愛媛大学教育学部紀要 第五十九巻 三四八(一)~三三〇(十九) 二〇一二
︿翻刻﹀奈良県立図書情報館蔵﹃帝鑑図説﹄ (寛永四年刊本)巻五~巻六
(人文・社会科学日本古典文学研究室)
小助川 元 太
【凡例】一.底本は奈良県立図書情報四一号貴重書庫 により、
今回は巻五と巻六を翻刻した。なお、本テキストの巻一から巻四の翻刻につ
いては、小助川﹁︿翻刻﹀奈良県立図書情報館所蔵﹃帝鑑図説﹄(巻一~巻四)﹂(﹃呉工業高等専門学校研究報告﹄七〇号、二〇〇八年八月)に掲載している。
二.本書には各話ごとに一丁分の挿絵があるが、誌面の都合上今回は割愛し、
本文の翻刻のみとした。
三.本文には虫損による判読困難なところが数箇所見られるため、京都大学図
書館近衛文庫蔵﹃帝鑑図説和訓﹄(一二巻、慶安三年︿一六五〇﹀、請求番号
01 84/テ/
1貴)を参照して補った。
四.旧字体・異体字・俗字などはできるだけ通行の字体に改めた。
(例)﹁國﹂↓﹁国﹂、﹁迠﹂↓﹁迄﹂、﹁皈﹂↓﹁帰﹂
五.底本の誤字などはこれを尊重し、とくに改めなかった。
六.カタカナの﹁ハ﹂・﹁ミ﹂などはひらがなに統一した。
(例)﹁くハ ――うてい﹂↓﹁くは ――うてい﹂、﹁よびしハ ――﹂↓﹁よびしは ――﹂・﹁したし ミ ――﹂↓﹁したしみ ――﹂
七.踊り字については、ひらがなで翻刻した場合は﹁ゝ﹂﹁ゞ﹂、カタカナの場
合は﹁ヽ﹂﹁ヾ﹂、漢字の場合は﹁々﹂に統一した。また、﹁〳〵﹂については、
送り仮名と漢字については文字になおし、それ以外はそのままとした。 八.読解の便を考慮し、私に句読点等を補った。九.濁点は本文のままとした。十.改丁箇所については明記したが、改行についてはとくに示していない。十一.丁数については、実際の丁数と柱の丁番号にズレが生じているため、実
際の丁数を示している。
【書誌】 ︿形態﹀古活字本。
︿巻冊﹀十二冊。ただし、六冊ずつ上下二冊の合本形態。
︿丁数﹀巻一のみ序文﹁帝鑑図説和本序﹂三丁分あり。その他、各巻ごとに
一丁分の目録あり。巻一(二十六)、巻二(二十三)、巻三(三十四)、
巻四(三十一)、巻五(三十九)、巻六(四十六)、巻七(三十)、巻
八(二十九)、巻九(三十二)、巻十(三十三)、巻十一(二十七)、
巻十二(二十一)
︿表紙﹀無地黒表紙。
︿装幀﹀袋綴。版心に柱題﹁帝鑑一巻(~十二巻)﹂および丁数あり。
︿寸法﹀縦二十八・四糎、横二十・七糎。
︿行数﹀毎半葉十一行書き。界線なし。
︿外題﹀題簽無地白。左上。﹁帝鑑圖説 二﹂﹁帝鑑圖説 三﹂ほか。(数字部 288.49/テイカ/1〜12
小助川 元 太
分は各巻の巻数)ただし、巻一、九、十、十一は題簽なし。
︿内題﹀﹁帝鑑圖説巻第一﹂ほか。(数字部分は各巻の巻数)
︿印記﹀各巻本文第一丁表右下﹁奈良縣立奈良圖書館印﹂
︿刊記﹀巻十二本文十九丁裏六行目から九行目まで。
﹁于時寛永四丁卯年
十一月下旬 洛陽三条寺町誓願寺前 八尾助左衛門尉開版﹂
︹付記︺﹃帝鑑図説﹄の閲覧・翻刻に際しては、奈良県立図書情報館の御高配を賜っ
た。また、書誌について高木浩明氏からご教示を賜った。記して御礼申し上
げる。本稿は平成二十四年度科学研究費補助金(基盤研究(C)﹁中世百科
全書的テキストの成立基盤に関する総合的研究﹂課題番号24520218)によ
る研究成果の一部である。
【翻刻】
帝鑑図説五 ﹂(表紙)
帝鑑図説巻第五目録
弘 こう 文 ぶん 開 ひらく
レ舘 くわんを唐 たう乃太 たいそう宗 上 しやう 書 しよ 粘 ねへす
レ壁 かべに唐太宗 納 いれて 箴 いさめを 賜 たもふ
レ帛 はくを唐太宗
縦 ゆるして
レ鵲 からすを 毀 やふる
レ巣 すを唐太宗
敬 うやまつて
レ賢 けんを 懐 ふところにす
レ 鷂 たかを唐太宗 覧 みて
レ図 ずを 禁 きんす
レ杖 むちうつを唐太宗 主 しゆ 明 めい 臣 しん 直 ちよく唐太宗
縦 ゆるして
レ囚 しうを 帰 かへす
レ獄 ごくを唐太宗
望 のぞんて
レ陵 りやうを 毀 やふる
レ観 くわんを唐太宗﹂(目録表)
撤 さしおいて
レ殿 てんを 営 いとなむ
レ居 きよを唐 たうたいそう太宗 面 まのあたり 付 しりそく
二佞 ねい 臣 しんを
一唐太宗
剪 きつて
レ鬚 ひけを 和 くわす
レ薬 くすりに唐太宗﹂(目録裏)
帝鑑図説巻第五
弘 こう 文 ぶん 開 ひらく
レ 舘 くわんを 唐 とうの太 たいそうくわうてい宗皇帝とて、御 み門 かど一人ましますか、つね〳〵おぼしめされけるは、
じんぎのみちをおこなひ、天下を太 たいへいにおさめん事、がくもんならてはい かゝせんとおぼしめされけるあひだ、経 けい・史 し・子 し・集 しゆと申て、四部 ぶの書 しよ二十餘 よ
万 まんくわん巻をあつめさせ給ひて、すなはち御てんのかたはらに弘 こうぶん文館 くはんと申てがくもん 所をたて給ひて、その時天下にかくれなき虞 ぐ世 せい・南 なん褚 ちよ亮 りやう・姚 よう思 し廉 れん・欧 おふやうじゆん陽詢・蔡 さひ
允 いんきやう恭・蕭 しやうとくげん徳言とて、此六人の人々は文 ぶんにつけてもならひなく、がくにつけても
くらからず、さいちさい﹂(一丁表)げい世にきこえ、かくれなかりきものなれば、
此人々をゑらみいたさせ給ひて、くわんいをさつけまし〳〵て、うやまひ給ひ
けるとかや。かたじけなくも、かさねて又学 かく士 しのくわんをくだされて、この六
人の人々を、よるひるばんにかわりつゝ、こうぶんくわんにやとらせて、二十
餘 よ万の書 しよもつ物を一々にせんさくさせ給ふ。さて又、ときのしよくわんにん、まい
日さんだい申つゝ、御かどをうやまひたてまつり、太宗いてあひましまして、
やうやくたいめんおはりてより、さて其後に、虞 ぐ世 せいなん南をひきくし、きうちうふ かく入給ひて、よろつの書 しよもつ物をとり出 いたし、いにしへよりのせいじんのいひ﹂(一 丁裏)おき給ひしことのはの、書 しよもつ物にしるしおきしを、たがひにせんさくし給
〈翻刻〉奈良県立図書情報館蔵『帝鑑図説』(寛永四年刊本)巻五~巻六 ひて、みちをおこなふはかりこと、天下をおさむるまつりこと、さま〳〵ひようてうなされつゝ、つねにやはんにいたるまて、まとろみ給ふ事もなし。かるがゆへに、天下太 たい平におさまる事、申もおろかなるとかや。あるひはらんげき、
あるときはぶゆふをもつておんできをおもひのまゝにしたがへ、あるひは天下
をおさむるにはぶんがくをさきとして、まつりことをし給ふゆへ、じんぎ天下
におこなはれ、しもばんみんにいたるまて、たのしみさかへけるとかや。され
ばにや、まつだいまてぶんふ二だうの君﹂(二丁表)とて申つたへし事となり。﹂
(二丁裏)
挿絵 ﹂(三丁表)
挿絵 ﹂(三丁裏)
上 しやう 書 しよ 粘 ねへす
レ壁 かべに
唐 たうの太 たいそう宗皇 くわう帝 ていの臣 しん下 かに、裵 はいせき寂と申ものあり。ある時、太宗裵 はいせき寂をめしての 給ひけるには、此ころみづからに書 しよをたてまつり、いさめをなすものおほし。
あるひは天下の政 まつりこと、又わうぎやうのなすへき事、一々しな〳〵かきしるし、
我をいさむるものあり。我そのいさめのりをかんじ、すへてこれをとりあつめ、
戸かべのうへにおし、つね〳〵いでいりせし時に、おのづからめにふれて、あ
さゆふ見るによろしふして、天下をおさむるのたよりならめとおもへばなり。
それつく〳〵とおもんみれば、天下四海 かいはきはめてひろきことなら﹂(四丁表)
ば、これをよく〳〵おさめんは、はなはだもつてかたかるべし。いかんとして
たみ百 ひやくしやう姓、たがひにふつきにさかへ、いかんとしてか国々にうれいのわづかも
なきやうにと、つね〳〵おもひくらすゆへ、すこしまとろむひまもなし。ある
ひはやうくるときにいたつて、わつかに心をやすむといへとも、天下をおさむ
るのはかりこと、ゆめうつゝにもおこたらす。なんじは今わか臣 しん下 かとして、天
下の政 まつりことをはからふ事、すこしもおこたる心なし。いよ〳〵そのしよくおこた らずして、いまわが天下を太平におさめんとのはかりこと、なんじもともにこゝ
ろをそへ、我をいさむるもの﹂(四丁裏)ならば、などかよろこばさらめやと、
おほせけるこそことはりなれ。むかしこうしのとき給ふにも、きみたる事なり
がたし、しんたる事やすからすと、此ほんもんによそならす。それ天下はひろ
うして、ばんみんおほしと申とも、まことに天下の君たる人にあらずんば、た
れかまつりごとのつとめさる事をうれい、それわがこうのはげまささることを
おそれんや。又臣 しん下 かとしては、つね〳〵君にちうせつをつくし、国 こく土 どをゆたか におさめん事をもとめなば、などかはえさるへけんや。今これ太 たいそう宗皇 くはう帝 ていの、
裵 はいせき寂につけ給ふ、そのことのはをきくからに、いにしへ舜 しゆん王 わうの時、君 くんしん臣﹂(五
丁表)のみちあきらかにして、たかひにうやまひ給ひしも、いかてかこれにま
さるへし。天下太平におさまる事、申もおろかなるとかや。﹂(五丁裏)
挿絵 ﹂(六丁表)
挿絵 ﹂(六丁裏)
納 いれて 箴 いさめを 賜 たもふ
レ帛 はくを
唐 たうの太 たいそう宗皇 くわう帝 てい、はじめてくらゐにつき給ふ時、一人の臣 しん下 かに張 ちやう蘊 おん古 こと申せ しものあり。しかるに、太 たいほう宝の箴 しんと申て一篇 へんのぶんをつくりて、太宗をいさめ たてまつる。そのことのはにいわく、つら〳〵古 こ今の事をおもん見るに、それ 天 てん子 しの位 くらゐをえて、てんかをたもち給ふ事、まことにもつてやすからすや。かる
がゆへに、おそれつゝしむこゝろなかりしかば、みたりに心まよはされ、よこ
しまなる事、ほしひまゝなり。たれかしらさらんや、ばんじのわさはひは心を
ゆるかせにする所よりおこる事を。まことにおもんみれば、聖 せい﹂(七丁表)人 じん
はめいを天にうけて、たみのかんなんにおほるゝところをすくひ、人のつみを
おかすをば、これ我がなせるとがとおもひしも、ばんみんにいたるまで心をく
ばり、めくむ事、あまねく日 しつけつ月のこくとをてらし給ふに、わたくしなきがごとし。
小助川 元 太
かるがゆへに、一人をもつて天下をおさめ、天下をもつて一人にほうずとな
り。ひそかにあくじをたくみて、此事におゐては人しらすといふ事なかれ。天
にみゝあり。たかきにいて、ひきゝをきく。たとひあくじをなす事はすくなし
といふ事なかれ。小をつんで大となる。たのしみをばきはむへからず。たのし
みきはまれば、かならす﹂(七丁裏)かなしみきたる。よくをばほしひまゝに
すへからず。よくしんほしひまゝなれば、かならすわさはひをなす。九 こゝの重 への門 もん
をたつるといへとも、我かおるところはひざをいるゝにすきず。むかし夏 かの舜 しゆん
王 わうとて、ぶだう第一のてい王 わうにておはしけるが、きんぎんをもつて、てんかく
をかざり、くわれいをこのむといへとも、天下をおさむる事におゐては、これ
なんのゑきかある。八 はつちん珎の美 び食 しよくをつらぬといへとも、くらふところは一味 みにす ぎす。いにしへ殷 いんの紂 ちうわう王とて、あくわう一人ましますが、ゑいくわにおごらせ
たまひて、かすをもつてつゝみをつき、さけを入ていけとなし、かずのふねを﹂
(八丁表)うかべ、あまたの人をこれにのせ、つゞみをうつて、そのさけをの
ませ、かゝるゆふらんあるゆへに、つゐに天下をうしなへり。内 うちには女 ちよ色 しよくをこ のまされ。外 ほかには山 さん野 やのかりをこのみ、うきみをやつす事なかれ。えがたきた からをこのまされ。我か身一人たつとしとして、賢 けんじん人をあなとる事なかれ。我 ひとりちゑありとして、他 た人のわれをいさむる事をふせがされ。ぎゝたう〳〵 として、漢 かんの高 かう祖 そのことく、くわんぢんたいとに心をなし、よろつ天下の事に
をゐては、うすきこほりをふんで、ふかきふちにのそむかことく、つゝしみて
もなををそるべし。むかし周 しうの文 ぶんわう王は、我が心を﹂(八丁裏)せめて、天下を おさめ給ふとかや。諸 しよ人の見るめにあまるあくにんをばちうすべし。諸 しよ人の見
るめにあまりてよからん人をばしやうくわんせよ。けがらはしうしてくらき事
なかれ。いさぎようしてあきらかなる事なかれ。べんりう目をおほふといへと
も、かたちなきを見、とうくわうみゝをふさぐといへとも、こゑなきところを
きゝたまへと、かやうにしな〳〵かきしるし、一字〳〵にまことをつくして、 君をいさめたてまつる。太宗、蘊 おん古 こがふかくこゝろをつくしていさめをなすを
きこしめし、まことにぎよかんのあまりに、かたじけなくも蘊 おん古 こにときのはう びとの給ひて、﹂(九丁表)まききぬ数 す十ひきくだされ、ならびに内 だい裏 りじ寺丞 せうの官 くわん
にあげさせ給ひしも、ことはりとこそきこへけり。﹂(九丁表)
挿絵 ﹂(十丁表)
挿絵 ﹂(十丁裏)
縦 ゆるして
レ鵲 からすを 毀 やふる
レ巣 すを
唐 たうの太 たいそう宗皇 くわう帝 ていの時、しろきからす二疋 ひききたりて、つねにぎよしんならせ給 ひし御 ご殿 てんのうへの一樹 しゆの枝にすをかけり。しかるに、かの二つのす、則 すなはちあはせ
て一になり、たがひにはぶさをかさねてよろこひたのしむありさまなり。又そ
の二つのす、すべて一つにあひぬれば、りやうはうおほきにして、なかはつゝ
みのだうのごとし。さゆにはんべるしんかとも、此よしを見るよりも、みな〳〵
申けるやうは、およそちくるい、てうるいは、たがひにところをならぶれば、
かならすそのなかあしゝ。しかるに、いまこの二つのからす、﹂(十一丁表)そ
のすをあはせてひとつになり、又そのかたち、しろうして、つねのからすにか
はる事、めつらしかりき事なれば、さだめてこれはてんちおんくわのずいさう
にて、君のせいとくをかんするゆへ、かやうにこそはあるらめとて、みな〳〵こ
れをよろこび、君をいはひたてまつる。太宗、此由 よしきこしめし、すなはちの給 ひけるやうは、いや〳〵そのぎにてさらになし。むかし随 すいてい帝とて御 み門 かと一人まし
ますが、たゞあけくれすいそうばかりをこのませ給ひて、けんじんをこのみま
しまさず、故 かるかゆへに国ほろびて、つゐにくらゐをうしなへり。しかるあひた、か の随 すい帝のすいそうごのみを﹂(十一丁裏)したまひしを、われつね〳〵これを
そしる。たゞみづからは、いかんともして賢人をもとめてしんかとなし、天下
のまつりことをなし、国家のたみをあんらくにして、太平の君といはれんこそ、
〈翻刻〉奈良県立図書情報館蔵『帝鑑図説』(寛永四年刊本)巻五~巻六 これそまことのずいそうなれ。しかるに、ちくるい、てうるいの、そのなりかたち、つねならすめつらしき事どもとて、なんそやこれをすいそうとして、われをいわひ申事、いはれなしとの給ひて、つゐに人々に仰せ給ひて、かのすをこぼちまし〳〵て、からすを野 や外 くわいにおいはなす。かやうにせさせ給ふ事、ごゞ まつだいのしそんまで、わりなきすいそうをこのまずして、たゞ賢 けんじん人をもとめ
ん事をつね〳〵こゝろにねがふへし。これいましめのためとかや。まことにせ
んざいばんせいまで、人 じんくん君のかゞみとすべき事、いつれかこれにまさるへし。﹂
(十二丁表)
白紙 ﹂(十二丁裏)
挿絵 ﹂(十三丁表)
挿絵 ﹂(十三丁裏)
敬 うやまつて
レ賢 けんをふところにす懐レ鷂 たかを
唐 たうの太 たいそう宗皇 くわう帝 てい、つね〳〵たかをこのませ給ひて、心によろこばしく、あひ し給へり。こゝに魏 き徽 ちやうと申て、一人の臣 しん下 かあり。つね〳〵御前 まへにしこうして、
君のあしき事あれば、いさめを申たてまつる。故 かるかゆへに太宗も魏微 ︵ママ︶をおそれ給ひ
けり。ある時太そう、かのたかをみづからすへさせ給ふおりふし、魏微がきた
るよしをきこしめし、すなはちおぼしめされけるは、われ此たかをあひしつゝ、
みつからひぢにすゆる事、もしも魏徽が見るならば、さだめて我をいましめて、
いさめをなさんはぢでうなり。しよせんたゝこのたかを﹂(十四丁表)魏 き微 ちやうに
みせしとおほしめし、おりふしにはかの事なれは、すなはちみつからふところ
のうちへぞかくさせ給ふ。魏徽、やかてこゝろへて、いよ〳〵御まへをたちさ
らす、よろつの事をそうもんして、しばらくとゞまりたてまつる。しかるゆへに、
かのたかは、ふところのうちにして、いきごもりてそ死 ししにけり。それ太 たいそう宗
皇 くはう帝 ていは、くらゐたかくまし〳〵て、天子たりとは申せとも、たま〳〵たかを すへさせ給ふあやまりあれは、たゞしきしんかのきたるを見て、おほひかくさ
せ給ふ事、これその理をあきらかにして、ひれいをしろしめされけり。かるが
ゆへに、つね〳〵心に﹂(十四丁裏)ふかくあひしたまへるたかなれと、すで
に死 ししてありけるをかなしみ給ふきしよくもなし。こゝをもつてあんすれば、
たかをすへさせ給ふ事は、これ太 たいそう宗皇 くわう帝 ていのあやまりなりとは申せとも、まこ とに臣 しん下 かのきたるをみて、すでにかくさせたまひけるは、これせいじんのしる
へなり。﹂(十五丁表)
白紙 ﹂(十五丁裏)
挿絵 ﹂(十六丁表)
挿絵 ﹂(十六丁裏)
覧 みて
レ図 ずを 禁 きんず
レ杖 むちうつを 唐の太宗皇帝、ある時、明 みやう堂 だう鍼 しんきう灸の図 づ書 しよをひらいて見たまへり。そも〳〵こ の明堂鍼灸の書 しよと申は、もつはらいしやの家にもちいて、人の五臓 ざうのきうしよ をしるし、やまいをぢするのいしよなり。此書 しよのうちに、づをゑかきて、人の 五臓 ざうのみやくすぢをあきらかにあらはせり。しかるに、五臓六腑 ふのみやくすぢ
は、すべてせなかにあつまれり。太宗このよし御覧して、おぼしめされけるや
うは、にくげに人をむちうつとき、もしもせなかをうつならば、五臓のみやく
すぢしんだうして、かならすいのちをうしなふべしとおほし﹂(十七丁表)め
されけるあひた、すなはちてんかへみことのりをなされつゝ、いまよりしてい
ごのもの、たとひざいにんありけるとも、せなかをむちうちすべからず。むか
しがいまにいたるまて、五けいのはつとたゞしうして、ざい人をせむるには、
五つの外 ほかにこへさりけり。人のとがのかるきをば、いくつえとかぎりをして、
数 かすをつもりてむちうてり。しかりとは申せとも、もしせなかをうつならば、か
ならすいのちをうしなふべしとおほしめされけるゆへに、ふかくきんぜいし給
小助川 元 太 へり。まことなるかな。太 たいそう宗は、じひのこゝろをそなはりて、めに見、みゝに
きこしめさるゝところまて、人﹂(十七丁裏)をあはれみ給ふ事、申もおろか
なるとかや。いまこのいしよを御らんして、じひのこゝろしのはずして、つゐ
に心にきざしつゝ、人をむちうつとがの事、ふかくいましめたまひけり。それ
太 たいそう宗皇 くわう帝 ていは、じんぎをもつて天下をおさめ、はつとをおこなひ給ふ事、つゝ しみ給ひけるとなり。しかるゆへに、国 こく土 どゆたかにおさまりて、めてたかりけ
るみよとかや。﹂(十八丁表)
白紙 ﹂(十八丁裏)
挿絵 ﹂(十九丁表)
挿絵 ﹂(十九丁裏)
主 しゆ 明 めい 臣 しん 直 ちよく
唐の太宗皇帝、諸 しよく官 わん人のしゆつしのとき、すなはちいでさせたまひつゝ、や
うやくたいめんをはり、きうちうへいらせ給ふが、何とかおぼしめされけん、
おほきにいからせ給ひて仰せけるには、今日しゆつしを申けるしよくわんにん
のそのなかに、ころすへきものありけると仰せられ給ひしかば、こゝに長 ちやう孫 そん
皇 くわう后 こうとて、第一のきさきにておはしけるが、このよしをきこしめし、太宗に
むかつておほせけるには、たゝ今ころさんとの給ふは、いかなるものぞとゝい
給ふ。太 たいそう宗、のたまひけるやうは、魏 ぎ微 ちやうと申て一人のしんか﹂(二十丁表)あり。
まい日しゆつしを申つゝ、しよくわんにんのかしらにいて、もしみつからが身
のうへにすこしもあしき事あれば、ふかくそれをいましめて、われをはづかし
むるなり。故 かるかゆへに、此ものをころすへきとぞ仰せける。そも〳〵長 ちやう孫 そん皇 くはう后 こうは、
けんしやのとくそなはりて、よくそのみちをしり給へり。かるかゆへに、魏 き
張 ちやうをばちうしんなるものとおほしめされけるあひだ、則 すなはち御まへをしりぞきて、
いはひのいしやうをめしかへて、又太宗の御前 まへにしかふなされて申されけるそ、 ことはりなれ。みづからこじんのいわひつたへし事をきくに、かみにあきらかなる君あれば、しもに﹂(二十丁裏)すなをな臣 しん下 かありとうけたまはる。いま
魏微が心すなをにして、いさめを申あぐる事、これ君の心があきらかにましま
すゆへ、しんかのこゝろもすなをなり。たゞねかはくは、魏徽をころさせ給ふ
事、しばらくど ︵ママ︶ゝまり給ふへし。きみのあきらかに、しんかのすなをにあるこ
とは、せんざいふるともまれなるべし。いよ〳〵こくとゆたかにして、天下大
平ならん事、めてたかりけることなりと、かやうにいわゝせ給ひしかば、太 たいそう宗 このよしきこしめし、皇 くわう后 こうのの給ふこと、けにもなりとおほしめし、よろこひ
給ふはかきりなし。かるかゆへに、魏徽をばすなはちゆるさせ﹂(二十一丁表)
給ひけり。つら〳〵おもんみれば、長 ちやうそんくわんこう孫皇后の太 たいそう宗をいさめ給ふ事は、むかし 夏 かの塗 と山 さん、周 しうの太姒 じと申とも、いかてこれにはまさるべし。外 ほかにはちうせつの
しんかあり、うちにはけんしやのきさきありて、天下いよいよおさまりて、た
いへいのみよたる事、申もおろかなるとかや。﹂(二十一丁裏)
挿絵 ﹂(二十二丁表)
挿絵 ﹂(二十二丁裏)
縦 ゆるして
レ 囚 しうを 帰 かへす
レ獄 ごくを
唐の太宗皇帝のとき、我か身のなせるとがにより、ろうしやするものおほか
りしかば、一々これをかきたてゝ、しざいにおこなふべきよしを、君にそうも
ん申ければ、太宗きこしめされて、ふかくふびんにおぼしめし、まづこのたび
は、かれらがいのちをたすけて、ふたゝび家にかへしつゝ、老 らうしてありけるちゝ
はゝや、又はさいしにあはすべしとあほしめされて、それよりも、みな〳〵ろ
うしやをゆるされて、我かいへさしてそかへりける。その時、太 たいそう宗仰せけるに
は、まづこのたびは、いのちをゆるしてかへすなり。明年﹂(二十三丁表)の
秋になるならば、いそきみやこへあつまるへし。しざいにおこなひ給はんと、
〈翻刻〉奈良県立図書情報館蔵『帝鑑図説』(寛永四年刊本)巻五~巻六 おほせわたさせたまひけり。又それよりも国々へちよくしをくださせ給ひて、
たとひいかなるとがにんも、まづ此たびはゆるすなり。みな〳〵いゑにかへる
べし。来年の秋になるならば、我とみやこへのほりつゝ、かならす死 しざいにお こなはれよと、せんじをくたさせ給ひて、ざい〳〵所 しよ々のとがにんまて、みな
〳〵家にかへりけり。あはれなるかな、ざいにんども、そのとしもくれゆくあ
くるあきにもなりしかば、おもひ〳〵に我がやをいてゝ、みやこへこそはのぼ
りけり。以上そのかず三百﹂(二十三丁裏)九十人とかや。これと申もすきし
とし、かれらかいのちをのがされて、家にかへさせ給ふゆへ、君の御おんをか
んじつゝ、のがれかくるゝものもなく、みなみなみやこへあつまりて、ちうせ
られんとおもふこそ、ことはりとこそきこへけり。太宗このよし御覧して、さ
てもふびんのしたいかな。ひとりものがれかくれずして、いま又かやうにあつ
まる事、あはれなるありさまなれ。しよせんたゝかれらをはゆるすへきとおぼ
しめし、みな〳〵とがをゆるされて、ひとりも死 しするものはなし。それつら〳
〵おもん見れは、とがをしつみをまねくものは、天下第一のあくにんなりとは﹂
(二十四丁表)申せとも、しする事をうれいすして、みな〳〵かやうにあつま
る事、君一人のなさけにより、その御おんをほうせんため、いのちをおしむも
のはなし。これをもつて見るときは、天下のあるじたる人は、じひのこゝろを
さきとして、そのおんたくをほどこさば、大平のみよたらん事は申にをよばさ
るとかや。﹂(二十四丁裏)
挿絵 ﹂(二十五丁表)
挿絵 ﹂(二十五丁裏)
望 のぞんて
レ陵 りやうを 毀 やふる
レ観 くわんを
唐の太 たい宗 そう皇 くはう帝 ていの御きさきに、張 ちやう孫 そん皇 くわう后 こうと申せしあり。御 み門 かどちやうあひあさ
からず。しかるに、長 ちやう孫 そん皇 くわう后 こうすでにむなしくなり給へり。太宗ふびんにおぼ しめして、文 ぶんとく徳皇后とおくり名をつけ給ひて、昭 しやう陵 りやうと申ところに御 みはかをたて
させたまへり。しかるに、このきさきと申は、まことにけんしやにまし〳〵て、
世にたぐいなき事なれは、太宗おしませ給ひて、あまりおもひにたへかね、は
なぞのうちにうてなをたかくたてさせ、つね〳〵これへのぼらせ給ひて、かの
皇后のましませしみはかところの昭 しやう陵 りやうをつく〳〵なかめて﹂(二十六丁表)お もひをなぐさめ給ひけり。然るに、太宗 そう、魏 ぎ微 ちやうと申臣 しん下 かを、あるときぐそくな
されて、かのうてなにのほりたまへり。しかるに、太宗、魏徽におほせけるや
うは、なんじが目にもあきらかに、あのしやうりやうが見ゆるかとの給ひしか
ば、魏微、このよしうけたまはり、つく〳〵こゝろにおもふやうは、さても我
か君太 たいそう宗は、そのちゝはゝのみはかをば、献 けん陵 りやうと申所にたて給ひしかども、ま ことに父 ふほ母の御事をは、おもひもいたさせたまはずして、なんそやきさきの御
事をば、おもひわすれ給はす、かやうに高くうてなをつくり、つね〳〵のほら
せたまひて、しやうりやうをなかめ﹂(二十六丁裏)まします事、きさきにお
もひふかふして、おやにおもひのあさき事、心ことばもをよばれず。いかんと
もしてこの君をいさめばやとおもひつゝ、やゝありて申けるには、我としまか
りよりぬれば、りやうがんかすみてあきらかならず。いづくならんとのそめと
も、さらにみゆる事なしと申あげたてまつれば、太宗まことゝおほしめし、み
つからゆびをさして魏 き徽 ちやうにをしへ給ひけり。魏微すなはち申けるには、今我が 君の二人の父 ふほ母の御 みはかをば献 けん陵 りやうにたて給ひしゆへ、二人のふぼの御事をこひ
しくおほしめされつゝ、かやうにたかくうてなをたて、つね〳〵﹂(二十七丁
表)のほらせ給ひて、けんりやうをのそみましますかと、みつからこゝろにぞ
んずれば、たゞいまをしへ給ふをも、さぞけんりやうにてあるらめと、心をつ
くしてなかめしなり。きさきのみはかところとは、まことにおもひもよらさり
し。そのしやうりやうの事ならば、おしへ給はぬそのさきに、つぶさに見たて
まつると、こゝろのうちにぞんするを、ありのまゝにぞ申ける。太宗、魏徽が
小助川 元 太
二人のふぼの御事を、申いたすをきこしめし、にはかにふぼの御事を、おもひ
いたさせ給ひつゝ、おほえすなんだをなかされける。しかるに、太宗、つら〳〵
おほしめされけるは、しやう﹂(二十七丁裏)りやうをのぞまんために、うて
なをたてゝありけるは、これ我かふかきあやまりと、おほしめされけるあひた、
すなはちうてなをこぼたれて、ふたゝびのぼらせたまはざりしも、ことはりと
こそきこえけり。まことに太 たいそう宗皇帝、もとよりおやにかうの君なれとも、たま 〳〵きさきのおもひにふれて、おやのかうをわすれしかとも、魏 ぎ微 ちやうがいさめを
きゝ給ひて、太宗けにもとおほしめし、そのあやまりをあらためて、つゐにき
さきの御事を、おもひわすれ給ひけり。﹂(二十八丁表)
白紙 ﹂(二十八丁裏)
挿絵 ﹂(二十九丁表)
挿絵 ﹂(二十九丁裏)
撤 さしおいて
レ 殿 てんを 営 いとなむ
レ居 きよを
唐 たうの太 たい宗 そう皇 くわう帝 ていの臣 しん下 かに、魏 き徽 ちやうと申ものあり。君にちうせつをつくして、つ ね〳〵いさめを申ける。故 かるかゆへに太宗も魏 ぎ微 ちやうをうやまひまし〳〵て、君 くんしん臣のみち
あさからず。しかるに、太宗、魏徽がつねにすまゐする、そのいゑまことにい
やしうして、ことさら堂 たかどのののなきよしをきこしめし、おりふしそのとききんち うに、御 ご殿 てんをたてさせたまひしが、まづその御てんをやめ給ひて、則 すなはち御殿 てんの
さいもくを、魏微がところへおくり、たかどのをたてゝゑさすへきとのせんじ
にて、さてそれよりもざいもくを、魏微のところへもちはこび、こゝをせん﹂
(三十丁表)どゝいそぎける。しかるあひだ、日数 かすほどなく五日かうちに、す
みやかにこそじやうじゆせり。又太宗おぼしめすには、魏徽はもとよりおごら
すして、ゑいぐわをこのまぬものなれは、くわれいなるだうくをば、たとひお
くりてあればとて、さだめてこゝろにかなふまじと、おほしめされけるあひだ、 しらぢの屏 びやう風 ぶと、又は、しとね、おしまずき、つえなどをとりそろへて、魏徽
にをくり給ひけり。魏徽、きみの御おんをかんして、表 ひやう書 しよをかいてたてまつり、
かたじけなき由 よしを申あけしかば、太宗、このよしゑいらんまし〳〵て、手づか
ら返事をかき給ふ。そのことのはにいはく、﹂(三十丁裏)なんじはこれ、我が
しんかとして、つねに天下の政 まつりことをなし、今国 こく土 どゆたかにおさまる事は、これ
みななんじがなすところなり。しかるときは、いかてか我なんじをうやまはさ
らめや。一つはてんかのため、ひとつはばんみんを、あんのんならしめんがた
めなり。なんぞかやうにわれをじやすると、おほせ給ひしことのはゝ、世にた
ぐいなき次 し第 たいなり。それ天下の君として、臣 しん下 かをたいせつにおほしめされける 事は、つねに臣 しん下のいさめをきゝ、よくそのみちをおこなひ給ふゆへ、つゝし みをもつはらにして、れいぎをつくせり。ちうしんのうやまふは、太 たい平のもと
いなり。いま太宗﹂(三十一丁表)皇帝、魏徴と申しんかを、ふかくうやまひ
まし〳〵て、れいぎをつくし給ふ事、これも魏徽かつね〳〵ちうせつをつくし
て、きみをいさめ申ゆへ、君 くんしん臣のみちあきらかにして、たかひにうやまひつゝ
しめり。﹂(三十一丁裏)
挿絵 ﹂(三十二丁表)
挿絵 ﹂(三十二丁裏)
面 まのあたり 付 しりそく
二佞 ねい 臣 しんを
一唐 たうの太 たい宗 そう皇 くわう帝 てい、あるとききんちうをしのびいでさせたまひて、一樹 しゆのもと
にたゝすみ、木々のこすゑの時をえて、枝をならべ、葉をかさねてしけりたる
を御らんして、一しほこゝろによろこばしくもてあそび給ふところに、宇文士
及と申一人の臣下ありけるが、此よしを見るよりも、いよ〳〵君をなぐさめ申
さんとおもひけるにや、かたはらよりもすゝみいてゝ、こゝの木々、かしこの
こすへをさして申けるには、さても木々のこずへまて、かやうにしげみさかん
〈翻刻〉奈良県立図書情報館蔵『帝鑑図説』(寛永四年刊本)巻五~巻六 にして、まことにゆゝしきていかなと、くりかへし﹂(三十三丁表)くりかへ
し申ける事やまざりしかば、太宗、此よしきこしめして、おぼしめされけるや
うは、しきうが心、けいはくにして、ねいじんなるものと、やかてさとらせ給
ひて、こゝろのうちにはかれをにくませ給ふ事、申もおろかなるとかや。故 かるかゆへ
に、太宗はきしよくをひきかへまし〳〵て、則 すなはちかのしきうをおいしりぞけ、ま
のあたりにはかなふましといからせ給ふはことはりなり。なをもしきうをはづ
かしめておほせけるには、つね〳〵魏 ぎ微 ちやうがみづからにむかつて申けるには、か
ならずねいじんなるものをば、つねにちかつくへからず。とをくおんごくへお
いしりぞけよといひ﹂(三十三丁裏)しかども、われそのしさいをしらさりしが、
いまはじめてそのゆへをしる。なんじはこれねいじんなり。かかる一樹のすこ
しきを見て、あまりにふかくほむる事は、なんじがこゝろすなをならず、けい
はくふかきものなり。魏徽がつね〳〵ねいじんといひしものは、なんじが事に
てあらすして、たれをかさしてうたがふべし。しきうこのよしうけたまはり、
にはかにつゝしみおそれつゝ、あまりのことにたへかねて、すなはち君の御ま
へにて、かうへをうつてちを出 いたして申けるには、これ我がふかきとがなり。御
ゆるしましませとひれふしてこそ申ける。つら〳〵﹂(三十四丁表)おもん見
るに、まことにくちのさがしきものは、三寸のしたをもつて国天下をもほろぼ
せり。かるがゆへに、孔 こう子 しのいわく、りこうのはうかをくつがへす事を。又い
はく、ねいじんをとをざけよと、とき給へり。それ人のしんかとして、かなら
すねいじんなるものは、もつはら主 しゆじん人のこゝろをうかゞひて、いつわりをたく
み、ことばをかざり、しゆじんの心をよろこばしめ、ときのいせひにおごりける。
かるがゆへに、理をまげてひとなし、くろきをさしてしろきといひ、ちうせつ
なるものをばいひかすめ、うらみしものをはあたをなす。しかるあひた、国ほ
ろび、てんかにらんを﹂(三十四丁裏)おこすなり。こゝをもつて、聖 せいじん人はふ
かくねいじんをいましめ給ふ事は、どくのさけをおそれ、どくじやをおそるゝ がことくにして、ねいじんにちかづかず。それ太宗皇帝も、しきうごときのねいじんをは、とをくしりぞけ給ふ事は、これぜ ︵ママ︶いじんのしるしなり。﹂(三十五
丁表) 白紙 ﹂(三十五丁裏)
挿絵 ﹂(三十六丁表)
挿絵 ﹂(三十六丁裏)
剪 きつて
レ 鬚 ひけを 和 くわす
レ薬 くすりに
唐 たうの太 たい宗 そう皇 くわう帝 ていの臣下に、李 り世 せい勣 せきと申して、一人の功 こうしん臣あり。あるとき世 せいせき勣 おもきやまひにふして、はう〴〵のいしやをあつめて治 ちするといへともかいぞ
なし。しかるに、いしやの太宗へそうもん申されけるは、種々のひほうをつく
すといへとも、さらにゑきなし。しかりとは申せとも、人のひげをきりて、は
いにやき、これをくすりにもちゐなば、さうなふ世 せいせき勣がやまひをば、へいゆふ 申さんとありしかば、太 たいそう宗このよしきこしめし、世勣がやまひだにさうなふへ
いゆふするならば、なにをかさらにおしむべきとおほしめされ﹂(三十七丁表)
けるあひだ、かたじけなくも太宗の、われとわか身のひげをきり、すなはちは
いにやきたまひて、李勣にあたへてくすりにせさせ給ひしかば、さうなふやま
ひへいゆふせり。然るに、李勣、君の御おんをかんじ、御前 まへにしかうして、わ
がかうべをうちて、ちをいだし、なんだをなかして、かたじけなきよしを申あ
げしかば、太宗、このよし御覧して、すなはちおほせけるには、われ今天下を
太平におさめしも、ばんみんにいたるまでたのしみさかへける事は、これみな
なんじがはからひなり。しかるときんば、なんじだにあんらくなれば、てんか
も又あんらくなり。我かひげをきつて﹂(三十七丁裏)なんじがやまひを治 ちす
る事は、天下しやしよくのためなり。なんじ一人のわたくしのためならず。し
かるに、なんぞわれをふかくじやするぞと仰せ給ひしことのはゝ、なをあさ
小助川 元 太 からぬ御事なり。まことに孟 まう子 しのとくことく、君のしんかを見る事、我がしゆ そくのことくする時は、臣 しん下 か又君を見る事は、我がふくしんのことくといへ り。いま太 たい宗 そう皇 くはう帝 ていの李 り勣 せきがやまひをうれい給ひて、みづからひげをきり、李 勣にあたへ給ふ事、まことに臣 しん下 かを見ることしゆそくのごとし。故 かるかゆへに李勣も
又、きみをみる事ふくしんのことくにして、つね〳〵ちうをつくして君をうや﹂
(三十八丁表)まひたてまつる事、申もおろかなるとかや。
帝鑑図説巻第五終 ﹂(三十八丁裏)
挿絵 ﹂(三十九丁表)
挿絵 ﹂(三十九丁裏)
帝鑑図説六 ﹂(表紙 外題)
帝鑑図説巻第六目録
遇 あふて
レ物 ものに 教 おしへを
レ儲 もふく唐 たうの太 たいそう宗
遣 しむ
レ帰 かへさ
二方 ほう 士 しを
一唐の太 たいそう宗
焚 やき
レ錦 にしきを 銷 けす
レ金 こかねを唐の玄 げんそう宗 委 い二 任 にんす 賢 けん相 しやうを
一唐の玄宗 兄 けい 弟 てい 友 ゆう 愛 あい唐の玄宗 召 めして 試 こころむ
二 縣 けんの 令 れいを
一唐の玄宗
聴 きいて
レ諫 いさめを 散 はなつ
レ鳥 とりを唐の玄宗
啗 ふくんて
レ餅 もちを 惜 おしむ
レ福 さいわひを唐の玄宗
焼 やいて
レ梨 なしを 聯 つらぬ
レ句 くを 唐の粛 しゆく宗﹂(目録表)
不 す
レ受 うけ
二貢 かう 献 けんを
一唐 たうの憲 げんそう宗
遣 して
レ使 つかいを 賑 にぎはい 恤 めくましむ唐の憲宗 延 ゑん 英 ゑいに 忘 わする
レ倦 うむことを 唐の憲宗 淮 わい 蔡 さい 成 なす
レ功 こうを唐の憲宗﹂(目録裏)
帝鑑図説巻第六
遇 あふて
レ 物 ものに 教 おしへを
レ儲 もふく
唐 たうの太 たい宗 そう皇 くわう帝 てい、晋 しんわう王をたてゝ太 たい子 しとなされ給ひしとき、しよじばんたんの 事の理を、太子にをしへ給ひけり。ある時太子、御 ご膳 せんにむかひ給ふ時、太宗仰 せけるやうは、てんかの農 のふにん人としをふるまで、そこばくしんらうをつとめ、田 をたがへし、くさきりて、ごゝくのみのるをえて、かるがゆへに、この飯 いひあり。
なんじ、もし膳 せんにそなはる時は、すなはちたみのかんなんをおもひ、飯をたや すくすべからず。しかる時は、天 てんたう道も、なんじがものしる事をかんし給ひて、
つねにこの﹂(一丁表)飯 いひをあたへてうゝることなかるべし。又、太子の馬 むまに
のらせ給ふを御らんして、太宗仰せけるやうは、それ馬はちくるいなりとはい
へども、ものしる心そなはれり。なんじ馬にのるときは、かならす馬のつかれ
をかんじて、みちをゆくともかぎりをなし、とをくはしらすべからずして、馬
の力をつくさゞれ。しかる時は、てんたうもなんじがじひなるこゝろをかんじ
給ひて、つゐに馬 むまにのらしむべし。又、太子 しの舟 ふねにのらせ給ふを御覧して、太
宗おほせけるやうは、水はもとよりふねをのせ、舟はみづにうかふといへとも、
水又よくふねをくつがへす。しかるときは、ふねも又水に﹂(一丁裏)よるこ
とやすからすと。こゝをもつてあんずるに、天下のたみ百 ひやくしやう性、すなはちこれを 水にたとへり。又、天下の君 きみたるものを、則 すなはちこれを舟 ふねにたとふ。君もしじひを
さきとして、ばんみんをめぐみなば、ばんみんこれをのせずといふ事なし。君
もしあくぎやくぶたうにして、はんみんをめぐまさざるときは、ばんみんも又、
君を見ることあたのことくにして、かならすむほんをおこすへし。こゝをもつ
て水にたとへり。水よく舟をのすといへとも、又よくふねをくつがへす。然る
あひた、天下のきみは、つゝしまずんばあしかるへし。又、太 たいし子の一樹 しゆのした
にたゝすみ給ふを御らんして、﹂(二丁表)太宗仰せけるやうは、それよろつの