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睡虎地秦簡《語書》釈文注解(下Ⅵ)

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(1)

睡虎地秦簡く語書V釈文注解

︵下w一

高 橋庸   郎

十二 許謁塞言以税︿示﹀治︑謹訊醜言廉研以頑︵示︶険︑院閲強

航以祠︵示︶強︑而上猶智︵知︶之殿︵也︶︒

工     2       3       4    5     一〇       7訂駒疾言して以って治を示し︑謹訊醜言廉研して以って険を示し︑

副  釧      地院間強航して以って強を示す︒而るに猜お上之を知るなり

ω許はく説文Vに︑﹁読謁也︑払言干聲︑一日︑訂差只齋楚謂信日訂﹂

︵読講なり︑言に瓜い干聲︑一に日く︑許は著︑齋楚は信を謂いて

訂と日う︶とある︒因みに誰はく説文Vでは︑﹁責也﹂とあり︑講は︑

﹁護言也︑必言爲聲︑詩日︑民之護言﹂︵謹言なり︑言に瓜い爲聲︑

詩に日く︑民之蟄言︶とある︒訂の字素である干は︑雫字の存在か

らも解るように︑雨請いの祈りを奉げる為に踊る巫の発する声に由

来し︑その音はやがて肝︑専︑越︑日などによって表わさるように

なる︒いまく説文Vに︑﹁訂は書なり﹂と言っており︑書はく説文V

に︑﹁苔也一日痛惜也︑必言差聲﹂とある︒更に杏はく説文Vに︑﹁謀      はか事日杏﹂︿事を謀るを杏と日う︶とある︒﹁痛惜﹂というのは︑痛惜

を感じた時に発する音声のことである︒︿集韻Vに︑﹁誉︑或作嵯﹂

      ︑   ︑   ︑   ︑   ︑   ︑   ︑   ︑と述べているのはそのことであろう︒即ち︑訂は正常ではなく発せ ︑  ︑  ︑  ︑      ︑  ︑  ︑  ︑  ︑    ︑  ︑  ︑  ︑  ︑  ︑  ︑られる声から︑曲った言葉︑正しくない言葉の意味を持つようになつたのである︒﹁訂︑誰講也﹂という所以である︒︿新書・穫容語Vに︑      しの﹁犯則凌人︑許則誕人︑伐則掩人﹂︵犯せば則ち人を凌ぎ︑証せば則

   いつわ      おおち人を諏り︑伐せば則ち人を掩う︶とある︒謁についてはく説文

新附Vは︑﹁謀也﹂とする︒因みに旬はく説文Vに︑﹁偏也︑十日爲

  あまねし旬﹂︵偏なり︑十日を旬と爲す︶とあり︑日のめぐりを表わした      ︑字である︒それが偏の意に伸引されたのであるが︑旬には直接︑謀

︑       ■るの意味はない︒この場合︑旬は音符であろう︒謁は︑尋︑巡︑訊       ︑の音と通じて︑意味的に謀の要素を持っているものと思われる︒即

 ■   ■      ︑   ︑   ︑   ︑  ︑   ︑   ︑   ︑   ︑ち訂謁はまちがった謀り事を表わすものと思われる︒ただ前に述た

訂には︑大の意味がある︒︿詩経・湊浦Vに︑﹁且往観乎︑清之外

     ま       み      ま二と   お曲洵訂且樂﹂︵且た往きて観む︑清の外︑淘に訂いに且つ樂︶とあり︑

その毛俸には︑﹁評︑大也﹂とあり︑鄭菱には︑﹁言其土地信寛大又

       ‡・二と樂也﹂︵其の土地信に寛大にして又樂しきを言う︶とある︒またく大

雅︑生民Vにも︑﹁鳥乃去棄︑后稜瓜集︒實豚實訂︑豚聲載路﹂︵鳥

       な    ま二と  なが      おお        そ        あ乃ち去り︑后稜瓜く︑實に軍く實に計いなり︑豚の聲路に載り︶

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(2)

      おおとある︒また同じく詩経・韓突Vに︑﹁孔樂韓土︑川澤訂訂﹂︵孔い       ︑  ︑に樂しき韓土︑川澤訂訂たり︶と︑訂訂の語が見える︒このく毛傳V

は︑﹁訂訂︑大也﹂とあり︑鄭菱には︑甚樂実︑韓之國土也︑川澤

寛大L︵甚しく樂し︑韓の國土なり︑川澤は寛大なり︶とある︒そ

      ︑  ︑      ︑  ︑してこのく詩経Vには許謁と酷似した訂護の語がみえる︒︿詩経・

抑Vに︑﹁有畳徳行︑四國順之︑許謹定︑■遠猶辰﹂︵畳徳の行有りて︑       きだ四國之に順う︑訂護にして命を定め︑遠猶にして告を辰む︶とあり︑

︿毛傳Vに︑﹁訂︑大︑護︑謀﹂︵訂は大なり︑謹は謀なり︶とある︒

また鄭菱は︑﹁大謀定命︑謂正月始和︑布政干邦國都部也﹂一大いに      ︑謀りて命を定め︑正月始めて和し︑政を邦國の都郡に布くを謂うな

り︶とある︒ここでは遠大高適な政策を定めるということである︒

   ︑  ︑       ●      .

つまり訂護の訂は大の意味である︒いまこの﹃語書﹄の場合も訂を

大の意味にとつてもよいのであるが︑そうすると鉤は単に謀り事と

いう意味で︑訂謁は︑大いなる謀りごとで︑証謀︑訂謹と同じ意味

になる︒この﹃語書﹄のこの部分は悪吏について述べた所であるか

     ︑  ︑  ︑      ■        ︑

ら︑単なる謀り事では前後の意味が通じにくい︑やはり︑訂は︑悪

︑      ︑   ︑   ︑  ︑      ︑   ︑       .い︑良くない︑誤りの意味にとった方がよいであろう︒よって訂を

■       ︑   ︑  ︑   ︑  ︑      ︑   ︑   ︑   ︑   ︑大の意味にではなく︑まちがった︑正しくないの意味にとっておい

た︒       ︑  ︑ω塞言︑疾は前文﹁疾事﹂に見えて説解した如くであるが︑また強圧

的にという意味もある︒︿孟子︑梁恵王下Vに︑﹁夫撫剣疾視日︑

匹夫敢當我哉﹂︵夫れ剣を撫して疾視して日く︑匹夫敢えて我に當

るべき哉︶とあり︑その趨岐注に﹁疾視︑悪視也﹂とある︒またく漢       二書︑襲勝傳Vに︑﹁疾言辮訟︑嫡護亡状︑皆不敬﹂︵疾言辮訟︑嫡謹      つつL       . .亡状は︑皆な敬まず︶とあり︑この疾言は﹃語書﹄のこの疾言と         ︑   ︑   ︑   ︑  ︑   ︑   ︑   ︑同じである︒つまり強圧的なもの言いの意味である︒治は前掲の如く︑︿説文Vでは︑﹁治水︑出東爽曲城陽丘山︑南入海﹂︵治は水なり︑東莱の曲城の陽丘山より出で︑南は海に入る︶とあって河川の       ︑固有名詞である︒しかし治がある一河川の名に当てられたのは後のことであって︑もともとは︑治水の治の意味が先であったに違いな

       .       ■      ︑い︒治字の字素としての台は︑今の以と同じ成立で音も等しく︑ひ

︑  ︑  ︑きいるの意であったものと思われる︒よって︑治は水をひきいる︑

  白き      即ち治めるの意となったのであろう︒ここの場合の治は︑政治的な

    ︑  ︑      ・

意味での統治を表わしていよう︒また視はく説文Vに︑﹁晴也︑瓜見︑      み示︑肌︑古文視︑砥︑亦古文視﹂︵晴るなり︑見と示に瓜う︑肌は

古文の視︑砥も亦た古文の視なり︶とある︒肌字のつくりは恐らく

示のもとの字体の不の変形であろう︒不は神の祭壇︑或いは神意の

啓示を意味するから︑肌は神にまみゆることを言う文字である︒亦

体字の砥のつくり︑氏は︑神砥の砥字の原初体である︒氏はく説文V       いたに︑﹁至也︑瓜氏︑下箸一︑一地也﹂︵至るなり︑氏に瓜う︑下に一

を箸く︑一は地なり︶とある︒氏は砥がそうであるように地の神を

表わすものである︒つまり氏に目をつけた砥は地の神にまみゆるこ

       .      ひぎ吉とを意味する︒視字のつくり︑見は︑目を大きく見開いて脆づい

ている所を象形した文字である︒それに示をつけて︑これもやはり

祭壇にむかって︑目を大きく見ひらき神にまみえていることを表わ

している︒朱駿聲のく説文通訓定聲Vに︑﹁視︑段借爲示︑︿漢書V

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(3)

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      か     か多以視爲示︑古通用字L︵視は段りに借りて示と爲す︒︿漢書Vは多く視を以って示と為す︒古の通用の字なり一とある所以である︒︿尚書︑洛諾Vに︑﹁公既定宅︑件來︑來視予卜休恒吉﹂︵公既に宅      Lめを定め︑俘來る︒來りて予にト休の吉なるを視す︶とあるなどがその用法の比較的古いものと言えるであろう︒ ω謹訊 この部分についての単行本の注は︑﹁謹︑疑遠カ彊︑︿准南子︑修秀V注︑盆戻︑悪理不通述︑︿説文V作薬︑云︑逮若掌︑与訊古音同部︑訊︑疑遠光淳︑乖戻︒﹂︵謹は︑疑うらくは読みて蛭と為すか︑︿准南子︑修務Vの注に︑いきどおりさからつて︑理をにくみて通達せず︑とある︒︿説文Vは肇でとっていて︑撃と同音で読み︑訊と古音は同じ部に属す︒訊は淳と同音に読むのではなかろうか︑意味は︑くいちがっているの意味である︶としている︒睡はく廣雅︑霧詰Vに﹁騒︑止也﹂とあり︑また王念孫は︑﹁騒者︑︿説

文V︑驚︑馬重貌︑︿史記・晋世家V云︑恵公馬鷲不行︑鴛與騒同﹂

︵騒はく説文Vの熱なり︑馬の重き貌なり︑︿史記・晋世家Vに︑

恵公の馬鷲にして行かずと云うは︑鷺は騒と同じ︶と言っている︒

   ●      ︑   ︑   ︑  ︑   ︑  ︑   ︑   ︑   ︑   ︑   ︑   ︑しかし騒には︑横暴で道理にのっとらないという意味もあり︑単行

本の注に見えるのがそれである︒︿准南子︑修務Vの本文は︑﹁胡

人有知利者︑而人謂之騒﹂︵胡人に利を知る者有り︑而るに人これ

を騒と謂う︶であり︑その高誘の注が︑﹁蛭︑盆戻悪理不通達﹂な

のである︒これから考えると︑蛭は︑胡人を悔蔑した言葉であろう

から︑語訊の意味にそうした他人に対する軽蔑が含まれているとい

うことには異論はない︒しかし一方︑時代は降るが︑︿龍盆手鑑V に︑﹁語︑俗︑誕︑正﹂︵謹は俗︑謹は正一とある︒或いは謹字には上古にも誕の意味が含くまれていたかもしれない︑諏はく説文Vに︑﹁加也﹂とする︒段注は︑この加は架のことで︑如言とは加空のことであり︑加と謹とは段替を兼ね︑毅替で実を以ってしないものを諏と言う︒また事について信じられないのを謹というのだとしている︒即ち︑謹もやはりここでは当然いい意味ではなく︑あざむく言葉︑そしる言葉と解していいであろう︒訊はく説文Vをはじめとする歴代の字典の類には見えない︑八はく説文Vに︑﹁別也︑象分別       そむ      かたど      .相背之形﹂︵別なり︑分別して相い背く形を象る︶とある︒杁字はく説文Vには見えないが︑宋代のく集韻Vには︑﹁杁︑撃也﹂或いは︑

﹁杁︑破也﹂或いはく廣韻Vには︑﹁杁︑破聲﹂などとある︒これら

を見ると八音には︑破る︑打つ︑ひきはがすなど︑時には援にも共

通する意味を持っていることが解る︒つまり訊とはそうしたイメー

ジの言葉を表わすものではなかろうか︒

㈲璽言 醜はく説文Vに︑﹁可悪也﹂とある︒璽言とは︑他人から

みて︑みにくいと思われるような物言いのことである︒

㈹廉研 廉はく説文Vに︑﹁蜜囑︑瓜鹿表省聲﹂とある︒これにつ

いて段注は︑﹁鉱本作冒層︑錯本作築囑︑今依駒會本廉者蜜囑也−⁝﹂

︵鉱本は官の層に作り︑錯本は桑の囑に作る︒今謁會本に依って廉

は豊の囑なり⁝⁝︶として鹿の類としての説解に重点をおいている

が︑その末尾に︑﹁詩鄭風︑馴介廉廉︑傳云︑武貌蓋傭傭之段借字

也﹁︵詩︑鄭風︑劇介廉庶の傳に云く︑武の貌なり︒蓋し偏傭の段借

の字なり︶とある︒またこの廉についてく説文Vは︑﹁行貌﹂︵行く

       三

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の貌︶とし︑段注は︑﹁齊風︑載駆日︑行人偏偏︑傳日︑偏傭衆貌︑

許日︑行貌者義得互相足也︑廣雅亦日︑偏偏行也︑玉篇日︑傭偏盛

貌也﹂︵齊風の載駆に日く︑行人傭傭たりと︑傳に日く︑傭傭は衆

の貌なり︑許行貌と日ふは︑義互いに相い足るを得るなり︑廣雅に

亦日く︑欄⁝偏は行なりと︑玉篇に日く︑傭偏は盛んなる貌なりと︶

としている︒いまく説文Vでは麗⁝の説解に︑﹁重火聲﹂とあり︑この

粟を廉字に当てれば優字を得︑これは標である︒標はく説文Vに︑

﹁軽也︑瓜人戻聲﹂とある︒これの段玉裁の注は︑﹁方言日︑侃標軽

也︑楚凡相輕薄或謂之侃︑或謂之係也︑班固賦日︑難輕迅與係狡︑

按古或假瓢爲之︑係亦作漂﹂︵方言に日く︑侃は係輕なり︒楚では

凡そ相い軽く薄きを或いは之を侃と謂い︑或いは之を標と謂うなり︑

班固の賦に日く︑輕迅なりと難ども標狡に與す︑按ずるに古或いは

瓢を儂りて之を為す︒係亦た標に作る︶とする︒そこで古くは僚と

瓢とは通じていたと思われる︒そして瓢についてく説文Vは︑﹁碇

刺也﹂とする︒この碇は刺と同意義であろう︒これについて段玉裁

は︑﹁謂碇之刺之皆日瓢也︑砿者以石刺病也︑刺者直傷也︑碇刺必

用其器之末︑因之凡末謂之剰﹂一之を硬し之を刺す皆な瓢と日うなり︑

碇は石を以って病を刺すなり︑刺せば直に傷するなり︒砥は必らず

其の器の末を用いてするなり︑之に因りて凡そ末は之を副と謂う︶

という︒即ちこのく語書Vの場合の廉は瓢と同じで何らかの器具で

相手を刺すことを言うのである︒よってここでは︑その器具は言葉

と考えればよいであろう︒研はく説文Vに︑﹁研︑撃也﹂とある︒

またこれは攻撃することでもある︒△二國志︑呉志Vに︑﹁至二更時︑       四衡枚出研敵L︵二更に至りし時︑枚を街み出して敵を研す︶とある︒この場合はこれに当るとも考えられる︒しかし一方く方言Vに︑﹁療︑験一也︑揚︑越之郊凡人相侮以爲無知之明︑餌︑耳目不相信也︑或謂     おろか      あなど之研﹂︿擬は験なり︑揚越の郊︑凡そ人相い侮るに以って無知の胴と為す︑餌は耳目の相ひ信じざるなり︑或いは之を研と謂う︶とあり︑その郭瑛注に﹁研︑頑直之貌︑今關西語亦然﹂︵研は頑直の貌なり︑今の關西の語も亦た然りなり︶とある︒研の持つ以上二つの意味のうち︑どちらを取るかは難しい所であるが︑﹁無知﹂というのは飽くまで方言である︒確かにこのく語書Vを発した騰という人物は南部の守である︒それはく方言Vに言う所の揚地方にも入るであろうから︑揚地方の方言に解してもよい︒しかしこの文書はや      ︑  ︑はり政治的通達文書であることを考えるなら︑研は隠当に撃つと考えた方がよいであろう︒即ち廉研というのは︑相手を攻撃するようなものの言い方をいうのであろう︒ω険 険はく説文Vに︑﹁阻難也﹂とある︒︿萄子︑天論Vに︑﹁政険失民﹂︵政険なれば民を失う︶とあり︑その楊椋の注に︑﹁政険︑威崖也﹂︵政険とは威虐なり︶とある︒権勢をかさにきて暴虐をふるうことである︒㈹院悶航はく説文Vに︑﹁門也︑瓜童︑尤聲﹂︵門なり︑匡に瓜い︑尤聲︶とあり︑鉱注に︑﹁臣鉱等日︑今俗作抗非是﹂︵臣銭等日く︑今俗に坑に作るは是に非ず︶とある︒これはく玉篇Vが︑﹁院︑亦作坑﹂或いは︑﹁院堵也﹂﹁院︑池也﹂などとするのを牽制したものであろう︒しかしく説文Vの宋本は門を閻としている︒この点につ

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(5)

いて段玉裁は︑﹁閲者門高大之貌也︑引伸之︑凡孔穴深大︑皆日間︑

院揮詰云︑虚也地之孔穴虚塵與門同故日閻也﹂︵間は門の高大の貌

なり︑之を引伸して︑凡そ孔穴の深大なるは︑皆間と日う︒院は穣

詰に云く︑虚なりと︑地の孔穴虚虜にして門と同じ︑故に問と日う

なり︶という︒閲はく説文Vに︑﹁門高也︑杁門良聲︑巴郡有閻中縣﹂

 ^門の高きなり︒門に瓜い良聲︑巴郡に閲中縣有り︶とある︒院は

尤聲で︑閲は来宕切である︒コウとロウの相違がある︒尤の⊥はく説

文Vに︑﹁高也︑此古文上指事也﹂︵高きなり︑此れ古文︑上は指事

なり︶とある︒几はく説文Vに︑﹁腸几也︑象形︑周程︑五几︑玉几︑

雌几︑形几︑黍几︑素几﹂とある︒即ち机の几で︑よりかかる机︑

台状のものであり︑そば立っているものを言うのである︒故に象形

である︒つまり︑院とは︑高くそびて立っているもので︑それに色

がついて︑神の寄りしろとなっているものを︑もともとは表わした

のであろう︒それが高大な門と一致するのである︒その点︑閲は門

という形状を表わしながらも︑良聲に意味があろう︒それは︑老︑

朗︑浪︑廊︑棲︑瀧︑婁︑龍︑塙︑瀧などと共通するものである︒

つまり高く︑広大で︑あかるいなどの意味である︒ここの院閲とは︑

高慢でいたげだかな言動を言ったものであろう︒

 ⑨強航 強はく説文Vに︑﹁斬也︑瓜虫︑弘聲︑摺文強瓜蝕瓜彊﹂

︵斯なり︑虫に瓜い︑弘聲︑稽文の強は蝕に瓜い彊に瓜う︶とある︒

除錯はそれに注して︑﹁弘與強聲不相近︑秦刻石文︑瓜口︑疑瓜摺

文省﹂︵弘と強とは︑聲相い近からず︑秦の刻石文は口に瓜う︑疑

ふらくは穐文の省に瓜うか︶と述べている︒因みに斬はく説文Vに は︑﹁強也︑瓜虫︑斤聲﹂とあって互訓になっている︒斬は恐らく蜥の一種であろう︒蜥はく説文Vに︑﹁蜥易也︑瓜虫︑折聲﹂とある︒蜥易とは︑蜥蜴のことで︑所謂トカゲである︒強が︑その糟文︑古文ともに飽くまで虫字に瓜っている所を見れば︑この字は本来やはり︑トカゲの一種につけられた固有の名であったに違いない︒強弱の強は本来彊字であったのを︑強字を借りて彊に当てたのであろう︒所が借字の強がより一般化して︑隊に彊字を駆逐し去ったのである︒勿論このく語書Vの場合の強も︑己に虫の名ではなく彊の意味になっている︒彊はく説文Vに︑﹁弓有力也︑瓜弓百亘聲﹂︵弓で力有るなり︑弓に瓜い蔓聲︶とあり︑昌は同じくく説文Vに︑﹁界也︑瓜冨︑      さかい三其界書也﹂︵界なり︑畠に瓜い︑三は其の界婁なり︶とある︒ということは貫は音符であって︑それに強の意味はないということである︒強の意味は寧しろ弓にあるということになる︒︿説文Vには︑躬字があって︑﹁彊也︑炊二弓﹂とあるから弓に強の意味があるのであろう︒航はく説文Vに見えない︒尤はあって︑﹁人頸也︑瓜大省︑       くび       かたど象頸脈形﹂︵人の頸なり︒大の省に瓜う︒頸脈の形に象る︶とある︒この場合の尤は︑前の院の尤とはその成立は異るとの説解である︒しかし﹁象頸脈形﹂というのはどうも肯首しかねる︒この尤もやはり院の場合と同じように高くそそり立つ姿を表わしたものということで頸をいうのであろう︒よって強航というのは︑傲然と頭をあげて︑相手を威嚇しているような姿を表現したものと思われる︒故に強航の強は︑︿戦國策︑趨策Vに︑﹁老臣今者殊不欲食︑乃自強歩︑

旦二四里﹂︵老臣︑今は殊に食を欲せず︑乃ち自から強いて歩すこと︑

       五

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      ︑  ︑  ︑  ︑  ︑  ︑  ︑  ︑         ︑  ︑日に三四里︶などに見えるような自分からつとめて⁝⁝するという

意味であろう︒また後文の強は他者に対して強迫的に威圧するとい

う意味である︒

①Φ智之 く単行本Vはこれに対して︑﹁智之︑汰光有才能﹂︵之を智

るのは︑才能があると見なすこと︶と注しているが︑それはどうで

あろうか︒之は指示代詞であるから必ず指し示す対象があるはずで

ある︒しかしこの注のいう﹁有才能﹂語は前文のどこにもない︒故

にこの之はやはり︑﹁争書︑因善兵目掘棺以視力﹂以下﹁院閻強航

以視強﹂まで全体を示すと考えるべきであろう︒

士二 故如此者不可不爲罰︒襲書︑

曹薗之︒ 移書曹︑曹莫受︑以告府︑府令

故に此の如き者は罰を爲さざる可からず︒書を護し︑書を曹に移す

      な       屹も︑苗曼ける莫ければ︑以って府に告し︑府曹に令して之を薔す︒

ω罰 く説文Vに︑﹁皐之小者︑瓜刀音︑未目刀有所賊但持刀罵音

    つみ      もつ  .モニな則膳罰﹂︵皐の小なるものなり︒刀と音に瓜う︑未だ刀を目て賊う

所有らざるも但だ刀を持ちて罵音すれば則ちまさに罰すべし︶とあ

り︑その段玉裁の注は︑﹁皐犯法也︑罰爲犯法之小者︑刑爲罰皐之

重者︑五罰輕於五刑﹂︵皐は法を犯すなり︒罰は法を犯すの小なる

者たり︑捌は皐を罰するの重き者たり︒五罰は五刑より輕し︶とす

る︒更に段注は続けて︑﹁説從刀音之意︑罰者但持刀而音則法之︑        六然則刑者謂持刀有所賊則之別其犯法之軽重也L︵刀と音に従うの意を説けば︑罰は但し刀を持ちて言せば則ち之に法し︑然らば則ち剃      そ︐−なは刀を持ちて賊う所有れば則ち之に法するを謂うなり︶とする︒しかしく語書Vのこの場合は必ずしも判より軽い意味としての罰を言っているわけではあるまい︒勿論それはこのく語書Vという文書が︑どういう権威のもとに︑どれ程の重き糾弾の意味が込められて発布されているかによるのであるが︑ここに言われている悪吏に対する非難は相当に強いものと感じられるから︑恐くこの罰の度合いから言えば寧ち剤に近いのではないかと思われる︒ω府 く説文Vに︑﹁文書藏也︑炊庁付聲﹂︵文書の藏なり︒庁に瓜い付聲︶とある︒段注には︑﹁文書所藏之虜日府︑引伸之爲府史胃.徒之府︑周榿府六人︑史十有二人︑法云︑府治藏史掌書者又大宰以八法治官府︑注云︑百官所居日府﹂︵書所藏する所の虜を府と日う︑之を引伸して府︑史膏徒之府と爲す︒周榿に︑府六人︑史十有二人とあり︑注に云く︑府は藏を治め︑史は書を掌る者なり︒又大宰は八法を以って官府を治むとの注に云く︑百官の居する所を府と日う︶とある︒通釈 よくない謀り事や強圧的なものの言い方で︑人々に統治を誇示し︑人をあざむくような辞言や︑醜いいい方︑また人をあなどった攻撃的ないい方で人々に恐怖心を植え付け︑また傲慢で居丈高な態度で

人々を威圧するのであるが︑上はそうした事をよく知っているので

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(7)

ある︒故に二うした良くない官史達は罰しないで放置するわけには

いかないのである︒よってこの文書を発布し︑それぞれ地方の役人

の所へ送りとどけさせるが︑もしその役人がこの文書の内容を受け 入れないということがあれば︑直接地方の行政府に告知し︑政府から役人に対してその責を負うようにさせよ︒ その行

︵一九九四年四月十五日受理︶

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