• 検索結果がありません。

研究方法

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "研究方法"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

津軽平野におけぷ中穣世の地形変化 一特に木造町付近の自然堤防帯

の地形についてー

I は じ め に

小 林 草 津 子

現在,日本の多くの沖積平野について,地形発遣の研究がなされている。 しかし,その内容は沖 議屠の構造や,埋設地形,徴地形などから当時の海水準を明らかにするというものが多く,平野自 体の発達過程を明らかにするものは少ない。そ乙で著者はζの点、に控闘し,津軽平野について,そ の発達過程を明らかにする。研究を進めるにあたり,平野に発達する微地形,関投地形の影成背景 をと明らかにすることが,平野の発達議程を知る上で重要であるという海誇正檎民の立場を基にする。

E 研 究 方 法

続究方法として,空中写真判読,フィ}ノレド調査,ボ}ザング資料などから対象地域の地形分類 を行った。さらに,ポ}ラング資料から対象地域の沖積患の講遣を読みとり,堆穣過程,端機環境 を考察するζとにより,徴撞形,壊没した徴地形の形Jit背景密検討した。又,従来の津軽平野につ いての地形発達に関する文献を参考;こしながら,徴地形の形成背景と平野の発達過穏との関連につ いても検討した。

対象地域の概観

津軽平野は四方を山地にかこまれた盆地状の平 野である。日本海とは平野北部の十三湖を合して 接するのみである。平野に流入する主な月)11は岩 JIIと山田JIIである。rlI出JIIには途中,密売沼が 存在する。

津軽事野は,溝部から扇状地帯,自然堤肪帯,

三角州警とf 3つの地形誌分が見られる。本研究 では,乙のうちの自然堤防帯に麗する木造町付近 が研究対象となる。津軽平野の自然環訪は,上位 面と下泣留の2つに分けられる。下位面は現岩木 JII沿いに細長く分布する。上位揺は藤崎町付近か

ち下流に向って掌状iこ分荷しているが,木浩町付 国 自 然 堤 防

近以北で姿惑と消す。 Fig.l

24 ‑

(2)

対象地域の微地形

従来の徴地形分類図では木造町付近の自然堤防は,掌状に点在した形で記載されているが,これ は地表下では連続していると考えられる。それは,空中写真やボーリング資料から判断される。空 中写真によると,点在する自然堤防が色調の白い部分でつながっている。又,その部分の中に暗い

冨口町

埋 没 印 刷 口 刊 騒 な

I!cln.... ...1.'  Iofdl  旧河道

2K. 

寸一

Fig.2  微地形分類図

色調の細長い帯状の部分が見られる。これらは埋没した自然堤防と旧河道と考えられる。自然堤防 が地表上に表われないのは,その形成後,他の川の氾濫によって,氾濫堆積物によって埋積された ものと考えられる。乙れはボーリング資料からも,療や軽石をふくむ砂層の上に,腐植物混りのシ ノレトや粘土がのっていて,埋没した自然堤防であることがわかる。これを埋没自然堤防と定義する。

徴地形分類図では,明瞭なものと不明瞭なものに分けた。

これらの自然堤防の分布を見ると,大きく 3つの流れに沿っていることが確認できる。中聞から 近野,遠山を通り小田原に至る流路,木造から生田に至る流路,柏村から蓮川,兼館に至る流路の

3つである。これらは下流に向って掌状に広がり,その先端はほとんど,複雑に蛇行,枝分れして

‑25‑

(3)

自然堤防はあまり明穫でなくなり,田光沼以北は地表下にも確認できなくなる。

自然堤防の関には後背湿地がよく発達している。

対象地域の沖積題

津軽平野の沖積層拡従来の研究より,十三湖躍と呼ばれ,下部立層部!欝・中部シルト部層,上部 副都層の3つに分けられる。これらの部層むちがいは,堆積物だけでなく,その堆積環境からも匹 分される。

下部互岩部は低海水盤期}こおげる古岩木谷や宙山田谷を111の堆積作用によって埋積したものと考 えられ,中部シノレト部層は,その後の海進により潜水が平野内部まで使入して形成された内湾ι j甘から供給された土砂の最も縮粒なものが,静かに堆穫したものと考えられている。最上部の上部 砂部屠は,最高揚水準期以降,内湾がしだいにJIIの堆積作用によって埋め立てる際に堆積したもの

と考えちれている。

徴地形形成の背景

木造町付近に見られる領地形の影或背景をポ}リング資料から考察する。ポーワング地点は,か つて内湾の捜入が,南西一北東方向に沿ってあったと考えられることより,乙の方向へ. 4つの地 域を取り挙げた。

‑ ポ 山 リ ン グ 地 点 自然築防

調

Fig.3  ポ 』 ザ ン グ 地 点

‑26‑

(4)

五能線に沿ったA‑A'地域では,地層の堆積構造が複雑で中部シノレト部層と上部砂部層の境界 が明確でない。しかし,自然堤防と思われる地点、では,上位の砂層中に礁が見られかつて川が近か

ったことがわかる (A‑l, 2, 4)。 その後,腐植物を含む粘土・シノレト層や泥炭層の氾濫堆積 物におおわれたり,又,後背湿地として存在したことが考えられる。

B‑B'地域では,海抜‑5m付近に中部シノレト部層と上部砂部層の境界があることがわかる。砂 層の下部に貝殻片を含む地点 (B‑3, ~・, 5)がある一方で,別の地点のほぼ同じ層中に畷や腐 植物が見られるところがある (Bl6, 8)ことから,縄文海進によってできた内湾の陵化が,

開凶

川川町一間一よ

r

‑ 5 

lI ll i

‑ ‑

11

Il

i ‑ ‑L i y  

10

‑ 15 

A‑I  A‑2  A‑3  A‑4 A‑5  A‑6  8‑1  8‑2  8‑3  8‑4  8‑5 8‑6  8‑7 

Fig.4ボーリング資料No.1A‑A'地 域 Fig.5ポーリング資料N.o2B‑B'地 域

圃 泥 炭

白 砂

シルト

ロ 粘 土 ・

図 腐 値 物

図 貝 綾 片

図 環

日 軽 石

図表

10 ‑ 10 

‑ 15 

15 

C‑I  C‑2  C‑3  C‑4  C‑5  C‑6 C‑7  0‑1  0‑2  0‑3  0‑4 

Fig.6ボーリング資料No.4C‑C'地 域 Fig.7  ポーリング資料No.5DD『地域 マ ︐ .

q J ι  

(5)

南西‑北東方向の汀線に沿って平行に進んだのではなく,河川に沿って窪が伸V,汚JIIの間の後背 湿地では,内湾の影響をまだ受けるという影で進んだのではえ互いかと推定される。後背湿地にあた る地点の砂層で,下位に貝殻片を含み,上位に鴎横物を含むとζろくB 6.  7)があることから も,後背湿地ではJIIに比べ韓化がおそく,ゆっくりと進んでいったことが考えられる。

cc'地域は. B  B':地域より上部砂部層が薄く,中部シ/レト部勝が厚い。そして,中部シノレト部 層では,下位}こ貝殻片接合むζと誌あっても,藤種物はほとんど含んでいない。これiま,五角ナ│、l 闘能として堆積したものと考えられ, 厚く堆積しているζとより,その状態が築く続いたζとが 推測される。 ζ ζでもBB'地域と間犠な背景が.C‑4でロ」ムが存荘する‑4m付近で.

‑5では異殻片が見られるζとより考えられる。 c2で拡謀議土が摩く堆積していることよ り,その付近は植物の生息しやすい後背混端であったζとが考えられる。

D ‑ D'地域詰,他の地域と比べ,堆積構地が複雑でないことが自につく。 ζれは堆槙環境があ まり変化しなかったこと告示すと思われる。粘土麗やシノレト患の上部ι閥植物を合告のは,内湾が 植物の生息を許す沼沢として存在したζとを思わせる。

'VII  津軽平野全体の地形発達との関連

以上のζとをまとめて,捧軽平野全体の地形発遣と関連ぢせて検討する。

本研究で明らかになった埋設自然塊防を含む自黙堤防は,ボ…ヲング資料より,中部シ/レト の上位から上部砂部署にかけての堆積過躍で影成されたと考えられる。つまり,縄文糊進以降に形 成された。

縄文議選拡よって,梅水は現患の近所川原市付近まで侵入し,それ以後は内湾と往した。その後,

若干の海進が. 2, 000 ‑‑3, 000年前にるったという報告がある以外,潜水準の低下はなかったと考 える。しかし,そのような条件下で内湾が埋めつくされたのは,汚)11の土砂供給による堆積作用が あったからだと考えられる。それは平野に自然堤紡が発達しているζとで裏づけられる。具体的な 堆積過砲は 3つの荷)11が内湾に住ぎ込みc.れらの湾問の氾濫のどとに,自然堤防が影成され,

内湾が埋めたてられていった。しかし後背湿地では,内湾の影響が残り,その地域での内湾の煙め たではおくれた。このように臨化が進んでいく組組で,内湾は海水の選手響がしだいに薄くなり,内 水湖あるいは沼沢といったものとして存悲していたと考えられる。自然堤防は,田光沼以外では現 岩木JII流路沿いに見られるだけにとどまる。これについてはっきりしたことはわからないが,なん らかの影響で. 3つの荷)11の堆模作用が弱まったことが考えられる。 ζのような過程を経て,現在 の滞軽平野が彰或されていった。

と め

あまり院議ではないが,木造町付近の徽地形について,その形成背景を明らかにするととができ た。又,平野全体との関連性を見い出すことができたように怠われる。しかし,やはりまだまだ検

‑28 

(6)

討の余地があると,震われる。

今後の課題として,沖積躍を対比するーとでやiまり,絶対年代を樽る乙と 又,地盤運動も考護に入れなくてはならないだろう。

より多くの調11匡からの研究を今後,期待する。

参ヨ較文献およとF捗場資料

あると思われる。

灘 諜 正 倫 (1976 ) 津 軽 平 野 の 沖 積 控ιおける地形発達史 49, 714 ‑735  梅 津 正 鎗 (1982) 津軽平野の壊投微地形 地理2783‑

小 貫 義 男 他 (1963) 青議県捧軽十三湖地域の沖護軍 東北大地震寄生物邦文報58‑36 

村 山 磐 他 (1984) 津軽平野の沖穣屠およむその周辺の地形

東北学院大学東北文化研究紀要1‑7

(国土地理挑発行,米軍撤影〉

29 ‑

参照

関連したドキュメント

昭和 50 年 8 月,さらには昭和 56 年 8 月に大洪水が発 生した.表 -1 に石狩川流域の代表洪水における氾濫面 積を,内水氾濫,外水氾濫別に示す.昭和

中央大学大学院      学生会員  ○塚本  洋祐 中央大学研究開発機構  フェロー会員    福岡  捷二 国土交通省富山河川国道事務所        正会員   

スポーツ指導には技術や体力のトレーニング指導

砂丘 谷底氾濫平野 旧河道 後背低地旧湿地 三角州海岸平野 干拓地 平坦化地 盛土地 埋土地

 最近の水害の様相を見ると,戦後しぱらくの問見られ

どのような質問をすれば良いかは難しい課題であ り,医療機関や学校で利用可能な早期発見ツールが 求められている。 Eating Attitudes Test 26 (EAT-26 ) は,Garner

つまり洪水氾濫が生じることになる。このような

その手始めとして、