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密教研究 Vol. 1928 No. 30 010神龜 法壽「高野山興廢の教會史的研究 (一)――特に鎌倉時代を中心にして ―― P176-214」

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高 野 山 興 腱 り 教 會 史 的 研 究 一 七 六

(一)

-特

-紳 竈 法 壽 序 説 宗 敏 の 一 敷 會 が 一 定 の 領 土 に 於 い て、 圭 権 を 把 持 し て 一 國 家 の 騰 裁 を な す 時、 此 れ を 激 會 國 家 ご 稽 し 得 る こ せ ぱ、 鎌 倉 時 代 に 於 け る 高 野 山 は、 立 涙 に 一 つ の 敷 會 國 家 を 型 成 し て 居 元 こ い ふ も、 敢 へ て 過 言 で は あ る ま い。 何 ん ざ な れ ば、 此 の 時 代 に 於 け る 高 野 山 は、 信 仰 の 表 明 た る 激 理 も、 信 仰 保 存 の 爲 め の 敷 椹 も、 又 此 れ ら を 支 配 確 保 し て 行 く 敢 階 制 度 も、 或 は 信 仰 保 讃 の 爲 め の 儀 式 も、 共 に 具 備 し 得 て 立 涙 に 一 つ の 敷 會 を 成 立 し て 居 り、 且 つ 又、 領 土 的 に も 所 謂 高 野 寺 領 な る も の が あ つ て、 此 れ が 當 時 の 國 家 的 制 度 か ら は 全 く 濁 立 的 な 組 織 を 有 し、 刑 罰、 褒 賞、 徴 磯、 恩 憧 等 の 事 柄 が 悉 く 高 野 山 評 定 衆 の 名 に 於 い て 執 り 行 は れ て ゐ た か ら で あ る。 然 し 此 れ は、 高 野 山 開 創 の 當 初 か ら 行 は れ た の で は な い。 弘 仁 七 年 の 秋 十 封、 嵯 蛾 天 皇 か ら の 磨 許 を 蒙 つ て、 我 が 組 大 師 が、 高 野 山 を 開 創 さ れ だ 當 初 は 勿 論、 敷 會 國 家 否 一 つ の 成 立 敷 會 に も 達 せ す、

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唯 輩 な る 修 繊 観 法 の 一 私 院 に 外 な ら な か つ た の で あ る。 然 し て 又、 大 師 高 野 山 開 創 の 眞 目 的 が、 修 麗 の 一 院 を 建 立 せ ら る、 に あ つ だ こ ご は 彼 の ﹁ 高 野 山 奏 請 文 ﹂ に 依 つ て も 明 ら か な 班 で あ る。 彼 の 丈 に は、 (前 路 ) 深 峰 乏 四 繹 客、 窮 巖 希 入 定 賓、 實 是、 藤 敷 未 僖、 佳 所 不 相 鷹 之 所 致 也。 准 暉 経 説、 件 地 (高 野 山 の こ ご ) 尤 宜 修 繹 。 念 思 上 奉 爲 國 家、 下 爲 諸 修 行 者、 費 夷 荒 藪、 建 立 修 暉 一 院 云 云 ご あ る 。 即 ち 大 師 の 御 一 生 は、 非 常 な 活 動 を せ ら る ゝ 反 面、 内 的 修 養、 暉 観 修 定 の 精 紳 を 多 分 に 持 つ て ゐ ら れ た 。 こ れ が 高 野 山 を 開 創 せ ら る ゝ の 内 的 動 機 こ な つ た の で あ つ て、 君 し、 そ の 外 的 動 機 を 求 む る な ら ば、 國 家 上 下 の 擾 働 ご、 常 代 宗 激 界 の 堕 落 ご で あ つ た こ 考 へ ら る。 即 ち 當 時、 國 家 的 に は 伊 豫 王 の 働 が あ り、 叉 藥 子 の 事 攣 な ご が 績 い て 起 り、 宗 教 界 は 極 度 に 瞳 落 し て ゐ る。 績 日 本 紀 や 類 聚 國 史、 日 本 書 紀 ・ 日 本 後 記 及 び 後 記 纂 な ご を 見 る ご、 こ れ ら 僑 徒 の 観 行 も 瞭 然 元 る べ く、 一 般 に 信 徒 の 威 儀 は 働 れ、 肉 食 妻 帯 は 寧 ろ 當 然 の 事 と し て 自 他 共 に こ れ を 許 し、 甚 だ し き に 到 つ て は 當 時 朝 野 に 勢 力 の あ る 大 氏 族 ご 結 托 し て、 荘 園 寺 領 を 隠 匿 し、 私 利 私 欲 に 耽 つ て、 蓄 妾 淫 樂 の 悪 行 に 寧 日 な き 有 檬 に な つ て ゐ た の で あ る。 私 の 近 頃 一 寸 調 べ 出 し た 所 で も、 こ れ ら 邪 悪 の 僧 徒 を 誠 む る 爲 め の 詔 勅 が 二 十 三 通 も あ る こ い ふ 次 第 で、 殊 に 嵯 峨 天 皇 の 如 き は、 弘 仁 三 年 に ﹁ 責 僧 尼 淫 犯 勅 ﹂ ( 四 月 十 六 日 ) を 出 し ﹁ 櫓 尼 の 制 に 關 す る 倉 條 ( 僧 尼 有 等 の こ ご な り ) 襲 布 さ れ、 男 女 の 別 こ そ 高 野 山 興 膿 の 教 會 史 的 研 究 一 七 七

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高 野 画 興 顧 の 教 會 更 駒 研 究 一 七 八 の 禮 法 ざ を 制 定 し て ゐ る の に、 近 頃 の 僧 尼 は、 其 の 数 塞 に 多 く、 外 は 勝 因 に 托 し 内 は 戒 律 に 顧 れ て、 精 進 の 行 ひ 顯 は る、 な く、 淫 犯 の 徒 あ る を 屡 々 聞 く、 僧 綱 は 之 れ を 見 て 捉 搦 を 加 ふ る こ ど な く、 官 司 は 之 れ を 寛 容 し て、 糺 正 す る の 心 が な い 。 叉 法 會 の 日、 臓 悔 の 日 に は、 男 女 混 雑 し て 彼 茄 の 別 な く、 非 禮 の 行 は 畢 け て 論 す べ く も な い 。 道 を 敗 り 俗 を 傷 め し む る こ と、 此 れ よ り 甚 し き は な か ら う 云 々 ( 日 本 書 紀 巻 二 十 二 ) こ て、 永 く 其 の 弊 害 を 徴 粛 し 給 ひ、 京 職 及 び 諸 國 に 命 し て、 部 内 の 諸 寺 及 ぴ あ ら ゆ る 道 携 等 に 膀 示 し て 禁 断 を 加 へ し め、 も し 導 承 せ ざ る も の 一 人 以 上 を 容 受 せ ぱ 三 綱 並 に 入 者 は 共 に 違 勅 の 罪 に 科 し、 駈 司 が 之 れ を 知 つ て 糺 さ " る 時 は、 是 叉 同 罪 ご 宣 し、 同 六 月 十 六 日 に は、 ﹁ 糺 僧 尼 犯 法 勅 ﹂ を 登 布 し て。 巌 格 な る 禁 止 を さ れ た る に 拘 ら す、 此 れ よ り 二 ヶ 月 を 経 過 し た 八 月 癸 巳 の 日 に は 僧 良 勝 な る も の が、 女 ご 同 車 し て、 多 製 島 に 流 罪 さ れ た こ 云 ふ 忌 は し い 事 件 が 記 録 さ れ る 程 堕 落 せ る 宗 敷 界 で あ つ 沈 の で あ る。 さ れ ば 大 師 が、 此 の 鱗 れ 切 つ た 一 般 宗 敷 界 に 向 つ て、 危 催 ご 嫌 悪 の 念 を 懐 か れ、 一 は 年 來 の 宿 望 な る 静 観 修 定 の 爲 め、 剛 は 末 徒 の 激 風 刷 新 の 爲 め、 斯 く 建 立 修 灘 の 一 院 を 登 起 せ ら れ 給 ふ た の で あ ら う ど 思 は れ る 。 然 し て 叉、 大 師 が 斯 く の 如 き、 清 澤 な 護 這 心 を 登 揮 し て 奏 請 せ ら れ た 高 野 山 な れ ば こ そ 朝 廷 で も、 既 に 延 暦 二 年 六 月 に ﹁ 禁 私 立 道 傷 ﹂ の 勅 を 登 布 せ ら れ て、 嚴 し く 禁 制 し 給 ふ 勝 の も の を も 弘 仁 七 年 に 特 に 廉 許 遊 は し、 紀 伊 國 司 に 命 し て、 此 れ が 實 施 方 を 下 命 な さ れ た の で あ る。 さ れ ば 私 は

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大 師 の 高 野 山 御 開 創 當 初 の 目 的 は 彼 の 奏 請 文 に も あ る 如 く、 全 く 隠 棲 修 観 の 一 院 建 立 で あ つ て、 佳 侶 も 亦、 此 の 高 野 山 を 以 て、 翼 言 宗 根 本 の 道 瘍 ご は 考 へ て ゐ な か つ だ こ 見 る の が 至 當 で あ ら う。 此 の こ ご は 大 師 が 東 寺 を 以 て 眞 言 宗 根 本 の 道 場 こ す る ざ 仰 せ ら れ た 記 録 の 存 す る に よ つ て、 粟 の 反 謹 が 得 ら れ、 爾 來 高 野 山 の 佳 侶 は、 大 師 中 心 の 敷 團 を 作 り、 眞 言 宗 曼 茶 羅 の 激 義 を 其 の 敷 椹 こ な し、 大 師 の 御 戒 條 を 捧 持 し て 同 一 修 行 の 道 程 を 辿 っ た の で あ る。 即 ち 當 時 の 佳 侶 は、 大 師 を 中 心 こ す る 團 隊 を 組 織 し、 大 師 の 敷 誠 に 依 つ て 制 定 せ ら れ だ 棘 聖 な る 敷 團 生 活 を な し て ゐ 元 に 過 ぎ な か つ た。 ( 就 之 て、 私 は 後 日、 高 野 山 文 化 史 に 詳 説 す る つ も り で あ る か ら 今 は 略 す。 ) 然 る に 高 野 山 の 佳 侶 は、 大 師 の 御 入 定 ご 共 に、 或 は 東 寺 へ (實 慧 大 徳 )、 或 は 南 都 弘 幅 寺 (眞 雅 僧 正 ) へ、 且 つ は 高 雄 山 (眞 濟 偲 正 ) 等 へ こ、 各 々 分 散 移 佳 す る に 到 り、 翼 然 師 が 濁 り 山 上 に あ つ て、 大 師 の 遺 業 を 織 ぎ、 治 山 興 隆 の 任 に 當 ら る、 に 及 び、 大 師 中 心 の 敷 團 は 一 歩 進 ん で、 所 謂 高 野 山 中 心 の 激 會 組 織 に 努 力 す る て ふ 氣 蓮 に 向 つ て 來 陀 の で あ る。 先 づ 承 和 二 年 入 月 二 十 日、 高 野 山 に 年 分 度 者 三 人 の 官 符 を 賜 は り、 復 同 四 年 八 月 五 日 諸 國 講 護 師 の 符 を ば 東 寺 ご 共 に 下 付 さ れ、 元 慶 六 年 正 月、 眞 言 宗 學 生 撰 學 の 官 符 が 出 た 時 も、 同 じ く 東 寺 ご 共 に 其 の 撰 に 入 つ た。 高 野 山 は 斯 く て 其 の 内 容 形 式 共 に、 全 く 東 寺 ご 等 し い 位 置 に 立 つ 様 に な り、 東 寺 か ら 別 立 し て 一 つ の 敷 會 を 組 織 す る に 到 つ 元 の で あ る。 高 野 山 興 顧 の 教 會 史 的 研 究 一 七 九

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高 野 山 興 塵 の 敏 會 史 的 研 究 一 八 〇

る。

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憲 答 へ た、 乃 観 賢 信 都 は 更 に、 延 喜 十 五 年 の 冬 十 二 月 に、 寛 李 法 皇 に 奏 請 し て 策 子 返 納 の 院 宣 に 依 つ て、 此 れ を 東 寺 へ 取 り 戻 す べ き 朝 使 を 煩 は し た 。 依 っ て 無 塞 師 は 此 の 策 子 を 身 に つ け、 門 徒 を 引 卒 し で、 山 州 國 提 寺 へ 遜 し 、 宣 命 を 恐 れ 避 け だ。 此 の 事 件 は 勿 論、 延 喜 十 九 年 に 副 つ て、 観 賢 曾 都 が 金 剛 峰 寺 の 座 主 を 兼 撮 す る に 到 り、 策 子 を 天 覧 に 供 す る ご 云 ふ 理 由 ( 此 れ は 左 大 臣 仲 否 の 計 で あ る )。 の 下 に、 十 月 二 日 再 び 東 寺 の 経 藏 に 納 箕 し 叙 こ ご に よ つ て 解 決 さ れ て ゐ る が、 此 の 爲 め に 一 山 の 荒 腰 は 甚 し く、 酬 時 は 堂 魅 塞 鎖 員 鐘 咽 嵐、 人 法 衰 滅 の 状 態 こ な り、 無 塞 師 亦 伊 賀 國 蓮 壷 寺 に 於 い て、 淋 し き 入 寂 を 示 し だ こ 云 ふ 悲 劇 を 演 出 し て ゐ る の で あ る。 さ て、 此 の 事 件 に 就 い て 考 慮 を 進 め て 見 る に、 唯 輩 に 大 師 御 薗 筆 の 潰 物 を 東 寺 高 野 の 爾 方 か ら 奪 ひ 合 つ 陀 に 過 ぎ な い 輩 純 な 問 題 の 様 で は あ る が、 内 面 的 の 事 情 を 今 少 し 深 く 考 ふ る な ら ば、 正 し く、 唯 酬 眞 言 宗 の 激 灌 こ な る べ き 謹 擦 品 の 相 奪 で あ つ て、 東 寺 と し て も 高 野 山 こ し て も、 頗 る 重 大 な 事 件 で あ る ざ し な け れ ば な ら ぬ。 即 ち 此 の 策 子 が 高 野 曲 に あ る 以 上 は、 翼 言 宗 の 根 本 道 蕩 は 東 寺 か ら 高 野 山 へ 移 る 課 で あ る か ら、 此 の 時、 東 寺 の 長 者 職 に あ り、 且 つ、 つ ご に 眞 言 宗 統 一 の 思 想 を 抱 い て ゐ ら れ 元 観 賢 俗 都 が 寛 季 法 皇 の 院 宣 を 奏 請 し て ま で、 無 塞 律 師 に 返 納 方 を 強 講 さ れ た の も 無 理 か ら ぬ 事 で あ る。 高 野 山 興 膿 の 敷 會 史 的 研 究 一 八 一

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高 野 山 興 藤 の 教 會 史 的 研 究 一 八 二 さ れ ば 此 の 事 件 は 一 面 か ら 見 れ ば、 箕 言 宗 敷 會 の 分 離 或 は 移 韓 を 防 止 し 陀 蓮 動 で あ る ご 見 る ぺ き で 此 の 事 に 就 い て は、 後 に 観 賢 僧 都 が、 高 野 山 に 封 し て 多 少 の 無 理 を ば 強 い 乍 ら、 高 野 山 座 主 を 兼 擁 し て ゐ ら れ る の を 見 て も 解 か る 所 で あ ら う。 元 來、 観 賢 曾 都 は、 非 常 に 強 い 一 宗 統 一 の 思 想 を 保 持 し て ゐ ら れ た 方 ご 見 ぬ て、 師 の 傳 記 を 見 る と 東 寺 の 長 潜 ご 高 野 の 座 圭 ご を 兼 撮 し て ゐ ら れ る ば か り で な く、 御 室 も 醍 醐 (此 れ は 樋 の 開 基 で あ る ご 云 ふ が ) も 共 に 師 猫 り が 座 圭 職 ど し て 繋 務 し て ゐ ら れ た ど 云 ふ こ ご で、 此 れ に 就 い て 後 世 の 學 者 が 或 は 観 賢 僧 都 は 名 利 私 欲 の 爲 め に 眞 言 宗 全 騰 を 猫 占 せ ん こ し 淀 と さ へ 批 評 せ し む る 所 以 と も な つ て ゐ る の で あ る 。 観 賢 僧 都 の 高 野 山 塵 主 兼 襯 の 實 際 蓮 動 は 延 喜 十 九 年 正 月 に 始 ま る。 即 ち 是 の 歳 の 春 正 月、 時 の 高 野 山 座 主 峰 暉 師、 戟 拝 を 腰 し て 突 然 に そ の 職 を 僻 し た。 是 は 峰 灘 師 が 観 賢 僧 正 ご 同 法 同 系 の 人 な る 爲 め 一 山 衆 徒 の 反 豊 甚 だ し く、 爲 め に 僻 職 さ れ た の で あ つ て、 こ れ に 就 い て は ﹁ 見 聞 集 ﹂ に 次 の 如 く 記 す。 峰 縄 座 圭 職 之 間、 獲 徒 微 々 説 器。 況 叉 観 賢 野 山 座 圭 競 望 之 謀 光 錐 脱 レ 袋、 故 豫 僻 二退 之 一。果 如 二 推 知 一也 、 然 し て 其 の 年 の 九 月 十 九 日 に 到 つ て、 観 賢 僧 都 を 以 て 金 剛 峰 寺 の 座 圭 職 に 補 し、 巳 來 は 永 く 東 寺 の 長 者 が 象 撮 す る の 恒 格 こ な つ た。 こ れ は、 頃 年 観 賢 僧 都 の 執 奏 に よ る も の だ こ 云 つ て ゐ る。 (寛 信 長 者 認。 )

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然 し、 如 何 に 観 賢 僧 都 が 廃 許 を 楯 に し て 爾 座 圭 を 象 擁 し た か ら こ て、 事 實 の 問 題 は、 し か く 畢 純 に 解 決 さ れ る も の で は な く、 矢 張 り、 野 山 に は 野 山 濁 特 の 敷 會 を す ら 別 立 し や う ご 計 劃 し て ゐ た 位 で あ る か ら、 此 の 間、 多 少 の 問 題 な く し て は 解 決 さ れ る も の で な い。 此 研 に 到 つ て、 同 月、 大 漆 師 峰 宿 を 以 て 初 め て 野 山 の 正 別 當 こ な し、 以 來 高 野 山 に は 正 別 當 を 畳 い て、 事 實 上 の 山 務 を 執 行 せ し め る 様 に な つ だ の で あ る が、 此 の 峯 宿 師 は 無 塞 師 の 入 室 で あ り、 さ き に 観 賢 師 の 暴 威 を 避 け て 座 主 職 を 僻 退 し た 峯 灘 師 の 法 資 で あ る ご 傳 へ ら る。 彼 の 修 灘 院 槍 校 懐 英 師 が 其 の 著 高 野 春 秋 に 於 い て ﹁ 此 一 件 藩、 長 着 在 京 洛 而 兼 任 山 務。 不 克 奈 寺 法 何。 且 叉 無 塞 師 之 憤 絵 難 ン 宥。 労 以 推 畢 其 法 弟。 合 不 荒 山 家 也 ﹂ ご 誌 さ れ た の は そ の 當 を 得 元 も の で あ ら う 。 か く て 時 代 は 移 り て、 院 政 時 代 こ な う、 更 に 源 氏 登 唱 の 武 家 政 治 時 代 ざ な る に 到 つ て は、 趾 會 の 實 歌、 制 度 も 著 し い 攣 化 を 來 し、 高 野 由 の 如 き も、 立 涙 な 凶 つ の 激 會 國 家 ど ま で 進 歩 機 展 す る に 劉 っ た の で あ る。 即 ち、 観 賢 俗 正 の 時、 上 述 の 如 く 執 行 珊 當 職 を 置 き 大 法 師 峯 宿 を 以 で 之 れ に 任 じ、 叉 永 観 元 年 よ り は 雅 眞 師 が 第 一 槍 校 ざ な つ て 專 ら 山 務 を 執 り 行 ふ と 云 ふ 風 で、 座 主 は あ る も 事 實 は、 山 務 の 悉 て を、 別 當、 検 校、 執 行 の 如 き 職 に あ る 人 が 執 わ、 殊 に 長 承 三 年 に 到 つ て は、 畳 艘 上 人 が 院 奏 を 劃 し て、 高 野 猫 特 の 座 主 を 澄 き、 時 の 座 圭 定 海 僧 正 を 壌 し て 自 ら 高 野 山 座 圭 に 補 せ ら る、 事 こ な り、 ( 畳 銀 上 人 が 高 野 山 興 磯 の 敏 會 史 的 研 究 一 八 三

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高 野 出 興 顧 の 敏 會 史 的 研 究 一 八 四 高 瞬 山 座 圭 職 に 就 任 せ ら れ た こ ご に 就 い て は 他 に も 理 由 が 存 す る の で あ つ て、 此 れ は 後 に 高 野 山 敷 會 分 立 の 條 項 に 於 い て 詳 蓮 す る こ ご、 す。 ) 殊 に 建 治 元 年 十 二 月 に 高 野 山 評 定 衆 が 寺 領 の 役 人 か ら 取 つ た と 云 ふ、 紀 伊 國 猿 川、 眞 國、 紳 野 三 荘 の 惣 追 捕 使 及 び 公 文 の 請 文 の 如 き が 存 す る に 到 つ て 高 野 山 は 立 涙 に 一 つ の 敷 會 國 家 を 成 立 し 得 元 ど 云 ふ も 敢 へ て 過 言 で は な い で あ ら う。 私 は 今 此 の 高 野 山 を 一 つ の 敷 會 國 家 ご 見 な し て、 そ の 制 度 を 論 し、 且 つ 其 の 制 度 に 支 配 さ れ て ゐ る 高 野 山 が 奈 蓬 ま で 登 蓬 し 進 歩 し、 國 家 肚 會 に 豊 し て は 如 何 な る 態 度 を 持 し、 其 の 位 置 が こ の 程 度 ま で 高 ま つ て ゐ 泥 か を 記 蓮 し て 見 や う ど 思 ふ。 但 し 一 般 の 歴 史 で 鎌 倉 蒔 代 ご 云 ふ ご、 後 鳥 朋 天 皇 の 元 治 元 年 ( 紀 元 一 入 四 五 年 ) か ら、 後 醍 醐 天 皇 の 元 弘 三 年 ( 紀 元 一 九 九 三 年 ) ま で の 凡 そ 百 四 十 九 年 間 を 指 示 し て ゐ る の で あ る が、 私 は 特 に 崇 徳 天 皇 の 大 治 五 年 ( 紀 元 一 七 九 一 年 ) 即 ち、 高 野 山 史 か ら 見 れ ば、 畳 鰻 上 人 が 花 藏 院 宮 の 御 内 奏 に 依 つ て、 高 野 山 上 に 小 傳 法 院 を 創 造 し た 年 か ら、 後 醍 醐 天 皇 の 元 弘 三 年 十 一 月 十 八 日 ( 正 慶 二 年 〇 紀 元 一 九 九 三 年 ) 大 傳 法 院 の 衆 徒 が 重 ね て 添 進 の 訴 欺 を 上 つ て 爾 庄 安 堵 の 輪 旨 を 求 め た 時 ま で を 範 園 こ し て 見 る こ ご、 す 。 即 ち 大 治 五 年 に 豊 鍵 上 人 が 小 傳 法 院 を 創 建 し た こ ご は、 全 く 高 野 由 上 に 於 け る 敷 會 分 離 の 出 螢 黙 を 作 つ だ も の で、 我 眞 言 宗 こ し て は、 後 年 新 古 義 分 涙 の 基 因 を な す こ ご に な る の で、 私 は 此 の 年 を 以 て 高 野 山 の 敏 團 分 裂 の 第 一 年 と 糞 へ、 斯 く 禦 徳 天 皇 の 大 治 五 年 か ら 起 筆 す る こ ご、 し た の で あ る。 然 し

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て 又、 此 の 敏 團 分 裂 が 終 極 を 告 げ て、 根 來 と 高 野 山 巴 が 全 く 無 關 係 の 状 態 に ま で 立 ち 到 つ た の が 元 弘 三 年 で あ る か ら、 本 稿 に 於 い て は、 特 に 高 野 山 激 團 分 裂 の 時 代 ご 云 ふ 意 昧 に 於 い て 此 聞 の 凡 そ 二 百 二 年 間 を 揮 ん だ 繹 で あ る。 從 つ て 回 般 の 歴 史 で 云 ふ 鎌 倉 時 代 百 四 十 入 年 間 よ り は、 五 十 四 年 間 も 上 代 へ 潮 り 李 安 朝 の 末 期、 保 元 挙 治 の 爾 働 か ら 源 李 盛 衰 の 時 代 に 到 り、 源 氏 三 代 か ら 北 條 九 代 の 興 磨 消 長 を も 包 含 し て ゐ る こ ご、 な る。 從 つ て、 此 の 教 會 史 の 背 景 を 成 す も の は、 此 れ ら の 諸 時 代 に 現 は れ 元、 保 元 物 語、 李 治 物 語 や 源 牟 盛 愛 記、 北 條 九 代 記、 義 経 記、 承 久 記、 季 家 物 語、 吾 妻 鏡 等 の 軍 記 物 は 勿 論、 西 行 の 山 家 集、 實 朝 の 金 塊 集 や 新 勅 撰、 綾 後 撰、 績 古 今、 績 拾 遺、 新 後 撰、 玉 葉 績 千 載、 績 後 拾 遺 等 の 勅 撰 歌 集 か ら、 辮 内 侍 日 記、 海 道 記、 東 關 紀 行、 十 六 夜 日 記 の 様 な 日 記 類、 方 丈 記 や 徒 然 草 の 随 筆 に 到 る ま で、 悉 て 其 の 背 景 ざ な も 参 考 書 と な る こ ご は 勿 論 で あ る。 、 然 し て 又 其 の 他 の 旧 般 的 歴 史 の 参 考 書 や 特 殊 の 記 録 が 本 稿 の 血 と な り 肉 と な り、 其 の 骨 格 と な る こ と は 無 論 高 野 山 の 古 記 文 書 ご 東 京 帝 國 大 學 文 學 部 史 料 編 纂 掛 の 編 纂 に か、 る 大 臼 本 資 料 及 び 同 掛 所 藏 の 藏 書 を 以 て 專 ら 其 の 墾 考 書 こ し て 用 う る こ ご に す る。 第 一 章 高 野 山 の 教 階 制 度 高 野 山 の 制 度 は、 先 づ 此 れ を 大 禮 に 於 い て 三 分 し て 考 へ る の が 至 當 で あ ら う。 即 ち 學 侶 ご 行 人 と 非 高 野 由 興 腱 め 教 會 史 的 研 究 一 八 五

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高 野 山 興 旗 の 教 曾 史 的 研 究 一 八 六 事 吏 ご で あ る 。 其 の 内 ﹁ 學 侶 ﹂ ご 云 ふ は、 一 言 に し て 之 れ を 云 は い、 所 謂 高 野 山 正 統 涙 の 學 徒 に 名 づ け た 名 幕 で あ つ て 彼 の 金 剛 峰 寺 定 額 な る 學 儒 の 團 隊 ご 云 ふ 意 味 で あ る。 さ れ ば 此 の 學 侶 な る も の が、 眞 言 宗 事 相、 数 相 を 保 持 継 績 し、 高 野 山 の 敷 禮 を 傳 承 す る の で あ る。 高 野 山 は 大 師 御 入 定 後、 其 の 御 遺 告 に 任 せ て、 遺 弟 眞 然 俗 正 ( 實 は 法 孫 に 當 る が ) が 剛 山 を 緩 承 し 山 上 一 切 の 法 務 を 統 べ ら る、 事 こ な り、 爾 來 法 寳 を 閲 揚 し て、 師 身 嫡 々 事 教 の 爾 相 を 研 鑛 修 練 し、 大 小 の 法 會 を 嚴 修 し、 專 ら 鎭 護 國 家 の 叡 願 に 慮 へ、 其 の 論 義 講 冠 の 席 に は 沸 明 佛 陀 の 擁 護 を 恭 ふ し て ゐ る。 然 し 此 れ が 一 つ の 修 學 の 禮 系 こ な つ て、 定 ま れ る 一 つ の 方 規 階 位 こ な つ 泥 の は 承 和 二 年 八 月 廿 日 に 勅 許 を 得 た 三 業 度 入 の 官 符 で あ ら う。 勿 論、 眞 言 宗 こ し て は、 此 れ よ り も 以 前 に、 既 に 大 師 が 東 寺 に 於 い て、 三 業 を 定 め、 眞 言 宗 五 十 人 の 定 額 を 定 め て 修 學 練 行 の 恒 式 こ し て ゐ ら れ る (弘 仁 十 四 年 十 月 十 臼 の 官 符 ) の み な ら す、 承 和 二 年 正 月 に 箕 言 宗 定 額 五 十 口 の 内 を 以 て、 東 寺 三 綱 に 宛 つ る の 官 符 を 賜 ひ、 重 ね て、 三 業 度 人 の 官 符 を ば 同 月 二 十 二 日 に 賜 ひ、 毎 年、 金 剛 頂 喩 伽 経 業 一 人、 大 毘 盧 遮 那 成 佛 維 業 一 入、 聲 明 業 一 入 の 年 分 度 者 を 抜 擢 し、 復 眞 言 宗 所 學 の 経 典 維 規 を 定 め て 後 格 ご さ れ し も、 高 野 山 こ し て は、 承 和 二 年 秋 八 月 の 官 符 を も つ て 最 初 こ す。

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大 師 は 弘 仁 十 四 年、 朝 廷 よ り 東 寺 を 賜 ひ て、 眞 言 宗 の 根 本 道 鳩 こ せ ら れ た、 け れ ざ 修 藤 の 定 窟 で あ り、 末 徒 練 行 の 静 観 所 た る 高 野 山 が、 徒 に 荒 腰 し て、 所 學 の 徒 の 來 る な く、 塞 し く 狐 狸 の 集 窟 化 せ ん こ ご を 慮 り、 東 寺 ご は 別 に、 高 野 山 に も 三 業 度 人 の 聴 許 を 得 ん こ せ ら れ だ。 私 は こ れ を も つ て、 東 寺 よ り 濁 立 し た 一 個 の 敷 會 を 成 立 せ し む る に 到 る 基 と 考 へ る の で あ る。 勿 論 大 師 當 初 の 目 的 は、 彼 の 御 遺 告 に ﹁ 夫 以 件 宗 分 度 者 須 如 初 思 試 度 東 寺、 然 而 欲 不 命 荒 山 家 更 改 奏 官 符 欲 申 下 金 剛 峯 寺 者 也。 敢 猷 東 寺 汲 南 嶽 哉 ﹂ 云 々 (遺 告 諸 弟 子 等 の 第 十 六 條 ) ご あ る 意 趣 に 相 違 な く、 全 く 東 寺 を 獣 ふ て 南 山 の 濁 立 を 劃 せ ら れ 把 鐸 で は な い。 故 に 大 師 は 實 慧 大 徳 を 以 て 諸 弟 子 の 依 師 長 者 と な し。 東 寺 長 者 を ば 專 ら 其 の 師 表 ご 仰 ぐ べ き 旨 を 提 捌 せ ら れ だ。 高 野 臨 の 如 き も、 大 師 御 入 定 後 は 實 慧 大 徳 が 後 見 役 こ し て 一 出 を 統 治 し て ゐ ら れ、 伽 藍 の 興 隆、 敷 學 の 登 展 等 一 切 の 事 は 此 の 大 徳 に 依 つ て 取 り 行 は れ て ゐ た。 さ れ ば、 高 野 山 に 此 の 三 業 度 人 の 官 符 が 到 來 し た 時 も、 大 徳 は、 東 寺 の 長 者 こ し て 傳 法 會 を ば 山 上 に 假 立 し て、 眞 縄 庄 薗 を 寄 附 し て、 佳 山 の 僧 侶 を 教 授 し、 修 學 練 行 を 働 ま し て ゐ ら れ る。 從 つ て、 共 の 常 時 の、 高 野 山 ざ 東 寺 ご は 全 く 混 融 一 味、 何 等 毫 末 の 差 別 も 存 し な か つ だ。 然 る に 大 師 の 御 遺 告 に 依 つ て、 一 山 を 縫 承 し 給 ふ 陀 眞 然 俗 正 が、 專 ら 山 務 を 執 行 ( 山 務 執 行 は 承 和 み 二 年 丙 辰 正 月 よ り で は あ る が、 然 し 其 の 當 初 は 決 し て 別 立 の 考 へ が な い。 ) せ ら る、 に 到 り、 此 の 傳 法 高 野 山 興 膜 の 数 會 史 的 研 究 一 八 七

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尚 野 山 興 廃 の 教 會 史 的 研 究 一 八 八 會 に 樹 し て も 亦、 別 に 新 院 を 建 立 し て 田 薗 を 寄 せ、 大 い に 二 季 の 傳 法 會 を 興 し、 式 を 作 つ て 學 徒 を 勘 誘 せ ら る、 や 一 由 の 敷 學 は 大 い に 其 の 光 輝 を 増 し、 八 葉 山 上 の 擢 輿 こ な つ て、 住 侶 も 激 増 し、 達 識 龍 象 の 輩 出 も あ つ て、 後 家、 所 謂、 高 野 山 猫 特 の 教 會 を 成 立 す る 基 礎 こ も な る べ き、 金 剛 峰 寺 座 圭 職 の 奏 講 こ な り、 寛 導 元 年 十 二 月、 権 少 僧 都 壽 長 師 を 以 て 第 一 座 圭 に 補 任 す る に 到 つ た の で あ る。 膏 野 山 は 期 く し て、 東 寺 か ら 別 立 し 陀 敷 階 制 度 を 作 り、 學 娼 の 基 礎 を 固 め、 爾 來 山 上 正 統 振 の 敷 學 保 持 漕 こ し て 永 く 打 ち 績 く の で あ る が、 然 し、 此 の 教 階 制 度 も 多 少 の 愛 輻 合 離 の 歴 史 的 煩 累 を 脱 す る こ ご は 出 來 難 い。 此 の 瓢 は 更 に 章 を 別 に し て、 座 主 次 第 や 槍 校 職 の 設 置 に 關 す る 史 實 を 墾 照 し て 述 ぶ る こ ご、 す 。 次 に 高 野 山 の 敷 階 制 度 に 於 け る 第 二 の 行 政 者 ﹁ 行 入 ﹂ の 起 源 に 就 い て 繍 あ る が、 彼 の ﹁ 考 信 録 ﹂ の 五 に は 高 野 元 は 學 侶 の 剛 派 な り し が、 大 治 五 年 庚 戊 よ り 行 人 方 始 ま り、 貞 懸 三 年 甲 申 よ り 聖 方 起 れ り 。 ( 乃 至 ) 行 八 叉 承 仕 と 云 ふ 。 又 は 六 番 衆 、 世 間 者 條 と 云 ふ 。 も こ 、 學 侶 方 法 事 修 行 の 節 、 承 仕 の 役 を 勤 め し 輩 に し て 今 に も 其 の 式 あ り 電 ぞ 。 興 山 寺 を 主 領 こ し て 、 次 に 組 頭 六 人 あ り 、 自 ら 六 役 と 名 つ く 。 ざ あ る 。 既 れ は 奥 院 興 贋 記 や 高 野 春 秋 に も 誌 す 所 で あ つ て 、 春 秋 に は 此 の 年 六 月 の 條 に ﹁ 奥 院 始 定 置 三 口 承 仕 番 僧 、 命 司 勤 常 燈 香 花 佛 鏑 等 之 諸 作 也 。 ﹂ ご 記 載 し て ゐ る 。 さ れ ば 高 野 山 行 人 方 の 起 源 は 、 此 れ ら の 記 録 に て は 大 治 五 年 に 始 ま る ご せ ね ば な ら 漁 。 け れ ご 此 れ

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の、

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高 野 山 興 屡 の 教 曾 史 的 研 究 一 九 〇 り、 次 い で 學 侶 行 人 の 間 に 訴 訟 の 事 が あ つ て、 逡 に 或 は 遠 流 さ れ、 或 は 放 逐 さ れ て、 一 時 山 上 は 行 入 一 佛 の 状 態 こ な り、 新 た に 成 立 せ し も の 二 百 入 十 人 に 到 つ た こ さ へ 云 は れ て ゐ る。 ご に か く、 行 人 は、 山 上 一 切 の 俗 務 を 預 り、 出 納、 螢 繕 等 は 勿 論 の こ ご、 寺 領 の 支 配 か ら 諸 堂 の 普 請 や 學 侶 學 生 の 身 の 廻 り の こ ご な ざ 経 濟 問 題 に 關 す る 一 切 の 事 柄 は、 悉 て 行 人 の 職 務 こ な つ て ゐ た か ら、 學 侶 ご 錐 も 此 の 一 涙 に は 常 に 一 歩 を 譲 つ て ゐ る の 域 が あ り、 叉 事 實 に 於 い て 高 野 山 の 諸 堂 肚 が 斯 ぐ 迄 に 登 達 し、 其 の 設 備 が 完 備 し た の は 此 れ ら 僧 徒 の 働 き に 寄 る も の こ 見 ね ば な ら ぬ。 次 に は、 高 野 山 徒 三 階 中 の 最 下 位 に 當 る ﹁ 聖 方 ﹂ で あ る。 聖 方 は 即 ち 非 事 吏 方 で あ つ て、 高 野 山 徒 で は あ る が 山 務 に は 預 ら ぬ 客 分 ( 詳 し く は 山 上 寄 棲 の 徒 ) こ も 云 ふ べ き も の で、 彼 等 非 事 吏 方 自 身 に 云 は し む る な ら ば、 大 師 の 高 野 山 開 創 と 共 に 登 山 し、 否、 そ れ よ り 以 前、 役 小 角 が 大 峯 山 を 開 い た 當 初 か ら、 此 の 山 に 留 つ て ゐ た も の で 所 謂 六 坊 小 路 の 名 幕 も 残 し 爾 來 高 野 山 の 霊 山 な る こ ご を 一 般 世 間 に 布 激 宣 傳 し て、 眞 言 敷 義 を 閲 揚 し、 山 光 を 輝 か し た こ 云 つ て ゐ る。 然 し 恐 ら く 其 の 起 源 は も う 少 し 後 世 に あ る も の こ 見 ね ば な る ま い。 此 れ に 就 い て 上 記 ﹁ 考 信 録 ﹂ 五 に は 明 遍 上 人 入 寂 の 年、 貞 慮 三 年 を 以 て 其 の 起 源 こ し て 居 り、 叉 高 野 山 學 侶 方 の 寵 録 は 癒 保 二 年 壬 午、 明 遍 上 人 が 十 九 歳 で 登 山、 山 内 蓮 花 谷 に 於 い て 棲 息 し た に 始 ま る と し て ゐ る、 そ し て 高 野 山 塗 方 の 全 盛 期 は 丁 度 此 の 時 代 に な る。 即 彼 の 保 元 李 治 の 働 後 か ら 源 挙 の 盛 衰

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季 家 滅 亡 の 壽 永 年 間 に 到 る ま で の 間 が 最 も 隆 盛 を 極 め、 紀 州 荒 河 に は 美 煽 門 院 が あ つ て、 高 野 山 の 信 仰 に 終 始 せ ら れ、 山 上 に は、 西 行 法 師 も 登 り、 後 に 入 道 し て 寂 阿 ご 號 せ ら れ 花 五 條 三 位 俊 成 卿 も 登 山 せ ら れ 宰 相 入 道 成 頼、 瀧 口 入 道 頼 時 等 も あ り、 阿 波 守 宗 親 等 二 十 四 人 の 蓮 肚 も あ り、 降 つ て は 源 頼 朝 の 三 男 貞 曉 法 印 や、 此 れ を 尋 ね て 來 隠 し た 葛 山 五 師 崇 倫 の 願 性 な ご が あ る の み な ら す 彼 の 法 然、 親 鶯 一 遍 の 徒 の 如 き 澤 土 を 希 ふ も の や 金 剛 三 昧 院 の 法 燈 國 師 行 勇 の 法 流 を 尊 重 し て 座 繹 糊 法 の 席 に 佳 せ ん ざ す る 秋 田 城 之 介 や 法 華 八 軸 に 頼 つ て 日 蓮 の 大 志 を 遽 げ ん こ す る の 徒 な ざ が 入 り 混 つ て、 山 上 は 宛 然 一 大 佛 敷 山 の 観 を 呈 し、 畳 鍵 上 人 が 離 山 し た 大 傳 法 院 の 跡 は 此 ら 聖 僧 の こ よ な き 天 惑 の 佳 居 ご 代 っ て ゐ る。 然 し 私 は 強 ち に 明 遍、 静 遍 爾 上 人 を 以 て 此 の 聖 方 の 粗 師 起 源 ご は 考 へ な い 。 何 ん と な れ ば、 元 來 聖 僧 な る も の は、 一 山 の 寺 務 山 務 ご は 全 く 關 係 な き、 來 隠 遁 世 の 徒 で あ り、 流 浪 放 縫、 唯 に 一 所 不 佳 に し て、 野 山 の 鑑 を 説 き 乍 ら 寺 門 與 隆 の 資 財 を 勧 化 す る も の で あ る か ら、 彼 等 に は 一 つ の 組 織 的 な 制 度 な ご は な い の で あ つ て、 此 の 意 味 か ら 見 れ ば、 承 李 三 年 に 大 塔 修 補 の 大 願 主 こ な り 大 勧 化 を 試 み た 李 珍 も そ れ な る べ く、 又 少 し 其 の 意 昧 を 異 に は す る が 長 和 五 年 に 登 山 し て 奥 院 を 瓢 槍 せ ら れ だ 定 轡 所 親 上 人 も 之 れ に 加 へ れ ば、 加 へ ら れ な い 事 も な い か ら 私 は 強 ち に 聖 方 の 起 源 な ご を 定 め な い 方 が よ い ご 思 ふ。 さ て 聖 方 は 上 述 の 如 く、 其 の 當 初 は 何 等 定 ま つ た 方 規 制 定 も 設 け す、 唯 に 隠 棲 流 浪 の 一 生 涯 中、 假 高 野 山 興 塵 の 敏 會 爽 的 研 究 一 九 一

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高 野 出 興 腱 の 教 會 史 的 研 究 一 九 二 り の 宿 を 假 り に 高 野 山 ご 定 め て、 大 師 の 廣 大 な 恩 徳 に す が う、 其 の 偉 大 な 書 光 を 背 に 憺 ふ て 諸 國 行 脚 の 族 を 綾 け て ゐ だ の で あ る が、 そ れ が 鎌 倉 時 代 に 及 び て、 釜 々 其 の 敷 を 増 加 し、 逡 に は 一 つ の 教 團 を も 組 織 す る 迄 に な つ だ の で あ る。 即 ち 彼 の 二 十 四 人 の 蓮 肚 や 萱 堂 一 山 の 如 き 結 枇 が そ れ で あ つ て、 此 の 聖 方 の 歴 史 を 述 ぶ る 事 は 高 野 山 史 中 嘱 番 興 味 の あ る 問 題 で あ り、 且 つ 高 野 山 が 近 年、 一 年 問 に 百 数 十 萬 乃 至 二 百 萬 の 墾 詣 者 を 集 め て ゐ る の も、 復、 大 師 は 弘 法 に 取 ら る 等 ご 我 が 耐 弘 法 大 師 を 全 國 的 に 宣 傳 し た の も 皆 此 の 聖 僧 の あ つ た が 爲 め こ す。 以 上、 高 野 山 上 に 於 け る 學 侶 行 人 非 事 爽 の 三 階 位 の 起 源 ご 其 の 職 位 の 大 燈 に 就 い て 略 記 し た が、 然 し 高 野 山 の 敏 階 制 度 は 斯 く 軍 純 な 記 録 に 依 つ て 察 知 せ ら る べ き も の で は な い。 故 に 更 に 章 を 頒 ち 項 を 劃 し て 此 れ が 詳 述 に 移 ら ね ば な ら の。 第 一 節 學 侶 の 位 階 と 職 嚢 高 野 山 の 學 侶 な る も の は、 大 騰 上 述 の 如 く な る も、 其 の 學 侶 の 斑 列 に 獅 は、 る 爲 め に は 先 づ 交 衆 分 ざ て 高 野 山 大 衆 の 僧 籍 に 編 入 さ れ ね ば な ら ぬ、 そ の 信 籍 名 簿 は 十 入 番 ご 云 ふ 役 位 に あ る 人 々 の 評 定 に 依 つ て 年 二 度 改 定 せ ら れ る、 然 し て 高 野 山 大 衆 の 信 籍 に 加 入 せ ら れ ん こ す る も の は、 師 こ す ぺ き 龍 象 を 揮 ん で 師 資 の 契 約 を 結 び、 然 る 後 に 金 剛 峯 寺 繕 へ 届 け 出 る。

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往 年 は 此 の 交 衆 分 に 編 入 さ れ て ゐ る 信 徒 約 千 人 も あ つ た ご 傳 へ ら る。 此 の 入 籍 の 年 次、 薦 位 其 の 他 の 方 法 に 就 い て は、 常 佳 入、 繋 住 入、 客 入、 十 五 掛、 十 七 掛、 二 十 一 掛、 御 影 堂 預 り 等 の 七 種 の 方 法 が あ つ た。 右 の 七 種 僧 籍 加 入 法 中、 第 一 の 常 佳 入 ご は 高 野 山 學 侶 衆 へ 瀦 へ ら れ る に 最 も 正 當 な 順 序 を 経 た 交 衆 法 で あ つ て、 先 づ 高 野 山 修 正 會 の 稚 見 を 勤 め て 後、 寺 務 職 に 随 つ て 出 家 し、 最 初 は 自 色 の 室 砲 を 着 し 内 談 議 の 間 者 を 勤 め て よ り 黒 衣 に 改 め、 其 の 後 修 正 會 の 出 仕 を ぱ 満 九 年 間 勤 め あ げ て 二 十 一 掛 交 衆 競 望 者 の 上 座 に 列 す る も の、 謂 で あ る 。 さ れ ば 此 の 常 佳 入 の 交 衆 者 は 多 く 名 門 の 家 柄 に 生 れ 驚 入 で あ つ て、 高 野 山 の 槍 校 法 務 座 圭 等 の 顯 職 に 就 く 人 に は 此 の 種 の 交 衆 者 に 多 く あ つ た 様 で 此 れ は 彼 等 常 佳 入 者 が 正 統 寺 務 職 の 徒 弟 で あ る ば か り で な く、 且 つ 其 の 生 家 の 背 景 も あ つ た の で あ ら う。 次 に は 兼 佳 入 交 衆 者、 此 れ は 前 の 常 住 入 者 が 修 正 曾 の 稚 兜 を 勤 め、 寺 務 職 を 師 ご 定 む る に 欝 し て、 そ れ ら の こ ご を 勤 め す、 寺 務 職 以 外 の 山 内 一 般 佳 職 ( 此 の 頃 は 強 ち 寺 院 佳 職 ご は 云 は す 寧 ろ 山 籠 入 寺 阿 闊 梨 ご 職 位 名 を 呼 ひ な す の が 例 と な つ て ゐ る 。 ) の 徒 弟 巴 な り、 其 の 他 は 彼 の 常 住 入 者 ご 同 等 の も の で あ る。 其 の 生 家 の 如 き も 多 く は 剛 般 武 家 で あ つ て 公 卿 等 名 門 の 出 は 少 な か つ た 様 で あ る。 次 は 客 入、 寺 家 院 厚 の 弟 子 が 剃 髪 す る 時 に 爾 門 中 評 定 席 各 一 入 宛 を 請 待 し て 得 度 せ し 事 の 謹 明 を 受 け、 度 牒 の 折 紙 を ぱ 年 預 の 黒 箱 に 納 め 置 い て 後 或 る 時 機 を 待 て 交 衆 し、 學 侶 の 衣 禮 に 改 め、 其 の 時 銀 高 野 山 興 腰 の 教 會 史 的 研 究 一 九 三

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高 野 山 興 旗 の 敏 會 史 的 研 究 一 九 四 五 爾 を 年 旗 へ 差 し 幽 し て 大 衆 物 こ な し、 已 後 年 々 修 正 會 の 出 勤 十 年 に 及 ん で 二 十 一 掛 の 上 座 に 列 す る 此 れ は 恐 ら く 比 較 的 後 世 に 出 來 た 交 衆 競 望 の 方 法 で あ ら う と 思 は れ る、 或 は 鷹 永 大 成 以 後 の も の か。 次 に 十 五 掛 ご は 得 度 の 後 十 五 歳 に し て 交 衆 競 望 を な し、 其 の 式 ほ に は 衆 坊 の 役 僧 が 相 副 え 詳 席 の 衆 中 に 謁 見 し、 其 の 八 陀 ち の 許 容 を 経 て 血 判 起 請 文 に 添 え 衆 銀 五 枚 を 提 出 し、 衣 を 換 へ て 修 正 會 の 出 仕 四 年 に 及 ぶ の 後、 其 の 春 二 十 一 掛 の 上 座 に 列 席 す る を 許 さ れ る、 後 世 行 は れ た 十 七 掛 や 二 十 一 掛 と 共 に 地 方 分 信 侶 が 高 野 山 の 學 偲 に 加 入 す る 時 の 便 宜 法 の に 供 せ ら れ 陀 も の で あ る。 次 に 十 七 掛 と は 大 禮 十 五 掛 に 等 し い の で あ つ て、 異 る 所 は 彼 は 修 正 會 の 出 仕 が 四 年 で あ る に 甥 し て 此 れ は 二 年 で 交 衆 競 望 を な し 得 る に あ る。 次 に 二 十 一 掛 は、 多 く 高 野 山 以 外 の 僧 侶 が 高 野 山 僧 侶 ご な る こ ご を 希 望 す る 時 に の み 設 け ら れ 泥 便 宜 法 で あ つ て、 修 正 會 の 行 道 衆 こ な り 直 ち に 交 衆 競 望 を な し 得 る も の を 云 ふ の で あ る。 從 っ て 此 の 二 十 一 掛 の 競 望 者 は 多 く 年 次 も 老 け、 學 問 も 修 行 も 共 に 功 を 積 み 勢 を 経 だ も の が 多 く、 高 野 山 史 に 現 は れ る 英 適 な 僧 侶 に は 此 の 種 の も の も 頗 る 多 い 様 で あ る。 最 後 に 御 影 堂 預 で あ る が、 此 れ は 大 禮 に 於 い て 二 十 一 掛 に 等 し い 。 然 し 最 初 か ら 非 學 衆 で あ つ て 論 議 法 談 の 席 に 列 す 為 事 は 出 來 す 其 の 位 階 昇 進 の 順 序 も 彼 等 常 佳 入 等 六 種 の 競 望 着 こ 同 一 で な い。 高 野 山 で は 御 影 堂 の 大 師 供 御 の 爲 め に 其 の 後 見 坊 三 箇 院 が 各 々 一 人 宛 の 給 仕 僧 を 扶 持 し て ゐ る、 其

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の 扶 持 僧 が 即 ち 御 影 堂 預 で あ つ て、 交 衆 競 望 の 時 に は 衆 銀 五 爾 を 提 出 し ( 他 は 二 十 一 掛 に 等 し 。 ) 交 衆 の 初 め か ら 直 ち に 御 影 堂 の 内 陣 へ 幽 入 す る 事 を 許 さ れ る も 退 役 し て よ り 後 阿 閣 梨 位 迄 内 陣 に 入 る 事 を 禁 せ ら れ る は 他 の 學 侶 に 等 し い の で あ る。 さ て 以 上 七 種 の 交 衆 競 望 者 中、 第 七 の 御 影 堂 預 り は 爽 學 衆 で あ る か ら 論 外 な れ ご、 他 の 者 は 悉 て 能 化 の 指 南 を 受 け、 講 論 談 義 の 席 に 渕 し 敷 義 の 研 究 を す る。 然 し て 其 最 初 の 階 段 を 下 座 ざ 云 ふ。 下 座 ご は 學 道 練 行 最 初 の 所 化 で あ つ て、 此 れ を 濟 ま せ ば 次 に 昇 口 に 昇 進 す る。 昇 口 ご 云 ふ は 中 古 権 學 衆 ご 構 し 學 頭 通 題 の 席 上 に て 壽 門 寳 門 の 爾 門 中 か ら 各 十 人 宛 撰 墨 し て 佳 山、 法 談 の 席 に 列 せ し め、 内 談 義 に 出 仕 せ し め、 初 三 日 は 問 答、 其 の 後 は 難 答 の 領 解 等 闘 如 な く 勤 む べ き で あ る。 若 し 此 の 内 談 義 十 同 間 の う ち、 病 氣 と 雌 も 鉄 席 三 日 間 に 及 べ ぱ 非 學 衆 に 落 す ご 云 ふ 嚴 格 さ で あ る。 其 の 代 り、 十 日 の 問 答 を 了 り、 問 答 脇 や 最 勝 講 十 題 の 間 者 を 勤 め 所 定 の 年 期 を 経 だ も の は 即 ち 高 野 山 の 學 侶 こ し て 公 認 せ ら れ、 初 め て 一 人 前 の 能 化 と し て 諸 國 の 講 師 に も 任 せ ら れ、 山 内 諸 種 の 役 儀 に も 補 任 せ ら れ る。 延 慮 元 年 十 二 月 二 十 一 日 の 高 野 山 検 校 良 任 師 の 寺 家 三 ヶ 條 置 文 (寳 簡 集 三 十 七 ) に は 寺 官 畢 状 の 事 を あ げ て 次 の 如 く 謂 ふ 。 一、 寺 官 塞 欺 事 右 寺 官 者、 佳 山 之 前 途、 交 衆 之 所 期 也。 傍 撰 定 修 學 聲 明、 佳 山 夏 膳 等 器 量、 可 畢 寧 之、 全 不 可 鋏 高 野 山 興 塵 の 教 會 史 的 研 究 一 九 五

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高 野 山 興 顧 の 教 曾 史 的 研 究 一 九 六 親 疎 矯 飾 之 思、 補 任 既 被 行 憲 政、 吹 巻 豊 存 偏 頗 乎。

(綴 寳 簡 集 三 十 三 ) ( 第 二 百 五 十 二 號 ) に は 次 の 如 く 記 載 し て ゐ る。

剋、

期、

汰、

間、

之、

者、

廿

後、

廿

春、

非、

迦、

儀、

衆、

廿

後、

冒、

者、

書、

覧、

命、

者、

事。

圃、

奉、

々、

鰺、

鵬、

云、

者、

廿

前、

奉、

廿

着、

縁、

計、

露、

廿

事。

一、

條、

麺、

知、

之、

者、

事。

々、

隆、

而、

同、

也、

事、

件。

廿

遍、

然、

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概 文 で あ つ て、 右 二 ケ 條 の う ち、 初 め は 常 佳 入 等 普 通 の 交 衆 出 入 の 親 定 で あ う、 次 は 二 十 一 掛 等 横 入 者 の 交 衆 規 定 で あ る。 然 し て 此 れ は 叉、 交 衆 者 出 入 昭 附 の 鍵 更 を 規 定 し だ 置 文 な れ ご 交 衆 競 望 に 關 す る 内 容 の 圃 端 は 窺 ひ 知 ら れ や う。 さ て 斯 様 に し て 一 度 交 衆 競 墾 し、 高 野 山 學 侶 の 列 に 斑 す る と、 此 れ よ う 仲 座、 十 人 番、 六 供、 三 十 人、 三 昧、 入 寺、 山 籠、 阿 闊 梨、 巳 灌 頂、 護 書、 十 聴 衆、 竪 精、 一 二 薦、 左 右 學 頭 な ご の 階 位 職 務 を 果 し て 終 に 晶 山 の 寺 務 を ば 槍 校 執 行 す べ き 法 印 大 和 省 位 に 纒 み 一 山 を 支 配 す る こ ざ ゝ な る。 此 の 内、 交 衆 競 望 の 初 め か ら 六 供 に 到 る 間 は 絶 封 に 下 山 を 許 さ れ 澱。 若 し 止 む な き 傷 合 に て 下 山 す る 時 は 寺 蛸 へ 超 講 文 を 附 し て 届 出 ね ば な ら 澱 し、 叉 届 出 の 日 限 に 到 る も 術 蹄 山 せ ざ る 時 は 所 謂 落 供 こ て 十 人 番、 (或 は 五 人 番 が 執 り 行 ふ ) に 於 い て 之 れ を 評 定 し、 縦 し 其 の 人 が 三 十 人、 入 寺、 阿 闇 梨 等 の 座 位 に 進 む 事 が あ る こ も 補 任 の 式 を 差 控 へ る 事 こ な つ て ゐ る、 然 し て 又、 此 の 交 衆 分 の 徒 が 毎 年 の 學 道 修 行 に は 是 非 こ も 出 仕 す べ き の み な ら す、 其 の 他 の 座 役 も 不 墾 三 季 以 上 に 及 ぷ 時 は 所 謂 非 學 衆 に 追 ひ 下 し て 岡 般 學 侶 の 斑 列 か ら 除 籍 す る 事 に な つ て ゐ る 。 今 正 否 十 五 年 入 月 十 四 日 の 新 學 皆 参 麗 文 案 ( 又 績 寳 簡 集 七 十 二、 第 一 三 一 九 號 の 文 書 ) を 見 る に、 赫 學 皆 参 畳 文 一 皆 墾 之 時、 遠 國 下 向 人、 欲 罷 登 之 慮、 所 勢□□□□ (歓 字 ) 超 請 文、 向 後 一 向 可 被 停 止 此 句 歎、 不 高 野 山 興 塵 の 教 會 史 的 研 究 一 九 七

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者、

入、

者、

後、

文、

衆、

者、

腱、

勢、

由、

者、

勢、

由、

事。

時、

着、

衆、

者、

勤、

者、

役、

合、

事。

墾、

間、

仕、

少、

重、

者、

儀、

者、

日、

参、

者、

々、

隆、

者、

也、

者、

王、

紳、

紳、

紳、

於、

件。

て、

(言

)

が、

早、

り、

る。

は、

め、

し、

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或 は 寺 法 に 違 犯 せ る も の に 封 し て は 落 供 の 威 分 を な す を 以 て 其 の 任 務 こ し て ゐ る 。 此 の 十 入 番 よ り 三 十 入 以 下 の 階 位 に あ る も の 六 入 を 撰 繹 し て 所 謂 六 供 に 任 す る 事 こ な つ て ゐ る。 六 供 に な る と 他 所 へ 行 く 等 下 山 の 事 も 自 由 で は あ る が、 然 し 露 山 の 上 は 必 ら す 十 人 番 の 月 番 に 届 出 を せ ね ば な ら 漁。 著 し 痴 れ を 怠 る 時 は 落 供 ご な り、 其 の 僧 名 の 上 に ﹁ 無 供 ﹂ の 二 字 を 冠 せ ら れ て 所 謂 上 述 の 如 く 三 十 入、 入 寺、 阿 闊 梨 等 の 座 位 に 進 級 す る こ も 補 任 の 式 な く、 供 詰 の 登 山 も 不 要 鷲 な る の で あ る 。 次 に は 三 十 人、 此 れ は 上 に も 一 言 せ し 如 く、 所 謂、 謂 口 役 の 事 で あ つ て、 一 由 の 世 間 齪 琶 間 副 切 の 事 柄 を 監 督 す る 重 大 な 役 儀 を 受 持 つ 當 今 世 間 に 所 謂 警 視 磨 の 様 な 仕 事 を 受 持 っ も の で 其 の 監 督 す る 範 園 も 頗 る 震 く、 若 し 便 宜 に 任 せ て 之 れ を 箇 條 書 に す る な ら ば 次 の 如 き 役 日 ど 其 の 範 園 ざ を 持 づ こ ざ に な る。 一、 一 山 衆 徒 は 交 衆 分 よ わ 老 分 に 到 る ま で 悉 て 三 十 人 の 監 督 治 下 に あ る こ と 。 一、 三 十 人 は 山 上 一 切 の 事 役 を 監 督 し、 僧 徒 の 威 儀 作 法 よ り 學 道 修 行 の 出 仕、 法 義 法 作 の 嚴 儀 よ り 僧 徒 所 作 の 法 不 法 を ぱ 山 上 山 下 何 れ の 瘍 所 た る を 間 は す 監 督 し、 も し 不 法 の 行 爲 あ る 時 は 忌 揮 な く 此 れ を 摘 螢 し 直 ち に 評 定 衆 の 議 題 に 載 せ て、 或 は 學 衆 よ り 之 れ を 除 き 或 は 落 供 と し て 威 罰 し 得 る 槽 能 の あ る こ と 。 一、 三 十 入 は 由 下 た り こ も 配 下 の 寺 院 に し て 宗 風 に 背 け る 等 の 風 説 あ る 時 は 直 ち に 是 れ を 糺 し 評 席 高 野 山 興 巌 の 敏 會 史 的 研 究 一 九 九

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高 野 山 興 藤 の 教 會 史 的 研 究 二 〇 〇 に 言 上 す る こ ご。 一、 三 十 人 の 役 に な り し 上 は、 監 督 上 必 要 と 認 め 陀 る 時 は、 何 れ の 傷 所、 如 何 な る 上 薦 上 席 の 人 騰 の 佳 居、 部 屋、 寝 室、 臥 時 た り と も 自 由 に 無 断 侵 入 し て 現 状 を 調 査 臨 検 し 得 る こ ご 〇 一、 三 十 人 は 山 上 山 下 一 切 の 信 徒 の 風 儀 を 取 締 る の み な ら す、 世 間 的 作 業 即 ち 寺 領 米 諸 供 料、 法 會 御 忌 の 料 足 等 経 濟 的 方 癒 の 監 督 は 勿 論、 寺 領 課 論、 山 徒 衆 僧 の 隔 執、 量 俗 者 の 闊 入、 暴 徒 の 暴 墨 等 一 切 の 事 を 調 査 詮 議 し て 此 れ を 評 定 衆 に 於 い て 協 議 の 上、 そ れ ぐ 所 漸 す ぺ き こ ご。 一、 三 十 入 は 叉 評 定 衆 の 決 議 に 於 い て 僧 徒 俗 入 の 所 罰 を な し 得 る ご 同 時 に、 交 衆 以 來、 在 山 修 行 練 磨、 山 の 佛 法 興 隆 に 資 し た る も の に は 褒 賞 の 事 を も 建 議 し 得 る こ と。 等 々、 要 す る に 山 上 山 下 一 切 の 世 間 出 世 間 の 事 柄 は 悉 て 此 の 三 十 人 の 監 督 治 下 に あ る こ ご、 な る。 さ れ ば 彼 の 寳 簡 集 三 十、 西 塔 水 論 の 憲 第 三 九 四 號 の 文 書 な ご に は、 寛 元 二 年 七 月 に 此 の 三 十 入 が 名 手 庄 丹 生 屋 村 相 論 に 就 い て 六 波 羅 の 探 題 へ 問 註 を 邊 つ て ゐ る ば か り で な く、 少 し 時 代 は 降 る が、 懸 永 頃 に は あ る 一 例 を 墾 考 す る ざ、 月 預 の 得 分、 年 貢 の 未 進 年 貢 牧 納 の 日 限、 年 貢 支 配 の 器 物、 毛 見 内 槍、 名 帳、 公 事 銭 の 催 促 な ご に 就 い て 詐 定 衆 の 決 定 し た 事 實 が ﹁ 又 績 寳 簡 集 ﹂ な 定 に 見 ら れ る の で あ る 。 さ て 三 十 人 と は 斯 く の 如 き 重 大 な 職 務 を 預 る 役 儀 で あ る が、 此 れ を 勤 め 上 げ る ご 次 に 三 昧 に 昇 進 す る 。 三 昧 は 常 在 役 で は な く、 必 要 に 雁 じ て 塔 堂 伽 藍 等 の 年 中 行 事 を 預 ら し む る の で あ つ て、 申 古 以 前

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