三
本稿上
(1)で日本における眉目口
を缺いた
文獻に見える眉目口 らぼう」について考察をしたのを受けて、本稿では、中國の 物「のっぺ を缺いた
としたい。と言うのも、兩 物との關わりを考えること から、それぞれの を別個に考えて似たような發想 物が考えられたとするには、その
があまりに大きく、中國の話の影 似性 を受けて日本の眉目口
を缺く
先ず、 ** 物像が發展してきたと思われるからである。
稿一九八頁に引いた鳥山石燕『畫圖百鬼夜行』
いて檢討したい。 の肉塊の如き「ぬっぺっぽう」の形につ「風」の卷) 本稿上
では、これを以て「のっぺらぼう」系の
形の原型と見る先行の 物の に影 たが、 されて、曖昧な書き方になっ
稿執筆後、更なる
査と檢討を經た結果、
先ず、江 に考えてみた。 のよう と言う言 期に出來上がったと考えられる「ぬっぺらぼう」
ろのないこと。變 があり、その「滑らかで凹凸がなく、つかみどこ 言う意味から のないこと。また、そういうもの。」と (2)
衍して、この肉塊の如き
物が 能性が高いと考えた方が、より實態に 形された可 という言「ぬっぺらぼう」 、り得るとするがその繪は、室町時代より後に生まれた (3) い、狩野元信(一四六七~一五五九)の『妖怪繪卷』にまで遡 その原型は、多田克己氏によれば、今日まで傳わっていな いものと思われる。
のイメージを、より良く示した
「のっぺらぼう」考(中)
中國古典文學の
點から
子和男
物の繪として
ばれたものに
更にまた、本稿の上 ぎないと考えられる。 (4)
に示した
代の怪
譚に して
しても、眉目口
結局の のない肉塊のような「のっぺらぼう」像は、
、「ぬっぺっぽう」と言う
物としてのみ
が、長い傳統から生まれたものではなく、その言わば支持 た事がうかがえ、その點を取り上げてみても、このイメージ 知され
の
やがて、のっぺらぼうのイメージの さをより明確に示した證左と見て良い。
流は、石燕
ろの肉塊のような くとこ を持つ、顏に眉目口 物そのものではなく、より古くから傳承 (乃至は、その何れか)を缺いた
して、より廣く 物と 識されるようになる。
四
顏に眉目口
『 を缺いた「物」の系譜は、中國でも古くは 子』( 篇「應 に、「人皆有七竅、以王」第七)
聽 此獨無有。」と 息。
べられた渾沌(混沌)―本稿上
うな たように、これが、『畫圖百鬼夜行』に代表される肉塊のよ でも觸れ 形をした「ぬっぺっぽう」像形
たであろうことは想像に に少なからず寄與し ようで、『山 (5) くないのではあるが―に始まるも 經』に見える
々や 獸にも、そうした
形 の
が められる。 (6)
下っては、『新
書』卷三六「五行志」に、
廣明元年、絳州稷山縣民一豕生如人
。以下、特に斷りのない場合は同じ)點は引用。 、無眉目耳髮(傍 、、、、
と見えるほか、
の乾元の頃(七五八~七六〇)、祁
が數多くあり、その妻が う役人が、罪人に對して嚴罰を以て臨み、このために死ぬ !壽とい 枷足枷や繩のような形に變形していたり、或いは口や 、、 "む子はことごとく、手足の肉が手
がな 、、、
か 、っ 、た 、り 、、或いは手足がなかったりと言う
も生まれて直ぐに死んだとする(『太 形であり、しか 十五「祁 #廣記』卷一二六、報應二
!壽」出典缺)記
が見える。また、李
師の $獺という漁 こくたつ
口 %にかかった嬰兒に似た「物」は、身の丈三尺ばかりで、
眉髮は繪に
いたように備わっていたが、目が無かった 、、、、、、
ので、人々は
&れて川に棄ててしまったとする(『太
卷四七一、「水族爲人」、「史氏女」出『稽 #廣記』
いていたとする記 この他、地中から掘り出された人と似た「物」は眉目を缺 '』)。 もあり(宋・孫升
、宋・劉
(世
'『孫公 中國詩文論叢第二十六集
176
談圃』卷上 (7))、この他にも眉目口
の缺いた「物」の記
が 綿として語り續けられて來たことが見て取れる (8)。**さて、本稿上
兩 とを紹介したが、 桑堂・町田宗七刊『百物語』第三十三席に御山苔松談の話 (9) で、小泉八雲「狢」とその題材となった扶
共に、その
物は では共 く身なりの良い女性ので現れた點 さが二尺もあらうといふ するものの、原話である『百物語』では、「顏の長
の「狢」では、「目も 物」としているのに對して、八雲 で も口もない」とし、更に、這々の體 げ んだ屋臺の蕎麥屋の
これを見る限り、原話では、その顏に眉目口 た」としている。 の顏もまた「卵のようになっ
たかが明確ではなく、顏の竝外れた大きさで人を吃 を缺いてい させる 物の一種、つまり、本稿上
る一群の で引いた大首・面女と呼ばれ 頭」の 物―アダム・カバット氏の名づけるところの「大 物 (
―の系譜に )
これまでの論考や なるものと見ることが出來よう。
言 ものが多いと見え、一部の例外を除いて、この點についての は、「狢」の原話を知らずに書いた はあまり見られず、この物語と八雲の「狢」に見える目
口を缺いた「のっぺらぼう」と直接結びつけてこれを
ているのは、言わば先入 べ
と言って良い (
については、 しかも、八雲の「狢」に見える「のっぺらぼう」像の來源 。 )
文學、日本文學、中國文學或いは各文
面からの解 の方
はあるものの、その相互に目を配った
考は必ずしも多くなく、それぞれがばらばらにこの問題を や論
べているというのが實態のようである。アイルランド人の父とギリシア人の母を持ち、世界數カ國を經
人を妻として、直接とは言い り、やがて日本
いながらも、和
の文獻にも
じた小泉八雲が形を明確
の方向性を して、後世の、のっぺらぼう像 く決定した事に思いを
の多くの方法は、やはり、いずれか一方に したならば、これまで ざるを得ない。 したものと言わ
五
小泉八雲が、扶桑堂刊『百物語』第三十三席を粉本として「狢」を書くに當たって、原作を忠實に踏まえたのは、
であったとした點と、それに を見たという男が最初に出くわしたそれを身なりの良い女性 物 かされて
げ
んだ蕎麥屋の
もまた
物であったという點である。
「のっぺらぼう」考(
子)
に多くの指摘があるように、
じような 物に出會った人が再度同 寶撰『 物に脅かされるというパターンは、中國の晉・干 記』卷十五(
行本ではその第三八九話 (
ると考えられているが、六 れる「再度の怪」と呼ばれる一群の話の流れを汲むものであ に代表さ) )
志怪や宋傳奇の
には、
身なりの良い女性が、實は眉目口 い た 乃至はその何れかを缺い 鶴、更には蛇の しても殆どヒットしない。これは、古來、日中兩國共、狐や ト上の文獻データベースや、文獻データベースソフトを檢索 物であったという話は、今日見得る幾多のインターネッ
身がしばしば人
の女性の
敢えて數値 られたり、女性の幽鬼が男性のそれより語られる度合いが、 であったと語
しなくとも、感覺
は、一線を畫すと言って良い ( にも數多いと思われるのと ところが、更に 。 )
べると、ある時期を境にするかのように、
い女性の眉目口
のない
物の記
これをしも、似たような話は相互の關 くりな話も見られるようになる。 め、中には扶桑堂『百物語』、更には八雲の「狢」と殆どそっ が、ポツポツと見え始 が
「偶然」語られることがあるという く無くとも、
(Synchronicity)だけで 謂「共時性」
明しうるものか否か。 小泉八雲ことLafcadioHearnの作品を **
文學の立場から
く人々が、「狢」に言
ずと言って良いほど言 する時に、その贊否をも含め、必 するのは、八雲の作品「私の守
使」であろう。(原題“MyGuardianAngel") 天 川 弘『小泉八雲―西洋
出の
(
』の )
うした論考の中では、專門の の指摘は、こ な指摘と言って良い。 文學の立場にしない、冷靜
エリザベス・スティーヴンソン女史は、ハーンが幼年時代のジェーンにまつわる
たのであろう、と推測した。しかしハーンの !怖體驗を利用して『狢』を書い
いる以上、スティーヴンソン女史の推測は、ほぼ の種本ともいうべき『百物語』第三十三席が現に殘されて "書に『狢』
いわなければならない(第五章一 #いと
。。同書)〇頁六~二五九二ぼう」 $端らぺ「のっ世界の兒
ここに言うハーンの「幼少時代のジェーンにまつわる
體驗」とは、彼の書いた「私の守 !怖 天使 (
六 」に見える話しで、 %)
&だった八雲が心から愛していた「カズン・ジェーン」と 中國詩文論叢第二十六集 178
呼ばれる
い女性が、ふとしたきっかけで、
幼時體驗は、勿論、八雲の「のっぺらぼう」像形 たという「體驗」を言う。後にも少し觸れるように、八雲の 變わり、しばらくして彼女と再會したとき、彼女の顏がなかっ しみの對象に
重 の非常に
な
素であることは
いない (
ぺらぼう像が形 摘されるように、この一事を以て八雲の「狢」に見えるのっ 。しかし、川氏の指 )
雲が何故、原話の大顏の だが、川氏も八雲の「狢」の原話を明かしたのみで、八 ン女史の指摘は不十分であろう。 されたとするエリザベス・スティーヴンソ
物から眉目口
らぼう像へ移行させたのかを、もう一 を缺いた、のっぺ 踏み んで
いない。 べては
一方、牧野陽子「輪廻の
の試み― ( ―『むじな』と『因果話』分析
」では、この改變を、 )
『百物語』のように
形の存在の・二尺もの
を見せるから 物の顏・ き目や いのではなく(中略)、そこに當然あるべ や口、人
のきなのである。 としての顏が無いことを發見したおの と
く。この指摘は、のっぺらぼうの
怖を解き明かした
い指摘として記憶されるべきであろう。けれども、のっぺらぼうの原型を鳥山石燕の
に右に引いた川 く「ぬっぺっぽう」に求め、さら と同じ方向へ論を展開しているのは、
記した理由からも首肯しがたい。これらの論のように、原話である扶桑堂刊『百物語』
ぺらぼう像を形 やはり、原話と八雲の體驗以外に、「狢」に見える、のっ どうしてもある種の限界があると思われる。 の物語と八雲本人の「體驗」のみでこれを考えることには、 載 するに至った、更にもう一つの
慮すべきだと思うのだが、どうか。 素をも考
六
管見では、眉目口
を缺いた女性の
をした
物が、本格
に出現し始めるのは、明
の小 、筆記の
ある。就中比較 からのようで 良く知られているのは、
の二話であろう。
○
・和邦額(霽園 せいえんわほうがく
人、
『夜譚隨齋) でつさい
やたんずいろく』 ()卷四北京西安門
!の西十庫には兵士
"の宿直 がある。
「のっぺらぼう」考(
#子)
ある 、兵士の某という なにがし
ていた。特にすることもないので、酒を持ち が同僚十余人とともに宿直をし
んで 二更(夜十時頃)を にこう 交わすうち、かなり醉いが回った。 み 宿直 ぎた頃、某は小用を足しに立った。
の傍らには長い
があるのだが、
こにうずくまる人影がぼんやりと見えた。それは紅い衣の 明りの下、そ 人で、
ある。某は相當醉っており、惡さをしてやろうと思い、 の下にしゃがみこんで小用を足しているようで
人の背後にそっと
づいていきなり
きついた。その
端、
人がくるりと振り向いた。
人の顏はノッペリと眞っ白で、目も
るで豆腐のようであった。(原文‥西十庫在西安門 も口もなく、ま 甲人値宿其中。某甲與同値十余人、沽酒夜飮、皆 、例有披 甲 酣。二更後、
解手、至庫傍永巷中、於
光下隱隱見一紅衣
如小 人、蹲身墻邊、
。甲醉後心動、潛就樓之。
人回其首、別無眉目口
但見白面 、
糊、如豆腐然)。
○
・紀
『 崔 堂筆記』卷八「如是我聞」二
にある我が
宅は、母家の西側に三
北にあった。 ずつの棟が南
のく木や竹がこんもりとして、なかなか ひなびた趣きを持っていた。
!父の在世中、下僕の張雲會がある
その棟の一つへ
"
背を見せながら #を取りに行ったところ、お下げ髮の娘が木の下に隱れて、
の隅を向いていた。屋
つかまえておさえつけようとした 誰かと逢引しているのだろうと思って、にわかにその腕を $の女中がここで 口も り向いた。その顏はお白粉を塗ったように白く、耳も目も 端に、娘はこちらをふ もなかった。雲會は
%き た(原文 があかりを持って驅けつけたときには、もう何も見えなかっ &んで地に倒れたが、人々
崔 ‥
宅廳事西有南北屋各三楹、
先 竹翳如、頗爲幽僻。
!在時、奴子張雲會夜
'取
"
(、見垂鬟女子潛
牆隅。意爲宅中小婢於此幽期、遽捉其臂、欲有 )樹下、背立向 挾。女子
面、白如傅粉、而無耳目口 *轉其 。 +&。仆地。衆持燭至、則無睹矣)
ここに長々しく引用したのはほかでもない。各傍線を引いたところを讀んでみると、小泉八雲の「狢」とあまりに表現が
,似していると思われるからである (
取り分け、『 。 -)
堂筆記』では、更に續けて、この
の正體を .物 然の一偶 /なる單としているのは、和名()きぬだみままみ、 、、、、、かん
0とは考え
1く、その深淺は定かではなくとも、む 中國詩文論叢第二十六集
180
しろ兩
に何らかの關
あるまいか ( 性があると見る方がむしろ自然では 大庭修 ** 。 )
『江
時代における
船持渡書の
究』は、江 ()
期における我が國への
入 の實態を知る好個の
提供しているが、右に示した 料を についてこれを見ると、
『夜譚隨
① 』は、
政三年、②天保十二年四(一七九一)(一八四一)
③同十四年(一八四三)、④弘 、 二年(一八四五)五
『
① の名で、種』 堂筆記』は、『紀曉嵐五(右を收載する『如是我聞』) 政五年、②嘉永二年五(一七九三)(一八四九)
③同年十 、
、④嘉永三年五
、⑤嘉永四年五
に、それぞれ舶載の記
があり、兩書が最初に
は、本國で刊行されてからあまり時 入されたの が經 の最新の書 で、これをもってしても、いかに當時の知識人たちが、中國 していない時期 に 目し、それを讀んでいたかが良く分かる (
このことからも、小泉八雲當人は知らず、江 。 )
期に於ける 知識人が語り、そしてそれらの影
だ眉目口 を受けた人々が語り繼い を缺いた
物の話しに、この兩種の
の影
看 見て取ることは決して不自然なことではなく、むしろこれを を 小泉八雲 ** らぬであろう。 して論ずることの方が現實と乖離していると言わねばな
書を收める富山大學附屬圖書
の目 「へるん文庫」
提供したと言われる『新 百物語に關しては、この他六種(就中、『怪談』に多くの題材を を見ると、八雲が、町田宗七『百物語』だけでなく、
(撰)百物語』〔江
代刊としか分かっていない 衞、一七六六年初版?なお、「へるん文庫」本は一八〇〇年 ・吉文字屋市兵 樣である。) ()
を始め、和 !有していたの の怪
"物語集を數多く
る ( していたことが分か 西歐人であり、正規の和 。 #)
讀解の
い八雲のそれらを讀む深さはどの $育を受けた形跡のな 或いは妻・セツを始めとするこの方面への介助 %度のものであったのか、
けをどの たちの手助
%度受けたかは定かではないが (
、その &)
限りにおいては、彼のこの方面への 書を見る たと思わざるを得ない ( '詣は淺からぬものがあっ
。 ()
「のっぺらぼう」考(
)子)
八雲が扶桑堂刊『百物語』第三十三席改作のヒントとしたのが、右に
げた そうした そのものであったのか、或いはまた、
の影 我が國の怪 を受けて書き繼がれ讀み繼がれていった 譚にあるのかは、目下の
が ( 必ずしも明確でない
、八雲くところの「のっぺらぼう」像の形 )
引いた に、右に が、直接
接を問わず、一役買った可能性を―
文學の專門家たちが指摘する彼の幼兒體驗もまた、彼の「のっぺらぼう」像形
の大きな
素として
摘しておくこととしたい。 めつつも―ここに指
それでは、目
口を缺く
物はどのような
げられてきたのか。更に中國古典にそれを探ることとしたい。 素から作り上
【
〇〇七年三 (1)「『のっぺらぼう』考」上(『中國詩文論叢』第二十四集、二 】
)。以後、單に
稿と
(2)『廣辭 す べた場合は、これを示 』第五版(岩波書店)の記
。小學
語辭典』でも「1(形動)一面に 『大日本國
(形動)何の變 らで凹凸のないこと。2 もしないこと。何の反應もないこと。また、
樣も りもないこと。3
の
けていること。おろかな こと。うっかりしていること。また、その人。」とする。
田
『江 語の辭典』(
談
「ぬっぺらぼう」について、「頭部に目 、二〇〇三年新裝版)では、
何の凹凸もなく、つるつるであるさま。またそのものまたは ・耳口のないさま。
物」と
明するが、これは、原義を
いたものとは言い
い。(3)多田克己解
・京極
!畫『百鬼解讀』(
談
〇〇六年〔元版は 文庫、二 談 ノベルス、一九九九年〕)。詳細は
稿二〇五頁參照。(4)そう考えるならば、その
"い
#型は目
口眉のない
沌(混沌)」にまで遡りうる可能性はかなり高いが、その影 $「渾 關係については文字
%り、あまりにも混沌として捉え
(5)『山 ない。 が
&經』「西
'三經」では、ここに言う渾沌を
けて、その (江と名づ )を「渾敦無面目」と 、、、、、
べる。また、
撰と傳えられる『 ・東方朔
$經』(『
「西 郛』卷六十六上には、同書
*經」とする)では、渾沌は、「其
熊而無爪、有目而不見 、、、、、 +如犬、長毛四足、似 沌を渾敦と標記し、渾文公十八年には、『春秋左氏傳』た、 する。有兩耳而不行不開、聞ま」と ,、、、、、、
(鴻氏の不才の子であるとして、人々に仇を爲す窮奇、檮
饕餮と竝んで「四凶」の一つに加えており、渾沌 ,、 渾沌(混沌)の物語は、 が見て取れる。 話の發展 -らく言
.が先にあって、それを 中國詩文論叢第二十六集
182
踏まえた上で出來上がったものであろう。その
(6)例えば、「南山經」に見える ない。 して混沌を想定したセンスはなかなかのものと言わねばなら に考えると、のっぺらぼう像を作り出した人々が、その源と さしく「のっぺらぼう」と同じと言うことになる。そのよう り立ちはま
はくいは、顏ではなく、背中に目があるとされ、「北山經」に見える
ほうきようは、顏ではなく、腋に目があるとされ、有名な形天は頭部を缺き、
て、臍を口とするとされ、「大 を目とし 西經」に見える
知られているように、これらの象 そのものがない等々。 尸は首 いては するところのものにつ
『山 らも、その一々を檢討することはしない。それらについては、 があるのだが、本稿では紙幅の關係からも論旨か
經』關係の專
(7)『古今 を參照されたい。
部叢書』(上
出版 集 影印、一九九一年)第七 收。なお、この後、その眉目のない「物」を「太
あったとしているが、『太 」で 廣記』に
・戴孚『廣
出ずとして、これと同じく地中から掘り出したという太 記』に
「有數千眼」と を く の記 また、明・ をしている(卷三六二・妖怪四)。 『七修
稿』卷五〇(
代筆記叢刊、上
店、二〇〇一年)では、『孫公談圃』と同樣の記 書
(8)例えば、 がある。
・袁枚『子不語』卷二「水鬼箒」には水死の
!靈が「眉目無有、
"身
#立、頸不能動、如木偶然。」つま り、「眉目がなく、
ず、木偶のようであった。」とするほか、小 $い體で直立し、頸は動かすことができ
、筆記の
らこうした記 か 我が國における中國怪 を少なからず見出すことが出來る。
譚
%究に先驅
田瑞穗 &業績を殘した故澤 '士の 鬼)、顎のない幽靈(無顎鬼)、 書『鬼趣談義』にも、頭部のない幽靈(無頭
ず示されていて參考となる(「幽靈の形 (缺け幽靈等の例が少なから )と
*態」〔『
鬼趣談義』四頁~。 +訂 河出版
收載の論考には中國の「のっぺらぼう」譚として更に重 、一九九〇年〕)。なお、本書
一話を紹介するが、これについては紙幅の關係から、本稿下 ,な
(9)その後、本書の -で紹介し、改めて考えることとしたい。
-は明治二十五年淺
開催された百物語怪談會の .の料亭・奧山閣で /催である條野
ることが分かった。その詳細は、本稿とほぼ 01その人であ れる予定の『 2後して刊行さ 3光學院大學公開
4座論集』第五十六集(笠
5 6書)
して―」で觸れている。なお、この論考では、題名の示す 收の拙稿「のっぺらぼう考―その『正體』を中心と
7
り、のっぺらぼうなる
8物の正體に關して
いるが、本稿上 /として考察して -で見 9としていたことなどにも言
( るので、本稿と併せ見られたい。 :してい 10)「圖
細見・大頭登場」(同氏
『大江
;8物細見』
小學 收、
( <、二〇〇〇年)。 11)この點にいて、本稿上
-で觸れ
9としていた。個々に改め
「のっぺらぼう」考(
+子)
て記して、正確を期することとしたい。(
12)汪紹楹校
、古小
叢刊本(中
校は學津討源本を底本として、 書局、一九七九年。同書 の話では、楊度という男が、夜に馬車で出かけたが、その したテキストである)。こ
中で乘せてやった、①琵琶を
えた
( いうものであった。 に、「舌を吐き、目を剥き出し(吐舌擘目)」て脅かされると 、②老人に立て續け いるところである。示 13)その原因がどの邊りにあるのかは、目下の考えあぐねて
( を待ちたい。
14) 談 學 文庫 1143( 談 、一九九四年。原本は新
( 一九八一年刊) 、 15)引用
に收められているものである(池田 が參考にしたのは、『さまよえる魂のうた』第一章
( 〇〇四年)。 之譯。ちくま文庫、二 16)池田
之「『怪談』
生の原風景―『むじな』と『私の守
①「奇妙な體驗」、②「私の守 天使』―」では、この事件がトラウマとなって、八雲は、
回に 天使」、そして③「狢」と三
って顏無しの
(『幽』Vol.1〔『ダヴィンチ』七 物が登場する作品を書いたと指摘する
トリー、二〇〇六年七 刊號、メディアファク
( 〕)。
17)『比較文學
究』第四十七號(東大比較文學
( 八五年)。 究會、一九 18)十二卷本(王一工・方正
點校、上
古 出版
、一九八 八年)。なお、現在
しを收 行の同書には、四卷本があり、この話 していないので、
意を する(陶
燈 標點『夜雨秋 ・夜譚隨
』〔筆記小
品叢書、重慶出版
五年)。なお、同書では、 、二〇〇
( 名を號である黨齋とする。
面長二尺、「身長二尺、無目無口無 19)また、同じく・袁枚『子不語』卷四「陳州考院」には、
!」の
"衣を
、そして江『百物語』 場する。これもまた、「狢」の原話と考えられる扶桑堂刊 #た人が登
$期の物語に多數登場する大きな顏の
物群と
%似する。これを偶然の一
&と言うには、一
&し
( るように思われるのだが、どうか。 'ぎ
『正體』考―そのを中心として―」(本稿 20)のっぺらぼうの正體をめぐっては、小論「『のっぺらぼう』
( く觸れている。 9參照)で詳し 21)關西大學東西學
叢刊、關西大學東西學
( 七年。 究、一九六 22)『夜譚隨
』の (立は乾
衣紅「稿で引いた本があり、 足本と非足本とえられたものが刊行。添が序に雨齋後の十年 )四十四年、そ自序(一七七九)
*人」を載せるのは
ただ、『江 +である。
$時代における
,船持渡書の
究』では、その
-
別が示されていないものが有るが、本文②、③には十二卷と明記されている。なお、現在我が國に
刊本について十二卷本、四卷本が共に見出される( .されているそれは、
/國 0 データベース―日本
.中文古
數據庫―參照 中國詩文論叢第二十六集 184
URL:http://kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/kanseki?query=%E5%A4%9C%E8%AD%9A%E9%9A%8F%E9%8C%B2)。一方、『
堂筆記』は五種すなわち、『
陽
『如是我聞』、『槐西雜志』、『姑聽之』、『 』、
陽續 ぞれ別に刊行されていたものを、嘉慶五年(一八〇〇)に紀 』がそれ の門人・
時 が『
とされる。このうち、『如是我聞』の刊行は乾 堂筆記』の名で纏めて刊行した
※各書の解 年後の舶載と言うことになる。 (一七九一)であることから、本文の①は、刊行後わずか二 五十六年
は、石昌渝
『中國古代小
を參照した(『夜譚隨 總目・文言卷』
』、『
堂筆記』共に
山西 稼雨執筆、
( 育出版、二〇〇四年)。 23)東
夫『百物語の百怪』第三十四話「新
( )。年〕 から『百物語の怪談史』と改題されて再刊された〔二〇〇七 舍發行、角川書店刊、二〇〇一年。なお、本書は、角川文庫 百物語」(同朋 24)詳細は、「へるん文庫」の和書・
目 なお、同目 を參照されたい。
( /jaJapanesepanese.html eaN/EUNK/Brn~hecURc.j.amaya-to.u.libp/oll/c:/ttp:hL ははウェブ上に公開されている。
(恆文を憶う―』 25)小泉八雲の息・一雄『小泉八雲―思い出の記・父『八雲』
の補助を得てこの方面の 、一九七六年)には、彼に學費や生活費
譯を手傳う人々のあったことが明 記されているが、このような
マさん(セツを指す。 境の中でも、「『しかし私、マ 唯一の 子)貴女があります」と申して母を みにしていたのは事實です。」とし、八雲が最も信 を置いていたのは、妻・セツであった
六六頁「東京牛 樣である(同書一
( 」)。
26)八雲に『中國怪談集』と言う
作があることを想
その深淺はともかくとして すれば、
( が知れよう。 に對しても詣のあったこと 27)本稿
!稿後、江
地かる "民話に、日本橋本町四丁目の龍閑川にか
#橋のたもとで眉目口
$を缺いた
%い娘の
&をした
'
物に
()した人の話を見出した(窪田明治『江
〔雄山閣出版、一九七二年〕)。詳細は、本稿下 "民話物語』
で觸れたい。
「のっぺらぼう」考(
子)