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(1)

アメリカ刑事司法の一断面(2)(庭山)

9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 , J  

' 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 9 , ' J

ー ト [

〗研究ノ

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シンシナティ警察での見学

︑ \

八月一日同の午後︑最初に連れて行かれたのは犯罪予防班 ( C r i m e   P r e v e n t i o n   U n i t )   直接に班員の何人かに会わせられた︒中に一人だけ黒人の女性 警察官がいた︒彼らが口々に唱えたのは薬物等濫用

( s u b s t a n c e a b u s

e ) への戦いがいかに厳しいかであった︒日本の情況を聞く

と一様に羨望の嘆息をもらした︒手渡された粗末なパンフレッ

であった︒班長は外出中とのことで

ア メ リ カ 刑 事 司 法 の

断 面

三 七

齢層は別である︒そしてこの世代における主要な死亡原因は飲

酒運転と薬物濫用運転とである

涼ワイン飲料︑グラス一杯のワイン︿五オンス入り﹀︑ 一カンの清

あるアメリカ人の研究によれば子供を虐待する親の三六%は

薬物等濫用者である︒またアルコールに関するギャラップ調査 イスキーはみな同量のアルコールを含んでいる︶︒

︵一

カン

のビ

ール

一口

のウ

死亡率は年々減少してきているが一五歳から二四歳までの年 ればその実態は次のようである︒ 卜

( C i n c i n n a t i   P o l i c e   D i v i s i o n , a   D r e   t o   S

ay o  N  ! ,  19 88 )

によ

( 2 )  

8‑4 ‑491 (香法'89)

(2)

して

いる

物に関係する︒

シンシナティ地区が属するハミルトン郡に たいていの薬物を最初に用いる年齢は/几七六年以来着実に シンシナティ地区

( G r e a t e r C i n c i n n a t i )

には約一四万五千人

のアル中がおり︑

無断欠勤によって雇用主にかけている経済的 負担︑治療に要する費用︑生産の低下︑物的損害の総額は年に

三億四千七百万ドルに達する

害薬物購入に消費されている︶︒

0

歳以下の七百万人に及ぶ青少年がアル中の両親とくらし

アメリカの青少年は/八歳までに学校で 1万;千時間をすご

一万五千時間以トテレビを見るが︑六つのコマーシャルの

うちの︱つはアルコールもしくは他の薬物のためのものであ

シンシナティ地区の犯罪中︑売春の九五%︑夜盗の七五%︑

強盗の六

0%

︑手形・小切手詐欺の五

0%

︑万引の五

0

%が薬

アメリカの総生産の

: o

%が健康確保のために消費され︑

低下してきており︑

べての医療の.六%がアルコール依存症ないし薬物中毒に関係

し ︑

( d i s e a s e )

アメリカ医師会と世界保健機構とによってアル中は病

第七年生五人のうち一人と第一︱一年生二

0

人のうち三人とは

タバコを吸っており︑同年生の↓

%は無煙タバコを用いてい1 ^

以上の実態なのでオハイオ州の関係機関が協力してとくに子 供らを薬物から守るために薬物濫用阻止教育

( D

r u

g R e s i s t a n c e   Ed uc at io n)  

Ab us e 

を展開している︒むろん成人が放置さ

れていいわけがなく︑広く一般向けには薬物等濫用反対市民運 る ︒ のうちこ%は毎日であった︒ リワナを使用し︵全国規模の家庭調査では二四%であった︶︑ ハミルトン郡の第七\︱︱圧工生の二五%は過去一年の間にマ

いる

し︑同年中のアル中関係の死亡は一万人に達すると報道されて と見なされている︒

てお

り︑

ハミルトン郡の第の六%と第七年生の までにそれぞれ飲酒を始め︑その中の二%は毎日飲酒している︒七六年から八一年までの五年間に六倍にも激増した︒

二年生︵高三相当︶

‑%とが過去一年の間にコカインを試している︒

一九八七年には全米でコカイン中毒のため六︱︱一人が死亡 ︵同地区では毎年九百万ドルが有コカイン中毒のため治療を求めてきたアメリカ人の数は一九 同郡の青少年の四分の三は一六歳までに︑ 平均年齢は によれば家族三つのうち︱つが飲酒問題を抱えている︒おいては第七年生︵日本の中一相当︶

一歳

であ

った

三分の一は一三歳 が最初に薬物を使用する

三八

(3)

アメリカ刑事司法の—断面(2) (庭山)

多くの市民が見守り︑

テレビカメラもにらんでいる故か︑扱

三 九

いうのでそうするとブロックと見えたそれも鉄であった︒市警 こちから監視装置のレンズがにらんでいた︒

一見普通に見える 送車に送りこんだ︒

一人運び出されるごとに支援者らしい二団

( C

r i

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n a

u s t i

c e C

e n

t e

r )

近くのビ

g r

a c

e )

と書いてあった︒市の強制立ち退きに反対するグループ が立てこもったらしい︒しばらくして警察官が踏みこみ︑

丘階の一室から

1人づつ運び出した︒ ビル

タンカに寝かせてひもで くくり︑消防車から高くのびたラダーを伝って下におろし︑護 から拍手がおき︑タンカの若者が手をふってそれに答えていた︒

いは実にていねいであった︒犬も一匹運び出されたが︑

それは 動物専用の護送車に入れられた︒夢中になって見ていると一人 の中年の男が近づいてきて﹁お前は市役所の者か

L とたずねた︒

であ

ろう

︒ 翌日は捜査部へ行った︒同部は市警察本部とはかなり離れて いて︑刑事司法センター ルの中にあった︒ビルの外側にはなんの表示もなく︑中に捜査 ドアも部厚い鋼鉄でできていた︒受付に何人か警察官が坐って

いたが防弾ガラスで囲まれていた︒下の方の壁を叩いてみろと

つには﹁家なきは国の恥﹂

( H

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  D

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  ,  ビルのまわりにはたくさんのビラが貼ってあったが︑

ニティの間から自然発生的に生まれたポリスと国家によって合

その

コミ

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( C i t

i z e n

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bu

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)

が組織されている︒

麻薬問題はアメリカのアキレス腱とかねてうわさには聞いてい そうこうする中に班長の

D

中尉が戻ってきていてレッツゴー という︒彼の車に乗るとダウンタウンをあちこち案内したいち 消防署に乗りつけた︒:階に

t

っていくと数十名の警察官が待 機していた︒そこで説明を受けてようやくわかった︒

近くのビルでの不法占拠者

( s q u

a t t e

r ) を排除しにいくのだとい

~

i

ヵ ;

D

中尉の

t r l J

中佐から目撃の感想をきかれ︑﹁法秩序の維持S

と人権の保障との調和を保とうと精;杯努力している様子が看 取された﹂と答えると彼はうれしそうであった︒さきに私はシ ンシナティ警察の成立の歴史を長々と記したが︑警察の行動と

その成り

L I L ちとは無関係ではないと考えたからである︒

目的的に作られたポリスとの間に行動形式の違いがあって当然 部があるとは誰にもわからなかった︒しかし警戒は厳重であち

~。

らしし

宿舎に帰ったら知人に冷やかされた︒

フロントガラスを通して私の顔も写っていた たが聞きしにまさるひどさだと痛感した︒

むろんノウと答えたが︑私はこわくなって近くに駐車してあっ

たD中尉の車に逃げこんだ︒

の正面であった︒ やがて作業が終り︑

D

中尉のマス

コミインタビ上︐ーが始まった︒それがなんと私の乗っている車

8 ‑4 ‑493 (香法'89)

(4)

生した殺人放火事件だといってビデオを写してくれた︒捜査官

Jいつはまだやめないなどと付近の同僚を平気で指さした︒車

察本部とは異なり︑ここにはピンとした空気が張りつめていた︒

最初に配属されたのは殺人班であった︒接待役は長老格の

F

専門員︒この前まで中尉だったのだが︑

ともに古い名剌もくれた︒古い名刺を毛油区すときはさすがに少

し照れていた︒そのはにかんだような表情を見て私はいっぺん

に彼が好きになっ︑た︒彼は私をキッチンに連れていって茶色の

液体のにおいをかかがせた︒それはコーヒーだったが︑私の飲 みなれたものと違っていた︒そういうと﹁残念﹂といって別の に用意していたものらしい︒二人でコーヒーを飲んでいると一

人の三

0

代の女性が人なっこく近づいてきた︒すると

F

氏は彼

女に﹁日本語を知っていると言ってたな︑

告げた︒彼女はたどたどしい口調で﹁どうもありがとうござい

ます

と言

った

異国であることを実感した︒ しゃべってみろ﹂と

それだけであった︒私は日本という国が遠い

私が

F

氏に手続の実際が見たいと希望をのべると︑今朝方発 が現場のビルに入るところから撮ってあった︒廊下をたどって

一室に入るとベッドの上に全裸の黒人女性が横たわっていた︒

下腹部のヘアがなまなましかった︒まわりには焼けこげた家具 類などが足の踏み場もないほど散らばっていた︒放火されたた

め指紋もとれず︑捜査は難行するとの見通しであった︒

別の事件で犯人を特定していく一連の作業を見せてもらっ た︒これが容疑者だといってあるビルに出入する中年男のビデ

オを写し出した︒刑事が張りこんで隠しどりしたものだという︒

その男の指紋がこれ︑現場に残された指紋がこれといって二枚

いくつかの特徴点や類似点が矢印

で示

され

︑ それぞれにコメントが付けられていた︒部下の一人 が私を暗室に案内し︑顔写真や指紋写真の拡大のしかたやいか してくれたが︑試射に用いる箱の長さが一メートルと短いのに

三日めは強盗班から始まった︒見上げるような大男が腰にピ

と事件が発生したら直ちに現場にかけつけるためだとのこと︒

大取物を見せられないのが残念そうであった︒

次が窃盗班であった︒机の上に﹁おタバコはご遠慮下さい﹂

と書いたサインボードが置いてあって少し気が滅入った︒﹁えら

く厳しいですね﹂というと︑あいつとあいつとにやめさせたが︑ 大なカードを見せてくれた︒

ピストルをもっている理由をきく

ストルで執務していた︒手口の分類をしているのだといって膨 は五メートル位あった︒ はびっくりした︒

一九七四年にイギリスの某研究所で見たもの

コーヒーをいれてくれた︒新しいコーヒーはどうやら私のため

にして鮮明な画像をうるかを説明してくれた︒弾痕鑑定も実演 のハガキ大の写真を示した︒

と言って現在の名刺と

四 〇

(5)

アメリカ刑事司法の一断面(2) (庭山)

日本の代監問題の責任はまさしく最高裁にあろう︒ 窃盗の捜査方法について詳しく説明してくれた︒私が自分の車の車種と年式とをいうとファイルを取り出してエンジンナンバーがいくつかまでたちどころにポした︒プロの犯人は盗んだらすぐにバラしてしまうのでこのような分類が必要らしい︒

︱一一番めは詐欺班であった︒初め同班長に会ったが︑私の希望

をきくとすぐに:人の専門員のところへ案内した︒彼はコンピ ュータにさかんにデータをインプットしていた︒私はイギリス の菫大詐欺犯罪への対応について研究していたのでアメリカで の対処の仕方に興味があった︒複雑な商業上の詐欺を見破る仕 方についてていねいに説明してくれた︒このような複雑な問題

かった︒捜査官だから当然といえば当然であろう︒

たくさんの警察官に接してみて強く印象に残ったのは︑被疑 者の口から証拠をとることにほとんど関心がない点であった︒

したがって警察署に被疑者を留めおくことについてもほとんど 執心がなかった︒見事というほかないほどであった︒どうやっ

てこうなれたのであろうか︒ミランダ判決の影響だとするなら︑ を素人集団の陪審がさばけるかについての問題意識は彼にはな

刑事司法センターでの見学

合った︒日本のいわゆる自白再現ビデオについても聞くと︑最 終的には裁判所が決めることだがと前おきして︑自己帰罪拒否 特権があるのでおそらく証拠としては認められないだろうと述 べた︒そのあと私は思いきって刑事司法センターを見学できな

M

刑事を案

いかとたずねた︒すると彼はどこかに連絡をとり︑

内に立ててくれた︒二人で最初に

B

所長に会った︒私が日本か

ら来たと聞くと︑棚からアルバムを取り出してきてたくさんの 京都の写真を見せた︒京大工学部に留学している息子夫婦を前

年訪ねたとのことであった︒

とにかく一巡してこいとのことで所長代理の

C

氏を案内に立 ててくれた︒被逮捕者を受けつけるところ︑彼らを留置してお

くところ︑接見場所︑面会所︑ラインナップの部屋︑拘置所︑

軽拘禁刑務所︑炊事場所︑裁判所などを一通り見た︒

C

氏はま ことにオープンで到るところで写真をとってよいと言った︒拘 置所では中に人がいるらしいのにドアを開けて写真をとってい いとさえ言った︒だがこれは私の方で遠慮した︒炊事場所を通 りぬけたとき私の後で大きな物音がした︒誰かがわざと物を落

その日の午後

F

氏と捜査や捜査科学についていろいろと話し

‑'‑

8 ‑4‑495 (香法'89)

(6)

司法センターについて少しコメントしておこう︒同センターは 基本的には起訴前手続を効率的に行うために関係機関を

1か所

に集めたものである︒すでに見学したもののほか次の施設も備 えられている︒公設弁護人事務所

( P u b l i D c e f e n d e r ' s   O f f i c e )

保釈調査官事務所

( G r e a t e r C i n c i n n a t i a   B i l   P r o j e c t )

︑保釈金 事務所

(B on ds

)︑令状事務所

( C e n t r a l Wa rr an ts

) ︑保安官事

務所 ( S h e r i f f O ' s f f i c e )

︑裁判割廿事務所

(A ss ig nm en Ct om mi

s  , 

s i o n e r

) ︑刑事執行吏事務所

( C r i m i n a l B a i l i f f )

夕方

M刑事と私とは警察に戻った︒

という私の願いにそって所長が種々の関係機関と折衝し︑ 望を述べるとあちこちに電話をかけ始めた︒

すべ

ここで便宜︑刑事

M刑事は︑自分は警察

官でありながらこれまで刑事司法センターについてよく知らな かったと大喜びであった︒プロフェッサーが京大出身だとわか ったせいか所長が急に親切になったとも上司に復命していた︒

実際そのようであった︒捜脊から

t

訴まで全刑事

f

続を見たい

:ダ名の被疑者などか書かれていた︒ ら直接本人よりの電話によってなされており︑二六名中1

九名

某月

某日

公設弁護人事務所訪問

務所

( O f f i c o e f   t h e   Ha mi lt on   Co un ty u   P b l i c   De fe nd er )  頭した︒すでに弁護士五︑六名と女性事務員数名とが出勤して

いた︒同事務員は忙しそうに書類を作っていたが︑

警察関係であり︑

事実︑予約弁護士名が記されていた︒予約は警察やセンターか

が予約済であった︒もうご枚はハミルトン郡保安官関係であり︑

このうち弁護士との面接

二六名の被疑者につき事件番号︑名前︑被疑 面接予定の被疑者のリストであった︒二枚あってその一枚は市

それが当日

に出

この日は週未であったが約束なので午前八時に事

氏らが気をきかせてくれたらしい︒一瞬胸が熱くなった︒

一巡して所長室に戻ると所長の態度が一変していた︒交換し

た名刺のせいであろうか︒ほかになにが見たいかというので希 頭にくるらしい︒ 背の低い男が偉そうに歩き廻っているのを見ると︑被収容者は とを何度か経験していたのでもう驚かなかった︒黄色い顔した したらしかった︒しかし私はイギリスのプリズンなどで同じこ

B

中尉の車で送られて門を出ようとすると停止プザーが鳴っ

てアレンジメントをとってくれたのであった︒

好運であった︒ これまた全くの

た ︒

B氏が驚いて戻ると誰かから^^

C i n c i n n a t i   P o l i c e

"

というネ

ームの入った作業帽が届けられた︒日本へのお土産にとのこと であった︒明日から刑事司法センターに身柄が移されるので

F

(7)

アメリカ刑事司法の一断面(2)(庭山)

っている被疑者に対し﹁誰でもいい﹂と呼びかけた︒ ん面接を始めた︒﹁名前は﹂﹁被疑事実は﹂に始まり︑いろいろ 予約済の者は/

0

名にすぎなかった︒郡部の者に予約が少ない

のは弁護

t

事務所がダウンタウンに集中しているためであろう 換して握手した︒中に黒人︵といってもブラウン︶

人いたが︑彼は検察官だとのことであった︒長老格の弁護

t

︵ も

と裁判官の由︶

J

カオ

に﹁仲がいいですね﹂というと﹁日本ではどう と笑いながら公設弁護人と検察官とが仕事

t

ではいつも

一人の若手の弁護士が﹁ところでヒデオはなにが知りたいのか﹂

﹁実際が見たいのだ﹂というとそれではついてこいと言っ

て立ち上った︒

初回面接

( i n i

t i a l

i n t e

r v i e

w ) の部屋は弁護人事務所に続く長 細い部屋であり︑透明なしゃへい板の向こうは拘置施設であっ た︒すでに数十人の男が廊下にたたずんでいた︒その右端に看 守係が監視に立ち︑時々房に向かって呼出をかけていた︒

なことを聞きながら記録をとる︒予約の六人が終ると︑

L

護士は‑番奥のボックスに腰かけ︑私を隣りに坐らせてどんど

まだ残

このよう 私が と口をはさんできた︒彼が紹介されていた

L弁護士であった︒

連絡しあってる様子を説明してくれた︒話のとぎれたところで

の若者が

いつの間にか弁護

t

が .

0

人位にふえ︑ ヽ~゜

人/人と名刺を交

こゞ

t

ここはアメリカの法廷だと思いなおした︒

紹介して にしてさらに二人に会った︒

一人が坐り

L

弁護士は手帳を見ながら﹁今日

は六人と弁護製約が整った︒まあまあだな﹂と満足げであった︒

そのあと治安判事の部屋に案内された︒L氏が

D

判事を私に

﹁この判事はよくマスコミの話題になるのだ﹂という とニコニコしていた︒しばらく話をしたあと﹁レッツゴー﹂

声にうながされてついていくとそこは法廷であった︒自分の隣 りの裁判官席に私も坐らせてにこやかに私を紹介した︒誰もな

にも言わなかった︒右手下には検察官がこ人いた︒

1一人が立っていた︒左手

F

には女性の書記官などが坐り︑

正面

の長イスには被疑者・被告人・弁護人・証人などがたくさん坐 っていた︒大学の中教室位の法廷がいっぱいであった︒裁判官 に呼ばれて被疑者が正面に立つと看守係

( D

e p

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S h y

e r i f

f 保安

官代

理︶

がすぐ近くに立つ︒腰にピストルが見えてギクリとし 裁判官に提出されたシートを見せてもらった︒長細いシート

で上が依頼人記録

( C l i

e n t '

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o r

d )

下が貧困に関する宜誓供 述 書

( A f f

i d a v

o f i t

  I n d i g e n c y )

であった︒上部には

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l   R

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などの項目があり︑下段には

I n

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A s s e

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Ma

jo

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f   0 

f f i c

e r ,  

Na

me

  of

  N o

ta

ry

などの項

8‑4 ‑497 (香法'89)

(8)

で映画を見ているようであった︒結局︑夫は拘束と決まって看

て 目があった︒後者には公証人

(N ot ar P y u b l i c )

の証明まで必要

なので意外だった︒

裁判官席から見ていると

L

弁護士が時々席をはずすのがわか った︒あとで聞くと身柄拘束中の被疑者に会っていたのだとい う︒さきの初回面接室のほかに通常の面接室もあり︑接見は自

由だという︒

L

氏はときどき被告人と並んで立って弁論もした︒

ったのは保釈の許否に関するもので︑ほとんどが保釈を許され︑

即座に保釈金を言い渡されていた︒今失職中でそんなには払え ないなどと文句をいう者もいたが︑保釈が許されると一様に足 次に多かったのがアレインメントであった︒たいていが自認

していたが︑中に一人だけ若い女性で完全無罪

( D e f i n i t e l y No t  G u i l t y

) を主張した者がいた︒訴因は軽窃盗であったが︑裁判官

は怒ったように﹁ディーエヌジー﹂と一声大きく叫んだ︒

あと割当事務所へ行くようにと述べた︒仮予防命令

(T em po

ra ry r   P ev en ti on   Or de r) という耳なれぬ裁判もあった︒夫が裁

判官の前でくどくどとなにか述べた︒すると.妻が証人席に立っ

﹁夫が家に帰されればまた乱暴する﹂と言って泣いた︒ その

まる 然と看守に引かかれていく者もいた︒ どり軽く法廷から出ていった︒むろん︑保釈が許されずしょう 最下級裁判所なので裁判の種類はいろいろであった︒

一番

多か

の直後に保釈調査官による調査が行われ︑ 守係に引かれて去った︒

裁判終了後

L

弁護士に割当事務所へ案内してもらった︒小さ な銀行のような内部であった︒カウンターごしに

L

氏が係員に

なにかいうと係員はコンピューターのキイを叩いた︒すると裁

判官の名前と開廷予定が画面に出た︒

L

氏が期日を入れてそれ で終りであった︒そのあと控室で公設弁護人制度の功罪につい てたずねた︒答えはほぽ次のようであった︒同制度はすでに二 Ac

ce ss   t o   J u s t i c e )  

十分

で︑

(E qu al   がスローガンであった︒心ある弁護士はそ

の呼びかけに応じて登録した︒しかし報酬は十分ではなかった︒

しかもかつては予備審問のときに裁判官に吸び出されて被告人 に初めて会うのが普通であった︒これでは捜査段階の弁護が不

とくに保釈についてなんの助言もできなかった︒そこ 自ら評価の高いロースクール出だというだけあって彼の説明

は明快だった︒私がうなずくと彼はさらに次のように続けた︒

当地区では被疑者は逮捕されるとストレートにここに連れてこ られる︒留置場に入れられて翌朝には公設弁護人に会うことが

でき

る︒

そのあと治安判事の前に引致される︒当センターでは 身柄引受

( I n t a k e )

治安判事はその調査書を見て法廷に臨む︒自分は公設弁護人に でこのセンターが作られた︒

0

年 以 上 の 歴 史 を も つ

︒ 貧 困 者 に も 弁 護 人 を つ け る

四四

(9)

アメリカ刑事司法の一断面(2)(庭山)

同僚であるが︑右の男性は今日はオフなのだという︒すぐにイ ンテイクの場所へ行く︒ちょうど小柄な黒人が逮捕されて連行

されてきたところであった︒容疑は麻薬所持︒看守係が被疑者 らで男性がサイクリング車の調整に余念がなかった︒いずれも

所長室を出るとすぐの部屋に女性二人が仕事をしており︑傍

中年の女性であった︒

W . N .

と名のる︒夫は裁判官だという︒実

に明快にしゃべる︒保釈制度の概要を説明してくれた︒私が日 本の問題情況について話すと目を丸くした︒被疑者段階に保釈

制度のないことが信じられないらしい︒﹁百聞は一見に如かず︑ 定期的収人も決してバカにならない︒弁護士としての毎日の生

四 五

番目は空部室だったので中をのぞかせてもらった︒左壁ぎわに

登録してはいるが専従ではない︒自分で事務所をもち民事を主

にやっている︒しかし公設弁護人制度を維持するのは弁護七の

義務だと思って週二回出てくる︒刑事弁護はやりがいがあり︑

保釈調査官事務所訪問

某月某日︑約束の午前一

0

時半に事務所に出頭した︒所長は 現場を見たい﹂とまたいうと若い女性の

M

さんを案内に立てて

を壁によりかからせて身体捜検︒持物を全部カウンター上に出

させて記録︒保管証

( P

r o

p e

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R y

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or

d  R

e c

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)

を手

渡し

た︒

続いて指紋をとり︑写真もとった︒留置場収容の手続が全部終 右の調査報告書の下段には点数表

( P o i

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があ

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のそれぞれについて七段階評価

(

3

3 )

をつけるようになっていた︒たとえば住居の項では︑現住

所に一年以上居住はプラス3︑過去五年間当郡に居住はプラス

ー︑前歴の項では軽罪三回まではマイナスー︑六回以上はマイ

ナス

3である︒この点数のトータルをもとにして保釈調査官は

裁判官に適宜サジェションする︒それが認められる率

( J u d

i c i a

l

﹁保釈が認められるまでどこに収容されるのか﹂と聞くと中に

案内された︒左に留置場

(L

oc

k‑

up

と呼んでいるとのこと︶が

並び右に接見室が並んでいた︒左側はがっしりと鉄格子で固め られている︒小部屋が四つと大部屋が一っあった︒歩いていく と何人かの男が格子につかまって私を不審そうに眺めた︒他は 思い思いの姿勢でくつろいでいた︒三番目の居房には女性だけ

がお

り︑

その中の一人も格子につかまって私をじっと見た︒四

くれ

た︒

Ac

ce

pt

an

ce

a   R

t e

)  

は七割弱だという︒

活は充実している︒ ったのち保釈調査官のインタビューを受ける︒

8‑4‑499 (香法'89)

(10)

で気づいたらしい︒

M

さんの説明で看守係は引きとったが︑外

来者は厳重な監視下におかれていることを思い知らされた︒

﹁司法的受容﹂の実際を確認するためMさんと共に再び法廷に

入った︒こんどは傍聴席から見た︒裁判の進行状況は先日とほ

とんど変わらなかった︒︱つだけ印象に残ったケースがあった︒

コカイン所持の現行犯で逮捕された一人の黒人が被告人席に立 て部屋の内部の写真をとると看守係がとんできた︒フラッシュ の部屋の電気を消すと隣の部尾が丸見えだった︒壁は特殊ガラ の研究室位の大きさ︶でここにも誰も入っていなかった︒これ

らはさきに見た拘置所の居室とは明らかに異なり︑生活を前提 として作られていなかった︒日本でいえばさしあたり警察の留

置場であった︒

右手の接見室の︱つに入り︑テープルを狭んで

Mさんと話し

ではないかとの疑問からであった︒

M

さんはそんなことはない

4

とし

と隣の部屋から話し声が聞こえてきた︒Mさんが私達

スでできているらしい︒二人の男が一人の男になにやらたずね

ている風であった︒しばらく様子を見ていた

M

さんは﹁すでに

自認している被疑者に捜査官が詳しく事情を聞いているだけ

だ︒自白追及ではない︒﹂と言った︒そのあと

M

さんの許しをえ こんだ︒この部屋で捜査官による被疑者の取調べも行われるの そって長イスのある簡素な部屋だった︒五番目が中部屋︵大学

能な弁護人で公設弁護人ではないそうである︒ ち︑弁護人がジェスチュアたっぷりで熱弁をふるっていた︒女性判事はだまって聴いている︒検察官がちょっとだけ発言︒次いで弁護人が警察官二人に質問し始めた︒二人ともていねいにやがて判決︒釈放

( d i s m i s s a l )

ということで被告人と弁護人と

は意気揚々といった感じで引きあげていった︒紹介された同弁 護人の解説によれば﹁警察官が踏みこんだとき被告人が立って

おり︑女性二人がベッドにいた︒その二人がコカインをもって

いたがなぜか告発されず︑被告人が逮捕された︒ところが留置

場が混雑していたので自宅待機とした︒今日︑被告人はきちん

急ぎの会話だったのであるいは不正確かも知れないが︑

そんなところであった︒Mさんらのコメントによれば︑彼は有

本筋に戻って

N

︑ およそ

M

両氏の話をまとめると︑ここでの保釈に

は三段階がある︒第一段階は警察であり︑上級警察官は許可権

をもつ︒第二段階は最初の裁判所の出頭時であり︑治安判事が

許可権をもつ︒そして第三段階が予備審問であり︑裁判官が許 可権をもつ︒この第三段階のための調査も保釈調査官の仕事だ

~

とし

( 0 .

R .   B

on d)  

Mさんから三通の書式をもらった︒第一は自己保証保

のためのものであった︒あなたが裁判所に出 と出頭した︒判事は怒って釈放したのだ﹂とのことであった︒ ﹁サー﹂をつけながら答えていた︒一人は返答につまって苦笑゜

四 六

(11)

アメリカ刑事司法の一断面(2)(庭山)

某月某日︑刑事司法センターのC氏をあっかましく再訪した︒

九医療刑務所訪問ほか

頭しないと︑重罪

( F e l o n y )

の場

合︑

ル以下の罰金︑もしくは併科のいずれか︑軽罪

( M i s d e m e a n o r )

の場合︑矯正施設収容一年︑ 五年以下の拘禁︑

方のいずれかに処せられると記されていた︒第二は条件付自己 保証保釈

( R e p o r t i n g R e l e a s e   0 .  

R .  

B o n d )   り︑事件終了まで約束の日時に係員

( c a s e w o r k e r )

のもとに出

頭する︑裁判所出頭ごとに保釈調査官事務所に立ちよるとの二

つの条件が付加されていた︒

第三は保釈保証金額決定のためのもの

欄には高額︑低額︑ のためのものであ

( C a s e  

五千ド

an d  B on d  I n f o r m a t i o n   S h e e t )

であり︑勧告される保証金額の

とくに要望なし

(N oP r e f e r e n c e )

の三つの

チェック項目があった︒その理由を示す欄には以下の︱二のチ

ェック項目があった︒他警察で指名手配中︑他州に住居︑武器

関連︑証人威迫のおそれ︑前科︑過去に不出頭︑現在保護観察・

試験観察・判決前調査中︑前歴︑他件で大陪審待ち︑精神障害

︵自傷他害のおそれ︶︑捜査続行中︑その他︒ 一千ドル以下の罰金︑

I n f o r m a t i o n  

もしくは双

四 七

を隣りの部屋から特殊ガラスを通して一方的に見られる仕組み ビジネスホテルと大差なかった︒ であったことが︑この部屋が拘禁施設であることを思い出させ

のが

あり

これはテーブルを兼ねているらしく︑その上にコカ

前回案内してもらったとき見逃した点がいくつかあったからで

あっ

た︒

まず接見室をもう一度見せてもらった︒前回の記憶で

は︑イニシャルインタビューの部屋ではしゃへい板に向かいあ

って電話で話していたのははっきりわかるが書類・名刺の授受

の構造がよくわからない︒今度はしっかり観察して写真もとっ

た︒部屋の左端に半径二

! O

センチ︑角度三

0

度︑幅五センチ位

の扇形の鉄製容器があってカギを入れると前後に動くようにな

っていた︒この仕組みなら日本でも採用可能のように思った︒

にウォータークーラーのような吸水器があり︑続いてステンレ

ス製の水洗便器がある︒左手奥にベッドがあり︑毛布と枕とは

一寸したホテルなみであった︒右手奥に背の低いタンス状のも

コーラのビンや読みかけの本などがのっていた︒ただ正面の窓

が細長くてとても人間がくぐりぬけられないような異常なもの

るにすぎなかった︒人口を外から見ているかぎり正直なところ

ラインナップの部屋も注意深く見た︒大学の研究室位の部屋

で壁に背を向けて六人が同時に立てるようになっていた︒それ

未決拘禁の部屋もこんどはしっかりと見た︒入ってすぐ右手

8‑4‑501 (香法'89)

(12)

残りの大きなビルは空き家であった︒建物としてはまだ十分 どに人定させるという︒イギリスでは

I d e n

t i f i

c a t i

o n について

部屋があるとは聞かなかった︒日本にもこの種のものがあるの

その日の午後︑所長から許可をもらったといって

C

氏は私を

郊外の医療刑務所に案内してくれた︒センターから車で三

0

位のところであった︒着いてすぐ看守長にあいさつした︒もの すごく暑い日で事務室の涼しさには救われる思いであった︒医 療刑務所は一階建てで両側に教室のような部屋がたくさん並ぶ

のような建物であった︒入って

すぐ右手の病室にはベッドに数十人が横たわっていた︒もう少

でなにかしていた︒集団セラピーとのことであった︒廊下には

いくつも電話が備えつけられていて何人かが使用中であった が︑彼らは私達が入ってから出てくるまで話し続けていた︒治 療にいいから制限しないと

C

氏は説明した︒

使用に耐えるが︑内部の施設が古くて人権保障上問題があるの

で菫拘禁

( P e n

i t e n

t i a r

y ) の部分のみ移転したという︒中に入っ

て見るとなるほど古かった︒三階まで吹きぬけの昔のアメリカ の脱獄映画に見るような構造で︑と三方いずれもコンクリートで窓はなにもなかった︒新らしい刑務所職員が入ってくるとここに三

0

分位閉じこめて処遇の参 考にしてもらうという︒帰途

c

氏は旧刑務所の大きなカギを二

いったんセンターに戻って今度は裁判所を案内してもらっ

た︒上訴裁判所

( C

o u

r t

o f

  Ap

p e

a l

s )

 

( C

o u

r t

  o f  

Co

mm

on

  Pl

e a

s )

 

なかったが︑後者では奥の部屋でC判事と会うことができた︒

陪審裁判については国民の声を裁判に反映させるためどうして も必要との優等生答弁であった︒近くの市裁判所も見たが法廷

の模様はさきの治安判事裁判所と大差なかった︵判事が冗談を

言ったりして︑ややくだけた感じがしないでもなかった︶︒

︿付記﹀本誌前号五五頁の山崎好士は山崎公士の誤りでした︒

詫びして訂正します︒

しいくと左手の部屋で一

0

人位の男性が一人の女性を取り囲ん 田舎の小学校︵むろん日本の︶あり︑刑事がほとんどであるが︑一部民事も扱うという︒また 同判事の答えによれば︑コモンプリーズ裁判所は陪審裁判所で いずれも開廷してい

だろ

うか

つお土産にくれた︒ の規制がきびしく︑れっきとした法律もあるがラインナップの

であった︒似たような人物を選んでいっぺんに並べ︑目撃者な

その︱つの独房に入ってみる

とコモンプリーズ裁判所

とを

訪ね

た︒

四 八

参照

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