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經濟上より觀たる支那内亂の原因-香川大学学術情報リポジトリ

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本稿ほ日下観民政府の要人現考試院長、戴夷仇氏の論文﹁従経済上観察中闘約乱原﹂の大要ね繹出Lたものでぁる。

凡そ如何なる問題と雌も全然生活と無関係である事は出来ない。例へぼ平常個人間の闘寧若くは紛糾に於ても

吾々が若し仔細にその内部の状況を考察するならば、必すや彼等闘車紛糾の原因が生活上の問題にある事を蟄見

するであらう。況んや戟寧なるものも叫偶の極めて盈大なる敢愈現象である以上、其哉零を惹起する原因も亦必

ずや赦愈の生活問題がその根本に構ってゐる事計知ちねばならない。この根本問題を研究せずして只だ表面のみ

を観察し㍉その表面に現はれたる一二の事蜜を以てその病根なりとし、よい加減に治療を施すならば、それ程危

険なことはなく、讐誤れぼ死に寄らしめ、借りにその磨方が他の病根と衝突するに至らなくとも、それは頭病

みて頭を暫し、脚痛んで脚を治す極めて局部的の應急手首に過ぎない結兼となり、病根は依然として除去さるべ

きものではない。

人或は云ふであらう。最近戌郵の紛乱は益々繁く、人心叉愈々憤怒になつたと。誠に然り。然らばこれを如何

脛野上エリ観たろ支那内乱¢原因

経済上より観たる支那内乱の原因

山 ︵一五︶一志

(2)

第五饗 第一輩

︵一六︶ 〓ハ にして解決せんとするか。法禅によつてとれを解決せんとするか。一否、法律は眈に肝愈の制裁力を失つた重文に 等し。然らば兵力によつて解決せんとするか。香、兵力の本身も亦仙片の散砂に等しくして何等の困結力を有せ す、殊に最近数年問は兵横を掌挺するもの、その大部分は自己の部下若くは輿蕊の手中に倒れて何等観むに足ら ざることも既に周知の革質である。史に叉賞の勢力横張によつて何等かの方法を見出さんとするも、現下の状態 は三人以上の困饉を組織することすら困難なる状態にして、四国の状況仙欒せんか、立ろに瓦解の運命に逢着す べきは明かである。叉更に教育の力を借りて思想上より国民の覚悟を促進せんとするも、彼等の新思想新智識は 山般の頑迷同梱なる植力者の容る1朗とならず、この種唾迫と紛糾との中にあつては、思想智識の普及を閉らん としても仲々容易ならざる業である。然らば如何にLて支那を救はんとするか。 思ふに支那は常に紛糾を重ぬるとはいへ、併しながら決して不治の病症なりと断定することは出来ない。支那 人は今や正に進化の道程にあり、恰も蛇が脱皮するのと同様で、内部の新らしい肌と肉とが命感けで生長し獲達 し来り、懲皮が錦斬らしい肌や肉の上にあつて、新らしい肌や肉の畿達を妨げてゐるが如き状態である。薯しそ れを破って脱出せんとすれば必ずや多少の時間と努力とを要し、少くともその間は全身の不自由を感ずるもので ある。而してこの不自由も更に新らしい生命を見出す馬には常然忍耐すべきである。 此の時に於て余︵誠氏︶は恩ふに、凡そ愛国の士は唯徒らに焼魚悲観してはならない。何となれば如何なる燥急 悲観も囲家の改造に於ては何等の必嬰を感じないからである。昔々が若し眞面目に文部を研究しその病根の所在

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を明瞭に観察し、然る後にその病根に封して汲も通常な庭方を施し、自覚せる全図民を糾合してこの鮎に向つて

益々研究努力するに於ては支部の病根は容易に圏癖せらるべきを信するものである。

営々が経臍上より支那の乳濾を研究せんとするは甚だ困難なる事柄である。朝となれぼ昏々の研究せんとする

資料に食も重要なるものは各種統計上の資料であるが・、比較資料は支那に於て蜂甚だ不完全なるもの・で寧ろ皆無

ヵゥヅキーマルクスエンゲルス と云ってもよい位である。考茨基日く、﹁十九倣紀中葉馬克斯、因櫓爾斯が彼の深奥なる唯物史観を蔑見する為

に力をこの統計拳の恐達に魚ふ断機めて多く、著し常時にして如斯き好奇料なかりせぼ如何に馬克斯、用格繭斯

の天才と雑もかくも精確なる革理を蔑見する寄が出水なかったらう﹂と。余︵戴氏︶も亦彼の批評に封して大いに

賛意を表するものなるが故に、余のこの題目に勤しても或は恐らく粗雑な親祭に止少、詳細な詮明を試みること

能はぎらんも、この瓢に関しては改め読者の御諒察を顆ひ慶いのである。

最近由十年聞は支那経済上に於ける完肇勤時代であつ宅試みに梅開貿易表を鼠るに、即ち前満光緒初年以

釆三十幾年間、毎年輸入超過を示してゐる。これは議何を物語るものであらうか、即ちこは、支部従釆の生産

品が械椒製造品に劉抗すること能はず、叉従来の手工柴製造が硯代の需要に適合せす、芸文郵自図に椒秘奥迫

品の供給なきに乗じて、各園の械械製造品が旦日と支部に輸入されたことを意味するのである。汽船の速力も

綻臍上より観たろ支那内乱の原因 ︵一七︶一七

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第玉食 霹 ︼ 鱗 ︵一入︶一入へ 益々加はり外囲商品の支部に輸入される数鼠も従って驚くべき数に達し、著しこれ等を比較列車するならば必ず や人を驚かLめるに足るものがあらう。 安部人は乗釆盈宮以て囲の大本となし、商工菜の進歩は極めて幼稚にして機械製造なる事資を知らず、加之思 想上、制度上、縫釆極端なる保守的のもの多針を以て、今靡かに彼等固有の製法法を拾てゝ新式の械擁製造法を 探用せんとするは彼等の欲せざるところである。伐りに希望せりとするも諸種の必嬰なる億件を快くが故に1 例へぼ商工業の科螢及企発合同組織の能力習慣の如きー1急には間に合はす、而して横械製造品の需要の慾求が 急速に増加すればする程、エ柴草命の番賛は支那本国より教生せすして、却つて外囲より輸入せられ、その結果 は一大旗迫が支那国民の頭上に加はることゝなつたのである。交通益々開け、械械製品の消費愈々盛ん敵地方に は生活不安の程度益ま向く、改革の要求がこの生活不安の暴雨より生じ来ったのである。 試みに第劇期の革命家を見よ。彼等の主張せしところのものは何であつたらうか、即ち彼等は頻りに支那艦船 並に銃砲の不艮を詮いて外飼品を買ふペしとなし、支郵教練は不適常なるを以て外囲の教練に改むペしとなした が、これ等は第叫親機妙製品を支那に輸入してより蟄生した結果である。今に至れぼ買求めLところの艦船並に 銃砲等の効力は極めて踏顔であるけれども、常時に於てはこれ等の機械製品は決して排斥し待らるペきものでな かつたが層に、第二偶の革命家の出現するに及んで、更に叉仙歩を進めて製造工場を設け、餓路を敷設し、鍼山 を閑堅し、造船の発をも興さんとして種々のエ夫努力と研究とを霞ねたけれども、彼等閥民生清上の不安は常に

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除去されないのみならず、更忙日を迫ふて劇烈となつたのである。是に於てか即ち叉第三朔の改革豪の出来を促

かし、政治の改革上よりせんとする民樺運動となつたのである。かく表々々と研究するならば昏々は明かに、

支那乱事の根汝が即ち横枠製造品輸入といふこの⋮葛にあることを知るのである。

叫忘

恩想まだ幼稚にして科挙の智識未だ賛達せざる時代に於ては二般の人々は或る一つの奇怪な寄賓に封して自

己の智識を以て判断し碍ない場合には、それを叫種の紳秘的事葦と思惟するのが常である。例へぼ殺人といふこ

の事件は元来極めて苦痛であり、叉最も好ましからざる事贅であるが、世間往々にしてその畿生を見るものであ

る。而して多くの人々はそれを以て紳の意思、自然の運命なりとしてゐるが、これは明かに錯挟である。一般の

人々が支部の動乱に封しての親祭が、多数人民の生活問題より離れて只軍に数人の意思の作用なりと考へ、甲は

これを乙の罪恵なりと柄し、乙はこれを甲の安住なりとする、これ等の観念は均しく不合理である寄は免れない。

凡そ人の智識能力には夫々高低があるけれども、生存率隔の慾求に至っては誰叫人として有せないものがなく、

凡て姦に希ふものである。若し賊軍がどうしても必螢のものでないか、若くは戦争の慾求が彼等自身の生活慾

望の中より襲生したものでない限り、如何なる馬鹿者と雅も自ら好んで死地に躇み込むことがないであらう。こ

れ正に明々白々の道理で前節に於で逓.ペしところのこの盆活不安の鞘由も自ら首肯せられるであらう。余は更に 経滑上より観たる支那内乱の腰困 ︵一九︶一九

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第五番 第一航

︵二〇︶ 二〇 一歩を進めて、こゝ数年間の国内戦辞の内容を詳細に解剖して見やうと恩ふ。訂力的政治革命療密以後、革命艶 の賛行方法む見るに次の三となすことが出水る。 ︼、思想 の宜侍 二、軍隊の運動 三、命蒐との聯格 言論を用ひてする思想の意俸及軍隊の運動については今更ら詮明する迄もない。唯革命菟が倉某と聯紡するの は何故であるかといふに、即ち令嘉とは生活上の落伍者であり、他の職業を有するものに比して生活上に受くる 墜迫が最も大であるから、彼等と聯絡して武力的革命をなすことは比較的容易であるからである。 併しながら革命裳は決して愈蓋の新馬に勤して賛成せるものではない。愈笈も亦革命先の主張敲知らず、従つ て所謂民橙、民生等の主義の性質を彼等に知らしむるの困難なることもいふ迄もない。合賞の事情と軍隊の状況 とは略々相似たるものであつて、軍隊の前身が即ち愈蕊である。故に軍隊の士卒の殆んど大部分は生活上の落伍 者である。共他一般人民に至っても、血気に盗る1青年の多少民族主義を研究するもの1外は、民橙思想並控酷 禽思想の虞意む知らず、何となれぼ支那人の生活根接が趨昭に脅かされてゐるけれども、欧米に於ける十九せ紀 以来のエ東革命が翳した彼等の生活廣墟の勤掃とは、性質ば同じくとも形式は全く典れるものであるからである。 欧米に畿生せる政令問題はその根濾を尋ぬるに、彼等本圃資本家の組織せる野械生産にあるも、支那に教生せる

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配合問題の根源は即ち外囲より輸入せるところの資本家の組織せる磯城生産面あり、欧米に於て後生せ考配合現

象は農民のエ人化であり、直接生産的工人の奴辞化であり、中流階級の平民化であるに比して、支那に於て畿坐

せる計昏現象は、これ等に屈するものは極めて少数にして、液も整姿なる事驚は、即ち従来の家内工柴、徒弟工

菜、並に農柴の生産者が外釆の殴砂製造品の盛迫を受け多数の失業者となつたことである。即ち新工場に吸収せ

られるエ人の敏どりも突発者の数が更に大きくなつて釆たのである。その結英支那人民の生活上の痛苦がいよい

よ増大されたのである。併しながら彼等竺人としてその痛苦が郵適より来れるものであるかを知らず、叉如何

にしてこの痛苦を除去すべきかをも見出L得ないのである。極めて少数の革命党厨者が甚だ抽象的空一議主義を

提げて彼等に講じても、彼等はその最も重要なる民生主義に封してさへ緒了解し得なかつたのである。更に民嘘

主義に至りては、極めて少数の中上流階級にのみ僅かに了解さるゝに過ぎす、唯汲も質物教訓の有するー官廷

の腐敗、王侯親農の横暴、駄防旗兵とその家族の扱庖等∼民族主読は了解するもの比較的多数にして、これを

垂張するものも比較的劇烈なるを以て従って効果も相雷見るべきものがあつた。故にこの主詮の宜停が古参け

れぽ多い程、溝清政府の運命はいよ′1短縮を早められ、武漢の義兵〓鱒起るに及んでかの二百七十飴年の運命

も途に終りを督げたのであつた。

浦清政府の滅亡は明かに民族主義の影響であるが、民族主義のみといふことは出来ない。沸騰政府滅亡の主な

る原因はやはり多数人民の生活根接の勤拓であるといふことが出来る。多数人民の生活根桜の動措は即ち外来の

疲弊上より観たろ支那内乱の原因 ︵二一︶ 二一

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第五懸 第−輩

︵壬一︶ 二二 大資本家の製造せる生産品の踵迫にある。併しながらかくの如き畢嘗は多数の痛苦忙臓める人民すら知るものが なく、又多数の熱心なる革命主張者もー余は犬謄に多数といふー1文これを軽祀してゐる。叔に民間元年民生 主鼓の凶事は全く跡を絶ち、民種主義の四字のみ僅かに少数政客の生活手段に利用さるゝに過ぎず、而して人民 の栢苦に封tては何等励みられなかったのである。そして新図家建設の根本間蒐が河鹿に存するかをも知るも紆 がなかつ・た。故に寧革革命並にそれ以前の革命に於てはその革命に蓼興せし人々は、即ち唯少数の先覚者と多数 の生活上の落伍者にして、或者法理想的の漸粗衣封建設せんと希望し、叉或者は唯眼前の生活の満足を以て足れ りとするものであり、叉他の仙部は根本の大破壊大創造を企閲するものであり、更に叉仙部は唯表面的な個性の 慾望充蟹を闘らんとするものであつた。かくの如く革命邸柴の失敗、革命先の分裂、これ等の歴史的軍資の原因 は凡て生活問題の根本上に存するのであつて、政治上の破綻を茸むるの嬰なく、叉必ずしも思想上の破産者を茸 むるの必婁がないのである。何となればこれ等は凡て必然の結英であるが故に若し英Lて多数の人の生活慾求の 水琴扱がより以上に高められす、叉生活慾求の性質が改善せられない限りは、たとへ如何なる語を以てしても解 決されないものである。 四 上述の寄葦より御察し来れば、即ち現代文那の革命の意義と支部古代革命の意義とは、性質上相同じくとも形

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式上全く相反するものである事を知るであらう。何となれば濱代の革命は政治上の集飲より後生するよころの生 酒唾迫より、文官窒の肇移と官吏倉埜の分配不平等の軍暦より醸成せられたる階親的踵追及自然力により演成せ られたる生餌鴎迫例へぼ人口の過剰、天災、悪疫流行等これ等の事蜜が主因となつて教生せしものであり、生産 方法より教生する激欒によるものではなかったのである。而Lて現代文郊の革命の原因は単にこれ等の問題に止 らす、その最大原因は即ち欧米に於ける草業革命の英蜜である。交通簡捷の力を借りて文部に輸入した彼等は凡 £機械を用ひて生産するに反し、支部は殆んど手工業によつて生産したのである。只仙人が椀種力を用ひてする 生産力と、山人が管式の器具を用ひてする生産力とを比較すれぼ、その差は幾十倍幾百倍であるかを知らず、故 に吾人が岩L輸出入の貨簡慣値を離れて唯両者の慣億の内容を比較しても、即ち両種の商品の中に包含さる1朗 の労働分量元非常な差異のあるのを見出すのである。此等莫大の生活塵迫が支那多数の紳民の頭上に加はれぼど うして堪え得られやうか。山例を勢げるならば現代欧米各図と支部との貿易に於て、発し此の種機種製品と支部 の手工業品若くは農業生産品とを交換する事なく、更吃又大資本鮭皆の生産品を運び来りて支郵の徒弟工共晶と 交換する寄なくぼ、決して支那現代の生綺が今日の如く、かくも動播する事はなかっただあらう。試みに中古以 来、波斯、印度、日本等の諸閥と支那との通商常時に於けるこれ等貨物の交換法により蟄生せる影響を研究する ならば自ら明瞭となるであらう。 西洋雑貨が始めて支那に輸入せられた常時は、支那人は悉くその精巧便利なるに驚歎し、大いにこれを枚迎し 経済上£り観.㍗る.支那内乱の原因 ︵こ三︶ こ三

(10)

第声奄 第一兢

︵こ讐 二四

たけれども、漸く増加するに従ひ、多数の生産者の地付にあるものは直接四洋食と利啓上の衝突を釆し、是を以

て洋貨排斥、通商排斥の専管が生じて釆たのであつた。その後有害なる阿片貿易の加はるに及んで、この程排斥の

笥寛が益々拭大されたのであつた。併しながら彼等貿易商人の背後には常空欄の大なる固家勢力が済んでゐた

が為に、排斥の事嘗が益々則しくなれば挙る程由家問の衝突が益々劇しくなり、而も支那が壷失敗するに及ん

で通商上洋貨の地位が益々拭太される結兼となつ篭その結果はどうであつたらうか。肝倉上に於ては即ち﹂般

盆椚の不安と失業者の増加となり、遜に革命の擾乱を態度せしめたのであつ莞政治上に於ては即ち放資の購大

となり、稲親の卸屋となり、紛擾がいよ′1劇しくなればなる程、生活上の捺式より表現せらる1生活の蟻迫が益

意を加へて釆たのである。かくの如き状態に放ては、自然排斥と革命の丙種の等質が畿生するのである。南京

條約成立後九年にして洪秀全の慧ハあり、日清肢後六年にして養和国の邸欒あり、南方に於ける革命運動も亦正

に北方の義和困の運動と時を同じうして彗生した。この事嘗を通観するとき﹂我々は即ち叫切の政治上組合上ゐ

欒態が凡て相互に相関聯せるものであり、又夫に国英紬係の存することを知ることが出来る。文部た於ける汲も

初期の革命鹿盛者は鹿瀬及隔建、長空滞の地方即ち最も早く歓洲文明と接燭した地方に発生したのである。此

等革命運動着も亦科単文明の感化を受けたが為に、彼等は此の種生活の塵迫を免れんとする為には生活の方法を

慧己、国家配合の組織制度を改むべきであると主張し宅この二偶の大道勤を時代より見て冷静な親祭を下すと

きは、即ちこれ等は均しく麟米が国家の形式を以て支那に輸入し釆れる大資本組織の機械生産品の蜃迫によるも

(11)

のであり、この鵬大雄迫により生活の不安が襲生し、生満不安の焉に自己解脱運動が畿生したものであるといふ ことがr解される。 玉 ■革命史の意義は吾々は斯の如き冷静な親祭を以てその大鰐を知ることが出来る。民国元年以来今日に至る既に 十幾年その間に於て大乱の発生せる事鵜回なるかを知らず、その戦乱の虔毎に多数の人民を殺し ー 銃砲の為に 死するものよりも寧ろ失業流麗して死するもの1方が多数である 一 成は幾多人民の住家を破壊し、或は人民の 食料を奪ひ去るのである。− 就中その汲も大なるものは兵乱によつて来るところの生産減温である 一 両して その結果は益々悉くなり或は護国連動と云ひ、或は謹法超勤といふも、その大乱の慶毎に唯徒らに幾千百の鰍睾 と幾千百の新官吏とを作る外、人民の生酒方法の改造乃至問家路抽の欒革た封しては、何等良好なる庶路乞或は さなかったのみならす、却って幾多の外債を増し、許多の政治上軍事上の浪費を増すのみで、人民の生活上に勤 しては更に幾十百偶の新らしい蕉満喫迫を加ふる結果となつたのである。而もその不安の程度をしてロー口と高 からしめつゝあるのである。著し斯の如き状態を今後も尚鰻携するとせば、憩らく内乱の根絶することばないで あらう。更に益々繋きを加ふべきことば火を見るよりも明かである。昏々はこの大問題を研究する前に党づ支部 の酢令状態を詳細に解剖する必要がある。 経済上より雛トトる支那内乱の原囚 ︵二滋︶ 二王

(12)

︵二六︶ こ六

第玉食 第一紙

文郵は元来敵鼻の階級を分って士農工商の四種と存しこれを四民と稲した。この銅種の人々は支那人の人類に

封する観念上に於ては凡て平等となしてゐる。古代に於てはこの掴種の区別は階級的の匿別といふよりも寧ろ分

工的職葉的区別であつた。何となれぼこの拘置の人々は、凡て均しく脳力或は慣力を用ひて敢禽に貢献するもので

あつたからである。然るに分エの結果は私有財産の増大となり、配合階級もそれが馬に益々大なる叢を生ぜしむ

るに至ったのである。政治上に於ては治者階級と被治者階級とが完全に分離L、敢愈上に於ては有産階級と無産

階級が完全に分離し、二力匿止富貸の階級を生み、叉二カには許多の生活の落伍者を生ぜしめた。その最も上嵐

の富貴階級とその汲も下履の生活落伍者との二椰の階級が途に配合組織上の紋隅を曝露するに至ったのである。

若し過度の寄賓の礎盤がなけれぼこの種敢昏の破格は赦愈の甚而に伏在して、単に表酎上より観る時は充分にそ

の快隋を覚り待ないものである。併しながら叫度過度の靡迫が一例へぼ宮廷及官史の蓉移より生するの凝視の

加重、若くは自然力による人口の過剰より、延いては水害、草雫歳事等の大災の焉に!褐繊的に畿生するか﹂

若くは波及的範囲が城大されるならば、これ等融合の概略が忽然として曝露し来り、是に於てか革命が教生する

のである。革命の結果は即ち治者階級の欒異と貧富階級の稗換となる。膵史上に見る大小鶏多の革命の寄賛は凡

て〓樫の階級生活の開寧であり、而もこの階級闘軍の寡面には必然的に幾多の惨忍なる非道徳行寛が磯生すろも

のである。例へぼ姦淫掠奪等の軍嘗は必ずや免れ得ないものである。何となれば革命といふ非常寄欒は敢倉上種

々の経済上の反常状態の誇明であり、階級的生活痙迫の結英であるからである。

(13)

営々はこの歴史的事貰に封してサ偶の盈要なる鮎を蔑見する。即ち支部の兵乱は決して士農工商等の職業を有 し、生活手段を有する者が主動者となるに非すして、これ等四種の職菜を有する者以外の落伍者の階級が主動者 となるといふことである。ノ乳事の哉生は即ち生満の落伍者の増加にあり、乳寄の平復は即ち生箔落伍者をして通 常な生活を潜ましめ、貧富の階級を減少せしむるにあるのである。吾人が若し馬克司の歴史観祭法を用いて支郵 ダウヰン の歴史を柚察し、達髄女の生物進化論の法則を適廟して支部の歴史を解剖すれぼ、此等混沌の等質もよく了解さ れるであらう。近代の革命現象も亦斯くの如く、園外より輸入せられたる大旗迫により図家及配合粗放の快格を 曝露して人民生活上の不安を意起せしめ、生活上の落伍者の教を増加し、これ等生活の落柘窓が即ち土躍といふ 二柑の特別階級に技するのである。 支部は募兵制慶の闊である。兵士は職業を失ったもの1就く職業とされ、他に職業を有するもの∼敢も好まな いところのものである。従って軍人たらんと欲するものは即ち生活上の落使者であり、土匪である。解散された 兵士にして他に何等生計の遣なきものは、叉土匪に投じ再び生活の落伍者となるのである。故に兵士は即ち土踵 であり土躍は即ち兵士であるといふ有様で、その間何等本質的の差異はないのである。換言守れぼ兵士は即ち閥 家の二字を保護者となし、咄定の牧人を有する土択であり、土匪は即ち保護さるべき閉家の二字を有せず、叉剛 定の収入を有せざる兵士であろといふことが出来る。生活上の落伍者が益々多ければ兵士の必要も亦益々多くな や、兵士愈々多けれぼ融合の生産能力を塵迫する寄叉愈々大に、経って生活上の落伍者は益々多くなり、経済状 経済上より観余ろ支那内乱の原因 ︵こ七︶ 二七

(14)

第玉食 第一兢

︵こ八︶ 二八

態の快復は益々困難となるのである。更に考ふべきは、現在兵士の用ふる兵器はその様式雑多にして殆んど外囲

から輸入されたものであることである。故に外囲よゎ輸入さる1兵器服装の焉に園倍の額が年々増加し、国際間

の勢力均衡を失して経済的盛迫が加はり来り、囲民の生活が竺日と悪化し、国家の地位も亦竺日と危険化す

るのである。変らに政治上の支配者について冨へぼ、経臍が華常なる状態にある場合には、支配者の階級は完全

に士農工商等の職業を有するもの1申より出で釆るものであり、此等の支配者は完全に有産階級並に無産にして

職業を有する階級とを後技となすものである。故に彼竺切の政治上め行焉は、務めて有産階級と有職者階級の

心に添はんと欲し、従って批禽邁彼の制裁力も亦この妄より生するものである。併しながら若し経済組織が剛

且常態を失した場合に庚、生活の落伍者たる土陛は忽ち兵士といふ璃紙によつ七治者階級に突進し釆り、鴎に治

者階級の無力者並に反射者は漸くその勢力を失ひ、兵士となりて衣食住の供給を謀り、若くは兵士の智慧を供給

することの出来る者以外は、凡て兵力の為に治者階級以外に排除される。是に於て政治組織は武人官僚政客の火

事盗人的の忘の夢窓劣の制度となり、政治上の最高樵は即ち武人の手中に落ちるのである。

この二鱒の反常的現象を最も簡単にこれを詮明せぽ即ち

階級の墜迫より多数の生活上の落伍者−−即ち土隣−−J釘生じこの多数の土匪が兵士の組織を透して政治上 の治者階級の地位を取得し、土糀の首脳者が更に治者階級の地位を利用して新階級の蟻迫を造成するもので,

ある

(15)

若しこの解剖にして挨なからんか、哲知識階級によつて組絨せられたる哲治者階級の失敗、新知識階級によつ て組絞せられ磨る革命鼠の失敗、叫方擁兵自衛、擁兵学樺の武人が突然政治上優秀なる地位を占める事賓は、極 めて明瞭なる叫偶の結論を得るであらう。 大 更訪〓つの豊野なる事嘗がある。即ち最近数年問の争乱は重囲よりこれを観る時は南北の戦争といふことが出 来る。更に南方について看るときは、二偶の省と省との戦争でめる。例へば憲南封四川の戟鍋、浜田封靡束の紛 糾等の如く、これ等の専管は過去の歴史に徹して何人もこの事嘗を否定することは出来ない。吾々は更にこの事 嘗に勤して研究せねぼならない。 凡そ如何なる園と僻も文明の進歩せる時代に於ては、人口の移動、生産状態の欒超は凡て↓偶の原則によつて 行はる∼ものである。即ち人口税密なる地方に住める人々は、人口稀甜なる地方に移住して入口稀薄なる地方の富 源を開渡し、人口稀踏なる地方の貨物を人口研密なる地方に運搬して彼等の治費に供給するものである。経臍上 長も盈要なる二つの生産要素は即ち土地と人口と甘ある。人エを地上に用ひるとき、そこに始めて生産の由釆を 生する。人力と地力と㌻媒介するものは即ち捧具と扱術とである。個人の生産を欒じて敢脅の生産となす唯劃の 方法蜂交換である。人力と地力との平均を謀るものは即ち交通である。器具、技術、交換、交通等の進歩は即ち 経済上より親王る支那内乱¢原因 ︵こ九︶ 二九

(16)

弟玉食 第一按

︵三〇︶ 三〇

文化の進歩である。現在世兇の各地方に於ても、人口の密度並に土地開塾の程度の相異れる桝が甚だ多い。支那

一団について云ふも、支部本部各省と南北の各省とはその人口密度に於て非常な差を有し、更にこれを蒙古、西

海、西成の諸地方に比すれぼその差は忘大きくなるのである。遠く南洋諸島の人品度を見るに、支部四北各

地の人口に比してや1密なりと鍵も、これを支那本部の各省に比すれぼ極めて稀薄である。波打支那本部の各省

より見れぼ北部四部南部盟ハに人口稀薄の地方である。かく観衆れぼ支部本部各省の人民は励も重商と云はねば

ならぬ。何となれば人口の移住地を求むるにも、亦貨物の生産地を求むるにも極めて容易に得られるからである

故に支那本部の人口が如何に増大しやうとも目下の境遇にあつては、人口増加の為に﹁三十年示乱、六十至

大乱﹂の恐慌を来す屍はないのである。然るに支那現時の如く軍乱の頻聾するの寄嘗は却って然らず、二三の特

殊の地方を除き、その大部分は人口稀薄の地方より、人口比校的鯛密な地方にその勢力を逆に侵入せしむる馬で

ぁる。ヱれ等の事蜜を列塾し、然る後にその原因の朗在を研めやう。

叫、人口開署の地方より人口稀薄の地方に漸次移住するの寄貰︵原則的である︶ 1、贋兼、隔達人の南洋及覗米利加に移住するもの 2、山東人の奉天、書林、累龍江及西比利亜各地に移住するもの 二、人口稀薄の地方より集囲的の形式を以て人口桐密なる地方に移離するの寄賛︵欒態的である︶ 1、北方軍隊の南方移駐

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2、冥南、資州の軍隊の四川移駐 3、炭西軍除の頗束移駐 以上列拳せる二つの番葦より観れぼ⊥∵︶は合理的現象であり ︵二︶は不合理的現象である寄はいふ迄もな・い。 而して斯の如き現象の生する朗以は大暑次の三となすことが出来る。 叫、地珊的紺係 臍東、桶建の用省は均しく海た臨み、自由に梅外に移住するに便利であると同時に、外囲の文 化も亦極めて容易に輸入されるからである。山東地方の人口密度は前清政府の一九〇二年の調査によれぼ、 一平方哩に六百八十人とありて支郵第一位を占め、而も従来この過多の人口を滑化するに便利な地方がなか ったが、その後衆三省の鋳造が敷設され、陸上海上の交通が益々畿達するにつれて、孫文の所謂﹁凡そ交通 路級はその両端の申、一端は汲も繁華なる土地に接し、他の叫端を未開の地に接する場合に於てはその効用 最も大なり﹂と謂へるが如く、山東人は俄然北方に向つて移住を開始したのであつた。而もその教は年と共 モスコU−タースプルグ に非常なる勢を以て増加し、遠くは英斯科、彼得隻等の諸鞄方に到るまで、殆んど山東人の足跡を印せざ るなき状態である。斯く観衆れぼ渾岸線の潜曲と満洲を縦貫する東支鋳造並南藩鋳造と、四比利亜を横貫す る酉比利鱒鐸遣とは、誠に叫帽建、鰐東、山東の各省人にとつて車両といはねぼならない。 併しながら斯の如き利便を有せない地方は決して然らず。例へぼ北方各省の背後には蒙古、新鮭の炭漠た る地方を有しながらその地方に移住せんと欲するもの殆んどなく、甘泊地方も前表の記載する夙によれぼ、 経済上より朗たる支那内乱¢原因 ︵三一︶ 三一

(18)

償玉稔 弟 ︼ 鱗 ︵三こ︶ 三二 人口の密度は福山東の十分の叫にも達しないに拘らず、やはり移住せんとするものはないのである。西蔵、 青海はもとより、川退、賃岡地方も亦移任せんとするものなきは、これ全く交通不便に原因してゐるのである 二、人事上の関係 1、改植寧恋と利権争奪、古人の首に﹁学名窟必於朝、辞利者必於市﹂とあるが如く、この名と利とは彼等軍 閥の市朝に於て拉得せんと欲する唯仙の目的物である限り、彼等は人口最も調密な生産力の強大なる地方 に向つて求むるのは常然である。 2、兵士と土匪の多数性格、兵士、土匪共に敢倉の落伍者である。落伍の原因はその大年は環境の睦迫であ るが、落伍者自身の身心の紋隋も亦その原因の鵬である事は云ふ迄もない。而して彼等が落伍する問に於 て厳に彼等の男心を容易・に腐敗せしむるものであるから、これ等の落伍者に向つて自動的合理的の生活奮 闘を要求するは無理である。これ等生活の落伍者は唯−の手段として既成の生産品を掠奪する事によつて 生活を推持してゐるが政に、自然掠奪の地盤を人口珊密にして生産力の弘大なる地方を選ばざるを得ない のである。例へぼ騎西の兵士が贋東森くは湖南に侵入するが如き事嘗は、即ち彼等が炭田に於て農民生活 をなし、或は開懇啓発に徒事するよりも史に数十倍の労苦と危険とを胃してまでも、生活不安の苦檎よわ 免れんとするためである。彼等のこの習慣は遮に怠惰の性格を形づくり、決して機械して努働に従事する を欲せず、唯徒らに彼等が幻想中の安楽境を賓現せんとするのである。恰もそれは諺に云ふ﹁乞食二百す

(19)

ぽやめられれぬ﹂といつた心理状態である。北方の兵士、土匪飾園外地方に出でゝ生活を求めやうとしな

いのも、この理である。

其他気候も大及る関係を有し、盟に人事上▼忙於ては智識思想の不進彗生産器具及按術の不進歩、組織能力の

快乏など凡て大なる関係を有するものである。これ等位々の原因が全図人民の生活不安より哉生するところの国

家的祀愈的大霹動運動と相供って鼓に叫偶の粧臍上の反筒状態を後生せしむるものである。

︵こ北方の生活落伍者が相集って土匪となる。而して土匪の畿生はすでに生産及分配の快臓にあるを以て、そ

の匪瀕地の生産は個より土匪の安求に應ずる能はず、鼓に於て七れ等生活の落伍者を後攻となさんとする野

心家∫官僚武人政客或は落伍者の有力者−は即ち彼等を糾合組紋して軍隊を編成し、国籍力を顧み、或

は叉国家の名義を借りて南方の人口凋密生産力弘大なる地方を佑有し、富裕な地方の生産品を以て彼等生活

落伍者共闘の兵士及土踵に供給するの財濾に充てんとするのである。

三︶甲省の生活落伍者がその省内の野心家の為に利用せられて兵士とな少て乙省に傑入し、乙省の人口桐密生

速力恕大なる地方の生産品を以て甲省の生活落伍者の供給忙常てる。例へぼ芸南、貴州封凶川、騎西封廣東

等の事蜜は膚これである。錦岡嘉内に於ても例へば新江省内の台州、金華等の地方はこれを杭州、嘉興、

淘州、南雪紹興等の儲地方に比して人口の密度が稀薄怒るが故に、台州の土匪によつて組織せられたる兵

士がそれ等地空帝に遍在せるが如きこれである。葡忘容易に澄明し縛らる事資は、即ち幾多の野心家が

経舞上より観たる支那内乱の原因 ︵三三︶ 三三

(20)

︵三国︶Y 三四

茅五番 秀一妨

彼等の地位を堆濁せんとするか薯︷は挽眼せんが馬に寡兵せんとしてその地方に土郎なき場合には、癖近火 を派して他の土匪多せ地方に到らしめて募痍するが如きである。 以上は︼方より親祭した尊蜜であるが更に南方について観るも、決して生活の落伍者なきに非ず、四川、贋東 も亦然り。又彼等を利用せ 而してこれ等の兵士及土匪軋巳にこれ等の地方を薄紙着生活の地盤となし、後より倭人⊥氷る勢力に勤しては必 ずや命懸けで勤続するものである。﹁般の生活者も亦他地方の生活落伍者の来りて更に彼等の負塘をして加妥せ しめちれんことを廃れて、彼等は共同して土着の土匪を援助して封抗するのである。是に於てか即ち叫偶の大戦 辱が生れるのである。故に四川の常局が如何に腐敗し予叉その兵士が如何に性が悪くとも、彼等は必ずや北兵或 は巽南、丑州の兵士の侵入を希ふものではなく、叉南方の普局故に兵士が如何に恵劣であつても、北方勢力の傑 人を希はないのである。斯の如き思想は唯少数の政横を寧奪せんとする一部の野心家のみではなく、確にそれは ﹂般人民の心理である。この心理は渡して何を物語るものであらうか。即ち明かに刺客を物語るものである。表 面・に槙梼する主義に至りては、或者は中央集椎を叫び、或者は地方分礫を叫び、或者は観象統一を叫び、叉或寄 は民植の自由を叫ぶものあるも、これ絶て生活改挙の希望の中に破等が標傍するところの方向である。何れが発 か、何れが非かを判別せんとするに至りてはそれは智識の問題恩恵の打越である。 七

(21)

余の親祭せる大要は斯の如し。常々が支部の過意及現在の軽々の廼象を観るに、こは全く欧米日本等の塵迫に

ょり誘壊されたものである。支郵の赦替は本来幾多の快隋を有せしも、偶々これ等の快隋がこの外界の墜迫を受

けて暴露されたものである.而してこれ薄の墜迫が如何なるものであ少、叉その原動刀が奈蓮に存するかを尋ね

んとせば、吾々は世界近代の文明史を詳細に研究すれぼよい。即ち叫切の東方を踵迫せる原動力は即ち科箪の進

歩にありといふことが出来る。欧米の政令の快隋が暴路されたのもやはりこの科挙の進歩に外ならない。支郵の

内乱も余の観る夙によれば、容易に静止すべくもない。何となれば支郵園家政愈の映隋が今や暴露され、進歩的

傾向が甚だ明瞭であ少、〓タ進歩嶺助成せんとする新文化運動が非常些猛烈であるからである。而も大多数の人

民は葡白魔せす、叉一般の琶文化勢力園内の人々もこの新文化道勤進行の力盈を粗止してゐるからである。生活

闘率の方南に於ては更に一盾の文化競争が加はり、而もこの叫大讃勤が果して新文化運動成功の時に至らざる限

り静止しさうもないのである。然らば新文化運動とは何ぞや、新文化運動とは即ち科挙の哉達を基礎とせる世界的

園家政愈の改造超勤である。大破儀なき大建︼改を望む能はす、而して一面破壊すると同時に建設せんとする為に

要する努力は、凡て必ず到来すべき運命を有する新世界k向って沸はぬばならない。革質上の解決簸た壷すては、

寄々は既に兵乱の根本原因が外米機器の生産品鹿由より畿生せるところの生活の不安、生活落伍者の増加及人力

と地方との不調和にあることを知るが故に、孫文の主張せる磯路借款政琴海陛を聯給する大鋳造改発、人口稀薄

の地方と人口調密の地方とを迎ぬる絨道の敷設等が故も切賓な問題であると思考するのせある。︵囲二二、二五︶ 脛掛上より観たる支那内乱り原因 ︵三五︶ 三五

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