非官吏制度の研究
―戦前期日本における雇員・傭人・待遇官吏の成立および変遷―
石井 滋
1.本論文の目的
本論文の目的は、「戦前期の行政機関における非官吏制度の成立および変遷過程」をテー マに考察を行い、実態に不明な点の多い戦前期における非官吏制度について、体系的に把 握することである。この非官吏制度の検討は、①非官吏制度研究の停滞要因、②官吏制度 との関連性、という2つの問題に対する示唆という意義を持つ。さらには、近年話題とな った官製ワーキングプアへの対策としても参考となる。一方、考察を進めるにあたり、① 非官吏の不安定な立場の形成、②非官吏制度を巡る改革とその限界、という2つの仮説の 検証を目指す。そして、研究の効果を高めるため、次の2点を意識した手法を取る。すな わち、①研究対象となる非官吏の範囲の明確化、②非官吏制度の歴史的理解と学際的アプ ローチの採用、である。これらの手法により、戦前期の非官吏制度を調査し、行政機関に おける非官吏の位置づけを捉えるものとする。
2.本論文の構成
非官吏について、先行研究と課題を把握した上で、雇員・傭人・待遇官吏の各制度の成 立と変遷過程を確認し、行政調査会の非官吏制度改革とその後の動向を調査する。具体的 な構成は次の通りである。
序章 はじめに
第1章 非官吏制度研究についての一考察 第1節 先行研究の確認
第2節 研究における課題とその克服のための視座 第2章 非官吏制度の成立過程と背景
第1節 雇員制度の成立過程 第2節 傭人制度の成立過程 第3節 待遇官吏制度の成立過程
第3章 非官吏を取り巻く環境の変化と制度の改変 第1節 雇員制度の改変
第2節 傭人制度の改変 第3節 待遇官吏制度の改変
第4章 行政調査会による非官吏制度改革と提言後の動向 第1節 行政調査会による非官吏制度改革
第2節 行政調査会の提言後の動向 終章 おわりに
参考文献
3.本論文の概要 序章 はじめに
1.テーマ選定の理由 2.仮説とアプローチ方法
序章では、非官吏制度研究の意義とその研究アプローチ方法について論ずる。
第1に、テーマ選定の理由を述べ、問題提起を行う。
近年の官製ワーキングプアの問題は、非常勤職員の処遇の課題を浮き彫りにした。その 処遇の見直しは今後も必要になるが、それは行政機関における当該職員の位置づけによっ て大きく変わる。そして、現在の常勤職員と非常勤職員の二重構造を連想させる戦前期の 官吏と非官吏の考察は、非常勤職員制度の将来の方向性を見る上で参考になるばかりか、
重要な指針をも提供する。一方、戦前期の行政機関で大多数を占めた非官吏については先 行研究が少なく、その実態に不明な点が多いのが現状である。この非官吏制度の検討は、
①非官吏制度研究の停滞要因、②官吏制度との関連性、への示唆という意義を持つ。
第2に、仮説とアプローチ手法を述べ、考察手法を明らかにする。
非官吏は官吏の仕事を支える役目を担ったが、それに伴い発生した「非官吏の位置づけ のあり方」と「仕事に見合う処遇」の問題に対する政府の対応が注目される。この状況を 踏まえ、本論文では、①非官吏の不安定な立場の形成、②非官吏制度を巡る改革とその限 界、という2つの仮説に基づき、考察する。さらに、①研究対象となる非官吏の範囲の明 確化、②非官吏制度の歴史的理解と学際的アプローチの採用、といった考察手法の工夫を 行う。
第1章 非官吏制度研究についての一考察 第1節 先行研究の確認
第2節 研究における課題とその克服のための視座
第1章では、非官吏制度に関する先行研究を学問分野別に整理する。それにより、研究 の現状を確認し、今後の研究において求められる課題とその克服のための視座を示す。
第1節では、本論文で取り上げる非官吏の範囲を明確化し、非官吏制度の先行研究を有 する主な学問分野である行政学、行政法学、労働経済学、歴史学について採り上げ、研究 の現状を調査する。
まず、非官吏の範囲について議論する。渡辺保男(1976)によると、非官吏は雇員、傭 人、嘱託とされるが、このうち嘱託は資料が制約され、実態の把握も困難なため、対象外 とする。また、杉村章三郎(1936)によると、待遇官吏は身分上官吏でなく、単にその待
遇を受けるに止まるとされるので、官吏よりもむしろ非官吏に含めて考察する必要がある。
よって、雇員、傭人、待遇官吏を研究対象とする。
そして、各分野の非官吏制度の先行研究は、次の通りである。
行政学では、辻清明(1952)、足立忠夫(1978)等により雇員・傭人への言及がなされ た。その他、渡辺(1976)、西尾勝(1993)、西村美香(1999)、真渕勝(2009)、稲継裕 昭(2005)、川手摂(2006)等による研究が見られた。しかし、概要説明や限定された領 域での分析であり、非官吏に関する記述は少なかった。
行政法学では、戦前期において美濃部達吉(1910)、佐々木惣一(1922)、清水澄(1935)、
杉村章三郎(1936)による研究が見られたが、総じて個別の法解釈を重視した点で断片的 性格の強いものであった。一方、戦後期は田中二郎(1955)、塩野宏(1995)等による制 度の概要説明が中心であり、非官吏制度研究は停滞した。
労働経済学では、実証的性格の強い研究が早川征一郎(1994)によってなされたが、総 論的内容であった。その後、菅山真次(1992)、森建資(2005)、長島修(2008、2009)、
加藤智康(2009)による実証研究が見られた。ただし、一部の領域の研究であり、非官吏 制度の全体像を捉えるのには限界があった。
歴史学では、労働経済学と同様に実証研究がなされ、宮地正人(1973)、氏家康裕(2006)、
佐藤美弥(2011)による研究を挙げることができる。しかし、それを体系化して非官吏制 度に結びつけるまでには至らなかった。
待遇官吏については、戦前期の美濃部(1910)等による研究、および、戦後期の日本公 務員制度史研究会編(1989)、小早川光郎・天川晃・磯部力・森田朗・斎藤誠編(1999)
等による研究を挙げることができる。なお、その内容は限られた範囲の説明や事例分析で あり、さらなる研究が待たれる状況にある。
第2節では、第1節を踏まえて非官吏制度研究における課題を明らかにする。
先行研究を総括すると、一方では官吏中心の制度分析や規範分析を重視する考え方が根 強いため、非官吏に対する研究の必要性が低くなる傾向がある。そして、他方では非官吏 への関心はあるものの、資料の制約から個別の研究課題に対する取り組みに終わる場合が 散見される。こうした研究の必要性や資料の制約といった問題から非官吏の実態調査が進 展を見せず、体系的理解が進まなかったと言える。
西尾勝(1983)、辻清明(1962)によると、非官吏制度研究を取り巻く環境の厳しさを 垣間見ることができる。その中で研究の質を高めるため、先行研究の歴史的理解と学際的 アプローチを行うことが求められる。
第2章 非官吏制度の成立過程と背景 第1節 雇員制度の成立過程
第2節 傭人制度の成立過程 第3節 待遇官吏制度の成立過程
第2章では、非官吏制度について、雇員、傭人、待遇官吏ごとにその成立過程を述べる。
第1節では、雇員制度成立の背景に焦点を当てた考察を行い、次の2つの仮説に基づい た検討をする。すなわち、①「雇員」は明治初期の「雇」が他の職の仕事を吸収すること により形成されたこと、②「雇」は官吏の増加抑制手段であり、官吏に準じる者として官 吏を支える「雇員」という新たな階層となったこと、である。
まず、雇とそれに密接に関連する職(使部、仕丁)の変遷を調査することによりこれら の仮説を検証した。さらに、雇とドイツの考え方の両者が太政官時代に結びついた結果、
組織の中で制度上も耐え得る雇員制度が形成され、戦前期に渡って官吏制度を支える基盤 が築かれたことが明らかになった。
第 2 節では、傭人制度の発生過程に重点を置き、次の 2 つの仮説をもとに検証を行う。
すなわち、①傭人は明治時代の一定の職名が起源となっていること、②傭人制度は①の職 名が整理されて形成されたもので、官吏を支える非官吏という新たな階層として成立した こと、である。
そして、傭人制度は、①組織の末端を担う人材(雑用職、特定作業職)が不可欠であっ たこと、②職名の多様化と役割の重要性に伴う整理が必要であったこと(特に、陸海軍省、
官庁の現業部門)、という事情から、肉体労働者を中心とする職名を効率的に管理するため に明治時代に形成されたこと等が確認された。
第 3 節では、待遇官吏制度の発生と定着化について、「待遇官吏とは行政機関の現場を 主に担った特定の職への優遇措置であった」という仮説に基づいて考察を行う。
その結果、待遇官吏制度成立の諸要素について、先行研究に補足を加えて整理をする必 要があることが判明した。すなわち、①国家が重要と判断する専門職として、国家の仕事 を担ったこと、②財政の国家以外(地方等)の負担、③国家への忠誠の見返りとしての身 分の付与、とすることが、より実態に近いということである。
第3章 非官吏を取り巻く環境の変化と制度の改変 第1節 雇員制度の改変
第2節 傭人制度の改変 第3節 待遇官吏制度の改変
第3章では、非官吏制度について、雇員、傭人、待遇官吏を取り巻く環境変化と制度の 改定状況を述べる。
第1節では、雇員制度の定着化過程における実態と根拠の関係を調査することで、雇員 が官吏と非官吏の間でグレーゾーン化する過程を確認する。その際、「下級官吏(判任官)
の主な供給源となった雇員に対し、政府が『非官吏』と位置づけたことにより、雇員の曖 昧な立場が形成された」という仮説をもとに考察する。
まず、雇員制度の成立後に変化した雇員の実態に対して、政府は制度見直しを迫られ、
その根底にあった根拠の転換も促された。また、雇員の処遇の決定は「非官吏」という身 分を重視する方向へとシフトされ、非官吏内部でも雇員と傭人の身分的固定化が進んだ。
さらに、政府と国民とで雇員に対する意識に乖離が生じ、雇員は官吏と非官吏の間の中途
半端な存在に置かれた。
第 2 節では、傭人制度の定着化以後について、処遇の観点から制度の改定を考察する。
なお、その主な処遇として給料、任用、公務災害補償制度を取り上げ、鉄道省、逓信省を 中心に分析する。そして、「傭人制度は民間と行政の両者間における処遇のバランスを考慮 しつつ、見直しがなされた」という仮説を立証する。
給料については、傭人の給料改定は官吏と非官吏の身分秩序の範囲内で行われた。任用 については、鉄道手や通信手という待遇官吏制度が非官吏の動機づけとして活用された。
公務災害補償制度については、傭人の職務の危険性等から早期に制度化されが、組織内で は、非官吏の制度は官吏に後れて整備された。
第 3 節では、待遇官吏制度の定着化以後の動向に注目し、「待遇官吏を取り巻く環境の 変化と制度の改変」に焦点を当てて考察する。その際、「待遇官吏制度は官吏と雇員・傭人 の両制度の狭間に立つ制度であったが故に、その存在意義を『職務の差別化』という形で 強く示す必要があった」という仮説をもとに検討する。
待遇官吏は政府が重点を置く分野において、官吏や雇員・傭人とは別の専門職として、
その存在意義を示した。そして、時代の変遷と共に、そうした異なる分野の横断的な専門 職集団に対して、同一分野内の専門職の階層化という要素が追加されたことにより複合的 制度へと変貌した。
第4章 行政調査会による非官吏制度改革と提言後の動向 第1節 行政調査会による非官吏制度改革
第2節 行政調査会の提言後の動向
第4章では、非官吏制度について、行政調査会による改革とその提言後の動向を述べる。
第1節では、雇員、傭人、待遇官吏について、行政調査会による非官吏制度改革という 観点から、「雇員・傭人の給与」、「待遇官吏制度」、「雇員扶助令」を取り上げて考察を行う。
これにより、行政調査会による提言は、当時の非官吏制度に関する課題への抜本的解決に は至らなかったことを検証する。
まず、「雇員・傭人の給与」については、両者を同じ非官吏の枠内で捉えつつも、身分よ りむしろ仕事内容を重視した見直しを行うという考え方が打ち出され、新たな処遇のあり 方を示すことになった。次に、「待遇官吏制度」については、対象となる待遇官吏に一定の 歯止めを設けるに止まり、行政機関における位置づけが見送られた。最後に、「雇員扶助令」
については、官吏、傭人との制度上のバランスからすれば制定は必然であったが、それと 同時に身分による処遇の考え方が依然として根強いことも示していた。
第 2 節では、行政調査会による提言後の非官吏制度改革について、「雇員扶助令」、「待 遇官吏制度」、「恩給法の適用問題」、「雇員、傭人の給与規則制定問題」を採り上げる。そ して、その進捗状況の確認を通じて改革の全体的特徴の把握を試み、非官吏制度改革には 限界があったことを示す。
非官吏制度改革は実行可能なものから段階的に行われたが、抜本的改革を要する実施困
難なものは後回しや見送りとなった。そして、非官吏の多い鉄道省や逓信省では、政府に よる全体的な改革を補完するための改革を余儀なくされた。官吏減俸問題では非官吏の声 を施策に反映できる仕組みの構築が、事態収束の差となって現れた。さらに、その問題を 通じて非官吏と民間労働者との立場の違いも見られた。その結果、官民の間でさまよう不 安定な立場にあった非官吏は、処遇面での官吏との格差の他、労働運動での民間労働者か らの疎外にも直面した。
終章 おわりに
1.本論文の目的と意義 2.今後の課題
終章では、本論文の目的と意義、今後の課題について述べる。
まず、序章で挙げた2つの問題に対する筆者の回答を示す。第1に、非官吏制度研究が 停滞した理由については、各学問分野の研究意欲や資料の問題もあるが、歴史的には外国 の言説への依存傾向と個別的傾向の強い議論等があったことも背景にある。第2に、非官 吏制度と官吏制度との関係については、非官吏制度の成立および変遷過程を通じて、官吏 制度との密接な関連が窺われる。その主な特徴としては、人件費削減の観点からの活用、
組織の補強機能としての役割、の2点を挙げることができる。
次に、今後の課題として、第1に、日本官僚制研究の研究対象から非官吏が除外された 理由、第2に、研究対象となる非官吏の範囲の在り方、第 3に、戦前期の非官吏制度と戦 後期の公務員制度との関連性、についてさらなる考察を深める必要があると考える。
以上