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松尾弘著『シンガポールの経済開発――インフレな き高度成長の分析――』(書評)

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巻 14

号 6

ページ 106‑109

発行年 1973‑06

出版者 アジア経済研究所

URL http://doi.org/10.20561/00052599

(2)

の内外的存在である の 2部5章よりなqている。

ますa,第I部 第

u

転「開発への序曲」では,当時のイ ギリス植民地政府は, 1945年の「連令主国植民地開発お j:び福111・法j

t

乙基づき, 1951年 かc:,5,年までに6億G400 万マラヤ・ドル(l?弓ヤ・ドル=28ペンス〉を(1)nl::'':' 

厚生施設Jの充実,(2)仲継貿易港としての機能の充実,

(3)第2次産業を育成発展させるための発電所その他の焔

;止の充実(同書 :22−<ージ)に投入するJi・pltiをたてたが.

判鮮戦午ブームの終結に浮うゴム, ;の{11日格の大込山 (llJ51午にポンドti6LJ.55マラヤ・ヒントであった

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のが, 1953年には67.44マラヤ・セント)による政府歳入 の

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数減,賃金の上井,マラヤ共産党の指導によるストラ

イキ川光発,計画実施iこ必要な技1,1¥,

, ; : 1  

門f主H、j

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,,熟練,、

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熟棟労働者の不足などの原因などに より挫折した点について簡単に述へているb

第2主主の「本格的開発の準備Jでは,第l節「世界銀 行調王室団による本格的調査と勧告」において, 1954年1 )J 7)ミ「) 5月にわfrJご[ IIf艮調査団ぷゴヲヤ連邦,シ/ゲ ポー.,J..を調査し,その被告書(注2)を提出したが,シン力、

ポールについては,あまりふれられていないと述べてい る。次に第 2部「シンガポールの開発支出にみられる特 沫叩」では,1955〜(i(}年IUJの開発支出5出5似ゆ万マウヤ・

ド;).が公益事業(全体,fi:s0%),交通・通信(18%),fl℃  述内三(17%),教育,保健,衛生, !:卜 •·'K道設備に向けら れたが,土地収用の遅延と収用地整備の遅延から十分な 成条をあげ得なかったこと,シンガポールの経済開発の

!Jりが社会資本の整怖によって諸外|必の企業を誘致L, [Ii界市均向けの:!主主主J!JJ,i乙をはかζ、てどにおかれていた

ことについて述べている。第 3節の「シンガポールの切 迫した人口圧力」では1947年〜57年の聞の年平均人口増 加率が4.3%であったこと,1962年において人口の68.8%

が要扶達者であったことなどに示されるような人口圧力 に付して,工業開発を通ずる雇用開発のために, 19,,9庁ー に「工業奨励局」を設立し, 1959年2月に「創始産業法」

を公社f実施した経過を述べている。

元町;月草の「本栴的工業開発への前進」では,第1節の

「ンンゲポーJレ印私111の成立とPA P政権の出現および 政策大綱』におνて, 1959年6月に,人民行動党政権下 でシンガ、ポー1レが英連邦内自治領となり,同政権の政策 として,①マラヤ連邦とシンガポーJレの共同市場化,⑨ 両国の工業化を調?慢するための経済同躍の設定,@科ρ子 技術教育の強化, 4'「径済開発局 Jの新設,@自由

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告と

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『シンガポールの経済開発

弘 一一一一一同一寄

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一一一一インフレだき

f 五五度成 J C

の分析一一一一』

評論社 1973年

本書は,多年にわたってマL一己ア,シンガボ− }レの 経済発展について研究Ut1)を続けてこられた松尾教授の シンガポール経済開発の歩みとその特質についての現状 分析である、教授は, 「はしがきJにおいて、 1961年に シンガFポールI訪れて,人jj 1̲̲[/J (J〕強ぃ同11,1 ( 1tli.¥:,i英 連邦内自

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;偵であった)の経済発出の前途に危

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{c土た れたが,その後,シンガポールがマレーシア連邦への統 合と分離,イギリス軍の撤退という事態をのりこえて,

めざまししぷ

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干花展をとげたお洪.このような発反がど のようにt(lij 誌になったかどし、う原因を分1)itるとい う問題意識がら,本書をまとめたよ述べておられぷ。そ して,この原因として,教授は,同じ「はしがき」のな かで,シンガポール政府が,同国を世界の工業戦略基地 イじする目的をともって,世界の大企業・多国籍企乏の誘致 につとめたおはさであると述くてし、る。しかし j,羽いこ教 授は,そのとめじシンガポール政府が企業者に有利なよ うに労働関係法を改正したこと,シンガポール経済が,

国際的独占資本の分業体制のなかにくみこまれてしまっ たことを和

N 5

Lておられる。しかL本書全体の子;凋;立,

以下に紹介すr:与ように,シンガポール経済の発!?;ξ高く 評価するという立場で貫かれている。

そこで本書の内容を示すと,

第I部 !損害Eの歴史

1 /)fl?,去ヘの序曲一不.Q氾におわった6カ年計画 2 本絡j';'.j/1J発への準備 ilt ?1l銀行調査団組;1;奮と 切迫した人口圧力に悩むシンガポーノレの当時の実情

' 3

  本格的工業開発へ前進一第1次および第2次工 業開花

第E部/)i]/,t'i:特質づける諸要[主!

4 シンガポーノレ経済を特質づける諸要因 1 歴史ーイギリスのすラヤ経略史とシンガポー J

2  シ> ;!/ポーノレ経流構i立の決定要因

結 苅 シンガポールi土東南アジア話「ijの唯一

106 

(3)

しての地位の保持を掲げたが,これに対しマラヤ逮邦側 lゴ警戒的であったと指

f

寵されてし勺。第2節の「;

i i

一次 i;業開発計l判土問題点jでね, 1%0年から64年までの第 1次5カ 年μ!闘において総矧リ録制∞万マラヤ・|ご,レを 工業発展の基盤整備のために投資する計 !~ii をたてたが,

準備のため1年避れ, 1961年4月からの「4カ年計阿j 土なったこと,外国資本の←;';:土 l,¥/J「、Jみて, 11'11Jrli1誌の狭

L

賃金の11\主()]1647)\・・ I:;レの最低)\念記、), P A  P内部の左おの対立(左派は分裂して社会J:議戦線 を結成)などの問題があり,シンガポール山体として/'1,

i国貨発行機をもかないという財政・金融自主権の欠如と いう問題があηたことが指摘されている。第:l,¥j  : :;;  次工業開発ヅバJ!ヲj清j兄jでは、 , vロンに17)7XI.CLー カー(うち,工業地区は6000エーカー)の工業団地を造 成する計画が実施に移されたこと,国内の務僑資本の.T:

主投資へのi劾LHこ先立つて外le!資本の誘致が、tr,;Jlた こと,政府とLては「経済開発!日むを通じてi 1:u;H

1 依マラヤ・ 1:‑/しの工業投資を,;h11iLたことがよ;2−、九れて いる。第4節の「マレーシア結成への参加と分離・独立 その経緯jでは,共産主義に対する共通の脅威から?レ シアが結11比され!cがインドネシγ.ブィリ!:ンのマレ ーシア対決、マレーシア中央F抗におけるシマゲj二一fレ 議席数の少なさ,シンカ守ポーノレリ十|歳入の40%を中火政府 に供出するとりきめ,中央政府のマレ一人優先の政策な 2に対するシンガポール州政府の不満から,シンガポー ルは1965年8JJに分離,独立Lた経待が述べi¥;/L 

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‑;¥';5節「第1次i;業関発の:主計L状況と成果jごは,Jii,j期 間中にGD Pが年平均8.4%, 1人当り生産高が年平均 58%,雇用が年平均2.4%増加したことを指摘している。

第6節の I第2/');:了会業開発言

i

拘とfギリス駐1W可撤氾声 明およびその好1汗的影響対策JC'fJ,第2次11fftiiとLて 公共投資17億3000万シンガポール・ドル(マアヤ・トゾレ と同一価値〉,民間投資16億シンガポール・ドルを立案し たが, 1968年1月のイギリス労働党によるイギリス駐留 ほの3年以内のシJンガポールかふの撤退声明 ({ギりス 隔の駐留は1967:FでGD Pの約l(引に当る寄!

ρ

により,

上記の計画は全く意味を失ってしまった。そこで,シン ガポール政府は,イギリスからイギリス軍撤退の見返り をして5年間に1濃6開。万シンザポール・ドノLの沼IiJJiを うけとり,これをfH

金に f墓地経舟伝換局jを発見させ,

プラカン・マティー烏を

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>トサjと改称Lてレゾャ ー・センターとし, 1968年2月国営船舶会社をつくり,

1969年には,アジア・ドノレ市場を開くなどの政策を通じ

害 時

て,イギリス軍撤退のショックをのりきった経緯が述べ られている。また、 1%り午、8月のインドネシアとの社止 の終了

i i i

,インドドシア民易が伸ひたこと,家族計l!tiiの 成功t乙上り人口増)Jllヰ:が泳減したく二とii.どが上記のシゴ

ックの緩和に役立引たことを述べている。しかし,新た な問題点としては,|防衛予算の増大 (1972年予算で歳出

山州五、人世界経済山古川,),,こ影響さ lt 如、訴済構造の •F}~;

h刊行I括主れている。

次に第7鋭iの「開発lυ年の苦闘と ll.X:巣」ではゆがjマレ ーシアl時代(1959

63年) (2)マレーシア時代(1963

65 2戸) 1311J!tマレーシア時代 (1965〜69年〉の三つの時期に うJげご,すでに述4二一てきえことを笠珂している。特に,

3の|同期にシンガノj; ‑;レが,貿め,工?仁,商用・仇、A: 収入により高い成長をとげ政府の財政政策,アメリカ,

ヨー口ッパ, fl本の好況,全国労働組合会議の支持の下 でのな例法の改正などがこの高い成長にすF与したこどが 指摘され,今後のち[ii']としては I科守・技術志向産業l

の発ぬが展望されると if. -~ている。 i:i1

Niの[東南....

アの地域協力問題(ASEAN)」では,宗教,言語,生活 態度,政治体制, 1人当り国民所得などの大きな差異の

f三人 m想と現実との [ltJ ;こはギヤ町イがあることが!日1:~

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してヤる。第9

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川叫企業の進出とその長所・短1il(J ではシンガポールにとって,(1)雇用水準を上昇させ,出 得増大がもたらされ,(2)資源配分の効率化がはかられ,

(3)技術水準が向上し./4)経済的進歩を刺戟するという利 点があゐが,他方では, 1)外国資本とのf;−弁企業と山米 の中十h業との|二近流造jがつくら;J1.,2)その結果、

所得配分の格差が拡大し,(3)外国企業とシンガポー/レ政 府,もしくはシンガポール側のパートナーとの聞の対立 が生れ.(4)外国資本によるシンガボー川壬済の独占イじが 進行するという不利な点ポあることが指摘されている。

そして,第I部の終主主にあたる第10卒「グローパル・シ ティ・シンガポール」では,ラジヤラトナム外相が「グ ローパル・シティ」シンガポールと呼んだ方向にシンガ ポーゆが向っており.多国籍企業,n東南アゾア戦略j日む となっていることが脂摘され,次に1971年の経済(G D P が約70億シンガポール・ドル, 1人当りGDP1176米ド ル〕が紹介され,最後に,今後10年の計画として,(1)能 力開発、(2)科学,技術の振興,(3)イシブヲストラクチェ アの売す:,は)税没、の改正(資本市場,頭Riサーピス産業ヲ 高度HJI守産業の誘致のための措置として),(司投資促進の 方向が述べられ,シンガポーノレは「頭脳サービス・金融 中心市場国家」へと転換しようとしていると結んでおら

(4)

ニニニニニニ:雲 評 れる。

第II部 「開発を特質づける;治安悶]は,第4章「シ ンガポール経済を特質づ村る諸要悶!として,(1)イギリ スの直轄植民地として{中継貿易港と結びついた近代的社 会資本施設と行政手跡裁が引き継がれたこと,(21マラヤ半 島のゴム,錫,コプラ,油精

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子などの…次産品の貿易,

金融,海運,保険などの基地であり,イギリスの資産 (1970年の外国からの工業投資総額の3分の1以上がイギ リス

J

受託約30万ポンド)が;ilよ,・c

、ることーーその担

い「はfギリスの経営代理会社ラ 13)勤勉で貨殖的努力を 行なう華僑の関であること,(4,しかL,その企業活動は,

「経営校術や綴織の非近代性、}[,f,主ヰ,s{Ji賃金の土台の 上に繁茂する前近代的中小資本J(l J7.とージ)経営であ ること,(5)アジア・ダラーを通じて欧米の多国籍企業と 東南アジアの華僑資本との資金循還ができ上りつつある ことを指摘している。次に, 「シンガポール経済構造の 決定婆図Jとして,タールハイム,クレーマー,酒井王 竺郎,藤井茂, ミュルダーノレ,ウエーペーなどの諸説か ら,(1)

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然的諸要因,(2)民校、(31経済給付,(4)技術およ び科学,(5)政治の五つの枠

i

、且みをとり11¥、それぞれに ついて次のように述べてV、る。先ず>llIIt:;的諸要因にっ し、ては,シンガポールは地理iめには;む:まれているが,熱 帯性気候に属し,面積は狭小で天然資源がないこと,(2) 民族としては全人口の76%(1971年末推計の総人口は212 'Ji余人〕を占める華僑中心の国であること,(3)経済精神

としては,華僑の企業精神が基調となっているが,その 商業資本から産業資本への転換が問題であること,(4)技 術および科学については,熟練労働行, •[f/1号工,監督者,

機械1二技師,経営者などの育成が必要であること,(日 政治のi函では, PA Pの一党Ml裁が続き,]968年5月か 人7JJの議会において資本iこ右手I]なように労働法を改正

〔新雇用法,労使関係(改正)必, tj二:央樹立基金(改正)

法により,基準労働時間は遡44時間,休日出動の賃金は 平日の2倍であったものを1倍に切り下げる,一斉休業 も7日営業としてその代わり交替休暇を認める,解雇,

登用,配置転換,職責の指定配分などについては,団体 協約における組合の交渉特の対象どしない,賃上げは生 産性の上昇率のワク内に抑える〕し,反政府活動家を拘 置L,汚職腐敗の全廃につとめていると述べている。

以上の叙述をふまえて,第5.t与の f}i;訂;|ではゴー蔵 相の i経済成長とは,結局のとこ乃,人間精神の創造的 衝動が外部に具体的に現れたものである」(181ページ〉

という演説を引用し,アジアのエトスと西欧近代のエト

108 

スどの •·<i比についてふれ, D ・ファーネスの「 1819'年に

シンガポールの創設者となったラッブルズ、と,それから 150午後にシLガポーJレの再創設

r

\−となったりー・クワ ン・ 1ーとの!日1には,多くの共通,,,',,iがある。 rJ,i百ともに シンガポーノレの役割について,米来像(vision)をもっ ていた」 (192ページ〕という言葉を引用し,リー首相の 考える西欧近代型のシンガボール再建構想がアジアのエ トスとどのようにかかわり合うかに問題を残し,結論と L C I !/,Jfーノレは,東南アジ「訪国1¥1のιPf の例外 (r'.

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:てあと1 と結んでいる。

)), 上 Jう為イ本,: ~1::山内容紹介である方;、

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弐述の(也,各章

に/〉け1',れ/

力あ1.1,それてれ本文の現状分析を摘強LCir、る。 このように本書は, 1960年代のシンガボール紙済の発 展とその原因とを分析したものであり,その限りにおい てよくまとめられており,シンガポールの経済を知るた めの好個の概説書ということができる。しかし,教授も 本番(第 I 持~第 3 章第 8 節,第 H 存B第 4 埜〉で指摘して おられる上01iこ,(1)世界企業と結びつヤた先端的な工業 C6i1!1清製輸送用機器)と在来工業との「二亘構造I の問題,(2その結果として所得格差の拡大の問題,(3)外 国資本 iこ t る,,J ,占化の進行の問題、 •A'PAPの一党独裁 と労働法改正の問題など,急速な工業化と独裁権力につ いての不満が内攻しており,高度成長のひずみをかかえ ていると考えられる。第1の点、については,本番206ペ ージの第15表によれば, 1970年の付加価値額で,石油,

石炭製品2億1030万Sドル,輸送用機械,器具1億:5940 万Sドh 機械(含電気機械,器具) 1億1570万Sドル に士、fL,食料は7640万Sドル,飲料は3490万日ドノレ,履 物、衣服.繊維製品3020万Sドル,木材,コルク(除家

JU

050万日ドル,印刷,出版5JJO万Sドノレ, ゴム製品

(ゴム加工,コム履物を含む) 2ll607) Sドルなどとなっ ており,前3業種のそれがきわめて大きい。次に第2の 点については,同じ表によって1就業者当りの年間報酬 高をみると,右油,石炭製品ではl万5000Sドル,輸送 用機械,器具5000Sドルと高いのに対し,食料では2800

Sドル,履物.衣服,繊維製品ではlli Sドル,ゴム製 品で;土3oosドルとなっており,業穐日jlの所得格差が現 われている。市 3の点では,石油関連工業では米英系の B.P (ブリティシュ・ベトローリアム),シェル.エツ モ ピA,カルテックスの独占Fにあり,輸送機誠で はフォード,日産などが強く,電気機械でも, G.E.が 強い。第4の点では, 1972年9月2日の下院議員選挙に

(5)

おいて, PA Pが, 76万468葉のうち69.02%をとって,

65議席を独たしたぷ,31%の里子党去に対して李泊相;土「西 欧諸国ならば70%の得票はめざましいものだが,われわ れは東洋人である。われわれは工系化,都市化,都市開発 などの結果,生活様式や生計までも影響をうけた人々の ことを気にかけている。野党の葉は,野党支持のためで はなく政府への抗,:

n

票だ」と述Jぐごおり,選不jをのliJ会 において,[J)他Wlとの合併には

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:民投票の3分の2i}賛 成を必要とする滋法改正を行なうこと,(2)外闘が国内政 党に資金援助しシン ガポーノレの転覆をはかることを防止 するため政党の資金帳簿を定期j腔釘するための

1 ' f r

Lい立 法を行なうことを提案してU、る。これは李首相札 二ク ソン大統領のViJ立によりアメリカの力がアジア Jこそi,て いる間に引続きシンガポーノレの工業化を進めてゆくが,

その後の国内外の情勢には必ずしも展望がなく,その結 果として,絞 i'IJ干の唱える「シンfj、ポール人のシンり、ポ

‑ Jレ」という立識を早く定者させる之めに行

t

われたも のとうけとられている。(『アジア動向年報1973』参照)

これらのことからみて,松尾教授が本舎で述べられた ような1960年代のシンガポールの繁栄も,高度成長とし Cのひずみをもったことは朗九かであり,そうい,

r

将 うたに向つての)JC,'乏が「明暗 J1,i州ir士含めてよJtIill造的に 分析されたならば,われわれにとってもっと説得的であ ったように考えられる。現に, 1968年から1970年にかけ てほとんどを{じ/汁仁かった豹悩が、 71年には, 2.1町、72 勾ーには3 %組成あぶっており,呉国防柁のシンケ、ポール 大学におけぬ ii~i祭経済におけるンンガポーんj ど泌す るセミナー(1972年3月19日〕においても,労働者の不 足〔この点については本書157〜160ページにおいて教授

ι

詳細に述べてお「〉れる) fこよる1970年代末かれ1'.刷年 代始めにおけるシンガポ

7'経済の危機が予flされてお

り,本書の副題にある「インフレなき高度成長の分析」

がどういう問題を将来に残したかについても,教授の展 望をお聞かせいだだきたかったと考える。さらに、わが l司とシンガポールとの経済関係についても1争:が与えら れていたならば,わが国の誌宥にとってより身近かなも のとなったであろう。

しかし,評者が述べたようなシンガポール経済の問題 点については,山'

c 1 ,

が本書を通じて読みとるべき領域に 属しているとするならば,言ギ者の希望は「望Utjの梨:jと いうべきかもしれない。

(注1) 松 尾 弘 編 著 『 マ ラ ヤ の 禁 僑 と 印 僑 』 ア ジア経済研究所 1961年2月 356ベージ。同『マラ

書 評

ヤ, tシンガポーノレの経済開発』 アジア経済研究所 1%2 q, 3月 34白 ペ ノ0

(it2) IBRD,  Th E巴宮司omicDevelo̲nentof  Malaya,  Jhones Hopkins  University  Press,  1955,  ]).  334. 

(調査研究部長萩原立之〉

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