慧
均
撰
『弥
勒
上
下
経
遊
意
』の
出
現
を
め
ぐ
って
付
、宝
生
院
本
の翻
印
伊
藤
隆
寿
五 四 “ 一 一 “ _ 一 は じ め に 宝 生 院 本 の 特 微 憲 朝 に つ い て 前 稿 の 一 部 訂 正 翻 印 の 留 意 点 は じ め に 『 東 域 伝 燈 目録
』等
に 記 載 さ れ な が ら 、散
佚
に帰
し た も の と 思 わ れ て い た 慧 均 の 『弥
勒
上 下 経 遊 意 』 が 、 宝 生 院 大 須 交 庫 に 所 蔵 さ れ伝
え ら れ て い た こ と は 、 昭 和 五 十 一年
度 の 印 度学
仏 教 学会
で 、 公 に し た と こ ろ で あ る 。 し か も 、 そ の 内 容 が 、従
来
吉蔵
の撰
述
と し て 、 大 日 本 続 蔵 経 、 大 正新
修 大 蔵 経 に 収録
さ れ て い る 『 弥 勒 経遊
意
』 と 同 一 で あ る こ と が 判 明す
る に 到 っ た 。 書 誌 的 観 点 か ら 言 え ば 、現
在
知 ら れ る 写 本 に お い て 、 撰 名 慧 均 撰 『 弥 勒 上 下 経 遊 意 』 の 出 現 を め ぐ っ て ( 伊 藤 ) を 有 す る の は 宝 生 院 所 蔵 本 ( 以 下 宝 生 院 本 と 略 称 ) の み で あ り 、 東 大寺
( 鎌 倉 時 代 写 ) 、 高 野 山 大 ( 江 戸 末 期 写 ) 、 京大
( 明 治 末 写 ) 、 大 谷 大 ( 大 正 三 年 写 ) 所 蔵 の 写 本 に は 、 す べ て撰
名 は 記 さ れ て お ら ず、 当 然 、 本 遊意
は 、 慧 均 の 著 で あ る と 判 定 さ れ る 。従
っ て 、 大 日 本 続 蔵 経 、 大 正 新 修 大 蔵 経 に 収 録 さ れ る 際 に 、吉
蔵 撰 と し た 理 由 根 拠 、 そ の事
情
が 明 ら か で な い 以 上 、 現時
点 に お い て は 、従
来 の定
説 を 改 め な け れ ば な ら な い 状 況 ( 1 ) にあ
る 。 大 正 蔵経
は 、 続 蔵 経 を 底 本 と し て 、大
谷
大 本 と の校
合 を し た も の であ
り 、 撰 者 に つ い て も 、続
蔵経
を 踏襲
し た も の であ
る 。 続 蔵経
の 直 接 の底
本 と な っ た も の は 、 現 在 京 大所
蔵 の筆
写
本 で あ る が 、 こ れ は 、続
蔵 編 纂 の 際 に 一 、 二 の 写 本 を も と に 、編
纂
員
が 筆 写 し た も の で 、 そ の 原 本 が 、 い ず れ の 所 蔵 に か か る の で あ る か は 記 さ れ て お ら ず 不 明 で あ る 。 し か し 、 現 存 写 本 と の 比較
対
照 に よ る と 、 高 野 山 本 を 底 本 と し て 、 他 の 写 本 ( 東 大 寺 本 力 ) を 参 照 し た 形 跡 が 認 め ら れ る 。筆
ニ ニ 七慧 均 撰 『 弥 勒 上 下 経 遊 意 』 の 出 現 を め ぐ っ て ( 伊 藤 ) 写 の 際 、 あ る い は 印 刷 の 際 の 訂 正 、 誤 り 等 に 依 る 多 少 の 辞 旬 の
相
違
が あ る の み で 、 全 く 同 じ と 言 っ て よ い 。 し か も 、 高 野 山 本 は 勿 論 の こ と 、続
蔵 の 底 本 に も 撰 名 は 記 さ れ て い な い 。 にも
か か わ ら ず 、従
来
、 こ れ を 吉 蔵 撰 と 判定
し た の は 、 い か な る 理 由 に 依 っ た の であ
ろ う か 。 そ こ で 、 遊 意 の 内容
に従
っ た も の で あ ろ う と は 、 容 易 に推
察 さ れ る と こ ろ であ
る 。続
蔵 編 纂 の 当 時 、 三 論宗
に 関 す る 学 界 の 認識
は 、 吉 蔵 は別
と し て 、 慧 均 に 関 し て は あ ま り 明 確 で は な か っ た は ず で あ る 。従
っ て 、 本書
を 吉 蔵 の 撰 と判
ず る こ と は 、 ご く 自 然 で あ っ た か も 知 れ な い 。 ま た 宝 生 院本
を 除 い て 、 東 大寺
本 等 、 す べ て書
名 を 『 弥勒
経
遊 意 』 と し て お り 、 そ れ は 目 録 に 記載
さ れ る 吉 蔵 の 遊 意 と 一 致 し て い る の で あ る か ら 、 容 易 に結
び つ い た と も 考 え ら れ る 。 し か し、 こ れ は 、 あ く ま で 筆 老 の推
測 に 過 ぎ な い 。 慧 均 に 関 し て は、吉
蔵 と 同 門 な る こ と や 、 そ の 説 を 多 少 異 に す る こ と等
は 、 古 く よ り 知 ら れ て い た が 、 横 超博
士 に よ る 「 初 章 中仮
義 」 の 発 見 等 に よ り 、 急 速 に 研 究 が 進 展 し 、 吉 蔵 と の 立 場 の相
違 な り、 学 風 な り が 明 確 に 出 来 得 る 状 況 に 到 り 、 し か も 、 よ り 確 実 な 資 料 が 出 現 し た 現 在 、 内容
上 か ら も 、 現 行 の遊
意 は、 吉 蔵 の撰
述 と は 認 め が た い と 思 わ れ る 。 新 た な 、 吉 蔵 の撰
号 を有
す る 資料
が 出 現 し な い 限 り は 、 慧 均 の 撰述
書 と 認 め ざ る を 得 な い の で は な か ろ う か 。 二 二 八 内 容 上 、 吉 蔵 の撰
と す る こ と に つ い て の 疑義
と 、 宝 生 院 本 ( 2 ) の 大概
に つ い て は 、 す で に 論 じ た 。 そ こ で 、今
回 は 、 宝 生 院 当 局 の 許 可 を 得 て 、 そ れ を 翻 印 し て 参考
に 供 し 、 併 せ て 、 一 ・ こ の 点 に つ い て 言 及 し た い と考
え る 。 す で に 発 表 し た 論稿
を 含 め て 、 独 断 に よ る 過 誤 を犯
し て い る か も 知 れ ず 、 忌 憚 の な い 御 批 判 を 仰 ぐ 次 第 で あ る 。 〔 註 〕 ( 1 ) 本 書 を 吉 蔵 の 撰 と す る 初 見 は、 大 日 本 続 蔵 経 の よ う で あ る。 ( 2 ) 拙 稿 「 弥 勒 経 遊 意 の 疑 問 点 」 ( 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 論 集 第 四 号、 昭 和 四 十 八 年 十 二 月 )、 「 弥 勒 経 遊 意 と 大 品 経 遊 意 」 ( 印 度 学 仏 教 学 研 究 第 二 十 二 巻 第 二 号、 昭 和 四 十 九 年 三 月 ) 、 「 宝 生 院 蔵 『 弥 勒 上 下 経 遊 意 十 重 』 に っ い て 」 ( 印 度 学 仏 教 学 研 究 第 二 十 五 巻 第. 一 号 、 昭 和 五 卜 二 年 三 月 ) 。 二 宝 生 院 本 の 特 徴 宝 生 院 所 蔵 写 本 は 、 観 応 三 年 ( 一 三 五 二 ) 八 月 に 、 山 城 国 綴喜
郡 田 辺 郷 ( 現 在 の 京 都 府 綴 喜 郡 田 辺 町 ) に お い て 、 一. 一 論 宗 の 学僧
憲
朝
に ょ り筆
写 さ れ た 巻 子 本 であ
る が 、 前 後 同筆
な が ら 、 一 紙 分 欠 落 が あ っ て 完 本 で は な い 。 そ の 欠 落 の 部分
に 押 紙 が あ り 次 の よ う に 記 す 。 セ リ ニ ニ ノ フ テ ヲ 弥 勒 上 下 経 遊 意 巻 末 欠 脱、 別 幸 有 二 巻 末 残 本 哨 請 A 尸 一 両 本 一 而 備 足 焉 ( 第 二 十 紙 の 次 ) こ れ に よ っ て 、筆
写 の 原 本 に お い て 、 す で に前
後
載 断 さ れて い た こ と は 確 か で 、 恐 ら く、 多 少 の
時
間
を費
や し て 、 巻 末 の 残 本 を さ が し た も の で あ ろ う 。 そ の せ い か 、 次 に 文 を 補 っ て い る の であ
る が 、 一紙
分
の 脱 落 が あ り 、料
紙 も 、 押 紙 以 前 の も の と は 異 っ て い る 。 た だ 一 紙 分 の脱
落
が 、 原 本 そ の も の に 依 る の か 、 後 に 到 っ て 一 紙 欠 落 し た の か は 明 ら か で な い 。 ↑ ) 現写
本 に お い て は 、何
度
か の 点 検 補修
が さ れ て い る か ら 、 い ず れ か の時
点 で 一 紙 不 明 と な っ た こ と もあ
り 得 る 。 恐 ら く、 補 修 の際
の 接 続 の 誤 り と 思 わ れ る 、前
後
の 錯 簡 も 見 ら れ る 。 ま た 、奥
書
( 後 出 翻 印 参 照 ) に も 記 さ れ る ご と く 、 原 本 の− 文 字 脱落
等 散 々 の 状 態 で あ っ た ご と く で あ る 。 宝 生 院 本 の 第 一 の特
徴
は 、 東 大 寺東
南
院 の 経 蔵 本 と の 校 合 を し て い る こ と で あ る 。 本 写 本 の 異 本校
注 が 東 南 院 本 に 依 る も の で あ る こ と は 、奥
書 に よ っ て 知 れ る が 、 こ の 東 南 院 本 は 、 現 在伝
え ら れ て い な い 。 現 在 の 東 大寺
所 蔵 本 は、 宗 性 ( ー 二 六 三 ) の所
持 本 で あ っ た と 考 え ら れ る が 、 こ れ は 別 本 であ
る 。従
っ て 、 現 時 点 に お い て 、東
南
院 の 経 蔵 に収
蔵 さ れ て い た 遊 意 の 形態
を 知 り 得 る の は 、 本 写 本 の 校 注 に 依 る の み と い う こ と に な る 。 こ の 校 注 と 、 東 大寺
本 等 と を 比 較す
る と 、脱
文 の箇
所 な ど 、 ほ と ん ど 一 致す
る こ と か ら 、宗
性 所 持 本 は、 こ の 東 南 院 本 を 転 写 し た も の で あ ろ う と 推 察 さ れ る が 、 表 題 、 科 文 、 一字
一 句 の 比 較 をす
る と き は 、 か な り の 相 違 が 見 ら れ 、 現 在 の 東 大寺
本 が 必 ら ず し も 憲 朝 の 見 た東
南 院 慧 均 撰 『 弥 勒 上 下 経 遊 意 』 の 出 現 を め ぐ っ て ( 伊 藤 )本
そ の ま ま の 転 写 で あ る と は 思 わ れ な い 。 そ の 間 に 隔 り が あ る よ う に 考 え ら れ る 。 別 に 写 本 が 存 し て い た か 、校
訂 が 加 え ら れ た か の 可 能 性 も あ ろ う 。憲
朝
に よ れ ば 、 東 南 院 本 も 、虫
食
等
が 甚 だ し く 、 や は り 保存
状態
が 極 め て 悪 か っ た と 言 う 。憲
朝 の 見 た も の は 、 恐 ら く 東南
院
に 長 く 伝 承 さ れ て 来 た .本
で あ っ た と考
え ら れ る 。 そ れ に対
し 、 東 大 寺 本 は 、 憲 朝 以前
の筆
写 で あ り 、 字 体判
別
等
よ り鎌
倉 時 代 写 と さ れ 、 表紙
に 「 宗 性 」 と 記 さ れ る こ と に よ り 、宗
性 の 所 持 本 で あ っ た ろ う と推
察
さ れ る の で あ る が 、 保存
状態
は 、 非 常 に 良 い 。 そ し て 高 野 山 本 ( 江 戸 末 期 写 ) 等 の 諸 本 は 、 よ く 東 大 寺 本 に 一 致 し 、 現 存 写 本 の 多 く は 、東
大 寺 本 の転
写 で あ る こ と が 明 ら か であ
る 。 そ こ で 宝 生 院 本 は 、 こ れ ら の 系 統 と は 異 な る 伝 承 を 有 す る こ と が 知 ら れ る の であ
る 。 ま た 、 確 か に 誤 字 脱 字 等 が 認 め ら れ 、 憲 朝 の 慨 嘆 も首
肯
し得
る が 、従
来 知 ら れ て い た諸
本 に 比較
す る 時 、 そ の 程 度 は 、 か な り 良 い と 言 え る 。 つ ま り 、 よ り原
形 態 を 保 存 し て い る こ と が確
か で 、 現 行 本 は 、 そ れ 以 上 に 誤 字 脱 字 脱 文 が 多 い こ と が 判 明 す る の で あ る 。特
に脱
文 が 多 い 。 十字
以 上 の 脱 落 の箇
処 の み で 、 十 一 ケ 処 存 す る 。 そ の 中 で 、最
も字
数 の 多 い の は 三 百 六 十 一 字 の 欠 脱 で あ る 。 こ れ は大
体 一 紙 分 に 近 い 。 こ れ ら の 脱 夊 は 、 本 来 無 か っ た も の が 、 後 に付
加 さ れ た と い う こ と で は な く て 、前
後 の 文 脈 、 内 容 か 二 二 九慧 均 撰 『 弥 勒 上 下 経 遊 意 』 の 出 現 を め ぐ っ て ( 伊 藤 ) ら 元
来
あ
る べ き も の が 、 転 写 、 虫 損 等 に よ っ て 欠 落 す る に 到 っ た と 見 ら れ る も の で あ る 。 ま た 逆 に 、 本 写 本 にも
脱
文 が 存 す る 。 一 紙 欠 落 を除
い て 四 ケ 所 で あ る が、 多 い も の で 三 十 一 字 であ
る 。 こ の よ う に相
互 に 脱 文 が 認 め ら れ 、 原形
と は か な り相
違
し て い る と 思 わ れ る が、 本 写 本 の 出 現 に よ っ て 、 よ り 古形
に 近 づ く こ と が 可 能 に な っ た こ と は 認 め ら れ よ う 。 〔 註 〕 ( 1 ) 原 本 の 第 一 紙 に 、 「 尾 張 国 大 須 宝 生 院 経 蔵 図 書 寺 社 官 符 点 検 之 印 」 の 朱 印 が あ る 。 ま た 補 修 の 形 跡 も 存 す る 。 三 憲 朝 に つ い て 次 に 、 宝 生 院 本 を筆
写
し た 憲 朝 に つ い て で あ る が 、 今 日 ま で の と こ ろ 、 管 見 に 入 ら な い 。 ま た 、筆
写 の 場 所 も 、 田 辺 郷 の ど こ で あ っ た の か 。 い ず れ か の 寺 院 に お い て と 思 わ れ る が 不 明 であ
る 。 た だ 、東
南
院 本 と の 対 校 は 、後
述 の ご と く他
の 多 く の写
本
が 、 東 大寺
に お い て 行 な わ れ て い る こ と か ら 、 多 分 東 大寺
に 出 向 い て 行 っ た も の と 考 え ら れ る 。 し か し 、 宝 生 院 所蔵
の 三 論 宗 関 係典
籍
の 多 く が 、 憲 朝 の筆
に な る も の か 、 憲 朝 が 他 を し て 写 さ し め た も の で あ り 、詳
細 な 奥 書 の存
在 に よ っ て 、 そ の 活 躍 の 時期
が 知 ら れ る の で 、 本 写 本 以 外 の も の ( 1 ) に つき
、 次 に 列 挙 し て おき
た い 、 便 宜 上 、 西 紀年
号 を ( ) 内 に 示す
。 二 三 〇 ω 中 論 疏 聞 書 の 末 尾 于 時 文 永 十 一 年 ( 一 二 七 四 ) 八 月 二 十 六 日 於 東 大 寺 東 室 僧 房 筆 功 終 了 感 得 之 至 随 喜 有 余 是 併 為 興 隆 仏 法 利 益 衆 生 矣 三 論 修 行 沙 門 憲 朝 春 秋 二 十 五 勝 鬘 宝 窟 光 闡 鈔 の 末 尾 嘉 暦 四 年 ( =. 一一 一 九 ) 三 月 三 日 於 東 大 寺 東 南 院 以 中 観 上 人 自 筆 本 書 写 了 此 書 有 不 慮 之 子 細 加 一 見 之 次 自 書 教 化 而 競 寸 陰 之 間 頗 文 字 形 不 見 歟 後 日 必 必 可 書 直 而 巳 三 論 宗 憲 朝 大 乗 三 論 大 義 抄 巻 第 四 の 末 尾 康 永 三 年 ( 「 一. 一 四 四 ) 十 二 月 二 十 七 日 於 東 大 寺. 二 面 僧 房 実 相 院 勧 他 筆 書 写 了 ( 朱 書) 同 日 誂 子 鶴 松 殿 切 句 令 校 合 了 二 論 宗 憲 朝 傾 大 乗 三 論 師 資 伝 の 末 尾 康 永 三 年 ( = 二 四 四 ) 九 月 十 九 日 於 東 大 寺 西 室 実 相 院 書 写 了 同 二 十 二 日 } 校 了 三 論 宗 憲 朝 三 論 遊 意 の 末 尾 貞 和 四 年 ( 一 三 四 八 ) 十 一 月 十 八 日 於 東 大 寺 二 面 僧 房 西 室 実 相 院 勧 他 筆 令 書 写 了 同 日 以 東 南 院 御 経 蔵 本 一 交 了 三 論 宗 憲 朝 鳩 摩 羅 什 法 師 大 義 巻 上 の 末 尾 貞 和 四 年 ( = 二 四 八 ) 十 二 月 口 日 於 東 大 寺一. 一 面 僧 坊 実 相 院 以 東 南 院 御 本 誂 人 令 書 写 了 同 十 一 日 】 交 了 三 論 宗 憲 朝 鳩 摩 羅 什 法 師 大 義 巻 中 の 末 尾 貞 和 五 年 ( = 二 四 九 ) 正 月 十 日 於 東 大 寺 三 面 僧 房 実 相 院 申 出 東 南 院 御 本 誂 人 令 書 写 了 同 十 口 日 一 交 了 一. 一 論 宗 憲 朝鳩 摩 羅 什 法 師 大 義 巻 下 の 末 尾 貞 和 五 年 正 月 十 六 日 於 東 大 寺 三 面 僧 房 実 相 院 申 出 東 南 院 御 本 誂 人 令 書 写 了 同 十 七 日 以 御 本 令 校 合 了 . 二 論 宗 憲 朝 華 厳 游 意 の 末 尾 貞 和 四 年 十 一 月 之 比 於 東 大 寺 三 面 僧 房 実 相 院 以 他 筆 令 書 写 了 同 十 二 月 二 十 三 日 以 東 南 院 御 本 一 校 了 一、 一 論 宗 憲 朝
5
大 品 経 義 疏 巻 七 の 末 尾 康 安 元 年 九 月 十 九 日 一 校 了 権 大 僧 都 憲 朝 α& 大 品 経 義 疏 巻 八 の 末 尾 文 和 元 年 ( 二 二 五 二 ) 十 月 八 日 於 東 大 寺 三 面 禅 室 実 相 院 令 書 写 了 写 本 文 字 散 散 不 可 思 議 也 同 愚 推 之 所 不 及 一 向 如 本 付 墨 斗 也 尋 川 別 本 可 交 之 依 以 今 写 本 不 及 交 合 而 已 三 論 宗 憲 朝 大 品 経 義 疏 巻 九 の 末 尾 文 和 二 年 ( 一 三 五 三 ) 七 月 十 三 日 一 交 了 写 本 者 東 南 院 御 経 蔵 本 ( 五 字 分 ) 也 以 外 落 字 僻 字 散 散 多 多 口 口 口 口 口 交 合 而 已 三 論 宗 憲 朝 以 上 に よ っ て 、 憲 朝 は 東 大寺
の 三 論宗
の 学僧
で あ っ た こ と が 知 ら れ 、 特 に康
永 三年
( 一 三 四 四 ) 以後
の 十年
間 は 、 三 論宗
典籍
の筆
写 に専
心 し た よ う で あ り 、右
以 外 に も 、 多 く の文
献
を 写 得 し た も の と 推 察 さ れ る 。 『 弥 勒 上 下 経遊
意 』 の 奥 に も 、 抑 此 書 者、 嘉 祥 均 正 両 所 之 製 作 在 之 歟 、 而 所 持 聖 教 中、 二 所 釈 共 次 闕 之、 仍 平 来 雖 有 書 写 之 志 云 云 と 述 べ る ご と く 、 三 論 宗 典籍
の ほ と ん ど 全 て を 筆 写 し所
持 し た い と の志
を 常 々持
っ て い た こ と を 窺 わ し め る 。 そ し て 、 そ の 筆 写 の 原本
は 、 東 南 院 経蔵
本 を 中 心 と す る も の であ
っ た こ と も 知 ら れ る 。 現 在 、 東 大寺
所 蔵 の 典籍
に は 、 多 く の 東 南 院 旧 蔵 本 も含
ま れ て い る と考
え ら れ る が 、 ま た 多 く の散
佚 し た も の も あ る こ と は 確 か で 、憲
朝 が 筆 写 し 、 宝 生 院 に伝
っ た文
二【 一 =慧 均 撰 『 弥 勒 レ ド 経 遊 意 』 の 出 現 を め ぐ っ て ( 伊 藤 ) 献 の 中 に は 、 そ の よ う な 散
佚
本 が 含 ま れ て い る こ と が 認 め ら ( 2 ) れ 、 そ の 価 値 を 高 め て い る 。 そ こ で、 憲 朝 の 生 没 に 関 す る も の が 、 右 の奥
書 に. 一 ケ所
存
す る 。 一 つ は ω の 文 永 十 一年
( → . 一 七 四 ) の も の であ
る が 、 コ ニ 論 修 行 沙 門 」 と い い 、 「春
秋
二 十 五 」 と す る 。 こ れ か ら 逆算
す る と . 二 五〇
年 の 生 れ と い う こ と に な る が 、 他 の 奥書
の 年時
を 考慮
し た 場 合 、 百 歳 以 上 の 長命
を 保 っ た こ と と な り 、 少 し 不 自 然 で あ る 。 次 に の康
安 元年
( 一 三 六 こ の 奥 で 「権
大 僧 都 憲 朝 八 八 」 と す る が 、 こ の 「 八 八 」 を年
令 と 見 れ ば 、 八 に 八 を掛
け て 六 十 四 歳 の意
味
と 取 る の が 普 通 で あ り 、 こ れ に従
え ぱ、 ] 二 九 八 年 の 生 れ と い う こ と に な り 、 他 の 年 記 と の 矛 盾 は な い 。 先 の 年 記 に従
う と 、 一 三 六 一年
は 百. 一 歳 と い う こ と で あ る か ら 、 多 少 疑 問 で あ る 。 今 は 、後
者 に 従 う方
が 妥当
の よ う に 思 わ れ る が 、 没年
は 不 明 で あ る 。 ま た 権 大僧
都
に補
任
さ れ た の は 、文
和 二年
( 一 . 二 五こ
ま で は 、 単 に コ ニ 論 宗憲
朝
」 と 記 し 、康
安 元 年 の と の奥
の み 「 権 大 僧 都 」 と し て い る と こ ろ か ら、 六 十 歳 前 後 で は な か っ た か 。 な お 『 三 会定
一 記 』第
二 ( 大 日 本 仏 教 全 書 第 四 十 九 巻 威 儀 部 一 ) に は 元 弘 二年
( 一 一 二 三 こ の維
摩
会 の 東 大 寺 分 の 研 学 と し て 憲 朝 の 名 が 見 え 、 年 代 的 に 同 一 人 を指
す も の で は な い か と 思 わ れ る が 、 確 認 は 出 来 な い 。 次 に 彼 の 所 属 も し く は 学 系 で あ る が 、 東 大寺
の 三 論 宗所
属 二鹽 ∴ 二 で あ る こ と は 間 違 い な か ろ う、 そ の 場 合 、 東 大寺
の 三 論宗
は 、 東 南 院 が そ の 本 拠 であ
り 、 東 大寺
の み な ら ず 、 南都
全体
の 中 心 と な っ て い た 。 し か し な が ら、憲
朝
の 時 代 は 、 そ の 伝 統 も 絶 え ん と す る 状 況 で あ り 、 恐 ら く 、 三 論 宗 の 僧 も わず
か で 、 細 々 と 研 究 が 続 け ら れ て い た に 過 ぎ な か っ た と 考 え ら れ る 。 そ の こ と は 、 『 三 論 祖 師伝
集
』 や 『 三 論 祖師
伝
』 の 記 載 ( 3 ) 状 況 か ら も 窺 わ れ る 。 こ の 時 期 に 、東
南 院 の 院 主 に 任 ぜ ら れ て い た の は 、 大 僧 正 聖 忠 (1
;
= 六1
) 、 聖 尋 (1
;
. 三 〇1
) 、 及 び 法 親 王 聖 珍 (1
ご、… 七 四1
) で あ り 、 い ず れ も 、 第 一代
聖 宝 以 来 の伝
統 と し て 、 顕 密 兼 学 を 旨 と し 、 三 論 の 長 者 であ
る と 共 に、密
教 の 長 者 で も あ っ た 。 東 寺 長 者 や 醍 醐 寺 座 主 を 兼 任 し て い る 。 こ の 中 で 、 憲 朝 の 写 本 で は 、 聖 珍 の 名 が 出 て い る 。 右 に掲
げ た 奥 書 凶 『 大 乗 三 論 師資
伝 』 の康
安 三 年 の 自 誌 の前
に 、 建 武 元 年 六 月 一 日 写 了 三 論 末 学 聖 珍 と あ る 。 聖 珍 ( 本 朝 高 僧 伝 五 十 六、 東 南 院 務 次 第 参 照 ) は 、建
武 元 年 ( = 二 三 四 ) に 東 大 寺 別 当 と な り 、 康 永 三年
( 一 三 四. 二 ) 、 文 和 元 年 ( 一 . 二 五 二 ) に も 再任
さ れ 、第
二 十 三代
の東
南 院 務 で あ る 。 こ の 聖 珍 が、憲
朝 と 直 接 の 関 係 を有
す る も の か は 、 こ れ の み で は 分 ら な い が 、少
な く と も 、 聖 珍 在 世 の 時 代 に お い て 、 聖 珍 の 筆 写 本 を 以 て 、 さ ら に 写得
し た も の で あ る こ と が 知 ら れ 、 何 ら か の 関 係 交渉
が あ っ た こ と は 推 察 さ れ よ う 。 また 憲 朝 も 、 や は り 密 教 兼 学 の 僧 で は な か っ た か と 思 わ れ る 。 と い う の は 、
憲
朝 の筆
に な る 文 献 の 多 く が 、 一 括 し て 、真
言宗
に属
す る 宝 生 院 に 伝 え ら れ て い る か ら で あ る 。 宝 生 院 所 蔵 の文
献
の ほ と ん ど は 、 開 山 であ
る 能 信 上 人 ( 一 二 九 一1
] 三 五 四 ) が集
め ら れ た も の と さ れ 、 以後
の 住 持 が 、 さ ら に 充 実 さ せ た も の と さ れ る 。 能 信 の 示 寂 は 正 平 九 年 ( 一 三 五 四 ) と さ れ る か ら 、 憲 朝 の 生 存中
で あ る 。従
っ て憲
朝
の筆
に な る 三 論 宗 文献
に関
し て は 、 能 信 の 収 集 に か か る も の で は な く 、第
二 代 の 信瑜
( = 一 八 九 ー 一 =. 八 二 ) の 時 代 に 収 蔵 さ れ る に 到 っ た も の で あ ろ う 。 と い う の は 、 信 瑜 は 、能
信 に 伝 法 灌 頂 を 受 け 、 野 沢 の 諸 匠 に 謁 し 、 そ の後
宝 生 院 に 住 し た 。 そ し て 、 そ の 後 嗣 を 定 め る に つき
、 東 南 院 の 聖 珍 に 聴 許 を得
た と い う 。 こ の 辺 の 問 に 聖 珍 、憲
朝 、 信 瑜 の 関 係 交 渉 が 存 し た と考
え ら れ る 。 た だ 、憲
朝
が 真 言 宗 の 法 系 上 に 現 わ れ て 来 る 人物
か ど う か 、 ま た 住 処等
に つ い て は 、 今 の と こ ろ 不 明 で あ る 。諸
賢 の 御 教 示 を 乞 う 次第
で あ る 。 〔 註 〕 ( 、 ) 宝 生 院 所 蔵 の 三 論 宗 関 係 の 文 献 調 査 は、 昭 和 五 + 一 年 春 以 来 進 め て い る が、 ま だ 終 了 し て い な い 。 従 つ て、 こ こ に 掲 げ た も の 以 外 に も 存 す る か も 知 れ な い. (2
) 右 に 列 挙 し た 文 献 の 中 で は 、 『 勝 鬘 宝 窟 光 闡 鈔 』 『 大 乗 三 論 師 資 伝 』 『 二 諦 義 私 記 』 等 の 原 本 は、 東 大 寺 所 蔵 の 文 献 で あ っ 慧 均 撰 『 弥 勒 上 下 経 遊 意 』 の 出 現 を め ぐ っ て ( 伊 藤 ) た ろ う と 思 わ れ る が、 現 在 は 伝 っ て い な い。 こ れ ら の 文 献 に つ い て の 調 査 研 究 は、 後 日 に 期 し た い 。 ( 3 ) 憲 朝 の 頃 の 東 南 院 務 ま で は、 一 応 伝 記 も 整 っ て い る が 、 そ れ 以 後 は、 中 絶 の た め 不 明 と さ れ た り、 単 に 名 前 の み が 列 挙 さ れ た り し て い る 。 『 大 日 本 仏 教 全 書 』 史 伝 部 一 参 照。 四前
稿
の 一 部 訂 正 宝 生 院 本 の 存 在 を 知 る前
に発
表 し た 「弥
勒
経 遊意
の 疑問
点 」 ( 駒 沢 大 学 仏 教 学 部 論 集 第 四 号、 昭 和 四 十 八 年 十 二 月 ) の 論稿
中 に 、 本 写 本 の 調 査 に 依 り 一 部 訂 正 を 加 え な け れ ぽ な ら な い こ と が 判 明 し た 。 そ こ で、 次 に そ の 点 に つ き 言 及 し て お き た い と思
う 。 先 に 、 右 の 論 稿 に お い て該
当
す
る 箇 処 の要
点 を 述 べ る と 、 「 遊 意 」 中 に 見 ら れ る仏
滅 等 の年
時
の 記 述 に つ い て考
察 を 加 え 、 そ の 記述
を も と に し て 、 本 書 の 成 立年
時 を推
定 し た の で あ る が 、 そ の 根 拠 と し た 一 文 に 、 誤 字 と 脱字
が 存 し た こ と が 明 ら か と な っ た か ら で あ る 。 今 、 現 行 本 の 当該
箇
処 を 次 に 掲げ
る と、 第 八 弁 弥 勒 与 釈 迦 同 時 浬 槃 不 同 滅 度 、 尋 仏 是 周 荘 王 十 年 夏 四 月 八 日 辛 卯 度 、 恒 星 不 現 時、 即 是 仏 生 日、 仏 是 恵 王 八 年 四 月 八 日 出 家 、 于 時 年 十 九、 至 恵 王 十 九 年 四 月 八 日 成 道 、 于 時 年一 一. 十 、 至 経 ( 匡 王 ) 五 年 二 月 十 五 日 滅 度、 干 時 年 八 十、 仏 自 出 世、 従 周 荘 王 至 契 、 合 得 一 千 二 百 四 十 年 ( 大 正 三 八 . 二 六 八 上 )慧 均 撰 『 弥 勒 上 ド 経 遊 意 』 の 出 現 を め ぐ っ て ( 伊 藤 ) と
述
べ る 所 で 、 付 線 を し た 部分
を 特 に 問 題 と し た も の で あ っ た 。 右 の 文章
で は 、 一 千 二 百 四 十 年 と い う の が 、 仏 の 出 世 時 か ら 言 っ た も の か 、 滅 度後
何
年
と い う 数 え方
を し た も の か. . ま た 、何
時 ま で で 一 千 二 百 四 十 年 と 言 っ た の か 明 確 で な か っ た 。 右 の 内 、 出 世 か ら 数 え た も の で あ ろ う こ と は 考 え ら れ る と こ ろ で あ る が 、 「 至契
」 の意
味
を ど う 取 る か に 迷 っ た、 「契
」 と い う の が 「 梁 」 の 写 誤 か ど う か と い っ た こ と で あ る. 、 一 応 両方
の考
え方
を 出 し た の であ
っ た が 、 諸 本 共 に 同 じ 記 述 を し て い る こ と 、 ま た 自 己 の論
述
の意
図 に 執着
し た 結 果 と し て 、 右 の 夊 を 、 …応
正 し い も の と 見 て 扱 い 、 仏滅
後
何
年 と い う 数 え方
の 例 ( 歴 代 「. 一 宝 紀 等 ) に影
響 さ れ て 、 い き お い 私 意 に よ る 我 田引
水 的 な解
釈 を 試 み る結
果
と な っ た , そ し て、 右 の 箇 処 を 、 仏 滅 よ り本
書 の撰
述時
ま で で 一 千 二 百 四 十 年 と い う 意 味 に受
取 り 、 本書
の 年 記 に従
っ て 逆 算 し て 、 そ の 一 千 二 百 四 十 年 目 と い う の が、 唐 の 貞 観 七年
と い う こ と に な る と 推 定 し た の で あ る 。 し か し 、 右 の 部 分 は 宝 生 院 本 で は 次 の よ う に な っ て い た の で あ る 。 仏 自 二 出 世・ 来、 従 二 周 荘 王 一 至 レ 梁、 合 得一 二 千 二 百 四 十 年 一 こ れ に 依 れ ば 、読
み に つ い て は 何 ら 迷 う要
は な い 。 著 者 は 仏 の 出 世、 つ ま り 周 荘 王 十年
よ り 梁 に 至 る ま で で 一 千 二 百 四 十年
で あ る と ヨ. 口 っ て い る こ と 明 白 で あ る 。従
っ て、 そ れ に当
二 . 、 四 る年
は 、 梁 末 の 承 聖 三 年 ( 五 五 四 ) と い う こ と で 、 端 数 を 省 略 し た と す れ ば 、 丁度
梁 の 末年
ま で の年
数
を数
え た こ と に な る 。 よ っ て 、 前稿
の推
定 は 、 今 の 宝 生 院 本 の 記述
に 従 い 、 訂 正 し た い と 思 う 。 そ こ で 、 今 の 年 数 の 数 え 方 と 著 作 成 立 の 年 時 と は 、 応切
離 し て考
え な け れ ば な ら な い こ と に な る. 、梁
末 の 成 立 で は な か ろ う と い う 視 点 は、 前 稿 に て も 触 れ た ご と く 、 真 諦 訳 の 『 倶 舎論
』 と 『 立 世 阿 毘 曇 論 』 に 言 及 す る か ら で あ る が 、 早 け れ ば陳
中
期
か ら 末期
の 成 立 と い う こ と も 考 え ら れ よ う 。 そ の 点 か ら す れ ば 、 開 皇 十 七年
( 五 九 七 ) の 費 長房
の 『 歴 代 三 宝紀
』 よ り も 先 の 成 立 と い う 可能
性 も 出 て 来 る 。 本 書 や 「 三 宝紀
」 で述
べ る 仏 の 出 生 、 成道
、 滅 度 の年
代 説 は 、 陳 代 か ら 隋 代 に お け る 一 般 説 で あ っ た と す れ ぽ 、 必 ず し も、 本 書 が コ ニ 宝 紀 」 の 説 を 採 用 し た も の と の み は 言 え な い と い う こ と で あ る.、 以 上 に よ っ て 、 本書
の 成 立 年 時 に つ い て は 、 な お 不 明 と せ ざ る を得
な い 。 さ て 、前
稿 に お い て 、 右 の 点 に つき
論 及 し た 主旨
、 そ の ね ら い は 、 右 の 一 文 を根
拠 と し て 、 本 書 の 成 立 年 時 を推
定 し、 そ の 年 時 が、 古 蔵 の著
作 可 能 な年
代
か ら外
れ る こ と 。 そ の こ と を 以 て 、 本 書 が 吉蔵
の 撰 で は な い と い う } つ の 論拠
に し よ う と し た も の で あ っ た.、 以 上述
べ た こ と に ょ り 、 こ の 点 は 削 除 し な け れ ば な ら な い こ と に な る 。 た だ 、 こ の . 項 を 除 い たと し て も 、 本 書 を 吉 蔵 の 著 書 で は な か ろ う と い う 立 場 に は 変 ら ず 、 全 体 と し て の 論 旨 に は 影 響 な い 。 し か し 、 か な り 有 力 と 考 え た 一 の 傍 証 と な る も の が 除 か れ た と い う こ と で あ る 。 こ の 点 、 特 に お 断 り し て お き た い と 思 う 。 五 翻 印 の
留
意
点 翻 印 を 試 み る に 際 し て の 留 意 点 を 述 べ る前
に 、第
一 に お 断 り し て お き た い の は 、 普 通 一般
に 行 な わ れ て い る 、 写真
撮 影 の プ リ ン ト に 基 ず く も の で は な い 点 で あ る 。 宝 生 院 所蔵
文献
は 、 原 則 と し て 写真
撮 影 は 認 め ら れ て い な い 。 従 っ て 、筆
者 は 、数
回 の 調 査 に よ り 、 原 本 よ り 直 接 手 書 に 依 っ て 写 し た も の を 基 に し て い る 。 一 度 筆 写 し た後
、 写 誤 を 正 す た め に さ ら に 原 本 と の 校 合 を 行 い 、 正 確 を 期 し た 。 し か し 、 何 分 、 手 元 に 写 真 プ リ ン ト が な い こ と も あ っ て 、 あ る い は 、 筆 写 の 際 の 誤 り も存
す る や も 知 れ ず、 そ の 辺 の 事情
を御
理 解 願 い た い と 思 う 。 次 に 、 本書
に は 、 先 に も 触 れ た ご と く、 異 本数
種 が 存 す る 。 当初
、 こ れ ら の 異 本 と の 対 校 を 行 い 、 宝 生 院 本 と の 同 異 を 明 確 に し た い と考
え て い た 。 し か し 、 比 較 対 照 の 結 果 と し て 、 宝 生 院 本 以外
の諸
本 は 、 多少
の 辞 句 の 出 入 が あ る の み で 、 同 一 系 統 で あ る こ と が 認 め ら れ 、 年 代 か ら 言 え ば 、 東 大寺
本 が 元 に な っ て い る こ と が 明 ら か と な っ た 。 そ こ で 、 対校
慧 均 撰 『 弥 勒 上 ド 経 遊 意 』 の 出 現 を め ぐ っ て ( 伊 藤 ) 本 と し て は 、 現 在 の と こ ろ 東 大 寺 本 の み で 充 分 で あ る と い う こ と で あ る 。 し か し 、東
大 寺 本 と 宝 生 院 本 で は 、交
字
の出
入 が 相 当 に激
し く 、 一紙
分 ( 四 二 〇i
四 五 〇 字 位 ) に つ き 、 大 体 三 十 箇 処 前後
の 相 違 が あ る 。 そ こ で 、 印 刷 の都
合 上 、 異 本 校 合 は省
略 し 、 宝 生 院本
の 紹 介 の み と い う こ と に し た 。 い ず れ 、 諸 本 校 合 の 上 、校
訂 註 記 を 加 え た い と 考 え て い る 。今
回 の 翻 印 に 際 し留
意 し た点
は 次 の ご と く で あ る 。1
、 原 本 で 使 用 さ れ て い る 、 古 字 ・ 異体
字 ・ 略字
等
は 、 原 則 と し て 活字
用 正 字 に改
め 統 一 し た 。 ま た 適 宜 句 点 ( ・ ) を ほ ど こ し、 改 行 を 加 え た 。2
、 誤 字 ・ 衍 字 と 思 わ れ る も の も 、 そ の ま ま 印刷
し た が、 明 ら か な も の に は 、 文字
の 左 傍 に ( ・ ) を付
し た 。3
、 原 本 の 行 間 等 に 付 記 せ る 異 本校
合 の 注 記 は 、 当該
箇
処 、 又 は 交字
の 右 肩 に 番 号 (12
… … ) を 付 し 、 頭 註 と し た 。 註 番 号 を付
せ る も の は 、 す べ て 原 本 に存
す る 異 本 校注
で あ る。 但 し 、 原 本 の 書 式 を 次 の よ う に改
め た 。 明 イ 例 「 第 一 。 序 … : ・ 」ー
↓ 「 一 」 の 下 二 「 明 」 ア リ ィ 无 「 亦 名 経 出 」−
「 亦 名 経 出 」 ナ シ 所 イ 「 無 可得
」1
↓ 注 番 号 の 下 に 、 異字
の み を 示 す 。4
、 原 本 の 書 式 ・ 形 態 や諸
本 と の対
照 上 、 特 に 注意
さ れ る 事 項 は 、 ( * ) 印 を 付 し て 、 頭 註 に 記 し た 。 五慧 均 撰 『 弥 勒 ヒ 下 経 遊 意 』 の 出 現 を め ぐ っ て ( 伊 藤 ) 二 . 一 六 ・ 原 本 見 返 二 「 弥 勒 經 遊 意 」 ト ア ル モ 後 筆 ナ ラ
乾
」磯
講
嘱
經 遊 意 . 、 ス. 卓 撰 号 ヲ 記 ス パ、 本 書 ノ ミ ニ シ テ、 他 ノ 諸 本 共 二 缺 ク。 2 「 イ 本 虫 食 」 ト ァ リ。潜
枠醗
麺
ア u . 5 「 与 釋 迦」 + ノ 。弥
勒
上下
経
遊
意
+重
ほ ワ ロ
均 僧 正 撰 第 』
序
王 第一 . 明 釋 名 第 三 辨經
宗 禦 名經
出第 四 論 因 果
第 五 明 出 世 久 遠
第
六 論 成道
ら
奢
促第
七 辨. 二 會 度 人 少 多 第 八 論 與釋
迦 同 時 涅 槃第
九 明 教 大 小第
十辨
雑
料
簡 6 所 7 「 卒 」 ノ 下 二 「 天 」 ア リ。 8 「 成 」 ノ 上 一 【 乃 」 ア リ。 9 「 切 」 ノ ド ニ 「 最 レ ア リ。 序 王ア
諸
佛 出 世 爲 大事
因縁
故 。 居 初 發 心 不 足 之 地 。 専學
無 可得
大 乘 修 諸 法 萬 行 故 。 或 上 兜 率 。爲
諸
天 子 。 読 般 若 波 羅 密 。 或 五 十 六 億 七 千萬
歳
時 。 下 閻浮
提
、 成 種 覺 。 故 前佛
後
八 相 威道
。●
紹
位
紹 尊 。 皆 是 一 生 補處
。 故 前 記釋
迦 。 数 授 彌勒
。明
此菩
薩 切 十 地 之 最高
。 行 踰 三 忍 之O 上 。 方 當 改 穢
斯
土 。 爲彼
淨 國 。 人 壽即
八萬
四 千 。 由 即 一 種 七 獲 。 況 乃 名 華軟
草浮
室滿
地 。,
10 懼 1ー ナ シ 寧 原 本 ハ 改 行 ナ シ。
法
2 剃 3 「 卒 」 ノ 下 一 「 陀 」 リ ア 。 4 成 5 「 郡 」 ノ ド 隔 「 釋」 ア ー 。 6 「 者 」 ノ 下 二 「 智 者 」 ア リ。 7 「 浦 屑 浄 必 見・ ・ : :. 皿 蔵一一 ム 」 ノ一 一 LT 五 声 ナ ナ シ . 8 羅 闘 事 以 上 第一 紙 9 果 10 ニ ー1 具 12 「 之 」 ノ F 」 「 人 」 ア ー− 。 13 生 下 14 「 与 弥 勒 阿 逸 多 」 ナ シ, 15 ナ シ ー6 「 勒 」 ノ 下 二 「 者」 ア ー− . 17 名 18 「 亦 」コ 昌 + シ 。 慧 均 撰 『 弥 勒 上 下 経 遊 意 』 の 出 現 を め ぐ っ て ユ ユ寳
藏神
珠 盈 瞿 逸 陌 。 三會
読 法。 道樹
天 人 。 一 切 名字
。 悟 無 生 怨 也 。第
一 、釋
名 ホ ヨ 此 經 若具
存
胡 音 。 應 言佛
陀
般 遮 阿 耶 羅 彌 勒菩
薩 耨多
羅
修
摩 兜 率 提婆
修
多 羅 。漢
言 。覺
者
読る ロ リ
觀
慈
氏 大 心 衆 生 上 生 知 足 天 經 也 。今
簡 異 名 不 同 。 一 名 眦 留 。 亦 名闍
那 迦 。 此 云 咸也
。佛
陀 リ ロ 此 云覺
者 見者
等 也 。 崑 崙 三 藏 云 。清
淨覺
也 。 修 多羅
亦 云 修 妬 路 。 修 庇 羅 。 修 林 嵐 。 異 名 有 む エ き ネ 四 。 三 藏 云 。 修 多 蘭 多 含 五 異 名 之 。今
上 下 兩經
。 擧胡
漢 兩 音與
人 法 二 種 。 因 經 。 所 以 爾 ヨ る エ者
。 示 修 行 之 階 。 是前
生 天 後 下 生 人 得 威佛
故 也 。 次簡
阿 逸 多 與 彌勒
。 阿 逸 多 此 云無
能勝
。 の リ ア き ユ ユ ユ 故 淨 土 經 云 。 莫 能 勝 也 。 彌 勒 亦 名彌
帝 禮 。 或 云 彌 帝 隷迦
也 。 婆 須 密 經 亦 言 和 修 密經
。 云 阿 羅 彌 勒 也 。 此 云 觀 慈 氏 。 但 相 傳 或 云 。 阿 逸 多 是 名 彌勒
是 性 。 或 云 。 阿 逸 多 是 性 彌働
是 名 。 兩 釋未
詳
取 捨 也 。 此 人曩
劫 行 慈 。 久 習 慈 因 。 修 慈 以 立 爲 名 。擧
徳 標 人 。 故 言 慈 氏 。 故 釋 論 云. 阿 難 問 佛 。 何 因縁
得
彌 勒字
。 佛 答 云 。 過 去 久 遠 。 此閻
浮 提 中 有 一 佛 出 世 。 名 日 弗 沙 。 ( 伊 藤 ) 二 三 七慧 均 撰 『 弥 勒 上 下 経 遊 意 』 の 出 現 を め ぐ っ て ( 伊 藤 ) 二 三 八
19 19 又 慈゜ … ° 仏 答 云 此 比 丘 入 」 ノ “ + 四 宇 ナ シ ・
彼
時 有 國 王 。 名曇
摩 留枝
。往
佛 所時
。 見 一 比 丘 入 慈 三 昧。 形身
安
靜
。 放 大 光 明 。 王 見 即問
20 欣
佛 。 此 比 丘 入
何
三 昧 光 明 。 乃 佛 答 云 。 此 比 丘 入慈
心 三 昧 。 王 聞 此 語 。 信 増 欽仰
言 。 ・ 此 慈 心 定 魏 魏 乃 爾 。 我 亦 修 習 此慈
心 三 昧 。爾
時 曇 摩 留 枝 王 。 今 彌勒
是 。 於 彼 世 界 發 此慈
心 。 自 此21 21 燃 燈
以
來
常字
彌勒
。 久 習 性 故 。 至 威 佛 時 猶 名慈
氏 。 如 燃 燈 佛 。 生時
一 切 身 邊 如 燈 故 。名
燃 燈 22 日 23 「 燈 」 ノ 下 r コ 佛 」 ア り。 22 23 2425 24 名佛 。 初
本
乞 油 供 養 諸 比 丘 因 縁 。 爲 目燃
燈 。 亦 名錠
光 佛 。 如聲
類 書 日 。有
足 名 錠 。 無 足 日 鐙 25 錠 ア雛
」貨
齷
” 劉型
賢愚
經ち
一 云 。 彌勒
生 在 波 羅 捺國
劫綿
補 相豪
。 初 生有
三 + 二 相 。身
紫
磨
黄 金 色 。● 囓 腋 上 第 二 紙
簷
搾
霜
警
石 相璢
煮
相 師馨
果
茗
闘
星
覧
有
何
桓
答荒
29 必 9 0 1 ヨ ヨ 30 成其 母
素
性 不 能 善 。懐
兒 以 來 慈 矜 苦 見 。 相 師 喜 言 。 是 兒 者 必慈
心 。 因 此 爲 立名
。 號 日 彌 勒 。 31 「 為 立 」 ナ シ 。 32 勝 名 相 2 3 4 5ヨ ヨ ヨ ヨ 跚
騨
鬟
遍
。 ,.父
塁
戛
心磐
量 。其
殊 美 稱 。 令國
圭
・薄
閥
波 羅 捺 國 王名
麓
違
聞 之 心懐
懼
恐奪
35 達36 36 心
王
位
。意
未
長 大 時 。 方 便 除 之 。 共 父 母 知意
。 遣 人 逾 與 其 舅 。舅
名
波 婆 利 。領
五 百 弟子
。 在ア き
禦
.異 國
學
導
舅 得靄
已 教 學開
肇
未饗
粍
印 通 經書
。 其 舅後
時
聞有
佛 出 世 。即
遣 彌禦
−9 思 。 、
+ 六
へ
往
至絳
獄
四閥
嚢
相
二間
年 毒 鷹 三問
弟
モ
四 間葎
嬲
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40 若羅
測 ドニ
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佛
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其
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得
法霧
各 從製
崋
佛 言 。華
響
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重
響
ー
…
髣
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華
五衾
阿選
鬻
齦
悪
而量
彌勒
後騒
佛 還糴
. 埴 . .鬣
大鈴
爲
攣
自鬆
作鏨
色縷
之爨
裟
繋
心隸
以奉
峯
世奪
不霎
46 46 ナ シ
還
令
供 養 衆 信 。 逖語
即
供養
衆 僭 。 衆層
中 行 之 。無
有
欲
取者
。 至 彌勒
前
即
取 著 之 地 。 一 時從
難
佛
護
髴
図
身籌
金隻
擲 金孃
舞
表騨
馨
乞 食契
陌耋
鉢俵
人 49 「 重 」 ノ 下 昌 「 之 」 ア リ。鑼
誕
・靉
家爨
其鑿
豢
・ ・覺
毳
者
無有
足蠢
皆
舞
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人譽
考
薯
審
署
彌 勒即
將
藪
52 ナ シ ・ ・ 上 第 ・ 紙衆 僭 .
鴦
廣 読 法 供 養 利 重 。佛
爲
其 引 阿 那律
奨
箜
氈
.鑾
生 世 世無
貧窮
・ 亦 爲藩
彌 53 「 報 」 ノ 下 二 「 之 」 ア リ,53 54 寧
轤
訟
嵬
毳
. . 出 家 時 不 意 . .勒
未
來 果 報毒
明
鑿
爨
裟煮
婁
護
霾
亦一箆
畢
雖復
出秦
修
禪 定 不断
煩
惱
等 者 。 而 觀 佛 三昧
經第
八卷
云 。 彌勒
菩 薩 。脱
瓔 珞 奉 上 如 來 。 以 此 知 出家
人 。 永 應
華
瓔
珞 等 。 答 。 法 法 師 糧 云 。或
是 未 出 家時
。奉
上瓔
珞 等 。 爲此
經 與 賢 愚經
等 。 己 慧 均 撰 『 弥 勒 上 下 経 遊 意 』 ・ 出 現 を め ぐ ・ て ( 伊 藤 )二 三 九
慧 均 撰 『 弥 勒 上 下 経 遊 意 』 索 原 十 甲 ハ 改 行 ナ シ 。 寧 右 二 同 ジ。 1 説 2 ナ シ 3 「 此 」 ノ 下 二 「ロ ロ 」 ア リ。 4 得 5 ナ シ 6 説 7 ナ シ 寧 屈 原 本 ハ 改 々 灯 ナ シ 。 の 出 現 を め ぐ っ て ( 伊 藤 ) 二 四 〇 出 家 時 不 意
也
ホ 第 三辨
宗 體 * 一往
大鋼
。 上 生 經 大 乘爲
宗 體 。 下 生經
小 乘 爲 宗 體 。 故 上 生經
。 具論
六度
四 等 菩 薩 行 。亦
具 詮 中 假 。 故 大乘
因果
等
爲
宗 。 如後
第
九 段 中 簡 也 。 下 生 經 。 但辨
戒 定慧
三 品 三 藏 。 故小
乘爲
宗 。 故 三會
読 法 證 四果
而 已 。 亦 但 論 假 不 明 中 故 也 。問
。 經 中具
明常
樂 等 四徳
。 云何
小 乘 爲宗
耶
。 答 。 常 樂 等 四 徳義
。 辨 小乘
涅
槃
四 徳等
。亦
是
獨 臺 壞無
常 等 。 読 常 樂等
。 未 必 破 三 修 セ偕
比 丘 説 常 樂等
四徳
。 或 傍 明 大 乘 。 故 下 生 經 云 。 即 露 出家
即阿
耨 亜菩
提
也 。 … 家 義 宗 。 一 切 法 無 非 經 。 色 表 非 色 。 香 表非
香 等 。 一 切 法 例 無 非是
經 。 但就
釋 迦教
。 色聲
等爲
經
體
。 不 二 而 二 明 之 。 十 五 色 中 三 色爲
經 體 得 也 。若
言 宗 體 異者
。 正 法 爲體
。 因 果 爲宗
也 。 具 如 大 經 ロ ア 疏 與 大 品 疏等
之也
。 ホ第
四 論 因 果・ 右’ 一 同 ジ。 1 逕 ホ 以 上 第 四 紙 2 ナ シ 3 「 迦 施 延 … : 間 」 ノ 十 七 字 ナ シ 、 4 「 小 」 ノ ド ニ 「 乗… ア リ。 5 ナ シ 6 論 師 7 ナ シ 8 ナ シ 9 「 十 」 ノ 下 二 「 名 」 ア リ。 皿 「 名 」 ノ 上 二 「 千 萬 那 由 他 」 ア り。 ホ 「 我 当 … … 自 発 言 」 ノ ニ 十 三 字 諸 本 缺 ク。 11 「 得 」 ノ 下 二 「 作 」 ア り。 12 智 蔦 「 在 」 ノ 下 昌 「 前 」 ア リ。 14 発 心 在 後 15 「 菩 提 」 ノ ニ 字 ナ シ 。 15 「 大 」 ノ 上二 「 又 」 ア り。