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小林三衛先生の研究の軌跡

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一小林法学の解題をかねて一

飯  塚  和  之

1小林先生の略歴       先生の業績は,多数に及び,またその研究領域も

       多岐にわたっている。小林法学の全容を紹介し,      /小林三衛先生は,1988年3月31日付をもって茨  かつ,それらに対し言葉の厳密な意味での解題を

城大学を定年退官される。先生は,1922年,水戸  付けることは,私の能力を遥かに超えるものであ 市に生まれ,地元の茨城県立女子師範学校附属小  り,よくなしえないところである。

学校,茨城県立水戸商業学校,水戸高等学校(文   小論では,先生の研究の軌跡を追いながら,か 科甲類)を経て,1943年,東北帝国大学法文学部  つ,研究対象ごとに先生の学問上の特徴を示して 法学科に入学し,兵役のための休学・復学の後19  いると考えられる主要な業績をとりあげて紹介を 48年3月同大学を卒業された。同年4月,旧制の  試みたい。

東北大学大学院に入学され,日本家族法学の大成

       2.家族法研究者である故・中川善之助博士のご指導のもとで,

民法学の研究を開始された。そして,1951年4月,   先生は,1950年代の前半,新憲法の息吹を身に 中川博士の御推挙を得て茨城大学文理学部助手と  うけ,社会が法律学に対して新しい理論と実践を

して採用され,講師・助教授を経て,1966年教授  要請していた時期に,新民法の制定に強くかかわ となる。その後,1969年から1971年までの大学  られた中川善之助博士のご指導のもとで研究を開 紛争の時期に人文学部長を勤め,人文学部出身の  始された。中川門下の一員として研究を開始され 故・関誠一学長を補佐された。また,1975年2月  た先生の初期の業績には,相続法に関するものが から1987年3月までは先生御自身,創設者のお一  多い。東北大学の雑誌r法学』に連載された「生 人でもあった茨城大学地域総合研究所の第二代目  存配偶者の相続権の一考察」(法学17巻4号,18 の所長の任にあり同研究所の発展に寄与された。  巻4号,19巻2号,20巻2号(1953年〜1956年))

茨城大学では,民法学を担当されたが,他の大  は,先生の研究者としての最初の論文である。こ 学の非常勤講師としては,法社会学(青山学院大  の論文は,「被相続人の配偶者は,常に相続人と 学法学部・大学院,早稲田大学法学部・大学院  なる。」(民法890条)とされた新民法の規定に 等),農業法学(早稲田大学大学院,東京大学農  触発されて,ローマ法・ゲルマン法・フランス法・

学部,東北大学農学部,千葉大学園芸学部等)等  日本法についての生存配偶者の相続権の歴史を明 の講義も担当されている。       らかにし,最後に生存配偶者の相続権の根拠と性 格を論じたものである。その結論は,こうである。

皿 ノ」N林先生の研究の軌跡       すなわち,生存配偶者の相続権の根拠は,歴史的・

      立法的にみて扶養である。しかし,この相続権は,1.はじめに

被相続人に財産がなければ無価値である。そのた 研究を開始されて以後,今日までに公表された  めに,生存配偶者の生活を保障するための公的扶

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助が必要となる。そして,この論文は,次の言葉  渡辺洋三編r入会権の解体H・皿』(1961年,19 で結ばれている。「これらを獲得するためには,  68年)等に収録されている。

国民の団結と闘争が必要である。」と。人民の立   これらの共同研究での成果をふまえながら,独 場に立ち,権i利擁護i闘争の重要性を一貫して主張  自の調査と資料の探索に基づいてまとめ上げられ してきた先生の研究上の立脚点は,すでにその出  たのが,前記『国有地入会権の研究』である。先 発の時点において確立されていたのである。    生の入会権研究は,1954年3月茨城大学の学生諸 先生の相続法に関する研究は,その後,相続の  君によびかけておこなった茨城県上小川村での 実態調査,社会主義国における相続法の検討へと  実態調査にはじまる。戦後の法社会学の一つの 進むことになるが,沿革と実態の双方から相続に  潮流が,農山漁村における「生ける法(lebendes アプロウチし,現時点での問題点を整理した「相  Recht)」を求めて,そこでの慣行・社会構造等 続法の沿革と相続の実態」(福島正夫編「家族   の実態調査を始めた時期である。そのような学界 政策と法」第六巻『近代日本の家族政策と法』  の動きのなかで,先生は,前述のような研究会へ 362頁(1984年)が先生の相続法に関する総括的  参加をし,経験を深められる(戦後の法社会学を 論文といえる。      総括した代表的文献も,この時期の小林先生の学

界レベルでの活動を述べることを忘れてはいない。

3.農山漁村研究

森島昭夫「終戦後の法社会学」川島武宜編r法社 1950年代後半になると,先生の関心は次第に広  会学の現状(法社会学講座2)』254頁,280頁 げられ,農地所有・林野所有・入会権。水利権・  (1972年),潮見俊隆「戦後の法社会学」潮見俊 温泉権・漁業権などの研究へと向けられていった。  隆編r法社会学(社会学講座9)』255頁,268頁 これらの領域は,一括して農山漁村の研究という  (1974年))。それらの蓄積のうえにまとめられ ことができる。とりわけ,名著『国有地入会権の  たのが,本書である。

研究』 (1968年)は,法社会学者としての先   本書は,第一章「国有林野の形成・展開と国有 生の地位を不動のものとした。また,わが国第二  地入会権」,第二章「国有地入会権の存在形態」,

の広さを誇る霞ケ浦地域の農業水利権に関する先  第三章「国有地入会権の裁判」の三部構成,551 生の多年にわたる調査の成果であるr霞ケ浦にお  頁の大著である。本書の目的は,「国有林野の形 ける農業水利権』(1981年)は,一地域を対象と  成・展開のなかで,その国有林野を古くから慣行

した一人の研究者による農業水利権の研究として  にもとついて利用してきた地元人民の権i利,すな は類例のない研究ということが出来る(本書に対  わち,国有地入会権の存在を,理論的,実証的に

しては,中尾教授による書評がある。中尾英俊  明らかにすることである。」

「書評」法律時報57巻7号105頁(1982年))。   そのために,第一章では,地租改正,官民有区 この分野での,研究手法上の特徴としては,共  別以来今日までの,国有林野に関する立法・行政 同研究と個別研究との統一を見事にはかられたこ  の展開を詳細な資(史)料に依拠して明らかにし,

とである、すなわち,先生は,牧野研究会(後に  国有地入会権の消滅を正当とする法令は存在しな 入会権研究会,代表・川島武宜教授),森林所有  かったことを論証している。本章は,いわば,先 権研究会(代表・福島正夫教授),農山漁村研究  生が収集された豊富な文献資料に依拠したデスク・

会(代表・潮見俊隆教授)等に積極的に参加され,  ワークの成果となっている(なお,本章は,先生 共同研究の成果として多くの論文・調査報告を公  が東北大学に博士論文として提出し(1962年),

にされている。それらは,主として近藤康男編  さらに,前記潮見俊隆編r日本林業と山村社会』

r牧野の研究』(1959年),潮見俊隆編r日本林  の第一章「林野所有の形成」に収録された論文の 業と山村社会』(1962年),川島武宜・潮見俊隆・  うち国有林野に関する部分を整理されたものであ

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る。)。これに対して,第二章は,文字通りのフ  (小林直樹・水本浩編r現代日本の法思想一近代 イールド・ワークの賜物である。全国にまたがっ  百年の歩みに学ぶ』396頁(1976年))や,「戦 て存在する国有林野の利用形態が慣行にもとつく  後における土地政策と土地立法」 (青山法学論集 利用であり,そこには入会権が存在することを実  17巻4号(1976年))などがあり,さらに,農地 証したのが本章であるが,その方法は,あくまで  に関して農業法の観点からの,諸論文がある。

も先生御自身の「足」と、「目」と「耳」で確かめ   「現行農地法の運用状況」(農政調査会r農地管 るという実証的方法によっている。調査地点は,  理の諸問題一現行農地制度の問題点』70頁(1961 北は北海道知床半島から,南は鹿児島県屋久島に  年)),「農業の近代化と農地法」 (農業法研究 及んでいる。第三章は,明治前期からの国有地入  2号(1965年)),および「農地改革の行政過程」

会に関する全ての裁判例の検討をおこない,行政   (東京大学社会科学研究所編「戦後改革」6r農 権力に追随し国有地入会権の存在を認めた大審院  地改革』181頁(1975年))などである。占領下 の大正4年3月16日判決(民録21輯328頁)が理  での農地改革を扱った最後の論文では,改革の原 論的根拠を欠く不当な判決であることを実証して  動力を戦前からの農民運動に求める視点から,具 いる。       体的な改革の過程を描写している。

本書は,「大正4年の大審院判決が法律論とし   ② 開発問題

て誤ったものであったことを,さまざまな角度か   1960年代の後半になると土地所有の研究は,そ らの分析によって,ほぼ完全に実証し,論証した  れと密接な関係をもって展開される開発問題へと 研究としても画期的な意義をもつ」(稲本洋之助  先生の関心を導くことになる。ここでは,鹿島臨

「1968年学界回顧・法社会学」法律時報40巻13号  海工業地帯の開発をめぐって出現する土地問題に 55頁(1968年)),あるいは「本書は国有地入会  対する具体的で,しかも理論的な先生の問題提起 権に関する研究の集大成というべきものであって,  に注目しなければならない。

その論理と根拠はいずれも説得的である。今後,   それは,「鹿島臨海工業地帯の造成と土地問題一 裁判所あるいは行政官庁がもし国有地入会権を否  鹿島臨海工業地帯の造成に関する研究ノート1一 定する判断を下すとしたら本書の示す論拠を破ら  1」茨城大学地域総合研究所年報2号(1971年),

ねばならない。」(武井正臣(書評) 「小林三衛   「鹿島臨海工業地帯造成における用地取得と住民」

r国有地入会権の研究』法律時報401巻11号97頁,  ジュリスト491号(1971年),「地域開発と土地 99頁(1968年))と評価されたものであり,現実  問題」農業法研究8号(1973年)等において展開 に,本書公刊に遅れること5年,1973年3月13日, された。すなわち,1960年代初期から始まる鹿島 最高裁判所は,ついに判例を変更し国有地上の入  開発では,工業用地の取得が,まず問題となる。

会権の存在を認めたのである。「地元人民の権利」  そこでは,いわゆる四・六方式が採用される。開 の存在の実証に多大の労力をはらわれた先生の長  発区域内の土地所有者全員が四割を提供し,六割 年の努力も報われたことになる。        は,他の造成地から還元をうけるというものであ

       る。そのなかで,農業団地の整備が遅れ,代替地4.土地所有・開発問題       の付与が遅れる。そのために,後日の売り渡しを

(1)土地所有      約束する念書が交付された。投機目的で,この念 農地法に関する判例研究をするなかで,1960年  書の売買がおこなわれる。農業用地の確保のため 代になると先生の関心は,農地所有を主要なテー  に約束されたにもかかわらず,不動産業者の暗躍 マとしながら,土地所有問題にも及んでゆく。   を許す結果をもたらした。

土地所有に関する先生の研究には,理論的・歴   先生は,このような事実を明らかにすると同時 史的研究である「明治初期の土地改革の思想」   に,念書の性質を茨城県のいう「民法上の相互契

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約」というようなものではなく「一種の売買契約」  ア友好協会)59頁,(1983年))および「アルバ であると主張し,念書自体が売買され一種の土地  ニアにおける農業の発展」(第六次アルバニア友 証券化している,と論じられた。従来にない土地  好訪問代表団報告(日本・アルバニア友好協会)

取得方式に伴って生じた新たな法律問題の解決に  44頁,(1985年))は,わが国では,必ずしもそ 理論的根拠を与えることになったわけである。   の実情がしられていない社会主義国の土地改革,

なお,茨城大学地域総合研究所の共同研究の一  農業の集団化,農業の工業化の歴史と現況を明ら 環として取り組まれた鹿島臨海工業地帯の開発に  かにしたものとして貴重な調査報告となっている。

関する「土地問題」・「水利問題」・「公害問題」  また,アフガニスタン革命直後の危険な状態のな 等の先生の研究は,1970年代のトピカルな問題で  かでの現地調査をもとにまとめられた「アフガニ あったこともあり,社会的な注目を集めた。先生  スタン革命と土地改革法」(法社会学34号(1982 のそれらに関する論稿は茨城大学地域総合研究所  年))は社会主義革命による土地改革の動向をビ 編『鹿島開発』(1979年)に収録されている。   ビッドに伝えており,興味深い。

(3)外国の土地所有

      5.公害・環境問題土地所有に関する先生の関心は,わが国のそれ

についてのみならず,外国,とりわけ社会主義諸   1970年をマスコミは,公害元年と命名した。そ 国における土地所有形態の研究へとすすんでいる。  して,70年代には,いわゆる四大公害裁判の諸判 わが国における工業開発による農地の収奪,農業  決が相次いで出される。先生の飽くことをしらぬ の荒廃に批判的な先生は,社会主義社会における  社会的問題に対する関心は,公害現象にも向けら 人民的土地所有による調和のある国家建設にその  れ,その法社会学的研究の成果を産み出すことに 理想の姿をみている。そこで,先生は,土地所有  なる。

についての各国憲法上の諸規定の比較に始まり,   この分野での,先生の研究は,まず,その対象 各国の実態調査をとおしてそれぞれの土地所有形  を地元茨城地域の公害現象に設定することから始 態および共同経営等の諸特徴を析出して行く。国  まる。60年代初期に計画され,「公害のない太陽 内の調査で採られた手法は,ここでも採用されて  と緑の工業地帯の造成」を旗印に押し進められた いるのである。現実に調査対象とされ,その成果  鹿島開発は,60年代後半から70年代にかけて企業 が,公表されている社会主義諸国には,朝鮮民主  の操業が開始されるや,短時日にして大気汚染を 主義人民共和国(調査1973年,1979年,1986年),  中心とする公害の発生をみる。従来から,鹿島開 アフガニスタン(1979年)アルバニア社会主義人  発を研究の対象としていた先生は,公害問題につ 民共和国(1982年,1984年)がある。研究論文の  いても調査研究を開始する。「鹿島臨海工業地帯 形態では,いまだ成果の公表はなされていないが,  の造成と公害問題(1・2)一鹿島臨海工業地帯 現地調査を済まされている諸国としてソビエト連  の造成に関する研究ノートー(2−1・2)」(茨 邦(1967年),ルーマニア(1975年),ブルガリ  城大学地域総合研究所年報4号・5号(1972年・

ア(1975年),ユーゴスラビア(1975年),ハン  1973年))はその成果である。無公害を宣伝して ガリー(1984年),ドイツ民主共和国(1984年), の鹿島開発の偽りを操業開始後の公害の実情,対 チェコスロバキア(1968年,1975年,1980年,  策の不備を明らかにする中で実証したものである。

1984年),中国(1986年)がある。         さらに,年来の研究対象である霞ケ浦の汚染問 なかでも国営農場などでの聞き取り調査をもと  題は,先生の心を痛めるものとなった。その心情 にアルバニアにおける農業集団化の実際を紹介し  は,その原因の追及と抜本対策の提言へと進む。

た「アルバニアの農業と土地所有形態」(第五次  それは,「霞ケ浦の水質汚濁とその対策」(同研 アルバニア友好訪問代表団報告(日本・アルバニ  究所年報14号(1981年)),「霞ケ浦富栄養化防

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止条例の制定」(同研究所年報15号(1982年)),  おして一(1・2)」 (茨城大学文理学部紀要

「霞ケ浦富栄養化防止条例の制定(補遺)」 (同  (社会科学)8号・9号(1958年・1959年))は,

研究所年報16号(1983年))の諸論文に示されて  同事件に関する総合的な裁判研究とでも評するこ いる。とりわけ,後二者は,1981年12月に成立し  との出来るものである。茨城大学星嶺寮事件とは,

た「茨城県霞ケ浦の富栄養化の防止に関する条例」  「学生の住所は郷里にある」とする1958年6月18 の制定過程および条例の逐条的・批判的検討であ  日付自治庁選挙部長通牒に端を発する学生選挙権 り,同条例の運用に当たっても,また将来の改正  擁護運動の一つとして提起された裁判において,

に当たっても傾聴すべき多くの問題点の指摘をお  「学生の住所は修学地にある」との最高裁判所判 こなっている。      決(最判昭和29年10月20日(民集8巻10号1907 このほかにも,茨城大学地域総合研究所への茨  頁))をもたらし,学生側の勝利に終わった著名 城県勝田市からの意見照会を契期に公害対策審議  な事件である。若き日の小林先生は,学生達の相 会の委員として係わり,当初の市の原案が修正さ  談相手としてこの事件に関与された。その経過を れ,さらには,その修正案も不成立に終わる過程  も含めて,住所に関する理論的考察を加えたもの をややドキュメント風に整理した「勝田市環境保  がこの論文である、同論文は,法律時報(31巻13 全条例の立案とその挫折(1・2)」 (茨城大学  号42頁)の「法学1959年の収穫」(民法,論説の 人文学部紀要(社会科学)15号,17号(1982年,  部)の一つに選ばれている。掲載誌の関係からか 1984年))は,「良好な環境」を守ろうとする市  住所に関するその後の研究において論及されるこ の努力が企業の利益の前に「挫折」する経過を明  とが少ないが,この初期の論文においても,先生 らかにしている。       は,すでに裁判内外の事実・資料を駆使しての裁

近時では,公害の健康被害にたいする救済制度  判研究の方法を実践していたのである。

の実情に関心を示され,若手研究者との共同研究   12)資本主義民法研究会r民法講義』

である「自治体による大気汚染公害健康被害救済   先生の法解釈学上のお仕事で,学界に対する寄 制度の比較研究一とくに展開と特質について一」  与として見落すことの出来ないものに,「資本主

(法社会学39号(1987年))において,公害健康  義民法研究会」(相原東孝,黒木三郎,小林三衛,

被害補償法に基づく国の制度とは独立して運用さ  浜田稔,半田正夫,愼悌次,森泉章の各教授がそ れている自治体の救済制度の特質の比較検討をお  の同人である。)の名前で公刊されているr民法

こなっている。1987年の公害健康被害補償法の  講義』(民法総則(1962年)・改訂版(1985年),

「改正」による患者の切り捨てが実施されている  物権法(1959年)・改訂版(1981年),債権総論 現状にあって,自治体による救済制度の重要性は  (1979年)が現在まで刊行されている。)への執 増大している。先生らの研究はこの課題に対して  筆である。この研究会は,「民法を社会科学の立 貴重な素材を提供している,ということが出来る。  場から研究することを目的」にしており,この教

       科書は「通説の線にそいながら法社会学的立場を6.法解釈学

       とる」ことで統一して執筆されている。従来の民   (1)茨城大学星嶺寮事件      法教科書にあきたらず,とくに経済的基盤と法規

先生は,法社会学者としての多くの業績に加えて, 範の関連に着目し,社会科学的に民法の規範や現 それらの研究との有機的関連をはかられながら,  象を把握しようとの意欲のもとに企画・実行され 法解釈学の分野においても貴重な研究を重ねてい  た教科書の刊行であった。この企ては,当時の民 る。とりわけ学生選挙権の所在を巡って争われた  法学界にすくなからぬ衝撃を与えることになる。

茨城大学星嶺寮事件に直接・間接に係わるなかで   先生は,r民法総則』では「法律行為」,r物 まとあられた「住所の概念一学生選挙権問題をと  権法』では,「総論」及び「所有権」,『債権総

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論』では,「債権の内容」をそれぞれ分担執筆し  になるまで,第二部は,民法施行後終戦まで,第 ている。先生の専門領域ということのできるr物  三部は,終戦後という計画をたててみた。第一部 権法』の内容についてみるならば,とりわけ,  は,三和書房刊行の明治前期大審院民事判決録の

「総論」における,物権の種類に関する記述に注  出そろうのを待ってとりかかることにし,第二部 目したい。第一版では,従来の文献に依拠して書  は,体系的にまとめて逐次発表することにし,第 かれていたものが改訂版になると,先生御自身の  三部は,とりあえず,判例の収集というような意 実態調査に基づく研究の成果が遺憾無く発揮され,  味で,順をおいながら,断片的であっても,判例

「漁業権」,「水利権」,「温泉権」などにつき,  研究を続けようと思う。」と。すでにこの時期,先 豊富な事例とともに説得的な理論が展開されてい  生は入会権の実態調査をはじめられており,この るからである(改訂版8頁以下)。おなじことは,  付記にしめされた計画の公表により,実態と裁判

「所有権」の部分での,「わが国における近代的  例の両側面からの「入会権の総合的研究」を目指 土地所有権の成立過程」(同160頁以下)につい  すとの 研究開始宣言 をおこなったとみること てもいうことが出来る。明治期から今日までの土  ができよう。

地立法につき,詳細な分析がなされているからで   この先生の計画は,少なくとも国有地入会権に ある。この背景には,林野所有,農地所有,ある  関しては完成を見ている。民商法雑誌に連載され いは戦後の土地立法,開発法についての先生の丹   (「判例国有地入会権(1〜7)(民商法雑誌53 念な研究がある,ということが出来る。      巻1号,5号,56巻6号,57巻1号〜5号(1965 資本主義民法研究会の同人の諸先生は,未だ全  年〜1968年)),前記r国有地入会権の研究』第 員健在であり,当初の目標である,民法講義全巻  三章「国有地入会権の裁判」にも収録されるに至っ の完成を期待したい。       た,国有地入会権に関する多数の公刊・未公刊の

㈲ 判例研究       裁判例の検討・分析が完了しているからである。

初期の判例研究としては,借地・借家法に関す  さらに付け加えるならば,同書刊行後,最高裁判 るものが多い。入会権に対する関心と共に判例研  所が,判例を変更して,ついに国有地上の入会権 究も次第にそれらに関するものが中心となる。  を認めた前述の最判昭和48年3月13日(民集27巻

「分け地の慣習と入会権の存否」(茨城大学政経  2号271頁)にたいしても,先生は,rジュリス 学会雑誌4号91頁(1958年))は,入会権に関す  ト増刊・昭和48年度重要判例解説』 (1974年),

る戦後最初の最高裁判所判決である最判昭和32年  rジュリスト増刊・民法の判例(第三版)』(1979 9月13日(民集11巻9号1518頁)についての判例  年),谷口知平・加藤一郎編r新版・判例演習民 研究であり,先生にとっては,入会権判例に関す  法2物権』(1982年)などにおいて,解説・研究 る最初の論稿である。分け地についての入会権を  をおこなっている。先生を含めた学界の努力が 否定した最高判決に対して,先生は,「おのおの  「官有地に編入された土地について,入会権の消 の入会の存在形態に対応するところの入会権が承  滅が明文をもって規定されていないかぎり,その 認されなければならないし,入会理論がたてられ  編入によって,入会権が当然に消滅したものと解 なければならない。」との立場から,共同体の管  することはできないというべきである。」との最 理に服している分け地について「入会権の存在を  高裁判決をもたらしたことに,先生は,感慨をこ 否定する最高裁判所の判決には賛成できない。」  めてか, 「わたしたちの批判がやっと実った」

とされた。      (前記r民法の判例(第三版)』90頁)と述べて この判例研究の付記において,先生はその後の  いる。

研究計画を披渥されている。「『判例入会権の研 究』として,三部に分け,第一部は,民法が施行

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7.裁判研究方法論       見るに至ったものである。),「確定判決の影響」

の判例研究の方法が問題とされていたといってよ    『国有地入会権の研究』という・いわゆる実作 いであろう.小林先生は,そこでの議論を承認し で用いた方法論を鯉されたのカ ・この論文であ たうえで,さらに独自の裁判研究の方法論を呈示 る・その意味で・強い説得力をもっている・ある された.入会権研究会において,先生が教えを受 裁判に関して渕決文の検討だけで1ま飽きたらず,

けていた川島武宜教授の還暦を記念して刊行され 裁判の背後にある事実や時代的背景にまでメスを た論文集に寄稿された論文「裁判研究の方法にっ  入れるところまで判例研究を押し進めた民法学上 いての一試論」(来栖三郎・加藤一郎編r民法学  の研究には,先生以前には・唄・佐藤両教授のお の現代的課題(川島武宜教授還暦記念H)』3頁  仕事があり(唄孝一rr婚姻予約有効判決』の再

(1972年))が,それである。         検討(1°2)」法律時報31巻3号,4号(1959 先生のこの論文は,法解釈学上の裁判研究では  年)・唄孝一・佐藤良雄「続・r婚姻予約有効判 なく,法社会学的裁判研究に依拠する先生の実践  決』の再検討(1・2)」法律時報31巻10号,11 に基づく方法論上の問題提起であった。     号(1959年)など)があり,近時のものとしては,

先生の裁判研究の出発点は,次の点にある。  川井教授による一連の研究がある(川井健r民法

「裁判というのは,社会におけるもろもろの紛争  判例と時代思潮)(1981年)に収められている)・

が先鋭なかたちで顕在化したもの」であり,「裁  このような・裁判゜判例研究の方法を・さらに彫 判をとおして,社会の諸現象,諸矛盾をしること  琢し・それを適用した実作を具体化すう作業は,

ができるので,それを裁判研究の目的においてい  後進に課せられた大きな課題といえよう。

る。」そして「裁判をとおして,社会の諸現象,      皿 おわ り に諸矛盾を探究する立場にたつならば,先例価値的

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資本や行政権力とは,常に一線を画し,学問・研  小林ゼミナールに所属をゆるされ,先生のご指導 究の自立性を堅持された。研究者が,無原則的に  を受け研究者としての道を選び,今日にいたって 企業や行政機関とかかわりを持つ傾向がある最近  いる。小論をまとめながら,いまさらながらに,

の状況のなかで,先生のこの姿勢は,見習うべき  先生の歩んでこられた道の偉大さに驚き,後進と 多くのものを私達に示しているように思われてな  してこの道を乗り超えることの困難さを感ぜずに らない。      はいられない。小論も先生の研究の軌跡を誤りな 最後に私事にわたることを述べることをお許し  く記述し得たか心配である。先生の長年にわたる いただきたい。私は,1966年,茨城大学入学後,  学恩に感謝し,先生が健康に留意されこれまでに 先生の主宰されていた「茨城大学無料法律相談所」  も増して精力的に研究を続けられることを心から の学生所員に加えていただき,大学3年次からは,  祈念して欄筆することにする。

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