ベトナム客家の移住とアイデンティティ : ンガイ 人に関する覚書
著者 河合 洋尚, 呉 雲霞
雑誌名 客家與多元文化
巻 9
ページ 26‑51
発行年 2014‑08‑01
URL http://hdl.handle.net/10502/5598
ベ トナ ム 客 家 の 移 住 と ア イ デ ン テ ィ テ ィ
ン ガ イ 人 に 関 す る覚 書
河 合 洋 尚 呉 雲 霞
摘 要:根 据 来 源 及 語 言 文 化 的 差 昇,越 南 的 客 家 人 在 政 治 上 被 区 分 力 隼 族(the Hoa)和 文 族(the Ngai)。 迄 今 力 止,有 美 越 南 客 家 的 研 究 成 果 有 限,尤 其 鋏 乏 国 窺 越 南 哉 争 后 越 南 客 家 的 民 族 志 研 究 。越 南 哉 争 錆 束 后,越 南 客 家 人 寓 散 到 世 界 各 地 。本 文 通 違 江 集 対 南 越 隼 人 、 北 越 隼 人 、越 南 リ ヨ併 的 坊 淡 資 料,多 角 度 描 述 属 干 文 族 的 客 家 人,分 析 遠 一 客 家 族 群 的 跨 境 流 劫 与 族 群 意 枳 。
キ ー ワ ー ド:ン ガ イ 人 客 家 デ ィ ア ス ポ ラ ベ トナ ム
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「 客家与 多元文化」 国際学術研討会
1.は じ め に
2013年3月 、 筆 者(河 合)は 、 中 国 広 州 市 で 開 催 さ れ た 国 際 シ ン ポ ジ ウ ム に 参 加 し た 後 、 同 シ ン ポ ジ ウ ム に 参 席 し て い た 末 成 道 男 、 大 西 和 彦 、 チ ュ ・ス ワ ン ・ザ オ の 各 氏 と 、 客 家 の 故 郷 と し て 知 ら れ る 梅 州 市 に 赴 い た 。 梅 州 市 で は ま ず 嘉 応 大 学 客 家 研 究 所 を 訪 問 し た が 、 そ の 時 、 房 学 嘉 所 長 は 三 氏 が ベ トナ ム 調 査 に 従 事 し て い る こ と を 知 り 、 ベ トナ ム の 客 家 の 概 況 に つ い て 尋 ね て き た 。 近 年 、 東 南 ア ジ ア 諸 国 の 客 家 を め ぐ る 研 究 は 増 加 し て い る が 、 そ の 大 多 数 は シ ン ガ ポ ー ル 、 マ レ ー シ ア 、 イ ン ドネ シ ア で あ り 、 客 家 研 究 者 の 間 で は ベ トナ ム の 客 家 に っ い て ほ と ん ど 研 究 が な さ れ て い な い(1)。 そ れ ゆ え 、 当 時 は ベ トナ ム の 客 家 に つ い て 知 る 情 報 が 少 な か っ た の で あ る が 、 こ の 時 、 末 成 氏 か ら ベ トナ ム で 客 家 が 一 つ の 少 数 民 族 に な っ て い る こ と を 即 座 に 指 摘 し て い た だ い た 。 こ の 少 数 民 族 は 、 ン ガ イ 族(以 下 、 「ン ガ イ 人 」 と 表 記 す る)と 呼 ば れ る(2)。
周 知 の 通 り 、 客 家 は 世 界 中 に 分 布 す る エ ス ニ ッ ク 集 団 で は あ る が 、 移 住 先 で 一 つ の 少 数 民 族 と し て 認 定 され て い る 事 例 は 珍 し い 。 ま た 、 ベ トナ ム で は 華 僑 ・華 人 に 相 当 す る ホ ア 族 と い う民 族 が い る が 、 ホ ア 族 の 一 部 に も 客 家 は い る(以 下 ホ ア 族 籍 の 客 家 を 「ホ ア 客 家 」 と 表 記 す る)。 で は 、 な ぜ ベ トナ ム で は 客 家 が 異 な る 民 族 に 分 か れ て い る の だ ろ う か 。 な ぜ ン
(1)河 合 洋 尚 「 東 南 ア ジ ア に お け る 客 家 研 究 の 新 傾 向 」『国 立 民 族 学 博 物 館 研 究 報 告 』38‑1、31頁 、2013年 。
(2)ベ トナ ム 研 究 で は ガ イ 族 と 表 現 され る こ と が 多 い 。 た だ し 、 中 国 研 究 で は 、客 家 語 で 「私 」を 指 すNgaiを 「ン ガ イ 」と 呼 ぶ こ と が 多 い の で 、 本 稿 で は ン ガ イ 族 と表 記 す る 。
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ガ イ 人 は 独 立 し た 少 数 民 族 と し て 認 定 さ れ た の だ ろ う か 。 そ も そ も ン ガ イ 人 と ホ ア 客 家 と は ど の よ う に 異 な る の だ ろ う か 。 こ う し た 関 心 に 基 づ き 、 河 合 は 、 ベ トナ ム 研 究 を 専 門 と す る 呉 と と も に 共 同 研 究 を 開 始 し た 。
ま ず 我 々 が 取 り組 ん だ の は 、 ン ガ イ 人 に 関 連 す る 文 献 の 整 理 で あ る 。 我 々 は 、 各 自 の 語 学 能 力 を 生 か し 、 日本 語 、 中 国 語 、 ベ トナ ム 語 、 英 語 、 フ ラ ン ス 語 の 文 献 を 探 し 、 そ れ を 解 題 す る こ と か ら 始 め た 。 そ の 結 果 分 か っ た の は 、 ン ガ イ 人 を め ぐ る 記 録 や 研 究 は 世 界 的 に み て も 限 ら れ て い る と い う こ と で あ る 。 管 見 の 限 り 、 ン ガ イ 人 を 主 題 と し た 書 籍 は 存 在 し て お ら ず 、 関 連 す る 論 文 も 数 え る ほ ど し か 見 当 た ら な い 。 も ち ろ ん ン ガ イ 人 に つ い て 断 片 的 に 触 れ て い る 文 献 は 存 在 す る が 、 そ の 大 多 数 は 、 概 況 説 明 、 歴 史 的 記 録 、 民 族 形 成 史 に 関 す る も の で あ り 、 と り わ け フ ィ ー ル ド ワ ー ク に 基 づ く 現 代 の ン ガ イ 人 に 関 す る 民 族 誌 的 記 述 に 乏 し い 。 し た が っ て 、 現 在 、 ン ガ イ 人 が ど こ に 住 み 、 ど の よ う な 生 活 を 送 っ て い る の か に っ い て す ら 、 文 献 か ら 知 る こ と は 難 し い 。
こ う し た 状 況 を 鑑 み て 、 我 々 は 、 ベ トナ ム 南 部 の ホ ー チ ミ ン 、 ビ エ ン ホ ア 、 北 部 の ハ ノ イ 、 ハ イ フ ォ ン 、 お よ び 中 国 の 華 僑 農 場 に 出 掛 け 、 数 度 に わ た る フ ィ ー ル ド ワ ー ク を 実 施 し た 。 我 々 の 調 査 は ま だ 途 中 段 階 で あ る が 、 そ れ で も ベ トナ ム 客 家 の 基 本 的 な 情 報 を 入 手 す る こ と が で き た 。 特 に ン ガ イ 人 に つ い て は 、 ベ トナ ム や 中 国 で ン ガ イ 人 に 直 接 会 っ た り 、 ン ガ イ 人 と 接 触 が あ っ た ベ トナ ム 華 人 か ら 昔 日 の 様 子 を 聞 い た り な ど し て 、 第 一 次 資 料 を 入 手 し た 。 後 述 す る よ う に 、 ン ガ イ 人 は 現 在 ベ トナ ム に ほ と ん ど お ら ず 世 界 各 地 に 移 住 し て い る た め 、 口 述 資 料 を 得 る こ と が 困 難 で あ る 。 本 稿 で は 、 ン ガ
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イ 人 に ま つ わ る移 住 、 ア イ デ ン テ ィ テ ィ 及 び そ れ と関 係 す る 生 活 実 践 を 覚 書 と し て 紹 介 す る こ と で 、 今 後 の ン ガ イ 人 研 究
の た め の 基 礎 資 料 を 提 示 す る こ とに し た い 。
2.ン ガ イ 人 の 移 住 と民 族 形 成
ベ トナ ム は 中 国 西 南 部 に 隣 接 し て お り 、 歴 史 的 に 中 国 の 影 響 を 強 く 受 け て き た 国 で あ る 。 ベ トナ ム へ の 華 僑 ・華 人 の 移 住 は 相 当 古 く に ま で 遡 る と 考 え ら れ 、特 に16世 紀 に な る と ベ トナ ム 中 ・南 部 へ の 移 民 が 増 加 し た(3)。 現 在 、 ベ トナ ム で は マ ジ ョ リ テ ィ で あ る キ ン 族 の ほ か 、53の 少 数 民 族 が 認 定 さ れ て い る が 、 そ の う ち ン ガ イ 、 ホ ア 、 サ ン ジ ウ の 三 つ の 民 族 が 漢 族 に 分 類 さ れ て い る 。 冒 頭 で 述 べ た よ う に 、 客 家 と 関 わ り が あ る の は 、 ン ガ イ 人 と ホ ア 族 で あ り 、 ン ガ イ 人 の 主 要 構 成 員 は 客 家 で あ る 。 他 方 で 、 ホ ア 族 に は さ ま ざ ま な 出 身 の 漢 族 が 含 ま れ て い る が 、 「 五 幕 」 と 呼 ば れ る 五 大 派 閥 の 一 つ は 客 家 と な っ て い る(4)。 た だ し 、 ン ガ イ 人 と ホ ア 客 家 は 、 同 じ 客 家 と い っ て も 、 ル ー ツ 、 言 語 、 文 化 な ど に 違 い が 見 ら れ る 。 で は 、 ン ガ イ 人 の ル ー ツ は 中 国 の ど こ な の で あ ろ う か 。 ま た 、 な ぜ ン ガ イ 人 だ け が 独 立 し た 少 数 民 族 に 認 定 さ れ て い る の で あ ろ う か 。 こ れ ら の 問 題 に つ い て は す で に 研 究 が あ る 。
(3)末 成 道 男 編 『ベ トナ ム 文 化 人 類 学 解 題 日本 か ら の 視 点 』、東 京 外 国 語 大 学 ア ジ ア ・ア フ リカ 文 化 研 究 所 、2008年 。
(4)ベ トナ ム 北 部 の サ ン ジ ウ 族 農 村 で 調 査 を し た ベ トナ ム 社 会 科 学 院 の ト ラ ン ・ア ン ・ダ オ 氏 に よ る と 、 サ ン ジ ウ 族 は 広 東 語 を 話 す が ヤ オ 族 で あ る。 た だ し、 同 機 構 の チ ュ ・ス ワ ン ・ザ オ 氏 は 、 サ ン ジ ウ族 の な か に 「ン ガ イ 」 を 自 称 す る 者 が い る と言 い 、 サ ン ジ ウ 族 に も 客 家 か そ れ に 近 い 集 団 が 含 ま れ て い る 可 能 性 も 捨 て き れ な い 。 サ ン ジ ウ族 と 客 家 の 関 係 に つ い て の 調 査 は 、 今 後 の 課 題 と し た い 。
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中国 雲南省
ラオ力イ カオバ ン省 ランソン省
八 ノイ・
広西チワン族 自治区 東輿 モンカイ
欽州 防城港
八 イ フ ォ ンクア ン ニ ン省
ラオス
フエ\
カンボジア
ホ イアン 、
ベ トナム プノンペン
ビエンホ ア
ホ一チ ミンドンナイ省
地 図1 ベ トナ ム 地 図
ま ず 、 古 田 元 夫 と 範 宏 貴 に よ れ ば 、 ン ガ イ 人 は 、 広 西 チ ワ ン 族 自 治 区(以 下 、 広 西 省 と 表 記 す る)か ら 移 住 し て き た と い う。 彼 ら は 、 主 に 防 城(現 在 の 広 西 省 防 城 港 市)か ら ベ ト ナ ム 東 北 部 に 移 住 し 、 ク ア ン ニ ン 省 、 ラ ン ソ ン 省 な ど に 定 住
し た(5)。 ン ガ イ 人 が い つ 頃 か ら ベ トナ ム 東 北 部 に 移 住 し て い た か に っ い て は 定 か で は な い 。 し か し 、 フ ラ ン ス の 軍 医 で あ
(5)古 田 元 夫 『ベ トナ ム 人 共 産 主 義 者 の 民 族 政 策 史 革 命 の 中 の エ ス ニ シ テ ィ 』 大 月 書 店 、1991年 、428頁 。 範 宏 貴 『越 南 民 族 与 民 族 問 題 』 広 西 民 族 出 版 社 、1999年 、219‑220頁 。
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っ た バ イ ラ ン に よ る と 、19世 紀 の 最 初 の20、30年 代 に は モ ン カ イ に は ン ガ イ 人 が 移 住 し て い た と い う。 ン ガ イ 人 は 、 フ ラ ン ス 統 治 時 代(1887〜1954年)以 前 に は 、 ベ トナ ム に 居 住 し て い た と 考 え ら れ る(6)。
広 西 省 か ら移 住 し て き た ン ガ イ 人 は 、 主 に 農 耕 に 従 事 し て き た が 、 な か に は 水 上 生 活 者 と し て 漁 業 に 携 わ っ て い き た 者 も い た(7)。 彼 ら は 、 フ ラ ン ス 統 治 前 か ら ベ トナ ム に 移 住 し て き た た め 、 周 囲 の 少 数 民 族 で あ る ヌ ン 族 や キ ン 族 と 変 わ ら な い 生 活 を 送 っ て お り 、 こ れ ら の 民 族 と の 混 血 も 進 ん で い た と さ れ る(8)。 さ ら に 、1939年 刊 行 の 『佛 領 印 度 支 那 に 於 け る 華 僑 』 で は 、 南 部 に は 客 家 が い る と 記 述 し て い る の に 対 し 、 北 部 の 華 僑 は 広 東 人 、 湖 北 人 、 雲 南 人 が 主 流 で あ る と 書 か れ て い る(9)。日本 の 調 査 員 は 、ン ガ イ 人 を 華 僑 や 客 家 と み な さ ず 、 他 の 民 族 で あ る と認 識 し て い た 可 能 性 が あ る 。
古 田 に よ る と 、 第 一 次 イ ン ドシ ナ 戦 争 時(1946〜54年)の 問 、 ン ガ イ 人 の 人 口 は 約10万 人 で あ っ た 。 古 田 は 、そ の ン ガ イ 人 が ど の よ う に し て 一 つ の 少 数 民 族=ン ガ イ 族 と し て 認 識 さ れ る よ う に な っ た の か 、 民 族 形 成 の プ ロ セ ス に つ い て 論 じ て い る 。 ま ず 、1948年 に 中 国 共 産 党 が 介 入 す る と 、 ン ガ イ 族 は ヌ ン 族 で は な く 華 僑 と し て 扱 わ れ る よ う に な っ た 。そ し て 、 1973年 に ベ トナ ム 政 府 は 、 ン ガ イ 人 を 「 華 民 族 」 に 分 類 し 、 兄 弟 国 で あ る 中 国 と の 「 友 好 の 絆 」と し て の 役 割 を 期 待 し た 。
(6) Vaillant, L. "L'Etude anthropologique des Chinois Hak-ka de la province de Moncay (Tonkin)," L' Anthropologie. 30: 83-109.
(7) Dang, N. V. , Chu T. S., and Luu H. Ethnic Minorities in Vietnam.
Vietnam:The Gioi Publishers,2000,236‑237.範 宏 貴 『越 南 民 族 与 民 族 問 題 』 広 西 民 族 出 版 社 、1999年 、220頁 。
(8) Vaillant , L. "L'Etude anthropologique des Chinois Hak-ka de la province de Moncay (Tonkin)," L' Anthropologie.
(9)満 鉄 東 亜 経 済 調 査 局 『佛 領 印 度 支 那 に 於 け る 華 僑 』 開 明 堂 、1939年 。
31と こ ろ が 、1975年 に ベ トナ ム が 統 一 さ れ る と 、 中 国 へ の 不 満 と 脅 威 を 感 じ た ベ トナ ム 政 府 が そ れ ま で の 政 策 を 一 転 さ せ 、 華 僑 に ベ トナ ム 国 籍 の 取 得 を 求 め た 。1970年 代 後 半 に は ベ ト ナ ム ー 中 国 間 の 関 係 悪 化 に 伴 い 、 ン ガ イ 人 を 含 む 多 く の 華 僑 ・華 人 が ベ トナ ム を 離 れ て い っ た 。 こ う し た 事 態 に 対 処 す る た め 、 ベ トナ ム 政 府 は ン ガ イ 人 を 独 自 の 少 数 民 族 と し て 認 定 し た が 、 す で に 大 多 数 の ン ガ イ 人 は 中 国 、 ア メ リ カ 、 カ ナ ダ 、 オ ー ス トラ リ ア な ど に 流 出 し て い た(1°)。2012年 に 刊 行 さ れ た ベ トナ ム 民 族 の 概 説 書 に よ る と 、 ン ガ イ 人 の 人 口 は 1035名 で あ る(11)。
ン ガ イ 人 の 少 数 民 族 認 定 が 比 較 的 遅 く 、 ま た 国 内 人 口 が 少 な い た め か 、 我 々 が 調 査 し た 限 り に お い て 、 彼 ら は 「ン ガ イ 族 」 と の 認 識 が 乏 し い 。 高 齢 者 の な か に は 、 ン ガ イ 人 と は 自 称 す る が 、 「ン ガ イ 族 」 と い う 言 葉 を 聞 い た こ と が な い 人 々 す
ら い た 。 他 方 で 、 ン ガ イ 人 の ル ー ツ と移 住 に 関 し て は 、 先 行 研 究 で 指 摘 さ れ て い る 内 容 と 、 ほ ぼ 同 じ 話 を 現 地 で 聞 く こ と が で き た 。 す な わ ち 、 ベ トナ ム や 中 国 で ン ガ イ 人 か ら 聞 い た 話 に よ る と 、 彼 ら の 祖 先 の 大 多 数 は 、 現 在 の 広 西 省 防 城 港 と そ の 附 近 か ら 移 住 し て い る 。 彼 ら の 祖 先 の な か に は 、 防 城 港 に あ る 那 良 鎮(写 真1)か ら の 移 住 者 が 最 も 多 い が 、 同 じ 広 西 省 の 東 興 、 北 海 、 欽 州 お よ び 広 東 省 の 廉 江 か ら 陸 路 で ベ ト ナ ム 東 北 部 に 移 住 し た 者 も い た 。 ま た 、1954年 ま で ン ガ イ 人 の 本 拠 地 は 、 ク ア ン ニ ン 省 な ど の ベ トナ ム 東 北 部 で あ り 、 し
(10)古 田 元 夫 『ベ トナ ム 人 共 産 主 義 者 の 民 族 政 策 史 一 革 命 の 中 の エ ス ニ シ テ ィ 』 大 月 書 店 、1991年 、429‑435頁;『 ベ トナ ム の 世 界 史 一 中 華 世 界 か ら 東 南 ア ジ ア 世 界 へ 』 東 京 大 学 出 版 会 、1995年 、187‑188頁 。 (11) QThe Great Family of Ethnic Groups in Vietnam Viet Nam A Radical Approach』 、2012年 、94‑95頁 に よ る 。
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か も 相 当 数 の ン ガ イ 人 が こ の 地 に い た こ と は 、 現 在 で も ハ イ フ ォ ン 在 住 の 華 人 か ら 聞 く こ と が で き る 。
写 真1 ン ガ イ 人 の 「故 郷 」 の 一 つ で あ る 那 良 鎮
た だ し 、 現 在 の ベ トナ ム 東 北 部 に は ン ガ イ 人 は ほ と ん ど い な い 。 我 々 が 聞 い た オ ー ラ ル ・ ヒ ス ト リ ー に よ る と 、 ン ガ イ 人 は 、1949年 に ベ トナ ム が 独 立 し て か ら 、 主 に 二 度 の 波 を 通
し て ベ トナ ム 北 部 か ら 離 れ て い る 。
そ の 第 一 の 波 は1954年 で あ る 。 こ の 年 、デ ィ エ ン ビ エ ン フ ー の 戦 い に よ り フ ラ ン ス 軍 は ベ トナ ム か ら 完 全 に 撤 退 す る こ と に な っ た が 、 同 時 に 北 緯17度 線 で 南 北 が 分 裂 し た 。 そ れ に よ り 、 北 部 の 華 人 が 南 部 に 大 量 移 住 し 、 そ の な か に ン ガ イ 人 が 含 ま れ て い た 。 現 地 の 華 人 は 、 こ の 移 住 を 「 南 徹 」 と 中 国 語 で 表 現 し て い る 。
第 二 回 目 の 波 は1978年 か ら79年 で あ る 。 こ の 時 期 、 ベ ト ナ ム で は 華 人 排 斥 運 動 が 強 ま り 、 ベ トナ ム 全 土 の 華 人 が 、 故 郷 で あ る 中 国 に 戻 っ た り 、 ア メ リ カ 、 カ ナ ダ 、 オ ー ス ト ラ リ
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ア な ど の 第 三 国 に 移 住 し た り し た 。 そ れ に よ り 、 特 に 北 部 に 居 住 し て い た ン ガ イ 人 の ほ と ん ど は 、 ベ トナ ム を 離 れ て い っ た 。 我 々 が 東 北 部 の 中 心 都 市 で あ る ハ イ フ ォ ン で 華 人(広 府 人)に 話 を 伺 っ た 時 も 、 「ン ガ イ 人 は も う こ の 付 近 に は い な い よ 」「い ま ン ガ イ 人 は 中 国 と の 国 境 ラ イ ン に あ る モ ン カ イ と ラ オ カ イ に 少 数 い る だ け だ 」 な ど の 答 え が 返 っ て く る ば か りで あ っ た 。
我 々 が 現 在 把 握 し て い る 限 り に お い て 、 一 部 の ン ガ イ 人 は ホ ー チ ミ ン や ビ エ ン ホ ア な ど ベ トナ ム 南 部 に 居 住 し て い る 。 ま た 、 海 外 に 移 住 し た 多 数 の ン ガ イ 人 は 、 北 米 や ヨ ー ロ ッ パ な ど さ ま ざ ま な 国 に 住 ん で い る が 、 中 国 の 華 僑 農 場 に も 少 な か ら ず 移 住 し て い る 。 以 下 、 ン ガ イ 人 の 移 住 、 ア イ デ ン テ ィ テ ィ 、 お よ び そ れ と 関 連 す る 生 活 実 践 に つ い て 、 ベ トナ ム 南 部 、 ベ トナ ム 北 部 、 お よ び 中 国 広 東 省 の 花 都 華 僑 農 場 の 事 例 か ら 報 告 し て い く こ と に す る 。
3.ベ トナ ム 南 部 の ン ガ イ 人
ベ トナ ム 南 部 に 華 僑 が 入 植 し 始 め た の は16、17世 紀 で あ る と 考 え ら れ て い る(12)。特 に フ ラ ン ス 統 治 時 代 に は 、 サ イ ゴ ン (今 の ホ ー チ ミ ン)に 多 く の 華 僑 ・華 人 が 住 み 、 貿 易 や 商 売 な ど に 従 事 し て い た 。彼 ら は 出 身 ご と に 集 団 を つ く り 、広 府 人 、 福 建 人 、海 南 人 、潮 州 人 、客 家 か ら な る 「五 幕 」 を 形 成 し た 。 現 在 で も ホ ー チ ミ ン の 第 五 郡 に は 出 身 地 ご と の 会 館 が あ り 、 各 会 館 に は 神 々 が 祀 ら れ て い る 。
(12)芹 澤 知 広 「華 僑 華 人 南 部 」 末 成 道 男 編 『ベ トナ ム 文 化 人 類 学 文 献 解 題 一 日本 か ら の視 点 』東 京 外 国 語 大 学 ア ジ ア ・ア フ リカ 文 化 研 究 所 、 2008年 、130‑131頁 。
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ベ トナ ム 南 部 の 客 家 の 大 多 数 は 、 広 東 省 か ら海 路 で 移 住 し て き て お り 、 現 在 は ホ ア 族 に 属 す る 。 彼 ら が 中 国 か ら 移 住 し た 具 体 的 な 時 代 は 定 か で な い が 、19世 紀 に は 採 石 労 働 者 と し て 広 東 省 か ら ビ エ ン ホ ア に 移 住 し た と い わ れ る(13)。実 際 、 ビ エ ン ホ ア に あ る 石 山 古 廟 に は 、魯 班 神 だ け で な く 、 「 旅 越 ・邊 和 客 蒲 衆 先 僑 総 牌 位 」 と 書 か れ た 赤 い 位 牌 も あ る 。 彼 ら の 多 く は 、 広 東 省 東 部 の 大 哺 、 興 寧 、 梅 県 、 紫 金 、 お よ び 現 地 で
「恵 東 宝 」 と 称 さ れ る 恵 州 、 東 莞 、 宝 安 の 出 身 者 で あ る 。1949 年 の 統 計 で は 、サ イ ゴ ン の チ ョ ロ ン 地 区 に い た40万 人 の 華 僑
の う ち 、10.6%が 客 家 で あ っ た と い う(14)。
広 東 省 か ら ベ トナ ム に 移 っ た 客 家 は 、 ま ず 潮 州 系 の 義 安 会 館 に 属 し 、1918年 に は 金 邊 六 省 幕 会 所 と し て 独 立 し た(15)。
そ し て 、1955年 に は ベ トナ ム 崇 正 会 と名 乗 り、 現 在 、 ベ トナ ム 最 大 の 客 家 団 体 と な っ て い る 。 た だ し 、 ベ トナ ム 崇 正 会 の 成 員 は 、 大 多 数 が ン ガ イ 人 で は な く ホ ア 客 家 で あ る 。 我 々 が 調 査 し た と こ ろ に よ る と 、崇 正 会 に 属 す る70歳 以 上 の ホ ア 客 家 は ほ ぼ 全 員 が 幼 少 期 か ら 客 家 と し て の 自 己 認 識 を も っ て い た と 答 え て お り 、 客 家 ア イ デ ン テ ィ テ ィ が 相 対 的 に 強 い 。 も っ と も ホ ア 客 家 の な か に も3〜5世 代 経 っ て お り 、特 に 青 少 年 層 の な か に は 客 家 語 を 解 さ ず 、 広 東 語 や ベ トナ ム 語 で 生 活 を 送 っ て い る ケ ー ス も 珍 し く な い 。 こ う し た 状 況 の も と 、 ベ ト ナ ム 崇 正 会 の 幹 部 は 、客 家 語 や 客 家 文 化 の 継 承 に 熱 心 で あ り 、 2001年 か ら 客 家 語 の 授 業 を 無 償 で 客 家 の 子 弟 に 開 く な ど の
(13)呉 静 宜 『越 南 華 人 遷 移 史 与 客 家 話 的 使 用 一 以 胡 志 明 市 為 例 』 国 立 中 央 大 学 客 家 語 文 研 究 所 修 士 論 文 、2011年 、122頁 。
(14)華 僑 志 編 纂 委 員 会 編 『華 僑 志 越 南 』 出 版 地 不 明 、1958年 、51頁 。 (15)呉 静 宜 『越 南 華 人 遷 移 史 与 客 家 話 的 使 用 一 以 胡 志 明 市 為 例 』 国 立 中 央 大 学 客 家 語 文 研 究 所 修 士 論 文 、2011年 、115頁 。
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活 動 を 展 開 し て い る 。 他 方 で 、 彼 ら は 、1999年 以 降 、 客 家 文 化 を 高 揚 す る 目 的 で 、 観 音 像 、 四 面 佛 、 客 家 公 祠(客 家 の 祖 先 を 祀 る お 堂)な ど を 配 置 し た 「客 家 聖 地 」 を 建 設 す る 動 き を み せ て い る 。
し か し な が ら 、 ン ガ イ 人 が こ う し た 動 き に 参 与 す る こ と は ほ と ん ど な い 。1954年 の 「南 徹 」 以 来 、 ベ トナ ム 東 北 部 を 拠 点 と し て い た ン ガ イ 人 は 、 ハ イ フ ォ ン を 経 由 し て 海 路 で ベ ト ナ ム 南 部 に 移 住 し た 。 た と え ば 、 ン ガ イ 人 は 、 ホ ー チ ミ ン の 第 六 郡 に 自 由 村 を 形 成 し た だ け で な く 、 ド ン ナ イ 省 の ビ エ ン ホ ア 、 ロ ン カ ン 、 デ ィ ン ク ア ン な ど に 定 住 し た(16)。 そ う し た な か 、 ベ トナ ム 南 部 の 多 数 派 を 占 め る ホ ア 客 家 が ン ガ イ 人 と 接 触 す る 機 会 も 次 第 に 増 し て い っ た が 、 ホ ア 客 家 は ン ガ イ 人
が 「 正 統 な 客 家 」 で は な く 、 異 な る 集 団 で あ る と み な す よ う に な っ た 。 す な わ ち 、 ホ ア 客 家 は 、 一 方 で は ン ガ イ 人 が 客 家 の 系 統 に 属 す る こ と は 認 め つ つ も 、他 方 で 、「ン ガ イ 人 は ヌ ン 族 と 一 緒 に 暮 ら す う ち に 客 家 の 文 化 を 忘 れ た 」「ン ガ イ 人 は 農 耕 を 主 と し て き た た め 商 売 を 主 と す る 私 た ち と は 生 活 習 慣 が 異 な る 」「ン ガ イ 語 は 確 か に 客 家 語 に 近 い 言 葉 を 話 す が 詑 り が 強 い 」 な ど 、 自 ら と ン ガ イ 人 を 差 異 化 す る 発 言 を 常 に 口 に し て い る の で あ る 。
ま た 、 ン ガ イ 人 自 身 も 、 自 ら が 客 家 で あ る と す る 自 己 認 識 を 強 く は も っ て い な い 。 我 々 が 話 を 伺 っ た ホ ー チ ミ ン 在 住 の ン ガ イ 人 た ち は 、「ン ガ イ 語 は 客 家 語 と 似 て い る が 実 際 に は 異 な る 」「私 た ち は 広 西 人 で あ り 今 で も 自 分 が 客 家 で あ る と は 思
(16)1979年 の 華 人 排 斥 運 動 以 降 、 多 く の 華 僑 ・華 人 が ベ トナ ム を 離 れ た た め 、 自 由 村 な ど 多 く の ン ガ イ 人 コ ミ ュ ニ テ ィ も崩 壊 した 。 し か し、 現 在 で も ホ ー チ ミ ン 、 ロ ン カ ン 、 デ ィ ン ク ア ン な ど に は 少 数 な が ら ン ガ イ 人 が 住 ん で い る。
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「 客 家 与 多元 文 化 」 国際 学 術 研 討 会
っ て い な い 」 と 主 張 し て い た 。 人 に よ っ て は 、 ヌ ン を 自 称 す る 者 も い た(17)。 こ の よ う に 、 ン ガ イ 人 は 、 外 部 者 に よ り 客 家 と 呼 称 さ れ て い る こ と は 知 っ て い る が 、 客 家 と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 強 く も っ て い る わ け で は な い 。
写 真2:ホ ー チ ミ ン の 護 国 観 音 廟 。 右 側 は 欽 廉 会 館 。
2010年 、 ン ガ イ 人 は 、 ホ ー チ ミ ン の 護 国 観 音 廟 内 部 で 欽 廉 同 郷 会 とい う地 縁 団 体 を 結 成 し た 。 欽 廉 は 、 清 朝 期 の 欽 州 府 と 廉 州 府 を 指 し 、 現 在 の 東 興 、 防 城 港 、 北 海 、 合 浦 な ど ン ガ イ 人 の 主 要 な 出 身 地 を 指 す(18)。 も ち ろ ん 欽 州 府 と 廉 州 府 に は ン ガ イ 人 ば か りが い る わ け で は な い が 、 会 長 を は じ め 多 く の ン ガ イ 人 が 成 員 とな っ て い る た め 、 ベ トナ ム 客 家 団 体 は 欽 廉
(17)た だ し、 彼 ら は 昔 か ら漢 族 と し て の 意 識 を も っ て お り、 「ヌ ン 」 を 自称 して い た の は 中 国 人 で あ る こ と を 隠 す た め で あ っ た と 主 張 して い る 。 ヌ ン を 名 乗 っ た 理 由 は 、 「 儂 」(ヌ ン)が 「 農 」 と 同 じ発 音 で あ る た め 、 農 業 を す る 集 団 とい う意 味 で 使 っ て い た と い う。
(18)こ の 地 域 の 「客 家 」 も 長 ら く ン ガ イ 人(ま た は ン ガ イ 語 を 話 す 人 々) を 自 称 し て き た が 、 近 年 は 客 家 文 化 政 策 の 影 響 を 受 け て 客 家 を 自称 す る よ う に な っ て い る 。
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同 郷 会 を 客 家 団 体 と し て 位 置 づ け て い る 。 た だ し 、 欽 廉 同 郷 会 の 成 員 は 、 こ の 組 織 が 完 全 に 客 家 の 団 体 で あ る と 考 え て い る わ け で は な い 。 彼 ら は 、 護 国 観 音 廟 を 精 神 的 拠 り 所 と し 、 広 西 人 と し て の ア イ デ ン テ ィ テ ィ を 強 く も っ て い る 。
4.ベ ト ナ ム 北 部 の ン ガ イ 人
フ ラ ン ス 統 治 時 代 、 華 僑 ・華 人 は 、 ハ ノ イ 、 ハ イ フ ォ ン を 中 心 と す る ベ トナ ム 北 部 に も 多 く 居 住 し て い た 。 ハ ノ イ に 輿 東 会 館 と福 建 会 館 が あ り(19)、ハ イ フ ォ ン に 中 華 会 館 が あ っ た こ と は(2°)、 一 定 数 の 華 僑 ・華 人 が い た 証 拠 で あ る 。だ が 、1978 年 か ら79年 に 中 越 関 係 が 悪 化 す る と 、特 に ベ トナ ム 北 部 の 大 多 数 の 華 僑 ・華 人 は 中 国 や そ の 他 の 国 々 に 移 住 し た 。 ハ ノ イ や ハ イ フ ォ ン で 華 僑 ・華 人 に つ い て 調 査 し よ う と 手 掛 を さ ぐ っ て い た 時 、「か つ て ○ ○ に は 中 国 人 が 多 く い た が 今 で は ベ ト ナ ム 人 の 居 住 地 に な っ て い る 」 と い っ た 類 の 言 葉 を 何 度 聞 か さ れ た か 分 か ら な い 。 ま た 、 華 僑 ・華 人 が 会 館 を 中 心 に 活 動 を 展 開 し て い る 南 部 に 比 べ 、 北 部 で は 会 館 す ら 目 立 っ た 形 で は 存 在 し て お ら ず 、 華 僑 ・華 人 文 化 を 謳 う表 立 っ た イ ベ ン ト
(19)ハ ノ イ の 卑 東 会 館 と福 建 会 館 に つ い て は 、 山 本 達 郎 「 ハ ノ イ の 華 僑 に 関 す る 資 料 」(『南 方 史 研 究 』1、99‑105頁 、1959年)に 詳 し い 。な お 、 我 々 は2014年1.月2日 に 中 国 広 東 省 花 都 市 で 調 査 を し て い た と こ ろ 、 偶 然 、ハ ノ イ に 昔 在 住 して い た1928年 生 ま れ の 華 僑 に 出 会 う こ と が で き た 。 彼 は 広 西 省 防 城 港 出 身 の 広 府 人 で あ っ た が 、 ハ ノ イ で は 再 東 会 館 に 属 して い た と い う。 再 東 と は 必 ず し も 現 在 で い う広 東 省 東 部 を 指 す わ け で は な か っ た よ う で あ る。 ま た 、 彼 の 話 に よ る と 、 戦 前 の ハ ノ イ に は 、 再 東 会 館 と福 建 会 館 の ほ か 九 江 会 館 も あ っ た と い う。 九 江 会 館 は 規 模 こ そ 大 き く な か っ た が 、 江 西 省 出 身 の 華 僑 の 団 体 で あ っ た 。 (20)ハ イ フ ォ ン 市 内 の 旧 中 華 街 の 近 く に は か つ て 中 華 会 館 が あ り、 今 は 市 場 に な っ て い る 。 こ の 市 場 に あ る 「三 婆 廟 」 は 、 今 で こ そ ベ トナ ム 人 の 信 仰 対 象 に な っ て い る が 、 か つ て は 中 華 会 館 の 主 神 で あ っ た 。 中 華 会 館 の 主 要 構 成 員 は 、 広 府 人 と福 建 人 で あ り 、 客 家 は 昔 か らハ イ フ ォ ン に は ほ とん ど い な か っ た と 聞 く。
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「 客 家 与 多 元 文 化 」 国 際 学 術研 討 会
も ほ と ん ど 目 に す る こ と が で き な い 。 現 在 、 ベ トナ ム 北 部 に 暮 ら す 華 僑 ・華 人 は 、 ベ トナ ム 人 の 居 住 区 に 混 じ っ て 、 中 国 を 強 調 す る こ と な く 暮 ら し て い る 。
こ う し た 状 況 も あ り 、 現 在 の ベ トナ ム 北 部 で は 外 国 人 が 華 僑 ・華 人 に 絡 む フ ィ ー ル ドワ ー ク を お こ な う の が 困 難 に な っ て い る(21)。 し か し 、 我 々 は 、 呉 が ハ イ フ ォ ン で 長 年 フ ィ ー ル ド ワ ー ク を お こ な っ て き た 関 係 で 、 特 に ハ イ フ ォ ン 市 内 で 多 く の 華 人 に イ ン タ ビ ュ ー す る 機 会 に 恵 ま れ た 。 ハ イ フ ォ ン の 華 人 が 推 測 す る と こ ろ に よ る と 、 ハ イ フ ォ ン に 現 在 居 住 す る 華 人 は 約200名 で あ る 。 我 々 は 、す で に20〜30名 の 華 人 に 会 っ て い る が 、 彼 ら は ほ ぼ 全 員 が 広 府 人 で あ り 、 ベ トナ ム 人 を 配 偶 者 か 嫁 と し て い る 。 ベ トナ ム 人 と の 混 血 が 進 ん で い る だ け で な く 、 日 頃 か ら ベ トナ ム 語 を 流 暢 に 話 し 、 ベ トナ ム 料 理 を 食 べ 、 ベ トナ ム の 習 俗 を 話 す な ど 、 ベ トナ ム 社 会 に 溶 け 込 ん で 生 活 し て い る 。
ベ トナ ム 東 北 部 は 、 か っ て ン ガ イ 人 の 主 要 な 居 住 地 で あ っ た 。 そ の た め 、 南 部 で は 、 ン ガ イ 人 を 「ハ イ フ ォ ン 客 」 と 呼 ぶ こ と も あ る 。 た だ し 、ハ イ フ ォ ン 市 内 に 住 む60歳 以 上 の 華 人 に 聞 い た と こ ろ 、 ハ イ フ ォ ン で は 昔 か ら ン ガ イ 人 が 多 か っ た わ け で は な か っ た 。 た と え ば 、 ベ トナ ム 戦 争 期 に 中 華 学 校 の 校 長 を し て い たA氏(70歳 代 、 男 性)は 、 「ン ガ イ 人 の 生 徒 は40名 の ク ラ ス の う ち 、1人 ほ ど で あ っ た 」と 述 べ て い る 。 ベ トナ ム 南 部 で ン ガ イ 人 が 「ハ イ フ ォ ン 客 」 と 呼 ば れ て い る 理 由 は 、 ク ア ン ニ ン 省 な ど 東 北 部 に 住 ん で い た ン ガ イ 人 が 、
(21)伊 藤 正 子 「 華 僑 華 人 北 部 」 末 成 道 男 編 『ベ トナ ム 文 化 人 類 学 文 献 解 題 一 日本 か ら の 視 点 』東 京 外 国 語 大 学 ア ジ ア ・ア フ リ カ 文 化 研 究 所 、 2008年 、132頁 。
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1954年 の 「 南 撤 」 の 時 に ハ イ フ ォ ン 港 か ら 南 部 に 移 住 し た こ と に よ る と い う 。
A氏 と 同 じ 学 校 で 教 員 を し て い た こ と の あ るB氏(80歳 代 、 男 性)の 話 に よ る と 、1954年 か ら79年 ま で は 、 多 数 の ン ガ イ 人 が ベ トナ ム 東 北 部 、 特 に ク ア ン ニ ン 省 に 住 ん で い た 。A 氏 とB氏 は 、1966年 か ら72年 に か け て 、 ベ トナ ム 戦 争 で の 疎 開 の た め 、 生 徒 を 引 き 連 れ て ク ア ン ニ ン 省 の 山 地 で 生 活 を 送 っ て い た が 、 そ こ は 、 ま さ に ン ガ イ 人 の 居 住 地 で あ っ た と い う。 彼 ら と 生 徒 た ち は 、 ン ガ イ 人 と 日 々 接 触 し 、 ン ガ イ 人 の 助 け を 借 り な が ら 生 活 し て き た 。
そ れ で は 、 当 時 の ン ガ イ 人 は ど の よ う な 生 活 を 送 っ て い た の だ ろ う か 。 我 々 の 知 る 限 り 、 当 時 の ン ガ イ 人 の 生 活 を 描 い た 記 録 が 残 さ れ て い な い た め 、 当 時 の ン ガ イ 人 の 衣 食 住 、 及 び 彼 ら の ン ガ イ 人 に 対 す る 印 象 な ど に つ い て 、A氏 とB氏 に 下 記 の イ ン タ ビ ュ ー を お こ な っ た(質 問 者 は 筆 者 で あ り 、 回 答 者 は 広 府 人 で あ るA氏 とB氏 。2013年12月 に ハ イ フ ォ ン 市 内 で 実 施 し た)。
[問]あ な た 方 は ど の よ う な 状 況 の も と ン ガ イ 人 と 接 触 し た の で す か 。 彼 ら に は ど の よ う な 印 象 を も ち ま し た か 。
[答]1964年 、ア メ リ カ 軍 が ハ イ フ ォ ン を 爆 撃 し 始 め た た め 、 我 々 の 学 校 は ク ア ン ニ ン 省 の 東 潮 県 に 疎 開 し ま し た 。 こ こ の 住 民 が ン ガ イ 人 で し た 。 ン ガ イ 人 の 大 多 数 は 広 西 省 か ら の 移 住 者 で 、 彼 ら の 言 葉 は 広 東 語 と も 異 な っ て い ま し た 。 ン ガ イ 人 は 藍 色 や 黒 色 の 服 を 好 ん で 着 て い ま し た 。1973年 、 我 々 は ハ イ フ ォ ン に 戻 り ま し た が 、 そ の 後 も 我 々 は 彼 ら を 訪 ね に 行 き ま し た し 、 彼 ら も ハ イ フ ォ ン に 来 ま し た 。 し か し 、1979年 に 中 越 関 係 が 悪 化 す る と 、 彼 ら は ベ トナ ム を 離 れ 、 一 部 は 中
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「 客 家 与 多 元 文 化 」 国 際 学 術研 討 会
国 に 戻 り 、 他 は 欧 米 に 逃 げ て い っ た の で す 。
[問]ン ガ イ 人 と は ど の 言 語 で 交 流 し て い た の で す か 。 [答]あ そ こ に は ン ガ イ 人 の ほ か 、 キ ン 族 、 ヌ ン 族 、 サ ン ジ ウ 族 が お り 、 み な 広 東 語 か ベ トナ ム 語 を 話 す こ と が で き ま し た 。 ン ガ イ 人 と も 広 東 語 や ベ トナ ム で 話 し て い ま し た 。
[問]ン ガ イ 人 は 何 を 生 業 と し 、 ど の よ う な も の を 食 べ て い た の で す か 。
[答]彼 ら は 主 に 稲 作 に 従 事 し て い ま し た 。 穀 物 、 ジ ャ ガ イ モ 、 サ ツ マ イ モ 、 ピ ー ナ ッ ツ 、 サ ト ウ キ ビ な ど も 好 ん で 食 べ て い ま し た 。 彼 ら の 家 に は 大 き な 鍋 が あ り 、 お 粥 を 好 ん で 食 べ て い ま し た 。 朝 も お 粥 を 食 べ 、 仕 事 か ら帰 っ て もお 粥 を食 べ て い ま し た 。 お 粥 を 食 べ る 時 、 ピー ナ ッ ツ や 塩 漬 け した オ
リ ー ブ も 一 緒 に 食 べ て い ま し た 。
[問]ン ガ イ 人 は ど の よ う な 所 に 住 ん で い た の で す か 。 [答]彼 ら の 祖 先 が ど う い う と こ ろ に 住 ん で い た か は 知 り ま せ ん 。 で も 、 当 時 の ン ガ イ 人 の 住 宅 は 、 ベ トナ ム 人 の そ れ と そ れ ほ ど 違 っ て は い ま せ ん で し た 。 竹 と 木 で 組 み 立 て 、 泥 で 壁 を 塗 っ た 住 宅 で す 。 も し 経 済 条 件 が よ け れ ば 瓦 を さ ら に 加 え ま す が 、 当 時 は 戦 争 中 で し た か ら 、 瓦 も 結 構 な 費 用 が か か り ま し た 。 ン ガ イ 人 は 親 戚 で 一 緒 に 住 む こ と を 好 み 、 イ トコ も 近 所 に い ま し た が 、 家 ご と に 分 か れ て い ま し た 。
[問]ン ガ イ 人 の 家 庭 で は ど の よ う に 分 業 が お こ な わ れ て い た の で す か 。
[答]当 時 の ン ガ イ 人 は 、 農 業 な ど の 重 労 働 に 従 事 し て い ま し た 。 山 に 柴 を 刈 り に 行 っ た り 、 家 を 建 て た り す る の は 男 性 の 仕 事 。 女 性 は 、 田 植 え を し た り 、 鶏 を 飼 っ た り し て い ま し た 。 子 供 の 世 話 を す る の は だ い た い 女 性 で し た が 、 男 性 も 子
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供 を 抱 い た り食 べ さ せ た り し て い ま し た 。 た だ 、 男 性 が 家 庭 に い る の は 少 な く 、 自 分 の 仕 事 に 従 事 し て い ま し た 。
[問]ン ガ イ 人 は 他 の 華 僑 ・華 人 と ど う い う と こ ろ が 異 な っ て い ま し た か 。
[答]ン ガ イ 人 は 勤 勉 で 、 誠 実 で あ る と 、 私 た ち は よ く 言 っ て い ま す 。 彼 ら は 、 我 々 に 手 助 け を し て も 見 返 り を 求 め る よ う な こ と は し ま せ ん で し た 。 た だ し 、 民 族 と し て の 違 い は 感 じ ま せ ん で し た し 、 生 活 し て い て 慣 れ な い と い う こ と も あ り ま せ ん で し た 。 彼 ら も 華 人 の 一 系 統 な の で す し 、 ン ガ イ 語 を 話 す 同 じ 中 国 人 と い っ た 感 じ で す 。
以 上 は 、 我 々 が 実 施 し た イ ン タ ビ ュ ー の 一 部 で あ る が 、 当 時 の ン ガ イ 人 の 生 活 状 況 の 断 片 を 知 る こ と が で き る 。 も ち ろ ん 、 当 時 が 戦 争 中 で あ っ た こ と を 考 慮 に 入 れ な け れ ば な ら な い が 、A氏 やB氏 に よ る と 、 ン ガ イ 人 は 質 素 で 勤 勉 な 集 団 で あ っ た よ う で あ る 。 こ う し た ン ガ イ 人 に 対 す る 印 象 は 、 客 家 が 質 素 ・勤 勉 で あ る と す る 一 般 的 な 言 説 と も 重 な る と こ ろ が あ る 。
さ て 、 イ ン タ ビ ュ ー の 内 容 に も あ っ た よ う に 、 ク ア ン ニ ン 省 に 居 住 し て い た ン ガ イ 人 は 、1979年 以 降 に ベ トナ ム を 離 れ て い っ た 。 我 々 は 、 ク ア ン ニ ン 省 に ま だ ン ガ イ 人 が 残 っ て い な い か 糸 口 を 探 っ て い る 段 階 で あ る が 、「ン ガ イ 人 が も と も と 住 ん で い た 村 は 廃 嘘 に な っ て い た 」 と い う話 を 聞 く な ど 、 ま だ ベ トナ ム 北 部 で 直 接 、 ン ガ イ 人 か ら 話 を 伺 う に は 至 っ て い な い 。 い ず れ に せ よ 、 も と も と ン ガ イ 人 が 多 か っ た ク ア ン ニ ン 省 と そ の 周 辺 地 域 で は 、 ほ と ん ど ン ガ イ 人 が 住 ん で い な い 状 況 に あ り 、一 時 期 は10万 人 い た と 言 わ れ る 人 口 も 、す で に そ の 足 跡 を 辿 る の が 困 難 な ほ ど 減 少 し て い る と い う こ と は 確
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「客 家 与 多元 文化 」 国 際 学術 研 討 会
か な よ う で あ る 。
5.現 代 中 国 の ン ガ イ 人
以 上 の よ う に 、 ベ トナ ム で は 、 現 在 、 南 部 を 中 心 と す る い く つ か の 地 点 に 居 住 す る だ け と な っ て お り 、 大 多 数 が 中 国 や 欧 米 諸 国 な ど に 移 住 し て い る 。 換 言 す れ ば 、 ベ トナ ム 国 内 で は な く 、 ベ トナ ム 国 外 に 行 っ た ほ う が ン ガ イ 人 に 会 え る 確 率 が 高 ま る 。 そ の た め 我 々 は 、 ベ トナ ム だ け で な く 、 中 国 で も フ ィ ー ル ド ワ ー ク を お こ な っ て き た 。
中 国 で ン ガ イ 人 の 調 査 を お こ な う 時 に は 、 主 に 二 つ の 方 向 が あ る 。 一 つ は 、 ン ガ イ 人 の 故 郷 で あ る 広 西 省 防 城 港 か ら 広 東 省 の 東 部 に か け た 地 域 で 、 ン ガ イ 人(中 国 語 で 「 支 人 」)と
呼 ば れ る 集 団 を 調 査 す る 方 向 で あ る 。 彼 ら は 、 ベ トナ ム に 移 住 し た 経 験 を も た な い が 、 ベ トナ ム の ン ガ イ 人 の 源 流 と も い え る 集 団 で あ る 。 彼 ら の 一 部 は 、 近 年 の 客 家 文 化 政 策 の 影 響 を 受 け 「 客 家 」 を 自 称 し て い る が 、 も と も と は ン ガ イ と 名 乗 り 、 今 で も 自 ら の 言 語 を ン ガ イ 語 と 称 す る こ と が 多 い(広 西 省 玉 林 市 の 事 例 に 代 表 さ れ る(22))。 一 部 は 、 中 国 に あ っ て も い ま だ に 客 家 と し て の 意 識 を も た ず 、 ン ガ イ 人 と 自 称 す る 者 も い る(23)。 も う 一 つ は 、 ベ トナ ム か ら 中 国 に 帰 国 し た ン ガ イ 人 の 調 査 で あ る 。 彼 ら は 中 国 の 全 土 に 分 布 し て い る が 、 特 に 南 方 の 華 僑 農 場 と そ の 周 辺 に 多 い 。 な ぜ な ら 、1978年 以 降 、 ベ トナ ム で 華 人 排 斥 の 動 き が 高 ま る に つ れ 、 中 国 に 戻 っ た ン ガ イ 人 は 、 ま ず 政 府 に よ り華 僑 農 場 に 安 置 さ れ た と い う 経 緯
(22)河 合 洋 尚 「 広 西 省 玉 林 市 に お け る 客 家 意 識 と 客 家 文 化 」『客 家 與 多 元 文 イ ヒ』 7 :37‑38。
(23)た と え ば 、 広 東 省 廉 江 県 で は 、 ン ガ イ 人 と い うカ テ ゴ リ ー が 存 在 す る が 、 そ れ が 「客 家 」 で あ る と認 識 し な い 者 が 存 在 す る。
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が あ る か ら で あ る 。市 場 経 済 化 が 進 む に つ れ 、ン ガ イ 人 は 徐 々 に 華 僑 農 場 を 離 れ て い く こ と に な る が 、 現 在 で も 華 僑 農 場 と そ の 附 近 に 住 む 者 は 少 な く な い 。 そ の う ち 我 々 は 、 二 種 類 の ン ガ イ 人 の う ち 、 後 者 に 焦 点 を 当 て て 、 広 東 省 広 州 市 の 北 部 に 位 置 す る 花 都 華 僑 農 場 の ン ガ イ 人 を 、 数 度 に わ た り フ ィ ー ル ドワ ー ク し た(24)。
ま ず 、 現 地 で ベ トナ ム 華 僑 僑 友 会 の 要 職 に も 就 くC氏(ン ガ イ 人)に よ る と 、花 都 華 僑 農 場 に は 約1500名 の ベ トナ ム 帰 国 華 僑 が お り 、 そ の う ち 約1000名 が ン ガ イ 人 で あ る 。 ま た 、
ン ガ イ 人 は 、 花 都 華 僑 農 場 に 特 別 多 い と い う わ け で は な く 、 深 馴 の 光 明 華 僑 農 場 な ど 、 ベ トナ ム 帰 国 華 僑 の 大 半 を ン ガ イ 人 が 占 め る 華 僑 農 場 は 他 に も あ る 。
そ れ で は 、 花 都 華 僑 農 場 の ン ガ イ 人 は 、 ど の よ う に し て 中 国 に 戻 っ て き た の で あ ろ う か 。 花 都 華 僑 農 場 の 華 僑 事 務 所 で 勤 務 し て い たD氏(広 府 人)に よ る と 、 こ こ の 大 多 数 の ン ガ イ 人 は 、ベ トナ ム に お け る 華 僑 排 斥 の 煽 り を 受 け 、1978年 か ら79年 に 花 都 華 僑 農 場 に 移 住 し て き た(25)。 彼 ら は 、 広 西 省 の 防 港 、 欽 州 、 合 浦 、 博 白 な ど に ル ー ツ を も つ が 、 親 戚 を 頼 っ て 故 郷 に 戻 る こ と な く 、 政 府 に よ り花 都 華 僑 農 場 に 住 む よ
(24)我 々 が 花 都 華 僑 農 場 を 選 定 し た 理 由 は 、 調 査 機 会 を 得 た こ と に よ る 。 今 後 は さ ら に 多 く の 華 僑 農 場 で ン ガ イ 人 に ま つ わ る 調 査 を 実 施 す る 必 要 が あ る 。
(25)D氏 に よ る と、1978年 か ら79年 に か け て 、 多 く の ベ トナ ム 華 僑 は 香 港 に も移 住 した 。 そ の な か に は ン ガ イ 人 も い た 。 今 で も 香 港 に 在 住 す る ベ トナ ム 華 僑 は 少 な く な い が 、 当 時 の 香 港 政 府 は 全 て の 移 住 者 を 支 え きれ な か っ た た め 、 国 連 に 申 請 して 、 欧 米 へ 再 移 住 さ せ る 方 針 を 立 て た 。 そ れ に よ り 、 ア メ リ カ 、 カ ナ ダ 、 イ ギ リス 、 オ ー ス トラ リア な ど に ン ガ イ 人 が 移 住 して い っ た 。 特 に ベ トナ ム 戦 争 の 責 任 を 取 る 形 で ア メ リカ に 移 住 して い っ た ン ガ イ 人 は 多 く 、今 で も サ ン フ ラ ン シ ス コ 、 ロ サ ン ゼ ル ス 、 ボ ス トン な ど に 居 住 し て い る と い う。 ア メ リ カ 、 カ ナ ダ 、 オ ー ス トラ リ ア な ど に 居 住 す る ン ガ イ 人 の 調 査 は 今 後 の 課 題 で あ る。
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「 客 家 与 多 元 文 化 」 国 際 学 術研 討 会
う あ て が わ れ た 。 も ち ろ ん 花 都 華 僑 農 場 に は 、1950年 代 か ら 60年 代 に も ベ トナ ム か ら 帰 国 華 僑 が 来 た が 、彼 ら は 勉 学 の た め に 戻 っ た 知 識 人 で 、 数 も 少 な か っ た 。 そ れ に 比 べ て 、1978 年 か ら79年 に か け て 帰 国 し た ン ガ イ 人 は 、さ ま ざ ま な 層 か ら
な っ て お り 、 数 も 多 か っ た 。 彼 ら は 、 ベ トナ ム か ら 帰 国 し た 経 緯 に つ い て 次 の よ う に 述 べ て い る(2014年1,月2日 の 聞 き 取 り に 基 づ く)。
「 私 の 祖 父 は1920年 代 に 広 西 省 防 城 県 馬 路 鎮 か ら ベ トナ ム ・ク ア ン ニ ン 省 の 広 河 県 に 移 住 し ま し た 。 モ ン カ イ の 近 く で す 。 当 時 の 広 河 県 は ほ ぼ100%が 華 人 で 、 な か で も ン ガ イ 人 が 大 多 数 を 占 め て い ま し た 。 私 は1952年 生 ま れ で 、1979 年 の 華 人 排 斥 運 動 の 時 に 中 国 に 戻 り 、 花 都 華 僑 農 場 で 居 住 し ま し た 。 中 国 に 戻 っ た 当 初 は 、 中 国 語 が 分 か らず 、 学 び 直 し ま し た 」。(C氏)
「1979年 の 華 人 排 斥 の 時 、 モ ン カ イ か ら 花 都 の 華 僑 農 場 に 一 家 で 移 住 し ま し た
。 ま だ11歳 の 子 供 で し た 。 そ の 後 、結 婚 し て 恵 州 に 行 き ま し た が 、 兄 が 雑 貨 店 や レ ス トラ ン な ど を 花 都 の 農 場 近 く で 経 営 し て い た た め 、 夫 も 連 れ て 一 家 で 花 都 に 戻 っ て き ま し た 」。(40歳 代 女 性)
「華 人 排 斥 運 動 の 時 に 、モ ン カ イ か ら 一 家 で 花 都 華 僑 農 場 に 来 ま し た 。 今 は 魚 屋 を や っ て い ま す 。 ベ トナ ム 帰 国 華 僑 の 立 場 を 生 か し 、 ベ トナ ム 国 境 際 の モ ン カ イ や 東 興 か ら魚 を 輸 入
し て 売 っ て い ま す 」。(50歳 代 女 性)
彼 ら は 、 い ず れ も 広 西 省 を ル ー ツ と し て 、 ベ トナ ム 東 北 部 に 住 ん で い た が 、1979年 に 中 国 に 帰 国 し 、 帰 国 後 は 縁 も ゆ か り も な か っ た 広 東 省 珠 江 デ ル タ ー 帯 で 生 活 し て い る 。 花 都 華
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僑 農 場 は 、 経 済 的 に 裕 福 な珠 江 デ ル ター 帯 に 位 置 して い る た め 、 こ こ の ン ガ イ 人 の 暮 ら し 向 き は 相 対 的 に 良 い 。 現 在 の 華 僑 農 場 で は 、 農 地 が 減 少 し、 近 代 的 な ア パ ー トが 林 立 して い る(写 真3)。 経 済 的 利 益 や 社 会 的 地 位 を得 て 、華 僑 農 場 の 外 に 出 た ン ガ イ 人 も少 な く な い 。
写 真3:花 都 華 僑 農 場
さ て 、 彼 ら は 、 広 西 省 の 防 城 港 な ど を ル ー ツ と し 、 ベ トナ ム で は ン ガ イ 人 と 自 称 し て い た が 、 今 で は 、 外 部 の 人 間 に 対
し て 、 自 身 が 客 家 で あ る と 主 張 す る よ う に な っ て い る 。 我 々 が 花 都 華 僑 農 場 で 初 め て 調 査 し た 時 も 、 彼 ら は み な 客 家 を 自 称 し 、 彼 ら の 言 葉 が 客 家 語 で あ る と 話 し て い た 。 し か し 、 こ れ は 外 向 け の 言 葉 で あ り 、 さ ら に 調 査 を 進 め て い く と 自 ら を ン ガ イ 人 と 自 認 し て お り 、 彼 ら の 言 語 が ン ガ イ 語 で あ る と 考 え て い る こ と が 明 ら か に な っ た 。 彼 ら の 多 く は 、 ン ガ イ 語 は 客 家 語 の 系 統 で あ る が 、 「 彼 ら の ン ガ イ 語 が 『硬 い 』 言 葉 で 梅 県 の 客 家 語 は 『柔 ら か い 』 言 葉 で あ る 」 な ど と 区 別 す る 。 ま た 、 彼 ら は 、 も と も と 客 家 を 知 ら ず 、 中 国 に 来 て か ら
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「 客 家 与 多 元 文 化 」 国際 学 術 研 討 会
自 分 が 客 家 で あ る こ と に 気 づ か さ れ た の だ と い う 。 こ の こ と に っ い てC氏 は 過 去 を 振 り か え り 以 下 の よ う に 語 る 。
「私 は も と も と 自 分 が ン ガ イ 人 だ と 思 っ て お り 、客 家 で あ る こ と を 知 り ま せ ん で し た 。1979年 に ベ トナ ム か ら 中 国 に 戻 っ て き た 時 、 花 都 華 僑 農 場 の 周 囲 の 人 々 は 、 私 た ち と 似 た よ う な 言 葉 を 話 し て い ま し た 。 彼 ら は 、 客 家 と し て の 意 識 を も っ て お り 、 こ の 言 葉 が 客 家 語 で あ る と 教 え て く れ ま し た 。 そ の 時 、 私 た ち は 自 分 が 客 家 で あ る こ と に は じ め て 気 づ か さ れ た の で す 。 確 か に 私 た ち の 言 葉 は 『硬 く 』、 梅 州 の 客 家 語 は 『柔 ら か い 』 の で 、 違 い は あ り ま す 。 た だ し 、 私 た ち の 多 く は 防 城 県 の 出 身 で 、 祖 先 が 福 建 省 か ら 来 た と い う 話 を 上 の 代 か ら 聞 い た こ と も あ り ま す か ら 、客 家 で あ る こ と は 確 か で す 」(C 氏 、2014年1月2日)。
さ ら に 興 味 深 い の は 、C氏 を は じ め とす る 花 都 華 僑 農 場 の ン ガ イ 人 は 、 ベ トナ ム の53の 少 数 民 族 に 『ン ガ イ 族 』 と い う 民 族 が あ り 、 彼 ら が そ れ に 相 当 す る こ と を 知 ら な か っ た と い
う こ と で あ る 。 こ れ に つ い て 、C氏 ら は 、 「 ベ トナ ム で は 自 ら が 漢 族 で あ り 、 ン ガ イ 人 は 漢 族 の 一 系 統 で あ る と 考 え て い た が 、『ン ガ イ 族 』 と い う少 数 民 族 で あ っ た と は 聞 い た こ と が な い 」 と 述 べ て い た 。 こ の 背 景 に は 、 こ の 民 族 の 認 定 が1979 年 と い う 、 彼 ら が ベ トナ ム を 離 れ た 年 で あ っ た こ と が 関 係 し て い る と 推 測 さ れ る 。
こ の よ う に 、 彼 ら の ア イ デ ン テ ィ テ ィ は 、 ま ず ン ガ イ 人 で あ り 、次 い で 中 国 で よ く レ ッ テ ル を 貼 ら れ る 「客 家 」 「ベ トナ ム 帰 国 華 僑 」 で あ る 。 特 に 、 彼 ら は 外 向 け に は 客 家 お よ び ベ トナ ム 帰 国 華 僑 の 名 称 を 使 う。 し た が っ て 、 彼 ら は 外 向 け に
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ン ガ イ 人 と 名 乗 る こ と は な く 、 イ ベ ン トや 料 理 名 な ど に 「ン ガ イ 」 を 使 う こ と は な い 。 彼 ら は 、 客 家 や ベ トナ ム 華 僑 の 名 を 目 に 見 え る 形 で 提 示 し て い る 。
た と え ば 、 我 々 は 調 査 の 過 程 で 、 ン ガ イ 人 の 特 色 を 利 用 し た レ ス ト ラ ン が 花 都 華 僑 農 場 に あ る と い う 話 を 聞 き 、 そ の 店 を 訪 ね た こ と が あ る 。こ こ の オ ー ナ ー で あ るE氏 は1979年 に モ ン カ イ か ら 花 都 華 僑 農 場 に 移 住 し た ン ガ イ 人 で あ る 。
写 真4:花 都 華 僑 農 場 の レス トラ ン の 看 板
こ の レ ス ト ラ ン で は 、 「 越 南 相 肉 」、 「 越 南 煎 綜 」 な ど 、 ベ ト ナ ム(越 南)の 名 を 冠 し た 料 理 が 提 供 さ れ て い る が 、 実 際 に は ン ガ イ 人 の 料 理 で あ る と い う 。 た だ し 、 花 都 華 僑 農 場 の ン ガ イ 人 に ベ トナ ム 時 代 の 食 事 を 聞 い て み る と 、 朝 昼 晩 の 主 食 は 基 本 的 に お 粥 で 、 魚(特 に 干 し魚)、 野 菜 、 ピ ー ナ ッ ツ 、 塩 漬 け し た オ リ ー ブ 、 煎 堆 、 そ し て ベ トナ ム 料 理 の フ ォ ー を 日
頃 か ら 食 べ る こ と が 多 く 、「拓 肉 」 は 春 節 な ど 特 別 な 時 に し か
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「 客 家 与 多 元 文 化 」 国 際 学 術 研 討 会
食 さ な か っ た(26)。 こ れ ら が 特 色 と し て 強 調 さ れ る 理 由 は 、 中 国 で 客 家 料 理 と 結 び 付 け ら れ る か ら で あ り 、 必 ず し も ン ガ イ 人 が 日 常 的 に 食 べ て い た か ら で は な い 。 ン ガ イ 人 は 、 中 国 に 戻 っ た 後 、 客 家 と し て の 自 己 に 気 付 い た ば か り で な く 、 文 化 の う え で も 「客 家 ら し さ 」 を 学 ぶ よ う に な っ て い る 。
6.お わ り に
本 稿 は 、 ベ トナ ム 客 家 の 概 況 に つ い て 、 特 に ン ガ イ 人 に 焦 点 を 当 て て 論 じ て き た 。 我 々 の ン ガ イ 人 研 究 は 端 緒 に つ い た ば か り で あ る が 、 ン ガ イ 人 の 輪 郭 に つ い て は 描 き 出 す こ と が で き た と 思 う。 本 稿 で 明 ら か に な っ た ン ガ イ 人 の 基 礎 資 料 を 整 理 す る と 以 下 の 通 り で あ る 。
第 一 に 、 客 家 は ベ トナ ム に 移 住 後 、 ホ ア 客 家 と ン ガ イ 人 と の 、 少 な く も 二 つ に 分 類 さ れ る よ う に な っ た 。 両 者 は 起 源 と 移 住 が 異 な っ て お り 、 ホ ア 客 家 が 広 東 省 中 ・東 部 か ら海 路 で ベ トナ ム 中 ・南 部 に 移 住 し た の に 対 し 、 ン ガ イ 人 は 広 西 省 か ら 陸 路 で ベ トナ ム 北 部 に 移 住 し た 。
第 二 に 、 ホ ア 客 家 と ガ イ 人 は 、 中 国 で の 出 身 地 と ベ トナ ム で の 職 種 が 違 う た め 、 異 な る 集 団 と し て 互 い を 差 異 化 し て い る 。 つ ま り 、 ホ ア 客 家 は 広 東 省 中 ・東 部 の 客 家 語 を べ 一 ス と し 商 業 に 携 わ っ て き た の に 対 し 、 ン ガ イ 人 は ン ガ イ 語 と 呼 ば れ る 広 西 客 家 語 を べ 一 ス と し て 、 主 に 農 耕 や 漁 業 に 携 わ っ て
き た 。
第 三 に 、 ベ トナ ム で は ホ ア 客 家 が 「 正 統 な 」 客 家 と み な さ
(26)2014年2月 、 多 く の ン ガ イ 人 の ル ー ツ で あ る 防 城 港 の 那 良 鎮 や 大 菓 鎮 を 訪 れ た 時 、客 家 料 理 と して 挙 げ られ る の は 「白 切 鶏 」で あ り 、「 拓 肉 」 や 「煎 綜 」 は あ ま り食 べ な い と説 明 され た 。 「文 磁 」 は 日常 的 に 食 べ ら れ て い た が 、 ン ガ イ 人 や 客 家 の 特 色 と は 主 張 し て い な か っ た 。
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れ る の に 対 し 、 ン ガ イ 人 は 「 ハ イ フ ォ ン 客 」 と 呼 称 さ れ る な ど 、 「正 統 で は な い 」 客 家 と し て 扱 わ れ が ち で あ る 。 ン ガ イ 人 自 身 も 、 自 ら を 「 広 西 人 」 「ヌ ン 族 」 な ど と 自 称 し て お り 、 ホ ア 客 家 の よ う に 強 い 客 家 ア イ デ ン テ ィ テ ィ を も た な い 。 そ の た め 、 ホ ア 客 家 の よ う に 、 客 家 文 化 に 関 連 す る 活 動 を お こ な っ て い な い 。
第 四 に 、 ン ガ イ 人 は 、1970年 代 末 に ベ トナ ム を 次 々 と 離 れ て い っ た が 、 中 国 に 移 住 し た 者 の な か に は 、 か え っ て 客 家 意 識 を 強 め る こ と が あ る 。 彼 ら は 内 向 き に は ン ガ イ を 自 称 し て い る が 、 外 向 き に は 客 家 や 華 僑 と し て の 身 分 を 強 調 し 、 あ る 程 度 、 中 国 で の 客 家 文 化 表 象 と 軌 を 一 に す る こ と が あ る 。 こ う し た ン ガ イ 人 を め ぐ る 輪 郭 は 、 今 後 の 調 査 の 展 開 に よ
っ て は 微 調 整 が 必 要 に な る か も し れ な い が 、 現 段 階 で は 、 基 本 的 な 枠 組 み と し て 提 示 で き る も の と 確 信 す る 。 そ の う え で 我 々 が 今 後 す べ き こ と は 、何 よ り も ま ず 、ベ トナ ム 国 内 外 の ン ガ イ 人 に 関 す る デ ー タ ー の 収 集 を 進 め て い く こ と で あ る 。 ベ トナ ム 国 内 の 調 査 に つ い て は 、 ベ トナ ム 中 ・南 部 の 護 国 観 音 廟 の 分 布 を デ.̲̲̲ター 化 し 、 そ こ か ら ン ガ イ 人 の 分 布 を 把 握 し て 、 よ り 多 く の イ ン タ ビ ュ ー を お こ な っ て い く 必 要 が あ る 。 特 に 、 我 々 は ま だ ベ トナ ム 中 部 に お け る 調 査 を お こ な っ て い な い の で 、 ホ イ ア ン や フ エ で も 調 査 を 展 開 し て い か ね ば な ら な い 。 さ ら に 、 中 国 人 向 け の 観 光 ガ イ ド を 職 業 と す るB 氏 の 息 子 に よ る と 、 ベ トナ ム 北 部 か ら 完 全 に ン ガ イ 人 が い な
く な っ た わ け で は な く 、 中 国 一 ベ トナ ム 間 の 通 行 口 で あ る モ ン カ イ と ラ オ カ イ に 一 定 数 い る と い う。 ラ オ カ イ の 対 岸 に あ る 中 国 雲 南 省 の 河 口 に も 客 家 の 居 住 区 が あ る と 聞 く 。 そ の た め 、 国 境 周 辺 に お け る ン ガ イ 人(客 家)の 流 動 に つ い て も 調
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べ る 予 定 で い る 。
他 方 で 、 ン ガ イ 人 の 研 究 で 欠 か せ な い の は 、 ベ トナ ム の 外 に 移 住 し た デ ィ ア ス ポ ラ へ の 調 査 で あ ろ う。 本 稿 で 例 を 挙 げ た よ う に 、 我 々 は 花 都 華 僑 農 場 で す で に ン ガ イ 人 に ま つ わ る 調 査 を 進 め て い る が 、 ン ガ イ 人 の 生 活 、 ア イ デ ン テ ィ テ ィ や 文 化 表 象 は 、 中 国 の ど こ に 行 く か で 大 き く 変 わ っ て く る こ と で あ ろ う。 同 様 の こ と は 、 ア メ リ カ 、 カ ナ ダ 、 オ ー ス トラ リ ア に 移 住 し て い っ た ン ガ イ 人 に も 該 当 す る 。
特 に 、 ベ トナ ム や 中 国 で は な い 第 三 国 に 移 住 し て い っ た ン ガ イ 人 を 調 査 す る 際 、 注 目 に 値 す る の は 、 彼 ら が ベ トナ ム や 中 国 に い る ン ガ イ 人 と ど の よ う な 国 際 ネ ッ ト ワ ー ク を つ く り あ げ る か で あ る 。 ベ トナ ム か ら 第 三 国 に 移 住 し た ン ガ イ 人 の 少 な か ら ず は 難 民 で あ る た め 、 お そ ら く 大 半 は ベ トナ ム や 中 国 と の 関 係 を 絶 ち 、 移 住 先 の 華 人 社 会 に 適 応 し て い く も の と 予 想 さ れ る 。 し か し 、 た と え ば 、 中 国 の 防 城 港 の ン ガ イ 人 地 域 で 祠 堂 を 再 建 す る 時 に ア メ リ カ や カ ナ ダ か ら の 寄 付 が 多 い よ う に 、 国 際 的 な っ な が り が 、 文 化 の 再 生 と 創 出 に 一 定 の 作 用 を 及 ぼ す こ と が あ る 。
華 僑 ・華 人 は 、 世 界 に 多 く の 移 住 者 を 抱 え る デ ィ ア ス ポ ラ で あ る が 、 中 国 を 含 め た 同 時 代 的 な 文 化 的 ネ ッ ト ワ ー ク に 着
目 す る 研 究 は 決 し て 多 く は な い 。 こ う し た 国 際 的 ネ ッ ト ワ ー ク を 多 地 点 民 族 誌(multi‑sited ethnography)と し て ン ガ イ 人 を 描 き 出 し て い く こ と が 、 今 後 の 課 題 と な る 。
(作者:河 合 洋 尚 日本 国 立民 族 学博 物館 助 教 社 会 人類 学博 士 呉 雲 霞 中 国 広 東外 語 外 貿大 学 講 師 文 化 人類 学 博 士)
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