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Vol.68 , No.1(2019)045法 長(李 忠煥)「勝莊の戒律思想――『瑜伽師地論』との関係性を中心として――」

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勝莊の戒律思想

―『瑜伽師地論』との関係性を中心として―

法  長(李  忠 煥)

勝莊(生没未詳)は,『宋高僧伝』巻四「唐淄州慧沼伝」(T50, 728c)と『玄奘三 蔵師資伝叢書』巻下「大周西明寺故大徳圓測法師仏舎利塔銘(并序)」(X88, 384c) によれば,唐で活動した僧侶で,圓測(613–696)の弟子とも言われており,法蔵 (643–712)とともに義浄(635–713)の訳場と菩提流支(572–727)の訳場で務めた人 物である.彼の出身が新羅であることと,『梵網経』と『金光明経』を 釈した ことから,新羅法相宗との影響関係が考えられている.しかし,勝莊が実際に働 いたところは唐であったし,彼の 釈に表れている機根論や『瑜伽師地論』(以 下『瑜伽論』)との関係から見れば当時の新羅とは違う思想を持っていたと考えら れる. 勝莊の著述についてはいくつかの経録の中にその名だけが伝えており,現存す るものは『梵網経述記』と『金光明最勝王経疏』の二つのみである.ところが, 『金光明最勝王経疏』は安啓賢が散在していた短編の一部をまとめたものなので, 唯一全文が残っている著述は『梵網経述記』しかない. 『梵網経述記』(以下『勝莊記』)は『梵網経』下巻の 釈書であるが,従来の智 顗(538–597)や義寂(7世紀半ば)のように偈頌からの 釈ではなく,冒頭から 釈がはじまる1).冒頭には上巻の菩 位と心地法門などが説かれていて『梵網 経』と『華厳経』の関係を明らかにするのに重要な役割を果たす.『勝莊記』の 大きな特徴は,『瑜伽論』の引用と五性各別説の機根論である.『瑜伽論』の引用 は,同時代の義寂の『菩 戒本疏』(以下『義寂疏』)にも現れている特徴であるが, 勝莊は『梵網経』の説明のために『瑜伽論』を引用したのではなく,『瑜伽論』 を優位に置いて,その中に『梵網経』を包摂させるために用いたのである.次 に,従来の 釈では受戒者を菩 ,あるいは『涅槃経』の一切衆生悉有仏性で説 明したが,勝莊は五性各別説を用いて機根の差別を論ずる.これは『梵網経』 釈史における勝莊の位置付けを把握するのに大事な問題である. このように『勝莊記』は,従来の 釈書とは 釈方法と機根論などに相違があ

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る.これは新羅法相宗とも違う見解なので,義寂,太賢(生没未詳)などとの比 較も必要である.本研究は『勝莊記』の特徴を詳しく調べ,従来の 釈書との相 違を明らかにしたい. 勝莊は『梵網経』の宗旨を「通弁諸教宗・別顕此経宗」の二つに分け,「別顕 此経宗」で心地法門が所 の宗旨である2)といい,心地は心の拠り所であり,心 が即ち地であると説明する3).地は菩 の四十心が持っている有為と無為の諸功 徳を地の体とするものであり,修戒は地を拠り所にして修すべき行であると説 く4).これは『華厳経』の教えを以て『梵網経』の宗旨と戒の行を説明するもの である.そして,『華厳経』と『梵網経』によれば,「初発心」は十解の最初の心 であるから,この時に初めて不退転が実現され成仏の条件が うという.尽理 (勝義)によれば,十信の最初の心を「初発心」といい5),『華厳経』を土台に『梵 網経』の「心地法門」を説明する.また,『梵網経』の盧遮那仏と蓮華台を『華 厳経』のそれと同一視して 釈する6).すなわち,勝莊は『華厳経』と『梵網 経』を同じ教えと見て 釈に引用したのである. 次に,勝莊は『華厳経』と『瑜伽論』を引用して,発菩提心は諸仏菩 の種子 であり,菩 は菩提心を発してからはいつも戒を唱えるという7).また,戒は一 切の仏菩 の本原であり,仏性種子であって皆この戒によって正覚の果を成就し たという8).そして,仏性は戒の体(理仏性)を,種子は戒の相(有為行)をいう. 戒は三身仏に対する生因と了因になり,生因は有為果を生み出す種子であり,了 因は法身果(無為果)を生み出す仏性である9).つまり,仏性と種子は元々同じ ものであって,すべて戒を根本とするものであるが,その役割に違いがあって, 仏性は戒の体で真如の理仏性であり,種子は戒の相で有為行である10).した がって,勝莊は 釈において戒の体である仏性の存在より,それを顕現するため の発心とそれによる戒の相を重視した. このような仏性種子と戒の説明を土台に,勝莊は五性各別説を以て機根論を説 明する.まず,『梵網経』本文の「一切衆生悉有仏性」について,『涅槃経』での 説明と,「一切」を二つに分けて衆生の範囲を限定する説明の二種をいう.勝莊 は『涅槃経』について多少否定的であり,『勝莊記』では「凡夫涅槃師」という 『涅槃経』の説明に従わないが,理仏性を基準とするならばそれが正しい可能性 はあるといい11),『涅槃経』の立場ではないことを明らかにしている.「一切」に ついては護法菩 (ダルマパーラ)の説を引用し,すべての衆生を対象とする「一

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切」と,少分の衆生を対象とする「一切」の二種を紹介し,『勝莊記』では少分 の一切を受戒の対象とするという12) 受戒者の限定とともに,勝莊は弥勒菩 の説を引用して「五性各別説」を以て 受戒者の機根を説明し,『勝莊記』では弥勒と護法の説に依るという13).これは 法相宗の機根論であり,勝莊は「菩 定性・声聞定性・独覚定性・不定性・無般 涅槃性」の五種定性の中で菩 定性と不定性の二種に受戒対象を限定してい る14).これは『華厳経』と『涅槃経』とは違う機根論であるため,勝莊が三乗家 の立場から『梵網経』を 釈したという説もある15).また,五性各別説は圓測と も違う立場なので,これを窺基(632–682)の影響と見る説もある16) 勝莊は無仏性について,三品衆生の中で畜生が下品であり,一闡提は三品に入 らないから犯すことがない17)と説明する.無仏性については『瑜伽論』にも出 ているが,四種の成熟補特伽羅の中に無種姓があって,善趣に住しながら正に成 熟するべき存在であると説く18).また橘川氏によれば, 倫の『瑜伽論記』に引 用された圓測の説を見れば,「円測が基本的に新訳系思想側に立っていること及 び無種性人の存在を主張していることが解るのであり,したがって五性各別思想 の立場として位置づけられる」(橘川2001, 59–60)という.また,圓測は『解深密 経疏』で,五性各別思想の不定種性( 向菩 )が大乗に転向することで一性皆 成説との問題を解決して,二つの説を調和させる解釈をしたと主張する19).『解 深密経疏』には一乗真実三乗方便(『法華経』と等しい)と三乗真実一乗方便(『勝 鬘経』と等しい)の二説がある.そのうち一乗真実三乗方便は「小乗,特に不定種 性の 向菩 の声聞が仏乗に進んで仏果を得ることを考えるものであり,基の摂 入義に相当する」(橘川2001, 241)と説く.そして「円測によれば,摂入の義は『法 華経』であり一乗真実説と見るものであるから,この点において基の理解と相違 してはいるが,三乗各別或いは五性各別において,そのままの状態において一乗 を見ていく義と,大乗種性を有する者だけが三乗中の仏乗に入っていく一乗を見 ていく義との両方の義を具える説を以て最高の了義説と論じる点において,円測 と基とでは全く一致している」(橘川2001, 241)と主張する.また「『涅槃経』の一 切衆生悉有仏性説に対して,五性一切が有する理仏性と少分の一切が有する理仏 性との両方の観点から見ていくのは円測と基とに共通している」(橘川2001, 241) という.このように橘川氏によれば,圓測は『涅槃経』のみならず五性各別説も 論じているが,これは不定種性のための発心による大乗への転向であって,発心 という実践行を重視した説明である.そして,二つの機根論を調和させた『解深

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密経疏』の説明は,旧訳と玄奘の新訳を会通する解釈であったとも考えることが できる. 圓測に関する説明のように,勝莊は理仏性(戒の体)である仏性も重要である が,それを有為行である種子(戒の相)として顕現するための発心と実践行が最 も現実的に重要なことなので,五性各別説を以て不定性の発心による大乗への転 向を説明したのであると考えられる.すなわち,勝莊は発心と実践行による受戒 だけを真の受戒と見て,「誰でもの戒律」20)のような法蔵の機根論に対する批判 として,少分の一切という護法の解釈を用いて発心した菩 と未だ未定である不 定性に受戒を限ったのである.したがって,『勝莊記』の五性各別説も必ず窺基 の説に従って説いたのではなく,当時の唯識学派の間にあった旧訳と新訳の問 題,機根論の相違,西明学派と慈恩学派の問題などを想定して,それらを調和さ せて会通する 釈をしたのではないかと考えられる. 次に,『勝莊記』には『瑜伽論』が多く引用された.『梵網経』の 釈に『瑜伽 論』を引用したのは元暁,義寂などにも見える特徴であるが,勝莊はその引用の 性格が他の 釈家とは多少違う.元暁は引用の数が他の二人より少ないが,義寂 は勝莊とほぼ同じ内容と数で『瑜伽論』を引用した21).勝莊は義寂を引用してい るが,義寂とは『瑜伽論』の引用の性格に相違があるので,直接な影響関係を論 ずるためには再考察が必要である. 勝莊は『梵網経』の犯戒について『瑜伽論』に基づいて説明しており,さらに 罪の業道については『瑜伽論』に包摂する22)と言って『瑜伽論』が『梵網経』よ り優位にあることを明らかにしている.また,『瑜伽論』を根拠にして菩 が衆 生の利益のために罪を犯したら無罪であると説明する23). 釈の中に省略した 内容は『瑜伽論』のそれと同じであるといい24),『瑜伽論』が『梵網経』より先 行することを強調する. 受戒についても,『瑜伽論』を根拠にして大乗における自誓受戒と従他受戒を 認めている25).但し,これは大乗戒に限ったことで比丘律儀は含まれないとい い,菩 戒については『瑜伽論』に依拠して説明する.そして,第41軽戒(為利 授戒)では,再受戒について『瑜伽論』と『大方等陀羅尼経』を比べて実義は 『瑜伽論』であるという26).「習種性」については『瑜伽論』と『本業経』を比べ て『瑜伽論』の方がより優れた説明であるという27).また,この戒の犯戒は『瑜 伽論』に基づいて慈悲に相応する心で犯したら違犯ではないと 釈する28) このように『勝莊記』には多くの内容に『瑜伽論』が引用されているが,これ

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は義寂のように『梵網経』を説明するための引用ではなく,『梵網経』の内容が すでに『瑜伽論』に入っており,『瑜伽論』に包摂されていることを強調するた めの引用である.勝莊がこのように『瑜伽論』を優位に置いて『梵網経』を 釈 した理由について,吉津氏は唯識学派として当然のことであり,「実は梵網戒の 建立というよりも,むしろ瑜伽戒の顕彰をしようとしたのではないかと考えられ るほどである」(吉津1991, 586)という.また,『梵網経』は「心地戒とも心性戒と も呼ばれ,現実性具体性よりも精神性の方が強いのである……勝莊記はむしろそ の傾向を具体性の方に進んでゆくために,あえて瑜伽戒を大幅に引用したといえ よう」(吉津1991, 587)といい,『梵網経』の現実性と具体性を高めるために『瑜伽 論』を引用したと説明する.この説明を前述の五性各別説とも関係させるなら, 精神性が強調された一切衆生悉有仏性ではなく,受戒者の機根をより現実的かつ 具体的に説明するために五性各別説を用いたのではないかと考えられる.そし て,崔氏は『勝莊記』が『瑜伽論』を用いた理由を「隋・唐代に多く研究されて いた梵網戒が,玄奘によって再び注目された瑜伽戒と相違することがないし,瑜 伽戒に包摂されることができるのを主張するためであった」(崔1999, 128)という. 勝莊は 釈に新訳の『瑜伽論』のみならず,旧訳の『持地経』と『善戒経』も多 く引用した.これは旧訳と新訳を調和させて瑜伽戒を宣揚し,『梵網経』より優 れた菩 戒であることを説明するための引用であったと考えられる.また,これ によって圓測の西明学派と窺基の慈恩学派も会通させることもできるから,勝莊 がこのような 釈を行ったのであると考えられる. 次に,勝莊は四十八軽戒の 釈に,三聚浄戒の摂善法戒と饒益有情戒を用いて 全体を五つに分けて説明する.義寂も同じく摂善法戒と饒益有情戒で四十八軽戒 を 釈したが,全体を二つに分けて各々に対応して説明する.反面,『勝莊記』 では五つの区分を再び八つに細分して,六波羅蜜との関係にも対応させて説明す る点で,義寂との相違がある.勝莊は三聚浄戒について「表・無表」の体がある と説く.まず,「表」は思を体とするが,優れた思の誓願によって仮に建立する という.「無表」は優れた誓願という思の種子によって仮に建立するという.こ れは「仮」を摂受して「実」に従う説明で,戒は発心の誓願によって表れるもの であり,どこにも戒の体と言えるものはない.しかし,戒の体を説いている説も あり,勝莊は『成業論』の例をあげて,それは衆生の理解を手伝うための方便 (随転理門)であると説明する29).すなわち,勝莊は前述の圓測の一乗真実三乗方 便のように,戒の体である仏性(理仏性)については,その自性としての存在性

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は認めていない.しかし,それを顕現するための発心や受戒などの実践行がなけ れば戒の相は永遠に表れて来ないから,方便として種子(有為行)を設定して実 践の重要性を強調したのであると考えられる. このように『勝莊記』は,『華厳経』と『梵網経』を同一視して仏性と修行位 を重視した.しかし,その仏性の顕現という点で勝莊は精神性より発心などの実 践性を重視した.故に『涅槃経』の一切衆生悉有仏性を否定して,「一切」の範 囲を少分の一切にし,さらに五性各別説を以て受戒者の機根を説いた.これにつ いて窺基の影響と見る説もあるが,圓測も『解深密経疏』で五性各別説を用い, 不定種性の発心による大乗への転向を説明し,発心という実践行を重視した.こ れによれば,『勝莊記』が単に窺基の影響で五性各別説を用いたとは見難いので, より多様な角度から再考察する必要があると考えられる. そして,勝莊は 釈の全体に『瑜伽論』を多く引用したが,これは『瑜伽論』 を優位に置いて『梵網経』を包摂するための引用である.唯識学派である勝莊に とって当時新しく流行していた『梵網経』が瑜伽戒と同じであり,さらに新訳の 『瑜伽論』に包摂されるのを明らかにするため,このような 釈を行ったと考え られる.また,彼は 釈に三聚浄戒を用いたが,この戒の体は全て誓願によって 表れるものであり,その相は衆生のための方便であるといい,戒の自性としての 存在性を認めなかった. このように『勝莊記』は,仏性と修行位の説明のために『華厳経』と『梵網 経』を同一視したし,仏性の顕現と受戒という実践性とそれを具体的に説明する ために『瑜伽論』を引用した.しかし,『瑜伽論』の引用は単純な説明のためで はなく,『梵網経』を包摂して『瑜伽論』の教えをより宣揚するためであった. このような実践を重視する点から『勝莊記』の智顗との関係性を論じたり, 『瑜伽論』の引用箇所の類似や同じ新羅出身という点から義寂との関係性を論ず る研究もある.しかし,『勝莊記』は『梵網経』の 釈であるにも関わらず,そ の目的が違う 釈書なので,単に類似した思想や引用だけでその影響関係を判断 してはならないと考えられる. 1)吉津(1991, 583)によれば,『勝莊記』は現存の 釈書としては初めてのB型(下巻の 冒頭からの 釈)である.智顗と義寂のように偈頌からの 釈はA型である. 2)別顕此経所 宗者.心地法門,為所 宗.心地法門,至文当釈.(X38, 392c) 3)心地即是所依,心之所依,名為心地.依主釈,或心即地,名為心地.是持業釈,心即

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地故.(X38, 394b) 4)此中地者,四十心中,所有諸徳,有為無為地体… 所修戒者,調依此地,所修之行. (X38, 394b) 5)初発心者,若依此経及華厳経,十解初心,名初発心.此不退初故言初発心.若尽理 説,十信初心,名初発心.已発無上菩提心故.(X38, 399a) 6)盧舍那者,梁云淨満.方坐蓮華台者,如華厳経説,香水上有蓮華蔵世界,此界有不可 説仏刹,皆是盧舍那常転輪処.(X38, 400b) 7)故瑜伽論三十五云…又華厳経五十八云…又彼五十九云… 此言初発心所誦者,説初為 名.所以者何,十地菩 亦誦戒故.(X38, 399a) 8)原菩 原本,本原言,顕根本所依.謂諸仏菩 ,皆由此戒,得成果故.(X38, 399b). 9)仏性種子者,謂戒為仏性.如是玅戒,与三身仏,作生了因.或為生因,生有為果.或 為了因,得法身果,是名仏性…或可,仏性者,対無為果,種子者,対有為果.此中欲 顕,二果有異,説二種因.(X38, 399b) 10)体即真如,真如即是諸仏菩 本原所依.言仏性者,顕戒之体,理仏性也.言種子者, 此顕戒相,有為行也. 11)今依弥勒及護法等,不依凡夫涅槃師等.此言一切皆有仏性者,此拠少分一切而説.或 就理仏性,而作是説.(X38, 399c) 12)二護法菩 等云,一切有二.一一切一切,二少分一切.経説,一切衆生皆有仏性者, 此就少分一切而説.(X38, 399c) 13)弥勒菩 …建立五種種姓.雖有両釈,今依弥勒及護法等.不依凡夫涅槃師等.此言, 一切皆有仏性者,此拠少分一切而説.(X38, 399c) 14)第四明教所被機.汎論教所被,有其五種…此経,但為菩 及不定性.(X38, 394b) 15)李(2011, 63). 16)崔(1999, 123),南(2006, 49).また,呉(1988, 72)によれば,窺基は護法と玄奘の 教えを継承した人であるから,護法の「一切」に従っている勝莊との深い関係性が考え られる.また,吉津(1991, 585)は「一切」について『涅槃経』に従う者を「凡夫涅槃 師」と貶めているのは,「玄奘仏教を批判した人々への反論の意を含んだ 称」と述べ る. 17)下品境者,一切畜生.若一闡提,不入三境.於闡提人,不施亦不犯.(X38, 412a) 18)謂所成熟補特伽羅,略有四種…四者住無種姓,於住善趣応可成熟補特伽羅.(T30, 496c) 19)橘川(2001, 113–117). 20)吉津(1991, 622). 21)吉津(1991, 586)によれば,『勝莊記』は総三十四戒において『瑜伽論』に言及する. また,崔(1999, 105–108)によれば,『勝莊記』に『瑜伽論』が90回以上引用されてい る.これは元暁が2回,義寂が58回,太賢が69回を引用したことと比べても,その依存 度の相違が分かる. 22)第三正結業道.此即瑜伽所説戒中所摂.(X38, 416c) 23)若自欲楽,一切不応飲.若見飲酒,可有利益,以方便,摂彼有情,出不善処,安置善 処,飲亦無妨.是即瑜伽,為護他故,建立無罪摂.(X38, 416b) 24)復有四因四力,発大菩提之心,具説如彼.発心因縁,如瑜伽論抄会.余之五門,如瑜 伽二十五説.恐繁不述.(X38, 423b) 25)若依大乗,如是八戒,未必從師,亦有自受.故如瑜伽論五十三云,此(中)或有由自 由他而受律儀.或復有一唯自然受.除苾蒭律儀.(X38, 417c) 26)依瑜伽説,上品纏犯他勝処法,捨律儀,不能還淨,必応更受.若依方等陀羅尼説,無

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有犯重即捨者.捨戒功徳,不捨種体.不捨種故,如法懺悔,淨戒還生.或依実義,如瑜 伽説.(X38, 436a) 27)依瑜伽説,発心已前,名性種姓.発心已去,名習種姓…依本業経,習種姓者,位在十 解…雖有両釈,初説為勝.(X38, 436b) 28)故瑜伽云…若依此説,雖未研究甚深法性,而不求利,但以慈悲相応之心,随分随力与 授戒者,皆無違犯.(X38, 437a) 29)問曰,此三聚淨戒,以何為体.解云,此有表無表.此中表者,第三羯磨時現行思為 体.依勝思願,仮建立故.色声定非業自性故.若無表律儀,以勝期願思種為性,謂依思 種仮建立故.上来所説,依於摂仮從実門,説表無表業.離思思種,無別体故.若依法 数,弁戒体者,以法処所摂色為性. 而余処説表色是眼境者. 是相從説,或随転門故. 成業 論云.(X38, 404b) 〈参考文献〉 呉亨根1988「新羅圓測法師の唯識思想研究」『仏教学報』25:65–105. 吉津宜英1991『華厳一乗思想の研究』大東出版社. 崔源植1999『新羅菩 戒思想史研究』民族社. 李萬2011「新羅勝莊の唯識思想」『仏教学報』59:63–84. 橘川智昭2001『円測の五性各別思想』東洋大学博士学位論文. 南武熙2006「圓測系唯識学派の形成と継承」『新羅史学報』7:39–64. 〈キーワード〉 梵網経,梵網経述記,勝莊,瑜伽師地論,機根論 (海印寺僧伽大学教授師,文学博士) 新刊紹介 菅野博史 訳注

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