スィーニィ殺人事件 : 「ナイチンゲールに囲まれ たスィーニィ」をめぐって
著者 中井 晨
雑誌名 主流
号 41
ページ 71‑92
発行年 1980‑03‑20
権利 同志社大学英文学会
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000014935
スィーニィ殺人事件
一一「ナイチンゲールに囲まれたスィーニィ」をめぐって
中 井 長
1
「ナイチンゲールに囲まれたスィーニィ」という詩はグロテスグである.
エリオットが言うように 人類というものをもじって笑いの対象とすると ころにグロテスクが生ずる川とすれば, スィーニィという人物の描きか たがそうである。やっかいなのは,そのもじりを取り除いて行っても,こ の男の個性や性格にまでたどり着けない仕掛けになっていることである.
スィーニ司もこの作品もグロテスクでしかも暖味であるという覚悟でいな くてはならない.ここではスィーニィが果して殺されたか否かという,事 件の真相だけははっきりさせたいと思う.
スィーニィは『荒地』にも姿を現わす不思議な人物である.その素行に は少々うさん臭いところがある.
1 hear The sound of horns and motors
,
which shall bring Sweeney to Mrs. Porter in the spring.o
the moon shone bright on Mrs. Porter And on her daughterThey wash their feet in soda water2
このポーターおばさんの唄はオーストラリアのシドニーのものらしい,と エリオットは注釈をつけている.クライグ・ベルと食事の折に,おどけた
学者ぶりを発揮して,この唄の分析などをしているが39 エリオγトの耳 に残っていたのはこんな風であったらしい.
o
the moon shines bright on Mrs. Porter And on the daughter of Mrs. Porter.And they both wash their feet in soda water And so they oughter
To keep them clean.4
グロウヴァ・スミスの調査によればこの他にもヴァリエーションがある ようだ
c .
M.ノミウラは この唄は1915年ガリポリ上陸のときオースト ラリア兵士が唄ったものであり,ポーターおばさんとは,カイロで援味屋 を経営していたと目される人物で,兵士たちには伝説的人物" 6 と報告し ている.第一次大戦以前からオーストラリアで唄われていたのは事実らし い.ただし,スミスは暖昧屋の一件は脱線だとして片づけている.エリオットが,指摘されるような唄の素姓を知らなかった,ということ はありえないことではなし久 しかし, スィーニィが車でいそいそと出掛 ける先のポーターおばさんが,カイロかどうかはともかく,その種の宿の 主を想わせることは確かであるO パウラの報告を無下に切り捨てるわけに はいかないのである.この唄に,そしてスィーニィの行動にもどことなく 戦争の影がまとわりついている。
第一次大戦とともにエリオットのイギリスでの生活が始まったとは皮肉 である. (この年10月,ニュー・オクスフォード道りで,パートランド・
ラッセルにばったり出会っている.今や反戦運動の闘土の聞いは,この戦 争をどう思うかねp であった8.)1918年に彼は従軍を願い出ている.これ は叶わず,ついで情報局での仕事を求めたが終戦のため,これも実現しな かった
1
ナイチンゲールに囲まれたスィーニィ」 が発表されたのは,1918年9月シカゴの『リトル・レヴュー』であった.大戦の終り間ぢかの
頃である.
2
暖味さと精密な描写が同居していることに焦点をあてて, この詩が伝え る感覚を,エリオットのことばを借りて 不吉な感覚"だと言ったのは
F . O .
マシーセンである10 以降の批評では,彼の誠実な読みとは無関係 に 不吉な感覚"が一種のお守りのような役割を演じているかに見える.ヒュー・ケナーはこの作品がエリオットの心を占めていた 背徳円の問題 を扱おうとしていると認めながらも,この詩には 何が起ろうとしている か全く理解しがたい暖味さがある"と断定してそれ以上の立ち入りを拒ん でいる11 これはむしろ賢明なので, あとー呼吸で 不吉な感覚"を口に すれば,暖味さのどうどうめく可を始めねばならないのである.
暖味だといってもこれほどのものも多くあるまい.登場人物についてさ え,読み手によってその数はまちまちなのである.スィーニィは当然とし て他に,ケープを纏った女, レイチェルという名の女, ウェイター,主人,
それと話している素姓の判らぬ相手.この人物たちにはまず異論はない.
スィーニィを除いた人物は五人である.エリザベス・ドルーは,全員が動 物のイメージで描かれていること,人間らしさが剥奪されて互いの対話が 成立していないこと,それにもかかわらず,各々の描写が精密であること に注目する.したがって彼女によれば, 茶色の服を着た静かな脊椎動 物"として描かれる男と, もうひとり 金の入歯をした生気のない男"が スィーニィとは別人として加わることになる12 ドルーの読みを採る深瀬 基寛氏は,彼女のいう 茶色の服を着た静かな脊椎動物"を,さらに モ カ・ブラウンの服を着た静かな男"と 静かな脊椎動物"に分割し,登場 人物はさらにー名加わることになる13 わずらわしくて恐縮だが要するに,
スィーニィを除いた登場人物は, ド、ルーによれば七人,深瀬氏によれば八 人という大世帯となる.人物の数について明快に断定を下すグロウヴァ・
スミスは例外的なほうである.彼は,スィーニィの他には六人おり,その うちのひとり, モカ・ブラウンの服を着た"静かな男が 脊椎動物"と も 入歯をした男"とも同一であり,この男がスィーニィ殺人の陰謀に気 づく唯一の人物だ14 と言う.
ところで, このモカ・ブラウンの服の男とは何者か. これはスィー ニィか,それとも別人か,ちょっと暖味だが,多分スィーニィ"15 という 金関寿夫氏の遼巡を通り抜けると,登場人物の数は少くなり,スィーニィ を除けば五人,つまりもとの数にもどることになる.このように,モカ・
ブラウンの男,脊椎動物,入歯の男, これらはすべてスィーニィだとして 明快に詩の読みを展開するのはジョージ・ウィリアムソンである16
ドルーとスミスに代表される読みでは,スィーニィは殺されることにな る.ウィリアムソンに従えば,彼は殺されかかっていたところを逃れるこ とになる.これは大変なちがいだ.大雑把に輪郭がとらえられたと思うの で,テキストにあたってみよう.
エピグラフに置かれたギリシア語からして読み手を混乱させるに充分で ある.アガメムノンが斧で殺されるときの叫びだ,ということが判れば,
この詩に 殺人"事件を予想せざるをえない.わたしたちは,事件を扱っ た 語りもの"を聴くという常識的な姿勢を採ることにしよう.まず,時 と場所.オリオン座と犬座から恐らく秋から冬.藤に花が咲いているとす れば,春から夏.ナイチンゲールが鳴いているとすれば藤の花の頃だろう か.とにかく季節は一定しない.あたりは暗い.場所は安宿のパーラーか圃
レイチェルという源氏名の女がいることからして,これを暖昧屋と見て差 支えない. R. D.ジェイムソンは, それが海岸の近くにあって, 裏手に 尼僧院がある17と見取り図を示している. 彼をあまりにもナイーヴだと笑 うわけにはいかない.このあたりの常識的な想像から逸脱しないようにし たい.
エイプネッグ・スィーニィが笑っている.
Apeneck Sweeney spreads his knees Letting his arms hang down to Iaugh, The zebra stripes along his jaw Swelling to maculate giraffe.
両股を広げ両手をだらりとさせている.これは寛ろいで笑っているときの 姿勢である.恥かしいことだが,わたしはこの姿勢はスィーニィがもう殺 されてしまって,力が弛緩したところだと思い込んでいた.たとえば,二 行自の tolaugh" という不定詞を伏ぜて読んでいただきたい, 絞殺宜 後の姿勢のように思えないだろうか.つまり,わたしは周辺のイメージに 圧倒されてp ここに asif to laugh"を読み込んでいたのである.ェリ オットの悪意の描きかたにも責任はあるが,わたしには押韻への配慮が欠 けていた. laugh"の意味は giraffe" の母音と響きあって,その字 づらより大きくなっている.スィーニィは高笑いをしているのである.首 まわりは太くて短かく,あごは二重,三重になっている,笑うと酒のせい でもあろうかそこに斑点が見える.この詩の動物づくしはすでに始まって いる.
The circles of the stormy moon
Slide westward toward the River Plate
,
Death and the Raven drift above And Sweeney guards the horned gate.
月に輸がかかり空に不吉な様子がただよう.このため現実に存在する南米 のラプラタ河は非現実なものに屈折し,それは冥の国の河,フ。ルートに似 つかわしい様相を呈する.スィーニィは門に立っている.門はこの冥の国 の河に接していよう. スィーニィはいま生の 辺境ぺ わかりやすく言え ば,生死の境に立っているわけだ.
スィーニィ殺人事件 Gloomy Orion and the Dog
Are veiled; and hushed the shrunken seas; 空も海も様子がおかしい.何かが起る前の緊張がある.
スィーニィの高笑いのズーム・アップから始まった語りは,再び室内に 戻ってくる.
The person in the Spanish cape Tries to sit on Sweeney's knees Slips and pulIs the table cloth Overturns a coffee‑cup, Reorganised upon the fioor
She yawns and draws a stocking up;
スペイン風のケイプ(エイプと響く気配がある〉を着た女がスィーニィにか らみつく. 食事も終って噴は良し"18 というわけで,男の方がくすぐっ たのかも知れぬ,女は膝からすべって,はずみにテーブル掛けを引っばっ てコーヒーがひっくり返る.語り口はp 女の身づくろいの . .. a stock‑ ing up と acoffee‑cup"とを共鳴させて,深瀬氏の言葉を借りれば,
その場の 狼語"とあとの白けた様子をつないでいる.これは読み手に供 笑を起さない.人間の行為を細部にわたって観察すれば動物的に見えてく
るものである.それをつきつめると人間的な要素が生れることもある,し かしそれは尊厳というものから遠いものである.ケイフ。を纏った女は ひ と形"にすぎない一一一 theperson in the Spanish cape",そして,女 は あくび"をするとき初めて人間らしくなる.このグロテスグなもじり にはエリオットのあまり愉快ではない人間観がある.
いよいよ問題の多いところに入る.
The silent man in mocha brown
Sprawls at the window‑si11 and gapes;
The waiter brings in oranges Bananas figs and hothouse grapes; The silent vertebrate in brown Contracts and concentrates
,
withdraws;Rachel nee Rabinovitch
Tears at the grapes with murderous paws:
定冠詞の使いかたが精密な描写と暖味さを生みだす. たとえば, ウzイ ターはわたしたちの前に始めて登場するわけだが,突然にお馴みの人物の ように,定冠詞っきで紹介される.ケイフ。を纏った女にしてもそうであっ た.これは 事件"が以前から進行中であったことを思わせるわけである が,状況について詳しい説明を与えられていない読者にとっては,この定 冠調は,登場人物のいわば 隈どり"の役目を果すことになる.エリザ、ベ ス・ドルーの人物の細分化には理由がないわけではない.
さて,モカ・ブラウンの服を着た静かな男は, この冠調の使いかたから すれば, 必ずしもスィーニィである必要はない. だが一方, ケイプの女 が床にすべり落ちたあとの,その場の白けぶりが語りのほぼ前半をしめく
くっているのであるから,スィーニィが空騒ぎのあと妙に静かになった,
と考えることができる.つまりモカ・ブラウンの男はスィーニィに他なら ない, というわけである.しかも,そのもじもじしている様は,先ほどの スィーニィの姿勢から笑いを消去した図,同じ人物の弛緩した姿勢と見る
ことも可能である.
モカ・ブラウンの服を着た静かな男と,静かな脊椎動物を,性的なもの に対する同じ反応から,同一人物と見たい.この人物は例によって動物の イメージで語られるが,正確に言えば下等動物,たとえばアミーパーのよ うである.女たちのいるお茶の席で,ブルーフロックは, ピンにさされて
身をよじる虫になったような気持19だった. しかしp この男はこの虫以下 の存在である.ウzイターの運んでくる果物はいかにも意味あり気だし,
その場には鷹のような爪で,これまた意味あり気に,ぶどうの皮をむくレ イチェルがいる. レイチェルの元の名はラピノヴィッチ,それには ピッ チ 雌犬という性的な連想がある.男は性的なるものに圧倒されている のである.
いずれにしても,この段階でモカ・ブラウンの服を着てもじもじ'してい る男がスィーニィと同一人物か否かを判断するのはむつかしい.同一だと すると,予想されている 殺人"は起りそうもなく,別人とすれば,モカ
・ブラウンの男はスィーニィをその場に残して外へ出て,窓、から 事件"
を目撃することになる.先を急ぎすぎたようだ.
She and the lady in the cape
Are suspect
,
thought to be in league; Therefore the man with heavy eyes Declines the gambit,
shows fatigue,
Leaves the room and reappears Outside the window
,
leaning in,
Branches of wistaria
Circumscribe a golden grin;
このどんよりした眼っきの男をさらに別人と考える必要はないだろう.レ イチェルの手つきは不気味だし,ケイプの女と通じていて謀りごとがある らしい.したがって,この詩のなかで日常の論理性をひきずる唯一のこと ばである, したがって, この男は口実をつくろってその場を立ち去る.彼 は外に出る,そして窓から中をのぞき込む.その口許からして金歯である
らしい.
なぜ、窓からのぞき込むのか,その動機は何か.この男がスィーニィだと すれば, 殺人"の気配に気づいてその場を離れたのである.窓からあと の様子を見守る必要があるだろうか.スィーニィならば事で一目散に逃げ るが勝ではないかと思う.わたしは,ここで,モカ・ブラウンの男とスィー ニィは別人という立場を採る.スィーニィは相変わらず室内に上機嫌で,
いまはさらにレイチェノレも交えて空騒ぎをつづけている.その場を立ち去 って外へまわり,窓からのぞき込む男が別にいる,それはモカ・ブラウン の搬を着た男である.
男は窓からのぞき込んでいる.窓の内から見れば,顔は笑っている.ニ?
と笑った口許だけが見える,金の歯が光る.顔つぎは口許を除いて定かで はない,窓辺に藤が見えるへあとは部屋の明りがとどかず闇である. (男 の口許の笑いには,アリスが森の中で出会ったあのチェシャー猫の笑いが 重なってはいないか.ー Well! I've often seen a cat without a grin, but a grin without a cat!" 21 笑いがこの種のものならば, 動物づくし に一項目,猫が加わることになる.)いずれにぜよ,わけ知り顔で笑ったり,
痴けた笑いを口許にうかべるというのはスィーニィにはそぐわない.この 笑っている男には少くとも,スィーニィの様子を見とどけるという動機が
ある.
語りは緊張感を苧んでくる.
The host with someone indistinct Converses at the door apart
,
主人がドアを半開らぎにして誰かと話している。あらたにやって来た客に 応対しているのだろうが, どことなく秘密めいたところがある22 いよい よ事が起りそうである.
The nightingales are singing near
スィーニィ殺人事件 The Convent of the Sacred Heart
,
And sang within the bloody wood When Agamemnon cried aloud And let their liquid siftings fall To stain the sti任dishonouredshroud.
ナイチンゲールが森で鳴いている.森のはずれの尼僧院は本物かどうか疑 わしいくらいである. 聖 な る 心 " は フ ラ ン ス 語 に な お せ ば Sacre Caur"である.わたしはエリオットがパリ時代に訪律したあたり,サク
レ・クール聖堂のあるモンパルナス界隈の宿が二重写しになっているよう な印象をうける.だとすれば,尼僧院は暖昧屋のことでもある.
ナイチンゲールの鳴き声はひときわ高くなる.今,清らかな女たちに囲 まれて,スィーニィは,おそらく 大往生"をとげる.その呼び声はアガ メムノンのあげた声と似て非なるものである.語り手はアガメムノンの死 と対照23しているのだから,おそらく,ではなく確かにスィーニィは殺さ れたのである.彼は生死の境の門を通り抜けたのである.
登場人物はあまり多くない.スィーニィの他に,モカ・ブラウンの服を 着た静かな男がいる.あとは,ケイプの女, レイチェル,ウzイター,宿 の主人,戸口の人物.スィーニィは殺される.それをながめているのがそ カ・ブラウンの男である.この読みはグロウヴァ・スミスに近い.ジョー ジ・ウィリアムソンの読みでは,スィーニィが窓からのぞく動機が弱い.
もうすこし,のぞく男,モカ・ブラウンの男について考えてみよう.
3
A. D.ムーディは最近の書物で,モカ・ブラウンの服を着た男について 註目すべきコメントをつけている.モカ・ブラウンとはカーキ色の色合い のことではないか,また,男は大戦の終り頃の帰国兵士ではないか24 と
いうものである.思いかえぜば,アガメムノンもいわば復員兵士のひとり であった.
累が及ばぬように, A.
D .
ムーディがこの男がスィーニィか否かにつ いて態度を明らかにしていないことをことわっておくが,彼は大戦中に兵 士たちによく唄われた唄を紹介している.There's a longタlongtrail a‑winding Into the land of my dreams
,
Where the nightingales are singing And a white moon beams. . . .25
ポーターおばさんの唄のときと同様に,これをエリオットが知っていたか どうかの問題はある.明らかなことは,この故国へ想いを寄せる兵士たち の唄と比べてみれば,
r
ナイチンゲールに固まれたスィーユィJ
fこはその 陰画の趣きがあることだ.ナイチンゲールは暖昧屋にいたのだったe復員兵士のことは『荒地』にも出てくる.アルパートが四年の兵役を終 えてまもなく帰ってくるのに際して,女たちの不安と関心は,彼が ええ 目"26 を願っているだろう, ということである. モカ・ブラウンの男が カーキ色の服を着た兵士だとすれば,彼はそれを求めてナイチンゲールの ところにやって来たのである.もちろんスィーニィも兵士と考えてもいい.
たしかに,男が兵士でなければ詩が読めないというわけではない.しかし,
男はまさしく,アルパートのように ええ目"を望みながら 怖れ"によ ってそれを果すことができないのである.怖れに伴なう男の反応はあきら かに性的なものである.
The silent vertebrate in brown Contracts and concentrates
,
withdraws;男は暖昧屋のドラマに登場しながら,その場から逃げだす.彼は性的な意
味で疎外された存在である.ティレシアスがニキピ面の若い男とタイピス ト嬢の情事を見守ったように,男は窓からスィーニィの 戦果"を見守る のである.彼の口許にはニタニタ笑いがある. この笑いによって, モカ・
ブラウンの男はドラマに参加することになる.
この口許の笑いにエリオットが自らの視線を託した, と言えば楽観的に すぎる.男に意識らしいものがあるとすれば, せいぜい軟体動物の程度で あり,笑いには一種の痴けたところもある.問題は, その笑い自体に意味 があるのではなく,室内から眺めたときそれが見えるということにある 大切なことは, スィーニィがそれに気づ、いていないことなのだ.
スィーニィは断片的に残されたドラマ, 『苦闘するスィーニィ』にも登 場する. この台本のエピグラフには, アガメムノンの息子オレステースの 科白が置かれている.
You don't see them, you don't‑but
1
see them: they are bunting me down, 1 must move on.オレステースは父親の殺害者, 母とその愛人を殺したあと,復讐の女神た ちに追われている.他の者には見えないがオレステースにはそれが見える.
彼にだけ見えるということは,彼が日常的生活とは別の領域にあるという ことである.のちの芝居『一家再会』でのハリーの体験はこれと同種であ る.彼を追う復讐の女神たちがウィッシュウッドの邸宅の窓辺に立っとき,
演出の苦労は27 彼らが観客の前に立ちながら, しかも観客に見えてはい けないという点にある. 語り出す"という行為, つまり詩や唄によるば あい, ことばが日常の領域をくぐり抜けたところに存在するものをあるイ メージによって語り出すということは比較的容易である.
『苦闘するスィーニィ』のコーラス部である.
When you're alone in the middle of the night and
you wake in a sweat and a hel1 of a fright When you're alone in the middle of the bed and
you wake like someone hit you in the head y ou've had a cream of a nightmar巴 dreamand
you're got the hoo‑ha's coming to you.
悪夢とは日常性の背後に広がる領域にある. そ こ か ら や っ て く る the hoo‑ha" とは日常性に喰い入ろうとする存在である. ひとたび侵蝕が起 れば日常性は異種なものに変貌しはじめる.それは復讐の女神たちの原型 でめる.あの窓辺の藤に固まれて,ニッと笑う入歯の口許を, the hoo幽
ha" の顔に描ぎこむことができる. しかし,スィーニィがそれにまだ気 づいていないということが,この事件の要である.
兵土の問題にもどろう.1917年にエリオットが『エゴイスト』の編集を 任されたのは, リチヤード・オールディントンが出征したからであった.
この年の秋ハーバード・リードが会ったとき,彼は兵役にないことを弁解 していたという. もっとも,相手がノミッキンガム宮殿で勲章をもらうため に前戦から帰国したところであったことも考慮すべきだろう28 これらは 一例にすぎないが,エリオットの周辺には兵士が見られたはずである.結 論的に言えば
r
ナイチンゲールに囲まれたスィーニィ」という作品をい やおうなしに揺振るということがないため,モカ・ブラウンの男が兵士で あるか否かは大きな問題では沿い.たしかに兵士と見立ててその行動をた どることは,詩を詩む手がかりとしては有効だが,男はあまりにも性的な 存在でありあまりにも軟体動物的なのである.スィーニィと同じくこの男 はグロテスクでありp その存在は始めから歪められている.したがって,彼を兵士と呼んでみても,その正当性は主張できかねる. もし,この男に カーキ色の他にひとつでも兵士を連想させるところがあれば,現実の兵士,
復員兵土はこの汚れ役に大きな反壌を覚えるだろう.
スティーヴン・スベンダーは出征したイギリス詩人たちについて語りな がら2 こう指摘する. パウンドもエリオットも 傍観者的'視点の故に,
戦争中の整壕の詩人たちに影響を与えることができなかった.兵士たちは この戦争を文明の歴史の終りを画する客観的な事実だとして,距離をおい て眺めることなどできなかったのだ"29 スベンダーはやや暖味で, エリ オットのどの作品かを示していないが,
r
プルーフロック詩集』のことで あろうか. もちろん, シカゴの小さな雑誌に載った「ナイチンゲールに囲 まれたスィーニィ」は聖壕の詩人たちの目にはとまらなかったはずである.しかし,彼の言うところは明確である.兵士たちは歴史のためでなく わ が祖国"30のために出征した.言いかえれば,祖国とはナイチンゲールが 月あかりの下で唄うあの風景なのである.それはアガメムノンの時代をも 取りこむことのできる 歴史意識"というものでは掬いきれない,歴史そ のものなのである.モカ・ブラウンの男が兵士ではない, としてもスベン ダ、ーの眼には少くとも,エリオットが藍壕の兵士たちの祖国のナイチンゲ ールを汚したと写るにちがいない.
この作品がイギリスで自に触れるようになったのは, 1919年5月の小さ な詩集であった.手刷りで250部に足らなかった. 再びこれを収めた翌年 の『アラ・ヴォス・プレック』にしてもわずかに264部であった. 書評用 に配ったのは3部31であったという.イギリスはエリオットが見たものと ちがっていたかも知れない, しかしこの頃のエリオットに責任をとれと言 うのも,少し気の毒な気がする.
4
1917年のエリオットの散文である.In Gopsum Street a man murders his mistress. The important fact is that for the man the act is eternaI
,
and that for the briefspace he has to 1ive
,
he is already dead. He is already in a di妊'erent world from ours. He has crossed the frontier. The important fact (isJ that something is done which can not be undone‑ a possibi1ity which none of us realise until we face it 0山 崎
selves. For the man's neighbours the important fact is what the man killed her with? And at precisely what time? And who found the body? For the "enlightened public" the case is merely evidence for the Drink question
,
or Unemployment,
or some other category of things 0 (toJ be reformed. But the me‑diaeval world
,
insisting on the eternity of punishment,
expressedsomething nearer the truth.32
この奇妙な愛人殺害事件のテーマが,ハリーの体験にまで及ぶ,いわゆる スィーニィ神話"の原型であることがわかる.
男が殺人を犯したか否かは,世間からすれば,確証はないわけで,それ は男の意識の問題である.しかし男からすれば,世間のいう意識の問題で はなくして,殺したのは事実である,なぜなら,永遠に罰せられているこ
とは彼にとって事実であるからだ.この男は世間の意識の 辺境"を越え たのである.あと戻りはできない.辺境を越えたところに, 生きている のか死んでいるのか定かではない領域"が広がっている.ここに復讐の女 神を配すれば,この男の置かれた状況は一層はっきりする.世間にはそれ が見えない,辺境を越えた者にだけ見えるのである.
『苦闘するスィーニィ』の会話の断片とシナリオは, 遅くとも1924年9 月頃には揃っていた33 この中でスィーニィは愛人を殺した男の話をし,
その男の心境を語ろうとする.
But I've gotta use words when 1 talk to you. But here's what 1 was going to say.
He didn't know if he was alive
and the gir1 was dead He didn't know if the girl was alive
and he was dead He didn't know if they both were alive
or both were dead
But if you understand or if you don't That's nothing to me and nothing to YOU34
スィーニィの説明は上手くない.ことばが介在しているばかりでなく,そ の心境がことばを越えているからである.正確に語ろうとすれば,かえっ てことばが空転する.彼の語ろうとする事柄は,世間的には 不条理"な のだ35 世間並みの説明をすることができないス4ーニィは,殺人を犯し たというその男と同じ地平に立っている.その地平からすれば,その男は スィーニィに他ならぬ.
ナイチンゲールに囲まれていたスィーニィを スィーニィ神話"のなか でどう位置づけるべきか, という問題がある.この男は暖味屋では上機嫌 だったのに,舞台に上るとちょっと哲学じみたセワフを吐いたりする.17 年の散文で神話のワク組みが示されている以上,マシーセンのように,芝 居の人物は別の名前の方がいいのではないか汽 とは言えない.もう少し 具体的に言えば,二人のスィーニィの性格はちがっている,また暖味屋で 殺されてしまったら,舞台に立てるはずがないのである.
ジョージ・ウィリアムソンによれば,モカ・ブラウンの服を着たスィー ニィは陰謀に気づいて,戸口で主人と話しているあやしい人物に殺される ところを逃れる.この体験によって彼に心境の変化37が起る.だから,の ちに内面の人として舞台に登場する資格は与えられることになる.推理小
説を解くようにスィーニィの姿を追って,スィーニィ物語を構成したのは
T . H .
トムプソンであるが,彼の推理によれば,戸口で話していた正体不 明の人物は,実はポーターおばさんのアリアドネ・ポーターという娘であ ったという.かねがね殺意をいだいていたスィーニィはやっとその姿を見 い出し,あとをつけて殺す38 そのあと舞台で,自分の殺人者としての体 験を語る, という工合である.実に愉快な推理なのだが, トムプソンにも,窓に見えたあの笑いへの配慮がない.わたしはスィーニィが殺されること に異存はない.それはi性的な意味での大往生なのだから,心配はいらない のだ.
ナイチンゲールのいる宿で,スィーニィには心境の変化は起っていない.
それを予見している者がいる,それは語り手である.スィーニィは窓から 笑う口許を見てはいない,それに気づくとき,彼はそれに追われる人とし て変貌するはず、である.あるいは早くも,彼は大往生の瞬間に,それに気 づくことがあるかも知れないのである.スィーニィが殺されて,生死の境 の門を通りぬけることについては触れたとうりである.いま少し正確に言 うならば,通りぬけて踏み込む領域は,死の世界ではなく,生きているの か死んでいるのか定かではない領域なのである.スィーニィは始めから 辺境"を越える運命にある.それを越えたときモカ・ブラウンの男の笑 いは彼に纏りつく自己となる.
「ナイチンゲールに囲まれたスィーニィ」が伝えるのは 不吉な感覚"
である,それは 辺境"を一歩踏み出す予感である.あの笑いを知ってい たのは,ただひとり語り手だけであった.語り手がスィーニィを自分のい る領域へと招き寄せようとしているのだ.事件が語り終えられたとき,動 物的なスィーニィは苦闘する人物へ,あえて言えばエリオットに近い人物 へ変貌するのである.エリオットはスィーニィに先んじて辺境を踏み出し ていた.この領域を抜け出すには, ii聖灰水曜日』に唄われる, もうひと つの門39に至らねばならない.そして,後を追う援讐の女神が祝福の女神
に他ならぬことが語れるようになったのが,このスィーニィに託された体 験から,何と20年後の『一家再会』であったのだ.この上演の少しまえに,
ヒトラーはボヘミアとモラピアを併合していた.
辺境"を踏み出す不吉な予感だけでは,スィーニィ神話を語り尽した ことにならぬかも知れない.スィーニィは殺されるのであって,殺すので はないからだ. 犠牲"という神話の構造40に立ち入って,そこから殺さ れることの方の意味の重さを説明するのは気はづかしい. 一瞬に身を任 せるあの恐ろしい向こう見ずの行為"41にあっては殺すも殺されるも同じ だ, と弁解可能であろう.あるいは,エリオットの私生活に立ち入って,
傷ついた花嫁"42と共に 傷つけることによって傷ついた花婿"として のエリオットの姿を,スィーニィに重ねることは不可能ではないかも知れ ぬ.しかし,わたしはアガメムノンが殺されたことは動かしがたいように,
スィーニィを殺されるまLにしておこうと思う.詩の面白さは,上機嫌の スィーニィが女たちに犯されるという,基本的にはユーモラスな筋だてに あるからだ. (1979年9月〉
注
1 T. S. Eliot,Mary Lloyd," Selected Essays (Faber, 1951), p. 457. 2 T. S. Eliot, Collected Poems 1909‑1962 (Faber, 1963), pp. 70‑71.本稿の
詩の引用はこれに基づく.
3 Clive Bell,How Pleasant to know Mr. E1iot," T. S. Eliot: A Symposium, eds. Tambimuttu and Richard March (London: Frank & Cass, 1965), p. 16. 4 Quoted in B. C. Southam, A Student's Guide to the SeZected Poems of T.
S. EZiot (Faber, 1968), p. 81.
5 Grover Smith, T. S. Eliot's Poetry and Plays: A Study in Sources and Mea持ing(Chicago: The Univ. of Chicago Press, 1960), p. 86 and p. 313 respectively. なお, Chap1ine人気と共に 月は明るくチャーリー・チャップリ
ンを照らす"が戦線で唄われていた(岩崎認『チャーリー・チャップリン.lIC講談 社現代新書, 1973), pp. 66‑67参照).また凸ncise Universal Biographyに
よれば,エリオットのひいきにしていた MaryLloydの唄に Oh,Mr. Porter, もiVhatShall 1 Do?"がある由.歌詞は未見だが,同じ系譜につながるかどうか.
6 C. M. Bowra, quoted in James E. Miller, Jr., T. S. Eliot's Personal Waste La刀d: Exor・cismof the Demons (The Pennsylvania Stat
己 u .
P., 1977), p. 96, and Grover Smith, p. 86.7 エリオットのおとぼけには注意が必要.本稿との関係でつけ加えておかねばな らぬことがある.
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苦闘するスィーニィ』上演ののち Iスィーニィとは何者で すか? J
という正面きつての質問に,意外や「元ボクサーで3 年をとったからパ ブ?の主人でもやっているんでしょう」という答えが返ってきて,聴き手は煙にま か れ た の で あ っ た (cf. Nevill Coghill, Sweeney Agonistes," T. S. Eliot: A Sy明:posium,p. 86.)たしかにボストンを捜せばその該当者はいるわけだが(cf. Conrad Aiken, King Bolo and Others," A Symposium, p. 21),スィー ニィがエリオットの説明どうりの人物でないことは確かである.
8 Bertrand Russell, 白mbridgeand the First耳Tar: Selections from The Autobiography of Bertraπd Russell, ed. with notes by Keiji Saito (Tokyo:
Hokuseido Shoten, 1978), p. 72.エリオットの答えは 1don't know... 1 only know 1 am not a pacifist."戦う平和主義者ラッセノレはこの科白に感激した由.
9 Valerie Eliotタ(ed.),The TVtω'te Land: A Facsimile and Transcript of the Original Drafts (Faber, 1971), pp. xiv‑xv.ただし AldousHuxleyによると 従軍を願い出たというより召集されたことになっている.cf. Bernard B巴rgonzi, T. S. Eliot, 2 nd ed. (The Macmillan Press Ltd., 1978), p. 42.
10 F. O. Matthiesse鳥 羽e Achievementザ T.S. Eliot: An Essay on the Nature of Poetry, 3 rd ed. (New York: Oxford U. P., 1958), p. 116 and p. 129 respectively.
11 Hugh Kenner, The 1m必iblePoet: T. S. Eliot (London: Methuen, 1965), p. 79.
12 E1izabeth Drew, T. S. Eliot: The Design of His Poetry (New York:
Charles Scribner's Sons, c1949), p. 44.
13 深瀬基寛『エリオット~ (筑摩書房, c1954), p. 154. Drewの読みに近いの は Gertrude Patterson, T. S. Eliot: Poems in the Ma正ing(Manchester:
Manchester U. P., c1971) , p. 122.登場人物の数の唆味さに少し触れているの は PhilipR. Headings, T. S. Eliot (New Haven: Colleg巴 and Univ巴rsity Press, c1964), p. 44. また古いところでは, 二人の女が 男たちの一人"に陰 謀を企てているようだ, と登場人物多数派に属するのはEdmul1d奇iVilso,1lAxel's Castle: A Study in the 1maginative Literature of 1870‑1930 (New York:
Charles Scribl1er's Sons, c1931), p. 101.
14 Grover Smith, p. 46. 他に別人説を採るものとしては ElisabethW. Schl1ei‑
der, T. S. Eliot: The Pattern か theCaゆ‑et(Berkeley: University of Cali‑ fornia Press, 1975), p. 38.
15 Norman Holm己sPearson and Hisao Kanaseki, (eds.), Sixteen li10dern Amer‑
ican Poets (Tokyo: Eihosha, 1976), p. 171.引用では日本語表記にした.
16 George Williamson, A Reader's Guzde to T. S. Eliot: A Poem‑by‑Poem Analysis (London: Thames & Hudson, 1955), pp. 97‑99.スィーニィが逃れた か否かは別として,スィーニィ=モカ・ブラウンの男の見方を採るのは Stephen Spender, Eliot (Glasgow:もiVilliamCollins Sons, 1975), p. 58, Fay己kM.Ishak, The M:.アsticalPhilosophy of T. S. Eliot (New Haven, Conn.: Co11ege and University Press Services, Inc., 1970), p. 53. 他に the man with heavy eyes"に対しレイチェノレとケープの女が陰謀を企てるという言い方から,おそら
〈これに連らなるのは, D. E. S. Maxw巴11,The Poetry of T. S. Eliot (Lon圃
don: Routledge & Kegan Paul, 1952), p. 84.
17 Raymond De Loy Jameson, Poetry and Plain Sense: A Note 0見 thePoeti・c Method of T. S. Eliot (Folcroft, Pa.: The Folcroft Press, Inc., 1973. Reprint
。
fthe 1931 ed.), p. 10.18 cf. Th邑 tim巴isnow propitious," (The Waste Land, l. 235). W荒地』の 二章のタイピストの情事は始めは四行詩形式で描かれていた. (押韻は The Hippopotamus"のぬめに同じ). 又草稿としては他の章より先に出来ていた.
(Hugh Kenner, Th邑UrbanApocalypse," Eliot 仇 HisTime: Essays 0πthe Occasion of the Fiftieth Aniversary of The Waste Land', ed. A. Walton Litz (New Jersey: Princeton U. P., 1973), pp. 24‑25).このスィーニィ詩と関 連はないか.
19 cf. The eyes that五xyOu in a formulated phrases, I And when 1 am formulated, sprawling on a pin, I When 1 am pinned and wriggling on the wall... "
20 D. E. S. Maxwellは脱線だがとことわりながら, エリオットのいた Merton Collegeの庭に面して 藤に囲まれた窓"があることを指摘している (p.80). 21 Lewis Carroll,Alic凸 Adventuresin Wonderland," The Complete 1‑Vorks
of Lewis Carroll (London: The Nonesuch Press, 1977), p. 67.
22 主人と話している 正体不明の人物"に重要性を与える読みがあるが詳しくは 触れない.登場人物という関連に娘って言えば,この人物をアカソムノン殺しを 手伝ったアイギ、スタスに近いと見る立場がある.たとえばGenesiusJonesは注 のかたちではあるが, 登場人物につぎのようなパラレルを指摘する Rachel:
Clytemn巴stra,The person in th己Spanishc且pe:Cassandr,丘someone indistinct :
Aegistus, さらに本稿との点から注目すべきは the man with heavy eyes: Orestes,そして Eumenidesが見守るという.(Aρoproach to the Purpose: A Study oj the Poetry of T. S. Eliot (London: Hodder and Stoughton Ltd., 1964), p. 227 n.)登場人物の解体がどこまで可能かを示すひとつの例である.
23 The nightingales are singing... And Salモg within th巴bloodywood"に 見られる現在と過去の一体化は『荒地jJ100" ,103行 の 手 法 に 同 じ し か しp 過去 と現在の対照というものがこの「ナイチンゲーノレ」では相殺することにならない か, と言う ElisabethSchneiderの意見はわたしには新鮮である (p.39). 24 A. D. Moody, Thomas Stearns Eliot: Poet (Cambridge U. P., 1979), p.64.
カーキ色の軍服はボーア戦争のときから採用された. 黒・褐色団,ブラック・
アンド・タンズ"と呼ばれる,イギリス政府から1920年にアイルランド民族運動 を抑圧するために派遣された軍隊は,カーキ色の制服,黒いベルト,緑色の帽子 を着けていた.カーキ色がこのときタン色と呼ばれているように色あいによって ちがった呼びかたは可能である. ブラック・アンド・タンズ"については, S. J. Woolf編,斎藤孝監訳『ヨーロッパのファシズム』下巻(東京・福村出版,
1974), p. 344を参照.
25 Quoted in A. D. Moody, p. 64.
26 He's b邑enin the army four years, he wants a good time," (The耳勺ste Land, . 1148).
27 cf. E. Martine Browne, The }vlaking of T. S. Eliot's Plays (Cambridge U.
P., 1969), pp. 136‑137.
28 cf. Herbert Read, T. S. E.‑A Memoir," T. S. Eliot: The Man and His Work, ed. Allen Tate (New York: Dell Publishing Co. Inc., 1966), p. 12. 29 Steph巴nSpender, Love‑Hate Relations: E:河'glishand American Sensibilities
(New York: Random House, 1974), p. 184. 30 Ibid., p. xxi and p. 157.
31 Russell Kirk, Eliot and His Age: T. S. Eliot's MoralImagination 仇 the Twentieth Century (New Y ork: Random Hous,己c1971), p. 63.
32 T. S. Eliot, Eeldrop and Appleplex: 1," The Little Review IV. 1 (May, 1917), 9.これは銀行員の Eeldropが諮る 事件"である.この人物はBistwick という, 三ヵ月前に母の召使いと結婚した若者の状況についても語っている.
Gopsum Streetの男と Bistwickは同一人物と考えていい.エリオットの私生活 に関心があるむきには面白いだろう.一方9 この散文はエリオットがすでに社会 問題を魂の問題としてとらえていたことを示している. cf. With the declin色
。,forthodox theology and its admirable theory of the soul, th巴uniqueimpor‑
tance of events has vanished. A man is only important as he is classed."
(Ibid., 9).
33 Carol H. Smith, T. S. Eliot's Dramatic Theory and Practi・'ce: From Sween・
ey Agonistes to The Elder Statesman (Princeton: Princeton U. P., 1963), p. 5l.なお DonaldGallupによれば,これより早く1923年4月以前に草稿があ
るとのこと (A.D. Moody, p. 337n).
34 T. S. Eliot,Sweeney Agonistes," Collected Poems, p. 135.
35 舞台上の人物すら誰ひとりとして理解できない男を扱った濠U, と 見 る の は Hugh kenner, p. 186. 1965年の再演をきっかけとしたこの作品の見直しについ ては, Katharine Worth, "Eliot and the Living Theatre," Eliot 仇Perspective:
A Symposium, ed. Graham Martin (Macmi11an, 1970), pp. 151‑155. 36 F. O. Matthiessen, p. 159.
37 G巴orgeWilliamson, p. 98.
38 T. H. Thompson,The Bloody Wood," T. S. Eliot: A Selected Critique (New York: Russell & Russell, c1966), p. 169.これは1934年に発表された もの.この推理にとって痛いことに,エリオットは草稿のシノブシスでポーター おばさんを殺すことにしていた(A.D. Moody, p. 337 n).このエッセイについ て MildredMartinが A de!ightful parody on over‑subtle critiω"と つ メ ン トをつけており,意を強くしている.残念なことは 要必読"の印がついていな いことである. cf. A Half‑Centuだyof Eliot Criticism: An A仰 otedBiblio‑ graphy of Boo是sand Articles in English, 1916‑1965 (London: Kaye &
Ward, 1972), p.68.
39 拙稿
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Ash Wednesdayを読むllJW同志社大学英語英文学研究~ 19号 (1978 年8月), p.49.40 神話の構造についてはドソLーを始めとして様々に諮られているが本稿では立ち 入らなかった. Northrop Fryeのように somekind of sacri五ciaIri tuaI "を 軽く指摘するのが限度だろう. cf. Eliot (Edinburgh & London: Oliver &
Boyd Ltd., 1963), p. 61.なお spiritual metamorphosis"の観点、から,いく つかの単語をその語源に遡って検討する DavidWardの仕事があり, 当否はと
もかく注目に値する. cf. T. S. Eliot Betweeπ Two Worlds: A Rωding of T. S. Eliot's Poetry and Plays (London: Routledge & Kegan Paul, 1973), pp. 35‑37.
41 The awful daring of a moment's surr巴nder,"(The Waste Land, 1. 402). 42 The injured bride" in Elegy," The Waste Land: A Facsimile, p. 117.