• 検索結果がありません。

中央学術研究所紀要 第42号 120武藤亮飛「宗教間対話の社会性と霊性 ─東西霊性交流を事例として─」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "中央学術研究所紀要 第42号 120武藤亮飛「宗教間対話の社会性と霊性 ─東西霊性交流を事例として─」"

Copied!
17
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

1.宗教間対話とは何か――問題の所在

 宗教間対話は、誰が、何のために行うものなのか。こういった問題は、意外なこと に、これまであまり突き詰めて問われてこなかった。宗教間対話は、歴史的に必然的 に必要とされるものであり、世界平和に寄与する良きものだから、という一般的なイ メージが暗黙のうちにあったり、あるいは、宗教者のサロンに過ぎないと批判され、 顧みられたりすることがなかったためである。  このような宗教間対話推進派/批判派の議論の、どちらがより実態を捉えた見方な のか、という関心から、本稿では、東西霊性交流をとりあげ、その発生時期の言説と 現在の言説の変化を見ることによって、対話の実態について考察を行う。宗教間対話 が「良きもの」であるのであれば、それをより一層「良きもの」とするための示唆が 得られることも期待している。  筆者は前稿で、宗教間対話を「内的宗教間対話」と「外的宗教間対話」の二極によ って理解することを提案した1。この区別は、いわゆる「宗教的」なことを話題とする 宗教間対話と、社会的なことを話題とし「宗教協力」(実際の行動)を目的とする宗教 間対話との対比を強調している。その目的は、宗教間対話という言葉で表されている 現象が、多様な形式で行われているにもかかわらず、あたかも一つの現象であるかの ように語られていることに対して、異を唱えることにあった。  宗教間対話を一面的に理解することの弊害は、それぞれの宗教間対話の要請理由が

― 東西霊性交流を事例として ―

武 藤 亮 飛

1.宗教間対話とは何か――問題の所在 2.宗教間対話は何故必要か――先行研究 3.社会貢献と霊性の追求 4.東西霊性交流の始まり 5.社会的問題意識と霊性の追求 6.交流の個人化――社会的文脈からの脱落 7.まとめ

(2)

異なること、すなわち宗教間対話によって求められることが異なるにもかかわらず、 全ての宗教間対話に同じ成果・目的や形式を要求することになるという点にある。つ まり、諸宗教と同様に、宗教間対話も多様であるにもかかわらず、その点が理解され にくい。更に言えば、宗教間対話の一面を取り上げ、宗教間対話の全体を否定する、 あるいは宗教間対話実践者が他の宗教間対話実践を批判するという、あまり建設的と は言えない状況に陥る可能性もある。  現在、諸宗教者が一堂に会する場や組織は全て「宗教間対話」と呼びうる状況であ る。そのような曖昧なものを一言でとりまとめて議論を行うことは、曖昧さの再生産 を超えない。論者によって想定する宗教間対話が様々であるということは、言い換え れば、宗教間対話を論じる基盤が存在しないということである。そこで、差し当たっ て、内的・外的の区別を用いることによって、宗教間対話を一つのまとまりとして捉 えると同時に、その多様性を区別して理解する一つの補助線になると筆者は考えてい る。  とはいえ、宗教間対話の多様性について理解している人はもちろん少なくなく、す でに分類を試みる議論もある。たとえば、対話の多様性を意識し、宗教間対話を「対 話」「協力」「霊性交流」の三つに区分する分類がある。これは、①宗教が協力して社 会貢献や平和活動を行うためにする対話である「協力」、②教義や真理について話し合 う「対話」、③言葉を使わず、互いの修行や生活を体験し合う「霊性交流」という区分 であり、目的と形態という二つの軸からの分類である2。この分類を行う理由は「「宗 教間対話」といえば「対話」の部分にばかり光があてられるといった現状の中で、「対 話」も「協力」も「霊性交流」も、すべてが「宗教間対話」として同等にあつかわれ るべきことを示すため」である3。つまり、その意図はできるだけ包括的に、広範に 「宗教間対話」を捉えることにあり、筆者の意図と同じく、その目的は宗教間対話理解 の偏りの是正にある。  しかし、この分類は目的と形式を(あえて)混同しているため、「対話」と「協力」 と「霊性交流」がどのような関係性を持つかは曖昧であり、分離されたもののように 理解される可能性もある。そこで筆者は、目的にのみ焦点を当て、「霊性交流」を「対 話」に含まれるものと考え、「対話」を「内的宗教間対話」、「協力」を「外的宗教間対 話」と名付けることで区別をすると同時に、その連続性(一つのまとまりであること) を示すことを試みた。  今まで、この内的/外的の区別や連続性が明示的に語られてこなかったことは確か である。本稿の目的は、その明示的に語られていなかった区別・連続性を基盤に、宗 教間対話の多様性を示すことにある。

(3)

2.宗教間対話は何故必要か――先行研究

 宗教間対話は何のためになされるべきか。具体的な例を検討する前に、宗教間対話 の必要性について、先行研究を概観してみる。  たとえば、ジョン・ヒックと共に宗教多元主義者として有名なポール・ニッターは、 宗教的な事柄について語り合う内的宗教間対話に対して批判的であり、社会のために 協働する外的宗教間対話を推進する。ニッターによれば、二つの「時のしるし」がキ リスト教徒に突き付けられている。一つ目は貧しい人々がたくさんいること、二つ目 は宗教がたくさんあることである。そこで、宗教者にとって必要なのはそういった貧 しい人々を救うこと(解放の神学)であり、そのためには諸宗教間の協働(宗教の神 学)が必要となる、とニッターは述べる。    解放の神学者達が主張するように、私達はまず多様性と対話を享受するためでは なく、苦難と抑圧を終わらせるために、外へ出て他者と会い、他宗教と出会う―― 慈善を行うだけでなくまず第一に正義を求めて働くためである。私達に告げられ ているように、正義は多元主義、対話、慈善にさえも優るものだ。……したがっ て対話は宗教的有閑階級の贅沢ではない。また……「もっとも本質的なもの」で もない。諸宗教間の対話は国際的な解放にとって本質的なのである。4  このような立場に立つニッターは、宗教間対話はあくまでも「解放」のために、「外 へ出て」行われるのであり、神学的な対話など必要としないのである。したがって、 ニッターにおいては「真理」の探求(内的宗教間対話)よりも宗教の協働(外的宗教 間対話)のほうが最優先事項として現われることになる5  同様に、デイビット・チャペルは宗教間対話を「グローバルな共同体建設への責任 という新たな意識に基礎付けられている」ものと考えている6。また芦名定道は「宗教 間対話とは、社会全体の直面する共通課題が諸宗教に対して課する要求」と考えてい る7。やや消極的に、Council for a Parliament of the World s Religionsの議長であるデビッ

ド・ラメージは、共通のプロジェクト(戦争防止など社会的・世俗的な事柄)を共に 行うほうが「宗教」について語り合うよりも、「より簡単でより生産的」であると述べ ている8。これらは、外的宗教間対話を論じたものと、まとめられる。  他方で、真理主張レベルでの対話(内的宗教間対話)を推進する人びともいる。現 代は「他者」が問題となる時代である。「他者」を自己と同化せず、かといって排除せ ず、無視せず、受容・共生していかなければならない時代といわれる。そのため、他 者=他宗教をどのように考えるのか、ということは宗教にとっては非常に大きな問題 として立ち現われる。それは他宗教が語る「真理」をどう位置付けるかという真理を 巡る問題であり、そういった問題をめぐって包括主義や多元主義といった様々な回答

(4)

がなされている。これら自己の信仰実践に関係する問題は、協働することでは解決さ れえない問題である。  こういった状況は、ある意味で求道的な対話を要請する。他宗教をどう考えるか、 位置付けるかという問い自体が対話の動機となり、その回答を求めることが目的とな る。たとえば曹洞宗の峯岸正典は自己の宗教間対話を「求道としての宗教間対話」と 明示している9。こういった「真理」をめぐるものとして、内的宗教間対話は実践、推 進されている。あるいは、キリスト教と仏教に限って言えば、神学者である延原時行 は両者の対話を「西洋対東洋」と理解し、宗教間対話が「キリスト教絶対主義(Exclu-sivism)の反省」から起こっていると指摘する。したがって、対話へと向かうキリス ト教の運動は「もはや東洋にただキリスト教への改宗を促すことは……実際的に得策 ではないのみならず、神学的に純正(authentic)ではないのではないか――という深 刻な自己批判の動きである」10。他にも、対話はキリスト教の新しい自己理解・他者理 解を巡るものと理解する論者もいる11  ピーター・L・バーガーもまた内的宗教間対話を推奨している。バーガーは、宗教 は近代あるいは「時代精神」と闘うのではなく、「人間のあらゆる宗教的可能性との格0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 闘0 」をすることを推奨している。必要なことは、「みずからの伝統をしっかりと自覚0 0 し、現代文化の不協和音と現代の世俗性がもつ諸々の前提にたいして一定の批判的な 距離を置くことなのである」12。これは時代に宗教が合わせていく(自己売却する)の ではなく、むしろ自己の伝統から時代に対して批判的な態度を取り続ける、というこ とである。バーガーは伝統を自覚し、時代に対して批判的距離を取るための方法論と して、宗教界内での闘争、真理主張のレベルで(教義などについて)諸宗教が対話を すること、つまり内的宗教間対話を推奨するのである。そこにバーガーは、宗教が存 続・刷新していく道を見出している13。そういった宗教間対話をバーガーは「教論 (contestation)」と呼び、「他の宗教的可能性と真理主張の次元でお互いに心を開いた出0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 会いをすること0 0 0 0 0 0 0 」と定義している14  これら内的・外的を対比する立場とは別に、より積極的に両者を組み合わせて、内 的宗教間対話が社会的問題解決(外的宗教間対話の目的)のために必要だとする議論 もある。ハンス・キュンクは、このような他宗教をどのように考えるのか、自己とど のように関連付けるのか――いわゆる真理問題――が、「諸宗教間における相互理解や 平和運動を促進するための根本的な問題」だと考えている15。そして、キュンクは「真理 問題における真の解明なしには諸宗教間における真の平和を実現することは不可能で ある」16と考え、こう宣言する――「宗教間の平和なくして国家間の平和はない」と17  しかし、真理問題について対話することがなぜ宗教間の平和へとつながるのか、自 明ではない。真理問題を取り上げることは、上記で見たように「有閑階級の贅沢」と して批判される、あるいは真理問題についての対話はむしろ、協働を妨げると考えら

(5)

れる場合がある。たとえば、イスラーム研究者である鎌田繁は「互いの教義を詮索す ることは、むしろ実践の次元で平和的に共存している諸宗教に紛議の種をまくこと」 になると批判的に述べる18  また内的宗教間対話に参加する宗教者自身、内的宗教間対話に対して自己批判的な ことがあり、「宗教間対話を通して社会貢献をしなければならない」(外的宗教間対話 を行うべき)と考えてしまうのである。たとえば、内的宗教間対話の例として後にあ げる東西霊性交流において、主催者側の立場にいた奥村一郎は、「大半のキリスト信者 には、〔東西霊性交流は〕大して役にも立たないゼイタクなあそび、と思われていよ う」「二回にわたる霊性交流そのものは、今のところ、生活体験の分ちあいにとどまっ た」と反省的に述べている19

3.社会貢献と霊性の追求

 以上から分かる通り、宗教間対話には様々な目的が託されている。一方では、諸宗 教が協力し、社会的問題を解決するために必要であるとする意見がある(外的宗教間 対話論)。他方では、宗教間の真理主張レベルでの対話、修行や生活の交流を通して、 各宗教の刷新、変革、存続のために必要であるとする意見がある(内的宗教間対話論)。 あるいはまた、真理主張レベルでの対話が社会的問題を解決しうるのだとする意見も ある(内的かつ外的宗教間対話論)。  これはどれが妥当かといった問題ではないだろう。それぞれ、宗教間対話を行う当 事者の問題意識、方法論、強調点の違いであると思われる。つまり、これらすべてが 「宗教間対話」なのである。  この問題を先鋭化しているのが、「宗教の社会貢献」という現代的な課題である。宗 教は人々を救うのが目的であるならば、ボランティアなど、具体的な社会実践を行わ なければならないという主張がある。宗教法人は「公益法人」であるので、「公益」に 資すること、すなわち社会貢献を行うのは当然であると主張される。この際の「社会 貢献」とは、いわゆる野宿者にたいする炊き出しや天災や戦争被害者にたいする物質 的支援、そして心のケアといった支援である。一般的に言って、そこには祈りや瞑想 といった、いわゆる「霊性」や「宗教性」の追求は含まれていない。  こういった「社会貢献」か「霊性の追求」という二項対立において、「霊性の追求」 だけでは「利己的」として批判される可能性もあり、逆に「社会貢献」は宗教ないし は宗教間対話の本質的な目的ではなく、周辺的なことにすぎないとする意見もありう る。実際、多くの論者がそのバランスの重要性を指摘し、「霊性の追求」だけを主張す る議論はほとんど見あたらない。  問題は、どちらが妥当かということではなく、対話それぞれに別の目的や方法論が

(6)

あるにもかかわらず、他者あるいは自己に対して抑圧的になることである。実際、両 者は切り離せるものでもなく、完全に区別することは不可能である。「霊性の追求」と 「社会貢献」の関係性は明確ではなく、有名な逸話「雨降らし男」20のように、宗教者の 存在や瞑想、祈りが環境に影響するという考えからすれば、「霊性の追求」による「社 会貢献」という主張も可能である。逆方向から考えると、社会貢献を行うことで各自 の「霊性」が高まるとする主張も否定はできない。  最も消極的に言っても、「霊性の追求」や内的宗教間対話が、社会性を全く持ってい ないわけではない。本稿であげる東西霊性交流も内的宗教間対話の代表のように見え るが、その発生には社会的問題や社会的な背景が関係をしている。つまり、内的宗教 間対話といえども、社会的なものから完全に遊離して、いわゆる宗教的なものを追求 することは不可能である。また、そういった話し合いが社会的な実践活動へとつなが ることもある。「話し合う」という基盤があったからこそ、協力活動が円滑に行えたと いう実例もある21  規範的な議論を展開する前に、そのような宗教間対話の具体的な実情を示すことが 必要である。ここでは、東西霊性交流を取り上げ、内的宗教間対話の中に対社会的な メッセージがあったということを示すことで、外的・内的の連続性を確認し、一つの 宗教間対話の中でさえ、変化があり、多様性があることを示したいと思う。

4.東西霊性交流の始まり

22  日本の宗教間対話研究において、「霊性交流」は特別な位置を与えられている。「霊 性交流」の代表例は東西霊性交流であるが、今や、宗教間対話の一類型として、普通 名詞として確立しつつある。たとえば、上記に示した既存の分類からすれば、「霊性交 流」は言葉を使用せずに修行や生活を体験することから、「対話」や「協力」から区別 された特殊なものである。更に「霊性交流」が、「対話」や「協力」よりも「より普遍 的な「永遠の宗教」を目指すことができる」宗教間対話だと、その優位性を強調する 論者もいる23。日本カトリック司教協議会も『カトリック教会の諸宗教対話の手引き』 という本の中で、宗教間対話の一類型として、「霊性交流」という語を使用している。 それによれば、「霊性交流」とは「霊性」=「精神的宝」を分かちあうことである24  羅列すると、「霊性交流」とは「言葉を使用しない」「より普遍的な「永遠の宗教」 を目指す」「精神的宝を分かちあう」「〔他宗教の〕修行や生活の体験」となる。その特 殊性から「霊性交流」は「対話」とは一線を画すものと見られているが、第1節で示 したように、目的から見て、筆者は内的宗教間対話とみなしている。  形式の特殊さを強調することが妥当かどうかはここでは一先ず置くとして25、問題は その実態である。「霊性交流」の目的は、一見すると「社会貢献」などとは程遠く、社

(7)

会という文脈から遊離した、「霊性の追求」(純粋な内的宗教間対話)のように見える し、他の分類においてもそのように位置づけられている。しかし、宗教間対話研究に おいて、「霊性交流」の実態を詳細に検討したものはほとんどなく、本当に「霊性交 流」が先行研究で言われるような宗教間対話なのかどうかは明らかではない。そこで、 「霊性交流」の代表例である東西霊性交流とは具体的にどのような宗教間対話なのか、 以下で見ていきたい。  東西霊性交流とは、1979年から始まった主に日本の禅宗(臨済宗、曹洞宗、黄檗宗)26 とヨーロッパ諸国のカトリック修道院との交流である。具体的な内容は、雲水(禅の 修行僧)は修道士の、修道士は雲水の生活をそれぞれ体験する、というものである。 雲水はフランスなどのヨーロッパの修道院に入り修道士と共同生活を営み、聖体拝領 は見学という形をとっているが、祈りの時間は教会に同席し、また労働などの日課も 同じように行う。一方修道士は日本の禅堂において雲水と共同生活を営み、坐禅にも 共に参加する。  第一回は1979年にヨーロッパで行われ、雲水たちが修道院で生活を体験した。第二 回は日本において、第三回はヨーロッパにおいて行われ、第四回は日本において行わ れている。その後交互に、2011年までに計12回の交流が行われている。すなわち日本 の雲水がヨーロッパでの修道院滞在を6回、カトリックの修道士が禅堂滞在を6回行 っていることになる。期間は回によって異なるが、2週間∼1ヵ月程度(第四回のみ 2期にわけて行われている)である。  さて、東西霊性交流の発端は、諸説あるが、「文化交流」であったことは間違いがな い。臨済宗系の大学・花園大学学長であった大森曹玄が、ヨーロッパで禅文化を披露 してほしいと依頼され27、その話がバチカン諸宗教対話事務局の耳に入り28、修道院で の生活体験を要請したのがきっかけであるとされる。あるいは、初期の東西霊性交流 に深く関わっていた野尻命子への聞き取り調査によれば、イエズス会士である門脇佳 吉の著作を、その後東西霊性交流の中心人物となるベネディクト会士ピエール・ド・ ベテュヌに紹介し、それに感銘を受けたベテュヌが禅宗との交流を希望し、来日した のがきっかけだという29。どちらにしろ、ヨーロッパの修道院側が禅宗に関心を持ち、 交流をもちたいと希望したのが契機である。  第一回東西霊性交流の目的は、ヨーロッパの文化的源泉であるキリスト教と、日本 の文化的源泉である仏教が「現実的、体験的に交流し、相互の理解と協力を深めるこ と」であった。「禅定によって霊性を深めようとする禅宗の僧侶を主体とする五十数名 の宗教者」(禅宗を主体とする僧侶・尼僧、神道系の新宗教・松緑神道大和山の神職、 日本のキリスト教の教師・信徒・司祭)が、ベネディクト修道院やトラピスト修道院 へと入り、三週間「キリスト教的霊性」を学ぶと共に、坐禅を指導した。また、修道 院滞在グループのほかに、デモンストレーショングループが組織され、禅の師家や専

(8)

門家による書道、武道、弓道、茶道などを公開し、墨蹟展を開催した30  第一回が行われた頃は、回数を重ねることは意図されていなかったが、修道院側か らの坐禅を学びたいという希望と、禅宗側の前回の感謝を表したいという希望が合致 し、第二回を行うこととなった31。第二回以降はカトリック修道士と禅宗、とくに臨済 宗、曹洞宗、黄檗宗との交流に絞られる32。その理由は「仏教の中でも、殊に禅がすぐれ て修道的であるので、禅堂での体験をしたい」というカトリック側の希望にあった33 その後も、日本側の主催は花園大学内にある禅文化研究所が務め、ヨーロッパ側は諸 宗教間対話修道者委員会(Dialogue Interreligieux Monastique)34が務めていく。

 第二回を実施するにあたって、「仏教側で修道院にあたるものとしては、禅僧養成の 僧堂があるのみ」であり、その過酷さが懸念された。禅堂にいる雲水は比較的若く、 食事や入浴などの所作を非常に早く行うことが求められ、睡眠時間は3∼4時間とい った過酷な生活を送っている。修道院には20代から90代までの修道士が生涯を送って おり、上記の状況を鑑みると全ての修道士が禅堂の苛酷さに耐えられるとは考えられ なかった。また、修道士たちが長時間足を組むこと(坐禅)に耐えられるかどうかも 疑問視された。そこで、ヨーロッパ側の代表であったピエール・ド・ベテュヌは、 「〔ヨーロッパで〕坐禅の練習をつんでいる修道者を選抜して送る」ということを決め たのであった35  それ以降、東西霊性交流の特徴は修行(場)の交換にある。坐禅を組む修道士や教 会で祈りを行う雲水。この情景を目の当たりにすると、明らかに違和感があり、特殊 性を感じる。その特殊性こそ東西霊性交流の本質の一つではあるが、しかし、第一回 は文化交流が主眼であり、逆に言えば生活(修行)体験には重きが置かれてなかった のである。  「霊性交流」という名称が付けられているが、少なくとも第一回において、この霊性 はそもそも修行法に見出すというよりは、その修行の先にある「表現されたもの」に 見出されるものであった。その表現とは、たとえば、墨蹟、剣道、弓道、茶道であっ た。そこで見出される霊性に触れるのは、修道士だけである必要もなく、広く一般に も公開され、日本側の参加者も禅宗に限定される必要はなかった。  しかし、第二回からは趣は大きく変わる。以前より修道士の持っていた坐禅への関 心が前面へと出てくるのである。そのため、参加者は禅宗とカトリックに限られ、ま た雲水や修道士などの修行を行っている人々に限られる。また、第二回以降はシンポ ジウムが設けられ、教義的な対話や修行法に関する対話が活発に行われるようになる のである。

(9)

5.社会的問題意識と霊性の追求

 西洋の側から日本の宗教や文化が評価され、交流へと発展するケースは東西霊性交 流だけではない。たとえば、大本とアメリカの聖公会が共同礼拝をおこなっているが、 これも東西霊性交流とほぼ同時期に、文化交流から始まったものである36  これらを単純に東洋に対する西洋の憧れと片づけることもできる。しかし、多大な コストを払ってまで東西霊性交流を行う理由は一体どこにあるのだろうか。基本的に は受け入れ先である修道院や禅堂、あるいはそれぞれの主催者が参加者の滞在費など を負担している。資金の回収あるいは利潤の獲得は、この交流では不可能である。で は何が彼らを突き動かすのだろうか。コストの回収あるいは利益という観点からでは この交流の発生を説明できない。  この点に関して、当事者たちの言説から考察していきたい。まず東西霊性交流の初 期に当事者たちがどのように考えていたかを見る。  たとえば、第二回東西霊性交流直前に行われた神父・奥村一郎と老師・平田精耕の 対談の中で、奥村は、社会の問題に対応し、福祉、教育などの社会活動を行う活動修 道会への比重が現代高まっていることを指摘し、「今、カトリックでこれが大きな問題 になっています」と述べる。「社会的な働きに追われてしまって、瞑想とか祈りの時間 が少なくなった、それをどうしたらいいだろうか……禅に関心をもつ原因には、その ことも一つありますね」と述べる37  また、同時期にバチカン諸宗教対話事務局副局長のペテロ・ロッサーノは、「東方の 霊性との決別をも意味した東方教会との分離は、西方教会の霊性をも貧しいものにし てしまいました。今日、その再発見、再評価を行おうとしてはいます」と述べる。彼 によれば、「内面」すなわち「霊性」と「〔社会〕奉仕」両方のバランスが必要である。 「しかしこの二つを共に生きることはなかなかむつかしく、皆がこのように生きられる とは限りません」と述べ、また、「ヨーロッパ近代の霊性から、身体的なものは完全に 閉め出されました」と指摘する。このような背景・問題意識の下、「身体性の再評価と いうことも、今回の〔東西霊性〕交流で学べることだと思っています」と述べている38  これらの例からもわかるように、具体的な「社会奉仕」と瞑想など「霊性の追求」 が対立項として浮かび上がっている。彼らキリスト者は「霊性の追求」が軽んじられ ている傾向があると感じ、「社会奉仕」も重要であると認めながらも、「霊性の追求」 もまた重要であると考えている。カトリック側が禅宗側に期待することは「霊性」に 関することである。それが交流の動機の一つとなっている。  他方で、禅宗側は、たとえば奥村と対談した平田は、キリスト教がマルキシズムや ニヒリズムといった「近代思想」と対決してきた歴史をあげ、「そういうものの教えと われわれ仏教とが一度面と向かってみて、そうして仏教とはなんだろう、禅とはなん

(10)

だろう、ともう一度考え直すための大変いい機会である」とキリスト教との交流に期 待している39  あるいは第三回の交流に禅宗側として参加した児島紹義は、キリスト教が「社会の 発展、文化の発展に積極的に関わっていくという姿勢」を持つことを指摘し、修道院 も「現代の波にながされたものでなく、時代に適応した」「歴史的適応性」を持つと述 べる。一方「現代禅には、何か時代に適応できない面」があると考え、「宗教者として 世界へ目を向ける事の必要性」について警鐘を鳴らす。そして、「現代を生きる宗教者 が、もっと世界に目を向け、言葉、文化の違いをも超えた深い交流を持つことは、必 ずや未来の世界平和保持のために大きく貢献することは間違いないものであろう」と 述べる40  現在東西霊性交流の日本側の実行委員長である栂正隆は、消費文化の興隆、地球の 荒廃、核戦争の危機などを指摘し、現在は「無明」の時代と分析する。そういった状 況で、「宗教者は真の役割を問われている」。    それは、もはや一国家一民族といった問題ではなく、全地球規模で問われ、答え られなければならない。このゆえに、国際的な霊性交流が不可欠不可避のものと なる。世界を覆っている闇を貫く光となる人々が、そうしたなかから生み出され ねばならない。事は人類の存亡に関わる。世界をまたにかけて活躍できる、スケー ルの大きな宗教者が必要なのだ。41  そして栂は、「仏教とキリスト教のみならず、世界の目覚めた人々の交流の場とし て、人類全体をてらす灯台として」霊性交流を深化発展させ、確たるものとしていか なければならないと、1991年時点(第四回開催時期)で述べている42  以上のように、禅宗はキリスト教とは異なり、現代社会に対して適応できていない という感覚を強くもっている。そのため、カトリックとの交流を持つことによって現 代社会に「適応」したいと考えている。一方で、「宗教者」が世界平和など社会に貢献 できるとも期待している。しかもその「貢献」は「霊性の追求」を通してなされるの である。同様の発言はまたカトリック側にも見られ、たとえば第一回の直前に行われ た禅宗とキリスト教との宗教間対話において、ハインリッヒ・デュモリンは「多くの 人々が今日、自己疎外と隷属感に悩まされる中から、宗教的価値を新しく発見し、宗 教に助けを期待するようになっている。ことに若い世代は、瞑想に強く惹きつけられ ている。このような事情において、人間社会に対する責任を自覚することこそ、宗教 に求められていることである」と述べている43  こういった問題意識が、第二回以降の東西霊性交流の発端の一側面である。キリス ト教は禅宗から瞑想を学び、禅宗はキリスト教から社会、現代への適応を学ぶ。また、 単純にキリスト教は禅宗の「坐禅」と結びつくことによって、「霊性の追求」を重視し

(11)

ていることを示し、その重要性・有用性を他者(あるいはキリスト教内部の社会貢献 志向者)にアピールしている可能性もある。禅宗もキリスト教とつながりをもつこと で、社会的に開かれた、つまりは「現代に適応した宗教」となろうとしている、ある いはそうであることをアピールしている可能性もある。

6.交流の個人化――社会的文脈からの脱落

 ところが、この対社会的な感覚は、最近の交流、特に第十一回、第十二回東西霊性 交流においては見られない44。具体的に言えば、第四回以降(1990年代以降)、東西霊 性交流への参加者の視点は変化している。  1990年以前は東西霊性交流という宗教間対話を「互いの宗教の自己反省」の場とし て捉え、そこで得られる「学び」に重点が置かれていた。カトリック側の反省は霊性 的伝統の欠如や軽視であり、学びは坐禅による霊性の追求である。禅宗側の反省は現 代社会への不適応であり、学びはその適応の仕方にある。また同時に互いに「批判」 することにも重点はあった。その際の基準は各宗教と「現代社会」との関係性と「霊 性的伝統」の保持の程度であった。  ところが、1990年代以降は「交流」そのものに焦点が置かれ、参加者の報告はより 個人的となる。つまり、一個人としての体験報告が目立ち、そこでは社会的状況にお ける「禅宗」と「カトリック」の比較などはほとんどなされておらず、「伝統」の喪 失、あるいは「霊性」への期待という文脈も見えない。  第十一回(2009年)の禅宗側の参加者である佐々木悠嶂は禅宗とカトリックを比較 し、共通性を見いだしているが、その共通性は教義・実践レベルであり、社会的文脈 のあるものではない。たとえば、生活や修行などの「実践」に関して「驚くほど似て おり、仏教、キリスト教という主語を取ってしまえば、区別がつかないのではないか と思うことも多々あった」と述べており、また、ベネディクトの会則(修道院の戒律) の「謙遜」に関しても「そのまま私たちの教えに置き換えることができる」という45 そして、「一つの真理への仏教とキリスト教という違うアプローチではあるものの、目 指すものは同じ」とまで述べている46  他方、第三回(1987年)に禅宗側として参加した杉本玄海も、ベネディクト会士が 「謙遜」「謙虚さ」を徳目としていることに言及している。しかし、その言説は佐々木 の言説とはかなり異なっている。「「謙譲の美徳」というもの〔を知ることで〕……日 本人が経済性を追求する余り、どれだけ多くの大切なものを失ってしまったかという ことを知ることができたと思う。ヨーロッパでは、衰えたとはいえまだ宗教がしっか りしており、生きる目標とか、生きていく上で必要な徳目などを明示して、人々を導 いているように思う」と杉本は述べている47。同じように「謙遜」に着目した杉本がこ

(12)

のように東西霊性交流での体験を現代日本の問題や社会と結びつけたのに対し、佐々 木は「仏教的な観点」との比較でのみ論じている。  禅宗だけでなく、第十二回の参加者である修道士・修道女たちも、シンポジウムな どでの発言をみる限り、個人的な意見しか述べておらず、社会的問題との結びつきも 見られない。彼ら・彼女らは禅宗への理解の深まり、自己の信仰の深まりなどを報告 しているが、「霊性」と「社会貢献」のような対立項を持って語ることはない。更に、 第十二回に参加した修道女、エレン・メルシエは、佐々木悠嶂と同様にベネディクト 会則と禅宗との生活の共通点について詳細に語っている48  この変化は一体何に起因しているのだろうか。  これにはいくつかの要因が指摘できる。一つ目は、参加者以外から東西霊性交流に 言及する人が減ったことである。初期には奥村一郎、安斎伸、ヤン・ヴァン・ブラフ ト、門脇佳吉といった直接的には参加しない人々、学者(大学教授ら)が関与し、東 西霊性交流について社会的文脈を踏まえ、コメントをしていた。二つ目は規模の縮小 である。第五回目以降、参加者の縮小が図られ、かなり小規模な交流となった。三つ 目は参加者の流動性である。第一回から四回までは同じ人が何度も参加する傾向にあ ったが、それ以降は一度参加すれば、二度参加するということはない。そのため、参 加者にとって東西霊性交流が継続的なつながりではなく、一時的なつながりにすぎな くなっている。初期の参加者たちが継続的なつながりをもつというのは、東西霊性交 流に複数回参加しているという意味だけではない。たとえば、第一回からの参加者で ある宝積玄承は東西霊性交流参加後、継続してヨーロッパに禅を指導しに行き、キリ スト教徒とのつながりを保ち続けている。また、同じく第一回からの参加者である峯 岸正典も、第一回と第三回の受け入れ先であった聖オッテリエン大修道院を、個人的 にではあるが、交流後何度も訪れている。  1990年以降の変化を単純化してしまえば、東西霊性交流の個人化と言える。教団と して行う交流というよりも、個人が修道院、禅堂に赴き、交流をする。教団としての 交流が強調されるのは最後に行われる報告会・シンポジウムにおいてのみである。ま た、その報告書も第三回までは公式に発行されているが、その後は個人の報告が散見 されるのみである。そのため東西霊性交流は社会的メッセージをもつ社会運動という 性格を薄め、現在においては始めよりも一層、個人的な研修や学びの場となっている。

7.まとめ

 東西霊性交流の考察から分かることは、その発生において「世界平和」を目指した り、「社会貢献」へのカウンターパートとして「霊性」を希求したりするなど、社会的 な性格や文脈を有していたということである。しかし次第に個人的な霊性の追求へと

(13)

変容していく。  東西霊性交流は社会的文脈から脱落し、普通名詞化された「霊性交流」は、概念化 の過程で(あるいは社会的文脈から脱落した東西霊性交流を概念化したため)、対社会 的な性格をそぎ落としてしまった。東西霊性交流は、現在、さまざまな要因のために 個人化し、社会的メッセージはほとんど見られない。  しかし東西霊性交流のような一見、社会とは場所的にも思想的にも隔離されたとこ ろで行われているような対話(内的宗教間対話)であっても、参加者が自覚的であれ、 無自覚的であれ、社会的な性格や社会的メッセージを含意していることがある。東西 霊性交流は、初期においては「内的宗教間対話」とは一概には言えず、「外的宗教間対 話」とも連続的であると考えられる。このように理解すれば、宗教間対話を一面的に 理解したり、ある種の宗教間対話を一概に否定したりすることは難しくなる。  多様な宗教間対話が必要かどうかという問いに、一概に答えることは不可能である。 しかし、社会貢献や外的宗教間対話を推進する人びとが、霊性の追求や内的宗教間対 話を志向する人びとに、内的宗教間対話は不必要だと言っても非生産的である。対話 実践者個人が問題意識として持っているものは、他の問題よりもその人にとって重要 なものに違いない。それを「それは私にとって重要な問題ではない。だからその問題 に取り組まなくていい」というのは、問題意識レベルでの抑圧である。  本稿では、色々な人が色々な思いをもって宗教間対話を実践し、対話自体も変化し ていることを示し、内的宗教間対話であったとしても、社会的問題と無関係ではなく、 むしろその対応として始まっていることを指摘した。物事を整理するためにある程度 の極端な概念化は必要ではあるが、だからといって、単純化しすぎて、一面的に理解 される可能性は回避しなければならない。問題意識や目的と方法論を安易に結びつけ ず、宗教間対話の多様性、様々な動機や方法の結びつきを知ることによって、その限 界を知ると共に、可能性についてもより適切に知ることができると思う。多様な宗教 を多様なまま受け入れること、これが宗教間対話の前提となっているが、同様に、宗 教間対話が多様であることもまた、理解される必要がある。 ――――――――――――――――――― 1  拙論「外的宗教間対話と内的宗教間対話」(『宗教学・比較思想学論集』第11号、 筑波大学宗教学・比較思想学研究会、2010年)参照。 2  山梨有希子「転機にある宗教間対話」(星川啓慈、山脇直司、山梨有希子、斎藤謙 次、濱田陽、田丸徳善著『現代世界と宗教の課題』蒼天社出版、2005年)48頁。 3 山梨、前掲書、51頁。 4  ポール・F・ニッター「「解放の神学」の視点から「宗教の神学」を建設するため に」(ジョン・ヒック、ポール・F・ニッター編(八木誠一・樋口恵訳)『キリスト

(14)

教の絶対性を超えて:宗教的多元主義の神学』、春秋社、1993(1987)年)、p.352。 5  ニッターが認めているように、これは偏った、「キリスト教的見方」であることは 否めない。そこで彼は「抑圧された人々の優先的選択が、諸宗教間の対話のための 絶対的条件として押しつけられる0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0べきものではない……むしろそれはより確実で有 効な対話への招待0 0 として提示あるいは示唆されるものである」と述べているが、し かしながら、ニッターにおいてはあくまでも宗教間対話とは諸宗教の協働のために 行われるのである(同書、p.366)。

6  David W. Chappell,“Buddhist Interreligious Dialogue:To Build a Global Community,” in:Sound of Liberating TruthBuddhist-Christian Dialogues In Honor of Frederick J. Streng, ed. by Sallie B. King and Paul O. Ingram, (Eugene, Oregon, Wipf and Stock, 1999), p.24.

7  芦名定道「宗教的多元性とキリスト教の再構築」(星川啓慈、山梨有希子編『グ ローバル時代の宗教間対話』、大正大学出版会、2004年)、p.140。

8  Joel Beversluis,“Interfaith Dialogue:How and Why Do We Speak Together?”in: Sourcebook of the World s ReligionsAn Interfaith Guide to Religion and Spirituality, ed. by Joel Beversluis(California, New World Library, third edition, 2000), p.128.

9  峯岸正典は曹洞宗長楽寺の住職であり、自らが立ち上げた宗教間対話研究所の所 長である。この発言は、2011年7月9日、慶應義塾大学で行われた日本宗教ネット ワーク懇談会主催の第1回シンポジウムでの講演におけるもの。 10 延原時行『対話論神学の地平―私の巡礼のなかから』、春風社、2006年、p.33。 11  たとえば、田丸徳善・星川啓慈・山梨有希子『神々の和解:二一世紀の宗教間対 話』、春秋社、2000年、p.97参照。

12   Peter L. Berger The Heretical ImperativeContemporary Possibilities of Religious Affir-mation, Anchor Books ed.(New York, Anchor Press, 1980(1979))pp.166 167.薗田稔、 金井新二訳『異端の時代:現代における宗教の可能性』、新曜社、1987年、pp.248 249。 13  バーガーは、「現代性とは異なる〈他者〉の方がキリスト教神学にとってもっと実 りある刺激剤になるのかもしれない」と述べる。そして「この〈他者〉は信じられ ぬほど豊かな世界諸宗教のパノラマ」なのである(Ibid., p169.同書、p.251)。 14 Ibid., p.152.同書、p.227。 15  福田誠二「ハンス・キュンクとヨゼフ・ラッツィンガーの真理問題理解」(『清泉 女子大学キリスト教文化研究所年報』第18巻、清泉女子大学キリスト教文化研究所、 2010年)、p.3。 16 同上。

(15)

Ethic”in:A Global EthicThe Declaration of the Parliament of the World s Religions, commentaries by Hans Küng and Karl-Josef Kuschel(New York, The Continuum Interna-tional Publishing Group Inc, 1993), p.43.

18  鎌田繁「イスラームの知と宗教間対話の意味」(星川啓慈・山梨有希子編『グロー バル時代の宗教間対話』、大正大学出版会、2004年)、p.70。 19  奥村一郎「扉はこわされた」(『禅文化』第111号、禅文化研究所、1984年)、pp.22 24。 20  「ある村で長い間雨が降らなかった。……村人は評判の高い雨乞い師のところへ頼 みに行った。彼はこの村に来た。……四日目になって雨が降った。村人たちは大喜 びで……彼を讃え、雨を降らせる秘訣を尋ねた。村人に向かって雨乞い師は「私に は雨を降らせることはできない……私があなたがたの村に来た時には、見たところ も、精神的に取り乱しているのが分かった。私は小屋の中に入り、私は自分自身の 心も整えようとした。私の身も心も整った時に、あなたがたも正常さを取り戻した。 あなたがたが正常な状態になった時に、自然も正常な状態になり、自然が正常な状 態になった時に雨が降ったのだ」。」(ヴィリギス・イェーガー(八城圀衛訳)『禅キ リスト教の道―無になって生きる』、教友社、2008(2005)年、pp.67 68。) 21  宮城県宗教法人連絡協議会による、東日本大震災被災地支援などはその好例であ る。同協議会は「心の相談室」をいち早く立ち上げ、宗教・宗派を超えて被災者の 心的ケアを行っている。これなどは、必ずしも内的宗教間対話とは言えないが、も ともと協議会が存在したために、迅速に組織、活動することができたのである。 22  東西霊性交流の歴史については拙論「東西霊性交流についての予備的考察」(『禅 文化研究所紀要』第31号、禅文化研究所、2011年)、「沈黙と言葉――第十二回東西 霊性交流報告」(『禅文化』第223号、禅文化研究所、2012年)、「東西霊性交流におけ る「霊性」と「対話」の位置づけ―宗教間対話における他者理解―」(『宗教学・比 較思想学論集』第13号、筑波大学宗教学・比較思想学研究会、2012年)などにおい て詳しく触れている。 23  樫尾直樹『スピリチュアリティ革命:現代霊性文化と開かれた宗教の可能性』、春 秋社、2010年、p.298。 24  日本カトリック司教協議会諸宗教部門編『カトリック教会の諸宗教対話の手引き: 実践 Q & A』、カトリック中央協議会、2009年、p.128。 25  宗教間対話が宗教間の対立を助長すると述べていた鎌田も、「みずからの信仰を言 葉で語らないこと、ロゴスに訴えることなく、自らの信仰を宗教的な他者に示すこ と、このような努力をすることが、諸宗教の相互理解、共存・共生に貢献するので はないか」と、言葉(ロゴス)を使用しない交流(「霊性交流」)を推奨しているよ うに思える(鎌田、前掲書、p.71)。このように、「霊性交流」が「特殊」であり、他 の宗教間対話に比べ優位性をもつ、とする論調をしばしば見かける(注23の樫尾も

(16)

同様の主張である)。この点に関しては注22で挙げた「東西霊性交流における「霊 性」と「対話」の位置づけ―宗教間対話における他者理解―」において考察を行い、 他者が重要だと思っている価値を理解することを阻害してしまう可能性や、誤解を 修正する機会がほとんどないことを指摘した。言葉によらない対話が言語の壁を超 えて、大いに他者理解を促すこともありえるが、もし他者にも自分自身が理解して0 0 0 0 0 0 0 0 0 いるように0 0 0 0 0自分自身を理解してほしいと願うならば、言葉による補完(「対話」)も 重要であると筆者は考えている。これも「霊性交流」を「対話」の一種であると強 調する理由の一つである。更に言えば、少なくとも東西霊性交流においては、シン ポジウムや個別対談など「対話」の時間も確保されていることから、「霊性交流」が 「言葉を使わない」とも言い切れない。 26  日本側の受け入れ先が臨済宗系の大学・花園大学内の禅文化研究所であるという こともあり、現在の交流は臨済宗が中心となって行われている。黄檗宗は現在では ほとんど関与していない。 27  イギリスのBBCが大森曹玄を取材し、それをロンドンで「禅の世界」として紹介 したところ、ヨーロッパで「大森老師に一度ヨーロッパに来ていただき、禅の文化 を披露してもらいたい」という願いが出てきたのだという(第三回東西霊性交流編 集委員会編『禅僧のカトリック修道院生活体験:「第三回東西霊性交流」報告』、第 三回東西霊性交流実行委員会、1988年、p.245)。ただ、その「願い」自体がどこか らでてきたのかは、報告書からは不明である。 28  当時、大森に師事していた神父である門脇佳吉がこの話を耳にし、バチカンへ伝 えたものと思われる。門脇は、初めは愛宮ラサールの紹介で三宝教団の山田耕雲の もとで禅の修行をしていたが、あるときから大森曹玄に師事していた。 29 野尻命子への聞き取りによる(2011年8月10日)。 30  安斎伸「日本での成功を祈る」(『禅文化』第108号、禅文化研究所、1983年)、pp.29 30。 31  ヨーロッパ(修道士)側の発言に以下のようなものがある。「〔第一回〕霊性交流 を終えたいま、主催者全員が、このような交流を一回限りでおわらせてしまっては いけないと考えている。そこで、今度はキリスト教修道士が仏教徒の国に滞在する 番である。友情の絆はしっかりとむすばれた。宗教間のふれあいを深めるこの絶好 の好機をのがしてはならない……この滞在〔第二回〕は、東洋の僧院、特に禅堂で の修行を自己の探求に取り入れていこうとする修道僧を対象としたものである」(第 二回東西霊性交流編集委員会編『カトリック修道士の禅堂体験:「第二回東西霊性交 流」報告』、第二回東西霊性交流実行委員会、1984年、p.237)。 32  第四回で修道士が日本に訪れた際に天台宗比叡山に訪れたり、庭野平和財団より 援助を受けた関係で立正佼成会本部を訪れたりと、他宗教との関わりがないわけで はない。

(17)

33 第二回東西霊性交流編集委員会編、前掲書、p.238。

34  DIMは、1977年にベネディクト会とシトー会という二つの修道会によって設立さ れた「東西対話のための北アメリカ委員会(North American Board for East-West Dia-logue)」が1980年代に名称を変えたものである。もともと修道士とチベット仏教と の交流を目的に設立された組織ではあったが、今では様々な宗教伝統との霊的な、 また経験レベルでの宗教間と修道間の対話を行っている(Wayne Teasdale, Catholi-cism in Dialogueconversation across traditions(Maryland, Roman & Littlefield Publish-ers, Inc., 2004), pp.116 117.また、http://monasticdailog.com も参照)。

35 安斎、前掲書、pp.30 31。 36  大本は1972年から3年かけ、欧米6ヵ国13ヵ所で『出口王仁三郎とその一門の作 品展』を開催した。大本は、その会場の一つとなったニューヨークの聖ヨハネ大聖 堂で「作品展開催奉告祭」を行い、キリスト教の聖壇の前で神道式の祭典を執行し た。祭典後、聖ヨハネ大聖堂長のジェームズ・P・モートンの「もし招待されて日 本に行き大本の神殿でミサを行うことができれば幸せだ」という発言をきっかけに、 1977年に「平和と一致」と呼ばれる聖公会との共同礼拝式を大本の本部で執り行っ た。その後も聖ヨハネ大聖堂との交流は続いている(出口虎雄監修『大本海外作品 展』、大本本部、1976年、pp.54 69、出口虎雄監修『平和と一致 Kiss of Peace』、大 本本部、1978年)。 37  平田精耕・奥村一郎「禅定と祈り」(『禅文化』第108号、禅文化研究所、1983年)、 p.21。 38  ペテロ・ロッサーノ、野尻命子「他を知って自己を深める」(『禅文化』第108号、 禅文化研究所、1983年)、pp.34 38。 39 平田・奥村、前掲書、pp.23 24。 40 同書、p.41。 41 栂正隆「霊性交流について」(『禅文化』第140号、禅文化研究所、1991年)、p.45。 42 同上。 43  ハインリッヒ・デュモリン「相互の理解を深めて」(門脇佳吉編『禅とキリスト 教――瞑想=自由への道』、創元社、1975年)、p.8。 44  筆者は第十一、十二回東西霊性交流にオブザーバーとして参加している。詳しく は注22に挙げた拙論を参照。 45 佐々木悠嶂「同行同修」(『禅文化』第215号、禅文化研究所、2010年)、p.38。 46 同書、pp.38 40。 47  杉本玄海「モンセラト修道院」(『禅文化』第127号、禅文化研究所、1988年)、pp.18 19。 48 詳しくは注22に挙げた拙論「沈黙と言葉」を参照。

参照

関連したドキュメント

仏像に対する知識は、これまでの学校教育では必

手話の世界 手話のイメージ、必要性などを始めに学生に質問した。

「イランの宗教体制とリベラル秩序 ―― 異議申し立てと正当性」. 討論 山崎

[r]

信号を時々無視するとしている。宗教別では,仏教徒がたいてい信号を守 ると答える傾向にあった

レーネンは続ける。オランダにおける沢山の反対論はその宗教的確信に

わな等により捕獲した個体は、学術研究、展示、教育、その他公益上の必要があると認められ

具体的な取組の 状況とその効果 に対する評価.