駒 澤 大 學 佛 教 學 部 研 究 紀 要 第 五 十 一 號 平 成 五 年 三 月
社
会
主
義
中
国
の
宗
教
政
策
抄
訳
『中
国
社
会
主
義
時
期
の宗
教
問
題
』そ
の四
水
井
} 六 〇 は じ め に 前 号 に 引 き 続 い て 『 中 国社
会 主 義 時 期 の 宗 教 問 題 」 の 「 第 三 章 建 国 以 後 の 宗 教 状 況 の根
本 的 な 変 化 」 と 、 前 同 で は 割 愛 せ ざ る を え な か っ た 「 付 録 」 の 部 分 の 訳 を 掲 げ る 。 「付
録 」 の 調 査 報 告 は イ ス ラ ム 教 徒、 キ リ ス ト 教 徒 の 信 仰 情 況 を め ぐ っ て で あ る 。 そ れ ら に つ い て 専 門 外 の 筆 者 と し て は 十 分 に 理解
し て い る と は 言 い 難 い 部 分 も 残 し て い る 。 そ の 点、忸
怩 た る も の が あ る が 、 す で に 述 べ た よ う に 、 中 国 人 の 宗 教 観 を 捉 え る う え で は 、 や は り 仏 教 だ け に 限 定 し て い る わ け に は い か政
之
な い か ら と 思 う か ら で あ る 。 特 に 「 付 録 」 の 部 分 の 訳 出 に あ た っ て は 、『 中 国 大 百 科 全 書、 宗 教 」 ( 一 九 八 八 年、 同 書 出 版 社 ) を 中 心 に、 『 伊 斯 蘭 教 在 中 国 』 ( 一 九 八 二 年、 寧 夏 人 民 出 版 ) 、 『
中
国 伊 斯 蘭 教 派 門 宦 遡 源 』 ( 一 九 八 六 年、 同 社 ) な ど の 成 果 を参
照 し た が 、 ま だ 十 分 で は な い 。 い ず れ に せ よ 、 言 葉 の 問 題 か ら 参 考文
献 に い た る ま で 、 さ ま ざ ま に 御 教 示賜
っ た 内 山 書 店 三 浦 勝利
氏 に 、 記 し て 謝 意 を 表 し た い 。〈 本 文 〉
第
三
章
建
国
以
後
の
宗
教
状
況
の
根
本
的
な
変
化
一 九 四 九 年 一 〇 月 一 日、 中 華 人 民 共 和 国 が 誕 生 し 、 少 数 の 搾 取 者 が 万 億 の 労 働 す る 人 民 を 統 治 し て い た 歴 史 が 終 わ り、 帝 国 主義
、 植 民 地 主 義 が 中 国 人 民 を 酷 使 し て い た 歴史
が 終 わ っ た 。 中 華 人 民 共 和 国 成 立後
の は じ め の 三年
で 、 我 々 は 国 民 党 反 動 勢 力 が 大 陸 に 残 し て い っ た 武 装 兵 力 と 土 匪 を 粛清
し. チ ベ ッ ト の 平 和 的 解 放 を 実 現 し 、 各 地 に そ れ ぞ れ の ク ラ ス の 人 民 政 府 ( チ ベ ッ ト 自 治 区 準 備 委 員 会 は 一 九 五 六年
に 成 立 ) を 建 設 し 、新
解 放 区 の 土 地 改 革 を 完 成 し 、 反革
命 を 鎮 圧 し 、 「 抗 美 援 朝 」 と 「 三 反 」「 五 反 」 の 運 動 を 展 開 し て 速 や か に 国
民
経 済 を 回復
し て い っ た 。 一 九 五 三 年 に は 計 画 的 な 経 済建
設 を 開 始 し 、 一 九 五 六 年 に は 全 国 の ほ と ん ど の 地 区 で 基 本 的 に 生 産 材 の 私 有 性 の 社会
主 義 的 改 造 を 完 成 し た 。 一 九 四 九 年 か ら 一 九 五 六 年 の 七 年 間 、 激 し い 社会
改 革 を 経 て 基 本 的 に は搾
取
階 級 は 消滅
し、 社 会 主 義 制 度 が 確 立 し た 。 激 し い 社 会 改 造 は 新 中 国 の 宗 教 状 況 に も 大 き な 変 化 を も た ら し た 。 こ の 一 連 の 政 治 、 組 織、思
想 の 上 で の 大 き な 変 化 は 、 す べ て 国 家 と 社 会 の 変 化 に 適 応 す る も の で あ り、 ま た 信 仰 を 持 つ 人 々 と 愛 国 的 な 宗 教 界 の 人 々 の願
望 と も 合 致 す る も の で あ る 。 国 家 は 宗 教 に 対 し て 正 確 な 方 針 と 政 策 を 採 用 し、 宗 教 界 に お け る 進 歩 的 な 人 々 と 信仰
を 持 つ 人 々 の 愛 国 正 義 の 活 動 を 支持
し た 。 天 主 教 、 キ リ ス ト 教 界 が 展 開 し た 反 帝 愛 国 の 運 動 は 教 会 か ら 帝 国 主 義 勢 力 を 排 除 し 、 独 立自
主 、 あ る い は 自弁
の 教 会 な ど は 、 中 国 教 徒 自 弁 の宗
教 事 業 に な っ た 。 仏 教、 道 教 、 イ ス ラ ム 教 界 も 、 教 団 内 部 の封
建
的 特 権 と 抑 圧 や 搾 取 の 制 度 を 排 除 し 、 正 常 な 発 展 の 道 を 歩 む こ と と な っ た 。第
} 節各
宗 教 組 織 の 政 治 的 状 況 の変
化 旧 中 国 に お い て は 宗 教 は 帝 国 主義
と 国 内 統 治 階 級 に 支 配、 利 用 さ れ、 大 き な マ イ ナ ス の 役 割 を は た し て い た 。 建 国 の 後 、 宗教
が 古 い統
治 階 級 に 支 配、 利 用 さ れ る 社 会 的 条 件 は も は や 存 在 し な く な り、 ま た、 宗 教 界 が 進 め た愛
国 運 動 と 民 主 改 革 を 通 し 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) = ハ 一社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 六 二 て 、 宗 教 は す で に 中 国 の 教 徒 が 自 分 で
行
う 宗 教事
業 と な っ た の で あ る 。 】 、 キ リ ス ト 教 と 天 主 教 は 植 民 地 主義
、 帝 国 主 義勢
力 の 支 配 を脱
し て 、 中 国 宗 教 徒 の自
弁 の 宗 教 事 業 と な っ た 。 一 、 キ リ ス ト 教 界 の 三 自 愛 国 運 動e
外 国 か ら の 派 遣 に よ る 支 配 に 反 対 し 、 「 三 自 宣 言 」 を 発 表建
国 の初
期、 キ リ ス ト 教 会 お よ び 教 会 の 学 校、 医 院 な ど で は 、外
国 か ら の 派 遣 に よ る 統 制 の も と で 、 帝 国 主 義 の 勢 力 は 依 然 と し て か れ ら を 通 し て 新 中 国 を 破 壊 し よ う と 企 て た 。 当 時 キ リ ス ト 教 教 団 内 部 に あ っ て は 基 本 的 に 三 つ の 状 況 が あ っ た 。第
一 の 状 況 は 、 あ る 種 の キ リ ス ト 教 会 に お い て 各 種 の 反 動 的 な デ マ が し ぼ し ぽ お こ り、 あ る も の は 共産
党 の 言 論 を 汚 す よ う な 言 論 で あ っ た り 、 革 命 政 権 が ひ っ く り 返 さ れ て 、 ア メ リ カ と 將介
石 が 捲 土 重 来 す る な ど と 騒 が れ た の で あ る 。 あ る 伝 道 者 は 講 演 の さ 中 、宗
教 用 語 の 「 紅 馬 」 の 言葉
を か り て 、 共産
党 を 「 殺 人 と 流 血 を 楽 し む 」 と 当 て こ す っ た 。 あ る 伝 道者
は 抗美
援 朝 の 運 動 を 「 悪魔
の な さ し め る も の 」 と 攻 撃 し た 。 第 二 の 状 況 は 、 キ リ ス ト 教 の あ る 人 々 は 、 新 し い 状 況 に 適 応 す る た め 、 外 国 が 派 遣 し て 中 国 の 教 会 を 支 配 し て い る や り 方 を 改 変 し て 、引
き 続 き 外 国 か ら の 派 遣 の関
係 を 維 持 し よ う と す る 幻 想 を 抱 き 、 そ の た め に い く つ か の 「 応 変 」 の 措 置 を 取 っ た 。 一 九 四 九年
=
月 、 彼 ら は 北 米 キ リ ス ト 教 伝 道 聯 合 会 に 手 紙 を 送 り 、 一 方 で は 「 政 策 の 決 定 と 経 済 の 管 理 権 」 を中
国 の 教 会 の 責任
者 に 委 譲 す る こ と を 要 求 し 、 ま た 一 方 で は 依 然 と し て 外 国 の 宣 教 師 が 「 困 難 な る環
境
の中
で も や っ て き て 仕事
を し て く れ る よ う 」 強 く 求 め た の で あ る 。 翌 年 の 五 月、 こ の 聯 合 会 中 国 委員
会 は 回 答 の書
簡
の な か で 、 で た ら め に も 「 伝 道 師 派 遣 の 仕 事 と 政 府 ( ア メ リ カ 政府
) の 政 策 と は 何 ら直
接 的 関 係 は な い 」 と し、 も し 「 中 国 の 教 会 が キ リ ス ト の 精神
に 忠 実 な ら 、 伝 道 師 派 遣 の 継 続 を 援 助 す る 」 と書
い て い る 。 こ の こ と は 当 時 の 北 米 キ リ ス ト 教 伝 道 聯合
会 が新
中 国 を敵
視 す る 立 場 を い さ さ か も 変 え て い な い こ と、 ま た 中 国 の 教 会 に 対 す る支
配 の 放 棄 を 考 え て い な い こ と 、 し か も 経 済 を 通 し て の 支 配 を 考 え て い る こ と を 示 し て い る 。第
三 の 状 況 は 、 キ リ ス ト 教 界 や 一 部 の 有 識 者 が、帝
国 主 義 が キ リ ス ト 教 を 利用
し て 中 国 を 侵 略 し た 歴 史 的 事 実 を 認 識 し て 、 中 国 キ リ ス ト 教 が 外 国 か ら 派 遣 さ れ る牧
師 に 引 き 続 き 依 存 す る こ と は 独 立 自 主 の 新 中 国 に ふ さ わ し く な く、 キ リ ス ト 教 に も 将 来 の な い こ と を 感 じ た こ と で あ る 。 呉 耀 宗 ら は こ の 方 面 の 代 表 的 な 人 物 で あ る 。一 九 四 九 年 六 月、 キ リ ス ト 教 愛 国 民 主 の 人 々 で あ る 呉 耀 宗、 沈 体 蘭、 郡 裕 志 達 は、 北 京 で 召 集 さ れ た 新 政 治 協
商
会 議 の 準備
会 に 参 加 し た 。 席 上、 呉 櫂 宗 は 激 し い 調 子 で 、「 時 は
来
た 。 キ リ ス ト 教 徒 は 自 分 自 身 を資
本 主 義、帝
国 主 義 の 伝 統 か ら 解 放 し な け れ ば な ら な い 」 と 述 べ た 。後
に か れ は 『 大 公 報 』 で 「 キ リ ス ト 教 の 改 造 」 の 一 文 を発
表 し 、「
過
去 も、 ま た 現在
に お い て も 帝 国 主 義 者 は 確 か に キ リ ス ト 教 を 利 用 し て 中 国 を侵
略 し て き た 」 と 指 摘 し 、 「 キ リ ス ト 教 は 資 本 主 義 、 帝 国 主 義 の な か で あ が い て き た 。 中 国 の 教 会 は 必 ず 自 ら 提 唱 し た 自 立、自
養
、 自 伝 の 原 則 を 実 行 し な け れ ば な ら な い 」 と 論 じ た 。 一 九 四 九 年 九 月、 呉 耀 宗 達 五 名 の キ リ ス ト 教 徒 は中
国 人 民 政 治 協 商 会 議 第 一 次 会 議 に 出 席 し 、 席 上 、 呉 耀宗
が 発 言 し て 、 「 共 同 綱 領 」 を 擁護
し、 ま た 「 宗 教 の 中 の 腐 り き っ た 伝統
」 と 、 宗 教 と 「 帝 国 主 義 と の 関 係 の 根 本 的 な 除 去 」 を 表 明 し た 。 当 時、 一部
の 愛 国 的 教 徒 は 新 聞 に 投 書 し て 、 帝 国 主 義 が 宗教
を 利 用 し て 中 国 を 侵 略 し た こ と を 暴 露 し こ れ に 反 対 し た 。彼
ら の 主 張 は 多 く の愛
国 的 教 徒 の 、 植 民 地 主 義 と 帝 国 主 義勢
力 の統
制 か ら 脱 し 、 独 立 自 主 を 実 行 し 、自
弁
の 教 会 へ と の 願 望 を代
表 し た も の で 、 こ れ は 建 国 以 後 、 キ リ ス ト 教 が 展 開 し た 反 帝 愛 国 運 動 の 産 声 で あ っ た 。 一 九 五 〇 年 春、 呉 耀 宗達
キ リ ス ト 教 の 人 々 は 訪 問 団 を 組 織 し て 各 地 の 教 会 に で か け 、 政 治 協 商 会 議 と 「 共 同 綱領
」 の 精 神 を 伝 え る と と も に 、 各 地 の キ リ ス ト 教 の 状 況 を 調 べ た 。 同 年 五 月、 彼 ら は 北京
と 天 津 の キ リ ス ト 教 の 人 々 と と も に 、 周 恩 来 総 理 と 会 見 し、 当時
の キ リ ス ト 教 の抱
え て い る 矛盾
と 困難
に つ い て 訴 え、解
決 へ の 協 力 を 求 め た 。 会 談 の 中 で 、 キ リ ス ト 教 の 人 々 は 周 総 理 の 教 育 と 啓 発 の も と で 、 中 国 キ リ ス ト 教 が長
き に わ た り 帝 国 主 義 の 影 響 を 受 け て き た こ と 、 そ れ こ そ が今
日 の 新 中国
に 適 応 す る の に 困 難 な 問 題 の 根 源 で あ る こ と を 知 っ た 。 彼 ら は中
国 の愛
国 の 教 徒 が 長年
に わ た っ て 提 唱 し て き た自
治
、 自養
、 自 伝 の 主 張 に も と ず き 、 三 自 革 新 運 動 (後
に 三 自 愛国
運 動 と 呼 ば れ る ) を は じ め る こ と を 決 定 し、 た だ ち に 周 恩来
総
理 の賛
同 と 支 持 を 得 た の で あ る 。 周 恩来
は 言 う 、 「 民 族 の 反帝
の 決 心 を 堅 持 し て 、 帝 国 主 義 と の 関 係 を 断 ち 、 宗 教 に そ の本
来
の あ り よ う を 取 り 戻 さ せ な け れ ば な ら な い 。今
日 、 宗 教 界 が 自 ら 民 族 自覚
の 運 動 を は じ め た 。 こ こ 百 年 来 の 帝 国 主 義 と の 関係
を 清算
さ せ よ う 」 と 。 彼 は 「 宗 教 団 体 の 本 来 は 独 立 自 主、 自力
更
生 で な け れ ぽ な ら ず 、 自 治 、 自 養 、自
伝 の 教 会 を 設 立 し な け れ ば な ら な い 。 そ う す れ ば キ リ ス ト 教 会 は 中 国 の キ リ ス ト 教 に変
わ る 」 ( 「 キ リ ス ト 教 問 題 に 関 す る 四 回 の 談 話 」 『 周 恩 来 統 一 戦 線 文 選 』 一 八 一i
一 八 二 頁 ) と 賛 揚 し た 。 こ の 談 話 の す ぐ 後 に 呉 耀 宗 は 「 中 国 キ リ ス ト 教 が新
中 国 の 建 設 に お い て努
力 す る 道 」 ( キ リ ス ト 教 界 で は こ れ を 「 三 自 宣 言 」 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) = ハ 三社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 六 四 と 簡
称
す る ) を 起 草 し、 教 徒 に 対 し て 「 帝 国 主 義 が 中 国 に お い て な し た 罪 悪 を は っ き り と 知 り、 過去
、 帝 国 主 義 が キ リ ス ト 教 を 利 用 し た 事 実 を 知 り、 キ リ ス ト 教 内 部 の 帝 国 主 義 の 影 響 を 排 除 し、 帝 国 主義
、 と り わ け ア メ リ カ帝
国 主 義 が 宗 教 を 利 用 し て 反 動 勢 力 を 養 成 し よ う と す る 陰 謀 を警
戒 す る 」 べ き こ と を 呼 び か け、 キ リ ス ト 教 の 各 教 会 と 団 体 が 「 具 体 的 な 計 画 を 作 り 、最
短 の 時 間 で 、 自 力 更 生 の 目 標 を 実 現 す る 」 こ と を 求 め た 。 こ の 宣 言 に は 四 〇 人 の キ リ ス ト 教 の 著 名 人 が 発 起 人 と な り 、 一 箇 月 あ ま り の う ち に 、 各 教 会 の 責 任 者 ] 千 五 百 人 以 上 の 署 名 が あ っ た 。 『 人 民 日 報 』 一 九 五 〇 年 九 月 二 七 日 号 に は 宣 言 と 署 名 者 の 名 が の せ ら れ、 社 説 も だ し て 支 持 を 表 明 し た 。 当 然 な が ら コ. 一 自 宣 言 」 を 遂 行 す る 道 の り は 順 調 な も の で は な く、 開 始 さ れ る や い な や 、 キ リ ス ト 教 内 部 で 帝 国 主 義 の 立 場 を 堅 持 し て い た 宣 教 師 や、 そ の 影 響 を受
け た 人 々 に よ る 妨 害 と 破 壊 を 受 け、 キ リ ス ト 教 界 の愛
国 者 は 誹 謗 と 中 傷 に あ っ た 。 戦 い は 帝 国 主 義 に よ っ て長
い 間 支 配 さ れ て い た キ リ ス ト 教 の 全 国 的 組織
で あ る 「 中 華 キ リ ス ト 教 協 進会
」 の 内 部 で 集 中 的 に 行 な わ れ た 。 こ の 会 の 一 九 五 〇 年 一 〇 月 の 第 一 四 回 年 次 大 会 の 席 上 、 宣 教 師 の リ ー ダ ー た ち は 別 の 宣 言 を 書 い て 、 「 三 自 宣 言 」 に 対 抗 し よ う と 企 て た 。 こ の 企 て が 失 敗 す る と、 彼 ら は ま た 背後
か ら 操 っ て、 大 会 が 一− 三自
宣 言 」 に つ い て 検 討 す る の を 妨 害 し よ う と し 、 さ ら に 呉耀
宗
が 協 進 会 の 指導
部 に 参 加 す る の を 排斥
し よ う と し た 。 し か し 、 彼 ら の 謀 り事
は 年 会 の 席 上 で す べ て無
に 帰 し 、 会 の 代 表 は 教界
の 革 新 と 三 自 宣 言 の 目 標 を 討 論 す る だ け で は な く、 全 国 の キ リ ス ト 教 徒 が 「 三 自 宣 言 」 の 署 名 運 動 に 勇 気 を も っ て 参 加 す る よ う 決 議 し 、 呼 び か け た の で あ る 。 口 外 国 か ら の 宣 教 師 派 遣 を 断 ち 切 っ て 三 自愛
国 の 組 織 を 成 立 さ せ た 一 九 五 〇 年 六 月、 ア メ リ カ 帝 国 主 義 は 朝 鮮 侵 略 の 戦争
を お こ し 、 軍 隊 を 我 が 国 の 領 土 台湾
に 派 遣 し た 。 九 月、 我 が 国 の 東 北 部 を 爆 撃 掃射
し て 中 国 の 安 全 を 脅 か し た 。 我 が 国 は 勇敢
な る 抗美
援 朝、 国 家 防 衛 の 運 動 を 展 開 し た 。 こ の 運 動 は キ リ ス ト 教界
に と っ て 大 き な 教 育 と な り 、 信 徒 大衆
の 帝 国 主 義 に 対 す る 認 識 を 高 め 、彼
ら の 愛 国 の 熱 情 を 強 く 呼 び 起 こ し た 。特
に 同 年 一 一 月、 ア メ リ カ の 国 連 大使
オ ー ス チ ン の発
言 は 、 ア メ リ カ 帝 国 主 義 の 中 国 へ の 文 化侵
略 を 、 「 友 好 」 と 「 善 意 か ら の 措 置 」 な ど と し て 、中
国 人 民 を 侮 辱 し 、 愛 国 の 教 徒 を 激怒
さ た 。 各 地 の キ リ ス ト 教 の 団 体、 学 校 、 医 院 で は 次 々 と 集 会 や デ モ が お こ な わ れ、 強 い抗
議 が な さ れ た 。 一 九 五〇
年 一 二 月 一 〇 日、 ア メ リ カ 政 府 は 強 引 に も 中 国 が ア メ リ カ に も つ 公 私 の 財 産 を 管 制 し、 あ ら ゆ る ア メ リ カ 籍 の 船 舶の 中 国 の 港 へ の 寄
港
を 禁 止 す る 旨 を 宣 言 し た 。 こ の 挑発
的 な 行 動 は 愛 国 の 教 徒 も 含 め て 中 国 人 民 の 強 い怒
り を 呼 び 起 こ し た 。 我 が 国 の 政 府 は 同 年 一 二 月 二 八 日 、 「 ア メ リ カ が 中 国 に 所 有 す る 財 産 を 管 理 し、 ア メ リ カ が 中 国 に 所 有 す る 借 款 を 凍 結 す る 命 令 」 を 発 布 し た 。 新 た な る 情勢
が 、 中 国 キ リ ス ト 教 が 三 自 を 実 現 す る 過 程 に 生 じ た の で あ る 。 一 九 五 一 年 四 月 、 政 務 院 は 「 ア メ リ カ 援 助 の キ リ ス ト 教 団 体 の 処 理 に つ い て の 会 議 」 を 召 集 し 、 中 国 の キ リ ス ト 教 団 体 の 当 面 す る 経 済 的 困 難 の 解 決 を 計 る た め に 検 討 と 処 理 の 方 法 を 制 定 し た 。 席 上 、 愛 国 の キ リ ス ト 教 徒 は 、 抗 美援
朝 の 運 動 の 影 響 の も と に 、 帝 国 主 義勢
力 と は っ き り と 一 線 を 画 す べ き こ と を 決 意 し た 多 く の 上 層 の 人 々 と と も に 、 次 々 と 帝 国 主 義 が 外 国 か ら の 宣 教 師 の 派 遣 を 利 用 し て 我 が 国 を 侵 略 し た 罪 行 と 陰謀
を暴
い た 。 そ の 時 成 立 し た 中 国 キ リ ス ト 教 の 抗 美 援朝
三 自革
新 運 動 委 員 会 準備
委
員
会 は 「 中 国 キ リ ス ト 教 各 教 会 代 表 聯 合 宣 言 」 を発
表 し 、「 最 後 ま で 、 徹 底 し て 、 永 遠 に 、 全 面 的 に 、 ア メ リ カ そ の 他 の 派 遣 す る 宣 教 師 と の あ ら ゆ る 関 係 を 断 ち き り 、 中 国 キ リ ス ト 教 の 自 治 、 自 養 、 自 伝 を 実 現 し な け れ ば な ら な い 」 旨 を 発 表 し た 。 会 の
後
、 全 国 の 多 く の 都 市 の キ リ ス ト 教 教 会 の 団 体 は 、帝
国 主 義 が キ リ ス ト 教 を 利 用 し て 中国
を 侵 略 し て い る事
を 訴 え る 集 会 を 行 な っ た 。 こ の 一 時 期、 外 国 の 宣 教 師 は つ ぎ つ ぎ に 国 に 帰 り、 そ の 駐 在 機 関 も 前 後 し て 撤退
し た 。 三自
愛
国 運 動 の発
展 に と も な っ て 、 中 国 キ リ ス ト 教 は 、 一 九 五 四 年 八 月、 各教
派
と 団 体 が 大 団 結 を 基 礎 と し て 「 中 国 キ リ ス ト 教 三 自 愛 国 運 動委
員 会 」 を 成 立 さ せ た 。 呉 耀 宗 を 主席
に 、 陳 見 真 、 呉 貽 芳 、 陳崇
桂 、 江 長 川 、 崔 憲 祥 、 丁 玉 璋 を 副 主 席 に 選 出 し た 。 こ の 会 の 規 定 の 主旨
は 、 中 国 共 産 党 と 人 民 政府
の 指 導 の も と 、 全 国 の キ リ ス ト 教 徒 を 団 結 さ せ 、 祖 国 を 熱 愛 し 、 国 家 の 法 律 を 守 り 、 自 治 、 自 養 、 自 伝 、 独 立 自 主 、 自 弁 の 教 会 の 方 針 を 堅 持 し 、 三 自愛
国 運 動 の 成 果 を 護 る と い う も の で あ る 。 こ れ よ り 中 国 キ リ ス ト 教 は 中 国 の 教 徒 の 自 弁 の 宗 教 事 業 と な っ た 。 全 国 各 地 に も 前 後 し て 地 域 性 の 三 自愛
国 の 組 織 が 成 立 し た 。 日キ リ ス ト 教 内 部 の 反 革 命 勢 力 を 粛 清 し た 中 国 キ リ ス ト 教 が 、 外 国 か ら の 宣 教 師 の 派 遣 と い う 関 係 を 断 っ て 後 も 、 そ の 内
部
に 紛 れ 込 ん で い た 少 数 の 反 革命
分 子 は 依 然 と し て 波 風 を 立 て て 、 破 壊 活 動 を 続 け た 。 彼 ら の あ る も の は 、 宣 教 師 と し て の 身 分 を 利 用 し て 人 々 を 惑 わ せ 、 金 を 騙 し と り 、 生 命 や 健 康 に 危 害 を 加 え た の で あ り 、 ま た あ る も の は布
教
と 出 版物
を 利 用 し て中
国 共 産 党 を 「 サ タ ン 」 と 攻 撃 し 、新
中 国 を 「 暗 黒 の 時 代 」 と侮
辱 し 、 愛 国 の 教 徒 を 「 ユ ダ 」 と 罵 っ た 。 あ る も の は 教 堂 や 個 別 の 教 派 を 支 配 し 、 人 々 の 間 に害
毒
を な が 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 六 五社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 六 六 し 、 陰 で 反 革 命 活 動 を 行 な っ た の で あ る 。 た と え ば 、 キ リ ス ト
教
を 隠 れ 蓑 と し た あ る 反 革 命 分 子 は 、 「 祈 疇 で 病気
を 治 す 」事
を お も てず
ら に し て 、 人 々 を 騙 し、 金 を 巻 き 上 げ た だ け で は な く、 朝 鮮 侵 略 の ア メ リ カ軍
を 「 天 兵 天 将 」 と 賛 え、 朝 鮮 人 民 が爆
撃 を 受 け、 殺 さ れ て い る こ と を 「 罪 を 犯 し た の で 罰 を 受 け て い る 」 と し た の で あ る 。 一 九 五 五 年、 全 国 的規
模 で 繰 り 広 げ ら れ た 反 動 粛 清 の 運 動 の さ 中、 各 地 の 政 府 は 法律
に 則 っ て キ リ ス ト 教 の 上着
を 着 た 少 数 の 反 革 命 分 子 を 逮 捕 し 、 基 本 的 に キ リ ス ト 教 内 部 の 反 革 命 分 子 を 一 掃 し た. . 一 九 五 六 年 一 月 、 上 海 市 公 安 局 は 「 上 海 キ リ ス ト 教 徒 聚 会 処 」 の 倪 柝 声 の 反 革 命 集 団 を 摘 発 し 、 彼 ら の 反 革命
の 罪行
を 暴 い た 。 リ ー ダ ー の 倪 柝 声 は 一 貫 し て ア メ リ カ 、 蒋 介 石 の ス パ イ と 結 託 し 、 解放
前 に は 積 極 的 に 反 共 活 動 を 画 策 し 、 解放
後 に は 国 民党
の ス パ イ に 対 し て 重 要 な 軍 事 的 政 治 的 情 報 を提
供 し て い た 。 た と え ば 発 電 所 の 爆 破 の 計 画 を 立 て た り す る な ど し て 、 全 国 解 放 を 妨 害 し、 社 会 の 安 定 を 破 壊 し よ う と 企 て た の で あ る 。 彼 は ま た 教 徒 を 扇 動 し て 土 地改
革 と 抗 美 援 朝 の 運 動 を破
壊 し よ う と し 、 国 家 の 科 学 技 術 の情
報 を 盗 も う と し た 。 倪柝
声 の 品 性 は 劣 悪 で 多 く の 女 性 の 汚 し も し た 。 こ の よ う に 反革
命
分
子 が 着 る 神 秘 的 な 「 上着
」 に よ っ て 、 多 く の 教徒
達 、 と く に 若 い 教 徒 は 害 毒 を こ う む っ た 。 反 革 命 分 子 の 様 々 な 罪悪
を 公 開 し 暴 く こ と に よ っ て、 中 国 キ リ ス ト 教 の 内 部 に は 大 き な 変 動 が 起 き た 。 上 海 お よ び 全 国 各 地 の 教 徒 、 と く に 「 聚 会 処 」 教 派 の 教 徒 達 は、 次 々 と 彼 ら の 罪 を 暴 き 、 眼 を よ く 擦 っ て 是 非 を 判断
し 、 反 革命
分 子 と 一線
を 画 す る こ と を 表 明 し た 。 反 動 的 な 運 動 が 粛 清 さ れ た後
、 基 本 的 に は キ リ ス ト 教 内 部 に 入 り 込 ん で い た 反 動 分 子 は 一 掃 さ れ、 よ り 正 常 な 道 を歩
む こ と と な り 、 中 国 キ リ ス ト 教 の 三 自愛
国 運 動 も 発 展 し て い っ た の で あ る 。 二 、 天 主 教 界 の 反 帝 愛 国 運 動6
バ チ カ ン の 、 我 が 国 内 政 へ の 干 渉 に 反 対 し 、愛
国 宣 言 を発
表 し た 我 が 国 の 天 主 教 は 旧中
国 で は 長 期 に わ た っ て 、 帝 国 主 義勢
力 の 利 用 と 支 配 を 受 け て き た 。 バ チ カ ン 法 王 庁 は、 中 国 の 革 命 に 対 し て 一貫
し て 敵 対 的 な 態 度 を と り 続 け て き た 。 一 九 四 九 年 四 月 に 中 国 人 民 解 放 軍 が南
京 を 解 放 し て 以 後、 バ チ カ ソ は 国 民党
政 府 に 駐 在 す る 「 公使
」 の ア ン ト ニ ー ・ リ ベ リ を 通 じ、 中 国 の 各 教 区 に 一 九 四 九 年 七 月 一 日 、 「 口 ー マ 聖 職 部命
令 」 を 発 し 、 天 主 教 徒 が 中 国 共 産 党 と 人 民 政 府 に 反 対 す る よ う 扇 動 し た 。 そ し て 「 共 産 党 に 加 入 し 、 あ る い は 共 産 党 に 賛 成 し援
助 し 」、 ま た 「 共 産 主 義 の 理 論、 あ る い は そ の 行 動 を 支持
す る 本、 雑 誌、 新 聞 を発
表 し て 宣 伝 し た り、 読 ん で 支持
し た り、 さ ら に は そ れ ら に 文 章 を 書 い た 」 天 主 教 徒 は 、 す べ て 「 聖 書を 授 け る こ と を
拒
否
す る 」 と 定 め た 。 各 教 区 は こ の 命 令 を 受 け 取 る や、 た だ ち に 緊 急 会議
を 召 集 し、 部 門 に 伝達
し て 方 案 を 実 行 し た 。 た と え ば 天津
教
区 の フ ラ ン ス籍
の 主 教 の 文貴
賓
は 命 令 を 受 け る や 、 た だ ち に 会 議 を 開 き、 私 的 命 令 「 ど の よ う に し て ロ ー マ 法 玉 庁 の 七 月 一 日 の 命令
を し た が う か 」 を 作 り 、 八 月 一 五 日 、 該 当 す る 教 区 に 所 属 す る 各 教 堂 、 各 学 校、 慈 善 機 関 に 下 し た 。 さ ら に は い く つ か の 規 則 を 付 け 加 え、 「 共 産 主 義 の 理 論 を 受 け 入 れ た も の は 除 籍 一 「 教 友 に 共 産 主 義 の 書 物 を 説 明 す る こ と の 禁 止 」 「 共 産 党 の 新 聞 紙 上 の 理 論 や 文章
の 閲 読 の禁
止 」「 教
徒
の 華 北 大 学 、 革 命 大 学、 公安
学 校 、 軍 政 大 学、 職 工 学 校 へ の 参 加 の 禁 止 」 「 労 働 組 合 や 婦 人 聯 合会
、 青 年 聯 合 会 へ の 参 加 の 禁 止 」 「 名 を 共産
党
に 連 ね る こ と の禁
止 」 な ど を 行 っ た ( 顧 長 声 著 『 伝 教 士 と 近 代 中 国 』 四 二 八 頁 ) 。 一 九 五 〇 年 。 ア ン ト ニ ー ・ リ ベ リ は ま た も や 「 法 王 庁 の 公 使 」 の名
の も と に 「 ロ ー マ 聖職
部 」 の 一 九 五 〇 年 七 月 二 八 日 の 「警
告
」 を 発 表 し 、 お よ そ 「 共 産 党 の 支 持 と 援 助 の も と 」 で 成 立 し た 組 織 に 参 加 し た 天 主 教 徒 は 、 ど の よ う な 名 目 で あ っ て も 、 す べ て 一 九 四 九 年 七 月 一 日 の 聖 職 部発
行 の 命 令 に あ げ ら れ た 制 裁、 す な わ ち 「 聖 書 を 授 け ら れ る 資 格 を 喪 失 し 」 、 な い し は 「 追 放 と い う 特 別 処 分 に 処 す 」 と 宣 言 し た の で あ る 。 バ チ カ ン と 天 主 教内
部 の 帝 国 主 義 勢 力 が 我 が 国 の 内 政 に 干 渉 し た行
為 は 、 中 国 天 主 教 内 部 の 多 く の 愛 国的
な 教徒
の 反発
を招
い た 。 た と え ば 上海
の 各 教 会 や 学 校 に お い て 信 仰 を も つ 知識
分 子 、 さ ら に 徐 家 涯 の 天 主 教 や 土 山 湾、 聖 母院
、 各 工 場 の 信教
労 働 者 た ち は 、 つ ぎ つぎ
に 行 動 を お こ し 、 反 帝 の 戦 い を 展 開 し た 。 ま た 北 京 の 輔 仁 大 学 の 帝 国 主 義 の 代 理 人 は 教 育 経 費 の 支払
い を停
止 す る と脅
迫 し て 、 無 理矢
理 あ る 教 師 の 処 分 を 提 案 し 、 強 引 に 干 渉 し て 、 我 が 国 の 教 育 の 主 権 を 犯 そ う と し た が 、 こ の 大 学 の校
長 の 陳 垣 は 、 教 徒 も 含 め た 学 内 す べ て の 愛 国 の 教 師 と 生 徒 を 指導
し て 揺 る ぎ な い 戦 い を 行 い 、 つ い に は 学 校 と 帝 国 主 義 勢 力 と の 関 係 を 絶 ち 切 り 、 政 府 の 指 導 を受
け る こ と に な っ た 。 天 主 教 の 教 職 者 の 中 に も 愛 国 者 が お り、 帝 国 主 義 が 我 が 国 の 内 政 に 干 渉 す る こ と に 不 満 を 持 ち、 そ の統
制 か ら 抜 け 出 す べ き を 主 張 し て い た 。 四 川 省 の 広 元 の 天 主 教 の 神 父 の 王 良 佐 な ど 五 百 余 名 の 天 主 教 徒 は 、 一 九 五 〇年
一 一 月 三 〇 日、「 広 元 天 主 教 自 立 革 新 運 動 宣 言 」 を 発 表 し、 旧 中 国 の 天 主 教 の 宣 教 の 仕
事
と 植 民 地 主 義 侵 略 勢 力 と の 関 係 を暴
露
し 、 「帝
国 主 義 者 の た め に 各 方 面 の関
係 を 切 り 裂 か れ た こ と 」 を 主 張 し た 。 こ の 宣 言 に は 全 国 の多
く の 地 区 の 天 主 教 の 人 々 の 反 応 が あ っ た 。 一 九 五 一 年 一 月 八 日、 『 人 民 日 報 』 は こ の た め に 社 説 「 天 主 教 の 人 々 の愛
国 運 動 を 歓 迎 す る 」 を 発 表 し て 、 王 良 佐 神 父 ら の 愛 国 の 主張
に 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 六 七社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 六 八 熱 烈 な 支 持 を 表 明 し た 。 こ の
後
、 各 地 の 天 主 教 会 は 次 々 と こ の 面 に つ い て の 宣 言 を 発 表 し た 。 一 九 五 一 年 一 月 一 三 日 、 天津
天 主 教 界 は 「 自 立 革新
宣 言 」 を 発 表 し た 。 三 月 三 一 日 、 南 京 教 区 の 代 理 総 主 教 の 李 維 光 ら も ま た 宣 言 を 発 表 し 、 「 法 王 庁 が 中 国 の 内 政 に 干 渉 す る こ と に 強 く 反 対 し 、 彼 ら と 政 治 経 済 の関
係 を き っ ぱ り と 絶 ち 切 る 」 旨 を表
明 し た 。 九 月 一 七 日、 北 京 市 天 主 教 界 の 人 々 と 、 上海
市 天 主教
界 の 人 々 は 各 々 官 三 凵 を 発 表 し 、 反 帝 愛 国 の 立 場 を 表 明 し て 、 教 会 が 帝 国 主 義 と の 関 係 を絶
ち 切 る べ き こ と を 主 張 し た 。 口帝 国 主 義 が 天 主 教 を 利 用 し て 我 が 国 を 侵 略 し た 罪 行 を 暴 露 し
告
発 し た 天 主 教 が 反 帝 愛 国 の 運 動 を 繰 り 広 げ る さ 中、 帝 国 主 義 の勢
力 と そ の 代 理 人 は 「神
権 」 を 利 用 し て 、 力 の 限 り の 妨 害 と 破 壊 を 行 な っ た 。 彼 ら は青
年 教 徒 を 取 り 込 ん で 、 所 謂 「 教 理 小 組 」 を 組 織 し 、 「 三 不 主 義 ( 共産
党
の 新 聞 を 見 ず 、 そ の 宣伝
を 聞 か ず 、 教 会 に 帝 国 主 義 分 子 が い る と 言 わ な い ) 」 を 宣 伝 し 、 「 有神
と 無 神 と は 両 立 し な い 」 と し 、 教徒
を 扇 動 し て 人 民 政 府 と 対 抗 さ せ た 。 あ る 愛 国 の 教 徒 は 【 絶 罰 」 の 脅 し ( 天 主 教 会 が 教 職 に つ く 人 の 信 者 に 対 し て 与 え る 最 も 厳 重 な 諸 分 で 、 例 え ば 教 籍 剥 奪、 死 後 に 昇 天 で き な い な ど ) を 受 け た 。 上 海 の あ る 天 主 教 堂 で は 愛 国 の 教 徒 が 「 聖 体 拝 領 」 に で か け た と こ ろ 引 き ず り だ さ れ る と い う 事 件 が 起 き た 。 天 主 教 内 部 の 帝 国 主 義 分 子 は ま た あ ら ゆ る 手 段 で 、 宣 教 の 仕 事 と 植 民 地 主 義 と の 関 係 を 否 定 し、 信 徒 達 を 欺 い た た の で あ る 。 た と え ば ア ン ト ニ ー ・ リ ベ リ が 巻 き 散 ら し 、 文 賓貴
に よ っ て 起 草 さ れ た 「 天 主 教 中 国 全体
主 教 声 明 」 お よ び 「 経 教 会 批 准 」 の い わ ゆ る 「 学 習 参 考 」 文 件 は 、 す べ て 「 我 が 天 主 教 は か つ て 帝 国 主 義 と 関 係 を も っ た こ と が な い 、 だ か ら 自 分 か ら 関 係 を 断 つ こ と も な い 」 な ど と し て い る 。 一 九 五 一 年 三 月、 南 京 教 区 の李
維 光 代 理 主 教 が 自 立 宣 言 を 発 表 す る と 、 ア ン ト ニ ー ・ リ ベ リ は た だ ち に 各 教 区 の 主 教 に 手 紙 を 書 い て 反 対 を 表 明 し 、 さ ら に 「 は っ き り と 徹 底 的 に 勇 敢 に 敵 の 詭 計 に 立 ち 向 か っ て 勝 利 す る 」 こ と を 求 め た 。 彼 は 公 然 と 天 主 教内
部 の 反 帝 愛 国 の 運 動 を 支 持 す る 中 国 人 民 と 人 民 政 府 を 「 敵 」 と 呼 ん だ 。 天 主 教 内 部 の 帝 国 主 義 の 勢 力 と そ の 代 理 人 が 、 宗 教 を 利 用 し て新
中 国 に 反 対 し 、 ま た 我 が 国 の 内 政 に 干 渉 す る あ く ど い や り 方 は 、 愛 国 教 徒 の 怒 り を か い 、 彼 ら は し ば し ば 暴 露 し 告 発 し た 。愛
国 の 教 徒 と 人 民 群 衆 の 厳 正 な 要 求 の も と で 、 天 主 教 内 部 の 、 罪悪
が 明 ら か な 外 国 の 宣教
師 、 た と え ば 天 津 の 文 賓貴
、南
京 の ア ン ト ニ ー ・ リ ベ リ は 相 い つ い で 国 外 に 退 去 さ せ ら れ た 。 こ の後
、 愛 国 教 徒 の 暴露
に よ り、 北 京 、 南京
、 武 昌 、 揚 州 、 沈 陽 、 昆 明、 安 慶、 蕪 湖 、 西 安、 開 封 、 済 南 な ど の 地 で は 、 天 主 教 を 利 用 し て 破 壊 活 動 を 進 め た 外 国 人 宣 教 師 の 審 査 が つ ぎ つ ぎ と 行 な わ れ た 。 彼 ら は 長 い 間 反 動 勢 力 と 結 ん で 、 我 が 国 の 革 命 の 事 業 を 破 壊 し た だげ で な く、 建 国 の 後 も 帝 国 主 義 の 機 関 の た め に 情 報 を 収 集 し、 デ マ を 振 り ま き 、 新 中 国 に 反 対 し、 天 主 教 界 内 部 の 反 帝 愛 国 の 運 動 を 阻 止 し 破 壊 し よ う と し た 。 こ れ ら の 宣 教 師 は 、 当 然 の こ と な が ら 我 が 国 政
府
に よ り 国 外 退 去 の 罰 を 受 げ た の で あ る 。 我 が 国 の 愛 国 の 天 主 教 徒 と 人 民 政 府 の 正 義 の 行 動 に 対 し て 、 パ チ カ ソ は お お い に わ め き 立 て 、 引 き 続 い て 破 壊 を 進 め た 。 法 王 の ピ オ 一 二 世 は 一 九 五 二 年 一 月 八 日、 い わ ゆ る 「 中 国 天 主 教 会 あ て 」 の 「 通告
」 を 発 麦 し 、 こ れ ら 中 国 人 民 の 利 益 に 危 害 を 加 え た 犯 罪 分 子 を 「 無 実 な の に 、 誤 っ て 罰 せ ら れ た 」 と い い 、 中 国 の 教 職 者 と教
徒 に 「 正 義 に 恐 れ 」 . 怯 し 」 と し て 、 「 動 揺 を 恐 れ ず、 危 険 を 恐 れ ず 、 艱 難 を 恐 れ ず に 」 政府
や 人 民 に 徹 底 的 に 対 抗 す る よ う 扇 動 し た 。 一 九 五 四 年 一〇
月 一 七 日 、 ふ た た び 「 通 告 」 を発
表 し、「 最 近 に な っ て も な お 宗 教 を 仇 と す る 人
−
こ の ほ か 天 主 キ リ ス ト が 立 て た 教 会 を 仇 と す る 人ー
が 起 こ す 陰 険 な 運 動 に 参 加 し、 彼 ら の 誤 っ た 理 論 に 従 う 人 」 、 す な わ ち 愛 国 の 教 徒 を 引 ぎ 続 き 侮 辱 し 、 天 主 教 徒 は 、 新 中 国 に 反 対 す る 道 を 「 勇 敢 に 恐 れ る こ と な く 引 き 続 き 前 進 」 し な け れ ば な ら な い と 扇 動 し た 。 し か し こ の よ う な 本末
転 倒 の 「 通 告 」 は 、 帝 国 主 義 が 天 主 教 を 利 用 し て 破 壊 活 動 を 進 め た と い う数
多
く の 証 拠 の 前 に あ っ て ば 、 反 面 教 師 の 役 割 を 果 た す に 過 ぎ な か っ た し、 中 国 の 天 主 教徒
が 彼 ら の 狙 い を は っ き り と 見 て 取 り 、 反 帝 愛 国 の 覚 悟 を 強 く す る の を 加 速 す る だ け で あ っ た 。 愛 国 の 教 職 の 人 々 は 「 神 権 剥 奪 」 を 恐 れ ず 、 愛 国 の 信 教 の 人 々 は 「 お 勤 め 」停
止、 「 領 聖 体一 の 拒 否、 甚 だ し い と き は 「 絶 罰 」 な ど の 威 嚇 を 恐 れ る こ と な く、 政 府 が こ れ ら 帝 国 主 義 の た め 働 く 外 国 人 宣 教 師 を 追 い 払 う こ と を 擁 護 し た 。 反 帝 愛 国 の 運 動 は 天 主 教 教 徒 の な か で さ ら に 一 歩 進 ん だ の で あ る 。 日天 主 教 内 部 の 反 革 勢 力 を 粛 清 し た 宗 教 の 上 着 を き た 帝 国 主 義 分 子 は 、 裁 判 を
受
け た り 追 い 払 わ れ た り し た が 、 し か し 、 天 主教
内
部 に 隠 れ て い た 代 理 人 は 、 宗 教 を 利 用 し て 破 壊 活 動 を 進 め る こ と を 決 し て や め な か っ た 。 彼 ら は 「 天 主 教 内 部 に帝
国 主 義 は な い 」「 有 神 と 無 神 と は 両 立 し な い 」 「 宗 教 信 仰 自 山 の 政 策 は で た ら め だ 」 な ど の デ マ を ば ら ま い た だ け で な く 「 退 か ず、 売 ら ず、 投 降 せ ず 」 の い わ ゆ る 「 新 三 不 主 義 」 を 掲 げ て 、 一 部 の 教 徒 が 新 中 国 と 対 蕨 す る こ と を 唆 し 挑 発 し た 。
甚
だ し い 場 合 、彼
ら は 反 革 命 組 織 を作
り 、 各 地 に お い て 軍 事、 政 治、 経 済 の 情 報 を 集 め て 帝 国 主 義 の ス パ イ 組 織 に 提 供 し、 さ ら に は 計 画 的 に 反 革 命 の デ マ を 流 し 、 祖 国 の建
設 を 破 壊 し 、愛
国 の 教 徒 を 打 撃 し 、 迫 害 し て 人 民 政 府 と の 「徹
底 闘 争 」 を 声高
に 叫 ん だ 。 こ の よ う な 状 況 に 対 し て 、 一 九 五 五 年、 天 主 教 内 部 の 反 革 命 集 団 を 粛 清 す る 闘争
を 展 開 し て 、 全 国 の 至 る 所 で 天 主 教 内 部 に 隠 れ て い る 反 革 命 分 子 を 暴 き だ し 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 六 九社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 七 〇 た 。 信 徒 大 衆 は し ぼ し ば 集 会 を 行 な い 、 反 革
命
分 子 の 様 々 な 破 壊 の 罪 を 暴 き だ し 訴 え た 。 一 九 五 五 年 九 月 二 五 日 、 上 海 天 主 教 界 は 聾 品梅
の 反 革 命 集 団 を 糾 弾 す る 一 万 人 大 会 を 開 催 し、 建 国 以 来 ず っ と 会 議 に 参 加 し な か っ た 多 く の 神 父、 修 道 女達
も 大 会 に 参 加 し、 彼 等 は い ま ま で ず っ と 叫 ば な か っ た 「 中 華 人 民 共 和 国 万 歳 」 の シ ュ プ レ ヒ コ ー ル を 高 ら か に叫
ん だ 。 同 年 の 国 慶 節、 上 海 の 徐 家 濯 大 堂 前 に は 、 初 め て 中 華 人 民 共 利 国 国 旗 が 昇 り 、 国 慶 節 を 祝 う牌
楼 が 立 て ら れ、愛
国 の 神 父 に よ る 新 中 国 の繁
栄 と 富 強 の た め の 祈 疇 で あ る 「 六 、 五 品 大礼
ミ サ 」 が 挙 行 さ れ た 。 夜 に 入 っ て 、 信 教 と 不 信 教 の 群 衆 二 万余
人 は 教 堂 前 の 広 場 を中
心 と し た 国慶
節 の 祝 い に 参 加 し 、 天 主 教 徒 と 各 界 の 人 民 と の愛
国 の 団 結 を 十 分 に 示 し、 天 主 教 の 反 帝 愛 国 の 運 動 は新
た な る勝
利 を 勝 ち と っ た の で あ る 。 四バ チ カ ソ 法 王 庁 の 支 配 を 脱 し 自 ら 主 教 を 選 ぶ 一 九 四 八 年 の 統 計 に よ れ ば 、
中
国 天 主 教 の 一 四 〇 の 教 区 の 内、外
国 籍 の 主 教 は 一 一 〇 人 以 上 い た 。建
国後
、 こ れ ら の 外 国籍
の 主 教 は 相 い つ い で 中 国 を 離 れ、 も は や 教 職 を 執 行 で き な く な っ て い た が、 パ チ カ ソ 法 王 庁 は 依 然 と し て彼
ら の も と の職
を 維 持 し て 、 彼 ら に 国 外 で 「 遠隔
操 縦 」 を す る よ う 指 示 し、 い つ の 日 か の 捲 土 重 来 を 意 図 し た 。 同 時 に バ チ カ ン 法 王庁
は愛
国 の 中 国 人 主 教 に 対 し て い わ れ な き 迫害
を 加 え た 。 た と え ば 一 九 五 二 年 二 月、 バ チ カ ン 法 王 庁 伝 信 部 は 決 議 し て 、 独 立 自 主 の 宣 言 を 発表
し た 南 京 教 区 代 理 総 主 教 の 李 維 光 を 「 教 籍 剥 奪 」 と し 、 一 九 五 五 年 三 月 一 六 日 に 正 式 に 公布
し た 。 中 国 天 主 教 会 は 大 部 分 の 教 区 で 主 教 を 欠 い た た め に 、 聖 典 を 行 な う こ と が と て も 困 難 に な っ て し ま い 、 信 教 の 群 衆 の宗
教 生 活 は 大 ぎ な 影 響 を 受 け た 。 反 帝愛
国 運 動 の 試 練 を 受 け た 天 主 教 神 父 と 信 徒 大衆
は バ チ カ ン 法 王 庁 の 統 制 か ら 離 れ る こ と を 決 意 し 、 自 ら 主 教 を 選 ん だ 。 天 主 教 上 海 教 区 は 一 九 五 六 年 三 月 一 六 日 、 張 士 琅 を 代 理 主 教 に 選 出 し 、 電 報 で バ チ カ ン に 通 告 し た 。 こ の 合 法 的 な 愛 国 教 徒 の 行 動 は 、 結 局、 バ チ カ ン 伝 信 部 の い わ れ の な い 拒 否 に 遭 っ た が 、 し か し 上 海 教 区 の 信 徒 大衆
の 擁 護 と 全 国 各 地 の 天 主 教 界 の 支 持 を 獲 得 し た 。 当 時、 全 国 の 各 地 に は 天 主 教 愛 国 会 が す で に 二 〇 〇 余 も 成 立 し て お り 、 一 九 五 七 年 の 北 京 で の中
国 天 主 教 第 一 回代
表 会 議 で は 「 バ チ カ ン の 支 配 か ら の 脱 却 を 堅 く 決 意 し 、 独 立 自 主 臼 弁 の 教 会 を 実 現 す る 」 と の 決議
が 通 過 し た 。 同 時 に 、 中 国 天 主 教 愛 国 会 ( す な わ ち 中 国 天 主 教 友 愛 国 会 ) が 正 式 に 成 立 し た 。 皮漱
石 を 主 席 に 、 楊 士 達、李
伯 漁、 李維
光、 王 文 成 、 趙 振 声、 董 文 隆、 李 徳 培、 曹 道 生 ら 八 人 を 副 主 席 に選
出 し た 。 全 国 各 地 に 次 々 と 地 域 の 天 主 教 愛 国 会 が 成 立 し た 。 一 九 五 八年
三 月、 武 昌 、 漢 口 両 地 区 の 天 主 教 の 神 父 達 は 二 人 の 主 教 を 選 出 し 、 四 月 に祝
聖 の 典 礼 を 挙 行 し て 全 国各 地 の 天 主 教 会 の 支 持 と 祝 い を 受 け た 。 こ の と き の 自 選 の 主 教 も 依 然 と し て バ チ カ ソ
法
王 庁 の 横 や り に 遭 い 、 で た ら め に も 武 昌、 漢 口 の自
選
の 主 教 は 「 無 効 」 で 「価
値
が な く 」「 超 級 の
絶
罰 」 と の威
嚇
を 受 け た 。全
国 の 天 主 教徒
は こ の よ う な 言 わ れ な き 干 渉 と 威 嚇 に 脅 か さ れ る こ と な く 、各
教 区 の 神 父 ( あ る 教 区 で は 修 道 女 や 教 徒 も 参 加 し た ) は 、 相 い つ い で 自 分 達 の 主 教 を 選 出 し て バ チ カ ン 法 王 庁 の 支 配 か ら 抜 け 出 し た 。 二 、仏
教、 道 教 と イ ス ラ ム 教 が 国 内 の 反 動 的 階 級 の 支 配 と 利 用 か ら 抜 け 出 し た 一 、 仏 、 道 教 界 の 民 主 改革
運 動e
封
建 的 特 権 と抑
圧 搾 取 の制
度
を廃
止 す る 仏 、道
教 は 長 期 間 統 治 階 級 の 支配
と 利 用 を受
け た た め 、 さ ま ざ ま な 封建
的 特 権 を 形 作 っ た 。 旧 中 国 で は 仏、 道 教 の 寺 観 の 財 産 は 統 治階
級 に 保 護 さ れ た 、 一 部 の 大 き な 寺 観 の 住 持 は 、 下 層 の 僧 侶 お よ び 所 属 す る 佃 戸 を 奴 役 し 処 分 す る 権 利 を も っ て い た 。 こ の よ う な 特 権 も 統 治 階 級 の 承 認 を受
け た も の で あ っ た 。 新 中 国 の 建 国 は 、 仏、道
教 を 反 動 的 統 治 階 級 に よ る 状 況 か ら 脱 却 さ せ た 。 土 地 改革
と 民 主 改革
を 通 し て 、 仏、 道 教 の さ ま ざ ま な 封建
的 特 権 は 廃 止 さ れ た 。 出 家 し た 仏 、 道 教 徒 は 、 → 般 の 公 民 と 同 じ よ う に 憲 法 に よ っ て 公 民 の 権 利 を 享 受 し、 公 民 の 義 務 を 遂 行 す る が 、 寺観
の住
持
も ま た 例 外 で は な か っ た 。 出 家 し て い る 仏、 道 教 徒 と 一 般 公 民 の 違 い は 、 わ ず か に 信 仰 の 上 で の 違 い だ け で あ る 。 旧 中 国 の 仏、 道 教 の 寺 観 の 主 た る 経 済 的 茲 盤 は 土 地 と 高 利 貸 に よ る 搾 取 の 収 入 で あ っ た 。 い く つ か の 寺 観 は 大 量 の 土 地 を 所 有 し て 重 い 地 租 と 高 利 貸 し で 、 農 民 と 貧 民 を 搾 取 し た 。 土 地 改 革 の 運 動 中 、 寺 廟 と 宮観
が 農 村 に 所 有 し て い た 土 地 を 微 収 し 、 高 利 貸 し の搾
取 を廃
止 し 、 仏、 道 教 の 封 建 的搾
取 制 度 を 打 ち 砕 い た 。 一 九 五 〇 年 一 月、 政 府 は 「 老 解 放 区 に お け る 農 業 土 地 問 題 の 指 示 」 を 発 布 し、 寺 廟、 教 堂 な ど の 土 地 を 一 律 に 国 有 と し 、 適 当 に 配 分 す る旨
を 規 定 し た 。 【 僧 尼 の 願 い は 農 業 生 産 に 従 事 す る こ と と 一 部 の 土 地 を 配 分 し て も ら う こ と で あ る 」 。 一 九 五 〇 年 六 月発
布 の 「 中 華 人 民 共 和 国 土 地 改 革 法 」 は 「 祠 堂、 廟 宇 、 寺 院 、教
堂、 学 校 と 団 体 が 農 村 に 所 有 す る 土 地 お よ び そ の 他 の 公 地 を 徴 収 す る 」 旨 を 規 定 し た 。寺
観
の 本 来 の 房 屋、 伽 藍 は 法 に 則 っ て 保 存 で き た 。 仏 、 道 教 徒 も ま た 農 民 と 同 じ よ う に 一 部 の 土 地 を 分 げ ら れ た 。 同 年 十 一 月 公 布 の 「 都 市 郊 外 地 区 の 土 地 改革
条
例 」 で も 同様
の 規 定 を し た 。 土 地改
革 の さ 中、 少 数 の あ く ど く、 ま た 民衆
の 怒 り を 買 っ て い た 住 持 お よ び 寺 観 内 部 の 抑 圧 を装
っ て い た 下 層 の僧
侶 や 住 持 に は 制 裁 を 与 え 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 七 一社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 七、 一 た 。 こ の よ う に し て 仏、 道 教 は 寺 観 の 封 建 搾 取 制 度 を 脱 却 し た 。 一 九 五 〇 年 以 来、 仏 教 界 は 農 禅 并 重 の 伝 統 を 発 揚 し 、 各 地 の 寺 廟 は 一 部 の 著 名 な 仏 教 者 の 指
導
の も と、 相 い つ い で 各 種 の 生 産 労 働 の 組 織 を 作 っ た 。 労 働 能 力 の あ る す べ て の 僧 尼 は 、 自 分 の 希 望 に よ っ て 、 農、 林、 手 工 業 や 、 各 種 の社
会 に 奉 仕 す る 事 業 に 従 事 し た 。 北 京 市 の 僧 尼 は 一 九 五 〇 年 に 大 雄 麻 袋 工 場 を 創 め 、 青 年 仏 教 徒 二 五 六 人 が 参 加 し た 。 一 九 五 一 年 に は き ら に 大 仁 麻 袋 工 場 や 六 箇 所 の 麻 紡 績 の 組織
を 作 り 、 青 年 仏 教 徒 一 五 六 人 が 生 産 に 参 加 し た 。 こ の 後 、 北 京 市 第 一 印 刷 生 産 合 作 社 、 織 物 工 場 、 比 丘 尼 裁 縫 組 、 紡 績 組 な ど を つ ぎ つ ぎ と 創 じ め た 。 福建
省 の 仏 教 徒 も 一 九 五 一 年 前 後 に 、 紡 績、 竹 細 工、 裁 縫、 五 金、装
丁、 紙 箱、 こ よ り な ど 八 つ の 手 工 業 を 次 々 と 創 じ め 、 五 〇 〇 余 名 の 僧 尼 が 労 働 に 参 加 し、 こ の ほ か 郊外
の 農 村 の 寺廟
の 僧 尼 を 組 織 し て 農 業 副 業 の 生 産 に 参 加 さ せ た 。 上 海 地 区 の 僧 尼 は 建 国 の 後 、 靴 下 織 り 、 タ オ ル 作 り な ど の 手 工 業 の 工 場 と農
場 を創
じ め た 。 山 西 省 五 台 山 の 数 百 人 の 僧 ぱ 自 分 達 で 耕 す 数 百 ム ー の 土 地 の ほ か 、 秋 の 収 穫 で 農 業 が 忙 し い 季 節 に は 組 織 し て 山 を 下 り、 農 民 の 収 穫 を 助 け た 。 四 川 省 峨 眉 山 の僧
は 資 金 を 集 め て 製茶
工 場 を 立 て 、 自 活 し た 。 長 沙 市 の 仏 教 徒 は 一 九 五 三年
、 長 沙 市 第 一 染織
合 作 社、 古 開 福寺
園 芸 生 産 組 、 六 合 織 布 工 場 、 建 労織
布 工 場 な ど を 組 織 し 、 一 〇 五 名 の 仏 教 徒 が 生 産 労 働 に参
加 し た 。 湖 南 省 南岳
の 仏、 道 教 徒 は 共 同 し て 「 南 岳 宗 教 徒 農 業 互 助 組 合 」 を 組 織 し、 後 に 発 展 さ せ て 農 業 生 産 合 作 社 と し た 。 蘇 州 霊 岩 寺 の 僧 は 、樹
木 を 植 え て 山 林 を 緑 化 し た ほ か、 彼 ら が 生 産 し た 食 料 は 、 毎年
自 給 し て 余 ゆ が あ っ た 。 総 じ る な ら ば 、 仏、 道 教 界 は 土 地改
革 を 通 し て 、 寺 観 の 封建
的 経 済 か ら の 束 縛 を 脱 却 し 、 仏、 道教
の な か の 封建
的 な 抑 圧 制 度 を な く し、多
く の 労働
可 能 な 和 尚 、尼
僧、 道 士 、 尼 道 + た ち は 労 働 生 産 し て 自 活 す る 道 を 歩 ん だ の で あ る 。口
仏、 道 教 徒 の 隊 列 を 整備
す る 旧 中 国 の 仏、 道教
の 多 く の 僧 尼 、 道 士 、 尼 道 士 ら の 大 多数
は 労 働 人 民 の 出 身 で 、 生 活 や 不 幸 に あ っ て 出 家 し た 。 し か し、 反 動統
治 階 級 の 攴 配 と 利 用 に よ り 、 仏、 道 教 界 の 中 に も い さ さ か の 悪 人 が 紛 れ 込 ん だ 。 た と え ば 九華
山 の 仏 教 の 内 部 に は、 長 い 間 土豪
劣 紳、 地 主 の ボ ス と 結 託 し 、 相 変 ら ず 地 元 民 を 食 い 物 に し、 群 衆 を 騙 し 、 重 ね が き ね の 罪 悪 を 積 み 重 ね た 反 革 命 分 子 が紛
れ 込 ん で い た が 、 反 革 命 を 鎮 圧 す る 運 動 の時
に 人 民 政 府 に 逮 捕 さ れ 法 的 処 置 を受
け た 。 ま た鎮
江 の 金 山 寺 や 焦 山 定 慧 寺 の 僧 の 中 に は 、 当 時 少数
の 国 民 党員
や 三 青 団 の積
極 分 子 が 紛 れ 込 み 、 彼 ら は 反 動 統 治 階 級 の た め に 功 績 を あ げ 、 解 放 後 も 仏 教 を 利 用 し て 革 命 と建
設 を 破 壊 し た が 、 鎮 反 粛 反 運 動 の さ 中 に 取 り 調 べ ら れ た 。反
革
命 を 粛清
す る 運 動 が 始 ま っ た時
・ 仏・道
教 界 の 一 部 は 宗 教 思 想 の 影 響 に よ り ・行
動
は 積 極 的 で な く 、 甚 だ し い 場 合 抵抗
さ え し た 。 学習
と 各 種 の 社 会 活 動 を 通 し ・ 特 に仏
・ 道 教 の 中 か ら 反革
命 分 子 と 悪 人 が あ ば か れ る こ と に よ っ て 、彼
ら は 認識
を高
め 、 眼 を さ ま し た 。 た と え ば 仏 教 界 の 人 々 は 経 典 で い う 「 邪 を 挫 か な け れ ば 正 を 明 ら か に で き な い 」「 暴 力 に
抵
抗 す る こ と は 善 を 救 う こ と で 、 そ れ が 菩 薩 の行
だ 」 な ど の教
義
を 根 拠 と し て ・ 反 動 を鎮
め ず 、 粛 清 し な か っ た ら 、 正 気 は昇
ら ず 邪 気 は 下 ら ず、 仏 教 界 は 純 潔 で あ る こ と は で き な い と 認識
し た 。 教 団 内 部 の 反 革命
勢
力 を 粛 清 し て 初 め て 仏 教 の事
業 は 正 常 に発
展 す る 。 こ う し た 認 識 を 高 め 、 是 非 を 分 か ち 、 反 革 命 を 鎮 圧 し 、 反 革 命 を 粛清
す る 運 動 は 仏 、 道 教 の 教 理 と は 矛盾
し な い の で 、 各 地 の 仏、 道 教 徒 は 速 や か に 鎮 反 粛 反 の 運 動 に 投 じ た 。 こ の ほ か 、建
国 の前
後
、 ] 部 の 反 動 的 な 会 道 門 は 仏、 道 教 の 名 を 騙 っ て 、 迷 信 の 違 法 活 動 を ほ し い ま ま に し 、 金 や 財産
を 騙 し 取 り 、 人命
を 損 な い 、 さ ら に は 国 民 党 反 動 派 と 地 主 の封
建
勢 力 と 結 ん で デ マ を ぼ ら ま ぎ、 人 民 の革
命 事 業 を 破 壊 し た 。 反 動 的 会 道門
を 取 り 締 ま る 過 程 に お い て 、 全 国 の仏
、 道 教 界 は い ず れ も人
民 政 府 の と っ た 正 確 な 処 置 を 擁 護 し た 。 仏 、道
教 界 に紛
れ 込 ん で い た 一 部 の 反 動 的 会 道 門 の や か ら は 基 本 的 に は き れ い に 排 除 さ れ た 。 た と え ば 、 一 九 四 九 年 八 月、東
北 地 区 で 逮捕
さ れ た 、 ス パ イ が 反 動 的 会 道 門 を 利 用 し て 反 革命
の 活 動 を進
め た 事 件 は 、仏
教
に 名 を 借 り た い わ ゆ る 「 大 同 仏 教 会 」 な ど の反
動 的 会 道 門 の 組 織 で あ っ た 。 一 九 五〇
年 一 一 月 、 天 津 市 は 仏 教 に 名 を 借 り た い わ め る 「 世 界 新 仏 教 会 」 の 反 動的
会 道 門 の 組織
を つ ぶ し た 。 こ の ほ か さ ら に 仏教
組織
の 内 部 に紛
れ 込 ん だ 一 部 の 反 動 的 会道
門
の メ ン バ ー を 排 除 し た 。 た と え ば 広 東 省 汕 頭 市 の 仏 教 界 は 一 九 五 三年
七 月 、 仏 教界
内 部 に 紛 れ 込 ん だ 反 動 的 会 道 門 「 先 天 道 」 の 分 子 を排
除 し た 。 鎮 反 粛 反 運 動 と 反 動 的 会 道 門 の取
り 締 り を 通 し て 、 仏 、道
教 界 内 部 の 一 部 の 反革
命 分 子 と 破壊
者
は 排 除 さ れ 仏 、 道 教徒
の内
部 は純
粋 と な り、 正 常 な 発 展 の 道 を 歩 み は じ め た 。 日愛
国 の 宗 教 組織
を 打 ち 立 て る 旧 中 国 の 仏 、 道 教 は 基 本 的 に は 寺 廟 宮 観 は す べ て 各 々 が 独 立 し て お り 、 そ れ ぞ れ の 流 派 の 見識
は と て も 深 い も の が あ っ た 。解
放 以 前 の 中 国 仏 教会
は 名 前 は 全 国 的 な 仏 教 組 織 で あ っ た が 、実
際 は 内 部 の 矛 盾 が 大 き く 、 本 当 の統
一 で は な か っ た 。 道 教 も 幾 度 か 全 国 的 な 組 織 を 作 ろ う と試
み た が 、 つ い に 成 功 し な か っ た 。建
国 以 後 、党
の 統 一 戦線
の方
針 指 導 の も と、 愛 国 の 団 結 が 社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 七 三社 会 主 義 中 国 の 宗 教 政 策 ( 永 井 ) 一 七 四 進 め ら れ た 。 仏