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井 川 怪 亮展 ( 森 山町立 図書館 展 示 室

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長崎大学教育学部紀要‑人文科学一 70

寄 せ て は 返 す 海 :絵 画 Ⅵ

井 川 怪 亮展 ( 森 山町立 図書館 展 示 室

2004)

井 川 憧 亮

L

evaetvientb・anquilledelamerlenv●age:WonbavailVI

E叩OSitioǹ̀SeiryoIKAW

A

"GaleriedelaBiblioth占queMunicipaleMoriyama2004 SeiryoIKAWA

はじめに個性豊かに

私 は、歳 を とるに従 い経験 を積 む ことで、精神 も豊か にな り大 らかになってい くのだろ う と若 い頃、年配の方々を見てそ う思っていた。 また慈悲深か った父の姿 を見てなん とロマン ティス トな親だろうと思った ことか。

還暦 を迎 えた。 けれ ども、 ゆった りとす るどころか、実 にあ くせ くと狭 い世界 に閉 じこも りがちな年寄 りになってきた観がある。

講演会 な るものを久 しぶ りに聞いた。 それ は脳科学 に関す るものであった。感想 として、

脳 の活性化や訓練 には参考 にな るだ ろ うし、 またで きるだけ手 を動かす と前頭葉の働 きが促 進 されて老化防止な ど役立つな どと、なるほ どと思 った りした。受講者 に対 して、頭脳 テス トが3、4つ実施 された。 それに答 えることがで きなかった者 は、痴呆が始 まっているとの こ とで笑 いを誘 っていたが、私 は笑 えなかった。何れのテス トも該当 して しまって、元来、 こ れ らの ことに即適応で きない性格であ り、一方では肉体が老 いて、あち こちにガ タが来てい

る身で もあるか らだ。

講話 中、台風 による大雨が しき りに屋根 を打つ。 その昔 と共 に、私 は競争 とい う原理が嫌 いだ と思わず思った ことだ。 この ような教育現場 に出会 うと、何か正 しいような基準があ り、

それか らはみ出た規格 はずれの人間 として刻印 された幼 い頃の、困 り果てた私 を思い出 して しまった。

その点、美術 の世界 はそれがな く、いつ も感覚的に生 き生 き としておれ る。指導要領 で も 詣 っているように、「個性 の豊か さ」の箇所が肱 しい。美術 はその個性 とい うものを暖か く包 んで くれ るし、心か ら安心で きるものだ。

図書館からの依頼

1月の終わ りごろ、森 山町で精力的に作家活動 に励んでお られ る川 口久敏氏か ら、森 山町立 図書館長 の藤岡滋氏が是非井川 に会 ってお願 い したい ことがある との電話連絡 を受 け、その 後私の大学の研究室に2人揃 って見 えられた。

「一昨年、本図書館展示室での ̀̀森 山アー トフェスタ" を開催 した折 り、井川作品が とて も明 る く、会場 を盛 り立てて くれ、 また子 どもさんたちに も大変人気であった ことか ら、是 非井川先生 に個展形式でお願 い し、で きれば先生のゼ ミ生 な どに も作品発表の場 として活用 していただ きたい」 との ことであった。 この図書館 を文化 的に もっ と盛 り上 げてい こう機運

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川 憧

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が藤岡館長か ら伺 え、即応 じることに した。

歳が歳 なので少々ゆっ くりとしたい し、 また怠 けたい ところだが、通常作 り手が作品 を即 調達 す る とな る と、 どうして も日ごろの絶 え間ない精進 な くして作品発表 は難 しい。私の よ うな フィール ドワー ク的な作品作 りで は、展示 まで制作が関わって くるか ら、気 を抜 くこと がで きない。で も先輩 は こう忠告 して くれた。 「自転車のタイヤに空気 を入れて も、いつ もか つ もパ ンパ ンに張っているよ りは、少 し空気が抜 けているぐらいがスムーズに回転す るよ!

取捨選択は無下に

今 回の個展準備 中、 もちろん5月の連休 は今秋 に開催 され るソウルでの発表会 (註1)の も の も含 めて作 品作 りに当てていた。 ところが私の研究室や作業場 は、ガ ラクタモチー フで一 杯 とな り、身動 きもで きないほ どだ。 その上、周 りか らも少 しずつで も片付 けようと言われ た りして、私 は精神的 に焦 ってい る状態 にある。 もう制作 どころで はな く、荷物 の片付 けに 追われて しまった。最早何かを捨てなければ空 きスペースは生 まれて こないのだろうか。

リサイ クルアー トと称 して活動 して きたが、 これ ら貯 めて きたガ ラクタを前 に して、思い 切 って棄 て るぞ と叫んでみた。 しか し、内心 は、 これで は故 の木 阿弥で はないか と、 リサイ クルのわが身 は縮 んで しまった。 そ して あれ これ と、捨て る勇気が湧 き出 るまで に、梼繕 い

と焦 りが連続的に重な り、す ぐ夕暮れが迫 って きた。

追 い詰 め られた私 は、一体 ものを捨て る とい うことは どんな ことを意味す るのだ ろ うと自 問 した。通常の場合、捨 て る とはい らな くなった もの、必要が な くなった もの、機能 を果た さな くなった もの、邪魔扱 いな どであろ う。 ここで改 めて捨 て る とは、失 うと同 じだ。 そ し て文字通 り捨てれば、 どんな ことになるだろうか。

私が捨 て られた ものを拾 った り、集 めた りす るのは どうしてだ ろ うか。 それ は現代社会が ものの過剰 さで溢れ、結果 としてそれ を捨てなけれ ばな らない、つ ま り捨て ることを優先 す る循環 となって きた ことにある。 それ を知れ ば知 るほ ど、貧乏で育 った身の故 に、無下 に も ったいない と思 うのだ。 おそ ら く私 は、現代社会が ものを捨て ることに対 して その反動 に出 てい るような節が ある。第一、捨 て られ るどんな もの に も命が あ るような気がす る。で は私 に とって、 ものを捨てない ものは一切 ないのか。 自問の最後 に姥捨 山の物語 に出て くる歌 を 思い出 した。

やがて これか ら捨て られ る運命 にあるモチー フたちを前 に して、最低 これだ けは残 してお きたい とい うオ ブジェが あ るのか と問 い直 してみた。 そ う言 えば私があ るギ ャラリーに出品 す るための木製 の格子状のモチー フを保管 していたはずだ。 しか し混雑 してい る中か らそれ を探 し出すのが大変 だ。 それで も私 は、 このガ ラクタに埋 もれなが ら、 ダンボ‑ルに詰 め ら れた重い荷物 を室外 に移動 し、そ して 目的の品物 を探 し出す。

イ ンス タレーシ ョン用 としての作品 にな るガ ラクタは、4つ5つ出て きたが、今度 はそれ を どの ように して保管 をす るか、 またその置 き場所 を決 めて、 それ を忘れない ようにす るには どうすればいいのかな どと思案 してい る と頭が回 らな くなって きた。 この ような状況で眼前 に広が るオ ブジ ェたちを前 に、何れか は作品化 してあげるはずだ ったのに と、悲 しみが こみ あげて くる。で も決断の ときだ。 そ こで、 これ らオ ブジ ェ制作 に期限付 き として制作期間 を 設 けれ ば、取捨選択 の幅が限定 されて くるので は とい う考 え方 も出て きた。 しか しもう時間 がない。 とりあえず私が出会 ったその ときの感情 として まだ まだ未練が あ るオ ブジェたちを

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寄せては返す海 :絵画Ⅵ

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見渡 した。 これ らをひ とつ ひ とつ手 に とって見 る と、捨 てがた くな る。何年 も寝 か しておい たオ ブジェたちが その出番 を待 っていたのだ ろ う。私 は彼 らを見捨 て ようとしてい る。み る み るうちに捨 て られ る運命 にあ るダ ンボ‑ルが横 み重 なってい く。 その ような中で、再 び保 存の可能性 をも探 ってみたが、 どうす ることも出来 ない。

捨 てた ものの中には着彩 した500枚の画版 も含 まれていた。 そ してダンボ‑ル も20箱 を越 し た。 まさに断腸 の思いだった。

個展の着想と新 リサイクル

森 山町立図書館 は、平屋木造 りとして全 国で一番大 きな図書館 として話題 となった ところ で あ る。 さて、本 図書館展示室か らの依頼 で作 品展 の準備 に取 り掛か った。 まず会場 に出向 いて早速下見 を した。展示場が持 ってい る空間感 を把握す ることが 目的であ るが、 この空間 感 は、空気 の流 れの ような もので あ る。 それ を目や身体 で感 じとり、展示への着想 の手掛 か

りをつかむ。やがて プランの立 ち上 げ となる。

これ まで渦巻 き作 品に取 り組 んで きたので、今 回 もこれ らを どう設営す るかが大 きなポイ ン トとな る。 このギャラリー空間の特色 とも言 うべ きものは、 「ガ ラスケース」の展示場が設 置 されてい るこ とが挙 げ られ る。 この 「ガ ラスケース」 は、パネルで覆 って隠す ことが出来 る と同時 に、壁面 として早替 わ りが出来 る装置 も取 り付 け られてい る。現代美術 の立場か ら も同様 で、パ ネルに した方が、空間的要素か らの点で もすっき りとす る。大抵 の作家 は この ように希望す るだ ろ う。続 いて この展 示場 の通常 の壁面 については、特段 これ といった もの はないが、 もし仮 に 「ガ ラスケース」 を展示場 として使用 す るな ら、私 には展示場 の壁面 と どうリンクさせ てい くか とい う課題が出て くる。 この ような こ とを考 えなが ら、会場測量 を 行 い、展示可能 な場所 を隅々 まで吟味す る。特 に渦巻 き状の作品 を設営す るので、天井 のマ テ リアル も何か ら出来 てい るのか、 またその よ うに展示す る場合 は、 あ らか じめ、 その許可 の確認 もせねばな らない。

もう少 し語 ってみ よう。 まず、全体 的な展示イメージの構想か ら述べ る と、今 回は展示場 よ り出た ところに空間が あ り、 そ こは展示場入 り口に向か う場所 であ り、両サイ ドの窓か ら 採光 を取 り入れ られ、そ こも利用 して も構 わない との ことだった。思い切 って この空間か ら、

渦巻 きをス ター トさせ、展示場へ と渦巻 き状作品 を誘導 ・連動 させ ることによって、 よ り展 示場が深 さを増 す。 そ して 「ガ ラスケース」 との距離 も配慮 しなが ら渦巻 き状 を構築 してい くこ とにな る。今 回特 に 「ガ ラスケースの利用 を決定 したのは、 そのケースの中に掛 け軸 用 の作品展示案 を思 いつ いていた こ とと、 そ こでの新 たな展示の可能性 を考 えたか らだ。 そ れ は、いかに も 「ガ ラスケース」、つ ま りシ ョーウイン ド的な展示物、 もっ と言 えば博物館 的 な古風 な展示 を ここに見立てて、 いわゆ るオ ブジェ作品 を工芸品の ように、絵画作品 を掛 け 軸作品の よ うに して、現代美術作 品で も、古風 な展示ス タイル とマ ッチ させ、何か ファッシ

ョンの ような感覚で表現 したかったのだ。

ここで、今 回の展示 において もリサイ クル アー トについて述べてお く必要があ る。つ ま り リサイ クル論である。1つは、枯枝作品群であるが、枯れ枝 その ものを着彩す ることによって リサイ クル させ る。 同時 に これ らは自然 の リサイ クル として土 に還 る材料であ る。 (写真(丑、

④、⑨) それ らの枝が長崎の木 ・枝であることか ら、 リサイ クル長崎 まで発展 させ た ことだ。

(註2)今 回の展示で は、森 山町の森 山の文字 を枝3本でイメージ化 した り、 (写真④ )展示壁

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井 川 僅

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面 に枯枝作品でインスタレーシ ョンしてみた。

2つは、渦巻 き作品群の絵画的展開についてである。 これ までの渦巻 き作品の発生的状況か ら言 えば、渦巻 きの本体が主役であった。次第 に本体か らリサイクル した分身が一人歩 きを しなが らイ ンスタレーシ ョンを進化 させてい く。つ ま り中洞巻 きの出現だ。更 にその展開 と して、今 回の渦巻 き作品は本体 とその分身 との組み合 わせで成立 させ ようと試 みた ことだ。

つ ま り本体 はその分身 と共 に、 まさ しくリサイ クル との共存的表現 とな り、新たな展開を見 せた。 これを 「渦巻 きリサイクル」 と名付 けたい。 これ までの大渦巻 き作品その ものが中心 へ と向かい、中心 に辿 り着 くと、必然的に出口に向かって戻 る とい うリター ン形式で展示 さ れていた。 それに伴 い、作品鑑賞す る場合 も、同 じところを通 って、 また元 に戻 るとい う鑑 賞行為が リター ンとなることか ら 「鑑賞 リサイクル」 とも言 えそ うだ。一度発表 した渦巻 き 作品 (本体 と分身)の形状 を、別 の会場で発表 し、 それ らとつなげて行 くや り方 を とる と、

「発表 リサイクル」 という新たな言葉 も浮かんで くる。

ガラスケースの新 しさ

今 回の発表で新たな展開の鍵の一つは、ガ ラスケースの展示の考察であった。ガ ラスケー スは、博物館 の展示ケース として利用 されているスタイルである。一般的に言 えば、従来の シ ョー ウイン ド式であ り、 しか も伝統的な形式で陳列す る、いわゆる古い展示方法である。

それ こそ大事な ものを提示 してい る場合が多 く、美術品な どを触れ させ ない、更 に盗 まれな いようにな どと囲ってい る世界であ り、ガ ラス越 しに見せ るや り方である。 よ く見たい と食 い入 るようにするとガ ラスに頭 をぶつけて しまう。

このガ ラスケースを敢 えて利用 しようとしたのは、シ ョーウイン ドを超 える展示 を考 えた か らだ。 その最初 の取 っ掛か りは、陳列す る生活用道具類 として、農具の作品群 を並べ よう

と思いつ く。続 いて15年前、その辺 に捨て られ、ひっ くり返 っていた木製の塵取 りと、 また 下駄箱がモチー フ として閃いた。 これ らをケースに陳列 (配置)す る と、かえってガ ラスそ の ものの面 白さが出て くるのではなか ろ うか。言い換 えれば、 ものの持つ ヒエ ラルキーなる ものを同等、あるいは逆転 させて しまうことがで きるのは、 まさしくアー トによってである。

こうして リサイクルがアイロニー も生み出すではないか。

だんだん面 白 くなって きた。オ ンポロの塵取 りではあるが、今で もごみをや っ と集 めるこ とがで きる。 ごみを平和 に読み替 えて、7mmは どの小 さな折 り鶴 をた くさん折 り、その折 り 鶴 を集 める塵取 りとした。 (写真⑥‑1、⑥‑2)その とな りに海や山の幸を収穫す る作品群を提示

した。 (写真⑤)次 に掛 け軸の ような作品を展示 したい と思った。 それは伝統的に日本画や書 の作品はよ くガ ラスケースに掛 けられていて、ガ ラスケースの風格 まで伝わって きたか らだ。

お りしもガ ラクタの中か ら掛 け軸 なるものが出て きた。 これは大地図の巻物だったので心が 躍 った。 この地図を作品化す ることが、現在私が命題 に している絵画の平面性作 り‑の手掛 か りとなろうとは、思わぬ掘 り出 しものだった。 その左 コーナーにビニール コップを積み重 ねた。 これは88年五島列島の福江 島の三井楽町でのイベ ン トで、4000人余 りで描 いた防波堤 1000M壁画制作の折 りに使用 した絵の具溶 き用の付着 した コップの残骸である。16年間 も寝か していた。 これ らビニール コップが陳列す ることによって リサイ クルされ、新たな作品に生 まれ変わった。 (写真⑦)その後木 に関連 あるもの として大工道具の特殊飽や鋸などを並べた。

(写真⑥、⑧)

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43 以上、機能 としてのガ ラスケース (シ ョー ウイン ド) は、所詮ガ ラスケースであったが、

リサイ クル作品によって、ガ ラスケース 自体が作品化 され、古風であ りなが ら、 よ り新 しい 出会いの場 を演出させた。

地図作品によるインスピレーション

ここで絵画展示す ることの様式 として、 その言 いまわ しを見てみ よう。 フランスでは絵画 作品を展示す る ときに、作品を掛 けるとい う表現 をよ く聞いた。 あたか も服 をハ ンガーに掛 けるような感 じだった。 この掛 けるは、 日本では飾 るとい う言葉 に相 当す る。 ここに両者の 違 いをみ ることが出来 る。 日本 においては、床の間に書 な どを飾 るとい う表現 をす る。実際 はその名称 として掛 け軸 とい う言葉が存在 しているけれ ども、 これは水墨画や書 な どを裏打 ち し、 それ を壁掛 けに した ものを特 に指 している。だか ら掛 けるとい う動詞 を特 に示す もの ではない。 もっ とも掛 け軸 を吊るす ともい うが、最終的に吊るして飾 ると言 うだろ う。従 っ て 日本で は、床の間 に作品を吊るして も、 もの (生 け花や壷な ど)を置 いて も、その動詞の 状況 を存在感 として抽象的に し、押 しなべて飾 ると言 って しまう。 この ように飾 る とい うこ とは、 シャーマニズム的で、 どこにで も神の ような存在があ り、境 目のないきわめて唆味な 表現 となる。では何故 この ような表現 になっていたのか とい うと、私 はこれ まで培 って きた 風土がそ うさせて きたのだ と思 う。

以上の ように現代 日本人 として、飾 る絵画 とい うよ りも、掛 ける絵画 とか、 吊るす絵画 な どと表現 した方が時代的にも、 また実際絵画活動 を行 う場合 にも、 しっ くりとする。

そ こで掛 け軸用 の地図を基 に、掛 ける絵画、本題 とす る地図作品の着彩 を考察 してみ よう。

地図の色 と私が使用す る色 (すなわち、井川カラー) との関係 は、地図の色 は主 として3色で はぼ成 り立 っていて、具体的に言 うと、土色 として大陸の山脈、高地 な どだ。緑色 として大 陸の森林地帯や低地、青色 として海や水面 を示 している。 この3色の上 に井川カ ラー9色が平 面的に覆い被 さるように着彩す ることになるので、 この地図の3色 はどん どん見 えな くなって い くが、完全 に不透明 になることはない。わずかだが地図が透 けて見 える。 ここで言 いかえ ると、地図上では、例 えば海なのに9色の着彩で海 (その意味 ・説明)を消 し去 ろうとしてい る。 しか しなが ら、海 は完全 に消えてい るのではない。繰 り返 して言 えば、地図 とい うイメ ージは残 るが、絵画の色へ と引 き釣 られてい く。 ここに色 としての絵画性 の存在が高 まって い く。

こうして着彩が仕上が りの段階を迎 えると、追い込み としての着彩 は格闘その もの となる。

最終色の締 めは紫であるが、その着彩場面 は、中国 とソ連国境沿 いの山脈 あた りで、筆が勢 い余 って走 りす ぎて失敗 した と思 った。紫の前 に着彩 した線色が、 この重層化 した紫 によっ てその色の面積が狭 め られた ことと、更 に悪 くなったのはこの ような垂色 によ り、色味が濁 って きた印象が して きた ことだ。最終的な詰 めに入 る と、殊のほか地図 とい うイメージは排 除 され るか ら、つい "塗 りつぶせ !''とい う強迫観念 となる。 もっ と具体的な例 を述べれば、

地名 "アテネ''な どの文字が残 って しまうと、今話題 のオ リンピックの地だか ら敢 えて意図 的に残す ようにすれば、絵画的な立場が損なわれて しまうし、それ に鑑賞者 も制作者が、故 意に狙 ったのだ と読んで しまう。改めて色 を塗 ることの初心に戻 るとしよう。

ジ ャスパー ・ジ ョー ンズの ̀̀地図''や "顔"(1956)2次元 の絵画への挑戦で もあった。

それ まで一般的なモチーフは3次元の世界であ り、絵で立体感 を表現 していた。その中には平

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井 川 憧

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面 的なモチー フ (本や布 な ど) も存在 していたが、彼 の ように意図的 に、全 く平面 (2次元) である "地図''や "演" をモチー フ として画面 (2次元)上 に敢 えて取 り込んだ ことは、画期 的であった と言われている。

そ こで現在 の私が それ を参照 に して、風景画 を措 くとす る。 その場合、今、野外 にあ るモ チー フを直接着彩 を施 す ことと対応 す る。 それ は農具の ようなオ ブジェに着彩す る とい うこ とは、風景 に置かれたモチー フ としての農具 に色 を施 す ことにつなが る。 いわば新 たな る風 景画 に挑 んでい ることにな る。彼が地図 をモチー フに したが、私 は更 に進 めて、直接地 図そ の ものの中に色 を施 した。 この ことは彼 の2次元 (平面)表現 を突 き破 り、私の課題である平 面 に向かわせ ることの指針 を得た ことになる。

最終 あた りで井川 カ ラーか ら逃れた地図の部分 は、海色 のイ ン ド洋で あ り、 それが とて も 美 しく見 えた。 それで も、つい緑で塗 り潰 して しまった。 また も暗夢 となった。

この ような偶然残 された場所や地名 を消 して しまう中で、 あたか もそれ とは裏腹 の、 それ こそ真性 の偶然性が私 を待 ち受 けていた。 それ は、着彩前 に施 したマスキングテー プの存在 で ある。 これが思わぬ絵画的効果 を もた らすので、私 は大 いに期待 し楽 しみに していた。 と

ころが、 このテー プをい よい よはがす時 になって、 それが思 うようにはがれず、テー プに地 図その ものの地が こび りつ き、マスキング効果が台無 しとなった。1mmずつ、実 に時間 を掛 けて丁寧 にゆっ くりとマスキングテー プをはが きねばな らぬ羽 目 となった。 その夜 は もう遅 か ったので、 はがす作業 は翌 日以降 にす るこ とに した。疲 れた身体 を引 きず りなが ら雨の中 の帰宅 となった。

寝床で、地図 に施 した着彩の こ とをあれ これ と思案 した。地図 は、教科書や経典 の ような 役割 として見 る と、改 めて地 図の価値 ・存在 に気づ く。 それ に着彩 した ことへの罪悪感の よ うな ものが襲 って きた。多分、 これ を棄てた者 は何者 なのか。 それ を拾 った者 は他 な らぬ教 育者 の私であった。教育者が これ まで通 り地 図の価値 ・存在 をその まま活用 すれば問題 はな かっただ ろうが、私 は地図上 に色 を着 けて しまい、地図 としての役割 を終 わ らせ、別 の もの に して しまった。

しか しなが ら、 この大 きな地図 を改 めて振 り返 ってみ る と、 も ともとゴ ミ集配所 に捨 て ら れていた こ と。 もし私が拾わなか った ら、今 は灰 と化 していた はずだった。 この ような状態 で、例 えば地 図 としての機能性 が あるのか どうかの議論 はナ ンセ ンス とな るはずだ。 それで もこんな ところに こんな地名や知 らない地名が あ り、地図の持つ不思議 さが まだ残 っていた。

それ に して も材質 的 に地 図の表面 はぼろ化 していた。 それ をアー ト作品 に高 め ようと、改 め て地図の持つ意義 を問 うこととなったのは、私 に とって は画期的な制作 となった。 その意義 とは何か。ガ ラクタの多 くは、いわゆ るオブジェであ り、それ らは半立体か立体物であった。

こうして地 図 とい う、 しか も絵画 に近 い掛 け軸 は、完全 な る平面 としてのオ ブジ ェで あ り、

その ことに気づ いた ことの発見が あ り、 それが重要で あったのだ。今後制作す る上で私が平 面へ向か う最大の理 由付 け となった。 (写真②、③)

実 はこの地図の出会 いの前 に、絵画の平面化性 の論理 として、3つのタイ プの平面作品を も う既 に作品化 していたのだ。1つ は、大渦巻 きか ら小渦巻 きへ とリサイ クル させ なが ら展開 さ せ、表裏 とい う絵画性 の意味を問 うた こと。2つ は、色 に関す る教授法 によ り得た ことで、廃 材 としての色紙 の切 り屑 を リサイ クル させ,切 り絵 を編 み出 した こと。3つ は、折 りによる作品 作 りを通 して、平面か ら立体へ、 そ して平面への考察 を した こ と。 こうして地図作品 との出

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寄せ て は返 す海 :絵画ⅤⅠ

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会 いで、平面への考察が積み重 なって きた。

渦巻き作品はいずこへ

渦巻 きの解体化 は、既 に述べて きた経緯が あ るが、 ま とめて言 うと、渦巻 きの本体が大 き く渦巻 き、 その後 その分身が壁 に掛 け られた り、平行 しなが ら床 に弧状 に吊 られた りしなが ら小渦巻へ となってい くとい うプロセスを踏んで今 日に至 っている。

この森 山町での渦巻 き作品の実験 は、11月の ソウルに向けての もの として位置づ けていた。

これ まで制作 して きた作品同士 をジ ョイ ン トしなが ら、渦巻 き作品のイ ンス タレーシ ョンの 可能性 を広 げ、 そ こで更 な る空間作 りへ と向か い、鑑賞者 に もよ り快適空間 を体感 して もら い、同時 に鑑賞 して もらうことが課題だった。 (写真①、③、⑲、⑪)

で は どん なイ ンス タ レーシ ョンを展開 したか とい うと、 これ まで通 りの渦巻 きで はない。

展示室へ入 る前 に、助走の空間があ り、 (写真⑪)そこに少 しカーブす る作品を設営 しなが ら、

入 り口に入 ってい く (む しろ突入 す る)渦巻 きへ と連結 させ る。鑑賞者が入 り口に入 る と、

ガ ラスケースに陳列 されたオ ブジ ェな どが見 えるよ うに、 その分身の渦巻 き (写真③) を設 営 し、続 いて正面壁面右側 に切 り絵が81枚 と並べて展示 されてい るので、 そ こか ら (渦巻 き 作品の中か ら) も見 えるように工夫 した。 (写真⑲)渦巻 き状 に従 って歩 いて行 くと、正面壁 面 に森 山町 をイメージ した枝作品が見 える。

従来 の渦巻 き状で は渦巻 きの中に入 る と、外側 の壁面がなか なか見 えず、ただ渦巻 き壁面 の色面 ばか りが続 いて、 その中心点 にた どり着 く。見 る者 は、渦巻 きにそれ こそ巻 かれて し まい、色面空間 に染 まって しま う。今 回 は、渦巻 き本体 に分身 をつ なげて渦巻 きを設営 して い くと、 よ り一層空間が開放 され、渦巻 き と外空間 とが同時 に鑑賞で きるもの となった。 こ こには渦巻 き本体 と分身 とが共存 しなが ら内空間 と外空間 を同一の空間 に して しまうよ うな 錯覚 さえ覚 え る。 内 と外の空間の一体感、 それ は内で もあ り同時 に外で もあ る。 まるでかつ ての大渦巻 きの作品 自体 が持 っていた両面性、つ ま り表の色面空間が、 いつの間 にか裏 の色 面空間 に摩 り替 わ り、 そ こに絵画 の響 きが生 まれた ように。 ここに、 内 と外 との色面空間 に ニ ュー トラル性 を鑑賞者 は見出 しているに違 いない。

リサイ クル とは、再生 よ りもファッシ ョン性であ り、 それが アー ト (感覚) に もつなが る。

こうして、見 るものは、絵画 における色面空間によってニュー トラル性 を感 じとるだろう。

1 5SHOWSOF5Am STFRIENDSFROM4COUNTRIES(招待5人の個展)SUN画廊 主催 ・金 ヤ ンホ企画 2004

年11月3日〜17 招待作家 :1階井川僅亮 (日本)色 と空間、2階カ ドリン ・ケデイシー (米国) 自然 と生命、3 ジャン‑ ピエル ・ブリゴデイオ (仏国)構造 と色彩、4階河東哲 (韓国)光 と宇宙、地下ユブ ・カン (韓国 ・米国) 空 と地

2平成15(2003)長崎大学公開講座 :地域 に根差 した美術 演題 ;リサイクル長崎 井川憧亮

参照

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