道元耀師の行列的思想の研究
序 論 第一章 第二章 第三章 本 論 集一章 第二章 第三章 第四章 第五章 結 論 第一章 第二章 l 遺 一 万 縄 師 の 宗 教 挫 験 道一元締師の教に謝する態度 道 一 元 締 師 の 行 の 立 場 行列的思想の根技 修行の民俗判稽 修設︷如の行 悌胆正俸の必勝 必一路の普遜性と安祭行 宗設行一等の宗 教行詮と疋像末 道一万栂附の行列的思想の研究神
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Fじ日 本 偽 数 血 中 協 合 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 一 七 2 序 論 第一章 道 一 克 縄 師 の 宗 教 瞳 験 道 一 万 縄 師 は 正 治 二 年 庚 申 ︵ 4 八 六 仰 ︶ 正 月 二 日 、 久 我 内 大 臣 源 一 週 親 公 孝 ︿ と し 、 九 佐 一 蹴 政 藤 原 某 一 反 公 の 女 均 一 時 と して京都に生れられに。然るに父通親公は建仁二年主戊︵一八六二︶十月二十日五十凶歳冶はで藷ぜらる。禅師は 齢三歳にして早くも弧見となられ亡のである。それより長兄週日央公の養育するところとなつに。永平成録在五に ﹁ 舟 ニ 育 父 源 盟 相 一 上 堂 一 語 ﹂ の あ る は 其 の 設 で あ る 。 然 る に 求 一 万 元 年 丁 卯 ︵ 一 八 六 七 ︶ 冬 、 蹄 師 八 歳 に し て 父 慈 吋 か 喪 はれに。身は高音、粂ね具へ仁家柄に生れられにけれ共嗣親そ H T く失ふといふことは
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人生に於ける不幸は無い。 鵡一附は幼少ながらも母島喪って香火の煙や観じて栴に位聞の無常冶悟 h り 求 一 応 出 家 の 士 山 や 琵 さ れ に 。 俸 に 依 れ ば 九 品にして世親の倶合論を讃みにまふ︵建抑記﹀とあるは其の事買を物語るものである。建暦二年 f f e m 十 一 一 一 歳 の 春 、 夜中に崩に思び出で、叡山の麓に在りし叔父良観法眼の主に入って求道の念の切なるぞ述べて強ひて出家串遁在 日 目 土 ま れ に 。 法 眼 終 に ゆ る し て 翌 建 保 一 万 年 発 問 四 月 九 日 、 十 四 歳 に し て 天 台 の 広 主 公 閥 僧 正 に 就 い て 剃 髪 し 翌 十 日 延暦寺の戒埼院に上って菩隣戒冶受け比丘となつに。爾れより天台の教観‘台・樹、並に大小莱の深理を究め大蔵 粧やも一閲せられに。叉二一井寺の公胤僧正に翻心の枠在も間かれに。禅師穎密の二教冶究むるに及んで此に一大 疑閣に逢若しに。本来本法性、天然白性身といふ、若し此の如くならば則ち二一附諸仰甚に依ってか殺心して菩提そ 求 む る や と 、 之 や 香 宿 に 質 す も 氷 蒋 冶 得 る こ と 能 は す 。 建 仁 ム 寸 の 栄 西 蹄 一 川 に 就 い て 決 着 冶 得 ん と せ し も 建 保 二 一 年 乙亥七月五日七十五歳や以て入寂せられにので終に述保五年十八歳八月、北の嗣明全和向に従ひ臨慣の家風 h q串ぷ 。 排 遁 話 に 、 予護心求法よりこのかた、わが朝の遍方に知識をとぷらひ品川、。ちなみに建仁の全公ぞみる。あひしたがふ霜事 すみやかに九廻そへたり、いさ?か臨掛の家風をまく。 と白からお述べになってゐるのは明らかに其経慌冷語られにものである。 然し是れに依って未官蹄師の疑闇は到底瓦解氷消することは出来なかった。只述仁寺には栄両蹄附の遺風茂徳 があって其の人の偉大なりしことか︸知るに過ぎなかつに。而して其の人が二度も入宋して得られたところの壊と 糟 と 在 岡 山 ふ 時 、 大 山 木 固 に 高 俄 磁 壊 が あ っ て 白 か ら の 憎 め る 此 の 疑 固 に 氷 蒋 沿 典 へ て く れ る で あ ら う こ と . か 思 慕 せ ら れ て な ら な か っ ー に 。 終 に 貞 態 二 年 突 永 ︵ 一 八 八 一 二 ︶ 二 十 四 歳 二 月 二 十 二 日 、 因 縁 熟 し て 師 明 全 和 尚 と 北 九 に 東 山 を 出護しコ一月下旬商舶に乗って筑前博多の津そ出帆せられ、問月中旬大宋明州に若かれに。七月初めて天童山に掛 錫せられた、時の住持は無際了汲といひ大菩宗呆の法孫であつに。師資の機伯探求記相契は令、去って保山の前翁 加 攻 、 台 州 小 翠 山 石 の 盤 山 思 卓 、 阿 育 王 山 の 大 光 和 向 、 其 の 他 一 牛 聞 の 高 年 寺 、 慶 一 万 の 護 聖 寺 等 冷 等 ね ら れ に が 一 も 師侍するに足る老漢無く、入宋の無盆なりしを歎じて寧ろ蹄朝せんには如かじとさへ思はれ仁。時に建に老雄と いふ借に逢ひ其の指示を蒙り、天童山第三十代如浮禅師に相凡せられにのが賓慶元年乙酉五月一日二十六歳の夏 で あ つ に 。 面 授 の 巻 に 記 し て 云 く 、 大 山 木 賓 慶 一 克 年 乙 商 五 月 一 日 蓮 元 初 て 先 師 天 童 十 H 倒冶妙高肇に焼香純拝す。先師古悌初めて遁一万必見る、そのと き遁元に指授而按するにいはく、仰々租々両授の法門覗成せり。 と。明全和尚病んで始めより天童山に在 h v 、五月七日辰の刻、濯に了然資に四十二歳や以て遷化せられに。道一万 3 道一元開附の行列的思想の研究 七
日本偽数革協合年報︵第十一年︶ 一 七 回 4 禅師は其れより賓鹿三年冬まで天童浮組の下に参静間選、主夜やすて宇寸陰沿惜んで坐禅耕遁せられに。此の期 間に於ける問答脊訣そ記録しにものに賓鹿記一篇がある。其の最初に片束ぞ師に呈する末文に日く、 今 随 ニ 全 法 師 − 而 入 ニ 炎 宋
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悔 一 高 里 一 任 ニ 幻 身 於 波 湾 立 培 法 ニ 大 宋 一 得 v投 ニ 和 尚 之 法 席 4 蓋 是 宿 一 噛 之 慶 幸 也 。 和 尚 大 慈大悲、外岡建方之小人、所 v願者不 v拘 二 時 候 一 不 v具 ニ 威 儀 辺 朗 々 上 ニ 方 丈 一 敬 v拝 ユ 問 愚 懐 叩 生 死 事 大 、 無 常 迅 建 、 時 不 v待 v人、去 v聖 必 悔 。 本 師 堂 上 大 和 尚 大 開 師 、 大 慈 大 悲 聴 ニ 許 道 一 苅 問 遁 同 法 4 伏 巽 慈 照 、 小 子 道 一 冗 百 拝 叩 頭 上 櫨 。 と。これに依て道元蹄師が如何に草創で求道の精神に燃えて居られにかそ知ることが出来ると忠ふ。如持稗師叉 之 に 答 へ て 云 く 、 一 克 子 自 今 以 後 不 v拘 コ 蓋 夜 時 候 著 衣 奴 衣 − 而 来 ニ 方 丈 − 問 v選 無 v妨 。 老 健 一 三 如 親 父 恕 ニ 子 無 根 − 也 。 太 白 某 甲 。 と。老抽出は全く親父にして道一万は其の愛児であっ亡、故に霊夜の時候に拘らす、者衣祝衣の威儀を具せ歩、方丈 履堂に飛び込み台氷って道沿問ふぞ妨け?と無鵡を寛恕せられに。これは親子の情に於いてのみ詐さる込ことで己 に師弟の鵡儀を超越してゐるのである。父子の異賓と相信?ることの深きに依って此に二面必裂破し誼契郎通す る に 至 つ に 。 こ れ 冶 悌 嗣 仰 と も 組 嗣 組 と も い ふ 。 建 揃 記 に 一 五 く 、 汗 翁 一 日 責 二 開 柄 小 一 眼 目 日 、 参 蹄 須 ニ 身 心 脱 落 ﹁ 只 管 打 睡 棋 v鍔 ニ 什 出 股 刊 師 於 v傍 賂 然 大 悟 。 直 上 ニ 方 丈 一 焼 香 、 浮 問日、焼香事作慶生 J 師 一 五 、 身 心 脱 落 ・ 来 。 浮 日 、 身 心 脱 落 脱 落 舟 心 。 師 一 去 、 這 筒 u u 暫 時 伎 刷 。 和 尚 英 一 コ 妄 印 ニ 某 叩 刊 浮 日 、 吾 不 二 妄 印 v汝 。 師 云 、 如 何 是 不 一 一 妄 印 ニ 某 mJ 底。浮目、脱落身心。師鵡拝。 と。これが道元開削の大幅であって十有数年来の疑囲の解消しに時である。排道話に、つひに大白峰の浮禅師に参じて一生参事の大事こ誌に沿はりぬ。 といはれたのは正に是れ沿誼明するものである。 費慶三年丁亥ト則禁の冬天童に浮禅師に乞暇せられに J 印 夜 入 室 し て 法 衣 、 資 銃 一 一 一 昧 、 五 位 制 訣 、 並 に 自 賛 の 頂相在授けて云く、﹁汝異域の人なるそ以て之を授けて信ぞ表す Q 闘 に 蹄 っ て 化 を 布 品 川 、 成 く 人 天 ぞ 利 せ よ 。 城 邑 東落に柁すること英れ、囲王大臣に近くこと英れ、只深山胸谷に民して一箇半筒在接得して吾宗そして断絶せし むること勿れ﹂と。懇ろに識 J 不 し 、 厚 く 時 間 け せ ら れ て 其
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冬日本に卸若せられに。治陽建仁寺に寓すること嗣三 年、寛喜年中深草に閑居し始めて排道話の著あり、犬一耐元年宇治に興聖賓林寺や創設し始めて僧堂冶建立し、正 俸 の 捌 欧 坐 そ 修 せ ら れ し に 。 無 住 法 師 の 雑 談 集 巻 八 に 一 五 く 、 中比建仁寺の本願入唐して蹄門戒律の儀俸られしも只狭林にて事々しま坐禅の儀は無りけり。園の風儀にまか せ て 天 台 革 言 な い こ あ ひ な ら へ り 。 一 向 の 騨 院 の 儀 式 は 時 至 っ て 働 法 房 の 上 人 深 草 に て 如 三 人 唐 − 廃 休 の 坐 開 始 て 行歩。其時の坐静めづらしき事にて有 v信俗等拝し貴がりけりと、其時の憎かにわ侍り。 とある。悌一法房の上人とは道一万禅師のことである。これが日本に於ける農林の坐騨の起原であることが知られ る Q 興聖寺在住前後十一年、正法眼蔵四十三容の説法あり、寛一克元年発卯四十四歳越前に入られ蛍二年七月大悌 寺開堂、寛一克四年六月大仰寺沿改めて永卒寺と名け、入滅の建長五年まで前後十一年、士 n 峰 寺 、 開 師 峰 、 大 悌 寺 、 永卒寺 h q合 せ て 正 法 限 蔵 コ 一 十 八 巻 の 開 演 沿 見 に の で あ る 。 其 の 他 を 合 し て 一 代 の 説 法 正 法 眼 誠 九 十 五 容 は 一 二 十 二 歳 の 寛 喜 三 年 よ り 入 滅 の 年 に 至 る 二 十 三 年 間 の 説 法 で あ る 。 其 の 外 普 勧 坐 蹄 儀 、 臨 ナ 道 用 心 集 、 永 一 小 清 規 、 永 一 小 康 鋭 、 資 慶 記 、 正 法 眼 賊 随 聞 記 等 十 儲 部 百 数 十 忠 告 の 著 が あ る 。 . , () 道一万麟附の行列的思想の研究 一 七 五日 本 悌 数 準 協 合 同 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 一 七 六 6 建 長 五 年 突 丑 ︵ 一 九 一 三 ︶ 八 月 二 十 八 日 巳 の 刻 五 十 四 歳 沿 以 て 入 寂 せ ら る 。 法 備 に 一 五 く 、 ﹁ 五 十 四 年 、 照 二 第 一 天 ﹁ 打 ニ 筒 昨 跳 ﹁ 燭 ニ 破 大 千 円 晴 、 揮 身 無 ニ 著 虚 ﹁ 前 陪 ニ 黄 泉 4 ﹂嘉永五年壬子︵二五二一︶八月孝明天皇制して悌性俸 東園師と詔らせにまひ、明治天皇明治十二年己卯︵二五三九︶十一月承陽大師の徽披ぞ誼したまふ。 道一克禅師の宗教的主活の全一向は款に出費して行に師し、設を揮して行に立つところの仰法在高鵠し担調せられ に。而も行の且賓ぞ顕彰して其の非同県在排撃せられにのである。 第二章遁元禅師の款に封する態度 道一万禅師は仰教や観るのに概念的な思想、抽象的な理論として取扱ふことや欲しなかっに。教身概念化し或は 之ぞ論理的に取扱ふことは其れは一一般車者のすることで、悌教は決して輩なる阜では無い。苔入は印今生死とい ふ 大 問 題 に 直 面 し て ゐ る 、 之 そ 理 一 論 と し て 知 識 す る と い ふ が 如 き 悠 長 な 問 題 で は な い 、 之 を 資 際 に 国 民 創 に 民 . 陶 日 に解決せねばならぬ。概念の遊戯に耽ったり、教相の丈字を教へにりする暇はない。生死事大、無常迅速であわ、 少水の魚の如く、常に勤めて精準して頭燃を救一ふが如くでなくてはならない。 去 v聖時蓮、遣業未 v成、身命無常、光陰難 v繋 。 然 則 十 方 雲 柄 専 惜 ニ 光 陰 一 而 精 進 須 v如 v救 ニ 叫 燃 イ 努 力 英 一 閑 談 而 雫 過 ニ 時 節 寸 ︵ 衆 察 綴 規 ︶ 大小乗の繋縛、文字言句の首何藤冶裁断して直下の側地に昨跳すべきである J 百 丈 焦 藤 道 、 永 . M T 印不 v然、非 v非 v局 日 つ 犬 小 乗 ﹁ 非 v非 v異 ニ 大 小 一 東 刊 作 座 生 u a 品 小 来 、 臨 一 争 末 去 。 作 駿 生 芯 大 茶 、 馬事到来。不博也極大同 v小。不約也極小同 v大 。 五 日 不 一 一 折 小 ﹁ 蒜 然 脱 コ 落 大 小 刊 ︵ 永 平 成 鍛 谷 五 ︶ 幕然として大小ぞ脱落するとは大小乗数沿道かに超越することである、風ずな超越し論理ぞ飛躍することである。
超越するといっても之を無視することでは無い。女字に執著せホ教相に拘泥せぬことである。只躍にとらはれぬ といふ消極的の意味ばかりでなく、文字治活かし款を訴かすところの積倒的立義ルァ一付つ。校の本質は人冷して其 の款の如く賓行せしむるをはて目的とし生命とする。故に賢行する者。か無ければ款は死物である。若し教の丈字 にのみとらはれて之が貴行ぞ忘るミならば全く殺の牛.命ぞ奪ふものといはねばならぬ。 護経念悌の勤めに得るところの功徳 h q 汝知るや否や、只百ぞ動かし聾 b − 鵠 ぐ る 守 備 事 功 徳 と 思 へ る い と は か な し。働法に援せん習とするに時大遠くいよいよ活かなり。叉経古や開くことは仰頓漸修行の儀則や教へおけるそ 明らめ知り、教の如く修行すれば必中謹冶とらしめんとなり。徒らに思量念皮ケつひやして菩提や得る功徳に 援せんとにはあらぬなり。愚かに千高諦の口業そしきりにして仰遁に到らんとするは備は日忘れ鞍や北にして越 に 向 は ん と 思 は ん が 如 し 。 ︵ 柚 神 道 話 ︶ 経書ぞ関与。看るの要は、教の如く如賓に修行すれば必中讃ぞ取らしめるといふのが教の異の生命である。然るに 徒らに思量念度や費して抽象的概念に拘束せられ、千一向請の口業を頻りにして備事功徳に挺するは諌経念仰の真 義ぞ失ひ生命治浸却するものである。 教は行の儀別であって恰も車の軌遁の如きものである。悌の定めたまへる款といふ儀則に従って行するところ に行の債値がある。然し款は赴機の教なるが故に、野機の千差高別なるに従って教も亦千種高般にるを発かれな い、教が千穂高般であれば其の儀則六る行も亦多種多様なるは常然である。 第三章 遁 一 克 禅 師 の 行 の 立 場 7 教相を主とする教家では教相判稗卸ち救判そ行ひ而して教宗そ成立した。款と行とは一万来相関開係ぞ有するが 道一万締師の行列的思想の研究 一 七 七
日 本 品 開 致 問 宇 協 合 同 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 一 七 八 8 故に相離すことの出来ぬものである。故に教判 h q 行へば自然其の修行法も判稗され規定せられてゐる諜である。 然し是れはどこまでも款の立場に立つての判明押なるが故に教判であって行ぞ主とした判稗では無い、そこに教宗 仁る両日がある。若し主件関係身以ていふならぽ教が主であって行は伴である。これらの教判は固よわ宗教的、 信仰的立場に於いて作されたものではあるが多分の撃的努力、思想的要素ぞ有してゐることは決して否定出来な い の で あ る 。 道一克禅師の立場は行にあって款に依らない。故仁所依の僻典といふものがない。輿へていへば如来一代の経は 皆悉く所依の終曲円である。軍に文字の経ばかりではない、高象森羅経典にあらざるは無い。 或は百帥の文学在用ひ、或は高木の文字ぞ用ひる。此故に童十方界に森々として羅列せる長短方国青黄赤白併 しながら経巻の文字なり。︵偽極各︶ 成大の文字は高象にあまりて向ほゅにかなり、韓大法輪まに一座じおさまれわ。 奪 っ て 一 五 へ ば 併 の 一 字 も 心 田 の 汚 れ 、 ﹁ 依 v経解 v義 、 二 − 世 悌 仲 間 陣 ﹂ ︿ 永 一 午 一 庚 録 巻 一 ︶ で あ る 。 輿 奪 い づ れ か 通 わ し て も 教相判糟の致しゃうが無い。此の艇や読み是の数を解するは只行あるのみである。遁元開師は此の行の立場に立 って如来一代の教も高象にあまりてゆにかなる文学在も讃破せんとしたのである。然し行といっても亦千差宙開別 である、大小乗の行あり、六度高行あり、菩薩行あり、働行あり。道一万蹄師は如何なる行の立場与取るか。此に行 判といふ問題が費生する。古来行判といふ熟字は無い、道一万禅師にも斯る用語は見常らない。これは全く論者の建 一品であり新熟字である。教行謹の竺法の中に於いて己に教判がある、故に行判或は謹判があっても敢へて来支な いと思ふ。教の立場に於いて敬判が作きるミ如く、行の立場に十代って行判を作し、若し必要あれば置の衣場に於 ︵ 鉾 道 話 ︶
いて誼判。々試みても好いであらう。教家は教の立場に於いて教判。ぜ作し自然に其れに件ふ行謹の刊を成し謹けて ゐる。道元禅師は行の立場に於いて、行判ぞ作し白から救控の批判を成され仁左一五つでも宅も先支ないことであ る ο 道一克禅師に行判といふ話は無いけれども行判的思想はたしかに有してゐられたと信かる。然し行判的思想の 研究な h とといふ閤口や設けて彼是議論する其の事が既に閑誌藤であって道一万碑師から恐らくは英妄の痛棒今受け る こ と で あ ら う と 思 ふ 。 本 二'p
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ロ仰 第一卒行判的思想の根操 道 一 克 糟 師 が 深 草 の 安 養 院 に 閑 居 せ ら れ て あ っ 大 寛 喜 一 一 一 年 八 月 、 一 一 一 十 一 一 哉 の 時 に 著 は さ れ に 排 道 話 と い ふ 一 篇 は 正 法 眼 諮 問 九 十 五 単 位 中 の 第 一 容 沿 な す 。 和 語 沿 以 っ て 坐 禅 の 根 本 精 神 沿 一 一 般 道 俗 求 道 者 の 錦 に 苫 キ バ 二 一 小 さ れ た も の で、其の中に道一冗禅師の白から俸ふる騨が他の救宗と異り父蝕宗の坐捕とも大いじ趣きを異にする所以 o q 説 き 、 悌組正俸のコ一昧、郎ち基の悌法冶高揚せられ其の賓行や高調せられた。此の一篇の全措が道一万禅師の行判的意識 そ包蔵するものと観れば見得られぬことも無いと息ふ。従って教法に針する見解も亦自然に批判的態度ぞはって 臨んで居られるやうにも観られるのである。其の中に就いて最も明らかに之や知ることの出来るのは十八問答の 第 四 で あ る 。 !I 問 ふ て 日 く 、 A 1 我 が 朝 に 俸 は れ る と こ ろ の 法 華 宗 、 華 厳 宗 、 と も に 大 乗 の 究 克 な り 。 況 ん や 異 一 一 一 円 宗 の 如 き は 毘 慮遮那如来親しく金剛隣同県に俸へて師資みにりなら示。その談守る旨、印身是係、円以身作仰といふて多劫の修 道 一 万 樟 闘 の 行 列 的 思 想 の 研 究 一 七 九日 本 偽 数 挙 協 曾 年 報 ヘ 第 十 一 年 ︶ 一 八 O 10 行そふることなく、一廉に五仰の正直覧をとなふ。悌法の械妙といふべし。しかあるに今いふところの修行何の すぐれたることあれば、かれらをさしおきてひとへにこれをすすむるや。 これは問より道元禅師自身に設けたる問題であって、嘗代世に時めく天台、議巌の二款は大乗究克の宗旨であり、 殊に郎事而呉の密教は働法の極妙なることや是認して、而も A A 1 白から勤むるところの修行が彼れら大乗款と比較 して、より高き位地 k q 占め、長も優越せる法門なる所以を明確じせんが矯の設問であることはいふまでも無い。 示していはく、知るべし仰家には教の殊劣 h 佐野論することなく、法の浅採そえらばす。七百し修行の国呉儀そ知 る べ し 。 これは此の答の綿標ともいふベく、叉道一沌禅師の款に封する立場、並びに行判的意識の最も鮮明にあらはれた一 丈 で あ る 。 此の倒家といふ語に就いて一言する要がある、何となれば此の二文字が庇ちに浩一克縄師の宗設的立場そ常に友 示するからである。悌家とは働法の綿本家、仰法の宗家といふ意味である。 生そあきらめ死をあきらむるは仰家一大事の悶縁なり。 故に教家に封する禅家といふやうな封瞭的の語では無い。有らゆる教家蹄家ぞ包含しにる働法の根源そ棉稽しに る印ち悌法其のものぞ指す語である。 如 来 在 世 全 無 = 二 敬 二 全 無 ニ 二 師 寸 大 師 稗 隼 唯 以 二 無 − K 菩 提 一 誘 − 一 引 衆 生 一 而 己 。 迦 葉 傍 コ 正 法 眼 威 一 以 来 、 西 天 二 十 八 代、来土六代、乃至五家諸組嫡嫡相承夏無コ断耕 4 ︵ 且 中 道 府 心 集 ︶ 如来在世全く二教無く全く二師なきは悌家なるが故であの、唯無上菩提ゆ倍以って衆生身誘引するのみといふは一 ︵ 諸 問 惑 英 作 品 甘 ︶
岬 仰 法 な る を は っ て で あ る σ 此の一悌法在弱体符付し来れるは摩討迦葉、阿難、商那和修等相績いで西天二十八 代 。 菩 提 達 磨 や 農 民 の 初 組 と し て 米 土 六 代 。 前 日 漢 六 紺 下 に 市 出 制 懐 譲 、 青 原 行 忠 の 一 一 波 v担分ち、青原下五世制山良 俳 沿 粧 て 達 磨 大 師 よ り 一 一 十 二 一 世 、 卯 一 葉 牢 者 よ h り 敷 へ て 第 五 十 代 に 天 童 如 汗 蹄 師 出 で 、 掛 川 一 沌 蹄 仰 は 此 の 天 童 浮 組 の 一 止 服 ぞ 汲 け て 如 − M A 鱗俸第五十一代、日本闘に本来して備法の一万組となった。故に今は正しく道元禅師が悌法の宗 家といふ立場にあるのである。 大 凡 世 隼 大 法 翠 ユ 傍 摩 珂 迦 葉 ﹁ 嫡 々 相 求 二 十 八 航 、 沙 界 一 史 無 ニ 可 v歳 月 v一 府 一 者 一 設 。 ︵ 賓 慶 記 ︶ と 。 崩 御 法 の 綿 府 と は 郎 ふ り 仰 家 と い ふ に 同 じ く 悌 法 の 総 本 山 水 と い ふ 意 味 で あ る 。 一 米 士 五 侍 而 至 一 一 曹 渓 ↓ 乃 至 ニ 今 日 如 浄 ↓ ⋮ 則 働 法 之 総 府 也 、 大 千 震旦闘の教壊のともがら宗稀するは費肩の彼彼あるによわてなり。いま悌組の正法眼戒の付属嫡々せり、車月一日 あるべから中 ο 混 十 ベ 去 、 彼 彼 な し 。 ︵ 偽 道 忠 世 ︶ 教阜の上に立てる諸宗は各ミ敬刊の優劣ぞ根本とするが故に秀同の彼々ありて宗稀するは嘗然のことであるが、 今正法眼蔵冷嫡々相示し来れる偽家たり綿府たるものに脅阿するなく混十べ品川、彼々あること無し。されば宗稿の 存すべき理由が無い。此の仰家といふ械めて根本的なる立場に於いて教か一割、法。ゲ翻るとき漠深の比較なく殊劣 の封論のあるベタ筈が無い。恰も陸地に於いては高低起伏在量るじ栴抜の先か以つですれか﹄も、地上数千米の高 度よれ怖蹴するとぎは山獄も卒地も同一平面に見ゆるが如く、遁一冗禅師は正しく最高の例地に立って教法治術蹴 するが故に款に殊劣なく法に浅深や認めないのである。道元騨師は常に悌家といふ大鹿高島仁立って働法治統領 せられであること冶吾人は深く認識しておく必要がある。 11 道一元締師の行列的思想の研究 F
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日 本 備 品 払 且 平 協 合 周 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ j\
、
12 悌家といふ立場に於いては款の殊劣ル岳諭すること無く、法の浅深身探搾することも無い、唯、修行の兵悌− v d 知るべきであるといふのが、道一万禅師の三大賢殺の諸宗に封して坐聞の最も優越せることぞ強調せられた答掃で ある。之や遁に言へば修行の旦賓か否かに依って款の漠深法の味劣沿生かるのである。若し修行にして民宜なら ば綿ての殺は深妙にして有ゆる法は株勝であわ、若し修行にして慌妄ならば一切の救法は浅薄じして低劣とな る。一切の教法とは必ら令ずしも仰所説の経巻のみそいふのではない。一切の諸法、森羅南象、 るなく軟ならぎるはない。修行の呉置なるとまは、 一 と し て 法 な ら ざ 土石沙喋そにぎりで悌印な一票持することあり。いはんや庚大 の文字は高象にあまりでなほゆたかなり、特大法輪まに一座におさまれれ。︵弊道話︶ にして自然現象の一一が悉く虞大の文字であり、一木一石が大法輪や縛じっ、あるからして、これが浅深勝芳を 狩論捧持することは到底不可能である。修行の呉賓ならざるときは、 草事山水にひかれて悌遣に流入することあり昔、 印身印仰のことば、なはこれ水中の月なり。印坐成仰のむね、さらにまに鏡のうちの影なり。ことばのにくみ に か か は る べ か ら ホ 。 ︵ 柚 神 道 話 ︶ 教の文字としては印身印偽といひ、郎坐成仰といふ話は大乗の究克にして悌一法の傾妙なれども、若し修行之に作 は令、その修行若し鼠買ならぎるとまは水中の月の加く鏡巾の影の如くにして全く∼冷厳なる丈・千の修飾に過ぎ ない。故に巧言令色よ h りは修行の昆貰に依るべきである。以上は排遁訴の十八問答中の第四に示されに‘安貼であ っ て 、 道 一 万 蹄 一 附 の 行 中 心 思 想 が 明 ら か に 現 は れ 、 礼 つ 北 、 の 行 の 判 得 的 意 識 が 吋 な わ 明 瞭 に 去 現 せ ら れ て ゐ る と 観 て も 大 し た 設 は 無 い と 思 ふ 。第二車 修行の呉慌判糟 ﹁に立し修行の呉儀な知るべし﹂といふ語が道一克禅師の行判的思想そ明示するちのとすれば其の修行の民慌とは 抑も何であるかといふ問題が常然生じて来る諜である o 民の修行と偽の修行とが封立する。而して誌なるものを 肯定じ慌なるもの冷却否せねばならぬことになる ο 此に於いて修行の鼠隠そ決定する傑件、或は標準、償値、内 容、か法仙寺を明らかにして、其の且なるものは之冶止鵠し、− h 々非呉なるものはよ沿許容すべからぎる所以与明 示せねばならぬ。道示躍師は排遁訴の冒頭に示して云く、 諸悌如来ともに妙法ぞ車体して阿梓菩提を誼するに最しし無矯の妙術あり、これ仰備にさづけて祁しまなること 無 き は 白 受 用 二 , 昧 そ の 標 準 な り 。 こ の 二 − 昧 に 進 化 す る に 端 坐 ゑ 騨 沿 正 門 と せ わ れ こ込にいふ最上無矯の妙術とは呉賓の修行在意味し、その呉賓の修行は阿持菩提ゆがも誰することな意味するの此の 妙 術 は 諸 悌 如 来 と も に 輩 俸 す る と こ ろ の 妙 法 な る が 故 に 唯 偽 巾 県 側 面 授 一 向 日 M 一 討 し 来 っ て 竜 も 不 純 な る も の の 雑 る こ と なき白受用 J 一 一 昧 其 れ 白 障 が 唯 一 の 標 準 で あ る 。 白 受 用 A 一一昧とは阿持菩提冷設し七る蛍睡であって白在無碍の活作 用である。此の活一一−昧じ遊戯するには端坐参禅が八高岡千の法門中長上にして唯一なる直捷の正円であるとい ふ。端坐出稼騨は先にいふ最上無矯の妙術冷兵睦的に指示せられにのである ο 此の一交は要するに端坐参静剖ち生 調仰の妙功徳冷泉けて是れこそ員賓の修行なれと奉鵠せられたものと闘でよいと思ふ。而して坐躍が異賓の修行で あることの有らゆる傑件が此に具備せられである。就中、諸仰如来軍俸の妙法であること、阿梓菩提沿謹する妙 術であること、白受町三昧に遊戯することのコ一候件は且貰の修行に必須峡くべからざるコ一大要素ともいふべきも 13 のである。第四問答の中にも、 道一万縄師の行列的思想の研究 一 八 三
日 本 品 開 教 問 盟 十 協 ム 官 官 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 一 八 四 14 い支直説菩提の修行そすすむるに、仰組箪俸の妙遁そしめして、異賓の道人とならしめんとなり。 と示された。これは胃頭のかんや簡寧に蓮ベた冗けで内容は全く同一である。印ち直謹菩提の修行が却も呉置の修 行であるといふことが是れで愈ミ明らかいなつに。直詮といふ語は道一冗梓師.か﹁静中の無造作にして直詮なるを ︵ 勢 遺 話 ﹀ もてなり﹂ともいひ、叉は﹁直指の本詮なるが故なるべし﹂ともいって居られるから、宜読そのま誌が菩提℃あっ て修行の外に直謹も菩提も無い、郎ち修謹不二の修行を意味する。耕遁話の冒頭の﹁阿梓誇提ぞ詮するに﹂の文の 首 め に ﹁ 直 に ﹂ の 語 冶 入 れ て 見 大 方 . か よ い 。 修 謹 一 如 の こ と は 後 孝 に 別 に 論
C
度いと思ふから此には略しておく。 国 呉 宜 に 非 ら ざ る 儀 の 修 行 と は 如 何 な る 修 行 か と い ふ に 、 同 県 賓 の 修 行 と し て 不 可 棋 の 二 一 傑 件 ぞ 拳 け に か ら 、 此 の コ 一 傑 件 h q 具備せずる修行は莫賓の行にあらすといへば事足りるのであるが、行の性質に就いて少しく考察して見 度いと思ふ。行には相野性の行と絹針性のものとがある。相封牲とは有限的の行で、絶叫訓性とは無限的の行とも い へ ょ う o 有限的の行は方法子段として用ひられる行であり、無限的の行は行其の物が絶針慣値を有するもので 一 般 に 敦 行 詮 の 一 一 − 法 と い ふ 場 合 に 、 教 法 に 依 っ て 修 行 す る 、 修 行 す る の は 何 の 錦 か と い ふ に 詮 呆 ぞ 得 る そ は って日的とする。故に詮果を得れば修行の必要は無くなる。郎ゆり修行は説来や得る錦の手段であり方法であるか ら 説 日 本 h q 符さへすれば拘ってしまふ。新うした修行沿相針的にして手段としての行なるが故に右限的相封性の行 と名ける J 教より読ι
. 全 る 一 一 池 山 刊 と し て の 行 で 、 一 定 の 期 間 に 限 ら れ た 期 限 附 の 修 行 に か ら で あ る 。 然 し 是 れ は 小乗鞍的の説明であって大乗仰敬にいふ修行の昆精神では無い。小乗教では其の詮来は阿羅漢呆であって無僻依 畑山繋に入り復ひ生死の批界に生れて米ないで一政身減符してしまふのであるから、行は読沿作るまでの子政であわ あ る 。 期限附のものであっても去支は無い。然るに大乗仰敬は菩隣乗救であの一一怖乗救であって仰川市に到るを日的とするけ仰は不生不滅の生命を有し衆生無港誓願皮冶以て行願とする。郎ち仰は行をはって願とし生命とする ο 仰は 泣巣ではあるけれども其の設以は行に依って仰徳沿成就する。仰に若し行が無かつにならば仰の光明は具はらな い っ 故 に 仰 は 永 遠 な る 行 沿 以 っ て か ︵ 命 と し 仰 光 州 そ 成 就 す る 。 道 一 冗 蹄 師 は 、 此行到 v仰 向 不 退 者 例 也 。 ︵ 庚 品 州 各 八 ︶ 諸 岬 聞 か な ら ホ 威 儀 。 信 行 足 す 、 こ れ 行 仰 な り け ︵ 行 偽 威 儀 傘 ︶ と。此の行は詮の子段としての修行ではない、読の前後に拘はら示、卒ろ説沿超越し仁る絹針性や有する無限無窮 の行である。悌家に於いては大小乗の教法や超越して唯修行の員資のみ沿最上乗とする。永遠性と絶叫訓性とや有 する行中匂以って誌の行とし、有限的にして相封的なる行 φ倍 以 っ て 非 同 具 と す る の 其 れ が 殺 で あ ら う と 騨 で あ ら う 主 回 より闘するところでは無い。道一六禅師は白から悌家の枕地に立って此の民賓の修行十倍専ら高調せられ仁のである。 第二一章修謹一如の行 道一万騨師に従へば説の震の手段としての行、説。ゼ得るまでの有倒的の行、設や得てしまへば拠け捨てられる行は 農の行では無い。同県賓の行は体と生命。ぞ共にする無始無終の行で、誼の前後に拘はら示、初中後行をはって一貫 するところの行で無くてはならない。従って行の中に教も設も共に融合して教行設一等の行であらねばならぬ。 これや悌行といひ妙修と帯するの斯る行こそ昆賓の行であるといふのである。 行の意味が斯うしに絶針性と永遠性とか e 有するものとすれば此に読の意義も亦従って其の解騨を異にする必要 がある。誼が日的であり究極であるとする限わ行は詮の潟の手段、詮ぞ得る矯の方法として考へられるのが官然 である。方法であり手段である行は、其の日的大る設が建せられとは、其の方法手段仁る行。か拠け捨てられてし 15 道一元締師の行判的思想の研究 一 八 五
日 本 悌 数 間 半 協 ム 宵 百 年 判 明 九 第 十 一 年 ︶ 一 八 六 l(j ま ふ こ と も 亦 常 然 と 一 五 は ね ば な ら ぬ υ 然るに今謹を得ても行が終ら守、目的。管法しても其の行が止まない’とすれ ば、誼は究克的のものでない、最後の目的で無い、行の中に詮が融合して行 L ー 一 詮 と が 不 離 の 聞 係 に あ る も の で な くてはならぬ。俄心行ぞ方法、詮ぞ目的と考ふるならば、方法を日的化し、日的を方法化したといふことにもな 句、或は円的とゲ誌とな二万化しにともいへるであ−b、死去し叉之み因果関係の上からいへば、修は困、議は果 で あ る が 、 枠 外 、 の 因 ケ 果 と 一 如 し 、 附 本 み か 困 に 一 一 期 し に と い ふ こ と も 出 来 よ う 。 こ の 因 と 県 主 が 一 如 し て 因 果 、 か 無 限 に 相 一 摘 す る よ う い い 、 修 と 謹 と が 一 切 し て 修 謹 が 無 限 に 相 縞 す る 。 道 一 万 禅 師 の 強 調 せ ら れ る 異 賓 の 修 行 ム 一 は 印 ち 此 の 修 謹 一 刻 の 修 行 な い ふ の で あ っ て 、 輩 に 設 に 達 す る 方 法 ’ と し て の 行 、 修 ム ー 一 設 と が 封 h 止するところの修行をはっ て非誕の行とす Jる の で あ る れ 地 問 道 話 の 十 八 問 答 山 ー の 第 七 に 問 ぞ 設 け て 一 五 く 、 問 ふ て 一 五 く 、 こ の や 一 雄 一 の 行 は 、 未 が ん 悌 法 ぞ 謹 曾 せ ざ ら ん 者 は 坐 蹄 地 問 遁 し て 丈 の 諮 ぞ と る べ し 。 す で に 悌 正 法 品 川 1 明 ら め 得 ん 人 は 、 小 一 捕 な に の 待 っ と こ ろ か あ ら ん 。 此 の 聞 は や 一 糟 の 修 行 訟 は っ て 小 刀 法 と し 、 働 法 の 時 舎 な は っ て 日 的 Bとする者の考ふるところであって、斯る見解に ある人は、悌一止法ぞ明らめたる者には全く供糟在する必要冶認めないのである。故に斯、ヲし h 疑問や懐くのは蓋 し常然といはねばならね。之に封して糟師示していはく、 それ修誰は一つにあらかとおもへる印ち外遣の見なり。 働法には修泣これ一等なり。 八 ー も 謹 上 の 修 な る ゆ る ⋮ に 、 初 心 の 排 遁 削 ち 心 不 読 の 全 韓 な り 。 かるがゆる一に修行の川心身さづくるにも修のほかに龍谷待つおもひなか れ と を し ふ 、 し υ
h m
拍 の 本 品 川 な る が ゆ る 一 な る べ し 。 すでに修の流なれば諸に含はなく設の修なれば修にはじめ無修説の一等なる所以がけぽも明快じ油べられであるけ 修 と 控 と は 一 加 な る が 故 に 、 修の無始無終ないはんとすれ ぱ、必然的に控の無際無限沿いふことになるのである J こ h に本鐙といふ語が川ひであるが、これは道元禅師の謂ふところの誼の意義を明らかにするものである。既 に述べたように説は修の結果でありけ的であると見るとき、修の立場からすれば説は将来にあるものの如く考へ られる、修に依って始めて読は得られるの立と思ふ。これぞ殺曲学上では始嵯 L ︶ 栴 す る ο 恰色夢ぞ見てゐた者が呼 び さ ま さ れ て け 畳 め た が 如 品 川 、 服 態 で あ る 。 遁 一 万 樺 師 の 謂 ふ 本 誼 は 此 の 始 姪 ’ こ い ふ 誌 に 封 す れ ば 本 質 と い ふ 女 学 に 相常すると思ふ。夢を見にといふは睡ってゐにからである、睡りは本来畳めにる者に生令る現象であるから、悌 も﹁眼若し眠らざれば諸夢白から除く﹂といふ。大乗悌教のすべては此の本費忠想の上に立ってゐるといってもよ い 。 遁 一 万 禅 師 は H 疋 れ 沿 本 謹 と い ひ 、 道 一 克 禅 師 の 宗 教 の 中 心 思 想 身 錯 す も の で あ る 。 信 二 悌 遁 一 者 、 須 v信 下 自 己 本 在 コ 道 中 日 不 コ 迷 惑 − T ア 妄 想 日 不 ニ 印 刷 倒 一 無 − 一 培 減 一 無 品 開 謬 i ・ 也 。 生 二 知 v是 信 ﹁ 明 一 如 v是 道 ﹁ 倹市行 v之 乃 壊 遁 之 本 基 。 ︵ 拳 道 府 心 強 滑 ︶ 道 本 国 通 争 偲 ニ 修 謹 3 一 小 乗 白 在 何 賓 コ 功 夫 4 況 乎 全 酷 地 出 ニ 庵 域 一 突 、 敦 信 ニ 排 拭 乙 手 段 刊 大 部 一 ふ 離 常 虚 司 令 、 山 一 息 用 ニ 修 行 之 脚 頭 一 者 乎 。 これ符本畳思想に根擦を有する本誰の詮明である。故に謹は結果に非ら十叉終来に存するに非ら示して本来謹上 ︵ 普 勤 坐 棺 儀 ︶ の自己なることを信じて其の上に出費する行であるか 2 りして之ぞ謹上の修といふのである d 本設なるが故に始め なし、叉窮極も無い。この謹上の修なる行沿名けて妙修といふ。詮そ得る矯の修でない、設中ゼ得るまでの修でも 無 い 、 謹 ’ P 二如にして無限無際、無始無終の修なるが故に妙修と構する。 17 道一元締師の行列的思想の研究 一 八 七
日 本 偽 敷 革 協 舎 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 一 八 八 18 われらさいはひに一分の妙修沿輩出略せる初心の排遁、印ち一分の本読 h q 無 震 の 地 に 得 る な り 。 ︵ 紳 措 世 話 ︶ 要するに修謹一如の詮そ本誼といひ、修謹一一如の修冶妙修といふのである。故に本詮や離れて妙修なく、妙修を 離れて本謹はない。その遁理を示して、 妙修を放下すれば本設手の中にみてり、本設沿出身すれば妙修通身におこなはる。 ︿ 耕 道 話 ︶ といふ。本誼妙修の不離不印の閥係冶謹ぶると共に、妙修に捉はれ本詮に拘束せられては自受旧二昧そ得ること が出来ない、宜しく出身し放下すべし、爾うすれば白から子中にみち遁身に行はるべきことか︸示唆せられにので あ る 。 此に於いて多くの者は疑ひを生守る、本来成悌のものであり、本血宜本詮のものならば敢へて修行そ要せぬでは 無いか。梯に成らうと思へばこそ修行もし、さとりか−聞かうといふ期待があってこそ供禅もするのである。然る に本来成仰してゐるといひ、謹上の者むといふならば小一樟も修行も敢へてする必要は無いではないかのこれは御 尤もなる疑問である ο 而して是れが大乗悌款の柑致であって最も危険なる’ところで、所謂剣浮上の往来である ο 遁元蹄師自身にも夙に此の大疑圏の錆に苦しみ悩まれたのである。本来本法性、天然自性身といふ、若し此の如 く な ら ば 則 ち 一 一 一 枇 諸 悌 齢 に 依 っ て か 護 心 し て 菩 提 を 求 む る や と ﹀ こ の 疑 閤 解 決 の 錦 に 比 叡 右 下 り 一 一 一 井 寺 h q訪ひ控 仁 寺 沿 苓 ね て 得 歩 、 港 に 高 旦 の 波 誌 や 蹴 っ て 大 宋 に 航 し 、 耐 断 に 知 識 。 ぞ 求 む る も 能 は 歩 、 漸 く 天 童 浮 組 の ’ 買 い い 投 じて身心脱落の常慮に桶底冶脱し、十有蝕年聞の大疑ニミに氷消しに。 子 v時 始 知 ニ 船 筏 之 咋 夢 ? 水 断 ニ 藤 蛇 之 葺 見 叶 是 非 一 一 仰 之 強 嬬 ﹁ 所 v令 ニ 機 乙 周 旋 一 也 叶 況 子 、 行 之 所 v招者謹也、自家 管 蔵 一 小 ニ 従 v外来刊謹之所 v使者行也、心地雌跡堂 v H 一 廼 時 4 ︵ 血 中 退 用 心 集 ︶
こ の 文 は 天 幅 二 年 二 一 月 九 日 興 聖 寺 に 在 っ て 衆 の 震 に 串 道 の 用 心 を 一 不 さ れ に 詰 で あ る が 、 道 一 冗 禅 師 の 睦 験 と 諮 信 す るところや其のまミ物語って事働法の要遁とせられにのである。行の招く所は詮、詮の使ふ所は行、而も抗、の設 は自家資減中のもので外より来るにあら歩、其の行は心地の縦跡の往来にして廻轄すべき何物もない。故に修を 離れて詮なく、控沿離れて行は無い、行は謹上の行、誼は行中の誰じして会く修龍一如、行詩一等なる沿木首と も妙修ともいふのであるい道一万時一坤の謂ゆる曇賓の修行とは此の妙倍、妙行冶指すことを特に出立して置かねば な ら ぬ 。 この法は人人分ししに、ゅにかにそなはれりといへ左も、未だ修せざるにはあらはれ守.謹せざるには得ること な し 。 ︵ 排 遊 詩 ︶ これが印ち悌法の要遣であることを了悟すべきである。 悌 姐 正 俸 の 品 工 糟 道一克繭附の勧められる行とは坐調粋である。坐躍唯一つであって坐耀以外の如何なるものをも認めない。これこ そ曇賓の行であの、妙行であり悌行であり、直誼者提℃あり、例法其のものであり、偽遁其れ向醐躍である Q 然 し 斯くいへば悌教に諸多の行がある、其の中から坐禅一行のみを取り上けて、其の他のすべてか−排除するが如くに 見 え る か も 知 れ ぬ が 、 道 一 冗 禅 師 は 決 し て 爾 う は 考 へ て 居 ら れ な か っ に 、 寧 ろ 其 の 反 針 に 、 や 一 躍 一 の 一 行 丸 信 以 っ て 諸 多の有らゆる行や悉く包含し該蟻し熔融せんとせられにのである。坐調押印刷怖法、坐捕の行 4 倍以つであらゆる教も 謹 も 之 に 協 し て 行 邸 側 、 法 や 唱 道 せ ら れ た 。 地 問 道 話 十 八 問 答 中 の 第 三 聞 に 、 にゾ、むなしく坐して作すところ無からん、何によ h り て か 、 さ と り 冶 得 る に よ り と な ら ん 。 第四章 19 道一万縄師の行列的思想の研究 一 八 九
日 本 偽 教 事 協 合 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 一 九 O 20 と あ る に 答 へ て 、 汝 今 諸 悌 の 一 一 色 昧 、 無 上 の 大 法 h q、むなしく坐して作すところ無しとおもはん、これぞ大一来診諒する人とす。 といってある。坐禅を以って諸仰の三一昧とし、無上の大法とし、大乗の法門となすことは此の一例でも知られる。 叉 第 五 聞 に 、 一 一 一 撃 の 中 に 定 感 あ わ 、 六 度 の 中 に 蹄 度 あ り 、 す 。 人 ー の 坐 禅 も 其 の 一 つ な る べ し 云 々 。 と い ふ に 封 し て 、 ともに是れ一切の菩薩の初心より串ぶところ、利鈍沿わか今修行 今此の如・米一大事の正法眼蔵、無上の大法身碑宗と名くるゆゑに此の間来れの。知るべし此の騨宗の披は紳丹 以来におこれ h り、庄一乾にはきか示。︵中略︶六度およびコ一阜の蹄定にならっていふべきじあら示。この備法の 相俸の嫡意なること一代にかくれなし。 の な し 。 ︵ 中 略 ︶ まさに知るべし日記れは悌法の全遁なり、ならべていふべきも こ れ 亦 坐 調 仲 + 倍 以 っ て 如 来 一 大 事 の 正 法 眼 蔵 で あ り 、 無 上 の 大 法 で あ り 、 供 調 牌 が 悌 法 の 全 遁 で あ る こ と や 力 説 せ ら れ に も の で あ る 。 故 に 、 大 Y 仰弟子は悌法をならふベし。 ︵ 排 道 話 ︶ とある場合の仰法といふ文字は生輔のこと沿意味する。 道 一 冗 禅 師 の 勧 め ら れ る や 一 蹄 は 、 戒 定 慧 二 − 撃 中 の 定 感 で は 無 い 、 六 波 羅 蜜 中 の 蹄 那 波 羅 蜜 で も な い r この立味を 太 組 後 山 静 師 は 中 川 の や う に 云 っ て 居 ら れ る 、
小 心 蹄 者 非 y子 A一 戒 定 謹 一 而 粂 二 此 一 一 一 場 刊 ︵ 中 略 ︶ 人 1 坐 騨 者 無 ニ 戒 不 v持 、 無 ニ 定 不 v修 、 無 ニ 慧 不 v遁、降魔成遁韓法輸出 紫、神通妙用放光説法、輩在コ打坐−也。︵坐闘用心記︶ これは賓に能く道一万禅師の意ぞ得にる説示である。若し夫れ二一串の中の戒、定、話相関することなく、戒、慧と 相隔っところの定壊ならば決して正俸の悌法とはいはれない。六度に於いても亦然 h り 、 施 戒 思 準 慧 糸 川 離 れ て 開 度 ありとするならば無上の大法と帯することは出来ない。坐縛は六度高行韓中に闘かじして一法一行として具足せ ざる無ぎが故に働法といひ悌行といひ妙行といふのであるリ 感 心 曜 は 己 に 悌 行 で あ っ て 衆 生 の 行 で は 無 い 。 衆 中 川 は 一 一 一 界 流 轄 の 迷 界 の 凡 夫 で あ る つ 悌 組 は 迷 悟 の 世 界 沿 超 越 し て白受用法柴の妙境に遊戯する。衆生が若し一時なりと雄も正身端坐して三業に偽印ぞ標するとぎは一超直入如 来 地 、 調 料 坐 や 修 す る 其 の ま 与 に 諸 仰 の 境 界 に 住 す る の で あ る 。 若し人一時なりといふとも三業に悌印ぞ標し三昧に端坐するとき、一通法旧作みな偽印なり、素直室ことごとくさ と り と な る 。 ︵ 弊 道 話 ︶ 坐禅は三界の法にあら歩、悌組の法なり Q ︵ 道 心 血 甘 ︶ 泰然として意界を超越して悌組の屋裏に大牢貴生なるは結捌供坐な旬、外道魔黛の頂鞠左前翻して働組
ω
堂奥 に 箇 中 人 な る こ と は 結 捌 映 坐 な り 。 悌 組 の 柑 之 械 を 超 越 す る は 唯 此 の 一 法 な り 。 ︵ 一 ユ 球 王 ﹂ 一 一 味 巻 ︶ 結捌映坐は坐輔の坐法であって正身端坐の賦態ぞいふ。前来己に謹ぶるが如く、−m
一 騨 は 三 批 の 諸 仰 、 歴 代 の 組 師 の修し来れる法であって迷へる衆生が悟らんが矯にする修行では無い、諸仰如来ともに軍体せる妙法である。唯 悌 輿 仰 の 法 な る . か 故 に 働 組 の 械 之 柑 を も 超 越 す る ‘ と こ ろ の 員 大 隼 賞 の 行 で あ る ー 21 道一克服附の行列的思想の研究 九日本悌致事協曾年報︵第十一年︶ 九 22 一向に坐滞するとき迷悟情量のほとりそこへで凡聖のみちに拘はら中、蓮かに格外に迫活し大蒋提や受用する な り 。 ︵ 排 説 話 ︶ 賓に迷悟情量の世界から超越しにる結淵扶坐であり、無作の妙行である 0 ・次に坐捕は無所得の心ぞ以って修する・ところの無所求行である。故に若し一念でも求むる心的ち有所得心があ れば異の修行でも無く無作の妙行とも謂はれない。 悌遁に入りて働法の震に諸事を行じて代りに所得あらんと思ふべから令。内外の諸款に皆無所得なれとのみ動 む る な り 。 ︵隠聞記巻ご 坐棺ばかりで無い、大乗諸殺の精神は皆無所得なれと勤むるのである。況んや坐耀は無上の大法であり諸仰の妙 蓮であるから、荷も有所得の心身もって修すべきものでは無い。 悌 法 修 行 の 功 に よ り て 、 か は り に 菩 岡 市 や 得 ん と 岡 山 ふ こ と な か れ 。 只 一 度 悌 遁 に 同 向 し つ 一 る 上 は 再 び 自 己 そ か へ hりみ守、悌法のおきてにまかせて行じゆいて私曲を存することなかれ、先謹特かくのごとし。心にねがひ求む ることなければ印ち大安柴なり。 ︵ 随 聞 記 谷 五 ︶ これが絹針無所得の行である。何の錦でもない、何冶得ょう錦でもない、何にならうとしてピもない、何の必要 あってゾもない、只修するばかりである。 唯 暫 忘 二 五 日 我 − 而 潜 修 、 乃 菩 提 心 之 親 也 。 潜行密用、如 v愚如 v拍 刊 、 唯 能 相 輔 、 名 ユ 主 中 主 刊 さとりを聞き度い、仰に作わ度い、汗土に参 h り度い、概柴に往庄じ度いといふやヲな有所得の心、希求の念在、 ︵ 第 沼 周 心 集 ︶ ︵ 洞 山 大 師 資 鏡 三 時 休 ︶
すっかり忘れはて\愚の如く魯の如くにして潜かに修するのが妙修である J 坐禅の行は謹上の修であわ働行な るが故に躍そ求むる必要もなく、仰に作らうといふ所求の念もない。五日我を忘れ白己の観念在も忘れて只働法の 震 に 働 法 や 修 す る の み で あ る 。 思 ナ 遁 用 心 集 に ﹁ 用 一 一 有 所 得 心 \ 小 γ一 円 v修 三 悌 法 4市 干 し の 一 章 一 あ h w p づ 立 の 結 交 に 云 く 、 行者不 v一 円 v念 下 一 郡 一 自 身 一 而 修 中 川 仰 法 品 不 v可 下 潟 三 名 利 一 而 修 中 品 開 法 品 不 v可 F 矯 v得 コ 果 報 − 而 修 中 市 開 法 品 不 γ可 ド 矯 v 得 ニ 霊 験 日 而 修 中 悌 法 却 但 嬬 ニ 仰 法 一 而 修 コ 働 法 ﹁ 乃 日 疋 道 也 。 と 。 叉 随 聞 記 巻 五 に も 、 悌遣な行じて代りに利盆沿得ん矯に悌法 h q 串することなかれ、只働法の震に仰法沿修行すべきなりの縦ひ千経 一向論沿菌学し得て坐蹄の床・ケ坐破するとも此の心なくんば悌組の道沿得べから令。只須らく身心そ放下して仰法 の中に置いて他に随ひて鷲見なければ印私 J 直下に承嘗するなり。 とあり。普勤坐潤儀に﹁英 v周 二 作 仰 乙 の 語 あ り 、 成 銭 巻 四 に も 、 参購求 v偽英 v国 v悌、闘 v悌参蹄偽韓疎。培解鏡泊何面目、権知到 v此 周 二 功 夫 4 とあり。又随聞記に磨噂作鏡の話の誤解 o q 誠 め て 、 南識の埠や磨して鏡となせしも馬組の作品開沿求めしを戒めにり。坐調牌そ制するにはあらぎるなり。坐は印ち悌 行なわ、坐は郎ち不矯なり。 H 一 応 れ 使 ち 自 己 の 一 止 韓 な り 。 此 の 外 別 に 悌 法 の 求 む べ き な し 。 坐捕の作悌沿求めざる働行、偽法の矯に悌法在修する妙修、これを莫賓の修行となすこと上来展ミ述べたところ である。然らぱ坐棺にも呉貫に非らざる修行ありやといふに、廃録忠信八に示して云く、 此坐棺也、悌悌相俸、組組直指、濁嫡嗣者也。齢者難 v聞 ニ 其 名 目 不 v同 コ 働 組 坐 輝 4也 、 所 以 者 何 、 諸 宗 坐 縄 、 23 道一元禅師の行列的思想の研究 一 九 三
日本悌数準協舎年報︵第十一年︶ 一 九 四 24 待 v悟矯 v則 。 警 加 下 俄 エ 舶 筏 − 而 度 中 大 海 白 勝 謂 度 v栴而可 v拠 v船実。吾悌組坐静不 v然 、 是 乃 悌 行 也 。 諸宗の坐捕といふ中には敬宗或は他の蹄門のすべての坐諦を包含するであらう。いづれにしても悟を待つを以っ て則とする所謂待悟捕は悌組の坐騨ではない、海沿度り終れば拠ってしまふが如き船筏に等しい坐蹄は呉貰の修 行ではない。然らば古人の話則、公案等丸信拍じて之を透得すること沿目的とする看話樟に封して如何なる見解そ 有せられ大かといふに、懐弊和尚の聞に艶する答 t q 見 れ ば 明 ら か で あ る 。 非開ふて云く、打坐と者話とならべて此沿墜するに、語録公案等身見るには百千に一つも柳か心得ることも出 来るなり。坐樟にはそれほいとのことの験しもなし、然かあれ h c も 猫 ほ 坐 耀 沿 好 む べ き か 。 答へて云く、公案話頭な見て聯か知費ある様なりとも、それは悌道に蓮ぎかる因橡なり。無所得無所悟にて端 坐して時を移さば卸ち組遣なるべし。古人も者話、紙管打坐ともに勧め仁れども、猶ほ坐そもはらにすすめし なり。亦話頭に依ってさとりぞひらぎにる人あれ左も、其れも坐の功に依りてさとり右ひらくる因鵠なり。ま さ し ま 功 は 坐 に よ る べ し 。 ︵ 随 聞 記 袋 五 ︶ 公案話頭そのものが惑いのではない、それによりて悟り沿聞き、悟り沿開けば坐糟や拠って舶筏の如く考へるの が悪いのである。悟を待つを以って則とする坐禅は、 h とう見ても仰組の坐糟では無い、郎ち呉賓の修行とは云へ ない。入。守備法に導く一つの方便として公案、話説。必用ふることは竜も妨けないが、会案話頭をさとることが坐 離の目的の如く考ふるのは却って仰遁に遠ざかる因縁となる。道一冗禅師は無所求無所得の紙管打坐、郎ち修詮一 如の坐聞や以って呉賓の修行とし、待悟耀或は宥話公案等の坐離はとらないのである。 突に坐禅は利他行であり菩提行であることや述べて置かねばならぬ。兎かく坐禅は自利行、己れのみの修行の
や う に 凡 ら れ 易 い 。 わ い 調 岬 倍 す る 者 も 多 く 爾 う し 一 に 過 誤 に 陥 っ て ゐ る や フ で あ る 。 そ れ で は や 一 静 は 備 行 と は 一 五 は れ ない。そこで同じ坐蹄といふ中にも様々の種頒のものがあることそ知って吾人は民に悌行である・ところの悌組の 供 縄 左 修 せ ね ば な ら ね 。 出 甘 慶 起 に 知 洋 調 牌 E附が示されに話そ録して式く、 堂 踊 和 尚 ︵ 如 浮 ﹀ 或 時 一 不 示 、 羅 漢 支 仰 之 坐 禅 、 雌 γ不 J J持 味 一 間 附 A一 大 悲 ﹁ 故 不 v同 下 働 組 大 悲 矯 v先 誓 度 目 二 切 衆 生 一 之 品 工 淵 仲 卸 叉 聾 問 中 亦 有 二 小 一 雄 一 円 融 1然 時 間 持 悲 乃 薄 、 兵 三 油 開 組 や 一 糟 一 也 。 於 − 一 治 法 中 J. 心 下 月 刊 一 利 智 一 普 通 中 諸 法 賢 相 b m 揃 善 一 白 身 一 断 ニ 悌 麓 ﹁ 所 以 永 調 悌 組 供 捕 、 従 ニ 初 護 心 − 願 集 コ . 切 諸 悌 法 一 故 於 −
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開 中 − 不 v忘 コ 衆 生 ﹁ 一 小 γ捨 エ 衆 生 ﹁ 乃 至 ニ 蝿 晶 日 常 給 ニ 諮 念 ﹁ 誓 願コ掛度﹁所 v有 功 徳 廻 ニ 向 . 切 4 是 故 悌 組 常 在 − 一 欲 界 み ム 開 地 問 道 、 於 ニ 欲 界 中 − 唯 臨 時 部 洲 最 勝 同 縁 世 世 修 ニ 諸 功 徳 一 得 同 一 心 柔 頼 − 也 。 外遁の坐禅は著味、邪凡、情慢の一一今忠ありて永く悌組と具。、韓関のや一捕は大悲伝聞き、利他の念薄く白調猫 善 在 主 ・ と す る υ 偽組の坐禅は初護心ょの大悲 d q 先とし度衆生心在誓願とするのである。故に小一蹄は大慈大悲の菩 提行でなくてはならぬ。 坐 耀 耕 遁 、 ︸ れ 輩 菩 提 心 な り 。 ︵ 後 無 上 心 谷 ︶ とさへ一五はれてゐる。悌姐の坐蹄が大莱菩一隣の精神よわ費する度一切衆生の菩提行に外ならぬことぞハツキリ認 識しておくべきである。度衆生、むを闘くや一樺は決して民賓の修行とは云へない。働行といひ妙行といはる λ 坐騨 は一切衆生 J U伊二時に救度するところの大悲心に杭するに非ら令んぱ,誌の修行と栴することが出来ぬのである。 25 道 一 元 稿 料 師 の 行 列 的 思 想 の 研 究 一 九 五日 本 偽 数 且 平 協 曾 年 報 ︵ 第 十 一 年 ︶ 一 九 六 26 最後に一言して置き度いことは不染汚の修謹といふことである。南出掛懐譲禅師の語に、 修詮剖不 v無 、 染 一 昨 削 不 v 得 。 ︵ 景 徳 俸 燈 録 各 支 ︶ といふのがある。修して設することの無いのが善いといふのでは無い、大いに修して大いに悟ることが必要であ る。然るを往々誤って謹上の修行から悟らなくても善いと思ってゐる者が多い、 護ケ待つ修で無いから唯賦然と 坐ってさへ居れば好いやうに思ってゐる。 説
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の 修 、 に か ら い よ い よ 悟 ら ね ば な ら ん の で あ る 。 道 一 万 禅 師 も 、 つひに大白峰ハ天童︶浮禅師に参じて一生参撃の大事ここにをはりぬ。 ︵ 鉾 遊 詩 ︶ 一 向 に 打 坐 し て 大 事 沿 明 ら め 得 に わ 。 ︵ 随 聞 記 巻 二 ︶ と明らかに大事沿明らめにことを述べて居られる。﹁阿拝菩提な詮するに最上無震の妙術あり﹂といひ、﹁誼の得 否は修せんものおのづから知らんこと用水の人の冷健在わきまふるがごとし﹂︵鉢道話︶ とあるに依つでも詮の 存することは明瞭である。修詮は一知五けれ共修詮は無きにあらす、修詮は無きにあらぎれいとも染汗することは 得 じ 0 ・ 不 染 汚 と は 清 津 の 義 、 J 引 の 汚 れ の 無 い 、 修にとらはれ十誰に執せ令無碍自在の修設である。 知るべし修ケはなれぬ誼そ染汚せざらしめんがために働組しきりに修行のゆるくすべからざると与しふ。 ︵ 弊 掛 世 話 ︶ に 古 身 心 を 悌 一 法 に な け す て て . 史 に 悟 道 得 法 ま で を も ん 印 式 む 、 ︸ と な く 修 行 す る な 以 っ て え れ ぞ 不 染 汚 の 行 人 と い ふ なり。有仰のところにもとどまることをえ歩、無仰の慮をも念に走過すといふは此の心なり。︵隠聞記念五︶ さとる嬬の修行は修と泣と冶二つに見るが故に読をも染汗し行冶も染汚するのリ人修説一如の概念や観念で取扱ふ 者 は 仰 法 沿 川 目 潰 し 坐 蹄 や 染 汚 す る 。 深 く 本 誼 妙 修 の 道 団 内 在 信 じ て 身 心 h q 仰法中になけすてY
修 冶 も 忠 は す 誼 ・ 々 も忘 れ て 潜 行 ’ 密 別 し て 相 績 不 断 な る そ 不 染 汚 の 行 人 主 い ふ の で あ る 。 こ れ & 紙 特 打 坐 と い ひ 不 仇 沢 一 作 の 修 謹 と い ふ 。 これ郎ち昆買なる修行である。有も染汗するあれば非同県の行となる o 第五孝生離の普遍性と安柴行 坐調牌が如何に正俸の働法であり昆賓の修行であるとしても、成る特殊の者に限られ、 行ふこと能はざるが如舎ものであっては、宗教の普遍性を開き、一般の信仰とならないことになる。然らぱ果し て坐梓は斯る普遍性沿有するや如何ん。 道 一 苅 糟 師 が 二 十 八 歳 宋 朝 よ り 蹄 ら れ て 宜 後 印 ち 嘉 誠 一 一 一 年 に 坐 禅 儀 一 篇 ル 暑 は し 坐 禅 を 以 っ て 正 俸 の 仰 法 な る こ と を 宣 言 し 坐 禅 の 儀 則 。 信 一 不 さ れ 1 hト。その坐禅儀に冠するに普勘の二学を以ってせられ亡。これは坐禅は何人にも 修し得られることそ明らかにせられにもので其の普遍牲の存すること沿示しにのである。その文中に、 然則不 v論 ニ 上 智 下 愚 ﹁ 英 v簡 一 一 利 人 鈍 者 4 専一功夫正是排道、修謹白不二染汚﹁趣向更是卒常者也。 とある。上智下愚、利人鈍者沿拳けて皆悉く排道修費し得るのが此の坐禅である。更に耕道話十八問答中の第十 一 般 民 衆 の 之 狂 信 じ 之 そ 問ふて云く、この行は在俗の男女もっとむべしゃ。ひとり出家人のみ修するか。 示して云く、組師のいはく、働法そ曾すること男女貴賎をえらぷべから?とぎこゆ。 と。坐禅は決して出家借侶の専行ではない。在俗の男女も有らゆる階級貴賎ぞ論ぜホ等しく修する行なることや 示された。懐非和尚に語られに詞にも、 根に随ひ機に順ふべしといへども、今組席に相俸して専らするところは坐梓なり。此の行よく衆機をかね上中 27 道一冗騨師の行列的思想の研究 一 九 七
日本悌致事協食年報︵第十一年︶ 一 九 八 28 下根ひとしく修し得べき法なり。人 1 各も一向に思ひきりて修して見よ。十人は十人ながら得遣すべきなり。 ︵ 際 関 記 袋 一 ︶ と あ る 。 一 屠 そ の 趣 立 が 徹 底 し て ゐ る 、 十 人 は 十 人 な が ら 、 一人も儲さや得遁する法門ほ
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普遍的な宗教は他に 有りえない。郎ち全世界の全人類在救潰し得るところの行である。 坐禅が十人は十人ながら得道しうるといふ普遍性の依って来る所以は、其の行が叫側めて安楽であるといふこと に存する。正身端坐といひ結捌肢小一といふ、その身相坐相は極めて自然であって、生環的にも衛生的にも少しも 無理の無い行法である。行作目坐臥の問威儀中坐が最も安楽である J その供法中結明快坐が最も理想的なる生法で あ る 。 問 ふ て 一 五 く 、 悌 家 何 に よ り 〆 て か 問 儀 の 中 に 唯 し 坐 に の み お は せ て 蹄 定 な す 込 め て 説 入 ぞ い ふ や 。 治して一五く、昔よりの諸側、あひつぎて修行じ謹入せるみちきはめ知り難し。ゆゑ冶ーにづねば只仰家のもちひ 此の外ににづゆべから歩。仁ゾし粗削ほめていはく、 る と こ ろ ぞ ゆ る 一 と 知 る べ じ 、 坐捕は印ち安柴の法門な り。はかりしりぬ四儀の中に安柴なるゆゑか。況んや一悌一一仰の修行のみちにあら今、諸仰諸組にみなこのみ ち あ り 。 ︵ 緋 道 話 十 八 問 中 第 六 ︶ 樺 苑 清 規 の 坐 禅 儀 に 云 く 、 織 謂 、 中 一 部 牌 乃 安 製 法 門 、 而 人 多 致 ν疾脊、蓋不 4 一 議 H 川 伊 心 故 也 。 若 善 得 ニ 此 意 ﹁ 則 自 然 四 大 軽 女 、 精 神 爽 利 、 分明、法味資 v神 、 寂 然 清 撲 。 正 念 叉結加政坐に就いては大智皮論在七に云く、同 日 、 多 有 ニ 坐 法 ﹁ 悌 何 以 故 唯 用 ユ 結 酬 肢 坐 4 答 日 、 諸 坐 法 中 結 捌 供 坐 最 安 穏 不 − 一 − 一 被 傾 ﹁ 此 H 五 小 心 開 人 坐 法 。 護 ニ 持 手 足 一 心 亦 不 v散 け こ れ は 主 と し て 形 の 上 の 安 柴 で あ る 、 形 の 安 駒 市 は 自 然 精 神 に 影 響 そ 及 惜 し て 心 の 卜 . の 安 柴 と も な る の で あ る が 、 心 其 れ 白 腫 の 安 柴 を 遁 一 冗 蹄 師 は 普 糊 坐 稗 儀 に 示 し て 一 五 く 、 − ん ‘ ん 坐 定 、 思 ニ 量 箇 不 思 量 底 引 不 思 量 底 如 何 思 量 、 非 思 量 、 此 乃 −
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一 繭 之 要 術 也 。 所 v謂 坐 鵡 非 二 習 調 貯 也 、 唯 是 安 柴 之 法 門 也 、 究 ニ 章 菩 提 − 之 修 謹 也 。 習糟とぱ謹そ待つの修である、悟る震の感心捕である。修する坐禅は方便に過ぎない、この坐離に依りて大悟を得 にい、詮果を得たいといふ坐曜は出自習稗である。謹そ求むる心であるから常に求めて得られぎる焦燥在感じ苦悶 冶畳ゆる、故に習樺は決して安柴の法門でない。遁一克禅師の勤むる坐樺は、坐糟其のものに絶封債値を認めて、 坐禅以外に何物をも認めない、坐糟そのものが菩提ぞ究査するの修謹である。謹果や大悟や菩提やが坐樺の後に 来るのでは無い、坐調仰の官躍、結加扶坐の端的が諸仰の韓ぞ標し、本来の面白が現前してゐるのである、これぞ 非思量といふ。非思量とは悌境界を標する語である。これ冶父﹁英国作偽﹂ともいふ。この故に坐禅は安楽の法門 と い は れ る の で あ る 。 いまも謹上の修なるゆゑに初心の排遁すなはち本詮の全瞳なり。 本謹の全膿なる修行が印ち坐禅なるが故に無所求であり、無作であり働行である。身は正身端坐、厚く坐物冶敷 き上に蒲圏ぞ用ひて結捌肢坐、前後左右に傾かす、調身し調息して三業に偽印や標し、心は非思量にして三昧に 安住する、是れ郎ち身心大安柴の法円である。この坐躍は印ち且賓の修行であって求むるところある脅静、安柴 ︵ 弊 道 話 ︶ 29 道一万樟師の行列的思想の研究 一 九 九日本悌数挙協含年報︵第十一年︶
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O O 30 ならずる坐禅は是れ非昆の修行といはねばならぬ。 その他、坐騨には昏沈、散風等の病弊がある。因より民賓の修行大る坐曜に昏散等の弊があってはならない。 故 に 、 雷 v知正法自現前、普散先撲落。 といつである。正法現前の時には昏散等の病弊の認むべきもの込存しゃう筈も無い。 ︵ 普 勧 坐 禅 儀 ︶ 結 論 第一章 宗説行一等の宗 道一冗樺師は行の一法に宗教理想の全債値冷窮者せしめ、殊に坐聞の一行に正俸の悌法や窮査せしめ、義賓の修 行は正俸のや一樟あるのみと強調し高湯せられるのである。然し行の一法といっても行のみ冶止鵠して教や誼ぞ除 外し或は軽視するといふ意味では決して無い。教説から弧立しに行は行としての慣値を有しないの款の内容と誼 の 賓 質 と を 行 の 一 法 に 窮 悲 し て こ そ 行 の 凡 十 一 償 値 を 費 揮 し 得 る の で あ る 。 道 一 克 禅 師 は H 厄れ冶宗説行一等といひ救行 読 の 一 一 一 、 何 れ の 一 も 他 の 二 を 揮 し て 、 其 の 二 一 は 全 く 同 一 の 債 値 冶 有 す る こ と を 認 め 、 十 九 の 如 く 述 べ で あ る 。 所 v謂 悌 ’ U 然 錦 b膿 者 、 宗 一 流 行 一 位 一 寸 也 一 如 也 。 宗 者 説 也 、 説 者 救 也 、 行 将 位 也 。 向 来 共 存 二 事 朝 内 一 也 。 膝 ν知、行者 行 コ 於 宗 説 一 也 、 説 者 説 二 於 宗 行 一 也 、 宗 者 誠 二 於 説 行 一 也 L 行去不 L行 v 一 流 不 L行 レ 荷 何 一F
行 二 悌 法 刊 一 説 若 不 γ説 v 行 一 千 v説 γ説難 L稽 v説 ニ 偽 法 刊 説 若 不 ﹄ 掛 阻 J行 不 ν殺 レ 説 崎 γ 名 l 誠 二 仰 法 刊 世 v知例法符初中後一也、初中後釜 n由。︵中略﹀ 敦也行也詮也、所通達嵐、堂ゐ什 γ非 ニ 備 法 一 点 J O ︵ 出 凶 録 径 八 ︶宗説行は一等なるが故に、行は宗読や行じ、説は山市行冶就き、宗は説行 h q 泣する。宗も働法、説も悌法、行も仰 法なるが故に宗説行一等であり一如である。然るに行にして説そ行ぜ十説ぞ行ぜ令んば仰法を行十とは一五はれな い 。 説