アーラニヤカ文献の生成過程の一側面
―
śānti
マントラを手掛かりに―
梶 原 三 恵 子
1
.序: テキストの冒頭や末尾に付された文言(
śānti
)
ヴェーダ聖典のうち,アーラニヤカ
(Ār.)とウパニシャッド
(Up.)には
1),テ
キスト
(特に章や節)の冒頭や末尾に,本文の内容と直接関係しない詩節や散文が
付されている場合がある.後代の注釈者に
śānti(「鎮め[の句]」)とよばれるもの
である
2).内容は主に次の三種である: ①
神々を讃える吉祥な文言; ②
冒頭で
「私は語ろう」,末尾で「私は語った」と宣言する; ③「語る者」や「私
/我々二
人」への守護を祈願する.②③
は一人称単数か両数を含むことが多い.こうし
た内容から,
śāntiは,ヴェーダ聖典の口頭伝承にあたって,師が学生に教える
際に唱えられたものだったと予想できる.
śāntiは写本に含まれていたりいな
かったりするものがあり,いかにも付加的にみえる.しかし,付加だったとして
も,どの段階で付加されたかには幅があるであろう.本稿は
śāntiを手掛かりに,
Ār.文献の生成過程の一側面を,「学習」という視点から検討する.
2
.
TĀ 7
(=
TU 1
)の冒頭と末尾:「天則を私は語ろう
/
私は語った」
テキストの冒頭と末尾に
śāntiが付されている典型例に,
TĀ第
7章
(=TU第1 章)がある
3).同章の冒頭節は,次のとおり韻文と散文が混在している.
TĀ 7.1 (TU 1.1) śáṃ no mitráḥ śáṃ váruṇaḥ / . . . (RV 1.90.9) //. . . tvā́m evá pratyákṣaṃ bráhma vadiṣyāmi / A4) rtáṃ vadiṣyāmi satyáṃ vadiṣyāmi / tán mā́m avatu / tád vaktā́ram avatu / ávatu mā́m / ávatu vaktā́tam / oṁ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ /1/
「ミトラは我らに吉祥たれ.…(RV 1.90.9)」.… 他ならぬ君に,眼前のブラフマンに,私
は語ろう./ A天則を私は語ろう.真実を私は語ろう.それは私を援護せよ.それは語り
手を援護せよ.私を援護せよ.語り手を援護せよ.oṁ, śānti, śānti, śānti. /1/
TĀ 7.12 (TU 1.12)
śáṃ no mitráḥ śáṃ váruṇaḥ / . . . (RV 1.90.9) //
. . . tvā́m evá pratyákṣaṃ bráhmāvādiṣam / A rtám avādiṣam / satyám avādiṣam / tán mā́m āvīt / tád
vaktā́ram āvīt / ā́vīn mā́m / ā́vīd vaktā́tam / oṁ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ /12/
「ミトラは我らに吉祥たれ.…(RV 1.90.9)」.… 他ならぬ君に,眼前のブラフマンに,私
は語った./ A 天則を私は語った.真実を私は語った.それは私を援護した.それは語り
手を援護した.私を援護した.語り手を援護した.oṁ, śānti, śānti, śānti. /12/
このように,
TĀ 7(TU 1)の冒頭節と末尾節は一対をなし,同章の外枠を形成し
ている.両節とも上述
①②③
の
śāntiの要素をすべて含む: 章頭で神々に
RVの
詩節を唱え,「君に」「私は」語ると未来形で宣言し,語り手への援護を祈願し,
章末では語り終えたとアオリスト形で宣言する.テキストを教える前と後に師
(「私」)が学生
(「君」)に唱える学習儀礼のマントラとして機能しているといえる.
この両節は,その間の
TĀ 7.2–11(TU 1.2–11)と内容的な連絡はないが,同章の本
文の一部として一般に認められており,現代の刊本でも省かれることはない.
TU 1は
Kaṭha派の文献に冒頭・末尾の両節を含めて対応が見出されるから,
Taittirīya(Taitt.)
派と
Kaṭha派が各々の
Up.を整備した時期には,両節はすでに
TĀ 7(TU 1)
のテキストの一部とみなされていたと考えられる
5).
3
.
TĀ 8
(=
TU 2
)冒頭:「我々二人を援護せよ」
TĀ 8(=TU 2)
の冒頭には,一人称両数を含む散文の
śāntiが付されている.
TĀ 8.1(TU 2.2)
B sahá nāv avatu / sahá nau bhunaktu / sahá vīryàṃ karavāvahai / tejasví nāv ádhītam astu / mā́
vidviṣāvahai / oṁ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ / …
B我々二人を共に援護せよ.我々二人を共に享受せよ.我々二人は共に勲をなそう.学習
されたことは我々二人に威光あるものであれ.我々二人は憎みあうまい.oṁ, śānti, śānti,
śānti. / . . .(以下,TĀ 8.1=TU 2.1の本題が続く)
両数は明らかに師と学生をさす.内容と位置から,この
śāntiも学習儀礼のマン
トラの機能を有する.上述の
TU 1同様,
Kaṭha派の
Up.に対応がある
6).
4
.アーラニヤカの主題と
śānti
:(
1
)「サンヒターのウパニシャッド」
Ār.には独特の主題がいくつかある.その一つが,「サンヒターのウパニシャッ
ド」
(saṃhitāyā upaniṣad-)とよばれる音の結合論である.
Taitt.派のものは
TĀ 7の本
文中に見出される.興味深いのは,上述の
TĀ 7の枠構造の内部にあるにもかか
わらず,短い
śāntiを伴っている点である.
TĀ 7.3(TU 1.3)
B sahá nau yáśaḥ / sahá nau brahmavarcásam /
athātaḥ7) saṁhitāyā upaniṣadaṃ vyākhyāsyāmaḥ / . . .
B 我々両者に共に名声[あれ].我々両者に共にブラフマンの霊験[あれ]./ さてこれから,サンヒターのウパニシャッドを我々(pl.)は説明しよう.…
「我々両者に共に」云々の文言は明らかに,「さてこれから…」で始まるテキスト
部分に対する
śāntiであり,師と学生
(du.)がそのテキストを教え学ぶ際のマン
トラである.これが
TĀ 7(TU 1)の中途に現れるということは,
Taitt.派では元来
「サンヒターのウパニシャッド」は
śāntiを伴う独立した短いテキストとして存在
していたものが,伝承の過程で
TĀ 7の中に
śāntiごと編入され,その時点でその
śāntiも
TĀ 7の本文の一部として固定されたことを示している
8).
「サンヒターのウパニシャッド」という主題は,他学派の
Ār.にも,前出の
Aを含む複数の
śāntiを伴って見出される.
ŚāṅkhĀr 7.1A rtaṃ vadiṣyāmi satyaṃ vadiṣyāmi tan mām avatu tad vaktāram avatv avatu mām avatu vaktāraṃ
mayi bhargo mayi maho / C vāṅ me manasi pratiṣṭhitā mano me vāci pratiṣṭhitam . . . / D adrbdhaṃ
mana iṣiraṃ cakṣuḥ . . . /1/
athātaḥ saṃhitāyā upaniṣat . . .
「A天則を私は語ろう.… それは私を援護せよ.それは語る者を援護せよ.…」「C言葉は 私の思考に安立した.…」「D思考は損なわれない(*adabdhaṃ).…」 /1/
さてこれから,サンヒターのウパニシャッド.… AiĀr 2.7 / 3.19)
C vāṅ me manasi pratiṣṭhitā . . . / A rtaṃ vadiṣyāmi . . . tan mām avatu . . . //
athātaḥ saṃhitāyā upaniṣat / . . .
「C言葉は私の思考に安立した.…」「A天則を私は語ろう.…」// さてこれから,サンヒターのウパニシャッド.…
A
や
Cのように,
śāntiには学派を超えて類似のものが現れる.
Ār.学習のマント
ラがどこかの時点で定型化していったことが窺える
(cf. Witzel 1979, 27).
5
.アーラニヤカの主題と
śānti
:(
2
)プラーナの競争
「プラーナ
(prāṇá-; 諸感覚器官)の競争」は,主に
Up.にみられる主題であるが
(cf. Fujii 2000)
,
Śāṅkhāyana派では
Ār.に収められている.当該章の冒頭には,
RVの詩節が二つと,
D「
adabdhaṃ mana[
ḥ]
. . .」
(上掲ŚāṅkhĀr 7.1 参照)が付され,
śāntiを形成している.
ŚāṅkhĀr 9.1(「プラーナの競争」の章,冒頭)
oṁ tat savitur vareṇyaṃ devasya bhojanam / śreṣṭhaṃ sarvadhātamaṃ taruṃ bhagasya dhīmahi (RV 5.82.1) // tat savitur vareṇyaṃ bhargo devasya dhīmahi dhiyo yo naḥ pracodayāt (RV 3.62.10) // D
adabdhaṃ mana iṣiraṃ cakṣuḥ sūryo jyotiṣāṃ śreṣṭho dīkṣe mā mā hiṃsīḥ /1/
yo ha vai . . .(以下本題)
6
.アーラニヤカの主題と
śānti
:(
3
)
Pravargya
祭
Ār.
の中心主題の一つが,
Pravargya祭である
10).同祭のマントラ集は
YV各学
派の
Ār.(ないしサンヒターの新層部分)にある.同祭のマントラのいくつかは
「
śā́
nti-」という語を含む.
Pravargya祭は「熱」
(gharmá-)に関わるから,それに対
応する「鎮め」であろう.同祭のマントラ群は,シュラウタスートラ
(ŚrSū)の
同祭規定に引用されているという点で,上に見てきた,本文の内容と関係のない
冒頭や末尾の文言をさす
śāntiとは問題の次元が異なるようにみえる.ただし,
学派によっては後に同祭の学習と関係していく.
6.1TĀ
の場合
Taitt.派では,
TĀ第
4章が
Pravargya祭のマントラ集である.冒
頭と末尾は対称でないが,呼応する部分もある.以下に一部抜粋する.
TĀ 4.1(冒頭節)11)namo vāce yā coditā yā cānuditā . . . E brahma vadiṣye satyaṃ vadiṣye . . . taṃ mā devā avantu śobhāyai pitaro numadantu / oṃ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ //
. . . Eブラフマンを私は語ろう.真実を私は語ろう.…
TĀ 4.42(末尾節)12)
śaṃ no vātaḥ pavatāṃ mātariśvā . . . prthivī śāntā sāgninā śāntā sā me śāntā śucaṁ śamayatu . . . śāntir
me astu śāntiḥ / . . . E brahma prāvādiṣma tan no mā hāsīt / oṃ śāntiḥ śāntiḥ śāntiḥ //
. . . E ブラフマンを私は宣言した.…
同派の
ŚrSūには,両節をそれぞれ「
pūrvā śānti」「
uttarā śānti」と呼ぶものがある
(BaudhŚrSū 9.1: 265.6; 9.4: 270.19 [Pravargya]. Cf. KaṭhĀ 1: 8–14).
6.2
Pravargya
章の学習
Taitt.派を含む
YV系
ŚrSūは,
Pravargya祭の中間潔斎
(Avāntaradīkṣā)
に同祭の学習規定を含む.新
Taitt.派
ŚrSūでは
13):
ĀpŚrSū 15.21.10(Pravargya Avāntaradīkṣā; cf. BhārŚrSū 11.22.15)
adhyeṣyamāṇaḥ prācīm udīcīm vā diśam upaniṣkramya . . . prathamenānuvākena (TĀ 4.1) śāntiṃ
krtvāpareṇāgniṃ darbheṣv āsīno darbhān dūrvā vā dhāyaramānaḥ parācīnam adhīyīta.
[Pravargyaの章を]学ぼうとする者は,東か北の方角へ出て行き,…最初の節(TĀ 4.1) [の朗唱]によって鎮め(śānti)を行い,火の西でダルバ草に座り,ダルバ草かドゥール バー草を持ち,西向きで学ぶべきである.
7
.グリヒヤスートラ段階の学習儀礼と
śānti
グリヒヤスートラ
(GS)では,ヴェーダ学習体系は大きく二分される.①毎
年,始業式
(Upākaraṇa)で開始し,終業式
(Utsarga)で一旦休止して休暇に入る,
通常の学習.自学派のサンヒター
(とブラーフマナ)を学ぶ.学習儀礼の規定はあ
る程度整っている.②個別の学習誓戒
(vedavrata)を要する箇所
(主にĀr. とUp.)の学習.学習誓戒の名称と特徴は一通り示されるが,後代の注釈類に比して未整
備で,どの誓戒でどの部分を学ぶのかについても曖昧な点がある
14).
7.1始業式と終業式
GSには,
Ār.に付されている上掲の諸
śāntiに似た文言を,
始業式や終業式で唱えるよう指示するものがある.始業式の例:
JGS 1.14: 14.5–6 (Upākaraṇa)15)sarve purastājjapaṃ japanti: B saha no stu. saha no bhunaktu. saha no vīryavad astu. mā vidviṣāmahe. sarveṣāṃ no vīryavad astv iti.
全員が最初の低唱を唱える,「B 我々に共にあれ.我々を共に享受せよ.勲をもつものは
我々に共にあれ.我々は憎みあうまい.勲をもつものは我々皆に共にあれ」と.
始業式と終業式で,未来形とアオリストで対にしてマントラに用いる例:
MGS 1.4.4 (Upākaraṇa; 未来形)16)
prāksviṣṭakrto tha japati: A rtaṃ vadiṣyāmi satyaṃ vadiṣyāmi tan mām avatu tad vaktāram avatv avatu mām avatu vaktāram / C vāṅ me manasi pratiṣṭhitā mano me vāci pratiṣṭhitam āvir āyur mayi dhehi vedasya vāṇīḥ stha / bhūr bhuvaḥ svas tat savitur (RV 3.62.10=MS 4.10.3) iti /4/ . . .
MGS 1.4.8 (Utsarga; アオリスト)
atha japati: A rtaṃ avādiṣaṃ satyam avādiṣaṃ tan māvīt tad vaktāram āvīd . . . C vāṅ me manasi
pratiṣṭhitā mano me vāci pratiṣṭhitam . . . / bhūr bhuvaḥ svas tat savitur iti /8/ . . .
注意すべきは,
Ār.にみられる
śāntiの文言を
GSがマントラとして用いるのが,
始業式・終業式という通常の学習儀礼においてであるという点である.
Ār.を学
習する際の儀礼規定ではない.
7.2GS
新層におけるアーラニヤカ学習規定
Ār.や
Up.の学習の文脈で,
Ār.の
śāntiの文言をマントラとして指定する
GSに,以下に掲げる
ŚāṅkhGS第
6章があ
る.
ŚāṅkhĀr 7の「サンヒターのウパニシャッド」を学ぶ際に
A「
rtaṃ vadiṣyāmi」
云々と唱えること
(上記4参照)も規定されている.
ŚāṅkhGS 6.4.1–9 (Vedavrata)[cf. Oldenberg 1886, 145f.]D adabdhaṃ mana iṣiraṃ cakṣuḥ . . . sūryo jyotiṣām śreṣṭho dīkṣe mā mā hiṁsīr iti savitāram īkṣante
/1/ . . . /
saṃhitānāṃ tu pūrvam A rtaṃ vadiṣyāmi satyaṃ vadiṣyāmīti viśeṣaḥ /7/ . . . /
D adabdhaṃ manety ādhikārikāḥ śāntayas tataḥ /9/
[Ār. とUp. を教える/学ぶ際には]「D adabdham mana . . . mā mā hiṁsīr」と[唱えて],太陽 を彼らは見つめる./1/ . . . /
一方,「サンヒター[・ウパニシャッド]」(=ŚāṅkhĀ 7–8)の[学習の]前には,「A rtaṃ
vadiṣyāmi . . .」と,[「D adabdham mana . . .」に加えて唱えるのが]違いである./7/ . . . /
[どの場合でも]「D adabdham mana . . .」と[唱えて],それから,[各テキストの学習のた めの]特定のśānti[マントラ]たちが[続く]./9/
ただし,
ŚāṅkhGS 6は後代の付加とされる
(Oldenberg 1886, 11).
むすび
現行の
Ār.の写本と刊本に付されている
śāntiには,テキストの編纂過程で比
較的早く本文の一部になり,
Ār.文献の生成に寄与したものと,一部の写本にだ
け写され,テキスト本文の一部になりきれなかったものとがある.複数の学派に
同じものが見られるところから,
śāntiは,
Ār.の学習に付随するものとして,早
くから唱えられていた可能性がある.ただし,
Ār.はヴェーダ聖典
(canon)の中
では成立が新しいから,
Pravargya祭のように学習規定が
ŚrSūにあるものを除
き,
Ār.(Up. を含む)学習の儀礼の詳細はスートラ段階では未完成である.
とはいえ,
śāntiの文言を始業式や終業式という学習儀礼に引用する
GSがある
ということは,現行の
Ār.文献に付されている
śāntiが,一部の
GSには当時すで
に「学習の際に唱えるマントラ」として認知され,
GSという後期ヴェーダ文献
の本文の一部となっていたことを示している.
1)多くのヴェーダ学派の伝承内で,Up. はĀr. の一部を構成する. 2)この種の文をśāntiと呼び始めたのは,グリヒヤスートラ(GS)の新層部分(後掲ŚāṅkhGS 6参照),GSの注釈,Paddhati類,Ār. とUp. の注釈のようである.一方,紀元後 の文献に多くみられる,テキスト冒頭の吉祥な文言(特に偈頌)は,maṅgala, namaskāra, 帰敬偈などとよばれる.Cf. Minkowski 2008.
3)TĀ 7以降は同派のUp.(TĀ 7=TU 1; TĀ 8=TU 2; TĀ 9=TU 3; TĀ 10=MNU). 4)「天則を私は語ろう / 語った」(rtaṃ vadiṣyāmi / avādiṣam)で始まる一連のフレーズは他
のĀr. にも現れるので(後述),参照の便宜上A, A と符号を振っておく.以下,網かけ
大文字アルファベットは同様にśāntiの参照用符号である.
5)Kaṭha派は,Kaṭha-Śikṣā-Upaniṣad(KaṭhŚikṣU)とKaṭha-Upaniṣad(KaṭhU; ナチケータス
物語)とを連続した形で伝える.KaṭhŚisḳUはTU 1とパラレルで,全12節だったとされ
るが,冒頭・末尾(śāntiの節)を含む一部のみ現存[Witzel 1977; 1979; 1980].KaṭhUの
前後にはB(saha nāv . . .)が位置する[Witzel同上].TU 1がTU 2 + TU 3から元来独立
していたこと[ 1970, 14]と,TU 1の冒頭・末尾にśāntiが付されていることは,無関
係ではないであろう.TU 1が śaṃ no mitraḥ で始まることはシャンカラに知られていた
[Witzel 1977, 143f].
6)注5参照.TU 2末尾にも同文を付す刊本がある(末尾では省くものもある).
7)athātaḥ以降の部分は刊本のアクセント表記が不規則なためここでは付さない.
8)KaṭhŚikṣUではTU 1.3にあたる部分は欠けている.
9)Ed. Keithで は 第2章 末 尾 に,Ed. Pillaiで は 直 後 の 第3章 冒 頭 に あ る. こ のśāntiは Śaṅkaraには知られず,Ānandatīrtha注には知られている[Keith 1909, 125].
10)Ār.の中心主題となる祭式には,Pravargya祭の他,Mahāvrata祭がある.後者を扱うAiĀr 第5章の末尾には,C(vāṅ me manasi pratiṣṭhitā . . .)とA(rtaṃ vadiṣyāmi . . .)を含む長い śāntiが 「ity uttaraśāntiḥ」として付されている.ただし,章(かつAiĀr全体)の末尾であ
るにもかかわらず,Aにはvadiṣyāmiと未来形が用いられている.後代の機械的付加か,
あるいはC,AはAiĀrに知られてはいて(上記4参照),写本に混乱が生じたものか.
Ed. Keithは本文から省き注にいれている[Keith 1909, 76].Ed. Ānandāś. は巻末に掲載し ている.
11)Cf. KaṭhĀr 1: 8–11; MS 4.9.27; VS 36–38. 12)Cf. KaṭhĀr 1: 11–14; MS 4.9.27; VS 36–38.
13)ĀpŚrSū 15.20.1–15.21.3参照.実際にいつ学習するのかについて,ŚrSūの記述は曖昧で,
先行研究の見解も一致していない.古Taitt. 派では次のとおり:BaudhŚrSū 9.19: 296ff.
(Pravargya Avāntaradīkṣā)uttamenānuvākena śāntiṃ krtvā (9.19: 296.7) athāsya vratacaryām upadiśet. . . . (9.20: 297.3) atha saṃvatsare paryavete dhyāpayate śrāvayate vā.「最後の節(TĀ
4.42の朗唱)によってśāntiを行い,そして,彼(同祭を学ぶ者)のヴラタ行を教示すべ
きである.…次に,一年が経ったら,[Pravargya章を]学習させる.あるいは聞かせる
[ことで学習に代える]」.Cf. BaudhŚrSū 9.20: 298.6ff.Kaṭha派はKaṭhĀにPravargya祭マ
ントラ集をもつ(TĀ 4と内容は近いが,TĀと異なりpūrvā śāntiとuttarā śāntiが同祭マン
トラ集の最後に連続して位置する).同派のŚrSūは失われ,GSにも同祭の学習規定はな
いが,LGS (=KāṭhGS)のDevapāla注は,pravargya-vrataと称する項にpūrvā / uttarā śānti を引用している[Witzel 1977, 140, n. 9].
14)Cf. 梶原2005.Pravargya祭の章の学習は,学習誓戒のうちśukriya-vrataによって行うと
されるため,ŚrSūとGSで規定が重複する(ŚrSūのほうが詳しい).
15)類例: PGS 2.10.22 (Upākaraṇa) sarve japanti: B saha no stu. saha no vatu. saha na idaṃ vīryavad astu brahma. / indras tad veda yena yathā na vidviṣāmaha iti. //全員 (師と学生たち) は低唱す
る,「B 我々に共にあれ.我々を共に援護せよ.この勲をもつブラフマンが我々に共にあ
16)VārGS 8.4(Upākaraṇa)と8.7(Utsarga)にもMGSと同様の規定がある.
〈参考文献〉(一次文献と略号は印仏学会「ヴェーダ文献学関係略号および書誌一覧」に拠る)
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梶原三恵子2005「ヴェーダ学習と誓戒」『禅学研究』特別号(禪学研究会編『小林圓照博
士古稀記念論集 佛教の思想と文化の諸相』),161–175.
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and the Library of the Royal Asiatic Society with introduction, translation, notes, indexes and an ap-pendix containing the portion hitherto unpublished of the Śāṅkhāyana Āraṇyaka. Oxford: Clarendon
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Śāṅkhāyana-Grihya-Sūtra, Āśvalāyana-Grihya-Sūtra, Pāraskara-Grihya-Sūtra, Khādira-Grihya-Sūtra. Sacred Books of the East 29. Oxford: Clarendon Press.
直四郎1970『現存ヤジュル・ヴェーダ文献―古代インドの祭式に関する根本資料の文
献学的研究―』東洋文庫論叢52,東洋文庫.
Witzel, Michael. 1977. An Unknown Upaniṣad of the Krṣṇa Yajurveda: The Kaṭha-Śikṣā-Upaniṣad.
Journal of the Nepal Research Centre 1: 139–153.
―. 1979. Die Kaṭha-Śikṣā-Upaniṣad und ihr Verhältnis zur Śīkṣāvallī der Taittirīya-Upaniṣad.
Wiener Zeitschrift für die Kunde Südasiens 23: 5–28.
―. 1980. Die Kaṭha-Śikṣā-Upaniṣad und ihr Verhältnis zur Śīkṣāvallī der Taittirīya-Upaniṣad.
Wiener Zeitschrift für die Kunde Südasiens 24: 21–82.
(令和元年度科学研究費補助金基盤研究(B)17H02268 による研究成果の一部)
〈キーワード〉 Āraṇyaka,ウパニシャッド,学習,シャーンティ,maṅgala