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」と「別」 高

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(1)

別における「

」と「別」 高

別詩論考

松原

期は、離別詩が十分に

熟を 提には、初 げた時期である。その 後期における離別詩の

別詩と留別詩への分

六 があった。

時代の後

すでに 期には、離別詩は多くの作品數を集めて、

熟した文學の

は、 題となった。しかし當時の離別詩に

別と留別との

とは詩題にも反映されていて、「別~」「 別が十分に明確ではなかった。このこ

下に ~別」等の命題の らず、詩の本體においても、その 別詩も留別詩も作られ、作品によっては、詩題のみな

別の困 在していた。 なものも多く存

別と留別の

分が確立した

以 準をもってすればなお未 の基 熟な段階にあるこの六

詩は、しかし 期の離別

點を變えれば、

別と留別との十分すぎる

物 な位置關係を超えて、離別において互いに等質の感

(離別の悲哀)を共有することに

の な眼目をおく、獨自 この 張を持つ樣式だったとも言えるのである。

況に變

こるのが、初

四 いてである。王勃は「 (1) の一人、王勃にお これは 序」という新たな文體を創出する。

別の文宴で、列席

に對して一律に

促すこと趣旨とする、機能 別詩の制作を 文體である。この「

う。第一に、 現は、離別詩に二つの新しい局面をもたらしたと言えるだろ 序」の出 別詩の制作數そのものの飛

大。第二に、

別詩の多作

別詩の樣式

面に、 を促し、結果としてその反 別詩から

別された留別詩の樣式

ある。六 を促したことで 期までの

別と留別との

詩は、ここを端 別を持たない離別 に、

別詩と留別詩に明瞭に分

ある。 するので

別における「

」と「別」―高

別詩論考(松原)

31

(2)

初 後期に出現した、この

別詩と留別詩との分

ずと、兩 は、自

の命題方法の差別

にも反映されることになる。

別詩の代表

な命題は「

」「

る。 となり、留別詩のそれは「留別」として整理されることにな 別」また「餞」

*「留別」という命題そのものは、初

「留別」の語が最も早く離別詩の命題に用いられた作例として、 の末期に立している。

の三首が

げられる。宋之問「留別之

舍弟」、崔融「留別

杜審言并

洛中舊

」、張循之「

州留別

が最初か 使君」。いずれ 斷の決め手はないが、

には命題として立していた(張循之の くとも則天武后在位の末期 年は武后

なお「留別」が安定した命題として熟するのは、孟 にある)。 首の「留別~」と題する詩を殘した 然が五 後である。 (2)

もっとも

別詩と留別詩との分

「留別」という命題法が確立されるまでの を承け、留別詩に對して

(初 な一時期

末期)に、

別の詩の「

ら「別」の命題で稱することが行われた。またその影 」に對して、留別の詩を專

ぶところ、

期以後も「別」の命題は、

しかし として繼承されることになった。 に留別詩の命題 期において、「別」の命題を

別にも用いる詩 人が、例外

に存在している。その例外の代表格が、張

あり、おくれては高 で 系の命題は、 である。しかも彼らにおいて「別~」

別と留別との未分

の六

況をたんに

に引きずるのではなく、むしろ一定の表現意圖の下に、

別の詩に積極

の命題が特に に活用されていた。本稿では、この「別~」

別の場において用いられた作品に

「 目して、

なお にしたい。 」と「別」とに如何なる相であるのかを檢討すること 別の「別~」詩を考察するためには、一方の「

詩との對比が不可缺である。そこで順序として、「 ~」

の特 ~」詩

!についての

"單な確

#から始めることにする。

(一 ) 「

~」詩の特

! 張

在野の詩人、王勃によって端

$に就いた「

~」詩の量

%

は、宮

&の文學にも

'もなく波

する。

臺閣の詩人は、張 初期を代表する であり、彼において「

宮 ~」詩は確實に 張 &文學の一員として根を下ろすことになる。

は、官人が地方に赴任するときを捉えて、多くの

の詩を作っている。彼の 別

の關係にある友人ではなく、むしろ大部分は、上官と下僚と 行する官人は、必ずしも彼と對等 中國詩文論叢第十九集

(3)

の關係の中で、下僚を

まして 行するものである。張

科 が、

官僚の頭目として積極

に後 れるが(代表は嶺南の を提したことは知ら 詩文( である張九齡)、離別の場における 別詩)を介した交流は、彼が扶植した人際關係を確 する重 な機會でもあったに相

張 ない。

の「

以下に示す。なお線は、被 ~」を命題とする二七題(二九首)の詩題を、

の目 地・目 す部分である。 行爲を記

①奉和

② 宇文融安輯戸口應制

③ 郭大夫元振再使吐蕃 李侍

迥秀薛長史季

④ 同賦得水字

⑤新 王光庭

南亭

郭元振盧崇

⑦ 尹補闕元凱琴歌(公善琴)

⑧奉和 考功武員外學士使嵩山署舍利塔 製 金 公

⑨ 適西蕃應制

⑩ 鄭大夫惟忠從公主入蕃

崔二長史日知赴

⑪同賀八 州

公赴荊州 ⑫

⑬ 自羽林赴永昌令

⑭ 任御史江南發糧以賑河北百姓 王

⑮ 一嚴嶷二侍御赴司馬都督軍

⑯ 李問政河北簡兵

⑰嶺南 岳州李十從軍桂州

⑱奉和 使

製 王

⑲ 巡邊應制

蘇合

喬安邑備 趙二

書 昭北伐 南中 北使二首 趙順直

中赴安西副大都督

宋休之蜀任

!梁知

"渡海東

#嶺南 使二首

$梁六自洞庭山作

以上の「

~」詩の最たる特

%は、多くの詩題中に被

の目

地點、あるいは目

行爲を

&體 に書き とである。六 'んでいるこ (期の離別詩は言うまでもなく、直

)の四

*の

別における「

」と「別」―高

+別詩論考(松原) 33

(4)

「 詩は當時、假に個人の ずしも大勢ではなかった。 ~」詩の場合でも、これらが詩題に明記されることは必

第三 で取り交わされたもであっても、

に公開されることを

提としていたことは、このさい 意を

する。假に離別という

そのものを

ける作品であれば、雙方の當事 し、離別の哀傷を純粹に取り出して表白することに關心を向 題と

にとって、目

地點や目

行爲の明示は不必

なものである。しかも第三

である讀

に對しても、このことは

となるだろう。それにも拘わらず、張 題の在處を曖昧にしかねない蛇足

記していることは、 があえてこの點を明 するに、離別そのものを

ではなく、被 題とするの の行

の目

を第三

「體に、 知らめること自にし

~」詩制作の

張 唆している。 な意圖が置かれていたことを示 が 行した

の大部分は、任務に赴く官人である。張 の「

~」詩によって彼の名と官

らず、廣く官界に知られることになる。被 のすぐれた傳播力に乘って彼の話題は、當の離筵の場のみな は書き留められ、文學

な は、そのよう 別の詩を

られたいと願い、張

はそのように

る詩を され

ることによって、被

との

に人際關係を扶植す るのである。

一面として、このような世俗 別の詩が作られる文宴とは、その確かな

ところで上記の「 計算の交錯する場でもあった。

~」詩で、官人の公務を帶びての

ちを 立

行する作は、①②③⑦⑧⑨⑩⑪⑫⑬⑭⑮⑯⑰⑱⑲⑳

の二二首であり、しかもその大部分は國

制作と考えられる。すなわち張 における の「

~」詩は、

(國 中央

)において、

官人の赴任を

る。比喩 行するものが大勢を占め な言い方をすれば、皇

對する配慮を「代 の地方に赴任する臣下に 」する

線で作ることを、基本

としている。事實、張 な性格

のこれら「

~」の詩には、三首の

「 製に奉和した應制の作(①⑧⑱)が含まれていることは、

~」詩に

在するこうした儀禮

かつ

威 拙稿「六 するものと理解して良かろう。 な性格を象

!期における離別詩の形

中心として」(『中國詩文論叢』第 "(下の一)何遜を 六 11において、集、一九九二年)

!期の

別詩が

に「別~」系の命題を用いる

#均 の中で、あえて「 $況 いて、以下のように ~」の命題が用いられる特殊な場合につ

%べた。

!離別詩に現れる「

~」の命題は、

&詩におけるよ (3) 中國詩文論叢第十九集

(5)

うに 別と留別との對立の中でその一方の

るものではなく、一義 別を標記す にはむしろ、離別の場の性格 規準におきつつ 均の場合には儀禮性の濃淡、また公私の別を

別詩の中で

擇 のであったことを示唆するであろう。儀禮を に使い分けられるも

あくまでも私 しない、

が と理解される場においては、たとえそれ 別の詩であっても、必ずしも「

なかったと言うことである。(六二頁) ~」とは命題され

以上に指摘した六

期における「

儀禮性と ~」詩の性格、すなわち 威性とは、張の「

~」詩においても基本

繼承されていると に 斷される。(そしてこの點が後

うに、張の「 するよ ~」詩を、彼自身の

別の「別~」詩から 別するものとなる)。

*この「

~」詩の性格についての

斷は、

の、中央(國 )ならぬ嶺南・岳州という邊境にあって作られた例外

な 篇が、それにも拘わらず「

味を確 ~」の命題を用いることの意 することによって、一

明らかである。

嶺南 使 南中 北使二首

嶺南 使二首 先の三首は、嶺南の邊境に在りながらも、張は上位にある公 岳州李十從軍桂州 力の行使

として、國

に歸る使

を り出す。また

が、その職務の一 州の作についても同樣であり、岳州刺史という地方行政の長官 の岳 を壯行する。このような作 として、官命を帶びて桂州に赴任する官人 の置かれた「

作詩において「 威ある立場」が、

~」の命題を

擇させているのである。 (4)

(二 ) 「

~」詩の特

孟 然

文人官僚として頂點(宰相)を極めた張は、一つの極端な事例である。そこで

孟 に、もう一方の極端にある在野の詩人、

然を取り上げてみよう。孟

然にあっては、

中央(國

)において、

基本 官人の赴任を壯行するという二つの條件は、

に備わってはいなかった、その彼において「

は、張のそれと如何に ~」詩 續する特

孟 を示すのであろうか。 然の「

~」詩の特

先ず明瞭である(線は、 は、以下に記した詩題において 立つ

の目 地と目

行爲)。

② 丁大鳳進士赴舉呈張九齡 遊韶陽

別における「

」と「別」―高

別詩論考(松原)

35

(6)

④ 陳七赴西軍

從弟

⑤ 下第後尋會稽

⑥和盧明府 辛大之鄂渚不及

鄭十三還京

⑦高陽池 寄之什

⑧鸚鵡洲 朱二

⑨ 王九之江左

⑩ 王七尉松滋得陽臺雲

⑪ 張子容進士赴舉

張參明經舉兼向

⑫ 州覲省

⑬ 之房陵

宣從事(一作

⑭ 蘇六從軍)

⑮早春潤州 桓子之郢成禮

⑯ 從弟還郷

⑰洛中 事之越

⑱ 奚三還揚州

⑲ 八從軍

⑳ 元公之鄂渚尋觀主張驂鸞

王五昆季省覲

崔遏

盧少府使入秦

袁十嶺南尋弟

袁太 尉豫章 下 辛大之鄂 席大 賈昇 之荊府

洗然弟進士舉

韓使君除洪州都曹(韓公父常爲襄州使)

莫甥 昆弟從韓司馬入西軍 山

蕭員外之荊州

王昌齡之嶺南

張去非遊巴東

朱大入秦 友人之京 張中遷京

!新安張少府歸秦中

"

杜十四之江南

#然が

り出した「被

限りでも、科 $」は、詩題によって知りうる

%に應ずる

$、地方官として轉任する

する $、省覲

$、

&魄して故

'に歸る

$、漫 (に出る

$、等々、樣々 中國詩文論叢第十九集

(7)

な境 の人を含んでいて、張

が專ら地方に赴任する官人を

行したのとは、

なった樣相を

している。孟

た張 の士であり、彼がその世界で交わりを持つ人々は、臺閣にあっ 然が在野

の場合とは

しかしこのような制作の場(つまり被 なって「雜多」だったのである。

を含みながらも、孟 の身分)の相 然の「

~」詩には、張

た共 との目立っ

點がある。それは、詩題の大部分が

立つ の目

點と目 地

行爲を明記することである。三八首の「

題は、四首の例外(⑦⑬ 」詩の詩 )を除いて、他はすべて「

(人)(目

)」の

を っている。例えば、①「

鳳・ ・丁大

士赴舉

張九齡」は、丁大鳳なる人が、

るべく出發するのを 士科に應ず 行(また

せて めの便宜を 路の張九齡に合格た 託)するものである。また

「 嶺南」は詩友の王昌齡が、嶺南に(左 ・王昌齡・之

されて)赴くのを

行したものである。このようにして作品の

な關心は、對

のである。 の未來の行爲(これから何處で何を爲すか)に向けられる

こうして孟

然は、張

の「

~」詩と基本

有している。生涯の大部分を襄陽の地で在野の士として な性格を共

ご した孟

然は、「

~」詩が傳統

に持っていた

禮性を、彼なりの 威性・儀 元に引き下ろして「

地方から科 倣」したのである。

受驗のために國

に上る

に赴く官人のように壯行するのは、 年を、あたかも任地 である。また覲省という名目の歸も、それが儒家 別詩制作の恰好の機會

倫理に根據がある故に、 な家族 別の詩をもって嚴かに

相應しい機會となった。こうして孟 り出すに 然は、宮

!の公

の場に 儀禮

"熟した「

~」詩を、民

#の儀禮

空 した。こうした工夫を #の中に移植 して、「

~」詩は、六

$以來の閉

%された宮

!官場から解放され、在野の廣汎な作

入れることができたのである。 &を手に

*孟

然が文學史上に果たした役

ように隱 'は、在野の詩人が、從來の (を氣取るのではなく(

)い 世 去では王績のように)、

#な關心、あるいはより積極

な立身への願

*を 世界(一例としての 持しながら、それまでは官僚貴族しか參加できなかった文學の +直に保 別文學)に加わる方

ある。この ,を發明したことで -點で言えば、孟

然の文學の中に隱

(( の志向を見出だそうとするのは、それが彼の文學の重 .淡)へ であったとしても、彼に與えられるべき文學史 な一面 を /價とは方向 0にしている。

別における「

」と「別」―高

1別詩論考(松原)

37

(8)

もっともこの時、孟

然は一個人の立場で「

ていると解釋するのは、正確ではない。孟 ~」詩を作っ の 彼がこのとき據って立つ基盤だった。彼はいわば名士の一人 地とも言うべきものが、團集士名の在ま彼が屬する團體、つり 然にとっては、

格において、その土地を代表して

である。つまり張 (5) 行の詩を制作したの から孟

然に至るまで、「

の作 ~」詩

は、一貫して集團に屬し、その集團の

識を體しながら、對 員としての意 の未來の行爲(また特に世俗

に關心を向け、理性 營爲)

を事としたのである。作

に屬した、 個人

去の回想を本質とする

な惜別の感

露は、「 の吐

~」詩の

な關心事ではなかった。

(三 ) 「

~」詩の特

小結

これまで張

と孟

然の「

~」詩の性格について、

に考察を加えた。その結果を、箇條書き風に整理すると 單 第一に、「 ようになるだろう。 の ~」詩は

皇 威性・儀禮性を持つ。この性格は、

が地方官の赴任を

てこれを「 行する式典を範型として、文學によっ 倣」する樣式と位置づけることができる。張

の「

~」詩が中央(國

)において官人の赴任を

行する のは、その範型に最も

倣であり、孟

然の「

が地方(襄陽)において科 ~」詩

の受驗に上る

を 範型から比較 行するのは、

ざかった

第二に、「 倣となる。

~」詩の作

は、

なく、 常いうところの個人では と被

の雙方をその

員として含んだ團體(利

ないしは價値

で結ばれた集團)である。作

その團體(張 は、いわば における官僚集團・孟

士集團)の 然における在地の名

員としての

格において、「

當たるのである。從って、そこでは個人に屬する ~」詩の制作に

素(被

との個人

な交

に由來する惜別の哀傷など)は、不

第三に、「 ものとして排除される。 な ~」詩の

な關心が存するのは、被

未來の行爲(また特に世俗 の ての理性 營爲)であり、またそれについ (つまり

ねは世俗

)な

である。その被

の未來に豫定された行爲は、彼が團體の

を よって、團體の關心事でもある。この意味は、地方官の赴任 員であることに 行する場合に、とりわけ明瞭となる。被

治績を上げることを が赴任地で し、また順

彼を な歸を期待するのは、

當な り出す團體(官僚集團)として最も自然で、しかも穩

別の言辭となるのである。 中國詩文論叢第十九集

(9)

第四に、「

~」詩は、「沿路の敍景」を修辭の特

「 とする。 (6)

~」詩の

べる言辭が「理性

な 文學にならない。そこに不足している離別の場に相應しい 」だけであっては、

を補償し、擬似

敍景」だったと理解して良かろう。 に惜別の氣分を演出するのが、「沿路の

の敍景」とは、作 別の詩に現れる「沿路 の惜別の想念が、豫定された

中を、對 の風景の された抒 の影と手を携えながら辿ることを演出する、計算 の敍景」は、 の樣式なのである。しかしながらその「沿路

ねは實感を

だけに うことなく文獻知識を點綴する

なかった(正確には、 わって、修辭伎倆の披露の域を超え出るものは、少

剩な感

の吐露は、そもそも集團の 員に相應しくない蛇足として、意識

このような性格を持つ「 に抑制された)。 (7)

た一部分を代表するものとはなり得ても、決して圓滿な ~」詩は、離別の文學の限られ

示すものではない。その を

な原因は、作

立場で、その離別の事件に直截に關わることができなかった が個人としての

ことにある。「

~」詩には、目

に の關心が稀 たわる離別について であり、

するに、作

と被

れた えら

の如缺が想回し、この回想が詩の中に呼び誼交の去

こす惜

が稀

なのである。 *念のため附言すれば、「

ることは、作 ~」詩が離別に無關心な樣式であ 個人が被

一應は別の事柄である。ることと、しかし同時に、「 との離別に無關心(無感動)であ

が、對 ~」詩 との交

の積み重ねや、對

傷)が無くとも制作することができる、冷靜で客 との離別による感動(哀

あることも、確 な樣式で しなければならない。

別の文宴に

なる

は、必ずしも被

の總てが別れを惜しむ と昵懇の關係にあるわけでもなく、またそ でもない。とりわけ官人相互の

一 交の

の中で、參加

いて は樣々な理由の下に、相いなる思いを懷 別の宴席に參集する。こうした場において作られる「

~」の

別詩に、一律に、

また惜別の眞 去の交誼の回想を求めることも、

!な抒 を求めることもできない。「

が、豫定された客 ~」の詩 事實(目

地點・目

任務)に基づいて

"

されるのは、宴席に集った

が、一律に同じ地點に立って である。すなわち「 別詩の制作に當たり得る、そのために工夫された樣式だから

~」詩には、冷靜で客

らなければならなかった。 な樣式が備わ

*上

の「

~」詩の性格は、

#$後期の作品を基準に、歸

% に整理したものである。

&の中

$期(大

「 '~貞元)には、

~」詩が

#$後期にもまさって量

の時期の「 (されることになる。こ ~」詩は、團體を基盤とした

行という性格が後 )し、これに

い積極

な「

」の

素が後

)して、「哀傷」

別における「

」と「別」―高

*別詩論考(松原)

39

(10)

が 面に出てくる(安史の亂後の

沈した世相もこの變

きく關わるだろう)。しかしその「哀傷」は、必ずしも當事 に大

相互の交

の回想を踏まえた

體 分に型 な惜別の哀傷ではなく、多 ・定型

した となっている。「

筵における集團 ~」詩が、離 人に 制作を作法の基本としていること、つまり個 した抒

が制 されたことは、現れ方はこそ

なるが、

後期の「

~」詩のみならず、中

期の「

~」詩の抒 をも規定していると言えるだろう。

(四 ) 「 別~」による

別張

然らの工夫によって、「

放され、民 ~」詩は、狹い臺閣から解 の幅廣い

臺を

得する。しかも、表現手法が 第に特定の樣式(五言律詩型・沿路の敍景)として

るに 熟す

い(

明には作法の指南 マニュアル

に い)、「

~」詩は、

後期から中

群に 期にかけて、最も多くの作品を集める作品

しかし 長した。

したように、「

おける個人の抒 ~」詩は一方で、離別の場に という點であらかじめ大きな制

ものでもある。抒 を設ける が の柔軟さを缺き、しかも樣式の安定のみ

行するこの「

~」詩は、すでに

の 後期に、千篇一律 を生む危險と背中合わせの

態にあったとも言えるで その一方に存在していたと考えて良い。張 あろう。しかしながら、このことを危機と見る詩人も、

問題に氣付き、高は、 は最も早くその した詩人であった。そのことは、樣式 !らくは最も深刻にその問題を了解

された「

~」詩の

"

多くの 期にあって、この二人の詩人が「別~」の命題を用いた きるであろう。 別の詩を作っている事實からも、窺い知ることがで

では「別~」系の命題による

別詩は、「

て如何に ~」詩に對し

なる性格を

一つの回答は、 #張するのであろうか。それに對する

初期の代表

な「

~」詩の作

張 である

張 において、すでに用意されていた。

四首)、傳えている。 は、「別~」系の命題を持つ離別詩を凡て十三題(十

にその詩題を書き出しておこう。

①別

②相州 $一師

池別許鄭二

%官景先

⑤岳州別趙國公王十一 ④岳州別姚司馬紹之制許歸侍 ③岳州宴別潭州王熊二首 &力 '入 (

中國詩文論叢第十九集

(11)

⑥岳州別子均⑦端州別高六

⑧南中別蒋五岑向

⑩南中別王陵 ⑨南中別陳七李十 州

⑫石門別楊六欽 ⑪幽州別陰長河行先 崇

⑬岳州別梁六入

「別~」系の命題は、初

後期には基本

は、總てが いられていた。しかしこの趨勢に反して、張のこれらの詩 に留別の詩に用 そして第二の特 別の詩となっている は、その

廣東(「端州」「岳州」(河南安陽)相州「すなわちあろう。 の地の制作に限られていることで」境「邊ないしは」方「地 別の地點が一つの例外もなく、

慶市)」「南中(兩廣)」「幽州」「石門(浙江

は、相州が比較 田縣石門山?)」 京洛に

臣であった張昌宗・張易之に忤らって却って誣 嶺南の地に他ならず、そこは張が則天武后治世の末年、寵 と意識される土地である。またとりわけ「端州」「南中」は、 いのを除けば、何れも當時は邊境

され、流竄 張の一方の「 の「別~」詩が、地方・邊境の地における制作であることは、 された土地である。このように制作地不明の①を除き、總て

~」詩が、中央(國

立している。この事實は、張が「 任を壯行するものによって占められていた事態と、截然と對 )において官人の赴

「別~」系の命題を意識 ~」との對立の中で、

の張 いる。 用たいに分けことを意味しててい

別における「

の根柢にあるのは、 ~」詩と「別~」詩との對立、そ 威と儀禮とによって文

と、それを持たない「地方」との された「中央」

差である。張は六

來の「 以

~」詩の傳統に從って、中央において作られた、

威と儀禮とを特

とする

別の詩に「

そしてこれに相當しない非「 ~」の命題を與えた。

威 ・儀禮

」な

詩に對して「別~」の命題を與たのも、やはり六 別の 大 題法に從ってのことと理解して良かろう(「別~」の命題は 以來の命

時代には、

留別に用いるのは初 別・留別の雙方に用いられた。これを專ら 後期以後の用法)。

もっとも張の「別~」詩は、制作地點の相

方か)を除けば、「 (中央か地 ~」ろことたし見詩との對立は一必ず

別における「

」と「別」―高

別詩論考(松原)

41

(12)

しも大きいものではない。このことは、張

別れた相手が、國 が地方において とと關わるのであろう。しかしながら、作品の關心(つまり で彼が壯行したのと同樣の官人だったこ 題)の置き方は、兩

で大きく

なっている。

岳州別趙國公王十一

岳州にて趙國公王十一

の入 今參魚守われは今魚の守に參じ 同承雨露霏同に雨露の霏たるを承けたり ともした 昔濫貂蝉長昔は貂蝉の長きを濫りにし するに別る

美洞庭歸きみは

ほまれ美にして洞庭より歸る浦樹懸秋影浦樹秋影(太陽)を懸け江雲燒

輝江雲

恆 離魂似征帆離魂征帆に似て 輝に燒かる 飛恆に

かひて飛ぶ

( 685?―

746)は中宗のとき、武三思の專

として失敗し、江 を抑えよう に したことがある。玄宗

太 位の後は、

公 に封ぜられた。張 を誅するときの功によって玄宗の信任を得、趙國公

が、かつて則天武后の寵臣、張昌宗兄弟 と對立して嶺南に左

されたのと、相い

ずる經

「昔濫貂蝉長、同承雨露霏」は、作 である。

も王 の寵愛を得たことをいう。しかしこの時、張 も、かつて玄宗 貶されており、一方、地方官だった王 は岳州刺史に は國 に歸る

岳州に張 、

を訪ねた。頸聯「浦樹懸秋影、江雲燒

まを寫して、秀 浦樹の枝に掛かった秋の夕日が、江雲を赤く焦がして輝くさ 輝」は、

である。張

高官の するのであろうか。 の胸を燒く焦燥の思いを暗示 立ちを るという點では、中央と地方との場

そ こ

なれ、大差はないように見える。しかし二つの相

目しなければなるまい。第一に、王

との て回想されていること(首聯)。「 交が、提とし

~」詩が、團體の

意識の下に制作され、個人の !員の 元の交 いことと、この點で相 "は努めて回想されな している。第二に、作

自身の境

#

について、多くが敍べられていることである。岳州刺史という不如意の境

#が、「 美」の榮

$を

%かして歸京する王

の境

#と對比される。そしてその不

帆、恆 #感は、尾聯「離魂似征 る。このような作 飛」の詩句となって、直截に吐露されるのであ

の個人に屬する感

&の表白は、「

詩では抑制されるべきものである。 ~」 中國詩文論叢第十九集

(13)

なお附言すれば、「

~」詩では、「被

の目

し目 地點ない

行爲との明記」が詩題の特

張 であった。これに對して の「別~」詩は、これを明記しない作品が

この點が「別~」詩の大きな特 を占めて、

ない例外として、この「岳州別趙國公王十一入 となっている。その中の少

しかし上 」がある。 べ、不 のように、この詩の關心は、今の離別の哀傷を抒 な境

に取り殘される作

にある。つまり王が「入 自身の焦燥を抒べること が北方にあって張 」することは、その土地(京洛)

の歸京の願いを惹くことを除けば、張

の關心は、それ以上この點に向かうことはなかった。「別~」詩は、離別の今に關心を置いて、未來には關心を示さない。こうした基本

にも反映されているのである。 な性格は、詩題にも、また詩の本體

こうして張

の「別~」系の命題は、初

後期に定

つあった命題の新しい原則、すなわち しつ 別詩の「

別詩の「別~」(ないしは「留別~」)という分擔とは ~」・留 く

なって、むしろ

い六 ような張 以來の原則に從うものだった。この り出せば、例外 の「別~」の命題のありかたは、この面だけを取 で保守

な用法として片付ければ足りるで あろう。しかしその後の

期の

「 別の詩が、大勢として ~」詩によって獨占されたとき、「

除された個人の抒 ~」詩の枠組から排 求めることになる。張 は、却って「別~」の命題の中に出口を の「別~」詩は、この點で、

の 期

別詩に對する重

な提案を含んでいたことになる。

(五 )の一 「 別~」による

別高

後期の「別~」系の命題による

別詩の制作では、高 が代表

な作 である。以下に、その詩題を示す(白

①宋中別 は留別の作)。 き

③別王徹 ②宋中別李八 梁李三子

⑥ ⑤漣上別王秀才 別王十七管記 別沈四

⑦別(一作 人

⑧淇上別劉少府子 )張少府

⑨別耿

尉 宋中 林慮楊十七山人因而有別

別における「

」と「別」―高

別詩論考(松原)

43

(14)

酬別薛三蔡大留

韓十四

中酬李少府

⑭宋中 ⑬雎陽酬別暢大官 別之作

⑮ 劉書記有別

⑰ ⑯別韋參軍 別晉三處士 臺夜

⑳宋中別司功叔各賦一物得 ⑲別劉大校書 ⑱別韋五 李景參有別

丘 別韋兵曹

別從甥萬盈

別崔少府 別(一作

)馮官

廣陵別鄭處士

別孫 別 山人 別王八

宴郭校書因之有別

東 別 衞縣李

少府

夜別韋司士得

別董大二首

これらの「別~」詩には、四首の留別の作(

含まれている。しかしその大部分(八八%)は )も り、この顯 別の詩であ

!な傾向は、高

詩「別~」から決定 "の「別~」詩を、他の詩人の

#に特

$づけている。繰り

%し うに、初 &べたよ

'後期の陳子昂以

(、「別~」は

高 あった。 に留別の命題で

"の「別~」詩について指摘すべき第二の特

身の「 $は、彼自 ~」詩との比較における特

$である。孟

首の「 )然の三八 ~」詩は、四首の例外を除いて、「

(人)(目

の #)」

*+を

,るものであった。「

孟 何を爲すか」に關心を示して、それを詩題に明記する傾向は、 ~」詩が「これから何處で )然を一つの典型として、當時の詩人に一般に

ことである。この點では高 -められる

"の「

の三二首の「 ~」詩も同樣であり、彼 ~」詩において、七二%に目

いる。これに對して、今ここに取り上げた「別~」詩は、目 (8) #が明示されて

#を明示するものが極めて少數(十二%)であり、兩

意味な相 .は有

/を示している。すなわち高

"の「別~」詩一般は、 中國詩文論叢第十九集

(15)

その「

~」詩に比較して、被

關心が明らかに低いのである。 の未來の營爲についての

*一方、高

の「

~」詩の目

を明示する

は、他の詩人の場合に比べて稍や低い(孟 合(七二%)

この傾向は、 然は八九%)。 らくは高

に、「 を ~」詩の定型した樣式 は、「 けようとする意圖が働いていたためであろう。その意圖 ~」詩の中では目

明示の

合を さらには「 干は引き下げ、

「別~」詩の制作に向かわせたと考えるのが ~」詩の樣式そのものに拘われることのない

當だろう。

(五 )の二 「

~」詩の特

についての確

の「別~」詩についての考察をさらに

て、行論の便宜上、彼の「 めるに先立っ

~」詩について必

な確

ておきたい。すでに張 をし と孟

然の「

~」詩に

特 してその

を整理してあるのが、ここでは參考になる。

李少府の峽中に貶され王少府の長沙に貶さるるを 李少府貶峽中王少府貶長沙

る 嗟君此別意何如嗟く君此の別れ意何如ん

馬銜杯問謫居馬を

巫峽啼猿數行 め杯を銜みて謫居を問ふ

巫峽の啼猿數行の

衡陽歸雁幾封書衡陽の歸雁幾封の書

楓江上秋天

楓の江上秋天

白 く

邊古木疏白

邊古木疏なり

代 今多雨露

暫時分手莫躊躇暫時手を分かつ躊躇する莫かれ 今雨露多し

李攀龍『

詩 』にも

られたこの詩は、高

骨で らしい、無

のすわった風格を備えた佳篇である。

なる土地に左

される二人の縣尉を壯行することから、この詩は國

敍景」という「 の作と見て相あるまい。ところでこの詩は、「沿路の 長安

~」詩に特

な手法を、典型

に た作例となっている。「巫峽啼猿數行 !用し 」「白 は、三峽の風土を詠み 邊古木疏」

手を "んで、峽中に貶された李少府の行く

#寫し、「衡陽歸雁幾封書」「

楓江上秋天

の代表 」は、湘中 手を な風土を取り上げて、長沙に貶される王少府の行く

#寫する。頷聯の「數行・幾封」が數對を、頸聯の「

楓・白

」が色對を

$%して、修辭

技巧にも怠ることはな

別における「

」と「別」―高

別詩論考(松原)

45

(16)

い。この作品の「沿路の敍景」については、いずれも文

に基づくことを

れてはならない。「巫峽啼猿數行

『水經 」が

』江水に引く「巴東三峽巫峽長、猿鳴三聲

の古 沾裳」

峰に關する傳 を踏まえること、「衡陽歸雁幾封書」が衡陽縣の回雁

と、

の蘇武にちなむ雁信の

ることは、言うまでもない。また「 話を意識す

楓江上秋天

のである。また「白 魂兮歸來哀江南」を意識し、楓樹は、湘水の風景と一體のも 『楚辭』「招魂」の「湛湛江水兮上有楓、目極千里兮傷春心。 」が、 邊古木疏」は、白

公孫 が後初期の 、竝びに蜀の劉備の居

になる であり、そこは古木も疏ら に長い

史を した古塞であることを

る。 提としてい

するに、高

自身の體驗に依據した風土の

く、また彼自身の想像力によって無から 寫ではな なく、すでに用意された文獻 された光景でも

知識に基づいて二

された景色であることが、この部分の特 に再現 した古典 なのである。こう を素材とした、「型

り」の

寫が、「

にあるのは客 詩における「沿路の敍景」の典型である。換言すれば、そこ ~」

な修辭技

であり、今に

感とは 動する生々しい

!質な、冷靜な計算である。

には、五言律詩の作例。西域の沙

"を

#臺にした

ある。 別で

裴別將之安西裴別將の安西に之くを

$域眇

%躋

$域眇にして躋え はるか

風塵經跋 悠然信馬蹄悠然として馬蹄に信す まか %く

&

風塵きみは跋

搖 &を經む '怨 (攜搖

'われは

地出流沙外地は出づ流沙(張掖郡居 (攜(離別)を怨む

行矣莫悽悽行け悽悽たる莫かれ 少年少年無不可可ならざる無し 天長甲子西天は長し甲子の西 )澤)の外

西域は、遙かに

くて行き

*き せて %いが、何處までも馬に任 +むしかない。君は、これから兵塵を

く。この搖 ,して任地へと赴

'の哀しい季

-に、人と別れるのは堪え

の地は、流沙のさらに %い。そ 西域の風土を ない。さあ行け、悲しむのではない。 出た邊境にある。しかし少年の君のこと、無理なことは何も く、その天は、九州の分野からはみ

確に掴んだ、すぐれた邊塞詩である。しか 中國詩文論叢第十九集

(17)

し「

別の」詩としてこれを見るならば、

立つ の

も、彼を見 體性

る作 の心

も、殆ど完

なまでに

いる。例えば「搖怨 象されて 哀を抒べた詩句ではあるが、そこには秋という搖の季 攜」は、この詩中にあって唯一の悲

固有の感 對する感傷一般を感じ取ることはできても、この場の離別に に (つまりこの離別の當事

同士の心

讀み取ることは の交感)を 年無不可、行矣莫悽悽」という形式 しい。しかも詩の末尾に現れるのは、「少

な の言辭に

い。この詩は、「 ぎな

「沿路の敍景」を中核に据えた ~」詩の多くがそうであるように、

に廣がるのが、日常性を を持つ。しかもその沿路 した特

な沙 て、「沿路の敍景」は、もはや離別の抒 であることによっ なく、敍景それ自體の價値を自ら に奉仕するのでは すなわち、讀 張するものとなっている。

く、邊塞詩としてのそれにあるのであって、眇小な人 が讀み取るこの詩の魅力は、離別詩にではな

ずることによって を點

き出される

たる世界の壓倒

高 が、この詩の核心なのである。 (9) な臨在

によってここに

たはずである。自分の名 行される裴別將は、案外、滿足だっ が書き

まれたすぐれた邊塞詩を られることは無條件に名

なことであり、惜別の心

の多 少は、ここでは二義

筵で多くの な意味しか持たなかったであろう。離 たちによって一齊に作られる「

畢竟、このような關心に支えられていたのである。 ~」詩とは、

は、

詩の臺(水分と文

の風土を臺とした !の缺乏)とは正反對の江南 別詩である。「李九」は李

に先立つこと "。この時 しよ の知友である(高 #十年、天寶三載に單父において結識して以來 ぜんぽ

$李九少府

"樹

%子賎

&祠 '」)。

秦中

秦中にて李九の越に赴くを 李九赴越

攜手 る

(千里手を携へて千里を

如何 于今將十年今に于りて將に十年ならんとす いた (む )離別如何せん離別の

心事復 )に

*+

心事の復た

*+

ちゆんてんたるを

越雖有以越に

出關 くは以ゑ有りと雖も ,耿然關を出づれば

長路或 「愁霖不可向愁霖向かふ可からず ,に耿然(不安)たらん

長路或いは

すす からん -會獨行客

山陰秋夜船山陰秋夜の船 -會獨行の客

別における「

」と「別」―高

別詩論考(松原)

47

(18)

謝家 故事謝家故事を

禹穴訪 め もと

禹穴

鏡水君 を訪はん 憶鏡水君の憶ふ

蓴羹餘舊便蓴羹餘は舊 かつて便 れたり歸來莫

此歸來此を

るる莫く

示濟江篇」

ねて江を濟るの篇を示せ

五言古體詩。越中(

會・山陰)に赴任する李を

詩。「 行する

を、二句に分散して言ったもの。越中への赴任は、 會獨行客」「山陰秋夜船」とは、越中に赴任すること

そこで「 る。

會(

「沿路の敍景」が、 便」の句がある。 中と會稽)」の語があり、また「蓴羹餘舊 に文獻

知識に基づいて

王徽之が、夜船を仕立てて友人の戴逵を訪ねたが、その門 ことは、この詩においても同斷である。「山陰秋夜船」は、 される

まで至って興が盡き、會わずに引き

した、という『世

語』「任 新

篇」に記す有名な故事を意識しよう。「謝家

は、代表 故事」

な人物としては、謝安が天子からの

しばの

を斷り、東山に し

「禹穴訪 居して世を睥睨した故事が思い出される。

」は、會稽の宛委山にある禹王にちなむ

跡で、 この地にかつて

が書

を貯 だと傳えられている。「 し、それを禹王が得て讀ん 」とは、その

の した書

を言う。「蓴羹餘舊便」は、西晉の張翰が、洛陽で秋風の

こるのを見て、故

である

中の菰

思い出して直ちに歸 と蓴羮と、鱸魚の膾を また「 に就いたという有名な故事を踏まえる。

示濟江篇」とは、謝靈

の「酬從弟惠

ち 想遲佳、果枉濟江篇(君を思って佳作が屆けられるのを待 」詩の「傾 とあるのを踏まえる。その謝惠 !んでいたところ、果たして江を濟る詩篇を下さった)」

の「濟江篇」とは、「西陵

"風獻康樂」詩である。つまり高

#は、李が越中からの歸 、長江を渡るときに作った佳篇を、是非、自分への土

は、十年來のこのとき會稽の地方官となって赴任する。李 この詩が作られたのは、「秦中」(長安)である。李は、 して欲しいと言うのである。 $に

%知である。そこで詩は、「攜手

!千里、于今將十年。如何

&離別、心事復

'(」という友

)の確

*と、離別の

抒べることから始められる。この意味で、單なる儀禮 +痛とを 核心 がこの詩のの作とはなるほど一線を畫している。しからしな ,從

部分は、後

「沿路の敍景」であり、そこに -に對偶を驅使して整然と積み上げられる

用されているのは、文獻

中國詩文論叢第十九集

(19)

知識を

くまでも客 提とした、(しかし離別の悲哀とは直接しない)あ な修辭技巧なのである。この詩の讀

る端正な風格は、こうした に與え を排した作法と一

ところで岑參にも「 ある。 のもので 李 載當時の高 江外」の作があり、天寶十一

と岑參の親密な交

びいずれも

律に接 體五言排

した韻律を

用する點を考え

おける制作と せると、同じ離筵に

斷される。

李 相識應十載見君只一官家貧祿 江外岑參

惆悵秋 衣仍單

死蕭條

闌「且

滄洲路遙指

雲端 馬關塞 孤舟江

夜眠楚

濕曉

湖山

砧淨紅鱠袖香朱橘團帆

便 見禹廟枕底聞嚴灘」

!賞心趣豈歌行路

"

#門須醉別少爲解征鞍

この岑參詩も高

を用いた沿路の敍景が端然と展開されている。兩 の場合と同樣に、第七句~十二句には對偶

詩型と、表現手法に の作品の ぶ共 作であったばかりか、相互 $性は、この二篇が單に同時の制

な緊張關係の中であえて

%似の 樣式の下に競作されたものであることを窺わせている。「

~」詩が、團體(ここでは詩人集團)を

ける集團 提とし、離筵にお 馴 制作を作法とすることは、このような相互作用を

&することになり、そこでは

'出した個人の抒

制 (は自ずと

以上、高 )を受けるのである。

の「

した「 ~」詩について瞥見したが、すでに指摘

~」詩の特

*が、基本

には高

においても再確

+

できたであろう。「

~」詩は、個人が個人を

はなく、團體が、團體の るので ,員を ものである。離筵は、その團體の り出す儀禮の中で作られる -會 しての顏ではなく、團體の れる。つまりそこにおいては、離筵に參加する人は、個人と 責任の下に執り行わ ,員としての顏を向けて、對

を り出す。「

~」詩の示す樣々な特

*は、

關わって .ねこの一點と /かれるものなのである。

なお一點の補足をする。高

の「

」の 一載( 別詩は、天寶一

752)の秋、高

期以 が封丘の縣尉を罷めて長安に出てきた時 に集中して作られている。孫欽善『高

集校 0』の 1

年に據れば、以下に詩題を

2げる十四首の「

ずれもこの年の秋の制作である(なお孫欽善はペリオ ~」詩は、い 3619に據っ

別における「

」と「別」―高

別詩論考(松原) 49

10

(20)

てさらに「餞故人」を補う)。①

渾將軍出塞②

李侍御赴安西③

裴別將之安西④

蹇秀才赴臨

⑤ 白少府 兵之隴右⑥

董 官⑦

事充朔方

官賦得征馬嘶⑧

崔功曹赴越⑨秦中

九赴越⑩ 李

鄭侍御謫

中⑪ 桂陽孝 ⑫河西

⑬ 李十七

李少府貶峽中王少府貶長沙⑭

高 別

の「

端に 四首詩を、總て天寶十一載の秋三ヶに繋年するのは稍や極 」詩は、合計三三首。孫欽善がその中の上記十

ぎるとしても

、「 11

中して作られたことは確實である。そしてこの事實は、「 ~」詩の多くが長安期に遽かに集

詩の制作にはそれを可能にする特定の 」 三首はいずれも官人の赴任を 詩題を一瞥すれば分かるように、⑭の一首を除き、他の十 しているだろう。 境があることを示唆

行するものである。長安は、

として不斷に 國一圓に根を張った官僚組織の中心であり、官人を地方官

り出し、また地方から

い上げる

プである。そして「 大なポン ~」詩とは、このような

も 境の中に最

應した樣式である。封丘の縣尉を擲って長安に乘り

できた高 ん

哥舒翰の は、直ちに官人との接觸を開始し、さらには自ら 僚となって西域に赴任する。高

は、詩人として 中屏居の時期とは明らかに の意識としても、また實際の職務としても、これに先立つ宋

なる地

に立って、「

を量 ~」詩

し始めたのである。

(五 )の三 「 別~」詩の特

これから論ずる高

の「別~」詩は、如上の「

が、しかも對等の友人としての は明確に對立している。「別~」詩は、あくまでも個人 ~」詩と

格において、被

このような性格を持つ「別~」詩は、對 別を惜しむ詩なのである。 との離 來(沿路・任務)ではなく、目 の豫定された未 で作品に の離別に關心を持つ。そこ に向かう かれるのは、「沿路の敍景」でもなければ、「未來 」でもなく、それとは方向を

「離別の場にある現在の光景の にするように

寫」であり、「

回想」である 去に向かう

。しかも 12

意すべきは、そのいずれもが作

身との關わりの中から 自 對 べられることであろう。離別の場が、

のみならず、作

また對 自身にも屬することは言うまでもない。

の 去も、單に客

な履の

作 !報としてではなく、

自身との交際に引き付けて語られるのである。 中國詩文論叢第十九集

(21)

別韋參軍韋參軍に別る1二十解書劍二十書劍を解して西 長安

西のかた

ぶ長安

舉頭

君門頭を舉げて君門を

國風沖融邁三五國風の沖融三五を邁ぎ しの 屈指取公卿指を屈して公卿を取らんとす み

歡樂彌寰宇

白璧皆言賜 の歡樂寰宇に彌ぎる みな

臣白璧皆な言に ここ

布衣不得干明 臣に賜はり

布衣明

梁宋非吾土東東のかた梁宋をぐるも吾土に非ず 歸來洛陽無負郭歸り來たれば洛陽に負郭無く に干むるを得ず 11兔 爲農 不登兔

に農を爲すも

雁池垂 登らず みの

心長

雁池に

を垂るるも心長に つね

世人 しむ

我同衆人世人我を

彈棋 未だ嘗て一日も家の貧しきに辭せず未嘗一日辭家貧 且喜百年有交態且く喜ぶ百年に交態有るを 唯君於我最相親唯だ君のみ我に於て最も相ひ親しむ すること衆人に同じく 筑白日

棋を彈ち筑を

てば白日

歡 縱酒高歌楊柳春酒を縱にして高歌すれば楊柳春なり れ

未盡分散去歡

未だ盡きざるに分散し去り 使我惆悵

我を使て惆悵して心

を かしむ 臨岐涕 21丈夫不作兒女別丈夫は作さず兒女の別れの 沾衣巾岐に臨みて涕

衣巾を沾すを

この詩は、高

の初期の作品と推定される。二十

高 の時分、

は仕 を求めて長安に上ったが、意の如くならずに歸

(高

里は洛陽附

(宋州宋 と推定される)し、さらに東の宋中 縣、今の河南

の時期に交 邱縣)に寓居する。その宋中屏居 を結んだ韋參軍が、このとき

作品は、 た作である。 立つのと離別し の十二句まで、作

高 そして宋州の地における沈淪という不 の長安上京と蹉跌、

の てられる。高 生の回想に當

早年の傳記

この詩の の詩はその缺を補う唯一無二の材料となっている。 料が備わらない中にあって、こ の不 旨は、友人との離別という事件において、自己 を確 することにある。高

は、不 孤獨だった。「世人 であるために、

あって沈淪する高 我同衆人」。しかしこの人だけは、野に

の中に價値を

め、かくして高

な知己となった。「世人 の大切 の韋參軍を失う經 我同衆人、唯君於我最相親」。今そ

のなかで、高

は自己の孤獨と直面する

別における「」と「別」―高

別詩論考(松原)

51

(22)

のであり、

會から て置かれた自己の不

るのである。この を改めて反芻す 別の事件の中で作られた詩の特

紛れもなく惜別の思いを綴るにも拘わらず、つまり被 は、

の心靈の交流が確かな と 提としてあるにも拘わらず、被

韋參軍の體

が、例えばその經

も、現在の境

も、

立つ目

も、

く書き しながら韋參軍は、高 まれていないことであろう。しか 在感とは、單に彼が高 て、紛れようもない確かな存在感をえるのである。その存 の惜別の言辭を受け取ることによっ ような外形 と同樣の在野の人士であったという 會 な特 づけを言うのではない。高

眞實の惜別の言辭を引き出すことができた、その樣な人格 から

存在感の意味である。この詩は、

行(

り出し)を

そこに抒べられるのは、作 題とするものではない。

の境

であり、また作

にわだかまる不 の胸中

であって、

立つ はその一切が撥無されている。しかし に向けられるべき配慮 立つ この樣な詩は、 別詩に本來のあり方と言わなければなるまい。もっとも 別の思いであるとすれば、その思いを綴ったこの詩こそ、離 から最も受け取りたいと願うのが、別れかねて悲しむその惜 が、彼の友人

期に量

された「

~」と命題される詩 とは、明瞭に方向を

「別~」詩はどのように作られるであろうか。 右の詩は、長篇の古體詩である。では五言律詩の場合、 にするものであった。

別孫

孫 白馬 離人去復留離人去りて復た留まる に別る 貂裘白馬

屈指論 貂の裘

事指を屈して

停鞭惜舊 事を論じ

鞭を停めて舊

を惜しむ 可

ぞ る可けん 日堪愁

日に愁ひに堪へたり誰念無知己誰か念はんわれに知己無くして年年

水流年年

水の流るるを すゐ 人は、去りがてに立ちもとおる。白馬と、

かつての交 ちだ。自分は、指折り數えて事を語り、君は、馬を留めて 貂の出で立 を懷かしむ。長安の

!を、どうして

ができようか。しかし自分は今、 れること むばかりだ。自分には推挽してくれる知己もなく、 にあって日々愁いに沈

れの邊りで、空しく 水の流

"

#を

っていることを、いったい誰が 中國詩文論叢第十九集

(23)

分かってくれるだろうか。孫 いない。「白馬 が今なぜこの地を出立するのかは、詩中に示されては

る時の高 であることを窺わせるものであるが、少なくともこの詩を作 貂裘」の出で立ちは、官人となっての赴任 いない。また には、その出立の理由は大きな關心事とはなって 立つ孫 せず、二人の も、自分の未來について語ろうとは 交をただ懷かしむのである。「屈指論

停鞭惜舊 事、

詩は後に至ると、臆することなく作 」。

始める。「 自身のことを語り 可 、 日堪愁」とは、高

が二十 の 後に長安に上ったものの、

魄して歸

したこと、しかも

里にも

ち 始めたことを敍べる。さらに尾聯「誰念無知己、年年 くこともできずに、宋中の地に客寓の生活を

何時までも は、推挽してくれる知己がいないばかりに宋中に沈淪して、 水流」

して 水の流ればかりを眺めていることの焦燥を吐露 作品の布置がこのように自己の境 わるのである。

置く以上は、この詩は を敍べることに重點を 詩「別韋參軍」と同樣に、

行(

り出し)を

題とするものではないと理解するのが

う。離別詩でありながら、 當だろ 行を

題としないことつま り離別という事件が、被

ではなく、却ってその場(その土地・その境 の未來への冷靜な配慮を生むの

て留まる作 )に依然とし 自身の感

~」詩の特 を吐露せしめることそれが「別

上 なのである。

の二篇は、作

この點で、自身について語らない 自身について多くを語った作品である。

の詩はやや

質ではある。

別崔少府崔少府に別る知君少得意知る君意を得ること少く

上掩柴

上柴 を掩ふを 仍留火

仍ほ火を留め春風未授衣春風未だ衣を授けず皆言

!綬屈皆な言ふ

早向 !綬に屈するも

"雲飛早く

借問他 "雲に向かひて飛ばんと 事借問す他

今年歸不歸今年歸るや歸らざるや の事

私には分かっている、君が不

のままに、

び 水の邊りで侘

#まいに甘んじてきたことを。

の 火を $日にも、こごえて とすこともできず、春風が吹き始めても、衣更えもで

別における「

」と「別」―高

別詩論考(松原)

53

(24)

きない有樣だった。君は、縣尉という

やがて 官に淪んでいるが、

雲に向かって

知だ。さて君は、これから縣尉となって他 ばたく人物であることは、誰もが承

に この詩は、先の二篇とは 年は、はたしてお歸りになるのだろうか。 立つが、今

なって、高

ない。しかし「~」詩とは明らかに 自身を語ることは なる る。すなわち、被 作をもってい の

ることである。その生活とは、柴 去の生活に多くの關心を示してい

の中に の士としての ごされた、在野 貧の生活である。頷聯の二句は、

る象 貧を物語

う な事件である。そしていま彼は、少府(縣尉)とい 官に就いて赴任する。しかし高

おける活 の關心は、その職務に て、「皆言 を期待することにはない。確かに衆人の口を借り 綬屈、早向

いる。しかしその言辭は、これまでも不 雲飛」とその人の能力を稱讃して

府に赴任するときにあってなおも不 であり、いまの少 けのものである。つまり「~」詩一般に、また高 である彼を慰藉するだ

「~」詩にもしばしば現れるような、出世を期待する型 自身の

りの

くるか否かを訊ねて、歸來を期待するのは、高 の言辭ではない。今年中に自分のそばに歸って

の思いが

邊にあるのかを端

に示すものである。 すなわちこの詩には、「~」詩を特

景」も、また「對 づける「沿路の敍 の未來の營爲に向ける

いない。徹頭徹尾、對 」も存在して の不 な生活に

その對 することによって、

と密接した境

にある自己を自然と

こうしてこの作品は、密接したもの同士の離別を き上がらせる。

別の心 いて、惜

を吐露するのである。

*以上の三篇は、いずれも「~」詩と明確な差

を取り上げた。しかし一方には、樣式上の を示すもの 別(一作)馮 ものも存在するのは、文學作品としてむしろ自然なことである。 別が殆ど付かない

碣石 官

西地漁陽薊北天關山唯一

才子方爲客將軍正 雨盡三邊

!賢遙知

この詩は、自己の境 "府下書記日翩翩 について語らず、また對

いても語らない。沿路の敍景(詩の との交誼につ

#$)と、未來の職務への とに

%旨を置いた手法は、「別~」の詩としては例外

言っても良かろう。詩題の と 文に「馮

傳寫のであったかは知る由もないこととして、 この點で單なる偶然を超えた意味を持っている。原文がいずれ 官」があることは、

&にこのような 文を生じていたことは、この詩の手法が「~」の詩と

感を覺えさせない '和 (に接 )していたことを物語る。

「~」詩は、離別の今ではなく、被

の未來に關心を 中國詩文論叢第十九集

参照

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