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佛教学研究 第62・63号 018吉田, 豊「トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語彙の形式の来源について」

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(1)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と

「菩薩」を意味するソグド語語葉

の形式の来源について

一 百 済 康 義 先 生 の ソ グ ド 語 仏 典 研 究 を 偲 ん 手

-田

はじめに

丘量 五五 百済康義先生が,敦爆や吐魯番で出土する仏典, とりわけウイグル語で書 かれた仏教文献の研究で卓越した貢献をしてこられたのは周知の事実である。 しかしそれだけでなく, トカラ語の仏典について発表された初期の論文があ ることと,先生の親友でもあられた

w

.

Sundermann

教授との共同研究とい う形で,仏教ソグド語文献について重要な論文を発表しておられることも忘 れてはならない。現在までに,ベルリンのトルファン学研究所が保管するト ルファン出土のソグド語仏典の写本の中に,実に 7点のソグド語仏典を比定 された。その中には,「摩詞般若経j], Ii薬師経j], i1.1呈繋経j], Ii思益党天所関 経j] (2写本)のような代表的な大乗仏典だけでなく,『時非時経』や,『大 正大蔵経』では律部に収められる『仏説犯戒罪報軽重経』のような珍しい経 典の翻訳も合まれていて,ソグド語仏典あるいはソグド人の仏教信仰の多彩 さを認識するのに大きな貢献となっている。比定された仏典はどれも小さな 断片で,それの

Sundermann

教授による暫定的な英訳に基づいた研究であ った。『大正大蔵経』の電子テキストによる検索ができなかった時代に行わ れた比定であり,漢文仏典に精通された仏教学者としての百済先生の学識と 勘の鋭さにあらためて感服する。 -

(2)

46-トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語集の形式の来源について 百済先生は酒の席などの筆者との私的な会話の中で,中央アジア仏教の問 題について議論することを好まれた。とても楽しくて時を忘れて話し込んだ ことは今となっては懐かしいd思い出である。中央アジアの仏教に関する先生 の視野の広さと全体像を把握する能力,そしてご自分の発見をわかりやすく 提示する力量の一端は,一般向けの解説書に提出された「中央アジアにおけ る仏典の伝訳経路」と題された模式図によく現れていると思う。会話の中で 好まれたテーマの一つは,「菩薩」という漢字の音訳語の本来の形式の問題 であった。「菩薩」の発音は,党語の

b

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a

t

t

v

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と比較すると相当に異な っていて,究極の来源は何語のどんな形式かといフ問題が未解決で、あるとい うことと,それを解く鍵らしきものをイラン語仏典に求められないかという 趣旨であったと思つ。先生には独自のお考えがあられた様子で,それを発表 されなかったことは返す返すも残念で、ある。 「菩薩」を意味する語は大乗仏典の基礎語葉であり,ソグド語仏典にも頻 出する。微妙に異なるいくつかの形式が知られていて,現在,世界のソグド 語研究をリードする二人の研究者である

Sundermann (

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N.S

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2

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4

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が,その来源について論文を発表している。筆者は未発 表ながら,ソグド語仏典に導入されたインド語来源の語葉のリストを作成し たことがあり,「菩薩」を意味するソグド語の由来については,二人の研究 者とは異なる見解を持っていた。しかし一方で、,ソグド語仏典には種々の微 妙に異なる形式が見つかることから,未発表のソグド語仏典のなかに,従来 知られていない形式が新たに見つかる可能性は否定できない。新たらしく見 つかる形式次第では,来源についての仮説は大きな修正を要することになる かもしれないという配慮から,筆者自身の見解を発表することはためらわれ た。 ところが最近になって事情に変化があった。未発表のソグド語仏典の資料 を多く保管しているベルリンのトルファン学研究所

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は,保管する 全ソグド語資料の写真をインターネット上で公開した:

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:

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b

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(3)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語葉の形式の来源について

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このうちソグド 文字表記のマニ教関係、の資料については

C

h

.Reck

による行き届いたカタロ グが完成している, cf.

Reck (

2

0

0

6

)

。仏教文献のカタログはまだないが, 最近筆者は全写真を調査して仏典を選ぴ出し,すべての資料について初歩的 な転写を終えることが出来た。これによって,公的な機関が所蔵しその存在 が知られているソグド語仏典の全体像を把握することが可能になった。そし て懸案であった「菩薩」を意味するソグド語の形式に関しても,全資料につ いて調査することができるようになった。そこでこの論文では,ソグド語の 「菩薩」の形式のリストを提出するとともに,その由来について考えてみた い。そのことはまた仏教に関する基礎語葉の来源を探るという意味で,ソグ ド仏教の由来についても一定の示唆を与えてくれるだろう。それとは別に, ベルリンの資料が公開されたことによって明らかになったソグド語仏典に関 する新事実についても解説する。そのなかには百済先生がやり残された仕事 の一部も含まれている。この論文を百済先生がよろこんでくだされば幸いで、 ある。

1

ベルリンの資料の調査から

(

1

):

r

摩詞般若経」の断片

上でも述べたように,ベルリンのソグド語資料がインターネット上で公開 されたことにより,従来見ることができなかったソグド語仏典を読むことが できるようになった。そのなかには,かつて百済先生が

Sundermann

教 授 と共同で研究したソグド語訳『摩詞般若経』と同じ写本に属する小さな断片 がある。ここではその資料を紹介しよう。

Kudara and Sundermann (

1

9

8

8

)

は,ベルリンにある比較的に大きな巻 子本の断片

2

(

S

o2

0

1

6

4

So 2

0

2

4

8

)

が,サンクトペテルブルグのロシア 東方学研究所所蔵の仏教ソグド語断片

Lll

と同一写本の離れであり,

So

2

0

2

4

8

L11

と接合することを発見した上で,それらが『摩詞般若波羅蜜経

(T. T.

n

o

.

2

2

3

)

.Jlからのソグド語訳であることを明らかにした。今回の筆

(4)

48-トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語葉の形式の来源について

者の調査で,更にもう 1点同じ写本に属する極小断片 (So20219) があるこ と, しかもそれがSo20164とSo20248に接合し両者の間を埋める断片であ ることが分かった。実際, Kudara and Sundermann (1988) は, So 20219 の存在に気づいてはいなかったが, So 20248

+

L11とSo20164の聞に 3行 分の欠損があることを前提にして,

2

つのグループに連続する行番号を与え ていた。彼らのテキストに従えば, 12-14行は完全に破損しテキストが回収 できていない。ソグド文字を横書きと見た場合, So 20219は写本の左端を 構成するごく小さな断片だが,問題の12-14行とそれにつづく 15,16行の末 尾の部分が見えている。 ここでは便宜のために11-17行のテキストを提出する。 Kudara and Sun -dermann (1988) で既に校訂された部分には下線を施しておいた。 くテキスト> 11[ 12[ywn'k 'nβ,'ntypyo'r

1

3

[

14[ZK]p(r)[γ吐1nyst KZN] (H) w'

s

cnn ](h)ZK ] (s't) pokyh ]ZY ZKβz'y 15 (')krtw wnt (y 'PZ) [y vi] (p) [γ] (m) [y] (r 'PZY c) [tβ'I w]kryγrβy 立l'n

16ZKwctβ'r wkry 'pwγwnc s'm'r 'PZY ZKw (c)[tβ'r wkry smγvck'

盟主

]wyt'wr

17kw 10・もtwkry L' 'nw'st'kw arm prm pr'('w) ['PZY ]

く 訳 >

r[仏陀は次のように]言った:[この因縁の]故に………すべての法に相が無 い………[利益]と増大を為すことができる。[そして六波羅蜜と四種]類の多 くの心,四種類の無色三昧, [四種類の念じる場所]ないしは十八種類の集ま っていない法に至るまで。………」

(5)

トルファン学研究所所蔵のソグγ語仏典と「菩薩」を意味するソグド語詩集の形式の来源について く漢文原典> 「………以是因縁故嘗知一切法皆是無相。須菩提。菩薩摩詞薩墜是一切法無 相得増益善法。所謂六波羅蜜四禅四無量心四無色定四念慮。乃至十八不共法。 何以故....・H ・.J (Ii大正大蔵経.n

8

巻399頁 a

14-17行) く訳注>

1

1

行目

:w'βi(

彼は)言った」の主語は仏陀であろう。原典には対応す る語句はないが,ソグド語訳者が文脈から補ったものであろう。あるいは漢 文には現在は知られていないヴアリアントがあったのだろうか。同様に10行 目の末尾の

k

](

t

)

'

r

w

L'i或いはそうではない?J に対応する語句は漢文に はないが,先行する部分に頻出する「異不」によって補われたソグド語訳で あろう。 13行目:

(

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'

t

)

の読みは不確定だが,残画と矛盾しない。 14行目:く

s

'

tpokyh> /

[

Z

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r

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[

γ

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]

o

13行目の末尾の語が読め たことによって, 14行目の冒頭には「無相」に対応するソグド語訳が期待さ れることになる。従って

K

u

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a a

n

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S

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の当初の復元

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i菩薩摩詞薩」は無理である。 14-15行目:

[ZK w

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ZY ZKβz'y/

(,)

k

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-

y

の後ろ には, -zと読めそうなー画がある。対応する漢文原典の語句「得増益」と ソグド語の動詞

'

β

z

'

y

*

a

b

i

J

a

w

y

a

-

i増える」を対照して,

β

z

'

y

を当該の 動詞の現在語幹から派生した,現在語幹と同形の動名詞(あるいは現在不定 詞)と考え,行末の -zのように見える文字は埋め草と見なした。 17行目:

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r

'

(

'

w

)

.

K

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a

n

n

は当時の筆者からの提案とし て

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r

'

(

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)

i ~といっしょに」と読むが何かの誤解である。原文にある「何 以故」に対応するソグド語はしばしば

p

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w(KZNH) '

P

Z

Y

i何故なら」で あり,ここでもそれが期待される。語中のアリフを重ねる表記の

p

r

"

w

は少 し奇妙だが,この写本には

3

2

行目にも

wy"k

が在証される。 -

(6)

50-トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語棄の形式の来源について

2

ベルリン所蔵のソグド語仏典の調査から

(

2

)

2 - 1 戒律 上述の「はじめに」で,百済先生がソグド語訳された『仏説犯戒罪報軽重 経 (T.T. no. 1467)Jlを同定されたことを紹介した, cf.Kudara and Sun -dermann (1987)。これは『大正大蔵経』では律部に収められた短い経典で ある。この経典が書写された写本 (So18400)の中では,経集部に収められ た経典である「時非時経 (T.T. no. 794)Jlと速写されている。また,同じ写 本に属する別の貝葉は「クチャ語から翻訳した」という内容の奥書を残す断 片(So10100i)で,残された奥書に拠ればきmγkhpokth [pwst] (k') r思 惟

の法の経典」といっ仏典であった, cf. Henning (1940: 59・62);Kudara and

Sundermann (1987: 347・348)。 こ の よ う に , 当 該 の 写 本 は , 律 に 限 ら ず 種々の仏典を連写してひとまとまりにしたものであり,出家者のための律典 として使われていたとは考えにくいた、ろう。筆者は別に『党網経 (T.T. no. 1484)Jlのソグド語訳 (So18273+So 10305+So 10660) と,同じく『党網 経』からの引用を含むソグド語仏典 (Ch/So14815

=

TIIT15) をベルリンの 資料の中に発見した。前者は長行貝葉,後者は巻子本の断片である。しかし, 律部に入っているとはいえ,『党網経』は菩薩戒を説く仏典として,僧団を 維持するためのいわゆる戒律と同一視することはできない。ところで筆者は かつて, トルファンのベゼクリクで1980年に発見されたソグド語資料を発表 した際,そこに『四分律比丘戒本 (T.T. no. 1429)Jlのソグド語訳の断片 (80TBI558 + 80TBI552, 80TBI580)を発見した, cf.吉田 (2000),pp. 287・ 289。これこそは小乗の戒律に属するものであり,出家者のための仏典であ ったと言えるだろう。ただそのときは,小さな断片が見つかったに過ぎず, ソグド語仏典全体のなかで,その発見がどのよっな意味をもつのかについて 考えることはしなかった。しかるに,最近になってベルリンの資料のなかに さらにいくつか小乗の律典を発見した。

(7)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語葉の形式の来源について 筆者とソグド語訳の『僧伽托経』について共同論文を書いたことのある1. Yakubovitch博士は,共同研究の過程で行われた情報交換のなかで,ベル リンの短行貝葉の断片 So10921にcwry予nt'kkという語が見え,それが党 語の Cucla-panthakar朱利繋陀迦J に由来する形式であることから,根本 説一切有部の律と関連する仏典であることを指摘された。その指摘に導かれ てSo10921と閉じ写本に属する断片 (So19530) を調査したところ,ガラ ス板に挟まれて保管されている当該の断片は,実は形がほぼ同じ

2

つの断片 が重なった状態になっていることがわかった。トルファン学研究所のスタッ フにそのことを指摘すると,すぐにガラス板を開けて 2つの断片を分けてく ださった。そこで新たに見ることが出来るようになった 2つの面の一方(現 在では両者を区別するために So19530aと呼ばれている)には,本文の文字 よりずっと大きな文字で,後続するセクションのタイトルが書かれていた。 そしてそのタイトルは Yakubovi tch博士の推定を確認する内容であった。 今便宜のためにタイトルを含むほうの面全体のテキストと翻訳を提出する。 内容を比定することができたので, So19530aの表と裏が確定し,当該の面 は表であることが判明する: くテキスト> recto 1 [ J(.)y[ 2 [

J

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nc (t) [ 3 [ ]w sw't ZY nw'yo't s[ 4 (y)w'nkryβwt 00 nymy y (.) [ zJ 'yh ryty ny写YγwtL'[

5 ny~'t twskr {γw'n}βwt oo[ J'ay mz'yx "p 'ys(')[t

6 r'oβy o't 'nyw 'nt (n) [ J (.)β't styw L' nw'y o't [

7

L'βwt#

8 xwyr-tx'y~ prm (s) [mn'nc? 9 orm prβ'yry sk [s'pt

(8)

52-トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語棄の形式の来源について 10 22・myk'者BLANK 11 BLANK 12 wyo'γtyβc'npo xwy(st)[r 13 [

J

(

.

.

rytr r.)[ 下線部は太字で大きな文字で書いてある;非は小さな菱形を 4つ組み合わせた句読 点。 く 訳 > 1(3)………に行き,招待するなら……… (4)罪がある。半分………の面前に 出ることが必要で、ある。………ない...・H ・..(5)出るなら,突吉羅の罪がある。 ………大きな水が至り……… (6)道がふさがれ,他に………があるなら,招 待していないとはいえ………

(

7

)

[罪が]ない。

(

8

)

日没まで比丘尼………

(

9

)

法を説く戒律………(10)22番目 (11)(空白) (12)そのとき世尊は………」 実際,例えば根本説一切有部所伝の広律である『根本説一切有部昆奈耶』 巻33(IT'大正大蔵経.llno. 1442, 23巻, p.803c)によれば,波逸底迦の第二 十二は「教授落第尼至日暮学処」であり, 8-10行目の内容と一致する。つま り転写したテキストは21番目の終わりと22番目の初めに対応する部分だと考 えられる。 写本は断片である上に破損があり,連続するテキストを回収できないので, 読解は必ずしも簡単ではないが,残された語句は明らかにタイトルが指示す る律の内容と一致する。ただし漢訳された広律やパーリ語の律の対応する部 分と比較しても,ぴったり対応するテキストは見あたらなかった。ソグド語 訳の原典が何であったかを解明することは今後の課題である。筆者はこれと は別の小さな断片 (So10200 (8), So 10302, So 10201(8))が,残された語 句のき'wpsmw I黒羊毛J,nysrky p'ytykI尼薩者波逸提」などから判断し て,小乗の律の断片であることを発見した。 以上のことから,ソグド語訳された小乗の律典があったことが確認された。 これまではソグド語仏典は大半が,大乗の仏典, しかも漢訳された仏典から の重訳に過ぎず,大方は中国に在住したソグド人が当時中国人社会で流通し

(9)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語棄の形式の来源について ていた経典のソグド語訳を作っていたという程度にしか,ソグド人の仏教は 考えてこられなかった。しかし戒律を翻訳して利用するソグド人の出家者の 存在が想定されるという状況から,ソグド人仏教徒の信仰形態や信者の数な どの実態を洗い直す必要がでてきた。 その意味で,不空による『代宗朝贈司空大弁正広智三蔵和上表制集』の一 部

(

W

大正大蔵経dJ52巻, no.2120, pp.835・837)は,中国在住のソグド人 の仏教を考える上で今まで十分な注意が払われてこなかったが,ソグド人が 正式に得度していたことを示すものとして,また安史の乱以降のソグド人の 動向を示す資料としても改めて注目しなければならない。 大暦二年 (767)六月二十八日:五人 行者畢数延年五十五(無州貫);行者康守忠年四十三(無州貫); 行者畢越延年四十三(無州貫);童子石恵年十三(無州貫) 童子羅詮年十五(無州貫) 大暦三年 (768)八月十五日:三人 羅文成年三十(貫土火羅国);羅伏磨年四十五(貫涼州天宝県高亭郷) ; 童子曹摩詞年(貫京兆万年県安寧郷永安里) 畢(パイカンド)姓も含めてソグド人の姓を名乗る者以外に, トカラ出身の 羅姓の者も

3

人認められる。多くは無州貫とあり,いわゆる興胡だったと考 えられる。畢数延 (?-y'n)や畢越延 (w'ty'n[wat-yanJ i風神の,恩恵J)はま だソグド名を名乗っているが,それも彼らが在中国一世か二世である可能性 を示唆するだろ

)

r

。なお,『宋高僧伝』に収録されたソグド人僧侶としては, 次節で紹介する神会も参照されたい。 2 - 2 偽経と禅宗文献 ソグド語訳された仏典のうち,直接の原典が判明するものはすべて漢訳仏 典からの翻訳であることはよく知られている。従って,ソグド人の故地に仏

-

(10)

54-トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語集の形式の来源について 教遺跡が見つからないこととあわせて,ソグド人の仏教が中国仏教に大きく 依存していたことは学界の常識に近かった。そして中国で作られたいわゆる 偽経のソグド語訳の存在もその考えを補強するものと理解されてきた。筆者 自身は偽経の翻訳として,『法王経』と『究寛大悲経』のソグド語版を発見 した, cf.吉田 (1991:111-112)。さらに従来は Dhuta-sutraと呼ばれていた 敦燈出土のソグド仏典については,失われたと考えられていた漢文原典で偽 経の『心王経』が敦燈資料の中に再発見された, Y oshida (1996)。これら の新たにそのソグド語訳が特定された偽経は,禅宗との関連が従来から指摘 されていた。伊吹敦の最近の研究に拠れば,『心王経』などは禅宗教団の中 で作られたのではなく,別に作られていたこの偽経を禅宗教団が利用したと いうことらしいが,ソグド語訳が成立したと考えられる 8世紀以降という時 代を考慮すれば,やはり禅宗との関わりは否定できないだ、ろう。 未発表のベルリンの資料はこの方面でも新しい情報を付け加えてくれる。 かつて Sundermann(1977)は,ベルリンの資料の中に『金剛般若経』の 注釈書のソグド語訳があることを指摘していた。注釈書には 2種類あって, 長行貝葉本と短行貝葉本がある。前者には16断片,後者には13断片あり相当 量のテキストを回収できるが,『金剛般若経」からの引用部分は特定できる ものの,テキスト全体の原典は同定できていない。しかしながらソグド語訳 された本文には,下に引用するような相互に矛盾する表現が見られ禅宗との 関連を強く示唆する: (a)長行貝葉:So14734+S014734 V3 verso, 2・3

…wytwr ~ ('tmwr)ow o'wn nyrβ'n 'yw prynh[

「………生死(=輪廻)に至るまで浬繋と一つの相だと[見なす

J

J

(b)短行貝葉:So 13610 verso 6-8

6 w'nw wxsty 'nw'~ zmnw 'nw'~ 次のように言われる:集まるとき集まる

7 prγ出 L'βwtsys'y zmnw 相はない。散らばるとき

(11)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語集の形式の来源について 偽経という点では,ノマリにある短行貝葉本Pelliotsogdien 2についても, ベルリンの資料が新しい情報を付け加える。 Pelliotsogdien 2は,敦燈出 土の文献であるが,残されたソグド語仏典の中では VessantaraJatakaに ついで長く, 20葉,全体で1237行のテキストが回収できる。奥書もあり長安 で翻訳されたことが分かる。ただ翻訳の時代ははっきりしない。内容は,肉 食を戒めることに終始しており,『拐伽阿政多羅宝経 (T.T. no. 670)u.FI央 掘魔羅経 (T.T. no. 120).uからの引用が含まれている。筆者はそれらに加 えて偽経の「大方広華厳十悪経 (T.T. no. 2875).uからの引用が在ることを 発見した, cf.吉田 (1992)。従って全体は,いろいろな経典からの引用で 構成したパッチワークのような仏典であったことになる。そして全体は当然 偽経である。 筆者はかつて,ベルリンのソグド語仏典のなかに, Pelliot sogdien 2と 並行するテキストを示す断片があることを指摘したことがある, Yoshida (1986: 520, n. 1)。 そ の 後 そ の 断 片 ( 現 在 の 編 号So12650 -T II 821a

=

MIK III 192)の写真も発表された, cf. Franz (1987: 101)。インターネッ ト上で公開されている資料を調査することによって,その同じ写本に属する 断片がさらに 2点在ることが分かった。そしてそれらに含まれるテキストも また Pelliotsogdien 2に対応する部分がある。二つのテキストが並行する 状況は次のようである。(区別が容易になるように, Pelliot sogdien 2はイ タリック体で提示する):

S

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1

2

8

5

2

(

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)

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2

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0

(

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[=TIIB66J =P2

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.

'n)twxs py a'r mδ'y pr (w)[rz ZKw

'pw p誌悦γ'冶t'切χsγnO'_ヲ争γw叩γ

z

:

ZKw 2 CWRH wyn'ncyk wn'nt pr mz'yx nβ'yr'kh c'wn

[

βzy'

CWRH 叩抑'悦c~ヲ叩γzty 'skj加γL 抑制~z '.持切 γzs'yr'kh 3 pr prγnpyh mysnw w'ta'r 'γwnty wx'rs'nt '(s) [kwn

争γ叩 z'η m'汎 C汎γz'ßz~ヲ'

7:5'γzt'Ski切 れ

(12)

-トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語集の形式の来源について 4 c'wnγrβznk'n m'n pyo'r w'β'nt 'skwn 'mw (k) [rz 争γ

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(13)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語誇棄の形式の来源について

7

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(14)

58-トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語葉の形式の来源について このように対応する部分が増えてみて判明することは,敦煙のテキストとト ルファンのテキストは,全体として内容は一致するものの,一方が他方の書 写であるとか,二つが何らかのオリジナルの写本からの書写であるとは見な せず,互いに独立した翻訳と見られることである。この場合と同様に,敦燈 とトルファンで同じ経典の翻訳が存在し,重なり合う部分がある事例は筆者 が把握する限り,『維摩経』の翻訳にかかわる

1

例しかないが,それを発見 した Sundermannも両者は独立した翻訳であろっと結論している, cf.Sun -dermann (1977: 634)。この 2例から早急な結論を導くことは控えなければ ならないものの,敦燈とトルファンで相互に交流がないように見える点で, ソグド人仏教教団の活動のあり方に対して示唆を与える事実である。 2 - 3 トカラ語仏典との関係 2003年に亡くなられたJ.Hamilton教授の80歳の記念論文集では, トカラ 語,ウイグル語,ソグド語の AranemiJatakaについての研究が発表され ている。ソグド語版はかつて1992年にベルリンの Museum fur lndische Kunstが保管する写本を調査した際に,筆者が発見していたものである, cf.吉田 (1993:135-136)。写本は長行貝葉の形態で,一葉ごとに片面にはテ キストもう一方の面には極彩色の絵が描かれている。ソグド語版のテキスト を研究したのは Sundermann(2001)で,絵画のほうは Ebert (2001)が研 究した。このジャータカはトゥムシュク語にも翻訳されており,西域北道で 流行していたことは明らかである, cf.吉田 (1993:15)。漢訳は知られてい ない。西域北道における仏教文化の影響関係を考えれば,想定される原典は トカラ語版,あるいはトカラ語版の原典となっていたサンスクリット版であ る。ソグド語版はトカラ語(ないしはトカラ語仏教文化圏で流通していたサ ンスクリット版)からの翻訳といつことになる。ちなみにトカラ語から翻訳 されたという内容の奥書を持つソグド語仏典は,従来から 1点 (So10100i二 Tiα)知られていて有名である。この断片は百済先生と Sundermann教 授 の研究によって,上記の『時非時経』と『仏説犯戒罪報軽重経』の連写本と

(15)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語集の形式の来源について 同じ写本の離れであることが確認されている。 ところで、

AranemiJ

a

t

a

k

a

のような説話のソグド語訳でトルファン出土の ものとしては,

Kancanasara

王の物語を内容とする短行員葉が有名である。 欄外のタイトルから

Dasakarmapathavadanamala

の一部(第

5

章)であ ることが判明している。ウイグル語訳のこの経は有名で、,そこに残された奥 書から,サンスクリット>トカラ語

B>

トカラ語

A>

ウイグル語の順に翻訳 されたことが知られている, cf.

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。従ってソグド語版 もトカラ語ないしはサンスクリットからの翻訳とみなすのが妥当で、ある。い ずれにしてもクチャやカラシヤールでポピュラーであった仏典の翻訳である。 そしてソグド語のテキストと内容的に重なる部分がウイグル語訳に見つかる ので両者を比較してみると,一方が他方の翻訳であるということは考えにく い,

Yoshida (

2

0

0

2

:

1

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)

。 同じような説話のソグド語訳には

Mahakapphi

1).

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に関する物語の断片

(

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と紹介していた断片であるが,経の名前は誤解 であろう, cf.

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1

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:

8

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)

。当該の経典 (11大悲経 (T.T.

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.

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)

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J

)

には比較できる箇所がなかった。テキストには

mx'kp'ynMLK'

とあり,

Mahakapphi

l).

a

(摩詞劫賓那)王に違いない。別に

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i

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(波斯匿)王」も現れる。残念ながら断片である上に保存状態が悪く,内 容については不明で、あるが,おそらく西域北道に流布していた説話であった と考えられ,ここでもトカラ仏教との関連が疑われる。 かつてソグド語の中のインド語の要素について Sims~

W

i

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l

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が論文を 書いたとき, トカラ語を経由した要素は認められないとした, cf.

S

i

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(

1

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:

1

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。この言明は

1

9

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3

年当時のものである。しかるに,そ の後の研究で例えば薬学文献である

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1

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に見られる

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B

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岩塩」からの借用語であることが筆者 によって指摘されている, cf.吉田

(

2

0

0

3

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3

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)

。究極的にはサンスクリッ

- 60-.

(16)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語葉の形式の来源について トの saindhavaに遡るが, pで終わる語末の形式はトカラ語経由であること を示している。またブラーフミ一文字表記のソグド語薬学文献には, トカラ 語を経由したと考えられるインド語の要素が見られることも指摘されている, cf.Sims-Williams and Maue (1991: 494-495)。 今回ベルリンの未発表仏典を調査する過程で, トカラ語経由で借用された インド語の別の例と, トカラ語それ自体からの借用語が使われているソグド 語仏典を見つけた。この仏典は So10030(4)を初めとする短行貝葉本で,多 くの断片がみつかる。非常によく似た形態の別の写本もあった様子で,全体 でどれだけの断片があったかは,写本の現物を調査していない現段階では分 からない。ここでは,筆者が確実にこのグループに属すると見なした断片に について調査した。 まずトカラ語を経由した借用語が現れるのは So10030(4)で,その一方の 面は次のように読める: 1 [ ] (. m) ysn smnt(' c) ['nw] 2 pt'yγws'nt m'yoβr'γ'z(') [n] (t) 3 smγt ko' m'x ZKw L' 4 zp'rt 'krtyh 'sptk wn'ym 5 ptsro c'wn pyr p'zn tn'pt s' (r) 6 &β'r pcγγym 'ywznk' w'xs 7 zγ'm sk'wro xw (pts)[r](δ) 8 '(k)orY nm'n'k [ ] 「 ・H ・H ・..沙門たちは………を開いたとき,次のように考え始めた.rもし 我々が不浄の行為を完全に行ない,その後,信心をもっ檀越から布施を受け るなら,そのような言葉(/こと?)は全く困難で、ある。それから今,後悔 ... J 5行目の tn'ptはSkt.danapati-r檀越」に由来するが,形式はむしろト カラ語Bに見られる tanapateと一致する, cf.Adams (1999: 278)。この語 は同じグループに属する別の断片 So18099にも 7一度現れるが,そこでも

(17)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語葉の形式の来源について 「檀越」の意味で使われていると見なせる。そしてやはり同じグループに属 する断片 So15000(1)の片面は次のように読むことが出来る: 1 [ ] (…)[ ] 2 [ yw](')nβyrt00 ko' pys (t) [ ] 3 [ ] ny o't p'ytkγw'nβw(t)[ ] 4 [ 'my] n 'nxw'yn'k mrtxm'k (.) [ ] 5 [

]

ykh'sty00 'yw pwt'y(き)[t-] 6 [ ] き()'nt00 OJβ(ty)βγ'yst ZY m(r)[txmy] 7 [ ] (r) ym'ys'nt00 (c) [s] (t)y pkc'n L' (.) [ ] 8 [ ] C(tβ')rmyyw'nβyrt00 pncmy pw (t) [ ] 9 [ ](L)[']pcyst'wnty 00 wxsw[my] 10 [ ] (..)kh L'βyrt 00 '[stmy ] 11 [ ] (t) L'βwt 00 's( t) [my ] 12 [ L'βy]rt 00 n'w(my) [ ] 「 ・H ・H ・..罪を得る。しかしもし,………座るなら,波逸提の罪がある。 . (人を)傷つける人(には)………の損失がある。第 1に,諸仏が [その者を非]難する。第 2に天と人が(その者を)非難する。第 3に,安 居………ない。第 4に罪を得る。第 5に,仏...・H ・..受け取ることができない。 第6に・H ・H ・..を手に入れない。第[7に]………はない。第 8に………を子 に入れない。第 9に...・H ・-・」 問題の語は pkc'nで「夏安居」を意味するトカラ語 (Toch.A pakaccarp, Toch. B pakaccarp)に由来する, cf.吉 田 (1993a:113) ; Adams (1999: 352)。この同じ語はウイグル語にも p'kc'nという形式で借用されている。 この断片には p'ytki波逸提」という語も見えており,律に関する仏典であ ったことは確実で、あるが,原典を比定できない。ちなみに「波逸提」を意味 するソグド語には, p'ytk以外に,上で紹介した律関係文献に p'ytyk (So 10200 (8) ) , p'yty (So 10921) と い っ 語 形 が 見 え る 。 サ ン ス ク リ ッ ト の payattika,トカラ語Bのpaytiなどとの関連は明らかだが,ソグド語の諸形 -

(18)

62-トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語葉の形式の来源について 式の成立の背景は十分明らかではない。 2 - 4 ウイグル仏教との関係:奥書 さきに

Kancanasara

王物語の写本について述べたとき,ウイグル語訳と 比較すると,ソグド語訳は独立した翻訳とみなすのが妥当だとした。ウイグ ル語訳された仏典とソグド語仏典との関係, とりわけソグド語仏典が初期の ウイグル語仏典の成立に影響を与えているかどうかについては今なお議論が ある。初期のウイグル語仏典には,ソグド語仏典からの影響は基本的にはな くて,もっぱらトカラ語仏典からの影響を受けているとする説と,やはりソ グド語仏典からの影響が大きいとする 2つの説がある。前者はトカラ仮説, 後者はソグド仮説と呼ばれている, cf.

Y

o

s

h

i

d

a

(2002: 196-197);笠井 (2006: 24).上で述べた

Kancanasara

王物語のあり方は,確かにトカラ仮説 を支持すると考えられる。 しかし一方で、,ソグド語の仏典にウイグル語・ウイグル人が係わっている 事例も認められていた。敦燈出土のソグド語の仏教文献

Pe

l

1i

o

ts

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g

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i

e

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16 では,末尾にソグド語の本文と同じ手でウイグル語の書き込みがある。また

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e

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l

i

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t

s

o

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d

i

e

n

26は仏画に添えられたソグド語銘文だが,現れる人名はす べてウイグル人の名前である, cf.

S

i

m

s

-W

i

l

l

i

a

m

s

and Hamilton

(1990: 37・38,40)。敦煙出土の『仏説観仏三昧海経』のソグド語訳の裏面には,仏 典の所有者を示す漢文とウイグル語の落書きがある, cf.

Zieme apud S

u

n

-dermann

(1977: 635)。同様にトルファン出土のソグド語訳『金剛般若経』 の奥書に拠れば,書写した男の名前は

Q

u

t

l

a

γ

といい,おそらくはトルコ人 の名前である, cf.

Zieme

(1992: 17)。マニ教ソグド語文献にはしばしば, 所有者或いはテキストを読んだ人の名前が書き込んで、ある。それは紋切り型 の文句で,

'

y

n

y

pwstk-xypo ky L

'

p

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t

-

iこの本(経)は のものであ る。(そのことを)信じない者は しろ」で始まっている, cf. 吉 田 (1993b) ;

Y

o

s

h

i

d

a

(2000: 83・85)0 Ii仏説観仏三昧海経』のソグド語訳の裏 にある,漢文とウイグル語の書き込みは明らかにそのパターンである。ソグ

(19)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語誇葉の形式の来源について ド語によるこの種の書き込み(或いは奥書)は, 10世紀のソグド語・ウイグ ル語の共存時代に特徴的な文言であり,ウイグル人との関連が推定される。 敦爆の漢文仏典 (S.4083) にもこの種のソグド語の書き込みが在ることが 知られている, cf.

Sims-W

i

1

1iams

(1976: 66)。似たような例はベルリンの ソグド語仏典にも存在することが今回の調査で判明した。筆者が把握してい るのは

So

10100uと

So

10650 (21)の 2点である。 さらに今回ベルリンにあるソグド語仏典の全資料を調べた結果, 1例では あるがソグド語仏典に本文と同じ子で,ウイグル語の奥書が書かれている例 を発見できた。問題の断片

(

S

o

18276) は長行貝葉本の右端に近い部分で, 同じ写本の離れは他に 2点あり

(

S

o

18274,

So

18275) ,同じガラス板に挟 んである。おそらく発見されたときは, 3点が重なり合った状態であったの だろう。この仏典の原典を比定できないのは残念だが,ソグド語仏典をウイ グル人が書写していた証拠になるであろう。参考のためにテキストを引用す る。なおウイグル語のテキストは,ベルリンのトルファン学研究所の

P

.

Zieme

教授が筆者の為に準備してくださった。 表はソグド語の経典の末尾であるが,経典のタイトルは失われている。一 巻本であったことが分かり,

So

18274の表面に見える「如是我聞」に対応 する語句と合わせて考えれば,ごく短い経典であったらしい。裏面は全体が ウイグル語で書かれており奥書である。表面の

4

行目の

nm'wo'm

は珍しい 語だが

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h

u

t

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-

t

e

x

t

296行自の

nym'wo'nt

と同じ動詞に違いない。こちらも 破損した箇所に現れ,解釈は難しいが,漢文原典の「奉献」に対応している ように見える。原典が知られていない時代に

MacKenzie

が推測した「嘆 く」の解釈は,原典からは支持されない, • cf.

(MacKenzie

1976: 116)。

So

18276

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1 [ ]

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y

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-64 -13の・・・・・・・・・において 功徳と善行

(20)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語棄の形式の来源について 3 (m) 'ncyk pyr 'ty wrn'y p(.) [ 4 nm'w o'm 00 m'y o (…h)二 二 二 [ 5 'wst ('nt) 00 wyspw = = = = = [ 6 [ooJ 00 (00) 7 ['yw J (p) rw'rt 00 (00) 00 J (p)o(kh) [ verso:翻 字 1 [nm'J(w p)wt[ J (..) [ 2 ['wJ(y)c'wyoky pwr(x'n)-l['r 3 (x)[yJ(lm'x 'wy)k(wn)m'k= = [ 心の信仰と信念 私は捧げる(?)。かくて…・・ 彼らはいる。すべての… [一]巻 ...法・・・・・・・・. 4 (n) m('w pwt) 00 n (m')w二 二=[orm町n'ws'nk 5 'y1 (t) [wtJ (m) ys pyt(yyw)t'kyntym (p) [w

6

空白 [ 7 [ J(k'o) 'w1 kym (kntw) [ J(x)y1yc[ 8 [ J (. . .) [ J 00 (')rkwo' 'yn'nγ[ 転写

1 namo but [: namo drm : namo saD:J

2 uc udki burxan-

l

[

ar uskinta

ayiγqi1inと1ariγ

ksantiJ

3 qi1maq okunmak […… nom bitig bir tagzin

]

4 namo but : namo [drm : namo saD:J

5 IlTutmis bitiyu tagintim bo [ J 7 [ J kad 01 kim k (a) ntu qi1i (n)

[

J 8 [ J: arguda inanγ[ay1ar J 「南無仏, [南無法,南無僧。]三世の仏陀[の面前で………悪業を………を 機悔]レ悔やむ[..・H ・...経:一巻]南無仏,南無[法,南無僧。]イル=ト ウトウミシュが書き奉った。この[....・H ・

J

.

はとても………である。自ら行 為を………する者は...・H ・..家で彼らは信じる.. . ・.H ・'J テキスト中の rOOJ は句読点,「ニ」は,貝葉の穴の部分で文字が書かれていな

(21)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語葉の形式の来源について い箇所であることを示す;裏の 4行目以降はやや小さい文字になっている。 5行 目と次の行の聞はやや広い。ここでは空白の 6行目と解釈したが1行分の間隔は ない。 むろんこのことだけで,ウイグル語仏典に導入されたインド語の要素が, 基本的にトカラ語からの借用語であるという事実に基づくトカラ仮説が覆さ れることにはならない。ソグド仮説も容易には排除できないということが改 めて確認され,ウイグル仏教・仏典成立期の事情を今後とも注意深く研究し ていく必要がある。

1

0

世紀以降,西域北道に定住し始めたウイグル人がマニ教から仏教に改宗 し始めた頃,彼らの周りには,党語, トカラ語,ソグド語,漢語の仏典があ った。現在に残された資料の状況から判断すれば,ソグド語仏典の量はそれ ほど多くなかったであろう。そのうちウイグル人が主に利用したのは, トカ ラ語仏典と漢語の仏典であった。おそらく敦健から中国仏教の強い影響を受 けていたことは,この時期にウイグル語の漢字音が導入されたことからも容 易に推測される, cf.吉田 (2004:13・20)。漢語の要素に匹敵するのが, トカ ラ語経由で導入された党語の要素であった。今回の発見は,彼らがソグド語 仏典を利用することもあったことを示している。ウイグル人が文字言語とし てソグド語を使っていたという事実を考慮するなら,ウイグル人自身がソグ ド語で仏典を翻訳することもあり得たであろう。その場合,マニ教徒であっ たウイグル人が慣れ親しんで、いたのはマニ教文献に使われるソグド語であっ たはずである。上で言及した Pelliotsogdien 16の23行目の xwtyβrtpo wβycyk 'xsywny '~-n' i自覚聖智」に見られる動詞の形式wβycyk (βw

-~wβ-/'krιí~ になる,である」の未来受動分詞)は,マニ教文献によ く見られるものであるから,マニ教ソグド語に親しんだウイグル人が翻訳し たという推測はあながち荒唐無稽ではない。 百済先生と Sundermann教授が共同で研究を発表することになっていた, ソグド語訳の『浬繋経』はこの点でも興味深い。ベルリンにはこの短行貝葉 -

(22)

66-トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語棄の形式の来源について 写本に属する断片が60点以上もあり, 2003年に龍谷大学で開催された学会で,

Sundermann

教授が校訂作業の進捗状況を発表されたところでは,その時 点で百済先生は既に20点以上の断片について,漢文原典の対応箇所を特定し ておられた。未完成のまま逝去されたことは返す返すも惜しまれる。筆者自 身も同じ写本に属する断片を

3

点,龍谷大学が保管する大谷探検隊の収集品 の中に発見し, 1点

(

O

t

a

n

i

2919) は原典の対応箇所を特定した, cf.百 済・ズンダーマン・吉田 (1997:65・67)。 今回筆者は百済先生の未発表の研究をトレースしてみようと思い,ベルリ ンのコレクションのなかから改めてこの写本に属する断片を選ぴ出し,初歩 的な転写を行ってみた。そしてその過程でこの写本で用いられるインド語来 源の語棄には極めて興味深い形式があることに気がついた。それは,「戒律」 を意味する

c

x

s

'

p

t

と「菩薩」を意味する

pwoysβt

である。どちらもソグド 語仏典ではめずらしい語形である一方で、,ウイグル語仏典に見られる形式と 一致している。次の節では,「菩薩」を意味するソグド語形の来源の問題と, ソグド語訳『浬繋経』の特殊性について論じることにする。

3

r

菩薩」を意味するソグド語の形式の来源について

3-1 従来の説 ソグド語仏典には当然の事ながら「菩薩」を表す語が頻出する。それらは 例えば

p

w

t

y

s

t

β

のょっに,究極的には党語の

b

o

d

h

i

s

a

t

t

v

a

に由来する形式 であるが,種々のヴアリアントがある。上述の「はじめに」でも述べたよう に,それらの導入経路について,最近

Sundermann

(1982)と

S

i

m

s

-Wi

l

1iams

(2004) の二人がいずれもパルティア語経由であるとする論孜を発表した。 最初に彼ら二人の説を紹介し,次に彼らとは異なる筆者自身の説を解説する。

またこの議論ではウイグル語に入った形式も問題にされるので,それらにつ いても若干触れることにする。しかし,筆者自身の力量から扱うのはソグド 語文献と関連する問題に限定されることはあらかじめ了承されたい。

(23)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語棄の形式の来源について

Sundermann (

1

9

8

2

)

は「菩薩」を意味するイラン語の形式を集めて議論 するなかで,パルティア語の

bwdysdf

に注目した。パルティアの領域に近 いメルヴで,紀元後の早い時期の仏教遺跡が発見されていることと,安世高 などの

2

世紀の訳経僧に,パルティア出身であることを示す「安」を姓とす る者が何人かいることを参考にして,早い時期にパルティアに仏教が伝播し ていたことにまず注目する。彼によればササン朝期の中世ペルシア語の

bδdasp

という形式は,マニ教パルティア語にも在証されるパルティア語形 の

bwdysdf

から借用され,その後語末の

-

d

f

が,中世ペルシア語に

-

a

s

p

で終 わる名前が多く存在することへの類推で

-

a

s

p

に作り直された形式だとする。

Sundermann

によれば,

bwdysdf

自体は

s

a

t

t

v

a

に由来する

s

d

f

同様,直接 サンスクリットから借用された語形で,

[

b

o

d

i

s

a

d

f

]

と発音されていた。根 拠として,古代イラン語の*Bwがパルティア語で

d

f

に変化する例

(

*

n

i

-Bwaraya->nyd

f'

r

[

n

i

d

f

a

r

]

r急ぐJ) に言及し,二つは歯音の無声子音と唇 音の半母音の結合で,後ろの子音が無声の摩擦音に変化することと,逆に先 行する無声音が有声化するという点で並行する変化であり,

-

t

v

-

d

f

に変化 するのは,パルティア語に導入された後のパルティア語内部での音韻変化の 結果であるとする。

Sundermann

はソグド語の

p

w

t

y

s

t

β

p

w

t

y

s

β

pw

めTst

β

pwtysβty

[

b

δ

d

i

s

a

t

/

d

f

b

o

d

i

s

a

f

b

δ

d

i

s

a

t

/

d

f

b

δ

d

i

s

a

f

t

i

]

と発音されていたとする。

pwtyssty

は転移によって成立した形式である。

Sundermann

の説は,語末 の-β は[-f]と発音されていたと考える所に特徴がある。その根拠として,マ ニ教近世ペルシア語文献の

bwdysf

がソグド語起源であるとする

Henning

(

1

9

5

9

)

の説に言及する。また

OI

r.

*Bw>Sogd.

tf(cf. 匂

aBwar

S

o

g

.

c

t

f

'

r

)

の変化も参考にしている。ソグド語の諸形式の語末の発音が

-

f

であ れば,それらはパルティア語起源である事を強く示唆するともしている。ま た

p

w

t

y

s

β

pwtysβt

は後に初期のウイグル語に借用され,

b

o

d

i

s

v

b

o

d

i

s

v

t

として現れているとも言っている。彼の説を模式化すると下記のようになる:

S

k

t

.

b

o

d

h

i

s

a

t

t

v

a

>

-

(24)

68-トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語葉の形式の来源について

Parth. bwdysdf> Sogd. pwtysβ>Uigh. pwめTSβ,MNPbwdysf

[bddisadf] [bddisaf] bodisv > Sogd. pwtysβt> Uigh. pwoysβt [bddisaft] bodisvt > Sogd.pwtystβ~ pwめTStβ [bddisatl df]~ [bdoisatl df] [bddisaf] Sundermannの説には二つの問題点があると思うが,その一つは次に紹 介する Sims-Williams説にも言えることなので,ここでは触れない。もう 一つの問題は,彼が中央アジアに仏教が流布する背景に,パルティア仏教の 強い影響を認めることであろう。まず第一に,メルヴの仏教遺跡は 4世紀以 前ではあり得ないとする説が最近では有力である。また安世高など安姓の初 期の訳経僧は確かに安息出身と言われるが,その実態は必ずしも明らかでは ない。その点は康孟詳などの康姓の初期の訳経僧も同様で、ある。安姓はパル ティア本土ではなく,西北インドに接する地域の,いわゆるインド・パルテ ィアの豪族出身者である可能性がある。また康姓の僧侶はソグド出身ではあ るが,商業目的でインドに行きそこで定住した後に仏教徒になった人々であ った。 Sims-Williamsはパノレティア語の抽象名詞の接尾辞に見られる 2種類の形 式の-IIと-iftの来源について議論する過程で,古代イラン語の*(J

w

のパル ティア語も含む中世イラン語諸方言における発展を明らかにした。それによ れば,問題の接尾辞は吋ya-(Jwa・に由来する。古代イラン語の*(J

w

のパル ティア語における規則的な反映形は,特別な場合の例外を除けば, ofであ る。しかし,語末の(矢iya-(Jwa>) *-iofはのちに,パルティア語に一般的 に 見 ら れ る 語 末 の-fやーft(cf.haft r7J, kaft r落 ち たJ,kdf r山J,raf 「攻撃J)からの牽引で, -if, -ift に置き換えられたとする。そして勺of> ・ïf~-ïft の変化と並行する変化がソグド語の「菩薩」を意味する語形に見ら れると考える。

(25)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語葉の形式の来源について

S

i

m

s

-W

i

l

l

i

a

m

s

は , ソ グ ド 語 の 菩 薩 を 現 す 形 式 の う ち

pwtysos (>

p

w

t

y

s

o

s

'

n

'

k

)

pwtysβ-p

w

t

s

β

pwtysβt

はパルティア語

bwdysdf

に由来

する形式であるとする。とりわけ pwtys~β はパルティア語の発音 [bδdisaôf (>

b

o

o

i

s

a

o

f

)

]をそのまま受け入れた形式になっていると考えている。他 の

2

種 類

(pwtysβ-pwtsβ

p

w

t

y

s

β

t

)

の形式は,ソグド語内部で、パルティ ア語の抽象名詞の接尾辞がたどったのと全く同じ音韻変化を被っているとし, 近世ペルシア語の

bwdysf

や初期のウイグル語の

pw

めTS

β

及び

pw

めTS

βt

は, ソグド語から借用されたに違いないと言っている。彼によれば,ソグド語仏 典に頻繁に見られる

p

w

t

y

s

t

β

pw

めTSt

β

は,二次的に党語化した語形であ る。 3 - 2 ソグド語仏典における形式の分布と解釈 現在のソグド語文献学をリードするこ人の大家の,ソグド語形はパルティ ア語形に由来するとする結論には抗しがたいが,一方で、筆者は,菩薩を意味 する種々の語形が,実際の仏教ソグド語テキストにおいて,どのような形式 で,またどれほどの頻度で現れるかを見るとき,全く異なる説を展開するこ とも可能になると考える。まず語形のばらつきと頻度を見てみよう。特に形 式にばらつきが多く見られるトルファン出土の貝葉本の『浬繋経JJ (以下で はMPNと略す)については,項を改めて提出することにした。そのほう が,この写本の特殊性がよく表れると考えたからである。

p

w

t

y

s

t

β

:

(下線は一つの写本に異なる形式が使われていることを示す。) 敦 燈

London-Vaj

r

. (

x

6

)

;

Padm. (

x

2

)

;

London-Vim. (

x

9

)

;

Dhu.

(

x

2

6

)

;

VJ (

x

5

)

;

P2 (

x

l

l

)

;

SCE (

x

3

)

;

P5 (

x

1

)

;

P6 (

x

8

)

;

P7

2

.

_

;

P8 (

x

2

5

)

;

P9 (

x

4

)

;

Pll (

x

3

)

;

P14/P15 (

x

4

)

;

P20 (

x

2

)

Turfan ST

ii

1

0

(

x

3

)

;

SghS 1 (

x

1

)

;

SghS 5 (

x

2

)

;

V

a

j

r

.

C

o

m

.

(

x

8

)

;

Kudara-Sundermann V (

x

1

)

;

O

t

a

n

i

2

3

2

6

(

x

1

)

;

So 1

0

3

0

1

(

x

1

)

;

So 1

0

0

0

0

(

4

)

(

x

1

)

;

So 1

2

6

5

0

(

x

1

)

;

So 2

0

1

0

1

(

x

2

)

;

8

0

TBI 5

2

9

-70

(26)

-トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語語葉の形式の来源について (x2) pwtystβ'n'

k

:

London-Vim. (x1); Dhu. (x1); P2 (x1); P8 (x1); P20 (x1) pwtstβ: Dhu. (x1) pwtstβy: Dhu. (x1) pwtystβw (at the end of a line): Vajr.Com. (x1) pwtysas: Kudara-Sundermann II (x2) pwtysojβ'n'k, pwtysojβ'n'y: P6 (x2); Kudara-Sundermann II (x1) pwtsβ: SCE (x1) pwtysβ: SCE (x1) pwtysβt: P2 (x1) pwtysβty: London-Vim. (x2) pwtysβttβt: P2 (x1) pwめTStβ: 敦燈 Dhy. (x5); P7 (x5

2

_

;

Frag. 7・10a/P8bis (x15); P23 (x2) Turfan SghS 1 (x9); SghS 3 (x1); Sukh. (x2); BJ (x2・[3!);ST ii 7 (x1); L16 (x1); L51 (x1); L70 (x2); So 10330 (x2); So 10408 (x1); So 10700 (c) (x2); So 14000 (x1); So 14800 (x1); So 14815 (x1) pwa'ystβ: Sukh. (x6) pwめTStβ'n'k,pwめTStβ'n'y:Dhy. (x1); Frag. 10 (x1); BJ (xl) pwめTSβ:SghS 4 (x2) MPN (下線は,一つの断片の中で異なる形式が見つかることを示す。) pwtystβ(x4)

(27)

トルファン学研究所所蔵のソグド語仏典と「菩薩」を意味するソグド語詩集の形式の来源について pwtystβ:So 14010, r8; So 14216, v8; So 15510, *v1 pwtystβt: So 14111

b5 pwめTStβ(x4) pwaystβ: So 15200 (1) (b)

v1; So 15200 (2)

r1 pwaystβty: So 14230 (4)

r7; So 14107

r4 [pwt/めTSJtβ:Otani 2919, *r6 pwtysβt: So 14010, r6 (x1) pwめTSβt (x10) pwaysβt: So 14011, a4, b3; So 15200 (0), r3, *r5, r31, v20, v22; So 15200 (5), *v14; So 15200 (6), *v1 pwaysβty: So 15200 (0), r22 [pwo/tysJβ

t

:

So 15200 (11)

v6 pways[: So 15200(4), r2; Mainz 179, a2 pwめr[stβ?-sβt]: So 15510, r2 まず最も頻繁に見られる形式は, pwtystβ とその活用形,および派生形 容詞pwtystβ'n'kである。次に多いのは pwめrstβとその活用形及ぴ派生形 pwめTStβ'n'k,pwtysd)β'n'yである。 bodhisattvaのdトに対応する部分にお ける

-

t

-

と・6・の違いは本質的で、はないと考えられる。母音の後の有声の閉鎖 音は vidyadhara>βytty'tr (Padm.)~βyty' or (P15)に見られるように, どちらでも表記された。またサンスクリットの母音の後の

-

t

・の場合でも, k' wt'm ~ k'wo'm (P5 く gotama~) や "ry'βr 'wkaysβr (く aryavalo-kitesvara) のように有声音化した例が見られる。 t~ oのばらつきはソグド 語 内 部 の 事 情 に よ っ た の だ と 考 え ら れ る 。 た だ し 一 つ の テ キ ス ト で は pwtystβ かpwめTStβのどちらか一方の形式が使われ,混同されることはま れである。興味深いのは Pelliotsogdien 8とその同じテキストの別の写本 Pelliot sogdien 8bisの場合で,前者は一貫して pwtystβ を用い,後者はー 72

参照

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