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睡虎地秦簡《語書》釈文注解(中)

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(1)

睡虎地秦簡く語書V釈文注解 ︵中︶

高   橋 庸   郎

語   書

一︑廿年四月丙戌朔丁亥︑南郡守騰謂縣︑道奮夫︑古者︑民各有郷

 俗︑其所利及好悪不同︑或不便於民︑害於邦︒是以聖王作爲法

 度︑以矯端民心︑去其邪避︵僻︶︑除其悪俗︒

困凶

 1      2         3       4  5       6

 廿年四月丙戌朔丁亥︑南郡守の騰︑縣道の薔夫に謂う︒古くは︑     刊  民各々郷俗有り︑其の利する所及び好悪同じからず︑或いは民に

 劃        副      ⑪       旦       岨

 便ならず︑邦に害す︒是れを以って聖王作して法度を爲り︑以っ      m  て民心を矯端し︑其の邪僻を去り︑其の悪俗を除く︒

囲蝿 ω 廿年 この﹁廿年﹂とは高敏が﹃雲夢秦簡初探﹄の中で指摘し

たように秦始皇の二十年である︒秦では昭王の時代が五十六年続い

たのであるが︑南郡が置かれたのは昭王二十九年である︒故に﹁南

郡守﹂が発したこの文書の﹁廿年﹂が昭王の二十年ではあり得ない ということは明かである︒昭王の後は﹃編年記﹄でも解るように孝 文王が一年︑壮王が三年しかつづいていない︒よってこの﹁廿年﹂ は秦始皇二十年のことである︒ ② 朔 ﹃説文﹂に︑﹁月一日始蘇也︑瓜月︑サ聲﹂とある︒写真図 版の字は判読し難いが︑月字が腹太となっているのがこの秦墓竹簡 文字の特徴と考えると理解出来る︒朔は月のたつ日で初一日であ る︒丙戌が初一日であると丁亥は初二日ということになる︒ ③ 南郡 南郡が置かれたのは︑序目にも書いた如く︑昭王二十九 年に大良造白起が楚を攻めて︑郭を取ってそれを南郡としたのであ る︒それはこの﹃語書﹂が発せられる五十年前のことである︒ ω 騰はこの南郡守の名であるが︑これについては高敏の﹁雲夢秦 簡初探﹄の中に﹁南郡守騰的経歴及其発布︽文書︾的意義﹄という 論文があって興味深い説が展開されているので後に訳出しておく︒ ㈲ 縣は﹁秦本紀﹂孝公十二年に︑﹁作爲威陽︑築糞闘︑秦徒都之︒ 井諸小郷聚︑集爲大縣︑縣一令︑四十一縣﹂︵作りて戚陽と爲し︑

糞閾を築き︑秦は都を之に徒す︒諸の小郷聚を井せて︑集めて大縣

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(2)

と爲し︑縣は一令︑四十一縣なり︶とある︒﹁正義﹂に︑﹁萬二千五

百家爲郷︒聚猶村落之類也﹂︵萬二千五百家を郷と爲す︒聚は猶ほ

村落の類のごときなり︶とあるから︑しれによると県は最低五百戸

以上を擁していたことになる︒この﹁秦本紀﹂の記述は商王の変法

改革によって行われたらしく﹁商君列傳﹂には孝公に仕えた商執の

事業の一つとして︑﹁於是以鞍爲大良造︑將兵園魏安邑︑降之︑居三

年︑作爲築糞閾宮庭於威陽︑秦自推徒都之︑而令民父子兄弟同室内

息者爲禁︑而集小︵都︶郷邑聚爲縣︑置令丞︑凡三十一縣﹂︵是に

於て軟を以って大良造と爲し︑兵を將って魏の安邑を園み︑之を降

す︒居ること三年にして作爲りて糞閾宮庭を戚陽に築き︑秦は碓よ

り都を之に徒す︒而して民に令し︑父子兄弟室を同じゆうし内息す

るは禁と爲す︒而して小︵都︶郷邑聚を集めて縣と爲し︑令︑丞を

置き︑凡そ三十一縣︶とあり︒﹁秦本紀﹂と県の数は合わないが他

はほぽ一致する︒即ちこの時初めて秦は県を置いたのである︒﹁六

國年表﹂の孝公十二年の条にも︑﹁初︵取︶︹聚︺小邑爲三十一縣︑

令﹂︵初めて小邑を聚めて三十一縣︑令と爲す︶とある︒しかし抑そ

も縣を最初に置いたのは楚であったらしく︑﹁楚世家﹂の荘王十六

年に︑﹁伐陳︑殺夏徴野︑徴野絨其君︑散諌之也︑已破陳︑印縣之﹂

︵陳を伐ち︑夏徴箭を殺す︒徴野は其の君を拭す︒故に之を諌する

なり︒已に陳を破り︑印ち之を縣とす︶とある︒これは秦で言えば

桓公六年に当り︑秦孝公十二年からは二百五十年近くも前に当る︒

しかし﹁楚世家﹂では前文に続いて申叔時の言葉として︑﹁郡語日︑

牽牛種人田︑田主取其牛︑樫者則不直夷︑取之牛不亦甚乎︑且王以       二 陳之馳而率諸侯伐之︑以義伐之而貧其縣︑亦何以復令於天下﹂︵都 語に日く︑牛を牽きて人の田を径けば︑田主其の牛を取ると︑径く 者直からざるも︑之より牛を取るは亦た甚しからざるか︑且つ王陳 の劇を以って諸侯を率いて之を伐つに︑義を以って之を伐つに其の 縣を食る︑亦た何を以って天下に復令せむ︶とあり︑これからみる とこれより以前に陳にも縣と呼ばれるものがあったようであるしま た同じく﹁楚世家﹂の霊王十二年に︑﹁且入大縣而乞師於諸侯﹂︵且 く大縣に入りて師を諸侯に乞う︶とあり︑こうした後の二例など は︑﹃周礎・地官﹂に︑﹁途人掌邦之野︑以土地之圓経田野︑造縣部 形鶴之濾︑五家爲鄭︑五螂爲里︑四里爲鄭︑五鄭爲郵︑五部爲縣︑ 五縣爲遂﹂︵遂人は邦の野を掌り︑土地の圖を以って田野を纏る︒ 縣郡の形麗の灌を造る︒五家を螂と爲し︑五鄭を里と爲し︑四里を 鄭と爲し︑五鄭を邸と爲し︑五郵を縣と爲し︑五縣を途と爲す︶と       ● あるものであって秦の新制によるものの前のものであろう︒道は

﹃史記・孝文紀﹄に︑﹁華臣請虜王蜀嚴道︑耶都︑帝許之﹂︵筆臣蜀

嚴道︑耶都に王たるに慮するを請う︒帝之を許す︶とあって︑その

﹁正義﹂に︑﹁嚴道今爲縣︑印耶州所理縣也︑縣有蟹夷日道︑故日

嚴道﹂︵嚴道は今縣と爲る︒印ち耶州の理むる所の縣なり︒縣に蟹

夷有るを道と日う︑故に嚴道と日う︶とあり︑漢初には縣でも異民

族の住む地を道と言っていたことが解る︒﹃漢書・百宮公卿表﹂に

も︑﹁列侯所食縣日國︑皇太后︑皇后︑公主所食日邑︑有蟹夷日道﹂

︵列侯の食する所を國と日い︑皇太后︑皇后︑公主の食する所を邑       ■ と日い︑蟹夷有るを道と日う︶とある︒道が朝廷の行政区画として

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(3)

正式に取り入れられるのは唐代からである︒

㈹ 薔人 薔は﹃説文﹂に︑﹁愛溜也︑瓜來︑瓜直︑來者向而藏之︑

故田夫謂之奮夫﹂︵溜を愛するなり︒來に瓜い︑向に瓜う︒來れば一回

して之を藏す︒故に田夫は之を薔夫と謂う﹂とあるが︑この溜は同

じく﹃説文﹂に︑﹁不滑也﹂︵滑かならざるなり︶とあってその意は

詳かでない︒向は﹁説文﹂に︑﹁合︑穀所振入︑宗廟棄盛倉黄薗而

取之︑故謂之向︑瓜入︑回象屋形︑中有戸糖﹂︵穀の振り入れる所︑

宗廟の棄盛は黄薗に倉めて之を取る︒故に之を一回と謂う︒入に瓜

う︒回は屋形を象し︑中に戸糖有り︶とある︒つまり薗とは穀物を

入れて置く倉庫である︒また﹁倉庫に収める﹂という動詞としても

使われている︒また谷については段玉裁が︑﹁穀者百穀縄名︑中庸

注日︑振猶収也︑手部日振撃也︑周薩注日︑米藏日虞﹂︵穀は百穀

の縄名なり︒中庸の注に日く︑振は猶お収のごときなりと︑手部に

日く︑振は撃なりと︑周檀の注に日く︑米藏を度と日うと︶また︑

﹁蒼黄向而取之故謂之直﹂についても︑﹁蒼蕾作倉︑今正︑薗而取之

之向當作流︑痘痩寒也︑凡戒愼日筑︑痘亦作懐︑懐漢書通作虞︑虞

許云︑痘而取之故謂之薗︑狡薗愚鵠︑如上文蒼黄︑取而藏故謂之

倉︑藏倉愚駒也﹂︵蒼は奮くは倉に作る︒︽段注本﹃説文﹂は倉を

蒼に作ってある︾今正す︒薗而取之の薗は當に痘に作るべし︑向痘

は寒なり︒凡そ戒しめ愼しむを凍と日う︒痩は亦た懐に作る︒懐は

漢書に通じて塵に作る︒塵は許が︑痘して之を取る故に之を薗と謂

うと云う︒療古は盤静なり︒上文の蒼黄の如L︒取りて藏する故に

之を倉と謂う︒︶と言い︑また薔字についての﹃説文﹄︑﹁瓜來向來 者箇而藏之故田夫謂之薔夫﹂についても︑﹁説以來薗之意也︑薔者 多入而少出︑如田夫之務蓋藏︑散以塞回會意薔夫︑見左傳所引夏書 漢制︑十亭一郷︑螂有三老︑有殊︑薔夫漉徽皆少吏之属﹂︵來と向 に瓜うの意を説くなり︒薔は多く入れて少く出す︒田夫の務は蓋し 藏するの如し︑故に來と薗を以って意と薔夫に會す︒左傳に引く所 の夏書漢制に︑十亭は一郷︑螂に三老有り︑秩有りと見える︒箇 夫︑漉徽は皆な少吏の属なり︶と説いている︒こうして見ると薔夫 はもと穀物を倉に出し入れすることを掌った小役人を表わしたので あろう︒それがやがて県以下の地方行政機構の責任ある役人を指す ようになったものと思われる︒﹃単行本﹂の注に︑﹁古代官名︑据簡 文︑具及具以下地方行政机杓及都官的負貴人都可称薔夫︒按都官是 朝廷渚官宜属机杓︑汲代九卿所属机杓令︑長称六百石︑和具令同 扱﹂︵古代の宮名︑木簡や竹簡等の文献によれば︑県や県以下の地 方行政機構及び都官の責任者はすべて雷夫と称することが出来る︒ 思うに都官は朝廷の諸官の直属の機構で︑漢代の九卿の所属する機 構の令は︑高官は六百石で県令と同扱である︶とあるのはそれを言

ったものである︒

         .       ■      ●      ●

㎝ 郷俗金文には饗の字はあるが郷はない︒恐らく郷の初文は饗

であったのであろうが︑その分化の過程は明かでない︒一方で卿の

初文も饗であったようであるから卿と郷は何等かの共通性を持って       ■ いるはずである︒康般の﹁文字源流淺説﹂には︑卿について︑﹁象

雨人相封食皇之状︑固有宴饗︑相郷呵之意︒甲文或作雨張口的人形之

雰以示食︒後借声意︑以爲郷士︑公卿字︑象作誰又分化爲饗︑縄︑

      三

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(4)

餉⁝⁝諸字︒秦象又在此基礎上造出介瓜二邑的鵠郷字以指基層組

織︑政権︑完全是一新字﹂︵両人相い対して皇を食するの状を象る︒

固より宴饗︑相縄の意有り︒甲文は或いは雨り口を張らく人形の雪

を以って食を示す︒後に声意を以て︑卿士︑公卿の字とす︒象は艶

に作り︑又文化して饗︑縄︑館⁝⁝の諸子となる︒秦象は又此の基

礎の上に一つの二邑に瓜う鞭字を造り出し︑以って基層組織︑政権

を指すが︑完全に一新字である︶とするが︑ここにも卿と郷との関

係は述べられていない︒﹃説文﹂には郷を兜でとり︑﹁國離邑︑民所

封郷也︑箇夫別治︑封折之内六郷六郷治之﹂︵國の離邑︑民の封ず

る所は郷なり︒薔夫別に治む︑折の内に六郷を封じ︑六郷之を治

む︶とある︒﹁國離邑﹂について段注は︑﹁離邑如言離宮別舘︑國興

邑名可亙個︑柾言之︑則國大邑小︑一國中離析爲若干邑﹂︵離邑は

離宮︑別館と言うが如し︑國と邑とは名亙偶す可し︑析して之を言

えば︑則ち國は大邑は小︑一國の中に離析して若干の邑とす︶とい

い︑また﹁民所封郷也﹂については︑﹁封猶域也︑郷者今之向字︑

漢字多作郷︑今作向︑所封謂民域︑其中所郷謂蹄往也︑澤名日郷向

也︑民所向也︑以同音爲訓﹂︵封は猶お域のごときなり︒郷は今の

向字を漢字多く郷に作るも今向に作る︒封ずる所は民域を謂う︒其

の中で郷する所は騎往を謂うなり︒輝名に日く︑郷は向なり︒民の

向う所なり︒同音を以って訓と爲す︶とする︒郷が向と通じている

ことは︑﹃説文通訓定聲﹂に︑﹁郷︑段借爲向﹂︵郷は展借して向と

爲す︶とあるし︑﹃正字通﹂には︑﹁郷︑與向響通﹂︵郷は向︑縄と

通ず︶ともあることによって理解される︒しかし﹃説文﹂のこの       四

﹁民所封郷﹂の郷を向に解することは疑問が残る︒郷は行政区画と

して秦漢の制にあり︑﹃漢書・百官公卿表﹂には︑﹁縣大率十里一

亭︑亭有長︑十亭一郷︑郷有三老︑有秩︑薔夫︑澁徴︑三老掌教

化︑奮夫職魏訟︑収賦税︑漉徴︑循禁賊盗︑凡郷六千六百二十二﹂

︵縣の大率十里は二苧︑亭に長有り︑十亭は一郷︑郷に三老有り︑

秩有り︑薔夫︑漉徴︑三老は教化を掌る︒薔夫の職は訟を聴き︑賦

税を収め︑漉徴は賊盗を循禁す︒凡て郷は六千六百二十二あり︶と

ある︒また司馬彪の﹃百官志﹂には︑﹁郷置有秩三老︑漉徴︑郷小

者置薔夫一人﹂︵郷には秩有る三老︑漉徴を置く︑郷の小なる者は

薔夫一人を置く︶とある︒しかし実際には郷は秦以前にもあった︑

例えば﹃周濃︑地官﹄に︑﹁令五家爲比︑使之相保︑五比爲閻︑使

之相受︑四闇爲族︑使之相葬︑五族爲黛︑使之相救︑五黛馬州︑使

之相鯛︑五州爲郷︑使之相廣﹂︵五家を令して比馬らしめ︑之を相

い保しめ︑五比を閻と爲し︑之を相い受けしめ︑四閻を族と爲し︑

之を相い葬せしめ︑五族を黛と爲して︑之を相救はしめ︑五黛を州

と爲して︑・之を相い賜わしめ︑五州を郷と爲し︑之を相い膚せし

む︶とある︒またこの部分の鄭氏注には︑﹁閻︑二十五家︑族︑百

家︑黛︑五百家︑州︑二千五百家︑郷︑萬二千五家﹂とある︒また

春秋の斉にも郷があった︒﹃國語・齊語﹂には︑﹁管子於是制國以爲

二十一郷︑商工之郷六︑士郷十五︒公帥五郷焉︑國子帥五郷焉︑高

子帥五郷焉﹂︵管子是に於て國を制するに以って二十一郷と爲し︑

商工之郷は六︑士郷は十五なり︒公は五郷を帥い︑國子は五郷を帥

い︑高子は五郷を帥いるなり︶とあり︑更に︑﹁管子於是制國︑五

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(5)

家爲軌︑軌爲之長︑十軌爲里︑里有司︑四里爲連︑連爲之長︑十連

爲郷︑郷有良人焉﹂︵管子是に於て國を制し︑五家を軌と篇し︑軌

は之に長を爲り︑十軌を里と爲し︑里に司有り︑四里を運と爲し︑

連は之に長を爲り︑十連を郷と爲し︑郷に良人有り︶とある︒こう

した秦漢以前の郷はそんなに確定的なものではなかったであろう︒・

恐らく郷の初文である饗がもっていたような︑饗という儀礼が行わ

れていた一定の衆落の単位という意味を踏襲していたものと思われ

る︒﹃論語・推也﹂に︑﹁原恩爲之宰︑與之粟九百︑鮮︑子日︑排︑

以與爾隣里郷黛乎﹂︵原思︑之が宰たり︑これに粟九百を與う︒鮮

す︒子日く︑揖れ︑以って爾が隣里郷黛に與えんか︶に見える郷の

意味︑即ち﹁隣近所の村﹂ぐらいの意味であろう︒﹃論語・郷黛﹂

にも︑﹁孔子於郷黛拘悔如也︑似不能言者︑其在宗廟朝廷︑便僅言

唯謹爾﹂︵孔子郷黛に於いて拘淘如たり︒言こと能わざる者に似た

り︒其の宗廟朝廷に在りては︑便便として言い︑唯だ謹しむ︶とあ

り︑これも自分の日頃から居住する所の村ぐらいの意味である︒俗

は﹁説文﹂に︑﹁習也﹂とあるのみである︒段注も︑﹁以隻聲爲訓︑

習者数飛也︑引伸之凡相数謂之習﹂︵襲聲を以って訓と爲す︒習と

は藪たび飛するなり︒之を引伸して︑凡そ相い数ぺること之を習と

謂う︶とするだけで︑その字自体の説解は試みられていない︒これ

は形声の字で谷の音に意味があるのである︒コクは中心に凝り固っ

たものの意味である︒人が集った所に生ずるものが俗なのであろ

う︒﹃周穫・大宰﹂の︑﹁穗俗以駆其民﹂︵橦俗は以って其の民を駆

す︶の注に︑﹁橦俗昏姻喪紀奮所行也﹂︵檀俗の昏姻喪紀は︑蕾く行 われる所なり︶とある︒また同じ﹃周穫・地宮﹄の︑﹁六日︑以俗 教安﹂︵六に日く︑俗を以って安んじせしむ︶の注に︑﹁俗︑謂土地 所生習也﹂︵俗は︑土地の生ずる所の習を謂うなり︶とあり︑﹃穫記

・曲穫﹂の︑﹁入國而問俗﹂︵國に入りて俗を問う︶の注には︑﹁俗︑

謂常所行與所悪也﹂︵俗は常に行う所と悪む所を謂うなり︶とあっ

て︑この方はその習が良俗のみを言うのではないということを述べ

ている︒よってここにいう郷俗とは各村々に於ける地方的風俗習慣

を言うのである︒﹃准南子・寛冥﹂に︑﹁晩世之時︑七國異族︑諸侯

制法︑各殊習俗﹂︵晩世の時︑七國族を異にし︑諸侯法を制し︑各

習俗を殊にす︶とある︒また﹃漢書・地理志﹄には︑﹁凡民函五常

之性︑而其剛柔緩急︑音聲不同︑繋水土之風氣︑故謂之風︑好悪取

舎︑動静亡常︑随君上之情欲︑散謂之俗﹂︵凡そ民は五常の性を函

れ︑而して其の剛柔緩急︑音聲同じからず︒水土の風氣に繋なが

る︒故に之を風と謂い︑好悪取舎し︑動静常亡く︑君上の情欲に随

う︒故に之を俗と謂う︶とある︒これは﹃語書﹄下文の︑﹁其所利

及好悪不同﹂と関係があろう︒

 ここに言う郷俗というのは︑政治的︑或いは軍事的な民の動静に

ついて述べたものではなく︑あくまでその地に於ける伝統的な習俗

を言ったものである︒そのことはこの﹁語書﹂がこの時期に何故に

発せられなければならなかったかと言う点を考える上で注意してお

く必要があろう︒

⑧ 便 ﹁便子民﹂は後文の﹁害乎邦﹂と対になっている語である︒

つまり便の意味は害の意味の反意である︒その便に不をつけて害と

      五

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(6)

ほぽ同様の意味としているのである︒便は﹃説文﹂に︑﹁安也︑人

有不便︑更之﹂︵安なり︑人に不便有り︑之を更るなり︶とあるが

判然としない︒﹃戦國策・秦策﹂に︑﹁今齋︑楚相伐︑或謂救之便︑

或謂之不便﹂︵今齊︑楚相い伐つ︒或之を救うを便と謂い︑或之を

救うを不便と謂う︶とあり︑この便についての挑本の注に︑﹁便︑

利也﹂︵便は利なり︶とある︒また﹃准南子・本経訓﹂に︑﹁讃動而

成干文︑行快而便子物﹂︵讃動すれば文になり︑行快すれば物に便

たり︶とあり︑その許愼の注には︑﹁讃作也︑動行也︑文文章也︑

便利也︑物事也﹂︵讃は作なり︑動は行なり︑文は文章なり︑便は

利なり︑物は事なり︶とある︒便は総じて利することであろう︒察

するに便の初意は鞭であろう︒馬に鞭をくれて更に状況をいい方に

進ませるのが便なのである︒

側邦邦は﹃説文﹂に︑﹁國也︑瓜邑︑羊聲﹂︵國なり︑邑に双

い︑辛聲︶とある︒また﹃國語・周語上﹂に︑﹁衆非元后何戴︑后

非衆無與守邦﹂︵衆は元后に非ざれば何ぞ戴かん︑后は衆に非ざれ

ば與に邦を守る無し︶とあり︑その葦昭の注に︑﹁邦國也﹂︵邦は國

なり︶とある︒また﹃周橦・天宮﹂に︑﹁大宰之職︑掌建邦之六典︑

以佐王治邦國﹂︵大宰の職は︑邦を建つるの六典を掌る︒以って王

の邦國を治むるを佐く︶とあり︑その鄭氏注に︑﹁大日邦︑小日國︑

邦之所居亦日國﹂︵大なるを邦と日い︑小なるを國という︒邦の居

する所を亦た國と日う︶とある︒また﹃澤名・緯州國﹂に︑﹁大日

邦︑邦封也︑封有功於是也﹂︵大なるを邦と日う︒邦は封なり︑封

に功有るは是に於てなり︶とある︒邦の音は幸から来ているであろ       六 うが︑その音の意味は方と同じものであろう︒即ち甲骨文に於ける 鬼方︑召方などの方で頷土の境界を表わしたものである︒それはま た封にもつながるものでもある︒ ω 法度 ﹃尚書・大萬謹﹂に︑﹁旺︑戒哉︑傲戒無虞︑岡失法度︑ 岡遊子逸︑岡淫子楽﹂︵あ㌧︑戒めんかな︑無虞を傲戒して︑法度 を失う岡れ︑逸に遊する岡れ︑樂に淫する岡れ︶とあり︑その孔子 樽に︑﹁乗法守度︑言有疽﹂︵法を乗め度を守り︑恒有るを言う︶と いう︒これが法度の比較的旧い例である︒﹃公羊傳・文公九年﹄﹁春 毛伯來求金﹂︵春︑毛伯來りて金を求む︶に︑﹁守文王之法度︑文王 之法無求﹂︵文王の法度を守る︒文王の法は求むること無し︶とあ る︒また﹃萄子・性悪篇﹂に︑﹁是以爲之起濃義︑制法度︑以矯飾 人之情性而正之﹂︵是を以って之が爲に濃義を起し︑法皮を制し︑ 以って人の情性を矯飾して之を正す︶とある︒法度は︑法律制度の

ことである︒

㎝ 矯端 矯は﹃説文﹂に︑﹁撰箭籍也﹂︵操箭の籍なり︶とある︒ 操箭とはやわらかに操められた矢のことであろうか︑籍は﹃説文﹂ に︑﹁衛也﹂︵繭なり︶とあり︑その蒲はまた﹃説文﹂に︑﹁籍也﹂ ︵鉗なり︶とあって互訓となっている︒これについて︑﹁臣鉱等日︑ 爾非聲︑未詳﹂︵臣鉱等日く︑爾は聲に非ず︑未だ詳かならず︶の注 もあるが︑いづれにしても矯字の﹃説文﹂の解では理解できない︒ 喬は﹃説文﹂に︑﹁高而曲也︑瓜天︑瓜高省︑詩日南有蕎木﹂︵高く して曲れるなり︑天に以い︑高の省に瓜う︑詩に日く︑南に香木有

りと︶とある︒﹃詩経﹂の香木に︑﹁曲っている﹂の意が込められて

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(7)

いる必要はない︒喬に高の意味があるのは当然理解されるが︑曲っ

ているというのは︑恐らく騒︑矯字の意味に引かれた結果であろ

う︒これは白川静﹃説文新義﹂にいうように古代儀礼の形態の中に

その本義を求めなければ理解出来まい︒ここに使われた矯は︑﹃説

文通訓定聲﹂が︑﹁矯︑正曲使直﹂︵矯は曲を正し︑直たらしめむる

なり︶︑或いは﹃廣雅・稗詰﹂が︑﹁矯︑直也﹂︵矯は直にするなり︶

というように正すの意味である︒端も﹁説文﹂が︑﹁直也﹂︵直にす

るなり︶というように矯とほぼ同様の意味である︒ここの矯端は矯

正の意味であるが秦始皇の講が政である為に政︑即ち正の字を避け

たのである︒﹃史記・秦楚之際月表﹄に正月とあるべき所を﹁端月﹂

と記述されていることについて索隠は︑﹁二年正月也︑秦緯正︑故

云端月也﹂︵二年正月なり︑秦の講は正なり︑散に端月と云うなり︶

と述べている︒﹃単行本﹄の注によれぱ﹁呂氏春秋・情欲﹂の︑﹁巧

倭之近︑端直之遠︑國家大危﹂︵巧倭之を近づけ︑端直之を遠ざく

は︑國家の大危なり︶に於ける端も正を避けたのであるとしてい

る︒この場合も端は確かに正の意味ではあるが︑だからと言ってこ

れも秦の講をさけたものかどうかは疑問である︒例えば同じく﹃呂

氏春秋・先己﹂には︑﹁言正諸身也﹂︵諸の身を正しくするを言うな

り﹂とあるし︑また﹁麗道﹂には︑﹁聖王法之︑以令其性︑以定其

正︑以出號令﹂︵聖王は之に法り︑以ってその性に令し︑以ってそ

の正を定め︑以って號令を出す︶とあり︑その他にも正字は頻出す

るからである︒また﹃単行本﹂によれば︑秦刻石にもすぺて正字を

緯み避けているということであるが未だ確認していない︒しかしこ の﹃語書﹂の場合の端字は︑政・正字を講み避けたからであるとい うのは︑後文の例を見れば確かであろう︒ 困凶  二十年四月︑初の二日︑南郡守の騰は︑県︑道の各萱夫達に通告 する︒昔しから人民にはそれぞれの地方地方によって特徴ある風俗 習憤がある︒しかしそれ等の風俗習慣が善しとされる点︑またそれ 等が好まれる点︑嫌悪される点もそれぞれに異るのである︒こうし た風俗習慣の中で︑あるものは人民にとってよくないものであった り︑国に害を与えるものであったりする︒この故に聖王は法律や制 度を作ることによって人民の心を正しくし︑よこしまないつわりを すてさせ︑風俗習慣の中からよくないものを取り除くのである︒ ら9冨讐£7呂簡.物幻みむ竈︷汐q^らじ 岬俗ジ房勿丈997射貧斥・侵 瀞衝讐切三7蘭㎏商・.鞭幻卑む言︷㌘q吹含㌃ .㎜.熔サ房勿丈99不周貫7哩凋q︑臼衿停&ハ9 量ホむ饒蟹ハ勺勺延Ψ雀讐η幻.㌃富9℃        ︵以下次号︶

︵一九九一年二一月二日受理︶

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