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平川祐弘著『和魂洋才の系譜』をめぐって 利用統計を見る

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Title 平川祐弘著『和魂洋才の系譜』をめぐって

Author(s) 鵜沼, 裕子

Citation 聖学院大学総合研究所紀要, No.14, 1998.11 : 300-3115

URL http://serve.seigakuin-univ.ac.jp/reps/modules/xoonips/de tail.php?item_id=3430

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SEigakuin Repository for academic archiVE

(2)

平川祐弘著

﹃ 和 魂 洋 才 の 系 譜

﹄ をめぐって

3

00 

鵜 沼 裕

本稿は︑去る二月九日に行われた︑聖学院大学総合研究所主催の﹁グロ l パリゼイションの文脈における総合的日本

研究﹂第二回研究会における発表要旨をまとめたものである︒従って︑ いわゆる書評というよりは︑参加者による共同

討議への発題を意図したものであることを︑予めおことわりしておきたい︒またテキスト﹃和魂洋才の系譜﹄は︑筆者

自身が選んだものではなく︑主催者から課せられたものである︒そのため︑本書のもつ問題意識や方法的視点は筆者自

身のそれとは異なるので︑ できる限り内在的な読みに徹するように心がけたつもりではあるが︑もしも的はずれな指摘

や誤った理解などがあれば︑ご海容いただきたいと思う︒

本書は︑書名から想像されがちなように︑ いわゆる和魂漢才以来の和魂洋才思想の流れを歴史的にあとづけたもので

はなく︑近代日本(明治﹀ の一断面図を比較文化の手法によって描きだした書ともいうべきものである︒森鴎外の場合

が主なケ i ス・スタディとされているが︑﹁あとがき﹂に︑﹁狭義の国文学や比較文学の研究と受け取られることをおそ

れて︑森鴎外の名前は表に出さず︑第一部の﹁和魂洋才の系譜﹂をもって本書の総題とすることとした﹂(本書第三

(3)

(似)﹁二つの﹂は底本では欠落するが︑論旨を明瞭にするためにウェインライト版を基にこれを補った︒

(臼)底本では﹁コリント I 二了目︑ H ﹂となっているが︑内容上これが誤りであることは明らかである︒

ハ侃)底本では﹁お節に﹂となっているが︑内容上これが誤りであることは明らかである︒

(釘)﹁ある人に罪過がふりかかったなら﹂は︑口語訳では﹁ある人が罪過に陥っていることが分かったなら﹂となる︒

(侃)﹁霊﹂は︑口語訳では﹁心﹂となる︒

( ω )

﹁かられはしないかと﹂は︑口語訳では﹁陥ることがありはしないかと﹂となる︒

(刊)底本では一四・ 2 となっているが︑内容上これが誤りであることは明らかである︒

(礼)﹁こんなに大きな手紙を﹂は︑口語訳では﹁こんなに大きな字で﹂となる︒

( η )

﹁この世はわたしに対して十字架につけられ︑わたしもこの世に対して十字架につけられてしまったのである﹂は︑口

語訳では﹁この世は私に対して死に︑私もこの世に対して死んでしまったのである﹂となる︒

(刀﹀﹁イエス・キリストにおいては﹂は︑口語訳では欠落する︒

(日)﹁思寵﹂は︑口語訳では﹁恵み﹂となる︒

(お)この一節は口語訳では欠落する︒

(苅)底本では︑ロ節の注

( 3

)

はこの日節の末尾に付されるが︑ それが内容上不適切であることは明らかである︒

︿ 付

記 ﹀

この翻訳の完成にあたっては︑既に草稿の段階から永岡薫教授︑権谷浩教授︑荒木忠義講師(いずれも聖学院大学) に様々な点で御教示を賜った︒記して感謝の意を表したい︒

ジョン・ロック著『ガラテヤ人への手紙注解』

299 

(4)

版・四二六頁︑以下︑頁数のみ記す﹀とあるように︑単なる鴎外の作品論や人物論ではない︒近代の繋明期に西洋文化

の衝撃のもとで﹁日本人とはなにか﹂というアイデンティティーへの聞いをつきつけられた明治人の心理の解明と︑西

洋人の目線で西洋研究を行うという戦後の学問的雰囲気の中で︑ 日本人研究者としての立脚点を模索していた著者自身

の知的努力の意味への聞いとを﹁無意識裡﹂(以上︑ に重ね合わせつつ︑﹁西欧化するこの国の和魂の行方を探 四二六)

ること﹂(一一)をめ︑ざした書である︒その意味で本書は︑明治日本の比較文化的研究それ自体を最終目的とするとい

うよりは︑そうした考察を通して日本人としての望ましい対外姿勢のあり方を追求するという主体的な関心に裏づけら

れた書であると言えよう︒

かなり大部の書であり︑ しかも個々の問題の吟味検討も詳細を極めているので︑内容を逐一あと寺つけることはせず︑

筆者自身の関心に従っていくつかの点に絞って紹介させていただくこととする︒

なお蛇足であるが︑本研究会はキリスト教信仰の立場に立つものであるが︑﹁超越﹂の問題は(少なくとも本書に関

する限り)著者の関心にはないので︑ いわゆる

H

ないものねだり

μ

の批評とならないよう︑心がけたつもりである︒

方法的態度について

まず本書の方法的視点について触れることから始めたい︒本書ではとくに研究方法についてのまとまった記述はなさ

れていないので︑随所に垣間見えるそれへの言及を拾い集めねばならなかった︒ しかし一般に研究の基本姿勢を飲み込

平川祐弘著『和魂洋才の系譜』をめぐって

3

01 

(5)

んでおくことは︑書物の理解にとっても︑また不毛な議論や見当はずれな批評の迷路に迷い込まないためにも必要と思

わ れ

る ︒

3

02 

第一は︑本書全体に通底する︑ いわゆる

H

学際的アプローチ

H

という手法である︒著者は既往の縦割り的な閉ざされ

た学問世界のあり方を︑密室の鏡の中に映った自分の姿を同志と錯覚する﹁一種のナルシシズム﹂(一七

O )

であると

手厳しく批判しつつその枠を自在に分断する︒それは︑﹁文学作品を単に純文学という視点や一国文学史の枠内だけで

見るのではなく︑政治と交錯する部分や歴史と重なる部分において見るのもまた一つのアプローチであるかと思う﹂ゆ

えである︒更にそうしたアプローチは︑ 日本国内に止まらず︑諸外国の作家や作品との比較考察にも及んでいく︒例え

ば︑鴎外の短編﹃普請中﹄を論じるにあたって︑これを﹁作品それ自体に限定して︑あるいは鴎外全集に限定して︑取

り 扱

う ﹂

のではなく︑﹁鴎外の蔵書の書込みを調査中にたまたま見つけたレンジェルの戯曲﹃臆風﹄を介して﹁普請中﹄

の著者鴎外に近づく﹂(以上︑二四九)という類いである︒こうした手法は︑古今東西の文化に関する豊かな学識を縦

横に駆使しつつ︑詩や彫刻等をも含めた多彩な対象の解明に執劫に迫るという︑著者自身の関心と才能が十全に発揮さ

れる手法でもあると言えよう︒

第二は︑本書は単なる印象批評ではなく︑地道な実証的作業にもとづく研究であるということである︒それも︑それ

ぞれの研究対象を単に出来上がった作品としてスタティックに眺めるのではなく︑それらが﹁なぜ﹂︑﹁どのようにし

て﹂書かれたかという成立過程の実証的な解明を土台とすべきであることが強調されている︒ たとえば︑森鴎外の小品

﹃花子﹄を取り上げるにあたって著者は︑ 日本側の文献には︑この作品の成立過程の解明を通じてそのダイナミックな

(6)

把握を試みたものがほとんどないと指摘し︑そうした操作を経ない論評の多くは︑﹁作品を外から撫でた﹂だけの恋意

プ チ ト ア ナ コ

的な印象批評の域を出ないと批判する︒そして︑高村光太郎の手になる﹁小さい花子﹂を始めとして︑昭和一五年に朝

日新聞に載った︑花子自身によるロダンの思い出話︑ドナルド・キ l ンの﹁花子﹂論など花子についての内外の多くの

﹁興味ある証言﹂を引証しつつ︑それらに示された事実と鴎外の﹃花子﹄ の記述とを丹念に比較することにもとづいて︑

この短編がどのようにして成り︑ かつどのような作品として読まれるべきかを示していく︑という具合である︒

第三は︑こうした実証操作の土台の上に︑心理的考察という方法が併せ用いられていることである︒著者は︑ 日本人

の心の中には︑外来の事物に対する同一の心理的パターンが時代を超えて存在しているという︒ たとえば︑周知のよう

に本居宣長は︑漢籍の尊重を漢意(からごころ)として排斥したが︑著者は︑宣長が批判した他華思想に傾斜する儒者

のイメージには︑﹁後代の日本人西洋研究者のイメージと重なるところがありはしないだろうか﹂と言い︑﹁十八世紀と

二十世紀というこ百年の聞を中に置いてなおこのような並行比較が成立つとすれば︑それは日本人の心中に同一の型の

心性が引続いて存在していることを示すものだろう﹂(以上︑ 四七﹀と述べる︒そしてそうした心性は︑外的状況や本

人の意識の変化にかかわらず︑未変化の心理の型として残存するとしている︒そのような心理的パターンへの認識を導

入して歴史を見るとき︑例えばキリシタン宣教師に対するシナと日本との態度の違いは︑国策の違いとしてよりも︑両

国の外国に対する心理的パターンの違いに由来するものとして解釈されることとなる︒そこからして︑ 日本では新しい

教えを説きに来た人として歓迎されたキリシタン宣教師が︑中国では逆に︑聖人の道を学びに来た人として居住を認め

られたが︑この違いは国策から出たというよりも︑﹁中華的と他華的という中日両国の国民の伝統的心理によって決定

平川祐弘著『和魂洋才の系譜』をめぐって

30

(7)

された外国人の立場の差だったのではないだろうか﹂(四九﹀という︑鮮やかにしてかつ適切な指摘が導きだされるこ

3

0

ととなるのである︒

第四は︑歴史の内在的理解という姿勢である︒著者によれば︑過去はそれぞれの時代の事物に内在する論理そのもの

の発展を追う仕方で理解すべきであり︑今日的な価値観や先験的な原理から一方的に過去を裁断するようなやり方をと

るべきではない︑とされる︒﹁現在の道徳基準に照らして過去の歴史を律するような行き方は︑歴史それ自体の性質を

理解する上には必ずしも有効であるとは思われない﹂(二二八)からである︒これは︑人種問題(黄禍論)との関連で

述べられた言葉であるが︑こうした歴史の内在的理解という立場は︑筆者も思想史研究の立場から基本的に共有する姿

勢であるので︑方法に関してはもっとも共感をもって受け止めた部分のひとつであった︒筆者の思想史研究の立場から

言えば︑ある特定の価値観からする思想の超越的評価は︑思想そのものの本質を明らかにしえない︑ということになる︒

特定の価値観にもとづくシナリオを先行させる類いの歴史記述は︑筆者の専攻する日本キリスト教史研究の分野にも見

られるところであるが(鵜沼裕子﹁日本キリスト教史叙述の一視点﹂聖学院大学編﹁キリスト教と諸学﹂第一一号︑

九 九

六 年

O 月参照)︑そうした研究は記述者自身の自己主張であっても︑歴史自体の解釈や理解とはならない場合が

多 い の で あ る ︒

第五は︑第四の点とも関連するが︑特定の史観の遵奉が斥けられる︑ということである︒著者は︑﹁特定の師説や史

観を自動的に奉じて︑その線に沿った史実だけを拾うという行き方は︑知的誠実に相反することではないだろうか﹂

(一九三)と︑そうした歴史構成の仕方を手厳しく批判している︒著者のような多角的で柔軟性に富む研究姿勢にとっ

(8)

ては︑特定の史観の原理的な適用による歴史解釈は硬直していてなじまないのであろう︒ ただし筆者は︑史観とそれに

もとづく歴史記述の方法というものは︑単に資料を整理するための技術的な枠組みに過ぎぬのではなく︑それぞれの研

究者の主体的な問題意識と抜きさしならぬ仕方で結びついていると考えるので︑ここで批判されているようなやり方も︑

少なくとも研究者の主観においては︑まさに﹁知的誠実﹂そのものなのではないか︑と考える︒

では︑以上のような方法的態度にもとづく考察から浮かび上がってくる﹁明治日本像﹂とはどのようなものであろう

か︒ここでは︑本書全体にとって意味をもっと思われることに絞って︑ いくつかの点に触れてみたい︒

日本人の心理的パターン

方法的視座についての項でも触れたように︑著者は︑ 日本人の心の中には外来の事物に対する同一の心理的パターン

が時代を超えて存在するという︒ ではそれは︑具体的にどのようなものと考えられているのだろうか︒第一は︑﹁周辺

文化の国と中心文化の国﹂との対比というとらえ方である︒著者は︑﹁各時代各集団が︑その当時に西洋で有力な地位

を占めた国あるいは思想とそれぞれ横につながって︑閉鎖的なヨーロッパ像をつくり上げる﹂という︑日本の思想のあ

り方についての丸山真男の指摘(﹃日本の思想﹄岩波書庖﹀を引きつつ︑﹁このような思想状況は日本固有の﹁伝統﹂と

いうよりも︑周辺文化の国々に見られる文化現象の一般的傾向であると思われる﹂としている︒その比較の一例として

著 者

は ︑

イタリアがヨーロッパ文化をリードしていたルネッサンス期から︑逆にイタリアの眼がドイツやフランスの学

平川祐弘著『和魂洋才の系譜』をめぐって

3

0

(9)

fタlン

界に向けられるようになった最近百年の状況をあげる︒そして︑﹁﹁日本人の外来文化受容の心理の型﹂は︑より大き

な﹁周辺文化の国民の外来文化受容の心理﹂の一つの場合と考えることができる﹂(以上︑六九)︑と述べている︒

日 本

3 0 6  

文化のあり方に対するこうした巨視的な理解は︑さまざまな文化への多彩な博識を駆使することのできる著者ならでは

の見方であると思わされた︒

さて文化受容のこのようなあり方に付随するものは︑その時々のいわゆる中心国に対する周辺国の︑ 一種の屈折した

心理である︒すなわち︑文明国(近代日本の場合は欧米﹀に対する劣等感と優越感との交錯︑あるいは併存であり︑前

者は軽薄な西欧一辺倒として︑後者は逆に頑迷な国粋主義としてあらわれる︑という︒例えば︑幕末から明治初期にか

けての日本の対西欧姿勢に見られるように︑ 日本人の対西洋の感情は﹁二重的﹂であり︑﹁一つは文明開化の国への崇

拝であり︑他の一つは東亜侵略の毛唐の国への嫌悪﹂であった︒すなわち両者はいわば相互に裏返しの関係にあり︑こ

うした反応は︑現われ方には時代による差があるものの︑和魂漢才の時代から近代にいたるまで︑日本人の対外姿勢の

アンピウアレス

中に法則的ともいえる仕方で継続して見られる︑と主張されている︒そして︑こうした﹁愛憎併存﹂︑﹁劣等感と優越感

とが交錯する﹂現象も︑ 日本だけのものではなく︑﹁フランス文明を崇敬するとともに蔑視するドイツ知識人︑旧宗主

国の文明を評価せずにいられないにもかわらずナショナリズムを主張する新興国家の指導者︑社会主義体制を誇りなが

らも西欧に憧れる東欧の知識人などにもしばしば見かけられる﹂(以上︑ 八六)というように︑中心国と周辺国とに共

通して見られる現象であるとされている︒

著者の言うように︑ 日本人の屈折した対外姿勢が︑時代と場所を超えて継続する心理的パターンに起因すると言える

(10)

ならば︑その克服はきわめて困難な課題となるであろう︒

和 魂 洋 才 の 行 方 ー ー な ぜ

﹁ 森 鴎 外

﹂ な の か

さて︑著者がケiス・スタディとして森鴎外を取り上げたのは︑単に文学史的︑あるいは比較文化史的興味からでは

なく︑西欧文明に対する鴎外の姿勢に︑著者自身が理想とする対西欧文明姿勢を見いだしたからではないかと思われる︒

すなわち︑﹁森鴎外﹂に対する著者の深い思い入れ︑執念のごとき探求心は︑作品としての価値によるというよりは︑

そこに著者自身の個性や理想と響き合うものを見いだしたからではなかろうか︒そのような意味で︑以下にあげる著者

の鴎外観は︑単に鴎外その人の見識であるだけでなく︑外国文明に対して日本人がとるべき姿勢についての︑著者自身

の主張でもあると言うことができるであろう︒そこで次に︑鴎外自身の見識︑生への姿勢をめぐる著者の見解について

見 て い き た い ︒

第一は︑西洋精神史における﹁物﹂と﹁心﹂の問題への着目である︒近代日本は西洋の﹁物﹂だけを移入し︑﹁心﹂

の方は切り捨てたとは︑ よく言われるところである︒それに対し鴎外は︑﹁単に西洋の﹁物﹂にだけ興味を寄せた人で

はなく︑西洋の﹁心﹂にも深い関心を寄せた人であった﹂(二八)︒ ただし著者によれば鴎外は︑即物的思考型の人とし

て︑物と心の統合などという﹁無証明の説﹂には興味を示さなかった︒

物心の有機的一体の問題により深い理解を示した人として著者が肯定的に言及しているのは︑西国幾多郎と阿部次郎

平川j

祐弘著『和魂洋才の系譜』をめぐって

3

0

(11)

である︒まず西田については︑﹃知識の客観性﹄および﹃日本文化の問題﹄ の中の数節を引用しつつ︑西国は﹁魂と才︑

308 

精神と技術は不可分であるという説﹂をとっていると指摘する︒しかし︑非西洋諸国の具体的な近代化の過程では︑ま

ず技術や制度などの物的側面が移入されるのは﹁ほとんど法則的な現象﹂なので︑﹁自然科学は自然科学の精神を有っ

たもの﹂であるから﹁我々はそれをそれぞれの精神に珍て捉へることによって自己に消化せなければならない﹂という

西田の﹁命令的な発言﹂は︑﹁学生たちにたいする訓戒としては有効であろうが﹂︑現実の技術化や技術導入についての

発言としては﹁観念的な当町民

E

H

F E

E 認になってしまう﹂(六五﹀と︑その現実的な有効性に対しては否定的な見

解を示している︒学問世界における哲学者の原理的な発言は関心の的でない著者としては︑これは当然の見解なのであ

ろ う

これに対し︑﹁﹁和魂洋才﹂の問題についてより心理的な洞察を示した学者﹂として‑評価されているのは阿部次郎であ ︒

る︒著者はまず︑阿部の﹃日本文化と外国文化との交渉﹄(昭和一五年﹀から︑﹁安直な折衷主義﹂に対する﹁警一告﹂と

して次のような一節を引用する︒﹁:::西洋文化の精神を除外して西洋文化の技術のみを吸収することは︑問題が深入

りすればするほど益々不可能であることが明らかになるであらう︒ゆゑにわが国において古くから套語のやうに使用さ

れて来た﹃和魂漢才﹄や﹃和魂洋才﹄などといふ折衷主義は︑異系の文化の接触に根本的な調和を費すことが出来よう

とは思はれない︒﹃漢才﹄は﹃漢魂﹄ に基づき︑﹃洋才﹄は﹃洋魂﹄ に基づいてゐるからである︒異系文化の接触にあっ

ては︑魂と魂との折衝を避けることが出来ない﹂(六五)︒そして︑﹁和魂﹂を生成発展するものとして把握した阿部次

郎の柔軟さが︑彼の主張を排他的・復古的なナショナリズムにに陥らせることから救っていると評価している︒さらに︑

(12)

﹁阿部次郎はこのように修身教科書を暗譜するような愛国主義の偏狭を排しつつ︑他方ではインターナショナリズムや

普遍主義の名による国籍脱出の錯覚を戒めたのである﹂(六七﹀と︑彼の柔軟な姿勢に対して共感に満ちた理解を示し

て い

る ︒

第二は︑鴎外の留学観の問題である︒著者によれば鴎外は︑坪内遁蓬の﹁定見を持しての洋行﹂(九二﹀説に断固反

対し︑外国から虚心に学ぶべきことを主張した︒そして鴎外の真意は︑外国文化の表層的な受容でななく﹁感受性それ

自体の変化の要﹂を説くことにあったのであり︑﹁既得の価値判断の体系に従って西洋の文物を早急に評価することな

く︑外国体験によってその価値判断の体系それ自体に変化が起らなければならない﹂ということにあった︑としている︒

ここにもまた︑著者自身の体験的な留学観が下敷きとなっていることが窺えるであろう︒

第三は︑学問摂取の態度についての鴎外の姿勢である︒著者によれば︑鴎外は留学以来︑外国の学問摂取の問題に大

きな関心を寄せ︑﹁(日本において)学問研究の果実を教える時期は去った︒学問研究そのものをこれからは教えるべき

だ﹂(一二ハ)と主張していた︒

つ ま

り 彼

は ︑

ベルツが東大を去るにあたって︑

H

日本人は従来︑洋学の果実を輸入した が︑西洋における学問的精神は遠くギリシャに源を発したもので一朝一夕に成ったものではない

μ

と語ったのと同じ問

題意識を︑すでにベルツよりも一四年も前に抱いていたことになる︑という︒鴎外は︑外国の単なる﹁才﹂︑知識や技

術の移入よりも︑ 日本における学問的雰囲気醸成の必要︑﹁勉励模倣﹂ではなく﹁勉励創作﹂を深く心にかけていたの

である︑とされている︒

第四に指摘したいのは︑鴎外が著者によって﹁複眼﹂を持つ﹁偉大な知識人﹂と評されていることである︒鴎外は︑

平川祐弘著『和魂洋才の系譜』をめぐって

30

(13)

﹁彼の生きていた時代にあっては日本ではもとより︑世界でも有数の東西両洋の知識の持ち主﹂(一一一六) であり︑複数

の語学に通じ︑複眼的に物事を見ることのできる﹁二本足の学者﹂であった︒﹁二本足の学者﹂という言い方は︑鴎外

310 

自身が田口卯吉の追悼文の中で述べた言葉だそうであるが︑著者は︑この名称は﹁誰にもまして︑鴎外その人にあては

まる呼び名だったのではないだろうか﹂(二二二﹀と述べている︒ここにもまた︑自ら﹁偉大な知識人﹂を目指した著

者自身の理想を見ることができるのではあるまいか︒

第五は︑第四の点ともつながるが︑鴎外が柔軟な精神の持ち主であったことが強調されていることである︒著者は言

う︑﹁森鴎外には世界の中における日本の歴史的位置へのはっきりした認識があったから︑それだけに無用の強がりは

いわず︑自信喪失の自己卑下もしなかったのであった﹂(一五 OV また︑﹁森鴎外が当時の安直な西洋主義者と異なっ

た点は︑彼が西洋を深く知っていたがゆえに︑そして日本についても自覚的に学んだがゆえに︑歴史的相対性へ着目し︑

日本の進歩発展について現実主義的な改良主義の立場をとった点にあるのだろう﹂(一五回﹀と言う︒そして︑鴎外が

﹁西洋一辺倒の近代主義にも︑また反動的な国家主義にもおちいることがなかったのはそのバランス感覚のためである

といえるだろう﹂(二七八)とも言われている︒柔軟なバランスのとれた精神と豊かな知識をもって世界と日本とを鳥

敵することのできた眼が︑強がりか自己卑下のいずれかに陥る硬直した態度を防いだことが強調されている︒そしてこ

こにも︑著者自身がそうした人間像に理想的な近代日本人の姿を見ていたことが窺えるであろう︒

第六は︑鴎外は官人と文学者というこつの顔を持っていたゆえに︑高所からものを見る眼を持つことのできた人であ

ったと言われていることである︒近代日本には在野の立場で政府批判をした人は多いが︑鴎外は︑官途に就くことによ

(14)

って自ら近代日本国家の﹁普請﹂に内部から参画した人であったので︑大所高所からものを見る眼を持っており︑単に

これを外部から批判した知識人とは異なっていた︒ しかも文学者としても優れ︑その意味でインサイダーかアウトサイ

ダ!かを超越したご段と高い視点から事態を観察している赴き﹂(二七五) のある人であった︑と高い評価を与えら

れている︒(このことは︑本書の最終章で取り上げられている鴎外の遺言状の一節︑﹁余ハ石見人森林太郎トシテ死セン

ト欲ス﹂の解釈の問題にもつながると思われるが︑このことについては本論では触れない︒﹀

最後に触れておきたいのは︑乃木大将の殉死以後の鴎外の姿勢を著者がどのように解釈しているかという問題である︒

それは︑鴎外の﹁体内にひそむ日本的伝統﹂と﹁血肉と化した西欧体験﹂(三二二)との関わりという問題でもある︒

著者によれば︑鴎外の体内には︑乃木大将の殉死をきっかけに噴出したような武士の子のエートスが流れていた︒

し同時に彼の中には︑若き日の留学体験によって血肉化された西欧的教養が備わっていた︒従って著者は︑乃木の殉死

以後の鴎外を﹁先祖返り﹂と見る見方︑ たとえば唐木順三の︑﹁両股の学者(鴎外)は︑ 一挙に一方の足に力をこめた︒

一本足になった﹂(三二五)というような説に反対する︒大正期以後の鴎外の姿勢は︑決して一部の評論家が主張する

ような偏狭な国家主義への回帰ではなく︑彼は生涯にわたって﹁二本足の学者﹂であり続けたのである︒そして著者は

こうした鴎外の姿に︑東洋の倫理の上に接ぎ木された真の西洋の精神を見る︒そして︑﹃地下の蘭化が心﹄という短文

に用いられている﹁人爵﹂という言葉に触れたくだりで︑﹁:::東洋の倫理を良しとし︑ しかもその上に学問芸術を尊

び精神の自由を尊ぶ西洋の風がすなおに接木された時︑そこに新しい活力が芽ばえ︑そこに森鴎外の生涯を貫徹したよ

うな強靭な精神が生まれたのではないだろうか﹂(四二一二﹀と述べている︒これが︑偏狭な国粋主義でも軽薄な西洋か

平川祐弘著『和魂洋才の系譜』をめぐって

3

II 

(15)

ぶれでもない︑言葉の真の意味での﹁和魂洋才﹂であるということであろう︒そしてそうした姿勢こそが︑著者自身が

理想とする現代日本人の対外姿勢でもあると言えるのではなかろうか︒

3

12 

感想││思いつくまま

l ー ー

最後に︑全体をとおしての感想を︑断片的ではあるが思いつくままにいくつか記させていただきたい︒

まず実証的操作にもとづく比較文化的研究という方法自体が︑筆者が長年親しんできた思想史研究のそれと基本的に

異なるため︑著者の思考パターンや論述の仕方になじむのに︑率直に言って初めはかなり苦労した︒ しかし︑著者平川

祐弘氏が綿密な実証的作業にもとづいて鴎外の内に読み取られた対西洋姿勢は︑国際化を迫られる現代の日本人が同種

の課題に取り組むにあたっても︑学ぶべき多くの示唆に満ちており︑この面における著者の主張は︑基本的にはすべて

首肯したいと考える︒なお筆者は鴎外研究には門外なので︑このことは鴎外観の当否としてではなく︑ 日本人の対外姿

勢のあるべき姿の問題としてであることを︑念のためつけ加えておきたい︒なおもう一言つけ加えれば︑本稿の発表の

あとのディスカッションの中で︑ 一部の参加者の中から︑鴎外の評価としては少し高すぎるのではないか︑という率直

な感想が出された︒(ちなみにこの会の参加者のほとんどは︑近代日本の専門的研究者ではないので︑印象的な感想で

あろうと思う︒)筆者はこのことについて直接のコメントを試みる資格はないが︑筆者としては︑著者平川氏自身の実

存が︑鴎外の中からそのもっとも良い部分を引き出させたのではないか︑という感想をもったことをつけ加えさせてい

(16)

F‑J‑bミ

‑ p ‑

︑ ︒

中/争/︑dCJ

おわりに︑著者の研究方法に関しては︑共感し教えられたことが多々あった一方で︑ おこがましいことではあるが︑

若干のコメントを試みたい部分もあった︒

まず共感的に受け止めたこととしては︑すでに述べたように︑

H

歴史は現在の政治的情念に従って解釈したり︑特定 のイデオロギーや道徳基準によって裁断すべきではなく︑それ自体に内在する論理を読み取るべきである

H

という著者

の主張である︒これは︑筆者の周囲の日本思想史研究者の間では共有されている姿勢であるが︑ 日本キリスト教史の研

究者には超越批判やイデオロギー批判的な立場に立つ人も少なくないので︑我が意を得たり︑という思いで受け止めさ

せていただいた︒ また︑倦越な言い方ではあるが︑豊富な実証的資料の縦横な扱い︑とくに人間の心のひだの解読など

には︑著者の独自の才が存分に発揮されていると思った︒

次に︑筆者は日本キリスト教史を専攻するものとして︑ キリスト者に関してどのように言及されているかが気にかか

り意識して読んだが︑﹁ニコライ主教と内村鑑三﹂(一二二 i 二二六)や︑内村と正宗白鳥の関係についてなどわずかに

触れられているのみであった︒もともと宗教的超越の問題は本書の視野にはないので︑そのわずかなキリスト者への言

及の仕方について云々するのは本質的でない部分をつつくことになるが︑例えば︑鴎外の白禍論と内村や新渡戸稲造の

人種平等論を比較したくだりの︑鴎外は︑内村や新渡戸のように﹁キリスト教に依拠して人種平等を説きはしなかっ

た﹂(傍点筆者)という表現などは︑少し気にかかるところであった︒ キリスト教信 キリスト者でない鴎外と違って︑

仰がその実存に深く根ざしていた彼らの場合︑ キリスト教は単に時事評論の武器として用いられたわけではないと考え

平川結弘著『和魂洋才の系譜』をめぐって

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(17)

る か

ら で

あ る

もう一点批判がましいことをつけ加えさせていただくと︑文学の読解は︑実証的な調査・分析を抜きにしては行なわ

3

1

れ難いのではないかという指摘についてである︒例えば﹁森鴎外の

﹃ 花

子 ﹄

の章で︑あまりにも丹念な実証的分析は

芸術作品を味気ないものにしてしまうのではないかという批判を意識して︑﹁:::(こうした分析や調査は)裁判にた

とえると証拠調べの操作に相当するのだろう︒そして文学史上の正しい裁定はこのような操作を抜きにしては行なわれ

がたいのではあるまいか︒この種の分析は怒意的な文芸評論の濫用をチェックしてくれる﹂と述べられている︒この著

者の主張はそれ自体は尤もであると考えるが︑︑実証的分析なしには作品の正しい裁定は行なわれ難い︑という主張は︑

いささか断定的に過ぎるのではないかと感じた︒特に芸術的作品などの場合には︑﹁怒意的な文芸評論﹂に陥ることへ

のあまりにも禁欲的な姿勢が︑逆に︑研究者の個性による自由な読解を妨げる面もなしとしないのではあるまいか︒

我々は︑﹁イデーを見る眼﹂(谷川徹三による和辻哲郎の文化史評)という︑対象の意味への直観的洞察力とそうした才

によるアプローチの意義をも認めるべきではなかろうか︒尤もそれは︑きわめてすぐれた個性にのみ可能なことではあ

ろ う

が ︒

まことに断片的な感想で稿を終わることになったが︑最初におことわりしたように︑もともと研究会のための発題で

あるのでご海容いただきたいと思う︒

最後に︑私事にわたることを一言書かせていただきたい︒

(18)

私自身は平川祐弘氏にお会いしたことはないが︑私の実家の母が生前語っていたところによると︑母は平川氏の母堂

と若い頃から親しいおつき合いをさせていただいていた︒平川氏の母堂もすでに故人となられたが︑二人の母は︑その

息子と娘の間にこのようなかたちの接点が生じたことを︑天上で微笑ましく語り合っているのではなかろうか︑などと

想像してみた︒(私の母は︑大先生の著書に対して倦越なことを書く娘の厚かましきに︑恐らく赤面していることであ

ろう︒)本稿をしたためながら︑そのような感慨に耽ったことをつけ加えさせていただきたい︒

平川祐弘著『和魂洋才の系譜』をめぐって

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