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目標のある人生を

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Academic year: 2021

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(1)

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■町 HT[R一^丁一〇刊^L岨一一F□日…^T■口N

....  ..平成10隼3月20日

..発行....新潟国際情報大学

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文科と理科

石川頁澄

 私たちの新潟国際情報大学は一つの学部のなか

に文科系と理科系の学科が一つずつあるという大

学です︒以前ならたいへん珍しいと一一冒われたかも

しれませんんが︑近ごろは総合科学といった視点

から︑あるいは教養部をなくした結果として︑あ

えて混在させる大洋もかなりあります︒

 文科は演習や実習がなく︑講義なんか聞かなく

ても本を読んでいればいい︑しかL︑理科は忙し

くて遊んでいられない︑  といったことが︑と

の大学でも学生の間で週川しています︒また︑就

職すると︑白分の山身学科以外の人に対して﹁あ

いつは理科一文科一だから﹂話が通じないと嘆い

たり︑時には両じ会社のなかでひどくいがみ合っ

たりすることがあります︒文科と埋科はそんなに

違うのでLようか︒

 ここで私の個人的な経雁をお話Lます︒私はも

う四十年も前に小さな工業大学を五年かかってや

っと卒業しました︑.ところが︑卒業すると新聞杜

の記者になoてしまったのです︒それも政治記者 などというものにです︒そして■記者生活をしている間ずつと︑﹁あいつは理科だから﹂と一一一己われ続けられました︒数字を使った選挙分析などをすると︑ひときわそういう批評が多く山⁝まLた︒数字といっても四則算法Lか使っていないのにです︒ 私に言わせると︑大学にいたのはわずか五年

一今は工学系では修士課程まで六年の場合が多いよ

うですが︺に過ぎません︒その後︑政治記者を一一一

十年余もやっているのです︒丈科も理科も︑へっ

たくれもあるかい︑という気分でした︒

 私のような者はそれでも変わっていると.一一一□われ

ても祉方がないかもしれませんが︑肚の申には大

学の理科系学部を出たけれど︑会社の管理部門を

長くこなし︑社長になり︑ついには財界の當脳に

なったなどという人は珍しくありません︒理科山

身の経済官庁アナリストや︑医学ばたけから高名

な評論家になoた人もいます︒文科系でいながら

宇宙開発やサル学︑脳死などについて尊門知識を

得て立派な本を出した人もいます︒

 一方︑二〇世紀はある意味で自然科学とその応

用の時代でした︒そのため︑文科系といわれる研

究者たちの間でも﹁科学としての﹂政治学とか経

済学とかが目標とされる傾向がありました︒それ

らが個々にどんな成果を挙げ︑どんな失敗をLた

かはともかくとして︑結果的にそれは文科と理科

との壁を低くしたと私は思います︒

 おそらく大事なことは文科か理科かの違いでは

なく︑両者がともに﹁疑の世界に貞理多し﹂一福沢

論吉一という知的世界の根本認識を共有したうえ

で︑協力して巾民社会をつくっていくことではな

いかと私は思oています︒ ・⊇.

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      二.

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(2)

■NTEHN^T一口N^L旦■一F口旧阯^丁一〇}

目標のある人生を

        広報委員正田 達夫

第一回卒業生諸君︑卒業お目⁝川度う︒

 卒業式は︑英語では︹o≡昌昌富ヨ〇三と一.一.□って

﹁始まり﹂の意昧があります︒多くの諦^は.般の

企業に勤務す石ことになり︑学生時代とは異なっ

た蝶境の中での牛活が始まります︒

 そこで︑約四十年間ビジネスマン叶︑括を過ごし

て来た先輩として︑﹁楽しい︑牛きがいのある牛活﹂

へのヒントを捉案させて頂きたい︒まず︑人牛は

H標へ向かってのゲームであるという二とです︒

ゲームですから職場ごとに種々のルールがあoま

す︑このルールは︑業界・職場ごと﹁﹂異なるから︑

早くその職場のルiルを︑経験や丈敗を通して学

ぶことです□聞くは一時の恥といわれます.先

輩・ト︑司にどんどん質問し︑早くそのルールを休

得することです︒しかし︑これまでの方法やルi

ルに従っているぱかりではつまりません︒何か新

しいことを企.⁝し︑捉案Lてこそ生きがいがあり

ます︒大切なことは︑白ら目標を一ーてて︑その□

標達成に挑戦することです︒H標は︑.一.つの領域

で立てるのです︒まず第一は︑仕事の□標です︒

最初の一年は︑組織の歴史や環境の変化を学び︑

その中から︑間題を兄つけ︑改稗提案を昨備しま

しょう︒この人学で学んだ事を活用しまLよう.

より深く調布・研究する必要があれぱ︑先牛方に

聞きに来ればよい︒先止方は喜んで棉談に乗るで

し止土つ︒短期的なその年その年のH棚とともに︑

五年先︑十年先の□標を立てて準備・勉強をしま

し⊥う︒そ二で第二の口標は︑学ぶことの日標で

す︒折角多くの時問をかけて苫いた卒業研究のテ ーマについて︑或いは新しいライフワーク■について︑一月に最低一冊の町門諦を読み︑専門の雑誌を定期的に嫡読L︑慢新の枝術・知識をワ甘ローすることです︒ある領城についてのエキスパートを□指L︑このことでは︑社内で最も勉強し︑なにか有れば︑相談にのれるように勉強を続けることです︒第三の日標は︑リクリエーションの領城です︑リクリエーションとは︑﹁苧昌塞副o〒再ぴ創造する﹂から來ています︒人⁝⁝性を取り戻す場です︒遊びのあること︑趣昧が人生を艦かにします︒例えぱ︑スポーツでも︑音楽でも白分の好きな道で︑具体的な□標を追及することです︒白一分の好きな道は学べば学ぶほど︑楽Lさの奥が深くなり︑曹ぴも増すことでしょう︒人は詐でも人生を楽しむことが出来ます︒捗・ピジョンを持ち︑そのビジョンを適成するH襟を︑一年ごと︑.月ごと︑さらに︑週別・﹇別に立て︑その日標を毎﹇達成するとき︑人生は達成感に満たされ︑市﹈びの日々となることでし上う︒ 諮届が︑一一一つの領域で︑自ら計測を立てて︑その日標に向かってチャレンジすることを期待しております︒

.ノ

就職活動を遍じて

        由目田研究室 桑原 信弘

 私は大学生活の中で一番就職活動が心に残コていま

す︒というのも︑全てが皆と同じように初めての経験

であo︑また今までと違い全て畠分で決めτ行動しな

ければならず︑楽しいことや苦しいことを経験しまし

た︒ 様々な人と出会い︑色々な人の惹見を聞き︑自分の

考えを持つことができたと思います由私が就職活動を

通じて学んだことは︑いコも前向きに物事を考え行動

することと︑自分で答えを出さなければならないこと

です︒就職先を決めるのは大学ではな<自分なので︑

全ての賛任は自分にあるのだと思いました︒就職活動

ばかoではな<︑これからの人生は自分のやる気次第

だと思いました︒本当1ここの会社であれをこうしたい

という気持ちがあれば︑それは自分の考えや行動にも

表れるし︑面接とかでたとえうまく話せなくτも︑気

持右は伝わるはずです︑

 これから私達四年生は社会人になるわけですが︑私

は会社に働かされていると考えず1こ︑会社在動かして

いると考えたい︒常1こ明るく前向きに︑あらゆる部分

で自分の可能性を試したい︒ ゼミ合宿        赤木研究室 畑田 智子 私た石は︑昨年十月末に一一泊一一一日の日程で︑卒業研究を進めるための合宿左しました凸なぜか私は先生から幹事を命じられ︑.セ三の度に﹁合宿はどうなoましたか﹂と質問攻めにあい︑私を含めてみんな︑合宿に行くのは気が進まないというのが本当の気持ちでした︒ 当日︑特ち合わせ時間に一時問以上遅れた人がいたO︑季節はずれの雪が降ったOして︑一体どうなることかと不安でした由宿もまだ暖房の準備ができておらず︑麗えながら座布団を抱えてゼ三をしました︒ 終ってみれば︑あ⊃という問の一一一日問でした︒後半は台宿の目的を先生孝行へと変え︑しばし観光旅行を楽しみました︒ この合宿で︑ゼミの人た右との交流を深めることができ︐先生のやさしさと親しみやすさを感じ︑また︑卒業研究完成への惹欲も高めることができ︑大学生活の楽しい思い出の一つとなoました︒先生にとコても︑よい思い出となったらよいのですが︒樂しいバレー部        明石研究室 金子 幸江 あなたが大学生活で一醤︑カ在注いだのは何ですかワ・ これは︐就職活勤をしているとよく聞かれる質問です︒私ならこう答えます︒﹁バレー部の土台作01こカを注ぎました︒﹂ 私の大学生活︑振o返れば色々な事がありましたが︑

4年問のどこを切コても︑バレー部と共にいたように

思います︒大学に来てまで倶楽部活動なんて−と大抵

の人は一一一一口うでしょう︒私も以前はそう思コていたんで

(3)

■NT[日N^T■口N^L旦1NFOH…^TlO}

す︒でも︑3年前は空き時問さえも苦痛な程に⊃まら

ない毎日で︑気晴らしに始めたのがバレー部でした︒

活動がスターとして1年︑友人に﹁バレー部コて仲い

いよネ︒﹂と一一一一□われ︑す﹁﹂︿嬉しかったのを覚えてい

ます︒ずコと﹁楽しい部活﹂をモットーに歩んできτ︑

そのために辛い壁にぶち当たったこともありました古

でも︑私は自信をもコて言います右4年問︑バレー部

を守⊃てきて良かコたと凸

 あなたは今︑何に力を注いでいますか?

語学研修のススメ

        明石研究室 小柳 責之

 後輩のみなさん1こは︑是非在学中に外国1こ行って勉

強して欲しいと思います︒私は英語を選択していたの

で萸語圏の国に行きたいと考えました︒また流通に興

味があo就職先も流通.だったことから︑勉強もかねて︑

スーパー・マーケットの発祥の地であo流通の先端を

行くといわれるアメリカに行くことにしました︒アメ

U力で一ヵ月闇語学学校1こ遇い︐萸語を磨くだけでな

<︑人問的にも一回o大き<成長してくる目論見でし

た由しかし︑実際アメ﹈カに行ってみると英語が聞き

取れないしうまく表現で吉ない︑そして授業でさまざ

まな質問をされても答えられず︑知識のなさを痛感さ

せられました︒

 私はこの経験を通じτ自分自身の未熟さに気付くこ

とができました由七しアメリカに行かなかったら︑自

分の知識のなさに気付くこともなく︑もっと勉強しな

ければならないという意欲を持つこともなく︑ただぼ

んやoと生活していたように思います︒ 四年閻で得たもの        池田研究室 上原 淳事 気が付けば高校を卒業しτから四年問もの時が流れτいました由この四年問は︑本当にあっという問でした︒四年間で私が得たものは知識はも石ろんですが︑やはo何よo自律心です︒大学では︑とにかく自分で何事も判断して行動しなけれぱなoません︒自分の行動に圭^任を持つということは本当に大変なことです︒しかしそれが私自身在大き<成長させてくれました︒今までどちらかというと何寧1こも消極的な性格でしたが︑大学に入学してからは︑以前よoずっと積極的に何睾1こも取O組むことができるようになOました︒こうしたことから努カをして手に入れた成功という感動も︑身をもって学ぷことができました︒大学生活を大きなキ巾ンバスーこ例えるならば︑入学当時︑輿っ白だ

った紙に︑次第に友選という色が塗られ︑知識という

色が塗られ︑悩みという色が塗られ︑他1こも様々な要

素の自分だけの色が塗られ︑次第に昌分だけのオ﹈ジ

ナルの絵を描いてきた︑そんな気がします由その絵は

洪して完成することはあoません︒なぜならその絵は︑

今後様々な経験を経て無限に広がっτゆ<からです︒

どんな絵にするかは︑みんな一人一人異なる訳です︒

このように大学生活は︑私の生き方や者え方1こ犬きな

影醤を与えました︒知識を学ぷことは大切ですが︑私

はそれ以上のものを得ることができました︒そしてこ

れからも自分のキャンバスに自分の色で絵を描き続け

たいと思います︒

就職活動

立春も過ぎ︑  石川研究室 鈴木 裕生

後期試験も終ったというのに辺oはま だ雪景色です︒ 思えば私は公務員を目指し︑二年の頃から試験勉強をはじめました︒試験勉強を就職活動に入れるのならば︑約一一年間も就職活動をしていたことになoます由我ながらよくやったと思っています︒おかげでなんとか希望の職種につくことができました由 いま振o返コてみると︐本当にいろいろなことが思い出されます︒試験勉強の仲問と試験範囲の広さや難しさをぼやいたことや︑模試で合格範囲内の判定が出たときのうれしさ︑そして何よo︑試験に台格し希望の職種につけたときの感動は忘れることがで昔ません︒ 最後に︑就職活動にあたo至らない私を叱畔激励して<ださった友人や先生そしτ就職課の方々に心から感謝いたします︒あOがとう一一Lざいました古人と出会い︑冒葉と出会う        市岡研究室 黒山 置子 モスクワ発ウラジオストク行の飛行機に乗る目のこと︒一力月半分の荷物と思い出のつまコたスーツケ;スは制限重量を超えている︒窓の外を眺め︑ぼんやoすこす私は︑まだ超過料金を払っていない︒自分が握り締めているのは紙切れで︑搭乗チケットではないことに気付くのは︑ゲ;トが開いて︑乗客がバスに乗o込み始めた頃だコた・  ⁝由 その後は︑噂に聞く□シアの事務手続きに振o回され︑いったい何人の□からこの一一一日葉を聞いただろう︒

﹁それはこの窓□ではない﹂と由

 ようやく︑情けない私の姿を見つけた男の人が︑料

金を精算してくれた︒彼はチケットを差し出し︑私の

背在押した︒そして後ろから夫きな声をかけてくれた︒  四年問というわずかな時問の申でも︑多くの人々と出会い︑彼等から多<の一一一一口葉を受け取コてきた︒どこで誰と出会い︑誰のどん蔓一一一□葉が自分の支えとなるかはわからない︒ただ︑確実にいえるのは︑これまで出会⊃た人々と彼等の一一一日葉のおかげで︑今ここに私はいる︒ 何もかもうまくいかな<て︑何もかも投げ出してしまおうとずると︑今でもあの声が聞こえてくる︒

﹃員畠o奏葭o匡o岩而閂二︹お嬢ちゃん︑急ぐんだ︺﹄

私の金メダル

        臼井研究室 楯山  舞

 私がこの原稿を書いている今日も︑嬉しい一一ユース

が次々と耳に飛び込んでくる︒今世の中は︑長野オ﹈

ンピックの話題で滞れている白

 先日金メダルに輝いた︑スピードスケートの清水宏

保選手は︑こう語っτいたという︒﹁このメダルにふ

さわしい人生を送Oたい﹂と︒ならば︑今の私にとっ

τ︑その︑メダル︒に値するものは何かと考えてみた口

そしてそれは︐ここ新潟国際情報大学で過こした︑最

後の学生生活という︑時闇である︑という結論に至

コたのである︒

 私は︑お世辞にも真面目な学生ではなかった︒だか

ら目に見えるものとしては︑中途単端に終わったもの

が多々あo︑後悔も残る︒しかし︑目に見えないもの

として︑4年の歳月は︑あらゆる物事をあらゆる角度

から︑帥コ︿oと︑また深<貝つめる時闇を与えてく

れた由そのお陰で私は︐少しだけ成長した自分を確認

することができたので茜る︒この学校で得たメダルを

胸に︑これからの道を進んでいこうと思っている︒

(4)

■NTE目N^TlOH{L且一一F□RM^T■OH

厳しかった遍学路

        内山研究室 山田 美和

 私の︑4年問の夫学生活で一番印票1こ残コているこ

とといえば︑やはo冬の赤塚駅から大単までの道のo

です︒私は4年間電車通学だったのですが︑その中で

特に冬がひどか︺たのは2年生の時だったと思いま

す︒その時は赤塚駅から大学までの道は︑今のような

ま⊃すぐな道ではなく︑まわo道在しなくてはならず︑

しかも歩道が途中からなくな︺て︑路肩を歩いていま

した︒ひどいのはなんといコても風でした口大学へ行

く時はたいてい向かい風で︑いつも患ができないくら

い強く吹いていました︒大学に着<と患切れしていま

﹂た︒これは決しておおげさな話ではあoません由私

は新潟に生まれ︑風の強い海の近くで育石ましたが︑

あれほどの風には出会コたことはありませんでした︒

缶の2年生の時のようなひどい冬は最近あoません

が︑これからもないこと在竃車通学をしている方々の

ためにお祈oしています凸

ゼミ合宿 浦研究室 青海奈津美・高橋 幸子

 o︺月1・2・3日の2泊3日で︑私た石浦単部長ゼ

三は福島へ合宿に行きました︒勉強はも石ろんのこと

ですが︑古い文化になれ親しみ︑ゼ三内の交流を深め

ることが一番の目的でした︒合宿前から行な⊃たゼ三

発表会の下準備で疲れ︑当たo前のことながら合宿で

も勉強と思うと気が重かコたのですが︑それ在観光と

いう形で患抜きすることができました︒鶴ヶ城・田色

沼の見学と3日問のゼ三発表会︑また夜はクア八ウス

にあるプール・ジ巾グジ:などでUラックスし︑とて

も充実した3日問でした︒良い場所︵環境︺で合宿で きたと思います︒宿泊先はリステル猪苗代で︑きれいなホテルでおいしい食筆︵特に2日目のフランス料理は絶品でした︺は︑ゼ三合宿には似合わない環境ですが︑私た右1ことっては気持ち良<過こせうれしいことでした︒ 3日闇の合宿在終え︑ゼ三内の交流も深まo︑最後の夏休ゐの大切な思い出となoました︒学生生清を振り返って         厘研究室 水田 義和 正直なところ︑あっという闇でした︒しかし︑たくさんのことを経験し︑そこから得たものは非常に大きいです︒z⊆mでの私の収穫は︑情報技術と国際感覚在身につけたことだとは︑残念ながら一一一一口えません︒私の収穫は︑外国語での国際交流を経験したことや兄弟のように遍屈な友人ができたことでず由私は︑入学当初よ〇七視野も広がo︑心が曲日かになコた︑人として成長したと思いまず︒ これは︑Z⊆m1こは畏い環境︑特に熱コほい﹁ヒト﹂がいたからだと思っています由私にとコて刺激的でしたし︑大きく影饗を受けました︒睨在の躍境に十分満足しτいるとは一菖えませんが︑外国を身近に感じるようになコたことだけをとコてみても︑新潟までや⊃τ来た価値はあコたと思コています︒ 終点でもあo起点でもある卒業を迎え︑多少の未練を感じますが︑後悔はおOません︒z⊂一㎝での4年問で学んだことや得たものに自信を持ち︑﹁我よoいにしえを成す﹂︿らいの心の勢いで︑今後突き進みたいと思います凸 第一期生であるという︐﹂と        大山研究室 山田 雅美 私たちは新潟国際情報犬学の鏑一期生だ︒当初は︑入学式の日1こ様々な団体からの勧誘の声やポスターがなかコたこと以外は一期生だということをさほど意識させられなかコたものだ︒ 何もが新しい大学なので︐学風もこれからつくられτいくわけだ︒私は︑最初は深い意味もなく友人達と学友会という組織をつくコているヨちに︑だんだんと︑新しい大学に少しでも足跡を残したいという気持になっていコた凸 一年目の学園祭︒﹁なぜ今やOたいのか﹂など︑色々ときかれながらも︑﹁初年度からやらなければ慧昧がないんです﹂﹁後々︑代表的大学行事として残したいんです﹂と一一一一ロコてるう石に︑はじめはお祭気分からやろうと﹂ていたのが︑真剣にそう考えるようになっていた︒ 部活動の結成︒はじめは︑何もないのだからとoあえず仲闇同士で楽しくやればよいと考えていたのだが︑クラプが次々に生まれてくると︑もっと大学の伝統となるような団体にできたら−などと思うようになコていた︒ こんな風に思コたのは︑告っと︑一期生だからだろう︒伝統のある大学で︑年問行事もクラプもできあがっτいたら︑そのレールの上を何の疑いもなしに進んでいったろう︒何もない状態だったから︑一期生だから︑夫学をこんなふう1こしたら︑あんなふうにしたらと考える機会があったのだ︒ 学園祭は四年問連続で行われた︒部活動やその他の団体も︑後輩達が盛o上げていこうとしているようだ︒きれいではないにしろ︑新しい大学1こ少しでも足跡を残せたような気がする口そして︑そのことから︑大学を

より身近に感じ︑母校だという感覚在強くもてるのか 右しれない︒ 一期生でよかった︑と思う越智先生との出会い      越智研究窒 井塚 みのふ 4年問の大学生活をふOかえってみて︑私はこの大学で多くの事を学びました︑すばらしい友人と先生方に出会えたことが私の4年間の大学生活を大きく変えました︒囲りの撰境に恵まれたことで︐私にと⊃てかけがえのないたくさんの物を手に入れることができました︒越智先生との出会いにより︑それまで私自身の中の霧のようにあやふやなものが一つの形として明確にな⊃たのです︒それは︑卒業研究のテーマでもある性差別に閨する研究です古先生と様々な観占⁝から話し台い︑お互いの慧貝をぷ⊃けあうことで︑私の中にかかコていた霧が晴れた青空のようになコたのです︒新潟国際情報大学に入り︑自分の目的を発見し︑囲oの人達から多くの事を学んだ大学生活は︑有意義であoすばらしいものだコたと思います︒大学生活から得たことを忘れずに︑そして自分の研究テ:マをさらに勉強していきたいと思います凸素晴らしい仲閻遷        片山研究室 小竹 靖子 第−期生としτ入学した私達4年生は︑﹁期生だけ1︹しか経験のできないことを数多くしてきたと思います古大学生生活というものに憶れと夢をいだいていたものの︑現実とのギャップにがっかoしたこともあoました︒しかし︑一緒に苦労したo笑ったoした仲闇とは︑これから先の人生でも︑未永く付き合っていけそう

です︒私の場合﹁・2年生の頃︑部活動の運営で苦労が

(5)

一^T[日一^丁一〇H{L畠一一F□HM^T■〇一

あoました由そのとき︑ともに苦労しで︑乗o越えた

仲問のことは︑これから先も忘れることはないでしょ

う︒また︑苦労したかいがあって︑素晴らしい後輩を

もつこともできました︒先日︑後輩から卒業祝にプレ

ゼフトをもらいました︒4年問の思い出とともに大切

にしていきたいと思います︒

 z⊆mで得た一番大きなものは︑素晴らしい仲問で

す︒皆︑個性的でした︒私は決﹂τ世問でいう真面目

な学生ではなかったかもしれませんが︑居心地がよか

コたです︒一緒1こいて楽しい人問がた<さんいました︒

皆︑それぞれの人生を楽しんでいただきたいと思いま

す︒藪ゼミで学んだ︐﹂と

         察研究室 柳  伸一

 新世紀を目前に控えた国際社会のなかで︑私た右禦

ゼ三は﹁既学又問﹂をモットーに日中両国の文化および

思想の相互理解の歴史を踏まえコつ︑近代日中関係を

研究︑理解しτきました︒異文化理解は自国の文化を狸

解することが前捉としτ曲oますが︑しかしまた他者

を知ることが︑逆に自己を知ること1こもなOえます︒

 ゼ三は︐個性豊かな︸名によo構成され︑政治︑経済︑

文化等を各目のユ一一−ク旦コ八イセンスな視占⁝で︑躍

昧な態度ではなく真軸羊に研究に取o組んできました︒

また︑薬先生は国や文化の違いといったものに拘束さ

れない方で︑中国語履修者でなくても︑中国への関心が

あればゼ三への参加を積極的に受け入れています︒4

年時は︑卒業論文や就職活動で躍も疲れた1年問でし

たが︐薬先生の時折繰oだすハイクォリティーな酒藩

のおかげでUフレッシュして︑明朗快活に過こすこと

が出来ました︒ 後輩に一一冒        佐藤研究室 笠原 裕介 私はこの4年問を振Oかえっτみると酒を飲んでばかoいたような気がする由これではとても充粟していたとは一一一日えない︒私1ことってこの4年問は楽しかコたが︑納得いく内容ではなかった︒まだ単生の後輩諸碧は学生の問だからこそできる事をた<さん経験した方がいいと思う︒内容の薄い4年闇を過こした私には︑まだ時問が残されている学生達がとても羨ましい︒大学生活4年閻を一胴り返って        澤口研究室 横野真理子 4年問の大学生活はあっという問でした︒この大学に入学した当時は私たちの学年しかいなかコたため︑校舎は広く感じられ︑大学周辺も現在のように整備されでいない状態でした由それから4年の月日が流れ︑全τの学年が揃い︑ようやく大学らしくなった気がします︒ 私にと⊃τこの4年間で最も大変だったのはやはO卒論です︑私た右のゼ三では研究テーマに基づいたフィールド調査が重要だコたので︐1年程前からデータ収集を行い︑準備してきました︒しかし論文の執築はこのような短期闇では難しいということを身を以て体験しました︒また卒論の締め切o前口﹈には語学のテストがあo︑それらを両立するのに苫労しました︒ しかし︑私は4年闇の大学生活でかけがえのない友人と出会うことができ︑この夫学に在学できて本当によかコたと思います︒ 人と人のつながり        正田研究室 渡辺 博之 私が大学生活の中で学んだことは︑﹁人と人のコながo﹂これに尽きます︒アルバイト先でこ⊃こつと仕事をしτいるうちに不思議とその⊃ながoがふくれ上が︺てきました︒例えばアルバイト先のホームページを作︺たo︑一部門長として仕事をしているうちにそれが取引先の企業の目に留まo︑その結果︑書頃には就職が決まoました︒また︑その技術が認められたのかある企業の顧客データベース作oを依頼されたo︑挙外実習先からもうちに来ないか?と度々声をかけられるなど︑多くの人からよくしてもらっていて︑今でも良いつきあいをさせてもら︺ています︒ 自分が何かを探Lているとき1こそれを誰かが助けてくれる︑そして誰かが何かを探していたら自分から進んで助けてあげる︒私はこんな関係がとτも好きです︒

﹁あの人に信頼してもらったから大丈夫だろう﹂とい

う当たO前のような信頼開係ですが︑時1﹇は本当の信

頼関係とはどういうことなのかとい︺ことをじっ<o

と考えた︑そんな学生生活で﹂た︒

楽しかった大学生清

         高木研究室 石井 一目一

 4年問の大学生活が無寧終わろうとしτいますが︑

その感想を一一一一口葉で表睨するならば︑﹁楽しかったな苗﹂

の=冒につきます︒第一期生ということで︑講義︑部

活・サークル活動等何を行︺にしてもこの大学におい

て最初の学生となo︑繋張感のある学生生活が送れた

からです︒また︑部活・サークル等を遇じて多くの友

人︑知人と巡り会い︑4年問苫楽を共に過こすことが

できたこともその要因の一コです︒  次に︑学生生活で印象1こ残っている出来事を幾つか挙げると︑講義では︑先輩がいないことから受けてみるまで講義内容が分からないという他の大学では昧わえない緊張と楽しさがおりました︒部活動では︑学園祭等の行畢において︐フィットネス﹈ンテストの開催等︑今までにない貴重な体験を多く得ることができ︑充実した活動だコたと一一一一□えます︒ 最後に︑多くの友人に巡o会い︑共に学生生活を楽しく過こせたことに︑両親︑先生方︐職員の方々に深く感謝いたします由思い出を語る        高瀬研究室 長沼久美子 この大学の思い出といえば︐﹁冬﹂のことぬきには語れない︒後期のテスト時期は必ずと言コていい程猛吹雪で︑やっとのことで犬学に着いたのに﹁休講です﹂の一一一一一□で片付けられたことが何回かあった︒電車通学の私には︐あまoにも無情な一一一一口葉だった︒後輩のためにも大学側に今後の改善策を期待しよう︒ あと︑真夏にスーツを潜て汗だくになoながら就職活動したことも忘れ難い︒気らくなTシャツ姿の学生のままでいたい︑と思いながら会社に足を運んでいたのは︑もう昨年のこと︒ああ︑時が過ぎるのは早い︒ この大学に通︺て本当にいろいろなことがあったけれど︑最後に人との出会いについτ一一一一一口由ここの大学はいい先生が多かったし︑芙智子︑悦子︑久芙子︑百患という友達もできて︑人との出会いには最高に恵まれていた︒だから今はしみじみとこの犬学1こ来てよかった︑と思える︒真冬・真蔓の思い出も含めて右 新潟国際情報大学よ︑あoがとう︒ここに幸あれ!

(6)

■NTEHH^T■□N^L岳■一F□R1 ^TlOト

友違ができた

        高橋研究室 冨沢 利憩

 私がこの4年問で得た一話犬切なものは︑何といコ

τも友達である︒大学に入⊃たばかoの頃は︑気のあ

う友達ができるかとτも不安であったし︑﹁きっと4

年は長いだろう﹂と思︺ていた︒しかし︑今1こなコて

みると4年問はとても短かコた︒その問に﹁お前は何

をやったんだワ・﹂と聞かれたら︑夫したことはしτい

ないが︑私1こと︺てはいろいろな人に出会⊃た買重な

時問であo︑その関係を深めた時間であコた︒そして

その申で︑様々な考え方があることを知コた由また自

分自身が客観的に貝てどういう人問なのかを知ること

もできた︒自分をよo埋解するためにもよかコたと思

う由 4月からは友達と離れτ︑また新しい道に進むこと

になる︒でも︑これからもお互いが支え台えたo︑励

まし合える友達を私は作れたと思う︒

⁝﹂一ωで学んだ︐﹂と

        竹並研究室 久保田直也

 私は︑﹈ンピュータについて学ぷことができそうだ

と思い︑本学の惜報システム学科を選び入学しました︒

入学以前には﹁情報システム﹂という一一一一□葉に触れたこ

とは無かったと思います︒ 一

 多くの講義で︑情報システムは企業にとっては勿論

のこと︑これからの情報化社会の中では大変重要なも

のであると学びました︒

 そして︑情報システムに興昧を持⊃ようになo︑学

外実習では銀行を選択し︑一歩進んだ情報システムに

ついて学ぴました︒卒業研究では︐大学における構報

システムについて研究しました︒  今にしτ思えば︑一年生の時から興味を持ち︑もっと勉強しでおけぱよかコたと少し後悔していますが︑

﹁情報システム﹂について学んだということが︑大学

の4年問での大きな収穣の一つでした︒

楽しかった︐﹂と

        玉木研究室 田崎佳代子

 入学式が⊃いこの前のように感じられ︑大学生活の

4年闇は﹁あコ﹂と言う闇に過ぎ去Oました︒この4

年間は本当に様々な出来撃があoました︒

 部活動︑サークル︑友人︑学園祭︑飲み会−︒その

中でも︑友人と行った北海道への旅行は格別でした︒

 冬の北海道はとても寒く︑時計台には惰緒があふれ

ていました︒食べ物がとてもおいし<︑特にラーメフ

横丁で食べた﹁みそラーメン﹂の味は︑何度食べても

もう一度童ぺた<なるようなものであo︑今でも忘れ

ることができません︒また︑函館で見た夜展はとても

きれいで︑日本海と太平洋が同時に貝れ︑一一一日葉が出な

いくらいの絶景でした出

 このような︑た<さんの思い出と経験を得ることが

できたのは︑この大学生活で出会コた友人たちのおか

けであO︑その友人た石と一緒にす一阯Lすことができた

4年問は私にとって大切な宝物になOました凸

4年閻で得たもの

       槻木研究室 刃宙 直希

 高校までは自由な時問のほとんどを部活動のために

費やしτきていた︒この大学で過こした4年問を振O

返︺てみると︑今までよoも自由な時闇が多かったせ

いか︑非常に多<の人と接する機会が右o︐それぞれ から文牽では表すことができないくらい多くのことを教えられたような気がする︒仲闇や先生方︑バイト先でお世話になった職員の方々などから︑学んだ全てのことは自分にとって役立つものばかoだコたのではないかと思う︒様々な知識や技術など︑それぞれのき⊃かけは違っていても︑全てがこれから必要になることであo︑大切なことなのではないかと感じた︒特に卒業研究では忙しいにもかかわらず︑多くの指導を受けることができた︒おかげで自分としτは良いものができたのではないかと思っている︒ 4年闇︑この大学で得られる可能性のあることのほとんどを自分としては得ることができたのではないかと思う︒自分のやoたいこと︑自分にできることを自由にやることができたので︐私の4年問は充実したものだったといえる︒尉職        永井研究室 鈴木 寿一 私は期待と不安をたくさん抱えながら︑この4年闇を新潟国際情報大学で過﹁﹂してきました︒そのなかでも就職が一謡大変だったと思います︒それはやはo︑私たちが第一期生であったからであろうと思います古先輩がいないので︑身近に頼れる人もなくとて右苫労しました︒また就職協定が廃止されたことも一因として挙げられることだと思います︒ 私の場台は東京︵関東︶の企業に就職することを希望しτいましたので︑県内企業の面接試験は受けτいません︒だから︑県内の事情はわからないのですが︑県外ではまだこの大学の名前が知られていないため︑面接の度に新潟国際惰報大学とはどのような大学かと

いう質問を受けました︒やはo大学の名前にこだわっ ている企業が多いように感Uて不快に思コたこともあ○ました︒しかし︐私たちの就職活動のために先生方や就職課の方々の懸命な指導があったからこそ就職することができ︑今の自分があるのだと思い︑とτも感謝しています︒

﹃いつてき豪す﹂

        原口研究室 濱□  朋

全τが楽しかった︑最高だった︒

末だに慣れない一人暮らし

授業を廿ボッて釣oにいコたこと

﹈Uア語の再テスト

バイクが壊れて揮して帰ったこと

文化祭のライプ

世話のやける原□先生

ギ∪ギ∪だコた卒業論文

短い問だったけど︑彼女と過こした日々

飯代ぬいて頑張ったスノーボード

そしτ何よoも大切な僕の友達

いやなことも辛いこともあったけど︑みんなひっ<る

めていい思い出︒

いい日があった︑たくさん右った︒

新潟で暮らしたこと︑き⊃と忘れない︒

もうすぐ︑束京で新しい生活が始まるけど︑

振o返⊃てみて︑心から皇か⊃たなと思える生き方を

見つけたい︒

いってきます︒

(7)

■HTE冊N{TIOH^L乱一N「OR咄^一10一

プラス思書を身につはた

        樋口研究室 山岸 英仁

 この犬学に入単するに当たって私には︑コンピュー

タの知識も全<無かったし︑サークルなども自分た右

で結成・運営して行かなければならなく︑不安でいコ

ぱいでした︒しかし目臨初は戸惑うことも多かったので

すが︑これらの課題を自己向上の為のチャンスだと思

い︑最後まで諦めず1﹇頑張って来ました︒このプラス

思考が出来るようになったというのが︑新潟国際情報

大学で得た一番大きなものだと感じています︒その結

果︑就職も自分の志望する情報処蛭関連の企業へ決め

ることが出来︑サークル活動においても自分の目的を

達成することが出来ました︒

 これから社会に出れば︑もっと厳しい状況が待って

いるでしょう︒しかしこのプラス思者が出来れば︑巌

しい状況も乗O越えることが出来ると思います古社会

に出ても国盟後まで諦めずに物事に取o組んでいきたい

と思っています︒

短かった4年閻

        広瀬研究室 大橋 清夫

 私が新潟国際情報大学で過こした4年闇は長かコた

様であるが︑今思うと短かったと感じます︒﹁まだま

だやOたい事がおるのにもう卒業!・﹂と叫ぴたい気持

ちです由 真新しい校舎で学び初めた1年次の頃には昼食時︑

席が空いているのが当たoまえでした︒3年次になる

と学生で席が埋まO︑盲⊃4年次では︐大学で昼食を

とることを断念する程でした︒入学時︑あんなに広<

感じた施設も学生が増えるに従︺て狭<感じられまし た︒学生の増え方で自分の学年が分かるという気分は︑新設校の最高学年の人達だけが味わえるものです︒ 先輩がいないことで︑伸び伸びできた反面何かと苫労も曲Oました︒しかLその苫労のおかげで︑自分自身咄珪しくなれた気がします︒この4年闇︑良い勉強ができてとても充実して過こせました︒本当にあOがと

一つ﹁﹂ざいました︒

目由だった学生生活

        鷲尾研究室 小川  学

 過ぎてしまうと4年闇とは早いもので︑﹁もう︑卒

業か﹂といコた感じです︒しかし︑振O返﹁τみると

初々しく入学してきた頃は︑はるか昔のようにも感じ

られます︒大学生活においては勉強面︑生活面で様々

なことを単ぴました︒そのどちらの面1こついても一一一一□え

ることが︑得ようと努力すれば得られ︑得ようとしな

ければ得な<てもいいと一一一一口った自由さがあコた点で

す︒これから︑学生生活が終わO︐社会人生活への新

たな一歩を踏みだしていきます︒その際に今までの自

由さが︑かなo制限されていくと思われます︒学生時

代とは違うといった点を頭に入れ︑圭^任感をも右︑が

んばコτいこうと思います︒

Z⊆ωで学んだこと

        渡辺研究室 海津 智童

 私は︑情報︑特に﹈ンピュータヘの興昧から︑情報

システム単科を志望しました︒そして︑講義の内容は︑

﹈ンピュータの技術などが中心なのだろうと考えてい

ました︒しかし︑その考えは良い意昧で褒切られまし

た︒確かに︑コンピュータを使﹁τの演習や︑情報シ ステムの理論など︑技術的なことも学びました︒しかし︑全体的1こは文化的な科目など︑技術的なものに偏らないカUキュラムで︑幅広い分野を学ぷことが出来ました︒そしτ︑技術的な科目も基礎に重点が置かれτあo︑技術のみに目がいきがちな情報系ですが︑技術以外の視点や基礎が身に⊃きました︒つまり︑大撃なことは︑﹈ンピュータの技術だけ分かることではなく︑幅広い視野を持⊃てその技術を活用できることであo.八−ドではな<ソフトであo︑人問であるということを単ぴました︒ 今後︑社会に出ると横々なことがあると思いますが︑人闇が大事という根コ子の部分を大切にしていきたいと思います︒新潟国際情謂大掌の         4年間を振り返って        藤瀬研究室 遠藤 祥子 大単生活4年問だけのアルバムを作ってみた︒﹁年生の入学したての写真から︑今卒業問近までの写輿を古いものから順番に並べてまとめた由多かれ少なかれ皆の顔が変わっている︒m代から叩代になる時期なので当たo前のことではあるが︑中身も少しは変化したのかというのが重要占⁝である︒外見は努力次第で少しは変えられるかも知れない︒女性の場合は特に化粧や髪型などで変わる︒しかし内面はどヨだろう︒のほほんと生きτいればのほほんとした人問にしか育たないのであって︑色々な修羅場を乗o越えていってこそ人闇性は確立していくのだと思う︒そしてまたその人問性によコて顔付きも変わってい<のであって︑やはo内面を磨かないことには外見もそれほど変わらないもの

で曲ると思う︒  人生の1■4以上がもう過ぎたのに自分はさほど成長したとは思えない由皆の顔も自分の顔も︑社会人生活が慣れてきた頃にはお互いに﹁変わったネ︑キレイにな⊃たネ︒﹂と一一一一□い舎えるよう努カすべきで曲O︑またそれがこれからの楽しみで七ある由

(8)

;NTEHH^T■O…^L曲 ■NFO円■ ^TヨOト         豊王

       蝿︑宣 F..T 一.一

 π

芋二1

■L

      聖

   鰯

   葦[亙盟

多くの友人違との思い出

        宗澤研究室 熊倉 由記

 大学での一番の思い出は︑友人と過﹁﹂した日々で由る︒

大学に来ればいつも同じ顔ぶれが私を待コていることが︑

楽しかったし︑蟷しか﹁た︒あまり大学に人が来ていない

と︑電話までしτ召集をかけてくる人もいた︒みんなで葉

まo︐たわいもない話在して︑朝まで飲み続けたにもかか

わらず︑全然酔わない人もいた︒またある時は︑海へ行っτ

黄昏れまで遊んだoもした曲あんなに海が好きな人達も珍

しい−テスト前には︑出席の悪い私達に︑親切に教えてく

れる人もいた︒誕生日には︑彼氏と二人で過こさせたoは

しないで︑みんなでお祝い在した︒なにしろ︑みんな騒ぐこ

とが大好きだった︒

 巻1こは花見や新歓で新しい人と友達になったO︑酔っぱ

ら﹁て人に迷惑在かけたoする人が続出した︒夏にはバ

ーベキューや花火をしたが︑ビールを持って来る係oなの

にい⊃ものように大涯刻をしてくる人もいた︒秋には学囲

祭でたこやき屋に精をだし︑イベントで盛o上がり過ぎて︑

救急車で運ばれた人もいた︒冬にはみんなでスノーポード

ーこあけくれた︒そO犬会一﹈Z一ZOXは今後の課題である︒

 私達には︑四季折々の楽しみがあった︒そんな友達と別

れるのはとても寂しい︒でもいきなo□シアに留学して︑

大学にもう1年残る人もいる︒

 友人と過﹁﹂﹂た大学時代は︑私の一生の思い出となるこ

とで﹂よう︒そう︑そヨ︑そう︑そう−・又私の□癖がでちゃ

つた︒第一目目の︐﹂と

        松井研究室 渡辺 英明

 入学式の前日は︑とてもよく晴れた日だコた︒そこで︑目

転車に乗コて夫学まで行っτみることにした︒全く知らな い道だコたので迷﹁てしまい︑結局大学まで−時問もかかってしまった︒大学のまわり在見ていると︑同じように大学在見τいる人がいた由話しかけてみると同じ入学生である一﹂とがわかった︒前日に引越しτ来て一人暮らしをはじめたばかOだったので︑新Lく知O台いができてうれしかった︒これが︑大学生活の第−日目だコた︒ この時に比べると︑大学生沼の4年問を通して友達が増え︑また︑不安ばかoだった目分自身もひとまわo大きくな﹁たように思われる︒一から新し<⊃<っていくという新設大学の環境が︑自分自身によい影織在与えていたのだと思う︒全体看視野に入れて        松崎研究室 一一一上  勲 私が大学生活で︑一番印象深く残o︑そしτ今後の糧となコたと思うことは︑卒業論文﹁米農業システムとその周辺にコいて﹂に関する活動です︒−年以上かけて何かをする︑という経験と︑複雑な社会構造に直接接するという経験の融台は︑とτも刺激的なことでした昔 巨大な農脇組織についτ︑関連する組織︑政府の政策︑法律などがさまざまな形で開わコていて︑直接米生産1こ携わる方︐流通組織を総括している万︑役所の方など︑多くの方に取材させτ頂きました︒ そういった調査結果を考察していくう右に︑各個の知識のみでは分からない重厚な全体像が見えてきた.ということに︑衝螺的な感動を覚えました︒ これから私も杜会の一部を担コていくわけですが︑この大学生活で学んだことを基本に︑常1こ自分は社会の一部であること在認識し︐自分の推察とは違った﹁全体﹂が存在する︐ということを念頭に置いて︑今後の人生を目ら開発し

ていきたいと思コています︒ 勇⁝婁原︑冒        ︑︸一1編粂後記に代えマ

広襲曇會田

 誕生四年の春がついに回り央て︑新潟国際惰報大学

蹄一期生の晴れの門出のときが套りまし^㌔角田おろ

  主Lし一颪一の吹き披ける荒塞たる大地を︑﹁希塑の箪命﹂

の地とすべく頑張﹁た君達は立旅でし︷︑︒そう︑君達

はパイオニア︑諾君こそ︑新﹂い時代の扉をひらく

﹁アントレプレーナー﹂一市民的起業者︺なの芦.︒私自

身︑開学以来諸君と伺曇あ﹁て︑明るく純真でいい学

生芦.と思﹁ていまし︷.︒だが同時に︑情けないくらい

助く頼りないとも思﹁ていたのですが︑キれが二︑三

年すると見違えるくらい違しくなり︑最徽の垂い込み

の就職活動︑革業研究で見せた君達のねばりは︑﹁す

ごい﹂の一語に尽圭るもの芦.﹁︷︑︒

 ﹃国際・傭報﹄第四号は︑革業祝賀晋に﹂まLた〇

三四人の諸君から︑率業奮戦記を寄せて頂圭ました︒

謙譲の美穂のせいか︑自己批判︑自己友盾の言莱が多

いが︑︷の下1=︑自偉︑自己貴任︑チャレンジ精神を

修得した自信と自負が藷られている︒内山学長の自由

開珪の糟神で歴史の創造に参加すべしという祈願が︑

目立芦.ぬが確実1=錨君の中に稔﹁てい名︒諾君は微輩

の為によい伝統を残してくれ六︑︒いま︑諸君が出て行

く目本の社会は︑﹁ビッグバン﹂ということばで泉徴

される大転換︑大波乱︑歴史の断層のときにあります︒

ビッグバンが挑要なのは︑金融システムだけでなく︑

官庁︑企業︑産業構造︑学校毅育︑地域ヲニュニティ

造り︑学問研究システム箸々すべての分野に及んでい

るというべ圭でL上う︒立花隆氏の一百う上う1=︑﹁グ ローバル・ブレイン﹂であるインターネットが癬Lたコ三ユニケーシ目ン革命が︑社会を︑すべてが理鎖・連動す尾﹁廠雑系﹂にLたからです︒悲観主義者には︑二れはすぐ︑﹁連鎖倒産﹂を想起させ︑大失業崎代の恐怖で脅かLます︒ だが︑二れは︑わが国については︑九一年から始ま

﹁た十年デプレの最終局面が呈た二と︑﹃まり︑夜明

けが近いことを知らせるものです︒そ﹂て︑疲明け前

は一番略いと⁝です︒痛みは避けられない︒要は我々

が痛みに耐えて生き披く力をも﹁ているかなのだと思

います︒ 面自い二とに︑いま︑世界の最先端科学のキーワー

ドにな﹃ているのが﹁被雑系﹂の斜学という言葉なの

です︒歴史の特異点ともいえる激動の現代に︑人類は︑

にわかに現代の知識の無カに気が村いたが故に︑知の

ビッグバンともいうべ圭﹁パラダイム革新﹂の跳要を

説く人が統出するにい声.﹁六.のです︒

世界の震諏地はアメリカ﹃サンタプェ研究所﹂ですが︑

東大駒揚のキキンパスにもいわゆ石﹃先端研﹄一先端

科学技術研究センター︺が設立されています︒

 本号では石川奥澄先生がご自勘の長いキャりアを披

耀下きり︑理系︑文系︑の粋を超えて︑いわばパリア

フリーに知を磨くニヒが︑生きた知の︷.あに不可欠な

ニヒを教えてくださいまL六■同じく正田先生も︑ビ

ジネスマンの大先輩として︑懇切な実業人ライフ指商

の二とばを綴﹁て下さいまし︷︑︒恐れる二とはない︑

所属する会社︑組織︑地杜︑学歴︑︷れにぷらさがっ

て安住しておれる時代は終わ﹁た︒自分の内な名生き

るカ︑英知︑それを社会のた出に活用するノウハウ︑

絶えずキれを鍛えて生きて徴しい︒﹁風雪厳しかるべ

し﹂率業主諸君の健聞を祈ります︒

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参照

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