関係 をど のよ うに 理 解す るか
︑と いう こと であ った
︒そ れで は︑ どの よう な思 想的 試み が行 われ たの か︒ 以下 に検 討し てみ よう
︒ (1 註
) 日本 にお ける 西洋 の衝 撃に 関し ては 以下 参照
︒G
・B
・サ ンソ ム︑ 金井 圓・ 多田 実・ 芳賀 徹・ 平川 祐弘 訳﹃ 西欧 世界 と日 本﹄ 上・ 下︑ 筑摩 叢書
︑一 九六 六年
︒平 川祐 弘﹃ 西欧 の衝 撃と 日本
﹄︑ 講談 社学 術文 庫︑ 一九 八五 年︒ (2 ) ナイ は︑ ソフ トパ ワー とは
﹁強 制や 報酬 では なく
︑魅 力に よっ て望 む結 果を 得る 能力
﹂で あり
︑﹁ 国の 文化
︑政 治的 な理 想︑ 政策 の魅 力に よっ て生 れる
﹂も ので ある と定 義し
︑軍 事力 や経 済力 のよ うな ハー ドパ ワー とと もに
︑国 際政 治に 重要 であ る と主 張し てい る︒ ジョ セフ
・S
・ナ イ︑ 山岡 洋一 訳﹃ ソフ ト・ パワ ー
︱︱ 21世 紀国 際政 治を 制す る見 えざ る力
﹄︑ 日本 経済 新聞 出版 社︑ 二〇
〇四 年︑ 一〇 頁︒ (3 ) 三好 行雄 編﹃ 漱石 文明 論集
﹄︑ 岩波 文庫
︑一 九八 六年
︑三 六頁
︒ (4 )﹃ 同﹄
︑三 三頁
︒
︑2
﹃國 體の 本義
﹄
『國 體の 本義
﹄は
︑文 部省 によ って 編纂 され
︑文 部省 管轄 の諸 学校 に配 布さ れた
︒そ の刊 行に つい て︑ 一九 三七 年四 月一
〇日 付の 読売 新聞 は︑
﹁文 部省 から 國體 読本
﹂と 題し
︑以 下の よう に報 じて いる
︒
「昨 年五 月國 體明 徴の 時流 にの って 文部 省が 計画 した
﹃國 體読 本﹄ が漸 く完 成し た︒
⁝⁝ これ こそ 文部 省が 官 の 名を 以て 國體 本義 に決 定的 定義 を下 した と見 るべ きも ので ある
︒思 想局 は一
〇月 一日 から 教学 局の 中へ 解消 する こと に なっ てい るの で︑ これ を最 後の 置土 産と して 三十 万部 を印 刷︑ 九日 全国 の大 中小 学校
︑諸 官庁
︑団 体に 発送 した()5
﹂︒ ただ し︑
﹃國 體の 本義
﹄が
﹁決 定的 定義
﹂で ある と言 える かど うか には 疑問 があ る︒ その 理由 とし て︑ 何よ りも まず
︑ 文部 省に よる 編纂 が︑ 文部 省に 近い 関係 者の 意見 を寄 せ集 めて 大急 ぎで 行な われ た︑ とい う経 緯が 挙げ られ る︒
﹃國 體 の本 義﹄ の編 纂開 始は 一九 三六 年六 月で あり
︑国 文学 者で 国民 精神 文化 研究 所助 手の 志田 延義 が草 案を 作成 した
︒こ の 草案 は︑ 文部 省直 轄の 国民 精神 文化 研究 所関 係者 が過 半数 を占 める 編纂 委員 会で 審議 され
︑さ まざ まな 調整 の後
︑一 九 三七 年二 月に 編纂 完了 とな る︒ 決定 的と 呼ぶ には
︑あ まり に拙 速な 編纂 であ る()6
︒ 文部 省が 編纂 を急 いだ のは
︑こ の事 業が 文部 省の 昭和 十一 年度 事業 の一 つで あり
︑年 度内 に本 を刊 行し て予 算を 執行 しな けれ ばな らな かっ たか らで ある
︒実 際に は本 の刊 行は 四月 にな った が︑ 刊行 の日 付は 文部 省発 行版 では 三月 三〇 日 とな って いる
︒そ して
︑五 月三 一日 付で 内閣 印刷 局か ら一 般向 けに 刊行 され
︑そ の発 行部 数は
︑敗 戦ま でに 総計 二百 万 部を 超え た︒ つま り︑
﹃國 體の 本義
﹄は 形式 的に は﹁ 決定 的定 義﹂ に見 える もの であ り︑ 量的 にも そう 見え るも ので あ るが
︑し かし 質的 には
︑と ても その よう には 言え ない もの なの であ る︒ それ では
︑﹃ 國體 の本 義﹄ の内 容は
︑ど のよ うな もの だっ たの であ ろう か︒ 総計 一五 六頁 の﹃ 國體 の本 義﹄ は︑
﹁緒
言﹂
︑﹁ 第一
大日 本國 體﹂
︑﹁ 第二
国史 に於 ける 國體 の顕 現﹂
︑﹁ 結語
﹂に よっ て構 成さ れて いる
︒第 一は さら に︑ 肇国
︑ 聖徳
︑臣 節︑ 和と
﹁ま こと
﹂に 分け られ
︑第 二は さら に︑ 国史 を一 貫す る精 神︑ 国土 と国 民生 活︑ 国民 性︑ 祭祀 と道 徳︑ 国民 文化
︑政 治・ 経済
・軍 事に 分け られ て︑ 古事 記︑ 日本 書紀 など から の引 用文 が適 宜配 置さ れて いる
︒全 般的 に説 諭 口調 であ り︑ 読み にく い難 解な 文体 であ る︒ 論旨 の基 本的 な方 向性 は︑ 日本 の國 體に よる 西洋 文化 の醇 化で ある
︒儒 教や 仏教 とい った 東洋 文化 をか つて 摂取 醇化 した よう に︑ 明治 以降 に摂 取し た欧 米の 近代 文化 を今 こそ 醇化 して
︑新 しい 日本 文化 を創 造し なけ れば なら ない
︑と い うの が︑
﹃國 體の 本義
﹄の 主張 なの であ る︒ そし てそ のた めに は︑ 外来 思想 が﹁ 我が 国情 に適 する か否 かが 先づ 厳正 に 批判 検討
﹂さ れね ばな らな いと され()7
︑西 洋文 化の 根柢 にあ る﹁ 個人 主義 的人 生観
﹂が
︑強 く拒 絶さ れる こと とな る()8
︒
﹁現 今我 が国 の思 想上
・社 会上 の諸 弊﹂ は︑ 日本 の國 體と 相容 れな い西 洋の 個人 主義 に一 部の 日本 人が 盲従 した こと に 起因 する
︑と され るか らで ある()9
︒ こう して
﹃國 體の 本義
﹄は
︑日 本の 西洋 化路 線に 批判 的な 立場 を取 る︒ ただ し︑
﹃國 體の 本義
﹄は 同時 に︑ 西洋 文化 の排 撃を 強く 戒め ても いる
︒日 本の 国民 性の 優れ た特 色と して
︑﹁ 包容
・同 化の 精神
﹂が 強調 され(10)
︑東 洋文 化を
﹁摂 取 醇化 して 皇道 の羽 翼﹂ とし たよ うに
︑西 洋文 化も 積極 的に 摂取 醇化 すべ きこ とが 力説 され るの であ る(11)
︒そ して その 結語 には
︑﹁ 世界 文化 に対 する 過去 の日 本人 の態 度は
︑自 主的 にし て而 も包 容的 であ った
﹂と の一 文が あり(12)
︑國 體明 徴は 西 洋排 撃で ない と繰 り返 し主 張さ れる ので ある
︒ さて
︑こ のよ うな 方向 性は
︑文 部省 の意 向で あり
︑と りわ け思 想局 長の 伊東 延吉 の意 向で あっ た︒ 編纂 会議 の席 上︑ 伊東 局長 自身 がこ の方 向性 の堅 持を 力説 した と︑ 草案 執筆 者の 志田 は回 想し てい る(13)
︒た だ︑ 伊東 たち 事務 局の 意向 は必 ずし も編 纂委 員た ちの 意見 を拘 束で きず
︑し かも 編纂 委員 の間 で︑ 意見 が対 立す るこ とも あっ た︒ しか し︑ 真剣 な調 整