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解説 正解を得るために必要な知識の難易度が絶対暗記レベルなら初級 G MARCH( 学習院 明治 青学 立教 中央 法政 ) で差がつくレベルなら中級 早慶上智で差がつくレベルなら上級 受験生が明確な解答根拠を持って正解を導くのが困難なレベルなら難問と表示しました なお 解説で掲載されているまとめは

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(1)

― 上智大学 ―

2 月 6 日 文・総合グローバル学部 世界史

問1・d 問2・b 問3・a 問4・b 問5・a、b

問6・d 問7・d、e 問8・d、e

問9・

(1)c (2)b (3)b (4)d (5)d (6)d

問10・c 問11・b、e 問12・c 問13・a、b 問14・a、e

問1・a 問2・a、b 問3・a 問4・b 問5・c、d

問6・c 問7・a 問8・c 問9・a、c 問10・a、c

問11・c 問12・c 問13・b 問14・b、d 問15・b、c

問1・b 問2・c 問3・a 問4・d 問5・e

問6・c 問7・d 問8・c

問9・

(1)d (2)b (3)b (4)e(5)d

(6)c (7)b (8)e (9)a

問1・d 問2・e 問3・b 問4・b 問5・a

問6・d 問7・c、e 問8・b 問9・d 問10・d

問11・a 問12・e 問13・c 問14・b 問15・d

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解 答

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(2)

正解を得るために必要な知識の難易度が絶対暗記レベルなら初級、G・MARCH(学習

院、明治、青学、立教、中央、法政)で差がつくレベルなら中級、早慶上智で差がつくレベ

ルなら上級、受験生が明確な解答根拠を持って正解を導くのが困難なレベルなら難問と表

示しました。なお、解説で掲載されているまとめは全て、著者(増田塾・世界史・鈴木靖則)

が作成し、授業で使っているオリジナルテキストの抜粋です。太字は基礎・標準、☆はハイ

レベル、★は合否に関係のないマニアックな知識、下線部は正誤判定問題の選択肢によく登

場する一文という意味です。また、解答の根拠となった情報を

赤字

で示しました。

1【中世ヨーロッパ史】

問1・初級「セルジューク朝」について誤っているものを選ぶ問題ですが、dの「サーマー

ン朝を滅ぼして建国された。

」が誤文です。以下の通り、これは「セルジューク朝」では

なく、カラハン朝の説明です。

875~999 サーマーン朝 ※イラン系 (都=ブハラ 1924~ウズベキスタン領) ※ペルシア東部の☆ホラーサー ン地方も支配 ① 中央アジア(を拠点とした)初のイスラーム王朝 ※中央アジア(トルキスタン)の住民をイスラーム化できず ② イブン・シーナー(ラテン語名=アヴィケンナ) =イスラーム哲学の大成者、アリストテレス哲学も研究、「医学典範てんぱん」 「治癒の書」、医学のサレルノ大学の教科書に ③ 国境地帯に奴隷市場を設け、マムルークを西アジアに供給 ④ 滅亡 byカラハン朝 940~1132カラハン朝 ※トルコ系 都☆フス・オルダ(べラサグ ン) ① サーマーン朝を征服 ② 初のトルコ系イスラーム王朝 by★カルルク族 ★10Cの集団改宗 ※中央アジア(トルキスタン)の住民のイスラーム化を促進 ③ パミール高原の東西に領域を広げた緩やかな部族連合体の政権 ④ 滅亡 byカラキタイ(西遼)&ホラズム(・シャー)朝

解 説

解 答 根 拠 を赤 字で

(3)

問2・初級「ビザンツ皇帝が,時のローマ教皇に救援を求めた」とあるので、以下の通り、

bの「ウルバヌス2世」が正解です。

十 字 軍 の 直 接 的 原 因 イスラームのセルジューク朝(トルコ系)がビザンツ帝国領のアナトリア(小アジア)に侵入 ↓ 1071 マンジケルト(マラーズギルド)の戦い → アナトリア(小アジア)のトルコ化、イスラーム化の契機に =ビザンツ帝国(☆ロマヌス・ディオゲネス帝)vs セルジューク朝(☆アルプ・アルスラーン) ※小アジアに分立したセルジューク朝分派=ルーム・セルジューク朝(都ニケーア → ☆コンヤ) ※シリアに分立したセルジューク朝の分派=☆ザンギー朝 ※↑ルーム=ローマの意 ※↑15 慶法 ↓ ビザンツ皇帝アレクシオス1世が教皇ウルバヌス2世に救護を要請 ↓ ※↓フランス中南部の都市 1095クレルモン公会議=教皇ウルバヌス2世が十字軍(聖地回復運動)提唱 ☆神はそれを欲し給う

問3・初級 上記の通り、aの「クレルモン」公会議ですね。

問4・上級 誤っているものを選ぶ問題ですが、bの「ピピンはランドバルド王国から奪った

領土をグレゴリウス1世に寄進した。

」が誤文です。以下の通り、

「グレゴリウス1世」で

はなく、ステファヌス2世です。

カロリング朝 フランク王国 ピピン(3世) ※カール・マルテルの 子 ① 751 メロヴィング朝を廃して、建国 → ☆教皇ザカリアスも承認 ② 北イタリアのランゴバルド王国を攻撃 .. =ラヴェンナ地方 get → 756ピピンの寄進=☆教皇ステファヌス2世に同地方を寄進 → 教皇領(ローマ教会+ラヴェンナ地方などの教皇の所領)の誕生 ※ラヴェンナ地方にはビザンツ様式のサン・ヴィターレ聖堂がある ③ カロリング朝建国の承認とピピンの寄進の背景

問5・上級 誤っているものを2つ選ぶ問題ですが、aの「カトリックとは普遍的を意味する

ラテン語が起源である。

」が誤文です。以下の通り、

「ラテン語」ではなく、ギリシア語で

す。

【キリスト教の注意点】 ※宗教改革以後に登場した宗教をプロテスタント(新教)と呼び、カトリック(旧教)と区別する。 ※ウィクリフ=14Cのイギリス人、1054 教会の東西分裂を批判、聖書を重視、ワット・タイラーの乱の理 論的指導者ジョン・ボールに影響を与える、信奉者が★ロラード派を形成。 ☆カトリック=ギリシア語で「普遍的カ ト リ コ ス」の意味。

また、bの「ベネディクトゥスはシトー修道会を設立した。」も誤文です。以下の通り、

「シトー」ではなく、ベネディクトです。

529 ベネディクト修道院 (伊) (ベネディクト派修道 院) ※西欧最古の修道院 ① 創立 by ベネディクトゥスat 伊中部のモンテ・カシノ(MAP!) ② 信仰+労働を重視、“祈り、(かつ)働け” ③ 聖ベネディクトゥスの戒律=清貧・純潔・服従の3原則 ④ ☆ゲルマン人と民衆を教化、写本製作で古典文化保存

(4)

910 クリュニー修道院 (仏) (ベネディクト派) ※ロマネスク様式 ① 聖ベネディクトゥスの戒律への回帰を掲げ、聖職売買(☆シモニア)と妻 帯(☆ニコライスム)にふける教会に対し、11C以降教会刷新運動を展開 ② 教皇グレゴリウス7世、☆ウルバヌス2世を輩出 1098シトー修道会(仏) ※西欧最大の修道会 ○新ベルナルドゥス(ベルナール)が改革し、クレルヴォー修道院を設立、聖母 マリア信仰を確立。開墾活動(15 上智)、東方植民で活躍。 13C托鉢たくはつ修道会 ※主に都市部(農村部 ×) ★13Cを「托鉢修道士の 時代」とも呼ぶ ※右の②③ともに教皇イ ンノケンティウス3世が 承認 ① 信者の喜捨で運営、余計な財産所有を否定、布教を重視 ② 1209 フランチェスコ修道会 at 伊アッシジ by 伊フランチェスコ ※プラノ・カルピニ、ルブルック、モンテ・コルヴィノ、マリニョーリ、ロ ジャー・ベーコン輩出 ③ 1215 ドミニコ修道会 at 南仏トゥールーズ → 南仏異端カタリ派討伐 by ドミニクス or ドミニコ(イベリア半島スペインの☆カスティリャ出身) ※パリ大学における神学研究や異端審問にも貢献 ※学問も重視=アルベルトゥス・マグヌス、トマス・アクィナス、エックハ ルト、サヴォナローラ、ジョルダーノ・ブルーノ、フラ・アンジェリコ、 ラス・カサス、カンパネルラを輩出

問6・上級 「第1回(十字軍)に参加した人物」なので、以下の通り、dの「ロレーヌ公ゴ

ドフロワ」です。

第 1 回 1096~99 提唱=教皇ウルバヌス2世 ※↓13、14 上智、08 近畿 成功=ファーティマ朝から聖地イェルサレム奪回、1099~1291 イェルサレム王国建国 ※王=フランス貴族の☆ロレーヌ公ゴドフロワ・ド・ブイヨン ※十字軍国家の★エデッサ伯国、☆アンティオキア公国、★トリポリ伯国も建国 ※1096☆民衆十字軍 by 聖職者ピエール but セルジューク朝が一蹴

問7・中級 誤っているものを選ぶ問題ですが、

dの「フランス王ルイ7世は第6回,第7回

の十字軍を主導した。

」は誤文です。以下の通り、

「ルイ7世」ではなく、ルイ9世ですね。

1248~54 ※海路 仏ルイ9世がエジプトを攻撃 vs アイユーブ朝(1250 以降はマムルーク朝) but 失敗 7 1270 ※海路 仏ルイ9世が北アフリカのチュニスを攻撃 vs マムルーク朝(第5代☆バイバルス) butチュニスで病没、失敗 結 末 1291 (言いにく い) 十字軍・イェルサレム王国の最後の拠点のパレスチナのアッコン陥落 by マムルーク朝 → 約 200 年にわたった十字軍が失敗!

また、

eの「三大騎士団のうち,最初に創設されたのはテンプル騎士団である。」も誤文

です。以下の通り,最初に創設されたのはヨハネ騎士団です。

宗教騎士団=十字軍時代、聖地守護・巡礼の護衛のため、騎士と修道士を兼ねた修道騎士によって結成さ れた教皇直属の修道会。莫大な所領・財産を保有する組織に発展。 代表的な騎士団 成立時期 キーワード ヨハネ騎士団 (マルタ騎士 団) 第1回十字軍期 ① 1187 年まではイェルサレムで傷病者の救護活動 ② 拠点=キプロス島、ロードス島 → 1530 神カール5世に与え られたマルタ島 ③ 1571 レパントの海戦で活躍

(5)

テンプル騎士団 1119 (第1回十字軍 後) ① 巡礼者の保護と聖墓の防衛が目的、多く寄進を受けて富裕化 ② 1312仏フィリップ4世が解散、財産没収 ドイツ騎士団 1189(1190) (第3回十字軍 期) atアッコン 十字軍後・・・ バルト海沿岸やエルベ川以東のスラヴ人居住地域に東方植民 (ドイツ人の植民・開墾運動、森林開発) ↓ ドイツ騎士団領を建設(後に成立するプロイセン公国の母体に) ↓ ※↓ポーランドの国 vsヤゲウォ朝(1410 タンネンベルクの戦い)

問8・上級「1096年から1270年の間に地中海沿岸地域を支配しなかったイスラーム王朝」を

2つ選ぶ問題ですが、dの「トゥールーン朝は」は868~905年です。また、eの「後ウマイ

ヤ朝」は756~1031年です。両者とも1096年から1270年には存在していません。

756~1031 ウマイヤ朝残存勢力 後こうウマイヤ朝 (都=コルドバ) ※西カリフ国 ① 建国者=アブド・アッラフマーン1世 vs フランク王国(カール大帝) ※甥ローランが戦死 → 騎士道物語「ローランの歌」の題材に ② 786(787)☆コルドバの大モスク(メスキータ)建立 ③ 最盛期=アブド・アッラフマーン3世(第8代、912~961) → 929 アッバース朝のカリフやファーティマ朝のカリフに対抗し、アミール(地方 総督)ではなく、カリフを僭称 868~905 トゥールーン朝 アッバース朝のエジプト総督(アミール)イブン・トゥールーンが自立して建国 09 同志社

問9・

(1)初級「ゲルマン人」

「429年に北アフリカに建国」とあるので、cの「ヴァンダル人」

ですね。

最終建国地 部族名(それぞれ王国を建国) 族長 ☆都 大ブリテン島(ブリ タニア)南部 449~829 アングロ・サクソン人(アングル人 とサクソン人と☆ジュート人) スペイン(ヒスパニ ア・イベリア半島) 418~711 西ゴート人 ※5C初に南仏で建国、6Cにイベリア半島に移動 (スペイン北部はカトリックの☆スエヴィ人) アラリック王 → 415~ワリア イベリア半島 中央部の トレド 北アフリカのチュニジア 429~534 ヴァンダル人(最も長距離移動) ガイセリック カルタゴ フランス東南部 443~534 ブルグンド人 リヨン 北フランス・ドイツ フランク人 クローヴィス パリ、アーヘン 北イタリア (西ローマ滅亡後の 興亡順序は絶対暗 記!) 西ローマ帝国 → オドアケルの国 → 493~555 東ゴート人 → ビザンツ帝国(ユスティニアヌス大帝) → 568~774 ランゴバルド(ロンバルド)人 → フランク人 ※↑最も遅い時期に移動 テオドリック 大王 ラヴェンナ パヴィア

(6)

(2)初級「

(ヴァンダル人は)6世紀に入ると,( 2 )と同様,ビザンツ皇帝によって滅ぼさ

れた。

」とあるので、以下の通り、bの「東ゴート王国」が適切です。なお、この「ビザ

ンツ皇帝」は「6世紀」なので、ユスティニアヌス大帝ですね。

6C

ビザンツ(東ロ ーマ)帝国 ユスティニアヌ ス大帝 (527~565) 最大版図 ① 534 北アフリカのゲルマン人国家ヴァンダル王国征服 by☆ベルサリオス → カルタゴ get ② 555 北イタリアのゲルマン人国家東ゴート王国征服 by★ナルセス → ラヴェンナ get ③ ☆イベリア半島(スペイン南部)get from☆西ゴート王国 15 早教 ④ 南イタリアの☆シチリア島も版図に入る ※↓14 上智 → 上記①~④により、最大版図を達成、地中海帝国(ローマ帝国)の復活 but 国 力疲弊、死後衰退 編集の都合上、以下省略

(3)初級(4)初級「ノルマン人がシチリア島を征服し,( 3 )には( 4 )が南イタリアと

シチリア島とをあわせた王国の初代の王となった。

」とあるので、以下の通り、( 3 )に

b の「1130 年」、( 4 )には d の「ルッジェーロ2世」が入りますね。なお、

「南イタリ

アとシチリア島とをあわせた王国」とは、両シチリア王国のことです。

(・_・?)…ん?

イタリアの分裂状態 北=ジェノヴァ、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ピサ etc → 神聖ローマ帝国の介入 中=教皇領 etc 南=東ローマ(ビザンツ)帝国(ユスティニアヌス大帝)の干渉 ↓ イスラーム(アラブ人)(9Cチュニジアの☆アグラブ朝、10C☆ファーティマ朝)の侵入 ↓ ノルマン人の侵略(1130~1860両シチリア王国、都パレルモ、by ルッジェーロ2世) ※↑at 南イタリアとシチリア島、東ローマ(ビザンツ)・イスラーム・ノルマ ン文化が融合、シチリア島と南伊のナポリを支配

(5)初級「都」とあるので、上記の通り、dの「パレルモ」が正解です。

(6)初級「シチリア島は,イベリア半島の( 6 )と並んで,ギリシア語やアラビア語からラテ

ン語への翻訳作業の中心地」とあるので、以下の通り、d の「トレド」が適切です。

12 世紀ルネサンス(大翻訳時代) =中世農業革命と商業復活、十字軍によるイスラーム文化との接触から、スペイン(イベリア半島)の トレド(カスティリャ王国の都)、シチリア島のパレルモを中心にアラビア語・ギリシア語からラテン 語への翻訳活動を通して西欧文化が発達。スコラ哲学・大学・騎士道物語・英雄叙事詩・ロマネスク 建築とゴシック建築・中世農業革命・シトー修道会の大開墾運動なども発展。

(7)

問10・初級「下線部(ク)のビザンツ皇帝」について誤っているものを選ぶ問題ですが、この

ビザンツ皇帝は、問9の(2)の解説からユスティニアヌス大帝だと分かっています。さ

て、

cの「その治世下で公用語がラテン語からギリシア語になった。」は誤文です。これは、

ユスティニアヌス大帝ではなく、ヘラクレイオス1世の説明です。

7C

ビザンツ(東ロ ーマ)帝国 ヘラクレイオス1世 (610~641) 610 イスラーム教成 立と同年に即位 ① ★ササン朝ペルシアのホスロー2世に勝利 ② 636★ヤルムークの戦いvs×○イスラーム軍(第2代正統カリフのウマル) → シリア・パレスチナ(聖地イェルサレム含む)、エジプト喪失 ※後、十字軍(聖地回復運動)で聖地奪回を目指すことになる ③ 配置地域の長官に軍事面だけでなく、行政権も与えて統括させる中央集権的な地方 統治制度=軍管区(テマ)制 → イスラームに対抗するため ④ 兵士や小農民層に土地を与え、その代わりに兵役義務を課した兵農一致の制度=屯 田兵制 ⑤ 7C公用語がラテン語からギリシア語に

問11・上級「9世紀」について誤っているものを2つ選ぶ問題ですが、aの「ノヴゴロド国

を建国」は862年(9世紀)です。

862~ ノヴゴロド国 ※ロシアの起源 ① 建国者=ノルマン人(ロシアでの呼称はルス or ルーシで Russia の語源。“船の漕ぎ 手”)の一派スウェード人のリューリク → 住民の大多数である東スラヴ人を支配 ② 都=ノヴゴロド → ロシア北部、黒海とバルト海を結ぶ交易路上が決まり文句、毛皮 貿易で繁栄 → ☆北ドイツのハンザ同盟の商館が存在

次に、cの「ノルマン人のアイスランドへの移住が始まった。」は細かいですが、以下の

通り、9世紀です。

ノルマン人(北の人) ① 別名=ヴァイキング(入江の人)or 北ゲルマン人 or 海賊(交易・捕鯨・農民の植民など平和的経済活 動も行う)or ロシアなどのスラヴ人地域ではルス(ルーシ、“船の漕ぎ手”)or イギリスではデーン人 とも呼ぶ ② 原住地=スカンディナヴィア半島、ユトランド半島、バルト海沿岸地方(複雑なフィヨルドという地形) ③ 移動地=デンマーク、ノルウェー、スウェーデンを建国後、イングランド、北フランス、南イタリア、 北ロシアなどに移動。グリーンランド、北アメリカにも到達。9Cにアイスランドを発見、移住。

さらに、

dの「イングランド王アルフレッド大王がデーン人の侵入を撃退した。」は、以

下の通り、9世紀です。

アングロ・サ クソン系のイ ングランド王 国 ① 829 七王国を統一し、イングランド王国を建国(厳密には 927 年説もある) by ウェセックス王エグバート(エグベルト)(755~839) ・・・祖父 ② 侵入してきたデーン人を撃退 by アルフレッド大王(871~899)・・・孫

ということで、b、eが誤文です。bの「ベリー公の豪華時禱書が作られた。」は、以下の

通り、15世紀です。また、ヴァロワ朝時代と知っていれば、9世紀ではないことは分かり

ます。

(8)

その他の暦 ① メソポタミアの太陰暦 → 閏月 ② ☆バビロニア(メソポタミア南部)の太陽太陰暦 ③ マヤ文明の暦=★ツォルキン暦(神聖暦 or 儀式暦)、ハアブ暦、長期暦 ④ ベリー公の豪華時祷書(ベリ公のいとも華麗な時祷書)=フランス王族のベリー公 ジャンの依頼で 15Cランブール兄弟が製作を開始し、修道院の礼拝儀礼をまとめた ヴァロワ朝時代のキリスト教徒の聖務日課書。

また、

eの「ユーグ=カペーによりカペー朝が開かれた。」は、987年(10世紀)ですね。

パリ伯 ユーグ・カペー (987~996) ☆ノルマン人撃退 ① パリ伯=イル・ド・フランス(フランスの島)と呼ばれるパリ付近を支配し た有力者の称号 ② 987 カペー朝建国(カロリング朝西フランク王国の断絶による) ※パリ周辺のみで王権弱体(英のノルマン朝は王権強い)

問12・

中級 誤っているものを選ぶ問題ですが、

「南イタリアとシチリア島とをあわせた王国」

とは、問9の(3)の解説から両シチリア王国だと分かっています。さて、cの「15世紀

にイベリア半島のカスティリャ王国によってナポリ王国と再統合された。

」が誤文です。

以下の通り、

「カスティリャ王国」ではなく、アラゴン家です。他の選択肢も全て重要な

ので、以下のまとめで確認しておきましょう。

【シチリア島の歴史】

ノルマン人の侵入 11Cノルマン人の侵入 ex.☆ロベール・ギスカール(甥は両シチリア王国の建国者ルッ ジェーロ2世)、ルッジェーロ1世 1130両シチリア王国(都パレルモ)by ルッジェーロ2世 ※王家は☆ノルマン朝(オートヴィル朝) 1194ホーエンシュタウフェン朝 (神聖ローマ帝国)の支配 神フリードリヒ2世(フェデリーコ2世)の支配 ※第五回十字軍、ナポリ大学、世界最初の近代人 1256(66?) ※大空位時代と同年 アンジュー家(フランス)の支配 1282シチリアの晩鐘(仏アンジュー家に対する反乱)で2分裂 ※ナポリ王国 =そのままアンジュー家(仏)の支配 ※シチリア王国 =新たにアラゴン家(西)の支配 ※「晩鐘」by ミレー(19C自然主義で☆バルビゾン派の画家) 1443~79 アラゴン家(スペイン) が再統一 ※編集の都合上、細部は省略

(9)

問13・中級「イベリア半島」について正しいものを2つ選ぶ問題ですが、aの「五賢帝の1

人,トラヤヌス帝の出身地である。」は、以下の通り、正文です。

96 | 180 五 賢 帝 時 代 ☆実 子が いて も養 子相 続制 96~98 ネルウァ帝 98~117トラヤヌス帝 ※ローマ最大版図=北は ブリタニア、南はサハラ 砂漠北端、西は大西洋 岸、東はメソポタミア ① 106 ドナウ川下流の北側のダキア(現ルーマニア)征服 ② 116☆パルティア領メソポタミアを征服 ③ ☆初の属州出身の皇帝(イベリア半島スペイン=ヒスパニア出身) ④ ★フォロ・ロマーノを建設 ※↑13 上智、13 早法、14 早社 ⑤ ★オスティア港を建設 117~138 ハドリアヌス帝 ※帝国各地を巡遊、属州 の発展に努力 ① ブリタニアに長城を建設 vs ☆ケルト人 ② 自身の名にちなむ都市☆ハドリアノポリスを建設 ③ 132☆第二次ユダヤ戦争 ※↑後のアドリアノープル ④ 多神教の神殿☆パンテオンを改築 アントニヌス・ピウス帝 ★貧民救済と財政改革、ピウスは「敬虔な人」という称号 161~180 マルクス・アウレリウ ス・アントニヌス帝 “大秦王安敦” ① 禁欲的なストア派の哲人皇帝、ギリシア語の「自省録」 ② 166大秦たいしん王安敦あんとんの使者が後漢の日南郡(最南端の郡、ベトナム中部、 現ユエ)に → 「後漢書」に記載 ③ 小アジアのペルガモン出身の医学者ガレノスが侍医に ④ 実子★コンモドゥスを継承者に → 五賢帝時代終了

また、

bの「ドミニコ修道会の創設者ドミニコの出身地である。」も以下の通り、正文で

す。

13C托鉢たくはつ修道会 ※主に都市部(農村部 ×) ★13Cを「托鉢修道士の 時代」とも呼ぶ ※右の②③ともに教皇イ ンノケンティウス3世が 承認 ④ 信者の喜捨で運営、余計な財産所有を否定、布教を重視 ⑤ 1209 フランチェスコ修道会 at 伊アッシジ by 伊フランチェスコ ※プラノ・カルピニ、ルブルック、モンテ・コルヴィノ、マリニョーリ、ロ ジャー・ベーコン輩出 ⑥ 1215ドミニコ修道会at 南仏トゥールーズ → 南仏異端カタリ派討伐 by ドミニクス or ドミニコ(イベリア半島スペインの☆カスティリャ出身) ※パリ大学における神学研究や異端審問にも貢献 ※学問も重視=アルベルトゥス・マグヌス、トマス・アクィナス、エックハ ルト、サヴォナローラ、ジョルダーノ・ブルーノ、フラ・アンジェリコ、 ラス・カサス、カンパネルラを輩出

なお、

cの「使徒ペテロの墓が発見されたという町が,11世紀以降多くの巡礼者を集めた。」

は誤文です。以下の通り、

「町」とはサンチャゴ・デ・コンポステラを指しますが、

「ペテ

ロ」ではなく、ヤコブの墓です。

十 字 軍 の 背 景 ① 7Cイスラーム教徒(正統カリフのウマル)が東ローマ帝国のシリア・パレスチナ(聖地イェルサ レムが存在)地方を征服して以来、聖地イェルサレムはイスラームの支配下 → 奪回機運 up ② 巡礼者増加、流行 ※↓スペイン北西部、十二使徒の一人ヤコブの墓がある? ※三大巡礼地=イェルサレム、ローマ、サンチャゴ・デ・コンポステラ ③ 封建制の安定化(軍役準備が整う)→ 対外遠征、聖地イェルサレム奪回の機運が高まる ④ ☆教皇による東西教会(ローマ教会(カトリック)とギリシア正教会)の統一、国王・騎士・商人 の経済的利益、民衆の巡礼熱や負債の帳消しなど、様々な欲望や野心

(10)

次に、

dの「13世紀にポルトガルが独立の王国となった。」も誤文です。以下の通り、

「13

世紀」ではなく、1143年(12世紀)ですね。

ポルトガル 都=リスボン ※テージョ(タホ)川の河口 1479~スペイン 都=マドリード ※フェリペ2世時代から 1143 カスティリャ王国から自立 → ブルゴーニュ朝ポルトガル王国成立 1385 アヴィス朝成立 ①ジョアン 1 世(1385~1433) 第3子「航海王子」エンリケが航路開拓奨励 ☆快速帆はん船導入、天文台・航海探検センター開設 1415 セウタ(アフリカ西北端)攻略 ※同時期に1414~18 コンスタンツ公会議 1431 アゾレス諸島を発見 1445 ヴェルデ岬(アフリカ最西端)発見 1460 シエラレオネ到達、航海王子が死去 ②ジョアン2世(1481~1495)=貴族弾圧 1488 嵐の岬到達 by バルトロメウ・ディアス ※↑アフリカ南端、王が喜望峰と改名。 インドへ進むコースの可能性 up ← 1640~現在までポルトガル領 ※↓アラゴン王子 ※↓カスティリャ王女 ①フェルナンド5世&イサベル女王(1474~1504)共同統治 1469 結婚 1479 スペイン王国成立 1492 レコンキスタ完了=ナスル朝の都グラナダ征服 ※イサベルの援助↓ 1492 サンサルバドル島に到達 by コロンブス ※↑現バハマ諸島上の島、聖なる救世主の意

さらに、

eの「14世紀にスペイン王国が成立した。」も誤文です。上記の通り、

「14世紀」

ではなく、1479年(15世紀)です。

問14・上級「12世紀のヨーロッパで起きたこと」を2つ選ぶ問題ですが、aの「オクスフォ

ード大学が創設された。

」は、以下の通り、12世紀です。

パリ大学 ① 12C、☆ノートルダム大聖堂付属神学校から昇格 ② 国王があつく保護 ③ 1259 神学部を設置 ④ トマス・アクィナスが講義 オクスフォード大学 ① 12C後半、パリ大学を模範に成立 ② イギリス最古の大学 ③ 神学 → ウィクリフが神学教授を務める ☆ケンブリッジ大学 ① 1209 オクスフォード大学の教授・学生が移って設立 ② イギリス、法学

また、bの「ケルン大聖堂が建てられた。」は、誤文です。以下の通り、「12世紀」では

なく、13・14世紀に建立が始まりました。

(11)

ゴシック様式 (12C北フランス 起源、全欧に普 及、ゴート風) ① 尖頭アーチ、尖塔、窓が大きく、ステンドグラス(彩色ガラス)、ラテン十字型 ② 特徴=垂直線の美しさ ③ 仏=13Cアミアン大聖堂、12・13Cパリのノートルダム大聖堂 → ナポレオン1 世の戴冠、12・13Cシャルトル大聖堂、ランス大聖堂、サン・ドニ修道院(初のゴ シック建築物)、★ブールジュ大聖堂、★ルーアン大聖堂 独=13・14~18C独最大のケルン大聖堂、☆シュトラスブルク大聖堂 英=ウェストミンスター大聖堂、12~15Cカンタベリ大聖堂、☆ヨーク大聖堂 伊=☆シエナ大聖堂、☆アッシジ大聖堂、ミラノ大聖堂

次に、

cの「カンタベリ物語が著された。」は、以下の通り、

「12世紀」ではなく、14世紀

です。

詩人・官吏 英チョーサー (14C 1340 頃~1400) ① 「カンタベリ物語」=種々の社会階層の人々がカンタベリ大聖堂に参拝す る途中で語った話を集めたという体裁 → ボッカチオの「デカメロン(十 日物語・人曲)」に大きな影響を受けている ② ルネサンスでは例外的に14Cの人、1339~1453英仏百年戦争に従軍

さらに、

dの「クリュニー修道院が設立された。」は、以下の通り、

「12世紀」ではなく、

910年(10世紀)です。

529 ベネディクト修道院 (伊) (ベネディクト派修道 院) ※西欧最古の修道院 ① 創立 by ベネディクトゥス at 伊中部のモンテ・カシノ(MAP!) ② 信仰+労働を重視、“祈り、(かつ)働け” ③ 聖ベネディクトゥスの戒律=清貧・純潔・服従の3原則 ④ ☆ゲルマン人と民衆を教化、写本製作で古典文化保存 910 クリュニー修道院 (仏) (ベネディクト派) ※ロマネスク様式 ① 聖ベネディクトゥスの戒律への回帰を掲げ、聖職売買(☆シモニア)と妻 帯(☆ニコライスム)にふける教会に対し、11C以降教会刷新運動を展開 ② 教皇グレゴリウス7世、☆ウルバヌス2世を輩出 1098 シトー修道会(仏) ※西欧最大の修道会 ○新ベルナルドゥス(ベルナール)が改革し、クレルヴォー修道院を設立、聖 母マリア信仰を確立。開墾活動(15 上智)、東方植民で活躍。 13C托鉢たくはつ修道会 ※主に都市部(農村部 ×) ★13Cを「托鉢修道士の 時代」とも呼ぶ ※右の②③ともに教皇イ ンノケンティウス3世が 承認 ① 信者の喜捨で運営、余計な財産所有を否定、布教を重視 ② 1209 フランチェスコ修道会 at 伊アッシジ by 伊フランチェスコ ※プラノ・カルピニ、ルブルック、モンテ・コルヴィノ、マリニョーリ、ロ ジャー・ベーコン輩出 ③ 1215 ドミニコ修道会 at 南仏トゥールーズ → 南仏異端カタリ派討伐 by ドミニクス or ドミニコ(イベリア半島スペインの☆カスティリャ出身) ※パリ大学における神学研究や異端審問にも貢献 ※学問も重視=アルベルトゥス・マグヌス、トマス・アクィナス、エックハ ルト、サヴォナローラ、ジョルダーノ・ブルーノ、フラ・アンジェリコ、 ラス・カサス、カンパネルラを輩出

(12)

最後に、

「唯名論で知られるアベラールが活動した。

」は、以下の通り、12世紀と言えま

す。したがって、a、eが正解となります。

普 遍 論 争 “スコラ哲学の父” アンセルムス(英) (1033~1109) ① ☆カンタベリ大司教、教皇グレゴリウス7世を支持 ② 実在論=神や普遍という観念は事物に先行して存在する(普遍・信仰 > 事物・理性) ③ ☆“知らんがために我は信ず(知るために信じる)” アベラール(仏) (1079~1142) ① 唯名論ゆいめいろん(名目論)=実在するものは個々の事物だけで、神や普遍は抽象 に過ぎない(普遍・信仰 < 事物・理性) ② 少女エロイーズとの恋「アベラールとエロイーズの往復書簡」

2【ドイツ史】

問1・上級「東フランク王国」について正しいものを選ぶ問題ですが、aの「フランク王国

が三分割されて東フランク王国が成立するのは,カール大帝の死後100年もたたないうち

である。

」が正文です。以下の通り、カール大帝の死は814年、東フランク王国の成立が843

年であり、たしかに100年たっていません。

カ ロ リ ン グ 朝 ピピン(3世) ※カール・マルテルの子 編集の都合上、業績は省略 768~814 カール大帝 (☆シャルルマーニュ) ※ピピンの子 編集の都合上、業績は省略 カール大帝の子ルートヴィヒ1世(814~840、敬虔王)の死 → 息子達が相続争いを展開 842★ストラスブール条約=シャルル2世とルートヴィヒ2世の反ロタール1世同盟 843 ヴェルダン条約=フランク伝統の分割相続制に基づきフランク王国が3分裂 カ ロ リ ン グ 朝 の 続 き 843~987 西フランク王国 (現フランス) 末子☆シャルル2世が相続 ※あだ名=禿頭とくとう王 ↓ 987 カロリング朝断絶 中部フランク王国 (ロタールの国) (現北イタリア) 長男☆ロタール1世が帝位も相続 870 メルセン条約=中部フランク 王国が☆ロートリンゲン地方を奪 われ、縮小 875 カロリング朝断絶 843~911 東フランク王国 (現ドイツ) 三男☆ルートヴィヒ2世が相続 ※あだ名=「ドイツ人王」 ↓ 911 カロリング朝断絶

(13)

↓ 987 カペー朝フランス王国 by パリ伯ユーグ・カペー ※都=パリ ※ パ リ 周 辺 の み で 王 権 弱 体、封建諸侯の力が強い ↓ 19Cのサルデーニャ王国まで全イ タリアを支配する国家は存在せ ず、分裂状態 ↓ ☆選挙王政へ ☆コンラート1世(フランケン家出身) 919☆ハインリヒ1世(ザクセン家出身) → ザクセン朝東フランク王国が成立 オットー1世(ザクセン家出身) =955 アウクスブルク近郊のレヒ フェルトの戦いでアジアから侵 入してきたウラル語系マジャー ル人を撃破 ↓ 962 オットーの戴冠 by 教皇ヨハネス12 世 ↓ ※↓伊ではなく、独の国家 962~1806 神聖ローマ帝国成立 ※初代=オットー1世 ※国名自体は 13C以降使用、15C 末から「ドイツ国民の神聖ロー マ帝国」と呼ばれた。 ※都はない。中心都市はプラハ、 ウィーンなど。

なお、

bの「初代の東フランク国王は,ロタール1世である。」は誤文です。上記の通り、

「ロタール1世」ではなく、ルートヴィヒ2世です。

また、

cの「東フランクは,当初メロヴィング朝が支配した。」も誤文です。上記の通り、

「メロヴィング朝」ではなく、カロリング朝です。

最後に、

dの「東フランクでは,11世紀に,選挙によりザクセン朝が成立した。」も誤文で

す。上記の通り、

「11世紀」ではなく、919年(10世紀)です。

問2・上級 正しいものを2つ選ぶ問題ですが、

aの「オットー1世の戴冠により東フランク

王国は帝国になった。これが神聖ローマ帝国の起源である。

」は、上記の通り、正文です。

また、bの「神聖ローマ帝国という呼称は,13世紀から用いられるようになった。」も、

上記の通り、正文です。

なお、cの「皇帝フリードリヒ2世は,第3回十字軍に参加して活躍した。」は誤文です。

以下の通り、

「第3回」ではなく、

「第5回」です。第3回がフリードリヒ1世、

「第5回」

がフリードリヒ2世ですね。

神聖ローマ 帝国 シュタウフ ェン朝 ★コンラート3世 1147 第2回十字軍に参加 フリードリヒ1世 (赤髭王バルバロ ッサ) ① イタリア政策が本格化 1176☆レニャーノの戦いvs×○北伊のロンバルディア同盟(盟主ミラノ) ② 第3回十字軍の遠征途上、キリキアのサレフ川で溺死

(14)

(1138~ 1208、1215~ 54) ※イタリア 政策が本格 化 ★オットー4世 教皇インノケンティウス3世に破門 フリードリヒ2世 (フェデリーコ2 世) マーチ定番 ex.10 法政全 1228第5回十字軍を主導、シチリア島のパレルモで育ち、アラビア語 を含む数カ国語を理解、イスラーム文明への理解を持つ教養人(☆世 界最初の近代人)、☆ナポリ大学を創設、☆シチリア王兼任

最後に、dの「神聖ローマ皇帝の位は14世紀以降,ハプスブルク家が世襲した。」も誤文

です。以下の通り、

「14世紀」ではなく、1438年(15世紀)です。

墺★アルブレヒト5世 (神☆アルプレヒト2 世) 1438 ハプスブルク家が神聖ローマ皇帝位の世襲を開始 ※同家初の神ロ帝は 1273☆ルドルフ1世だが、このときは世襲せず ※以降、マリア・テレジア以外の全員がオーストリア大公と神ロ帝を兼任

問3・初級「ドイツ騎士団」について誤っているものを選ぶ問題ですが、aの「イェルサレ

ムで結成された。

」が誤文です。以下の通り、

「イェルサレム」ではなく、アッコンです。

なお、他の選択肢も全て重要なので、以下のまとめで確認しましょう。

宗教騎士団=十字軍時代、聖地守護・巡礼の護衛のため、騎士と修道士を兼ねた修道騎士によって結成さ れた教皇直属の修道会。莫大な所領・財産を保有する組織に発展。 代表的な騎士団 成立時期 キーワード ヨハネ騎士団 (マルタ騎士 団) 第1回十字軍期 ① 1187 年まではイェルサレムで傷病者の救護活動 ② 拠点=キプロス島、ロードス島 → 1530 神カール5世に与え られたマルタ島 ③ 1571 レパントの海戦で活躍 テンプル騎士団 1119 (第1回十字軍 後) ① 巡礼者の保護と聖墓の防衛が目的、多く寄進を受けて富裕化 ② 1312仏フィリップ4世が解散、財産没収 ドイツ騎士団 1189(1190) (第3回十字軍 期) atアッコン 十字軍後・・・ バルト海沿岸やエルベ川以東のスラヴ人居住地域に東方植民(ド イツ人の植民・開墾運動、森林開発) ↓ ドイツ騎士団領を建設(後に成立するプロイセン公国の母体に) ↓ ※↓ポーランドの国 vsヤゲウォ朝(1410 タンネンベルクの戦い)

問4・初級 誤っているものを選ぶ問題ですが、

bの「贖宥状の販売は,教皇レオ10世が,出身

地ミラノの大聖堂の再建資金を集めるため,許可していた。

」が誤文です。以下の通り、

「ミ

ラノの大聖堂」ではなく、現ヴァチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂です。

宗教改革 の原因 教皇レオ10 世が贖宥状(免罪符)販売許可 → 購入は善行であり、魂が救われるとする ※メディチ家出身、本名☆ジョバンニ・デ・メディチ(☆ロレンツォ・デ・メディチの息子) ※目的=現ヴァチカン市国にあるサン・ピエトロ大聖堂の修築費捻出のため ※販売者=フッガー家、ドミニコ修道会の☆テッツェル

(15)

問5・初級 正しいものを2つ選ぶ問題ですが、aの「神聖ローマ皇帝カール5世は,ルター

をアーヘンの帝国議会に呼び出して,説の撤回を求めたが,ルターは拒否した。

」は誤文で

す。以下の通り、

「アーヘン」ではなく、ヴォルムスです。また、bの「ルター派帝国追放

処分を受けたが,ザクセン選帝侯ハインリヒによってかくまわれ・・・」は誤文です。以

下の通り、

「ハインリヒ」ではなく、フリードリヒですね。よって、cとdが正文だと判断

できますが、cは非常に重要なので、以下のまとめで確認しておきましょう。

マルティ ン・ルター (1546 死 去) ☆ザクセン 生まれ、ル ター派教会 を設立 ★著作「ドイ ツ国民のキリ スト教貴族に 与う」「教会 のバビロン捕 囚について」 ① 1502 ザクセン選帝侯フリードリヒが創設したヴィッテンベルク大学の神学教授 ② 1517 九十五カ条の論題で贖宥状批判(心からの改悛のみが魂を救う)、宗教改革開始 at ヴィッテンベルク教会 ※同年、オスマン帝国(セリム1世)がマムルーク朝征服 ③ 1519 ライプツィヒ討論会で教皇権否定 vs☆ヨハン・エック(教皇派の論客) ④ 1520「キリスト者の自由」で聖書主義(福音主義)と信仰義認説(人は信仰によっての み義とされる=★パウロ神学)を主張 → 1521 教皇レオ 10 世により破門される ☆“エラスムスの生んだ卵をルターが孵かえした” =エラスムスの聖職者批判がルターの宗教改革に多大な影響を与えたという意味 ☆ルターの「奴隷意思論」vs エラスムス「自由意志論」 ⑤ 1521ヴォルムス帝国議会=自説撤回を求めた神カール5世に対し、自説撤回拒否 ※ルターは法の保護を奪われ、帝国追放処分となり、ルター派の信仰も禁止された ⑥ 1521~22 反皇帝派ザクセン選帝侯フリードリヒがルターを保護at ヴァルトブルク城 → ここで「新約聖書」のドイツ語訳(聖書の普及、近代ドイツ語の確立に貢献) ※その他の理解者=ヴィッテンベルク大学教授メランヒトン、画家クラナハ ※その他の敵対者=人文主義者エラスムス、ヘブライ語研究で有名なロイヒリン

問6・初級 正しいものを選ぶ問題ですが、aの「ドイツ農民戦争が起こると,ルターはこれ

を最後まで支持した。

」は誤文です。以下の通り、途中で一転して弾圧を奨励しています。

ルターの 影響 ∥ 神の前にお ける平等の 理念に刺激 ① 1522☆騎士戦争 by☆ジッキンゲン&☆フッテン(没落した領主・騎士)→ 教会攻撃 ② 1524~25ドイツ農民戦争at南ドイツ(シュヴァーベン地方) → 途中で ... ミュンツァー(再洗礼派、千年王国論)指導、過激化 → 農奴制・領主制の廃 止、封建地代の軽減(十分の一税の廃止など)、裁判の公正を求め、☆十二カ条要求を提 示、一時は南ドイツの3分の2を制圧 but 斬首刑 ※ルターははじめ同情 but 農民の目標が社会改革にあることを知って領主・諸侯側に転 じ、徹底的弾圧を奨励(ルターが求めたのは宗教改革であり、社会改革ではない)

また、

bの「皇帝カール5世は~ルター派を一度として認めなかった。」も誤文です。以

下の通り、一度は公認します。

(16)

オスマン帝 国(スレイ マン1世) の圧迫 1526 オスマン帝国がモハーチの戦いで神聖ローマ帝国領ハンガリーget 1526 第1回シュパイアー帝国議会=神カール5世がルター派を公認 1529 第2回シュパイアー帝国議会=神カール5世がルター派を再禁止 → → → 1529 オスマン帝国が第1次ウィーン包囲 but 神カール5世が撃退 ↓ ※以後、長らく「トルコの脅威」を西欧諸国に印象付けた ↓ 1530 ルター派がシュマルカルデン同盟を結成し、神カール5世の再禁止措置に抗議 ※抗議(protest)したので、以後ルター派を含む新教をプロテスタントと呼ぶ 1546~47 シュマルカルデン戦争 =ルター派のシュマルカルデン同盟vs×○神カール5世(★ミュールベルクの戦い)

さらに、

dの「アウクスブルクの和議で,個人の信仰の自由が認められた。」も誤文です。

以下の通り、個人の信仰の自由は認められませんでした。よって、残ったcが正文だと判断

できます。

1555 アウクスブルク帝国議会におけるアウクスブルクの(宗教)和議by神カール5世 ① 領邦国家の君主 or 都市に宗教選択権(カトリック or ルター派)を付与 ② but 領民は領邦国家の君主の選択に従う原則(領民個人に信仰の自由はない) ③ 1546 ルターの死後である点に注意。カルヴァン派は認められていない。 ④ 不徹底さが1618~48 三十年戦争の原因に(カトリック vs ルター派)

問7・初級「三十年戦争」について正しいものを選ぶ問題ですが、

aの「三十年戦争は,ベー

メンの新王が,カトリックを強制したため,当地の新教徒が反乱を起こしたことから始ま

った。

」は、以下の通り、正文です。

神フェルディナ ント2世 (カトリック) ※宗教戦争=宗 教改革に伴う新 旧両派の対立を 背景に、16~17 C前半におこっ た武力抗争 ex.シュマルカル デン戦争、ユグ ノー戦争、オラ ンダ独立戦争、 三十年戦争の初 期

1618~1648

三十年戦争

→ 1625「戦争と平和の法」by蘭グロティウス ※背景=1555 アウクスブルクの(宗教)和議での宗教問題の未解決 → カトリック(旧教)の領邦国家は★リガ(旧教同盟)を結成 vs ルター派(新教)の領邦国家は★ユニオン(新教同盟)を結成 ※原因=ベーメン王フェルディナント(=神フェルディナント2世)がベーメンの新 教徒(フス派)に旧教(カトリック)を強制 → ベーメン反乱 → 三十年戦争スタ ート ※ドイツ(神)が戦場、旧教国スペインは旧教側を援助 旧教(カトリック) vs○× vs ○× 新教(フス派、ルター派) ベーメ ン戦争 ハプスブルク朝神ロ帝 フェルディナント2世 ベーメン新教徒(フス派) ★プラハ窓外そうがい投擲とうてき事件 デンマ ーク戦 争 皇帝側の傭兵隊長 ヴァレンシュタイン 新教国(ルター派)の デンマーク王クリスチャン4世 ※新教側援助を名目に参戦

(17)

★神フェルディ ナント3世 (カトリック) 1637~57 スウェ ーデン 戦争 皇帝側の傭兵隊長 ヴァレンシュタイン ※傭兵隊=金銭で雇わ れた軍隊、集団契約が 一般的 vs ○× vs ×○ 新教国(ルター派)の スウェーデン王グスタフ・アドルフ (☆グスタフ2世)“北方のライオン” ※新教側援助を名目に参戦 1632☆リュッツェンの戦いに勝つが戦死 仏・ス ウェー デン戦 争 ハプスブルク朝神ロ帝 ★フェルディナント3 世 旧教国(カトリック)の ブルボン朝フランス (ルイ13 世の宰相リシュリュー) ※仏ブルボン家は旧教国(カトリック) だが、打倒ハプスブルク家のために、新 教国側で参戦 ※ポイント=新旧両派の宗教的対立からハプスブルク家 vs ブルボン家の対立に

なお、

bの「フランスがカトリック側に」は誤文です。上記の通り、フランスは旧教(カ

トリック)側ではなく、新教側に立って参戦しました。また、cの「ヴァレンシュタイン

は,新教側について戦った。

」も誤文です。上記の通り、旧教(カトリック)側で参戦しま

した。

さらに、dの「オランダのウェストファリア」も誤りです。以下の通り、

「オランダ」で

はなく、ドイツです。

1648 ウェストファリア条約 at独ウェストファリア地方の都市☆ミュンスターと☆オスナブリュック ① 世界初の主権国家間会議(イギリスは1642~49 ピューリタン革命中で不参加) ② 勢力均衡に基づく主権国家体制(ウェストファリア・システム)を確立 ③ カルヴァン派公認(カトリック or ルター派のみの 1555 アウクスブルクの和議の欠点を解消) ④ 神聖ローマ帝国内の領邦国家の主権を承認、神聖ローマ帝国の有名無実化 → 神聖ローマ帝国は 300 以上の領邦(国家)に事実上解体し、1つの帝国としての機能を喪失(名目 のみ 1806 年まで存続、滅亡は 1806 年 by ナポレオン1世)、ウェストファリア条約は“神聖ローマ 帝国(ドイツ帝国)の死亡診断書”と言われる) ⑤ ブルボン家 > ハプスブルク家(フランスのブルボン家の優位が決定的に) ⑥ スイス・オランダ(ネーデルラント連邦共和国)の独立が国際的に承認 ※前者は神ロ国(ハプスブルク朝)、後者はスペイン(ハプスブルク朝)から独立 ⑦ ★帝国議会へのフランス・スけウェーデン代表の出席・議決権の承認 ⑧ 仏がアルザスとロレーヌ(ヴェルダン・メッス・トゥール3司教領)地方 get from 神(ハプ家) ⑨ スウェーデン(☆クリスティナ女王)がバルト海沿岸(北ドイツ)の西ポンメルン、☆ブレーメン大司 教領 get → ☆バルト帝国と呼ばれる繁栄へ ※12 青学(総合)、法政(法、経営、文)

問8・初級「プロイセン」について誤っているものを選ぶ問題ですが、cの「プロイセン王

国は,兵隊王といわれるフリードリヒ1世のもとで,軍隊や官僚制を整備した。

」が誤文で

す。以下の通り、

「兵隊王」と呼ばれたのは、

「フリードリヒ1世」ではなく、フリードリ

ヒ・ヴィルヘルム1世です。なお、

bの「プロイセン公国は,スペイン継承戦争で神聖ロー

マ皇帝を助け,18世紀初頭に王国へと昇格した。

」も非常に重要なので、以下のまとめで正

(18)

文であることを確認しましょう。

プ ロ イ セ ン 王 国 都 ∥ ベ ル リ ン ☆フリードリヒ1 世 ① 1701 スペイン継承戦争で神(墺ハプ家)を支援 → 1701 公国から王国に ② プロイセン王家=ホーエンツォレルン家、宗教=ルター派 “兵隊王(軍隊 王)” フリードリヒ・ ヴィルヘルム1世 ① 徴兵制、ユンカー主体の軍隊を増強(ex.★ポツダム巨人軍) ② エルベ川以東の農場領主制(グーツヘルシャフト)で農奴支配強化(再版農 奴制)→ 西ヨーロッパに輸出するための穀物を生産、地方領主・地主貴族階 層(ユンカー)が経営 上記の子 フリードリヒ2世 (大王) (1740~86) 啓蒙専制君主 ※フルート演奏と 作曲もできる ① 1740 仏語の「反マキァヴェリ論」=マキァヴェリの「君主論」を批判、“君 主は国家第一の僕(下僕し も べ)”とする but マキァヴェリズムを体現 ② サンスーシ宮殿(ロココ様式)at ベルリン郊外のポツダム ※「哲学書簡(イギリスだより)」で有名な仏ヴォルテールを招く ③ 1740 オーストリア継承戦争、1756 七年戦争、1772 第1回ポーランド分割 ④ 農奴解放してない(シュタインとハルデンベルクが農奴解放) ⑤ ☆ジャガイモ栽培を奨励、1700 年創設の☆ベルリン科学アカデミーを整備

問9・初級 誤っているものを2つ選ぶ問題ですが、aの「アウステルリッツの三帝会戦で,

アレクサンドル2世のロシア軍とフランツ1世のオーストリア軍の連合軍は,ナポレオン

のフランス軍に敗北した。

」は誤文です。以下の通り、

「アレクサンドル2世」ではなく、

アレクサンドル1世です。また、

cの「神聖ローマ帝国は1804年に消滅した。」も誤文です。

以下の通り、

「1804年」ではなく、1806年ですね。

1805アウステルリッツの三帝会戦at チェコ → 第3回対仏大同盟が崩壊 =仏ナポレオン1世vs〇×露アレクサンドル1世、☆神フランツ2世(墺フランツ1世) 1806☆ナポリ王国を占領(王=兄☆ジョゼフ) ※↓1799 オランダ東インド会社も解散へ 1806☆オランダで仏の傀儡国家☆バタヴィア共和国(1795~1806)が☆ホラント王国(1806~10)に → 王=弟☆ルイ・ボナパルト(さらに、その子がルイ・ナポレオンで後のナポレオン3世) 1806 神聖ローマ帝国消滅 ※最後の神聖ローマ皇帝=☆神フランツ2世(墺フランツ1世) → ナポレオン1世を盟主とし、バイエルンなど西南ドイツ 16 邦のライン同盟(1806~13)結成 ★バイエルンが王国に昇格、ライン同盟に加盟(14 慶文) 1806☆イエナ(・アウエルシュテット)の戦い=プロイセンに大勝、都ベルリンを占領

問10・初級 正しいものを2つ選ぶ問題ですが、bの「ドイツ連邦は,50あまりの君主国から

なっていた。

」は誤文です。以下の通り、35の君主国と4自由市からなっていました。

1815 ウィーン議定書 ①ブルボン朝復活 = フランス(ルイ 18 世)、スペイン(★フェルナンド7世)、両シチリア王国(出題 者によってはナポリ王国とする場合あり) ②ワルシャワ大公国 → ポーランド(立憲)王国に(ロシア皇帝が王位を兼任) ※前者はナポレオンがプロイセン領ポーランドに建設していた国家。後者は事実上 ロシア領に。 ③ロシア → スウェーデン領だった☆フィンランドを正式併合、★モルドヴァ公国領だった☆

(19)

ベッサラヴィア get、ポーランド立憲王国の王位を兼任 ※ベッサラヴィア=露との国境に位置するルーマニア北東部 ④プロイセン → ラインラント、☆(北)ザクセン get ⑤オーストリア → 北イタリアのロンバルディア&ヴェネツィア get ※前者はかつて北イタリアに王国を築いたゲルマン人の一派ランゴバルド(ロンバ ルド)人に由来 ⑥オランダ → ナポレオンの支配が廃止され、オランダ(立憲)王国に(このとき、オランダは 1714 ラシュタット条約以来オーストリア領だったベルギーを併合) ⑦イギリス → フランス領だったマルタ島 get オランダ領だったセイロン島(現スリランカ)&ケープ植民地 get ⑧スイス → 22 州からなる(武装)永世中立国に ⑨スウェーデン → デンマーク領だった☆ノルウェーget、同君連合を形成 ⑩サルデーニャ → ☆ジェノヴァ get ⑪ライン同盟 → 1815~1866ドイツ連邦に(35 君主国+4自由市から構成される) ※ライン同盟はナポレオンが神聖ローマ帝国を消滅させて組織した連合国家。ドイ ツ連邦の議長国はオーストリア。プロイセンも加盟。構成国代表からなる連邦 議会はフランクフルトに設置。

また、

cの「ドイツ連邦では,オーストリアが議長国となった。」は、上記の通り、正文で

す。さらに、dの「ドイツ連邦は1848年革命で消滅した。」は誤文です、上記の通り、1866

年まで存続します。よって、残ったaは正文だと判断できます。したがって、aとcが正解

です。

問 11・初級 誤っているものを選ぶ問題ですが、c の「七月革命の影響を受けて,1834 年に

ドイツ各地で,憲法制定を求める六月蜂起が起こった。

」は誤文です。まず、七月革命の影

響を受けてドイツで起こったのは、

「六月蜂起」ではなく、1830~1833 年のドイツ反乱で

す。なお、

「六月蜂起」が起こったのは、1848 年のフランスです。また、他の選択肢も全

て重要なので、各自で確認しておきましょう。

(・_・?)…ん?

1830

七月革命の影響

① 1830 ベルギー独立:1815 ウィーン議定書以来オランダ領だったベルギーがオランダから独立(ブリュ ッセルでの武装蜂起が契機)→ 1831 ベルギー立憲王国に(初代☆レオポルド1世、ベルギー憲法制 定) ※1831 ロンドン会議でベルギー独立が国際承認、世界2番目(大陸では世界初)の産業革命へ ② 1830~31 ポーランド反乱 by☆シュラフタ(貴族、士族、領主)階級 → 1815 ウィーン議定書以来のロ シア支配に対して反乱 but 民衆の支持を得られず、露ニコライ1世が鎮圧、1831☆ワルシャワ陥落 → 「革命」by ショパン(ポーランドのロマン主義作曲家、ロシアへの怒りから作曲、ピアノの詩人) ③ 1830~33 ドイツ反乱=自由とドイツ連邦の統一を求めて反乱、★ザクセンとヘッセンで自由主義憲法 が制定but ドイツ連邦の盟主である墺メッテルニヒ、二番手のプロイセンが鎮圧 ※1834 ドイツ関税同盟で経済的統一のみ達成 by リスト(歴史学派経済学)

(20)

④ 1831 イタリア反乱(中部イタリア革命) by 秘密結社カルボナリ at 中部イタリアのボローニャ → 分 裂状態であるイタリアの統一、自由主義的改革を求めて反乱 but 北伊のロンバルディアとヴェネツィ アを領有するオーストリアが鎮圧 → 1831 青年イタリア by マッツィーニ(ジェノヴァ出身、元カルボ ナリ党員、秘密結社に限界を感じ、大衆政党を創設)at 仏マルセイユ → 1848 事実上消滅 ⑤ 1832 イギリスで第一回選挙法改正 → 産業資本家(工場経営者)が選挙権を獲得 ※選挙権を獲得できなかった労働者は選挙権を求めて1837(38)人民憲章(ピープルズ・チャーター) を掲げ、オコンナー、☆オブライエン、★ラヴェットの指導でチャーティスト運動を展開

問12・中級 誤っているものを選ぶ問題ですが、

cの「大ドイツ主義は,オーストイア全土を

含む統一構想である。

」が誤文です。以下の通り、

「オーストリア全土を含む」ではなく、

「オーストリア領内のドイツ人地域とベーメンを含む」とすべきです。

【1848 二月革命の影響】 普:1848 ベルリン三月革命=王に憲法制定を約束させ、☆カンプハウゼン自由主義内閣が成立 → フランクフルト国民議会 at☆フランクフルト・アム・マインの☆聖パウロ教会 ※目的=分裂状態であるドイツ連邦の統一と憲法制定を話し合うため ※議員=各邦の普通選挙で選ばれた☆官吏、学者、産業資本家(ブルジョワジー)が中心 ※意義=48☆ドイツ国民の基本法、49☆ドイツ国憲法を作成 ※早稲田(社会科) ※問題点=大ドイツ主義(オーストリア領内のドイツ人地域とベーメンを含めてドイツ統一を志向) vs小ドイツ主義(オーストリアを除外し、プロイセン中心に ................... ドイツ統一を志向) → 小ドイツ主義が勝利but国民主導のドイツ統一を嫌った普王フリードリヒ・ヴィルヘルム4世(50 ☆プロイセン欽定憲法を制定)が戴冠拒否 .... 、国民主導のドイツの政治的統一は失敗に終わる

問13・初級 誤っているものを選ぶ問題ですが、

bの「プロイセン=オーストリア(普墺)戦

争は,プロイセンがわずか一週間で圧勝したので,六日間戦争という。

」は誤文です。以下

の通り、

「六日間戦争」ではなく、七週間戦争です。

1866 普墺戦争

(=☆七週間戦争) 原因=①ドイツ連邦の統一を巡る主導権争い(普の小ドイツ主義と墺の大ドイツ主義の対立) ②デンマーク戦争で奪ったシュレスヴィヒ・ホルシュタインの帰属問題 ③プロイセンがオーストリアを挑発して開戦 構図=プロイセン・イタリア王国・北ドイツの諸邦vs○×オーストリア・中南ドイツの諸邦 経過=☆サドヴァ(ケーニヒグレーツ)の戦いでプロイセンの圧勝 講和=☆プラハ条約 ①ドイツ連邦の統一に関してオーストリアを除外(普の小ドイツ主義に基づく統一へ) ②シュレスヴィヒ・ホルシュタインはプロイセン領に ③オーストリアはヴェネツィアをイタリアに割譲

(21)

ちなみに、六日間戦争とは1967年の第3次中東戦争のことです。

原因 構図 結果 1967 第3次中東戦争 ∥ 6日間戦争 ☆エジプト(ナセル) がアカバ湾のティ ラン海峡を封鎖し たことに、イスラ エルが反発 ○イスラエル vs ×エジプト(ナセル) シリア ヨルダン イスラエルが領土を5倍拡大! ①ゴラン高原 from シリア ※現在でも返還に応じていない ②ヨルダン川西岸 from ヨルダン ※東イェルサレムを含む ③ガザ地区 from エジプト ④シナイ半島 from エジプト

問14・上級 誤っているものを2つ選ぶ問題ですが、

bの「ホルシュタイン地方ではオランダ

人の方がドイツ人より多く住んでいた。

」が誤文です。以下の通り、ドイツ系住民が多く

住んでいました。

1864 デンマーク戦争

※↓ユトランド半島の基部に位置する 原因=1863 デンマークが 15C以来同君連合を組んでいたシュレスヴィヒ公国(ドイツ系住民が多い)の併 合を宣言 → 1864 プロイセンはドイツ系住民の要請に応じてオーストリアを誘って開戦 構図=プロイセン・オーストリアvs○×デンマーク 結果=普・墺がシュレスヴィヒ・ホルシュタイン両公国を占領 ※↑ユトランド半島の南半分の2つの小公国。中世初期から北部のシュレスヴィヒはデン マークに、南部のホルシュタインは神聖ローマ帝国に属していたが、15C以降ともに デンマークの主権下に入った。ドイツ系住民が多く、ドイツとデンマークの係争地に なっていた。 講和=1865★ガシュタイン協定 → シュレスヴィヒは普、ホルシュタインは墺が管理(帰属は未定 ..... )

また、dの「アルザスは,フランス語圏に属しているが,19世紀後半のドイツ統一でドイ

ツ領になり,今日に至っている。

」も誤文です。以下の通り、今日はフランス領です。

(・_・?)…ん?

アルザス・ロレーヌ

※↑フランス語。ドイツ語ではエルザス・ロートリンゲン)地方 ☆鉄鉱石・石炭の産地なので、長らくドイツ・フランスの係争地となった。 ※中心都市=☆ストラスブール(★反ロタール1世の同盟結成地。☆欧州議会の本部も存在) フランク王国領 中部フランク領 843 ヴェルダン条約による 東フランク王国領 870 メルセン条約による 神聖ローマ帝国領 962 東フランクのオットー(1世)の建国による フランス領 1648 ウェストファリア条約(三十年戦争)による ドイツ(第二)帝 国領 1871 フランクフルト講和条約(普仏戦争、ドイツ統一)による 1875 仏☆ドーデが短編小説集「月曜物語(最後の授業 etc)」を著す フランス領 1919 ヴェルサイユ条約による

(22)

ナチス・ドイツ領 1940 ナチスのパリ占領(フランス降伏)による フランス領 1945 ドイツ無条件降伏により、フランス領へ(現在もフランス領)

問 15・初級 誤っているものを2つ選ぶ問題ですが、b の「ドイツは,賠償金支払いが免除

された」が誤りです。以下の通り、賠償を支払うことが決定しています。

(・_・?)…ん?

ドイツの賠償問題

で国際協調主義が進展

1919ヴェルサイユ条約=総額や支払方法は未定だが、当面は 1921 年までに 200 億金マルクの支払い 1921 ロンドン会議 =総額を 1320 億金マルクと正式に決定 but ドイツの支払能力を逸脱 → ドイツ(ヴァイマル共和国)のエーベルト政権は履行策をとるが、支払い遅延 編集の都合上、以下省略

また、cの「ヒトラーは1938年に~チェコ併合」が誤りです。チェコを併合したのは、

「1938年」ではなく、1939年です。

【ナチス・ドイツ(ヒトラー)の外征】 1939 チェコスロヴァキア解体 =ドイツの脅迫で、西半分のチェコ(ベーメン or ボヘミア)・メーレン(モラヴィア)と東半分のスロ ヴァキアに分離され、西半分のチェコ(ベーメン or ボヘミア)・メーレン(モラヴィア)をドイツが 併合 → ○新ベーメン・メーレン保護領を設置 1939 スロヴァキア保護国化 1939☆リトアニア領メーメルを併合 1939★ドイツ・イタリア軍事同盟(鋼鉄同盟) 編集の都合上、詳細は省略

(23)

3【古代インド史・東南アジア史】

問1・上級「この文明は~パンジャーブ地方を中心に栄えた都市文明である」とあるので、

「Iの文明」は、以下の通り、インダス文明ですね。

ド ラ ヴ ィ ダ 人 BC2600(2300)~BC1800インダス文明at○用インダス川(インドの語源)流域+ガンジス川上流 ① 特徴 存在していたもの =金・銀・青銅器、ドラヴィダ系のインダス文字(on 印章、未解読)、都市計画 (焼き煉瓦レ ン ガ住宅街、浴場、排水溝、城砦)、☆ろくろで作られた彩文土器、動 植物・地母神崇拝 存在しなかったもの=強大な王権を示す宮殿・陵墓 ② 遺跡 ハラッパー遺跡 at 中流のパンジャーブ地方(現パキスタン) モエンジョ・ダーロ遺跡 at 下流のシンド地方(現パキスタン)☆“死人の丘”の意 ☆ロータル遺跡(造船所あり)at☆グジャラート州 ☆ドーラヴィーラー遺跡 at インド西部の★カッチ湿原 ③ ☆メソポタミアのシュメール人(ウル・ウルク)と交易? ④ 滅亡=アーリヤ人の侵入、洪水、砂漠、疫病?

さて、インダス文明について誤っているものを選ぶ問題ですが、bの「ローマからもた

らされた金で金貨を発行した」が誤文です。これは、以下の通り、インダス文明ではなく、

クシャーナ朝の説明です。なお、他の選択肢も全て重要なので、上記のまとめで正文であ

ることを確認しておきましょう。

AD1~3C クシャーナ朝(貴霜) 都プルシャプラ(現パキ スタン共和国の☆ペシャ ワール at ガンダーラ地 方)by カニシカ王 ※滅亡 by ササン朝ペル シア(シャープール1 世) ☆カドフィセス1世 イラン系のクシャーン人 イラン系の大月氏から自立 最盛期2Cカニシカ王 第4回仏典結集を保護(☆サンスクリット語) ① ☆中国とローマを結ぶ交通の要衝に位置、国際的な経済活動が活発、交易 重視で東西交流も発展、ローマの金貨を模倣して大量発行(イランやギリ シア・インドなどの文字や神々が描かれている) ② 大乗仏教大成 by ナーガールジュナ(竜樹)→ 著作「中論」、空・縁起の思 想 ★発展者=アサンガ(無著)とバスバンドゥ(世親)の兄弟 ③ カニシカ王の時代に都プルシャプラでガンダーラ美術(オリエント+ギリ シア=ヘレニズム風)発達 → 仏像製作 by バクトリアの子孫? ※中国、朝鮮、日本へ影響 ☆副都のマトゥラー=同時代にインド風仏像美術が栄えた都市

(24)

問2・初級「モエンジョ=ダーロ」の位置なので、地図上のcですね。なお、以下の通り、

モエンジョ・ダーロはインダス川下流のシンド地方なので、a、d、eは絶対に選んではい

けません。

ド ラ ヴ ィ ダ 人 BC2600(2300)~BC1800インダス文明at

用 インダス川(インドの語源)流域+ガンジス川上流 ① 特徴 存在していたもの =金・銀・青銅器、ドラヴィダ系のインダス文字(on 印章、未解読)、都市計画 (焼き煉瓦レ ン ガ住宅街、浴場、排水溝、城砦)、☆ろくろで作られた彩文土器、動 植物・地母神崇拝 存在しなかったもの=強大な王権を示す宮殿・陵墓 ② 遺跡 ハラッパー遺跡 at 中流のパンジャーブ地方(現パキスタン) モエンジョ・ダーロ遺跡 at 下流のシンド地方(現パキスタン)☆“死人の丘”の意 ☆ロータル遺跡(造船所あり)at☆グジャラート州 ☆ドーラヴィーラー遺跡 at インド西部の★カッチ湿原 ③ ☆メソポタミアのシュメール人(ウル・ウルク)と交易? ④ 滅亡=アーリヤ人の侵入、洪水、砂漠、疫病?

参照

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