九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
[33]文學研究表紙奥付等
http://hdl.handle.net/2324/2556541
出版情報:文學研究. 33, 1943-12-30. 九州文學會 バージョン:
権利関係:
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進藤誠一教授
佛丈離沸座推任の進藤誠一助数授は五月十九日付を以って戦授一
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萬鴻年講師
J六月七日より前河南大畢教按醐弧年氏の支那稲︑支那柵初歩Ⅲ識6.
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佐藤逼次助教授一一在任十七年本梁部のために多大の武献をなされた佐藤先生には
本年Ⅲ月二十八日付を以って凹比粘祁文化研究所貝に榔任︒五
月二十三日︑二十四日僻任の狭拶のため來祁された︒
千代正一郎講師 佐藤助敏授艸任のため本撃出身の祁岡商等畢校敦捜千代正一郎︐
氏を玉月七日付を以って誰師として迎へ渦諦及獅祇初心を樅慨
して飯くことになった︒
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國語學国女學
上代丈準概術
醐葉築沸批
近枇丈畢後餓術
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支那語學支那女學
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淡詞目宮烏胃昌酌↑・国のロq固い冒○目・︾ゞ
中世英文・雛排戒十九世紀散文
祓詞十七祉紀英叫悲制
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九州帝国大學法女學部女學關係講義題目昭和十八年準年錐二畢期︵凹凹月至九月︶
︵四○六九︶
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Ⅲ加川敦挫 目加川敦授 松枝助敬技 松枝助教授 松枝助敦挽
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H加川数挺・柿本教授・松枝助軟投・日野助教授外浮生八名出席︒
初めに油氏の御挨拶があり松枝助歎授が池課の労を照られた︒郭
攻生森一作氏の今赤二ヶ月徐に亙る大陸旅行の中︑主として北京
旅行につき報竹などがあって嘘介であづた︒
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凹側七日性藤助敦授の送別命を午後玉時半より大工町の八W
屯にて州催︑出席者八名︒
五月三十日この九月定年にて御辿常になられる小牧救授諺同
月卒業の罐生濟城怖男氏の送別の芯味で︑都府櫻・根阯︾Ⅱ寺方面
へ遠焔℃午後五時半より二日市にて送別称州催︑秘文棚係出肺者
十編︑航る雄竹であった︒
九州帝叫大理綱逸文準命細の故片Ⅲ正雄数投の迩丈難﹁片山正
雄迩丈﹂が配本された︒︲
わが九大法文準部獅丈華科初代敦投として大正十四年八月より
昭和七年四月まで渦諦獅丈學を誰ぜられ︑本醗潤丈學科創没のた
めに洵に大いなる功統を残された片山正雄先生の辿丈難が﹁片山
正雄迩丈﹂と題して先般南江錐より刊行せられたことはも川下生
の一人として再ぴにたへない次錐であ一ゅ︒救年前小蚊健夫︑佐藤
錐報
〆 片山正雄先生の童女集を讃みて千代
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迩次剛先生の御提案により本番の刊行が誹澁せられたとき︑私も
できるだけの諮手僻をするつもりだったの膿︑趣に庇腸の地に赴
任することになったので︑結脇備時祁岡にをられた淋遥龍雄光雄
︹現牽北帝大磯科救授︶に細榊の一切の仕郡を釦願ひするやうな
結果になって本怖に巾群なく思ってゐる︒淋過氏の御努持に封し
てはこの機愈に心から御瀧を申したいと恩ふ︒本番は先生が九大
御亦職術昨發表せられた論文随飛等を中心とし︑更に眺刊の耶行
本に收錐湖札となった脱稿をも併せて細纂せられたもので︑先生
のドイツ丈準狐の災大成といって共支ないであらう︒巻頭には先
生の師たりし壷眠竹風氏の﹁孤村と私﹂といふ序文が氏獅将のユ
ーモアをもって先生の人となりを描きだしてゐる︒なほ孤村とい
ふのは肌流末期のわが丈城に祇蹄せられた先生の諦人としての雅
號であお・
昭和六年Ⅲ月私が本斑凋丈鯉科に入醸したときの片川先生の御
●識義は﹁蛎武主義及び自然主義﹂といふ迦日で︑|プキストとして
オスカール・ソルッエルの﹁ゲーテ死後説代に至るドイツ丈準﹂︑
を使川せられたが︑中途にさしはさまれる解紘を辿して十分先生
のドイツ丈準槻を波みとることができた︒また泣脅にはゲーテの
﹁フアウスト﹂節二部を識ぜられた︒難僻をもって聞える錐二
部通先生に排義していただけたことは私としては生涯の幸祁だっ
たと思ってゐる︒しかし錐二梁期は荊郷御靜整のため誰義を休ま
れることになり︑結励そのまま翌昭和七年群には飛鍼を理由とし
て御退峨になったので︑私が先生の・御談義を聴いたのは帷・か一準
一二九︵四○七己
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丈畢研究錐三十三斡二二○︵四○七二︶
期にすぎなかった︒さうして一年後の昭和八年赤︑私は生れてはいが︑一般に明治雌代に救打をうけた準者にはドッシリと腰を藩
じ坊て上永し︑久しぶりで先生にお日にかかることができたが︑ちつけて勉強するといふ狐の人が多かったのではないかといふ郷
これがつひに並後の訪問とたつ・てしまった︒その年の群︑卒錐耐排がする︒雌器としての漱禰や鴎外はいふに及ばず︑どんな方面︐丈に苦しめられてゐた私は先生御逝去の悲しき報らせを聞かねばにしても︑の剛の畢者の醤いたものを批むと︑よくもこんなに勉
ならなかった︒かやうに親しぐ先生に戦へを乞ふす︽ヘを奪はれた弧したものだと思って驚歎せざるをえない︒反之︑近醜の準着のう
現れにおいて︑先生の辿丈難が刊行せられたことがわれわれ川下ちにはややもすると功をあせりすぎて腰が落ちつかず上捌子にな
生にとって︑いかに大きな悪びであるかは乖紙につくしがたい︒りやすい人がないでもない・・その結来或尋調は自己の兄僻を樹立
一先生が弛烈な勉弧家で変に多くの狩物を戒んでをられたといふするにのみ念で︑見識を隣める除裕に乏しぐ︑佃狭なる獅断術に
ことはかねがね先誰からもⅧいてゐたが︑今度の迩丈災を批んで陥ってしまふ︒明治時代における熱狂的な洲洋文化移入に鋤する
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︲・その背餓となってゐる該沖なる知識にいまさらのやうに雌例さ.私反測として︑かういふ傾向が池つ再来るのは柑然で︾曾Qにしてもも
てしまった︒本文の巻頭を飾ってゐる施丈﹁丈準科準概肱﹂はかこれも像り城端に走ると佃狭なるひとりよがりに︒なる恐れが・め
って九州丈準禽の同人でもあられた先生が﹁丈畢研究﹂創刊號のる︒本来の日本粘祁はもつと包容力に樹む︑おほろかなものであ
︑ために執飛せられたもので︑いはゆる丈蕊準︵冒冨目冨国ぐ﹄の印①ロ︲患はずである・
の︒言浄︶の詳細なる解詑と批排である︒これ・などもドイツ文雄のまた他方において︑特に外岡丈準研究者のなかには作仙︑ない
葱典をきはめられた先生にしてはじめて可能なる名論文であり諺し研究番の雛課細介といふ如き安易な池を選んで︑白主的な研究
凡そ丈革を研究せんと欲する者は必ずや本愉丈により騨罐せらる︑産避ける人もあるやうである︒しかし今こそ日本人としての脚牡
る鮎が多いであらう︒これは要するに丈拠ゞ研究の根本態度をわらをもって外叫丈雛を研究し批判す︽へきときではないだらうか︒雛
ゆる角度から諭汗せられたもので︑いはぱ片川先生の﹁丈準愉﹂課の塙人はゐても︑獅自の見解と博い畢識をもつ炭の斑↓者陣乏し
である︒その意味において叩にドイツ丈準川究者のみならず一般︑いし﹂いふ現壯は大いに反打を要するであらう︒この意味において
・に丈撃に興味を右する者にとって必批の文章たることを偏じて疑も片川先生の蓮文雄はドイツ丈準研究者のみならず︑一般に粘祁
は・ない︒︑文化を研究せんとする者に多くの教訓を典へるに机通ない︒︵九
︑先生の蓮文雄を滅んで私のしみじみ感じたのは自分の勉狼の不︲州帝叫大華狐逸文畢御細﹁片山正雄迩丈﹂南江錐刊︑定価韮伽︶
十分なことであった︒あるひはこれは私ひとりの感じかも知れな昭利十八年九月二十祇日11
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