ヒロ ミツ ケン タ ロウ
氏名(生年月日)
弘 光 健太郎
(1988 年 4 月 4 日)学 位 の 種 類
博士(心理学)
学 位 記 番 号
文博甲第 135 号
学位授与の日付2019 年 3 月 15 日
学位授与の要件
中央大学学位規則第 4 条第 1 項
学 位 論 文 題 目
自己身体認識に関する神経心理学的研究
論 文 審 査 委 員 主査緑川 晶
副査
山科 満・今水 寛
内容の要旨及び審査の結果の要旨
1.論文の目的
本論文は「自己身体認識」の成立メカニズム、すなわち自己の身体をどのようにして“自己のも の”として認識しているか、という問いに答えるため、認識する側である主体としての視点と認識 される側である客体としての身体という枠組みを設定した上で、各種の自己身体認識の障害をこの 枠組みに照らし合わせ、視点と身体が自己身体認識にどのように機能し、或いは障害されるのかを 明らかにすることを目的としたものである。
2.論文の構成 序文
1. 自己身体認識の構成要素 1.1. 自己身体認識とはなにか
1.2. 自己身体認識における主客の関係 1.3. 自己身体認識の障害
1.3.1. 身体を自己のものと認めない障害−半側身体失認と身体パラフレニア 1.3.2. 自己身体認識における主客の分離−体外離脱体験−
1.4. 自己身体認識における視点 1.5. 自己身体認識に関する発達研究
1.6. 自己身体認識の症例・発達研究から実験研究へ 1.6.1. 身体錯覚を用いた自己身体認識へのアプローチ
1.6.1.1. ラバーハンド錯覚 1.6.1.2. フルボディ錯覚 1.7. 本章のまとめ
〔1297〕
2. 本論文の目的と構成 2.1. 本論文の目的 2.2. 本論文の構成
3. 自己身体認識における視点 3.1. 本章の目的
3.2. 体外離脱体験における視点機能(研究 1)
3.2.1. 目的 3.2.2. 方法
3.2.3. 体外離脱体験の報告 3.2.4. 考察
3.3. フルボディ錯覚における俯瞰視点が自己身体認識に与える影響(研究 2)
3.3.1. 目的 3.3.2. 方法 3.3.3. 結果 3.3.4. 考察
3.4. 身体上における視点位置と皮膚書字知覚 3.4.1. 目的
3.4.2. 視点位置の変化が皮膚書字知覚に与える影響(研究 3)
3.4.2.1. 目的 3.4.2.2. 方法 3.4.2.3. 結果 3.4.2.4. 考察
3.4.3. 皮膚書字知覚の成立基盤(研究 4)
3.4.3.1. 目的 3.4.3.2. 方法 3.4.3.3. 結果 3.4.3.4. 考察
3.5. 位置の変化が前庭感覚に与える影響 −フルボディ錯覚における重心動揺−(研究 5)
3.5.1. 目的 3.5.2. 方法 3.5.3. 結果 3.5.4. 考察
4. 自己身体認識における客体としての身体の障害 4.1. 本章の目的
4.2. 脳損傷患者における客体としての身体の障害−触覚性消去を呈した脳損傷例の検討−(研究 6)
4.2.1. 目的 4.2.2. 方法 4.2.3. 結果 4.2.4. 考察
4.3. 精神病理における客体としての身体−解離症傾向者における自己身体定位−(研究 7)
4.3.1. 目的 4.3.2. 方法 4.3.3. 結果 4.3.4. 考察
4.4. 自己身体認識における自己感(研究 8)
4.4.1. 目的 4.4.2. 方法 4.4.3. 結果 4.4.4. 考察
4.5. 本章のまとめ −自己身体認識における客体としての身体の障害−
5. 総合考察
5.1. 各研究の要約 5.1.1. 研究 1 の要約 5.1.2. 研究 2 の要約 5.1.3. 研究 3・4 の要約 5.1.4. 研究 5 の要約 5.1.5. 研究 6 の要約 5.1.6. 研究 7 の要約 5.1.7. 研究 8 の要約 5.2. 自己身体認識の機序 5.3. 課題と展望
5.4. 結論 引用文献 謝辞
(研究構成)
3.概要と評価
本論文は、文献研究および 7 つの実験・調査研究からなる 5 章で構成されている。第 1 章は文献 研究が行われ、自己身体認識における特殊な二重性、すなわち自己の身体は認識される側であるに もかかわらず認識する側にもなり得る、という問題意識から始まり、これらの問題を脳損傷患者の 示す症状から考察している。特に象徴的なのは身体パラフレニアと呼ばれる脳損傷によって生じた 自身の麻痺を否認する病態と頸から下の固有感覚が障害された患者が示す病態である。身体パラフ レニアの患者は自分自身の麻痺している側の手を自己の身体として認めないにもかかわらず、鏡に 映った手であれば自己の身体として認識することができるという矛盾した振る舞いをすることが知 られている。また、固有感覚が障害された患者では、通常の状態では自己の身体の存在が認識でき ないため正常に動かすことができないにも関わらず、自己の身体を直接観察することによって適応 可能な状態となった。これらの病態に共通するのは“視点”である。さらに、発達心理学的な研究 や実験心理学的な研究からの知見を紹介し視点という切り口から自己身体認識に関する論考を深め ている。実験心理学的な研究では非自己の身体を自己の身体と見なしたり(ラバーハンド錯覚)、
ヴァーチャルリアリティを応用し、自身の体を他者の視点から見ることによって生じる体外離脱体 験(フルボディ錯覚)を紹介し、いずれも視点を通じた自己身体認識が重要であることを述べてい る。第 1 章では、これらの知見から仮説的なモデルを提示し、続く第 2 章において、本論文の主軸 となる目的を規定している。
これらの章では、哲学的な問題意識から端を発し、臨床神経学や実験心理学、或いは発達心理学 などの複数のアプローチから自己身体認識における視点の重要性を抽出した上で、視点が変数とし て機能する可能性を見いだした点は、非常に画期的であると言える。
としていることが複数の先行研究によって示され、その要因として前庭感覚が重要であると考えら れてきたが、この章ではバーチャルリアリティの手法を用いた複数の心理実験によって物理的な視 覚位置を移動させることで、直接的に前庭感覚を変容させることなく視点位置が移動すること、ま た視点位置の移動を伴ったとしても前庭感覚の混乱が生じないことを明らかにした。すなわち身体 外への視点位置の移動が前庭感覚のみに起因するものではないことを明らかにしたと言える。
これら一連の実験により、視点の成立要因のメカニズムの一部を明らかにした点、特に視点位置 の成立において視覚的な情報の優位性を示した点を高く評価したい。
第 4 章では、認識される客体としての身体に着目し、その機能的な構造と主体としての視点との 関係性について脳損傷患者を対象にした複数の検討がなされた。一つは、身体上の 2 点に同時に触 れると一方を無視してしまうという触覚性消去の患者を対象とした研究である。この患者は客体と しての身体の障害と見なされるが、腕交差をすることにより、身体上の座標は変わらないにもかか わらず視点を基準とした空間座標の影響を受けることが明らかとなった。また客体としての身体を 仮想的に操作する実験と客体としての身体の機能的な障害である解離症とのあいだに関連する可能 性を見いだし、さらに客体としての身体を成立させる要因の一つである自己感にも触れ、複数の脳 損傷患者の調査結果から、多くの脳損傷患者では自己感が障害されていることを明らかにした。
本章では、客体としての身体が成立する要因を示し、かつ主体としての視点との関係性について も示すことが出来た点において評価に値するが、示された結果が十分に整理・統合されたとは言い がたく、今後の展開が期待される。
第 5 章では、これまでの文献研究と自らの知見を融合させ、自己身体認識について包括的なモデ ルの提示が試みられた。すなわち主体としての視点は、一人称視点を起点として自己の身体の認識 が成立し、それが三人称視点によってメタ的な視点が形成され、それによっても自己身体の認識が 行われるということである。また一人称視点での認識は頭部に位置されるがそれが障害されること によって三人称視点が亢進され、体外離脱などの体験が生じると考えた。自身の 7 つの実験と調査 の結果から、冒頭に提示した仮説的なモデルを修正し、新たなモデルの提示がなされた(図)。そ の上で、本論文では最終的に次の 3 つの結論を導き出している。すなわち、1)自己身体認識は、主 体としての視点が客体としての身体を認識するという関係性において理解することができる、2)自 己身体認識の障害は、主体としての視点と客体としての身体の障害として規定できる、3)主体とし ての視点はその位置が頭部にあることで客体としての身体を認識できる、である。
本章では、これまでの成果をまとめただけではなく、これまでの自己身体認識の諸過程を包括す る新たなモデルの提示を試みた点において、その努力を認めたい。尚、類似の検討が見られない状 態の中での構築であることもあり、モデルの妥当性については、今後の批判を仰ぎたい。
4.本論文の評価
弘光健太郎氏は、自己身体認識の成立やその基盤に関心を持ち、大学院博士前期課程、後期課程 を通じて一貫して研究に取り組んできた。その中で本博士論文は、視点の役割を取り入れることに よって、自己身体認識の研究に対して新たな切り口を提供したという点において、本研究の功績は 非常に大きいと思われる。
本研究の特徴は、脳損傷患者における臨床研究と健常被験者を対象にした心理実験とを巧みに結 びつけている点にある。本邦でも一方の立場での研究は少なくないが、弘光氏は、自ら臨床現場で 患者と接することで、様々な現象(症状)に出会い、そこで得られた仮説を元に、健常被験者を対 象にした心理実験を実施するという独自の手法を用いた上で、いずれのフィールドにおいても、そ の強みを活かすことに成功したと言えよう。このような事が出来たのも弘光氏の研究者としての力 量に依るところが大きいと思われる。本論文は、そのような双方の立場で得られた知見を統合させ ることが試みられたという点からも高く評価に値するものである。
本研究の第二の特徴は、これまで統一的に語られることが少なかった自己身体認識の各種障害に 対して有力なモデルを提示し、それらの整理を試みたことにある。自己身体認識の障害のいくつか については、脳の機能や特定の部位との関連について言及されることはあったが、それらが統合さ れることはなかった。そこに「主体としての視点」と「客体としての身体」という枠組みを提示す ることによって、包含される幅が格段に広がることとなった。また提示されたモデルは、実験心理 学や発達心理学、或いは臨床心理学などとも接点を見いだすことができる可能性を提供したことも 本研究の功績である。
本研究は、学位申請論文として非常に高い水準にあるものであり、学位を認定するにあたって全 くもって問題ないものと判断する。その上で、さらに今後の研究に活かしてもらいたいという意味 でいくつかのコメントを付け加えたい。
いことを実証してはいるが、そのことと「前庭感覚の障害が自己身体認識の変化をもたらす可能性 がある」こととは別な話であると思われる。今後の課題として、自己身体認識における前庭感覚の 役割について更なる探求を行い、理論に統合していくことを目指してもらいたい。さらに、この研 究の目的が自己身体認識に関する新たな観点を提示することを目指しているのか、それとも、さま ざまな自己身体認識の障害を整理する観点としての枠組みを提示することに限定したものであるの か、やや不明瞭な点があった。最後に、研究 7 で捉えられている解離症傾向についてであるが、離 人症は極めて「自己」の障害に寄せて考えられるべき事態であると思われ、客体としての身体の障 害という括りには馴染まないように思われる。今後、この研究を進めていくにあたっては、離人症 を「客体としての身体」の障害の一つととらえることについては、さらなる検討を求めたい。
なお、以上の指摘は今後の研究を進めるにあたっての解決あるいは対応すべき点であり、本論文 の評価そのものを低めるものではないことを付け加えておく。
最終試験は、2019 年 1 月 15 日に行われ、試験終了後、審査委員会は一致して弘光健太郎氏への 学位授与を承認した。