政治的自発性の追求 : Terry Eagleton Literary Theoryを手がかりに
その他のタイトル A Condition of Voluntariness in Ideological Bondage : A Political Approach to Terry Eagleton
著者 木村 祐治
雑誌名 關西大學法學論集
巻 52
号 6
ページ 1747‑1817
発行年 2003‑03‑20
URL http://hdl.handle.net/10112/00023501
政治的自発性の追求 政治的自発性の追求
一四
九
目 次 は じ め に
第一章イデオロギーの拘束~この逃れられぬもの
第 一 節 価 値 判 断 と イ デ オ ロ ギ ー
第二節文学というイデオロギー~配の装置としての文学の成立
第 二 章 現 実 か ら の 逃 避 ー 想 像 的 解 決
第一節過去の称揚~スクルーティニーの場合
第 二 節 思 索 へ の 退 行
1現象学の場合
第 三 節 制 度 の 解 明 ー 構 造 主 義 の 弱 点 と 可 能 性
第三章現実を揺るがすことー'ー拘束の打破に向けて
第 一 節 制 度 が は ら む 矛 盾 ー デ イ コ ン ス ト ラ ク シ ョ ン が 暴 く も の
第二節否定されるものの可能性|—精神分析理論における女性性の問題から得られるもの
おわりにー—自発的であることとは 木 │
T e r r y E a g l e t o n L i t e r a r y Th eo ry
を手がかりに
村
︵一
七四
七︶
祐 治
政
治的
まとう︒政治厳密には統治︑あるいは行政というべきかもしれないがーの重要性を認識しつつも︑
の権力的な側面や党派的な側面に嫌悪を覚えるというのが多くの人の反応であるといえるかもしれない︒それゆえに︑
うな場合には︑次のようなメッセージがこめられているといえよう︒政治的︑イデオロギー的なものの見かたにとら
われることは︑ものごとを自然に︑ありのままに理解することを妨げるということであり︑断じて斥けなければなら
ない︑との︒﹁︵柔軟性を欠いた諸前提に縛られたものの見かたという︶概念の拘束衣を脱ぎ捨てさえすれば︑世界を
ありのままに見られるようになるであろうに﹂というわけである︒
このような考えかたを抱く人びとにとっては︑たとえば文化や芸術に政治的なものを見出そうとすることなど︑ほ
とんど生理的に拒否反応を引き起こすような営為にほかならないであろう︒むしろ︑文化や芸術は︑ある意味で政治
とは
いえ
︑
一方ではそ
︵一 七四 八︶
政治というものを定義することは︑ある意味で非常に困難を伴う作業である︒それでもあえて定義を試みるな
らば︑その結果が最終的にどのようなものとなるにせよ︑
を無視することはできないのではなかろうか︒いわゆる政治が行なう福祉の実現や杜会資本の整備︑あるいは秩
序の維持などは︑社会が混乱をきたさないように舵取りをする営みとして捉えることができるからである︒とまれ︑
政治なるものが社会においてきわめて重要であることを否定する人はいないであろう︒
政治的I I
I I
︑あるいはイデオロギー的という形容詞には︑どこかしらネガティヴなイメージがつき
イデオロギー的ということばは︑しばしば非難のニュアンスを伴って用いられるといえる︒そのよI I は
じ め に
関 法 第 五 二 巻 第 六 号
社会を何らかのかたちでまとめあげる方法という要素1 1
一五
〇
的なものからは最も縁遠いものとして位置づけられているとさえいえる︒
純粋なflfl真のf l
I I 文化や芸術は︑その他
( 2)
のあらゆる思惑から離れて︑それ自体で成り立つものでなければならないというわけである︒
しかしながら︑そのように政治的なものを拒否するということがかえって政治性を帯びることにつながるという結
果を招くことはないとはたして言い切れようか︒あるいは︑政治的なものを拒否するという営為自体︑当人が意識し
ていない政治的な意図に支えられているとすればどうなのか︒政治性やイデオロギー性は︑当事者が意識していなけ
れば表に出てこないものなのであろうか︒そもそも︑他者の政治性やイデオロギー性についてうんぬんする人びとは︑
政治性やイデオロギー性そのものよりも︑むしろその他者が政治性やイデオロギー性を保持していることに無自覚で
ある点に注意を促しているケースが多いのではなかろうか︒
かく考えると︑政治的なものを積極的に見出していこうとする姿勢に対してもそれなりの評価が与えられるべきで
あるということになろう︒政治が忌避されるのは︑政治がしばしば生み出す抑圧や暴カー見えるもの︑見えざるも
のを問わず│ーなどに対する警戒感が存在するためであるといえようが︑まさにそうであればこそ︑政治やイデオロ
ギーから目をそらさない姿勢が求められるのではなかろうか︒とりわけ︑政治とは縁がないと信じられている場にお
その足がかりとして検討する価値があると思われるのが︑第二次世界大戦後のイギリスにおけるニューレフト運動
の展開である︒イギリス・ニューレフトは︑ い
て︒
政治
的自
発性
の追
求
一 五
マルクス主義の潮流に位置づけられる思想運動であったが︑それまでの
マルクス主義とは異なり︑
文化1 1
I I
に強い関心を寄せ︑ニューレフトの影響を全く受けなかった第二次大戦後のイギ
(3 )
リスの社会科学は存在しないと評されるまでに発展した︒
文化は政治である1 1
I I
という認識のもと︑多くの研究者が
︵一
七四
九︶
や生
活水
準︑
︵一
七五
0) 独自の理論を追求したのである︒その背後には︑政治についてのどのような定義も社会における現実の勢力や深部で の運動への理解を基礎としたものでなければならず︑また︑社会主義のための政治活動は庶民の直接体験や生活に根
(4 )
ざす
文化I I
I I と結びつかなければならないという信念があった︒加えて︑戦後の資本主義的繁栄のもとで︑階級構造
ライフスタイルが様変わりし︑またマスメディアが発展するなど︑社会が変化したことも文化への関心
(5 )
を呼び起こした一因である︒しかし︑
ニューレフトの影響力は︑その他のイギリス・マルクス主義の流れと同様に︑
あくまでも知識人の個々の知的世界という枠内にとどまるものであり︑現実政治にはさしたるインパクトを与えるこ とはいえ︑現実政治への無力さゆえにイギリス・ニューレフトが
文化は政治であると説いたことの意義を軽視1 1
することは︑適切な反応であるとはいえないであろう︒文化
I I
を否定しようとする人は︑まずいないにちがいない︒
しかしながら︑そのように︑文化の価値︑ひいては文化の存在それ自体を当然のものとして受け入れているがゆえに︑
わたしたちは文化が政治性を帯びる可能性に対して鈍感になりはしないのか︒先に述べたように︑政治は負の側面を 含んでいるが︑問題なのは︑たとえばファシズムがそうであったように︑わたしたちがそのような負の側面にいつし か巻きこまれ︑しばしば積極的に加担すらしてしまうことである︒ファシズムの場合︑政治的なスローガンや政治家 の言動が関与しており︑その負の政治性は必ずしも不明瞭であったわけではない︒にもかかわらず︑人びとは悲劇的 な結末へと突き進んでいったのである︒このように︑可視的な政治性にすら翻弄されることがあるのであれば︑なお さら︑文化のように誰もが否定しえないような存在について︑そこに潜んでいるかもしれない負の政治性に無自覚で
あることの危険性は極めて高いのではないか︒したがって︑文化が政治性を帯びている可能性︑さらに踏みこんで︑ とはできなかったのである︒
関 法 第 五 二 巻 第 六 号
一 五
ロー スフォード大学に移り︑ウォッダム・カレッジ・フェロー︵一九六九年ー一九八九年︶︑リナカー・カレッジ・フェ ︵一九六四年│︱九六九年︶を勤めたのち︑オック の中心人物の一人であったレイモンド・ウィリアムズの指導を受けた︒一八世紀 テリー・イーグルトンは︑ 非政治的であると思われているものが政治性を帯ぴている可能性を疑ってみることは︑決して意味のないことではな
ニューレフトが誕生するきっかけとなったのは︑
年に発生した一連の歴史的事件であった︒これらの事件が︑旧来のマルクス主義に対する疑問を呼び起こし︑イギリ
(6 )
ス共産党から多くの知識人が離党することにつながったのである︒これらの人ぴとと︑大学内の若くて新しい左翼世
(7 )
代が担ったのが︑︵第一次︶ニューレフトである︒
一九六八年に訪れる︒学生運動やヴェトナム反戦運動の国際的なうねりが︑ニューレフト
(8 )
の世代交代を促すことになったのである︒すなわち︑第二次ニューレフト世代の台頭である︒この第二次ニューレフ
ト世代に名を連ねる人物の一人が︑わたしが本稿で取り上げようとしているテリー・イーグルトン
19 43
‑) で
ある
︒
以来︑最年少でケンプリッジ大学ジーザス・カレッジ・フェロー
政治的自発性の追求
( T e r
r y E
a g l e
t o n ,
一ューレフトの転機は︑ い︒この点において︑ニューレフトの意義は︑きわめて大きいと考えられるのである︒
スターリン批判︑
スエ
ズ危
機︑
一九四一︳一年二月二二日︑イギリス北部・マンチェスター近郊のソルフォードに︑
ランド系の労働者のこどもとして生まれた︑現代のイギリスを代表する
マルクス主義︵文芸︶批評家I I
I I
である︒ペ
ンドルトンのド・ラサール・カレッジを経て︑ケンプリッジ大学トリニティ・カレッジに学び︑第一次ニューレフト
(9 )
(R
ay
mo
nd
Wi l
l i a m
s ,
19 21 1 , 98 8)
(一九八九年—一九九二年)、オックスフォード大学教授(Thomas
Wh
ar
to
n P
r o f e
s s o r
o f E
n g l i
s h L
i t e r
a t u r
e )
兼
一五
三
︵一
七五
一︶
アイル ハンガリー動乱という︑
一九
五六
著作
が︑
( 10 )
か﹄
︶で
ある
︒ 一九八三年に発表され︑
︵一
九九
二年
│二
00
一年
︶を
歴任
し︑
︵一
七五
二︶
マンチェスター大学教授に就任
イーグルトンは︑旧来のイギリスの文学批評理論を検討するとともに︑ポスト構造主義や精神分析理論などを批判
的かつ積極的に吸収し︑独自の批評理論の構築を試みた︒その成果の︱つであり︑イーグルトンの代表作というべき
一九九六年に第二版が上梓された
Li te ra 0T he oo
︵日本語訳題名・﹃文学とは何
タイトルから容易に察することができるように︑この著作は︑文学︵批評︶理論を扱ったものである︒しかし︑厳
密には︑むしろ︑文学理論に影響を与えたさまざまな現代思想の検討というべき内容となっている︒それゆえに同書
は︑日本語訳者の大橋洋一が第二版の訳者あとがきで述べているように︑さまざまな読みかたに開かれたものとなっ
( 11 )
ており︑またその結果︑イーグルトン自身も第二版のまえがきで紹介しているように︑﹁文学批評家のみならず法律
( 12 )
家にも︑文化理論家のみならず人類学者にも﹂読まれることになったのである︒
Li te ra 0m eo
0 の特徴の一っは︑文学のみから発生し︑あるいは文学にしか適用できないような理論の総体とし
ての
文学理論I I
I I
は存在しないと主張し︑なおかつ︑文学批評を政治的なものとして︑さらには政治的実践として捉
えている点にある︒文化における政治性の存在に着目したニューレフトの流れからすれば︑このような姿勢は自然な
ものであるといえよう︒しかし︑政治と文学理論を結ぴつけることについては︑唐突な感がなくもない︒もっとも︑
イーグルトンが問題視しているのは︑まさにそのような反応なのであるが⁝⁝
イーグルトンは︑純粋に個人的なものであると考えられる食べものの好みでさえも︑突き詰めて考えれば何らかの ︵ 二
00
一年
ー︶
︑現
在に
至っ
てい
る︒
セント・キャサリンズ・カレッジ・フェロー
関法第五二巻第六号
一五
四
一五 五
社会的な価値判断に裏打ちされたものであると述べ︑そこから文学︵理論︶もまた︑社会的価値判断の産物であって︑
したがって政治性やイデオロギー性を払拭できない││'ただし︑結論からいえば︑イーグルトンはあらゆるものごと
︑︑︑︑︑︑︑︑︑
が政治やイデオロギーによって基礎づけられる可能性を持っていると考えているのであって︑あらゆるものごとが政
( 1 3 )
治的なものから逃れられないと説いているわけではない点には注意しなければならないーーものであると主張する︒
敷術すると︑わたしたちは︑政治やイデオロギーの拘束から逃れることはできないのであり︑その︱つの例が文学 ける場において︑ものごとは自発性や主体性を保持することができるのか︑何より︑わたしたちは真の意味で自発
的・主体的に行為しうるのか︑という問題である︒おそらく︑多くの人びとは︑少なくとも個人的な趣味や嗜好の面 においては︑自律的な判断を下していると考えているであろう︒しかし︑そのような判断ですら︑実際には政治やイ デオロギーのはたらきから自由ではないとすれば︑わたしたちが考えている自発性や主体性というものは︑はたして 政治的な面において信頼しうる概念であるといえるのであろうか︒事実︑イーグルトンは︑次のように述べているの
( 14 )
である︒﹁文学批評は主体性を欠いている﹂と︒
結論からいえば︑そのような状況におかれているとしても︑何らかのかたちで自発性や主体性を確保しようとする 道を探ることこそ︑イーグルトンが
Li
te
ra
OT
he
o0
において試みていることなのである︒イーグルトンは︑すべて が自発的・主体的に決定されうるという
展望I I
I I を見出そうなどとは考えていない︒政治やイデオロギーから逃れら
れない場の一っとして文学を取り上げ︑そこでわたしたちが自発性や主体性を確保するためにはどうすればよいのか
を考察すること︒
Li
te
ra
0T
he
o0
におけるイーグルトンの意図は︑この点にあるといえるのであり︑それはまた︑
政治的自発性の追求 ︵批評理論︶という場であるということである︒すると︑
︵一
七五
三︶
︱つの疑問が生じる︒政治やイデオロギーという制約を受
では︑イーグルトンは︑どのような理由から︑文学理論の主体性の欠如を主張するに至ったのであろうか︒また︑
繰り返しになるが︑そのような姿勢は︑逆にいえばイーグルトンが政治的・イデオロギー的な制約から逃れられない
という状況のもとで自発性や主体性というものを追求していこうとしていることのあらわれにほかならないわけであ
るが︑それならば︑イーグルトンはどのようにして政治的な自発性・主体性を確保しようとしているのであろうか︒
このような問題意識に沿ってLiteraOTheoこを読み解くことが︑本稿の目的である︒
LiteraOTheoryは確かに文学理論の書であり︑それを政治学の場で取り扱おうとすることは︑おそらく読み手を 困惑させるであろう︒しかし︑LiteraryTheoryでイーグルトンが行なっている考察は︑決して文学という分野
に限定されるべきものではない︒何より︑先に触れたように︑イーグルトン自身が︑文学にしか適用できないような
文学理論など存在しないと主張しているのである︒そもそも政治学なるものは︑その他の学問分野の成果を貪欲
( 15 )
イーグルトンの指導教授・ウィリアムズは︑﹁学問分野というものは永久の範疇ではない︒﹂と述べた︒このウィリ
アムズについて︑イーグルトンは︑ウィリアムズ本人が
文学批評家という呼称を否定していることを紹介した上1 1
で︑しかし︑社会学者︑政治理論家︑社会哲学者︑文化評論家などの肩書きも︑その仕事の性質を言い尽くしている
( 16 )
わけではなく︑また正確でもないと評している︒イーグルトンの幅広い活動もまた︑ウィリアムズのことばを︑ひい
てはイーグルトン自身によるウィリアムズの評価それ自体を体現するものである︒したがって︑LiteraOTheo0に
おけるイーグルトンの議論を政治思想・政治理論に引き寄せて扱うことは︑イーグルトンの︑そしてウィリアムズの に吸収しつつ発展してきたのではなかったか︒ わたしが本稿のタイトルに︑
関 法 第 五 二 巻 第 六 号
自発性ということばを用いたゆえんである︒I I
一五
六
︵一
七五
四︶
※引用︑参照にあたっては︑日本語訳がある文献については︑訳書も同時に参照した︒ただし︑引用にあたっては︑拙訳を原 則と した
︒
(1
)
Te rr y E ag le to n ( e d . ) , I d e o l o g y , Lo ng ma n,
1
99 4, p . 1 .
(2
)
﹁︵文学者を文学によってのみ評価し︑彼ら・彼女らの政治思想・経済思想を無視するという︶傾向は︑欧米でも見られた
が︑特に日本では︑伝統的に︑芸術の評価を現実からの遊離の度合いに求めたために︑文学と政治の距離は決定的であっ
た︒﹂︵岡地嶺﹃イギリス・ロマン主義と啓蒙思想﹄中央大学出版部︑一九八九年︑五七頁︒︶
(3
)
リン・チュン﹃イギリスのニューレフト﹄渡辺雅男・訳︑彩流社︑一九九九年︑=︱‑︱‑九頁︒︹渡辺による訳者あとがき︺
(4
)
Li n C hu n, Th e B r i t i s h N ew L e f t , Ed in bu rg h U n iv e r si t y P r e s s , 1 99 3, p .
26 .
(﹃ イギ リス のニ ュー レフ ト﹄
︑六 九頁
︒︶
(5
)
Li n C hu n, Th e B r i t i s h N ew L e f t , p .
27 .
(rrイギリスのニューレフト
六八
ー六
九頁
︒︶
(6
)
イギリス共産党は︑フランス共産党︑イタリア共産党のような強力な大衆政党ではなかったが︑一九二0年代︑一九三〇
年代︑さらには第二次大戦後の十年間︑労働運動に強い影響力を発揮した︒また︑同党は高級知識人の党でもあり︑いわゆ
るオックスプリッジやロンドン・スクール・オプ・エコノミクス︑英国学士院などの指導的学術機関にも拠点を持っていた︒
(7
)
第一次ニューレフトの特徴は︑イギリス社会主義の伝統を踏まえて議論を展開した点にあった︒実際︑第一次ニューレフ
トの出発点となったのは︑エドワード・パルマー・トンプソン
(E dw ar P d al me r Th om ps on ,
19 24
‑1 99 3)
によるウィリア
ム・モリス
( Wi l l ia m M or r i s,
18 34
‑1 89 6)
の再評価であった
(E dw or Pd al me r T ho mp so n, W il li am Mo rr is : R om an ti c to Re gl ut io na 9 L aw re nc e a nd Wi s h ar t
1,
95 5.
)︒モリスは︑詩人・物語作者として︑あるいは美術工芸家としてその名を知ら
れているが︑同時にイギリスで最初にマルクス主義を受容した一人であり︑一八八0年代には社会主義者連盟
( S o c i a l i s t Le ag ue )
を立ち上げて社会主義運動を推進し︑ロマン派的ヒューマニズムを労働運動の主張に合致させることを試みた︒
E.
.トンプソンが光を当てたのは︑このようなイギリス・ロマン主義の社会主義的な側面であった︒彼は︑ロマン主義やP
民衆運動の歴史的伝統の中に︑マルクス主義の再生の可能性を見ようとしたのである︒なお︑これに関連して︑柄谷行人は︑
日本の英文学者がイギリス・ロマン主義の持つ社会主義的な側面に対する視点を欠いてきたことについて︑批判的に言及し
政治的自発性の追求
姿勢にも背くものではないとわたしは信じる︒
一五
七
︵一
七五
五︶
ている︵柄谷行人︑高澤秀次︑鎌田哲哉﹁批評と運動﹂﹃文學界﹄第五五巻第一号︿二
00
一年
一月
号﹀
︑
︹高澤︑鎌田による柄谷へのインタヴュー︺︶︒
(8
)
第二次ニューレフト世代の特徴は︑第一次ニューレフト世代が︑
E.
p.トンプソンに代表されるように︑イギリス国内の
伝統に着目したのとは対照的に︑大陸系のマルクス主義を積極的に紹介・受容した点にあった︒リン・チュンは︑﹁初期の ニューレフトがイギリス固有のラデイカルな伝統を基礎とした傑出した文化分析によって知的な注目を集めたとすれば︑後 期のニューレフトはヨーロッパの政治思想によく精通しながら︑その知的関心を現代イギリス資本主義の各次元やその特殊 歴史的起源︑それらと対決する社会主義戦略の徹底的な検討にまで押し広げた﹂
( Li n Ch un , Th e B r it i s h N ew L e f t , p . 60 .
﹃イギリスのニューレフト﹄︱ニニ頁︒︶という位置づけを行なっている︒
(9
) レイモンド・ウィリアムズは︑専攻の英文学はもとより︑政治・社会にも及ぶ幅広い批評活動を展開し︑また︑反核運動 やヴェトナム反戦運動などの政治活動にも積極的に参加した︒さらには︑映画のシナリオや小説にも手を染めている︵これ らの点は︑イーグルトンにも共通する︶︒イーグルトンは︑ウィリアムズの影響を強く受け︑一九六八年には︑社会主義 ヒューマニストとしてのウィリアムズを評価するシンポジウムを組織している︒
社会主義ヒューマニズムは第一次ニューレフトの特徴の︱つであったが︑リン・チュンによれば︑これは︑旧来の左翼が 道徳的不信を招いたことへの回答の一っとして出てきたものであり︑具体的には︑スターリン主義を攻撃の対象とするもの であった︒スターリン時代に具体化した社会主義の道徳的退廃とスターリン主義のイデオロギーとみなされた機械的決定論 や経済還元主義を例とする理論的貧困とに対する政治的で知的な反抗を梃子に構成されたのが︑社会主義ヒューマニズムで あった︒ニューレフトは︑権力にのみ関心を寄せ︑社会主義的人間性を問題にしなかった旧左翼を批判したのである
( Li n Ch un , T he Br it 忌
Ne wL e f t ,
p . 32
‑3 3. , p .
1 1 7 , 1 1 8
. ﹃
イギ
`リ スの ニュ ーレ フト
﹄︑ 七七 ー八 二頁
︑ニ
︱二
頁︒
︶︒
( 1 0 )
なお︑同書は︑筒井康隆の小説﹃文学部唯野教授﹄︵岩波書店︑一九九0年︒現在は岩波現代文庫︑二000年︒︶にも影
響を与えた︒﹃文学部唯野教授﹄において主人公が文学理論を講義するシーンがあるが︑そこで講じられる内容は︑そのほ
とんどを
L it e r ar y Th eo ry に拠っている︒﹁これ︵註・マルクス主義文学批評︶はぽくのこの講義が展開のしかたの面でい ちばんお世話になっている︑イギリスのマルクス主義批評家で最近では小説まで書いているテリー・イーグルトンを中心に
してお話しましょ︒﹂︵筒井康隆﹃文学部唯野教授﹄岩波現代文庫︑二000
年︑ 三六 二頁
︒︶
関 法 第 五 二 巻 第 六 号
一五
八
一八 四ー 一八 六頁
︒
︵一
七五
六︶
政治的自発性の追求
五一
九
1 ) ( 1
テリー・イーグルトン﹃新版文学とは何か﹄大橋洋一・訳︑岩波書店︑一九九六年︑四0六頁︒なお︑本稿における同
書の引用・参照は︑すべて新版"を用いた︒したがって︑これ以降の﹃文学とは何か﹄という表記は︑すべて新版を
指すものとする︒
( 1 2 )
Te rr y E ag le to ̀n Li to a3 Th eo o[ An In t ro d u ct i o n S ec on d E d i ti o n , B l ac k w el l , 1 99 6, p . v i i . (
﹃文 学と は何 か﹄
︑> 頁︒
︶な お︑
同書の原文の引用・参照は︑すべて
Se co nd E di t i on
を用いた︒したがって︑これ以降の
Li te ra ry Th eo
0という表記は︑す
べて
Se co nd E di t i on
を指すものとする︒
( 1 3 )
﹁したがって︑すべてがイデオロギー的であるとはかぎらないというのがよいかもしれない︒もしイデオロギー的でない
ものが存在しないということになれば︑イデオロギーという語は全く意味のないものとなって視界から消え去ってしまうこ
とになる︒これは︑本質的にイデオロギー的ではないようなある種の言説が存在すると信じよということではない︒イデオ
ロギーという語が意味を持っためには︑特定の状況においてはイデオロギー的ではないものが指摘できなければならないと
い言 たい ので ある
︒﹂ ( Te r r y E a g le t o n, I de o l og y
An :
I nt r o du c t io n , V e r so , 1 99 1, p . 9.
テリー・イーグルトン﹃イデオロギーと
は何か﹄大橋洋一・訳︑平凡社ライプラリー︑一九九九年︑三六頁︒︶
( 1 4 )
E ag l e to n , L i t er a r y T h eo r y , p .
1 7 2 .
(﹃ 文学 とは 何か
﹄︑
三0
三頁
︒︶
( 1 5 )
Ra ym on d W i ll i a ms , Ke yw or ds e S co nd Ed i t io n F, on ta na Pr e s s,
19 88 , p p.
13 ,
14 .
(レイモンド・ウィリアムズ﹃キイワード辞
典﹄岡崎康一・訳︑晶文社︑一九八0年︑一七頁︒︶同書は︑著者のウィリアムズが文化と社会について理解するために重
要であると考える用語について︑その定義の変遷を追い︑また彼自身の考察を付したものである︒同書の原書は︑一九七六
年に初版が︑一九八三年に第二版が出版されている︒岡崎康一の翻訳は初版からのものであるが︑本稿で参照している原文
は︑一九八八年に再版された第二版のものであり︑したがって︑これ以降の
Ke yw or ds
という表記は
Se co nd E di t i on
の原
文を︑﹁キイワード辞典﹄という表記は初版の原文からの翻訳を指すものとする︒ウィリアムズによる
P re f a ce t o S ec on d E di t i on
によれば︑第二版では新たにニ︱語を取り上げたということである
( Wi l l ia m s ,K ey wo rd s, p . 27 .)
︒
( 1 6 )
eT rr y E a gl e t on , T he Fu n c ti o n o
f C r i t i c i s m , Ve r s o,
19 84 , p .
1 0 8 .
(テリー・イーグルトン﹃批評の機能﹄大橋洋l
.訳
︑紀
伊國屋書店︑一九八八年︑一五六頁︒︶
︵一
七五
七︶
れていたのであり︑
イ デ オ ロ ギ ー の 拘 束 こ の 逃 れ ら れ ぬ も の
価値判断とイデオロギー
︵一
七五
八︶
一六
世紀
LN
te
ra
ry
Th
e o屯は文学︵理論︶を扱った著作であるが︑イーグルトンは︑まず︑文学なるものが固定化された︑
また自明の概念ではない︑ということを証明することで︑わたしたちのほとんどが抱いているであろう文学とい うものに対する前提に揺さぶりをかけることから話を始める︒このことによってイーグルトンが主張しようとしてい るのは︑あらゆるものごとは別の何かによって恣意的に定義づけられている可能性を持っているということであると いうことになろう︒イーグルトンは︑そのようなものの︱つの例として文学を取り上げ︑
L i t e
こr a
Th
eo
0において
文学の定義は固定化されたものではないというイーグルトンの主張の根拠は︑次のようなものである︒たとえば︑
文学とは︑想像的
( i m a
g i n a
t i v e
) な︑真実をありのままには語らない文字表現
( w r i
t i n g
) ︑すなわち虚構
( f i c
t i o n
) であるとする定義ーおそらく多くの人がこれに肯くであろうーがある︒これに対し︑イーグルトンは︑
後半から一七世紀前半にかけてのイギリスにおいては︑
n ov e
l ということばは事実と架空のできごとの両方に用いら
一方
︑
ne
ws
r e p o
r t
(見
聞録
︶ は実際のできごとについて述べたものとはみなされていなかった ため︑この定義は成り立たないと結論づける︒また︑イーグルトンは︑当初は歴史書や哲学書として生み出されなが
ら︑のちに文学にランクづけされるようになった作品︑反対に︑文学として生み出されながら︑次第に考古学的な意 論じているのである︒ 第一節 第一章
関 法 第 五 二 巻 第 六 号
一六
〇
一六
義が認められるようになった作品が数多く存在していることを指摘する︒つまり︑どのような
文学作品も︑終始I I
一貫して文学であったという保証︑あるいはありつづけるであろうという保証はないというわけである︒
︑︑
ヽヽ
ヽ
( 17 )
かくして︑イーグルトンは︑文学とは︑﹁人間と文字表現との関わりかたの総体﹂︵傍点部原文イタリック︶
と主張するに至る︒では︑どのような文字表現と人間との関わりかたが文学と呼ばれるのであろうか︒
であ
る
イーグルトンによれば︑そのような文字表現は
名文である必要はなく︑﹁1 1
ょぃ"と判定される種類のものに属I I
( 18 )
していればよい﹂︒要するに︑高い評価を受ける文字表現が
文学I I
I I なのである︒言い換えれば︑
価値判断がI I
その価値判断は変化しやすいものであり︑さらには価値の有無を判断する根拠についての考えかたも変化すること
がある︑とイーグルトンは述べ︑次のように論を進める︒︵少なくとも︑現時点では評価されている︶シェイクスピ
アの作品も︑将来においてはその価値を失うことになるかもしれない︒また︑わたしたち現代人にとってのシェイク
︵の作品︶はシェイクスピアの同時代人にとってのシェイクスピアと同じではない︒さまざまな時代が︑目的
に応じてさまざまなシェイクスピアを作り出し︑評価すべき要素と評価すべきではない要素を見出したが︑しかし︑
それらの要素は必ずしも時代を超えて共通するものではなかった︑というのである︒価値判断の内容とその根拠が変
化する︑とイーグルトンが言うのは︑このような意味においてなのである︒
イーグルトンが
価値判断を問題にするのは︑﹁いかなる客観的な陳述も価値判断であることから逃れることはI I
( 19 )
できない﹂と考えているからである︒﹁価値のカテゴリーを欠くと︑わたしたちはお互いに言葉を交わすことすらで
( 20 )
きない﹂とイーグルトンは述べ︑次のような例を想定してみせる︒外国人を名所旧跡に案内し︑建物が建てられた年 スピア
政治
的自
発性
の追
求
文学を1ひいてはあらゆるものごとをー作り出すのである︒
︵一
七五
九︶
代を説明したとする︒しかし︑その外国人の住む国では︑建築物が建てられた年代などには何ら意義を認めておらず︑
建物がどの方角を向いて建てられているかを重要視しているとすればどうなるのか︑というのである︒つまり︑
客I I
観的
I I
であると思われている年代とて︑年代には意義があるという価値判断の結果に基づく尺度にすぎないというわ
けである︒イーグルトンは︑この
年代のように︑共通の価値のカテゴリーを共有することによって︑初めてわたI I
したちは互いに事実を述べ合い︑また事実の陳述を確認しあうことができるとし︑﹁価値判断を全く欠いた陳述など
( 21 )
まずありえない︒﹂と断言するのである︒
では︑その
価値判断を支えるものは何であろうか︒﹁わたしたちの行なう事実陳述を支援し︑これに根拠を与I I
( 22 )
える価値構造は︑
イデオロギーと呼ばれているものの一部である︒﹂︵傍点は筆者︶とイーグルトンは述べる︒I I
イーグルトンは︑さらに︑わたしたちが無意識のうちに抱いている価値判断やカテゴリーのすべてがイデオロギーで
あるというわけではなく︑また人びとの中に深く刻みこまれ︑明確には意識されない信念を指して
イデオロギー1 1
と呼んでいるのではないとことわった上で︑﹁感情や価値付与や信念の諸様式が︑社会権力の維持と再生に何らかの
かたちで関係を持つ場合に限って︑わたしはこれを
イデオロギーと呼ぽうと思う︒﹂と強調し︑﹁そのようなもの1 1
( 2 3 )
としてのもろもろの信念は︑決して個人的な好みの問題ではない︒﹂とする︒イーグルトンのいうイデオロギー
I I
とは︑﹁わたしたちが話したり︑信じたりしていることとわたしたちの生きている社会の権力構造や権力関係とを結
ぴつける方法﹂であり︑﹁ある特定の社会集団が他の社会集団に対し権力を行使し︑権力を維持していくのに役立つ
( 24 )
もろもろの前提事項﹂である︒つまり︑イーグルトンの考えかたからすれば︑わたしたちは︑自らの行為を︑単に私
的なものとして捉えるのではなく︑権力の行使や維持に関わっている可能性があるものとして︑疑ってかかる必要が
関 法 第 五 二 巻 第 六 号
一 六
︵一
七六
0)
も与えられなかったからである︒ 第二節文学というイデオロギー'~配の装置としての文学の成立
一 六
︵一
七六
以上のことからわかるように︑イーグルトンが注意を促しているのは︑わたしたちは︑何に対してであれ︑何らか
( 26 )
の価値判断から逃れることはできず︑したがってイデオロギーからも逃れられないということであり︑文学もまたそ
の例外ではないということである︒では︑イーグルトンは︑文学とイデオロギーとの関わりをどのようにして立証し
てみせようというのであろうか︒そして︑そこからどのような意義を引き出しているのであろうか︒
本章の第一節で見たように︑
文学なるものが恣意的な定義であるとすれば︑その定義は︑具体的にはどのよう1 1
な変遷をたどったのであろうか︒また︑イデオロギーはどのように文学の背後で作用していたのであろうか︒
一八世紀のイギリスにおいては︑文学
I I
とは︑哲学︑歴史︑随筆︑書簡︑詩であった︒当時の文学の判定基
準は︑テクストが虚構性を保持しているか否かではなく︑その当時における高尚な文学11純文学
( po l i te l et t e rs )
としての必要条件を満たしているか否かであった︑とイーグルトンは述べ︑また
高尚な文学1 1
I I
の認定基準は
らさまにイデオロギー的なもの ︑︑︑︑︑︑︑ あかI I
I I
であったとする︒特定の社会階級が共有する価値と
趣味とを具現化する文字表1 1
現に文学の資格が与えられる一方で︑街頭で売られる三文バラードや大衆ロマンスの類︑あるいは演劇に対しては何
ここで︑イーグルトンのいう
イデオロギーには︑本章の第一節で見たように︑ある特定の社会集団が他の社会I I
集団に対して権力を行使し︑また権力を維持していくのに役立つもろもろの前提事項であるという意味が含まれてい
政治的自発性の追求
( 25 )
あるということになるのである︒