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睡虎地秦簡《語書》釈文注解(下Ⅶ)(完)

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(1)

睡虎地秦簡く語書V釈文注解︵下W︶

一完一

高 橋  庸郎

十四︑其書最多者︑當居曹奏令丞︑令丞以為不直︑志千里使有籍書

之︑以為悪吏︒  馴  語書

其の書すること最も多き者は︑當に居る曹︑令︑丞に奏し︑令︑丞

以て︑不直と爲せば︑志して千里に籍有りて之を書かしめ︑以来悪

吏と爲さむ

  語書ω書 く単行本Vは︑﹁読カ迂︒︿呂氏春秋︑遣威V注︑辻︑責︒﹂

とする︒いま因みにカールグレンと周法高による過と書一の復原音を

掲げて見ると︑以下の如きであるが︑これで見ると︑書と過とはそ

んなに酷似しているとはいいがたい︒子音︑母音とも︑去声︑入声

にかかわらず異っている︒︿呂氏春秋︑適威Vに︑﹁煩爲教而過不識︑       わづらは敷爲令而不從︑巨爲危而罪不敢︑重爲任而罰不勝﹂︵煩しく教を

         せ       毛し    由ほい爲して︑識らざるを過め︑敷々令を爲して︑從はざるを非り︑巨       たに危を爲して︑敢えてせざるを罪し︑重く任を爲して︑勝へざるを 切反執胡蓼胡禾古臥古

高音法古周中

.捌mk肥m

aukauk

高音法古周上σeWrgkeWgr

aWkaWk

.㎝岬出榊

^auk^auk

gξW︐gkξW︐g

^aWk^aWk

﹈書一o﹈養1過︷過 罰す一とあり︑その高誘の注には︑﹁過︑    せ責﹂︵過は責むなり︶とある︒またく廣雅︑伽樟詰Vにも︑﹁過︑責也﹂とあるし︑︿楚辞︑惜往日Vにも︑﹁信護諌之溜濁号︑盛氣志而過之﹂︵護訣の洞濁なるを信じて︑盛んに志を氣して之を責む︶の蒋駿の注にも﹁過︑督責也﹂とある︒故に過に責の意味が含まれているということは確かであるが︑しかしここで董が責の意を持つというのは︑養と過が音の上から通用するという証明がなければならない︒しかしそれは上に見て来たようにあまり的確に断定出来るものではない︒︿説文通訓定聲Vには︑﹁董︑段借爲過﹂︵書は段借

して過と爲す︶とあり︑またく春秋穀

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(2)

梁伝︑桓六Vに︑﹁宴來者︑是來也:⁝・其謂之是來︑何也︑以其書我︑      ま二と故箇言之也︑諸侯不以過相朝也﹂︵宴に來る者は︑是れ來るなり

:・⁝其の之を是れ來るど謂うは何ぞや︑其の我を養するを以てす︑

故に簡にして之室言うなり︑諸侯は相い朝するに過ぎるを以てせざ       す音るなり︶とある︒しかしく説文通訓定聲Vでは︑過るの意味であり︑

またく春秋穀梁伝Vの方も後文に過字が使われている所をみると︑

この場合の書もやはりこれに近い意味で用いられているのであろ

う︒杜預の注も︑﹁書︑是相過﹂︵書は︑是れ相い過ぎるなり︶とし

ている︒こうしてみると書は︑この字そのものに責という意味があ

る訳ではなく︑何か別の基本的な意味が存在していて︑その敷術さ

れた意味としての責の意があるのである︒

 養はく説文Vには︑﹁界也︑象田四界︑車所以養也︑凡書乏囑皆       よもの    かたど瓜養︑曾古文養省︑動亦古文書﹂︵界なり︑田の四界を象る︒幸

の養する所以なり︒凡そ書の囑は皆な書に瓜う︒曾は古文の書の省︑

郵も亦た古文の書なり一とある︒即ち書は境界のことである︒領田

の四方を線びきして界を確定させるのである︒この養の字の下部の

田の部分が左右下と三線で囲まれている字がく説文Vの題字に見え

るのは︑それを表わしているのである︒結局現代漢字の画は︑この

く説文V本字の下部のみを取り出したものである︒幸は本来翁で︑

申は手に棒状のものを握っている象形である︒その下部は︑その棒

状のものによって折られ分割された二本のラインを示している︒即

ち手に握られた棒は︑棒ではなく何等かの刃のついた小刀であろう︒

書は小刀でラインを分割するように︑田領の四方を境界線で区分す       二ることを言うである︒︿説文Vは︑﹁劃も亦た古文の書なり﹂と言っている︒書字の中には已に小刀が含まれているのに︑更に刀を加えるのは無用に思われるが︑実は一﹂うした例は他にも多い︒例えば正字は︑本来城廓へ向って進んで行く人問の足を象ったものであり︑正字そのものに︑行くの意味が含まれていたのが︑時代が降るとともに︑正字は他の意味に用いられるようになってしまったために︑正に改めて行人偏を付して︑本来の正字の持っていた行くの意味を征によって表わすようになったのである︒ 董と劃とは同意であるということがく説文Vの記述から理解出来るのであるが︑それから考えると︑書は他と区別する為に︑その対象物に対して何等かの切り込みを入れて区別するということであろう︒書が過︵すぎる︑よぎる︶と通じているのは︑その区別の為のラインを引くこと︑そのラインが眼前を横切るところから伸引されたものであろう︒養は現代風に言えばチェックを入れるということである︒このく語書Vの場合は︑悪吏と目される行動が露われれば︑その度にチェックを入れ︑そのチェックが最も多い者は︑ということであろう︒ω奏 く説文Vに︑﹁奏進也︑瓜傘︑瓜中︑中上進之義﹂︵奏進なり︑傘に瓜い︑中に瓜う︒中は上進の義なり︶とある︒段玉段は︑最初 ・      Hづらの奏字について﹁此複撃字之未刷者﹂︵此れ複撃の字の未だ刷ざる者なり︶としているから︑奏とは進の意と考えてよいであろう︒︿説文Vは︑中が上進の義であるとしているが︑恐らくそうではない︒

中は前にも掲げた如く︑︿説文Vは﹁岬木初生也﹂︵岬木の初めて

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(3)

生ずるなり︶としており︑岬字の半分︑つまり草のことである︒草

を両の手で奉げ持っているのである︒進の意は︑寧ろ下部の夫にあ

る︒奉はく説文Vに︑本で取ってあり︑﹁進趣也︑瓜大︑瓜十︑大       はや十猶兼十人也﹂一進むこと趣きなり︑大に瓜い︑十に瓜う︒大十は

猶お十人を兼せる也︶とあり︑段注には︑﹁趣者︑疾也︑言其進之疾︑

      はや皇       は中如兼十人之能也﹂︵趣とは︑疾なり︒其の進むことの疾きこと︑十

人の能を兼ぬる如きを言うなり︶とある︒よってはやく進むことを

卒というのである︒またく説文Vには︑椀字があり︑それに対して

も許慎は︑﹁進也﹂とし︑また奉字についても︑﹁疾也﹂としている︒

更に許慎は︑皐について︑﹁気皐白之進也︑炊窄︑瓜白︑鵡祀日皐

登謁日奏︑故皐奏皆瓜奉︑周橿日︑詔來鼓︑皐舞︑皐告之也﹂︵汽

白の進むなり︑傘に瓜い︑白に炊う︒薩に日く︑祀は皐と日い︑登

語は奏と日う︒故に皐奏は皆な奉に炊う︒周稽に日く︑詔して鼓を        つ來たらしめ︑舞を皐げしむ︒皐は之を告ぐるなり︶とある︒以上か

らみても奉︑或いは率にはすすめる︑告げ申し上げるの意味がある

ことが解る︒ただ皐字の場合は上部の白字に已に申し上げるの意味

がある︒︿説文Vは白について﹁此亦自字也︑省自有詞言之汽以鼻

出典口相助也﹂︵此れ亦た自字なり︒自を省するは︑詞言の気鼻よ

り出でて口と相い助くるなり︶とあり︑更に自については︑﹁鼻也︑      かた象鼻形﹂︵鼻なり︑鼻の形を象どるなり︶とあるからである︒

㈹當居曹く単行本Vは︑﹁泣即古辛中的当曹︑指悪吏所在的衙署︑﹂

︵古書の中に見える当曹のことであり︑悪吏が居る所の役所を指し

ている︶とある︒當曹については︑︿北吏︑魏紀三︑高祖Vに︑ ﹁三載考績︑自古通経︑三考瓢陵︑︒以彰能否︒朕今三載一考︑考即瓢陵⁝各令當曹︑考其優劣爲三等﹂︵三載績を考えるに︑古より経に通じ︑三たび瓢陵を考え︑以て能否を彰かにす︒朕今三載に一考し︑考すれば即ち融陵し各々當曹に令して︑其の優劣を考えて三等たらしめむ︶などに見えるものである︒瓢陵とは︑︿書︑舜典Vに︑

﹁三載考績︑三考瓢渉幽明﹂︵三載績を考え︑三考して幽明を瓢陵す︶

とあるもので功なき者を降格し︑功有るものを昇格させることであ

る︒ω不直 不正︑不公正のことである︒︿単行本Vの注に︑﹁是秦汲

吋吏常有的罪名︑兄く史記︑秦始皇本紀V︿汲書︑張散借V等﹂

︵秦や漢の時代に吏によく使われる罪名である︒﹃史記︑秦始皇本紀﹄

や﹃漢書︑張散侍﹄などに見える︶とある︒しかしく始皇本紀Vに

あるのは︑﹁三十四年適治獄吏不直者︑﹂︵三十四年︑獄吏の不直な

る者を適治す︶である︒これは不直が罪名と解されるかどうかは解

らない︒この部分には索隠も集解も附されていない︒またく史記︑

董仲箭傳Vには︑﹁不正不直﹂の語も見えるし︑同じくく史記︑准

南衡山列傳Vには︑﹁王使人上書告内史︑内史治︑言王不直﹂︵王の

使人上書して内史に告す︑内史治めて︑王不直なりと言う︶ともあ

る︒これ等も罪名とは思えない︒︿漢書︑韓延壽傳Vには︑﹁上由

是不直延壽︑各令窮克所考﹂︵上是に由り延壽を不直し︑各々考う

所を窮寛せしむ︶の例がある︒これは直を動詞として用いたもので︑

不直はその否定である︒つきこの場合の直は任官するということで

あり︑不直は任官を解くことである︒

       三

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(4)

ω志 く説文Vに︑﹁意也︑瓜心︑之聲﹂とあり︑意については︑

﹁志也︑瓜心︑察言而知意︑瓜心︑炊音﹂︵志なり︑心に瓜い︑言

を察して意を知る︒心に瓜い︑音に瓜う︶とあって互訓になってい

る︒︿侯馬盟書Vやく中山王壼Vの銘文中に使われている志字を見

るとその上都は足裏の形︑つまり止字となっている︒これは心の趣

くことを表わしたものであろう︒即ち志とは︑趣く心を表わした字

である︒︿説文通訓定聲Vには︑﹁志此字︑大徐補入説文︑爲十九

文之一︑云云︑按︑即識字之古文﹂︵志︑此の字︑大徐は補いて説

文に入れ︑十九文の一と爲す︒云云と︑按ずるに︑即ち識字の古文

なり︶とする︒段玉裁は︑﹁周穐保章氏注云︑志古文識︑蓋古文有

志無識︑小纂乃有識字︑保章注日︑志古文識︑識記也︑哀公問注日︑

志讃爲識︑識知也︑今之識字︑志駒典識請分二解而古不分二音則二

解︑義亦相通︑古文作志則志者記也︑知也︑恵定干日︑論語︑賢者

識其大者︑察邑石経作志多見而識之⁝今人分志向一字︑識記一字︑

知識一字︑古砥有一字一音︑又旗幟亦即用識字︑則亦可用志字︑詩

序日︑詩者志之所之也︑在心爲志婁言爲詩︑志之所之不能無言︑故

識仏言︑哀公問注云︑志讃爲識者︑漢時志識已殊字也︑許心部無志

者︑蓋以其即古文識而識下失載也﹂一周穐の保章氏の注に云く︑志        けだの古文は識なり︑蓋し古文に志有りて識無し︑小象乃ち識字有り︑

保章の注に日く︑志の古文は識なり︑識は記なり︑哀公問の注に日

く︑志は讃みて識と為す︑識は知なり︑今の識字︑志駒は識請と二

解に分けるも古は二音に分たざれば則ち二解は義亦た相い通ず︑古

文志に作るは則ち志は記なり︑知なり︑恵定干日く︑論語に︑賢者       四       しは其の大なるを識る者なり︑とあるを察筥石経では︑志多く︑見て之を識るとする⁝今人志向の一字︑識記の一字︑知識の一字に分かつ︑古は一字一音有るのみ︑又旗幟に亦即ち識字を用うれば則ち亦       ゆた志字を用るも可なり︑詩序に日く︑詩は志の之く所なり︑心に在  ニニろおもむく      つく       oりて 志 ために言を護して詩に爲る︑志の之く所は言無きこと能はず︑故に識は言に瓜う︑哀公問の注に云く︑志は讃みて識と爲         すで       二とすは︑漢時志と識は已に字を殊にするなり︑許の心部に志無きは︑蓋し其の即ち古文の識を以ってして︑識の下に載を失うなり︶とする︒因みに識字をく説文Vは︑﹁常也︑一日知也﹂︵常なり︑一に日く知なり︶とし︑段注は︑﹁常當爲意字之誤也︑草書常意相似︑六朝以草篤書造草愛︑眞讃誤往往如此︑意者志也︑志者心所之也︑意與志︑志典識古皆通用︑心之所存謂之意︑所謂知識者此也︑大學誠      ‡^き其意即實其識也﹂︵常は當に意字の誤なり︑草書の常︑意は相い似       曲よたり︑六朝は草を以て書を窮し︑草愛ずるに造ぶ︑眞譲の誤は往往       ○にして此くの如く︑意なるものは志なり︑志なる者は心の之く所なり︑意と志︑志と識とは古皆な通じて用いらるるなり︑心の存する  二れ       いわoる所︑之を意と謂う︑所謂知識は此なり︑大學の誠は︑其の意即ち實に其の識なり︶とし︑更に︑﹁矢部日知識詞也︑按凡知識︑記識︑標識今人分入去二聲︑古無入去分別︑三者實一義也﹂︵矢部に日く︑知は詞を識るなり︑按ずるに凡そ知識︑記識︑標識は︑今人入去の二聲に分つも︑古は入去の分別無し︑三者實に一義なり︶とする︒知識は︹き二邑︑記識は9ω邑︑標識︹98き巳の区別が現在

ではある︒

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(5)

1

1⊥

 志字が中山王方壷の銘文や︑侯馬盟書に見えるということは︑志字は戦国期にはもう存していたと言えるし︑識字は周代の格伯段の銘文中に見ることが出来る︒よってこの両字はその成立は当然源を異にするのであるが︑それが同義の字として認識されるようになったのは漢代以後である︒志はもともと心の趨向していく状態を意味したのであるが︑それが詞を知るという意味での識が︑詩序の云う  ○      つく志の之く所としての詩︑それを為り︑それを記述するという音一味をも包含する語としての識と同意義の字として用いられるようになったのは恐らく︑この語書が書かれた秦代の早期としてよいであろう︒㈹千里 本来長い途のり︑広大な地域を表わす語である︒︿左樽︑■僖公三十二年Vに︑﹁師之所爲︑鄭必知之︑勤而無所︑必有惇心︑且行千里︑其誰不知﹂︵師の爲す所︑鄭必ず之を知る︑勤むるも所無ければ︑必ず惇心有り︑且つ千里を行くも其の誰か知らず一とある︒千はく説文Vに︑﹁十百也︑瓜十︑炊人﹂とある︒高鴻経のく中國字列Vに︑﹁大徐︑瓜十︑瓜人︑小徐作瓜十︑人聲︑人聲︑是也︑瓜十︑當爲瓜一︑一︑敷之整也﹂︵大徐本には︑﹁瓜十︑瓜人﹂とあ

るも小徐は﹁瓜十︑人聲﹂に作る︑人聲とするは是なり︑﹁瓜十﹂

は當に﹁瓜一﹂とすべし︑一は藪の整なり︶とするのは恐らく間違

いであろう︒卜辞に見る千は明かに︑人と十に従っているからであ

る︒﹁一︑敷之整也﹂という言い方は当時の学者達以后に生れた諸

学に基く考えで︑その字体の原初的成立時には何の関りも浄たない

ものである︒里はく説文Vに︑﹁居也︑瓜因︑瓜土﹂とある︒即ち

人の住む所︑日本語で言う所の村里である︒しかし里には古代居住 人を管理する為の一制度としての役割りがあった︒︿周趨︑地官Vに︑﹁五家爲螂︑五郷爲里﹂︵五家を螂と爲し︑五郷を里と爲す︶とあり︑また同じくく濃記︑効特牲Vに︑﹁唯爲杜事︑軍出里﹂︵唯だ社事を爲し︑革に里を出づるのみ︶とあり︑その鄭玄の注に︑﹁二十五家爲里﹂とある︒ここでは南郡の守騰が治めている地域全体を言う︒ω籍 く説文Vには︑﹁簿書也︑双竹︑緒聲﹂とある︒戸籍簿のことである︒この戸籍簿にはその戸の人員及び構成以外にも各人の賞罰などが記されているような後代の構案のようなものであったのであろう︒㈱語書 この二字はこの文の標題に当るものであるが︑一九七五年十二月に発掘された当初はこの二字が未発見であったため︑その標題はく語書Vではなく︑その内容から︑︿南郡守騰文Vと呼ばれていたのである︒︿単行本Vの注には︑﹁此二字ヵ簡背標題﹂︵此の二字は竹簡の裏側に記された標題である︶とあるが︑初期段階でみつけられなかったということは︑相当判然としにくい字体か︑或いはそうした場所に書かれていたのであろう﹄ 語はく説文Vに︑﹁論也︑坐言︑吾聲﹂とある︒ここではく輝名・聲言語Vに︑﹁語︑叙也︑叙己所欲説也﹂︵語は叙なり︑己の欲する所の説を叙するなり一とあるのや︑︿論語︑郷黛Vに︑﹁食不語︑寝不言﹂︵食するも語らず︑寝するも言わずLとあるのに通ずる︒つまり語り述べ叙することで︑古代に於ては︑述べ語ることの最も

重要なものは歴史であったから︑︿国語Vの中に見えるく魯語Vや

       五

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(6)

︿齋語Vの内容は︑

ある︒ それぞれ魯の歴史︑齋の歴史になっているので

 その責められる点の最も多い者は︑役所の令・丞に申し上げ︑令・

丞が不正なるものと認定したなら︑戸籍簿にその事実を書いて︑千

里四方に悪吏として指弾されるものとする︒

この釈文を作るに当って底本とした︑文物出版社一九七八年十一

月く睡虎地秦墓竹簡V睡虎地秦墓竹簡整理一組編のく語書Vには極

く簡単ではあるが説明がある︒

文を掲げておく︒ いまそれを参考とすべく原文と︑訳

      括辛

く語辛V友現子墓主腹下部︑在右手的下面︒文串共有十四支筒︑文

字分カ前后丙段︒送十四支筒筒長和箸体一致︑但后段的六支筒筒首

銅痕比前八支筒位貿略低︑似乎原来是分汗銅・的︒后段有友辛︑移

辛曹〃等活︑文意与前段呼虚︑可能是前段的附件︒原有椋題在最后

一支筒的背面︒

 南郡地区原来是楚国的地方︒秦昭王二十八年︵公元前珊年︶︑命

白起率軍攻楚︑抜郡︑那五城︑其明年︑攻楚︑抜郵︑焼夷陵︑遂

奈至寛陵︑在新占領的楚北部地区投里且了南郡︒︿梧辛V是秦王政︵始

皇一二十年︵公元前獅年一四月初二日南郡的郡守騰頒友蛤本郡各具︑

道的一篇文告︒文幸中提到的江陵︑就是楚国的旧都郭︒送吋︑秦在

南郡地方已統治了半介世妃︑但当地的楚人勢力迩有恨大影軸︑同吋        六楚国也在力困李回送一地区︒︿銅年泥V所泥〃南郡各警一事︑友生在文辛的前一年︒文牟的内容︑也反映了当吋政治軍事斗争的激烈和夏染︑是一篇珍冊的史料︒︿語書Vは墓主の腹部の下から発見され︑右手の下あたりにあつた︒文書は全部で十四本の竹簡があり︑文字は前後二段に分かたれていた︒この十四本の竹簡は︑その簡の長さと筆跡は一致しているが︑後段の六本の竹簡の上段の紐の組みあとは︑前段の八本の竹簡に比べてその位置はやや低くなっているので︑この簡巻が作成された頭初から別々に編成されたもののようである︒後段には︑﹁書を発布する︑書を曹に移す﹂などの文句が見え︑文意は前段と呼応しているから︑多分菱段ま前段の附件なのであろう︒もとからの標題は最後の一簡の裏面にかかれれていた︒ 南郡地区は本来楚の国の地方である︒秦の昭王二十八年︵紀元二七九年︶︑白起に命じて軍を率いて楚を攻めさせ︑﹁郡と鄭の五城を抜き︑其の明くる年︑楚を攻め︑郵を抜き︑夷陵を焼き︑遂に東のかた寛陵に至る﹂のである︒そして新しく占領した楚の北部地区に南郡を置いたのである︒︿語書Vは秦王である政︵始皇帝のこと︶の二十年︵紀元二二七年︶四月二日に南郡の郡守である騰がその郡の各県︑道に発布した通達文である︒この文中で江陵についてふれているが︑これは楚の国の旧都の郵である︒当時︑秦は南郡地方に     すでおいては︑已に半世紀に亘って支配しているが︑しかしその地方の

楚人の勢力はまだまだ大きな影響力を持っており︑同時にまた楚の

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(7)

国自身も力でこの地方を奪回しようと意図していた︒︿編年記Vが

記している﹁南郡備警﹂の一事件は︑このく語書Vより一年前に発

生したのである︒この文書の内容は︑当時の政治︑軍事闘争のはげ

しさと複雑さを反映しており︑一篇の極めて貴重な歴史資料となっ

ている︒

u

1

1  サり炉■^竈轟8γ︸σ○︑い〜 に.〃ロワ卯︷凧口ηムα口.ムユ亀9︸◆.不 ウ不仙恨■影杉㌻㎜け碧災ハ白御;†㎝oむ一

此非蟹れ多サ05臼○﹃.︑︸.︑^ 心ズ喜.竜

十■足.映か箒Gユ^㌫・廼ユ

︵一九九四年七月二十七日受理︶

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