氏 名 ( 本 籍 ) 学 位 の 種 類 学 位 記 番 号 学位授与年月日 学位授与の条件 学 位 論 文 題 目 論 文 審 査 委 員 後藤秀聖(福島県) 博士(芸術) 甲博第6号 平成26年3月20日 学位規則第4条第1項該当 風景の内なる表現に関する研究 − 絵画制作を通した自然の抽象化に基づく可能性 − 主査 本学教授 島 野 安 雄 副査 本学教授 石 山 かずひこ 副査 本学教授 林 香 君 副査 武蔵野美術大学教授 内 田 あぐり
[ 論文内容の要旨 ]
論文の構成 序章 主論 第一章 山水画の心象的な風景表現 第二章 内なる風景を主題とした表現方法 第三章 自身の作品制作を通した探求 付論 絵具に用いる和膠の製造 終章主論 研究の目的と主旨 本稿は、筆者の絵画創作で重要とする内面世界や心象風景、“内なる風景”の表現を考察することを目 的とする。自身の作品において、具体的な風景を描くことはない。むしろ制作過程そのものを重視し、素 材の物質性と描く行為そのものを全面に押し出して、抽象的な造形表現を展開させてきた。 制作を続ける中で、絵具の色彩と材質(マチエール)が織りなす筆致や痕跡から“内なる風景”を感じ 取り、試行錯誤の中で作品は完成する。そうした不安定な像、深層化されたイメージを定着させることが、 作品の抽象化を高めることとなった。日本絵画の“内なる風景”には山水の世界があり、日本人画家たち は水墨画の表現技法を用いることで独自の抽象的な造形表現を確立している。そうした試みは、筆者の作 品制作に共通するものであり、自らが無意識的に感じ取っている“内なる風景”の全体像を考える上で必 要不可欠な問題である。 筆者の“内なる風景”の本質的なイメージは、山水画を対象に日本の自然風土と の関連性にあると考えている。 よって、まず本稿では、東アジア(中国・日本)の山水画を基本とする風景画論を再考しつつ、自身の 作品とその実践的制作を解説する。 先行研究 山水画の心象風景ついての研究として、マイケル・サリヴァンの『中国山水画の誕生』(1962)は、中国 の歴史的・文化的背景や宗教的観念、芸術学的思想に基づいて図像と自然観、その特質を言及している。 また日本の水墨山水画における、墨の滲みや暈し(ディテール)、その色彩表現については、矢代幸雄の『水 墨画』(1969)が着眼している。本稿でも、中国 の北宋・南宋時代の華北山水画と江南山水画を起点とし、 日本を含めた気候風土の違いや自然と人間の関係において、自然の風景がどのように作品に捉えられてき たか、表現手法がどのように洗練されてきたかを、実例をあげて検証する。しかしながら、本研究の目的 は、自身の“内なる風景”を過去の作品から逆説的に考察する点で、上記の先行研究とは異なる方向性を もつ。それは、東洋美術史を説明しようとするものではない。作品のもつ表現性と精神性、その背景にあ る造形的思索を重点的に論じる。こうした画家の視点をもって研究することは、時代を超えて、今を生き る自分にまで結びつく造形表現を発見するためである。特に第一章三節の、山水画と筆者の“内なる風景” との共通性を定義する文章の考察、第二章一節はその実践的制作方法を提唱し、日本の水墨山水画に見る 余白の空間意識をユング深層心理学の元型(無意識的集合領域)へ転換させた試みには特色がある。 本稿の研究対象に含まれる、山水画を考察した文献には、青木茂の『岩波近代日本の美術 8 自然をうつ す―東の山水画・西の風景画・水彩画』(1996)、中野美代子の『奇景の図像学』(1996)、松岡正剛『山水 思想―もうひとつの日本』(2003)がある。それらは、山水画を年代順に多数掲載し、歴史的背景に照らし
合わせて解説している。本稿はこれら先行研究と資料を基に展開するものである。 問題の所在 上記のような研究段階を踏まえ、筆者は自身の“内なる風景”の表現方法を考察するために三点の主要 内容を設定した。第一に、制作時に行われる描く行為や内的な状況を深層心理学などを基本に分析し、創 作の源である心象・イメージの存在、内面化された風景の印象が作品に生成する過程を示す。第二に、日 本画の材料による作品制作と自然風土への意識との結びつきを詳述する。第三に、東日本大震災の被災地 を訪ね、今後の作品制作の在り方を模索し、スケッチした経験を考察する。 なお、第三章の制作の実践では、これら三点の研究成果に基づいて記述する。それは、2007 年から 2012 年までに制作した自身の作品を解説し、 “内なる風景” が制作スタイルとともに変化していく状況を言 及するためである。 研究の成果 最初に中国の北宋・南宋時代では、山水の世界(テーマ)と水墨画(表現技法)の発展性が並行しつつ、 その相互作用は、余白、あるいは間という日本美術の空間表現を形成する役割を果たしたといえる。自然 と人間との一体性を基本とし、そうした生活環境の中から生まれた風景に対する信仰性や霊性、湿潤な気 候風土の特異性は、造形感覚として絵画表現に盛り込まれている。そして、禅宗の無の思想と自然観は水 墨画の表現技法を洗練させ、“精神的な世界”を風景に託した雪舟の《破墨山水図》は抽象的な空間表現 を開拓した。写実的に対象の風景を描写することなく、内面世界を重視したことは大きい。これは、“自 然と人間との一体性”、自然の本質を見極める写意(内面表現)を受け継ぐものである。 こうした問題提起に対して、筆者は初期作品《UNTITLED/07》の構想過程を示し、水墨の心象的スケッチ をユングの深層心理学から分析し、無意識の領域にある精神的な世界と余白との関係性を検証した【図 1】。 その結果、直感的な意識と筆勢の身体的運動感を伴う、筆者の描く行為は無意識の世界を展開させる手段 であり、使用する日本画の材料は、水墨画をはじめとした水の現象的で流動的な表現技法を重視したもの であると考察した。そして、東日本大震災の被災地での体験に基づく美術のあり方を述べたが、それは現 代の風景をいかに捉えていくかというものである。かつて“自然と人間との一体性”を成立させていた風 景の変容と崩壊、喪失感を受ける中で、画家として筆者はどう向き合うべきなのか。それについては、ま ず始めに現地でのスケッチ制作、続いて第二次戦争後のアンフォルメル運動に対する考察、《黄色い大地》 の制作での取り組みを紹介した【図 2】。そのほかにも、現在に至るまでの作品を解説することで、山水画 から震災後の被災地へと、筆者の風景に対する考え方や自身の作品の変遷を具体的に示した。それは、“内 なる風景”の形成と展開を示す制作の歩みでもある。
付論(絵具に用いる和膠の製造) 本稿の考察では、作品制作で多様に応用される素材自体にも、表現領域を形成する要因があることを記 述する。そのひとつ、筆者が絵具の接着材(展色材)に使用してきた三千本膠は 2010 年に製造が終了して いる。それに伴い、現存する資料を基に日本の伝統的な膠作りの研究を進め、これを本稿の付論とする。 膠は、日本のみならず世界的に古くから広く使用されてきた伝統的な材料である。現在では伝統的な国 産膠(和膠)の生産が希少となり、物性を含めた実態は不明な点が多くある。本研究ではこのような背景 を踏まえて、臼井寿光の『戦時統制下の和膠業』(1991)や森田恒之の『膠の文化』(2003)などの先行研 究と資料を基に、日本の膠生産の歴史的な検証を行う【図3】。そして、伝統的な三千本膠とニベ膠を試作、 検証した【図4~5】。三千本膠の製造実験は、国内で唯一川漬けによる原皮脱毛を継承する姫路高木地区、 大崎商会の協力を得て実施された。川漬けなどの下処理工程の完全な公開は初めてであり、牛の原皮を使 用した。その一方で、日本に伝わるニベ膠(アイシングラス)の製造工程や詳細な資料は現存していなか った。しかし、筆者が入手した資料の『水産製造3』(1946)には、魚の加工時に皮や骨、浮き袋を使用し た膠の製造法が記述されており、この資料は現在周知されていない。その製造法を参考にして、鯉の浮き 袋を原料とした製造実験は成功した。両方の製造実験は、和膠の製造法の復元とその物性を研究する上で、 先駆的な役割を果たす。 結論と今後の課題 (主論) 現代において、美術の表現領域はさまざまであり、今後はさらに多様な広がりをもつ。そのいずれの表 現を用いるにしても、まずは普段気づかない自分自身のアイデンティティーを認識し、制作方法や素材の 特質を生かすことが必要である。そうした内容を構築したものが本研究であり、筆者は実践的な作品制作 を通して今後さらに研究を進めていく。 (付論) 今日の薬剤を使用する効率的な原皮処理に対して、薬剤を一切使用しない筆者の和膠はその物性、使用 感や性能にどのような違いがあるかを比較することができる。また、和膠の製造技術を理解することにも なる。今後もこうした研究を継続して、衰退する和膠生産の将来性を考えることを提案していく。
【図 1】《UNTITLED/07》 2007 年 パネル、カオリン、骨粉、鉄粉、セメント、水干、岩絵具、墨、三千本膠、銀箔 240.2×360.0㎝
【図3】明治期の和膠標本 (撮影:上田邦介氏) 【図4】牛皮による三千本膠の製造実験 (撮影:筆者) ①原料となる牛皮は、姫路の市川で 3 週間水に浸して毛根を柔らかくしたもの。 ②牛皮表面の脱毛して脂肪を除去し、細かく刻み鍋で煮込む。 ③抽出した液体を容器で固めて角棒状に裁断し、金網台で乾燥させる。 【図5】鯉の浮袋によるニベ膠の製造実験 (撮影:筆者) ①原料となる鯉の浮き袋は、冷凍保存したものを解凍し、流水で付着する汚れを落としたもの。 ②水洗いした浮き袋は二重にしたガーゼの袋に包み、鍋で煮込む。 ③抽出した液体を容器で固めて平棒状に裁断し、金網台で乾燥させる。
[審査結果の要旨]
本学位請求論文は、「風景の内なる表現に関する研究」と題して書かれたものである。その前提として は、これまで内面に映る風景に興味をもち、そこに感じる生命の存在を表現したいとの思いから作品を制 作してきたとしている。特に、心象風景の中で想起されるイメージは無意識につながる領域にあって、そ の奥に潜む深層化したものを表現することが重要であるとして、記憶の奥深くに存在する風景を“内なる 風景”と呼び、その存在を意識しながら絵画に表現することを“風景の内なる表現”とし、本論文の主眼 としている。 内なる風景を描くことは、筆者自身の心の根底にある無意識の世界を透して自分の存在を表す一つの手 段であり、絵画におけるリアリティは今を生きて現実の世界に存在していることへの実感であり、これが 作品を生成する要因であるとしている。そして、「風景の内なる表現」を形成させた要因の一つには、山 水画の造形思想が深く関係しているとして、山水画に関する歴史的な経緯や山水画の造形思想と表現方法 などを解説・論考しつつ、その実例として筆者自身の作品とその制作過程等を説明している。そして、自 身の作品を制作する中で、従来の油彩画材料に違和感を覚え、土(岩)や膠という日本画材料への興味から、 それらの材料を自製して使用するという事がなされている。また、筆者は福島県出身であり、先の東日本 大震災では親族や親戚・友人らの中には被災を受けた方もおり、その前・後での作風には多少の違いも表 れている。 本論文は、「序章・第1章・第2章・第3章・付論・終章」という全6章から構成されている。「序章」 では、まず筆者の作品の制作に至る前提となる思いや考えなどとともに、本論文の主題となる“内なる風 景”や“風景の内なる表現”という言葉に関しての説明・解釈がなされている。特に、「風景の内なる表 現」を形成させた要因の一つに山水画の造形思想が深く関係していたとして、山水画に関する事項が述べ られ、それから発展させた実践例として自身の作品が出来上がっているとしている。そして、序章に続く 各章についての簡潔な説明がなされている。 本論部分は3章からなり、第1章の「山水画の心象的な風景表現」では、第1節で中国の北宋・南宋時 代における山水画の歴史と背景などについて説明し、日本の水墨画への影響を論じている。第2節では日 本における山水画の形成と造形表現、特に日本の自然観と結びついだ抽象的な画面空間に関して雪舟と龍 安寺の石庭を例に解説している。第3節では、自身の作品制作に向けての考え方や意図などが述べられて いる。 第2章の「内なる風景を主題とした表現方法」では、山水画の影響をふまえて、自身の作品制作に向か う思想過程と表現方法について検証し、実践方法を述べている。まず第1節では、自身の作品制作に向けての考え方が述べられている。それに因れば、山水という心象風景を核として成立する造形表現を検討し た上で取り入れ、自身の作品制作に転換した点を述べている。また、制作時に行われる描く行為や内的な 状況についてはユングの深層心理学を基本に分析して“内なる風景”が形成されるまでのプロセスを述べ ている。第2節では制作過程における取り組みとして、絵画材料について取り上げている。筆者の作品を 特徴づける要因の一つとして、従来の油彩画材料に対する違和感から、日本画材料への転換があり、それ ら画材と水との物質性について論じている。そして、自身が採取した土を顔料にして使用した過程も述べ られている。第3節では、福島県出身の筆者の東日本大震災に関する事項がスケッチや写真とともに心情 などが述べられている。 第3章の「自身の作品制作を通した探求」では、2007~2013 年までに制作してきたものの中から 10 テ ーマ・計 12 作品に関して制作意図や特徴などについて詳しく解説している。最初の『UNTITLED/07』は、 抽象性を意識し始めた頃の作品であり、現在の制作の精神的支柱となっているものである。『呼吸』は、 円形パネルの空間性を活用した新たな画面設定を試みた作品で、山頂から見える大気の流れと色彩のイメ ージに基づき水の偶発的で現象的な表現を強く反映したものである。『光の風景』は、円形派エルの連作 で、円形の画面を水面に見立てて自然現象を映し出す光の存在を感じさせるもので、特定の風景を印象づ けるのではなく、“内なる風景”を反映させ、その存在を抽象化したものである。『VOICE』も円形パネル の連作で、和紙を薄く裂いて膠水を塗布して画面に貼り重ねた上に描いた作品で、題材は小説家カフカの 著書「変身」に由来している。『身体の生地によって仕立てられている』は、7枚のパネルを連ねた作品 で、フランスの哲学者モーリス・メルロ=ポンティの「眼と精神」に由来するものである。『白い風景』 は、筆者自身が採取した土を精製した絵具を使用して描いた作品である。『4つの水平線』も自製した土 の絵具をドンゴロスの布をパネルに張り合わせた画面に描いた作品である。『地の声』は、綿やドンゴロ スからなる4枚のパネルに、ベンガラと朱という赤色を基調とした作品で、大地内部にうごめく存在がテ ーマとなっている。『恍惚の地』は、東日本大震災後の被災地を訪れた後に制作されたもので、異様な瓦 礫の物質感を表現するための模索から始まったとされ、今まで使用してきた土の顔料だけでは表現できず、 いろんな顔料や水溶性メデュウムなどを使用した絵具を用いて完成させたとしている。『黄色い大地』に ついては、2009 年から続く連作で、筆者の“大地を形作る”というテーマで描かれた作品で、2009・2010・ 2013 と3作品を連作し、「内なる風景」を代表する作品でもある。特に、3作目の『黄色い大地 2013』に ついては、震災後に描かれたもので、被災地の風景を意識しながら鈍重の黒い絵具を執拗に塗り重ね、と きには石膏や土を絵の具に練り込み重厚な空間を作り出したとも述べている。 ところで、筆者は上記した作品を含めて、これまで数多くの作品を制作してきていて、それらの一部は 展覧会や個展等に出品し発表してきている。その中では、国展には第 82 回(2008 年)から5回続けて出品 し、新人賞(第 83 回)や奨励賞(第 84 回)などを受賞している。そして、地元の会津俊英作家展や若い世代
展などにも出品し、個展も開催してきており、活発で精力的な作品制作を続けてきている。 付論の「絵具に用いる和膠の製造」では、自身の作品に欠かせない絵画材料として膠を取り上げている。 第1節は和膠、特に三千本膠に関する研究と実際の製造試験について述べている。第2節ではニベ膠の復 元作業として、その製造過程の説明と実例として「鯉の浮き袋」を用いた製造実験について述べている。 第3節は、筆者が自製した和膠と市販の膠製品とを含めた絵具の固着についての使用感に関する実験を行 って、使用感の評価と結果について分析している。 最後の「終章」は、これまでの論考をふまえての纏めであり、絵画表現の意義と今後の作品制作に関す る展望などが述べられている。 さて、制作された作品を含めての論文についての評価であるが、筆者の制作の意図や思想の根幹をなす のが山水画の造形思想で、それに由来する“余白”という空間認識であり、さらに抽象化した心象風景が 最終目標でもあった。この命題に完成させるために、絵画の制作に当たっては、従来の油彩画材料に違和 感を覚え、土(岩)や膠という日本画材料への興味から、それらの材料を自製して絵具に使用するという事 が行われている。したがって、制作された作品には、土や膠といった自製の材料も多く使われていて、よ りオリジナリティーのある作品となっている。論文の中では、これら自製の土や膠に関する実験例と説明・ 解説等が写真入りで詳しく述べられている。そして、論文中の各作品についても、それら自製の材料を使 用した点を含めて、制作意図や制作途中の経緯、あるいは裏付けとなる思想などが明確に説明されていて、 それぞれの作品の完成度も高いと言えよう。特に、連作の「黄色い大地」は筆者の代表する作品であり、 東日本大震災を挟んで作成されていて、その後の作風には少し違いがみられたが、これも筆者の「風景の 内なる表現」の心象が現出したものかもしれない。なお、作品自体も数多く制作されており、国展をはじ めとするいくつかの展覧会への出品、あるいは個展の開催等を行っており、今後、作家としての将来性も 期待できると考えられる。 よって、後藤秀聖「風景の内なる表現に関する研究」の学位請求論文の審査に関しては、「合格」と評 価・判定し、博士の学位授与に相当するものである。