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水落遺跡第 8次 調査

(1995年 7月 〜10月)

水 落・ 石 神 両 遺 跡 の これ まで の調 査 に よ って、 史跡 指 定 の漏 刻 台及 び周 囲 の関連 遺 構 は飛 鳥 寺 西 方地 区 の西 北 隅 に 占地 す る ことが分 って い る。 しか し、 水 落遺 跡 につ いて は、 漏 刻 台 と周 囲 の関連 遺 構 (以下 、 中心 区画 と呼 ぶ

)の

み が解 明 されて い るにす ぎず、 中心 区画 と関連 す る 施 設 や遺 跡 の範 囲、飛 鳥 寺 西 方 の遺 跡 との関 係 につ いて はほ とん ど知 られ て い なか った。 こ う した情況 を踏 まえ、 当調 査部 で は水落遺 跡 の範 囲 と構造、飛鳥 寺西方 に広 が る遺 跡 の構 造 と水 落遺 跡 との関係 を解 明す べ く、 史跡 指定 地 周 辺 部 の調 査 を進 め る ことにな った。 そ して、1994 年 か ら 3ケ 年 の計 画 で史 跡 指定 地 の東 南 部 の南 北 に長 い一 枚 の水 田 (面積 約1900♂

)を

調 査 対

象 と し、 北 側 か ら調 査 に着 手 した。

2年

目 に当 る第

8次

調 査 は、前年 度 の第

7次

調 査 区 の南 側 部 分 、約510だを対象 に実施 した。

前年 の第

7次

調 査 区 に は、 中心 区画 の東 南 隅部 が か か り、 以 下 に述 べ るよ うな中心 区画 に関 す る新 た な知 見 、 中心 区画 周辺 に関 す る情 報 を え た。

①  まず 中心 区画 につ いて。水 時計 を格 納 す る礎 石建物、周 囲 の溝 と建物 、 そ して これ ら全体 を カバ ーす る掘込地業 が、正 方形 を基 準 とす る設計企 画 で造 営 されて い る こと。 東・ 北・ 西 の岸 に は四隅 に角楼 を もつ廊状建物 が配 され、 南 に は柱筋 を揃 えて独立 した東 西 棟 建 物 が建 ち、全 体 と して は中心建物 を囲 う配 置構 造 を とる こと。

② 従 前 、 水 落 遺跡 の南 限 の塀 と見 られ て い た東 西 方 向 の柱 穴 列 (S A 295)は、 塀 で はな く、

時期 の異 な る建 物 で あ る こと。 また、 南 限 。東 限 に関 す る遺 構 は検 出 され ず、 遺 跡 は更 に調

査 区 外 に 広 が る こ と。

③  調 査 区 内 は、水 時計 に水 を供給 す る と推 測 され る大 規模 な石組 斜行 溝 S D 3410や 木 樋 暗 渠 S D 3870等 の水路 が あ るが、 中心 区画 と関連 す る建物 はな く、石敷広場 にな って い る こと。

層 序 と地 勢

調 査 区 の基 本 的 な層 序 は、耕 作 土・ 三 枚 の床 土・ 灰褐 色 砂 質 土・ 暗灰褐 色 粘 質 土・ 炭 混 り暗 灰 色 粘 質 土・ 暗灰 色 〜黄褐 色 砂質 土・ 灰 褐 色 砂 礫 層 の順 で あ り、第

7次

調 査 とか わ りな い。 炭 混 り暗灰 色 粘 質 土 は平 安 時代 の遺 物 包 含 層 で あ り、

7世

紀 の遺 構 は、 そ の下 の 旧河 川 敷 堆 積 で あ る暗灰 色 〜黄 褐色砂質土面 で検 出 した。

7世

紀 代 の遺 構 面 は東 と南 が高 く、 北 西 に 向 って下 降 す る。 平 安 時代 の開発 で大 き く削 平 され、 当初 の面 を とどめ る所 は少 な いが、 比 較 的残 りの

よ い調 査 区北辺 部 で は、約

1度

の傾斜 を もつ。

遺  構

検 出 した遺 構 に は、

7世

紀代 に属 す る石 敷・ 石 列・ 石組 溝・ 木樋 暗渠・ 池 状 遺 構 、 平 安 時代 の掘立 柱 塀・ 大 小 の上坑 。素掘 り溝、 中世 以 降 の耕作 に ともな う多数 の素掘 り溝等 が あ る。

7世

紀 の遺 構 平安 時代 の上 坑 や撹 乱 削 平 部 分 を除 く、調 査 区 の ほぼ全面 に石 敷 痕 跡 とみ られ る不整形 な小 さい くばみが確認 され、本 来 は全面 石敷 で あ った と考 え られ る。 S X 3492は 、 そ の な ご りで第

7次

調 査 区南東 部 の石 敷 と一 連 の もの とみ られ る。S X 3492の 近 辺 に あ る石 列S X3495は、 比 較 的大 きな石材 を一 段 、 な い し二 段 積 み上 げ、 西 の石敷 き とは段差 を設 けてお り、

低 い雛 段 状 の石 敷 で あ った可能 性 を示 唆 す る。 北 で東 に偏 す る方位 を もち、 第

7次

調 査 検 出 の

―‑ 77 ‑―

(3)

木 樋 暗渠S D 3870の 上 に残 る石列 の延 長 で あ るが、北側 で検 出の石列S X 3390と は方 位 を異 に し、 石敷・ 石列 に も時期 差 が認 め られ るよ うで あ る。

調 査 区東 南 部 に あ る石 敷 列S X 3485は 、 後 述 す る石 組 斜 行 溝S D 3490の 南 に設 け られ 生石 敷 帯S X 3489と 直行 す る方 位 で、 石列S X 3495の 方 位 と一 致 す る。 S X 3489よ り大 き く平 坦 面 を もつ石材 を用 い、S X 3489に 喰 い込 む形 で設 置 され て い るが、基盤 とな る黄褐色砂質 土 面 に直 接 据 え られ て い る。 一 方 、S X 3489は 薄 い整 地 を行 った上 に敷 か れて お り、両者 は同時 併 存 す

るが仕事 は前者 が先 で あ る。残存 長1.4m・ 幅約0.5m、 S X 3495と の間 隔約3m。

石 組 斜 行 溝S D 3490は 調 査 区北 辺 を東 南東 か ら西北 西 に向 って流 れ、 西 で北 に約

5度

偏 す る 方 位 を もつ。 南 側 に幅約 0.8mの 玉石 の石敷帯S X 3489を と もな う。両側 に巨大 な花南岩 を立 て、

底 に は東 半 部 で は拳 大 か ら人 頭大 の礫 を乱雑 に、西 半部 で は比較 的丁 寧 にバ ラスを敷 く。 溝 幅 は内法 で約0.6m、 南 側 の石 敷 帯S X 3489の 上 面 か らの深 さ は0。1〜 0.2m。

S D 3490を 壊 す 土 坑 の断面 や断割調査 の結果 、底 石 は後 の改修 時 に敷 設 された もの と判 明 し た。 当初 の溝 は幅約 1.3m・ 深 さ約0.3mの 掘形 を掘 り、更 に側 石 を据 え る た め両 側 を使 用 石 材 の大 きさに応 じて掘 り くば めて い る。 当初 の素 掘 り底 の面 に は薄 く砂 が堆 積す るが、改修 時 に そ の上 に暗茶 褐色 砂質 土 で約20cm程 か さ上 げを行 い、 その上 に礫 やバ ラスを敷 いて い る。 底 石 の透 き間 、 それ を覆 う堆 積土 (暗灰 褐 粘質 土 層

)に

10世紀 中 頃 の土 器 類 が含 まれ、 また、 か さ上 げ土 か らも

1点

で はあ るが

9世

紀 代 とみ られ る黒 色 土 器 の杯

B小

片 が 出土 して お り、 溝 の 改修 時期 は

9世

紀 と考 え られ る。

S D 3490の 南 側 に付 設 され た石敷帯S X 3489は 南 側 に見 切 りを もつ。 建 物 の雨 落 溝 と犬 走 り の可能性 を考 え周 囲 を精 査 したが、 これ に と もな う掘立 柱 建 物・ 塀 は検 出 して いな い。周 囲 の 石敷 が ほ とん ど抜 か れ て い るの に これ だ けが遺存 す るの は極 めて不 自然 で あ り、 この仕事 も石 組 斜 行 溝 の改修 と同 時 にお こなわれ た可能性 が高 い。

調 査 区東 北 隅 の木 樋 暗渠S D 3370は 、 第

7次

調 査 の検 出 の延 長部 で、 木樋抜取穴 が掘 形 と重 複 す るが、 上 幅 が約1.2m、 下 幅 が0.5m・ 深 さ0.8mの 逆 台形 状 の掘形 を もつ。 抜 取 穴 か らは、

平 安 時代 の上 器 、 瓦 片 が 出土 して い る。木樋 は、 据付 痕 跡 か ら幅

0.4m程

の材 とみ られ、 掘 形 底 面 に約15cmの か さ上 げ した土 の上 に設 置 されて いた。 木 樋 の台石

1個

を検 出 したが、第

7次

調 査 検 出 の最 寄 りの台 石 との間隔 は2.2m。

7次

調 査 検 出 の南 北 石 組 溝S D 3400は

7世

紀 代 で は最 も古 い遺 構 で あ るが、 第

8次

調 査 区 で は後 の遺 構 の造 営 や削平 のため極 めて残 りが悪 く、掘 形 、側石抜 き取 り痕跡 を部分 的 に検 出 した にす ぎな い。

調 査 区西 南部 の石 組 溝 S D 3560は 、側 に

2段

に石 を積 み、 内法 幅 1.2m・ 深 さ0.lm。 石 組 溝 の延 長部 は平安 時代 の土 坑 で破壊 され方位 は定 か で な いが、後述 す る池 状遺構S G 3480の 西 岸 辺 に側石据付痕 ら しき

2条

の溝 を検 出 してお り、 これ につ なが る もの と考 え て い る。 今 の所 、

S G 3480の 排 水 路 とみ て お く。

池 状遺構S G 3480は 、 調 査 区東 南部 に 自然 石 を弧 状 に配 した石列12個 を長 さ約

3mに

わ た っ て検 出 した。石列 は南 側 に面 をそ ろえ、 この石列 の南1,7mか ら始 ま る浅 い掘 り込 み が あ り、

更 に南 へ と広 が り、両 者 一体 で池 と考 えて い る。 弧状 石列 は旧河川堆積 を約15cm掘 り下 げ、 掘 形 よ りやや 内側 に石 を据 え、北側背面 に炭粒 ま じりの灰褐 色 砂質土 を入 れ て固定 し、更 にそ の

(4)

上 に薄 く整地 をお こな って い るため掘形 は見 えない。石列 の南側 の一 回 り大 きい掘 り込 み の北 岸 にあ る礫 石 は人 工 的 は配 石 で はな く、 旧河 川堆 積 の礫 層 に由来 す る。埋 め土 は小 礫 を混 え る 茶 褐 色 砂 質 上 で飛 鳥 寺 創 建軒 丸 瓦片

1点

が 出上 した。 この池状遺構 の西端付近 に は巨石 を落 し 込 ん だ土 坑

2基

(S K 3512・ 3513)が あ る。石 は この池 に使用 されて いた可能性 が高 い。

Y=16,410

Fig 50 水落遺跡第8次調査遺構図 (11200)

裏 ﹄ ぴ 菰

  

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幽 鰯

SD 3515    ‖│,    s          ヤ

SD 3505       ο

―‑ 79 ‑―

(5)

平 安 時代 の遺 構 素 掘 り溝 。大小 の土 坑・ 掘立柱塀 等 が あ る。東辺 の南北素 掘 り溝S D 3360、

中央 西 寄 りの南北 素 掘 り溝S D 3420は 、 いず れ も第

7次

調 査 で検 出 して お り、 その南 延 長 部 に あ た る。S D 3360は 幅0.6m・ 深 さ5 cm、 石 組 斜行 溝S D 3490と の交差部分で は側石 の上面 を削 っ て流路 を確保 す る。S D 3420は1.Om・ 深 さ5 cmでS D 3490と の交差部 で は側石

1〜 2石

を 抜 き取 って流 路 を確保 す るが、石敷帯S X 3489は底 石 と して生 か して い るよ うで あ る。

溝 と して は この他 、南北斜行細溝 (S D 3525・ 3505・ 3515・ 3544・

3564)を

検 出 した。 溝 底 はいず れ も凹 凸 した面 をな し、埋 め上 に は黒色土器 を は じめ とす る平安 時代 の土 器 片 を含 む。

方位 は、 前 述 の

7世

紀 の石列S X 3495・ 石敷 列S X 3485と 一 致 し、 ほぼ

3mの

間 隔 で掘 られ て いて、S X3495e s x3485な どの石列・ 石敷列 を抜 き取 った溝 の可能性 が あ る。

石 組 斜 行 溝S D 3490の北 に団子 状 に並 ぶ土 坑S K 3518・ 3519・ 3530。 3540・ 3546・ 3550・ 3570・

3571は、側 石 を抜 き取 るため に掘 られ た もので、 大 量 の礫 を含 む。 南 西 辺 の不 整 形 土 坑 SK

3520・ 3563・ 3573は、 炭 を大量 に含 む埋 め上 で平安 時代 中期 の上器、 瓦 、 礫 を含 む。 前 述 の南 北素 掘 り溝S D 3420・ 南北 斜 行 細 溝 S D 3544を 壊 し、 そ れ よ り新 しいが、 次 に述 べ る塀SA

35550建

S B 3565よ り古 く、柱掘形 は埋 め土 を掘 り込 んで い る。

調 査 区 中央東 寄 り石組斜行溝S D 3490の 南 岸 にあ る小 土坑S K 3510は 径0.5m程の円形 の掘 形 で、 中 に は次 に述 べ るよ うな状態 で土器 が一括埋納 されて いた。底 に須 恵 器 の甕 腹 片 を敷 き、

そ の上 に丹波篠 窯産 の須恵器 の鉢 を正位 の状態 で据 え、 中 に土 師器小皿

8枚

以 上 、杯

3点

、 鍔 釜 片、 黒色土器

A類

の大小 の椀各

2点

を納 め、 それ らの上 に石 を2個置 いて いた。土師器 の杯・

皿 、 黒色土器 の椀 は、完形 品で あ るが、須恵器 の鉢 はもともと体部 の一部 を欠損 した ものを使 っ て い る。 出土土器類 は、天禄 四 (973)年焼 亡 した薬 師寺 西 僧 房 の床 面 に残 され て い た土 器 類

(『薬 師寺 発 掘調 査 報 告』pp.149〜 155、 pp.256〜267)と 共 通 す る。

調 査 区西 南部 には掘立 柱建物S B 3565と南北塀 S A 3555を検 出 した。 S B 3565は 、 柱 間寸 法 が

2.lm(7尺 )等

間 で

2間

分 を検 出 したが、棟 方 向 は不 明 で あ る。 建 物 とみ たが、 次 に述 べ るS A 3555の 南 端 の柱 穴 と柱 筋 が揃 い一 体 の塀 の可能性 もあ る。S A 3555は柱 間 が不 揃 い で、

1.8〜3.Om。

4間

分 を検 出 したが、石組斜行溝S D 3490の 北 に は延 び な い。 いず れ の掘 形 に も 平 安 中期 の土 器 類 を含 み、平安 時代 の遺構 の うちで は最 も新 しい遺構 で あ る。

中世 以 降 の遺 構 灰 褐 色 砂 質 土面 とそ の下層 の暗灰褐色粘質土面 の

2面

で 中世 の素掘 り溝 を多 数検 出 した。 現水 田の南北 畔 の方 向 と一致 す る南北溝 が多 く、東 西方 向 の溝 は ご く少 な い。

遺 

土 器、瓦、金属 製 品、銭貨、石製 品等 が あ る。土器類 が多 く、弥生土器 や古墳 時代 の土器 も 出土 して い るが、本来 、基盤 の旧河川堆積層 に含 まれて いた もので あ り、後 の遺構掘削 時 にそ こか ら遊離 した もので あ る。池S G 3480や土 坑 の底 に現 われ た旧河川堆積 (砂礫層

)に

含 ま れ る土 器類 は

6世

紀 後半 代 の時期 で あ る。 おそ らく、遺跡 の性格 の違 いを反 映 してか、

7世

紀 代 の土器類 は北 に隣接 す る石神遺跡 で は大量 に出上 して い るが、水落遺跡側 で は極 めて小量 しか 出土 して いな い。土器 の大半 は、再 び この地 に開発 の手 が入 った平安 時代 の もので あ り、

9世

紀 後 半 代 か ら10世紀 後 半 代 に属 す (Fig。 51)。 土 師器 の食 器・ 煮 沸 具 が多 く、 黒 色 土 器A・

B

(椀)、 須 恵 器 (鉢・ 甕)、 灰 釉 陶器 (椀・ 皿)、 緑 釉 陶器 (椀・ 皿)、 輸 入 磁 器 (青

)も

少 量 出土 して い る。軒瓦 は、創建期軒丸 瓦

1点

7世

紀 後 半 の軒 丸 瓦 XIV型 式

1点

が あ る。 丸・

(6)

5   

(巨

三 三 三 三 三

]:::[FFF房

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'そ

2

Fig 51  水落遺跡土坑S K3510出土土器

(1:4)

平 瓦 は、 丸 瓦 が 300点(24kg)、 平 瓦 が1,777点 (68,8kg)出 土 した。 量 的 に は平 瓦 が 丸 瓦 を しの ぐ。

丸・ 平 瓦 は奈 良 時 代 以 降 の もの が 多 く、 ま た二 次 的 に火 を受 け た もの が 多 い。

金 属 製 品 に は、 鉄 鏃 、 鉄 釘 、 不 明 鉄 製 品 が あ る。 鉄 釘 は比 較 的 量 が 多 い が 、 平 安 時 代 以 降 の もの で あ る。 銭 貨 は、 床 土 か ら寛 永 通 費

2枚

、 暗灰 褐 色 粘 質 土 か ら延 喜 通 費

1枚

が 出 土 した 。

石 器 に は剥 片 刃 器

1点

が 旧河 川 堆 積 か ら出上 した。 他 に剥 片 も少 量 出 土 して い る。

ま と め

今 回 の調 査 で も、 水 落 遺 跡 の南 及 び東 を 画 す 施 設 は検 出 され ず 、 遺 跡 は更 に南 と東 に広 が る こ とが 明 らか に な った。 一 方 、 新 た に石 組 斜 行 溝 S D 3490、 池 状 遺 構S G 3480、 お よ び

S G34

80の余 水 を流 す 石 組 溝 S D 3560を 検 出 した。 二 本 の溝 は、 水 落 遺 跡 中心 区 画 よ り も古 い南 北 石 組 溝S D 3400(石神 遺 跡

A‑3期

併 行 期

)を

壊 して造 られ て お り、 中心 区 画 と同 時 期 も し く は そ れ 以 降 の 時 期 の所 産 と考 え られ る。 ま た第

7次

調 査 で も中心 区 画 と同 時 期 と考 え られ る石 組 斜 行 溝S D 34100木樋 暗渠 S D 3870を 検 出 して い るが 、 今 回 検 出 した溝 と方 位 を 異 に し、 調 査 区 外 で お互 い に重 複 す る関 係 に あ る。 前 述 の遺 構 に は年 代 決 定 で き る遺 物 が 乏 し く、 これ らの 遺 構 の先 後 関 係 は今 後 の調 査 に ゆ だ ね れ ば な らな い。 池 状 遺 構 S G 3480も 調 査 区 の南 に広 が り、

そ の性 格 付 け につ いて は次 年 度 の調 査 を待 た ね ば な らな いが 、 以 下 に記 す 、『 日本 書 紀 ど に み え る須 爾 山 の造 営 に係 る施 設 の可 能 性 が あ り注 目 され る。

<飛

鳥寺西方広場における須爾山関連記事

>

斉明天皇三年 (657)七 月辛丑

  

飛鳥寺西に須爾山像を作 り、旦に孟蘭盆会を行ない、暮に親貨避人を饗す。

斉明天皇五年 (659)二 月甲午

  

甘橿丘東の川上に須輛山を造 り、陸奥と越の蝦夷を饗す。

斉明天皇六年 (660)五 月

    

中大兄皇子が初めて漏刻を造る。また、石上池辺に須爾山を作 り、粛慎47人を 饗す。

一フ

‑81‑

(7)

2  飛鳥寺の調査

A 1995‑1次

調 査       (1995年 7月)

この調 査 は住 宅 改築 に と もな う事前調査 と して お こな った。調 査地 は、飛鳥寺講 堂 の東 北 約

50mの

地 点 で、調 査面積 は21どで あ る。

調 査 区 の層 序 は、 上 か ら表 土・ 褐 色 砂 質土・ 灰 色 粘 質土・ 褐色 粘質土 で、地表下約

lmの

深 さで河川堆 積 層 の礫層 を確認 した。遺構 は主 に、 地 表 下 約0.6mの灰 色 粘 質 土 層 の上 面 で 検 出 した。土 坑

3基

な どが あ る。

土 坑S K900は径 約0.7m、 近 世 の上 坑 に大 半 を壊 され わず か に底 部 を残 す だ けで あ っ た。 土 坑S K901は径 約

lmあ

り、S K 900と 同 じ暗灰 色 粘 質 上 を埋 め土 とす る。

7世

紀 代 の上 器 を 含 む。 この

2つ

の穴 は互 いに よ く似 てお り、一 連 の建 物 あ るい は塀 の柱穴 にな る可能 性 も考 え ら れ るが、調 査 区 の制約 もあ って追求 で きなか った。 土 坑S K 902は径約0.6mの穴 で あ る。 遺 物 は出土 しなか った。

遺 物 は、 土器・ 土製 品、 瓦類 が あ る。 瓦 は、丸・ 平 瓦 (総計 約 400点・

59kg)の

ほ か 、 飛 鳥 寺 Ⅲ型 式 の軒 丸 瓦 が

3点

出上 した。 土 製 品 に は土 錘 形 土製 品 が あ る。

遺 構検 出面 の灰 色粘質 土層 は、黄灰 色微砂 (花南岩 風 化 土

)が

混 じるので、整地 上 層 と考 え られ る。 灰 色 粘質 土 は中世 の遺 物 を含 まな いが、 これが

7世

紀 まで遡 る整地 土 層 で あ るか の判

断 は、 今後 の周 辺 の調 査 を待 ちた い。

B 1995‑2次

調 査      (1995年 7月 )

この調査 も住 宅 改築 に と もな う事 前調査 と してお こな った。

調 査地 は、 飛 鳥 寺 講 堂 の北 方約

90mの

地 点 で、調 査 面 積 は10∬

で あ る。

東 西溝S D 910を 検 出 した。S D 9101ま溝底 で幅約1,5mあ り、

北 岸 に護 岸列 石S X 911・ S X912があ る。溝 内 の堆 積 土 か ら、

羽 釜・ ス リ鉢 が 出上 した。 溝 を覆 う灰 色粘土層 か ら室 町 時 代 後 期 (16世紀

)の

瓦 質 土 器 が 出土 したので、 その頃 に は埋 没 した ので あ ろ う。

瓦 は、丸・ 平 瓦 (総計 約300点・33.6kg)の ほか、飛 鳥 寺 Ⅲ型 式 とXIV型 式 の軒 丸 瓦 が各 々

1点

ず つ 出土 した。

X=‑169,010

X=‑169,015

―――X=‑168,934

9       1      lm

Fig。

52 

飛鳥寺1995‑1次調査遺構図 (1:100) Fig.53 飛鳥寺1995‑2次調査遺構図 (1:200)

SX 911 SD 910

(8)

3  奥 山 久 米 寺 の 調 査

(1995‑1次

)

(1995年 9月 〜11月)

この調 査 は、 明 日香村奥 山集落 内で の公共下水道本管埋設 に と もな う事前調査 で あ る。

奥 山久 米 寺 (奥山廃 寺

)に

つ いて は これ まで に、塔 (1987年『 概 報18』)、 金 堂 (1987年 『 概 報18』1989年『 概 報20』)、 西面 回廊 (1973・ 74年『概 報3』1992年『 概報24』

)な

どが調 査 さ れ、 その結 果、

7世

紀 前 半 に造営 され た四天 王寺 式 伽 藍配 置 の古 代 寺 院 で あ る ことが推 測 で き るに至 って い る。 今 回 の調査 は幅 の狭 い トレンチ調査 で はあ るが、調 査 が奥 山久米寺跡 の中心 伽 藍 各 所 に及 ぶ た め、 これ まで 明 らか で なか った、講 堂 や東面 回廊 な どにつ いて の成 果 が期 待

され た。調 査総面積 は298督で あ る。

遺 構

I・ Ⅱ区  金 堂 跡北側 の南北方 向の調 査 区

(I区 )と

東 西 方 向 の調 査 区 (■

)で

あ る。

I・ Ⅱ区 の交点付近 を中心 と して、金堂 の掘 り込 み地 業 を検 出 し、地業 の北 。東・ 西 の端 を 確 認 した。 金 堂 掘 り込 み地 業 は古 墳 時代 の包 含 層 で あ る褐 色 土 か ら掘 り込 まれて お り、1989‑

1次

調 査 の成 果 と合 わせ る と、 その規 模 は、 東 西22.9m。 南 北19,lmであ る。 版 築 層 は残 りの 良 い所 で厚 さ70cm残 って い た。 版 築 は厚 さ8 cmほ どの層 を12層識 別 で きたが、 これ らは

3層

に 大 別 で き る。 明橙 色 系 土 を地 業 底 に置 くことな どは前 回 の調 査 成 果 と も一 致 し、 か な り丁 寧 な 仕事 で あ る。 版 築 層 に は土 器 小 片 を含 むが、 時期 の わか る もの はなか った。

1989‑1次

調 査 で発 掘 した金 堂 基 壇 の基盤 高 と比 較 す る と、 Ⅱ区 の東 で は基 壇 土 が残 って い る部分 もあ る。 しか し、基壇外装 や基壇周 囲 の化粧 は全 く残 って いなか った。

I区

で は ほか に、金堂地業 と同様 に掲色土 か ら掘 り込 む東西 溝S D 325、 中 世 以 降 の土 坑S K326・ 328・ 329があ る。S D 325は、 幅0.4m・ 深 さ0.2mの 素 掘 り溝 で、

7世

紀 代 の土 器 と瓦 が 出土 した。S X 327は 抜 き取 り穴 を もつ柱 穴 で あ る。 柱 穴 の直径0.8m、 検 出面 か らの深 さ は0.7

mで

あ る。抜 き取 り穴 か ら

7世

紀 代 の土器 が 出土 した。

Fig.54 奥 山久米寺1995‑1次調査位 置図 お よび四天王寺 (左)・ 山田寺 (右)との比較図 (1:2000)

0      50m

―‑ 83 ‑―

(9)

土 坑S K 326は径

4m以

上 の上 坑。 中世 の遺物 を含 み、 瓦片 や礫 が大量 に出土 した。

Ⅱ区で は、掘 り込 み地業以外 に は、 中世 の土 坑 S K 330や 近 世 の上 坑 S K 331・ 332あ る い は 土 坑群S X 338な どを検 出 したに とどま った。東面・ 西面 の回廊 の想 定 位 置 を横 断 す るが、 回 廊 は近 世 以 降 の削平 によ って失 われ、検 出で きなか った。

Ⅲ区

塔 跡 の東 方 に設 定 した東西 に長 い調査 区で あ る。調査 区西端 に池 状 遺 構 S X 335が あ る。 東 肩 の一 部 を確認 しただ けで、全体 の形 や大 きさは明 らかでな い。底面 は、西 に向か って緩 く下 が り、最 も低 い部分 で深 さ約

lmあ

る。底面 には拳大 か ら人 頭大 の礫 が敷 かれ、 その上 に多量 の瓦片 や黒色土器 を含 む堆積層 が あ る。 黒色土器 の年代 か らみて、平安時代初 め

(9世

)に

埋 没 した よ うだ。 この他、近世以 降 の土坑 や溝 を検 出 した。

Ⅳ 区

東面 回廊北 端推 定 地 か ら講堂推定地 の北側 にか けて の調査 区で あ る。東面 回廊 と北面東 回廊 推 定地 は近 世 以 降 の土坑 や削平 のため、 その痕跡 は見 いだせ なか ったが、講堂推定地 に隣接 し て講堂所 用礎石 をみつ けた。

礎 石 落 と し込 み穴S X 341は、講 堂 推 定地 の北東 隅 に位 置 す る。東 西1.7m・ 南 北1.6m以上 あ る南北 に長 い楕 円形 の穴 で、検 出面 か らの深 さは約

lmで

あ る。花 南岩製 の礎 石

2個

が落 と し 込 まれ て いた。 南側 の礎石 (礎

A)は

、柱座 を上 に向 け、東 に傾斜 して 出土 した。北側 で 出 上 した礎石 (礎

B)は

、 柱座 を下 に して埋 ま って い た。礎石

Bは

、 そ の大 半 が調査 区外 にあ

るた め、 引 き上 げ られ なか った。礎石

Aよ

り小型 で あ る。

この他、調査 区 の各 所 で中世以 降 の溝 や土坑 を検 出 した。講堂 に直接 関わ る遺構 はみつか ら ず、調査 区内で は後世 に撹乱 破壊 され たので あ ろ う。 また、調 査 区 の西端 で は、古墳 時代 の包 含層・ 暗黄褐灰色土 を切 り込 む土坑 を検 出 した。埋 め土 に は瓦 を含 まな い。飛鳥 I〜 Ⅱの土 師 器 と須 恵 器 が 出土 した。土坑 と暗黄褐灰色土 の上 に は暗褐色土混 じり黄色砂質土 が の る。 この 層 は、 講 堂 の基壇 や整地 に関 わ ると思 われ たが、 限 られ た調 査 区で は確定 で きなか った。北面 西 回廊 の痕 跡 も確認 で きなか った。

V区

南面 回廊・ 中門推 定地 の南側 の調査 区で あ る。遺構 は主 に寺造営 の際 の整地上 で あ る黄褐色 土 混 じり茶 褐色土 な い し茶褐色粘上 の上面 で検 出 した。調査 区 の東側約

45m分

で は、地 山 ま た は弥生 時代包含層 の上 に整地土 が の るの に対 し、 それか ら西方 で は、地 山 と整地 土 との間 に飛 鳥 Iの上 器 を含 む包含層 が あ る。遺構 は、主 に整地上上面 で検 出 した。

調 査 区 の東 部 で ほぼ方位 にの る東西溝 を、西端 でや は り方位 にの った南 か ら北 に向か って落 ち る段 差 を検 出 した。 また、 中門推定値 の ほぼ正面 で、径 1.5mほ どの大型 の柱穴 を検 出 した。

深 さ0.6m以上 、 憧竿 な どの柱穴 で あ ろ うか。

土 坑S K 360は 、 東 西 2.3m・ 南北0.6m以上・ 深 さ0.3mの 土坑。埋 め土 は上下

2層

あ り、 下 層 の暗褐色砂質土層 に は、多量 の炭 とと もに焼土・ 銅滓・ 鋳型 片 な どが含 まれ る。土坑 の底面 に は、 火熱 を受 けて紫色 に変色 した粘上 が残 って いた。上層 の黄 白茶色粘土 は、埋 め立 て の上 で あ ろ う。

(10)

F■

I

11972年調 査 区

解 地

Y=‑16,180

礎石 落 とし L′夕 G"(341

(Ⅳ,■80)

金堂jFHり込 み地業 範 囲

西面 回廊

SK330 S里

Y=‑16,190

― ― ―̲̲̲̲̲̲       │

X        ―

P    IP

̲       =三 :

96.Om

瀞 菊 言 軒 雪〔こ 奪 Ⅲ滋ギ 』廟 土坑 SK360(V区,■80)

 

瓦 は、 丸 瓦 が 1332点 (173kg)、

平 瓦 が4479点

(467kg)出

土 。

V

区 か ら、 完 形 に近 い竹 状 模 骨 丸 瓦 が 出上 した (Fig。 56)。 全 長39.lom・

広 端 復 原 径17cm・ 狭 端 径11.5cm。

凹 面 に

2条

の紐 の圧 痕 が あ る。 軒 瓦 は、 軒 丸 瓦

9点

と軒 平 瓦

6点

が あ る。 内 訳 は 、 軒 丸 瓦 は Ⅱ

4点

(Cl点

Dl点 )・

Cl点

Al点

X2点 (Cl点

)、 軒 平 瓦 はI・

IB・

Bが

1点

で あ

Fig 55 奥山久米寺1995‑1次調査遺構図 (11400)

東画 回廊

‑85‑

Fig 56 竹状模骨丸瓦

(1:6)

(11)

(型式 番 号 は『 概 報18・ 20』 参 照)。

土 器 は、 弥 生 土 器・ 土 師器・ 須 恵 器・ 黒 色 土 器・ 瓦 質 土 器・ 瓦 器 。染 付 な どが 出土 した。

土 製 品 に は、 鋳 型 とlH塙 が あ る。

V区

の上 坑 S K 360出 土 。 鋳 型 は大 小 の破 片 が 178点 、 対 捐 は破 片

8点

が あ る。 銅 塊 や銅 滓 を と もな って い るの で、 銅 製 品 の鋳 造 に関 連 す る の で あ ろ う。

花 南 岩 製 礎 石 が Ⅳ 区 S X 341か ら

2点

出上 し、 うち

1点

(礎

A)を

取 り上 げ た。 礎 石

Aは

、 直 径1.2m、 厚 さ0.5m、 中心 か らや や ず れ た と こ ろ に下 径96cm e上径78cm・ 高 さ12 cmの 円 形 柱 座 を つ くる。 柱 座 の 中央 に は径20cm・ 深 さ7 cmの円孔 が あ る。 柱 座 の上 面 の 直 径60cmほ ど の 範 囲 は敲 打 痕 が残 るが 、 そ の外 側 と円柱 座 の側 面 は丁 寧 に磨 きが施 され る。 敲 打 痕 の残 る部 分 が 柱 径 に対 応 す る の で あ ろ う。 中央 の 円孔 の底 面 は粗 い敲 打 痕 が そ の ま ま残 る。 礎 石

Bは

、 復 原 す る と柱 座 の下 径80cm・ 上 径66cm・ 高 さ8 cmと な り、 や や小 型 で あ る。 や は り柱 座 の 中 央 に は 円孔 が あ る。 円孔 の 直 径18cm・ 深 さ1lcmで 、 礎 石

Aと

大 きな違 い は な い。 円柱 座 の大 き さ を 積 極 的 に評 価 す れ ば、 礎 石

Aは

身 舎 用 、 礎 石

Bは

庇 用 とみ る こ と もで き よ う。 な お 、 円柱 座 の上 面 に 円孔 を穿 つ 礎 石 の類 例 は、 川 原 寺 推 定 西 金 堂 礎 石 や法 隆寺 食 堂 礎 石 が あ る。

ま と め

今 回 の調 査 の最 大 の成 果 は、 金 堂 の掘 り込 み地 業 を確 認 しそ の規 模 を確定 で きた ことで あ る。

1989年 の調 査 で金 堂 基 壇 の東 西 幅 は

23.4m(80尺 )が

ほ ば確 実 とな っ た 。 この 規 模 は、 川 原 寺 中 金 堂 の基 壇 推 定 東 西 幅

24mに

匹 敵 す る。 南 北 幅 につ い て は約

18m(60尺 )と

推 定 して いたが、

今 回 の調 査 に よ って 、 掘 り込 み地 業 の南 北 幅 が

191mと

判 明 した の で 、 基 壇 の 南 北 幅 も川 原 寺 中 金 堂 の

19.2m(64尺 )と

ほ とん ど同 じと推 定 して よ い だ ろ う。 これ に よ って 、 飛 鳥 時 代 寺 院 の金 堂 と して は、 第 一 級 の規 模 を もつ こ とが再 度 確 認 で きた。

さ らに、 講 堂 推 定 地 に隣接 して、 礎 石 を発 見 した。 これ まで、 講 堂 につ いて は地 割 り痕 跡 だ けが 手 が か りだ った が 、 この推 定 を は じめて裏 付 け る こ とが で きた。 周 辺 の民 家 の石 垣 に は今 回 出上 した もの と同 様 の礎 石 断片 が あ る こ と、 Ⅳ 区 か ら北 は地 形 が一 段 低 くな る こ とか ら も、

これ ま で の推 定 通 り第 Ⅳ調 査 区 の南 側 に講 堂 を想 定 し、 四天 王 寺 式 伽 藍 配 置 とみ る ことは、 さ らに妥 当性 を増 した で あ ろ う (Fig.54)。

        5Dcm Fig.57 礎石

A(実

測図縮尺1:25)

(12)

坂田寺の調査 (1995‑1次 調査

)

(1995年11月12月)

本 調 査 は、 明 日香 村 祝 戸 地 区 の下 水 道 敷 設 に と もな う事 前 調 査 と して実 施 した 。 調 査 地 は、

建 設 省 国 営 公 園 の建 設 に と もな う第

1次

・ 第

2次

調 査 区 (『概 報 3・ 5』

)の

中 間 で あ る。 現 在 の道 路 敷 中央 を、 1〜1.3m幅 で 長 さ約

45mに

わ た つて調 査 した。 調 査 面 積 は58∬ で あ る。

坂 田寺 は、『 扶 桑 略 記 』 に よ れ ば、 継 体 十 六 (522)年 に渡 来 した 司 馬 達 上 の高 市 郡 坂 田 原 の 草 堂 に 由来 す る とい い (欽明十 三 (552)年十 月 十 三 日条)、 ま た『 日本書紀』用 明天皇二 (587) 年 四 月 二 日条 に、 鞍 部 多 須 奈 が 丈 六 像 と寺 を発 願 した記 事 、 推 古 十 四

(606)年

五 月 五 日条 に

は、 鞍 作 鳥 が 金 剛 寺 (坂田尼 寺

)を

作 る記 事 が あ る。 出土 瓦 か ら も坂 田寺 が

7世

紀 の初 期 に は 造 営 さ れ た こ と は推 測 で き るが 、 創 建 の伽 藍 は未 発 見 で あ る。 これ まで に判 明 して い る の は、

西 面 す る奈 良 時 代 の礎 石 建 ち仏 堂 と回 廊 (『概 報11・ 21・ 22』

)で

あ る。 国 廊 は南 面 回 廊 と東 面 回 廊 の一 部 が 発 掘 され 、 一 辺

58mほ

ど の正 方 形 に巡 る こ とが推 定 され て い る。 そ の場 合 、 第 2 次 調 査 南 区 (『概 報 5』

)で

検 出 した東 西 方 向 の石 垣 S X 1201ま北 面 回 廊 の 外 側 、 仏 堂 と回 廊 が

の る平 坦 面 北 側 の石 垣 と推 測 され、 また、 第

8次

調 査 (『概 報23』

)で

検 出 した南 北 方 向 の 石 垣 S X 223は 、 この平 坦 面 西 側 の石 垣 と考 え られ る。 今 回 の調 査 区 は、 これ らの調 査 区 に隣 接 し、

関 連 す る遺 構 の発 見 が予 想 され た。

 

検 出 した主 要 な遺 構 は、 石 垣 S X 120お よ び、 これ と平 行 す る東 西 方 向 の石 垣 S X 230・

SX

231、 石 列 S X 232で あ る。

,米

ヽ ラ

身‐ラ才千

ノ 小

// 

∫、闇κ〃

批ヽ輛

r‖酢君詳せ虫照、ヾく`

Fig.58 坂 田寺調査位 置図

―‑ 87 ‑一

(1:1500)

(13)

石 垣 S X 120は 、 第

2次

調 査 南 区 で 検 出 した もの の西 延 長 部 を 一 部 検 出 した 。 人 頭 大 か ら一 抱 え ほ ど あ る花 南岩 玉 石 を積 み上 げ る。

石 垣 S X 230は 、 長 さ

lm以

上 の花 蘭岩 巨石 を並 べ た石 垣 で あ る。

 5石

を 確 認 した が 、 どれ もほぼ 直 方 体 に近 い形 で あ る。 S X 230の 西 は調 査 区外 とな り、 ま た、 東 は後 世 の土 坑S K 236 に よ って 壊 され て い た。 東 に は同様 の 巨石 を並 べ る石 垣S X 231が あ る が 、 S X 2311ま S X 230 の東 延 長 線 よ りは北 に張 り出す こ と と、 西 端 の石 が南 北 方 向 に使 わ れ て い る こ とか らす る と、

S X 230は S X 231の 西 まで 直線 的 に延 びて きて、 そ こか ら鍵 形 につ なが る もの と推 測 す る。 S X231も東 を上 坑 S K 238に 壊 され る。

石 列 S X2321よ 、 S X 120の 北1.5mほ ど の と ころ に あ る。 径 50cmほ どの花 南岩 自然 石 を並 べ 、 南 側 に面 を揃 え るの で 、 S X 120北 側 の石 組 み溝 側 石 の可 能 性 が あ る。

調 査 区北 部 で は、 花 南岩 風 化 土 の整 地 土 層 を確 認 した が 、 そ の上 面 で は顕 者 な遺 構 を検 出 し な か った。 また、 第

1次

調 査 東 区 で検 出 した掘 立 柱 東 西 塀S A 060(『概 報 3』

)の

西 延 長 部 を 確 認 しよ う と した が 、 この部 分 に は国 営 公 園建 設 時 に排 水 用 の ヒュ ー ム管 が 埋 設 され て い て 、 遺 構 は完 全 に破 壊 され て い た。

 

大 量 の瓦 の ほか、 土 器 (須恵 器・ 土 師 器)、 金 属 製 品 、 凝 灰 岩 切 石 断 片 な ど が 出土 した。

瓦 類 は、 丸・ 平 瓦 、 軒 瓦 、 埠 が 出土 。 軒 瓦 は軒 丸 瓦19点 と軒 平 瓦

7点

が 出 上 した (Tab.6)。

軒 丸 瓦 で は21型 式 が

9点 (A7点

B2点 )と

最 も多 い。 軒 平 瓦 152型 式

Aは

、 今 回 初 め て 出 上 した (Fig.59)。 瓦 当面 に正 格 子 叩 き 目 を押 した軒 平 瓦 で あ る。 桶 巻 き作 りで 、 顎 は段 顎 で あ る。 平 瓦 部 凸 面 と顎 面 を ヨ コナ デ調 整 す るが、 顎 面 に は縄 叩 き 目が残 って お り、 成 形 時 の叩 き板 と瓦 当 面 の 叩 き板 とが違 って い る。 丸 瓦 は1,298点 (216.8kg)。 平 瓦 は3,913点 (705。

4kg)出

土 した。 他 に、 鴎 尾 片

3点

とえ 斗 瓦

1点

が あ る。

そ の ほか 、 鉄 滓 (椀形 滓

)1点

と用 途 不 明 の銅 製 品

1点

が 出土 した。

ま と め

狭 い調 査 区 で は あ った が 、 奈 良 時 代 の坂 田寺 に関 わ る遺 構 を確 認 で きた。 坂 田寺 は傾 斜 地 に 立 地 す るた め、 伽 藍 地 の各 所 に堂 塔 を のせ るた め に は、 平 坦 面 を造 成 す る必要 が あ った。今 回、

奈 良 時 代 の 中枢 伽 藍 と思 わ れ る部 分 の北 側 を調 査 し、 そ の斜 面 部 に設 け られ た石 垣 S X 120、

S X 230と S X 231を 検 出 した。 これ らの石 垣 は奈 良 時代 の整 地 上 の土 留 め の役 割 を も って い た もの と推 測 され る。 S X 230と S X 231は と もに裏 込 め土 に瓦 を含 み 、 特 に S X 120と S X 230の 間 に は瓦 が面 を な して堆 積 して い た。 この状 況 は第

2次

調 査 南 区 で も、 奈 良 時 代 の整 地 上 の下 で確 認 され て お り、 今 回 の調 査 地 の南 側 に

7世

紀 代 の瓦 葺 き建 物 が 存 在 した こ と を 示 唆 す る。

奈 良 時 代 以 前 の坂 田寺 伽 藍 の解 明 は、 今 後 の大 きな調 査 課 題 で あ る。

Tab.6 

出土軒瓦点数表

軒丸瓦 点 数 軒平瓦 点数

lD6B 7A8A 21AllA 21B31A

04A22A 23A24A 52A

7

 

Fig.59 軒平瓦152型

A(1:4)

(14)

坂 田寺1995‑1次 調査 区

Fig.60 坂田寺1995‑1次調査遺構図 (1:200)

―‑ 89 ‑―

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