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石油の供給制約とは何か 一枯渇性資源の経済学一

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81

石油の供給制約とは何か

一枯渇性資源の経済学一

館 山   豊

はじめに

石油の供給制約とは何かという問題に適切な解答を与えることはそう簡単で はない。それはひとつには石油の究極埋蔵量,油田の発見可能性,探査技術の 進歩率,産油国の行動様式などあまりにも不確定な要素が多すぎるからである。

それに対応して石油の供給制約とは何かという問題にっいても多様な解釈がな されているが,しかし今までのところそれらも基本的には次の二つの考え方に 集約できる。ひとつは供給制約の原因を石油資源の有限性に求めるものである。

それによれば「エネルギー資源とは供給制約的であり,今日最も経済的に用い       ωられている資源はことに究極的限界性が顕在化している」という指摘にみられ

るように,現在の事態は石油資源枯渇の直接的な反映であるとされる。ここで は原油価格の高謄は,供給が固定的な時に発生するレントによって説明され,

独占の果たす役割はごく限られたものでしかない。

もうひとつは産油国の市場協調的行動に重点をおいて分析するものである。

この場合にはOPEC諸国の独占力によって「低コスト原油がせき止められ≠d        {2}

アとが供給制約の主要な原因であるとされ,当然のことながら石油資源の枯渇 はほとんど問題にされず,OPEC諸国の行動様式の分析が中心的テーマとな

る。

資源枯渇か独占かという上のような見解の相違は一見すると究極埋蔵量につ いての地質学的な推計の違いに帰着するようにみえるかもしれない。しかし事 はそう簡単ではない。というのはたとえ両者が究極埋蔵量について同一の知識 を共有していたとしても見解の相違が生ずることに変わりはないだろうからで ある。問題はそうした資源の有限性がどのようにして経済的な次元の話しに翻 訳されるのかというところにある。というのは市場経済では,かりに資源の有 限性が露呈していても,それが市場を媒介として希少性として認識され,その 価値が何らかのかたちで価格に反映されるのでなければ経済性には何の意味も

(2)

82

もたないからである。したがって両者の違いは枯渇性資源の希少性を市場がい かにして認識し,その価値をいかにして価格に反映させるのかという経済理論 的な面において生じていると考えられるのである。

そこで本稿では,まず石油の埋蔵量についての基本的な概念とその資源とし ての希少性について検討し,しかるのち枯渇性資源の希少性の価値をはたして 市場が十分に感知しうるのか否かという点にっいて,資源枯渇に重点をおくロ イヤルティー論者とそれとは対照的なコスト論者の考え方をみていくことにす

る。そしてそれをとおして資源枯渇か独占かという石油の供給制約の意味を考      131

ヲてみることにしょう。

(1)WD.ノードハウス『エネルギー経済学』 東洋経済,1982年51頁

(2}M.A. Adelman, Scarcity and World Oil Prices,

       一

囈Tθ 1〜θρゴθω o∫Eooπo〃zゴ03 σπ4、∫ α ゴ3 ゴoε, 1986,p.394.

(3)本稿のきっかけとなったのは拙稿「資源問題」 (馬場宏二編『シリーズ世 界経済1一国際的連関』御茶の水書房,1986年所収)にたいする安保教授の批 判(「社会科学研究」東京大学,第39巻2号1987年)である。そこにおいて教 授は拙稿が資源の枯渇をほとんど問題にしておらず,したがって石油の供給制 約の意味が明確になっていないと指摘された。

第1節 資源と埋蔵量

資源の多寡を表す指標としてよく使われる「埋蔵量」(reserve)という概 念は実は地球上に賦存する資源(resources)のほんの一部を指し示す概念 にすぎない。それは資源全体のなかの,既に発見されかつ経済的に採掘可能な 部分を指す概念である。埋蔵量はさらに確認埋蔵量と推定埋蔵量とに区分され るが,前者は現在の価格と生産設備を前提として採掘できる埋蔵量のことであ り,後者は生産設備が未建設ではあるが,何らかの方法でその量が推定できる 部分である。当然後者の方が確度は落ちる。

(3)

館山:石油の供給制約とは何か      83 第1図  埋蔵量と資源との関係

確認 1推定 未発見部分

埋蔵1量

1

十    斗

経済

+    斗      十   ↓

@ 資       源

能性

中     や       十   斗

高← 地質学的確度 →低

出所: Principles of the Mineral Resource Classification System of the U. S.

Bureau of Mines & the U. S. Geological

Survey,砲  0θ0109ぢ6σ1 5 z6プz2θツβz/11θ ゴπ

1450−A,1976

但し,上図は分類をより大まかにしてある。

第1図で埋蔵量より右側の部分は未発見資源であり,その部分は右にいくほ ど地質学的な確度は低下する。埋蔵量より下の部分は既に発見されているもの の,現在の価格や技術では採掘が引き合わない部分である,この部分は下にい

くほど採掘の経済的可能性は小さくなる。

ところで埋蔵量とは動的な概念であり,それゆえそれは資源枯渇の指標とは なりえない。確認埋蔵量は一方では採油によって絶えず減少していくが,他方 では既存油田への開発投資(油井の掘削)により推定埋蔵量が確認埋蔵量へと 組み入れられてくる。推定埋蔵量はその一部が確認埋蔵量へと移行するが,一

(4)

84

方では新規油田の発見により,他方では価格の上昇や技術進歩の結果としての 経済的可採部分の拡張により絶えず補填される。したがって確認埋蔵量に新た に組み入れられる石油の量(確認埋蔵量の粗増加分)が地上に汲み出される石 油の量と均衛していれば,確認埋蔵量は常に一定の水準にとどまることになる。

ちなみに社会主義圏も含めた世界の可採年数(確認埋蔵量/前年の消費量)

は,1948年の23年から1973年の36年へと増加した。これは戦後全体として確認 埋蔵量の粗増加分が年々の産油量を凌駕していたことを物語っている。事実

1947−72年の累積産油量2,300億バーレル(以下bと略記)にたいして確認       i1}

я?ハの累積粗増加分は8,000億bに達していた。このように石油の発見と開 発が順調に行われているかぎり,確認埋蔵量の大きさはそれほど問題にならな い。というより確認埋蔵量は企業にとって一種の在庫のようなものであるか

ら,そうした場合には過大な在庫を抱え込むよりもむしろ在庫を減らし,可採       {21

N数を引き下げた方が合理的となる。

このように確認埋蔵量や可採年数は油田の発見 開発の速度と産油速度に関 、 係する概念であって,石油の枯渇を示す指標とはなりえないのである。

それでは我々が利用できる石油資源は地球上にどの程度存在しているのであ ろうか。資源の賦存量を示すものとしてしばしば究極可採埋蔵量という概念が 使用される。それは累積産油量,確認埋蔵量,推定埋蔵量の合計に未発見資源 量を加算したものである。但しそれには現在のところ採算点以下の準経済的石 油資源や,現在の技術では採油不可能な超重質油などは含まれていない。以下

の数値は世界石油会議に報告された究極残存可採埋蔵量(究極可採埋蔵量から     

累積産油量を差し引いたもの)の推定値である。すなわち1976年1月1日現在,

それは90%の確率で1兆900億b,10%の確率で3兆2,000億b,並数で1兆 8,000億bとなっている。また1981年の推定値は95%の確率で1兆500億b,

      13}

T%の確率で2兆1,500億b,並数で1兆3,000億bと減少している。1976年 の数値をとってみると,前年の石油消費量は190億bであるから,可採年数は 90%の確率で57年,10%の確率で170年,並数で95年となっている。

しかしこれはあくまでもひとつの推定値であり,それが推定者の主観に左右 されていることはいうまでもない。たとえば今後の技術進歩や価格についての 予測の違いによって当然推定値に差がでてくるし,そもそも未発見資源量の推 定からして非常に主観的なものである。楽観主義者は究極残存可採埋蔵量をそ          {引

フ3倍はあると見積る。その場合には可採年数は最低でも171年,最高で510

(5)

館山:石油の供給制約とは何か      85 年,並数で285年ということになる。っまり最も悲観的な悲観論者によれば石 油はあと57年で枯渇してしまうが,最も楽観的な楽観論者によれば石油はあと

510年はもつということになる。石油が有限だとしても埋蔵量の推定値にこれ だけの幅がある場合には,資源制約とは何かという議論もかなり難しいものと

なる。

もっとも資源が希少か否かという問題はあくまでも相対的なものである。今 までの議論は石油消費量を一定とした時の話である。しかし石油消費が第一次 石油危機以前と同じ年率8%で拡大するものとすると事態は一変する。たとえ ば埋蔵量が先にみた1兆900億bの場合は僅か23年で,3兆2,000億bの場合 は34年で枯渇してしまう。超楽観論の場合でも50年ももたない。このように経 済が石油多消費型の指数的発展をとげるならば,超楽観主義者といえどもうか うかしていられないのである。したがって絶対量では相当ばらつきのある残存 可採埋蔵量も経済の指数的発展との対比でみた場合には資源制約的側面が強く 浮ぴあがってくることになる。ローマクラブの警告もその点にあったのであり,

大局的にみれば石油多消費型高度成長がいずれ資源枯渇という資源制約の壁に つきあたることは確実であるといえよう。そして問題はそうした将来の資源制 約が現在にどのようなかたちで反映するかということになる。

(1)数字は0〃 σπ4Gσ3/o雄πσ (各年末号)から算出した。

(2)1960年代においてメジャーズは15年程度の可採年数で十分だと考えていたようであ       、

@る(Adelman ,7噛加 確o〃4 Pθ〃016π勉Mσ7々θ ,Baltimore,1972,μ72)。

(3} P706θθ4伽93 0∫  んθ 7「θπ緬 Wo〃4 Pθ∫701θπη2 Coπ97θ∬,VoI.2,

London,1980,pp.291−301およびPプo θθ4吻g3 0∫  加 E!θ〃θη地Wo〃4 Pθ 7010〃zCoπ97θ∬,Vol.2,Chichester, 1984,PP.229−237.

(4)例えばPθ〃01θπ魏Eo伽o〃2齢 日本語版,1985年5月号,188頁。

3%成長の場合,それぞれ34,45,61年で枯渇する。超楽観論の場合でも100年以

内に枯渇する。

第2節 ロイヤルティー:希少性の価値 1.ロイヤルティーの概念構造

ロイヤルティー論の特徴は,先にみたような将来の資源制約が直接現在に投 影されるとするところにある。そしてその投影を媒介するレンズのような役割

(6)

86

を果たすものが,新古典派のホテリングの定理に基づいて概念化されたロイヤ ルティーである。そこでまずその概念構造からみていこう。

新古典派経済学では財が正の価格をもつこと自体が希少性の証明であると考 えられている。それにしたがえば石油も採掘コストが正であるかぎり正の価格 をもち,希少であるということになる。しかしこの場合,石油資源の埋蔵量が 有限であるか否かということはさしあたりは問題にならない。というのはそこ で問題とされているのは既に採掘された石油にっいての需要と供給のみだから

である。

資源の有限性という意味での希少性を扱った概念としてはレントがある。新 古典派ではマルクス経済学と異なりその概念は非常に広義に,すなわち価格と1 費用との差を表現する一般的な概念として用いられている。したがってレント は土地だけでなく,供給量が固定的な生産要素全般に当てはまるものとされ,

しかも固定性が長期のみならず短期の場合も(準)レントが発生するとされ,

時間的にも概念の拡張が行われている。この供給量の長期的固定性を資源の供 給制約あるいは有限性とみなすわけである。そして供給量が固定的な場合には,

たとえ採掘コストがゼロであってもレントは正の値をもつことになる。それゆ え有限な資源の希少性の表現であるレントは価格よりもさらに強い希少性の証 明であるということになる。

しかしレントは供給量が固定的な生産要素一般に発生するものであり,そこ では土地のような非枯渇性資源と石油のような枯渇性資源との区別はなされて いない。土地の場合は適切な利用が行われるならばその供給量は半永久的に一 定であると考えても差し支えないが,石油はその使用によって残存量が減少し,

ついには枯渇してしまう資源である。そこでそうした枯渇性資源特有の価格形 成メカニズムを分析したのがホテリングである。彼によれば枯渇性資源を他か ら区別する最大の特徴は,時間の経過とともにレントが割引率と同じ割合で増 大するところにあるとされる。その説明は以下のとおりである。

いま原油価格をp,毎期の採掘量をq(t),採掘費用をCq(t)(Cは定数っま り単位当り採掘コストー定),それによって得られる利益をπ=pq(t)−Cq(t》

とすると,採掘期間中の利益の現在価値は

∫1{pq(t)−Cq(t)}e−「tdt

(7)

館山:石油の供給制約とは何か      87

となる。これを原油埋蔵量一定という制約式

∫『q(t)dt−S。

のもとで最大化すると P−C+λe「t

となる。

つまり原油価格は採掘コストCとλe「tから形成されることになる(λはラグ ランジュ乗数)。C=0の時, p=λe「tとなり,採掘コストがゼロであって も枯渇性資源はλe「tという正の価格をもつことになる。これが枯渇性資源特 有のレントである。「特有」である理由は,C=0の前提を維持した場合,

う/P=r

となり,採掘コストがゼロであれば価格すなわちレントは時間の経過とともに 割引率r%の割合で上昇することになるからである。これがホテリングの定理 であぎ君そしてホテリングの定理の規定性を受けたレントすなわち枯渇性資源 のレントを一般的なレントと区別する意味でロイヤルティーと呼ぶことになっ た。こうしてホテリング学派は,財一般および供給量の固定的な資源一般の希 少性とは区別されたものとしての枯渇性資源の希少性の証明をロイヤルティー にみいだすことになったのである。

しかしホテリングの定理は単に原油価格がr%の割合で上昇していくという ことを示しているだけであり,価格水準自体を決定しているわけではない。価 格水準を決定し,したがって希少性の価値であるロイヤルティーの大きさを確 定するには,価格の初期値Poを外生的に与えてやることが必要となる。その 方法には二っあるが,基本的な考え方は同じである。すなわち原油資源が枯渇 する最終時点Tを固定化し,その時のある価格を基準とするのである。その場合に 基準とされる価格は,ひとっはT時点でちょうど石油需要がゼロとなるような 原油価格であり,もうひとつはT時点においてちょうど供給を開始する代替工

ネルギーの価格である。そこでいずれかの価格をAとすると,Po=Ae−「tと       ノ

Aを割り引いて初期値を設定するわけである。

しかもこの初期値は「正しい」初期値ということになる。というのはこれ以 外の初期値の場合,石油はT時点以前に使い尽くされてしまうか,逆にT時点 以後まで石油が残ってしまうからである。それでは石油の利用の仕方が「非効 率的」である。前者の場合は価格が低すぎ,後者の場合は価格が高すぎるとい

(8)

88

うことになる。したがって「正しい」初期値を設定することによってある一時 点での石油価格が過大か過小かの評価もできることになる。このように「正し い」初期値に基づいたt時点での価格Ae−r(T−t)は効率価格(efficiency

price)と呼ばれ,現実の価格にたいする基準値としての性格が与えられるこ

    {2}

ニになる。こうして「現在」は将来到達すべき水準に照らして評価されること になったのである。

なお石油が枯渇した後のエネルギー供給を想定しないのは非現実的であるか ら,Aの値は代替エネルギー価格によって与えられると考えた方がよいだろう。

そうすると,採掘コストがゼロの場合,ロイヤルティーの中身はAe−r(T−t)

ということになる。つまり枯渇性資源の希少性の価値といわれているものの中 身は実は代替エネルギー価格の現在割引価値なのである。したがって代替エネ ルギー価格が高いほど,また石油の枯渇する時期が早いほど,さらには割引率 が低いほど,t時点におけるロイヤルティーは大きなものとなる。

 こうしてソローやスティグリッツ等に代表される新古典派の一部はホテリン      13}グの定理に枯渇性資源の経済学の全てをみいだすことになった。石油価格はr

%の割合で上昇し,ついには代替エネルギー価格の水準に到達する。その時点 で石油はちょうど使い尽くされ,一滴の無駄も生じない。そうした将来の到達 目標から逆算して現在が求められる。つまり石油資源の有限性は,石油の枯渇 する時期,その時点での代替エネルギー価格そして割引率の三者を媒介として 希少性の価値へと翻訳されたのである。

それではそのようにして求められた希少性の価値は実際の価格の構成要素と してどの程度の割合を占めているのだろうか。実はすぐ後にみるようにロイヤ ルティーの大きさを確定することはそう簡単ではないのだが,たとえばルーマ セット達の計算によれば第一次石油危機直後の原油価格の84%がロイヤルティ 一からなっていたとされる(後掲第1表)。もしそうであれば,それは将来の 資源制約が当時の原油価格のなかに明確に顕在化していたことを示している。

っまり石油危機あるいは石油の供給制約は資源枯渇の直接的な表れであるとい       {4)

、ことになる。これではOP倉Cの存在意義が無視されるのも当然といえよう。

2.ロイヤルティー概念の虚構性

しかしこうした考え方にはいくっかの疑問がある。

まず第一は市場はロイヤルティーを感知できないという点である。それはロ

(9)

89

イヤルティーが恣意的な概念であり,価格やコストなどと異なりそれ自体はな んの実体的根拠をもっていないからである。ロイヤルティーは将来を座標軸と してそこから現在を説明するだけであり,決して現在から将来を説明するもの ではない。その意味でコストとは異なり一方向的な概念である。

それにたいしてはロイヤルティーは価格とコストとの差として与えられるの で,両者の垂離の程度が希少性の大きさを示すシグナルとなりうるのではないか という反論も考えられる。しかし実際の価格とコストとの差として与えられる のはレントであり,ロイヤルティーは現実の価格ではなく効率価格とコストと の差として与えられる。効率価格は将来の到達目標からの逆算によってしか求 められないから,そこに既に感知すべき将来が含まれてしまっているのである。

しかも効率価格は直接市場で観察できない。またコストのように個別的にも感 知できない。したがってそれからコストを差し引いたロイヤルティーも同様に 市場にとっては不可視である。つまり市場はロイヤルティーを,そしてそれに 体現される枯渇性資源の希少性を感知できないのである。

第二の問題点はロイヤルティーをめぐる議論はすべて数学的確実性の世界の なかで展開されていて,しかもそれを前提としなければ成り立ちえないもので

あるという点である。たとえば可採埋蔵量So,石油の枯渇時期T,代替エネ      、

泣Mー価格A,割引率rなどはすべて社会的に既知とされ,しかも外的なかた ちで市場に与えられている。つまりここでは市場あるいは社会は資源の有限性 とそれに関連した条件にっいて直接,何の媒介もなく明瞭に認識できるとされ ているのである。

しかしそれらの条件はすべて不確実で,かっ直接観察できないものばかりで ある。可採埋蔵量の規模が推定者の主観に依存し,しかもそれが技術進歩や価 格動向によって変化することは既に指摘したとおりである。埋蔵量が確定でき なければ当然のことながら石油の枯渇時期も固定化できない。しかもホテリン グの定理では需要は価格弾力性=1という前提のもとで減少していくとされる ので,埋蔵量の大小に応じたTの差違も消費量の指数的増大の時とは逆に増幅 されることになる。

しかし埋蔵量以上に問題なのは代替エネルギー価格である。ホテリング学派 の場合,石油代替エネルギーの生産技術をバックストップテクノロジー(以下 BS技術)と呼ぶが,それはその技術が資源制約のない非枯渇性資源を利用す る技術と想定されているからである。したがって石炭やウランなどを利用する

(10)

go

技術はその範疇に入らない。エネルギー資源が枯渇性資源でなければホテリン グの定理に従うことがないので,代替エネルギー価格は一定であると想定され る。それどころか場合によっては技術進歩によってその価格が逓減していく詮 のとされ,末来は安価なエネルギーが無尽蔵に利用できるということになる。

しかしそうした楽観論はいわゆるエントロピーの法則を無視した議論であり・

我々は今のところ石油よりも良質な,すなわちエントロピーの低い燃料源を手 に入れることはできないのである。BS技術など未だ空想の域をでない。むし ろ石油代替エネルギーについてほぼ共通していわれていること,1さ・それが自立 Iな技術ではなく,石油依存型の技術であるということである。だからこそ代 替エネルギーの価格は石油価格の上昇にともなって上昇することになる。石油 危機の重大さも石油に匹敵するほどの代替エネルギーが存在しないという点に あるといえよう。つまり現在のところ石油代替エネルギー価格はホテリング学 派のように外生的なものとしては設定できないのである。

そうだとすると石油枯渇時の代替エネルギー価格が基準となって効率価格や 希少性の価値が決定されるというのはまったくの空理空論にすぎなくなる。と いうのは現在の価格の評価基準となるべき将来の価格自体が現在の価格に規定 されることになるからである。したがってホテリング学派があたかも客観的な ものとみなしている代替エネルギー価格は単なる将来予測,それも架空のもの にたいする予測のひとっにすぎないことになる。もちろん将来予測が現在の価 格形成に影響を与えることは否定できないが,そのことと客観的な基準として のBS技術の存在とは全く別問題である。一架空技術にっいての将来予測をすべ て集約したとしても社会的にひとつの水準に収敗する可能性はないし,たとえ 収敗したとしてもそれが現実のものとなることはありえない。

結局ロイヤルティーをめぐる議論は,それを構成する条件がすべて不確実で 不可視であるため,すべて当事者の将来予測の問題に還元されてしまうことに なる。そして将来予測の数だけ効率価格が存在することになる。二つの対照的 な予測を引用してみよう。まずノードハウスの場合は,120年後に代替エネル ギーが石油換算で約60ドル/bで入手できるようになるとしたうえで6%の割 引率を適用して,1975年におけるロイヤルティーを中東の場合2ドル以下にす ぎないという結論を導き出した。当時の市場価格は約11ドルであったから,ロ イヤルティーの占める割合はわずかであり,それは石油価格高騰の主原因が他        171

ノあったことを示唆している。

(11)

館山:石油の供給制約とは何か         91 他方先にみたルーマセット達はノードハウスが代替エネルギー価格を過少に,

また実質利子率を過大に評価したがゆえに効率価格が低く設定されすぎたと批 判し,ロイヤルティーの大きさを第1表のように推定した。すなわち1973年は 6.5ドル,74年は15.2ドル,79−80年は33ドル,82年は14.2ドルである(1981 年価格)。1974年のロイヤルティーは原油価格の84%を占め,それが価格高騰

      18}

フほとんどを説明している。ノードハウスとの違いは明らかだろう。

第1表  ロイヤルティーの主観的推定

ロイヤルティー 原油価格 ロイヤルティー

代替エネルギ

可採年数

(ドル/b) (ドル/b) の割合%) 一価格(ドル)

1973

6.5 5.8

112

12.7

43

74

15.2 18.0

84

27.3

35

75

15.4 18.0

86

27.3

35

76

15.5 18.8

82

27.3

35

77

15.6 19.3

81

27.3

35

78

15.7 18.0

87

27.3

35

79

32.8 22.6

145

65.0

73

80

33.3 34.1

98

65.0

73

81

33.7 34.5

98

65.0

73

82

14.2 32.4

44

65.0

88

出所:J.Roumasset, D. Isaak and F. Fesharaki,

oρ.面 .,Table 2より作成

(1)原油価格は1981年価格

なお彼らのロイヤルティーの推定値がたびたび変化するのは実質利子率の変 動を除けば,主として代替エネルギー価格および可採年数についての予測の変 動によるものである。たとえば1973年から74年にかけて代替エネルギー価格の 予測は12.7ドルから27.3ドルに,可採年数の予測は43年から35年へと変動して いる。つまり彼らにとっては石油危機は資源ナショナリズムうんぬんといった 次元の話しではなく,将来予測の急激な変更に起因するものとして理解される のである(もっともそうした変更がどこでどのように生じたかについては何の

(12)

g2      館山:石油の供給制約とは何か

説明もないが)9Bこうしてロイヤルティー論は将来予測の違いによってだけで なく,将来予測の絶えざる変更によってさらに多数の効率価格を産みだすこと になったのである。

ロイヤルティー論は基本的には経営学でいう制御理論(control theor)う を社会的な範囲にまで拡張したものとみなすことができる・制御理論の特徴は 企業内部における最終的な到達目標(terminal payoff)を定め・そこか ら目標に至るまでの望ましいコースを逆算し,それを現在の行動の基準とする というものである響ロイヤルティー論でいえば到達目標は石油を使い尽くす時 点での代替エネルギー価格であり,望ましいコースとは効率価格のことである。

しかし制御理論の適用範囲を社会的レベルまで拡張した時,一企業内部であれ ば容易に収飲しえた現状認識とか将来予測あるいは最終的到達目標をロイヤル ティー論者は一体いかなるかたちで収欽させていこうというのであろうか。社 会にそれを保証するメカニズムがないかぎり,制御理論の社会的適用は不可能 であろう。ロイヤルティー論が結局は主観的な将来予測の問題に帰着し,効率 価格が基準値としての性格を失ってしまったのもそうした無理な適用の結果に すぎないのである

ロイヤルティー概念の第三の問題点はほとんどの議論が採掘コストがゼロか,

あるいは一定という前提をおいている点である。それはこうした前提をおかな ければホテリングの定理が成り立たず,したがって資源の枯渇とともにロイヤ ルティーも増加するということがいえなくなるからである。

しかし累積産油量の増大とともに生産コストが上昇するとした場合には,ロ イヤルティーは資源の有限性を表現する指標たりえなくなる。A・C・フィッ シャーによれば,その場合には原油価格は限界生産コストとロイヤルティーの 和として与えられ,限界生産コストが大きいほど,また埋蔵量効果が大きいほ どロイヤルティーの増分はr%よりも小さくなり,場合によってはマイナスに なることさえありうるのである。このことは資源の枯渇が進み,限界生産コス

トが上昇するにつれ,ロイヤルティーは逆に小さくなるというトレードオフの       腫n

ヨ係が成り立っていることを示している。これを70年代の状況に適用すると,

M.エーデルマンが非難するごとく,中東のように埋蔵量が豊富で採掘コスト の低い地域の方が,アメリカのように埋蔵量が少なく採掘コストが高い地域よ

りも希少性の価値であるロイヤルティーが大きいという奇妙なことになってし まうのである讐このような場合,ロイヤルティーは資源の希少性を表す指標と

(13)

館山:石油の供給制約とは何か      93

しては不適当なものとなる。

以上みてきたようにロイヤルティー論はそれが単なる思考実験的なものであ るなら,埋蔵量や架空のBS技術に基づく代替エネルギー価格を固定化するこ とにそれほど問題はないであろう。しかしそれが現実の石油価格の変動を説明 する基準価格としての性格を与えられ,しかも実際に70年代の価格変化の説明 に利用されるのであれば話は違ってくる。そのような場合にロイヤルティーが 有効な概念として成立するか否かはきわめて疑わしい。そこにみられる理論と 現実との乖離は決定的なものであり,ホテリング学派が枯渇性資源の経済学を 新たに打ち立てたとは到底思えないのである。結局ロイヤルティーは虚構の世 界でしか成り立たない概念であるといえよう。

(1} H.Hotelling, The Economics of Exhaustible Resources

10脚πα oノ勘〃 ゴoσ1Eσo o粥ツ, Apr.1931.なおホテリングの定理の意味に ついては室田泰弘『エネルギーの経済学』日本経済新聞社, 1984年,130頁および P.S. Dasgupta,&G.M.Heal,Eoo o㎜ゴ6 τ〃θ07ツ 伽4 E肋σ銘3 ゴ〃θ Rθ30%70θ3,Welwyn,1979,p.156を参照。

(2)Dasgupta and Heal,oρ. oゴ .,PP.161−63および J.Roumasset,D. Isaak and F。Fesharaki, Oil Prices Without OPEC,  伽〃8ッ E oπo彫ゴ03,

July, 1983,P.165.

(3) R.M. Solow, The Economics of Resources or the Resources

of Economics,  ∠4駕〃 oσπ Eooπo翅ゴ6 Rθ加θω,May,1974.

J.E. Stiglitz, A Neoclassical Analysis of the Economics of

Natural Resources,  in V. K  Smith ed. 3 〃oゴ砂 例4 σ70ω緬 1〜θoo εゴ4〃θ4, Baltimore,1979.

(4}例えばJ.E. Stiglitz, Monopoly and the Rate of Extraction of

Exhaustible Resources,   ノ1解θアゴoσπ Eoo o吻ゴ0 1〜θ加6zo, sep t. 1976.

それへの批判はG.TU11㏄k, Monopoly and the Rate of Extraction of

E血ustible Resources:Note! 11溺6擁σσ  Eooπo翅∫o Rθ加oω, March.1979.

㈲ ホテリング学派にとって石油の枯渇はそれほど大きな問題ではない。それは技術信

仰に加えて彼らが石油価格の上昇に伴い資源と資本との代替がすみやかに進展すると

考えているからである(Stiglitz,oρ. oゴ .,1979,p.43)。しかしそこでは生産

過程におけるエネルギー資源の独特な役割は完全に無視されている。槌田敦氏はエン

(14)

94

ロピー論の立場からエネルギー資源と水及び空気は生産活動に必須の生産要素である と指摘している(『エントロピーとエコロジー』ダイヤモンド,1986年,第2章)。し かも一定量の物質を製品に変換するに際して必要とされる燃料や水の最低量は技術的 に決まっているものと考えられ,ある程度の幅はあるものの,ホテリング学派が想定 するようにそれをいくらでも少なくするということは不可能なのである。

(6)槌田敦『資源物理学入門』NHKブックス,1982年,第4章。

(7)ノードハウス,前掲訳書,100頁。

(8)同じホテリングの定理を前提としているが,ピンダイクの場合は資源の枯渇を前提 としても独占の有無によって価格経路が大きく異るという点に特徴がある。例えば 1975年の原油価格をみると,独占が形成されている場合,割引率5%の時は,13.2ド ル,10%の時は,14.1ドルであるのに対して,競争的市場の場合はそれぞれ4.6ドル,

1.6ドルである。競争状態にある価格をロイヤルティーとみなせば,それは独占が形 成されている時の価格に比べてわずかなものにすぎない(R.S. P indyck, Gains

to Producers from the Cartehzation of Exhaustible Resources,

1〜θz厚θω  o∫ E oπo翅ゴ03 σπ4 8εα 8孟詫ε,1978) o

(9)こうした考え方を更に徹底させたのが M.J. Griffin and DJ. Teece

(OPECβθ加加07伽4 Wo〃40〃 P垣08ε, London,1984,P.24)であ

る。彼らによれば石油価格は五つの要因に対する期待の変化によって不断に変動する ものとされる。

αω制御理論については]A.Bensoussan, et a1.,1吻πσg伽θ撹!1ρρ〃 σ,ゴo 3

o/1励4〃πCoπ 701丁加07ア, Amsterdam,1974,ch・2を参照。

q1》A. C. F isher, Measures of Natural Resoures Scarcity, in V.K. Smith,oρ. o〃., P.254.彼によればロイヤルティーの時間的変化は

r+(1−p/q)Yxで与えられる(p:価格, q:ロイヤルティー, Yx:埋蔵量

効果)。埋蔵量効果とは埋蔵量が大きい(小さい)ほど,一定の投入によって得られ

る生産量は多く(少なく)なるというもので,正の値をとる。通常は

(1−P/q)Yx<0であるから,ロイヤルティーの変化率はrよりも小さくなり,

ホテリングの定理は限界生産コストと埋蔵量効果を考慮した場合には成立しない(p.

260)。

q2 Adelman, oρ.6ゴ∫., 1986,P.392・

(15)

館山:石油の供給制約とは何か      g5

第3節 生産コストの変動:有限性の推定 1.生産コスト

コスト論者はロイヤルティー論者とは異り,採掘コストの動向から逆に資源 の有限性を推定しようとする。そうした帰納的な方法の前提にあるのは,市場 や社会は資源の有限性を何らかの指標の変化をとおして間接的にしか認識でき ないとする考え方であり,それは資源の有限性を何の媒介もなく直接認識でき るとするロイヤルティー論の考え方とは著しい対照をなしている。以下では古 典派および新古典派の二人の所論を扱うが,彼らの特徴はそれぞれの経済学の 最もオーソドックスな枠組のなかで枯渇性資源の問題を処理しようとしている ことである。しかしそれは石油の枯渇時期や代替エネルギー価格などの非現実 的な条件設定を行う必要がないという点で大きなメリットをもっている。

バーネットとモースの場合はリカードの地代論に基づいて「単位当り生産コ スト」を希少性の証明とする。といってもマルサスと異なりリカードには地球的 規模での資源の有限性という観点はない。彼にとって重要であったのは土地や 鉱山の豊度や位置の差あるいはそれに基づいた序列であった。有限という点で は肥沃な土地や良鉱の有限性こそが問題であり,論理的には劣等な土地が無限 にあっても差し支えないのである。リカード的な資源の限界はむしろ経済的限 界によって画されている。つまり需要の増大にともない劣等な土地や鉱山が順 次生産圏内に入ってくるが,市場価格を規定する限界地での単位当り生産コス トは次第に上昇するからっいには経済的限界に突き当たらざるをえなくなる。

       Ul

サれがリカード的な資源の限界をなす。したがってここでは限界地における単 位当り生産コストの上昇が土地の豊度や資源の品位の低下を表わす指標となる

であろう。

枯渇性資源の場合も論理は同じであるとバーネットとモースは考える。つま り累積産油量が増大するにつれ,油田からの回収可能量の減少,油層内圧力の 低下,採掘深度の増大や海洋への進出などにより採掘条件が悪化し,同一の資 本あるいは労働量で生産できる石油の量は減少する。それはリカードのいう需要 の増大につれより劣等な鉱山が順次開発され,限界地での単位当り生産コスト が上昇していくのと同じである。もっとも枯渇性資源の場合はたとえ需要が一 定であっても資源の絶対量は絶えず減少していくわけで,そこに非枯渇性資源と の違いがある。したがって優良油田から先に枯渇すると仮定すると,産油にと

(16)

96

もない稼動中の油田の下降序列が絶えず下方に向けて移動していくことになり,

それにつれ限界油田の単位当り生産コストは不断に上昇することになる。枯渇 性資源の生産コストの上昇圧力は非枯渇性資源のそれよりも強いといえよう。

そこでその資源の品位の低下を示す単位当り生産コストの上昇が資源枯渇を表 わす指標として採用されることになったのである留その際ホテリング学派と違 ってレント(地代)ではなくコストが指標とされるのは,生産に投下された労 働量によって商品の価値が決定され,地代は利潤の単なる分配にすぎないとす

る古典派経済学からすれば当然のことといえよう。

なおコスト上昇に示される品位の低下が資源枯渇の進行の尺度とされるのは,

石油の生産可能曲線あるいは賦存状況が正規分布曲線のような形をしていると 考えられているからである。それはM.K.ババートがアメリカでの分析から導 き出した経験則であり,時間の経過とともに産油量は最初は急速に増大するも        13}

フの,ピークに達した後は急速に減少し,っいには枯渇するというものである。      一一

時間の経過を品位の低下とみなせば品位の低下=枯渇の進行という図式がでて くるだろう。ただしピークを過ぎたあとの曲線の傾きがババートのいうように        傾

}であるか否かは議論のあるところである。

他方工一デルマンの場合は「限界生産コスト」に希少性の証明を求める。彼 の希少性の定義は最もオーソドックスな新古典派のそれである。すなわち「過 剰というのは現在の価格では需要よりも供給の方が大きいこと,そしていずれ 価格が下落するとの予測を意味している」との指摘にもみられるように,採掘        15[

ウれた石油の需給関係のみが問題となっている。そこでは枯渇性資源の希少性 を財一般のそれから区別する必要性は認められていない。というのは彼によれ ば資源の物理的限界などどこにあるか分からないからである。我々はただコス ト的に引き合わなくなった時点で生産を中止するだけであり,したがって石油        {6}予めその量か確定された枯渇性資源として扱うのは無意味だとしている。

そこで本来は価格が,それも競争的価格が希少性の指標とされなければなら ないのだが,エーデルマンによれば現実の価格は独占価格で,競争的価格は実 際には存在しない。そこで価格に替わるものとして限界生産コストに希少性の 指標が求められることになった。それは,各生産者が新古典派の伝統的な価格 論にしたがって自らの限界生産コストが競争的価格に一致する点まで生産を拡 大するならば,両者の差はほとんど生じないからである。逆にいえばエーデル マンは石油産業においては生産者は常に自らの限界生産コストが(競争)価格

(17)

館山:石油の供給制約とは何か      97 に一致する点まで生産を拡大するということを前提としているといってもいい だろう。それゆえ需要の増大による価格上昇は必ず限界コストの上昇をともな いながら供給の増大をひきおこすから,価格と限界コストが乖離し,レントが 発生するということは短期的にはともかく長期的にはありえないことになる。

限界コストをゼロか一定と仮定し,価格の大部分をレントとするホテリング学 派との理論的差異は明らかだろう。

以上みてきた古典派,新古典派のコスト概念のいずれが資源枯渇を推測する 指標として優れているかという議論はあまり意味がない。というのはいずれの コスト概念を使っても結論に変わりはないからである。ただエーデルマンの限 界コスト概念については若干のコメントが必要だろう。

エーデルマンの論理にしたがえば平均コストと異なり限界コストには地域差 は生じない。つまりリカード的な資源の品位の差は問題にならない。したがって 希少性の指標としては理論的にはどの地域の限界コストを取りあげても構わな

いことになる。しかしそれには第一に競争的価格が存在していること,第二に そのもとで各自が限界コストが価格に一致する点まで生産を拡大していること が必要となる。ところが現実の価格は彼自身の規定によれば独占価格である。

また第二の点についても油田規模の巨大な中東の場合には限界コストが価格に 一致する点よりも手前で生産が行われている可能性も否定できない『1とすると 現実の限界コストには地域や資源の品位の違いによって格差が生じているはず である。彼自身も実際には地域別の限界コストを推定しているように,現実に はリカード的な資源品位の差を考慮し,需要の増大に対応しうる地域の確定と そこでの限界コストの算出をおこなわなければならない。そうしてはじめて資 源の有限性が市場に露呈しているか否かがわかるのである警〕

さてコストを希少性の指標とした場合の実際の結果についてみることにしよ う。なお両者には発見費用の取り扱いにおいて差があるが,それについては第

      9}

R項でみることにする。

バーネットとモースの場合はアメリカにおける単位当りコストの時系列的な 変化(1870〜1957年)に重点がおかれている。彼らは二っの仮説の検証を行う。

ひとつは強い仮説であり,それはアメリカの経済成長にともない資源の希少性 が増大し,その指標である資源の実質単位当りコストも上昇するというもので ある。もうひとっは弱い仮説であり,それは資源の希少性の増大にともない単 位当りコストが上昇するはずであったが,社会技術的な進歩と規模の経済によ

(18)

98

って実際にはコストの上昇が阻止されたというものである。強い仮説について は,森林資源を除くすべての資源について実質単位当りコストが下落している ことから,棄却された。弱い仮説については彼らは製造業製品のコストと比較 した資源の相対的コストの変化を求めた。それは資源の単位当りコストが下落 しても,製造業製品のそれの下落率の方が大きければ,その差は資源枯渇の影 響によるものと考えられるからである。しかし資源の相対的コストの上昇傾向        睡窃

ヘ認められず,弱い仮説も棄却された。

その後バーネットは1979年の論文においてこの時系列的な分析を1970年前後 まで延長した結果,下落率こそやや鈍ったものの,以前からの傾向が依然とし て持続していることをみいだしたのである。一uD

結局彼らはアメリカの単位当りコストの歴史的傾向からみるかぎり,石油に ついても1970年頃まではめだった資源の枯渇はない,というよりアメリカの資 源は枯渇するどころか逆に豊富になっているという結論に達したのである。

他方工一デルマンは1970年代後半における世界の主要産油国の限界生産コス トの推計を行った。第2表がそれである。そこには日産1bの追加的生産能力

をつくりだすのに必要な投資額が示されている。その数字を1,000で割れば1       

s魔閧フ限界投資コストの大まかな水準がえられる。たとえばサウジアラビァ

:O,1ドル,イラン:0.2ドル,リビア:0.6ドノヒ北海:6・0〜9・0ドル・ア メリカ:11.0ドルということになる。このことからエーデルマンは世界の石油 市場は競争状態にないと結論づけると同時に,1970年代後半において確認埋蔵 量の多くは限界資本コストが3ドル/b以下の油田に集中しており,しかも限 界操業コストはどこでも僅かなものにすぎないから,両者を合計した限界生産コ ストは1978年の原油価格11〜12ドルのわずかな部分しか占めていないと指摘し ている。そして限界生産コストがこのように小さいということは石油資源に圧 力がかかっていないこと,つまり資源の枯渇など問題になっていないことを示

      α3 オていると結論づけたのである。

以上みてきたように単位当りコストの場合もまた限界コストの場合も石油資 源の枯渇はないという結論に達した。総じてコスト論者は資源の枯渇にたいし て否定的な立場に立ち,ロイヤルティー論者とは顕著な対照をなしている。し かも面白いことは,エーデルマンの分析によれば1970年代後半においてアメリ カは生産コストの点では世界の主要産油国のなかでも限界的な地位を占めてい

(19)

館山:石油の供給制約とは何か      99 第2表 日産1bの追加的産油能力を建設するのに要する投資額1974。77年

(単位:ドル,1978年価格)

サウジアラビア 106

ヴェネズエラ

644

イ  ラ  ン 207 a  5,482

a    961

インドネシア

807

イ  ラ  ク 400 a  2,672

ナイジェリア

535

アルジェリア 3,310

a  1,668

北    海 a,b6,088

リ  ビ  ア 604

a,b8,909

U  S  A

c  10,915

出所:M.A.Adelman, Worldwide production costs for oil

&  gas,  ノ14〃σπ0θ5 づフ2  乃θ E602202πゴ05 0∫ Eπθプ9ツ & Rθ 一 30z67093, . Vo l・3, 1980,P.17.

アメリカについてはdo., Scarcity&world oil prices

τんθ 、Rθ〃ゴθω  o∫ Eooπ02ηゴ03 &3σゴ3ゴ03,vol.68, Nd 3,1986,      }

P.39α

注 a 沖合油田

b 上段は陸上までの輸送費抜き 下段は輸送費込み

c 1978年

たが,そのアメリカですら少くとも70年代初頭まではコストの上昇というかた ちでの資源の枯渇は顕在化していなかったとバーネットとモースが分析してい る点である。それは限界的な位置にあるアメリカにおいて資源の枯渇が感知さ れないのであれば,世界的にも石油の枯渇など問題にならないということを示 しているが,はからずも古典派と新古典派のコスト分析が相互補完的にそのこ とを明らかにしたといえよう。そしてそのような認識に基づくかぎり,石油危 機の原因を資源制約の直接的顕在化にではなく,エーデルマンのようにOPEC による独占力の行使という点に求めるようになるのは当然といえよう。

2. コスト分析の問題点

コストを希少性の指標とすることの優位さはそれが実際に感知できるという 点にある。もっともそれはあくまでも各生産者が個別的にしか感知できないが,

しかしロイヤルティーが個別的にすら感知しえないことに較べれば大きな利点

(20)

100

といえよう。とはいえここにも多くの問題点がある。

第一はコストの上昇が資源の品位の低下を意味するためには,油田がリカー ド的な下降序列にしたがって優良油田から順番に採掘されていかなければなら ないが,現実にはそうしたことは保証されていないということである。そうで なければたとえ現在コストが上昇していたとしても,将来新たに優良油田が発     見された場合にはコストが低下し,埋蔵量ベースが拡大することになる。もっ

とも確率的にみて大規模な優良油田から発見されやすいということがあるにし ても,現在までのところそれらがすべて発見し尽くされてしまったわけではな

い。探鉱活動も地表の全てにわたって行われているわけではなく,アメリカを       uむ

怩ッば広大な面積が未開発のまま残されているのである。

第二の問題点は,生産費用曲線の形状が既知でなければ生産コストは希少性 の指標とはなりえないということである。そうでなければ現在のコスト水準が どの程度の残存可採埋蔵量に対応しているのか,また生産コストが経済的限界 に達するまでに生産できる石油の量はどの程度かなどが確定できないことにな る。しかし石油の賦存状況すら十分に把握できない現状では生産費用曲線の形 状などわかるはずがないのである。

しかし仮に上の二つの条件が満たされたとしても,生産コストを希少性の指 標とするには問題が残る。というのはコストは技術進歩の結果をも内包してし まうため,コストの変動が資源の希少性の変化を正確に反映しなくなるからで ある。つまり資源の品位の低下にともない生産コストの増大がもたらされても,

それを相殺しうるだけの技術進歩が生じた場合には生産コストは不変か,ある いは低下することさえ生じうるのである。バーネットとモースもそのことは指摘し ており,彼らの当初の予想に反した単位当りコストの低下は技術の発展がそれま

で不利とされていた地域での探鉱を可能とし,それによる新規油田の発見が行 われたことと,石油採掘部門におけるさまざまな技術進歩によるものであると 指摘している15したがってたとえ単位当りコストが下落しても資源の枯渇が進 行している可能性も否定できないのである。しかしバーネットとモースは,弱 い仮説の箇所でみたようにたとえ技術進歩があったとしても石油採掘部門は資 源枯渇の影響を受けるため,非採掘部門よりも単位当りコストの下落率は小さ いはずであるのに,実際にはそうしたことがみられないので資源の枯渇はない としている。しかしそれは技術進歩が採掘,非採掘両部門にたいして同程度に 作用すると仮定しているからで,採掘部門の方にその影響がより強く作用する

(21)

館山:石油の供給制約とは何か      101

場合にはそうはいえないだろう。

アメリカ石油採掘業における技術進歩と油井当りの生産コストの上昇との関 係を分析したノルガードによると,1939年から1968年にかけて陸上油井当りの 平均生産コストの増加は64%であったが,もしこの間技術進歩がなかったとし たら,平均コストの増加は233%にも達していたことになる。したがって233        α臼

唐ニ64%の差が技術進歩によるものとなる。同期間のアメリカの油井当り平均 産油量は9b/dから16 b/dへと80%近く増大しているから,油井当りではな く石油単位当りの生産コストをとるとバーネットとモースのいうように下落し ている可能性が十分あるということになる。しかも彼らがデータの一部を依拠

したケンドリックによれば,石油・ガス採掘業の生産性の上昇率は民間経済部 門全体のそれよりもかなり高くなっている乎石油採掘部門での技術進歩はかな

り速かったといえよう。したがってたとえ資源枯渇の進行がコストの動向に影 響を及ぼしていたとしてもそれが技術進歩の波に押し流されてしまったことは 十分考えられるのである。

それではアメリカの石油資源はバーネットとモースがいうように本当に豊富 に存在していたのだろうか。これまた議論の分かれるところであり,楽観論者        u轡 ニ悲観論者との間には究極可採埋蔵量の推計量に3〜4倍のひらきがある。し かしババートによると,採掘距離当りの発見埋蔵量は1930年代に約300億bの

ピークに達したあと急減し,1950年代半ば以降は30億b前後の水準で横ばい状 態であるε9アメリカの場合には非常に多くの油井が掘られていることを考えあ わせると,ババートの指摘するように確認埋蔵量の増加はすでに50年代半ばにピーク をすぎたとみることができよう。また油井の累積距離数の増大は資源の品位の 低下がかなり進行したことも示している。つまりアメリカは資源的にはピーク を過ぎ,もはや大きな発展の望めない下り坂の状態にあるといえよう。しかし それでもアメリカの産油量が確認埋蔵量の粗増加分を上回わるのは1960年代に 入ってからであり,それまでは消費の伸びを上回わる確認埋蔵量の増加がみら       20

黷スのである。しかも先にみたような技術進歩により新たな埋蔵量が低コスト で追加供給されるという状態が続いていた。

こうしたことは資源の品位の低下速度よりも技術進歩および確認埋蔵量の増 加速度の方が早い場合にはコストが低下し,市場はそれを資源が豊富になった と受けとることを示している。そうした趨勢が続くかぎり,たとえ累積産油量 が増大し資源の枯渇が進行したとしても市場はそれを感知しえないのである。

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