• 検索結果がありません。

論文以外のコンテンツ 利用統計を見る

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "論文以外のコンテンツ 利用統計を見る"

Copied!
115
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

論文以外のコンテンツ

雑誌名

東洋大学史紀要

3

発行年

1985

(2)

       H 次

100年史編纂の抱負と課題1 聞き書き  8.坂戸公隆 川越移転と「学生紛争」79  g.西 義雄 昭和初期の”;::園104 資料採訪  小林n治氏(千秋文庫)資料145  佐々木IE熈・弘中兼善:氏資料147 収集資料一覧  購入図書 152  寄貝曽交換[苅書: 158  寄貝曽資*:1・ 162

編纂室日誌164

昭和58・59年度事業報告172

東洋大学創立100年史編纂室

1985

(3)

○○年史編纂の抱負と課題

報告と討論

  おもな報告と討論内容 一、 黶Z〇年史編纂の基本理念 二、﹁五十年史﹂・﹃八十年史﹄の編纂理念 三、大学史の時期区分 四、通史目次検討の留意点 五、通史目次の素描

出場日

者所時

一九八四年六月二二日∼二四日 事 務 局 編 纂 室

目東

次洋

部大

会学

 箱

村小佐春谷河齋藤大北菊根

野沢川日口村藤井川村浦保

一主武敏房孝繁 信嘉重養

治計義宏男照雄潔明行雄所

(4)

 編集長 お忙しいところお集まりいただきまして本当にありがとうございます。すでにご承知のように、東洋 大学は昭和六二︵一九八七︶年に創立一〇〇周年を迎えることになっており、それを記念した事業がいくつか計 画されております。そのひとつの重要な柱として、一〇〇年史編纂事業があり、いまその準備を着々と進めてい るところであります。実を申しますと、私は前編集長が急逝されまして、この五月から編集長をお引き受けいた すことになりました。よろしくお願いいたします。  二年程前に﹁東洋大学一〇〇年史編纂要綱﹂として編纂の大綱が決っておりまして、現在、編纂室の充実、お よび各部会の設置に努力しております。しかし、その具体的運用、実施となるとその詳細が必ずしも明確ではあ りません。そこで、改めて編纂方針を検討し、あわせて東洋大学一〇〇年史はどうあるべきかについて、ご討論 いただきたいと思います。  今まで﹃五十年史﹄ ・﹃八十年史﹄とそれぞれ節目節目に年史を出しておりますが、今度の﹃一〇〇年史﹂は 過去の年史を単に積み重ね、それに二〇年を加えたものでは決してなく、東洋大学の創立時から一〇〇年間の大 学の歴史を見つめ直し、全く新しい観点から、これに取り組んでゆきたいと考えております。その具体的な内容 については、これからの討論のなかで明らかにして行きたいと思います。以上の点について忌憧のない活発なご 発言をお願いします。ではどうぞよろしく。

一2一

(5)

一、

黶Z〇年史編纂の基本理念

   すでに前編集長のもとで年史の編纂方針が決定されておりますが、これによれば国際的な視野を含めた日 本の近代史のなかで、東洋大学をどう位置づけるか、というのが編纂方針の基本だったと思います。したがって、 この点はわれわれが年史を編纂して行く際に、おさえておくべき非常に重要なことになるわけです。  私は各大学の年史編纂の﹁目標﹂を拝見したところ、明治大学のものが一番、近代性が強調された編纂方針に なっているのではないかと思いました。慶応義塾大学、あるいは早稲田大学では創立者の建学の精神が非常に大 きいので、どうしてもそちらにウエイトを置いたかたちの編纂方針になっているようです。われわれの大学も学 祖の建学の精神は慶応や早稲田に劣らないほど立派なものです。周知のように、学祖は﹁諸学の基礎は哲学であ る﹂という基本姿勢に立って、単に官学その他に甘えることなく、経済的にも、哲学的な基本精神を貫いて、こ の大学を開設し経営してきました。  ですから、そういう意味では経済的に非常に困窮した状況下にあったようで、経済的基盤の確固さの欠如が、 今日なお、本学の発展に影響を与えているとも思われます。建学の精神そのものは、そのような中で、今日まで 貫かれて来ているのかもしれません。本学が社会の進歩とともに苦悩しながら歩んできたという時代性をなんと かとらえてみたいと思います。

(6)

 近代を特徴づけるもののひとつとして、自然科学の発達を挙げることができますが、その自然科学はこの一五 〇年ないし二〇〇年の間に急速に進歩し、その進歩の度合いは現代になればなるほど、そのスピードを加速する といわれています。過去の倍、いやそれ以上のスピードで進展し、いまやピック・サイエンスと呼ばれる大規模 な研究・開発が自然科学のさまざまな分野で推し進められています。それにともない、その問題点も過去の自然 科学のそれとは比べようもないほどに、大きなものとなっています。  ですから、学祖が一番重視した哲学や思想がそのスピードに追いつかず、科学・技術方面だけが進歩して来た ところに、いわゆる社会の悲劇があり、人類の苦悩があるといわれているわけです。そういう意味で、近代を問 い、そのなかで東洋大学の建学の精神をもう一度問い直して、それを百年目を境としてわれわれの新たな出発点 として行けばよいのではないかと思います。要するに、ひとつは近代化、もうひとつはその近代化のなかに建学 の精神をどのように位置づけて編纂して行くかという問題だと思います。  1どうもありがとうございました。それでは編纂要綱の再確認についてお話を進めていただきたいと思いま す。

一4一

H 編纂要綱の再確認

1お手元に﹁東洋大学史紀要﹄第一号をお持ちでしたら一四一ページを開いてみてください︵資料1︶。

(7)

四一ページに﹁東洋大学一〇〇年史編纂要綱﹂として、一九八二年七月二二日に編纂委員会で承認されたものが 示されています。そのーの﹁編纂方針﹂の一が、われわれのいう編纂要綱の理念的な大綱ではないかと考えてお ります。  まず、この内容についてわれわれは充分に理解しなければならないと思いますが、特にーの﹁編纂方針﹂の一 に盛られている部分こそ、われわれが作ろうとする﹃一〇〇年史﹄の編纂理念です。国際的視野の内容がどのよ うなものであるか、また、日本近・現代史のなかに位置づけて行こうということはどういうことなのか、そのひ とつひとつについては、たいへん意味の深い内容が込められております。しかし、この内容自身はわれわれが編 纂して行く過程のなかで、より具体的なものとして理念化し、その理念が集約されて年史のなかに盛られて行く という性質のものだと思います。  ただ、さきほど編集長もいわれましたが、学祖の建学の精神を明らかにして行くとか、大学のおかれた位置を 日本近.現代史のなかに位置づけて行くという視点は欠かせないことだろうと思います。それをどのように具体 化するかは、むしろわれわれ自身に課された課題として受け止めて行く必要があるのではないでしょうか。1の 一については以上で終りたいと思いますが、ともあれここにはたいへん崇高な理念が掲げられていると思います。  次にーの二の部分ですが、これこそ重要な内容ではないかと思います。1の二の内容は二つから成っています。 第一点はこれまで作られてきた﹃五十年史﹄・﹃八十年史﹄の記述は決して無視はできないけれども、﹃一〇〇 年史﹂は単にその続編ではないという部分です。これが特に重要な部分だろうと思います。﹃五十年史﹄・﹃八

(8)

十年史﹄の性格を踏まえた上で、その性格の延長で、たとえば八〇年以降の二〇年間分を加えて﹃一〇〇年史﹂ にすればよい、といった性質のものではいささかもありません。むしろ逆に、﹃五十年史﹄・﹃八十年史﹄がもっ ていた性格を乗り越えたものとして、﹃一〇〇年史﹄は新たな構想の下に作られるべきものであるという理念が 提起されているのだと思います。  第二点は、この構想の具体的内容とは何か、ということで、この﹁東洋大学一〇〇年史の構成﹂という表に的 確に示されています。  それはどういうことかと申しますと、従来の年史は恣意的といえないまでもかなり意図的なかたちで、数名の 人によって編纂されたものであるために、資料に裏打ちされた年史に必ずしもなっていなかったといっても過言 ではない欠陥をもっていたわけです。それに対して、ここにはまず資料を集め、その資料に基づいて実証的な年 史を作ろうという姿勢が示されています。その現われとして、通史編と資料編という形で明確に区別し、それぞ れ冊数を配して三〇〇年史﹂を構成しようとしています。結論からいうと、通史編と資料編の両者が相侯って 年史を構成して行こうという理念です。  これはわが国におけるかつての大学史にはなかった理念であり、ごく最近の傾向でありますが、それをいち早 く東洋大学でも取り入れてやって行こうという視点が第二点目として指摘されます。そして、その具体的なプラ ンが通史編三冊、資料編一冊、合計四冊という形で示されているのです。これはあくまでもさしあたってのプラ ンであり、具体的な編纂の過程では再検討を課せられるものであります。さしあたって通史編1.H.皿、そし

一6一

(9)

て資料編一冊、合計四冊を出そうというのが、スタート時点での構想であります。 1要綱のーの﹁編纂方針﹂の一は歴史を書く時の常識として、過去というものをとらえるということであれ ば、こういうかたちでよいのではないかと思います。本学の歴史を編纂する場合にわれわれの狙っている目的は、 むしろ東洋大学が今後どうあるべきか、ということを明らかにすることです。それから、編集長からも最初にお 話があったように近代化のなかにあって、哲学を基礎とした人文・社会科学を中心とした各学部と、そこに工学 という技術系学部を乗せた大学のあり方というものに対して、両者があるべき整合性をもつような方向性をどの ようにして見つけ出したらよいのか、という問題なども編纂方針のなかに盛り込めないだろうかという気がいた します。その点はいかがでしょうか。たとえば、大学の未来像を展望しうる視座を提供することを[日的とするの だ、という表現を編纂方針にひとつお加えになればよいのではないかと思います。  ーまさにその通りではないでしょうか。われわれは明確に未来をどう切り開き、展望するかという視点に 立ってこそ、過去を見つめることができるわけです。それを抜いたところで過去を見つめるとすれば、趣味、ま たは繊悔録となり顕彰碑にしかすぎないものになってしまいます。そういう意味で、見つめる過程も含めて、で き上った﹃一〇〇年史﹄の出来、不出来は将来の展望をどれだけ切り開くようなものになり得ているかという点 にあると思いますので、その一項を入れても何らおかしくないと思います。  1学祖は建学の精神のなかで、哲学は諸学の基礎であり、その諸学の基礎には二通りあって、一つは理論で あり、もう一つは実用である。要するに、理論の学であり、思想の法則・事物の原理を究明する学だと言ってい

(10)

ます。ですから、人文と理工の総合も学祖の建学の精神のなかで基礎づけられているわけです。  1そうです。 1だから、これをどのように表現すべきかということを考える必要があると思います。 1さきほど述べられた大学の未来像を展望しうる視座を提供する、その視点に立って歴史を書くということ ですが、これをお示しいただいたことによって、編纂業務に携わる者としてはひとつの目標ができたわけです。 これからいろいろな説や論が出てまいりましても、これに焦点を絞ることができるのでたいへんありがたく思っ ております。

⇔ 編纂計画の検討

一8一

 1ここに掲げられた﹁編纂方針﹂を具体的に実務に照らすとどういうようになるだろうかということを考え たのが、前回の目次部会で紹介した﹁創立一〇〇年史編纂計画書﹂です︵資料2︶。この理念をできるだけ生かし て編纂すれば、計画書のようになるのではないかと考えたわけです。二、三の問題点を指摘しますと、まず﹁資 料集﹂を数冊出して行きたいと考えております。そして、その﹁資料集﹂のなかから通史に関連する事項をピッ クアップして、﹁資料編﹂を作成するという手順をとりたいと思います。また、この計画書自体、固定したもの ではありませんので、何が先に進行して行くか、執筆活動との関連でも変わって来ますので、スケジュールの変

(11)

更は全体の進行状況を考えながら見直して行く必要があろうかと思います。ただし、通史全体の目次は優先して 検討されなければなりません。    収集資料を活字化して、﹁資料集﹂を数冊作るというのは順当な話ですが、片一方で﹁資料編﹂を作ると いうことがひとつあって、もう片一方で﹃東洋大学史紀要﹄が一応の形をとっているということを考えますと、 ﹁資料集﹂もその中に含めたらどうかと思います。その中の何号かに資料にあるくくりをつけて入れていった方 が将来のためになるのではないかという気がしますが。    ﹁紀要﹂はできるだけ研究成果や聞き取りといったようなものを中心にし、資料でも一枚資料とか、ある 人から寄贈されたような数点の資料はそれに若干のコメントを加えて、その都度﹁紀要﹂の中に入れて行けばよ いと思うのです。ただ、私が考えている﹁資料集﹂というのは、たとえば東京都公文書館で収蔵している東洋大 学に関する文書類はこれだけだ、というような意味できちんとまとめて一冊または二冊にしたいと思っているの です。そして、また国立公文書館に東洋大学に関する文書としてあるものはこれだけだ、という形できちんとま とめたものにしたいと思っているのです。さらに、何々家で持っている大学関係文書にはこういうものがあると か、東洋大学の図書館に所蔵されているものにはこのようなものがあり、明治期の新聞から東洋大学に関する記 事を抽出してまとめたものなど、といったように﹁資料集﹂としてまとめて行きたいものです。    それは全文を活字化するわけですね。  −そうです。

(12)

   私は資料を活字化して、﹁資料集﹂にして行くこととは別に生資料自体を収集して行くという作業も非常 に大事なことだと思います。そして、それをどこできちっと整理・保存して行くかというと、私は最終的には東 洋大学文書館あるいは資料センターのようなものを造って学外資料も学内資料も、あらゆる資料をそろえて行く ということが望ましいと思います。さらにいいますと、そういうものを百周年記念事業の一つとし、将来に継承 すべき出発点として、きちっと礎石を据える、その礎石の据え方の第一歩が資料の活字化だという位置づけがで きないものだろうかと思うのです。  1私はそういうものをしっかり利用できるような形で収集して欲しいと思います。たとえば、本学の図書館 に一部あるものも現在は十分に利用できないでおります。また、現在編纂室に置かれているものもあるけれども、 もし火災でも起きたような場合に一体誰が責任をもってそれらの資料を避難させるのか。とにかく何かそういう 建物を早急に考えて欲しいと思いますが、緊急に無理なことはいえないでしょうから、とりあえずは火の入りに くい図書館のようなところにそういう一区画を造って、資料をマイクロ化するとか、それをいつでも読めるよう な体制作りをする。そのための予算化をぜひ考えて欲しいと思います。学祖研究の三つの部会や編纂室に、今後、 いろいろな資料が集まって来る。しかし、それがあっちこっちに置かれていて、もしそれが途中で散扶でもした ならば大変なことです。ですから、そのことをまずなんとかするように当局に強く申し入れて欲しいと思います。    どうもありがとうございました。年史編纂の基本的理念を述べていただきましたが、これについて若干討 論していただきたいと思います。

一10一

(13)

建学の精神    学祖の建学の精神について若干触れてみたいと思います。学祖の建学の理念は、さきほども申しましたよ うに哲学は諸学の基礎で、それには理論と実用がある。しかしながら、哲学は理論の学であり、思想の法則、事 物の原理を究明するのだということです。  これは﹃八十年史﹄でふれられているのですが、要約すると第一は、哲学は諸学の根源だということ、第二は 哲学研究は国家の文明振起に不可欠なものだ、第三は西洋哲学の研究に加え東洋哲学の研究をなすべきだという ように要約されています。そこで、国家の文明振起には哲学はどうしても不可欠だということで、過去.現在. 未来にわたって文明という問題を学祖は考えています。学祖はヨーロッパの哲学、特に一八世紀あたりの哲学に 非常に傾倒しているように思われます。これについての詳細は他の機会に譲ります。また﹁哲学は学問世界の中 央政府にして、万学を統括するの学と称するも決して過褒の三口にあらざるなり。而るに当今哲学専修するを得る は独り帝国大学に限り﹂︵﹃八十年史﹄ 22頁∧哲学館創立趣意書V︶とあり、当時は哲学を教えているのは帝国 大学のみでしかない。その他にどこの大学でも教えていないと言っています。また、﹁大学の課程を経過するの 余資なき者、並に原書に通ずるの優暇なき者﹂、つまり原書に通ずるだけの暇とか金のない者のために﹁一年な いし三年にして論理学、心理学、倫理学、審美学、社会学、宗教学、教育学、政理及法理学、純正哲学、東洋諸 学及びこれらと直接の関係を有する諸科を研修する⋮⋮﹂︵前掲書 同頁︶と書いています。これが哲学館創立

(14)

の趣意です。  ですから、ここで大切なのは、宗教とか仏教を前面に出してきて大学を設立しようとするのではなかったとい うことです。あくまでも哲学が基本にあって、その哲学の教育について、学祖の考えは当時社会的な身分階層と しては、一握りの貴族、一握りの金持以外は大部分が金のない人たちですから、こういう階層の人たちに哲学を 教育するのだということだったようです。つまり、当時、旧制中学に行く人は村に一人か二人、ないし二人か三 人、まして大学に行く人は数えるほどしかいなかったので、学歴からいっても大学に行くことのできる人はほん の一握りであり、大部分は行きませんでした。  だから、経済的な立場、身分的な立場、学歴の立場からみても、学祖円了が考えたのは、官学がだんだん政府 の御用官吏養成機関になって行くのに対して、そういう状態の官学においては理想とする哲学教育は不可能であ り、私学でこそかかる哲学教育をすべきだということで、そこに学祖の理念があり、建学の目的があったと思い ます。  ーそのような理念に対応する資料というか、学祖の著述を幅広く整理していって、いままとめられたような 方向で学祖井上円了が意図していたのではないかと考えられることを、裏付けて行かなければならないだろうと 思います。というのは、護国愛理というのが前面に出てきて、その観点での建学の精神の理解が強く現われてい る傾向があるので学祖の著述などからきちんと整理することは、たいへん意義のあることではないでしょうか。 ーいま触れられた護国愛理ですが、学祖はこういうことを言っています。﹁その国固有の学は一国の独立を

一12一

(15)

助くるに必要なる元素を含有するものにして、これを愛護するは一国独立の思想を人心中に維持するに必要なる による﹂︵﹁八十年史﹂ 43頁 ︽哲学館の目的についての意見∨︶と。これは国を護り、理を愛するという簡単 なものではなくて、さきほどから述べている建学の精神の一表現にすぎません。  学祖の考えでは、哲学は﹁原理の原理﹂を論究するもの、すなわち事柄そのものの真理を追求するものである。 そういう意味で、四人の聖人もヨーロッパから二人、東洋から二人となっています。しかも、東洋の二人は仏教 だけではなく、儒教も入れています。護国愛理もその延長線にあるのだと思います。  ー考えてみますと、東洋大学がかつて文科の単科大学であったころから、戦後のそれほど膨張しなかった一 時期までの間は、程度の問題はともかくとして、諸学の基礎は哲学にあり、という哲学の理論と実用の学を学ぶ というあり方で進んできたけれども、その後の膨張期においては実用の方が非常に強調されて、それでもって東 洋大学は急激に膨張してきたわけです。  昭和二三、四年ころの学制の改革以来、新制大学では、諸学の基礎は哲学にある、という純粋の哲学、ならび に論理学、倫理学、心理学というものを全然やっておりません。何もやらなくても文科系の大学の学士になれる のです。東洋大学も他の大学と全く同じ状況です。せっかくすばらしい理念をもった大学がその理念を捨て去っ てしまって、哲学について何も触れない実用学だけの大学になってきています。われわれが教育界にいて、非常 に不満に思っていたそういう状況を、東洋大学も全くそのままの状態で展開しています。  そこで、﹃一〇〇年史﹂を記述する場合に、戦後史の方に大きなウエイトがかかってまいりますと、かつて単

(16)

科大学で小さかった時は曲りなりにもその理念はある程度つかまえられながら推移してきたけれども、その後の いわゆる大学らしい大学になった時には、その理念がどこにも生きていない、むしろ理念にそぐわない大学とし て、どんどん発展・展開しているのではないか、ということになりはしないかと、ものすごく危惧するのです。 その点はいかがでしょうか。  1結果としてそうであるならば、それでいいのではないかと思います。まさに、それが資料に基づいて、実 態を正確に描いたものとなっているのであるならば、それでよいのではないかと思います。    これは基本的な問題だと思います。そのことを東洋大学の百年以降の課題にして行ったらどうでしょうか。 この問題は次代の人がどう判断して﹃一〇〇年史﹄を読むか、という一つの問題提起であろうかと思います。    そうすると、さきほど言われた将来を展望しうる視座を提供するということが大きな使命であって、まず わが大学の関係者に﹃一〇〇年史﹄を読んでいただいて、百年以降の大学のありょうに対して相当な刺激を与え うるようなものにして行くことが本当に大事なことだと思われますね。  1大学のよってきた理念はきちんとしているけれども、実際はいつの間にかぼやけてしまった。そこで、次 代の人が一体、どれだけ建学の精神をもう一回取り戻すかどうか、というのが課題であると同時に、われわれも この﹁一〇〇年史﹄のなかで、その精神を一体どのように位置づけて行くべきかを明確にしなければならないだ ろうと思われます。  1円了の建学の精神は井上円了が大学を創立した当初において、どういうことを理念としてもっていたかと

一14一

(17)

いうことですね。そのことが現状に照らした時にあっているか、あるいはむしろかなり乖離しているのではない か。また、乖離している部分を近づけるように努力する必要があると見なすのかどうか、そこのところは編者や 執筆者がかなり苦心するところだと思います。けれども、大事なことは読む側がそこのところを読み取れるよう に編集することではないかと思います。    いまの問題と関わりますし、前の理念とも関わるわけですが、さきほど皆さんから出たのですが、大学が 画一的になってしまったのはなぜかというと、哲学でないその他の分野が、異常に速いスピードで進行・発展す るものだから、あるべき姿があるべき姿でなく、歪曲した社会現象が全世界的に起ってきているのが原因のひと つでしょう。そして、具体的な理由は各大学で異なりますが、本学の場合、学祖円了のあとを継承した経営者自 体が円了精神を十分な意味で継承できなかったというのがその理由でしょう。今後、一五〇年史、あるいは二〇 〇年史を編む場合に、三〇〇年史﹄を編纂した人たちがそういう現状に対してどのような反省をもったのか、 また、いかなる現実認識をもっていたのかが明瞭に理解されるように記述しておく必要があるでしょう。    全くその通りだと思います。    そこの部分がきちんと整理されておればよいのであって、問題なのは実態を実態としてどれだけ正確に示 せるかということではないかと思います。

(18)

日 大学史編纂の新傾向

 1私が編纂室に関わってきていろいろ考えてきたことを、一応まとめてみました。最近の大学史の編纂傾向 と関連することでありますが、わが国では今日なお、歴史研究の一分野としての大学史研究が確固たる地位を築 いている状態には、決してなっていないのではないか。それ故に、大学史という独自の研究史がいまだにでき上っ ていないということがいえると思います。  それはどういうことかと申しますと、大学史自体の研究状況をまとめたものはいまなおない、といってもいい のではないかという意味です。そういうことから大学史の最近の傾向をどういうようにまとめたらよいかと思っ て、いろいろ苦心しました。その結果、この間の歴史研究、とりわけ地方史あるいは自治体史の研究や編纂状況 が、最近の大学史に反映されているのではないかと考えたわけです。  いわゆる明治百年を記念して、昭和四〇年代︵明治百年は昭和四三年にあたる︶には各地方自治体が、盛んに 自治体史すなわち、市町村史・県史を編纂しました。この時期に編纂された自治体史は、それ以前のものとの間 に大きな違いが認められます。とくに自治体史編纂の成果は、後の大学史編纂に大きな影響を与えたと思われま すので、まず、地方自治体史編纂の傾向と思われることを四点にまとめて指摘してみたいと思います。

一16一

(19)

地方史編纂の傾向  第一点は、かつての自治体史が郷土史、あるいはお国自慢史的なものであって、資料に裏付けられた、いわゆ る実証的歴史というにはほど遠いものが多かった。この点において、最近の自治体史と、かつての自治体史との 間には大きな違いが認められるということです。  第二点は、かつての自治体史は比較的に古い時代の記述にとどまり、近・現代史の記述が少なかったが、最近 の編纂物は近.現代史に大変に力点をおいているということです。これは自分たちの生きている時代をどのよう に見、どう考えるか、ということに力点をおくようになってきたということです。  第三点は、最近の自治体史が実証的・科学的歴史研究の成果を取り入れていることから、とくに関係史料︵資 料︶を網羅的に収集し、その整理・保存・利用に多くの配慮がなされているばかりでなく、とくに資料集や資料 編の編纂が精力的に取り組まれているということです。いわゆる資料が歴史を物語る、という視点を貫いていま す。  この点について、一言つけ加えれば、従来はほとんど資料を整備して、閲覧させるような体制がとられていま せんでした。百年史編纂の過程で、各大学に資料室が図書館とは別に設けられるようになってきたということを、 ちょっと注目していただきたいと思います。  第四点は、かつての自治体史が主に政治史・人物史を中心にしていたのに対して、最近では社会史・経済史・

(20)

文化史をはじめ、民衆の生活史などに力点がおかれるようになってきて、いわゆる民俗学的な手法や歴史学以外 の隣接諸科学の成果をふんだんに取り入れ、地方史・自治体史を作ろうという傾向が出てきているということで す。  最初に指摘したように、おらが国の自慢史的なもの、それはおのずから立派な政治が行われたとか、立派な人 物が出たということに力点がおかれ、さらに、そういった人を顕彰しょうという意味から作られてきました。と りわけ、百年史などという形で作られた初期のものには、そういう傾向が強くあらわれていたわけです。ここに、 最近のものとの間には大きく相違することが認められます。  以上が自治体史編纂の傾向ですが、こういった歴史学研究や自治体史編纂の成果を踏まえ、最近では大学史も 影響を受けてきています。

一18一

大学史編纂の現状  次に、大学史編纂の現状ですが、いま述べた地方史編纂の成果と傾向は、やがて昭和五〇年代半ばころから各 大学が創立百年を迎えると、その創立百年史編纂に大きな影響を与えるようになった。と同時に、従来の大学史 の水準を飛躍的に高めることにもなった。すなわち、いま述べた地方史編纂のいくつかの傾向は最近の大学史編 纂にも同様なことがいえます。それ故、この点については重複を避けて、大学史の編纂物や編纂過程のなかに現 われている具体的な特徴を列挙してみたいと思います。

(21)

 一番目に、その第一点として、編纂物の規模が拡大されたことです。具体的にいうと、かつての年史は多くが 通史を中心にした一冊ものであったが︵この点は企業が刊行している会社史などは、最近でも一冊、あるいは二 冊程度で収めているようです︶、今日では、通史編・資料編・図録編などに分けるとともに、それぞれの冊数も 増加している。これは、大学史への視角︵単に建学の精神の発揚や学祖の顕彰といった創立記念史の観点にとど まらない︶が多様化してきており、そのことを踏まえて大学史が編まれてきているというところに原因があるの ではないか。それが編纂物の規模を拡大させている理由のひとつだろうと思います。  第二点は、編纂物の規模の拡大は当然のことながら、編纂期間の長期化、予算規模の膨大化を伴っているとい う点であり、これは注目すべき点だと思います。  第三点は、上記二点と関連することであるが、当然のことながら編纂体制の充実・強化が図られていること。 かつてのような片手間仕事の体制では対応しきれないことから、専門研究者を委員に取り込んで、幅広く意見を 聴取するとともに、専任者を常勤化させて組織の整備に努めているということが最近の特徴といえるのではない かと思います。  二番目に、大学史編纂のための研究成果を公表したり、関係資料の収集・整理のために、﹁大学史研究﹂また は﹁大学史紀要﹂といった定期刊行物を発行して、編纂作業の状況を内外に公表している。こういうことを通し て、大学史の編纂について関係者の関心を喚起しているという意味ですが、これは単に大学史を作って、ハイで きました、創立何周年記念のお祝いの一冊ですという形であった従来のものとはかなり違ってきています。

(22)

本学の年史編纂のあり方  三番目に、本学の年史編纂として何を考えなければならないかということです。  その第一点は、なんのために、だれのために年史は作られるかを明確にする。読者・配布対象者を明確にする ということです。寄贈・配布か、領布かによって発行部数が違ってくると同時に、その年史自体の性格も変わっ てくるという意味です。単に創立記念史としての大学史ではない大学史を目指すということを強調したいので す。さらに学術的評価に堪えうる大学史を編纂すべきではないかと思います。  第二点は、大学史編纂を通して、大学の過去を顧み、大学の将来を展望すること。これは言葉でいうのは簡単 ですが、そこに盛られている意味は大学構成員・関係者が年史編纂の過程を通して、自分の大学を見つめる姿勢 を生み出すということであって、決して容易なことではないと思います。  つまり、編纂者だけではなくして、自分たちもこの大学史の編纂に関わって行くのだという意識が大学の構成 員全体に生まれてくるようにするのが、われわれ編纂者の一方の重要な仕事ではないかという趣旨です。

一20一

従来の日本の大学史の特徴 以上述べたことについて、さらに言い換えてみますと、全く同じことの繰り返しになるかもしれませんが、 一点は、これまで日本では国公私立を問わず大学史はほとんど創立記念史だったということです。 第

(23)

 第二点は、それ故、日本の大学史、特に私立のそれは、多く学祖の顕彰と建学の精神の発揚を主としたもので あったということです。これが必ずしも悪いと言っているのではありません。事実それが主であり、大学史編纂 のなかの九〇パーセントを占めていたといっても過言ではないようなものであった。  第三点は、大学史が教育制度史、大学の沿革史を中心としたものになっていたということです。  学祖の顕彰と建学の精神の発揚、それと教育制度史が大学史の主要な構成部分であった。  第四点は、そういう意味で、日本の大学史には歴史のなかにおける大学の役割というものがほとんど位置づけ られないできました。歴史のなかにおける大学の役割というか、大学の位置づけがあまり意図されなかった。  第五点は、日本の大学は地域社会との関係がどうであったか、という視点の配慮が欠けていたのではないでしょ うか。地域社会と大学といった観点を踏まえた大学史は、従来あまりなかったといえよう。  たとえば、東洋大学でいえば、文京とか東京という地域のなかで、どういう役割を果たしてきたのかというこ とです。東京には私立大学がたくさんあり、そのなかの一つとして東洋大学があるというような意味ではなく、 いま指摘したようなことも考えてみる必要があるのではないかということです。  第六点は、日本の大学史はその構成員たる学生・教職員の動きよりも、むしろ歴代の学長や有名教員、篤実な 経営者に視点がおかれすぎているのではないかということです。  そういう意昧で、大学の構成員をもう一度、見直して、そのなかでどう描くべきかを考えなければなりません。 そのようにして描いたものでない限りは、やはりおめでたいものとなってしまい、学生や教職員がぜひ自分たち

(24)

の将来を展望するために参考にしてみよう、というようなものになってこないだろうと思います。  第七点は、日本の大学史は、かつては特定の人が大学の嘱託となり、任命されて個人的著作として作り上げて しまっていました。それに対して、今日では多くの研究者を取り込んで、分担と協力によって大学史を作り上げ ようとしています。ここには、従来の大学史編纂のあり方とかなり違った要素がでてきているわけです。  第八点は、日本の大学史は関係者以外に興味や関心が抱かれなく、あまり幅広く利用されることがなかったの ではないかということです。それはいまいった一から七の結論として、おのずからそういうものになったのだと いう意味です。  われわれ大学構成員が少なくとも一〇一年以後を展望するための年史を作るとしたならば、いまいったような 点を十分に配慮すべきではないかと思います。

一22一

﹃大学史研究﹄について  最後に一言つけ加えておきたいと思います。さきに専修大学の年史編纂室を訪ねた時に、﹃大学史研究﹄とい う雑誌がすでに三冊発行されていることを知らされ、そこでその目次を見ることができました。編纂室としては 現物をまだ取り寄せていないので中身を読んでいませんが、その内容を目次で見る限り、創立記念史のようなも のを意図した趣旨で大学史研究が進められていない、ということを知りました。  そのような意味で、われわれが作る年史は大学史を作るのであって、創立記念史を作るのではないのだ、とい

(25)

うように考えて行きたいと思います。  これは重要なことですが、創立記念のための記念史ではなくて、大学史の一部として創立記念史を作るという ことであって、意図するところは大学史の編纂です。たまたま大学が一世紀を迎えたところで大学を振り返ると いう意味では創立記念史ですが、目的は、従来の学祖の顕彰や建学の精神の発揚と、教育制度史なり大学沿革史 にのみ重点をおくものではなくて、大学の構成員全体が本当に自分たちの大学を見直そうという意味における、 建学の精神や学祖の顕彰をもり込んだものであるべきだと思います。  単なるおらが国の郷土自慢のための、また東洋大学礼讃のための、さらに創立者がすばらしかったのだという ような意昧での大学史になってはいけないのではないか、大学自体としての機能がどれだけ社会に果たされてい るかという視点から大学史を構成しなければならない、ということを私なりに学んだわけです。それをできるだ け年史の編纂のなかに取り入れていくということこそが、最近の大学史編纂の傾向に対応したものではないで しょうか。  そういう意味では、最初に編纂理念を再確認したところで申しましたように、わが大学一〇〇年史の理念は今 日の大学史編纂の水準に近いものを当初、意図されたものであるということであり、私たちは意を強くしてよい のではないかと思っております。 いま述べられた﹃大学史研究﹄というのは専修大学で発行されているのですか。

(26)

 1そうではなくして、大学史研究会という組織があり、その研究会が実際に研究会を年に何回か開催し、そ の機関誌として﹃大学史研究﹂という雑誌を発行しております。  さきほどは触れませんでしたが、日本では歴史研究の分野に、たとえば日本史研究の分野に、日本の大学史研 究という分野はまだ生まれておりません。  1教育学のなかでも、大学教育というのは研究対象になりにくいようです。  ーヨーロッパでは大学史研究が歴史の一つの研究分野になっているようです。ドイツ、イギリスなどでは大 学自体が数世紀にわたる歴史をもっていると同時に、大学がその地方や地域で開かれた大学という、かなり重要 な役割を担っているので、ある地方の研究はその大学の研究と一体にならざるを得ないというような実態がある わけです。したがって、大学史研究自体が歴史研究のなかで一つの大きな役割を占めています。そのことを述べ たものには、島田雄次郎氏の著書﹃ヨーロッパ大学史研究﹄︵未来社刊︶があります。ちょっと目を通しました がかなり立派なものでした。  ところが、残念ながら日本ではいまだこれに匹敵するような研究成果がないのです。さきほど言ったように大 学史研究会というのがやっと生まれてきたのが現状です。今後は徐々にこういった成果が積み上げられて、歴史 研究の分野の一環として大学史研究というものが入ってくるのではないかと思われます。    私は大学史のいちばんの中心は文化工ージェントとしての大学の役割だろうと思うのです。しかし、小・ 中学校の地理の教科書のなかに、どこに何という大学がありますとは書いてあるのですが、その大学が何をやっ

一24一

(27)

たということは、全く書かれていません。かつて、そういう大学史というものがなかったし、あるいは大学研究 そのものがおっしゃるようになかったわけです。そうしますと、大学研究はある意味では大学史だけではなくて、 大学の研究そのものですから、いろんな学問がそれに全部参加できるわけです。社会学も、哲学も、工学も、そ れぞれの方法論をもって参加することができます。ですから大学研究のなかで大学史が一体どういうような位置 づけをもつのかということによって、いろいろな方法論の使い方ができるのではないかというように考えるので すが、いかがでしょうか。    いまおっしゃった大学史編纂にいろいろな分野の人たちが参加できるというのは、地方史編纂とある意味 で性格が非常に似ているかと思います。さきほどのレポートに戻れば、地方史編纂に社会経済史、文化史などが 入ってくるような体制になってきていますが、それは政治史や人物史が必要でなくなったということではなく て、政治史や人物史だけではさまざまな社会の全構造が動的に把握しきれなくなってきているということだろう と思います。  大学史研究をとってみても、かつてのように教育制度史などだけでは終始できなくなってきているので、これ から大学史編纂に取り組む者としては、そのことを念頭に入れておく必要があるのではないかと思います。  −大学史のなかで、教育といった視野から大学が社会に果たした役割を見て行くといった問題もありますが、 一方で大学自体がどういう実態をもって動いてきたかという問題もあると思います。たとえば、授業料だとか学 生の生活状態がどうだったかという側面からも見て行く必要があり、そういった部分は従来ほとんど扱われな

(28)

かったわけです。  なぜ扱われなかったかという反省と同時に、逆にいえばなぜそういうものを取上げていこうとするのかという ところで、いろいろな視点なり観点を取り入れていく。そうして、学問的な方法もさまざまな隣接諸科学の方法 論を動員して行き、大学の実態をさまざまな角度からえぐり出し、そのもの自身が歴史の流れのなかで、どうい うふうに存在したかというように見て行くということだろうと思うのです。  ですから、東洋大学の建学の精神が大学自身の歴史のなかでどのように捉えられ、移ってきたのかというのは ひとつの重要な柱であるけれども、それと同時に学生や教職員の生活の実態がどのようなものであったか、とい うことも一方では重要です。従来はそこの部分がほとんど欠落していたところで大学史が描かれていた点に問題 があるのではないでしょうか。  そういう意味で隣接諸科学の方法論もぜひ取り入れて行く必要があるといったつもりなのです。東洋大学はい かにあったか、今後どうあるべきかについて、歴史研究の方法だけではなくして、さまざまな隣接諸科学の動員 のもとにやりたいわけです。思想史の方法論だけではないという意味を込めたかったのです。    私は冒頭に申し上げたように、明治大学の年史編纂の理念は非常に優れているのではないかと思うのです。 なぜかというと、近代をどう捉えて行くかということを非常に追求された内容になっているからです。われわれ も近代のなかで東洋大学が非常に苦悩しながら歩んできたということを年史に描いて行きたいと思います。  近代を取り上げる場合、ヨーロッパでは三つの柱になっているようです。一つは自然科学、もう一つは一八世

一26一

(29)

紀あたりからの人文主義的な人間形成論の問題、三つ目は宗教問題です。これらが主要な骨格をなして近代とい うものが形成されてきたわけですが、そのなかで日本にどのように影響を与えてきたかということを明らかにし て、一体どういうふうにそれを捉えようかというので苦労しているところが明治大学の年史編纂理念の優れた点 であるのではないでしょうか。    いまのお話を地方史編纂の場合にあてはめてみますと、最近、地方史研究に対し地域史研究という用語も 使われていますが、それは一応おくとしても、各市町村の歴史は地方史のなかでもその地域ごとの限定された特 殊な展開・発展があるわけです。そういう地域の具体的・個別的な事例の視点から、全体史の新たな意味とその 史実の生起の原因を明らかにして行くというあり方が地方史編纂のひとつの主要な意義となっています。  いわば、全体史から個別史を見るのではなく、個別史から全体史を見るという視点がとられています。その意 味で、大学の歴史も近・現代史のなかの、それ自体の展開・発展をしてきた個別・特殊なものと捉えることがで きると思います。そこで、大学史という観点から近・現代史という全体史を照らし出すことも可能だと思われま す。    話は違いますが、いままで議論されたさまざまの問題について﹁学報﹂に書くとか、﹁紀要﹂に書くとか 何か全学的にアピールする必要があると思います。そして、年史を作る際の基本的な考え方を全学的なものにし ていって欲しいと思います。  1そうですね。この合宿自体、年史編纂についての共通認識を確認しあう、あるいは深めあうという役割を

(30)

もっております。いままで長時間にわたり議論してまいりました建学の精神、大学の実態、大学と社会との連関、 大学史のあり方等々の問題に関するこの合宿での成果をできるだけ大学の多くの関係者・構成員に伝えて、新た な認識をもっていただき、その反映として、さまざまな論議が喚起されて、年史編纂が全学的な関心となって行 く。そのような過程こそ、単に特定の委員が数冊の年史を作り上げるというのではなくして、全体として年史の 編纂過程なのだということ、そのことこそ強調したい点であり、また意図するところでもあるわけです。  1ひとつの目標が段々絞られてきたようで大変ありがとうございました。

二、﹃五十年史﹄

﹃八十年史﹄の編纂理念

一28一

 ー本学の﹁五十年史﹂と﹃八十年史﹂の編纂理念についてふれてみたいと思います。すでに﹁一〇〇年史﹂ の編纂の方針が少しずつ固まりつつある時ですから、それと比較しながらやって行かなければならない作業で あったのではないかと思います。たとえば、編纂方法に関しましても、大学の未来を展望しようとする観点など も﹁一〇〇年史﹂に重要なウエイトをもつので、そうしたこともかみあわせながら見て行かなければならなかっ たのですが、その作業をしておりません。 ﹁五十年史﹂の編纂理念

(31)

 ﹁五十年史﹂を見ますと、執筆者の﹃五十年史﹄にはこういう役割を負わせたいという意欲が非常に赤裸々に 出ているように感じました。その背景はいろいろあると思います。前学長のあとを受けて大倉邦彦学長をお呼び する時も、大学というのはこういうものなのですよと言って口説く材料にもなったでしょうし、昭和一二年とい う時代も何かそういう雰囲気を漂わせていたかもしれません。そういうことから、創立の精神を最初に提示して います。これはこの書をひもとく時に読者をして非常に大きく考えさせるもののまず第一であろうと思います。  護国愛理が建学の精神の中核であり、護国愛理は優れた教育理念だというふうに打ち出したいというので、そ の傍証として﹃五十年史﹄はそこに大学令をもってきています。大学令第一条には﹁大学ハ国家二須要ナル学術 ノ理論及応用ヲ教授シ、並其ノ纏奥ヲ攻究スルヲ以テ目的トシ、兼テ人格ノ陶冶及国家思想ノ酒養二留意スヘキ モノトス﹂とあるのをもち出してきています。いわば、わが意を得たかのように護国愛理と大学令を並べて、わ が東洋大学はまさにこの通りではないかというのがまず見受けられたわけです。  そういうところから、本書に負わしめようとした役割として、護国愛理の精神は国家にとっても重要な意味を 占めるものだという執筆者の胸中を察することができました。これが第一点です。  第二点は、東洋大学における教育内容に及んでいます。ちょっと三口葉がオーバーですが、執筆者の意中をくめ ば、教育内容が世界的レベルにおいて群を抜いているという自負心をもって書いていると思います。それは何故 かということをまとめてみると三つになります。一つは、哲学が百科の根源である、ということで、すでに午前 中のお話し合いのなかで十分出たものです。

(32)

 二つは、哲学の講究により、日本古来の学である神儒仏三道に学的基盤を付与したこと、つまり東洋学の樹立 を図ったということです。さらに、この東洋学に配するに西洋の学を攻究し、東西を相あわせ相較べて日本学の 建設を企図することになっているわけです。  この時代は大倉山で紀平さんを主唱者とした日本学の提唱の時代ではなかったかと思いますが、日本学の樹立 ということは井上円了自身が言っておりますし、東洋大学を日本大学としたかった時もあったようです。そうし た当時の学界の趨勢と東洋大学の教育内容とを比べて、執筆者の意中をはかりますと、わが大学は世界的レベル にあるというふうに見ていたのではないかと私は見受けました。  第三点は、これらのことから引き出したものです。この創立の精神と本学の教育内容は、わが国の私立大学に おいて、他の追随・模倣を許さざるところであるということです。﹃五十年史﹄の文句をそのまま借りて述べま すと、そういうことであります。﹃五十年史﹂はこのような意図をもって書いておりました、ということをご報 告申し上げました。以上が﹃五十年史﹂についての筆者の意図は大体このようなところではないかと思います。  ﹃五十年史﹂の編纂方法を具体的に文中から探しますと、㈲ 本学関係の名士を歴訪して材料の蒐集をなすこ と。これは今日の聞き取り調査と全く同じ方法です。⑧ 資料範囲は、創立当時よりの変遷の大要、出版物、井 上先生の伝記、とくに歴代学長の事蹟などを中心として調査したということです。  資料蒐集の担当者を挙げていますが、柳井正夫、吉田隆の両名は主として官庁ならびに本学の公文書の記録を 蒐集した。また、関係諸人士の資料を提供していただいたということです。執筆担当者は、主任に柳井正夫、柴

一30一

(33)

田甚五郎、愛沢恒雄で、助手として吉田隆となっています。こうした組織で資料の蒐集および執筆をした。 範囲はこの通りですということが﹃五十年史﹄にしたためてあります。 ﹃八十年史﹄の編纂姿勢 その  ﹃五十年史﹄に続く﹃八十年史﹂はどのような編纂の姿勢であったかと申しますと、本書においていまこそ明 らかにしておきたいんだ、ということが特に目につきました。すなわち、これまでは書けなかったこと、いえな かったこともあるけれども、今の時点においてとにかく書いておきたいことはこうなんだ、という姿勢を執筆者 の意図として受け止めることができるわけです。  具体的に示しますと、全体の執筆の流れとしては﹃五十年史﹄が創立の精神をとにかく真正面に打ち出して、 学園の変遷を示して行こうとしたのに対して、﹃八十年史﹄はもっともっと客観的に大学発展の姿を示しておき たいという姿勢がありありと見えます。そのために、事実をありのままに記すことに努めるということで、執筆 者が事実はこうなんですよということを縷々述べています。これが執筆者の姿勢であり、それが事実であるのか どうかということとは別に、執筆者の姿勢として事実をありのままに記そうと努めたということです。  特に圧巻なのは、境野黄洋事件における記述です。かなり詳細な資料を自分の手元に置いた人が書かれたので はないかと思うほど詳細でした。このほかに、大学の発展の姿において記述をしたいという姿勢のひとつに、建 学の精神、創立の精神についても、そうした手法がとられています。﹃五十年史﹄は初端にまず理念を打ち出す

(34)

ということで創立の精神が述べてありましたが、﹃八十年史﹂ではかなり下って、学是の確立のところに書かれ ています。明治二九年ころほぼ固まったのではないかということで、その記述は﹃五十年史﹂と非常に相違して います。  このように、大学を発展の姿においてとらえ、しかも事実をありのままに記そうという姿勢で書かれています が、当然そこで問題になる時期区分については、発展史上の区分法を使用したいという熱意がかなり強かったよ うです。しかしながら、結果的には学園名称にょる区分を取り入れた折衷に終っています。これについては執筆 者自身が自戒、反省しております。  そうした執筆の方針をいま一度顧みますと、第一に記事を繁簡なきよう、すなわち、全体のバランスをとって 記述しようとしたことが挙げられます。あるものは長く、あるものは簡単ということではなくて、全体のバラン スをとって、その発展の姿を記そうとしています。  次に、そのなかで重要と価値判断されたもの、ならびに時間的経過によって色あせた︵色あせというのは私が 使った言葉ですが、時効に入りかけたようなものとか、当時ではうっかりしゃべったら大変な目に遭ったけれど も、今ならいいだろうというような意味のことです︶歴史事象のなかに組み込まれたものと判断された事件は詳 論することに努めたとありますが、この詳論のなかに境野事件なども入っているわけです。  それでは全部そのように貫いているかと申しますと、必ずしもそうではなく、新しい事項も収録しています。 しかし、これは後日訂正を願うものもあるから、しかるべくご判断をいただきたいという執筆の姿勢であり、方

一32一

(35)

針であったように見受けました。  以上のことを総括しますと、﹃五十年史﹄はひとつの理念を貫こうとした姿勢が見えます。それと全く対照的 に﹁八十年史﹄は発展の姿において、できるだけ客観的に大学史というものを記述して行きたいとしております ので、そこに相違を見ることができるわけです。  本来ならばさらに、﹃一〇〇年史﹄の重要な要素である大学の未来像を展望しつつ、それでは﹃五十年史﹄は 大学の将来についてどのような点を示そうとしたか、﹃八十年史﹄はどうであったかということと比較しながら 作業を進めるべきであったと思いますが、なし得ませんでしたので、先生方のご判断を仰ぎたいと思います。  1私は﹁五十年史﹄は見ていないのですが、﹃八十年史﹄はざっと目を通しました。いまのご説明とほとん ど同じことになるだろうと思いますが、編集の根本方針を三つくらい挙げています。一つは、日本全史のなかか ら本学史を描くということです。それでは、かなり社会的なものも入っているのかというとさき程から述べられ ているように、客観資料を駆使しないままに個人的な考え方でまとめているので、必ずしも、実際にはそうなっ ていません。  二番目は建学の理念についてです。護国愛理が建学の精神であったということを前面にもってきていますが、 果たして、護国愛理が建学の根本理念であったのかどうかという点について私自身はちょっと疑問をもっている というか、もういっぺん検討しなければいけないのではないかと思っております。  護国愛理について﹁その国固有の学は一国の独立を助くるに必要なる元素を含有するものにして、これを愛護

(36)

するは一国独立の思想を人心中に維持するに必要なるにょるL︵﹃八十年史﹄ 43頁︶と書いてあり、哲学のなか のひとつのことを強調しているにすぎません。これだけを特別に建学の精神として出していいのかどうか。むし ろ学祖が言っているように、哲学は諸学の基礎だというのが根本であって、諸学の基礎のなかにそういう見識が 出ているにすぎないのではないかと考えていますが、検討してみる必要があろうかと思っています。  三番目は、私利・私情、イデオロギーに立たず科学的態度で編纂しようということですが、当時の人間関係、 あるいはイデオロギーが出てきたので、そういうものに左右されないで書こうということをいっております。  さきのご説明と何ら矛盾するわけではないのですが、まとめてみますと、一番目の社会全体のなかから、ある いは日本史全体のなかから描こうというのは非常によい方針であったと思います。しかし、実際にはそういう成 果を必ずしも挙げておりません。それから、二番目の建学の理念が護国愛理でよいのかどうかをちょっと考えて みなければなりません。三番目のイデオロギーにとらわれないとか、科学的態度というのは実際は少しも明らか になっていないのです。何をイデオロギーと言っているのか、科学的態度というのはどういうことなのか、私 利・私情というのは一体何を言っているのか、ということが明らかにされないままに編集者個人の私情的な態度 でこういう方針を書いているのではないかと思います。    ﹃五十年史﹄の方はさき程おっしゃった通りですね。当時の言葉でいえば、日支事変とか満州事変のある 意味での帰結として出ている。そして昭和六年の不況克服から国粋主義、ファシズムの撞頭といったいろいろな 変貌のなかにあって、あるポジションをおとりになったという感じが確かにします。そういう意味で、護国愛理

一34一

(37)

を過度に浮かび上がらせています。たとえば、﹃仏教活論﹄において、もっと幅広いことを学祖は述べているに もかかわらず、あえてそこの部分を抽出しながら、これこそやってきたものだ、最初からそういう形で哲学館は 創立されたのだという断定的な書き方が非常に強いように思います。  ﹃五十年史﹄ ・﹃八十年史﹄の成立の社会的背景の違いとみかたの相違について、前編集長田中先生はそれを アウフへーベンして三〇〇年史﹄を書くべきだというご指摘をされたのではないかと推察しております。  ところで読む側の方から見ますと、﹃八十年史﹄はたいへん読みずらくて、読み切るのに三週間くらいかかり ました。ところが﹃五十年史﹄の方は、二日で読めました。ページ数はもちろん少ないのですが﹃五十年史﹄の 方は訴えるものをもっているという感じです。  ーさき程からの諸先生のお話を聞いておりますと、どうも﹃五十年史﹄そのものは大倉学長時代の大学の状 況にかなり左右された年史であるように思われます。逆に﹃八十年史﹄はあの時期に﹁大学紛争﹂があったとい うことと、学内自体にいろいろな問題があったなかで、曲がりなりにも﹃八十年史﹄をなんとか作り上げなけれ ばならないといった状況で作られています。従って、﹁五十年史﹄ ・﹃八十年史﹄はそれぞれの時代的背景、大 学の実情に強く影響されてでき上がったものであるということがわかってきました。今後さらに具体的にいろい ろな角度から﹃五十年史﹄・﹃八十年史﹄を把握していく必要があると思います。とりわけ、﹃八十年史﹄の場 合は、現在それに携わった方々が生きておられるということもありますので、そういった方々にその時の状況な り、そこにはこういう問題点があった、反省すべき点があったというようなことを質す機会もあっていいと思い

(38)

ます。  そういうものを踏まえて、われわれは過去の年史自身をできるだけ正確に把握した上で、﹃一〇〇年史﹂を作 り上げて行きたいと思います。建学の精神そのものの理解と同時に、護国愛理の理解を十分に深めて行くなかで、 それを﹃一〇〇年史﹂のなかにどう位置づけて行くかは今後の大きな課題として受け止めたいと思います。  1時間がまいりましたので、このテーマについてはここで打ち切らせていただきます。

三、大学史の時期区分

   それでは次に大学史の時期区分について報告していただきたいと思います。  1大学史の時期区分について報告させていただきますが、ここではとりあえず大学史の時期区分を考えるた めのひとつの材料を提供しようと思います。  最初に、東洋大学のすでに刊行されている年史の時期区分、ないしは時代区分の方法を検討し、次に教育史的 観点からの大学史の時期区分について、さらに視点を変えて政治史的、ないしは生活史的観点からの時代区分を 恣意的に選び、追求していきます。あわせて他大学の年史の時期区分を検討してみたいと思います。  まず、時代区分をすることの歴史学的意味について触れてみますとー歴史学的意味というとかなり概念的な 表現で何をいいたいのかよくわからないと思われるかもしれませんがーわれわれ歴史学を専攻する者にとって

一36一

(39)

ある程度限定された時代を区分しようとする要求は、歴史状況を認識しようとする場合に誰れもがもつ本来的な いしは必然的な要求であるということです。  そしてさらに、歴史の連続した変化をある年次でキッチリと区切るのは無謀であるということを前提とした上 での時代区分ですから、新しい時代への転換︵画期︶点だと言ったとしても、古いものの残存がありますし、古 い時代の連続、ないしは持続と言っても、新しいものへの萌芽、ないしはその生起があることを十分了解した上 での時代区分です。  従って、時代区分をするということはこうした意味を踏まえた上でのものであって、単に機械的に区分してい るものではありません。そして、時代区分によって得られた時代の綜合的な特質とその情勢方向の認識がひとつ の鍵となった上で、各時代のいろいろな社会構造の研究、あるいは問題視角などが設定されていきます。そして 逆にまた、さまざまな研究がある意味では時代区分を再設定するというところに集約されて行きますが、そこに 時代区分をすることの歴史学的な意味のひとつがあるのではないかと思います。 ﹃五十年史﹄の時期区分  東洋大学のすでに刊行されている年史の時期区分について見て行きたいと思います。﹁東洋大学年表﹂は、東 洋大学編﹃東洋大学創立五十年史﹄︵昭和一二年∀の四七四ページから五〇四ページに載っているものです。  これによると、第一期として私立哲学館時代︵明治二〇年から明治三六年︶、第二期として私立哲学館大学時

(40)

代︵明治三七年から明治三九年︶、第三期として東洋大学時代︵明治三九年から昭和一二年︶となっています。  まず、井上円了によって私立哲学館が開設された明治二〇年から明治三六年一〇月一日の専門学校令による私 立哲学館大学の設置認可︵専門学校としての発足は翌年の四月一日︶までが第一期です。第二期は私立哲学館大 学の発足以後を扱っています。第三期の東洋大学時代は専門学校令によっているのはこれまでの通りであります が、私立東洋大学と改称認可された明治三九年六月二八日から昭和一二年の五〇周年記念式典までという館名・ 学校名の変更に伴う時期区分のしかたをとっております。それと同時に、井上館主時代、井上学長時代、前田学 長時代というように、それぞれの学長時代が併用されています。  こうした特徴はこの時期の大学史の編纂だけにとどまらず、戦前の地方史︵誌︶などにも多くみられますが、 ある意味では人物中心史観でもあったわけです。これは﹃五十年史﹄だけに限らずこの当時の年史編纂のひとつ の大きな特徴でもあると思います。

一38一

﹃八十年史﹄の時期区分  東洋大学八十年史編纂委員会編﹃東洋大学八十年史﹄︵昭和四二年︶は哲学館時代と東洋大学時代という大き な枠組を設定して、それぞれ三期に分けています。哲学館時代は第一期として哲学館の創立までを前史として扱 い、第二期として哲学館時代、第三期として哲学館大学時代ということになっています。  哲学館の創立までという前史のところでは、特に明治初期の﹁文明開化﹂などを論じて井上円了の伝記からそ

参照

関連したドキュメント

︵人 事︶ ﹁第二十一巻 第十號  三四九 第百二十九號 一九.. ︵會 皆︶ ︵震 告︶

 一六 三四〇 一九三 七五一九八一六九 六三

七圭四㍗四四七・犬 八・三 ︒        O        O        O 八〇七〇凸八四 九六︒︒﹇二六〇〇δ80叫〇六〇〇

一一 Z吾 垂五 七七〇 舞〇 七七〇 八OO 六八O 八六血

チ   モ   一   ル 三並 三六・七% 一〇丹ゑヅ蹄合殉一︑=一九一︑三二四入五・二%三五 パ ラ ジ ト 一  〃

経済学の祖アダム ・ スミス (一七二三〜一七九〇年) の学問体系は、 人間の本質 (良心 ・ 幸福 ・ 倫理など)

〔付記〕

十四 スチレン 日本工業規格K〇一一四又は日本工業規格K〇一二三に定める方法 十五 エチレン 日本工業規格K〇一一四又は日本工業規格K〇一二三に定める方法