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国際関係の変化と行為体論 ―「ずれ」と「もどか しさ」を手がかりに―

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国際関係の変化と行為体論 ―「ずれ」と「もどか しさ」を手がかりに―

著者 末内 啓子

雑誌名 明治学院大学国際学研究 = Meiji Gakuin review International & regional studies

巻 48

ページ 49‑62

発行年 2015‑10‑31

その他のタイトル International Actors beyond a State‑Centric Model

URL http://hdl.handle.net/10723/2556

(2)

【研究ノート】

国際関係の変化と行為体論 

――「ずれ」と「もどかしさ」を手がかりに――

末 内 啓 子

1.はじめに

メディアで国際ニュースを聞くたびに,つきま とう疑問がある。単純明解な因果関係の説明を聞 けば,はたしてそれほど単純なのだろうかと,単 純さを訝り始める。複雑さを強調して不明瞭な因 果関係の解説を聞けば,複雑さに押しのめされて はいないかと,複雑さを疑い始める。単純と複雑 のはざまで,どのように国際関係を説明できるの だろうか

(1)

。煩わしい議論ではあるが,あえてこ のジレンマを手がかりにして,国際関係研究を見 直すことはできないだろうか。

国際関係研究は,これまでも様々な問いを続け てきた。国際関係とは何なのか。そして,国際関 係をどのように分析するのか。研究者は延々と問 い直してきている

(2)

。結論をいまだ見出せていな い状況は,研究者をどれだけ悩ましてきただろう か。しかし,皮肉にも,この結論が見えない悩ま しさは,挑戦を繰り返し,国際関係研究をある意 味で牽引してきてはいないだろうか。つまり,国 際関係研究を顧みることと並行して,今後の展開 を模索することが繰り返されてきたといえよう。

したがって,問いからの模索は,これまでの試行 錯誤を顧みる貴重な機会となる。

これまでも,多くの研究が「国際関係の行為体

(actor)とは何か」を問い続けてきた

(3)

。何が国 際関係を動かし,国際関係が何を動かしてきたの かを探求してきた。行為体をめぐる議論は,国際 関係研究の中核の一部ともなってきた。さらに,

何が国際関係の行為体になるべきなのか。これら

の問いが,国際関係の展望とあわせて,行為体が もつ可能性を探究する一端となり,規範的なトー ンをも伴いながら展開してきている。

そこで,本稿は国際関係論における行為体分析 の変化とその性質を考察する。何を行為体とみな し,どのように変化してきたか。あるいは,変化 すべきなのに,なぜ変化しきれていないのか。こ の行為体の検討では,行為体の実態と認識の間の

「ずれ」とその過程に見られる時間の「ずれ」,す なわち時差が一つのカギともなっている。した がって,本稿は研究展開の「ずれ」や「もどかし さ」の性質とその理由を考察する。最近のグロー バル化の時期に限定せずに,本稿はあえて古くも あり新しくもある議論として行為体を再考する

(4)

2.最近の国際関係における行為体

このところ,外交や国際関係をめぐる議論が多 様化してきてはいないだろうか。経済変動が地理 的にも国境を越えて広範におよぶ状況で,日々の 生活の経済的安定化のために国家や国際組織が何 をすべきなのか。民族問題,自然災害,環境問題 などの場合にも,その広範に及ぶ社会的影響に国 家がどのように,またどの程度対応すべきなのか,

そしてできるのか。これらの疑問が噴出している 状況を,国際関係の複雑化と総括してしまっては,

無責任な知的対応ではないだろうか。つまり,知 的対応が遅れているという言い訳でも不十分であ るといえよう。

たとえば,2008 年のリーマン・ショック後のア

メリカ経済,ひいては国際経済への波及や,昨今

(3)

のギリシャの財政危機に始まるヨーロッパの経済 的不安など,国際化する経済問題も続出している。

そして国際的に困難な状況に, G7 の国々や EU (欧 州連合)とその加盟国が,経済,政治の安定化を めざして国家間で何ができるのかを追求してきて いる。その際に国際通貨基金(IMF),EU などの 国際組織ができることはあるのか。まさに,課題 に直面しながら,模索が続いてきている。国家や 国際組織ならば,問題を効果的に解決できるとの 楽観的な期待

(5)

というよりは,対策への高い期待 と政策的限界とのはざまのずれに対する混迷さえ も見える。

グローバル市場が話題となる昨今では,さまざ まな行為体が登場してきている。国家や国際組織 に限らず,民間の営利追求を目的とする私的組織 の多国籍企業(MNCs),そして非営利組織である NGO(非政府組織)を視野に入れる研究も多い。

この状況を,国際関係の複雑化と総括することも 多々あるが,複数の行為体をどのように扱うかの 問いなくして,国際関係の変化をとらえることは 難しい。国際関係における国家などの行為体は,

複雑性を考察する文脈によってこそ問い直される べきではないだろうか。

次に,なぜ今問うのかについても想いを巡らさ ずにはいられない。どこが,なぜ,今までの類似 した問いと違うのか。最近の国家の衰退の兆しと いう単純化も,この問い直しの対象に含まれる。

なぜなら,前世紀の 1970 年代にも,「相互依存」

の文脈で国家の相対化という経験

(6)

があったが,

最近では, 「グローバル化」の議論でも,国家が問 われつつある

(7)

。過度にセンセーショナルな危機 感で国家を問うのではなく,反復される問いと関 連づけて,どのような議論が,なぜ求められてい るのかを考えるべきではないだろうか。

国際関係論の中核として,伝統的な外交,安全 保障だけではなく,経済,社会,文化などのイッ シューも注目を集めてきている。行為体の多様化 は研究関心の拡大と連動しており,民族運動や市 民運動,そして NGO も研究対象となり,さらに 難民問題や人身売買へも,研究視野は拡大してき ている

(8)

。しかしながら,このような問題意識の

拡大と行為体の増加といった変化は,一方向の直 線的なものとは言い難い。それならば,国際関係,

そして国際関係の捉え方の変化とその原因は何か を考察する必要がある。

3.国際関係の変化と行為体

行為体についての分析は,変化する国際関係の 中で,どのように行為体を見てきたのだろうか。

この検証作業では,国際関係と行為体の変化も,

実体論のみではなく,また理論的な考察だけでも なく,現実と分析枠組のはざまにおける「ずれ」

を手がかりとして見直すことができよう。この時 間的ずれは,変化とその事後に変化を認識するま での間のずれとも無関係ではないだろう。

1)国家

いわゆる主流の国際関係研究では,国家を中心 に国際関係を見てきたといえよう

( 9)

。ウェスト ファリア体制が 17 世紀に樹立され,その後の外交 を 論 じ て き た 外 交 研 究 は ,「 国 家 中 心 モ デ ル 」

(“state-centric model”)に基づき「国家間関係」

(“inter-state relations”)に注目してきた。たとえ ば,日本とアメリカの日米関係,アメリカと中国 の米中関係というように,国家間の関係を中心に,

国家を主たる行為体とみなしてきた。その場合,

国家を代表する大統領,首相,外務大臣,国務長 官や政府高官などのエリート個人にも注目してき た。たとえ大統領や首相のように政策決定者個人 の役割が顕著であっても,国際関係の基軸は国家 間関係であり,その基軸を支える個人として位置 づけられてきた。ということは,国家以外,ある いは国家関係者以外は第一義的行為体の範疇には 入らず,民間人の国際交流の場合も国家の文化政 策との関係において正当性を持つ副次的存在と位 置づけられた。

この国家中心モデルでは,国家は唯一の行為体 であると正当化され,さらに三つの特徴がある。

まず,国家は社会からの自律性が高く,大統領,

首相,国務長官,外務大臣,外務官僚などのエリー

トが主導し,決定できると見る。二つ目に,国家

(4)

は他の国家と競合的になるという特徴がある。国 家の存在自体は正当化されながらも,国家間関係 の競合性は,二分法的な「敵か味方か」の論理に 支配されがちとなる。片方の正当性を強調すれば するほど,他方が正当性を失い,片方が他方を凌 駕すべきとの議論にも帰結しがちで,主権国家を 脅かす危険性をも孕んでいるといえよう。三つ目 の特徴は,国家が合理的に政策を選択すると想定 する。この議論は,選択の合理性と,合理的な政 策を選択できた正当性の高い国家との間に,相互 に正当化を繰り返す。つまり国家と政策とが,相 互に循環的に正当化を繰り返す構造となってい る。

しかし,政策決定過程の要因を多元化すること で,国家の合理性には幾多の問い直しが登場して 久しい。政策決定過程分析でたびたび言及される グラハム・アリソン(Graham Allison)は,冷戦期 にアメリカと旧ソ連の危機的対立となったキュー バ危機(1962 年)について,三つのモデルを使っ て,国家の合理性を俎上にのせ,不合理性が介入 したことを説明した

(10)

。他にも多くの研究が,国 家行動の合理性を疑い,批判し,国家の合理性や 国家内の認識の一貫性を疑問視した。たとえ一人 の人が決定に携わることで合理性が最大化された としても,個人の心理的な過程での合理的な一貫 性には少なからず無理があり得る。また,複数の 組織が関与する過程では,組織ごとの合理性の間 の矛盾を排除することが難しく,関わる個人の価 値観や心理的要素の対立など,合理性を低下させ る要因は数多く見出されてきている。したがって,

合理的に最善の選択ができるという国家のイメー ジは,今や疑いの目にさらされてきているわけで ある

(11)

国家を国際関係にどのように位置づけるか。こ の問いは,国際関係研究がこれまで引きずるよう にかかえてきた課題であり,結論には未だ到達し ているとはいいがたい。たとえば,かつてケネス・

N・ワルツ(Kenneth N. Waltz)が国家レベルの分 析を相対化し,国際システムや個人のレベルの分 析との関係性を考察し,国家だけに注目しては分 析できないことを説明した

(12)

。国家をどの程度の

中心的な行為体とみるのか。この問いは宿縁のご とく,振り払えていない「分析レベル」 (level-of- analysis)の問題として未だに続いている。

では,どのように国家を相対化するのか。国家 の相対化は,国家自体の変化と,国家以外の行為 体の変化の二つの角度から考察できるだろう。ま ず,国家の変化という点では,国家がもはや合理 的ではなく,挑戦を受ける立場となる状況となっ たことが否定できなくなってきている。けれども,

国家自体も衰退の一途とは程遠く, 「国家の『突っ 張り』現象」

(13)

といわれ,グローバル化の中で,

変貌しつつある。したがって,国際関係において,

国家が主要な行為体であることを否定することは 毛頭できないが,その位置の性質の変化は否めな い。他方,国家以外の行為体はなぜ登場したのか。

もちろん,かなり以前から登場していたし,もは や否定しがたくなったのには理由がある。経済社 会の問題が国家間でも問題となり,国家以外の

MNCs,国際組織,NGO などの行為体が関係して

きた

(14)

。そして,国家と他の行為体との協力にお いて,問題解決への模索も展開されてきている。

国家だけを行為体として国際関係を見ることの限 界が認識されつつある。

2)国際組織

国家中心の国際関係観が支配的でありながら も,国際組織も研究関心を集めてきている。たと えば,第一次世界大戦後の国際連盟(League of Nations),第二次世界大戦後の国際連合(United

Nations)や IMF,関税と貿易に関する一般協定

(General Agreement on Tariffs and Trade, GATT)と その後の世界貿易機関(World Trade Organization, WTO)などの国際組織は,国際関係の安定化をめ ざして設立され,のちに加盟国の増加は国際関係 で組織の存在感を高めている。ヨーロッパ統合は,

国際関係の変化の中,困難を乗り越えながらも進 展しているようにも見えるが,EU になってから もさらなる統合の可能性を模索しているようであ る。

国際組織についての関心には,二つのタイプが

みられる。一つは,国際組織自体を行為体として

(5)

検討する志向である

(15)

。このタイプの関心は,国 際組織の創生や,その役割と運用などを中心に展 開してきている。組織の設立で,目標の実現と円 滑な運営と,組織運営に関する楽観論もただよう ネオ・インスティテューショナリズムの文脈も一 部にある。しかし,最近では,組織の矛盾や組織 運用の停滞や変化を議論する研究も出てきてい る

(16)

。換言すれば,予定調和的な円滑な運営を特 徴とする組織ではなく,なぜ国際組織が国際関係 の安定化に期待されるほど貢献できなかったのか が問われているのである。国際組織の見方も複雑 化し,理想と現実とのずれ,運営上の屈折の状況 と理由も分析関心を集めつつある。国際組織への 大きな期待がありながらも,そこから微妙な距離 をとる分析的特徴は注視すべきであろう。

もう一つのタイプは,国際組織を国家代表の集 合体と見る分析である。たとえば,国際連合を「場」

とした外交のように,国際組織の加盟国が代表を 国際組織に送ることで,国家を行為体とした国家 間関係の「場」として国際組織をとらえる見方で ある。この場合,国家間関係の延長線上の国際組 織であり,従来の国家中心の国際関係の見方と,

共通の国際関係観を共有する。したがって,国際 組織分析も,伝統的な国際関係観との継続性が否 定できず,その延長線上にあるといえよう。

最近,中国がアジア・インフラストラクチュア 投 資 銀 行 (Asian Infrastructure Investment Bank, AIIB)設立を企画している件は,組織と国家間関 係との二方向から検討できよう。一方で国際組織 としての役割,構造,透明性についての議論が進 みつつある。たとえば,これまでの国際組織と異 なり,新しい組織として話題になっている。第二 次世界大戦後実現したブレトン・ウッズ体制の変 化となるのか,あるいはならないのか,これから 検討していく必要があるだろう。他方,AIIB のイ ニシアティブをとっている中国に対し,アジアの 発展途上国,ヨーロッパ諸国,アメリカ,日本な どが国際金融機関をめぐる諸国間関係を展開して いる。新しい組織に参加を決定した国々,決定を 検討している国々,そして加盟を躊躇する国々と いうように流動的な国家間関係が広がっている。

国際組織への積極的期待との距離感は,国際組 織内の構造的な矛盾に対し,分析的視線を向ける ことができるかどうかに影響する。たとえば,国 家が競合的とするならば,その競合性も国家間関 係として国際組織に影響しかねない。各国の利害 に整合性を確保できるのか,あるいは調整できる のかは検討領域となる。国家間関係の競合性をも 反映する過程では,何にとっての合理性となるか は,対立を生み出しかねない。今後も,国際組織 が行為体として,しかし内在的,また国際関係の 変動を受ける行為体としての性質は看過しがた い。だからこそ,国家間の調整が必要との見方も 出てくるし,調整への期待とその現実とのずれも 看過できないとする研究動向も続くであろう

(17)

3)多国籍企業(multinational corporations, MNCs)

国家及び国際組織などの公的な組織に加えて,

営利目的の企業などの私的行為体も認知されて きている。企業活動の拡大で,国境を越えた経済 関係が各国に重要な影響を及ぼすとみなされる ようになってきた。MNCs の存在は数という「量」

と,経済の緊密化という「質」の両面で,看過で きなくなってきた。先進国に本部を置く企業が,

直接投資(foreign direct investment, FDI)によっ て海外に生産拠点を設置し,さらに原料や製品の 動きが貿易にも影響を与えてきている。営利企業 が国境を越えて経済活動を展開することで,企業 本部の立地国の経済だけではなく,投資先の経済 にも雇用の創出,技術の移転,経済の成長などの ポジティブな側面もあるが,外国資本の地元地域 経済へ支配的影響の拡大,富の不均衡分配などの ネガティブな側面もあり危惧された

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。国際経済 政策の文脈でも,MNCs の存在を無視して検討す ることこそ今や困難になってきている。たとえば,

1970 年代の関心は,政治的な国境を凌駕する経済 的な活動拡大の中で,国家の問い直しへとつな がった。国際経済政策研究の一端として,ロバー ト・O・コヘインとヨゼフ・ナイ・ジュニアの「相 互依存」 (“interdependence”)分析もこの一例であ る

(19)

では,MNCs に注目する研究は,国家を中心と

(6)

したモデルからどの程度変容したのだろうか。行 為体の種類という文脈では,国家以外の行為体を 含む広がりが明らかであった。たとえば,MNCs を加えたことは,国境を越えた経済関係を中心に,

行為体の多様性を認識し,そして許容した。確か に,行為体の多様性を認めながらも,政治的に対 応していくことができる国家が国家間協力の文脈 でも想定され,期待されたので,国家中心の国際 関係モデルからは,必ずしも極端に変容している わけではなかった。国際関係の変化の中で,国家 中心モデルの延長線上の変形モデルであったとも いえよう。

国家と MNCs の関係も,二つの角度から検討さ れてきた。一方で,国家主権の弱体化を,特に程 度という範囲での変化として捉えた。先ほどのコ ヘインやナイのように,自由主義系の水平性を強 調する文脈であったので,それ以前の国家中心モ デルから断絶して新モデルへ飛躍するには不十分 であったのではないだろうか。このタイプではな ぜ継続性が強いかというと,国際経済の仕組みが それまでのように機能しないという危惧がありな がらも,経済問題に押しつぶされるという程度で はないとみなしたからである。政治的な協議や協 力で,なんとか国際経済問題を乗り切ろう,乗り 切れるとの議論である。そういう意味では,国家 が相対化されながらも,弱体化するという立場と は明らかに区別していた。だからこそ,それ以前 の国家中心モデルの文脈を逸脱しているとは言い 難いということである。

しかし,もう一つの対極的な議論では格差とし ての上下関係を強調するために,従属や主権の喪 失という文脈となった。たとえば従属論にでてく る MNCs と低開発国との関係は,その典型的な例 である

(20)

。このタイプは経済決定主義や硬直化し た社会観と批判され,社会変動に向けた視線が欠 如しているとも非難された。このタイプの構造を 強調すると,相互依存の議論は経済的な要素の重 要性を認知しながらも,自由主義系の研究の「コッ プの中の嵐」であったことがより鮮明に見えてく る。自由主義系の伝統の中で,相互依存研究では 微妙な文脈を設定していたといえよう。

ところが,MNCs が 1960 年代,1970 年代に初 めて登場したわけではなかった。カナダの対外関 係を振り返るならば,20 世紀初頭に,すでにアメ リカ系の MNCs が存在し,拡大しつつあった

(21)

。 カナダ側からアメリカへの FDI も,同率とはいか ないまでも,増加をし続けた。その後も MNCs は 増え続けた。例の相互依存の事例は,米加関係に も見出されてきた。最近では,かつては外国資本 受け入れ国だった中国に拠点を持つ MNCs が登場 し,いまや資本を海外へ送り出す国となってきて いる。この場合にも,MNCs の存在と,その国際 関係研究における認知には時差があった

(22)

。 今日,行為体としての MNCs が政策全般に及ぼ す影響がやはり危惧されている。たとえば,エネ ルギー資源や基幹産業の外国資本が経済状況に大 きな影響を与えるであろうことへの不安である。

国家経済の安定について,危惧を隠せなかっただ けではなく,不景気の場合には国家政策,特に経 済関連政策と企業戦略との対立や齟齬が不安要因 と見なされた。労働政策,環境政策など広い政策 領域での国家と MNCs の関係が注目を集めた。そ の背景には,産業政策,新保護貿易主義などの国 家を強調する政策環境があったといえよう。

最近の FTA(自由貿易)交渉では,MNCs は重 要な関係者となった。たとえ名前は自由貿易交渉 でも,実質的には FDI の取り決めも含まれてきて いる状況では,MNCs は,さらに重要な行為体と 位置づけられている。FTA における経済構造が異 なる国家の経済との統合における労働や,環境関 連の規制を含む規制も関心を集めている。国内と 国際との境界がますます曖昧になってきている状 況では,どのように政治と経済,そして国家と市 場がせめぎ合いながら関係するのかは,古くて新 しい問いでもある。

4)NGO(Non-Governmental Organization, 非政府 組織)(23)

最近では,NGO の話題も日常的ともいえるが,

NGO とその認知には,これまでも時差が存在し

た。そもそも民間の慈善団体などが公式に NGO

と認知され始めたのは, 1940 年代後半に国際連合

(7)

(UN)の経済社会理事会で NGO がオブザーバー の地位を獲得してからである。したがって,UN の公式な国際組織で,国家代表との比較を基盤に NGO が定義され,国家間関係の基盤のもとに,そ の延長線上で準メンバーとして位置づけられた。

この関係性と国家及び国際組織との格差を明示し ている点は看過できない。さらに,ここで注目す べきは,当時 NGO となった組織は,その時点で 誕生した組織ではなく,その時点ではすでに活動 をしていた。このように, UN 設立以前から NGO と 呼 ば れ る に 相 当 す る 活 動 を し て き た 組 織 も あった

(24)

USCC(Unitarian Service Committee of Canada)

の事例では,第二次世界大戦末期にヨーロッパで 困難な状況にあった女性,児童を中心に,慈善団 体と自らを位置付けてすでに救援活動をしてい た。 USCC は自らを NGO と定義したのは,当時よ りもだいぶ後のことである。つまり,初めに NGO の定義ありきではなく,活動をしていた慈善民間 団体が活動を継続する中で,国際組織によって NGO と呼ばれた。実績を積み重ねる過程での認証 となっていった。その後,そのような組織も自ら を NGO と呼ぶようになる。したがって,実体が 先にあり,その活動をしている実体を NGO と認 知することで,行為体自身もその新たな位置を発 見する結果となった。

USCC は,もともとアメリカに本部をもつ USC

(Unitarian Service Committee)のカナダ支部とし て活動を始め,のちにカナダの NGO として確立 した

(25)

。ということは, USC と USCC の間の関係 は,広義の米加関係とみなすこともできる。つま り,行為体は国家だけという枠をはずし,広義に 定義することで, NGO 間の関係にも国際関係を見 ることができる。この場合, NGO 間関係を主とし て,米加関係を従とするのか。反対に,米加関係 を主として,その中に NGO 間関係を埋めるのか。

これらの見方は,微妙な差異がでてくるだろう。

国家間関係と NGO 間の国際関係における因果関 係をどのように見るかにもつながるだろう。

新たな行為体である NGO と国家の関係は,

NGO の認知の時点で確定されたとは言い難い。国

家と NGO の関係は,国際関係の変化の真っただ 中にあるともいえる。その上,各 NGO の特徴や リソース,活動経験などが一様ではないことで,

一般化はなかなか難しい。最近の反政府組織をめ ぐり,資金源として一部の海外 NGO をもあらた めて見直す事例もでてきている。NGO の正当性 も,少なからず国家との関係で保持されている場 合もあり, NGO にとって,国家との関係は微妙に 影響してきている。

最近の NGO 研究は,第三段階にきているとい えよう。第一段階は, NGO を国際関係の行為体に 入れるかどうか。 NGO への関心が国際関係での存 在を見出す段階といえよう。第二段階は,どのよ うに NGO を国際関係の行為体に混ぜるかどうか。

つまり, NGO を視野にいれながらも,その混ぜ方 の性質を問う段階である。それに加え,最近の第 三段階では, NGO 自体がどのように国際関係に混 ざるのか。国家との関係,さらには国家間関係の 補完性,また国際関係の変動期における正当性と の関係で,いかに NGO がその公共性,透明性を 確保すべきかが探求されている

(26)

。他の行為体と の相互関係において, NGO を行為体として捉え直 す模索が今も続いている。どの場合も,他の行為 体との関係性の模索となっている。

5)地方自治体

最近では,地方自治体も広義の国際関係に登場 してきてはいないだろうか

(27)

。従来の狭義な国際 関係では,国家が唯一の行為体であり,国家と国 家との関係こそが国際関係という文脈では,地方 自治体が国際関係の行為体となる隙間さえもな かった。国家間関係の格下として,国際友好の姉 妹都市関係があった。ところが,地域の分離運動 で,地域政府が独自の国際関係を模索する試みは,

国家間の伝統的な国際関係との軋轢をも生んでい た。

カナダの例では,1960 年代から 1970 年代にカ

ナダからの独立や「主権」を主張したケベック州

が, 1968 年にフランス語圏の国際教育大臣会議に

カナダの代表となる地位を追及した。カナダの憲

法上は,対外関係が連邦の管轄下になるので,連

(8)

邦に対するケベック州の対抗となった。しかし,

教育が州の管轄下にあり,州が文化的,言語的に フランス語系の人口が多いという歴史を背景に,

カナダの代表となることを正当化したが,ケベッ ク州の独立への動きの中では,この代表権の問題 は政治的対立を深めた。地域経済開発との関係で は,1961 年のコロンビア川条約(Columbia River Treaty)によって,アメリカとカナダの国際河川 であるコロンビア川の開発についての国際条約が 締結された。しかし, 1964 年にカナダが条約を批 准するまでの過程では,連邦政府と流域を含むブ リティッシュ・コロンビア州との交渉が必須で あった。ケベック州とブリティッシュ・コロンビ ア州の場合は,州政府が教育への管轄権,資源へ の管轄権をそれぞれ「てこ」にして,国際関係を めぐりカナダ(連邦)政府との交渉関係を展開し た。憲法上の管轄権,そして連邦―州政府間の政 治的競合関係の経験が基盤となっている

(28)

。 たとえば,最近の出来事であるが, 2020 年のオ リンピック開催地招致活動を東京都がくりひろげ たのは,都の都内向け,国内向けの施策だろうか。

また,沖縄の基地をめぐる日米関係と沖縄県の主 張はどうだろうか。日本の地方自治体の法律的基 盤,政治的資源,交渉などの歴史的経緯そして国 際的政策課題による差異なども関係しているだろ う。狭義には,地方自治体は国際関係に入らない が,経済,地域振興,市民生活の向上という点で は,地方自治体が関与する指向性は増加してきて いる。したがって,地方自治体が対外関係にどの ように,どの程度,参加や関与を達成できるのか。

法律的,政治的,経済的,そして社会経済的なさ まざまな要因からの分析が必要だろう。

4.行為体論の変化と課題

行為体の変化に,国際関係研究が説明に追いつ かなかった事例は多々あった。そのずれは,のち に分析されるための時差でもあった。そこで,国 際関係における行為体を,研究でどのように位置 付けて考察できるだろうか。極端に国家中心でも なく,そして新しい行為体を誇張しすぎて複雑す

ぎないように現状を考察するにはどうしたらよい だろうか。

まず,新しい行為体の存在に気づき,認知する ことから始まるであろう。行為体が副次的とか周 辺的とかいう位置づけを問い直すと同時に,単に 研究の視野に混ぜるだけで十分なのだろうか。 「ど のように混ぜるか」こそが,問われていないだろ うか。新しい行為体の存在自体には気づいていな がらも,正当性を付与してこなかった場合がある。

そして視野に混ぜることで行為体として認識され るが,行為体の変化に対応するには時差もあり,

やはり継続的に観察せざるをえない。

だが,その継続する研究の模索中,国際関係の 変化に対応するのに,どこかにバリアーがあった かもしれない。つまり,このようなバリアーを考 察することなく,単に観察を継続するだけでは不 十分ではないだろうか。国際関係の研究が分析を 進める中で行為体を問う作業で自縛的な前提はな かっただろうか。行為体についての関心は,どこ から来ていて,どこへと展開する可能性があるだ ろうか。前提の有無,そしてその性格を問う必要 があるのではないだろうか。今日,行為体に研究 焦点を置くことの潜在的な意義を明らかにすると 同時に,国際関係論において,どのような展開を 追求するべきだろうか。 「である」の分析だけでは なく,今後の展望を含めて「あるべき」の分析を も模索できるだろう。

まず,今,国家を問い直し,相対化する意味は

何なのか。再考することは,少なからず研究動向

の中で「これまで」と「今」とを考える試みとな

るであろうし,今後を見据える準備となり得るで

あろう。これまでの状況をどのように見てきたか

ということは,国際関係に今後何を期待するかと

無関係とはいいがたいからである

(29)

。はからず

も,分野のこれまでと今後の再検討となるであろ

う。したがって,本論では,なぜ,今,どのよう

に行為体を問うべきかを,国際関係の変化と国際

関係の議論の変化の二段構えで考察する。理論の

内発的な原因というよりは,どちらかというと国

際関係の変化に研究側がどのように応えつつ,も

う一方で応えかねているかを検討する。

(9)

行為体として国家以外の行為体を取り込んだ国 境を越えた国際関係としてトランスナショナル・

リレーションズ(transnational relations)の試みは,

どのように評価すべきだろうか。すでに,複数の 行為体を見出し,それまでの研究で周辺におかれ ていた国家以外の行為体に気付き,またそれらの 可能性を議論する機会を与えたことは否定しがた い。この過程では,少なくとも複数の行為体を混 ぜるというハードルを越えていたといえよう。つ まり,国家間関係を重視する現実主義との関係で 変化した部分を肯定的に見るならば,行為体の多 様化,それに応じて行為体の複数性を受容し,国 家以外の行為体が国境を越えた関係を国際関係の 一部とみなす方向性を示した。

1970 年代の変化は,社会学の研究対象にもエス ニシティや移民などの国境を越えたトピックを取 り入れた。文化的要素も重視しながら,これまで のロー・ポリティックスのトピックをとりあげた。

この時期の社会学の変化は,社会学の国際化とも みなされた

(30)

。国際関係論と社会学との重複領域 のトピックでは,どちらの分野が他方を引き入れ たとはいいがたいが,国家を相対化し,エスニッ ク・グループ,社会運動への関心が国際関係の研 究でも取り込まれた。

だが,複数の行為体を分析視野に取り込んでは みたが,そこからの展開には停滞感も否定できな かった

(31)

。第一に,複数の行為体の関係をどのよ うにとらえるべきかの議論は開始されたが,そこ からの普遍化へのさらなる考察を必要とするだろ う。さらに踏み込むと,国家以外の行為体を「ど のように」位置づけるか。そして,どのように再 評価すべきであろうか。なぜ, 1970 年代の試行(非 国家的行為体研究)が頓挫したのか。多くの事例 研究も遂行されたが,個別のイッシュー研究に流 れ,包含するような求心力をもった分析的設問が 形骸化したのではないだろうか。第二に,比較政 治学との奇妙なすり合わせに限界はなかっただろ うか。比較政治学と社会学における社会をめぐる 議論は,どのような展開をもたらしただろうか。

自由主義系研究の弱点として,社会に対する機構 の優位性を強調し,社会との相互関係について分

析しにくかったために,構造的な性格に目配りす る研究基盤を作りにくかった。それが理由で,滞 留していたのではないだろうか。したがって,国 家が唯一の行為体ではないが,国家はまだまだ存 在としての支配性が残った。国家の経済政策への 期待と可能性を信じていたし,また規範とし

(32)

, 比較政治学での国家と社会とをめぐる議論からの 影響が限定的で,社会をどう取り込むかについて 足踏みがあったといえよう。

では,グローバル化研究では,行為体はどのよ うに扱われたのだろうか。これまで,すでにグロー バル化については,かなりの量の議論が展開され てきている

(33)

。行為体を議論するために,グロー バル化において見逃せないのは,以下の三点であ る。まず,経済的グローバル化を中心とみなすこ とで,市場がグローバル化することを原動力とし,

ビジネス,民間企業を行為体として不可欠とみな した。もはや,経済はロー・ポリティックスと位 置づけること自体を覆し,経済も国際関係をまさ に左右するイッシュ―との認知はさらに高まりつ つある。第二に,グローバル化の側面として,人 や文化展開を取り入れたことで,国家以外の行為 体を個人,そして文化,言語グループを見逃さな かった。行為体はさらに多様化したといえよう。

第三に,NGO は,市民社会の行為体(civil society actor)とみなされ,期待をも背負わされてきてい るが, NGO にも国際関係の行為体となるための要 件が議論されつつある。

したがって,グローバル化の議論は,国家以外 の行為体を浮き彫りにしたが,これまでの分析的 な課題をすべて克服しただろうか。行為体に関し てグローバル化研究は,国家論,そしてビジネス 戦略,さらに市民社会の行為体と位置づけられる NGO の三つの流れとなった。一方で,グローバル 化は国家の存在を絶対化せず,相対化が進行した。

したがって,国家はどうなったのか,どの程度存 在が軽量化していくのかという議論が展開され た。国家の存続をも問う議論の傾向であった。し かし,それは皮肉にも,国家がどのようにグロー バル化を促進し,対抗するかとの議論も登場し,

国家の存在をより強固にする傾向でもあった。国

(10)

家の脆弱性と強化といった対極的な議論が展開し た。多方面への展開が,分析意欲を反映しながら も,混迷も深めている。この議論を行為体論に引 き付けてみると,最近のグローバル化研究では,

同質化から国家の強化に至っている。したがって,

国家の存在についての単一の結論にはやや程遠い ともいえる。

今日,グローバル化による同質化の収斂に対抗 する分化を理解するために,複数の資本主義が分 析の枠組みとして提示されてきている。その説明 には,歴史的な経済構造の考察と,国家の政策的 対応ぶりとその相対化が使われている

(34)

。その場 合,行為体の多様化と合わせて,行為体の変化と その程度が吟味される必要がある。このような相 対化によって,変化の性質を極端な議論に陥るこ となく検討すべきであろう。その意味では,グロー バル化だけによって行為体の議論が混乱してし まったというよりは,継続的に複雑化したといえ よう。相互依存からグローバル化へと繋がる部分 も否定できない。たとえば,経済的相互依存は,

グローバル化の中でも捉えなおす試みも存在し た。コヘインとナイの研究は版を重ねながらも,

またアメリカ化とグローバル化を区別しながら も,グローバル化を議論してきている

(35)

。した がって,トランスナショナル・リレーションズか らの継続性が一部存在することも確認できよう。

これまでの行為体についての研究では,いまだ 混沌とした状況であることは否定できないが,今 後の行為体論は,研究と教育の二側面を検討すべ きであろう。

まず,研究の側面では,行為体は早くから注目 されてきていたといえよう。国家を中心としなが らも,国家以外の行為体にも目配りをしていた。

伝統的な現実主義と重複する部分もあるが,行動 科学の研究では,国家が多くの場合単位となる傾 向があった。それは,使用する統計の収集および 編纂の過程で,国別という手続きが原因でもあっ た。従属論では,先進国と第三世界経済との対立 が強調された。事例研究として,国別の経済が注 目され,多国籍企業と国内のエリートに対する国 内の大衆といった図式では,社会構造にも踏み込

む議論があった。経済的な権益との関係で,国家 以外の行為体への分析が展開されたが,単純化し た経済決定論でもあった。同時期の新現実主義に おいては,行為体は国家,企業,国際組織が注目 された。国際協調の模索としての多様な行為体へ の目配りであったが,当初の NGO への視線はや や二次的となっていた。この過程では,国家以外 の行為体の混ぜ方において,やや特殊な選択で矮 小化が行われていたといえよう。

しかし, 1970 年代のトランスナショナリズムで は,経済的な側面が強調されつつ,他方社会的な イッシューへの目配りも,社会学の国際化の過程 を伴い実施されてきていた。とはいうものの,社 会への目配りは自由主義系のトーンに拘束されて いて,構造への関心はやや希薄であったといえよ う。このあたりは,主流の社会学がある種自由主 義系の範疇に限定されていたといえよう。どのよ うに,社会を見て,国際関係の行為体として取り 込むかの課題がある。

教育の側面では,大きく学部の導入レベルと発 展レベル,そして大学院教育に分けることが可能 だろう。それらを一括して検討する困難があるの で,学部に重点を置くとすると,以下の 2 点に要 約されよう。

行為体への分析視角は,国際関係論において,

これまで中心の一つであったといっても過言では ない。演劇にたとえて,どのような役者が登場す るかとの説明もこれまでにあった。登場人物は誰 かという視角の設定である。これは,国際関係論 で,国家を擬人的に扱う方法とも同じような文脈 である。この擬人法の適切さをめぐる議論はさて おき,確かに定番であった。では,行為体への分 析視角が,なぜ中心の一つとなってきたか。それ は,近代国際関係設立に限って焦点を絞っても,

国家,国家政府組織,そして政策決定者などの高 官が具体的な行為体とみなされた。行為体からも,

これまでの分野の変遷を説明できよう。

しかし,このような古典的な国家中心のモデル の相対化は,理論面だけではなく,教育対象の学 生のほうからも開始されてきている。たとえば,

国際関係論での行為体が何かを議論する前に,各

(11)

種 NGO へ参加して,国際的に展開する NGO から 国際関係を眺める視点を実践的に広げ始めてきて いる。誇張を恐れずにいえば, NGO からの視角に どのように国家を位置づけるかが彼らの課題とな る逆転現象も多々ある。

第二に,国際関係における行為体を,1970 年代 のトランナショナル・リレーションズと,1990 年 代以降顕著となるグローバル化の時期を選択して 再度検討を試みても明らかなように,国際関係の 変化をどのように見定めるかは,いつも大きな課 題である。いわゆる経済の変化に国家が後追いと なりながらも,国家は他の行為体との関係で何が できるのか。次々に問題が湧き起こるが,単純化 された明晰さよりも現状の混乱についての寛容性 をどのように模索するか,複数の国際関係観の錯 綜状況にどのように柔軟に対応するか,行為体を 歴史(時間)と社会(空間)との中に位置づける ことを持続的に追及することが肝要なのではない だろうか。

5.おわりに

国際関係研究を見直す入口は複数あるが,行為 体をめぐる議論はその一つといえよう。行為体論 は古くもあり新しくもあり,議論の継続性をも見 るように時間的にも長い期間でその変化を見てき た。行為体を扱ってきた主流の研究に集中するの ではなく,それらを相対化することで,あえて議 論での時間的なずれやもどかしさにも注目した。

一部の表面的な比較や,変化を強調する「パラダ イム」を用いることを回避して,価値観の比較を 試みた

(36)

。そして,国際関係の状況と国際関係論 には時差があることをも前提に,昨今のグローバ ル化も視野に入れて見てきた。

長年,国家についての問いは結論もないまま,

1970 年代の相互依存の文脈で,そして昨今のグ ローバル化の状況でも,国家を問う作業が継続し ている。その継続も,国家の位置づけが定まらな いまま,国家の位置づけの変化を再検討せざるを えなかったといえよう。看過できないのは,それ らの国家についての問いは,微妙に形を変え,文

脈を変えていることである。国際関係の変化に少 なからず翻弄されて,問いの設定が微妙に変化し てきている。つまり,環境的な要因としての国際 関係に加えて,分析者がおかれている環境の変化 で,分析者の関心,焦点,文脈が変化することで ある。対象と分析者を不可分とすると,対象の変 化と分析者の変化の連動に注目する立場もありう る。対象と分析者のどちらかが原因で,他方が結 果というほど単純ではなく,両方向の因果関係が ありうるであろう。というわけで,不可分,双方 向の複雑なとらえ方となる。

国際関係論の歴史では,歴史学が担ってきた基 盤があり,その伝統では,分析者が依拠する場,

そしてその場の変化も考察されてきていた

(37)

。対 象と分析者の相互関係の不可分性が,研究の土台 の一部ともなっている。 1980 年代からの国際関係 論の問い直し,自己存在の模索をふりかえるなら ば,単純に,手放しで客観性の確保や客観的な視 点という前提は受け入れがたい。さらにもう一歩 踏み込むならば,どの程度,どのように客観性を 相対化しながら研究をするかという問いに辿りつ く。したがって,オントロジカルな文脈で,研究 を再検討するべきであるとの研究展開も登場して きている。

本論の特徴として,行為体の変化について,国 家を国際関係の中心として正当化するとか,再確 認することが目的ではなかった。したがって,国 家回帰か,国家消滅かの二極論では勿論ない,複 数の行為体という状況を受けとめた分析となる。

複数の行為体が混在する状況を,具体的な,事例 研究を積む中で,枠組みそのものを考察する意欲 が必要であろう。複数の行為体が混在するのが,

変化の途中の過渡期と見るならば,その状況の分

析と今後の展望とについての考察が今後展開する

であろう。複数の行為体の議論は,国家の弱体化

とまではいかないまでも,たとえば国際組織や

NGO な ど の 他 の 行 為 体 で 補 完 さ れ る 状 況 で も

あった。たとえ,グローバル化の議論が「複数の

グローバル化」になった理由を国家政策の差異に

言及しようとも,国家の優越性やその継続のみを

強調するには至らないであろう。

(12)

行為体論は,国際関係論の今後の展望を見るた めにも突破口となるだろう。これからも事例研究 で,個別の検討でオリジナリティも出てくるかも しれないが,もう一方で一般論との関係づけ,相 対化が必要となるだろう。相対化の中で複数の視 点,複数のバージョンを検討しながら,より普遍 化した包括的な議論への入り口も模索されていく べきだろう。このプロセスで,個別と総括の間で 試行錯誤が繰り返されていくだろう。事例と地道 な検証を無理なく,不断に繰り返すことで,分析 者自身も国際関係の中で分析するジレンマも感じ ながら,分析を試み続けてみてはどうだろう。継 続的な問いに真摯に向き合う批判のためには,学 際的な方法も用いるべきであろう。単に方向性と しての学際性ではなく,学際的な批判を省察とす る本来の意味での試みを目指すことが求められよ う。

(1) 刻々と変化する対象と観察者とその環境にまで配 慮するならば,国際関係の理解とその解説を単純化す ることの危うさがある。Gabriel A. Almond, and Stephen J. Genco, “Clouds, Clocks, and the Study of Politics,”

World Politics, 29:4, 1977.

(2) かつてのインターパラダイム論争(“inter-paradigm debate”)は,価値観や世界観の比較を掘り起こしか ねていたことが課題となっていた。インターパラダイ ム論争については,以下を参照。Michael Banks, “The Evolution of International Relations Theory,” in Michael Banks, ed., Conflict in World Society, London: Palagrave,

1984. 価値観,世界観の比較に期待される分析につい

ては,以下を参照。Steve Smith, “Introduction,” in Tim Dunne, Milja Karki, and Steve Smith, eds. International Relations Theories: Discipline and Diversity, 3rd ed., Oxford: Oxford University Press, 2013, pp. 5-7. Steven Lamy, John Baylis, Steve Smith, and Patricia Owens, Introduction to Global Politics, 2nd ed., Oxford: Oxford University Press, 2013, pp.14-15.

(3) 川田侃『国際関係の政治経済学』日本放送協会出版 会,1980年,40-48ページ,78-85ページ。衛藤瀋吉,

公文俊平,渡辺昭夫,平野健一郎『国際関係論概論 第 二版』東京大学出版会,1989年,34-47ページ。馬場 伸也「非国家的行為体と国際関係――序論――」『国 際政治』59号(『非国家的行為体と国際関係』),1978 年。大芝亮「序 国際関係における行為主体の再検討」

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(4) グ ロ ー バ ル 化 研 究 が 限 定 し た 期 間 の み に 注 目 す ると,非歴史的になりがちであることを,A・G・ホ プキンス(A.G. Hopkins)は痛烈に批判し,歴史的な 視 角 が 必 須 で あ る こ と を 提 示 し た 。A.G. Hopkins,

“Preface,” and “The History of Globalization and the Globalization of History,” in A.G. Hopkins. ed., Globalization in World History, London: Pimlico, 2002.

(5) 日本の国家の政策的対応について,その効率性が 強 調 さ れ て き た 。Chalmers Johnson, MITI and the Japanese Economic Miracle: The Growth of Industrial Policy, 1925-75, Stanford: Stanford University Press, 1982.

(6) 相 互 依 存 “interdependence”つ い て は ,Robert O.

Keohane, Joseph Nye, Jr., Power and Interdependence, Transnational Relations, Boston: Little Brown, 1977. 脱 国家,トランスナショナル・リレーションズなど軍 事・安全保障以外の分野で,多様な行為体の議論が展 開された。たとえば,『非国家的行為体と国際関係』

を参照。

(7) 複 数 の 矛 盾 を 構 造 化 し た グ ロ ー バ ル 化 に つ い て は,たとえばPeter A. Hall, and David Soskice, eds., Variety of Capitalism: The Institutional Foundations of Comparative Advantage, Oxford: Oxford University Press, 2001. James N. Rosenau, “Many Globalizations, One International Relations,” Globalizations, 1:1, 2004.

(8) 国際関係における民族や民族運動について数多く の研究があるが,別の機会に議論する。

(9) 分野を「主流」と「非主流」に二分化することを目 指してはいないが,一般的で支配的な文脈という意味 で「主流」を使う。主流をあえて定義するのは,その 議論を対象化し,相対化を分析で試みるためである。

(10) Graham Allison, Essence of Decision: Explaining Cuban Missile Crisis, Boston: Little and Brown, 1971. グラハ ム・アリソン著,宮里政玄訳『決定の本質―キューバ・

ミサイル危機の分析』中央公論社,1977年。

(11) たとえば,Alexander L. George, and Richard Smoke, Deterrence in American Foreign Policy: Theory and Practice, New York: Columbia University Press, 1974, p.54, pp.73-82. Irving L. Janis, Groupthink: Psychological Studies of Policy Decisions and Fiascos, Boston: Houghton Mifflin, 1982.

(12) Kenneth N. Waltz, Man, the State and War: A Theoretical Analysis, New York: Columbia University Press, 1959.

(13) 武者小路公秀によると,「威力を示すために無理を して国家権力を行使する現象」と特徴づける。武者小 路公秀『転換期の国際政治』岩波新書,1996年,vペー ジ。

(13)

(14) 1970 年代に,相互依存論の中で,ロバート・コヘ イン(Robert O. Keohane)やヨゼフ・ナイ・ジュニア

(Joseph Nye, Jr., 以下ナイ)は,当時はまだいわゆ る冷戦期であり東西対立を基盤に,西側諸国の,それ も特に先進国間の相互に緊密な経済関係を対象とし ていた。というわけで,国際関係全般を見渡した議論 ではなく,かなり視野を限定した議論だったともいえ よう。Robert O. Keohane, and Joseph Nye, jr., Power and Interdependence.

(15) 大芝亮『国際組織の政治経済学』有斐閣,1994年。

最上敏樹『国際組織論 第二版』東京大学出版会,2006 年。

(16) 篠原初枝『国際連盟』中公新書,2010年。Jacqueline Best, Governing Failure: Provisional Expertise and the Transformation of Global Development Finance, Cambridge: Cambridge University Press, 2014.

(17) Robert O. Keohane, After Hegemony: Cooperation and Discord in the World Political Economy, Princeton:

Princeton University Press, 1984.

(18) たとえば,カナダでは,1960 年代末に外国資本審 査委員会(Foreign Investment Review Agency, FIRA)

が創設された。研究では,米加間の格差に注目し,Kari Levitt, Silent Surrender: the Multinational Corporation in Canada, Toronto: Macmillan, 1970.

(19) Keohane and Nye, Jr., Power and Interdependence.

Raymond Vernon, Sovereignty at Bay: The Multinational Spread of U.S. Enterprises, New York: Basic Book, 1971.

(20) 従属論の例としては,たとえばAndre Gunder Frank, Lumpenbourgeoisie: Lumpendevelopment, Dependence, Class, and Politics in Latin America, New York: Monthly Review Press, 1974を参照。

(21) Mira Wilkins, The Emergence of Multinational Enterprise:

American Business abroad from the Continental Era to 1914, Cambridge: Harvard University Press, 1970.

Stephen Clarkson, and Matto Mildenberger, Dependent America: How Canada and Mexico Construct U.S. Power, Toronto: University of Toronto Press, 2011, pp.30-31.

(22) 最近の例では,中国はもはや多国籍企業(MNCs)

の受け入れ国だけではなく,送り出し国としての位置 づけも定着してきている変化を今や無視することは 不可能である。となると,MNCsとの関連で含まれる 国家との関係も,その性質も変化してきている。たと えば,中国企業の日本への投資については,以下を参 照。Reinhard Drifte, “Feelings of Insecurity: Japanese Reactions to Chinese Investments in Japan,” in Wilhelm Vosse, Reinhard Drifte, and Verena Blenchinger-Talcott, eds., Governing Insecurity in Japan: The Domestic Discourse and Policy Response, Oxon: Routledge, 2014.

(23) 先行研究には,たとえば入江昭「国際社会と非政府 団体」,多賀編『国際社会の変容と行為体』がある。

(24) 日本では1995年の阪神淡路大震災後,ボランティ アに関する関心が高まり,民間で,非営利のNGO(非

政府組織)も多く登場してきている。法制上も特定非 営利活動促進法でNPOの法律的基盤を作り,NPO増 加にも影響している。

(25) 拙稿「ユニテリアン・サービス・コミッティー・オ ブ・カナダ(USCC)の草創期(1945-1960)――超国 境性と組織のカナダ化のはざまで」『国際学研究』(明 治学院大学国際学部論叢),22号,2002年。

(26) Peter A. Gourevitch, and David Lake, “Beyond virtue: evaluating and enhancing the credibility of non- governmental organizations,” in Peter A. Gourevitch, David A. Lake, and Janice Gross Stein, eds., The Credibility of Transnational NGOs: When Virtue is Not Enough, Cambridge: Cambridge University Press, 2012.

(27) たとえば,拙稿「カナダ連邦制と州の国際活動」『年 報行政研究』(日本行政学会),27号,1992年。拙稿

「ブリティッシュ・コロンビア州とケベック州の対ア ジア太平洋政策の比較――地域統合と連邦制の変化 の中で」『カナダ研究年報』(日本カナダ学会),17号,

1997年。

(28) 国 際 関 係 と ケ ベ ッ ク 州 に つ い て は , た と え ば Christopher Kukucha, “Dismembering Canada? Stephen Harper and the Foreign Relations of Canadian Provinces,” (originally in Review of Constitutional Studies, 14:1, 2009), in Duane Bratt, and Christopher J.

Kukucha, eds., Readings in Canadian Foreign Policy:

Classic Debates and New Ideas, second edition, Don Mills: Oxford University Press, 2011, pp.259-263.

(29) E・H・カー著,原彬久訳『危機の二十年――理想 と現実』岩波文庫,2011年。オリジナルの初版(The Twenty Years’ Crisis)は,1939年に出版された。

(30) 梶田孝道『国際社会学』名古屋大学出版会,1992 年,2ページ。梶田孝道『国際社会学のパースペクティ ブ』東京大学出版会1996年,3ページ。

(31) Thomas Risse-Kappen, Bringing Transnational Relations back in, Cambridge: Cambridge University Press, 1995.

(32) Vernon, op. cit.

(33) 古城佳子「国際政治経済学の動向(上)―『経済の グローバル化』と国家,国家間協調の分析視角『国際 問題』第456号,1998年3月。古城佳子「国際政治 経済学の動向(下)―『経済のグローバル化』と国家,

国家間協調の分析視角『国際問題』第456 号,1998 年4月。伊豫谷登士翁『グローバリゼーションとは何 か―液状化する世界を読み解く』(平凡社新書)平凡 社,2002 年。

(34) Peter A. Hall, and David Soskice, eds., Varieties of Capitalism.

(35) Robert O. Keohane, and Joseph Nye, Jr., Power and Interdependence, 4th ed., New York: Longman, 2011.

(36) Steven Smith, op.cit.

(37) E・H・カー『歴史とは何か』岩波新書,48ページ。

Edward Hallett Carr. What is History?, p.42.

(14)

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